一
今日の小春日和、山科の光仙林から、
信仰と、正義と、懐疑とが、袖をつらねて行くことであります。本来は、まず懐疑があって、次に正義が見出され、最後に信仰に到達するというのが順序でありますけれども、ここではそれが逆になって、懐疑が本体になって、正義と信仰とが
信仰がまず正義を呼んで言いました、
「ねえ、友さん、しっかりしなくっちゃいけないよ」
「うん」
ここで、まず、信仰と正義との受け渡しがありました。
女がまず口を開いて、男がこれに応じたこと古事記の本文と変りはありません。だが、ここでは巻直しにならないで、女の方があくまで押しが強い。
「お前という人は、正直は正直なんだが、信心ごころというものがありません、人間、正直はいいけれども、正直ばかりじゃ世に立てないよ、信心だね、人間のことは神様仏様がお見通しなんだから、神様仏様を御信心をして、それからの話なんですよ、今日はお前、お嬢様が御信心ごころでおいでになるんだから」
ここまで教訓した信仰の鼓吹者は別人ならず、江戸の両国の
宇治山田の米友は正義の
「わたしは信心者ではありません」
とまず、おごそかに否定をしたのは、逆三位の本体たる懐疑者の声明としては至当の声明であります。
「わたしは、神様も仏様も信じません、では何を信ずるかと言えば、まあ自分を信ずるというほかはないでしょう、だが、その自分も信じきれないのでね、何を信じていいかわからないんですよ」
覆面をして、背たけのすらりとした美人、姿だけを見て言う、お銀様です。否定された信仰者はあえて動揺もしないで、直々に受取って、
「わからないでする信心が本当の信心で、わかってする信心は本当の信心じゃないって、伝道師さんがおっしゃいました」
「そんなことがあるものですか」
信仰者が、逆らわずに
「そんなばかなことがあるものですか、わからないで何の信心ができますか、物の道理がわかって、はじめて信心をする気になるのでしょう、わからないものを信ぜよと言って、信ずることができますか」
「いいえ、お嬢様、そこのところが……そこのところが、その何なんです……」
何か相当の
「いいんですよ、親方のは親方のでいいんですよ、お前さんは信心者なんだから、それでいいのよ、
ここに至って、女軽業の親方はグウの音が出ませんでした。相手から逆十字がらみに抑え込まれたのですから、抗弁の仕様もなく、さりとて納得しきるには頭が足りない。こうして女軽業の親方は、いつもこの暴女王ばっかりが
なるほど、お角さんという人は、信心者は信心者に相違ないけれども、その信心たるや、あまりに広汎にして色盲に近く、その祈念たるや、あまりに現実的にして取引に近いだけのものです。それは熱田神宮へ参詣して、そっと茶店の女中に耳打ちして、「この神様は何にきく神様なの」とたずねて女中を面喰わしたことでもわかります。ドコの
二
かくて、この三位一体は、山科から
お角さんは、称して、お嬢様は御信心のために醍醐へいらっしゃるのだと言う。御当人は、それを排して、わたしが醍醐へ行くのは信心のためではありませんと言いきったが、それでは信仰以外の何の目的を以て行くのか、それは言いません。さりとて、今はその時でないから、醍醐までお花見と言ってもそれは成り立ちません。単純に散歩の気分ならば、なにも特に醍醐を指定する理由もなかろうと思われるけれども、それを問いただすことをしないのが、お角さんの気象でもあり、信心者の大らかさでもあり、且つまた、この暴女王をあしらいの
しかし、本来を言えば、お嬢様の醍醐をたずねる目的は、三宝院の庭と絵とを見んがためでありました。
それをそそのかしたのは不破の関守氏でありまして、関守氏は、つい昨晩、お銀様に向って、こんなことを言いました――
「醍醐の三宝院へ参詣してごらんなさいませ、あそこの庭が名作でございます、しかし、庭よりもなお、その道の人を驚かすのは、国宝の絵画彫刻でございまして、その絵画の数々あるうちに、ことに異彩を極めたのは
こう言って説き立てたものですから、お銀様が、その明日という日に、この通り醍醐詣でとなった始末であります。随行に選ばれたのはお角と米友、これは不破の関守氏の当然の見立てでもあり、本人たちも納得したところであります。
山科から醍醐までは下り
三
お銀様とお角さんが三宝院のお庭拝見をしている間、米友は門前の石橋の
「
と、いったい、
「兄い、どうだ、行く気ぁねえか、いい銭になるぜ、洛北の岩倉村に
同じようなことを繰返して、今度は、ひたと自分の眼の前へ足を踏みつけて突立ち止っての
「おあいにくさまだよ」
と米友が言いました。
「おあいにくさま、いやはや」
と、けったいな男は苦笑いをしたが、それで思い止まるとは見えない、ニヤリニヤリと笑いながら、米友の前におっかぶさるような姿勢になって、
「そんなお
「やばねえよ」
「やびなよ」
「やばねえてばなあ、しつこい野郎だなあ」
ここで、やべとやばぬの押問答になりましたが、やべというのは「歩め」或いは「歩べ」という急調な
「二貫やるぜ、二貫――洛北の岩倉村まで二貫はいい日当だろう」
「お気の毒だがな、おいらあ主人持ちだ、こうして、ここで、ひとりぽっちで、つまらねえ
米友として、珍しく理解を言って、おだやかに断わりました。
これほどまでに理解を言って聞かせたら、いかにしつっこい野郎とても、そのうえ
先方の動静を見ると、この男を狼狽せしむるような、なんらの体勢を示しているのではない。いわば先方は、こちらに、けったい
「危ねえ――」
と叫んだのは、けったいな野郎でなく、米友の声でありました。
四
「危ねえ――」
これは米友が叫びました。全くあぶないのです、五升袋へ詰めた銭を、まともに頭からブッつけられた日には、たいていの面はつぶれてしまう。米友なればこそ
目標の笠は、ほどなく米友の前へ、ずっしずっしと通りかかりましたけれど、何の騒がぬ面色、足どりで、そのうちの一人が、チラと米友を横目に見ただけで、その前を素通りしてしまったのですから、けったいとも言わず、
宇治山田の米友は、しばしそれを見送っていたが、二三子の姿は三宝院の
時が経つうちに、米友もようやく退屈を感じ出してきました。退屈を感じはじめると、この男は生来短気なのです。短気が
「やっけえなものを置いて行きやがったな」
試みに、草むらの中へ分け入って、その袋に
かくて、この金袋を抱き起してみたが、さてこれからの処分法が問題です。
実は問題でもなんでもありようはずはない。およそ、盗難や遺失物は交番へ届けさえすれば、それで済むことなのです。当時まだ交番が出来ていない、出来ているとしても、その近所にないというならば、これに代る一時の手段はいくらもあるべきはずなのです。これを米友が、重大なる問題かの如く悩み出すのも、この男に限って、交番へ届けるという簡単な手続を、極めておっくうがる理由があるようであります。
届ける分には何もおっくうはないが、届けた後には必ず住所姓名を問われるにきまっている、その住所姓名を問われるということが、今日のこの男にとっては苦手なのです。
彼は、自分で自分を隠さなければならぬ不正直さはどこにも持っていない。また自分で自分を
そうかといって、一身の危険を回避せんがために、公道の
かくて、五升袋の銭塊を前にして、米友が、とつおいつと思案に暮れました。
五
宇治山田の米友が、門前に於て、かくばかり当惑している時に、お銀様とお角さんとは、三宝院のお庭拝見をしておりました。
二人の
というのは、この小坊主が、別人ならぬ宇治山田の米友に生きうつしなのです。違うところは、米友よりも年まわりが一まわりも違うかと思われるほどの幼年ですから、背丈も、本来高くもあらぬあの男をまた一けた低くしたようなもので、これが友しゅうの弟でなかったら、世に米友の弟はないと思われるばかりです。
そこで、お銀様とお角さんが、思わず眼と眼を見合わせてうなずいたのは、二人ともに、ぴったりと観るところが一致したので――これは一致しないわけにはゆきません、一致もこの程度になると、
「よく
「よく肖ているわねえ」
言語に発して、しかして後、呼吸を合わせる程度のものではなかったのです。昭和現代の支那事変のつい近ごろ、日本で、ある映画会社がフィルムに製造すべく、かの憎むべき
もし、ところがこうしたところでなかったら、お角親方は、
こう言って、親方まる出しのけたたましい叫び声を立てて、権柄で友を呼び込んで、否も応も言わさず、兄弟名乗りをさせたかも知れません。しかし、ここはところがらですから遠慮をしました。ところがらをわきまえて遠慮のたしなみがあるところが、さすが女親方の取柄で、本来自分が字学が出来ないし、身分に引け目があるところから、場所柄によっては必要以上におびえ込み、謙遜以上に謙遜してしまうことが、この女性の美徳といえば美徳の一つでありますことがまた、ここでけたたましい叫びを立てなかった一つの理由なのであります。
そこで、二人がうなずき合っただけで、この奇遇的小坊主の案内を受けて、玄関から
本人よりもよく米友に
「まあ、お嬢様!」
と今度は音に立てて、さしもの親方が、オゾケを振って一時立ちすくんだのは無理もありません。暴女王でさえが覆面の間から鋭い眼をして、この小坊主の
世に遺伝ということはあって、子が親に似ているのは当然中の当然。その子の弟が、兄に似ていることも当然中の当然。親が頭がいいから、子も頭がいいというのも不合理ではない。子の体格のいいのは、親の譲りものというのも無理はないし、悪いのになると、悪疾の遺伝、悪癖の遺伝までも肯定されるが、跛足が遺伝するということは、あまり聞かないことです。
親が跛足であったから子が跛足、兄貴が跛足だから、弟の跛足に不足はないということは言えないのです。賢愚と、不肖と、性格と、体格には、遺伝があり得るけれども、怪我というものは後天的なものだから、兄貴が負傷して跛足になったからとて、弟まで怪我をして跛足になり得るという遺伝はないのです。
おっちょこちょいと
おっちょこちょいが
夫婦になれば
出来たその子が
また、おっちょこちょい
これは、ふざけたような口合い唄でありますけれども、また一面の真理たるを失わない。おっちょこちょいが
夫婦になれば
出来たその子が
また、おっちょこちょい
おっちょこちょいの
腕の喜三郎親分(前の政友会総裁鈴木喜三郎氏のことではない)は、兄貴が喧嘩で片腕を失ったから、おれも両腕があっては面白くねえと言って、自分で自分の片腕を切り落して、兄貴と同格になったという特例はあるが、あれは遊侠のする気負いです。これは運命の
六
だが、お角さんとても、驚くべきものは驚きもするけれども、驚いてそうして、度を失うお角さんではありません。直ちに平常心を取戻して、案内役の小坊主を、ちょっと杉戸の蔭に小手招きして、耳うちをしました、
「兄さん、御苦労さま、あのね、わたしのお連れのあのお方はね、少しわけがあって、お怪我をしていらっしゃるんだから、あの通りかぶり物を取りません、ね、それを承知してね」
と言って、その途端に、ふところ紙でおひねりを一つこしらえて、この小坊主に持たせようとしました。
これは、お角さんとしては常識の手法の一つで、悪い意味ではない一つの軽少なる
三宝院の庭は、京都に於ける名庭園の一つであります。いや、日本の国宝の一つとして、世界的に名園の一つであります。音に聞いてはじめて見るお銀様には、大なる興味でなければなりません。名園の名園たる
「これなるは有名なる醍醐の
さてこれからがお庭でございます、このお庭は太閤様御自作のお庭でございます、あれが名高い藤戸石、一名を千石石とも申します、錦の袋に入れて二百人でこれへ運びました、天下一の名石でございます。
これが琴平石、
名園の名園たる来歴を一通り説明してのけた上に、その欠点をまで附け加える小坊主の口合いは、そういうことをまで附加せよと教えられているのではなく、案内しているうちに、誰かその道の者があって、立話にこんな批評を加えたのを小耳に留めて置いて、その後の説明の補足に用いているものと思われます。
この
しかし、この点は前ほどに、二人をおびやかすに至らなかったことは、この程度の雄弁は、いわゆる門前の小僧の誰もよくするところで、あえて天才の異常のさせることではないのです。口癖にのみ込ませて置きさえすれば子供でもすることで、ここに行われるのみならず、他のいずれでも行われる。また、素材をとっつかまえて来て、もっと誇張した吹込みをして、世人の好奇心の前へ売り物に出すことは、むしろお角親方の本業とすることだから、こういうのには、さのみおびえるには及ばなかったのです。
つまり、弁信法師の怖るべき舌堤の洪水は、超絶的の脳髄がさせる、千万人の中の天才の仕業ですが、この小坊主のは、そんな手数のかかるものではない。この場合、またよく似ている、あんまりよく似ている、さきに米友で、あれほど人をおびやかしながら、またもお喋り坊主のお株にまで手をのばそうとする、このこましゃくれが面憎くなったからでありましょう。
七
お庭拝見が済むと、お銀様だけが改めて、弥勒堂後壁の間へ案内されました。
弥勒堂後壁の間というのは、建築が極めて高いだけに、光線の取り方が充分でありませんから、室内はなんとなく暗陰たる色が漂うております。けれども、古風な建築としては、相当光線の取入れには注意がしてあるらしく、明るいところから、急にこの一室へ入ったのですから、その当座こそ視覚の惑乱がありますけれども、落着いてみれば、掛物を見て取るに不足な光線ではありません。見上げるところの正面に、とても広大なる画幅がかかっていて、その周囲には、この
そこで、お銀様はじっと立って、この特異の大画を上から下へ、下から上へ、見上げ見おろしてじっと立ちました。
この怪異なる、人ともつかず魔ともつかぬ大画像は、いったい何を意味しているのか、不幸にしてお銀様にはこれがわかりません。
ただ見るところは、不動尊以上の不動尊の
五体を見ると、
顔面はと見ると、最初は、正面をきった不動明王のようなのばかりが眼についたが、その左右に
なお、その振りかざした三十六臂のおのおのの持つ得物得物を調べてみると、合掌するもの、
再び頭上を見直すと、さきには
物に
甲州の家には文庫が幾蔵もあった。お銀様は、それを逐一風を入れて虫干をしたことがあります。ゆくゆくは残らず、それを頭に入れるつもりでありましたけれども、その時は一通りの風入れでありましたが、「阿娑縛抄」百八冊を手がけてみたのも、その時のことでありまして、この大部の書のあらわすところが何物であるかに歯が立ちませんでした。他日必ず読みこなしてみせるとは、この女王の気象でありましたが、その時は、一種異様な大部な書物である、内容がなかなか食いつけないのは、その中には
「真言秘密の秘伝書」――これは研究して置かなければならない、と心がハズンだのは秘密そのものの魅惑で、この女王は秘密を好むのです。その時は秘密の法は即ち魔術の一種で、超自然力以上の魔力の秘伝がこの本に書いてある、この本を読んだ人が
お銀様は剛情です。わからないことはわからないとして、知らざるを知らずとして問うことは、この女性のよくするところではありません。また、こんな人おどしの仏像の存在の理由を、
画像そのものは、この女性を、
これとても、不破の関守氏から、特に力を入れて予備知識を与えられていた点でありますけれども、そういう予備知識が全然与えられていないにしてからが、この盛んなる燃ゆる色には、いかなる素人も魅せられざるを得ないものが確かに有ると信じました。絵は千年を経ているけれども、色彩、ことに赤は、昨日
「この絵は、いつごろのものですか、時代は」
ただ、それだけの質問を発しました。質問を受けた当の案内役は、以前のこましゃくれた、
「は、吉野朝時代でございます」
ただそれだけ答えたのみで、更に知識の先走りをしないのは、知らないのか、知っても言うことを好まないのか、それはわかりません。とにかくに、拝観人から、それだけの質問の口火を切れば、それをきっかけに、学僧によっては、
だが、吉野朝時代でございます、という簡単な応答に対して、お銀様をして相当の考証に
そこでお銀様の、年代記のうろ覚えを頭の中で繰りひろげてみると、徳川氏が二百年、織田、豊臣氏が五十年、足利氏が百有余年と見て、どのみち五六百年の星霜には過ぎまいと思いました。
もしかして、吉野朝と言ったのが、
本来は、そういう質問や、そういう認識だけで、この画像[#「画像」は底本では「面像」]を卒業してしまおうというのが無理なので、そんなことよりも、まず最初に問わなければならないことは、「
お銀様がそれをしらないということは、不幸にしてそれを知るだけの素養を与えられていないという意味であります。
八
それはそれとして、お銀様が後壁の間に参入した瞬間に、お角さんとしては、これに追従を試むることを遠慮しました。というのは、後壁の間に参入、大元帥明王に見参ということは、お銀様だけの志願であって、お銀様だけに許されたというよりも、お角さんにとっては、よし、もし許されたからといって、猫に小判のようなものなのであります。特別に教養のあるものだけに許される特権でなければならないし、特別に教養の無いものが、それに追従することは、不敬であり、不遜であることを自覚しての、お角さんとしての遠慮なのです。
そこで、明王に特別謁見の間を、お角さんは、次の間というよりも、奥書院の廊下に立って待受けておりました。そこに立っていると、またも本庭の余水の
その時、廊下の
全く、お角さんの思うことに間違いなく、たしかに右の門前の小僧が、廊下の一端に膝小僧を
「鎮護国家ノ法タル大元帥御修法ノ本尊、斯法 タルヤ則 チ如来 ノ肝心 、衆生 ノ父母 、国ニ於テハ城塹 、人ニ於テハ筋脈 ナリ、是ノ大元帥ハ都内ニハ十供奉 以外ニ伝ヘズ、諸州節度ノ宅ヲ出ヅルコトナシ、縁ヲ表スルニソノ霊験不可思議也 」
音をたどればそういうような文言を読み上げているのだが、お角さんには、そのなにかがわからない。ただ、お経を読み上げているとのみ聞えるのですが、わからないのはお角さんばかりではない、読んでいる御当人もわかっているのではないから、ただ音を並べているだけなのが、そこが即ち、お角さんの言う門前の小僧が習わぬ経を読むもので、こうして無関心に繰返しているうちに、説明となり、密語となってお角さんは、そのいわゆる、習わぬ経を繰返す門前の小僧の
ものにするとは、何かお手のものの商売手に利用してみてやろうじゃないかという
発見と、鑑定だけでは、ものにするわけにはゆかぬ。人間を買い取るに第一の
だが、それともう一つ異った人情味に於て、お角親方は、あの小僧をつれ出して、友公と引合わして兄弟名乗りをさせてやりたい、そうすれば二人も喜んで、こっちも功徳になる――なんぞという人情味も大いに湧いているのです。これとても独断千万なことで、似ているからといって、それが兄弟ときまったわけのものではないが、さすがのお角さんの頭も、今日の瞬間には、想像と実際とが混乱していると見える。
九
三位一体を
「がんちゃんや、洛北の岩倉村に大バクチがあるが、行ってみる気はねえか」
「そいつは耳寄りですねえ」
と言って、がんりきの百が、耳から先に、関守氏の膝元へ
普通の青年ならば、バクチなどという言葉を聞いてさえ苦々しく思うのですが、そこは、がんりきの百ちゃんのことですから、それと聞くや、耳よりだと言って
「行ってみな、お前は今まで関東のバクチは相当に功を積んでいるとのことだが、こっちの方の大バクチは見たことがあるまいから、後学のために見て置きなせえ」
「有難い仕合せ」
ますますよくないたくらみです。後学のためにも、前学のためにも、バクチなどは見学して置かなくてもよろしい。むしろ、そういう見学は避けた方がよろしい、避けしめるのが、先輩のつとめというものだが、ここで
「行くなら行ってみな、
胴巻ぐるみ、百の前へ投げ出したのは、いよいよ怪しからぬことで、行って見ろと嗾けた上に、資本金までも供給するのですから、シンパ以上の、むしろ共謀に近いほどの
「善は急げ、これから早速飛んで参りましょう。ところでその洛北岩倉村てえのはいったい、どっちの方向で、当日のトバの貸元てえのは、どういう顔でござんすかねえ、そこんところをひとつ、伺って置きてえもんでござんさあ」
ロクでもない片腕で、早くも二十両の胴巻ぐるみ懐ろへ
「うむ――洛北岩倉村というのはな」
そこは不破の関守氏も抜からぬもので、がんりきの百のために、洛北岩倉村の地理を説くことかなり
その説くところによると、これから、日岡の峠を通って
「へえ、上方じゃあ中納言様がバクチを打つんでげすかエ」
「いや、中納言殿がバクチを打つのではない、その岩倉村の山ふところにある中納言殿のお屋敷の中で、大トバの開帳が行われると言うのだ」
「へへえ、考えやがったな、江戸でも御老中の屋敷の中なんぞで、そいつが、しょっちゅう御開帳になるんですよ、
と、いささかゲンナリしたのは、がんりきの百に、中納言は少し
「中納言だからって、そんなに
と言って聞かせました。
「百五十石でげすか、位は中納言で、お高が百五十石でげすか、そんなこたあござんすまい、そりゃあ間違いでござんしょう」
「間違いではない、摂家筆頭の
「セッケはそうかも知れませんが、中納言様が百五十石なんてえな受取れねえ、水戸も中納言でござんしょう、三十五万石でげすぜ、仙台も中納言でござんしょう、六十四万石でげすぜ、百五十石ではお前さん、馬廻りのごくお軽いところじゃがあせんか、そんなはずはございませんよ、おからかいなすっちゃ罪でござんすぜ」
「からかうわけではないが、まあ、そんなことはどうでもいいから、行ってみろよ、そのトバへ。とても面白い面が集まるんだそうだ、全国的にな。全国的にそのトバへ面の変った鼻っぱしの強いバクチ打ちが集まって、ずいぶんタンカを切るそうだ。だから、行ってみな、変った人相を見るだけでもためになるぜ。手前も甲州無宿のがんりきの百とやら、相当啖呵の切れる男じゃねえか、なにも中納言と聞いて、聞きおじをするような柄でもあるめえ」
不破氏に、こんなふうに油をかけられて、がんりきの百がまた躍起となりました。
「ようがす、行きますとも、そう聞いて後ろを見せた日には、甲州無宿が
ここで、張りきって力み返ったのは現金なものです。
「まあ待て、今からでは遅いから、今晩は泊って明日」
この時、もう日の暮れ方で、関守氏は炉辺の火を取って、座右の
十
「明日は、しっかりやってくれ、がんりき
「
と言って、がんりきの百は、いま一方だけの手を懐ろの中に差し込んだと見ると、ズラリ引き出した自前の胴巻、それを逆さにふると、一つの小箱が飛び出しました。小箱の大きさ全長が一寸五分、幅が一寸足らず、関守氏が拾い上げて見ると、「下方屋」と書いてある。がんりきが受取って、パチンとその小箱の合せ目を
「イヤに、ちっぽけな賽ころだねえ」
と関守氏が言う。百はそれをもとのように小箱に並べながら、
「これは
がんりきが講釈をはじめました。これは驚くべきことで、手の人、足の人であったこの野郎は、今晩は口の人に転向してしまって、まかり間違えば、ここでもお喋り坊主の株をねらう奴が、やくざの中から現われようとは、ところがらとはいえ、ふざけた野郎と言わなければならぬ。これを、
「ふん、ふん」
と聞いているから、この手のふざけた野郎が、いよいよいい気になって、
「さあ、これは数の取引でござんすが、今度は物でござんすよ、この賽っ粒というやつが、バクチの方では
「大したものだ!」
関守氏が気合を入れたもので、がんりきがいよいよ乗気になり、
「ごらんなせえな、額面が六個あって、一から六まで星が打ってある、一をピンとも言い、六をキリとも申しやす、さてまたこのピンからキリまでに、天地四方を歌い込んで、一
と言ってがんりきは、炉辺に飲みさしの関守氏の九谷の大湯呑に眼をつけました。
「よし来た」
関守氏は異議なく、その茶がすを湯こぼしに捨て、がんりきの前へ提供してやると、がんりきの百は、左手に隠した四個の小賽を、左の耳元で、
十一
こいつ、ロクでもねえ奴だが、さすがにその道で、賽を握らせると、その手つきからして、もう堂に入ったものだ。
四粒の天地振分けが、その中に隠れているのか、いないのか、
そこで、耳元で振立てると、はっと呼吸が一つあって、振一振、左の小手が動いたかと見えると、天地振分けを
「うまいもんだ」
と言って、思わず感歎すると、がんりきは、こんなことは小手調べの前芸だよと言わぬばかりの面をして、
「本来は、この壺皿を左の手にもって、右で振込むやつをこう受取るんでげすが、手が足りねえもんですから、
左で
「まあ、委細順序を立ててやってみてくれ給え、ズブの
「壺でげすか、壺は、かんぜんよりでこしらえた、さし渡し三寸ばかりのお
「まあ、待ち給え、いちいち実物によって……時節柄だから代用品で間に合わせるとして、ここにゴザがある」
と言って関守氏は、つと立って、なげしの上から捲き込んだ一枚のゴザを取り出して、それをがんりきの前で展開しました。
「結構にござんす、それじゃあひとつ、盆ゴザを張って、本式に稽古をつけてごらんに入れやしょう、いいでござんすか」
「相手に取って不足ではあるが、拙者が君の向うを張るから、本式に、稽古と思わず勝負のつもりで、一つやってみてくれ給え、つまり、君が丁方となり、拙者が半方となる、では、君が半方を張り、拙者が丁と張るから、一番、委細のところを見せてもらいたい」
「ようがす、そのつもりで、手ほどきから御教授を致しましょう」
と言って、がんりきは、座を立ち上ると、盆ゴザの中央のところへ、前に言った通り南向きにどっかと坐り込みました。
十二
盆ゴザの中央へ坐り込んだ途端に、がんりきの百が、無けなしの片腕を内懐ろへ逆にくぐらせたと見ると、パッと片肌をぬいでしまい、それと同時に着物の
「まず壺振りの芸当始まり――こうして
と説明を加えたことによって、関守氏がまた改めて覚りました。
大肌ぬぎになったり、尻をヒンマクったりすることを、このやからのみえであり、強がりの表示であるとのみ見ているのは誤りで、なるほど、頭のてっぺんから毛脛の穴まで見通してくれという、潔白表明の作法から来ているのかな、一挙一動でも、その出所には名分が存するものだと感じたものです。
そこで、がんりきの百は、代用品拝借の湯呑を取って、それに紙を敷き、最初の形式で置壺に構え、これも最初の形で左の掌で軽小に一振り、眼にも留まらぬ天地振分け、
「さあ、旦那、お張りなせえ、丁方なりと、半方なりと、気の向いた方をお張りなせえ」
「よし、丁と張った」
「勝負!」
と言ったがんりきの百は、その壺皿を引起こすと、関守氏の眼で四つの小粒が行儀よく並んでいるだけ。
「さあ、持っておいで」
と言ってがんりきは、その粒を消してみました。
賽を見せられただけで、どっちが勝ったか負けたかわからない。つまり場面には丁と出たのか、半と出たのか、けじめがつかないうちに賽を消され、眩惑された関守氏が、
「いったい、どっちが勝ったんだ」
「はは、そりゃ
と言って、小粒を握った手を耳もとへ軽くあてがった形で、がんりきが言いました、
「四粒でやるなあ、
「コマというのは何だ」
「コマ札というやつがあって、貸元からそれを買って張るのが
「よし、何ぞ無いかな」
と言って関守氏は――あたりを見廻す途端に裏小屋で、烈しく吠え出したのは、例の電光石火のデン公に相違ない。
十三
犬の吠える声を聞いて、人の近づくことを知り、その人もうろんな人ではない、犬係を志願した米友が、犬小屋の前を通過したことによって、犬が挨拶をしたに過ぎないということを関守氏が知ると、まもなく、ガタピシと裏戸を開いて、米友がそこへ現われました。
「どっこいしょ」
と言って入り込むと同時に、肩にかけた何か特別に重味のある一個の袋を、土間の俵の上へ、ずしんと
「何だい、めっぽう重そうなものをかついで来たね、
と関守氏がききますと、
「持って来るには持って来たが、置場所に困ってるんだ、お前さん、こいつを預かってくんな」
「何だよ、いったい、品物は。南京米でなけりゃ、じゃがいもか」
「そんなあ、不景気なもんじゃねえんだぜ」
と米友が、汗を拭き加減に、今そこへ取卸した至極重みのかかる袋を、伏目に見ながらの応対です。
「何だか、中身を名乗りなよ」
「当ててみな」
と、米友としては変に気を持たせるような返答ぶりでしたけれど、ワザと言うのでないことは、すぐに自問自答で底を割ってしまったことでわかるのです。
「
「そいつぁ驚いた」
と、関守氏と、がんりきと、二人が思わず
代用食類似の不景気な品ではなく、銭とあってみると、たとえ
二人が
それによると、今日、この男は、暴女王のおともをして醍醐へ赴いたが、その三宝院の門前で、他の二体がお庭拝見をしている間を待合わせている時に、変な奴が来て、このおれを見かけて、袋をかついで洛北岩倉村へ行けと言う。いい銭になるから行けと言う。いい銭になろうとなるまいと、こっちはこっちの果すべき職務がある、人は同時に二人の主に仕えるわけにはいかない、それをいくら説いて聞かせても、このけったいな野郎が、強引においらを誘惑する。それを虫をこらえてあしらっているうちに、
そこで、米友はさんざん考えさせられたが、本来は、なにも少しも考えることはない、手取早い話が、交番へ届ければいいのである。交番がその辺にまだ設けられてなければ、しかるべき役向へ、土地の人を介して届けてもらいさえすれば、事は簡単明瞭に済むのだが、今日、米友の場合、それがなかなか簡単明瞭には済まない。盗んだ物とすれば盗んだ奴に罪はあるが、拾った者に罪があるはずがない。拾って、しかしてこれを隠せば当然罪になる。拾ってそうして我が物とすれば、これは
ただ、米友の場合、困るのは、拾い主には拾い主としての義務がある、責任もあるというその心配なので、まず第一に、自分の住所氏名から
いやだなあ! そこで、米友は一気にあきらめてしまって、その金袋を、通行人の隙をうかがって、三宝院の境内の
そうして置いているうちに、暴女王と女親方[#「親方」は底本では「親分」]の方の宝物拝観も、御庭拝観も済んで、また三位一体となって、この光仙林へ立戻って来たには来たが、またも、あの金袋で苦労する。金で苦労するのは、大抵の場合は、金の欠乏で苦労するということになるが、米友の場合は、金があり過ぎて苦労をする。ああして置けば早晩、誰か発見する、発見された日のお取調べという段になると、結局は、探りさぐって、このおいらが呼出しということになってみると、どうでも事がうるさいよ。
ちぇッ! いくたび地団太を踏んだことであろう。ここへ戻ったものの、今のさきまでそのことを苦心して落着かなかったのですが、とうとう思いきった決断としては、とにかく、ここまで持って帰って、不破の旦那に相談をして、その知恵を借りるに越したことはない。
そう思って、夜中に、またまた醍醐まで、びっこ足を引きずり引きずり立戻って、藪の中をさがしてみると、まだあるある、いい気持ですやすや眠っているような形で、袋が藪の中に横たわっている。そいつを、御丁寧に抱き起した米友は、重いやつを、えっちらおっちらとここまでかつぎ込んで、この始末です。
「そういうわけだから、こいつは、おいらの金じゃあねえ、洛北の岩倉村というのへやるのが筋道だ」
「洛北岩倉村」
「うん、そこで
「そいつは、いよいよ
とがんりきの百も、頭でのの字を書いて、横目に金袋を
このところ、がんりき、すっかり
十四
米友は、金の袋を置きっぱなしにして、そのまま出て行ってしまう。
そのあとを、関守氏は引きつづいて、がんりきからバクチ術の実地教授を受けて、丁半、ちょぼ一の何物なるかを、ほぼ了解しました。その間にも、がんりきの百はしきりに勇みをなして、明日の合戦
そういう心勇みで、しきりに浮き立っていたが、いいかげんにバクチのコーチも切上げて、はなれた控間で一睡を催すと、その翌朝、早くも宇治山田の米友と連れ立って、洛北岩倉村へと遠征に出で立ちました。
この場合、何のために米友が同行するかというに、それは言わずと知れた金の袋の運搬用のためであります。あえてがんりきの百の随行というわけではない。
本来、米友としては、こんないけ好かない野郎との同行を好まないのです。
暴女王お銀様の
ですから、途中、一言も
いけ好かない野郎にしてもまた、このグロテスクの気象を先刻御承知だから、できるだけその御機嫌を取結んで、いけ好くようにしようとつとめるのだが、さっぱり利き目がありません。
「兄さん、団子を買ったが食わねえか、それともお
と言って、日岡の峠茶屋で甘い物を振舞おうとしたが、米友は根っから受けつけません。
「食いたかねえよ、おいらは食いたけりゃ自分の銭を出して食うよ、お前に買ってもらって食うせきはねえ」
と、この時に米友がはじめて応答したぐらいのものです。かく応答するかと見ると、自分は汚ない
そういうわけで、がんりきもあきらめたのです。こいつは買収もできないし、懐柔も利かない。触らぬ神に
十五
ほどなく、洛北岩倉村に着きは着いたが、さて
トバはドコだ、トバはドコだと聞いて廻るわけにはゆきません。なあに、広くもあらぬ山ふところの岩倉村だ、やがて嗅ぎつけてみせると、がんりきはがんりきの意地で、里人に物をたずねようともせず、そこここと嗅ぎ廻ったが、相当この道に鋭敏なはずのがんりきの鼻が利かないのは不思議なほどです。
少々たずねあぐんだ時に、ふと小ぎれいな垣根越しに見ると、庭にうずくまって植木いじりをしている一人の老人を見かけました。
「モシ、お爺さん、ちょっと物をたずねたいんですがね」
と、がんりきが猫撫声で問いかけると、垣根越しに、
「何だ!」
と言って、頭を上げた途端にこちらを
「これは飛んだ失礼――」
と、やみくもに頭を下げたのは、お爺さんなんぞと呼びかけてみたが、これはまだお爺さんというべきほどの年ではない、四十歳の前後でしょうが、その人相が、今まで見たことのないほどの異相を備えているということが、がんりきをおびえさせたので、つまり威光に打たれたというような気合負けなのでした。見てみると、色が黒くて頭が人並
「ええ、少々ものをおたずね致したいんでございますが、この辺に中納言様のお屋敷てえのがございやしょうかねえ」
「中納言の
「その中納言様には用があるわけじゃございません、中納言のお邸で、何かお慰みが行われるそうでござんすが、それをひとつ御案内を願いたいものでござんす」
と猫撫声を
「早い話が、そのお邸の中をお借り申して、関東関西のあんまりお固くねえ兄いたちが集まって、お慰みをやろうてえんでございますが、なんとお心当りはございますまいか」
「…………」
やっぱり、手ごたえが無い。そこで、がんりきが意地になってなおも畳みかけて、
「ええ、手取早く申し上げちまえば、つまりその賭場が開けるんだそうで、そういう
がんりきが、こう言ってイヤに含み声を鼻にかけたが、相手は全然取合わない。
「外で何ぞ物を言う奴がいる、追い返せ」
と、奥に向って人に命ずる気色ですから、がんりきがテレもし、狼狽もし、こいつはお歯に合わないと、そのまま、ほうほうの体でその垣根を立ちのいて、次へと移りました。
こうして、広くもあらぬ岩倉村を、がんりきと米友とは、次から次へとおとのうて歩きましたけれども、中納言のお邸というのは、見当りもせず、聞き当てもせず、まして丁々発止のトバの気分などは、この男自慢の鋭敏な鼻を以てしても嗅ぎつけることができず、結局、うろうろして再び舞い戻って来たのは、さいぜんの垣根越し、あの癪にさわる、威光のある
ということを、がんりきが再吟味をしてみると、はて、ことによると、今のあの色の黒い、頭のでっかい、眼の光るおやじが、あれが中納言かも知れない。
してみると、たずねる山は、このお屋敷かな、その気になって見ると、どうやら少々臭いぞ、だが――ここは大トバの開かれるキボでねえと、がんりきの鼻は直ちに否定してかかったけれども、それでも念のためと、今度はひとつ、表門から正式は
その気取りで、がんりきは垣根をグルリと一めぐり、裏門の方へ向ったが、どうも、ややともすると胸がドキついてならない。敵を見て、人見知りをするような兄さんとは兄さんが違うと、自分で力んでいるのだが、なんだか胸がドキつくというのは、考えてみると結局、あの今の頭のでっかい、色の黒い、眼つきの怖ろしく光る、あのおやじの眼つき、面つきが、変に頭に残ってならない。
どうも、あのおやじは只物でねえ、
こいつは一番、不破さんにからかわれたかな。関守先生、あれでなかなか
金の袋を見てまた巻直しという心で、この屋敷の裏手へ廻ったが、やっぱり何となしにドキつく。水を汲んでいる姉さんに、そっと物をたずねて――
「姉や、この屋敷はいったい、どなたのお屋敷なんだエ」
そうすると、
「
「岩倉三位――中納言様とは違いますかねえ」
がんりきの百には、三位と中納言のさかがわからない。中納言にも、百五十石から六十四万石まであるのだから、たいがい戸惑いしているところへ、三位ときた日にはまたわからなくなった。
そこで、がんりきの百が、狐につままれたような
がんりきの百が危なく体をかわす途端に、
「コレコレ、岩倉三位の屋敷はドコだ」
それが、あんまり粗暴で横柄なたずね方ですから、がんりきの百もいい気持がしない。
がんりきは、御大相な奴等だ、いったい何をかつぎ込むのかと、一行の後ろ影を見送っていましたが、はっと気のついたことは、そうだ、そうだ、うっかり釣り込まれて、本職を忘れていたわい。
こっちは、中納言様、中納言様と
「兄さん、おいらが、きっと突留めて来るからお前、そこんとこでひとつ待っててくんな、首尾がよければ、あの門の前で手を挙げるから、この手が挙がったら、お前、物言わず門の方へやって来てくんな」
こう言って、米友を小蔭に休らわせて置いて、自分は抜からぬ面で、いま顎で教えてやった一行の後をくっついて、再び岩倉三位の邸前まで取ってかえしたものです。
十六
そうして、
「岩倉三位殿に献上!」
「岩倉三位殿に献上!」
こう言って、土下座をきって
これは、てっきり、こちとらと目的を同じうした東西のお歴々、壺振、
そもそも、献上物ならば献上物のように、捧げる方ばっかりの片仁義というのはなく、受ける方にも相当の応接がなければならないのに、置きっぱなしの献上物というのが、どだい礼儀に
「えッ……」
何だ、何だ、何だてえんだ、ありゃいってい、人間の片腕じゃあねえか、イヤに当てつけやあがるぜ、人間の
そうすると、後ろ手の方で、またしても
がんりきは宙を飛んで駈けつけて見ると、果して、宇治山田の米友が、石の上に腰をかけて、大地を指さしながらたんかを切っている。それを取りまいて、いきり立っているのはたった今、岩倉三位へ献上物の一行に相違ありません。
いったい、何がどうしたと言うんだ。何が行きがかりで、こうなったんだい。つまらねえいさかいをしなさんなよ。
がんりきは、加勢のつもりではない、
十七
大地を指さした宇治山田の米友が、
「そんなら証拠を出しな、証拠を出してから物を言いな、なるほどと思う証拠がありさえすりゃあ、この場でおいそれと渡してやるよ、証拠がなけりゃあ、誰が何と言ったって渡さねえよ、たしかにこの袋が、お
と
「黙れ、証拠呼ばわりすべき性質のものじゃないぞ、その袋は、我々の仲間が昨日醍醐の三宝院の門前へ預けて置いて来た品じゃ、袋と言い、中味といい、これに相違ないから申すのじゃ、その方は、黙ってこちらへ引渡して行けば、それでよいのだ、仔細ないから置いて参れ、つべこべと物を申すに於ては、眼を見せて
と、右の浪士風の男が、つとめて抑損して、馬鹿をさとすつもりで言ったようですが、相手が宇治山田の米友ですから通じません。
「お前の方は仔細なかろうが、おいらの方はそれじゃ済まねえよ、当然渡すべき人に渡さなけりゃあ、義理が済まねえんだ」
「その当然渡すべき人々が我々なんだ、我々の所有物を、我々が受取ろうというのだから、これより以上の当然はなかろう」
「だから言わねえこっちゃあねえ、お前さんたちが、当然受取るべき本人なら、本人のような証拠を見せてくれと言ってるおいらの理窟がわからねえのかい」
「証拠というて、貴様に受取を出すべき筋はない、どだい、貴様は誰に渡すつもりで、その金袋を持って来たのだ、貴様は、さいぜんから、渡すべき人に渡すと言っているが、その渡すべき人というのは、いったい誰だ」
「うむ、そりゃあな……」
と言って、さしもの米友が、ここで少し
「それ見ろ、それは言えまい、本来、貴様らの持つべき筋合でないから言えないのだ、悪い
「わからねえ!」
米友が決然として言いきったのは、この場合、正道がかえって、わからずやのように受取られるのみならず、拾得物を横領の悪漢のようにも受取れるものですから、
「何をしやがる!」
と米友は、蹴りを入れたその足を、両手でがっきと受留めて、こぐら返しに逆にひっくり返したものですから、蹴りはきまらず、浪士の身体が横ざまにひっくり返って、あっぷ、あっぷと言いました。
その事の
「こいつ」
「この野郎」
「この馬鹿野郎」
「この身知らず」
「こいつ、気ちがいだ」
「泥棒だ」
「
寄ってたかって袋叩きの乱戦になると、こうなると、宇治山田の米友が本場です。
こういう喧嘩にかけては、相手の
十八
そこで、梨の木を一本、後ろ
「面倒くせえから、それ、欲しけりゃあくれてやらあ、手を出すなら出してみな、
袋の結び目を手早く解いて、その両手を袋の中に突込むと、すくえるだけのザク
「そうれ!」
と言ってバラ
「あっ!」
と、これにはまた事実上の面喰いで、予期しなかった目つぶし。相手にこれほどの飛道具が有ろうとは思わなかった。
さて、それから、花咲爺が灰を取り出して蒔くように、
何といっても、
額へ当れば額、頬っぺたへ当れば頬っぺた、縦に来た時は
「総花にフリ
と言って、はっと気合をかけると、予告の通り三ぴん氏の額の真中へ、寛永通宝子がぴったりと吸い着く。
「そうら見ろ、お次ぎはこっちの三下野郎、イヤにふくれた手前の赤っ面の頬っぺたに一つ――こんにちは」
と言う言葉の終らぬ先に、なるほど、三下氏の頬っぺたに吸いついた文久通宝子、まるまっちい
「その昔の、おいらの先祖の
「あっ!」
と、自分で自分の髪の毛をかきむしってとび上りました。
「そうら、こちらの方でも御用とおっしゃる」
今度は一っ掴み、数でこなしてバラ蒔いて、
「あちらの方でも御用とおっしゃる」
指の股へ四枚はさんで、四枚を同時に振り出すと、それが眼あるもののように飛び出して、相手四人の顔面へ好みによって喰いつこうというのだから、眼も当てられない。
「こちらの方でも御用とおっしゃる」
「あちらの方でも御用とおっしゃる」
これを見て、がんりきの百の野郎が、手を
「寛保二年、
頼まれもしないに寄って来て、袋の結び目から、受けなしの片手をさし込んでの一掴み、口上交りで米友の手伝いをはじめました。
「下総の国、
いい気持になって、人の懐ろで施しをはじめる。友兄いほどにはないが、こいつもまた、相当の曲者で、投げる銭に眼はつけないが、鼻ぐらいはくっつけて飛ばすから、受けきれない。
さしもの献上組も、これには全く
「あんちゃん、物は切上げ時がかんじんだぜ、この辺で見切りをつけようじゃねえか、お
「
その時の米友は、感心に人見知りをしません。投げるだけ投げた手を、ぱたぱたとはたき上げたかと見る間に――
袋はそのまま杖槍は腰に、猿が猿まわしに取っつくように、がんりきの背中へ御免とも言わずに飛びつくと、心得たもので、がんりきの百が、そのまま
「あばよ!」
と言って、献上組を尻目にかけ、足の馬力にエンジンをかけると、その
「あれよ、あれよ」
と献上組、あとを追わんとする者なし。
十九
駒井甚三郎の無名丸が、東経百七十度、北緯三十度の附近にある、ある無名島に漂着したのは、あれから約二十日の後でありました。
漂着というけれども、むしろこれは到着と言った方がよいかも知れぬ。
船がある一定の航路を持っている限りに於て、それが誤れば漂着であり、それが正しければ到着であるが、駒井の船は到着すべき目的地を持ちませんでした。
海上は、
無難とはいうが、なにしろ、一葉の自製船を以て、世界の太平洋中に約一カ月を
東経百七十度、北緯三十度の辺に一島を見つけて、ようやくこれに漂着したとはいうものの、これはあらかじめ、駒井が測ったところの地点であり、予期したところの一島でありました。
いずれにしても、この辺に島がなければならぬ。人の住む島か、鬼の
「それでも、この辺の海上は至極無事なのです、天候はいずれの海上へ行っても予想はできませんが、地理と人情はたいていわかります、この辺には、人を食う種族の住む島はなく、人の船を襲うて荷を奪う海賊というものも、あまり現われないのです、支那の近海とは違って、
駒井甚三郎は、遠目鏡を離さず、船橋の上に立ちながら、相並んで島をながめている田山白雲に向ってこう言いました。
ほどなく、総上陸の用意が整えられた時、駒井甚三郎は、みなに命じて大砲を一発打たせてみました。この航海で大砲を使用したのは、これで二発目です。一発は鯨の群の
「無人島です、人間は住んでおりません、もし相当多数の住民がありとすれば、船がここまで来る間に土人の舟が現われるはずですが、舟がちっとも現われない上に、人も現われて来ない、人間の使用品の類も漂うて来ない、煙も揚らない、人間の住んでいる気配はありませんから、一同
駒井からこう言われて、それを拒む白雲ではありません。
「至極妙です――早速手配をしましょう」
ここで、駒井と白雲とが、二人の
二十
それから清澄の茂太郎が、
船の甲板では七兵衛入道が、やがて総員上陸すべき人員の点検と、陸揚げすべき資材の整理に
七兵衛のその後のいでたちを見ると、いったん入道した形を決して変えない。あれ以来、絶えず船中で、頭へ
その着物も、またそれに応じて、日本木綿を縫い直して筒袖にし、それに駒井形のだんぶくろをつけて、船員としても板についた形になっている。
かくて、全員総上陸の点検の上、物資は物資でこれを大別して、船に残すべきものと、陸上に持って上せるべきものとし、とりあえず衣食住を保証すべき物資と、その用具の取揃えにかかりながら、七兵衛が言いました、
「まず第一が水ですね、水の手がなければ人が住めない、井戸を掘るとか、水口を取るとか、
さてまた、婦人と小児の周旋は、お松が承って、これを担当する――
婦人といっても、監督のお松と、それから
男子はすべて、総上陸の用意をしているが、婦人と小児は、必ずしもそうは急がない。というのは、果して、あの島に安全生活の保証が立つか立たないかは、船長と総監(白雲のこと)が帰って来てでなければわからない。よし、人間の生活に堪えることが充分に保証ができたとしても、婦人小児連は当分の間、野営同様の空気に
幸いにして、婦人部隊に至るまで、いずれも健康に恵まれている。恵まれているというよりも、船長の周到なる用意と知識とが、船上衛生に抜かりなからしめている。その上に、食糧から医薬に至るまでの準備が潤沢であった――等々の条件が、船員のすべての健康を保証していたので、健康以上に張りきった精力に
してみると、ここまで、世間の漂流記にあるような極度の欠乏や困苦から、この船員はすべて免らされて来ている。天候と言い、健康と言い、珍しいほど好条件に恵まれているもので、ある意味では、世界周遊の遊覧船に乗せられて、たまたまこの地に船がかりをしたような気分をさえ与えられるのでありますが、前途のすべてが、こんな洋々たる気分ばかりではあるまい、ということは誰にも予想されるのです。
ことに船長の身になってみると、現在の好条件がかえって、未来の多難を暗示するような考慮もないではない。それをまた本当に思いやっているのが、船長についではお松です。白雲は豪放で、それらの点には、さのみ頓着はしていないようです。
お松は、一通り甲板から各船室を見舞った上に、ひとり船長室へ来て留守をつとめていながら、眼の前に浮ぶ島と、それに向って漕ぎ行く駒井と白雲一行の小舟を、窓の内から見送って、希望と心配とに張りきっておりました。
二十一
ここにもう一つ、隠れたる功績をうたわなければならないことがあります。
それは、メイン・マストの上にいる清澄の茂太郎であります。
この少年は
というのは、時に感じては、逸早くメイン・マストへ
もちろん、人間のことだから、機械のように固定した正確を得ることはできない点もありますけれども、観察の
それですから、船長が島に渡った後のお松は、船長室を守ると共に、マストの上なる茂太郎の言動挙動に、それとなく注意を払っておりますけれども、今日の茂太郎は、歌うべくして歌わないのが不思議です。陸に着いたら真先、サンサルヴァドルの歌を歌うべきはずになっていたのが歌いません。
茂太郎がこの島を歌わないということが、お松にとっては、この島が人の住むべき島でない、人が住むことに、何ぞ障壁のあるべき島だということの暗示にならないでもありません。
それよりもなおいけないのは、万々一、そんなことは予想するさえいやで、また予想するほどの必要が
そこで、身は船室に於て、船長なき後の船の一切の機密をあずかると共に、耳は高くメイン・マストの上に働いて、今にも起るべき、予報と、合図を待つことに集中されているのであります。
幸いにしてやや暫く、歌うべきものの歌う声が起りました。お松は
ダコタの林の中に
小屋を作り
パンを作り
泉を飲み
大地と岩と
五月の花をながめ
星と
雨と
雲とに驚けば
ものまね烏が啼 く
山鷹が飛ぶ
わたしは
新世界のために歌う
脚には聖なる土
頭の上には太陽
地球は廻転する
偉大なる哉 、先人
ここに女性と男性の国
魂はとこしえに
海よりも遥 かに偉大に
満ちては退く
退きては満つる
わが魂もて
不滅の詩を歌え
国々に起る
海と陸との
英雄
私は悪を歌おう
悪というものはないもの
現在に不完全なものはない
未来に不可能なものはない
ごらんなさい
大地は決して疲れないから
例によって出鱈目の歌だが、その出鱈目にも相当に根拠はあるのです。小屋を作り
パンを作り
泉を飲み
大地と岩と
五月の花をながめ
星と
雨と
雲とに驚けば
ものまね烏が
山鷹が飛ぶ
わたしは
新世界のために歌う
脚には聖なる土
頭の上には太陽
地球は廻転する
偉大なる
ここに女性と男性の国
魂はとこしえに
海よりも
満ちては退く
退きては満つる
わが魂もて
不滅の詩を歌え
国々に起る
海と陸との
英雄
私は悪を歌おう
悪というものはないもの
現在に不完全なものはない
未来に不可能なものはない
ごらんなさい
大地は決して疲れないから
どう根拠があるということは、当人には無論わからないが、駒井船長や、田山白雲の会話を聞き、また船長から口うつしのお松の筆記の席に侍し、そんなこんなで、うろ覚えが興に乗じて、前後左右、交錯したり、焼直されたりして、飛び出して来るのですが、今の歌もまさしくその
二十二
上陸して島内の最寄りを一応視察した駒井甚三郎は、同行の田山白雲に向ってこう言いました、
「水も掘れば出て来る見込みは充分だし、土地も開けば耕作の可能性がたしかです。ただ川がないから、水田は
白雲がこれを聞いて
「結構ですね、そうして、いよいよ総上陸ということになりますと、まず第一に住居地の選定をして、上陸早々、住宅の建設に取りかからねばなりません、図面を一つ引いて行きましょうかね」
「そうして下さい、とりあえず海に近いところ、あの辺か、或いはこの辺がいいでしょう、材料は、近辺の、成長するあらゆる植物を、利用のできるだけ利用することですね」
「設計図は任せて下さい、拙者が、原始的で、そうして気候風土に
「そう願いましょう。それから特に注意しなければならんことは、気候はこの通り温かいのですから、霜雪の難はありません、大河湖沼が乏しいから、洪水の憂いというものからも救われましょう、唯一の心配は風ですね、海洋の中の一孤島ですから、風当りは相当強いものと見なければなりません。しかし、波は岸を洗うとも、島をうずめるようなことはありません、
「そうでしょう、強風暴風に堪えると共に、この通り暑いところですから、風通しをも考えなければなりませんな」
「それともう一つ、大家族主義で行くか、分散主義で行くか、それも重要な構図のうちです、つまり、海の生活を直ちに陸にうつしたような方式で行くか、或いは陸は陸のように、おのずから個性を尊重する建前で行くか、その建築方式を、あらかじめきめて置いてかからねばなりますまい」
「それもありますな。しかし、あれだけの人数が、いちいち一戸を持つなんぞということは、今日直ちにできることではありませんから、当分は大家族主義を取るほかないでしょう」
「しかし、物は最初がかんじんです、最初にその様式を整えて置かないと、後日改良をすると言っても、容易なものじゃないです」
「いったい人類生活は、大家族主義が本当ですか、個々分立主義が正しいですか。日本でも、
と田山白雲から尋ねられて、駒井が相当
「私は一人一家主義です、ここに一人が独立の生計を与えられれば、必ず独立した一家を持たなければならぬという論者です、いわんや結婚生活者に於てをやです。かりに我々の仲間で、結婚以外に行き道がないものは、大家族主義を捨てて、独自の生活を営ましめるようにありたい、飛騨の大家族主義の如きは、自然生活にはかなっているかも知れませんが、私は個人の確立のためにそれを取りません、結婚者は当然独立した一家庭を持つべきは勿論、結婚した後に於ても、男女ともに別々に一家を成してさしつかえないと考えているのです、そうする方が合理的になるのじゃないかと考えているのです」
白雲には、駒井のこの論旨が、よく呑込めませんでした。結婚生活者にはぜひ一家庭を持たしめよということは聞えるが、結婚した後に於ても、おのおの別々に生活するがよろしいという論理は、そのままでは
二十三
しかし、この場合、そういうことに議論を
船へ帰ると駒井甚三郎が、船員全体を上甲板に集めて、次のような申渡しをしました。
「さて、我々はこの島へ上陸して、今後、この島の主となると共に、この島に骨を埋める覚悟で働かねばなりません。ここは我々だけの国であり、おたがいだけの社会でありますから、今までの世界の習慣に従う必要もなければ、
駒井甚三郎が、
ここに駒井甚三郎が、その理想の王国を作るの第一歩に踏み入ったわけですが、これは胆吹の山で、暴女王が行わんとしたところのものと、期せずして異曲同工なのであります。
暴女王は専制の王国を打立て、力を以て、思い通りの小社会を作ろうとして失敗しました。
駒井甚三郎は、力を以てせずして、自由を以て、人間生活を最善に伸ばそうとするところに相違がある。
彼女の気象が烈しかったと反対に、これの行動は極めておだやかでありますけれども、その徹底を求めてやまざる意志の強烈にはあえて甲乙なしというべきでしょう。
果して、治者なく、被治者なき社会の存立があり得るや。命令と、法律と、その後に強力がなくして多数を統御し得るや。これは、これだけの少数同志ならばとにかく、この形式を、何千何万倍の人数に及ぼし得る可能が有り得るや否や。駒井甚三郎は身を以て、これが実験にとりかかり得たものと見なければなりますまい。
総員はみな無条件に聴従したけれども、この中の誰が、駒井の本心に共鳴し得るや。田山白雲すらが、その深い洞察はできない。聴従はするが、共鳴はないのです。そこに駒井としては、無上の希望があると共に、無限の
二十四
かくて、田山白雲の設計図により、附近の木石を利用し、船中からも相当の資材を持ち出し、かなりの新館が、
船は島蔭の程よき所に廻航して、そこに据附けの形となり、多くは小舟によって往来しつつ、そこを宿所として工事に働きに出ましたが、ほどよく新館が出来てみると、船に留って守るものと、新館に移動する者と、交代に手分けをしなければなりません。
それから、附近を
そのうちにも、休息と、慰安の時間は多分に与えられて、仕事の余暇は、おのおのその楽しむところを発揮するの自由を与えられましたから、ほんとうにすべてがトントン拍子で、幸先は決して悪いものではありません。
駒井甚三郎は新館の一室を書斎とし、一室を寝室とし、食事は多勢と共に食堂兼用の広間ですることもあれば、書斎に取寄せて済ますこともある。駒井の次の一間は、秘書役のお松の部屋です。
お松は、駒井の秘書と、内政と、その事務の助手のすべてを兼ねて、なくてならぬ人です。
駒井が研究に没頭して事務に遠ざかる時は、お松でなければ駒井に代って取りしきる人がありません。田山白雲は豪放
いちいち、駒井船長の指揮を仰ぐことの代りに、お松さんに相談すれば、大抵の用は足りる、というところから、お松の地位が、責任と繁忙を加えて来るのはぜひがありません。
駒井は、お松の才能を見て、得難き人を与えられたることを心ひそかに感謝している。この娘には万事を任せて間違いがないと信じていることは、いつも変らない。異常なる興味と、熱心と、忠実とを以て、自分の身のまわり一切の処理をしてくれる、その勉強ぶりをじっと見ている駒井の眼に、いつか涙のにじむことさえある。
「ああ、この子も娘ざかりなのに、考えてみれば自分は、この娘の未来を無視しているのではないか、自分は自分で趣味に生き、理想に生きて行くのだから、どんな山海万里の
駒井は、お松の仕事ぶりを見ながら、つくづくそれを感じて、つい、深い感慨に陥ってといきをつくことさえある。今日も、朝のうちから、皆の者は開墾に出て、駒井は研究室で、地図と海図をひろげて調べている、その机の一方で、一心に記録をうつしているお松を、横からながめて、またも、うっとりとその感謝と、悔恨に似た心で満たされて、思わずホッと息をついた時に、ペンを置いて、インキの壺を満たしかかったお松の眼とぴったり合いました。
駒井もハッとしましたが、お松も思わず胸を
地図を見つめて研究に
お松はその時に、思わず面が真赤になりました。
今まで、尊敬すべき主人として、二心なく働いていたし、また、こういう御主人の下に働き得ることに、精一杯の満足を捧げていたのですから、いかに接近して、いかに立入ったお仕事の相手をしようとも、自分としては、ちっとも心の動揺を感じたことはなし、また殿様も、女性として、人間として、わたしをごらんなさるほどに人情に近い方ではないから、単に、この中で最も役立つ女という実用一方のお取扱いとのみ信じていたから、そこになんらの隔意というものはありませんでしたが、この時は違いました。
お松は何の故に、駒井の殿様が、今更あんなにわたしを御注視なすっていらしったか、その心のうちを知るに苦しみました。そうして、その瞬間に、使われ人としての自分でなく、女性としての
「殿様、御気分でもお悪いのでございますか」
さし止められている殿様という言葉が、この時、思わず口を突いて出てしまったことは、その心が、昔の思い出に占められていたからです。秘書としてのお松ではなく、処女としてのお松でありました。
「いや、別に気分が悪いことはないが、少し考えさせられることがあってね」
「まあ、お考えあそばすことは、あなた様の始終のお仕事ではございませんか、いまさら考えごとをあそばすと、おっしゃるのがおかしいわ」
と、お松はつい語尾を砕けて言いきって、自分でなんとなく胸を
「いや、研究の考えごとと、人情の考えごととは、同じ考えごとでも性質が違うからな」
「考えごとにそんなに幾つもあるものでございますか、人情とは何でございます」
「人情というのは、人間の情合いのことなのだ。学問というのは、情合いをはなれた理性というものです。学問の考えは、深ければ深いほど落着くが、人情の考えというものは、深ければ深いほど乱れてくるものだ」
「では、殿様には、何かお心を乱すような人情の思い出が、お有りあそばしますか」
「有るとも、大有りだ」
「伺いとうございますね」
「言わん方がいいだろう、言えばいや増す思いというものだからな」
「では、わたくしが代って申し上げてみましょうか、お君様のことを、お思い出しになったのでございましょう……」
「うむ……いや、違う、あれはもう
「では、奥方様のことを……」
「いや、あれは愛情がない、権式があるばかりだ、正直に言うと、結婚以前から冷たいもので、今もその通り」
「では、どなたのことを思い出しておいでになったのでございますか」
「実はな、お松どの、君のことを考えて、つい思いに沈んでしまったのだ」
「まあ、
と言って、お松がまたも真紅になって、うろたえる心を
二十五
ただ単に自分のことを考えていてくれたということは、感謝すべきことであっても、狼狽すべき事柄ではありません。それなのに、お松の狼狽ぶりのあわただしさ。自分ながら、今日に限って、何でこんなにあわてなければならないか、その理由がわかりません。
「お松さん、私は、つくづく君に済まないという考えが、このごろ
「何をいまさら改まって、そのように仰せられますか、わたくしにはわかりませぬ」
「あなたが忠実に働いてくれればくれるほど済まない、思えば、私は、あなたを忠実な秘書であり、助手であるとしか認めていませんでした、お松どのという存在は、ただ駒井の研究を助けてくれる得難き道具として――道具というのは少し言いすぎかも知れませんが、最も善い意味で、そういう取扱いが当然だという心得のみで、それ以上には考えることもしませんでしたが、今、考えてみると、あなたも女でした」
「何とでも仰せあそばせ」
お松は、駒井の率直な言いぶりに、挨拶の言葉を見出せなかったのです。駒井は、言葉をつづけて言いました。
「あなたも女です、今ここに女性として、私の親近の一人を見ていますと、その女性は、娘盛りという、人生に二度とない花の時代でした、ああ、それを自分は、ただ自分の助手としてのみ、便利有用なる道具としてのみ認めて、女性として、娘ざかりとしての、あなたというものを見て上げることができなかった、むしろ、その余裕を今日まで持ち得なかったということに、大きな
「何をおっしゃいますか、わたくしには聞えませぬ」
とお松も、つとめて冷静を保つ心で駒井の言い分に応対をして、
「女としての私が、お傍に働いてお気に召さぬならば、いつでも引下らせていただきます、微塵お
駒井は、それを押しなだめて申しました、
「そういう意味に取ってもらっては迷惑します、今ここから君に離れられては、君に代るべき人がない、人がないから、やむを得ず君に働いていてもらうのではない、たとえ幾人の適任者がありましょうとも、君を
物やさしく言う駒井の言葉が、今日はナゼかお松の心を動かすことが深く、いつも、はきはきと答える言葉が、今日はまとまらず、この
二十六
その時から、駒井甚三郎とお松との間の感情が、平静を失いました。
お松は、駒井にとって唯一の秘書であり、助手であることは変りはありませんけれども、今までの虚心であることができません。この人に近づくことに、心を置かなければならなくなりました。駒井としては、あの時、言い過ぎたとも思う様子はなく、更に言い足そうとする気配もなく、依然として、威と恩とを備えた主人とし、船長としての態度を保つことに変りはありませんでしたけれど[#「ど」は底本では「で」]も、ひそかに見やるお松の眼には、痛々しいものの映ることを止めることができません。
威厳の人としてのこの主人に、お松は物の哀れをはじめて見出しました。それは甲州以来の昔の思い出が、今までは人の身の上のようにしか思われなかったものが、今は、わが身の上のような気がしてなりません。
そうしてみると、あの
その時分のお松は、駒井の殿様は、殿様として尊敬はしていたけれど、それは有っても無くてもよい存在のようなもので、お君さんだけがなければならない人で、その人のために、身を尽し心を尽して尽したつもりですけれども、ついにその
海上の生活から、今の役目が重くしていそがしいために、このごろは思い出すこともなく、お君と、兵馬のために、心の痛手を病むことが少なくなって来ていました。それを、このごろ再び、物思う身となりました。昔は人の身、今はわが身というような、言い知らぬ心の痛みが、お松を悩ますもののようです。
ある時は、お君さんに済まない! というような夢心地になって、ハッと我にかえることさえありました。お君さんの運命が、今日となって、わが身に降りかかろうとは、それは夢の外の夢のような思いに堪えられません。
それから、お松はなるべく、主人の室に遠ざかって仕事をしようとしました。わざと次の間に持ち出してみたり、今まで心置なく物をたずねたり教えを受けたりすることも、この頃からなるべく口を
駒井もまた、気のせいか、態度に変りはないとは言いながら、お松に向ってする口の利き方が鈍くなって、少なくなったように思われます。お松は、この心の間の裂け目を悲しいと思いましたけれども、その悲しさのうちに、何か甘いものが、重い心の躍動というものがあるのを感ぜずにはいられません。
それから幾日の間、こんなようにして、二人は、外見は少しも変らずに、助けつ助けられつして過しましたが、その間にも、先日のような突っこんだ話は少しも出ませんでした。
駒井は冷静な科学者の立場で研究をつづけている、その変らぬ面の、すずしい中のきびしさを見ると、あの時の、あの言葉が、通り魔のように、何ものかのいたずらがさせたことではないかと感ずるばかりです。
それから一週間ばかり経って後のある日、開墾の方が予定よりもずっと
勇ましき開墾の凱歌を唱えて、一同が飽くまで、この月に酔い、海に躍るの興は、世界に二つとない、ここまでの苦を慰めるに余りあるもので、全員がみな十二分に歓を尽し、歌うもの、踊るもの、吟ずるもの、語るもの、さまざまに発揮して、島一つ浮き上るような景気でした。
七兵衛は、自ら楽しむと共に、司会者としての用心に抜かりなく、白雲は酒を呑んで、ひとり
ウスノロのマドロスまでが、大はしゃぎでハーモニカを持ち出すと、それがまた一座の人気を呼ぼうというものです。
そこで興がいよいよ
二十七
駒井甚三郎は酒を飲むことをせず、また唄うことも、踊ることも、いずれも興味を持ち得ていないけれども、ただ、衆がたわいなく喜び興ずること、そのことを興なりとして、やがて、自分ひとりこっそりと
お松も同じ思いです。皆の楽しむことは嬉しいけれども、茂太郎のように踊ることもできず、白雲のように
甲州の山で泣いた月、松島の浜の悩ましい月も思い出の月ではあるけれど、この豪壮で、そうして奥に限りのない広さから来る言いようのない淋しさに似た心地、それが何とも言えない。
お松は、漸く海と月とに酔うては進みつつ行くと、ふと行手に人影を認めました。
それはたった一つ、自分と同じように、この海岸を歩んで行く人影。この島に、ほかにその人が有ろうはずはないから、あれもわたしたちの仲間の一人、わたしと同じように席を
誰と言うまでもない、あの席を外して、ああして、ひとりお歩きなさるのは、駒井船長様のほかにはない。いつのまに殿様は、お外しになったのか、気がつかなかった、とお松はそれに胸を轟かすと共に、重い鉛を飲まされたように心がわくわくして、踏む足もとが、しどろに狂う風情です。ぜひなく、そこに立ち尽して
彼方の人影もまた、
しばらくして、お松は月を避けるもののように海岸の砂をたどると、道はいつしか椰子の林の中に入っていました。お松は、まともに月を浴びることが心苦しくなって、木蔭に忍ぶ身となったらしい。けれども、その足もとは、夢を追うように、海に立つ彼方の墨絵のような一つの人影を追うているのです。
彼方の人影も、もはや、それより先へは、行って行けないことはないけれども、あとに会場を控える身にとっては、単独の行過ぎになることを
それとも知らぬ駒井甚三郎が、当然そこを折返して来たのは、久しく待つ間のことではありませんでした。
「誰、そこにいるのは」
と言葉をかけたのは、待機の女性ではなくして、そぞろ心で月に歩んでいる独歩の客でありました。
「はい、わたくしでございます」
とお松は、きっぱりと言いながら、存外わるびれずに、木蔭から身を現わして駒井の方へ近づいて来ました。
「ああ、お松どの、そなたも月に浮かれて来ましたか」
「はい、ちょっと、海へ出て見ますと、あんまりすばらしいお月夜でございますものですから」
「まだ、みんな騒いでいますか」
「ええ、皆さん、大よろこびで、あの分では夜明しも
「そうですか、それは本望です、そういう楽しみをしばしば与えてやりたいものだ、我々がいると、かえって興を
と駒井は、いつもの通り
そうして、駒井の後ろに従うような気分でなく、それと相並んで歩きたいような気持に
「殿様、どうして、わたくしがあの木蔭にいることがおわかりになりまして?」
「ははあ、それはわかるよ、こうして月に浮かれてそぞろ歩いているとは言いながら、なにしろ、はじめての無人島だ、環境の事情からも、自衛の本能からもだな、前後左右に敏感に神経が働くからな、注意すまいと思うても、物影の有る方に注意は向くよ、植物と人間とを見誤るほどに、わしは酔うてはいないのだ」
その返答を聞いて、なるほど、夢のように、そぞろ歩きをしながらも、人をあずかる身になると、油断というものはあり得ない、という心のたしなみをお松がさとりました。男子は外へ出れば七人の敵がある、という
「あまり夜露に打たれてはお毒でございましょうから、お
とお松が言い出でたのを、駒井は素直に受入れました。
「なるほど、それもそうですね、夜露が毒とも思わんけれども、帰って、仕残しの仕事もある、そなたの言う通り、だまってこのまま引上げた方が、多数の興をさまたげないで済むというものだ。では、一緒に帰るとしましょう」
「そうあそばしませ」
駒井はお松を伴うて、椰子の林の木蔭を、新館への帰途につきました。
その時に、お松は、なんとも精一杯に自分の胸が躍動するような心持になりました。
この主人を、送り迎えに立ったことはこれまで幾度、室を共にし、事を共にし、職務以外には何の雑念もなかった身が、今宵は
お松としては、今までにほとんど感じたところのないほどの、強い充実味にぐんぐんと引きしめられる。ただ何とはなしに
駒井甚三郎もまた、踏む足がおだやかではありません。思いなしか、その白い頬の色が、
かくて、二人は椰子の木蔭を、かの新館なりと覚ゆる方面に向って、無言で歩きました。それは主従相伴うて歩むのでなく、二個の人間が相携えて行くもののようです。
椰子の林をわけて行くといっても、それは熟地に見るような簡単なものではないのです。蛮地ではないけれども、多年の無人島ですから、たとえ隣から隣へ行くにしても、道というものはないところなのです。そこへ、心あたりだけの道をつけて進むというよりほかに、進む道はないのです。自分たちの住む新館は、たしかあちらの方と、漫然とした道方角を選んで歩いても、それがそのままに通り抜けられるかどうかはわかりません。
で、二人は、方向の目的はきまっているが、その径路のことは忘れているようでありました。
無言で、ずんずん歩み行くこと、そのことだけに気が張りきって、到着の時と、ところと、そんなことは忘れてしまったのではないか。
二十八
「お松さん、わたしはここで、一つ、あなたを驚かすことを言ってみたい」
と、ある地点へ来て、駒井は足をとどめて、椰子の大木の一つに身を釘附けにしたようによりかかって、こう言いかけられたお松は、全身の鼓動を覚えたけれども、それでも度を失うようなことはなく、むしろ、待っていましたというような大胆な心をもって、駒井の前に立ちはだかりました。立ちはだかったというのは、不作法千万な振舞でありますけれど、お松としては、それほど大胆になり得た気分を、自分ながら誇りたい心持で、
「何を仰せられましても、驚きは致しませぬ」
「本来は、驚かすつもりもなく、驚くべき何事もないのですが、少しもわたしを知らない人は、狂気の
「殿様、あなたはわたしの唯一の御主人様でござります、御主人から仰せを
「いいえ、そなたは、わたしの家来ではない、わたしはもう
「それはおっしゃる通りでございます、陸にいると、海にいるとでは、人間の気象が自然に違って参ります」
「制限のなき世界、制限なくしておのずから節度のある世界、節度を人から
「
「おたがいに身を以て解釈しなければならない、昔のままの頭を以て、今の生活をしようというは無理ですよ、わたしたちが千辛万苦をしてなりとも、異境の土になりたいというのは、今までの生活がいやだからです、その生活を土台から築き直すためには、歴史と、習慣と、恩義というようなものを負うている国では、それができないから、わざわざこうして、天涯に土を求めているのに、昔のような頭で、昔のような生活に帰るつもりなら、おおよそそれは無意義なのです、その様式をすっかり打ち直すと共に、その心持を全く入れ替えなければならない。船のうちでは、そうしようとしても許されないものがありました、こうして自由なる国土の形式が、とにもかくにも出来上った上は、その実行にうつらなければならないのです――それを、わたしは、ここへ来ると同時に、ひそかに決心しました、考えるだけは考え尽して、もはや決心の時代も過ぎて、実行の時代に入りました、その実行の第一として、誰よりも先に、お松さん、お前を驚かさなければならない。実を言うと今日まで、その機会を冷静に見つめていましたが、今晩という今晩が、その与えられた機会だと思わないわけにはいかない、もう、これ以上に論議を費す必要はないのです、物を言って
駒井甚三郎は、つとめて平静をよそおい、また平静の心を以てこれを言わなければ、言う意味をなさないことを感ずるかの如く、こう言いきって、そうして、お松の表情を、月に照らして、爪の先までも見落すまじと見入ったのです。
二十九
しばらくの間、たぎり流るるような烈しい沈黙が、無人島の、今は無人でない処女嶋の、椰子の林の木の間につづきました。
駒井のかくまで、技巧ならぬ技巧をこらして打ち出でた応対に、お松としては返事がありません。返事ができないのです。できないのは、あり余って、そうして、その言葉を見出すに苦しむのでありましょう。
全くこれは、この純良忠実なる処女を驚かすに充分なる申し出でありました。尋常の場合、当然の立場でいてさえ、女性として、この申し出に触れた時は人生の最高潮であって、これに動揺しない婦人は一人もあるべきはずでない。驚くなと言っても、驚かずにはいられないはずのものです。お松の心の激動と、その激動を持ちこたえるものごしは、駒井に正面から見下ろされてのがるる由がありません。
こうなった時に、お松は、これこそ驚くべき勇気を以て、少しもたじろがずに駒井の
「承知いたしました、わたくしは、あなた様のお申出でを、このまま素直にお受入れ致します」
「うむ――」
と言って、駒井甚三郎が、その足を大地に踏みこたえるように立て直して、
「有難い――よく承知をしてくれました、今晩から、あなたは、わたしの妻です」
「かような、これより以上の大事はないお申出でを、そのまま、この場でお受けする気持になった、わたくしというものの
「有難い、わたしは今まで、いかなる女性からもそういう強い愛情を受けたことがありません、女性が男性の要求を受ける場合に、抵抗がなくして、それに成功のあることは絶無です、積極にか、消極にか、抵抗を受けてその後に征服があるのです、結婚というものの原始の形式はそれでした、それが進歩して、その間に、あやというものだけが残っている、一旦は拒むものです、許す気持を以て争うものです、よい意味の芝居をしないで、男の要求を受入れる女というものはありません、それをお松さんだけがしない、これは偉大なる強さです、この抵抗のない抵抗の何という強さ、今晩、駒井甚三郎は、生きているという喜びを感じました」
「わたくしも、初めて、女として生れ甲斐があったということを、今こそ
この時に、お松は身を以て駒井の上に倒れかかりました。
全く、自分で自分を支えることができない。今まで
身を以て泣く女の力、駒井はその力が、雷電の如く火花を散らす強さを知りました。
三十
この時以来、二人の身心に大革命が行われたということを、誰も知ったものはありません。
聡明にして叡智なるこの二人は、その秘密を誰にも知らせようとはせず、また知らせてはならないことだと感じました。
二人の間が、今までと変って、二つのものでなく、完全に溶け合ってしまって、しかも、その情熱は白熱の情熱で、土をも、金をも、あらゆるものを溶かし尽す盛大なる力を、秘密の中に生かし置く二人の人間としての慎みが、また強大なりと言えるかも知れません。
それが、二人を偽善に導かず、壮快なる活動力となり、人に疑惑を持たせずして、信頼を加えるように嶋の人からもてなされていることは、今日が昨日に優ろうとも劣ることはありません。
それだのに、二人は、この秘密の知らるることを怖れました。相戒めて、よそよそしく振舞わなければならないことを申し合わせたのは、それは、こういう疑惑が人心を迷わすことのいかに大きいかを、二人ともに、経験の上からよく心得ているのです。
人心を得るも、失うも、その機微に存することを、飽くまで味わって来た駒井甚三郎、世間の苦労をしつくして、人心の反覆を知り過ぎるほど知っているお松は、二人の評判が、この僅かな同志の間にでも異様に立ちのぼった時は、それは二人同士の身心の革命が、血を流さずして行われたことのように容易なものでないことを、熟知しているからであります。
人心が離れる、離れないということは、男女の間の疑惑から起って、予想だもしない危険があるということに、相戒め、節制をつとめる二人の間は、偽善ではなくして、誠意でありました。
二人の間を、異様な眼を以て見るものは一人もありません。船にある時、優良なる船長であった主人と、その最も忠良なる侍女、或いは秘書としてのお松を、虚心平気で見る以外の眼を以て見るものは一人もありませんでした。
二人の革命は、無事に二人だけの破壊と組立てを完了している。その勝利というような甘い感じが、ややもすれば、この聡明にして警戒深い二人の世界を、動かそうとすることもないとも言えないが、二人の世界は、二人だけの世界で、何者といえども、これに触るるを許さないところのものでありました。
その甘きに酔うべき秘密を、二人は、厳粛に、犯されざる垣の内に保ち得たりとする、そこに、誠意もあり、警戒もあるが、また、免るべからざる弱さもありました。その弱味が、
事実、秘密は保たれている――と信じきったところに
その一人とは誰。神秘に属する官能を与えられた無邪気な清澄の茂太郎か。いいや、そうではない。茂太郎は鋭敏な天才に似ているけれども、まだその世界を知るまでには、年齢の力が許していない。つまり、それを最初に見破ったのは別人ならず、七兵衛入道なのであります。
七兵衛は、もう翌日の朝、二人の間を見破ってしまいました。
朝の御機嫌伺いを兼ねて、事業の進境の相談をするために、真先におとずれた時に、平静を極めた二人の、常と少しも変らない態度とあいさつのうちに、どこをどう見つけたか、心のうちに
「お松も、いよいよ女になったなあ」
駒井甚三郎も、お松も、この人に会っては、皮をかぶることはできないのです。
だが、そういった七兵衛入道の面には、いささかも意地の悪い表情はなく、それが結局、二人の喜びに
「縁は異なものとはよく言ったものだ、あの子が駒井の殿様のものになろうとは思わなかった、駒井能登守を、こっそりと
と、こう
お松についても、駒井についても、知るだけを知りつくしている七兵衛入道は、今さら、「縁は異なものとはよく言ったものだなあ」と、ひたすら、その縁という異常なることに感じて、それの正しいか、正しからざるかは考えていないらしい。考える暇もないらしい。もし、少々でもその余裕があったとしたならば、彼は第一に、このことが宇津木兵馬というものにとって、いいことか、悪いことか、そのことだけでも一応は考えなければならないはずなのです。
七兵衛としては、一日も早く兵馬に本望を遂げさせて、そのあと二人を一緒にしてやる、これが一生の願いで、これまで陰に陽にそのことに力を入れて来たのですが、ここで、そういう結構が、すっかり打ちこわされてしまっていることを知った以上は、お松に対して苦言を言わなければならず、駒井に対して
「お松もいよいよ女になった、これで、おれも安心だ」
という安心と満足でいっぱいなのは、どうしたものでしょう。こうして七兵衛が、大安心と満足で満ちきっているところへ、天幕の外から、
「おじさん、来ているの?」
これも、うら若い女の声でありました。
三十一
「お喜代坊か」
と七兵衛が言ったので、
「おじさん、一人?」
と答えて天幕の中へ現われたのは、湯の谷の温泉で、きわどい時に拾い当てた山方の娘のお喜代であります。
お喜代は、
「ああ、わしは今、駒井様へ行ってお指図を受けて来たところなんだが、もう、みんな働きに来るだろう、喜代ちゃん、そこへ火を
「はい、承知しました」
極めて柔順に、この子は、七兵衛の言いつけを聞いて、急ごしらえの
「ああ、ここにも娘盛りがいる」
と言って、何か深く考えさせられたものがあるようです。
お喜代は、あんなにして七兵衛が貰い受けて来たというよりも、変った意味の前世の約束で、無理に背負わせられて来たのだが、こうなってみると、有力な拾いものであります。有力どころではない、求めても得られない、珍重な拾い物をしたと思わずにはいられません。
その当座こそ、この娘は、さんざんに泣きもしたし、故郷を恋しがったりして手がつけられなかったけれども、今は慣れきってしまいました。これが与えられた生活であるという希望が、ようやく芽を出して来たのは、上陸して後にはじまったのではありません、船の中が好きになりました。海上生活が好きになったというよりは、この中の同志が物珍しくて、そうして、いずれも内容があって、親切であることが、単純な山の中の人と共に生きているよりは、なんとなしに豊かなものであることを知って、この人たちと共に暮すならば、海の
「ここにも娘盛りがいる、今はまだいいけれども、そのうちに、と言っているのでは遅くなる、何とかしなければならない、何とかしてやらなければならない、何とかするといっても、もう世界は限られているようなものだから、いずれは、この組の中の誰かに合わせてやらなければならない、そのうちに当人が誰を好くとか、誰ぞがぜひにとか望んで来るものがあるに相違ない、打ち出してそう言えないうちに、それを見てやらなければならないのは年寄の役だ、だが、危ないものだなあ」
と七兵衛が、年寄心で、それからそれと取越し苦労に
「危ないというのはほかではねえ、この国には男が多くて女が少ない、少ないというよりは、まだ男の数は、そうと、十三人を数えるけれども、約束済以外の女といっては、まあこの娘と
七兵衛の苦労は、そこまで及びましたけれども、それはただに取越し苦労ではない、火がそこまで燃えさかって来ているようで、おっつけ、この女の持主というものを確定してやらないことには、その暗黙の競争者で火花が散る。苦労人の七兵衛は、この問題を、島に於ける最初の、しかも最大の難問題のように思われ出してきました。
競争者が出来た時に、一方に与えて一方に与えなければ、すぐに
お松の方は、あれで大安心。いいか、悪いか、それは知らないが、もうあの女の運命はきまったから、あれは、これ以上に心配してやるがものはない。これからはこの娘だ、今夜は一晩、寝ずに考えてやるぞ、と七兵衛が、じっと思い入れあった時に、どやどやと皆が出動して来ました。
三十二
その晩、七兵衛は、無名丸の方へ廻って船番がてら、船で一夜を明かすことになりました。
広い船室の中に、たった一人で、思う存分考えてやろうとしたのは、今朝、天幕の中でじっと
それを考えると、自分というもののこし方も、おのずから考えられるので――
「ああ、おれも考えてみると、女房では苦労をさせられたんだなア、苦労をさせられたというより、女房のために一生を誤られたと言ってもいいかも知れねえ。なあに、そんなことがあるものか、自分というやつの手癖足癖が悪いから、こうなったに相違ないが、
七兵衛は、こういうことに思い
こういう心持で、船の中の乗組、船頭、
冗談じゃない、ではいっそ、七兵衛おじさん、お前の物にしちまったら……もともと、お前に授かったのじゃないか――全く冗談は言ってもらいますまい、第一、この坊主頭にてえして、そんなことができますかい、それに、今日まで男後家を立て通して来たといえば二本棒だが、聖人の道を守って来たこのおやじを、今となって人間道に引卸すなんては罪だよ、考えてもいけねえ、そういうことは口走るもんじゃねえよ、と七兵衛は自問自答して、厳粛に打消してしまったりしていましたが、一晩考えてみても、なんら目当てはつきません。
物事はそう取越し苦労ばっかりするもんじゃねえ、神仏がいいようにして下さらあ、縁は異なもの味なもので、人間業に行って行かねえやつなんだ、早い話が、甲府勤番支配駒井能登守が、この大海原の真中の離れ島の椰子の木の下で、おれの娘分のお松と出来合うなんていうことが、仏様だってあらかじめ御存じのある事じゃあるめえ、それと同じことに、あの娘だって、どうしようの、こうしようのと、おれがここでやきもき思ったからとて、どうなるものか、冗談は言いっこなし、いい年をして、そんなことができるかい、そんなことをしようものなら、みんなの示しがつくと思うかい、なに、駒井の親玉でさえもあれじゃないか、お前のはそれよりもっと素姓がいいんだぜ、村方総出で許されて来たんだぜ、あの時、村方の者が何と言った。
あの村のならわしで、いったん男に肌を見られた女は、もうよそへお嫁に行くことはできない。
村の昔からの習わしでございまして、娘のうちに、男に肌を見られたものは、どんなに身分が違いましょうとも、年合いが違いましょうとも、その男よりほかへは行ってはならねえことになっているのでございます、見たもの因果、見られたもの因果でございまして。
そういう習慣でございます、そうしてその娘は、あの場で、こちら様に、すっかり見られてしまったんでございますから、もう嫁にやるところもございません、
それのみじゃございません、怪我にでも一人の女の肌を見てしまったものは、否が応でも、その女を自分のものにして、面倒を見なけりゃならねえおきてになっているのでございます、それをしなけりゃ村八分、いや、荒神様の怖ろしい
わしらが方では、名主様のお嬢様がお湯に入っているところを、雇人の作男が、ふと見てしまったばっかりに、そのお嬢様は、隣村への縁談が破談になり、その作男を夫に持たなければならなくなってしまったことなんぞもございます。
何を申しましても、村の昔からのおきてなんでございまして、このおきてを破ると、孫子の代まで恐ろしい祟りがございます、そうして、現在この子は、あなた様のために、あの通りの目に会いました、善い悪いは別に致しまして、これがこの子の運でございます、もうこの娘は、あなた様よりほかに面倒を見ていただく人はございませんから、御迷惑さまながら、どちらへでもこの娘をお連れなすっていただきたいものでございます。
もし、あなた様が、この娘の面倒を見て下さらなければ、この娘は死ぬよりほかは行き場所のない子なんでございます。
そういうわけで、押しつけられたのだ。
そりゃ、それに違えねえけれど、それは土地の迷信というものだ。土地の信仰を無にはできねえから、一時、おれはそれに随って来たが、船つきの都合で、暫く方向をかえて、
三十三
こういう意味で七兵衛は、この問題に未解決の解決を与えて、それでひとまず打切りとしました。
朝起きて見ると、兵部の娘が、思いの外にきちんとした身だしなみで、パンとお茶とを持って来て、七兵衛のために朝飯をととのえてくれました。マドロスはと見ると、一心に船の掃除をつとめている。この二人は、ほとんど常住の船の番人です。上陸してその部署につかないこともないではないが、船を守ることを本業として、陸に来ることは、ただ自分としての割当ての縄張を見て置くだけといったようなものです。
見るに、気のせいか、マドロスも、ウスノロぶりがだいぶ引きしまってきたようです。兵部の娘の何となく甲斐甲斐しく見え出したのと同じ見えですが、見損いでない限り、二人の気分の改まりは、環境のもたらす一つの好感化かも知れません。というのは、今や他の船員はことごとく陸上に安定の地を求めて一生懸命です。が、この二人だけは船に置かれて、これまた、船を安定の地として残されている。周囲の嫉妬もないし、
出来ないうちはともあれ、出来た以上は仕方がない、出来たにしても、どちらか一方に不満がある時は、またそれはどうにか手段があろうけれど、毛唐であれ、ウスノロであれ、出来てしまっている上に、二人とも、憎くない、好き合っているということになってみては、もう、文句の無いところだ、許してやるさ、明るく二人を扱ってやることさ、少なくとも、冷たい扱いをしないで可愛がってやるがいいさ……こういうように、同情心を以て対するものですから、二人も、七兵衛の温かい心に非常な感謝の念を持っているのです。
この感謝の心が、かくも行動となって現われて、七兵衛に対する限り、もてなしぶりが違うのです。そこで二人も七兵衛の来ることを喜ぶし、七兵衛もまた、二人以外の船の
時たま、田山白雲が、船を見舞に来ることもあるが、これはウスノロにとっては最も苦手で、この人が来るとウスノロは、船室の中にすくんで扉を閉して出て来ません。兵部の娘の姿が見えると、白雲が何かとからかうものだから、娘も恥かしがって、なるべく姿を見せないようにしている。それだから船も
駒井甚三郎も、最初のうちは、ちょくちょく来て見たけれども、これは、二人を叱りも、からかいもしないけれども、二人の方で気が置けて、やっぱり姿を見せないことにつとめているし、駒井もまた、二人の存在を無視して、仕事を片づけては行くものですから、ほとんど没交渉のようなものです。それさえ、この数日間は姿を見せない。毎日一度は来た駒井船長が、船へ姿を見せないことによって、陸の方の事務がそれだけ忙しいことがわかります。忙しいというよりは、それは、あの晩の事あって以来のことですから、お松を必要とする限りに於て、駒井はその新館の一室から、助手を手放すことを好まない。ほとんど終日を二人は、一室のうちに扉をおろし、カーテンを卸して研究に
「船の中でも、そうでしたが、よくまあ、あれだけ
と、無邪気なお喜代が、同情のあまり、七兵衛に向って感歎して言いましたが、七兵衛は、
「人間、好きな道には命さえ投げ出すよ、仕事というものは、
駒井がここへ来て、新しい研究に熱中の度を加えたとの評判は、お喜代の眼にばかりではない、誰の眼にも、舌を捲いて感歎するものがありましたけれども、それを何でもないことに解釈するのは、七兵衛入道ひとりだけに過ぎません。
三十四
神尾主膳は、上野へ行って輪王寺の門跡について、覚王院の
それでも、ひるまずに竜王院の執当をたずねてみたが、それもおりから不在とのことです。
そこで、憤然として山を蹴って出づべきだが、今日の主膳は、左様な侮辱にひるまないで、更に、輪王寺の重役、
本来、今の神尾の身で、供もつれずに、覚王院や竜王院を突然に訪ねてみたところで、
今の神尾は、人に訪ねられる身分でなく、ましてや人を訪ぬる身でない。悪友以外にまじめに訪問を試みたということは、甲府勤番の役向を別としては、何年にも絶無のことでありました。
それでも覚王院に於ても、竜王院に於ても、あえて
役の出先、
「これはこれは神尾主膳殿、珍しいことではござらぬか」
「いや、津の国の、何を申すもお恥かしい次第だが、今日、かくの通りにぶしつけに推参いたしたのは」
「その後、お
安芸守の言うところには温か味がある、それが何かしら神尾を
「いや、ドコにいると名乗るほどの安定はない、刑余の亡命者でござるがな、今日は、どういうものか、虫の居所が少し違っていると見えて、じゃんじゃんの鐘を聞くと、急に上野の地が恋しくなったようなわけで、山へ登ってみましたよ。とりあえず、竜王院と覚王院をたずねてみたが、見事な門前払い、なるほど、今の神尾ではかくもあらんかと腹も立たなかった、今日という日は、妙に虫の居所が辛抱強い、それにも屈せずして御門を叩いてみると、ここの御門前は極めてすべりがよろしい、かくばかり
神尾としては、今日はまた舌も存外滑らかで、
「何かと思えば、改まった御質問、さもありなん御心底もお察し申すが、なにしろ、そのことは重にして大、なかなかここで寸秒の座談に尽すというわけには参らぬ、拙者も門跡へ出仕の身でござるによって、ただいま
「よろしい、承知仕った、すでに会うまじき昔の人に、会わんとして会うた以上は、尽すところを果さなけりゃならぬ、今晩なりと、明日なりと、貴殿のお引廻しにあずかりたい」
「いさぎよいお言葉、では、今夕七ツをお約束仕ろう、再度、これまで御足労を煩わしたい――参集の二三子とても、いずれも心置きなきものばかりでござる」
鈴木安芸守の砕けた応対、ちっとも我を侮らぬ扱いがいよいよ頼もしい。それというのは、この人も幕府の一人には相違ないが、城下にいること少なくて、山に住むことが多いものだから、世間のことにうとく、従って、昔の神尾あるを知って、その後の神尾を知らない。さしも持崩して千瘡万穴の、この神尾の醜骸を、まだ取りどころのあるものとして、手を触れてみてくれるだけでも頼もしいと、神尾が一応、不覚の涙を催したというのも無理はないでしょう。
三十五
その夜、再び鈴木安芸守をたずねると、鈴木は、客間に杯盤を設けて、打ちくつろいで神尾を迎えたが、その座上に連なる二三子というのも、意外に皆、打砕けた気風で、御家人もあるが、いささか伝法な肌合いもあるが、幸いに神尾を見知っている者は無く、鈴木もまた、神尾の何者であるかを説明せずして、同じく待遇したものですから、場所がらと役目に似合わず、打解けた会合ぶりでありました。
その座上も、かなり和やかで、主客の間に、ずいぶん
ここまでは誰も見る通りの時勢なのであるが、これからの観察と、解釈とが、この一座のものとして聞くのと、
「策動はしているが、結局はモノになるまい、
というのが、鈴木安芸守の結論らしい。
これは関東方としては、しかるべき見方であり、また事実その通りに信じているのであるけれども、以て、天下の
しかし、この座では大体に於て、鈴木の意見に一致するので、それ以上に、徳川の余力を買いかぶって、薩長共の
それから、朝幕と、各藩各勢力の有する人物評判などに及んで、こういう時勢に於ては、おのおのその有する各藩の人物の
「京都に於て、公卿で第一に怖るべき人物はというと、それは岩倉三位だ、あれが容易ならぬ曲者で、薩長といえども、まかり間違えば、岩倉のために手玉に取られない限りもない、あれは
と、きっぱり言いました。岩倉三位に対して、ともかくもこれだけの認識を持っているというのは、鈴木安芸守が、やんごとなき御方の、おつきの養育係を命ぜられて四年間、京都に留まったその経験がさせることと思われますから、いずれも耳を傾けました。今の関東では、やれ長州に高杉があるの、薩摩に西郷がいるのと言っても、てんで取上げはしない。旗本たちにとっては、薩摩や長州の藩主そのものでさえが、己れと同格以下に心得ている伝統的の自尊心があるから、そのまた下の軽輩共などが眼中にあろうはずはない。それは浮浪人同様のもので、
「では、関東方で、その岩倉に匹敵する人物は誰じゃ、西の岩倉と組んで、引けを取らぬ東の関は何の誰だろう」
岩倉にケチをつけてみたいが、つける知識の持合せが無い、その反動として、東でこれに対抗する人物ありや、と伝法の一人が質問を発したのは、将を射んとして馬を射るの戦法に似たものがあります。そうすると、鈴木安芸守がこれに答えて次のように言いました、
「京都の朝廷に岩倉三位があるように、輪王寺の門跡に覚王院義観僧都がある、京都に於ける岩倉三位を向うに廻して、これと相撲の取れるのは、覚王院義観僧都あるのみだろう」
これは意外な見立てと言わなければならぬ。会津とか、桑名とか、譜代の誰々、旗本に於て少なくとも小栗とか、勝というものが、口の
神尾主膳は、とにもかくにも、今日会わんとして会えなかった覚王院の義観なるものが、それほどの傑物であるかという印象の下に、更に鈴木に向って、ぜひ一度、その覚王院に面会したいから紹介してくれと頼みました。
三十六
そこまでは無事でしたが、その会談が七ツ下りの時分に、二三子のほかに、もう二人、
「これは、これは」
と言って、双方ともにテレたのは、こっちは神尾主膳だが、相手は土肥庄次郎であったからです。
「珍しや、神尾主膳殿、御壮健で」
「これは土肥庄次郎、その後はどうした」
この男だけが、初対面でなかったのです。いずれは神尾に近づきのあるくらいだから、相当のシロモノではあろうけれども、昔の悪友という因縁ではない。実はこの男の祖父は、一橋の槍の指南役で、この男も祖父に就いて槍を学び、槍に就いての交りもある上に、その当時、悪友としてのよしみも浅からぬ方であった。
土肥庄次郎の父を半蔵と言い、祖父を新十郎と言い、これは御旗奉行格大坪流の槍の指南役であった。その仕込みを受けて、あっぱれ免許皆伝の腕となり、槍を取っては、神尾のいい稽古相手であり、同時に悪所通いにかけても、負けず劣らずの腕を
そのうちに土肥庄次郎は、長崎へ行くようになってから、二人の交りはパッタリと絶えて幾久しい間、ここでめぐり会ったというものだから、相当
しかし、ともかく、
土肥庄次郎が同行の一人というのは、ずんぐりと肥った伝法な男で、これは大師堂五郎魔であります。庄次郎と五郎魔とは、
松源の二階で、神尾主膳と、土肥庄次郎と、大師堂五郎魔とが、三人で飲み合いました。
酒を飲み出すと、興にのって、土肥庄次郎らがこういうことを口走りました。これは極々の秘密事項だから、断じて口外はならんが、拙者と五郎魔が、今晩、鈴木重役へ相談に行ったのは、当時流行のスパイ一件のためであるということで、それはこのごろ、上方から
これは土肥庄次郎の打明け話で、次は大師堂五郎魔の実験談――
つい昨晩のこと、五郎魔が、お茶の水の
ところが、その若い奴が、死なねばならぬわけがあるから、どうかこのまま死なせて下さいと、泣いて頼む
塾というのは
誠一郎が、大息してなげいて言うには、この首縊松というやつが名代になっている、この松で今まで幾人首をくくったかわかりゃせぬ、いわば人殺しの松だ、憎い松だ、手は下さないけれども、人命を奪う奴、所詮この松があればこそ人が死にたがるのだ、ことにこの枝ぶりが気に食わぬ、こいつがにゅうとこっちの方へ出しゃばって、いかにも首をくくりいいように手招きをしていやがる、こいつが無ければ人は死ぬ気にならんのだ、怪しからん奴、憎い奴、と言って、岡野は君子人だが、その君子人が刀を抜いて、首くくり松の首くくり松たる
そこで、おれが、あわてて、これこれ岡野、松はういもの
「なあに、お
と言うから、よし来た! と刀を抜いて、枝をブチ切ってしまったよ。もう、首が
だが、岡野には感心したよ、おれが助けた奴を、またわざわざ助けに来る義心がエライ上に、あの君子人のくせに、刑罰を覚悟で悪魔払いをしようてんだから見上げたもんだ――五郎魔は五郎魔らしい身の上話をして、座興が湧いたから、第三次としてこれから吉原へ行こうと言い出したのを、無論、それを断わる神尾ではあるまいと見ていると、案外にも、今宵はこれで御免を
三十七
ほかに待っているのがあると言って、吉原行きをことわって引返して来た根岸の
これでは神尾もすでに老いたりだ、だが、他に待っている者があるとの口実が、いささか気がかりではある。
いったい、誰が、この化物屋敷に神尾を待っている?
待っていると言うたとて、ほかの者が待っているはずはない、先代ゆずりの、お絹という肌ざわりの相当練り上げられたのが、
それでも神尾は、夜のおそきを
幾つものギヤマンをそこへ並べて、その傍らには中形の
「よくお帰りになりましたね」
「ああ、感心に帰って来たよ、ほめてもらわなくちゃ」
「
「全くその通り、実は鈴木安芸守をたずねたまでは至極無事だったが、あれから計らず悪友に逢ってな……」
「悪友――でも、あなたに善友というのもありましたか知ら」
「ばかにするな、今日は善友も善友、輪王寺の執当を二人までたずねた上に、重役の鈴木安芸守と真剣な話をして来たのだ、正真正銘の
「それから?」
「それからお定まりの吉原へ誘惑を受けたが、待ってる人があると言って、きっぱり断わってここへ帰って来たのだ、どうだ、有難い心意気だろう」
「それはまあ、全く珍しいお心がけでした、ほんとに賞めて上げる
「は、は、は、お婆さんが一人で
「お気の毒でしたねえ、姉さんとでも、おっしゃればよかったのに」
「奴等、変な
「あなた、御病気になるといけませんよ、あなたはあなたらしくなさらないと、かえって病気になりますわ、敵に後ろを見せるようになっては、神尾主膳も
「そんなこたあないよ、今日は精進日だから、そういうところへ行きたくなかったんだ、それに姉さんが、ひとりで、根岸の里にお留守居だから、お淋しかろうと思いやったばかりじゃない、当節柄、女一人を置いては、全く危険だからな、心が落着かないよ」
「嘘にも、そうおっしゃっていただくことが嬉しいわ」
「うんと賞めてもらいたい」
「
「何だ、それは」
「ギヤマン」
「ギヤマンはわかっているが、この油のようなのは何だ」
「これはね、ブランと申しましてね、
「そうか」
と言った神尾主膳は、じっとそのギヤマンの小コップに盛られた黄金色を見つめたまま、手に取ろうとしませんでした。
いつもならば、こちらから催促して、キュッとひっかけるはずのところを、今日は妙に手を出さないものだから、お絹が、
「どうあそばしたの、イヤに御遠慮をなさるのねえ」
「うむ」
「何をそんなに考えていらっしゃるの」
「今日は精進日だ」
「そんなに精進というものは附いて廻るものですか知ら、わたし、気になりますわ、そんなに精進精進とおっしゃられると、わたしまで気が
「いや、悪く取るなよ、実は飲みたいんだ、
「たんとお引きなさいな、そんなに幾つもいただけるお酒ではありません」
「一杯あとを引けばまた一杯――しまいにはお前を夜通し寝かさない」
「そんなこと、苦になりませんよ」
「それだけならいいが、拙者の病が出る、久しく酒乱の見せ場を出さなかったが、こいつは急に自分を誘惑する、手つかず人を酒乱に落しそうな酒だ、今晩は我慢しよう」
「そうおっしゃるなら、
と言いながら、小さなギヤマンについだブランと称する黄金水をとって、お絹がグッと
そうして、精進にはじまって精進に終った神尾が、その夜は無事に
三十八
寝についたが、妙にかんが高ぶる。今晩の鈴木邸の会談が骨となって、それにさまざまの想像の肉が附こうというものです。
それでも
不承不承に起き上って見ると、お絹が台所で何かと小まめに働いているらしい。こんなことも珍しいもので、起きて見ると、おめかしの最中であってみたり、どうかすると置いてけぼりを食って、一日を
それから、茶の間へ入って見ると、どうでしょう、
まもなく二人がお膳についた時に、大丸髷のお絹が、きちんと身じまい薄化粧にまで及んで、たいへんな澄まし方でお給仕に立つのが、あんまり現金で痛み入るくらいのものでした。
「何もございませんが、今日はお婆さんの手料理ですから、たくさん召上っていただきます」
「お手料理かなあ、それは痛み入ったよ」
「お酒は差上げません、精進を妨げるとお悪いから、お酒は差上げません、その代り、お気に召しましたら何なりと」
「どうしてまあ、今日はこんなにもてなされるのかなあ、あとが怖いようだぜ」
「あとの怖いものは、今日はすっかり取上げましたから御安心くださいませ」
と言って、お絹がお鉢を取ってお給仕に当りました。
神尾としては、この女のもてなしで、こんな晴れやかな気分に置かれたことはない。
どういう了見で、今日に限って、こんなにまでしてくれるか、わからない。自分の誕生日でもなければ、父母の命日でもないのにと、うす気味が悪いほどだが、それでも悪い気持はしないのです。
「あなたが
と言ったから、神尾がははあと感づきました。なるほど、ゆうべ、お世辞にも、待ってる人があるからと言って、吉原附合いを断わって戻って来た、それがこの女は嬉しいのだよ。一人で置いて留守が心配だから、夜更けを押して帰って来た、その心意気を買ってるんだ。買われたこっちはくすぐったいものだが、買った当人の心意気は殊勝でないとは言わない。
女というものはこういうものなんだ。したい
女というものはこれだ。あんまり現金過ぎて、くすぐったいけれども、可愛いところがあるよ。なるほど、女は喜ばすべきものだ、女を喜ばすには、金をやることもいいし、品物をやることもいいが、一番いいのは、お前に限ると言ってやることだ。言ってやるだけではない、実行に現わして見せることだ。昨夜おれが吉原行きを断わって戻って来たのを、
そう思うと、この女も存外、女だ、女というものは憎めないものだと、神尾も身に
三十九
こうして
「また今日も上野へ出かけて、坊主に面会して来る、話が長くなるかも知れんが、たとえどんなに遅くなっても帰って来るから、お前も、なるべくよそへ出ないでうちにいてくれ」
「ええ、よろしうございますとも、あなたさえ帰って下されば、どんなに遅くまでもお待ち申しておりますよ、悪友がおすすめになりましても、昨晩のように待っている人があるからと言って、御免蒙っていらっしゃい」
「今日のは悪友じゃない、坊主に会って来るのだから、いよいよ安心なものだ、その坊主も
「何でもいいから、エライお方にはお目にかかってお置きなさい、つまらない人にはなるべく会わないように、
「いやはや、世界は変るぞい、お前から論語を聞くようになった。じゃ、行って来るぞ」
「行っていらっしゃい、お早くお帰りなさいよ」
こうして、すっかり身なりをととのえてやり、ポンと一つ背中を叩いて、出してやりました。
神尾主膳の行く先のエライ坊主に会いに行くというのは、覚王院の義観のことでしょう。覚王院も、竜王院も、その昔から知らぬ間柄ではない。世の常の坊主と思っていたら、このごろになって、その評判がばかに高い。ことに昨夜の鈴木安芸守の見立てによると、京都の公卿の岩倉三位というのと匹敵する人物だという。岩倉がどのくらいの人物か知らんが、朝廷にいて、薩摩や長州の首根っ子を取って押えるというのだから、相当なものに相違あるまい。それが西で事を挙げると、こっちは東にいて相撲が取れる相手は覚王院の義観だという見立ては、当るにしても、当らぬにしても、後学のために会って置いていい坊主だ、そういうような気分で神尾主膳は、程遠からぬ、根岸からつい一足上りの上野の山へ今日も出かけて行きました。
その留守には、お絹がおとなしく待っている。
誰も来ないとなると、閑の閑たる根岸の里。お絹は
神尾主膳の居間は、らんみゃくです。
掃除ということに、こんなに身を入れたことは、お絹としては、生れてはじめてのようなもので、掃除をきれいにしてみると、室がきれいになるばかりではない、身心も何だかさっぱりして、若々しい気分に満ちて、まだ本当の意味では味わったことのない新所帯の気持、どうやら新婚の気分といったようなものに浮き立つのも、いまさら気恥かしい。
夕方になると、約束よりも早く立戻った神尾主膳。
お絹に
「聞きしにまさるエライ坊主だよ、あれだけの見識とは思わなかった、実際会ってみると談論風発、当代の人豪顔色無しだ、なるほど、あれなら輪王寺を背負って立って、関東のために気を吐くこと請合い、ちょっと、あれだけの大物は無いなあ、坊主にして置くは惜しい、政治家にしても、軍人にしても、大仕事のできる奴だ」
と言って感歎の声を惜しまない。お絹も煙にまかれて、
「そんなにエライ坊さんが、今時、上野にいらっしゃるのですか」
「いるとも、いるとも、あの坊主の説を聞いて、おれの頭の中は一変したよ、勝や小栗のことは知らないが、まあ、あいつらに勝るとも劣るものではあるまい、あれだけの奴がこっちにいれば、よし江戸の城は明け渡しても、上野の山で持ちこたえる、あいつが軍師で、輪王寺の錦の御旗を押立てて
「そんなにエライお方を、坊主坊主と呼捨てになさって
「輪王寺の執当職で覚王院義観というのだ、学問があって、胆力があって、気象が天下を呑んでいる、会ってみなけりゃあ、あいつのエラさはわからん、山岡鉄太郎や、松岡万あたりも、あれの前へ出ると子供のようなものだそうだ」
「お山にも、そんなエライ坊さんがいらっしっては頼もしいことでございますね」
「そうだ、義観のほかに、竜王院の堯忍、竹林坊の光映などというところは、覚王院とは異った長所を持つエラ
神尾主膳は、よほど覚王院義観に参らされて来たようで、口を極めて感歎の舌を捲くが、お絹はバツを合わせるだけで、人物論などには興味を持ちません。そこで、神尾は覚王院礼讃はいいかげんに切上げて、さて声を落して言うことには――
四十
「時に、話は別になるが、ここに、ちょっと耳寄りな、聞いて甘いような辛いような口が一つあるのだが、お前、乗ってみる気はないか、お前が乗れば、わしも乗る」
と調子が変ったものですから、お絹も人物論よりは乗り気になり、
「甘い口なら、いつでも乗りましょう、おっしゃってごらんあそばせ、あなたが甘いとお思いになっても、わたしには辛いかも知れません」
「話は至極甘いのだ、いわば
「まあ、おっしゃってみてごらんあそばせ」
「実はな、ひとつ、京都へ行く気にならないか、お前が行く気なら、おれも行くよ」
「京都へ?」
「うむ、上方だ、今は江戸の舞台が、あっちへ移っているのだから景気は素敵だ、それに江戸と違って、千年の都だからなあ、見るもの聞くもの花の都だ」
「上方見物――ようござんすねえ、お恥かしながら、わたし、この年になって、まだ京都を存じません」
「そうだったかなあ、
「行くつもりなら、いつでも行けると思って安心しているうちに――年をとってしまいましたのよ」
「いや、これから
「ないどころじゃありません、大有り名古屋のもっと先なんでしょう。いったい、何でそんなに急に京都風が吹き出して来たんでしょうね」
「まあ聞け、こういうわけなんだ、どの方面と名は言わないが、このおれにひとつ京都へ
「まあ、それはどうした御縁なんでしょうねえ、また悪友にそそのかされておいでになったんじゃなくって?」
「いいや、これも悪友ではない、第一、悪友どもにこの神尾を見立てて京都へ行けというほどの実力ある奴がいるか。京都へ行けば、当分、遊びたいだけの遊びをしていいという軍費が出る、何一つ不足をさせない、その上に、仕事といってはただ遊んでいさえすればいいというのだから、神尾主膳あたりには打ってつけの役廻りだ」
「今時、そんな茶人があるものですかねえ、ほかならぬあなたをお見立てして、京都で思うさま遊ばせて上げようなんて、そんな有り余るお宝の持主がありますかねえ」
「それが有るのだ、有るべき道理あって有るのだから、やましいことがなく、しかも遊んでさえいれば、それが立派な御奉公になろうというのだから、まず近ごろ、これ以上の耳よりな話はないさ」
「そんなら、あなた、お考えになるまでもなく、早速お受けになればよいに」
「いや、それも一人じゃいやだよ、誰か面倒を見てくれる人が附いていてくれなくちゃあな、神尾もそうそう、若い時の神尾じゃないから、花の都へ上ったからとて、そう無茶な遊びもやれない、誰かついて行ってくれればいいがと考えたから、お受けもせずに戻って来た、家に待っている人があるとは言わないが、心当りへ当ってみてから挨拶をする、と言って帰って来たのは別儀ではない、私の姉さん、お前、一緒に京都へ行ってくれるかね、お前が行ってくれれば、これも
「参りましょう、あなたのおともをして、京都へ参りましょう」
「いいかい、ただの京都見物じゃないよ、次第によると永住の形式になるかも知れないぜ、よく考えて返事をしてくれ」
「考えれば、条件も出て参りましょうから、考えないでお返事を致しましょう、あなたが、わたしのために家へ帰って来て下さるようになったお礼心で、わたしはあなたのいらっしゃるところならば、海の中でも、山の奥でも」
「本気かい、本気でそれを言ってくれるのかい」
「あなた、このわたしの心意気がおわかりになりませんの」
「わかる、わかる、では、おれは明日にもまた折返して、京都行きを承知して来るよ、いいかい?」
「御念には及びませぬ、今日からでも、おともを致します」
「よし、話はきまった」
と言って神尾主膳は、出陣の前ぶれのように勇み立ちました。
四十一
それから、神尾が突込んだ打明け話をして言うことには――
今度の京都行きの話は、どこから出たかその出所はわからない。またわかっても、それは誰にも言えないが、だいたいに於て、こういうことになっている――
相当の体面を保つだけの手当は、それはもとより充分に出る、その上に交際費はつかい放題とは言わないが、機密によってはかなり潤沢に許される、誰が今時、何のためにそんな無用な金を出して、無用な人を遊ばせるかと言えば、遊んでいながら、京都の内外の様子をすっかり偵察して、それを時に応じて、こっちへ知らせる役目だ、表面の辞令をいただかないお
その晩のうちに、二人の腹がきまってしまいました。お絹としては、まだ見ぬ花の都を見飽きるほど見て帰れるし、それは、れっきとした後ろだてがあって、体面が保てて、生活が安定するのだから、ほんとうにこの辺で納まるのが何よりという里心にもなったのでしょう。
こっちに未練といえば、ずいぶん未練もあるし、異人館の方だって、大味もこれから出て来ない限りもないが、それも、本当を言えば、こんな生活から
そこで神尾主膳主従は、京都行きの腹を固めて、今までにない新しい勇気に酔わされて、心地よい一夜を明かしたというものです。
翌日になると、そのお受けのためにと言って、神尾が悠々として出かけました。
お絹は、身だしなみをする、取片附けをする、それが直ちに出立の身ごしらえ、荷ごしらえにもなるので、お嫁入でもするような若々しい気分に浮かされて、障子にはゆる小春日和、庭にかおる
四十二
宇津木兵馬は北国街道を下って、越前と近江の境を越えるまでは何事もなかったけれども、長浜へ来ると、ふと、路傍で思いがけないものを見つけました。
それは、長浜の市中を横に走るところの、素敵に足の早い旅人を、遠目に見かけると、それが、がんりきの百という見知越しのやくざでない限り、ああいう気取り方と、ああいった走り道具を持ったものはないということでありました。
果して、あいつが、がんりきの百である限り、あいつの通過するところに、草の生えたためしがない。転んでもただでは起きて行かない奴である。本街道を外れて、わざわざ長浜の町を突切るくらいだから、何かこの土地にからまるべき因縁があるに相違ないと感づいたのです。
そこで、
そうでなければ、この地にとどまって、何か、あいつ相当の
「為有縁無縁衆生施餓鬼供養塔」
墨色もまだあざやかに、立てたのは昨日今日の特志家の善業であること申すまでもありません。その大きな供養塔の木柱が立っている、その下の、波の寄せては返す岸辺を見ると、そこに
「無明道人俗名机竜之助帰元」
と書いてあるので、蛇を踏んだようにハネ返ってその卒都婆を拾い上げました。見事な筆蹟である上に、これはまさしく女の
誰がこういうことをした、眼のあやまちではないかと、
兵馬は、これを取り上げると、もう一つ、それと上になり下になって漂うていたもう一つの同形のものを取り上げて読むと、
「淡雪信女亡霊供養」
と、同じ手筆で、同じ筆格にこの二つが供養塔の下に並んで、波に戯れているのは、謎とは思われない。何人か心あってしたこと、心なくてはできない
だが、ここにこれがある以上――もはや、戯れの底も見えた、と兵馬は
「その供養塔は誰が立てたのですか、何のために、何という人がこれを、いつの日ころにたてたものですかね」
「はい、それはなあ、ついこの間で、こちらから舟を乗り出して、この湖の真中のどこかで、
そこまで聞けば、もう充分以上のものではあるが、兵馬は、ただただ不安で、聞き済ましてはいられない。
「そうして、この二人は、それっきり浮き上らないのですか――今日まで、後日物語はありませんか」
「全くお聞き申しませぬ、あれっきり浮いて来ないのでございましょう、まあ、いっそ、心中でもしようというには、その方がよろしうござんすな、なまじい浮き上って来ない方が、功徳でございます――」
「では、この供養塔と
「それは、
「胆吹山の女王――」
兵馬は、それからそれと、眼がまわり舌がもつれるほどの思いですが、臨湖の老人は、おだやかに、
「くわしいことは、浜屋へ行ってお聞きなさいませ、あそこのお
「浜屋というのは、二人の泊った
「左様でございます、あの通りを上へ真直ぐに廻り、少し左へ鍵の手に折れますと、太閤様時代に加藤屋敷といわれた広い地面で、二階壁には
四十三
浜屋へ投宿して、一室に通された宇津木兵馬。その一室が、がんりきの百が小指を落された一室であるということは知りません。
少し、土地柄のことについてお聞き致したいことがあるが、御亭主にお目にかかりたいと申し入れると、亭主でなく、若いおかみさんが御挨拶に来ました。
湖岸の供養塔のことを話題としての宇津木兵馬の質問に答える、若いおかみさんの返答は、親切にして且つ詳細なものでありました。第十一の巻に現われた通りを裏から見たおかみさんの返答であります。その見るところに見足りないところはあっても、その答えるところに駈引はありません。兵馬にはいちいち納得のゆくことばかりであります。
そうして、お内儀さんの最後の断案も、浜辺の老漁師の下したと同じことで――
今様お半長右衛門のような二人の心中は、完全に遂げられて、その
それは、二人が完全に、湖中に
兵馬は、それを
その女の方は、やはり、手前共に暫く
なに、女豪傑の大将――それは、けったいなことだわい、してまた、その女豪傑の大将が、何の縁あって、男女二人の心中の供養をしなければならないのか、その因縁については、お
だが、
なるほど、何か胆吹にからむ因縁があるのだな。して、その女豪傑の大将といわれる婦人の方を、あなたは見ましたか。ええ、ようこそそれをお尋ねになりました、どのような
ただ、たった一つ――そのお方が世の常の女の方と違っておいでになったのは、入るから出るまで、昼も、夜も、しょっちゅう
では、ひとつ、わしは少し心当りのことがあるから、明朝早速、胆吹へ上って、その女賊の大将にお目にかかって、お聞き申してみましょう。
それはおよしあそばせ、ちょっと見ては、左様なおしとやかなお方でございますけれども、その悪党は底が知れぬ。気に入らぬものはみんな
お言葉ではございますが、よし、鬼などのことは嘘と致しまして、これから胆吹へおいでのことはお見合せになった方がよろしかろうと存じます。そのわけは、その女のお方は、もう胆吹にはおりませぬ、胆吹を飛んで、大江山の方へお出ましになってしまったそうでござります。
なに、大江山へ――いよいよ話が
こう覚悟をして、それから話題を改めて、浜屋のおかみさんに向ってこれから胆吹へ上る筋をくわしくたずねました。
四十四
主婦の
長浜から僅かに三里、上りとはいえども、程度の知れた道、まもなく胆吹の麓について、よく聞きただした
いたりついて見ると、案外にも門は閉されて、全く人の気配がありません。
はて、この分で見ると、ここははや解散したあとだ。つい近頃までは人の出入りの相当繁かった気配は充分ですけれど、現在は全く引払って、さらに人跡をとどめていないことは、小径に生ずる草、立てこめる気分の荒涼さでもよくわかります。およそ人の住むべき家に、人の住まないほど、すさまじい光景はないものの一つです。本来、未開の地には未開の処女性があって、人の官能を
その気分に打たれた宇津木兵馬は、ははあ、もうこの一味は解散したのだな、人は解散したけれども、家屋敷はもとのまま、足を踏み入れるに従って、あちらに一棟、こちらに幾軒というほどに、建築の
浜屋の若いお
してみると、あのお内儀さんは、一味が解散したことをまだ知らないのだ。あの辺の人まで伝達されないうちに散じてしまったとすれば、それはかなり最近でなければならぬのに、この荒れ方は、太古の昔のような面影がある。
ほんとうに、人間の住むべき家に人間の住まないほど、荒れ方の早いものはない。人間の家には、人間が住むべきものだということを、兵馬は繰返してつくづくと感じました。
さて一応見めぐり見きわめてみると、もう夕日が湖上の
相馬の古御所――といったような気分です。
兵馬はこの御殿の最も奥の間へ参入して、旅の荷物をそこに打ちおろし、その中から
調度を取払ったというだけで、畳建具は依然として人の住める時のそのままで、取残された形跡は一つもありません。それに戸棚という戸棚、押入という押入のたぐい、いずれをも押してみても、がっちり
そこで、兵馬が思うには、これは必ずしも解散とは言えないわい。いずれ家主は、そのうちここへ来て住むつもりか、そうでなければ出直して引取りに来るつもりなのだ。戸棚という戸棚、押入という押入が、この通りがっちりしているのは、いずれこの中が何物かで充実している証拠なのだ。してみると、これは空家とはいえない。人がいないだけで、まだ完全に住宅権が存在している。そこへ無断侵入を試みた自分というものは、家宅侵入の罪に問われる資格は充分ある。しかし、この場合、そういう遠慮は無用である。よろしく、覚悟の前、この戸棚のうちの一つ、最もめぼしいようなのを一つ押破ってみてやろうではないか。一つでたんのうできなければ、全部をいちいち破壊してみてやろうではないか。さし当り、今晩これに
と兵馬は決心して、その戸棚の中のめぼしい一つを、力を極めて押破ってみました。
別に一ツ目小僧も出ては来なかった、これは確かに夜のもの、
とこうして、兵馬はついに、その新しい夜具を豊富に打着て、就眠の人となりました。
働いているから眠りに落つることも早い。
四十五
肉体は疲れているから、眠りに落つることははやかったけれども、
「無明道人俗名机竜之助之墓」
それは湖畔の木標ではなく、まだ切立ての一基の石塔であります。一方を見ると、同じような石塔が比翼の形に並んで、それに、[#「それに、」は底本では「それに」]
「同行淡雪未開信女之墓」
とある。この二つの石塔が、どことは知らぬ荒草離々たる裾野の中に、まだ
「ここへ来てはいけません、あなた方の来るところではありません」
その睨む眼の険しいこと、兵馬は、たしかに胆吹山の女賊の張本に相違ないと思いました。
夢うつつは、その程度、それ以上、深刻にも精細にもなりませんでしたけれども、
かくて、いったん、破れた夢が、またあけ方まで無事に結び直されましたが、日の光、鶏の声が戸の隙から
それから、兵馬の頭に来た、何の
机竜之助はもう死んでいるのではないか、死んでいるとすれば、確かに殺されて、この世に亡き人の数に入っている、彼を殺した人は何者、それは右の覆面の女賊のほかのものでありようはずはない、少なくともこの胆吹山まで来て、ここで竜之助は殺されてしまっているのだ。
という暗示が兵馬の胸に食い入りました。湖中で心中というのは嘘だ、こしらえごとだ、でなければその女賊が、なんでわざわざ、まだ死骸も、水の物か陸の物かわからない先に、先走って供養塔などを立てるものか、それは世を欺く手管だ、本来は、竜之助はここで殺されている、その死を装わんがためにわざと湖上で死んだようにもてなしているのは、女賊の張本の芝居である。
机竜之助は、すでに殺されているのだ、胆吹の山の女賊の手にかかって亡き人の数に入っている、それに相違ない、そう思われてならない、そうだとすれば哀れな話だ、彼に憐れみを加える余地は
そうだ、してみると、これより後の自分は、彼の
兵馬は、どうも、こんな暗示が胸いっぱいになって、竜之助ははや完全にこの世の人ではない、今後存在するとすれば、それは亡骸であり、亡霊である、これから自分の魂がそれを追いかけて歩くだけのものだ、力が抜けた、張合いが抜けた、というような気分で、兵馬の心が底知れず
そうなると、夜が明けるや、一刻もここに留まっている気がなくなって、長浜まで一気に走り帰って、例の
「いや、胆吹の女傑のあとをたずねて見ましたが、
「多分、大江山でしょうと思いますが」
またしても大時代――胆吹山でなければ大江山、兵馬はこれにも、げんなりせざるを得ません。
さりとて、これから突留めなければならぬのは、机竜之助の身柄よりも、むしろ問題の女賊そのものの
何者か抜き取って、木標は湖中に捨ててその
四十六
机竜之助は胆吹の女王のために殺されたり、という宇津木兵馬の幻覚は、幻覚に似たる真実でないということはありません。
ある意味では、竜之助が、女王の手に殺されているのは胆吹に始まったことではない。
殺すということは、生命を奪うことで、生命を奪うということは、生命を亡くすることではないのです。単に生命の置きどころを変えたというにとどまるもので、かりに竜之助が暴女王の手にかかって殺されたりとすれば、それは女王が竜之助の生命を取って、自身の生命の中に置き換えたということの変名であって、竜之助そのものは、お銀様の中に生きている、お銀様は彼の肉体が無用になって、その生命の置場所になやんでいるのを見てとって、彼の生命を
今や、お銀様の存在は一つの恐怖です。この女王は、剣を以て人を殺すということをしない、血を見て飽くという手数を尽さない、けれども、人を殺して血を見るという性癖は一つです。その一念がようやく増長しつつあるように見受けられる。
この女王様の第一の
胆吹の
今や、第二の光仙林を造ってはや、これをも軽蔑せんとしている。国宝級、重美系の芸術も、ようやく彼女の軽蔑から逃れ難く、光悦を集めながら、はや光悦を軽蔑しきっている。
物を見に行くというのは、彼女にあっては、物を軽蔑しに行くのです。意志と感情を発散せぬものに対してすらそれですから、悪呼悪吸、もしくは愚呼愚吸のほかの何ものでもない人間共の存在に対する軽蔑が、骨髄を埋めているのも、まさにその道理でしょう。
今日この頃は「易」を軽蔑せんとして
甲州の人は、徳川家康を恐れない、我が信玄に十に九ツも
ただ一つこの暴女王が、
この暴女王も山科の地形だけは、憎まんとして憎み得ないものがあるらしい。軽んぜんとして軽んじ難い愛着を残しているものか。これは或る意味では当然過ぎるほど当然で、人というものは、過去に対してと、未来に対しては、かなり強硬にあり得るもので、過去というものは、再び現在を追っかけては来ない、過去は、いかに苦しかったことも過去となれば、すなわち現在への強迫区域を離れている、これを追懐しようとも、これを軽蔑しようとも、その脅威のおそれはないのであります。未来は当然
山科の地形が、甲州に似ている。
「山科」という地が、おのずから一天地を成している。その整ったただずまいが、この女王のお気に召したらしい。山科十六郷はよく整った一国の形成を成している。京都の郊外の山科ではなく、京都に附属した山科でもなく、たとえ小規模ながらも、一天地を成しているところに山科の妙味がある。山科は小さき甲斐の国というよりも、小京都といった方が当るかも知れない。山河の形成が、僅かに十六郷を含めたなりで独立している。そうして、その独立が、お銀様の住むのにちょうど手頃である。胆吹は気象が少々荒びていた、ここの空気は
胆吹の女王となるよりも、山科の地主でありたい、そんなような愛着を、お銀様が山科そのものの地相に持ち得られたということが、即ち山科を軽蔑し
四十七
胆吹の女王が、今や、山科の地主にまで脱皮しつつあるということを突きとめたのは、宇津木兵馬として、骨の折れることではありませんでした。
自然、宇津木兵馬は、長浜から、この山科まで道を急ぎました。近江から山城は地つづき、山城の内にあって、山城以外に立つというべき山科は、近江の国からの取っつきであります。長浜から直行にして十余里の道、この間に、なんらの
兵馬が山科に来て、まず
それとなく探りを入れてみたが、案ずるがほどのものはなく、さらさらと解答が与えられます。
あれは、三井さんのお嬢さんで、今度、この山科の
さて、その三井家のお嬢様の本当の戸籍であるが、それが知りたい、それを知るにはこの女中づれではダメだ、すでに金持のお嬢様だから、三井の名で呼びかけるほどの女だ、重ねて問いかえせば、では
そういうところからさぐりを入れてみると、それはダメでござります、とても気位の高いお嬢様で、めったな人とはお会いになりませぬ、
なるほど、気むずかしいには気むずかしいらしいが、朝に晩に頭巾を
さて、それではぶしつけにおしかけてもダメだ、さりとてしかるべき紹介を求めるよすがなどが、この際あろうはずがない、どうしたものかと兵馬も迷いましたけれども、いずれにしても、相手は
なんの、暴女王の暴女王たる正体を知りさえすれば、兵馬には昔なじみの人、まして兵馬に対してはすくなからぬ同情者の一人であり、兵馬の行動に同情者であると共に、その行動に、好意の妨害を試みていたほどの強情もの。甲州の有野村の女王であることに、何の不思議もないのですが、人というものは迷う時は方寸も千里の闇に似て、闇の中で摸索すればするほど正体を暗いところに押しやってしまう。この分で、正面から押せば押すほど遠くへ押しやるにきまっているが、どう考えてもこの際、押しの一手よりほかはないと兵馬の苦心焦慮した行き方も、また無理のないものがあります。光仙林の門のところまで来て、さて、これから堂々と門を叩いていいか、悪いかに惑いました。正面からぶっつかって、かえって後日のことこわしに落ちはしないか、ということも思案してみました。
そこで、二の足を踏みながら、万一その女王が、外出でもする機会はないか、女王でないまでも、つかまえて物を尋ねるキッカケをつくってくれる御用聞のたぐいでもと、暫く、行きつ戻りつしてみたが、あいにく、人の出入りはほとんど打絶えた門、ほとんど
それも道理、この日、宇治山田の米友はがんりきの百蔵と、洛北岩倉村へ出向いて不在。
不破の関守氏は、その隠宅でしきりに小物の表具を扱っている。もとより
女王は、
兵馬は、それがために、あぐね果てて空しく門前を行きつ戻りつしているが、無人境の一得には、いくら行きつ戻りつしたからとて、べつだん怪しげな目を向ける人もない。それが有ってくれる方が、かえって所望だと言いたいくらい、取合われないのが物足らぬこと
「あ!」
と兵馬も驚いたのは、熊にあらず、
「虎!」
と叫んでみたが、虎でない。
「
と呼び直してみたが、彪でもない。全身
兵馬はそれに警戒を加えざるを得ません。心得は有り余るけれども、相手に覚えがない。一時はどうあしらっていいかに迷いましたけれども、虎はおろか、象でも鬼でも一ひしぎと、
犬ならば、いかに猛犬なりといえども、猛獣ではない。しかもその豪犬の首には、太やかな縄を引きまとい、それを
そこで、兵馬は、その大犬の
「お角さんかね」
「旅の者でござりまするが」
「旅の衆!」
と言って、不審がって小窓から
「御当家の御飼養と覚しき見事な畜犬が、路傍に去来しておりましたから、引連れて参りましたが」
「それは、それは」
と言って、不破の関守氏に諒解があって、急ぎ庭下駄を突っかけて、カラリコロリとやって来る音が聞えます。
四十八
その翌日、駒井甚三郎は、鉄砲を肩にして、従者とては船乗の清八ひとりだけを伴い、島めぐりのためと言って、早朝から出かけました。田山白雲も、毎日、島めぐりのために出発しますけれども、これは島めぐりというよりも、写景を目的として、任意に出て任意に帰るのです。
駒井のは、この島の地理学的研究のための実地踏査の第一歩です。
広くもあらぬ島でもあるし、気候風土ともに、危険のおそれなきことを確認しての上の出立ですから、特にそれらの準備というようなものも必要なしと見て、日一ぱいに行って戻れるだけに、充分のゆとりを見て、一人で行き一人で帰る、いわば散歩気分の外出に過ぎません。
開墾地の留守の支配は、七兵衛入道ひとりを以て足れりとします。このぐらい適当な管理者というものはなく、自ら働くことに於て模範の腕を持つのみならず、人を働かせる上に於て非凡な人情味を持ち、その上に、
お松は、駒井の不在中の官房をあずかること、その在舎中と変りはありません。田山白雲は、白雲の去来するように、自由な行動を許すよりほかはない。そこで、駒井は、もはや留守には何の心配もなく、外出が自由であります。
駒井は東南の海岸線から跋渉をはじめました。今日は、この海岸線を行き得られるだけ行き、内側方面の踏査は、いずれ相当の人数を伴うて、測量式に行う時があるべしとして、今日はまず海岸の瀬踏みのようなものです。
行くことおよそ二里と覚しい頃に、この島が予想したよりは奥行のある島だということに気がつきました。二里にして行手に一つの岩山を認めます。海岸に沿って北に走り、この島の分水嶺というほどではないが、テーブルランドを成しているらしいという地勢に駒井が興味を持ち、あの最も高い地点に立つと、他のどこよりも展望の自由が利くことを認め、そこで望遠鏡をほしいままにしようと思いついて、それに向って行くこと約半里、いたりついて見ると、予想ほどに高くはなく、高いと思って来て見たところに、凸凹があって、最高地点を求めている間に、また勾配が
そこで、駒井甚三郎は望遠鏡を取り上げて、上下四方をほしいままに見てみました。それから湾入の海岸線には特に心をとめて望見したけれど、人臭いという感触のほかに、現に人が住んでいるという形跡は更に認められないのです。しかしながら、この島に船がかりを求める人があるとすれば、自分たちのついた湾入か、そうでなければ、この地点を選ぶに相違ないと思わないわけにはゆきません。
一応、望遠鏡の力によって、観察をほしいままにした後、駒井は清八を促して、その湾入の海岸へと下って行きました。すでに海岸に立って、駒井は、いよいよ以て人臭いという感じを禁ずることができないのです。どうも、人が住んでいる、現に住んでいなければ、遠からぬ昔に人が住んでいたに相違ない。住んでいたといえば土人か。土人ならば、相当部落を成して住んでいるに相違ないが、その形跡はない。僅かの小舟でここに漂着したとか、或いは、やや沖合で船の難破に
「船長様、熊がおりますぜ、熊が――」
四十九
駒井が、人間臭を感じていた時に、清八は異様な動物を認めました。
熊が――と言ったのは、果して、日本人が認める熊であるか、何物であるかを確認したのではなく、何かの動物を、この男が見出したものですから、一概に、「熊が――」と呼んでみたのだ。駒井は直ちに否定しました。熊のいるべき風土ではないということを、反応的に受取ったから、熊が、ということは信じなかったけれども、この男が、たしかになんらかの動物を発見したという信用は失うことがありません。
「あ、熊が、あそこの岩かげから、コソコソと出て、また隠れてしまいました、御用心なさいませ」
駒井の手にせる鉄砲を目八分に見て、報告と警戒とを加える。駒井は、その言うところを否定もせず、肯定もせずに、
「では、行って見よう」
その方面に向って自分が先に立ちました。
「人間だよ、熊ではない」
「人がおりますか、人間が、土人でございますか、土人」
熊であるよりも、人という方がかえって無気味なる感じです。土人、と繰返したのは、土人の中には人を食う種族がある、鬼に近い人種がいる、或いは鬼よりも
「見給え、あそこに小舟がある」
「舟でございますか、ははあ、なるほど」
それは小舟です。しかもその小舟が、半分ほど砂にうずもれながら波に洗われつつある。最初は岩の突出かと思いましたが、なるほど、舟だ、その舟も、どうやらバッテイラ形で、土人の用うるような
この
いよいよ近づいて見ると、原始に近い姿をしているが、その実、
「お早う」
先方がまた同じような返事、
「お早う」
駒井の英語が、本土の英語でないように、先方の発音もまた借りの発音らしいから、英語を操るには操るが、英語の国民ではないという認識が直ちに駒井の胸にありました。
けれども、英語を話す以上は、その国籍はともあれ、時代に於ては開明の人であり、或いは開明の空気に触れたことのある人でないということはありません。英国は海賊国なりとの外定義はあるにしても、その個人としては、直接に人を取って食う土人でないことは確定と思うから、ここで三個の人間が落合って、平和な挨拶を交し、これからが駒井とこの異人氏との極めて平和なる問答になるのです。
五十
駒井甚三郎は、まず、初発音に於て、この異人氏が英語は話すけれども英人でないことを知り、話してみると、この土地に孤島生活をしているけれども漂流人ではないということも知りました。誰も予想する如く、船が難破したために、この島へ漂いついて、心ならずも原始生活に慣らされている、早く言えば、ロビンソン漂流記の二の舞、三の舞である、とは一見、誰もそのように信ずるところだが、少し話してみると、やむことを得ざる漂流者ではなくて、自ら好んで単身この島へ渡って来て、また好んでこういう原始生活を営んでいる生活者であるということを、駒井甚三郎が知りました。
これが駒井にとって、一つの興味でもあり、好奇心を刺戟すると共に、研究心をも刺戟して、これに会話の興を求めると共に、この異風の生活の白人を研究してみなければ置かぬ気持にもさせたのです。今日の開明生活を
駒井甚三郎と異人氏の、
この白人は、果して英国人ではない、本人は、しかと
年齢は、こういう生活をしているから、一見しては老人の如くに見ゆるが、実はまだ三十代の若さであること。
学問の豊かなことは、ちょっと叩いてみても、駒井をして
そこで、つまりこの青年は、三十代と見ればまだ青年といってもよかろう、一見したのでは五十にも六十にも見えるが――この青年は、何か特別の学問か、思想かに偏することがあって、その周囲の文明を
そういう類例は、むしろ東洋に於ても珍しいことはない。日本に於ても各時代時代に存在する特殊の性格である。こういう隠者生活というものは、東洋がその本家であるかと見ると、西洋にもあるのだ。いわゆる文明国にも、現にこういう人が存在する、ということを駒井がさとりました。
異人氏の方でもまた、この珍客が、教養ある異邦人で、自分の思想生活を
そこで、駒井甚三郎は、清八をして持参の弁当を取り出させ、その小屋の庭前の自然木の
ここに於て、駒井はこの島に、自分たちよりも先住者が少なくも一人はいたことを知り、島の面積、風土のなお知らざるところをも聞き知り、もはや、これ以上には人類は住んでいないことなどをも知りましたが、個人として、この異人氏の身辺経歴等を知りたいとつとめたが、容易にそれを語りません。
「あなたは、この島に猟に来たのですか」
と異人氏がたずねるものですから、駒井が、
「いいえ、猟に来たのではないのです、あなたと御同様に、この島へ永住に来たのです」
「エ?」
と言って、異人氏がその沈んだ眼をクルクルとさせ、
「永く、この島にお住まいになるのですか」
「そのつもりで、仲間を引きつれて来て、これから三里先に開墾を始めています、以後、おたがいに往来して、お心安く願いたいものです、これを御縁に、たびたび、わたくしも、こちらをお訪ねしたい、どうぞ、我々の方も訪ねていただきたい」
駒井がこう言いますと、異人氏は感謝するかと思いの外、みるみる失望の色が現われて、
「そうですか、あなた方二人だけではないのですか」
「二十余人の同勢で来ています」
「男ばかりですか」
「女もおりますよ」
「そうですか」
と言った異人氏には、失望のほかに、不快な色さえ現われて、それからは駒井の問いにはかばかしい返事をしませんでしたが、急に立ち上って、
「わたくし、あの小舟を修繕しなければなりません」
つと立って行ってしまったものだから、駒井も引留めようがありませんでした。
ぜひなく、清八と二人だけで食事を済まし、しばらく待ってみたが、容易に再び姿を現わしません。立って四方をさがしてみたけれども、どうもその当座の行方がわからない。ぜひなく二人はそのままに取りかたづけて、ここを出て前進にかかりましたが、途中、心にかけたけれども、この異人氏の姿が再び眼に触れるということはありませんでした。
駒井は、それを本意なく思ったが、なんにしても、最初のうちは極めて好意を以て会話に答えた異人氏が、終り頃、急に失望不快の色を現わしたことと、そのまま席を立って、再び姿を見せなかったことに、何か、感情の相違があるものだとみないわけにはゆきません。では明日改めて、単身、ここまで出向いて来て、この
お松に向って、その日のあらましを物語り、明日はひとつあの異人氏の訪問を主目的として、また出かけてみるつもりだということを物語ります。
七兵衛の報告を聞いて、開墾事業が着々として進んでいることを知り、多くの希望と愉快のうちにその夜を眠ります。
五十一
その翌日、駒井甚三郎は、三里の道を遠しとせずして、今日はたった一人で、昨日来た異人氏の草庵を訪ねてやって来ました。
来て見ると、その有様、昨日に異ならず、戸は別に
あけ放された室内へ、駒井が入り込んで見廻すと、数多くの書籍がある。卓の上には、書きさした紙片が
そこで、駒井はまた一旦、室外へ出て待ってみたが、到底
そうだ、昨日も立ち上りざま、舟を修理をしなければならないと言って出た。最初から、こっちを探せば何のことはなかったものをと、駒井はその心構えで、ツカツカと近寄って来て、
「昨日は失礼――また尋ねて来ました」
「はい」
「舟をなおすのですか」
「はい、舟を修繕しています」
「だいぶ古くなっていますね」
「なにしろ、三年前に乗捨てた舟ですからね。もう二度使おうとは思わなかったですが、また手入れをしなければならないです」
「新たに漁でもおはじめなさるのですか」
「いや、漁ではありません、沖へ出なくても魚は捕れます」
「では、急に何の必要あって」
「海へ乗り出すのです、新たなる征服者が来たから、先住民族は逃げ出さなければならないです」
「待って下さいよ、新たなる征服者というのは我々のことですか、先住民族というのは君のことですか」
「そうです、あなた方は侵入者であり、征服者であります、新たなる征服者が来た時は、先住民族は逃げなければなりません、逃げなければ血を流します」
「これは奇怪なお説です、誰が君を殺すと言いましたか、誰が君の血を見たいと言いましたか」
「当然です、誰も言わないが、それが移住者の約束です」
「そういう約束をした覚えもない」
「人間同士の約束ではない、天則です、でなければ歴史です、人類相愛せよということは、
「驚くべき誤解ですねえ、我々も、まず平和と自由とを求めて、この地に来たのですよ、歴史の侵略者とは違います、海賊ではありません、紳士です」
「歴史の原則の前には、海賊も紳士もないです、あなた方は、平和を求めるつもりでこの島へ来ても、それがために、わたくしの平和が奪われます」
「奪いません、おたがいに和衷協同して、相護って行き得られるはずです」
「そんなことができるものか、現に、わたくしの平和が、こんなに乱されていることが論よりの証拠――やがて、わたくしが殺される運命は必然です」
「左様な独断に対しては、もはや議論の限りではない、ただ、東洋人ということが、野蛮と好戦の代名詞のように心得ている君等白人の
と言って駒井甚三郎は、肩にかけていた鉄砲を取って、彼の前に提出し、同時にその帯革の
「いや、違います、違います、あなたの観察が違います、わたくしは、あなた方を怖れるのではないです、歴史を怖れるのです、東洋の人を、野蛮だの、好戦だのと軽蔑するほど、西洋の人は文明を持ってはおりません、大きな宗教、大きな哲学、大きな科学、みな東洋から出ました、今、西洋だけが文明開化のように見えるのは、それは表面だけです、西洋の文明開化は短い間の虹です、やがて亡びますよ、わたくしは、
五十二
「
「君は文明開化を否定している、人類の進歩というものを
「わたくしは偏窟人です、世間並みの風俗思想には堪えられません、それだからといって、わたくしの見た欧羅巴文明観が間違っているとは言えますまい、そもそも、欧羅巴が今日のように堕落したのは……彼等は堕落と言わず、立派な進歩だと思い上って世界に臨んでいるようですが、わたくしに言わせると、彼等より
「ははあ、妙な論断ですね、
「学説ではなくて事実です、まず欧羅巴というところが、世界の中でどうして特別に早く開けたかといえば、それは食物を耕作する良地に富んでいたからです、土地が肥えていて、人間が食物を収穫するのに、最も都合がよかった、というのが第一条件であります、これは
「それは堕落ではない、当然の進歩というものだ、人類が進歩し、社会が複雑になればなるほど、おのおのの防備を堅固にしなければならない、大きく言えば、国防というものがいよいよ切実となる、弓と矢を用いる代りに、鉄を利用して国防の要具を作ることは、当然の進歩ではないか」
「進歩とか、複雑とか言いますけれども、その進歩と複雑が、人間に何を与えましたか、
こう言われて、駒井甚三郎は、何か自分の弱味に
五十三
こういう頭から出て、とどまると言い、出ると言う以上は、力を以て引留めることの限りではないと、駒井甚三郎もややにさとりました。
そうして、暫く沈黙して考えさせられざるを得ないものがありましたが、
「君が欧羅巴文明を否定するのは、君一個の意見として聞いて置き、拙者もいずれ考えてみたいと思いますが、東洋に、より優れたる偉大なる宗教があり、深遠なる哲学があるというのは、それは買いかぶりではないか、ドコの国も同じように似たり寄ったりなもので、人間というやつは、みんな、眼前だけを標準としてしか行動ができない動物なんじゃないか、世界の人類一様に、みんな、やがて消ゆべき虹を見て騒いでいるんじゃないかな」
「そうでないです、西洋の人は虹をだけしか見ることができないです、たまにそれ以上を見る人は、ただ、虹は何で出来ている、虹は水蒸気である、七色は光線の分解であるというだけを見るのが頂上です、ところが東洋人は、水蒸気を見ない、七色を見ないで、
ここに至ると駒井甚三郎は、もはや、自分の領分外だということをさとりました。もはや自分の力では、こなしきれないということを自覚せざるを得ませんでした。
そこで、また暫く沈黙の後、次のように言いました、
「考えさせられます、トモカク、我々の方で、君を引留める何物の力もないということがわかり出したようです、この上は、君の自由の行動と、意志の行動に干渉すべき限りではない。では、一日、我々の新開墾地に客に来て見て下さらぬか、我々が食人種でないことがおわかりならば、一日の来訪は危険を伴わないし、また君の将来の行動のさまたげとなるべきはずもないから、新入者が先住民に敬意を表わすの機会と、先住民が新入者を迎うるの機会と、それから新入者が先住者を送るの礼と、その三つの機会を同時に、我々の新開地で作ってみることは許されないか」
「そういうわけならば、一日の暇を作りましょう、明日にも、あなたの植民地へ行きましょう」
「それは有難いです――では」
駒井甚三郎は、明日の約束を以て、この場の会見と会話とを打切りました。順路をよくこの異人氏に教えて、自分はもと来し路へ引返します。出立の時は、今日は、もう一足でも先へ前進してみるつもりでしたが、ここで会見の時を過ごしてみると、もう進む気が起りませんでした。
来た路を引返しながら駒井甚三郎が思う様、この孤島へ来て、さかさまに、白い異人から東洋哲学を聞かせられようとは思わなかった、ドコの国、いずれの時代にも、その時代を
だが、それはそれとして、こんなところで、こんな人種から、東洋哲学を聞かせられて、これに充分の応答ができない、まして、逆に彼等にこれを説き教える素養を欠いている
日本に於ては、おこがましいが、自分は当時での最新知識であり、有数の学者と我も人も許していたのだ。それが、ややもすれば
学問、研究、知識は、いよいよ広く、いよいよ大きい、この海洋のようなものだ、というような反省が駒井の心に波立ちました。
五十四
その翌日、約束の通り、異人氏は駒井の植民地へやって来ました。これを迎えた駒井は、一応植民地を見せた上で、己れの舎宅へ案内して、ここで、椅子をすすめて相対坐しての会談です。この時に異人氏は次のように言いました、
「駒井さん、あなたの理想はよくわかります、地上に理想郷を作ろうという企ては、今に始まったことではないです、昔からよくあることです、欧羅巴では、哲学者プラトーなども、その理想の
「そういう人が、最近、西洋にありましたか」
「ありました、ロバート・オーエンは、
「もう少しくわしく、その人のことを話してみて下さい」
「いや、話せば長くなるです、およそ自分の理想の新社会を作ろうとして、その実行に取りかかって、失敗しなかったものは一人もありません、みな失敗です、駒井さん、あなたの理想も、事業も、その
異人氏は、駒井の事業慾に対して、三斗の冷水を注ぐようなことを言いました。せっかくのことに成功を祈るとは言わず、失敗が当然だということを言いました。聞きようによれば、不吉千万の言い分でありますけれど、駒井は深く気にかけません。
「失敗とか、成功とかいうことは、ただ仕事の成績だけ見て言うことじゃありませんよ、成功と信じても、ねっからツマらないこともあり、失敗だ、失敗だと言われることが、かえって大きな時代の推進力をつとめることもあるものだ、今のそのオーエンという人が、どういう失敗に終ったか知らないが、そういう勇気と実行力を持ち得る人は、尊敬すべきものだ、信ずることを、ドコまでもやってみようという勇気を私は取ります。オーエンは失敗したけれども、イギリスからアメリカに渡って、このアメリカの土台を築き上げた人は失敗ではないだろう、成敗を以て事を論ずるのは末だ」
「そうです、何が成功で、何が失敗かということは、見る人の批判だけではわかりません」
異人氏は、深く議論をする気はなく、その辺で辞退しましたから、駒井甚三郎も、それを送って外へ出ました。
過ぐる夜に、月影を踏んで歩いた砂浜のあたりを、異人氏を送りながら歩いて行く駒井甚三郎は、異人氏が、どうしてもこの島を立退かなければならないならば、古舟を修理なさらずとも、こちらのバッテイラを貸して上げようと言いますと、異人氏は、それを辞退して、それには及びません、舟は手慣れたのがよろしい、いかに小舟で大洋へ乗り出しても、決して覆ることはないものだ、舟には心配はない、心配がありとすれば、食糧と気候の変化だけのものだが、それは天に任せるより仕方がない、というようなことを言う。
異人氏を程よきところまで見送ってから、駒井甚三郎は、また海岸を戻りながら、いろいろと考えさせられました。
事実に於ては、自分たちが来たために、あの異人氏を追い出したことになるのだが、異人氏は追い出されると思ってはいない。新人
のみならず、去り行く
その一例として挙げてくれた、何といったかな、イギリスの、ロバート・オーエンと言ったかな、そういう人間の最近の失敗を述べたようだったが、くわしいことは聞きもらしたが、では、これからひとつそのオーエンなるものの伝記を研究してみよう。失敗とか、成功とかは論ぜず、トニカク空想を実行に移して、百折屈せざるの先例を見出すことは愉快と言わねばならぬ。イギリスという国が大きくなるのも、そういう人間を持ち得られるからだろうなどと、駒井がその時に考えました。
五十五
ここで、話が少し後戻りをして洛北岩倉村へ帰るのでありますが、がんりきの百蔵、宇治山田の米友、
しかし、怪我もこのくらいの程度ならばまず安心、やがて彼等は、苦笑と
すなわち、宇治山田の米友公が、
この場だけの事情に於ては、この一行に相当の道理があるらしく、あえて米友の手から強奪を試みようとしたのにあるではなく、当然自分の隊に属すべきものを、不思議な男の手に発見したものですから、当然の要求のつもりで掛合ったのが原因でありましょう。ですから、献上隊の一行が暴行を働いたというわけではなく、かえって、事情を呑込まぬ米友の頑強が、非に落つる嫌いもあるにはあったのであります。しかしまた、献上隊の方でも、もう少し事を穏かに掛合って、少なくとも米友を首肯せしむるだけの理解を尽さなかったという
前のは、年の頃三十七八歳の威風ある偉丈夫、後ろのはまだ二十四五の一青年、二人ともに浪士ではなく、本格の、いずれかの藩の相当以上の
「何だ、何をしているのだ」
「なに、天下の宝を路傍に拾っているのか」
「ほほう、銭が降ったと見えるな、近ごろはエエじゃないかで天下にお
こんなことを言って、二人が
献上隊の一行が、いずれも銭拾いの手を休めて、いま過ぎ去った二人の武士の後ろ影を、つくづくとながめ、
「薩摩だな」
「うむ、あれは誰だか知ってるか」
「どうも、前のは薩摩の大久保市蔵らしいぜ」
「拙者も、そう思う、そうして、あとは長州の品川弥二ではないか」
「そうだ、たしかにそれに違いないぞ、薩長の注意人物が相携えて、岩倉三位訪問と出かけるからには、一嵐ありそうだ」
「だなあ、一番、様子を見てやろうじゃないか」
「見届けて
こう二人が言い合わせて、また腰をかがめて銭拾いの続演。
これと引違いに、いま問題になった馬上の二人の武士。
やっぱり、めざすところは岩倉三位邸の門でありました。
そうして玄関にかかって言うことには、
「薩州の大久保でございます、岩倉三位は御在邸でございますか」
その時に、玄関は開かず、中庭の
「大久保君、よく来てくれた、まあこっちからお入り――」
と
「今日は品川君を連れて参りました」
「あ、それは、それは」
と岩倉三位は改めて、ジロリと同行の品川弥二郎を見ました。この空気によって見ると、岩倉と大久保の間は
岩倉三位は鍬を杖にしたままで、まだ庭先に立っている。
五十六
「天下の風雲をよそにして、菊を
と大久保が、岩倉三位の手ずから丹精の小庭と、その手にせる鍬を見て、こう言ってお世辞を申しますと、岩倉が、
「必ずしも左様な風流沙汰ではないよ、この鍬で、今その風雲のとばしりを少しばかり
と指しますから、庭の一隅を二人が見ると、そこにまだ土の香の新しい
「何ぞお囲いになりましたか」
「たった今、ここの玄関へ怪しげな壮士
「何ですか、人間の片腕を三位のお玄関へ、それは物騒な奴があったものです」
「生首でなくてまだ幸い――ここへ埋めて念仏をしてやったところだ」
「何者の
「
「賀川の――ともかく、時勢とは言いながら、この山里の御閑居へまで、そういうことをする奴があるのだからなあ」
大久保も感慨に
かくて二人は岩倉三位の案内を受けて、その居間に通されるのでありますが、品川弥二郎は、大久保と岩倉の後ろ影を見ながら大いに考えさせられているようです。
やがて三人、奥の居間で密談となりました。まず、大久保から岩倉への品川の紹介があったことでしょう。それから、長州の人傑の近況が一くさり
三人の対話は極めてひそかに、また長時間に
この小閑を利用して、少しく時代の知識の註釈のために、慶応三年という年に、この篇に関係ある当時の相当の人物のめぼしいところの年齢調べを行ってみたいのでありますが、順序の不同と、一両歳の出入りは御免
勝安房 四十四歳
大村益次郎 四十五歳
岩倉具視 四十二歳
西郷隆盛 三十九歳
大久保利通 三十七歳
木戸孝允 三十三歳
三条実美 三十歳
高杉晋作 二十九歳
伊藤俊輔 二十六歳
品川弥二郎 二十五歳
坂本竜馬 三十三歳
山内容堂 四十歳
徳川慶喜 三十歳
島津久光 五十歳
毛利元徳 二十八歳
鍋島閑叟 五十四歳
小栗上野 四十一歳
近藤勇 三十四歳
土方歳三 三十三歳
松平容保 三十二歳
等々。大村益次郎 四十五歳
岩倉具視 四十二歳
西郷隆盛 三十九歳
大久保利通 三十七歳
木戸孝允 三十三歳
三条実美 三十歳
高杉晋作 二十九歳
伊藤俊輔 二十六歳
品川弥二郎 二十五歳
坂本竜馬 三十三歳
山内容堂 四十歳
徳川慶喜 三十歳
島津久光 五十歳
毛利元徳 二十八歳
鍋島閑叟 五十四歳
小栗上野 四十一歳
近藤勇 三十四歳
土方歳三 三十三歳
松平容保 三十二歳
五十七
こうして、三傑が額を
「申し上げます、只今、山科の
「ははあ、来たそうだ、これへ通せ」
岩倉も、大久保も、諒解して、いま来訪して来たという山科の骨董商なるものを、この密談の席へ入れるらしい。してみると、その骨董商なるものも、只者ではないことがわかります。只者であった日には、この密談の席へ通されるはずはないと思われるが、しかし、事実はかえって天下の志士でなく、郊外の骨董商であるから許されるのかも知れない。この時分、もはや密談は終って、おのおの好むところの書画骨董の余談にうつり、その潮時に出入りの骨董屋が来たというので、
不破の関守氏というのは、前身が相当の曲者であってみると、さては、お銀様を説き立てて、名画名蹟の蒐集ぐらいでは芝居が仕足りない。洛北岩倉村へ集まる、この辺の役者を板にかけて、脚本の製作をたくらんでいるとすれば、こいつも
わからないと言えば、がんりきのようなのぼせ者を
いずれにしても、不破氏は、この席へ入ると同時に、平身低頭して、出入り
主人側の三人の
「骨董屋、手順はどうだ、首尾よく進行しているか」
岩倉三位からお言葉が下ると、不破氏は、
「は、御意にござります、万事お申しつけ通りに、極めて
「では、これへ出して見せ給え」
「はい――」
また後ろを顧みて膝行頓首をして、次の間に置据えた風呂敷を抱えて、また膝行頓首して、これを
岩倉も、大久保も、品川も、共にその風呂敷の中を無言で見入っている。
風呂敷を解くと、中から出たものは、さのみ意外なものではありません。ただ、眼もきらびやかな
「
そこで、大久保は大和錦を取り上げて、二三尺ずつ引きほごしては、下なる彩色の図面と見比べる。そこへ品川弥二郎が首を突き出して、大久保の調べのあとを追うて仔細に吟味をして見る。
不破氏は最初の姿勢で、ほとんど膝行頓首の体制のままですから、いま大久保が大和錦と引合わせている彩色の図面が何物だかわかりません。わかろうとすることが重大なる失礼ででもあるかのように、恐れ慎んで面を上げないのでありますが、品川弥二郎は
つまり、それは錦の
「いや、これでよろしい、寸分相違がない、見事な出来でござります」
と大久保が保証すると、品川も
「では商人、この方式によってしかるべく頼むぞ、恐れ多き事ゆえに他言は固く無用、万一、外間に
「委細、心得ました、必ずともに御信用に
「町人にしては惜しい度胸、昔の天野屋に優るとも劣らず、では、しかと申しつけたぞ」
「有難き仕合せにござりまする」
ここで、不破の関守氏はまたも頓首膝行の形で、三傑の御前を辞して、次の間に
五十八
不破氏が、ここまで食い入って、ここまで信用を
すなわち、上野の東叡山輪王寺御所蔵の錦旗を盗まんとする
さても、
「岩倉三位には恐れ入ったねえ。実を言うと、わたしは日頃あなたから、岩倉三位はエライエライと言われるものだから、よっぽどの人物と思っていましたがねえ、今日はじめて、あの中庭の柴戸から、ひょっこり姿を現わしたその人を見て、非常な幻滅を感じましたよ、あの通り、背は低いし、色は黒い――背は低く、色は黒くても、人品とか、男ぶりとか
品川弥二郎は、はじめて会った岩倉三位に就いての印象を、大久保市蔵に向って右のように物語りつつ、やがて京の町に入り、薩州邸へと帰着するかと思うと、上京寺町通り裏、石薬師門外のあたりで二人の姿が消えました。これより先、がんりきの百蔵と、宇治山田の米友も、
がんりきの百は、あんまりばかばかしいから、ドコぞで一杯飲んで行くと言って、米友と立別れ、米友は
五十九
その夜のこと、昼さえも静かな岩倉谷の夜もいたく更け渡る頃、たった一人の
こう書き出してくると、夜前、ああいう光景を描き出した場所柄、またもや一層の妖気魔気が影を追うて来なければならないのですが、事がらはそれに反対で、妖気魔気どころか、気の
昭和十六年五月十日の東京朝日新聞の映画欄の記者でさえも、こういうことを書いている――
「が、元来、かういふ虚無的なやうな、感傷的のやうな嫌味ツたらしい浪人は、日本映画の昔から好物とするもので、現代人の心理を詰めこんだつもりで、深刻がつてゐるものの、実は、すこぶる浅薄陳腐といふべし……」
といったようなわけで、この浅薄陳腐なる嫌味ったらしい好みが、恥を知らない日本のうつし絵の食い物となっているも久しいものだ。今から三十年前、武州多摩川の上流から何の因果か、この原生動物と覚しきが、三十年の昔、姿を現わして以来、この形のうつしが一代の流行を極めて、出るわ、出るわ、頭巾をかぶせたり、
こいつらは、人の感情を保護するということを知らない、いわんや向上せしむることをや。模倣が程度のものであることも知らない、
伝うるところによると、机竜之助なるものは、もはや
それにもかかわらず、その以後の活躍に、長浜の浜屋の一間の暗転もあれば、大通寺友の松の下の犬の殺陣もあるし、琵琶の湖上の一夕ぬれ場もある。それら、次から次へ展開さるるは、それはセント・エルモの戯れであって、サブスタンスの存在ではないということを言う者もある。しかし、御当人は、左様な噂を一切見えぬ
前にも言う通り、気の利いたお化けならば、とうに引込むべきはずのところを、かくも
六十
夢遊病者としてもまた、虫けらを驚かすことを好まない。さりとて、岩倉三位をたずねて錦旗の製法を検究しようではなし、賀川肇の生腕をそっと掘り返して食おうというのでもなし。
岩倉三位にも、中御門中納言にも、いっこう用向きのない人、せっかくこの岩倉谷に入って、がんりきの百や、米友のあとを受けて、夜興行の一芝居を見せるかと思えば、何の、岩倉村はホンの素通り。
一見はやめる者のような疲れで、身を杖に持たせてホッと息をきってみたが、未練気もなく思いきって、すっくすっくと歩み出し、
今晩はドチラへ、はい、大原の
ともかくも、こうして、あっけなく岩倉村を素通りした机竜之助は、敦賀街道を北に向って進み行くと、行手の山の
竜之助は、杖にもたれて、それを待伏せしておりますと、現われたのは察しの通り、息せききって、背に余る大きな荷物、これは八升炊きの大釜でした、この大釜を縄でからげて、背中へ背負い込んで、
「はい、御免下さりませよ」
ここに人ありと見て、老婆は竜之助の前を通る時に、言葉をかけたものですから、竜之助が、
「この夜更けにドコへお行きなさる」
これは、こちらから尋ねてしかるべき言葉なのですが、重い荷物に押しつぶされている老婆は、
「やれやれ、お腹がすきました」
もう我慢がしきれないもののように、竜之助の前で前のめりに、のめってしまいました。
「お気をつけなさい」
「どうも有難うございます、もうもう、お腹がすいて、トテも歩けませぬ」
この老婆は、荷物が重いということを言わないで、お腹がすいたことばっかり言っている。八升炊きの釜の重さは、どうつぶしにかけても八貫目はあるでありましょう。この老いぼれの身で、八貫目の釜を背負い歩くということは、事そのことだけで、圧倒的の重みであろうのに、重いことは言わないで、お腹がすいたことだけを言う。そこで前のめりにのめって、老婆は、
「婆さん、お前、これから飯を
「はい、お腹がすいて、どうにもこうにもやりきれませんから、御飯を焚いて腹ごしらえをして、それから、また出かけようと思います」
「そうか、では、ゆっくりおやりなさい、火が焚きついたら、拙者もあたらしてもらいましょう」
「さあさあ、どうぞ」
竜之助は、この婆さんの側に立って、釜の下に手をかざしながら、つまり、アメリカの大統領と同じような炉辺閑話の形式で、問答をはじめました。
六十一
「婆さん、お前ドコから来た」
「はい、大原の寂光院から出て参りました」
「なに、大原の寂光院?」
寂光院と聞けば、美しい尼さんがいるとのことだが、いやはや、見ると聞くとは大きな相違、見るわけにはいかないが、気分でちゃんと受取れる、老いさらばえた上に、お腹がすいているんでは問題にならない、と竜之助が手持無沙汰になっていると、老婆は頓着なしに、
「寂光院の
ねえ、あなたもないものだ、お前のお腹がすいたかすかないか、こっちの知ったことではない。この老婆は、最初から最後までお腹がすいたことばっかり言っている。まるでお腹をすかせるためにこの世に生れて来たような婆さんだと竜之助が思いました。それにもかかわらず、老婆は繰返して、
「なにしろお腹がすいてたまらないものでございますから、そんなに食べられては困ると言って、追い出されてしまいました、よんどころなく、こうしてお釜を背負って出て参りましたが、寂光院に限ったことではございません、ドチラへつとめましても、お腹がすくものでございますから」
「食べるぐらい結構だよ、年寄でそのくらいお腹がすくのは、つまり
竜之助も詮方なしに、慰め気分で言うと、老婆は、
「はい、はい、そう思って、あきらめるよりほかはございませんが、なにぶんにも、食べるとは食べるとは直ぐにお腹がすいてしまいますので、ドコにも永く勤めることができません、よんどころなく、こうしてお釜を背負っては、旅に出るのでございます」
「なんにしても、エラく大釜らしいが、いったい何升炊きだい」
「はい、八升炊きでございますよ」
「八升炊き! 驚いたなあ、その釜で飯を焚いて食べて、まだお腹がすくのかい」
「はい、はい、それでも直ぐにお腹がすいてしまいますが、意地にも我慢ができないのでございますよ」
「婆さん、釜が沸いてきたようだが、米はどうなんだい、釜ばかり仕掛けても、中へ入れるお米というものがあるのかい」
「はい、はい、お釜一つでさえ、この通り重いものでござんすから、とても、この中へ入れて炊くお米まで持って歩くわけには参りませぬ」
「冗談を言ってはいけない、食べるためには、釜よりは米がさきだぜ、米が有っても釜がないという時には、何とか
「いえいえ、お米ばかりが食物ではございません、肉というものがございます」
「肉!
「はい、それはもう不自由は致しませぬ、肥え太った美肉というわけには参りませんが……」
と言ったかと見ると、婆さんはやにわに、腰に巻いた真紅のゆもじを引脱いで、真裸になったと覚えたが、身を
「あっ!」
と言って見えない眼を
「いかがでございます、よく煮えました、あなた様も、
いったい、ドコで物を言うのかと、見えないはずの眼をみはって、そこらを見廻すと、婆さん、以前と同じような澄ました
「一片召上ってごらんなさいませ、とても若い肉のように肥え太ってあぶらみはございませんが、噛みしめると、少しは味も出て参ります、一ついかが」
と言って、釜の中へまたも大串を突込んで、一片の肉をつつき出して竜之助の手に持たせつつ、自分はほかの串へさしては食い、食ってはさし、その
それと同時に、大釜の下に焚かれた焚火も、ばったりと消えてしまいますと、すっくと立ち上った老婆の腹は、脹満のように
「やれやれ、これで当分お腹が持ちましょう、飛んだお邪魔を致しました」
と言いながら、大釜の一端に口をつけると、釜の中に残った汁を、鯨のように吸い込んでしまい、それから以前のように大釜には縄をからげて、われとわが背中へ背負い込み、そのまま、以前の通り、押しつぶされるように前屈みの姿勢で、えっちら、おっちらと歩み出し、岩倉村を経て東山の方へ姿を消してしまいました。
六十二
ここは、三千院とは対岸的の存在。三千院の
寂光院の
この尼法師、年はもはや
「文治元年九月 の末に、かの寂光院へ入らせおはします。道すがらも四方 の梢 の色々なるを、御覧じ過ごさせ給ふ程に、山陰 なればにや、日もやうやう暮れかかりぬ。野寺の鐘の入相 の声すごく、分くる草葉の露しげみ、いとど御袖濡れまさり、嵐烈しく、木の葉みだりがはし。空掻 きくもり、いつしか打ちしぐれつつ、鹿の音かすかに音づれて、虫のうらみも絶え絶えなり。とにかくに取集めたる御心細さ、譬 へ遣 るべき方もなし。浦伝ひ、島伝ひせしかども、さすがかくはなかりしものをと、思召 すこそ悲しけれ。岩に苔 むしてさびたるところなれば、住ままほしくぞ思召す。露むすぶ庭の荻原霜枯れて、籬 の菊の枯れ枯れに、うつろふ色を御覧じても、御身の上とや思しけむ、仏のおん前へ参らせ給ひて、『天子しやうりやう、じやうとうしやうがく、一門亡魂、とんしよう菩提』と祈り申させ給ひけり。
いつの世にも忘れ難きは先帝の御面影、ひしと御身に添ひて、いかならむ世にも忘るべしとも思召さず。さて寂光院の傍らに、方丈なる御庵室を結んで、一間をば仏所に定め、一間をば御寝所にしつらひ、昼夜朝夕の御勤め、長時不断の御念仏、怠ることなくして月日を送らせ給ひけり」
右の文章、平家物語いつの世にも忘れ難きは先帝の御面影、ひしと御身に添ひて、いかならむ世にも忘るべしとも思召さず。さて寂光院の傍らに、方丈なる御庵室を結んで、一間をば仏所に定め、一間をば御寝所にしつらひ、昼夜朝夕の御勤め、長時不断の御念仏、怠ることなくして月日を送らせ給ひけり」
というのは、参考書として、仏典の字引を求めて来るつもりのを、ついして、机の上に持ち来たしたところを見ると「
しかも、手に当った
「ある人、大原の辺 を見ありきけるに心にくき庵ありけり、立入つて見れば、あるじとおぼしき尼ただ独 りあり、すまひよりはじめて事におきて優にはづかしきけしきたり、しかるべきさきの世のちぎりやありけん、又此人をたぶらかさんとて魔や心に入りかはりけん、いかにもこのあるじを見すぐして立ちかへるべき心地せざりければ……」
これから平家物語が、著聞集に乗換えられてしまったのは、魔の
「ちかくよりてあひしらふに、この人思はずげに想ひて、ひきしのぶを、しひて取りとどめてけり、あさましう心うげに思ひたるさま、いとことわりなり、何とすとも只今は人もなし、あたりちかく聞きおどろくべき庵もなければ、いかにすまふとてもむなしからじと思ひて、ねんごろにいひて、つひにほいとげてけり、力及ばで只したがひゐたるけしき、ひとへにわがあやまりなれば、かたはらいたき事かぎりなかりけり、したしくなつて後、いよいよ心地まさりて、すべきかたなかりければ、さてしも、やがてここにとどまるべきものならねば、よくよく拵 へ置きて男帰りにけり、さてまた二三日ありて尋ね来てみれば、かのすみかもかはらであるじはなし、かくれたるにやとあなぐりもとむれども、つひに見えず、さきにあひたりしところに歌をなんかきつけたりける、
世をいとふつひのすみかと思ひしに
なほうき事はおほはらのさと」
それから物ぐるわしくなったこの若々しい老尼は、六道も灌頂も打忘れて著聞集に引かれて行くことが浅ましい。世をいとふつひのすみかと思ひしに
なほうき事はおほはらのさと」
「山に慶澄註記といふ僧有りけり、件 の僧の伯母 にて侍 りける女は、心すきすきしくて好色はなはだしかりけり、年比 のをとこにも少しも打ちとけたるかたちをみせず、事におきて、色ふかく情ありければ、心うごかす人多かりけり、病を受けて命をはりける時、念仏すすめければ申すに及ばず、枕なるさほにかけたる物をとらんとするさまにて手をあばきけるが、やがて息たえにけり、法性寺辺に土葬にしてけり、其後、二十余年経て建長五年の比 、改葬せんとて墓をほりたりけるに、すべて物なし、なほふかくほるに、黄色なる水のあぶらの如くにきらめきたるが涌出 けるを、汲みほせどもひざりけり、その油の水を五尺ばかりほりたるになほ物なし、底に棺ならんと覚ゆる物、鋤 にあたりければ、掘出さんとすれども、いかにもかなはざりければ、そのあたりを手を入れてさぐるに、頭の骨わづかに一寸ばかりわれ残つてありける、好色の道、罪ふかきことなれば、後までもかくぞありける、その女の母も同じ時に改葬しけるに、遥かに先だち死にたりける者なれども、この体かはらでつづきながらにありける」
そこへ、また一つの魔がさして来ました。今までのは、偶然がもたらした内からの魔でありましたが、今度は外からさした魔であります。「あれ、何かさし入りました」
書巻の眼は
昨晩、花尻の森から
六十三
今までは、内からさした魔であるのに、こんどのは、まさしく外からさした魔でなければならない。
「あっ!」
と、
あわててそれを拭き、それを取りのけ、それをあしらい、しているうちに、また机の前へ坐り直しはしたが、ぞくぞくとして
おぞけをふるうという心持。誰ぞ外へ人が来たらしい。
見廻すこの室の内、僅かに八畳の間、周囲の
絵に見る花野原をかきわけて、いまにも人が出そうでならぬ。
これではいけない、多年の平家物語の
老尼は、われと気を鎮めてみたが、魔障わが精進をさまたぐるか、と言って躍起となる意気もないようであります。というのは、この老尼は修行のために、ここに静処を求めたのではなく、
そういう未練な
でも、外からさした魔は、それっきりで、あとは
そう思って、書斎の次の間は寝間、そこにしつらえてある夜のものに埋もれて、今日の
「おや」
と言って、その取落そうとした行燈を投げ込むようにつきつけると、侵入すべからざるところに侵入者があって、自分の寝間の中に、しかも、こちらが宵の間にほどよく敷いて置いた夜具の中に、誰かが寝ている。
枕許には大小が置いて、その上に黒い頭巾が投げ出してある。そこで若い老尼は全く立ちすくみました。もう、あっという言葉も出ません。
ところが、この奇怪きわまる侵入者は、苦しそうな声を出して、
「御免下さい、あんまり疲れましたから、それに恥かしながら飢えに堪え兼ねて……」
と言いました。
「え、何でございますか」
無意識に若い老尼が言葉を返しますと、
「お腹がすいたのです」
こいつ、あの餓鬼草紙の二の舞をやっている。餓鬼草紙から脱け出した老婆は、大釜を背負い込んでいたが、この餓鬼は釜の代りに大小を持っている。
「それは、お困りでございましょうがなあ」
「疲れはしたし、お腹はすいたし」
どうも、さもしい。お腹がすいた、お腹がすいたと、あまり繰返さないがよろしい。武士は食わねど高楊枝とも言い、腹がへってもひもじうないと言う。それだのに……
この物騒な侵入者は、物騒なわりに気が弱過ぎる。
作り声ではない、ほんとうに疲れきってもいるし、飢えきってもいるし、或いは疲労以上の、飢餓以上の、
「それはお気の毒な、まあ、ちょっとお起きあそばせ、おぶ漬を一つ差上げましょう、何ぞ粗末な有合せで」
「そうですか、それはかたじけないです、では、御免を蒙って」
と、寝ていた弱気の侵入者は起き直りましたが、ほんとうにこれはこの世の人ではない、病みほうけ、疲れきって、その様、全く哀れげに見えるものですから、老尼はいよいよ気になりました。
侵入者は、起き直ったとはいうものの、立って挨拶をしようではありません。
侵入者をいじらしがるわけもないものだが、老尼は、もうこっちのものだと思いました。傷ついた虎は吠える犬にもかなわない、という見極めがすっかりつきました。
六十四
それからしばらく、侵入者は、さっぱりとした取合せのよいお膳について、
「あなたは、どちらからおいでになりましたの」
「関の大谷風呂に暫く逗留しておりました」
「お国はドチラですの」
「東国の方ですがね、諸所方々をフラつきましたよ」
「お目がお悪い御様子ですが」
「はい、目がつぶれてしまいましてね、つまり天罰というやつなんですよ」
「どうして、そういう目におあいになりましたの」
「十津川の騒動の時にやられました」
「ああ、あの
「はい、十津川では天誅組の方へ加わりました、中山卿だの、それから
「まあ、それは頼もしい、天朝方でございますね」
「なあに、頼もしく入ったんじゃありませんよ、頼まれたもんですからツイね、つまり、人生意気に感ずというわけなんでしょう」
「その前は、どちらに」
「その前は
「まあ、
「恐れるには当りませんよ、これもふとした縁でしてね、好んで新撰組に加わったわけじゃありません」
「では、あなたはずいぶん、お手が
「剣術が少し出来るんでね、まあ、それで身を持崩したようなものです」
「よくまあ、でも、その御不自由なお
「こんな不自由な身で生きているというのが不思議なんです、いいや、不思議なんて、そんな
「そんなことはありませんよ、
「ふーん、これから花が咲くかなあ」
「咲かなくって、あなた、どうするもんですか、わたしなんぞごらんなさい、ことし、幾つだと
「左様、女の年というものは、若く言って叱られる、
「当ててごらんなさいよ、あなたはお目が見えないから、
「ふん、当ててみましょうか」
「当ててごらんなさいましよ、御遠慮なく、お世辞でなく、正直な判断を聞かせて頂戴」
「ふーん、鬼頭天王のおばさんと、ほぼ同格かな、あれより少し若いかな」
「鬼頭天王のおばさんというのは、どなた?」
「うん、いや――拙者の
「その伯母さん、お幾つ?」
「そうさなあ、四十……」
「それで、わたしは?」
「それより、若いかなあ」
「有難う」
「何でお礼を言います」
「有難う」
「年を言って、お礼を言われるはずはないのだが」
「言ってみましょうか、わたしの本当の年を」
「おっしゃってみて下さい」
「
「ははあ、五十三」
「いいお婆さんでしょう、四十幾つかに見られて嬉しい、ついでに、わたしの人柄を言ってごらん下さい」
「人柄とは?」
「どんな衣裳をつけて、そうして、何を商売にしていますか、それを当ててみてごらんなさい」
「拙者は
「それでお察しなさいよ――わたしは尼さんなのよ」
「ははあ、尼さんですか、寂光院には美しい尼さんがいるという話だが、それが、あなたなのでしたか」
「美しいかどうか、そこは保証ができません、昔は美しかったかも知れません、なにしろ五十三ではねえ」
「尼さんにしては、
「今は尼さんですけれど、前身は何だと思召すの」
「また、はじまったな、
「では、そういう話はやめて、あなたの一代記を伺いましょう」
「長いからなあ」
「夜が明けてもかまいません」
「後刻、ゆっくりお聞かせ致しましょう、今晩は疲れておりますから、
「そうそう、わたしとしたことが、自分ばかりいい気になって、では、お寝みなさい」
「いいですか、泊めてもらっても、あなたのお迷惑にはなりませんか」
「なりませんとも。なるくらいならばお泊め申しは致しません」
「あなた御自身はいいとしても、周囲がうるさいようなことはありませんか」
「ありませんとも。ありましたとても、そこが世捨人の強味というものでしょう、周囲などには驚きませんが、内から魔がさすのがいちばん怖いことです。あなたは、魔だと思いましたが、本当は思い違い、かわいそうなさすらい人ですから、それで大切にして上げますのよ。それはそうと、ごゆっくりお寝み下さい」
「では御免蒙りまして。飢えが満たされると睡眠の慾が昂上して来ました、もう、意地も遠慮もありません、休ませていただきます」
「さあ、どうぞ」
そこで、侵入者は、以前の
六十五
その翌朝、昨夜の侵入者と、この
「何から何までのおもてなし、恐縮千万に存じます、それに、今になって気がつくと、昨晩、あなたはお寝みになりませんようで」
尼さんが答えて、
「はい、寝みませんでした」
「どうも、重ね重ねお気の毒なことをしたと感じています。実は昨晩、寝ませていただく時に、それと覚らないでもありませんでしたがね、一人が寝めば一人が寝めない清浄な庵室住居を犯して、お気の毒千万とは思いましたけれども、意地にも、我慢にも、眠いものでしたから、御遠慮を申し上げる礼儀のなかったことを、お
「いやにお固いのね、一晩ぐらいあなた、寝まなくったって何ですか、おかげで昨夜はすっかり、
「ははあ、為すべき仕事とは何ですか、隠遁生活にも内職があるものですかねえ」
「ありますとも、長い間の書物の校合を、昨晩すっかり済ませてしまいました」
「書物の校合――では、あなたは女学者なのですね」
「女学者はいいわね」
「でも、書物の校合などは、相当の学力がなければ出来ることではないでしょう。いったい、何の書物ですか」
「平家物語」
「平家物語をね――平家物語の校合を、ここで一人でなすっていらっしゃるのですか」
「はい、静かでよろしうござんすからね、それにところがところでしょう、気が乗りましてね、どうかすると自分までが書物の中の人となってしまいます」
「それは風流な御生活ですな、世を捨てたとは言い条、文字を
「おなぶりになってはいけません。本来、わたしは出家する気でこの姿になったのではございませんから、あなたのおっしゃる文字を弄ぶ方が本職で、お勤めは附けたりのようなものなのです」
「そうですか、いや、それはどちらでも拙者の利害にはなりませんよ。いやどうも、御馳走さまになりました、おかげさまで飢えを満たし、雨露をしのぎ、温かな一夜を恵まれ、これで生き返った心持です、この感謝の心の消えないうちに、お
「まあ、お待ち下さいませ、左様にお急ぎにならずともよろしいでしょう。そうして、あなたは、これからドチラへお帰りになりますの」
「左様、関の清水か――山科谷へ」
「そこへお帰りにならねばならぬ義理がおありなのですか」
「義理で帰るというわけではないのです、その辺へ落着くより仕方がないじゃありませんか、いまさら
「帰らなければならない義理がおありにならないならば、そうして、ドコにおいでになっても、お宅で皆様が御心配にならない限り、ここにおいでになってはいかがでございますか」
「それはまことに御念の入った御親切です、拙者のような浮浪人に、いつまでもここにおれとおっしゃるのですか」
「あなたの方でおさしつかえのない限り」
「夢ではないでしょうかなあ、こんな静かなところに、しばしなりとも、このうらぶれの身を休ませていただき得れば、夢にもまさる幸福なんですが、それで、あなたは後悔をなさるようなことはございませんか」
「
「はてな」
「何を考えていらっしゃいます、あなたは、夜具が一組しかないところへ
「でも、危ないですよ」
「何があぶないものですか、あなたこそ、目も見えないくせに、足元があぶないとは、こっちから言って上げたいことなのです」
「では、お言葉に甘えましょうかな」
「そうして下さい、あなたに不自由をおさせ申しは致しません、その代り、わたしの仕事もお手つだいをして下さい」
「拙者の身で
「まあ、雨が降り出してきましたよ、これこそ本当にやらずの雨、今日は一日、あなたのお身の上話を承りましょう、お望みならば、わたしの前身……鬼でも蛇でもございませんが、お話し申し上げれば西鶴の種本になるかも知れません」
「しからば――」
侵入者は、ついに客人としてもて扱われることになりました。無制限の逗留と、無条件の寄食を許されて……
六十六
神尾主膳は、このたびの新しい使命の下に、いよいよ京都へ行くことにきめて、その暫時の
そもそも、主膳がこのたびの使命というのは、前にしるしたように、全く無任所として、京都の鷹ヶ峰に住っておればいいということだけです。そうして遊びたいだけ遊んで、その見たところと、聞いたところと、感じたままを、江戸のある方面へ知らせればいいというだけの役目であります。つまり情報部とか、
まあ、昔の石川丈山という男の役どころをつとめると思えばいい。それに主膳はいささか気をよくしているのですが、この丈山は詩は作れない、歌は
そういう意味で、しばらくはまた江戸の地を離れなければならない。長州征伐に行く軍人と違って、これは必ずしも生還を期せずという出征ではないから、これが江戸の見納めという意味にはならないが、それでも風向きの都合上、しばらくは帰れないと思わなければならない。よって神尾は、江戸の市中を一通り見学して置きたいという気になったものでしょう。
江戸に生れて、江戸を見ない人はいくらもあるものです。江戸も、本場を知って場末を知らない人もあれば、場末にいて盛り場を知らない人も、いくらもあるものであります。
神尾主膳も、祖先以来の江戸っ子でありながら、江戸というものの地理の多分を知りません。あるところは知り過ぎているが、知らないところは、他国の人の知らないよりも知らない、そういう意味に於て、江戸の市中の再吟味ということが大切だと思いました。たとえば今日、洋行する人が、あわてて日本の内地の名所見物をして置いて出かけるというのと、同じような筋合いになるでありましょう。
このたびの就職から、新しく雇い入れた渡り者の年寄の
「何だい、あれは」
「どんどん焼を買いに出たのでございます」
「どんどん焼?」
神尾が立ちどまって注視しました。どんどん焼を買うべく、この早朝から、この人出。タカがどんどん焼ではないか、神尾には何の意味だかわからない。それを渡り者の老仲間に心得があると覚えて、語り聞かせることには、
「近ごろは、ああして、どんどん焼が御大相に売れるんでございます、朝早く行きませんと売切れになっちまうんでございまして、それであの通り行列がつづきます」
「ここのどんどん焼はそれほど名物なのか、特別に
「いいえ、べつだん旨いというわけでもございませんし、近頃の
「変な風説というのは、いったい何だ」
「なあに、つかまえどころがあるわけではございませんが、つまり、関東と、関西と、近いうちに大合戦がはじまる、いつ、薩摩や長州が、江戸へ攻め込んで来ないものでもない、そう致しますと、食糧がひっぱくになる、軍の方の兵糧には困りませんが、一般市民が食うに困る、米も出廻らなくなるし、麦も来なくなる、そういうわけで、どんどん焼が急に売れ出すようになりました」
「ふーむ」
と神尾主膳は、まだその行列をながめて突立っている。
神尾が動かないから、渡り者の老仲間も動くわけにはゆかない。テレきってお傍についていたが、やがて、
「一つ買って参りましょうか」
「馬鹿!」
と、眼の玉の飛び出すほど、渡り者の老仲間が叱り飛ばされました。
渡り者の老仲間は、せっかく親切ごころで言ったのに、頭ごなしにやられたので、何がお気に召さなかったのか、それがわかりません。見れば神尾は三ツ眼で、行列を
馬鹿! 時勢が険悪だと言ったところで、天から矢玉が一つ降って来たわけではないぞ、地から薩長が湧いて来たわけではないぞ、それに今から食糧の心配をして、どんどん焼を食いたさに、こうして早朝に時間をつぶし、仕事をつぶして、行列を作るとは何たる醜態だ! これが江戸っ子の仕業か! 武士は食わねど高楊枝も古いものだが、およそ江戸っ子の全部が武士でないまでも、江戸っ子は江戸っ子としての恥を知らなければなるまい。こいつら、江戸っ子の皮をかぶった江戸っ子ではあるまい、
神尾主膳は、こう思うと、ズカズカ近寄って、その行列の
「御安直な面ぁしてやがる、大方、四国猿か、
こう言って、悪態をつき、唾を吐いて歩き出したものですから、渡り者の
歩きながらも、
「江戸っ子も下落したもんだなあ、だが、この恥知らずは、江戸っ子ばかりの罪じゃねえぞ、政治が悪いんだ、まだ、天から矢玉が降って来たわけじゃアなし、西国の又者が攻め込んで来たわけでもなし、天保の飢饉がブリ返して来たというわけでもないのに、もう食物でガツガツしてこのザマだ、一つには江戸っ子の下落、一つには政治向の堕落、江戸の台閣には人間がいねえのかなあ」
六十七
こういう余憤に
今度は、広小路の時のように一列は作らないが、無数の人がかたまって、押し合い、へし合い、後なるは前なるを引戻し、横から来るのは突きのけ押し倒し、襟髪を引っぱるもの、足もとをさらおうとする者、前なるは必死で、しがみついて放すまいとする、その事の
その一台の馬車を中心にして、これらの群集が、押し合い、へし合い、なぐり合いをしているのだということがわかりました。つまり我勝ちにあの馬車に乗ろうとして、押し合い、へし合い、もみ立てているのだということがわかりました。
馬車といっても、バスといっても、その頃はまだ珍しいものでありました。その当時に於ては、まだ、バスというものも、馬車というものもなかったから、神尾主膳には、バスも馬車もわからない。なんでみんなが、あれを取りまいてこんなに騒いでいるのか、それがわからない。ことに、さいぜん食傷新道で見た行列は、おさんどんや、山猿連のようだが、これは見ていると、しかるべき身上の奴が多い。町人では
それをまた、世間知りの渡り仲間が説明してくれました。
つまり、このごろ「馬車」というものを
ちぇッ! これは食い物とは違うが、先を争ってガツガツの醜態は甲乙なし!
かく正面から、乗り遅れまじの血眼の大手のほかに、ひそかに裏へ廻って、御者に袖の下をつかって、早くも席に納まり返っている奴がある、あいつらの得意げな
時勢は、どうか知らないが、お膝元のこの醜態はどうだ。
神尾主膳の面は、赤怒から白怒に変って行くもののようであります。
六十八
昌平橋を渡って
本来、願人坊主はチョボクレを語るべきものではない。これは東叡山の配下で、寒い朝でも赤裸で、とうとうと言って人の
神尾主膳は、
「さて、只今、その方が姫稲荷で唄ったチョボクレを、もう一遍ここで唄ってくれ、いくら長くてもかまわん、
「お耳ざわりで恐れ入りました、どうか
「勘弁はあるまい、その方も商売で唄っているのだろう、それが商売で、つまり食うと食わぬの境だから、それで唄っているのだろう」
「
「お前を叱っているのじゃないぞ、後学のために一つ聞いて置きたいのだ、さいぜんの立聞きで、よっぽど面白いと思ったが、忙がしくて追いかけきれない、ここで改めてゆっくり一つ聞かせてもらいたいのだ」
「唄えとおっしゃられると、これが商売でござんすから、唄わねえとは申し上げませんが、なにぶん作が作でございますから」
「誰の作だ」
「ええ、その作者てえのがわからねえんでげすよ、奥坊主のうちに作者があるんだそうでげすが、その奥坊主の中の誰の作でござんすか、わっしどもにゃ、ちっともわからねえんでげす、ただ、当時、こういうのが
「それはわかっている、なにも貴様の
「左様な
願人坊主はようやく酔いも廻って、いい気になり、ことにこの殿様は、話がわかってらっしゃる、気前もよろしくてらっしゃる、お
お聞きに入れます「当世よくばり武士」チョボクレ始まりさよ……
そもそもこのたび
京都の騒動
聞いてもくんねえ
長州征伐咽喉元 過ぎれば
熱さを忘れたたわけの青公家
歌舞伎芝居のとったりめかして
攘夷攘夷とお先まっくら
おのが身を焼く火攻めの辛苦も
とんぼの鉢巻、向うが見えない
山気 でやらかす王政復古も
天下の諸侯に綸旨 のなンのと
勿体ないぞえ
神にひとしき尊いお方の
勅書を名にして
言いたい三昧
我が田へ水引く阿曲 の小人
トドの詰りは首がないぞえ
それに諂 う末社の奴原
得手 に帆揚げる四藩の奸物
隅の方からソロソロ這 い出し
濡手で粟取るあわてた根性
眉に八の字、青筋出 して
向う鉢巻、すりこ木かかえて
威張ったとッても
天下の諸侯はなかなか服さぬ
足元あかるいうちこそ幸い
お国土産の芋でもくらって
屁 でもこき出しひッたらよかろう
おらが親分お気が好過ぎる
自分の政事を一から十まで
取り上げられても黙っているのか
おめえはそれでもいいかは知らぬが
冥途 にいなさる神祖に対して
なンと言いわけしなさるつもりだ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
二百余年の社稷 の大業
人手に渡して済むか済まぬか
わからぬながらも積ってみなさい
一朝一夕、骨も折らずに
取ッたか見たかの天下じゃないぞえ
七ツの歳から駿河 の人質
数年の辛苦も臣下の忠義に
ようようお家にお帰りなさると
門徒の争乱
大高城内、兵糧運びの
三方 ヶ原 には一騎の脱走
武田北条、左右に引受け
孤立の接戦、数ヶ度の敗軍
つくづく思えば涙がこぼれる
小牧山なり、関ヶ原なり
大阪御陣も、眉に火のつく火急の接戦
夏は炎天
兜 の上から照りつけられても
水も呑めない
冬は寒気が肌 を通して
霜をいただき兜の緒を締め
昼夜を分たぬ艱難辛苦と
共に積ッた七十有余の歳になっても
肉さえ食 わず
麁食 に水呑み
昔を忘れず
肱 を枕に山野に起き臥 し
それに従う臣下も同様
こんな憂目をなされた天下を
いかに気楽なお人だとッても
熨斗 をはりつけ進上申すと
渡す間抜けが唐 にもあろうか
これも奸賊四藩の為すこと
腕を捲 ッてやっきと気を張り
ピシピシやらかせ、しっかりしなせえ
馬に鞍置き、鞭を加えて
ノンノン出かけろ
譜代恩顧の諸侯もあるぞえ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
安芸 のおじさん、どうしたものだよ
お前は当家のお聟 じゃないかえ
いわば一門同様なお方が
長州なんどのお先に使われ
狐になるとは呆 れたものだよ
四十二万のお高はどうした
妾 にばっかり入れあげたのか
譜代恩顧の郎党励まし
一手に引受け長州討ったら
少しは先祖へ言いわけ立つベイ
加賀さん、どうした
お前もやっぱりお聟じゃないかえ
今は息子のお代といえども
しッかりしなさい
百万以上の大きなお高を掌握しながら
豆でも食 った鳩ではあるまい
隅にばっかりかがんでおっては
根ッから詰らぬ
大名の頭 か、芋の頭か
なんだかかんだか少しもわからぬ
今度は天下の安危に関 わる
肝心かなめの大事のところだ
腕を捲ってふんぱつしなさい
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
仙台、南部や津軽の爺さん
ムクムクしないで何とか言いねえ
たとえお国は山の中でも
これまで度々 お江戸へ参覲
少しは世間が知れたであるベイ
天下の大事は御家の大事だ
それとも西国奸徒の野郎に
頭を叩かれあやまる所存か
グニャグニャ、グニャつく蒟蒻野郎 だ
ことに仙台
お前のお家の先祖は高名
二百余年の静かに治まる
天下泰平の先祖は政宗
天下の諸侯を一手に引受け
いくさを致すといわれた度胸に
皆々屈服したではないかえ
それに何ぞや今の始末は
あんまり手ぬるい
万石以上の四十八館
槍先揃 えて中国征伐
一手に引受けふんぱつしなさい
金はなくとも米はたくさん
蒸汽でどんどん積出すものなら
国は忽 ち天下有福
これからふんぱつ、一旗揚げれば
天下に敵する諸侯はあるまい
徳川中古の回復諸侯と
あっぱれ言われろ
しッかりしなさい
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
次には会津の蝋燭親方
お前はほんとに忠義なお人だ
四五年このかたふんぱつ勉強
二十余万の僅かなお高で
かくまでするのは感心感心
今に奸徒が鎮静したらば
百万石には請合いなるぞえ
なおなおこの上しッかりやらかせ
因備 の腰抜け、呆 れたものだよ
お前は眼前、今の君にはまことの兄弟
それに何ぞや、奸徒に一味と世間の風聞
不忠不義のお人であるぞえ
家来不足で処置ができぬか
僅か一国、二国に過ぎない
国の政事が行き届かぬとは
生きて甲斐 なき間抜けの親玉
いッそ、死んだが何よりましだよ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
阿波の野呂麻 も、やっぱりそうだよ
土佐の奸徒にブルブルふるえて
ヘイヘイあやまり
奴同様 にさるるはなにごと
お前のお家は立派な生え抜き
尻をはしょって、やっきとやらかせ
福井の坊ちゃん、何していなさる
ことに一旦、政事を執ったる
肩書御所持の御身じゃないかえ
今の騒動はお前がベラボウ
諸侯の奥方、国もと住居 と
やらせたことから起ったことだよ
お前は元来立派な御家門
何はさて置き出でずばなるまい
向う鉢巻、七ツ道具をしっかり背負って
腕も砕ける奮撃突戦
矢玉を冒 して進まにゃなるまい
それができぬは、やっぱり腰抜け
グズグズなさると首が飛びます
天下の人民、挙 ってにくむぞ
肥前の御隠居、昼寝をなさるか
天下は累卵 、危うくなったよ
出かけて騒動鎮めて下さい
今まで尽した忠義の廉々
ここでたゆむと水の泡だよ
会津に劣らぬ文武のお人だ
なにぶんお頼み申すとあるぞえ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
肥後の親玉、これも同様
惜しいことだが砲術開けぬ
しかし日和 を見ていちゃいけない
今度の争議を治めて下さい
黒田の親方、グズグズしないで
早く出ないか、五十二万の高禄貪 り
何していなさる
まごまごなさると
腰抜け仲間と人が言います
長崎警固も厳しくしなさい
薩摩に渡すと笑われ草だよ
雲州と姫路は何しておいでだ
お二人さんとも立派な御家門
中国山陰、押えの大名
しっかりしないと切腹ものだよ
中国西海平定したらば
何とか御処置をせねばなるまい
まことに気の毒、笑止の限りだ
松山ふんぱつ、感心感心
早くに加勢にやるのがよかろう
福山どうした、銘酒を飲み過ぎ
酔ってはならない
砲術開いて先手を勤めろ
井伊や高田は先にも懲 りずに
少しは鉄砲開くもよかろう
戦地に臨んで青菜に塩では困ったものだよ
先祖の武功も水の泡だよ
錆 びた刀や、へら弓ばかりじゃ叶わぬ世の中
主家の大変、何と思うぞ
ばかげた野郎だ
こいつも、やっぱり死んだがよかろう
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
藤堂 の爺 さん、早く出ないか
慶長頃まで五万の小禄
当家に仕えて三十余万の
国主といえども御譜代同様
国の異名 にひとしき親方
貰うばかりが能でもあるまい
関西諸侯の旗の頭 が
聞いて呆 れて物が言えねえ
讃岐 の高松、大和の甲斐さん
枝も鳴らさぬ泰平の浮世に
十万余石の高禄貪り
家来に文武の世話もなさずに
飲み食いばかりに世の中送るは
虫けら同然
高を差出す仲間の頭だ
そんな心じゃ腹も切れまい
縄をたよりに首でも縊 って
死んだがよかろう
上杉親方、お前は感心
譜代恩顧の人とは違って
大きなお高を取られたお前が
先年以来の忠義はなかなか
諸人の及ばぬところでござるぞ
佐竹の親方、お前もやっぱり
高を取られた仲間の者だが
今度の大変、非常の場合だ
恨みをさし置き勤めて下さい
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
尾張の太郎さん
大きなベラボウ
神祖以来の三家の頭と
言われるおん身が
先年以来の御処置はなにごと
宮のおやまの瘡毒 身に染 み
癩病病 みとはなんともかんとも
たとえ様なき家来の奴ばら
塒 に離れた烏じゃあるまい
うろうろまごつき
カアカア言っても仕方がないぞえ
寝惚 けなさんすな
お附の御家老
紀伊さんなんぞは感服者だよ
一同挙 って兵隊こさえて
天下に忠義を尽していなさる
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
水戸の甚六 、困ったものだよ
副将軍と言われるお人が
一国さて置き
半国ばかりの政事ができぬか
家来は不服で四方に分散
お前もまことに摺古木野郎 だ
高を差出し
十万余りの賄 い貰って
引込み思案が相当だんベエ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
それはさて置きゾロゾロいなさる
閣老参政その他の役人
分別ついたか
因循姑息 も時によります
歌舞伎芝居の上使の壱岐さん
田舎 ざむらい、役には立たねえ
ちんぷんかんぷん、お臍 で茶が沸く
先年、長州先手の総督
九州大名指揮するなんぞと
出かけたところはべら棒によけれど
知恵がなくって了簡 なくって
お尻が早くて長崎なんぞへ
かけおちなどとはまことに呆れる
江南小児の遼来遼来 どころか
それとはかわッてあかん弁慶
屁 でも景清、外道 の大将
天下の人民、挙って笑うぞ
唐 の真卿 、杲卿 が忠勇
画像を拝した張巡 見なせえ
皆これ天下の英傑だんベエ
これこそ天下の将帥 と言われる
それに何ぞや賊の旗の手
見るか見えぬにブルブルふるえて
兵士を振り捨て一人で欠落
馬鹿と言おうか臆病と言おうか
文盲滅法 、河童 の屁のよな
腐った根性、譬 え様なき
摺古木野郎だ、首でも縊 って
死んだがよかろう
スチャラカ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
困る佐賀さん、呆 れた縫 ちゃん
下から経上 る平山図書さん
浅野の御隠居川勝先生
これらもやっぱり学者の生酔い
漢語交りの言葉を用いて
書附なンぞはよしてもくんねえ
机に向うて詩文の研究
山ほど書いても役には立たない
あっぱれ立派な物識 りめかして
事務策なンぞも無暗にやらかし
一 ッ廉 天下の議論を述べても
社稷 を助ける知恵がなければ
腐れ儒者だと孔明が言わずや
春秋左伝に通鑑綱目
史記や漢書や元明史略 を
百たび見たとて千たび見たとて
生れついての馬鹿は直らぬ
鉄砲かついでピイピイドンドン
やったがましだろ
武侯の中流呉起 が立策
七十余城を一時に落した楽毅 が行い
よくよく目をつけ考えみなせえ
野呂間 じゃ天下の助けはできない
ナポレオンでもワシントンでも
天下を治める技倆は格別
なかなか及ばぬ、勉強しなせえ
スチャラカ チャカポコ
チャカポコ スチャラカ
稲葉の兵六 どうしたもンだよ
腰抜け仲間のよぼよぼ親爺
海軍総督、聞いて呆れる
敗軍相当な臆病だましい
船に乗ったら嘔吐 でもするより
ほかにはなンにも働き出来まい
まだある、淀さん、川越親方
グズグズしてるとお江戸が危ねえ
四五年かかって、ようよう仕上げた
歩兵はお暇
倹約なンぞとお為ごかしに
旗本苦しめ金納なんぞと
でかした揚句に半高 取上げ
融通にしたるは何のためだエ
今が今まで兵士も出来ねえ
金が有っても兵士がなければ
軍 は偖置 きなンにもできまい
かくの如くの斗 の小人
集まり挙 って政治を執る奴
内憂外患一時に起ッて
今にも知れねえ天下の累卵
これから俄 かにガヤガヤ騒いで
太鼓が廻って触 が廻って
兵士がはいって小隊前へと
号令かけても何が何やら
わからぬ歩兵を催し散らして
出かける騒動、馬鹿と言おうか
たわけと言おうか、耳はあっても木耳 同様
まなこはあッても節穴 同然
木偶 の坊 とはこれらのことだよ
いまに見なせえ
中国西国激浪漲 る天下の騒動
お江戸は灰燼 、その時どうする
ガラガラ崩れて地べたへ転げて
鼻血と涎 を流したとッても
六日の菖蒲 に十日の菊酒
あとの祭りでおさまり附かない
チャカポコ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
スチャスチャ チャカチャカ
スチャチャカ ポコポコ
譜代恩顧の小禄大名
やっぱり間抜けで仕方もなけれど
これらは天下の米喰虫にて
論に足らない度外の奴原
何はともあれ肝腎 かなめの
天下の権老、こんなことではまことに困った
神祖以来の尊き大業
賊徒の馬蹄にかけるは歎息
数も知らない旗本御家人
多くの中には一人や半分
忠義なお人が有りそなものだよ
三千以上のお高を貪 り
惰弱な奴原、役には立たない
かかる危急の場合にのぞんで
やっぱり寝惚 けて
半高なんぞと
己 れに水引き小言を言いおる
主家が亡びて己れが俸禄
万々年まで保つの所存か
お先真暗、足許見えぬも程があります
間抜けで腑抜けで奥詰銃隊
藁人形 にも劣った人物
遊撃隊にも困ったものだよ
槍術剣術、役には立たない
これこれ旗本、しっかりしなせえ
今の時節はなんと思うぞ
一同挙 って京都へ詰め寄せ
愁訴と出かける覚悟はないかえ
さりとは困った腰抜け揃 いだ
鳶 の人足、土方といえども
頭 がやられりゃ皆々出かける
中間 小者 に劣った了簡
引っこみ思案は泰平な時だよ
これほど励まし、わけがわからにゃ
虫ともなんとも言い様がござらぬ
残らず揃って両国橋から
身でも投げるか
豆腐で天窓 を叩き壊して
いッそ死んだが何よりましだろ
スチャラカ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
大関兄さん、お前が頼みだ
ピンピンやらかせ
あとの奴等は頼むに足らない
玄蕃 の水汲み読書が足らない
漢字ばかりじゃ叶 わぬ世の中
翻訳本でも見たらばよかろう
平岡丹州、石川、京極、立花
なンぞは蛆虫 同様
外夷に笑われ京都はしくじる
金がなくなる、世の中乱れる
お口はすくなる
ここらで一ト口、湯でも呑むベイ
スチャラカ チャカポコ
チャカポコ スチャラカ
スチャスチャ チャカチャカ
チャカポコ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
京都の騒動
聞いてもくんねえ
長州征伐
熱さを忘れたたわけの
歌舞伎芝居のとったりめかして
攘夷攘夷とお先まっくら
おのが身を焼く火攻めの辛苦も
とんぼの鉢巻、向うが見えない
天下の諸侯に
勿体ないぞえ
神にひとしき尊いお方の
勅書を名にして
言いたい
我が田へ水引く
トドの詰りは首がないぞえ
それに
隅の方からソロソロ
濡手で粟取るあわてた根性
眉に八の字、青筋
向う鉢巻、すりこ木かかえて
威張ったとッても
天下の諸侯はなかなか服さぬ
足元あかるいうちこそ幸い
お国土産の芋でもくらって
おらが親分お気が好過ぎる
自分の政事を一から十まで
取り上げられても黙っているのか
おめえはそれでもいいかは知らぬが
なンと言いわけしなさるつもりだ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
二百余年の
人手に渡して済むか済まぬか
わからぬながらも積ってみなさい
一朝一夕、骨も折らずに
取ッたか見たかの天下じゃないぞえ
七ツの歳から
数年の辛苦も臣下の忠義に
ようようお家にお帰りなさると
門徒の争乱
大高城内、兵糧運びの
武田北条、左右に引受け
孤立の接戦、数ヶ度の敗軍
つくづく思えば涙がこぼれる
小牧山なり、関ヶ原なり
大阪御陣も、眉に火のつく火急の接戦
夏は炎天
水も呑めない
冬は寒気が
霜をいただき兜の緒を締め
昼夜を分たぬ艱難辛苦と
共に積ッた七十有余の歳になっても
肉さえ
昔を忘れず
それに従う臣下も同様
こんな憂目をなされた天下を
いかに気楽なお人だとッても
渡す間抜けが
これも奸賊四藩の為すこと
腕を
ピシピシやらかせ、しっかりしなせえ
馬に鞍置き、鞭を加えて
ノンノン出かけろ
譜代恩顧の諸侯もあるぞえ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
お前は当家のお
いわば一門同様なお方が
長州なんどのお先に使われ
狐になるとは
四十二万のお高はどうした
譜代恩顧の郎党励まし
一手に引受け長州討ったら
少しは先祖へ言いわけ立つベイ
加賀さん、どうした
お前もやっぱりお聟じゃないかえ
今は息子のお代といえども
しッかりしなさい
百万以上の大きなお高を掌握しながら
豆でも
隅にばっかりかがんでおっては
根ッから詰らぬ
大名の
なんだかかんだか少しもわからぬ
今度は天下の安危に
肝心かなめの大事のところだ
腕を捲ってふんぱつしなさい
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
仙台、南部や津軽の爺さん
ムクムクしないで何とか言いねえ
たとえお国は山の中でも
これまで
少しは世間が知れたであるベイ
天下の大事は御家の大事だ
それとも西国奸徒の野郎に
頭を叩かれあやまる所存か
グニャグニャ、グニャつく
ことに仙台
お前のお家の先祖は高名
二百余年の静かに治まる
天下泰平の先祖は政宗
天下の諸侯を一手に引受け
いくさを致すといわれた度胸に
皆々屈服したではないかえ
それに何ぞや今の始末は
あんまり手ぬるい
万石以上の
槍先
一手に引受けふんぱつしなさい
金はなくとも米はたくさん
蒸汽でどんどん積出すものなら
国は
これからふんぱつ、一旗揚げれば
天下に敵する諸侯はあるまい
徳川中古の回復諸侯と
あっぱれ言われろ
しッかりしなさい
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
次には会津の
お前はほんとに忠義なお人だ
四五年このかたふんぱつ勉強
二十余万の僅かなお高で
かくまでするのは感心感心
今に奸徒が鎮静したらば
百万石には請合いなるぞえ
なおなおこの上しッかりやらかせ
お前は眼前、今の君にはまことの兄弟
それに何ぞや、奸徒に一味と世間の風聞
不忠不義のお人であるぞえ
家来不足で処置ができぬか
僅か一国、二国に過ぎない
国の政事が行き届かぬとは
生きて
いッそ、死んだが何よりましだよ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
阿波の
土佐の奸徒にブルブルふるえて
ヘイヘイあやまり
お前のお家は立派な生え抜き
尻をはしょって、やっきとやらかせ
福井の坊ちゃん、何していなさる
ことに一旦、政事を執ったる
肩書御所持の御身じゃないかえ
今の騒動はお前がベラボウ
諸侯の奥方、国もと
やらせたことから起ったことだよ
お前は元来立派な御家門
何はさて置き出でずばなるまい
向う鉢巻、七ツ道具をしっかり背負って
腕も砕ける奮撃突戦
矢玉を
それができぬは、やっぱり腰抜け
グズグズなさると首が飛びます
天下の人民、
肥前の御隠居、昼寝をなさるか
天下は
出かけて騒動鎮めて下さい
今まで尽した忠義の
ここでたゆむと水の泡だよ
会津に劣らぬ文武のお人だ
なにぶんお頼み申すとあるぞえ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
肥後の親玉、これも同様
惜しいことだが砲術開けぬ
しかし
今度の争議を治めて下さい
黒田の親方、グズグズしないで
早く出ないか、五十二万の高禄
何していなさる
まごまごなさると
腰抜け仲間と人が言います
長崎警固も厳しくしなさい
薩摩に渡すと笑われ草だよ
雲州と姫路は何しておいでだ
お二人さんとも立派な御家門
中国山陰、押えの大名
しっかりしないと切腹ものだよ
中国西海平定したらば
何とか御処置をせねばなるまい
まことに気の毒、笑止の限りだ
松山ふんぱつ、感心感心
早くに加勢にやるのがよかろう
福山どうした、銘酒を飲み過ぎ
酔ってはならない
砲術開いて先手を勤めろ
井伊や高田は先にも
少しは鉄砲開くもよかろう
戦地に臨んで青菜に塩では困ったものだよ
先祖の武功も水の泡だよ
主家の大変、何と思うぞ
ばかげた野郎だ
こいつも、やっぱり死んだがよかろう
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
慶長頃まで五万の小禄
当家に仕えて三十余万の
国主といえども御譜代同様
国の
貰うばかりが能でもあるまい
関西諸侯の旗の
聞いて
枝も鳴らさぬ泰平の浮世に
十万余石の高禄貪り
家来に文武の世話もなさずに
飲み食いばかりに世の中送るは
虫けら同然
高を差出す仲間の頭だ
そんな心じゃ腹も切れまい
縄をたよりに首でも
死んだがよかろう
上杉親方、お前は感心
譜代恩顧の人とは違って
大きなお高を取られたお前が
先年以来の忠義はなかなか
諸人の及ばぬところでござるぞ
佐竹の親方、お前もやっぱり
高を取られた仲間の者だが
今度の大変、非常の場合だ
恨みをさし置き勤めて下さい
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
尾張の太郎さん
大きなベラボウ
神祖以来の三家の頭と
言われるおん身が
先年以来の御処置はなにごと
宮のおやまの
たとえ様なき家来の奴ばら
うろうろまごつき
カアカア言っても仕方がないぞえ
お附の御家老
紀伊さんなんぞは感服者だよ
一同
天下に忠義を尽していなさる
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
水戸の
副将軍と言われるお人が
一国さて置き
半国ばかりの政事ができぬか
家来は不服で四方に分散
お前もまことに
高を差出し
十万余りの
引込み思案が相当だんベエ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
それはさて置きゾロゾロいなさる
閣老参政その他の役人
分別ついたか
歌舞伎芝居の上使の壱岐さん
ちんぷんかんぷん、お
先年、長州先手の総督
九州大名指揮するなんぞと
出かけたところはべら棒によけれど
知恵がなくって
お尻が早くて長崎なんぞへ
かけおちなどとはまことに呆れる
江南小児の
それとはかわッてあかん弁慶
天下の人民、挙って笑うぞ
画像を拝した
皆これ天下の英傑だんベエ
これこそ天下の
それに何ぞや賊の旗の手
見るか見えぬにブルブルふるえて
兵士を振り捨て一人で
馬鹿と言おうか臆病と言おうか
腐った根性、
摺古木野郎だ、首でも
死んだがよかろう
スチャラカ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
困る佐賀さん、
下から
浅野の御隠居川勝先生
これらもやっぱり学者の生酔い
漢語交りの言葉を用いて
書附なンぞはよしてもくんねえ
机に向うて詩文の研究
山ほど書いても役には立たない
あっぱれ立派な
事務策なンぞも無暗にやらかし
腐れ儒者だと孔明が言わずや
春秋左伝に
史記や漢書や
百たび見たとて千たび見たとて
生れついての馬鹿は直らぬ
鉄砲かついでピイピイドンドン
やったがましだろ
武侯の中流
七十余城を一時に落した
よくよく目をつけ考えみなせえ
ナポレオンでもワシントンでも
天下を治める技倆は格別
なかなか及ばぬ、勉強しなせえ
スチャラカ チャカポコ
チャカポコ スチャラカ
稲葉の
腰抜け仲間のよぼよぼ
海軍総督、聞いて呆れる
敗軍相当な臆病だましい
船に乗ったら
ほかにはなンにも働き出来まい
まだある、淀さん、川越親方
グズグズしてるとお江戸が危ねえ
四五年かかって、ようよう仕上げた
歩兵はお
倹約なンぞとお為ごかしに
旗本苦しめ金納なんぞと
でかした揚句に
融通にしたるは何のためだエ
今が今まで兵士も出来ねえ
金が有っても兵士がなければ
かくの如くの
集まり
内憂外患一時に起ッて
今にも知れねえ天下の累卵
これから
太鼓が廻って
兵士がはいって小隊前へと
号令かけても何が何やら
わからぬ歩兵を催し散らして
出かける騒動、馬鹿と言おうか
たわけと言おうか、耳はあっても
まなこはあッても
いまに見なせえ
中国西国激浪
お江戸は
ガラガラ崩れて地べたへ転げて
鼻血と
六日の
あとの祭りでおさまり附かない
チャカポコ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
スチャスチャ チャカチャカ
スチャチャカ ポコポコ
譜代恩顧の小禄大名
やっぱり間抜けで仕方もなけれど
これらは天下の米喰虫にて
論に足らない度外の奴原
何はともあれ
天下の権老、こんなことではまことに困った
神祖以来の尊き大業
賊徒の馬蹄にかけるは歎息
数も知らない旗本御家人
多くの中には一人や半分
忠義なお人が有りそなものだよ
三千以上のお高を
惰弱な奴原、役には立たない
かかる危急の場合にのぞんで
やっぱり
半高なんぞと
主家が亡びて己れが俸禄
万々年まで保つの所存か
お先真暗、足許見えぬも程があります
間抜けで腑抜けで奥詰銃隊
遊撃隊にも困ったものだよ
槍術剣術、役には立たない
これこれ旗本、しっかりしなせえ
今の時節はなんと思うぞ
一同
愁訴と出かける覚悟はないかえ
さりとは困った腰抜け
引っこみ思案は泰平な時だよ
これほど励まし、わけがわからにゃ
虫ともなんとも言い様がござらぬ
残らず揃って両国橋から
身でも投げるか
豆腐で
いッそ死んだが何よりましだろ
スチャラカ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
大関兄さん、お前が頼みだ
ピンピンやらかせ
あとの奴等は頼むに足らない
漢字ばかりじゃ
翻訳本でも見たらばよかろう
平岡丹州、石川、京極、立花
なンぞは
外夷に笑われ京都はしくじる
金がなくなる、世の中乱れる
お口はすくなる
ここらで一ト口、湯でも呑むベイ
スチャラカ チャカポコ
チャカポコ スチャラカ
スチャスチャ チャカチャカ
チャカポコ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
チョボクレとなり、チョンガレとなり、
それは、チョボクレとして文句が練れない、言葉が野卑に過ぐる、そのくせ、学者ぶったところが鼻につくものがある、天下の諸侯に八ツ当り、
六十九
さてその翌日、改めて出直した神尾主膳の江戸再吟味日程第二日。今日は、芝の増上寺へ参詣を志しました。
御成門まで来ると、一隊の練兵が
「菜っぱ隊にしては出来がいい方だ」
いずれも見上げるような体格。幕府もエライものだ、いつのまに、こんな立派な歩兵をこしらえた――感心して見ていると、渡り
「あれが名代の六尺豊かの歩兵さんでござんすよ」
なるほど、六尺豊かの歩兵さんとはよく言った、名実相叶うている、よくもこう
「もとはみんなお
言わないことか、六尺と陸尺との混線だ、すなわちこれは、このごろ江戸の市中に溢れていた諸国諸大名の陸尺、即ち
諸大名お抱えの陸尺は、体格抜群のものを
それを見送った神尾は、なるほど、見かけだけは立派に六尺豊かの兵隊さんだが、渡り者の寄集め、いざという時、役に立てばいいが、と冷笑して、さて、増上寺の参詣も無事に済ませて、山門を出て見ると、今度は赤羽橋の方から息を切って飛んで来る裸男。
ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やって来た、一貫占めたか、セイゴどん、しゃか、しゃか
何のことだかわからない。すれちがってしまってから、また振返ると、
ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やってきた、一貫占めたか、セイゴどん、しゃか、しゃか
「何だい、あれは」「薩摩飛脚でござんしょう」
ナニ、薩摩、その薩摩がどうした、憎い奴だ。
このごろ、江戸の市中の火附強盗の帳元は、皆その薩摩の
神尾は、直ちに爪先を四国町の方へと向けました。なにかと
まもなく、その三田の四国町、薩州邸の表門を横目で
「
こう思って睨みつけてはみたが、神尾の力で、今どうしようというわけにもいかない。いまに見ろ、眼に物見せてやる時が来るぞ。
薩摩という奴、怪しからぬ奴だ。松平薩摩守で、徳川御一家待遇にあるのみならず、将軍とは切っても切れぬ縁組みの間柄であるのに、幕府を軽蔑しきっている。薩摩が増長しているというよりも、幕府の役人共に意気地がないからだ。幕府の上役共、何か大事が起ると、自分の力で決断し兼ねて、薩摩へ持込む。薩摩守がこうだと言えば、大抵はその方に事がきまる。
そういうことを、神尾が心肝にこたえつつ、そこを引返して品川へ出ると、海岸の茶屋で、
これが出来上った時に、薩摩守が、ぜひひとつ、老中の阿部伊勢守に見てもらいたいとのことで、伊勢守が大目附あたりをしかるべく召しつれて見に来た時には、薩摩の太守が門の表まで出迎えて、ていねいな挨拶だが、伊勢守は頭を下げない、ただ会釈ばかりで玄関へ通った。何といっても、まだ天下の徳川の老中だ。世間では、薩摩の太守、薩摩の太守とあがめ奉るが、見受けるところ、老中に対してはあの通りだ。老中もまたあれだけの権式を保ち得られたものだが、僅かの間にそれもガタ落ち、薩摩の藩邸が江戸荒しの山賊の策源地と公認されながら、それに一指を加うることができないとは……
神尾は
七十
さてその次の夜は、またおぼろ月の大原の里。
おぼろ月というのは、春に限ったものだが、ここ大原の里には、秋も月がおぼろに出ると、それに浮かれて二つの蝶が寂光院の
蝶というには少しとうが立ち過ぎている嫌いはあるが、雌蝶であり、雄蝶であり、それが月に浮かれて
「大原へ来たら、美しい尼さんでも出て来るか、そうでなければ、
と言ったのは、とうの立った雄蝶でありまして、昨夜以来、無条件の逗留を許された盲目のさすらい人の声であります。
見れば、今までのように、コケ
若々しい老尼もまた、いい気なもので、すらりとした尼さんの姿ではあるが、この尼さんは、
「花尻の森へ行きましょうよ、
「何ですか、そこは……花尻の森というのは」
「源太夫の屋敷あとなのです」
「その源太夫と申しますのは?」
「松田源太夫のことでございますよ」
「松田源太夫――あんまり聞いたことのない名じゃ」
「源頼朝公から、建礼門院様お目附のために差しつかわされた鎌倉の
「それは古い昔のことだなあ、そこに今晩お祭りがあるのですか」
「森の中に竜王明神の
「なるほど、唄が聞えますな」
「さあ、しばらく、そのままで、あの唄を聞いていらっしゃい」
「
「森へ着くまでの間に、唄のおさらいをして上げますから、お聞き下さい、あちらの調子に合わせて、わたくしが唄って上げますから」
森の中で起る節を伴奏にして、水々しい尼さんは、こちらの耳にもはっきりわかるように、忍踊りの
わが恋は、小倉 の里のひる霞
つもりつもりて、はれやらぬ
忍踊りを一踊り
われが身は、君を思うて浮かるるも
行くもかえるもうつつなや
忍踊りを一踊り
忍び行く、のべの川瀬は浅かれよ
君の契 りは深かれよ
忍踊りを一踊り
君様に、ここに一つのたとえあり
清滝川も濁りそろ
なにとて君様つれなさよ
忍踊りを一踊り
君様を、思いかけたる庭の花
うらの妻戸を忍び入る
忍踊りを一踊り
忍び入り、君の枕に手をかけて
ここでこの夜を明かせかや
忍踊りを一踊り
今ははや、思いし恋いしがかのてそろ
枕屏風 にかたよけて
物語りは限りなや
忍踊りを一踊り
若々しい老尼は、忍踊りの声をつもりつもりて、はれやらぬ
忍踊りを一踊り
われが身は、君を思うて浮かるるも
行くもかえるもうつつなや
忍踊りを一踊り
忍び行く、のべの川瀬は浅かれよ
君の
忍踊りを一踊り
君様に、ここに一つのたとえあり
清滝川も濁りそろ
なにとて君様つれなさよ
忍踊りを一踊り
君様を、思いかけたる庭の花
うらの妻戸を忍び入る
忍踊りを一踊り
忍び入り、君の枕に手をかけて
ここでこの夜を明かせかや
忍踊りを一踊り
今ははや、思いし恋いしがかのてそろ
物語りは限りなや
忍踊りを一踊り
「手ぶりなら、こちらへきてござんせえな、トトさんも、カカさんも、ニイも、ネエも、ボーも、マーも、みんな踊ってござんすわいなあ」
やれやれよういな
声が欲しいわいな
「ちょいとこなあ」
よう立つ声が
声で人をや、迷わすは
しょんがいな
これや声が欲しいわいな
「ちょいとこなあ」
よう立つ声が
声で人をや、迷わすは
しょんがいな
「
の姿は、以前の時によく見かけた。姿よりはその健康な肉体に魅せられたものだが、その踊りというのはまだ見参しない。早くそれを見たいものだ。
年はよれども
まだ気がわこて
若いあねごのそばがよい
水々しい老尼は、自分を唄っているのかひとごとか、手ぶり、足ぶり、歌の声までも浮き立って、さして行方は花の大原、花尻の森の忍びの踊り。まだ気がわこて
若いあねごのそばがよい
森の中には、踊り疲れる人ばかりではない。竜王明神のほこらには、烈しい嫉妬の神が待っていることを知るや、知らずや。この年老いて、そうして
七十一
その夜、大原三千院の
「こんな話をすると、君たちは、なにを子供だましのと思うか知らんが、だまされる子供が幸いで、だまされない現代人が不幸であることを思わなければなりませんよ」
この秀才は、子供のように素直なところのある青年でありましたから、博士の言う意味がよく呑込めました。且つまた、この季麿秀才は、年に似合わぬ博学多才で、能文達識で、品行が方正で、ことに人の悪口などを言うことが最も嫌いな好学の青年でありましたから、それに張合いのある博士は言葉をつづけて言う様は、
「この世界は一つの
と言いますと、季麿秀才は、それに敬意ある諒解を以てつけ加えました、
「左様でございます、哲学者が訴え得られる範囲は、少数の特志家の頭脳だけにしか過ぎませんが、詩人というものは、大多数の人にも、後代の人にも、了解される特権がございます、それをことさらに縄張りをして、大衆の文学だの、少数の芸術だのと、差別なきところに差別を設ける彼等の術策を
「それは私の知らないことだ、わたしは大菩薩峠なるものを読んでいない」
「私にこういう経験があるのです、私が若い頃、宮中に勤める身でありまして、ここの
「無声の声は、
「いや、それとは少しく違います、声明家は禅家のような独断論法を嫌います、信仰者でなければならないが、同時に、科学者でなければならないのは一つの資格といえるでしょう。人間の声にも、有位有声と、有位無声とがありますが、前者を十一位に分つと後者が四位、これを
「ギョサンですか、ギョサンとは、どういう字を書きますか」
「魚という字です、サカナという字です、魚の山と書きまして、
声明の博士が、季麿青年を相手に
「御免下さりませ」
「どなたですか」
「はい、わたくしは、東国
博士と、秀才と、二人の談論
七十二
魚山の来迎院に、声明の博士と、季麿秀才とを驚かした弁信法師は、座に招ぜられると、案外に慎しみ深く、簡単に来意を述べました。
ごらんの通りの盲目の身、東夷東条の安房の国、清澄の山を出でてより幾年月、世を渡るたつきとしては一面の琵琶、覚束ない
「
かように申されました時、弁信は、一議に及ばず、これこそ望むところとあって、直ちに翌日の明星をいただいて坊を出で、音なしの滝に
その日より、滝のほとりに、ささやかな
七十三
有野村の与八が、この春から
与八は、その時、こう言って村々に勧誘をして廻りました――
皆さん、何が怖ろしいといって、戦争と饑饉ほど怖ろしいものはこの世にございません。地震だの、雷だの、火事だのというものも怖ろしいには違いありませんけれど、その災難の程度を比べると、戦争や饑饉と比べものにはなりませんよ。戦争はどうかすると一国の人を殺してしまい、一つの国を亡ぼしてしまうことがございます。饑饉もまた国中の人が、のたれ死をしてしまうこともございます。戦争のことは人間のすることですから、わしらにはわからねえですが、饑饉は
与八は、電剣先生から聞き覚えたハト麦の栽培法を、村人に伝授を致しました。それから、ジャガタラ薯も、まだ作り方を知らない人に教えてやりました。村人のうちには、ハイハイと聞いてはいるが、実行しない人も多くありましたが、与八は、それに頓着なしに、ハト麦の効能を説きながら、その種子を配り歩いています。
饑饉というものは怖ろしいものですよ。わしらも子供の時に見ました。野原にちっとも青いものがありませんでな。みんな人間が
天保の年は、四年と七年と二度も続いて饑饉がございましたが、七年の方が
なかには二宮先生の、そのお触書を見て、直ぐに馬に乗って先生をおたずねして、その仕方を丹念に聞き取ってから、村々をお
すべて、大偉人の言うことは、聞いて置かなけりゃなりません。わしらは、二宮先生のような大偉人ではございませんが、用心をしてしそこないということはございませんから、皆さん、何をさし置いても饑饉の御用心をしてお置きなさいませよ。
それには、ハト麦なんぞは至極よろしいでございます。種子が入用ならば、わしんところへ言っておよこしなさい。
それからもう一つ、ジャガタラ
そうして、用心をして置いて、いざ饑饉という時には、その貯えを大切に、控え目にして食べるです。そうすれば、
こういう説教を与八が試みました時に、慢心和尚が来合わせて、次のようなあいづちを打ちました。
そうとも、そうとも、与八の言うことと、二宮尊徳の言うことは間違いはないぞ、饑饉は怖いぞ、用心して五穀を貯えろよ、草根木皮は食うなよ。天保の饑饉の時、わしは江戸で見たがな、なにしろ作の本場の百姓でさえ、食う物がなくて餓え死ぬ世の中だから、町家ときては目も当てられなかったよ。その時の窮策でな、赤土一升を水一升で溶いてな、それを布の上に厚く敷いて、
それから、若い者は天保の饑饉は知っているが、天明の饑饉時代を知る者は少なかろう、おれはそれを実地に見せられてよく知っているぞ。この村で食えなくなったものが、隊を成して次の村へと流れ込んだ、流れ込んでみたところで、次の村にだって、他村に食わす貯穀があるはずはない。そこで、流れ流れて毎日毎日、千人、二千人というものが、かたまって、飢死している、そうすると、先に飢えて死んだものの肉を、あとのが切り取って食ったものもあったぞ。食うや食わぬの境になると、人間が鬼になる浅ましさ、おれはこの眼でよく見て来たぞ。そのくらいだから、盗賊が横行する、いや、人間という人間がみんな盗賊になってしまう、浅ましいものじゃ。大名の米でさえも、警護が薄いと途中で飢えたる民が襲いかかって奪ってしまう、それだから、一台か二台の車に積んで運ぶ
だから、百姓は、平生丹精してよく作り、丹念してそれを貯えて置くことじゃ。近ごろ、節食節食と言って、なるべく少し食えということを言って歩く奴もあるが、わしらがようなものは、小食でもさしつかえないじゃ。わしらがような坊主とか、役人とか、学者とかいうやからは、そう大した体力の骨折り仕事というのはせんでも済むじゃから、そういうやからは、いわばお百姓様の
こういうようなことを言って慢心和尚が、与八の勧誘に補足をして村人を説得しているところへ、一人の風来人がやって来ました。
その風来人というのは、五十がらみ、小肥りに太った、笠をかぶって、もんぺを
「わしは、武州
と言って、腰にブラ下げていた一冊の部厚の帳簿を解いて、慢心和尚と与八の前へ差出しましたから、
「それはそれは、御奇特なことで」
と答えながら慢心和尚が、その帳面を手に取って見ますと、
「百姓大腹帳」
と書いてあります。二つ折「只今もおっしゃる通り、近ごろは戦争や饑饉の心配から、ドコへ行っても食を控えろ、食物を食べ過ぎるな、節食をしろ、節米をしろと、
と言って、武州刎村の百姓弥之助と名乗る男が、大腹帳の開巻第一を開いて、慢心和尚の前に示しました。
和尚が受取って、それを読んでみると、
「そもそも『百姓』といふは、支那四千年の古典『書経』並びに『詩経』等に見ゆるを最初とすべし。『百姓』とは、あまねく『人民』といふ意味にして、これを農耕者に限りたる約束は更になし。されば天子以外のものは皆百姓なり。
日本に於ても、古代はこれと典故を同じうしたれば、歴代の天皇、皆直接[#「直接」は底本では「直後」]に人民を呼ぶに『百姓』の語を以てし給ふ。愚、ひそかに数へ上げ奉るに、日本書紀三十巻の中に於て、天子おんみづから『百姓』の語を以て呼びかけ給へるところ七十四ヶ所に及ぶ。殊に、第十六代仁徳天皇に於かれては、
『君ハ百姓ヲ以テ本トナス』
『百姓貧シキハ則 チ朕 ノ貧シキナリ、百姓ノ富メルハ則チ朕ノ富メルナリ』
とまで仰せらる。
まことに、日本は天皇の国にして百姓の国也 。天皇は親にして百姓は子也。関白、将軍、国主、郡司、諸々 の門閥は皆後世この百姓の間より出でて、或は国家に功あり、或は国家に害を為 す。功あるは即ち天皇と百姓の間を助くるなり。害あるは則ち天皇と百姓の間を紊 すなり。
中世以後に漸く『百姓』の名を農耕者に限るやうになり行くと共に、これに下賤軽蔑の色を附与したるは、まさしく中間勢力の横暴の致すところなれば、日本の政治の革新は、天皇と百姓の間を、古 の美風に帰すことなり。
かく、百姓は即ち万民の意味にして、農耕業者に限りたる約束は更になしといへども、百姓の基本業が則ち農耕に存すること、万世渝 ることあるべからざる也。
それ、如何 に世態変化するとも、人は衣食住なくして生くること能 はざるなり。而 して衣食住の生産は農業を待ち、これを為すより外にその道あるべからず。政治は即ちこの生産を助長するの道にして、商工は即ちこの生産を融通するの道也。根幹を侮りて、枝葉のみを繁茂せしむる国は危し。
されば日本の百姓たるものは、自らが天皇の大御宝 たることを畏 み、専 らこの道をつとめ、国に三年の蓄へあり、人に三年の糧 あり、而して後に四方経営を隆 んにすべきなり。而して後に通商貿易を盛んになすべきなり。本を忘れて末に走ることあるべからず。
近代は国難内外に起りて、志士東西に奔走すといへども、国本培養に心を注ぐの士、極めて乏しきは慨すべく歎ずべし。故に良き百姓は、世上の空言虚語に惑はされず、大いに食ひて大いに働き、自ら三年の糧を貯ふると共に、国に三年の糧を捧ぐることを本意と心得べきなり。百姓大腹なれば国富みて兵強く、百姓空腹ならば国貧にして兵弱し。つとめざる可 けんや」
これを読み日本に於ても、古代はこれと典故を同じうしたれば、歴代の天皇、皆直接[#「直接」は底本では「直後」]に人民を呼ぶに『百姓』の語を以てし給ふ。愚、ひそかに数へ上げ奉るに、日本書紀三十巻の中に於て、天子おんみづから『百姓』の語を以て呼びかけ給へるところ七十四ヶ所に及ぶ。殊に、第十六代仁徳天皇に於かれては、
『君ハ百姓ヲ以テ本トナス』
『百姓貧シキハ
とまで仰せらる。
まことに、日本は天皇の国にして百姓の国
中世以後に漸く『百姓』の名を農耕者に限るやうになり行くと共に、これに下賤軽蔑の色を附与したるは、まさしく中間勢力の横暴の致すところなれば、日本の政治の革新は、天皇と百姓の間を、
かく、百姓は即ち万民の意味にして、農耕業者に限りたる約束は更になしといへども、百姓の基本業が則ち農耕に存すること、万世
それ、
されば日本の百姓たるものは、自らが天皇の
近代は国難内外に起りて、志士東西に奔走すといへども、国本培養に心を注ぐの士、極めて乏しきは慨すべく歎ずべし。故に良き百姓は、世上の空言虚語に惑はされず、大いに食ひて大いに働き、自ら三年の糧を貯ふると共に、国に三年の糧を捧ぐることを本意と心得べきなり。百姓大腹なれば国富みて兵強く、百姓空腹ならば国貧にして兵弱し。つとめざる
「なるほど、なるほど――その通り、これに違いない、百姓の本分を知らせるには、『百姓』の文字から説いて聞かすが本筋じゃ、自分が百姓のくせに、百姓百姓と人を軽蔑する奴から退治せにゃいかん、天皇様と百姓の間をさまたげる、もろもろの寄生害虫から退治せにゃ、国は治まるものではござらぬ、百姓大腹ナレバ国富ミテ兵強ク、百姓空腹ナラバ国貧ニシテ兵弱シ、ツトメザル可ケンヤ――大賛成!」
慢心和尚が
七十四
その前後、京都の二条城で勝麟太郎の受爵の式が行われました。
夢酔道人の丹精むなしからず、あっぱれ幕府旗下の
「さて、受爵には何の国を所望したものか、願わくば日本一の小国を願いたい」
そこで、
今までは人並なりと思ひしに
五尺に足らぬ四尺なりけり
と歌をよんで、さてこそ伯爵に叙せられたという伝説のあるくらいの人ですから、そういう人を食った性癖が、おのずから小国を好んで所望することになったらしい。五尺に足らぬ四尺なりけり
それはさて置き、当時、叙爵の儀が済んでから、控室に於て、諸士を相手の気焔の中に次のようなのがありました、
「政治家の
「東照宮の如きも、駿府に隠居をされた後でも、ただ、じーっとして城内に
「日本国中で民政のよく行届いたところは、まず甲州と、尾州と、小田原の三カ所だろうよ、信玄や、信長や、早雲の遺徳はまだこの三カ所の人民に慕われているらしい」
「信長という男は、さすがに天下に大望を持っていただけあって、民政のことには深く意を用いて、租税を軽くし、民力を養い、大いに武を天下に用うるの実力を蓄えたと見える、今日、尾州に行ってよく吟味してみなさい、当時の善政良法が、今なお歴々として残っているから」
「信玄がただの武将でなかったことは、ひとたび甲州に行けばわかる、見なさい、彼地の人は信玄を神様として信仰しているのだ、これは当時民政がよく行届いて、人民がよく心服していた証拠ではないか。その兵法の如きも、規律あり、節制ある当今の西洋流と少しも違わない、近頃まで八王子に、信玄当時の槍法が残っていて、毎年二度、その槍法の調練をすることになっていたが、その槍を使うのを見ると、近頃のように、お面お胴というふうな、個人的の勝負ではなくて、大勢の人が一様に槍先を揃えて、えい、えい、えい、と声をかけながら、初めは
「北条早雲という男も、なかなかの傑物であったに相違ない、赤手空拳でもって、関八州を横領し、うまく人心を
「それで、北条の亡んだ後に、徳川氏が駿遠参の故土から、この関八州へ移封されたのだが、もともと租税の安いところであったから、徳川氏の方では非常に迷惑だったのだ。太閤という男は、なかなかの
「天下の富を以てして、天下の経済に困るという理窟はないはずだ、いにしえの英雄はみな経済のために苦心したよ。織田信長は経済上の着眼が周密であったから、六雄八将に
「おれがはじめてアメリカへ行って帰った時に、御老中から、『
「支那人は、いったい気分が大きい、支那人は、天子が代ろうが、戦争に負けようが、ほとんど馬耳東風で、はあ、天子が代ったのか、はあ、ドコが勝ったのか、など言って平気である。ソレもそのはずさ、一つ帝室が亡んで、他の皇帝が代ろうが、国が亡んで他の領分になろうが、全体の社会は依然として旧態を存しているのだからノー」
七十五
かように天下有事、幕政維持か、王政復古かの瀬戸際――それに外国の難題が、
且つまた、媚態百出、風向きのいい方へ
さても、山城の国、
道庵は、この機会に、一休禅師の研究をはじめることになりました。道庵は、一休は話せる男だと思い、一休の方では、道庵は知らないと言っている。いずれにしても、酔眼に人なき道庵も、一休禅師には
それはトニカクとして、この機会に道庵は酬恩庵をおとずれて、古蹟をたずね、筆蹟を見て、しきりに
須弥南畔
誰会我禅
虚堂来也
不直半銭
東海純一休
と書いてある。同行の者がちょっと読みなやんでいるのを、道庵はスラスラと読んでしまいました、誰会我禅
虚堂来也
不直半銭
東海純一休
誰カ我ガ禅ヲ
半銭ニ
東海純一休
「諸方に一休の書と称せられるものが相当あるにはあるがね、あんまり感心しないよう。ところで、こいつはいいぜ、こりゃ、たしかに一休の書だよ。一休という奴ぁ、こういう字を書かなけりゃならねえ奴なんだ。これゃいいよ、句もなかなかいいよ。ただ、虚堂来也――
と言いました。道庵が多少ともに物を
そうしているうちにも、お雪ちゃんの容体を見てやる親切は変りません。脈をとることになると忠実なもので、商売柄、健斎老を啓発することも少なくはありません。それから、健斎老が道庵に感心していることの一つは、そのふざけた中に、まじめな研究心が少しも衰えていないということです。見るもの、聞くもの、みんな
しかし、うっかり敬服ばかりしていると、その次があぶない。
「この地は、お茶にかけては日本一ですが、お酒の方はそうはゆきませんが、ここらあたりは少し飲めるかも知れません」
道庵がその尾について、
「なるほど、お茶は、この界隈が宇治茶の本場だが、酒もどうして、なかなかばかにできねえ、いったい、上方は酒がよろしい、日本一のお茶も結構だが、日本一の酒は飲みてえな」
それを言うと、土地の人が、
「では、近いうち、その日本一の酒というのを飲ませて進ぜましょう」
「そいつは耳よりだぜ、いったい、池田、
「いや、それは先生を煩わすことなく、もう出来ておりますよ、日本一の酒という極めつきは……」
「おやおや、道庵の承認なしに酒の日本一をきめるなんて、不届な話だ、万一、道庵が不服を唱えたら、どうするつもりだろう、一番そいつの再検討をしてみてえ、その日本一の極めつきの酒というのは、いったい、なんという酒で、ドコから出ますねえ」
「これより少々南の方、河内の国の天野酒、これが日本一という
「うむ――河内の国の天野酒、聞いたことのある名だ、これはひとつ、道庵が再吟味をする必要がある」
と言って、その翌日、
七十六
さて、江戸の方面に於ける軟派、
鐚としては、せっかくのヒットたる芸娼院の方も、開店休業の姿だから、なんとかせねばなるまいが、いやはや、手をつけてみると、そのややこしいこと、それで少々気を腐らせているという次第です。
芸娼の芸娼たる
いやしくも芸と名のつく以上、ナゼ役者を入れない、芸人の王たる役者を入れないとはなにごとだ――と力んで来た!
それから、芸事の芸事たるめききというものは、その道のものがしなければならない、金茶や木口の
と言って、膝詰めで来たものもあれば、ビタちゃんのお袖にすがって、ぜっぴ、お刺身のツマになりともありつきたい、と歎願に及んで来た奴もある。
その辺は、ビタちゃんだって心得たものなんだが、何を言うにもそれ、役者の方から言ってみるてえと、愚左衛門を入れれば、
絵かきの方は、昔から相場附けがほぼきまっているから、これはわりあいに手なずけ
絵かきが五十八人もいるのに、文書きが十人じゃああたじけねえ、とムクれる奴には、刺身のツマとしてお
金茶や木口は、武芸もやっぱり芸のうちだから芸娼院へ入れろ、刺身のツマでもいいから入れろ、と
なるほど、武芸も芸には違いないが、あいつらの芸は下町の芸で、デモ倉流盛んな時はデモ倉流、プロ亀派が景気のいい時はプロ亀派、勤王がよければ勤王、佐幕がよければ佐幕で、風向き次第、どっちでも御用をつとめる大道武芸者だから、本当の芸人の中へは加えられねえ、大道芸人の方では、あいつらが大御所面で納まっているけれども、公儀には柳生流というお
「鐚公、いるか」
その声は、まさしく木口勘兵衛尉源丁馬。
「来たな」
と鐚は思いました。
ガラリと腰高障子を引きあけた木口勘兵衛尉源丁馬は、
「鐚、いたな、今日はひとつ、てめえに膝詰談判に来たんだが、このお
高飛車に出られたので、鐚もあっけに取られていると、
「さあ、お
と言うから、鐚が木口の後ろを見ると、いかにも人のよさそうな
木口の後ろには、まだ、これを親分と頼むイカモノが多分に控えている。これらを押並べて、
「さあ、
当時、舶来の珍しいはやどり機械を据えた三下奴――
「
信州から来た木曾の
「トテモ受けきれねえ」
と言って、逃げ出してしまいました。
下駄をひっ
「どうもはや、木口勘兵衛ときては、さしもの鐚も受けきれねえよ、あいつ、イカモノ作りの四国猿のくせに、いやにアブク銭の銭廻りがいいもんだから、トカク銭の力で、八方
七十七
勝安房守が二条城で任官して後のこと、近藤勇と、土方歳三の二人が、
「どうだ、土方、おれに十万石を与えれば、ここにいて天下を定めてしまうが、あったら城に主がないなあ」
そうすると、土方がこれに答えて、
「あえて十万石とは言わない、五千の兵を与うれば、イヤ、五千とも望むまい、二千の精兵を与うれば、天下のことを定めて見せるがなあ」
と言って、両士は相顧みて
今、京中に於て、近藤勇の名は鬼の名と等しい。その実力はほぼ諸侯と等しいものがあるが、何を言うにも、二人は武州の一塊の土民の出であって、譜代があるわけではない、羽翼があるわけではない、会津を背景にして、その配下僅かに二百人足らず、やがて会津が百万石になれば、近藤も十万石だ、などとのし上げるのは、取るに足らぬ
「織田信長もいけないよ、これほどの城を信忠に預けて、市中の本能寺あたりへ手ぶらで泊るということがあるものか、この城へ納まってさえいれば、明智如きに歯が立つものではない、名将といえども運の尽くる時はぜひのないものだ、まして、名将に
近藤がこう言いますと、土方がそれを受けついで、
「慶喜公も、ドッシリとここに納まって動かなければいいに、ややもすれば動きたがって腰が据らない、悲しいかな、今の徳川に、この二条城へ坐りきれる人がいないのだ」
かくて二人は、しきりに天主台の上から、飽かずに洛中洛外の風景と、二条城の規模を見渡しておりましたが、
「京都に於ける二条の城と、江戸に於ける東叡山とは、形式が違って立場は同じだ、この二条城を守りきれるや否やで、京都に於ける徳川の勢力が決する、東に於ては、よし江戸の城が落つるとも、東叡山に於て徳川旗下の意気の死活が示されるのだ」
と言いました。二人の慷慨の語気で察すると、この城を二人に任せる限り、幕府の社稷を死守してみせる意気込みは充分だけれども、その貫禄の備わらざることにじだんだを踏んでいるようにも見られます。且つまた、これだけの備えがあって、人がないことを、三百年の徳川のためにも大息しているかのようにも見られます。
無名島に上陸した無名丸の乗組のうちに、書き
柳田は、最初から駒井船長が、虫の好かない唯一の存在でありましたから、つとめてこれに近づこうとしない。そのくらいだから船中の誰もに親しみを持たないし、船中の誰もがまたどうも山出しのブッキラボウな青年で、且つ好んで長い刀をひねくり廻したりなどするものですから、気味を悪がってのけ者あつかいにしている。ただ一人田山白雲にだけは親しみを持つものですから、田山と二人が、別棟をこしらえて、植民地に住むというような有様です。しかし、柳田は田山ほどに世界を知らないし、また超世間の美術に没頭するという
柳田がすっぱ抜きをしているところへ、白雲が通りかかると、それに引き入れられて、同じように居合を試みてみたり、それが
そこで、七兵衛が思いつきました。今後、一週に二三回ぐらいずつ、この青年を指南役として、島の人のすべてに武芸を仕込んで置けば、なにかの役に立つ。そう思って、そのことを田山白雲に相談すると、白雲は直ちに同意し、柳田平治も、好きな道であり、自分も練習になるから、異議なくこれを引受けて、早くもこの島に、一箇の武術道場が出来上るということになりました。
今日は大へん暑いものですから、田山白雲と、柳田平治は、一番、泳ごうではないかと言って、海へ飛び込みました。二人とも、水練は達者です。さんざんに泳いで陸へ上り、裸のままで砂ッパに寝ころんで話をはじめました。
「田山先生、日本はこれからどうなるのです」
「そうさなあ、今頃はどうなってるかなあ、西と東にわかれて、戦争でもおっぱじめていはしないかなあ、わからんなあ」
「日本で東西が争うとなると、どっちが勝つのですかねえ」
「それもわからんなあ、日本にいるとそういうことにすてきに気がもめたが、こうして大海へ乗り出して来てみると、そんな気持がカラリとしてしまうのは不思議だね」
「田山先生、あなたはもう日本へ帰らないのですか、帰りたく思いませんか」
「帰らないと断言はできないねえ。しかし、ここまで乗り出して来た以上は、こっちで相当成功して、向うの妻子をこっちへ呼び寄せたいという希望の方が先だねえ。だから、この無人島が永住の地だとも思っていないよ、ここへ足がかりが出来たら、この先の方には大陸があって、そこには日本よりも何倍も開けた国があるのだから、そっちへ行って、第二の山田長政となることも愉快だと思っている」
「僕も、そういうことを考えています、僕はそんな開けた国よりも野蛮人のウンといるところへ行って、そいつらをみんな征服して、王になりたいです、こんな無人島では物足りないです」
こんな話をしていたが、やがて、むっくりと跳び起き、裸のままで二人は椰子林の中を歩き、
「ああ、金椎だ」
と言って、二人は遠のいて避けて通るようにしましたけれども、避けなかったところで、相手は気がつくはずもなかったのです。
「相変らず、イエス・キリストを信じているよ」
と田山白雲が言いますと、柳田平治が、
「ちぇッ、キリシタン!」
と、