女王

野口雨情




 何時いつ、誰がつくつたのか、村にはずつと古くから次々に伝へられてゐる歌詞うたがありました。村の母親達はそれをねんねこ歌のやうにして小さな子供たちに歌つてきかせてゐるのでした。
 トムちやんのお母さまが学校に勤めるやうになつてから、それを作曲して学校の児童こども達に歌はせるやうにしました。歌は「愛の歌」と名づけられました。今ではその歌がだんだんに伝へられて、この郡の小学校では何処どこへ行つても歌はないところはないやうになつてゐました。
 村のお祭に八幡様の森で児童達が合奏するこの歌は、どんなに村人の心を和げ又慰めたことでせう。

娘姿で 駒鳥は
き車で
糸紡いた
シヤラシヤラ ビンビン
糸紡いた

糸は何糸 愛の糸
愛の糸より
糸はない
シヤラシヤラ ビンビン
糸はない

森の少女をとめも 駒鳥の
糸紡き車で
糸紡いた
シヤラシヤラ ビンビン
糸紡いた

歌を唄ひば 愛の歌
愛の歌より
歌はない
シヤラシヤラ ビンビン
歌はない

 村祭の日が近づいてまゐりました。子供達はお宮の森の、とある広ツぱへ集つて、いろいろとお祭のお準備したくをしてゐました。花笠を造つたり、小さな山車だしこしらへたり、山車の屋根を飾る挿花さしばなを考へたりして、キヤツキヤツと騒いで居るのでした。
「女王はどうしたの、遅いなア」
「やつぱり先生が悪いんだツか」
 そんな話が子供達の間に交されると、皆がせはしさうな手を休めて、瞳を話の中心点に集めるのでした。
葛原くづはら先生、学校随分長く休んだツせ」
「病気、悪いのかなア」
「悪いんさ。でなきやトムちやんととつくに来るもの」
「みんなで行つてみよか」
「ウム、それ好いや。女王が居んぢや、ちつとも面白く無え」
「花輪が出来たんか」
「まだ野菊が足りねえ……トムちやん処へ行く前にみんなで野原へよつて行かう」
「ああ、それがいいや。行こ、行かう」
 村の少年少女こどもたちは造りかけた山車だしや花笠や造花つくりばなをお宮の拝殿にしまへ込んで、ゾロゾロと石の階段を野原の方へと降りて行くのでした。
「女王」といふのは毎歳いつもの村祭に、山車だしの上にさつて花輪を捧げ持つ、子供達の王様を謂ふのでした。それは、毎歳少年少女が八幡宮の森に集つて人選をするのでしたが、「女王」になる者は第一品行が方正で、学科の出来がよくて、多くの少年少女こどもたちに信用が無ければなりませんでした。トムちやんが女王にえらばれてからもう今年で三年、村の少年少女は毎年の秋を何の相談もなく「女王」をトムちやんに決めて居るのでした。「女王」は少年少女にとつて無上の名誉でした。またその親達の身にとつても可なりに強い喜びでした。
「女王」に贈る花輪は、少年少女こどもたちが皆で野の草花を採り集めて造る約束でした。野原に行くと、野菊や藤袴や、みやこ草や、みそはぎやが錦絵のやうに咲き乱れてゐるのでした。まめ菊の大輪を見つけ出して高く捧げて喜ぶ少年こどもなど、野は秋のよろこびに満ち充ちてゐました。
 花輪が出来上ると、トムちやんと仲よしのしげのさんがそれを持つ、そしてそれを取り巻く皆が「愛の歌」を合唱コーラスしながらトムちやんのお家の方へ繰り出すのでした。
 トムちやんが、やつれたお母さまの、いまスヤスヤと眠つた枕辺まくらもとに、静かにお坐りしてゐる時に、遠くから少年少女のコウラスが聞えてきました。
「あ、友達みなさんだわ」
 トムちやんはさう言つて、静かにお母さまの枕許を抜足しました。トムちやんは、村の少年少女が、花輪を持つて自分を迎へに来たことが解つたのでした。で、子供達のさわぎが、お母さまの静かな眠りをさますことを恐れたのでした。
 トムちやんが茅葺屋根の潜戸くぐりけると、遥に唱歌隊がこちらに近づいて来るのが見られました。向ふでもトムちやんを見つけました。
「やア、女王、女王」
 少年隊こどもたちは駈け出しました。
 少年少女こどもたちちかづくと、トムちやんは手を上げてこれを制しておいて、自分の方からダラダラ坂を下の方へ駈けて行きました。
 皆は皆熱心にトムちやんの顔を凝視みつめて立ち停りました。後の方にゐたの小さい子供は、トムちやんの顔がよく見えないので、他人ひとの袖の下から顔を出したりなどしてゐました。
トムちやん、これ貴女あんたの花輪よ」
 とまづしげのさんが口を開きました。
「しげのさん、有りがたう。みなさん有りがたう……」
 トムちやんはさうつて眼をしばたたきました。
「先生悪い?」
 年嵩としかさな少年が声を低めてさう問へました。
「ええ。……」
トムちやん、「女王」になれない?」
 皆は心配げに尋ねました。
「……え、今年の「女王」はしげのさんにして頂戴、私はお母さんとこ離せないの……」
「そんなに悪い? 困るなア」
「……」
 折から「夕べの祈りをせよ」とおしふるようなお寺の鐘が、静かに静かに聞えてまゐりました。
「ゴオーン……」
と、重く沈んだそのひびきは、霧のやうに拡つて、森から村へ、村から野原へ、鐘はゆるやかに流れて行くのでした。
 皆が顔を上げると、夕陽の輝きが野をすべつて、この一団の少年少女の群を赤く照らしました。





底本:「日本の名随筆50 歌」作品社
   1986(昭和61)年12月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第8刷発行
底本の親本:「定本 野口雨情 第六巻」未来社
   1986(昭和61)年9月発行
入力:加藤恭子
校正:今井忠夫
2000年10月27日公開
2005年6月28日修正
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