一
秋風ぞ吹く白河の関の一夜、駒井甚三郎に宛てて手紙を書いた田山白雲は、その翌日、更に北へ向っての旅に出で立ちました。
僅かに

得てして、人間の旅路というものはこんなものでして、ある程度のところで、ちょっと
白河城下を立ち出でたその夜は、須賀川へ泊りました。
白河から八里足らずの道。
この地に
その翌日、例の
若干の草鞋銭は先方の好意でしたが、「奥の細道」は先方の好意というよりも、こっちの強要と言った方がよかったかも知れません。
「奥の細道! これが欲しい、この旅にこれは
こう言って、白雲が強奪にかかったのを、根が風流人の投弓が、いやと言えようはずもなく、彼の
白雲は、それから「奥の細道」の一巻を、道ながら、手より
白雲が「奥の細道」に愛着を感じていることは、一日の故ではありません。およそ、旅を好むものにして「奥の細道」を愛読せざるものがあろうとは思われません。
白雲もまた、芭蕉の人格を偉なりとすることを知っている。その発句の
ところが、それが、目の前に、投弓の家にころがっていたものですから、若干の草鞋銭なんぞは辞退しても、これをかっさらって行こうという賊心に
白河の関にかかりて旅心定まりぬ――なるほど、旅心定まりぬがいい――この一句が、今日のおれの旅心を道破している。
「『いかで都へ』と便りを求めしもことわりなり。なかにもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉 を俤 にして、青葉の梢なほあはれ也。卯 の花の白妙 に、茨 の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠 を正し衣装を改めしことなど、清輔 の筆にもとどめおかれしとぞ」
古人の名文は、今人の心を貫くが故に名文なのだ。名文というものは人の言い得ざることを言うが故に名文なのではない、万人言わんとして言い得ざることを、すらすらと言い得るから名文なのだ。こうして、郡山、二本松、あさかの山――黒塚の岩屋をそれぞれに一見して、福島についたのは、その翌々日のことでした。
福島の家老に杉妻栄翁という知人があって、これをたずねてみると、この人は藩の政治になかなか勢力ある一人ではあったが、またよく一芸一能を愛することを知るの人でしたから、白雲のために、その家がよい足がかりとなったのみならず、かなりの仕事を与えられたのみならず、狩野永徳を見んがために松島に行くという白雲の意気の盛んなるに感心し、
「なるほど――
「伊達家のことでござるから、それは天下に掛替えのない宝が一つや二つではござるまいが――刀剣であろう、茶器であろう、これらは拙者に於てあまり渇望もいたさぬし、また渇望いたしたからとて、拙者のような乞食画かきに、わざわざ宝蔵を開いて見せる物好きな三太夫もござるまいとあきらめています」
「それもそうだ、観瀾亭の襖絵は、相当の紹介があれば誰にも見せてくれるだろうが――もう一つのは――これは到底及びもつかないことだろう、その点はあきらめるのが賢明ではあるが、学問のために、伊達家には、しかじかのものがあるということを覚えて置くのは無益でもござるまい」
「左様――


「それはなあ、もちろん伊達家のことだから、天下無二の宝が数知れず宝蔵の中に
「王羲之の孝経――」
これを聞いて白雲が
「それは、いささか割引がかんじんじゃ、大諸侯の物とて、一から十まで盲信するわけにはゆかん。いったい、羲之の真蹟はすべて唐の
「ところが、伊達家の羲之には、れっきとした由緒因縁がある、しかも、それには唐の太宗の御筆の序文までがついているそうじゃ」
「ははあ――
「あるある、大いにある、そのよるところを話してお聞かせ申そう」
ここまで主客の間に話が進んだ時、来客で話の腰を折られて、それぎりになりました。
主人としては、なおくわしく、伊達家所蔵の王羲之の孝経――しかも唐太宗親筆入りという絶代ものの出所来歴を話して聞かせたかったらしいが、話がそこで折れた上に、その後は忙がしく、白雲もまた、いかに伊達家のことなりとも、羲之の真筆は少々割引物として、問いをほごすことをしてみませんでした。
そこで、伊達家の王羲之は立消えになったままで、白雲がこの邸を暇乞いをする最後まで復活しなかったのです。
けれども、この家の主人として、白雲が打立つ時に、仙台へ向っての有力なる紹介者となって、白雲の落着きを安くしてくれるの親切は残りました。その紹介者のうちに、
「仙台へ着いたら、ともかくも、
というのがありました。
玉蕉女史――とは何者?
それは才色兼備の婦人で、ことに漢詩をよくし、書をよくし、画を見ることを知り、客を愛し、旅を好む。ことに漢詩を作ることに於て最も優れている。
ははあ、これは珍しい。婦人で、才気ある婦人は必ずしも珍しいとはしない、
それにしても、ただ単なる奥様芸で、覚束なくも
ははあ、ほかならぬこの拙者に向って、左様、
かくて、福島に逗留二日。
しのぶ文字摺 、しのぶの里
月の輪のわたし
瀬の上
佐藤荘司 が旧跡
飯坂 の湯
桑折 の駅
伊達の大木戸
鐙摺 、白石 の城
笠島の月の輪のわたし
瀬の上
佐藤
伊達の大木戸
かくて、田山白雲は、仙台に入る前に笠島の道祖神の祠へ参詣の道を
二
それは別物ではない、露骨に言ってしまえば、人間の男性の生殖器が一つ、石でこしらえた、しかも、これが図抜けて太く
「呆れ返ったものだ」
白雲といえども、思わず苦笑をとどめることができませんでした。
いったい、これは何のおまじないに原因しているのだ――道祖神というと、こんなものを押立てたがる故事因縁がよくわからない。道祖神そのものは、
呆れ返った末に、とどめ難い苦笑いをもって、白雲は、図抜けた道祖神の表象のまわりをながめているうちに、その太く逞しいかり首のあたりに結びつけられた、一つの絵馬を認めないわけにはいきませんでした。本来ならば、このブラさがった絵馬そのものが、まず人の目につき
普通、絵馬に描く図柄はきまったようなものですが、この絵馬には、全く異様な
「迷信はところがらで致し方がないとしても、社へ納める絵馬に般若を描くやつもなかろうではないか」
そう思って、白雲が見直すと、その署名に、
「清澄村、茂太郎納」
と筆太く記して、その頭へ小さく「仙台大手御門前」と「はてな――」
田山白雲は、全く別様な頭の働きを、この異様な額面の絵と文字との上に向けて、一思案なからざるを得ませんでした。
「はてな――全く、これは、はてなだ――清澄村茂太郎なる者がこの額を納めたとな。広い日本の村々のうちには、清澄というのも一つ以上あっていけないというはずはない、また茂太郎という名乗りも公儀へ御遠慮を致すべき差合いのある名前とも覚えていない。房州の清澄の、あのでたらめの歌うたいの茂公のほかに、天下に、もう一人も二人も清澄村の茂太郎なるものが存在してはならない筋合いもないのだが、それにしても、これは少し
白雲は、でたらめの歌うたいの茂太郎と、般若の面とが、くっついて離れないことをよく知っている。あいつは、母の腹の中から般若の面を持って生れて来たのではないかとさえ思っている。
その般若の面の、描くべからざる場面に描かれているのは、どうして、清澄村の茂太郎が尋常一様の清澄村茂太郎としては通過しないことを証明しているではないか。
それに――もう一つ
どちらから見ても、ちぐはぐだらけ、矛盾だらけだ――こいつを納めた奴の常識のほどが疑われる。いやいや、その常識のほどを疑うこっちの判断が、こんがらかる。
ちょっとこのままでは立去れないよ。そこで白雲は、手をさしのべて、そのまだ新しい、
「百姓、七兵衛納」
とある。「はてな――これはまた、はてな以上のはてなだわい」
白雲はついに、道祖神の御神体石の首から、その絵馬をもぎ取って、自分の鼻づらへ持って来てしまいました。
三
そこを立ち出でてから路傍の人をたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない。要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ。
「おらあ、おくにやあ、くちいたてばっても、あんな折助言葉、うざにはくわなあ」
さても
白雲が舌を捲いて、名取川の岸まで来ると、そこで、一ぜん飯屋に身を投じました。前の川で取った川魚を
白雲は、ここで亭主と女房とを相手に、わざと悠々と構えて、
ここで、気を練らして白雲が、夫婦を相手の会話の中から判断して、幾つかの仙台語のうちの単語を修得し、これを画帖の端へ、ちょいちょいと書きつけたものです。その一例を言えば、
△いぎやる――これは、普通、おっしゃるということらしい
△はるなたをこく――これは偽 を言うということらしい
△にし――おぬしということだ
△ほいちょう――ほうちょうのことだ
△じいごばあご――じじ、ばばのこと
△われ様――おぬし様ということ
△よだっぽれ――馬鹿とか阿呆 とかいうこと
△ねいきをこく――腹を立てること
△なまだらくさい――じだらくなこと
△なじょたがな――何としたということ
△むぞい――可愛ゆいということ
△うちゃせた――忘れたということ
△やくと――わざとということ
△まくらう――食うこと
川の△はるなたをこく――これは
△にし――おぬしということだ
△ほいちょう――ほうちょうのことだ
△じいごばあご――じじ、ばばのこと
△われ様――おぬし様ということ
△よだっぽれ――馬鹿とか
△ねいきをこく――腹を立てること
△なまだらくさい――じだらくなこと
△なじょたがな――何としたということ
△むぞい――可愛ゆいということ
△うちゃせた――忘れたということ
△やくと――わざとということ
△まくらう――食うこと
仙台及びその附近では、江戸弁を称して、すべて折助言葉というのである。仙台では、品格ある家庭に於ては、江戸弁を用うることを決してしない。鈍重にして威儀ある、純然たる仙台弁を用うることを貴しとしているが、もちろん、軽快なる江戸弁は、用いようとしても用いられないにきまっているが、その模倣の軽薄を避けることが土人の品格となっている。若い者などが、たまたま江戸弁などを使ってみせると、家中では、何だ折助みたような言葉づかいをする――といって
白雲は、そんなことに恐縮しながら、なお相当に問いただしているうちに、この店へ、岡っ引が二人、川から上って来ました。
白雲も、それがたしかに岡っ引の
で、二人の岡っ引は、こうして純粋の奥州語を亭主夫婦と達者に取りかわしていながらも、ジロリジロリと白雲に眼をくれることは以前と少しも変らないが、こっちが存外泰然自若なのに、相当
しかし、お茶を飲んでしまうと、どうしても、この風来の
そこで、二人の岡っ引は、田山白雲の方へまむきに向って来て、今度は純粋の奥州語に多少の標準弁を交ぜて、つまり、
「貴君は、どなたですか」
こう詰問されたものですから、白雲が、
「拙者は、旅の絵師です」
と答えると、
「剣師――左様でござらば、剣道のお流儀は?」
と先方が反問して来たものです。うむ、では絵師といったのを、剣師或いは剣士と聞きそこねたのだな――いや、これは今にはじまったことではない、剣客と言えば通るが、絵師と言ったんでは通らないことになっているのが、生れついての人相だからいまさら致し方もない。しかし、まあ、どっちでもいいわ、道に剣客に逢う時はすなわち剣客になりすまし、道に絵かきに逢う時は絵かきになりすましている。ここでも、こちらは絵師だというのに、先方は剣士と受取ったのだからそれでもよろしいと、白雲が即座に答えました、
「左様、南北流を少々修行
「ほほう」
これは八流兼学の大剣客とでも思ったのか、岡っ引二人は、少なからず
「して、いずれからおいでになりました」
「江戸を立ち出でて、奥州街道を白河より福島を経て、これより仙台城下へまかり通ろうとする途中でござる」
「ほほう、して、仙台はどちらの先生の道場へお越しでござるかな」
「道場――それそれ、とりあえず仙台城下、高橋玉蕉先生の道場で一本お手合せを願い、それより松島へ
「ははあ、左様でござるか――昨今、仙台御城下には、少々物騒な儀がござるによって、随分御用心の上――」
二人は、多少とも、白雲の応対ぶりに呑まれたようにも見られるが、一つはその堂々たる体格と、わるびれない応答ぶりが、信用を買ったものと言わなければならぬ。事の進行によっては、一応剣客の
わざわざ持って来るほどのものではないが、捨てるのもなんだか心残りのようだから、ここまで持っては来たが、茂太郎ではあるまいし、これから先、どこまでも
そこで白雲は、このまま店へ置去りにしてここを出ました。
店を出ると名取川です。
四
田山白雲は、名取川の仮橋を渡りながら、今の岡っ引のことを思い返しました。
岡っ引の言うことには、仙台城下が今日は物騒がしいから用心しておいでなさいと。
それよりさき、純粋の奥州語をもって、飯屋の亭主夫婦と会話を試みていたところを拾い聞きにしての判断から言うと、その仙台城下の物騒というのは、やっぱり盗賊沙汰であるらしい。それも、市中商家を荒した盗賊ではなく、どうやら城内の
いつしか名取川の沿岸の風物に
と同時に、こちらの瀬には、魚を捕るためのやながかけてあるのを認めました。単にそれだけのことで、川岸で、
そうして、その附近をのぞいて見ると、
そんなことで、無心にその辺の淵をのぞき込んでいると、
「もし、あなた様は、田山白雲先生ではいらっしゃいませんか」
「えッ」
白雲が、ぎょっとして後ろを向くと、いつのまにか背後に歩いて来ているのは、それは、確かに、いま、ついそこの柳の下で蛇籠を編んでいた老人に相違ないと直覚しました。だが、かぶっている笠をとりもしないで、
「お前は誰だ」
「田山先生でいらっしゃいますか」
「わしは田山だが、お前さんは?」
「ああ、それで安心を致しました、私は近頃、駒井の殿様の御家来分になった
「駒井殿の……」
改めて、白雲が、その老爺の
白雲は、油断のならない眼をもって、この老爺の面を見ていると、老爺は存外、落着いたもので、
「田山先生、何はともあれ、申し上げなければならないことは、駒井の殿様は、あなた様の御出立中に、
「ナニ、駒井殿が、あの蒸気船で洲崎を立たれたと、どうして、そう
「はい、土地の人気が悪くなりましたものでございますから、大急ぎで人数を取りまとめて、船おろしと船出を一緒になさいました、あなた様をお待受け申している間もございませんでした」
「うむ――」
「それで、わたくしが、あなた様のおあとを慕って、このことをお知らせ申し上げようと
「なんだか、
「はい、それが、その、このつい御近所の石巻の港を目あてに乗出しておいでになりました」
「ナニ、石巻――なるほど、駿河の清水港へ行こうか、仙台の石巻へ行こうかと駒井氏は常々言われていたが、して、なにかな、もはや石巻に到着しておられるのか」
「いや、それが、たしか今明日中には御無事にお船入りのはずなのでございます」
「それはそれは――で、なにかな、あの番所に居候の連中は、みんな同じ船に乗込んで来たのか」
「はい、一人残らず、茂太郎も、
「おお、それはそれは――それを知らないで、このまま房州へ舞い戻ろうものなら、飛んだあとの祭りを見せられるところであった、よくお前さん、知らせておくんなすった」
「お話し申し上げると長うございますが……」
この時、遥かにみとおしのきく河原の両岸を見ると、こしかたの方からは、さいぜん飯屋へ出張したらしい岡っ引が先に立って、村役人らしいのを数名
それを見ると、右の
「のちほど、ゆっくりお話し申し上げましょう。今晩、先生は、どちらへお泊りでいらっしゃいますか」
「わしかい――まだどこといって、宿はきまらないが、とりあえず、大町の高橋玉蕉という女の学者のところをたずねて参るつもりだ」
「大町の高橋先生とおっしゃいますか」
「そうだ、女で有名な学者――それに家はなかなか金持の商家ということだから、そこをたずねて来ればわかるだろう。もしまた、別に宿を取った時は、その家へ申し置くから、わかるようにして置く」
「よろしうございます、私は、只今のところ、仕事が少々
「うむ――では」
と言っているうちに、右の蛇籠作りは、大忙しがりで、ついそこの柳の木の下へ引込んでしまい、そこで、以前の通り一心に蛇籠を編み出したものですから、白雲も、ちょっと手のつけようがなく、そのまま川原道を急いで行くと、やがて、前から来た槍の同勢と、後から来た岡っ引の連中との間にはさまれたような形になりました。
だが、別段、問題は起りません。白雲は川原道で、この前後の勢を無事にやり過して、自分は悠々閑々と歩いて行きながら、ふと、柳の木の下を見ると、蛇籠作りが一心不乱に蛇籠を編んでいるのがかすかに見られて、別段の異常を認めません。
槍の一隊はと見ると、もう向うの岸についてしまって、自分が語学の稽古をした一ぜん飯屋の
五
川を渡りきって、白雲、
人間、馬鹿では楽ができないけれども、また、あんまり頭が進み過ぎていても、楽はできないものだ。駒井ほどの英才が、当世と相容れないのは、これも一つの人間界の約束ごとかも知れないが、由来、独創の気というものは不遇の
思いきって、この石巻へ来たとか来るとかいうのは、この際、よいことを聞いた、またよいことを知らせてくれたものだが、あの知らせてくれた蛇籠作りの
こんなことを考えながら、田山白雲は、中田、大の田より長町――ここはもう仙台の城下外れです――大町というのを苦もなくたずね当てて、そこで、とりあえずまずおとのうてみようと心がけた高橋玉蕉女史をたずねると、これも難なく――これは大きな商家で、女史は宮城野の別宅にいるとのことですから、改めてそこをたずねると、ちょうど在宅でもあり、また極めて歓迎もしてくれました。
女史の住宅は
美人に、ウソの美人と本当の美人があるかどうかは知らないが、世にいわゆる才色兼備の婦人などといっても、才の方はとにかく、色の方は大割増がしてあるのを通例とするのに、玉蕉女史に限って割引なしの美人でしたから、白雲がおもはゆく思いました。
女史が学者であるということを知らないで見れば、それ者と見たかも知れないほど
女史は、この遠来の客を
その夜も――夜もすがら、語っても語っても尽きないものがありました。
「そういうわけで、拙者の奥の細道は、狩野永徳というそぞろ神にそそのかされたのですが――明日はとりあえず、観瀾亭へ行って永徳に見参したいと思うのです、簡単に許されましょうかな」
こういって女史にたずねると、女史は、
「それは
「いや、それは恐縮です、拙者こそ、あなたのような学者に、御自身案内をしていただくということが、はからざる光栄でした。明日は、
と言って、田山白雲が、少しあわてて口を抑えたけれども、その尻尾が少し残ったものですから、玉蕉女史を追究させました。
「絶世の――何でございますか、扶桑第一の松島や、狩野家の大名人の次へ持って来て、絶世の……だけでは罪でございますね」
玉蕉女史からからかわれて、田山白雲が、今度は額を抑えて、
「あ、は、は、は」
と声高く笑いました。玉蕉女史も、またつり込まれて無邪気に笑いました。田山白雲はそこで申しわけのように、
「全くあなたは、絶世の美人と申し上げてもお世辞ではありませんよ。実は、あなたが怖るべき才色兼備の御婦人ということは、紹介された者の口から、よく承って来たのですが、案外なのに驚かされました」
「どうせ案外でございましょう、いったい仙台は、昔の殿様が高尾を殺した
「いや、違います、全く案外の、掛価なしの才色兼備なのですから――いったい世間では、身投げの婦人があれば必ず美人にしてしまい、
白雲だから、これは全くお世辞ではありませんでした。
そんな調子で、話がそれからそれとはずんで行くうちに、白雲が、ついに
「ああ、それそれ、もう一つ仙台家に――特に天下に全くかけ替えのない
「有ります、有ります」
玉蕉女史が言下に答えたので、白雲がまた乗気になり、
「それは拝見できないものでしょうかなあ」
「それはできません」
女史はキッパリ答えて、
「あればっかりは、わたくしどもも、話に承っておりまするだけで、どう
「ははあ、果して王羲之の真筆ならば、さもありそうなことですが、王羲之の真筆はおろか、拓本でさえ、初版のものは支那にも無いと聞いています――そういう貴重の品が、どうして伊達家の手に落ちたか、その来歴だけでも知りたい」
という白雲の希望に対しては、玉蕉女史が、次の如く明瞭に語って聞かせてくれました。
六
豊太閤朝鮮征伐の時、仙台の伊達政宗も
朝鮮国王の城が開かれた時、城内の金銀財宝には目をつける人はあったけれども、書画
そのうちに、肥後の熊本の細川の藩士で甲というのがしきりに、王城内で一つの書き物を見ている――
「これこそ、わが主人三斎公にお目にかけなければならぬ」
それを、
この乙士がまた、偶然にも同好の趣味を解し得ていたと見え――細川の甲士が一心をとられているそれを、のぞいて見ると、ああ見事――熟視すると、それがすなわち王羲之筆の孝経である。
乙士の眼は燃えた。わが主人政宗公へ、この上もない土産――分捕って持ちかえらないまでも、一眼お目にかけたら、そのおよろこびはと、自分の趣味から、主人思いは細川の甲士と同様で、それに功名熱が
さりとて、どうも、このままでは引けない、ともかくもぶっつかってみようと、伊達の乙士は細川の甲士に向い、なにげなく、
「さても見事な筆蹟でござるが、拙者もこの道は横好き、なんとこの一巻を、拙者の
こう言って持ちかけてみたが、甲士は頭を縦に振らなかった。
「敵将の一番首はお譲り申そうとも、この一巻は御所望に応ずるわけにはいかぬ」
「それは近ごろ残念千万ながら、是非に及ばぬこと」
礼儀から言っても、名分から言っても、先方が譲らないと言う以上、こちらは、どうしても指をくわえて引込まなければならない。ぜひなく陣へ立戻ったが、残念で堪らないから、改めてその一条を主人政宗に向って物語った。
「それは残念無念――そのほうが我に見せたいと思うより以上、おれはその品を見たい、見ずには置けぬ」
そこで独眼竜は馬を
「突然の推参ながら、たって所望の儀は、さいぜん貴公の家士が稀代の名筆を分捕られたそうな、それを一目拝見が致したい」
「
三斎もそれを
政宗それを取り上げて見ると、唐太宗親筆の序――王右軍の筆蹟――独眼竜の一つの目が、その全巻の中へ燃え落ちるばかりになっているのを見て、急に驚き出したのは細川三斎であった。
この勢いでは、この男に持って行かれてしまうかも知れない――所望と打出された以上は、相手が相手だけに、どうしても只では済まされない、ここは先手を打つよりほかはないと、老巧なる細川三斎は、政宗と
「伊達公の
と、改まって物々しく出た。王羲之に打ちこみながら、政宗は、
「何事かは存ぜねども、御心置なく申し聞けられたい」
「余の儀でもござらぬが、太閤殿下の威勢によりて天下は一統の姿とはなりつるが、これで安定とは、我人共に得心のなり申さぬ時勢、太閤百年の後、天下再び麻の如く乱るるや否や――
「それは、深慮大計の御一言、不肖ながら我等とても同様の所存、然らば今日より、細川家と伊達家は、末永く親類づき合いをすることに致そう」
「早速の御承諾かたじけなし――然らば、その
細川三斎は、伊達政宗の手から王羲之の孝経を受取って――その場で二つに裂いた。
「この上半を君に進呈し、下半は
そこで、この一巻が、伊達家と細川家と、両家にわかれての家宝となった。
それより物変り星うつり、伊達家は政宗より五代、名君と聞えた吉村の時代になり、細川家もまた当然越中守宗孝の時代となったのである。
「ところが、どちらがどう伏線になっていることでございますか、この二つに分れた王羲之が、それとは全く異なった因縁と出来事とによって、一つになる機会を得ました、それで話が伊勢の国へ飛ぶのでございます」
七
玉蕉女史は、事実の非常に奇なる物語を、やさしい物言いで、たくみに語り聞かせるものですから、白雲も膝の進むのを覚えませんでした。
朝鮮陣の物語から、話題一転して、ここは伊勢の国、藤堂家の城下の舞台となる。玉蕉女史は、

「御承知の通り、伊勢の国は、大神宮参拝の諸国人の群がる土地でございます、それだけに土地に、他国人を相手に悪い風儀も多少ございまして、藤堂家の家中のさむらいにも、折々、通りがかりの旅人に難題を吹きかけ、喧嘩を売り、相手を困らせて置いて一方からなれ合いの仲裁役を出し、そうしてどうやら事を納めたようにして
右のこらしめの武士は、実は戸田家の指南役が姿を変えて、いたずらに来たのだという
それは藤堂家の家中で、板倉修理というさむらいが、江戸の西の丸のお廊下に身を忍ばせて、戸田の殿様のおかえりを待受けていて、不意に飛びかかって斬りつけたのですが――
間違いのある時は、いよいよ間違いのあるもので――板倉修理が戸田の殿様と思って斬りかけた先方は、思いきや前申し上げた肥後の熊本の細川越中守宗孝侯でございました。
細川様こそ、何とも申上げようのない御災難で――実は、その時、板倉修理の一刀で御落命になったそうでございますが、そこへ通り合わせたのが、これも前申し上げた通り、名君の聞え高い仙台の吉村侯でございました。
殿中、上を下への騒動の中に、通り合わせた伊達吉村侯は、細川侯を介抱し、
「細川越中守、ただいま卒中にて倒る、伊達陸奥守お預り申す」
と言って、血の垂れたところへは、全部小判を敷きつめて、御自分のお乗物に、越中守の御死体とお相乗りになって下城なされました。
桜田御門の検閲は厳しいそうでございますが、その時、吉村侯のお乗物は、東照宮御由緒附きの
「越中守殿は卒中にて倒れたが、只今、
ということで、とりあえず細川家へ急をお告げになりました。
細川家では、その翌日、「細川越中守宗孝、薬用叶わず、卒中にて卒去」ということの喪を発しましたが、暗殺は公然の秘密に致しましても、伊達家の証明
これはこれ、有徳院様お代替りの延享四年十月十五日のことでございました。
御承知の通り、国主大名が殿中に於て
右の来歴を

玉蕉女史も、来歴のことだけはかなりくわしく知っているが、その片鱗をもうかがっていないことは白雲と同じ、そうして、しきりと渇望の思いにかられることも同じであります。
けれども、結局、いかに執心しても、こればかりは我々の歯が立たないということに一致し、
いつまでたっても話の興はつきないが、この辺で御辞退と白雲も気を
そのうちの最初として、今晩たずねて来る口約束になっていた、あの名取川の
八
まあしかし、明日という日もあるし、何とか沙汰があるだろう――と白雲は、タカを
旅の疲れと、夜更しとで、かなりの熟睡に落ち込んで行ったはずの白雲が、夜中にふと眼をさましたものです。夜中とはいうけれども、寝に就いた時が、もう暁間近になっていたかも知れません。
ふと、眼がさめた途端、まず鶏の
「何者だ!」
白雲として、自分ながらかなり
「先生、お静かに」
と、たしかにうずくまった奴が、説教でもはじめるように物を言いかけました。
「何だ、何者だ、貴様は」
白雲は半分起き直って、刀を引寄せていました。そうして、もう睡眼がパッと
「先生、お約束によって参上いたしましたが、少々遅くなって相済みません」
でも、まだ白雲には、はっきりと
「貴様、どろぼうの端くれだな、貴様たちと約束をした覚えはない」
大抵のどろぼうならば、この豪傑画家の白雲から一喝を食えば、尻尾を捲くであろうのに、こいつに限ってどこまでも、いけ図々しい。
「お忘れあそばしましたか、日中、あの名取川の川原でお目にかかりました、蛇籠作りの
「うむ、そうか」
白雲がまたここで、そっくり返らざるを得ません。
そうか、そんならそうと、なぜ早く言わないのだ。それにしても、いよいよ変な老爺だ、いったい、いつ、どうして、この
「夜分、あんまり遅くなりましたものでございますから――いえ、その実は、こんなに遅く参ったのではございませんが、先生が、あの御婦人様と、あんまりお話に身が入っておいででございましたから、ついあの時に、御案内を申し上げる
「なに、では貴様、なにか、拙者がこの家の女主人と対話をしていた時分に来ていたのか」
「はい――あんまりお話が持てておいでなさいますから、お邪魔になってもなにと存じまして、いったん出直して、また上りました」
「ふーむ」
白雲は、そこにうずくまっている物のかたまりを、うんと
白雲は、いまさらその辺を咎め立てするのもドジを重ねるような気がしていると、
「先生、実は、わたくしも忙しい体だものでございますから、このままで失礼をさせていただきますでございます――で、手っとり早く川原のお話の続きを申し上げますと、駒井の殿様は今明日のうちに石巻の港へお着きになる、それからあの殿様の御家来や、居候といった一味のものもみんな同じお船でおともをして参ります、田山先生だけが御不足でございましたが、それもこうしてお目にかかれる、もはや申し分はございません。そこで、この七兵衛――いや、この蛇籠作りの老爺も、追っつけあとから
態度のいけ図々しいのに反して、その取りしきりぶりと、物言いとは、行届ききったもののようですから、白雲がいよいよ手がつけられない気持がしました。
「うむ、そうか、それは何から何まで厄介千万になったが――お前という男は何者だ」
「いや、それは、あとでお船のうちで、ゆっくりと身の上話を聞いていただく時節がございましょう――とにかく、これだけのことを申し上げて置きまして……」
「そうして、お前はなにか、これから旅立ちをしようというのらしいが、どこへ行くのだ」
「いいえ、旅立ちというほどじゃございません、ちょっと、この辺をかけめぐってみたいような虫が起りましたものでございますから。なあに、病気がなおりますと、直ぐにまたあなた様のおあとを追いかけて、石巻へ参ります」
「そうか」
白雲は、それよりほかに何とも言いようがない。
ぴったりと畳の上へ、一枚になって、吸いついた形になって、顔だけを上げて、蛇籠作りの老爺は、
「時に先生――」
いやに改まった物の言いぶりです。
「何だ」
「承りますと先生は、あの赤穂義士の書き物がたいそうお好きだそうで……」
「ナニ、赤穂義士の書き物――そんなものは別に嫌いではないが、改まってきかれるほど好きではない」
「でも先生は、仙台様の御宝蔵にあって、たとえ将軍家が御所望になってもお貸出しをなさらない赤穂義士の書き物を、一目見たい見たいとおっしゃったようにお聞き申しましたがな……」
「こいつ……」
白雲が
「それをどこで聞いた。赤穂義士ではない、支那の
「いや――その、ちょっと、失礼ながら立聞きを致しました。先生が、それほどにごらんになりたがるほどのものならば……と、この老爺、またしても持って生れた病がきざして参りましてな」
「ナニ、何がどうしたというのだ、仙台公秘蔵の王羲之は、国主大名将軍といえども借覧のかなわないものだから、是非に及ばない。それがどうしたというのだ」
「へ、へ、へ、実は、この老爺も乗りかかった船でございますから、まあ、止せばいいんでございますがね、持った病でございましてな――人の見られないものを見たい、人の持てないものを持ってみたいなんぞと、ガラにない山っ気がございますものですから、まこと仙台様の御宝蔵のうちに、国主大名将軍様でさえも拝見のできない品とやらがございますならば、ひとつ何とかして、ちょっとの間でも、それを……何とかして……」
「馬鹿――何とかしてと言ったところで、貴様
「そこのところを、何とかして、ここ二三日のうちに……駒井の殿様のお船がおつきになるまでの暇つぶしに――と申しては
「うむ――貴様」
田山白雲は
その時にまた鶏が啼きました。そうすると、平べったくなっていた老爺が、急にのし上り、
「では、これで失礼を致します、御免下さいまし」
すっくりと立って、障子の隙間から――事実は相当にあけて出て行ったのですが、白雲の眼からは、あのままで、畳の中へ吸いこまれてしまったのか、でなければ、障子の隙間から消えてしまったようにしか受取れないので、やっぱり眼を光らして呆れ返って、さて、ホーッと太い息をついたのみであります。
九
駒井甚三郎の
着船は、わざと夜を選んだのは、駒井の思慮あってしたことでしたが、無論その前後、この辺の漁船商船が、駒井の異形なる船の出現を怪しまないはずはありません。
だが、朝になって見ると、その船の上に、仙台家の
御領主の御用船とあってみれば、文句はないのですが、駒井がそうして無断に仙台家の船印を濫用してよいのか、一時の策略で、それを利用してみても、あとの
その辺には、駒井としては充分の遠謀熟慮があってのことだろうから、それは憂うるに足りないことでした。第一、船つきをこの月ノ浦に選んだということにしてからが――故意でも、偶然でもなかったのです。
そもそも、この月ノ浦というのは――それを説明する前に、
そうして駒井甚三郎は、かねて海外に志ある人としての伊達政宗をかなり研究していたところから、一つはその思い出のために、この
本来ならばこの船が着くと同時に、真先かけて、はしけに立っている七兵衛の姿を見なければなりませんのですが、それが見えないことが、誰よりもまず清澄の茂太郎を失望させました。
茂太郎は船の舷上に立って、左の
「なあーんだ、七兵衛おやじが来ていないや」
これが着いたその夜のことです。夜のことでも、漁村と漁船には点々たる
「七兵衛おやじが、こっちへ駈けて来るのが、船の上ではよく見えたんだがなあ」
茂太郎としては、珍しく、ほとんど泣き出しそうな声をして、
なるほど、そう言えばそうです。海上遠くメーンマストの上で、茂太郎は、「七兵衛おやじが、走るわ、走るわ」とわめき立てたことがありました。その時の調子と、今日のしょげ方とを比べて見ると、それではあの時のは、
そんなはずはあるまい。あの時は、陸地を避けて、船はあんなに遠く海洋の沖中を走っていたのだ。四顧茫々として、遠眼鏡を以てすら陸地がいずれにあるかさえわからなかったその中で、茂太郎が仙台領を走る七兵衛の姿を認め得られるはずはないのです。
しかし、あれが即興の出鱈目であるとすれば、ここへ来て、こんなに失望する理由もまた消滅しなければならないのではありませんか。
ましてこの夜のことです。はしけで迎えに来ないからといって、この見渡す海岸のいずれの地点にかその人が待兼ねていないとも限らないのに、以前の即興があまりに
今や茂太郎はパッタリと、出鱈目も歌わず、即興も叫ばぬ人になってしまいました。
「今晩は茂ちゃんが、バカにおとなしいではありませんか」
お松が言うと、駒井が、
「珍しくあの子の上に船長の威令が行われた」
と言って
ですけれども、茂太郎の歌は、決して聞えませんでした。
「よく寝れば、寝るとて親は子を思い」――お松は、そういったような一種の親心同様な思いに
「茂ちゃあーん」
と呼んでみようとしたが、おとなしくやすんでいるものを起さないがよいとも思案しました。なまじい呼びかけて、またあの子の即興心をまで呼びさまし、はしゃぎ出されたのではたまらない。
港へ入ったという安心で、あの子もぐっすり寝込んでいるだろう、明日まではそうして置くがよいと、お松は思案して、自分の部屋へ引返しましたけれど、茂太郎の歌わないことが、いよいよ我が身を
こうして、入船の当夜は、特に静粛なるべき船長の思慮と命令がよく行われて、物音らしい物音、人声らしい人声は船内から一つも外へ
さては茂公、いよいよまたネジが戻ったかな、七兵衛の姿をでもいずれからか発見して、急にはしゃぎ出したのか、そうではない。
そのけたたましい物音に、一船内がことごとく暁の夢を破られてしまいました。
夢を破られたもののすべてが、さてはマドロスめ――と、苦々しい思いをしましたけれど、マドロスは一向その辺の遠慮心を喪失してしまったものと見え、
「奴、また飲みやがったな」
船頭二三が歯噛みをしました。事実、マドロスとても、その後はかなり神妙にし、船中でも相当に働き、役にたつ時は羅針盤同様の必要な役目をさえ成し遂げて、ともかく無事――金椎の
それにしても、誰が酒を飲ませた。船中では一切飲ませないことにしてあったはず――飲みたくも、飲ませたくも、酔わせるだけの分量は貯えてなかったはずなのに。
ははあ、では、あいつ待ちきれなくなって、早くもこっそりと小船に乗るかなんぞして、岸へ抜けがけをして、あのアルコール分を
そうだ、そうしてアルコール分をしっくりと体内に仕込んで帰って、いい気持で寝床にもぐり込むはずのところを、その仕込んだ分量が超過したものだから、ついにあの呂律となり、あのステップとなってしまったのだ。
ちぇッ――世話の焼けた奴だなあ。
まず、最も近い室の房州出の船頭の二人が眉をひそめると、同様の思いが、お松にも、駒井の室へも響かないということはありません。
しかし、マドロスにこうもアルコール分が廻った場合に、この船内では遺憾ながら、それを制裁する実力を持ったものが一人もありませんでした。
ウスノロはウスノロだが、体格は図抜けていて馬鹿力があるし――田山白雲でもなければこれに対抗するものはないのです。今のところでは、手をつけるより、手をつけないで自然の鎮静を待つよりほかはないと船頭はじめ眉をひそめて、苦々しく思っているのだが、あいにくそのアルコール分はいよいよ沸騰するだけで、いつ鎮静の時を得るか分らないもののようです。
船長室へ駈けつけたお松が、駒井の迷惑と共鳴して、
「こっそりとお酒を飲みに、
「困ったものだ」
駒井甚三郎も真に当惑の色であります。
そのうちに、たまり兼ねたか船頭が取鎮めかたがたなだめに行ったもののようです。ところがその結果はかえって石灰の中に水を入れたような結果になり――
「まあ、なだめに行った船頭さんたちを相手に、また乱暴をはじめたようです、どう致しましょう」
「困ったことだ」
駒井は苦り切っている。お松はいても立ってもいられない心持。あちらの船室内の騒動はいよいよ驚天動地。
「ほんとうに、田山先生がいらっしゃるといいのですが……」
お松としても、時
捨てて置けば、幾つかの人命にも関するほどになりはしないか――この上は、是非に及ばない、自分が出動して取りさばくよりほかはないと、駒井も思案して立ち上りました。お松もおどおどしてその後に従い、乱闘の方に進んで行きましたが、お松の心では、この殿様を、あんなところへお出し申したくはない、こんなことにまでいちいち殿様の御足労を
いかに酔っていても、船長の命令に服するだけの常識は残っているだろうが、もし、それをきかない時は、この殿様が御自身手を下して、あんな奴を御成敗――といっても、人間はダラシがないにはないけれども、船としてはいま無くてならない人になっているあのマドロス、殿様もあれを失いたくはなくていらっしゃるだろうから、思い切った御成敗をなさるわけにはゆかない、そうすると、あれが増長する。
お松は、どうかして、この殿様をあの場へやりたくない。できることなら自分が出向いて取締りをつけてやりたい。しかし、ああなっては気ちがいよりも怖いのだから、わたしの力なんぞではどうすることもしようがない。
ああ、困ったことだ。
お松は、じりじりとじれる足どりで、駒井に従いながら、実はその行手に立ちふさがりたい心持です。
こうして、一歩一歩乱闘の室に近くなった時分に、急にそのけたたましい
「マドロスさん、いいかげんになさい、そんな乱暴をしないで、わたしのところへ来てお休みなさい、まだ夜が明けたわけじゃないから、もう一休み、ゆっくりと寝ましょうよ、ね、マドロスさん……」
それは、兵部の娘の声であります。この女性の声が乱闘の中へ流れ込んだものですから、それで獣の
それを聞くと、甲板の上で、駒井甚三郎とお松とが、言い合わせたように足を止めていると、マドロスの声で、
「お嬢さんと、寝る、寝る、よろしい、寝る、寝る、よろしい、チーカロンドン、ツアン、バツカロンドン、ツアン」
急に御機嫌が直ったマドロスが足踏みおかしく、よろよろとよろけた体を、兵部の娘に持たせている様子が手にとるようです。
もえさんと
寝る、寝る
よろしい
チーカロンドン
バツカロンドン
ツアン
まさしく茂太郎の株を、この寝る、寝る
よろしい
チーカロンドン
バツカロンドン
ツアン
甲板の或る一点に、申し合わせたように足を止めた駒井甚三郎とお松は、そこで
けれども、駒井の面にも、お松の面にも、まあこれで安心という快い色は見えませんでした。そうして二人とも、なんとなく興ざめ面で、無言にとって返さなければなりません。
お松は、ここでちょっと駒井に取りなす言葉のきっかけを失った思いです。事実、この際、もゆるさんが、あの人を自分の寝室に引取ってくれたから、それでようござんしたとも、いけませんでしたとも、お松としては言えなかったものですから、そのまま暫く無言で、船長室へ引返す駒井甚三郎のあとに従い、無言でたじたじと引返すよりほかはありませんでした。
そうして、お松は親柱のところへ来ると、また、思わずギョッとして立ちすくんでしまい、
「まア――」
「茂ちゃんじゃないの」
「あい」
「まア、お前――」
お松は、
熟睡していた人なら知らぬこと、今まであの騒ぎを知っていながら――一言も、この子の伴奏がなかったことは不思議中の不思議。それを今まで不思議とも感じなかったほど、自分たちは何かに制せられていたことを、いま気がついて見ると、やや明け方の光で見たこの少年の
「いったい、お前、そこに何していたの、どうしたんです」
「あたいは、七兵衛おやじを見つけ出そうとして、ここに一晩中ながめていたの」
「一晩中?」
「ところが、七兵衛おやじの姿が見えません、何をおいても見えなければならないはずの七兵衛おやじが、来ていないことを見ると……」
「だってお前、この闇の中で……」
と言ったが、お松はこの非凡な少年が、暗い中でもけっこう見える眼を持っていたのだということに気がつきました。
そうして、この少年は、夜目遠目のきく非凡な眼を以て、夜もすがらここに立番をして、一心不乱に七兵衛おじさんの来ることを期待していたのに、それが
それほどまでに、七兵衛おじさんというものの来ることと、来ないことに関心を置いているこの少年。それは、多少とも縁ある人の去就に関心を持つことは人情には相違ないが、この少年が、これほどまで七兵衛おじさんを待兼ねている、それを思うと、自分の方がもう一層、それをなつかしがらなければならない義理でもあった――とお松は、ここで七兵衛の安否について、この少年の
「ここへおつきになることが遅いなら遅いでよいが、何かまた道中に変事があったのでは……あのおじさんに限って、旅に慣れているから、万々間違いはないと思うけれども……」
こう言っているうちに、そのなんとなしの不安が、いよいよ
「茂ちゃん、そう取越し苦労をしたって仕方がありません、いつまで待っていたって、来る時でなけりゃ来やしませんから、休みましょうよ、まだ明るくなるまでには充分時間がありますから、下へ行ってゆっくり休みましょう。わたしも、なんだか、まだ寝不足だから、もう少し休ませてもらいましょう」
マドロスが兵部の娘につれられたのとは期せずして同工異曲に、お松は、茂太郎を引っぱるようにして自分の船室へ連れて行ってしまいました。
そこで、船の上下こそ、今度は全く静かなものになりました。茂太郎も、存外
ひとり、駒井甚三郎だけが、船長室にカンカンと明りをともして、その光に熱心な面を射させて、海図であろうか、航海誌であろうか、眼をさらしていて寝ようとはしないだけのものです――そのほかに、眠っているのか、
やがて、船長室のカンカンとした燈火も消えました。これで全く船のうちの人という人は眠りに就いたことの確定を見すましたかのように、今まで寂然不動のムクが、悠然として立ち上り、のそのそとして甲板に歩み出しました。これからが、おれの職分の世界だと言わぬばかりに――
十
ノソリノソリと歩み出したムク犬は、
この静寂な海港の夜を破るほどの物音ではないけれど、左側の船腹のところで、たしかに断続的に物音が立っているのです。ミシリといったり、カタリといったり……それが鼠でも、ミサゴでもない証拠には、極めて軽いながら人の息づかいと、
ですから、当然、ムク犬として、それに聞き耳を立て、注意深い眼を注ぐことはその職責であります。ただ軽々しく吠えないのは、この犬として当然の思慮で、その何たるを見極めて後にこそ、吠ゆべきは吠え、防ぐべきは防ぐことを心得ているからです。
ムクは両足を揃えて、半ばのぞき込むような形で、船腹を見おろしたまま、あえて動きませんでした。
たしかに、船腹のブリッジドアを開いて、一人の人体が出て来ました。それは大男ですけれども、身軽に船の腹から
この女の姿が半ば船腹からはみ出されると、それを待っていたとばかり、取り上げて引き抜くように
ここで、二人は完全に、一つのボートの中におろされると、ホッと一息ついて親船を見返りがちに、何か二言三言ささやいたにちがいありませんが――ムクには聞き取れません。
そうすると間もなく、大男の手はオールにかかったのですが、その以前に、もう二人のほかに、何か若干の手荷物が取りまとめられて、ボートの中に運ばれていたのです。
こうしてボートは大男の、図体に似合わぬ熟練軽妙なオール
その前後、誰ひとり見ているものはなく、また誰をしも驚きさます物音をも立てず、すっと抜け出した手際だけは、たしかに鮮やかなものだと称すべき価値はあったのでしょう。
それを最初から見ていたのはムクだけでした。ところで、この豪胆にして且つ敏感なるムク犬が、ついに吠えることをしませんでした。
月ノ浦から小鯛島の間を、右のボートが夢のように辷って行く。それを茫然として見送っていたムク犬――出て行くボートの者にも、留まっている親船の人に向っても、あえて一吠えの挨拶をも警戒をも試みないところを以て見ると、さしものムクも、もうヤキが廻ったのか、そうでなければ、出て行くものは追わざるがよし、留まる者をして安らかに眠らしめよ、という厚意ある諒解をもっての挙動と見るよりほかはありますまい。
今朝に限っての朝寝昼寝を充分に保証された船の人も、日が
「おや、ボートが一ぱい足りねえ――おや、船窓があいている、マドロスが――もゆるさんが――まあ、荷物が――」
二人の姿が全く親船の中から見えないのです。二人ともに、手廻りの物が程よく取りまとめられて持ち出された形跡も充分ですから、合意の上で逃げたものと見るよりほかはありません。どちらがどうそそのかしたか、そのことはわからないが、いずれにしても、相当の合意をもって計画的に
お松としては、
「ムク、お前が
こういってムクに言いかけたが、その傍にいた
と思いやる途端に、親柱の上高く人の声がする、
「ああ田山先生が来る――七兵衛おやじは来ないけれども、田山白雲先生がやって来る」
もう、あんなところに登っている。
どこの方角を、どうながめているのか知らないが――遠く眼を空と山との間に注いで、そうして、人が来る来ると呼んでいる。果してその方角から来る人があるならば、それは雲際から降りて来る人でなければならぬ。
甲板に立つ人が幾つの眼を集めて見たからとて、こちらへ来る人の影は――といううちに、土地の
十一
茂太郎の予報から約
心得て、ボートが迎えに来る。親船について、白雲は駒井の案内で、なにもかも目新しく、物珍しい目で船の内外を見廻しながら、船長室に伴われて、そこで二人の会談がはじまりました。
「駒井氏、せっかくここまで来たからには、どうして、目と鼻の間の石巻へ船をつけないですか――月ノ浦なんて、こんな
「左様、この月ノ浦を選んでこの船をつけたのには相当の理由があるのです。今こそ、石巻や塩釜に比べて比較にならない月ノ浦だが、歴史上の由来は深いものがある。昔、伊達政宗が、
「なるほど、伊達政宗がローマへ使を
「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、
「どう案外でした」
「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」
「どうしてそれがわかります」
「あの時は――政宗が
「なるほど」
「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業や、野心の程度などについては、多くの疑問が残されている、月ノ浦の地形を見て、いよいよその問題が大きくなってきたところだ」
「そうだろう、独眼竜、あいつ、なかなか食えない奴だからな」
と田山白雲が、伊達政宗を友達扱いででもあるように言い放ちますと、駒井甚三郎が、
「そうです、政宗はなかなか食えない男です、邪法
「そうでしょうとも。風向きによっては、秀吉や家康をさえ食い兼ねない男でしたから、切支丹を食うぐらいは朝飯前でしょう」
「それは少し比較が違う、秀吉や家康は、或いは食いものになるかも知れないが、切支丹は全然食いものにならん。これを迫害しないで、利用しようとした点に、政宗の
というような人物論からはじまって、白雲もまた、
実は、もっと早く、二人ここで相見た最初の時に、引合せの
「名取川で、
田山白雲が全く恐れ入ったもののようにこう言うと、それを引受けたのは駒井甚三郎ではなく、傍らに介添役のお松でありました。
「そのおじさんは、それからどうなさいました」
「いや、おっつけここへ来るには来るはずなのだが、一つ土産を持って来ると言ったが、そのみやげたるや」
ここまで来た時に、あわただしくこの部屋の前に立ったのが、清澄の茂太郎でありました。
「田山先生――」
「やあ、茂坊か」
「入ってもようござんすか」
「お入りなさい」
と許諾を与えたのは、駒井甚三郎でした。
そこで室内に走り込んだ清澄の茂太郎が、まず田山先生に向って問いかけたのは、次の言葉であります。
「田山先生、七兵衛おやじはどうしたの?」
「今もそれを話していたところだ、おっつけこれへ、おみやげ持ってやって来る」
「そうか知ら――あたいは、どうも、あの七兵衛おやじはもう、ここへ来られないように思われてならない」
「どうして?」
それを聞き
「どうしてって……」
茂太郎は、むずかるような声で、
「あたいはどうも、七兵衛おやじが怪我をしたように思われてならない」
「怪我!」
「怪我ならいいが、もしかして、縛られてしまやしないかと……」
「何を言うのです、茂ちゃん」
お松がたまりかねてたしなめると、茂太郎は、
「どうしても、あの七兵衛おやじの身の上に、変ったことが起ったに違いない」
「そんなことが、わかるものですか」
「だって、あたいは、もう二日というもの、あのおやじが、つかまって、縛られて牢屋へ入れられたところを夢に見た」
「ほんとに、いやなことばかり、茂ちゃん――何も悪いことをしない人が、縛られたり、牢屋へ入れられたりなんかするものですか」
「そうかしら、でも……」
「それに、白雲先生と、つい
「そうか知ら……」
その時、田山白雲が、茂太郎の面を
そうして、その夜の、あのおやじの怪挙動を、
十二
問題の七兵衛は、その日は観瀾亭の床下に昼寝をしておりました。
七兵衛が昼寝をするということは、盗人の昼寝という本文に合致することだから、あえて異とするに足りないが、特にこの月見御殿の観瀾亭の床下を選んだというのは、どういう了見であるか。この床下の上には、田山白雲の
観瀾亭、一名月見御殿の床下――御殿の床下なんという名目が七兵衛の芝居ごころを刺戟して、ちょっと
地の利もいいし、場所柄も結構らしい。第一、床下とはいえ、海気がよく通って、陰深な気分がしないし、床の間が相当高くて、頭がつかえないし、そこへ
七兵衛の寝息は、いかなる場合にもほんとうに軽いものです。いかに熟睡の時といえども、いびきというものを聞かせたことはなく、障子一重にいても、寝息そのものを感ぜしめたことはない。身も軽いけれども、天性、息も軽いのです。形そのものさえ見せなければ、他のなんらの気配によっても、自己の存在を、目と鼻の先の人にさえ知られるということのないように――すべてが出来ておりました。
そこで、誰に
何だ、もとより人間のお手入れではないし、そうかといって、鼠やいたちの類ではない。横倒しに倒れかかって自分の面を上から撫でおろした一件の物を、
「あ、矢だ!」
縁の下のいずれかの隙間から、この矢が流れ込んで、自分の枕許を
その矢を握りしめて、半分起き直って見ると、七兵衛の頭を
七兵衛は、素早く身づくろいをせざるを得ませんでした。
ともかくも自分の身だけを、いま寝ていたところよりは、ずっと一段の奥、海に近い方の親柱の一本を小楯にとって、身を伏せたまま、二の矢の受けつぎを、じっと見つめて息をこらしたものです。
まもなく外で人声がします――
「どこへそれた――」
「その植込の笠松の枝ではないか」
「塀の下を見い」
「
「雨落の中――」
「
「いずれにも見えませぬ」
「では」
「このお床下へ飛び込んだものに相違ござりますまい」
「なにさま」
「お床下だ」
二人のさむらいが来て、雨落の下でしきりに評定をはじめたが、もとより、七兵衛の耳へ手に取るように入る。
まず安心――それ矢だ、どこかこの近隣で弓を稽古していたさむらいの矢が一筋それてこちらへ飛び込んで来たまでのことだ。あえてこの七兵衛のあることを知って、試みに射込んだ探りの矢でなかったことは安心だが、外の評定はこれで終ったのではない。もとより二人のさむらいは、もう縁の下だと
「ちと困ったことだ」
「捨て置きましょう」
「いや、捨て置くわけにはならん、
「それもそうでござりますな」
「大儀ながら番人に申し入れて、よく床下を探させ下さい」
「心得ました」
この問答を聞いて、再び七兵衛が不安に襲われました。
なるほど、あやまって射込んだ矢一筋ではあるが、御殿の床下へ入ったものを、そのままにして置けない、
自分一身が
はや、三方からメリメリと矢探しの手がかかって来た。黒い人影が、むくむくと湧いて来る。七兵衛は身をもって遁れるよりほかは、この際、
十三
それから後、果して、一筋の矢より、ずっと大きな獲物を発見した諸士たちの驚愕は非常なものでありました。大がかりで御殿の上へ持ち出して見ると、それは金光の古色を帯びた名将の
ただ抜群なる手柄だけでありさえすれば何のことはないのですが、実は、これらの物体は皆、観瀾亭の床下にあるべき品ではなく、五十四郡の伊達家の宝蔵の奥深く存在していなければならないはずの物体のみでありました。
最初の諸士を中心として、松島のすべて、塩釜方面と
これは検分すべきものでなくして、拝観すべきものである。拝観も容易にすれば眼のつぶれるべきほどの「御家の重宝」ということに一致して、とにかく、
釣台にのせられて、これが非常な警護をもって、仙台より城内へ運び去られたのは久しい後のことではありませんでした。しかし、この大きな獲物の内容に就いては秘密に附されただけに、松島から青葉城下へかけて、さまざまの下馬評と、見て来たような当て推量が、事実らしく伝えられたのは是非もありません。
この宝物こそ――伊達家秘宝の一つ、三宝荒神の
御家の宝物の品調べは、そんなようなわけで、何の根拠もない無責任な下馬評のはやるに任せているが、そのままで済まされないのは、この大胆不敵なる
一方、御宝物が厳重なる守護をもって送り返される前後より、たちどころに非常線が張られたのは申すまでもありません。
「まだ決して遠くは逃げていない」
と、炭部屋もどきに、縁の下の
「さりげないことにして網を張っていれば、戻って来る」
そこを附込んで、虚をもって実を討たんと策を立てるものもある。
それに応じてまた一方、いずれにしても、この非常線の非常なることを知って、それに処することに抜かりのあるべき七兵衛でないことはわかっているが、事が全く予期しなかった流れ矢一筋から来ているだけに、存外、転身の自由が
でも、その日の暮れるまでは、犯人がつかまったというなんらの報道もなく、仙台城下の内外の
十四
こういう空気の真只中へ、駒井甚三郎がおともを一人連れただけで、仙台城下へ乗込んで来て、別段
それは、駒井とこの土地とは、古い
その時に、江戸から三浦乾也が来て、仙台のための造船の一切の監督をしてやりましたが、当時、一青年学徒としての駒井甚三郎は、船を造る興味と研究のために、わざわざここへやって来て、その船で江戸までの廻航に
ですから、駒井にとっては、この地は
そういうわけですから、駒井は、極めて無事安全に仙台城下に着いて、まず養賢堂の学頭を通じて、このたびの来着の挨拶をすると共に、当分、この地――月ノ浦に船をとどめて、修補に当りたいことの諒解を求めると、順調にその要望が達せられて、幾多の便宜が与えられるようになったのは、
仙台の有志では、この不時の珍客を歓迎して、相当の集まりを催す計画が起りましたけれども、駒井は
「これは、これは」
というわけで、招ぜられて客殿へ通ると、つい話が面白くなりました。
老師を相手の昔話や、今時の物語が面白くなってきたものですから、駒井は、今晩はここに一泊ということにきめました。
その夜、この大寺の客殿の間にひとり寝かされてみると、今晩こそ、全く異なった世界へ持ち来たされたような気持にならざるを得ません。
海の上に、波の音と風の騒ぎにのみ苦労をして来た身が、この大寺の森閑を極めたる一間に置かれてみると、昨日は昨日、今宵は今宵、二つの極端な世界を、両端から歩ませられている我が身を、我が身でないように感じました。
そこで急に落着いて眠ることができません。静かなところもいいが、急にあまり静か過ぎることは、また人の身心を安定せしめないことがある――なんだか、寝ぐるしいようだ。寝苦しさを妨ぐべき何物もないのに、寝つかれない。
なるほど静かなものだなあ、まるで四方千里、
駒井は寝ながら、
本来、駒井甚三郎は、科学工芸――ことに造船だの、新式兵器だのということに就いては、
ところが、こうして見ると、この寺を建てた政宗の規模を思い起さないわけにはゆきません。
瑞巌寺は、寺ではなくして城だ――表は寺の構えにしてあるが、これを建てた最初の政宗の規模は城である。陽寺陰城とでもいうのかな、昔の大名が城としては持てないのを、寺として置いて、他日に備えるという用意は、この瑞巌寺に限ったことではない――加藤清正なんぞもその著しいもの、大名のうちの殊に大きなやつは、みんなそのくらいの用意を持っていた。
あの当時は、造船の見学に多忙で、名所旧蹟の探訪に
こうして駒井は眠られないままに、高い天井を眺めて、うつらうつらと伊達政宗のことを考えているうちに、ふと、この寺に「
ありそうなことだ。
それともう一つ、この瑞巌寺の天井のいずれかに、千人の甲を伏せて音もさせない、俗に「武者隠しの間」があるそうだ。そういうことは必ずしも当てにならないが、とにかく、明朝はひとつこの寺の構造をもう一ぺん見直してみよう。絵画彫刻の類も一応――いやこれは自分には少々畑違いだ、いずれ白雲画伯を紹介してよこすことにしよう――というようなことを感じているうちに、それでも
「誰じゃ」
その時の駒井の驚き方も、あの時の白雲の驚き方も全く同じでありました。違うのは、パッと睡眼を
のんのんと瞬きをしつづけている有明の行燈の下に、人が一人、うずくまっている。
「御免下さりませ」
「そちは、何者じゃ」
「お静かにあそばしませ」
「何しに来た」
「駒井の殿様、わたくしめでござります」
「や、七兵衛ではないか」
うずくまっていて頬かむりの頭を上げて見せた
「深夜、お騒がせ申して相済みませぬが、七兵衛は只今、この奥御殿の天井裏の忍びの間、武者隠しと申すのに暫く隠れておりますが、今夜、殿様のおいでが、願ってもない仕合せでございました」
「どうしたというのだ、何で、そちはこんなところの天井裏に隠れている。船ではみんなそちの来るのを待兼ねている、田山君もそちの案内で無事に船に着いている、それにそちだけが――どうしてまた、そんな姿で、こんなところに――」
駒井甚三郎は、七兵衛そのものは、洲崎で働いてくれた七兵衛に相違ないが、その内容は全く別物か――どうかすると、或いは七兵衛の幽霊ででもありはしないかとさえ疑われるほどの眩惑を感じました。
「はい、その御不審は
「ふーむ」
「なにぶんお願い申し上げます、委細は、あとからお耳に入ることもございましょうが、それにいたしましても七兵衛は、本来善人なんでございますから、白雲先生なぞはかまいませんが、若い者にはなるべくこんなことは聞かせていただかない方がよろしいんでございます」
「何を言っているのだ、どうも、今晩のお前の挙動というものは、全く拙者にはわからない」
駒井は、いよいよ深く解し兼ねていると、鐘が鳴りました。
寺の境内のことですから、その鐘が、突き抜けるように間近く響きました。七兵衛は、あわただしく立ち上り、
「では、時刻が遅れますと、なんでございますから、これでお
入って来たところから、完全に出て行ってしまったのですが、駒井はどうしても、夢でなければ魔である――
十五
その翌朝、舟を雇うて、松島から石巻湾を横断して、月ノ浦に帰った駒井甚三郎は、何はさて置き、昨夜の怪事を田山白雲に向って物語りました。
白雲は、自分が逢わせられたと同じ型を、異った舞台面で見せられた駒井の経験に、またおぞけをふるいました。そうして同時に二人が、七兵衛なる者が、今まで見ていた通りの篤実なおやじで、世話好きのために、
しかし、駒井にまだわかりきらないところも、白雲には、いよいよ心胆を寒からしめるほどに深く突込まれるものがあるのです。
駒井甚三郎は、七兵衛なるものを、ようやく解しきれないものに見直したのは同じだが、白雲ほどに深刻にはこたえていないのです。そこで白雲も、自分の見直したところを率直に駒井に言ってしまうことが、なんとなく忍びないような気持になりました。
しかし、解釈の相違にその辺までの程度はあるけれど、何は
駒井と白雲とは、このことを相談し合いました。けれども、お松にこの内容の一切を語り聞かせることは考えものだと思いました。お松が七兵衛を信じている心持は、どこまでも尊重して置かなければならないと考えたものですから――手際よく要領をのみこませ、そうして、田山白雲が、その翌日お松を連れて、また舟で松島へ渡りました。
松島の風景を写さんがために
松島の宿に着いたお松も、わからない心持でいっぱいです。ただ当分、七兵衛おじさんのためにこっそりと食物を運んであげる役目――宵々毎に瑞巌寺の臥竜梅のうつろへ、その使命だけを固く心にかけましたが、それにしてもどうもなんだか、牢屋へ入れられている人に差入物にでも行くような気持がして――愚図愚図していれば、七兵衛おじさんはお仕置に会って斬られでもしてしまうのではないか知ら、というような不安が、何とはなしにこみ上げて来るのです。
白雲はその翌日から、瑞巌寺へ日参して絵を描くことになったのは幸い――そうしてその夕暮、お松は絵の先生を迎えに行くふりをして、臥竜梅のうつろの使命の第一日を首尾よく果しました。
十六
これとほぼ時を同じうして、仙台の町奉行
「
「はい、お呼びなさるのは、どなたでございます」
「丹野じゃ」
「これはこれは、お奉行様」
牢名主兵助が、立って戸前のところまで来ました。
元之丞が、
「兵助――無事か」
「はい、おかげさまで、無事すぎるほど無事でございます」
上目づかいにおとなしく返事をする囚人を、奉行は高飛車に、
「兵助、貴様も年をとったな」
「はいはい、年をとりましてございます」
「哀れなものだな、昔の元気はないな、その分では、
「へ、へ、へ、御冗談ものでございましょう、お奉行様」
と言って、獄中の人がはじめて冷笑しました。
「気にさわったか」
「御冗談もことによりけりでござります、お奉行様、兵助が年をとったと申しましたのは、往生を致したという次第じゃございません」
「なら、昔の元気が少しは残っているか」
「へ、へ、へ、万事若い時のようには参りませんが、お奉行様、兵助はおとなしくしているのが勝手でございますから、こうして牢畳の上で日向ぼっこをして
「うむ、まだ音をあげる元気があったのか」
「早い話がお奉行様――このお牢屋なんぞは、どだい骨が細くって、朝夕の
兵助はのこのこと立って来て、牢の一方の格子の角をゆすると、どうしたものか、その柱の一辺がガタガタと
「ふーむ」
と、奉行は目をすましてそれを見る。
「お奉行様、年はとりましたとは言うものの、兵助もまだ四十台でございますよ、やれとおっしゃれば、こんなヤワな細工をおっぺしょって
「四十がまだ若いというのか、年をとり過ぎたと申すのか、わからん」
「どちらにお取り下さってもよろしうございますが、
「どうして」
「私が今日まで見ましたところが、盗人をする奴は二十五六止り、大抵その辺で年貢が上って、三尺高いところへ、この笠の台というやつがのっかるのが落ちでございますが、不思議とこの兵助は餓鬼の時分から手癖が悪いくせに、こうして御方便に四十の坂を越して、
「ふむ――そんなことをやれとは言わない、しかし、お前に少しばかり相談があって来たのだ、早くいえば頼みたいことがあって来たのだ」
「これは、
こうして奉行が、囚人である兵助の耳に口を当てて、ささやく。つまり、耳こすりという段取りになりました。
その結果が――兵助の呑込みとなって、
「ようがす。その話は、牢へ
兵助がこう言って、ニッタリと笑いました。
それからこの兵助が、松島の観瀾亭のお庭へ姿を現わしたのは、その翌日のことであります。
事の順に戻って、この兵助なるものの身柄を、一応説明しておく必要がありましょう。
今の自らの物語にもある通り、この城下生れの者で、父は仏師です。兵助、生れて身軽で、力があって、いつ習うともなく武芸が優れてきて、それが仇となって、今日までに幾多の悪事を重ね、数百の子分を持っている――
これが今、町奉行の内命を受けて、特に刑中の身を以て、観瀾亭から
これが裏を返すと、すなわち、仙台の
十七
お松はその翌日、新月楼という宿屋から、瑞巌寺の
白雲先生へという
ところが、来て見ると、その臥竜梅の下が先客によって占領されていました。その老大木の前には、自分がたずねて来るずっと以前から、おそらく早朝からでありましょう、一人のずんぐりした小柄な桶屋さんが座を構えて、しきりに桶の
意地の悪い桶屋さん――と、お松としてはそうとれたのもやむを得ませんが、ここで桶屋さんが仕事をはじめて悪いというわけはなし、よし悪いにしても、自分にそれを
のみならず、この悠然たる桶屋さんの、いま仕事にとりかかっているのは、天水桶のうちでも優れた大きさを持ったやつですから、これ一つの箍の懸換えをするにも優に一日はかかりそうだ。
ところが、仕事はそれだけには止まらない。桶屋さんの周囲を見ると、
お松は困ったと思ったが、どうも仕方がない――何かの機会にこの桶屋さんが、ちょっとでもこの座を立つ機会を待って素早く使命を果してしまうよりほかはないと思いました。
そこで、暫くあちらこちらさまようて、桶屋さんの動き出す隙を待っていたが、泰然として座を構えこんでしまった桶屋さんは、容易に動き出さないのです。いいかげんの時分になると、座右からかますを取り出して、カチカチと火をきって、ぷかぷかと二三ぷく煙草をのんでしまっては、さて悠々と、老木の梢の上なんぞを上目づかいでながめて、
そこで、遠廻りをして臥竜梅のうしろの方へ廻り、そこから桶屋さんの隙をねらって、うつろへ投げ込もうかとしましたが、気のせいか、どうもこの桶屋さんが、それとなく自分の行動を注意しているように思われないでもありません。
とうとう、近づきかねたお松は、いったん瑞巌寺の外へ出てしまって、法身窟のあたりの小暗い杉の中を歩み歩み行きました。
「どうも仕方がない、あの桶屋さんに追立てを食ってしまったようだ、なにも桶屋さんがわたしの仕事に意地悪をしようとしてあそこにいるわけではないが、わたしにはそうとしか思われてならない、ただの桶屋さんにしては、なんだか気が置け過ぎるのが、つまりわたしの疑心暗鬼というものでしょう、あの桶屋さんに圧迫されて、知らず
お松はこんなひとり言を言って、お弁当を抱えたまま、まもなく松島の海岸の方をぶらつきはじめました。
お松がこうして臥竜梅の下から圧迫され、ハミ出されたのと反対に、
白雲は極めて気軽に出て来ましたが、手には写生帖と矢立を持って、早くもこの臥竜梅の姿に目をとめながら、近づいたり、やや遠のいたりして、ためつすがめつ、この木ぶり、枝ぶりを見ているのです。
その有様は虚心坦懐で、眼中にただ、梅の木の木ぶり枝ぶりあるのみ。ちょっと当惑するのは日ざしの具合で、まぶしい感じがする時、左右に紙と筆とを持っているものだから、小手のかざしようがないだけのものです。
ですから、お松をしてあれほど焦心せしめた桶屋の存在などは、最初から念頭になく、木ぶりのみをためつすがめつしていたが、ついには或る地点で行きつ戻りつしているところを見ると、この梅を写生せんがための足場をきめるための働きであること申すまでもありません。
そこで、田山白雲は、いいかげんの地点を選定し得たと見えて、やがて、筆を動かし、写生をはじめました。
こうなると一心不乱の形で、この臥竜梅の形神を、五彩の
ところが、お松を悩ませた臥竜梅の下の桶屋さんなるものは、その
しかし、気分に相当の差異こそあれ、二人ともにその職業とするところに一心であることは同じようなものですから、あえてこの
「あ、いたいた、田山先生がいたよ」
「茂公か――」
田山白雲が、思わず写生の筆をとどめて見入ると、まごうべくもない清澄の茂太郎と、それから、もう一つの珍客はムク犬です。
ムクは、この著作に於てこそ、かなり知名にして有要な役目をつとめつつある犬ですけれども、田山白雲とは
白雲が船へおとずれた時は、ムクはひそかに睡眠の不足を船底のいずれかで補っていたかと見える。白雲がこちらへ来るまで誰も引合わせなかったものですから、この時、これは素敵な大物を茂公が連れこんで来たものだわい――この小僧は、山に入って猛獣毒蛇とも親しむだけの天才を持った小僧だから、もうここへ来ると、その辺のイカモノと
「先生、七兵衛おやじはいないの?」
「うむ――」
この時、白雲はあたりを見廻し、
「お前はどうして来たんだ」
「あたいは、舟で来ました」
「そうか」
「ムクも来たいというから連れて来ました」
「駒井船長のゆるしを得て来たのか」
「うむ、いいえ――」
「黙って飛び出して来たな?」
「済みません」
「おれに
「だって、ムクがついているからいいでしょう?」
「ムクというのはその犬のことか」
「ええ」
「誰がついて来ようとも、だまって舟を出て来ることはいけない」
「でも、
「金椎に? あれはつんぼだ」
「だって――」
「まあ、仕方がない、金椎君にでも、ことわって出て来たんならいいとして――」
「ねえ、先生」
「何だ」
「大きなお寺だね」
「うむ、奥州第一等のお寺だ」
「広いお庭だね」
「うむ、広い」
「七兵衛おやじはどこにいるの」
「ナニ?」
白雲は、またしてもあたりを見廻しました。この小僧が、七兵衛、七兵衛と無遠慮に言うのが気がかりになってならない。その度毎に、あたりを見廻したが、幸いにも誰も聞き
「ねえ、先生、お松さまはどこにいるの」
「お松さんか、お松さんは宿屋に待っているだろう」
「宿屋ってどこ」
「つい、そこの海岸だ」
「先生は毎日ここで絵を描いてるの?」
「そうだ」
「で、お松さんだけが、七兵衛おやじを探しているの?」
「
と田山白雲が、今度は茂太郎を叱り睨めました。七兵衛七兵衛と言うのが、いけないのです。
叱られて茂太郎は、何でそれが咎められるのかわからない。
「このお寺ん中に隠れているんじゃないの?」
「これ――」
白雲はついにたまりかねて、
「茂公――お前はここへ来ちゃいけない、拙者の仕事の邪魔になるから、宿へ行ってお松さんをたずねろ――ずっと海岸通りをつたって行くと、五大堂というのがあって、その前に新月楼という家がある、お松さんはそこにいるはずだから、先へたずねて行ってみろ」
「え、じゃ、行ってみましょう」
「茂坊、ちょっとお待ち」
「何ですか、田山先生」
「ちょっと、こっちへおいで」
「はい」
茂太郎を呼び戻した田山白雲は、前こごみになって、その耳もとに口をつけ、
「お前、めったに七兵衛おやじと言うんではないぞ」
「じゃ、七兵衛おじさんと言えばいいの?」
「いけない、七兵衛という名をめったに口に出してはいけない」
「そうですか」
「わかったか」
「わかりました。さあ、ムク、おいで」
心得顔にムク犬を促し立てて、白雲に教えられた通りを茂太郎が歩み出そうとすると、ムク犬はこの時、臥竜梅の下へ行って、桶屋さんの仕事ぶりをすまし込んでながめているところです。
「ムク――」
呼ばれても、ちょっと動きそうにもありません。
「ムク、何を見ているの」
そこで、茂太郎も、ついのぞき込んで見ると、桶屋のおやじが、長い竹を裂いて、その尾を左右に揺動させながらハメ込む手際を面白いと見ないわけにはゆきません。
ムクを呼び立てた自分が自分に引かされて、両箇が
田山白雲は、そこでまた写生帖の筆を進めて梅をうつしにかかりました。
「坊ちゃんは、どちらからおいでなさいました」
不意に、気のいい桶屋さんからたずねられて、茂太郎は、
「お船から」
「お船はどちらから?」
「房州の
「ほうほう、それは遠いところですね」
「遠いよ」
「そのお船は、今どこについておいでなさいやす」
「月ノ浦」
「ほいほい、月ノ浦、それもなかなかの道じゃござんせん、坊ちゃんはその月ノ浦から歩いてこれへござらしたか」
「小舟で来たよ」
「小舟で――七兵衛さんと一緒に?」
「ううん、七兵衛おやじは……」
と言って、茂太郎がハッと田山白雲の方を見返りました。
「知らないよ。さあ、ムク、行こう、オイセとチョウセ、オイセとチョウセ、オイセとチョウセ――」
こう言いながら一散に飛び出したものですから、ムク犬も、そのあとを追いました。
十八
それから暫くたって、再びお松がこの場へ来て見た時分には、茂太郎も、ムクも、無論いないし、写生に
そこでお松は、田山白雲をと思って、
また庭へ戻って見ると、イヤな桶屋さんは相変らず頑張って、こんどは聞きたくもない鼻唄まじりでいるのが、いよいよ憎らしい。といって、
遠くもない新月楼へ来て見ると、田山先生も先刻お戻りになったにはなったが、お客様からお誘いが来てどこへかおいでになったとのこと。お松は部屋へ戻って、ひとまず休息して、また出直そうと思いました。
だが、出直すにしても、桶屋さんがあの調子では手もとの見える間は、あすこからみこしを上げそうにもない。しかし、いかに頑張ることが好きな人とはいえ、夜になればイヤでも仕事をやめて立ち上らなければなるまいから、いっそ夕方まで我慢して、
しかし、白雲先生も今日はまたイヤに気が長い、お連れが出来てどこへか行かれたそうですが、そのお連れはどちらの方か、いつぞや案内をうけたという、仙台の女学者で高橋という先生ででもありはしないか。
そんなことを考えている間に、いつしか日も海に沈みました。
もうよい時分――と、お松が例の包みを抱えて外へ出た時分に、月が上っていました。月が松島湾の
思えば、あの大菩薩峠の上の出来事以来、自分の
それはなにも自分に限ったことはない、誰にしても、本当にこれでよいと落着くことのできないのが人間の一生で、落着くところはすなわち墓――というほどの、ひとかどのさとりの下に愚痴をこぼさず、感傷に落ちないお松でしたけれども、こうして静かに海岸の月夜を歩かせられていると、泣かないわけにはゆきません。月に心を傷められると、身に思い当る人という人の運命を思いめぐらして、その人たちのためにも泣かざるを得ない気持に迫られました。
宇津木さんも苦労をしているが、机竜之助というやつ、憎いも憎い悪人だが、それでもどうかすると、何とはなしに、かわいそうに思われてならないこともある。七兵衛おじさんの親切は再生の親も同じとは思うが、それにしてもあのおじさんも、もう少し落着けないものかしら――足の速いことが
人間は、能が無いために苦しまないで、能があるために苦しむ、人に優れたものを持つが
米友さんはどうしているんだろう。あの人は、ああいう人だから、怒っているのか、悲しんでいるのかわからないが、自分の運命が恵まれているとは、自分ながら考えていないに違いない。
そこへ行くと与八さんは――あの人だけはいつも温かい。やさしい。人を疑うことと、物を
ああ、いけない、いけない、こんな思い過しをしてはいけない。さし当っての仕事は、あの七兵衛おじさんを助けることだ。何のためにこんな窮命を好んでしておいでなさるのか、それはわからないにしても、自分としてはこの当座の使命――当座の食糧を運ぶことだけは完全に
お松はようやく瑞巌寺の中門に着きました。庫裡へは案内あることですから、とりあえず目的の臥竜梅へは行かずして、なにげないお使のように見せて、手前から庭を見渡すと、イヤな桶屋さんももう姿が見えません。あの桶屋さんが、お松の仕事を妨害するために、昼夜ぶっつづけで頑張っているのでない限り、日が暮れると共に仕事を仕舞い、仕事を仕舞うと共にあの場所を立去ることは当然なのだが、それでも、あの梅の木の下は、大桶小桶の幾つかが置きっぱなしであるのを見れば、明日もまだまだ天気である限り、頑張り通すものと見なければならない。
一通り見すまして、お松がそっと臥竜梅のうつろの方へ急ごうとすると、門前からドヤドヤと人が入り込んで来ました。三人ばかりは巡礼の風をしているのです。巡礼にしては今頃、変だなと思って足を控えていると、その巡礼は本堂へは拝礼をしないで、さっさと縁をめぐって、なんだか宵闇の縁の下へ姿をくらましてしまったようにも見えました。
十九
お松は、その宵闇の中に吸い込まれてしまった巡礼姿の二三人でさえが、心もとない人たちだと思わせられている途端に――今度は向うの一方の庭木立を潜って、人が
月の夜ですから、その気になって見さえすれば、物の隠顕はよくわかるのですが、一方から這い出して、そろそろと木の間をくぐる人の影は、どう見ても尋常の人ではない。おのおのその
お松は胸のつぶれる思いをして、自分は物蔭から月の陰影で、自分の姿は安全に保証されている立場から、一心にそれを見詰めていますと、それは自分が心がけている臥竜梅の大木の下を、その捕方は目指しているような足どりで、そこへ来ると、数人が居合腰になってかたまり、額をあつめている。
お松が息をこらしてそれを眺めているとも知らず、右の捕方と覚しい一かたまりは、そこで額をあつめて、一応の合図をしたと見ると、どうでしょう――一人、二人ずつ、昼のうちからお松の
これは、尋常ではない――お松は手にしているお弁当を取落そうとしました。こうなるとお弁当を供給するその使命そのことよりも、この場のなりゆきを注視することが大事です。たとい夜が明けるまでも、この場は去れない。この場にこうしていて、これから先のなりゆきを監視し尽さなければならない。そう思って見れば、そこへ姿を消した巡礼姿の人も怪しい。あとのは、てっきり人を召捕るためのお手先に相違ないが――そうだとすれば、誰を召捕るため、それは言わずと最初から胸一杯に思い
ああ、こうして七兵衛おじさんが召捕られるのだ。何の間違いで、また何の罪で――これはこうしてはいられない。こうしてはいられないといって、どうすればよいのだ、今の自分として、事の急を七兵衛おじさんに告げ知らせてやる便りは無いではないか。よしそれがあったとして、自分がこの場を飛び出せば、七兵衛おじさんが召捕られる以前に、自分が捕まって、当座の動きが取れなくなるにきまっている。声を立てて叫ぼうか、それとも、この垣を越えて逃げようか――そのいずれも進退きわまっている。ただ、為し得ることは、ここにいて事のなりゆきの一切を見つめていることだけだ。
お松は絶体絶命の立場から、また一種の勇気が湧いて来ないでもありません。委細を見て見ぬことにしていれば、
それだけで月はいよいよ照り、庭の夜の色はいとど更け行き、何も知らないものから見れば、いつもと変ることのない静かな夜が、おだやかに深くなり行くばかりであります。
かなり長い時間の後、この庭にシューッと、鼠花火の走るような音がしました。一つの物影が地面を
その直ぐあとから、同じく鼠花火のように筋を引いて追いかけた幾つかのもの、それがお寺の縁の下あたりから出たと思うと、それからというものは、眼前に、月明りの夜に見えていたお松にとっても、全く何が何だかわからないのです。大きな
そのうちに、追われている大きなブン廻しの独楽が、くぐり抜けて勢い込んで、問題の
「
お松はよろよろとよろけました。
天水桶から飛び出したのは、それは、昼のうちの気のよい桶屋さんの形によく似ている。それが、今しブン廻しで臥竜梅の幹の下までくぐり抜けて来た、その追われる独楽の主に、前面から大手をひろげて飛びかかって、
「占めた!」
そこで桶屋さんが、まともにぶっつかって来た大きな独楽を抑えつけたものですから、その独楽との正面衝突です。
「捕った!」「占めた!」というのは、おそらく、勢いこんだ気合の掛声だけだったのでしょう。
正面衝突から両箇が組んずほぐれつの大格闘になったのが、お松の眼にありありと分ります。それから、その一人が気のいい桶屋さんであるだろうこともいよいよ推想されますが、ぶっつかって来た独楽の何者であるかはめまぐるしくってわからない。これが居ても立ってもいられないほどにお松の気を
しかし、この両箇が臥竜梅で組んずほぐれつの大格闘を演じている間も、そう長いことではありませんでした。何となれば、追われた独楽の方は身一つであるけれども、それを追いかけたものには幾箇の捕手があり、それが、桶から出て正面衝突に組みついた桶屋さんに加勢する。
「ち、ち、ちくしょう、途方もねえ奴だ、骨を折らせやがる、貴様はどこの何者で、誰の縄張りだ――おれは仙台の仏兵助だぞ」
「…………」
組み打ちながら、仙台の仏兵助と名乗ったのは、天水桶の伏兵をつとめていた昼の桶屋さん――の声に相違ないと、お松の耳には響きましたけれど――敵に名乗りをかけられて相手の独楽がいっこういらえがありません。
しかしこの独楽が、まだ充分に抑えきられていないことは、多勢を相手に必死の抵抗が乱闘となり行くことでわかります。
お松は全く気が気でありません。
せめて、この相手の一人が、何とか言葉を出してくれればいいと思いました。
何とか一言いってくれれば、この気がいくらか休まると思いました。いいえ、そんなどころではない、追われて来て、ここで組み止められている人が、七兵衛おじさんでなければ果して誰でしょう。
違いない、違いない、七兵衛おじさんがこうして追い詰められて、いま、つかまろうとしているところだ。
ああ、どうしよう。
自分の力では――出ていいか、出て悪いか。出たところでどうなるものかと言ったって、みすみすああして、捕まってしまうものを……
「うぬ、てごわい奴!」
「あっ!」
「
この失敗った! という一語が、どちらの口から出たのか。それだけが、わくわくしていたお松の耳にそれてしまいました。いや、たしかにその一語を聞き止めたには相違ないけれども――それがいずれから出たのか、仏兵助と名乗りをあげた桶屋さんの口から出たのか、追いかけられて組みつかれた七兵衛おじさん――仮りにその人だとして――の口から出たのか、お松が聞き漏らしました。
お松は、それを、この場合、重大なる心抜かりであったように思われないではありません。この「
そうして、格闘の現場へ飛び込んで見なければならない気持に追われて、丸くなって飛び出したその
「おや?」
それを払い除けようとしてみると、そのものが、いよいよ
それは、誰か大きな人か、出家の身に相違ありません。その人が、お松のかけ出した出端を、その大きな
ただ、こうして自分を抑えてくれたことに、充分の好意をもってしてくれる証拠には、その法衣ざわりが全く和らかで、最初から窒息させるつもりもなく、抑留の気分もなかったことでわかります。それは
二十
これより先、田山白雲が、今日は少し早目に宿へ帰ってしまったのは、不意にやって来た清澄の茂太郎の足もとがあぶなっかしいので、それが心配になるのと、もう一つはかねて約束が一つありました。
仙台の
少し時刻は早いが、
「田山先生」
そこへ、茂太郎とムク犬が
「お前ドコにいた」
「五大堂で少し遊んで来ました。田山先生、これからまた、どこへかいらっしゃるの」
「うむ、お月見に行くのだ」
「まだお月様は出ていないじゃないか」
「うむ、これから船で沖へ乗り出すと、ちょうど月の出る時分になる」
「
「うむ――」
「いいでしょうね」
「わしはかまわないが、人から
「御招待なの? だって、かまわないでしょう、あたいとムクが先生のおともだって言えば」
「そうさなあ――」
「いいでしょう。さあ、ムク、これから先生のおともをして、船で松島のお月見としゃれこむんだよ」
「まだ、
「先方だって、先生のおともだと言えば、いやとは言わないでしょう」
「あんまり騒々しくしてはいかん」
「お月見の御招待だから、お酒も出るでしょう、歌をうたっていけないということはありますまい、その席上で、あたいが歌をうたい、踊りをおどって興を添えてあげます」
「生意気なことを言うな」
「だって――わざわざ芸人を呼んで興を助ける人さえあるんだから、あたいが只で歌って踊ってあげれば、お呼び申した方も喜ぶだろう」
「無茶を言うなよ――だが、あんまり騒々しくせず、邪魔にさえならなければ、お頼み申して連れて行ってやる」
「では行きましょう、その月見のお舟はどこから出るのです」
「観瀾亭の下から」
「観瀾亭というのは、お月見御殿のことなんでしょう、行きましょう」
茂太郎は、むしろ白雲の衣を引っぱるようにして、月見船まで促し立てました。相変らず生意気な小僧めとは思いながら、この小僧をつれて行くことは、必ずしも風流の邪魔にはならないで、相手が稀代の風流婦人だけに、時にとって意外の手土産になりはしないかとさえ思われました。
こうして、茂太郎とムクとにからまれながら田山白雲は観瀾亭の下まで来ると、果して風流数寄な屋形舟[#「屋形舟」は底本では「尾形舟」]が一つ、ちゃんとろかいをととのえて、酒席を設けて待構えていました。酒席の上には、当然、東道の
「田山先生、ようこそ」
「いや、どうも……恐縮です」
白雲がいたく恐縮をしてしまいました。ことには、いかなれば旅絵師のやつがれ風情に、今日はこうして
「時に、玉蕉先生、一つお願いがあるのですが」
「改まって、何でございます」
「ここに一人の少年と、一頭のムク犬がおります、拙者の従者なのですが、
「ええええ、差支えございませんとも」
「では、茂――ムク――」
白雲は茂太郎とムクとをこの船に引きずり込み、やがて、風流
果して、興は船の進むと共に進みました。美酒佳肴の用意も申すまでもなく、
興に乗じて、白雲は筆をとって直ちに眼前の景を描きました。
「これへ一筆――」
玉蕉女史に向って賛を求めると、女史も辞することなく達筆をふるいました。
絶奇造化思紛々(絶奇なり造化、思ひ紛々)
位置如棋島嶼分(位置は棋の如く島嶼分る)
最是風光難画処(最もこれ風光の画き難き処)
落霞紅抹万松裙(落霞紅に抹 く万松の裙 )
それから白雲が随って画けば、玉蕉が随って賛をする――二人が詩興画趣のうちに全く陶酔して行くのはやむを得ないことですが、位置如棋島嶼分(位置は棋の如く島嶼分る)
最是風光難画処(最もこれ風光の画き難き処)
落霞紅抹万松裙(落霞紅に
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
清澄の茂太郎が、けたたましい声を上げて突如として舟べりをゆすりはじめたのは、風景の美に打たれての感興か、それとも、美人と画家とが、自分たちだけ詩興画趣に陶酔していて、我々に頓着しないのに、いささかの嫉妬と退屈とを感じ出したのか、とにかく、茂太郎の破調が、ちょっと船の中を驚かせました。オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
「茂、静かにしろよ」
田山白雲は、うつろ心で叱ってみたけれども、茂太郎は頓着なく、
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
この即興とオイセとチョウセ
オイセとチョウセ
「茂、静かに」
白雲が叱るけれども、この場合はあまり権威がなかったのです。それは玉蕉女史との応酬唱和の興があまりに濃厚であったから、その叱る言葉も、ついつい上の空になって、相手にはこたえないらしい。
それを見兼ねて、物慣れた玉蕉女史介添の老婦人がさし出て来ました。
「坊ちゃん――おもしろい話をして上げますから、こちらへいらっしゃい」
と、茂太郎をあやなしにかかる。
「面白い話」
「あい」
「おばさんがおもしろい話と思っても、人が聞いては面白くないこともありますよ」
「そりゃありますがね、今おばさんがして上げようという話は、この仙台の人でなければ知らない話ですから、よそからおいでた方が聞けば面白いにきまっていますよ」
「仙台の昔話が、そんなに面白いかえ」
「ええ、面白いですとも」
「話してみて頂戴、あたいは、面白くないと思えば決して辛抱して聞かないから」
「こちらへいらっしゃい、話して上げますから」
こうして老女は、茂太郎を自分に近いところへ呼び寄せて坐らせ、それから奥州の昔話をはじめました。
「むかしむかし、ざっと昔」
「むかしむかし、ざっと昔」
「あるところで
豆どん豆どん、どこまでござる
豆どん豆どん、どこまでござる
茂太郎は声高く歌い出しますと、それを抑えて老女は語りつぎました。豆どん豆どん、どこまでござる
「そこで婆は地蔵さんに、『地蔵さん地蔵さん、豆が転がって
「…………」
「地蔵さんから膝さ上れと言われて、婆は『とっても
とってもとっても
勿体なくて
上られえん
膝さ上れ
上られえん
茂太郎は、老女の昔話のうちの勿体なくて
上られえん
膝さ上れ
上られえん
「すると地蔵さんは、いいから上れと言いますから、
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
茂太郎がうたい出す、老女がかまわず昔話をつづける。とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
「そこで婆は恐る恐る、地蔵さんの手のひらへ上ると、地蔵さんが今度は、肩の上さのぼれと言いますから、婆は『とってもとっても勿体なくて上られえん』と言いますと、地蔵さんが、いいから上れと言いました」
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
茂太郎がまたはしゃぎ出すのを、老女が抑えて、とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
「そこで婆は恐る恐る、肩の上さ上ると、地蔵さんが、婆や婆や、頭の上さのぼれと言いますから、婆が『とってもとっても勿体なくて上られえん』と言いますと、地蔵さんが、いいから上れと言いました」
とっても
とっても
勿体なくて
今度は老女が茂太郎の合の手を押しかぶせて次を語りました。とっても
勿体なくて
「そこで婆は、とうとう地蔵さんの頭の上までのぼってしまうと、今度は地蔵さんが、
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
今度は茂太郎が、老女の話頭を奪って歌い出したのです。老女も負けない気になって、話を進行させて行きました。とっても
勿体なくて
上られえん
「地蔵さんが、いいから上れと言われたので、婆は梁の上までのぼると、地蔵さんが、婆や婆――おれがいいこと教えてやる、いまに鬼どもが、ここさ
ここさ博奕打ち
くっから
くっから
茂太郎が頓狂声を出すと、もう慣れきった老女は、かえってそれを合の手のようにして、くっから
くっから
「まもなく鬼どもがドヤドヤとやって来て、地蔵さんの前で博奕をはじめた。地蔵さんが合図をしたので、婆は梁の上でコケッコーと鶏の啼く真似をした。そうすると、鬼共は、一番鶏が啼いたから急いでやれと言って、ウンと博奕をやった。地蔵さんがまた指図をしたので、婆は再びコケッコーと鶏の啼く真似をしたら鬼どもは、もう二番鶏だと言いました。地蔵さんが三べん目の指図に婆がコケッコーとやると、鬼どもは、それ三番鶏だから夜が明けたと言って、みんなあわてふためいて金をたくさん置いたまま逃げ出して行った。そしたら地蔵さんが、婆や婆、ここさ下りて来いと言われたので、婆は梁から下りて行くと、そこにある金もって来いと言いつけられた。婆が金を集めて持って行ったら、地蔵さんが、それを持って早く帰れと言われた。婆はその日から、うんと金持になりました」
「婆さんうまくやったね」
茂太郎も席の興に乗出して来ました。話そのものの興味もあったでしょうが、老女が聞き
「そこへ隣の慾タカリ婆がやって来て、あんた、何してそんなに金持になったのっしゃと尋ねた。婆はありのまま、これこれこういうわけで金持になったと教えたら、慾タカリ婆は早速家さ帰って、豆を座敷に転がして、それを地蔵さんの前まで転がして行って、地蔵さん地蔵さん、豆さ転がって
オイセとチョウセ
オイセとチョウセ
老女の昔話の一くさりが終ると、きっかけに茂太郎がまた頓狂な調子を上げましたが、あたかもよし、その時に月が上り出したのです。オイセとチョウセ
「ああ月が――」
船のうちが、ひとしく、いま海波の上にゆらゆらのぼりかけた月を見て、鳴りをしずめてしまいました。
田山白雲が水墨を取って、大きく紙面にうつした松島月影の即興図に、玉蕉女史は心得たりとあって、さらさらと次の絶句を走らせる。
高閣崚
山月開(高閣崚
として山月開く)
倒懸清影落江隈(倒 まに清影を懸けて江隈に落ち)
欲呼漁艇分幽韻(漁艇を呼ばんと欲して幽韻を分つ)
好就金波洗玉杯(好し金波に就いて玉杯を洗はん)
田山白雲は、それを見て、この閨秀詩人は字を合わせ

倒懸清影落江隈(
欲呼漁艇分幽韻(漁艇を呼ばんと欲して幽韻を分つ)
好就金波洗玉杯(好し金波に就いて玉杯を洗はん)
だが、この当面の高橋玉蕉女史は、右の五本の指のうちのいずれに比べても、優るとも劣りはしない。更にその第一流と
高閣崚
トシテ山月……
その発声の途端に、別の方から、また一つの吟声が無遠慮に飛び出して来ました。
春江潮水、海ニ連ツテ平カナリ
と、澄み渡った声で、白雲の出ばなを抑えたものがあったものですから、さすがの白雲をして、せっかくの朗吟を中止沈黙のやむなきに至らしめた無作法者の、清澄の茂坊であること申すまでもなく、白雲をして、中止沈黙のやむなきに至らしめたことをいいことにして、茂太郎がいよいよ
海上の明月、潮 と共に生ず
ゑんゑんとして波に随ふ千万里
何 れの処か春江月明なからん
江流ゑんてんとして芳 てんをめぐる
月は花林を照して皆霰 に似たり
空裏の流霜飛ぶことを覚えず
汀上 の白沙見れども見えず
江天一色繊塵なし
皓々 たり空中孤月輪
江畔何人 か初めて月を見し
江月いづれの年か初めて人を照せし
人生代々窮まりやむことなく
江月年々望み相似たり
知らず江月何人 をか照す
ただ見る長江の流水を送ることを
白雲一片去つて悠々
青楓浦上愁ひに勝 へず
誰 が家ぞ今夜扁舟 の子は
何れの処ぞ相思ふ明月の楼
憐れむべし楼上月 徘徊 す
まさに離人の粧鏡台を照すべし
玉戸簾中まけども去らず
擣衣砧上 払へどもまた来 る
此時 相望めども相聞えず
願はくば月華を逐 うて流れて君を照さん
鴻雁 長く飛んで光わたらず
魚竜潜 み躍 りて水文 をなす
昨夜かんたん落花を夢む
憐れむべし春半 家に還らず
江水春を流して去つて尽きんと欲す
江潭落月 また西に斜めなり
斜月沈々として海霧 に蔵 る
碣石瀟湘 限り無きの路
知らず月に乗じて幾人か帰る
落月情を揺 かして江樹に満つ
これだけの詩を一句も余さず、清澄の茂太郎が、吟じ来り吟じ尽してしまったものですから、今度は、天地が動き出したほどに玉蕉女史が驚かされてしまいました。ゑんゑんとして波に随ふ千万里
江流ゑんてんとして
月は花林を照して皆
空裏の流霜飛ぶことを覚えず
江天一色繊塵なし
江畔
江月いづれの年か初めて人を照せし
人生代々窮まりやむことなく
江月年々望み相似たり
知らず江月
ただ見る長江の流水を送ることを
白雲一片去つて悠々
青楓浦上愁ひに
何れの処ぞ相思ふ明月の楼
憐れむべし楼上
まさに離人の粧鏡台を照すべし
玉戸簾中まけども去らず
願はくば月華を
魚竜
昨夜かんたん落花を夢む
憐れむべし
江水春を流して去つて尽きんと欲す
斜月沈々として
知らず月に乗じて幾人か帰る
落月情を
まあ、この子は、何という子だろう、化け物ではないかしらとまで
「まあ、田山先生、あの子は……」
と言ったきり、あとの句がつげませんでした。
「は、は、は、は」
と、テレきっていた田山白雲が高く笑いました。そうして釈明して言うことには、
「驚いてはいけません、あれが
「ですけれど先生、わけがわかるにしても、わからないにしても、これには驚かないわけにはゆかないじゃありませんか、勧学院の雀どころじゃありませんもの」
「は、は、は――門前の小僧のためにしてやられましたね」
「ほんとうに門前の後世
玉蕉女史は、改めて、船べりをさまよう清澄の茂太郎を見直しました。が、茂公は、この
とっても
とっても
勿体 なくて
上られえん
とっても
とっても
右のようにとっても
上られえん
とっても
とっても
さんさ時雨 か
かやのの雨か
音もせで来て
ぬれかかる
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
とうとう船べりで、足拍子を踏んで、片手を振り上げながら、面白おかしくおどり出してしまいました。かやのの雨か
音もせで来て
ぬれかかる
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
とっても
とっても
とっても
とっても
勿体なくて
上られえん
その狂態を指して田山白雲が、とっても
勿体なくて
上られえん
「あれです――初唐の古詩をああして朗々とやり出すかと思えば、とりとめもないあのでたらめをごらんなさい、さんさ時雨を取入れたかと見ると、もう、たったいま
白雲がこう説明して、この際、玉蕉女史に、暫く鳴りをしずめて、かの童子の
玉だすき
うねびの山の
かしはらの
ひじりの御代ゆ
あれましし
神のことごと
かたへより
いやつぎつぎに
つがの木の
「そうら、ごらんなさい――さんさうねびの山の
かしはらの
ひじりの御代ゆ
あれましし
神のことごと
かたへより
いやつぎつぎに
つがの木の
白雲が
「皆さん、今晩の月を見て、皆さんのお心持はいかようにお感じなさいますか。昔の歌人は、月見れば、ちぢにものこそ悲しけれ、我身一つの秋にあらねど……とうたいました。御同様にわたくしもなんとなく、悲しい思いがいたします。これはおそらくどなたでも、同じ思いでございましょうと思います、日本の人も、
これは、もとより、玉蕉女史に向って呼びかけたのでもなく、白雲に向って訴えたのでもないのです。月と海とを聴衆に見立てて、その波がしらに向って無心に演説を試みはじめたのです。
かと思うと、格調急に変じて、
ゼ、クイン、オブ、ナイト
シャイン、フェイア、ウイズ、オール
ハア、バージン、スタース、アバウト
ハア――
口早にそれを言い切ると、また足拍子がはじまりました。シャイン、フェイア、ウイズ、オール
ハア、バージン、スタース、アバウト
ハア――
チーカロンドン、ツアン
パツカロンドン、ツアン
「あれです――パツカロンドン、ツアン
「驚きました、本当に驚きました」
本物の詩人と画伯を全く茫然自失せしめているとは知らず――足拍子おもしろく船べりを踊って、トモの方へ来た時分に、
「あ、ムク、あ、ムク――ムク、お前はどうしたのかえ」
ここで全くブチこわし。
「ムク――ムク」
今まで所在を潜めていたムクが、かくまで昂上してきた茂太郎の感興を一時に打破るがものはありました。前両足を揃えて、耳を筒の如く立て、眼をらんらんと光らせて、そうして遠くこし方の岸上を見込んで、身の毛を
「どうしたのだ、茂――」
「ムクが……」
「いいからもっと踊らないか」
白雲が茂太郎の踊ることをむしろ奨励してみましたけれど、茂太郎の耳には入りません。
と同時に、ムクが
「あ、ムクが……」
この急に存在を持上げた巨犬が、ザンブとばかりに海中へ飛び込んだので、満船の人がまた
最初は、茂太郎と相抱いて飛び込んだかと思われるほどでありましたのに、よく見ると、飛び込んだのはムクだけで、茂太郎は確実に舟のうちにこそあるが、その手と心は、まっしぐらにムク犬のあとを追いかけているのです。
それを後にして、犬がまたまっしぐらに遠くの岸の方をのぞんで泳ぐこと、泳ぐこと――この状態がついに、船中の田山白雲にも解しきれなかったくらいですから、玉蕉女史にも、附添の老女にも、船夫風情にも
ひとり、清澄の茂太郎が、それから船一杯にうろたえ廻りました。
「先生――大変です、ムクが眼の色を変えて飛び出しました、あの犬が眼の色を変えて飛び出すからには、よほどの大変があると見なければなりません。ごらんなさい、これほどわたしがうろたえているのを顧みもせず、真一文字に海を泳ぎきって行くのをごらんなさい、岸へ向って行くから、変事はきっと岸の方にあるのです。ですけれども、岸は遠いです、ごらんなさい、町の
茂太郎は、こう言って船べりに地団駄を踏むのです。
重ね重ね、
二十一
ことがここに至っては、いかに逸興の
すべて、事は盛満を
一方――どこをどうして泳ぎ着いたのか、ムク犬は完全に五大堂前の松島の陸の岸の上に身ぶるいして立ち上ると、そのまま息をもつかず、めざして走るところは、まさしく
果して瑞巌寺の門内、法身窟の前の
「まあ、ムク」
バッタリ行会った先方の人影が、狂喜の叫びを立てて、この犬に抱きついて、
「ムク! 遅かったねえと言いたいけれども、考えてみると、お前の来るのが遅かったのがよかったかも知れない、お前の来ることがもう少し早かろうものなら、かえって大変なことになったかも知れない、今となっては……どうしていいか、わたしにも分らない」
と言ったのは、まごうべくもないお松の声であります。
無論、この絶望に近い呼び声に対して、なんらの表情をも返すことのできない畜生の身ではあるけれども、ある一種の意気込みを示していることだけはたしかであります。
この犬の性質と、挙動と、それから性質と挙動から起る表情を知り抜いているはずの人には、夜であろうとも、表情の機関が働こうとも働くまいとも、その気合は充分に受取れるのです。代って言ってみれば、
「お松さん、どうしたというのです、あなたにも似合わないじゃありませんか、さあ、どこへなりとわたしを御案内して下さい、あなたが行ききれないところへも、わたしなら行きます――あなたが相手になれない相手にも、わたしなら、なることができるかも知れません、さあ、わたしを、どこへなりとやって下さい」
こう言って、息をきりながらも、落着いて促し励している呼吸は、たしかなものです。
それでもお松から、行けとも、止れとも命令の出ないのをもどかしがって、
「ね、あなたは、七兵衛おじさんを尋ねて、こんなに心配苦労をしているのでしょう、わたしもそれが急に気にかかってたまらないから、それで、ここまで抜けがけをして来たのですよ、七兵衛おじさんはどうしました、あなたが暗示をさえ与えて下さるなら、わたしならきっと嗅ぎつけて上げます、さあ、早く」
こう言って、ムク犬から促し立てられていることはたしかに受取れるが、お松はそれに、指図も、命令も下す気にはなれないようです。
「ムクや、お前の志は有難いけれど、実は、わたしにも、何が何だか、ちっともわからないのですよ。どうも、この胸は心配で心配でたまらないけれども、また、七兵衛おじさんが、そう滅多に人に捕まるようなはずはないとも思われるから、安心しているところもあるのです。それですから、お前のような強い犬をやって、もしあやまってお役人を傷つけたりなんかして事壊しになってはいけないから、それで、せっかくのお前の好意に対しても、わたしはなんにも言えないの――けれども、有難うよ、お前は本当にいい犬ですね、いつもこんなにしてもとの御主人のお君さんを護っていたのですね。でも……お前ほどの
思慮あるお松は、ムクのせっかくの加勢を得たりとして、あの臥竜梅の場の捕物の方へ引きかえすこともしないし、また、その人数が引きあげて行ったらしい方向をムクと共に追おうともしないで、ムクを従えて、大きな不安のうちに、一種の分別と、沈着とを以て、また海岸の方へと出てしまいました。
二十二
お松から
たしかに捕まったのか――ええ確かに手を後ろへ廻されて縛られてしまいました。最初はずいぶん、暴れましたけれど、仙台の方に、
それを聞くと、田山白雲もがっかりしたが、お松のしおれ方は目もあてられないほどでありました。白雲はそれを慰めかねていたが――
「よし、お松さんの実見したところによると、果して七兵衛おやじが捕まったのか、疑問を存する余地は充分ある。捕まったにしても、つかまらないにしても、その罪状というのが明瞭でないのだから、いずれ放免されるにきまっているが、世間には人違いでヒドイ目に逢う者もある、みすみす
白雲はこう言ってお松をなぐさめて、その翌日、塩釜から仙台へかけて、昨夜の捕物の
ここの
それだ! 更に突っこんでその点を厳しく尋ねてみると、いよいよそれに相違ない。駕籠脇について来たのは仙台名代の親分で仏兵助という者――ここで一行が暫く休んでいるうちに、兵助親分が、「おとっさん、あの駕籠の中へ、
うどんを一杯、駕籠のところまで持って行ってやると、そのうどんを食べるには、どうしても小手をゆるめてやらなければなりません。
兵助親分にしてみれば、なあに、俺がついている――いいようにしてやれというはらがあったので、うどんを口へ運ぶだけの手のゆとりを許したものらしい。
そうすると、非常に有難がって、
誰が丼の中の二枚の小判を最初に認めたか、それはわからなかったが、とにかく、非常に神妙に、丁寧に、一椀のうどんにお礼を言ってしまってから、あとの願いがまことに申し兼ねたことですが、用便がいたしたいということでした。
それは兵助親分の同意を得たわけではないが、誰か近くにいた
あんまり静かな時が長く続くものですから、兵助親分が急に気になって、「長いじゃねえか」と言った時は、もう遅かったのです。あの
「それ!」というので追いかけたが、先方の妙に早いこと、早いこと、まるで鉄砲玉が飛ぶようで、稲田の蔭に没入した後は、どっちの方面から、どう探しても、行方きえ判断することもできなくて、この始末。つまり、完全に罪人を取逃してしまったということになるのです。
「なに、丼の中の二枚の小判ですか、それは、どなたも受取りゃしません、丼と一緒に、さきほどまでこの店先に
それだけ聞くと、白雲は、
「そうか」
と言って、棒のように身を立て直すと、そのまま、すっくすっくともと来た松島の方へ歩み去るのであります。
二十三
右の要領をつきとめた田山白雲は、もうこれで、七兵衛の安否そのものだけは充分だと思ったのでしょう、岩切から真直ぐに仙台へ帰ると、お松にも、その旨を言い含めたのでしょう。それから即刻、宿を引払い、自分が主になって、お松、茂太郎、ムクを引具して、小舟で月ノ浦へ帰ってしまいました。
無名丸に着いて、改めてこの報告と、善後策について会議を開いてみると、駒井甚三郎もここに、七兵衛というものが、自分が想像していた以上の
しかし、田山白雲は事柄を、もう少し単純に考えて言いました、
「どうでしょう、あの男は、何か重大な嫌疑をかけられて、尋常では解くに由なき立場にいるらしいから、いっそ駒井氏の
白雲がそう言ったけれど、駒井は立ちどころには同意しませんでした。
「それで事が解決するならば、いつでももらい下げ運動は試むるが、どうも拙者の見るところによると、あの男は、何か相当の思慮があって、我々との関係を秘して、我々の迷惑にならぬようにと苦心しているのではないか。そうでなければ捕方が彼を探索するために、当然まずこちらへ交渉がなければならないのだが、何もない。従ってこちらへ
「なるほど、そのへんもありましょうな。窮迫しても彼が、駒井氏や無名丸を肩に着ようとしないし、直接にここへ目指して逃げて来ようとしないところに、彼の思慮は充分見えるようです。では公然のもらい下げ運動は見合わせるとして……」
その次の方法でありました。そこへお松が意見を述べたのは、
「わたし一人で出かけてはいかがでしょう、わたしならば人様も疑いますまいから、巡礼の姿にでもなって、そうしてムクを連れて行けば、きっと探し当てられると思います。わたしをやっていただきましょう」
「いや、それはいけまい、言語風俗の違う若い娘が巡礼姿にやつすとはいえ、たった一人で、その辺をうろつくなんぞということが、かえって人の眼につき
評議半ばのところへ、扉をやや手荒く外からおとなう者があります。
「誰だ」
扉を開いて、板張にかしこまっている男。
「船頭でございます」
「何か用か」
「あのムクが帰りましたそうでございますが、どうか、さきほどお
「うむ……」
と駒井が、急に返答をしないでいると、白雲が船頭に向って言いました、
「ムクを借りてどうしようというんだ」
「はい、ムクをお借り申しまして、マドロスの奴を追いかけてみてえと思って、殿様にさきほどお願え申してみたでございます。マドロスの野郎、思えば思うほど胸の悪くなる畜生だ、殿様の御恩も忘れやがって、わしどもを踏みつけにしやがって、どうしても腹が
船頭は、余憤堪え難き
ところが駒井は、いいとも悪いとも言いません。
つまり、うむ、では、直ぐに出かけてつかまえて来いとも言わないし、あんな奴は問題にするなとも言わないのは、駒井としてそこに若干の
自然、今後の航海、その針路としてはまだ確定はしていないが、それは当然房州から仙台まで廻航して来た以上の難航が予想される。その際に於てのあのマドロスの必要は、全くかけがえのない絶対的のものである。伊豆系統の熟練な船頭はいるけれども、それは仕事の性質と経験が違う。そう思って見ると、許し難き
なあに、あのウスノロ如きは、自分がいさえすれば頭から威圧して、文句は言わせもしないのだが、船長としての責任ある地位で、かけがえのない無頼の労働者を、だましだまし使用する苦衷は、自分のようにそう一本調子にいくものでないことを、白雲といえども駒井のために推察するだけの思いやりは持っている。そこで、白雲は身を乗出して言いました、
「うむ、そのこともあったっけな。許し難い奴だ、あのマドロスめ――もう一ぺん締めてやらなければ。よしよし、その方も拙者が引受けよう、七兵衛おやじの方といっしょに、ウスノロの奴も近いうちに見つけ出して、
「田山先生にあっちゃかないません」
昂奮しきった船頭も、白雲画伯がウスノロを捕えて引きずって来る時の光景を想像して、多少おかしくなったらしい。
そこで白雲は、駒井を促して言いました、
「駒井氏――では、そういうことに願いましょう、拙者ならば、旅には慣れているし、手形も持っている――ここまで来た以上は南部領へも足を踏み入れてみたい希望もある。この船の休養と修理の間を、拙者は右の通り一石……三鳥の
船の休養と修理のためにも、少なくとも約一二カ月はここに
「では……そういうことにお願いしますかな」
白雲一人に使命を託することが、粗放のようで、実は最も安全にして確実な方法だと思案したのでしょう。お松はムク犬と共に、ぜひ白雲先生のおともにと申し出たけれど、それはかえって辛抱する方がおたがいのためだということを説得されて、それが呑込めない子でもありませんでした。
かくて白雲は、例のいでたちを以て、その翌朝、ひとりこの船を立って、一石三鳥の目的のために出かけることに評議がまとまりました。
その出立の前に当って、賢明なるお松は、こういうことを思案しました――そんなこんなの出来事のために、自分の心に大きな悩みを持たせられているけれども、それよりも、こんなことのために、船長の意気を沈ませてはならないこと、船中の人々の気を腐らせてもいけないということ、だから、自分がまず誰よりもつとめて快活にして、船長をはじめ皆の気を引立てることにつとめなければならない。それには、ひとつこの人数を会して、陽気な慰安会を開いて、一つは田山先生の門出を祝し、一つは船中の意気を盛んにしようとの案を立て、それを駒井船長と白雲画伯とに申し出で、
この慰安会は船中の人だけに限らないで、せっかくのことに、この港に碇泊しているすべての船と、この港附近のあらゆる漁村に触れを廻して、参会観覧を許すということを提議して、お松が委員長で準備を進めました。
かくてその翌日――
果して当日の慰安会は、清澄の茂太郎の
田山白雲も覚束ない手つきで、手品を一席やりました。
登の乳母が三味線をひき、房州の船頭衆が唄いつ踊りつしました。
見物は船の甲板上にいっぱいに
それから、飛入りをうながすと、最初ははにかんでいたのが、一人やり二人やるうちに、勇気が出て、ところの名物の総ざらいがはじまったようなものです。
そこで、当日は臨時の大祭が行なわれたようなもので、船の人も楽しむと共に、土地の人々をも楽しませることができ、陽々たる和気がたなびいて、お松の考案は百%の効果をあげたという次第です。
二十四
かくてその翌日、田山白雲は一石三鳥の目的をもって、
しばしの旅のつもりではあるが、旅という気になってみると、またしても漂浪性の血が脈を立てて、一石三鳥の重任ある身でありながら、白雲悠々の旅心が動くに耐えないのです。
つまり、船に来てから人に逢ってみると里心がついて、この当座は、人間界の
だから、旅心といえば
原始の人類は遊牧の民でありました。彼等は食のあるところが住のあるところでしたから、漂浪がすなわちその生存のレールでありました。ですから、今日に至っても、人間をひとりで置けば、当然この原始性への逆転を見ないではおられません。ひとりで置けば人は漂浪に帰ります。そうして道徳的には一種の
石巻へ来て、ともかく、ここで一泊の上、一石三鳥の使命を再検討しなければならない自省心によって、白雲の漂浪性が取りとめられたようなもので、もしこのことなくば、白雲の今度の旅にも全く糸目というものがなく、このまま三日月の円くなり、明月の三日月になるまで、南部領あたりを巡っていたかも知れないのです。
石巻の港の、田代屋とある宿へ泊りを求めて、さて、第一次に
「絵図はあるかな、奥州一国の全図でもよし、この附近の郡村の地図でもよろしい、何でもいいから一つ貸してくれないか」
こう言って宿へ頼むと、
「うちには、いい絵図はござりませぬ――この間、お客様が置いてござった絵図が一枚ありましたはず、あれをごらんに入れましょうか」
「何でもいいから見せてくれ」
「持ってまいりましょう」
女の子が絵図を持って来た。それで見ると、仙台領の南の部分、松島から石巻、牡鹿半島の切絵図――あまり上手でない手つきで、棒を引いたり、書入れをしたりしてある。
「結構結構、少しの間、貸してくんな」
白雲は、その絵図を
そのうちに、絵図面の終りの方を見ると、同じ
「清澄村 茂太郎所持」
と書いてある。「おやおや、ここにも茂太郎がいたぜ、同じく清澄村の住人……」
田山白雲は、これを、先頃の笠島の道祖神の絵馬と思い合わせないわけにはゆきません。
思い合わせて見れば見るほど、あれと同じ人間の手になるのです。
そこで、また女中を呼んで、いったい、この絵図を置いて行ったお客様てのは、どんなお客様であったか――え、え、それは、これこれ
それこそ七兵衛おやじに
ああ、そう言えば、なるほど――何のこった、
急にその事を思いついた白雲は、番頭を呼んで、その由を申し入れてみると、番頭の言うには、確かにお預り申してあります――土蔵へ蔵いこんでございますから、只今、取り出してごらんに入れます。そうか――それはよかった。白雲はここで思いがけなく、房州で別れたわが子にめぐり会われるような喜びを感じました。
土蔵から、その財産を取り出して来てくれる間のこと、田山白雲は、地図を
追手というのは、七兵衛方面のことで、搦手というのは、ウスノロと兵部の娘の馳落方面のことをいう。この二つを、これからどう目当てをつけていいか、ここ石巻を策源地として手段方法を案じはじめたのです。
二十五
つらつら地図を按ずると、どうもなんとなく、第六感的に、北東部が気になってならない。ここから北東部といえば、北上川の支流にあたる
七兵衛の逃げた方面というのは、全然雲を
いずれにしても、円心はこちらにある、
その思案が定まった時分に、番頭が
「これ、これ――まず、これで安心」
白雲は、一応あらためてみて大安心をして、その荷物をまた一からげ、帰りまで更に保管を託して置くことにしました。
そうして、夜具をのべてもらい、枕に就くと女の子が、六枚屏風を持って来て、立て廻してくれました。六枚屏風は少し
そこで、枕について、それとなく立て廻された六枚屏風を見ると、それは月並のつく
「終 に道ふみたがへて、石の巻といふ湊 に出づ。こがね花咲くと詠みて奉りたる金花山、海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、竈 の煙たちつづけたり。思ひかけずかかる所にも来 れるかなと、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明す」
これを読んで田山白雲が、ははあ、「奥の細道」だな、「奥の細道」も、松島や平泉のところの名文は白雲はガラになく、しんみりと、こんなことを思いやって六枚屏風をながめているが、この六枚屏風には単にこれだけのことを記してあるのではない、なお、盛んに、あとからあとからとつぎ足しらしい筆蹟が続いているのである。
次のは片仮名文字入りで、
「潮流ト河流トノ関係デ、北上ノ河口ガ土砂デ塞ガツタ、北上ノ無尽蔵ナ水利ガ殆ンド無用ノ長物ニナツタ、石巻ノ衰ヘタ原因ハ如何 ニモ明白デアル、水ニ鮭 、鮪 ガアル、陸ニ石、糸ガアル、長十郎梨ガアル、雄勝ノ硯石 モアル、渡ノ波ノ塩ハ昔カラ名高イ物デアル、アタリノ禿山 ニ木ヲ植ヱ、荒蕪 ノ地ヲ開墾スルナド興スベキ産業ハ天然ノ景色ト相俟 ツテ有志ノ志ヲ待チツツアル、牡鹿唯一ノ都ハ無意味ニ廃頽 ニ帰スベキデハナイ、石巻恢復ノ策三ツアル」
と、版下でも書くようにかっきりと書いて、その下に「平五郎」と銘を打ってあるのは、つまり平五郎という人の石巻観を率直に述べたものらしい。その次に「野老庵小集」とあって、
風呂吹に酒一斗ある夜の会 木犀
風呂吹や尊き親に皿の味噌 其北
風呂吹を食へば蕎麦湯 をすすめ鳧 陽山
風呂吹の賛宏大になりにけり 平五郎
ここで句会を催した逸興であるらしいが、その次に、風呂吹や尊き親に皿の味噌 其北
風呂吹を食へば
風呂吹の賛宏大になりにけり 平五郎
芒鞋布韈路三千(芒鞋布韈 路三千)
追逐看山臨水縁(追逐 に山を看 、水縁に臨む)
唱出俳壇新韵鐸(俳壇に唱へ出す新韵 の鐸 )
声々喚起百年眠(声々に喚起す百年の眠り)
身在閑中不識閑(身は閑中に在つて閑を識らず)
朝躋鶴巓夕雲開(朝 に鶴巓 を躋 え夕 に雲開く)
瓠壺之腹縦摸筆(瓠壺 の腹に縦 に筆を摸 り)
収拾五十四郡山(収拾す五十四郡の山)
打見たところでは一律のようになっているが、二絶句である。この詩と句とによって考えると、平五郎という追逐看山臨水縁(
唱出俳壇新韵鐸(俳壇に唱へ出す
声々喚起百年眠(声々に喚起す百年の眠り)
身在閑中不識閑(身は閑中に在つて閑を識らず)
朝躋鶴巓夕雲開(
瓠壺之腹縦摸筆(
収拾五十四郡山(収拾す五十四郡の山)
白雲は屏風の余白へ何か書いてみたい気になりましたが、さて、お手前ものの絵を描く気になれませんでした。
何か字を書きたい、といったところで、その文字も
ゆく春や鳥啼 き魚の目はなみだ
と、ぶっつけ書きに、墨壺の水のゆるすだけを大きくなぐりつけて、そうしてその下に、魚と、鳥と、水と、木の枝とを描いて、ああこれでよしと心が落着き、ひとり感心しながら再び枕につきました。何の理由で、田山白雲が特にこの句を
それでようやく、白雲の即興の昂奮もどうやら鎮静して、そうして枕につくや、ぐっすりと熟睡に落ち込んでしまいました。
二十六
その翌日、白雲は漫然と結束して宿を立ち出でると、早くも北上川の
「ははア、これが北上川だな――」
白雲はここで初めて、北上川というものの印象を新たにしました。
北上川そのものを見ることは今にはじまったことではないのです。現に昨晩泊った石巻の港が、その北上川の河口にあるので、今日はまたその沿岸を
立って北上川及びその
感
今や北上川の渡頭の
「三代の栄耀 一睡の中 にして、大門 の跡は一里こなたに有り、秀衡 が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。先づ高館 にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川 は和泉 ヶ城 をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡 が旧跡は衣ヶ関を隔てて、南部口をさし堅め夷 をふせぐと見えたり。偖 も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢 となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまで泪 を落し侍 りぬ。
夏草やつはものどもが夢の跡」
これは、やはりこの土地の形勢によってうつされた文章でないことはわかり切っておりますが、白雲はどうしても、これをこの場で歌ってみたい気持になったのは、「まづ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川は和泉ヶ城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る」という気象がここでピタリと来たから、それでこの文章をここで高らかに吟じてみたくなったのでしょう。それは昨晩の屏風に、無性に「ゆく春や鳥啼き魚の目はなみだ」と書いてみたかった心持、時は、秋であるのに、夏草やつはものどもが夢の跡」
そうしてまた、北上川なるものの相がいかにも
こちらへ来る間にも、荒川だとか、大利根だとか、
キタカミの文字がヒタカミの
白雲はそうして、のぼせきって川をながめている間に、もともとこの地点は渡頭のことで、仙台から南部へ通ずる要路でありますから、いかに北地のこととはいえ、一人、二人、三人の旅人が川岸へ集まって来るのであります。
「なるほど……舟が出ない、拙者のように風景を食物として、心目を遊ばせている身とは違い、人生の必要あって旅程を急ぐ人にとっては、待たせられるのは長いものだ、待つ身はつらいものだ、なるほど、待たせるにしても、これはどうも少し待たせ過ぎるな、いくら北のハテの
と、舟を待つ人の不平に白雲はそろそろ共鳴したが、なるほど舟は川の下に見えるが、船頭がいない。
「オーイ、船頭どん」
「どしゃむしゃ船頭どん」
盛んに呼びたてているが、船頭が返事もしないのは、あの小屋の中にいないらしい。いないとすれば、ドコぞへすっぽかしたのか、そうでなければ向うの岸へ舟を渡して行って、向うからまた人をその舟へ乗せて渡るという段取りだろう。ははア、向うの岸にも船頭小屋があり、舟があるにはある。舟といえば、この渡しの舟の形はおかしい、
いったい、川舟と
白雲は、そんなことまで思い出していたが、まだ船頭の影も形も見えない。不平がようやく沸き上ってくる。いくら東北人は鈍重であるからといって、これではたまらなくなるのも道理だと考えました。
いったい船頭は、どこに何をしているのだ。こっちの岸の舟小屋にだって一人や二人いなければならないではないか。いないとすれば向うの小屋に何をしている。
悠々たる白雲も、ついに少し
二十七
この「遠眼鏡」をもって、田山白雲が対岸の渡頭の船頭小屋のあたりに照準を据えた時、不意に右の船頭小屋の後ろから雲つくばかりの大きな男が飛び出したのを認めました。
ははア、出たな、裏の方から出たな、出は出たが、今までの悠長さに引換えて、これはまた、すばしっこい飛び出し方だ、と
ところが、前に駈けて行く大男は、身体こそ
遠眼鏡で委細を見ていた田山[#「田山」は底本では「田代」]白雲は全く呆れてしまいました。いいかげん長い間お客をおっぽり出して、
「何してやがるんだ、人をさんざん待たせて置きながら、自分たちは勝手な芝居をしていやがら、フザけた船頭だ、なぐっちまえ」
江戸ッ児なら、こんなに言うでしょう。そうかと言って、ここからでは弥次も飛ばせず、退屈まぎれに事のなりゆきを遠目に眺め渡して、むだな
そのうちにむっくりはね起きたくだんの大男、もう立ち直ったと見ると、大変な馬力で両方からとりかかる大小二つの、たぶんこれは船頭親子であろうと見られるところの二つを、むしろ返り討の
それを見ると、田山白雲、急に気がついたことがあると見えて、心急いだ人が電話口でお辞儀をするように、遠眼鏡を一層深くのぞき込んで、
「ア! ウスノロ! うすのろだ、あいつだ……」
と、下にいる待合客のすべてがびっくりしたほどに一つの叫びを立ててしまいました。
事実、白雲が絶叫したのも無理がありません。そう思って見ると、ことに遠眼鏡という視力の飛道具を使用して見れば、いよいよそれはそれに相違ないことで、眼の玉の
このウスノロの力の強いことは、さすがの白雲も一時はタジタジとさせられた体験がある。なかなかかいなでの老人子供の手に合うものではない。ああして立て直して返り討の形になり、二人に悲鳴を挙げさせているのも無理のないところだが、それはそうとしてあいつをここで見ようとは思わなかった。もとよりあいつを探しに出た目的の旅ではあるが、こんなところで、あんなことをしているあいつを、こうして発見しようとは思わなかった。
何のためにあいつ、こんなことをしているのだ――それはわかっている! というのは、あのウスノロがこういうことをやり出すのは今に始まったことではない、あいつは本来がウスノロであって、ジゴマでもなければ、ギャングでもないのである。強盗殺人をしようの、詐欺横領をしようのというほどのたくらみはあいつには無いのだ。あいつが人を犯し、人から
今の事情が、またそれを証明させる。あいつ無闇に親船を
白雲以外の舟を待つ人々は、事の内情も、目色、毛色も一切わからないから、どちらへどう同情していいかわからないけれども、どちらにしても、あの格闘の幕が終るまでは、われわれは舟に乗れないのだと、半ばヤケ気味に
そのうちに、突きまくられ、追いまくられた船頭親子は、無残にも足を踏みすべらして、重なり合うように北上川の川の淵の中へ落ち込んでしまいました。
「アッ」
と、こちらの岸で見ていた一同が声をあげて、この無残な船頭親子のドン詰りに同情の叫びを挙げましたけれども、この不幸が、実はかえって力の弱い船頭親子には幸いでありました。というのは、力限り陸上で格闘を続けていた日には際限がない、際限がありとすれば、暴力に於て格段の差ある親子は、あの巨大な暴漢のために、徹底的に、致命的に叩き伏せられて、再び立つことができないようにまでさせられてしまうにきまっている。それが川という別管区域へ落ち込んでしまったために、相手はちょっと追窮の機会を失ったのだから、この二人の親子が水練を心得ている限り――船頭のことだから、むろんそのたしなみはあるに相違ない――また、何か水中に人を刺すような木石の類が存在していない限り、致命的の怪我からはまず
果して、追究された船頭親子が水中に落ち込んだのを機会に、むしろそれは落ち込んだというよりは、こちらが叩き込んだと見るのが至当な攻勢であったけれども、そこまで来ると、もうこれ以上働くことよりも、逃げることの急なのが自分の立場であるということにでも気のついた如く、
「やれやれ、これでどうやら一巻の終りになったが、かわいそうに、たたき込まれてお
と言って、待ちくたびらかされたこちらの旅人たちも、改めて同情の眼を以て見る瞬間に、早くも船頭親子は、落ち込んだところから十間ばかり上流へポカリと浮き出して、二人とも河原に立って、着物を絞りながら馬鹿な
やれやれ、これでまあ、こっちも助かった、船頭親子も怪我がない限り、おっつけ舟も廻って来るだろう、と旅人どもは、
こけつまろびつ走りつづけたウスノロが、ほどなく
「あれだ!」
白雲は、その者が兵部の娘もゆる嬢であることを直ちに認めました。
「ははあ、あいつら、こんなところに巣をくっていたのか、本来、ふやけた奴等ではあるが、それにしても水びたりになって隠れているのにも及ぶまいに、どこまでも変っている、どうするか見遁すことではないぞ」
と、見ているうちに、二つの影は
「ちぇッ、やっぱりあの水の中の蘆荻の蔭で二人がうじゃじゃけている、しようももようもない奴等だ」
白雲は、二人の没入した蘆荻の中を、苦笑いしながらなお眼鏡を
「ははア、よしきりじゃあるまいし、水の中にうじゃじゃけていたというわけでもない、奴等、舟をあの蔭につないで隠れていたのだな。そうして兵部の娘だけが舟に残っていて、ウスノロが食料品徴発と出かけたものなんだ。そうして、多少の食料にありついたから、これから
というようなことが気懸りになると、白雲も実際、対岸の火事の如く、対岸の駈落者を興味半分だけで見ているわけにはゆかないことに胸をうちました。
二十八
田山白雲が船を出て行った夕べ、駒井甚三郎は、ひとり静かに船室に落着くと、「人が出て行った」という感傷に堪えられない。
白雲が出て行ったのは戻るために出て行ったのである。七兵衛が帰って来ないのは帰りたくてたまらないのが帰れない事情に妨げられているということを、駒井はよく知っている。それだのに、人が去って行くという淋しい気持を、
マドロスと兵部の娘に至っては論外であるけれども、それですら、離れて出て行ってしまった人間には相違ない。彼等の放縦と、
古来英雄というものには、みな人を引きつける一つの力を備えている。憎まれながらも、恐れられながらも、人がそれについて行く。人がそれから離れられないという力があるものだ。
外へ出て見ると、月ノ浦の夜に月はありませんでしたけれども、至って静かなものです。遠く松島湾の方のいさり火を眺めて、駒井甚三郎は満面に触るる夜気を快しとしました。
船の修繕と、未完成の部分の工事、この地で大工に心あるものを雇いは雇ったが、どうも思うようにこちらの壺を呑込んでくれなくて困る。人手に不足はなく、みんなよく働くけれども、本来、こういう船の工事を扱う手心が出来ていないのだから仕方がない。明日はまたひとつ鍛冶屋を探し求めなければならない。機関部の工事を補足をするために、この辺から鍛冶屋を求め出して来なければならない。それはあるだろう、本当の鍛冶屋は探せば出てくるに相違ないが、それを
「あのマドロスの奴がいれば、こういう時には全く役に立つ」
やっぱり未練のような思いが残るらしい。
その時に、船室の一方から唄が流れ出して来ました。
ネン、ネン、ネン
ネン、ネン、ネンヨ
ネンネのお守はどこへいた
南条おさだへ魚 買いに
チーカロンドン
パツカロンドン
ツアン
「茂だな、茂太郎歌い出したな、珍妙な子守唄を」ネン、ネン、ネンヨ
ネンネのお守はどこへいた
南条おさだへ
チーカロンドン
パツカロンドン
ツアン
と甚三郎が思い出していると、キャッキャッと言ってよろこぶ男の子の声が続いてしました。これは申すまでもなく登。
そうするとまた、茂太郎の声で、
ちょうち、ちょうち、ばア
ちょうち、ちょうち、ばア
うつむてんてん、ばア
かいぐり、かいぐり、ばア
ととのめ、ととのめ、ばア
その度毎にキャッキャッとよろこび笑う登、登を笑わせていよいよはしゃぐ茂太郎。こんどはどうしたのか、登がワーッと泣き出す。ちょうち、ちょうち、ばア
うつむてんてん、ばア
かいぐり、かいぐり、ばア
ととのめ、ととのめ、ばア
「そら、茂ちゃん、だからいけません、あんまりしつっこいから、とうとうお泣かせ申してしまいました」
と叱るのはばあやの声。
「いいよ、いいよ、お泣かせ申したって、また、あたいが笑わせてあげるから、いいじゃないか。さあ、登さん、ごらん、あたいが踊ってあげるから、ばア」
それは茂太郎の声。登も御機嫌がなおったと見えて泣きやんでいると、茂太郎の
うんとことっちゃん
やっとこな
そうれつらつらおもんみれば……
そこで、登といわず、ばあやといわず、一同がやんやとやっとこな
そうれつらつらおもんみれば……
そこで駒井も、自分もひとつその船室へ入り込んで見ようという気にまでなったが、かえって一同を驚かせて、せっかくの興を
二十九
それから駒井甚三郎は、歩廊の間を歩いて、コック部屋のところへ来ると、ここで
普通ならば、どちらからか言葉をかけなければならないのですが、ここではそうする必要もなく、開けて見ると室の真中に
駒井が入って来たのに驚きもしないのは、それは、全然気がつかないであちら向きにつっぷしているからであります。といっても、そこで熟睡に落ちているわけでも、居眠りをしているわけでもありませんでした。金椎は
その光景を見ると、駒井は何か知らん厳粛沈痛なるものの気分に打たれて、突立ってしまいました。駒井は、金椎がこうして密室の中に、ひとり深い唸りを立てている光景を見たのは、今宵にはじまったことではないのです。駒井がどうかして不意に金椎の室内を訪れた時、こういった光景を見て、最初は病気に苦しんでいるのだと思いましたが、後にはそうでないことを知りました。
つまり、この
今もまたその通りです――しかし、駒井甚三郎がこうしてその少年の祈りを見ているが、今宵の少年の祈りは、いよいよ厳粛に、深刻に進み行くかのように、
祈りの聾少年は、船長の入って来たことも知らず、立去ったことも知らなかったでしょう。そしてこの分では、何か夜もすがらの祈りが続くかもしれない。
そこを忍びやかに立ち出でた駒井甚三郎は、次に、事務長室のところまで来て、また歩みを止めてコトコトと扉を打ちますと、こんどは明瞭な返事がありました。
「どなた?」
「駒井です」
「おお船長さま」
中にいたのはお松です。お松は事務長室の
「何ですか、この本は」
「この間、殿様からかしていただいた御本でございます」
「おお、
「まことに結構な御本でございます、今までこんなおもしろい、為めになる御本を読んだことがございません。あんまり結構でございますから、つい、登様の御機嫌を伺いに行くのも忘れて、今まで夢中に拝見いたしたところでございます」
「そうでしょう、それはたしかに面白くてためになる本、わしも感心して読みました」
「もとは西洋の御本だそうでございますから、わたしはまた金椎さんの大事にしておいでなさる、西洋のお寺のお経の御本かと思いましたら、そうではございませんでした」
「中身はお
「ほんとうに左様でございます、
「それに元は西洋の本でも、翻訳がなかなか名文だから、いっそう読み心地がよい。どこまで読みました」
「はい、ここまで拝見しましたが」
と言ってお松は、
「ははア――」
と駒井が、それに眼を落したところに、次の如き文字が見える。
「狼と子を持った女のこと」
「それから殿様、この少し前のところに、私としても、少し不審なことがございます」と言って、お松は、十枚ばかり後ろへ紙数を繰り返したところの書物の上を指すと、そこには、
「父と子どものこと」
駒井が示されたまま黙読すると、次のように書いてある。
「ある父、子を大勢もったが、その子供の仲が不和で、ややもすれば喧嘩口論をして犇 めくによって、その父、なにとぞしてこれらが仲を一味させたいといろいろ工 めども、為 うずるようもなかったが、あるとき児ども一処 に集まりいたとき、父下人 を召 うで、『樹の楚 をあまた束 ねて持ってこい』というて、その束 を執って、数多 を一つにして縄をもって思うさま堅う巻きたてて子どもに渡いて『これを折れ』という、児共われもわれもと力を尽して折ってみれども、すこしも叶わなんだ、そのとき父堅く巻きたてしをほどき、一把 ずつ面々に渡いたれば、造作もなく折った、それをみて父のいうは、『めんめんもそのごとく、一人 ずつの力は弱くとも、たがいにじゅっこんし、志を合わするにおいては、なにとした敵にも左右 無うとり拉 がるることあるまじいぞ……』と言い終った。
下心
互いの一味をもって人間の仲も強く、また不和なときは国家も滅びやすいという義じゃ」
駒井甚三郎がこの互いの一味をもって人間の仲も強く、また不和なときは国家も滅びやすいという義じゃ」
「このお話はどうも、わたくしが子供の時に聞いた
駒井がそれを聞いて、
「なるほど、そう思われるのも決して無理はないが、事実はそうではないのだ。いったい、この伊蘇保の物語というのは、今から二千年も前に出来た本なのだから、毛利元就の時代より遥かに遠い。だから疑えば毛利元就のあの三人の子供に弓の矢を折らせたという物語は、かえってこの物語から出たつくり話ではないかと疑うのが当然なのである。しかし、もう少し同情した考えようによると、日本でこの本がはじめて翻訳されたのは文禄三年ということだが、それ以前に日本へ来た宣教師や外人によって、なんらかたとえ話となって日本人の口に
「そういう順序でございましょうか。なんにしても大へん結構なお話で、偉い父親ならば、きっと利用しそうなお話でございます」
それから、駒井は、そう解釈するのが親切であって、たとえ話などというものは、本にまとまって出るずっと以前に、必ず口頭で伝えられてなければならないはずのもの、現にこの
「殿様、こんなに結構な御本ですけれども、ただ一カ所、ほんとうになさけないと思うことがございます」
「それは何です」
「イソホさまが、養子に御教訓なさる言葉のうちに、『妻に心を許すな、平生、意見を加えい、すべて女は弱いによって、悪には入り
「うむ、全部がそうというわけでもなかろうが――」
と言って、駒井は肯定するような、しないような返事をしました。あさましい女もあれば、たとえばお松さんのような、立派な強い素質を持った女性もある――とでも言えば言いたかったのでしょうが、そうも言わないでいると、お松が、
「それから殿様、わたくしは申し上げに出ようと思っていたところでございますが、ただいま船の修理に来ておいでなさる人たちの中に、珍しい人が一人おりますのでございます」
「それは、どういう人ですか」
「この近辺の人ですが、日本でははじめて、この世界中を一巡りして来た人の仲間のうちの一人だそうでございます、世界の国々を
「ははア、それは耳寄りな話だ」
と言って、駒井甚三郎はわれながらはずむほどに身を乗出したというのは、今もいままで思いなやんでいた当座の問題――かけがえのない船の
「そういう人がいるなら、早速会ってみたい、どこにいます」
「お船の船頭部屋に泊り込んで、毎日、修繕仕事を手伝わせていただいております」
「今晩もいますか」
「はい、宵のうちは
「では、直ぐにここへ呼んでもらえまいか」
「今晩お会い下さいますか」
「早い方がよい、今すぐにここへ呼んで来て下さい、ここでひとつ、会いましょう」
「では行ってまいります」
お松があたふたと出て行ったその後で、駒井甚三郎は、なんだか胸が躍るように思いました。が、また思い返してみると、それはあんまりお
こう気構えしていると、やがてお松が手を
三十
待ち
「ははア、君はいったい幾つなのですか」
と、とりあえず年を尋ねることが先になってしまったことほど、この当人は年寄中のヨボヨボでありました。遠洋航海ということから、マドロスの海風に吹き鍛えられた皮膚の色、図抜けて張り切った若い体格、そればっかり頭にあった駒井は、目の前にこのヨボヨボ老人を見せつけられて、やっとそれだけの文句しか出なかったものです。
しかし尋ねられた老人は、駒井にそんな思惑外れがあろうとは思われないから、抜からぬ顔で、
「はいはい、今年八十六でございます」
「八十六!」
で、駒井が全く苦笑いを抑えることができませんでしたが、でも、サラリと打解けて、
「そうですか、よくその年で達者に働けますね。そうして、君が世界中を廻って来たというのは、それは幾つくらいの時のことでしたか」
「え」
と言って、もじもじしたのは耳が少し遠いものらしい。八十六では耳の少し遠いくらいは無理はない、と思っていると、お松が代って、大きな声をして、
「おじいさん、あなたが異国を巡ってお歩きになったのは、幾つの時でしたかと殿様がお尋ねになります」
「はあ、わしが流されたのですか、それは寛政五年十一月のことでございましてな」
「寛政五年」
といって、駒井は
と、また
「お松さん、金椎君は今、例によってお祈りでもしているらしい、それを妨げてはいけないから、あなたひとつ、茶菓の用意をして下さい、今晩ひとつ、このお爺さんから海の話を聞かせてもらいましょう、ゆっくりと」
お松は心得て、
「承知いたしました」
といって出て行ったが、暫くして茶菓の用意をととのえて持って来ました。
そこで駒井甚三郎は、老人を相手に、その昔経験した漂流談を、お松と二人がかりで聴き取りにかかります。何しても耳が遠いし、年は寄っているし、記憶ももう散逸している部分も多いし、言葉も大分ちがいますから、もどかしいことはこの上なしですけれども、それでも相当の収穫が与えられないということはありません。少なくともこの老人が、日本人としては最初に世界を一周して来たところの漂流者の中の一人であるということは疑いがありません。
時は寛政五年十一月、石巻の船頭で、平兵衛、巳之助、清蔵、初三郎、善六郎、市五郎、
その島の島人のなさけでとどまること一年ばかり、穀物は無く、魚類のみを食べていた。
七年四月三日にまた船に乗って島々を過ぎ、陸地を渡り、エリカウツカというところに着いて、総勢一家を借りてすみ、住民の情けにめぐまれ、或いは日雇となって働いて賃銀を得ること八年、その後モスコーを経て、ロシアの港ビゼリポルガというところで皇帝に
ここで皇帝から帰るものは帰るべし、とどまろうとするものはとどまるも差支えなしとの仰せによって、四人は帰り、六人はとどまることになった、その帰国四人のうちの一人が、すなわちここにいる老人である。
かくて文化元年正月、かの地を発船し、マルゲシ、サンベイッケ等を経て、七月の初めカムシカツカに着き、翌月発船して九月長崎に帰る――
という物語。それを繰返し、引集めて要領をとってみると、まずロシアの地に漂着し、そこで大部分を暮し、それからシベリアを経てウラル山脈を越え、モスコーを経てペテレスブルグに至って、ロシア皇帝に謁見し、公使レサノットに従ってカナシタの港を出て、大西洋を経、アメリカのエカテンナというところへ行き、それから、サンドーイッチ島を過ぎてカムチャツカに入り、長崎に帰るという順路、寛政五年から十三年目で故国へ帰ったという筋道だけは分る。
右の話のうちにも、地名だの、方角だの、ずいぶん混線したり、聞き馴れないところが多いが、それでも地理の素養の深い駒井には、よく要領を受取ることができました。
なおくわしくは、明日自分の船長室へ連れて来て、地図についてくわしく問い
三十一
根岸の屋敷で、神尾主膳が日脚の高くなった時分に起きあがり、
「ああ、昨夜もあの女は帰らなかったな」
とつぶやきました。
あの女というのはお絹のことです。お絹は昨夜もこの家へ帰らなかったのです。昨夜もという以上は、帰らないのは昨夜に限ったことではない、このごろは、度々そういうことがあると認められる。事実も、その通りで、つづいて神尾が楊子を使いながら勝手元で横文字のはいった赤い
「あいつ、また異人館か」
それもその通り、このごろのお絹は、異人館へ入りびたりの
神尾としては、今となってはもう、かくべつ気にもしないらしい。いちいち気にしていた日には際限がないとあきらめているようでもあるし、異人館なるが故に寝泊りを黙許しているだけの、情実でもあるかのようにも見られる。
洗面も食事も済むと、神尾は書斎へ立てこもりました。
いつもは、ここで、閑居しての唯一の善事としての書道を試むるのですが、今日は、筆を選ぶことはあと廻しにして、まず、机に
庭の八ツ手の下を小鳥が歩いているのを、暫くぼんやりと見つめていたが、今度は、腮を受けていた両掌を
「さあ、今日からひとつ、著作にとりかかってやろう」
暫くあって、むっくと頭を上げて、
いつもならば、こんな細筆を選ぶということはない。細筆をとる時は、何か実用あっての例外の場合のみであって、朝は木軸の大筆に、まずたっぷりと水を含ませることを楽しんでいたのですが、今日は、いきなり細筆を選んで、「ひとつ著作にとりかかる」とかけ声をしたところを見ると、筆の使用も、目途も、従来とは違い、
神尾主膳は著作をすべからざるものだときめてしまう理由はない。この男が著作をする、それはやっぱり似つかわしからぬところの一つのものではあるが――現に旗本や御家人で、絵師や
下へ
「女
と、二三度、口のうちでつぶやきながら、筆の進行をすすめて思案の
「女賢シウシテ牛売リ損ネル……」
彼は、今、再三それを繰返して、
「はて、この故事来歴の出典は、どこであったかしら」
思案の種はそれでした。
「女賢シウシテ牛売リ損ネル」という
この語の表現する意味は、女というものは、賢いようでも抜かりがある、いや、女の賢いのは、賢いほど仕損じがあるものだ、だから女の賢いのは危ない、女を賢がらせてはいけない――という
「曲亭の
と言ってみたが、あいにく、ここにはその燕石雑志もない、三才
「明日あたり、市中の本屋をあさってみよう」
そこで筆をさし置いて、また庭の面をぼんやりとながめていました。
その時に、微風が吹いて来て、机の上を
神尾が、あわててそれを抑えにかかった手先から
ははあ、著作といったのは、身の上を書いているのだな、しおらしくも、神尾主膳が自分の「半生記」の懺悔録でも書き残して置きたいという了見になったと見える。
それに相違ない、神尾の著作といったのは、かねてよりの宿望で、自分の父祖から、わが身の今日までの自叙伝を一つ書いて置きたいという、その希望が今日になって実現しかけたというわけなのです。そうして、書き進んで、神尾は自分の母のことを書く段取りになりました。母のことを思い出して書いて行くうちに、右の「女
そこで神尾は、筆に現わすべき進行をやめて、その代りを頭の中に再現させ、自分の母というものの
神尾主膳の母――
それが当人の頭の中での主題となっているのであります。外で見ては、ちっともわからないけれど、神尾の頭の中では、幼少の時代の自分と母との世界が、まざまざと展開している。母を想像する裏には、どうしても父というものが浮んで来なければならぬ。
自分の父というものは、ぐうたらで、のんだくれで、のぼせ者で、人から
少なくとも、母がそれほどの賢婦人であったなら、この現在のおれというものを、こんなに仕立てないでも済んだのではないか。
わが母の賢婦説は再吟味の必要がある。父のぐうたらは検討の余地なしとしても、わが母というものの世間相場は、改定される必要はないか。
神尾は、今それをつくづく思い返している。
世間の人はその当時、言った、神尾の家は奥方で持っているのだ、主人は論外だが、奥方がしっかりしているから、それで持っているのだ――これが世間の定評になっていたのに、当人の母は、また唯一のあととり息子たるまだ
「神尾の家は、お前が起すのですよ、お父さんは駄目だから、お前が立派な人になって、見返してやるようにしなければなりません」
これが母の口癖であった。
だから、自分も、父というものは駄目なものだ、父というものは厄介者だ、自分たちの名誉を害し、生活を動揺させる以外の存在物ではあり得ないものだ、父に代って、世間を見返してやるというのが、自分の将来の仕事でなければならない、という意味での教育をされて来たのだ。それでも、少年時代は父を軽蔑するまでには至らなかったが、父の存在というものを無視すべきことは教えられていた。
そうしてまた、父の生活ぶりそのものが、ちょうど母の教えるように、自分にはみなされて来ると、そのだらしのないところが目につき、青年時代の初期から、何かにつけて父を軽蔑しだして来たのだ。そうすると、父が時としては烈火の如く
父の評判はますます悪くなる、それに反比例して母の人気はよくなる、神尾家は主人はぐうたらだが、奥方がしっかりしているので持っている――その
母は、もとより父のように品行上の欠点はなかった。品行上の欠陥がないということは、世間的には、すべての性格的の欠陥を帳消しするのと同じ理由で、品行上に
母が、世間に言われているような賢婦人だったら、父をあんなにはしていなかったのではないか。よし、父を救うことが絶望だとしても、自分をこんなにしてしまうまでのことはなかったのではないか。
自分は、今となって、母の再吟味に続いて、多くの
女が第一線に立つことは、よかれ
見給え、あれがこのごろ調子づいていることを。七兵衛から金銀を捲上げて、この生活にゆとりを見せたのも、自分の手柄だとしている。
異人館へ出入りして、外人をひっかけて、何か物にしようというたくらみをいっぱしの
主膳は、そこまで考えると、あのお絹という女と、自分の母とがその当時、どういうおもわくの下に生きていたかを知りたい気持になりました。父の正妻であったわが実の母と、父のお手かけであった今のあのお絹とが、根本から異なった性格の下に、表面
その時分に、庭先へ、また例の
三十二
男の子と、女の子と、入り乱れてキャッキャッと遊ぶ子供の肉声を聞くと、神尾主膳の血が物狂わしくなりました。
浅ましいことの限りに、主膳は、子供の声を聞いてその童心に触れることができません。いかに性悪な人も、おさな児の姿に天国の面影を見ない者はないはずですが、悲しい
あのことというのは、先頃までよく遊びに来ていた、大柄な、少し低能な、そのくせ色情だけは成人なみに発達している、よしんベエのこと。吉原遊びをするから、お前おいらんになって、廻しをお取りといえば、直ぐにその
友達が売られたのを、お
そうして、あちらこちらと部屋中をかき廻して、その最後が戸棚を引きあけると、その中をがらがらひっかき廻し、そうして見つけ出したのが、多分、西洋酒の一リットル入りばかりの
これは何という種類の酒だか主膳は知らないが、黄色い液体がまだ六分目ほど入っている。その四分目ほどは、先日、お絹から振舞われた覚えがある。その残りの部分をお絹から壜を取り上げられて、「もう、いけません、お預けですよ、このお酒は強いから、毎日、このくらいずつ、わたしがくぎって飲ませて上げます」と
「カッ!」
と口と
しかし、いくら強くても酒は酒に相違ない。毒物でないということは、主膳の経験に於ても、強いながら口当りにもわかるものですから、二口目はやや注意して、そろりそろりと飲みました。
そうして、この何というかわからない強烈な酒の残り六分ほどを主膳が、そろりそろりと
「ははあ、こいつ、お絹のやつが異人からせしめたのだな」
と言って、くりひろげる途端、思わず自分の
肌のすてきに美しい裸女が一人、一糸もかけずに
神尾が三つの眼で、一ぺん叩きつけた鏡の裏絵を見つめました。
「
と言いながら主膳は、畳の上の鏡の裏絵の裸体美人へ、自分の鼻先をこすりつけるほどに持って来て、香いをかぐかのようにながめ入りました。
「ちぇッ」
実際、腹の立つほどうまく描けていやがる、肉がそのまま浮いて出ている、肌の光沢が生き写しになっていやがる、それに、この
日本の女なんぞは、どんなに恥知らずだって、自分の姿を、裸にして描かせて売らせる奴はない。また、どんな堕落した絵かきだって、女の丸裸物を描いて市中へ売ろうなんぞということはしない。また、たとい売女遊女にしても、色は売るけれども、裸になった姿を描かせるような奴はまだ一人もいない――毛唐はそれを平気でやる。
毛唐は獣なのだ。だから、女を可愛がるにしても、イキな身なりや、すっきりした姿を可愛がるんじゃない。女を買うにしても、裸にしなけりゃ満足ができないのだ。遊ぶにしたところで、
主膳はこう言って、三眼
そう思ってくると、その笑い方が、からかい気味になったり、思わせぶりになったり、いやがらせ気味になったりして、主膳をなぶって来る。
「ちぇッ」
主膳の三ツ眼はクルクルとして、その絵の傍へもう一つの幻影をこしらえて、それを燃ゆるような眼で
在来の鏡台にかかった日本の鉄製の磨かれた丸鏡と、舶来の四角なガラス鏡とが発止とかみ合って火花を散しました。しかし、どちらがどれだけ損害の程度が大きかったかということなんぞに頓着もない主膳は、それから自分の部屋へ走り戻ると、急いで衣服を改め、わななくような手つきで足袋をはき、紙入を懐中へ押しこみ、それから大小をさし込み、
その後ろ姿を見ると、ふらふらとして、まさしく物につかれたような姿で、どうかすると、机竜之助がこんな姿で人を斬りに出かけることがある。
その後ろ姿を、庭に遊んでいた子供たちがきわどいところで認め、
「あれ、殿様が、どっかいらっしゃるよ、わたしたちにはだまってさ」
「ああ、三ツ
「こっそりとね――おかしいわね」
「きっと吉原へ行くんだよ」
「そうだわ」
「そうに違いないよ」
「頭巾をかぶってさ」
「吉原よ」
「吉原たんぼは水たんぼ」
「吉原へ何しに行くの?」
「きまってるじゃないか、お女郎買いにさ」
「あ、そうだ、よしんベエを買いに行くんだろう」
「そうなんだね」
「そうよ」
「そうにきまってるよ」
「憎らしい殿様、ビビ――」
と女の子の一人が、眼をむいて、主膳の後ろ姿に向って唇を突き出すと、
「ビビ――」
寄っていた子供たちが、すべて、出て行った神尾の後ろ姿に向って、眼口を突き出しました。
こうして、屋敷の裏門を出た神尾主膳は、子供たちの想像するように、必ずしも吉原へ行くものとは受取れない。
根岸の里をふらつき出した神尾主膳は、どこをどう踏んでいるのだか、自分でもよくわかってはいないらしい。ふらふらふらと、人通りのないところ、或いは人通りの
「駕籠屋、築地の異人館まで急いでくれ、異人館、知っているだろう、赤髯の巣だ、毛唐が肉を食っているところだ、行け行け、異人館へ乗りこめ――
やがて威勢のいい駕籠の揺れっぷりで、神尾主膳の身はかつがれて宙を飛んで行く。
その行先は、もうわかっている、すなわち築地の異人館。