都会と田園

野口雨情




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序詩


空の上に、雲雀は唄を唄つてゐる
渦を巻いてゐる太陽の
光波なみにまかれて
唄つてゐる――


[#改ページ]

時雨唄


雨降りお月さん
かさ下され
からかささしたい
死んだかかさん、後母あとかかさん

時雨の降るのに
下駄下され
跣足はだしで米
死んだ母さん、後母さん

柄杓ひしやくにざぶざぶ
水下され
釣瓶が[#「釣瓶が」は底本では「鈞瓶が」]重くてあがらない
死んだ母さん、後母さん

親孝行するから
足袋下され
足が凍えて歩けない
死んだ母さん、後母さん

奉公にゆきたい
味噌下され
咽喉のどに御飯が通らない
死んだ母さん、後母さん


曲り角


銀行員のFさんは
新しい背広を着て――大足に出ていつた
黒いソフト、光る靴
暖い日の
午前九時頃

曲り角でバツタリ
A子さんと行き逢つた
(オヤ! オヤ!)
すらりとした――
桃割れ、白い歯

Fさんの顔
A子さんの眼
(オヤ! オヤ!)
二人はすれ違ふ
胸の動悸


柿の木のエピソード


背戸の畑の柿が赤くなつて来ると毎日烏が集つて来て喰つてゐた
子供に番をさせて置いても
烏は毎日来た

親父は洗濯竿の先へ
鶏の羽根をぶら下げて
柿の木の傍へ
立てて置いた

鶏の羽根が
ふわふわ動いてゐる
烏は遠くから見てゐて
来なかつた

時折、別な烏が来ても
鶏の羽根が動くとすぐに飛んでゆく
親父も子供も
安心して喜んでゐた

一晩風が吹いた
朝の暗い内から柿の木で烏が鳴いてゐた
洗濯竿が畑の中に倒れてゐる
子供は駈けて来て親父にはなした


曼陀羅華


何処から種が飛んで来たのか
畑の中に
曼陀羅華まんだらげが生えてゐる

百姓は
抜いて捨てようと思つてゐる中に
夏が来た

曼陀羅華は
葉と葉のあはひから
白い花を咲かうとしてゐる

百姓は
花なんか咲かせて置くもんかと
独言ひとりごとを云つてゐた

たうとう秋になつて了つた
曼陀羅華の花は
すつかり実になつてゐる

百姓は憤つて――手をかけると
皆んな実は畑の中へ
ぱらぱらはぢけて飛んだ


二人


歳の暮れも押し迫つて来てゐるのに
間借りしてゐる二人は
これからさき、どうすればいいのか
途方にくれてゐる

二人は
小さな火鉢を中にして
痛切に――お互に――暮しませうと云つてゐるが
矢張り涙にくれてゐる

二人は
昨夜ゆふべも、同じやうな夢を見た
銀貨だの、米だの、肉だの、炭だの
こがらしは屋根を鳴らして吹いてゐる


家鴨


うしろの田の中に家鴨の子が
田螺たにしを拾つて喰つてゐると
がんが来た

一所に連れてつてやるから
勢一杯はねをひろげて飛んで見ろと
雁が云つた

家鴨の子は一生懸命飛んで見たが
体が重くてぼたりぼたり落ちて了ふ
雁は笑ひ笑ひ飛んで行つて了つた

家鴨の子は泣き泣き小舎こやの前に帰つて来た
親家鴨は
桶の中へ首を入れて水を呑んでゐた

子家鴨は
別ない翼をつけて呉れろと
大声で泣いてゐる

親家鴨は仕様なしに
そつちの方を向いて
聞えぬ振りをしてゐた


深淵


ヨーイトマーケ
ヨーイトマイタ――と深川の道路ツばた
印袢纒しるしはんてんを着た
女の声が唄つてゐる

砂塵を捲いてタクシーは
轣き殺すほどの勢ひに――人々はどやどやと
街路樹の下に
右に左にけてゐる

下町の深淵の中に沈んでゐる
力のぬけた、だるい顔
ガソリンのむかつく臭気にほひ嗅ぎながら
女の声は唄つてゐる

灰色の中に住んでゐる LABORER の――声は次第に疲れてゐた――印袢纒の女の声は疲れてゐた
冬の日は
一間いつけんばかり残つてゐる


生姜畑


枯れ山の芒ア穂に出てちらつくが
帯に襷にどつちにつかず
赤い畑の唐辛たうがらし

石を投げたら二つに割れた
石はかはら
光つてる

やすかかあの連ツ子は
しよなりしよなりと
もう光る

生姜畑の闇の晩
背戸へ出て来て
光つてる


酒場の前


特殊部落の――若い娘のお喜乃きの
ちつとも人ずれしないほんたうにい綺縹のお喜乃
先刻さつきからぼんやり、酒場の前に立つてゐる

お喜乃よ
もう晩方だ、うちへ帰つたらいではないか
酒場の暖簾のれんから年配の男が首を出して云つた

アイ、帰るよ、だがな伯父さん
権さん今日は来なかつたか
年配の男は権と同じ工場の古参ふるひ職工だ

黄昏たそがれの風に吹かれて職工の群は帰つてゆく。
権か、来ない、来ない
ありやあなア、お喜乃よ、権はもう大坂(ママ)へ帰るんぢや

知らん、知らん、そなことない
伯父さん、お前嘘だらう
お喜乃は暖簾の傍へ寄つて来た

おぬしに、嘘云つてどうする
お喜乃よ、権はなア、工場から暇が出たんだ
お喜乃はすり寄つて年配の男の顔を見凝みつめた

伯父さん、そりやアほんたうか
年配の男は黙つてお喜乃の顔を見てゐる。
酒場の中からどんたりどんたり話声が聞えて来る

空樽たるに腰を掛けて冷酒ひやをあふつてゐた
目の苦茶苦茶した浅黄服を着た男が
微酔ほろゑひ機嫌で酒場の中から出て来た

オ、お喜乃か、ウム、美い綺縹だな
オイ兄え(年配の男に)おらア一足先きけへるよ
千鳥足で行つて了つた

ホ、権が来だ!
年配の男は、向ふを見ながらお喜乃にあごでしやくつた
権はひよつこり酒場の前にやつて来た

お喜乃は駈け寄つて権の手を握つた
権さん
お前どうした、工場から暇が出たのか

お喜乃は悲しさうに権の顔を眺めてゐる
権もお喜乃の顔を眺めてゐる
お喜乃の目からはらはらと涙がこぼれた

権さん、工場やめてどうする
嘘だ、嘘だ
お前大坂へ帰へつちやンだらう

お喜乃はほろほろ声になつてゐる
夕焼の空は一面に赤く燃え立つてゐた
権は何んにも云はずに下を向いて立つてゐる

権さん、お前、大坂へ帰るなら
わたしも、一所に連れてつてお呉れな
又してもお喜乃の声は顫えてゐる

お喜乃は夕方になると赤い花かんざしをさして、酒場の前に立つてゐたが
権はそれつきり遂ひぞ酒場に来なかつた


忠義の犬


日比谷公園の
広ツ場に
編みあげの赤い靴を穿き
祖母おばあさんに連れられて
美晴子みはるこさんが遊んでる

浅い弱い春の日は
鏡のやうに晴れてゐた

中学生が五六人
テニスネツトを引つ張つて
組に分れて遊んでる
軽くボールはぽんぽんと
向ふにこつちに飛んでゐた

祖母さんは、遠くの方へ退つ去つて
腰をかがめて見せてゐる

テニスコートの
向ふから
足の太い、毛の長い
強さうな
犬がさつさとつて来た

美晴子さんは、活動の『忠義の犬』を思ひ出し
丸い目をして見て居つた

あの犬も忠義の犬になるか知ら
同じやうに耳も垂れてゐるし
口も大きいし――
美晴子さんは
目をはなさずに眺めてゐる

中学生のラケツトがんな途端はづみかぐんと来て
犬のうしろに落つこちた

犬は走つてラケツトを
口にくはへて立つてゐる
美晴子さんは
小さな声で祖母さんに
『忠義の犬』の話をした


小さな出来事


足の短い狛犬こまいぬはポチに噛ませてやりませう
糸のたるんだ風船と空気のぬけた護謨毬ごむまりはタマに噛ませてやりませう

弾機ばねの廻らぬ自働車(ママ)銑葉ぶりきの台へ載せたまま馬車に轣かせてやりませう
はねのゆがんだ木兎みみづくは牛に踏ませてやりませうか、馬に踏ませてやりませうか、うしろの沼へ捨てませうか
飛べなくなつた飛行機と共に窓から投げませう

硝子がらすの中の人形も明日あすはおいとまやりませう
つかの島へ着くやうに
島の人形になるやうに
桐の小函に帆をかけて――大川の水に流してやりませう


蝙蝠


蝙蝠かうもりよ、蝙蝠よ
井戸端に蚊柱が立つてゐる
早く来て喰はないか

蝙蝠の家は何処だ
山か里か
何故はなさぬ

蚊柱が立たば
迎ひに行くぞ
すぐに来て喰へよ

呼んでも、呼んでも
蝙蝠は居ない
臍をまげて隠れてゐる

臍をまげた蝙蝠に
蚊柱は喰はせるな
早くバケツで水かけろ

螢の親父が飛んでゐる
蚊柱が立つても
蝙蝠に咄すな

呼んでも呼んでも来ない
蝙蝠が来たなら
跣足はだしになつて追つけろ


縁側


彼はお針をしてゐる妻君に
爪の伸びた手を出して
鋏を借せと云つた
鋏は妻君の膝のあたりにある

若い妻君は
彼の手を眺めるやうに見て
笑ひながら
鋏をとつて渡した

彼は日の当つてゐる縁側に胡座あぐらをかいて
パチリパチリ切り初めた
爪は遠くまで飛んで
皆んな庭の上に落ちる

妻君はそーつと彼のうしろに来て
顔を覘いてゐた
彼は爪の奇麗になつた手を出して見せた
若い妻君は黙つて立つて笑つてゐる


わしの隣人


彦兵衛


彦兵衛が、家の前の畑に
蘿蔔だいこんの種を蒔いてゐると
郵便配達が来た

彦兵衛は汚れた手で
葉書を受け取つて眺めてゐる
配達は行つて了つた

電車の車掌に及第した
東京の忰からの葉書だ
彦兵衛の顔はにこにこした

囲爐裡いろりの中に
麦鍋が
あぶく立つて煮えこぼれてる

お霜


お霜が畠に馬鈴薯じやがたらいもを掘つてゐると
馬を牽いた男が
弄戯からかつて通つてゆく

お霜が土手に足を出して休んでゐると
さきの男が馬を牽いて帰つて来た
また弄戯つて通つてゆく

お霜がもう帰らうとすると
藪の中に
男は首を出してゐた

留さん


東京で流行はやる――サイノロジーと云ふ
田舎にはない新言葉
西洋の煙草の名でもあるか知らと
留さんは思つてゐた

留さんが田うなひに出て行つたあと
頬の赤いかかあが長々と昼寝をしてゐる
ボーリン衝きの若い監督は
サイノロジーと云つて笑つて行く

留さんはせずで解せずで堪らない
その晩、夕飯を喰ひながら嬶に咄した
嬶は飴菓子を噛りながら
これも解せずで――首をげた

お艶


つやが風呂にはいつてゐると
若い男が
だましに来た
小さな声でだましてゐる

お艶がざぶり湯をかけてやると
男はうろうろしてゐたが
裏から
すーつと逃げて行つた

馬はうまや
馬堰棒ませんぼ
がらんがらんと鳴らしてゐる
天の川は北から西へ流れてゐた

六蔵


六蔵が家の前に立つて
田の稲を眺めながら
群雀すずめのことを考へてゐると――

群雀の一団ひとかたまりが飛んで来て
稲の上に
かぶさるやうに下りた

六蔵は駈けて行つて鳴子なるこの綱を引つ張つた
群雀はパツと飛び上つて行つて了つた
こんな日が幾日も続いた

田に稲がなくなると群雀は来なくなつた
六蔵は何んにも考へずに
寝そべつて煙草を吹かしてゐる

米松


米松よねまつが鍬を担いで野良から
昼餉ひるに帰つて来た
裏戸が開けつ放しになつてゐる

鶏がへつついの上へあがつて
鍋の中から
麦飯をつつき散らして喰つてゐた
隣のきんが家に小間物屋が来てゐる
かかあの笑ふ声が聞えた
米松は忌々しげに泥手で煙草を吸つてゐる

嬶は西瓜すゐくわを喰ひながら
帯のあはひ巾着きんちやくの紐をぶら下げて帰つて来た
鶏が厩の前へ駈けて来て立つてゐる


娘と劉さん


※(ローマ数字1、1-13-21)


     娘
劉さん
赤ん坊が生れたならばどうしませう
何処へたのんで育てませう
     劉
ワタシ ワカラナイ アナタ スル ヨロシー
     娘
横浜の叔母さんどこへ遣りませう
新しい※(「ころもへん+身」、第4水準2-88-21)ひとつみひとつも着せて遣りませう

※(ローマ数字2、1-13-22)


     娘
叔母さんに断られたらどうしませう
     劉
ワタシ クニ トホイ ワカリマセン
     娘
悲しいけれど捨てませう
顔の見えない闇の晩
ミルクのくだくくませて――公園のベンチの上に捨てませう

※(ローマ数字3、1-13-23)


     娘
お月夜の晩であつたらどうしませう
お月夜が続いて居たらどうしませう
育てませうか捨てましよか
     劉
ワタシ ニホン タツ アナタ タノム
     娘
薄情な、薄情な劉さん
思ひ切つて――悲しいけれど捨てませう
ベンチの上に青々と月がさしたら泣くでせう
わたしの顔を屹度眺めて泣くでせう
劉さん
劉さん
その時のわたしの心はどんなでせう


磯の上


親恋しがりの子雀よ
親が恋しく
海へ来たのか

海へはいつて蛤につて了つた親雀は
お前のことは
もう忘れてゐるぞ

幾ら待つてゐても
元の親には逢はれないのだ
帰れ、帰れ

海の端で日が暮れたら
子雀よ
ほんたうにはぐれ雀になつて了ふぞ

親の古巣に
妹はどうした、姉は居ないか
もう日は山から暮れて来る

ひよどり
子雀は磯にとまつて動かない
だまして山へ帰さぬか


百姓の足


百姓の足は怖いから
見たら逃げろと
親蛙が咄して聞かせた

子蛙は毎日
あぜの上に匍ひ上つて眺めてゐたが
百姓の足は来なかつた

ある夕方
子蛙が沼のはたで遊んでゐると
百姓が鍬を担いでやつて来た

百姓の大きな足が
子蛙のうしろから
ずしんずしんと地響を打つて歩いて来る

子蛙は堪らなくなつて
沼の中に飛び込んで顫え顫え隠れてゐた
百姓はずんずん行つて了つた

子蛙が眼子菜ひるもの茎につかまつて泣いてゐると
親蛙は田の中から跳ねて来て
一所に連れて帰つた

怖い百姓の足が毎日田の中に這入つて来た
百姓はたうとう子蛙の居所までも
跡方なしに耕して了つた

それでも子蛙は生れた田の中が
自分の家だと思つて居たら
皆な怖い足の百姓のものだと親蛙に聞かされた



若い女は
水菓子屋の表に立つて
パイナツプルを買つてゐる

若い男は
店の中にはいつて
パイナツプルを買つてゐる

男が取り次いでくれた
パイナツプルを受けとるとき
女の手が顫えた

男の手
女の手
女の手は顫える


畑ン中
   (ある農夫の歌の VARIATION)



真昼間でごわせう
はたけン中に、田鼠むぐらもちが一匹
斑犬ぶちに掘りぞべられて
イヤハヤ
むんぐらむんぐら居やあした
畑の土は、開闢かいびやくこのかた、黒いもんか
どなもんか
まことの所、烏に聞いて見やあすべい

畑ン中は、青空天上、不思議はごわすめえ
喉笛鳴らした、ケーケーケー
かしはが走つた
こりやまた事かと魂消たまげ払つて居りやあした
蜻蛉あけづが一匹
追つかけ廻つた、つつくわ啄くわ
ぶつ飛びあがつた、飛んだわ飛んだわ
蜻蛉は御運ごうんでござりあした

地主様の一人娘が
娘に二種ふたいろ何処どこにごわせう
どどの詰りが
エヘン
孕み女になりやあした
畑ン中の豆ン花なもんだ
朝つぱらから何事ぶたずに
べろりと咲いてござりやあす


山火事


野兎の子ときぢの子と住んでる山が山火事だ
早く逃げぬか
焼け死ぬぞ

先刻さつき鳴き鳴き雉の子は
飛んで逃げた
野兎の子はどうした

山の上に走り腐つて逃げたのが
野兎の子でなかつたか
あれは宿なしの山いたち

鼬だと鼻ン先が黒い筈だ
黒いとも、黒いとも
真黒だ

駈けてつて見ろ
山一面に火の海だ
逃げ道がなくなる

野兎の子はどうした
山に居るのか居ないのか
息を切つて逃げて来た

何方どつちの方へ逃げてつた
雉の子が飛んでつた山の方へ
夢中になつて走つたぞ


己の家


一 その頃


おれが東京から帰つてゆくと
小舎ごやそば
無花果いちぢくが紫色に熟してゐた

己の家の穀倉こくぐらには
米と麦が
向ひ合つて重ねてあつた

己は背戸の杉山に
懸巣が来て鳴くのが
うれしくて堪らなかつた

己が馬に乗つて野にゆくと
頬白は
藪の上に囀つてゐた

己は座敷の丸窓を開けて
紅い芙蓉の花を眺めながら
毎日、本を読んで遊んでゐた

丁爺ていぢーが餅を搗いて持つて来て呉れた
己が飛行機の話をすると
ほんたうとは思はずに帰つて行つた

己は巻莨シガーを吹かしながら
村の子供等を集めて
庭の植込の中を歩き廻つて遊んだ

己は日暮方になると
裏の田甫たんぼの中に立つて
バーンスの詩の純朴に微笑ほほゑんでゐた

己は百年も二百年も
かうして生きてゐたいと思つた

二 篠藪


蝸牛ででむし
黙り腐つた蝸牛よ、渦を巻いてゐる蝸牛よ
何が恋しい
篠藪に
さら、さら、さらと雨が降る

夢現ゆめうつつ
己は暮らした
蝸牛よ
己に悲しいコスモスの
花と花とに雨が降る

もう、己の家は最終をはり
蝸牛よ
田も売らう、畑も売らう
篠藪に
さら、さら、さらと雨が降る

三 霜の朝


うまやの前の葱畑に霜が真白に降つてゐた
己が顔を洗つてゐると
ひよどりが来て
南天の実を食つてゐる

己が売つて了つた馬を
博労ばくらうが下駄を穿いて牽きに来た
馬は博労に牽かれて門を出ながら
悲しさうに厩の方を振り向いて見てゐた

己は門の外まで駈けて行つて見た
冷たい朝日がさしてゐる
田甫の中を
馬は首を垂れて博労に牽かれて行つた

己は茫然として縁側に腰を掛けてゐた
鵯が南天の木から
囲垣ゐがきの椿の木へ飛んで行つて
己の方を向いて鳴いてゐた

己の家の囲垣は樫の木を売つて了つてから
ほんたうにみそぼらしくなつて了つた
緑青のんだあかがねの門の垂木たるきから
霜解の雫がじたじたと落ちてゐる

四 何処へ


己が売つて了つた田の中で
水鶏くひなが鳴いてゐる
己は悲しくなつて田の方を見ないで通つて来た

もと己が家の畑の中に
青々と麦が育つてゐる
己は悲しくなつて畑の方を見ないで通つて来た

己が借金かりの為めにとられた杉山が
真黒になつて茂つてゐる
己は悲しくなつて山の方を見ないで通つて来た

己は悲しくなつてもうこの村には居られない
己は何処どこへ行かう
何故己は死ねずに
この村に居るだらう

五 暗い心


己が持つてゐた亡父おやの形見の煙草入を
質屋の隠居が
毎日持ち歩いて吸つてゐる
己は、それを見るたび胸が一杯になつた

己が着てゐた夏外套インバ
古着屋のをばばあ
毎日負ひ歩いて見せてゐる
己はそれを聞くたび胸が一杯になつた

己の家で飼つて置いた鶏を
己が売つてやると
すぐ縊られて喰はれてゐる
己は鶏の羽根を見て胸が一杯になつた

己はもう希望も欲もなんにも無くなつて了つた
生きたくも死にたくもなんともない
この村にさへ居なかつたら
己の心はのんびりしよう

六 風が吹く


己の家のうしろの沼に風が吹く
実にしみじみ風が吹く
見れば見るほど
風が吹く

山の方から風が吹く
広い河原の
砂利ざり石に
風は鳴り鳴り吹いて来る

己が生れたこの村の
井戸の釣瓶に
風が吹く
風は鳴り鳴り吹いてゐる

七 丁爺


己は少年の頃
穀倉こくぐらの廂へあがつて雀の巣を毀したことを覚えてゐる
巣を毀された親雀は、日が暮れて了つても廂の上にとまつてゐたことも覚えてゐる
穀倉は田を売つて了つた同じ年に己が売つて了つた
穀倉の跡には青いよもぎが生えてゐる
己は庭へ出て見るたび熱い涙が胸にこみあげて来た

己は門の屋根のあかがねを剥して売らうと考へた
己は靴を穿いて古金屋ふるがねやのある町の方へ出掛けて行つた
途中で丁爺に遭つた
己は仕方なくて銅の話をした
『お前さまの親御に御恩は返えせねえから、せめて――お前さまのお家でも繁昌させてえと――鎮守様にも御願をたててゐるでがす――』
丁爺は悲しい顔をして己の顔を見てゐた
己もほんたうに悲しくなつた
己は古金屋へ行かずに帰つて来た

己は庭木を売らうと思つて植木屋をよんで来た
丁爺が来た
丁爺の目には涙が一杯に浮んでゐた
己は堪らなくなつて家の中に駈け込んで一人で泣いた

西風が稲の上に毎日吹いた
丁爺は己の家の庭へ来て
いつも悲しい顔で立つて眺めてゐた
己は丁爺に
古くから己の家にあつた紫檀の蓋の湯呑をつた
『お前さまの形見でがな――』
丁爺も己も一所に泣いた

百姓はうれしさうに馬を牽いて歩いてゐる
己に楽みのない収穫の秋がたうとう来た
己は朝のまあだ薄暗い内に
ズツクの鞄をかかひて汽車に乗つた
腰のかがんだ丁爺は改札口の欄干てすりに伸び上り伸び上り
『お前さま、御無事で暮らして下せえ』と己に云つて泣いてゐた

八 頬白


己が野へ行くたび
藪の上にとまつて鳴いてゐた
頬白よ
己はお前のことをほんたうに懐しく思ふ

己はこの村に家も屋敷もなくなつて了つた
己は東京の友達を便たよつてゆく
今日は別れだ
頬白よ
お前は達者でゐて呉れよ

己は東京から
二度この村へ帰つて来られるかどうか
今のところでは解らない
帰つて来ないとしても
お前はいつまでも達者でゐて呉れよ

己が東京へ行つて
何処に住むようになるか未だ解らない
本郷に住んでも浅草に住んでも
この村のことは忘れて了つても
頬白よ
己はお前が懐しくて忘られない

畑の麦が黄ばんでも、田の稲が黄ばんでも
他人ひとのものは喰はないで呉れよ
この村には
もう己の田畑てんばたはない
お前は何を喰つて暮らすだらう
虫でも拾つて喰つて生きてゐて呉れろよ

己が東京にも生活くらしかねて
東京に居ないと聞いても
頬白よ
決して悲しんで呉れるな
お前は達者でいつまでもこの村で暮して呉れろよ

九 猫よ


東京に来て見たものの――生活くらせあてはない
郷里くにに家でも――あるではなし
どうしよう
木更津に――お前の伯父がある筈だ
己も一所に
連れて行つて呉れぬか
猫よ

十 夏


卯の花が咲く
杜鵑ほととぎすが啼く
夏が来た
沼の中に菖蒲あやめの花も咲いてゐる

どつちにしろここには永く居られない
己に約束の夏が来た
この家は明日にも空けて返さねばならぬ
己に余裕の金があらば
せめて夏中でも
ここの葛飾で暮らしたかつた

己はもう諦めて神戸へ行かう
己がたつて行つたあと
誰が来てこの家に住むだらう
自分の家をなくして了つた己は
他人の家でも住み馴れた家は恋しい

一生涯借家住ひで暮らさねばならない己は
旅烏のやうだ
去年の夏は東京に居て今年の今は葛飾に居る
他人の知らない涙が
己の胸にはいつも一杯に溜つてゐる

これが自分のものときまつた家があつたなら
己はどんなに嬉しいだらう
また住み馴れたこの家をたつて
知らぬ他国に行かねばならぬ
己に悲しい夏が来た





底本:「定本 野口雨情 第一巻」未来社
   1985(昭和60)年11月20日第1版第1刷発行
底本の親本:「都会と田園」銀座書房
   1919(大正8)年6月10日刊
入力:川山隆
校正:noriko saito
2010年5月18日作成
2010年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード