途上の犯人

浜尾四郎




          一

 東京駅で乗車した時から、私はその男の様子が気になり出した。思いなしではなく、確かにその男の方でもじろじろと私の方にばかり注意して居る。
 色の青白い、三十四、五の痩せた男である。身なりは大して賤しい方ではない。さっぱりした背広を着し、ソフトを戴いて居るのだが、帽子は乗り込むとすぐ棚の上においたようだった。外套は特に取り立てていうような物でない。
 私はこの男を確かにどこかで見た事がある。向こうでもこっちを知って居るらしい。彼は私の席と反対側の一つ向こうの席に腰かけて居るのだが、余り混雑して居ない三等車の中で、こういう視線の戦いをつづけて行くのは決して愉快な事ではなかった。
 向こうはどこまで行くのかわからないが、私は今夜T市迄行かなければならない。その長い数時間、この変な男と向かい会って居るのは少なからず閉口なわけである。
 列車が横浜近くまで来た時、私は、前に腰かけて居た人が降りる為に立ち上ったので、そちらの席にうつって変な男の方に後を向けたのだった。
 その時、私は急にその男を思い出して「なーんだ」とつぶやいたのである。
 確かに会ったに違いない。然しどこで見たかどうしても思い出せない、という気もちは、こういう経験のある人には、その妙ないらだたしさがはっきりと判るだろう。
 私は、いつもこういう場合、いろんな人達を、頭の中で素早く分類をして思い出す事にしている。第一は数年間検事をしていた関係から役所でいろいろな人間に会っているので(しかして一番こういう人々の数が多いから)まずこの方面を思い出して見るのだ。しかしこの変な男の顔はどうしてもその中には思い出せなかった。
 次に、現在自分がつまらぬ探偵小説を書く所から雑誌社の人々や同じように文筆を弄している人々によく会う。しかもそれがごくあっさりした通り一遍の知り合いである事が多い。それで第二に私は此の方面の人々を頭の中で捜索して見たのである。所がこの変な男はこの中にもどうしても見当らないのだ。
 最後に、私は、単純な顔見知りを、職業別にして考えて行ったのだが、とうとうこの中にも変な男の顔は出て来ない。
 学校時代の友人や法律家としての現在会う人々の顔は忘れっこないから、結局この変な男はそのどれにもはいらない事になる。
 そこで仕方がないので私は、偶然あった人々を一人一人考えて見た。例えば円タクの運転手の顔とか帝国ホテルのボーイの顔とかを。
 すると突然一昨夜、新宿から塩町までの市電の中で此の変な男を見たのをようやく思い出したのだった。
 無論意味なく電車の客をおぼえているわけではない。私がその時この男に注意したのには十分理由があった。
 新宿から私が電車に乗った時この男は一緒に乗り込んで来た。それからあと殆ど私の顔を見つめ通しだったのである。車掌が切符を切る時にも、こっちを見ていてぼんやりして何か車掌に云われていた位だった。
 私はその時「いやな奴だ」と思った。こんな場合、視線の戦いには決して一歩も譲らぬ事にしている私ははっきりと逆に睨み返してやった。するとこの男はすぐに目をそらしてしまう。そうして、私が他へ視線をやると又ちゃんと私を見ているのだから実にやり切れない人間である。
 しかし塩町で下車してしまってあそこの雑踏に足を入れた瞬間から私はこの男の事を全く忘れてしまった。もし今列車で再会しなければ一生思い出す筈のなかった顔なのであった。
 その男だ。たしかにあの男だ。あの妙な男が今同じ列車に乗って居るのである。
 私は今更、雑誌一つ持たずに乗った事を後悔した。元来私は子供の時から汽車に乗って車窓の景色を眺めるのが好きだったが、その趣味は今でも抜けない。それに自宅に居る時は決して勉強家ではないが濫書濫読の癖があるのでたまに汽車旅行などする時は、何も持たず、ぼんやりと車外の景色に見入って居るのを常としている。それが為今日も何も手にせずに乗り込んだのだ。
 もっとも東京駅で新聞を二、三買ったが大森を通過する頃にはそれも読んでしまったので、もはや何も見入るものがない。仕方がないから、変な男を気にしながらも車外にうつり行く晩春の景色に見入って居た。
 いつもなら、こうして居てもそれにうっとりとなってしまうか、でなければ又何か面白いストーリーの題材が頭に浮かぶのだが、さっきからあの男の事が妙に頭にこびりついてどうしても離れない。
 今にも後から何か云いかけられはしないかと、こんな気がしてどうしても落ちついた心持になれないのである。
 列車は第三十三列車名古屋行、普通車で東京駅を出たのが午前十一時三十五分だった。午後一時すぎようやく国府津についたので私は弁当を買うと同時に、手当り次第に、売子から雑誌を二、三冊買い求めた。そうして箱根のトンネルをくぐっている頃には盛んにその本をあけて見たのだが、しかし、どうしてもある一つの作に身を入れる事が出来なかった。
 ここで、読者は、たった一度会って睨み合ったその男を私が何故そう気にするか、という事を疑われるだろう。実際私も早くそれを云いたいのである。書けさえすればいくらでも書きたいのだ。しかし、いざその男に対する気もちを描写しようとするとどうも自分の筆の拙いのを嘆じないわけにはいかない。
 一言に云うとその男は、さきにのべたように、ごく平凡な姿ではある。しかし、何といっていいか妙な妖気がただよっているのだ。
 一昨夜市電で見た時はそうでもなかったが、今列車の中でよくよく見て居ると私は蛇におそわれたような気分になって来た。否蜘蛛を見た感じにも似て居た。更に又なめくじにさわったようにも思った。
 この蛇と蜘蛛となめくじの混血児のような感じのする男が、私の後方に五尺位を隔てて腰かけて居る、という感じは決していいものではない。この気もちは只想像して貰うより外ない。
 私が、どうしても本に身を入れる事が出来なかったのは、そういう次第なのである。
 私は、今にも肩越しになめくじのような手が出て来はしまいか、蛇のような首が出て来はしまいか、蜘蛛の足がまきついて来はしまいかと、びくびくして居た。
 汽車が三島を発した時、とうとう此の蛇ははっきり私の目の前に首を出してしまったのである。

          二

 汽車が三島駅を発すると間もなく、後から急に、
「もしもし」
 という声がしたので、私はとうとう来たなとびくっとした。
 私は、それ迄その男がどんなに腰かけ、どんな風にしていたかは少しも見ないようにして居た。
 現に(これは甚だ尾籠な事で恐縮だが)箱根を過ぎた時、尿意を催したのだが、この車の便所に行くには、どうしても彼の前を通らねばならないので、私はそれを避けてわざわざ後方の車の便所に行った位なのである。
 だから、彼が今までどんな表情をしていたか知る由もないがおそらく私の頭を見つめて居たのだろう。
「もしもし」
 と云われた時、すぐにこれがあの男の声だと感じたからすぐに私は振り向いた。
 ふり返って見た時は、既に私の右手に、その男がにやにやしながら突っ立って居るのである。
「…………」
「××先生じゃありませんか。どうもさっきからそうだと思って居たのですが」
 人の名を聞く時は、まず自ら名乗るのが礼儀である。私はこの問が快くなかった。
「あなたはどなたですか?」
 相手は不相変あいかわらずにやにやして居る。
「私はごくつまらぬ田舎の教師ですが……××先生でいらっしゃいましょうね」
「ええ僕は××ですが……」
「いや私もそう思って居りました。一昨夜電車の中でお会いした時も、たしかに雑誌で見た先生のお顔だと思ったのですが、つい申しそびれて……今日ここで偶然お目にかかったのは、ほんとうに幸いです」
 何が幸いなのか、私には少しも判らない。
「先生の御作はいつも愛読して居ります」
「いや、それはどうも恐縮で」
 小説家に対する最大のお世辞は、その文章を読んで居る事である。従って、こっちから云えばはたしてほんとうに読んでそう云って居るかどうか判らない、と云う事になるので、当らずさわらずの、いいかげんの返事をしておいた。
「近頃ずい分探偵小説が流行するようですが結構です」
「結構だかどうだか判りませんよ」
 この返事は私としては極く意味のない言葉だったのだが、相手は急にきっとなって云った。
「先生、先生はほんとうにそう思いますか?」
「何がです」
「つまり、今のようなこんな探偵小説流行の風潮を結構だとは思わない、若くは嘆かわしいとお考えになるのですか」
 これは真面目な問題である。相手は教師だという以上、教育上からこの風潮に対して、恐らく反対の気勢をあげるのだなと私は思った。
「あなたは今ただ田舎の教師だとおっしゃった。紹介のない相手にいきなり口をきいて、しかもその人の意見をはかせる以上、僕は君自ら、はっきりとお名乗りになるのが礼儀だと考えますが……」
「これは申しおくれて相すみません」
 彼はこう云いながら、上衣のポケットから余りきれいでないシースを取り出し、その中から一葉の名刺を抜き出して私に手渡した。
 見ると、それには『相川俊夫』という四字が印刷されてあった。
「T市から数里隔った××という村の小学校に勤めて居ります。どうぞよろしく」
 なめくじ男は、ここで今更改まってピョコンと一つおじぎをした。
 私が一応はっきり切り込んだので、なめくじ男は、話の腰を折られたと見えて、暫時しばらく黙った。
 そのかわり、私の前のシートにゆったりと腰を落ち付けて、何か考えて居る。
 列車は既に沼津を過ぎて鈴川あたりを走って居る。
 晩春の美しい森や小川を眺めながら私はつとめて気分をまぎらわそうとつとめた。
 相川というなめくじ男はこの時、ふと外套のポケットからウイスキーのびんを取り出して、
「先生一ついかがです」
 とやった。
 私は元来一滴も酒を口にしない上、この日は法律家としてやむを得ない旅行をして居るので、目的地に着けば相当仕事の上のまじめな準備もしなくてはならず、その上こんな得態の知れない男に何を呑まされるか判ったものではないから、きっぱり拒絶した。全く拒絶の形だった。辞退したのではない。拒んだのである。
 なめくじ男は、拒絶されても一向平気で、
「ではやむを得ません」
 と云いながら、自分で一杯生のままでのみほした。気がつくと、もう前から少しやって居るらしく、目の中が少し紅くなって居る。
「で、先生、さっきの話ですが……」
 又してもさっきの論題である。
「私は、探偵小説家たる先生に、そうです、特に先生にはっきり申し上げたい」
 この時、なめくじ男の顔から、俄然がぜんなめくじらしい表情は消え去って、鎌首をもたげた蛇のような鋭いようすが現われた。なめくじ男、否もはやそうではない、蛇男は更につづける。
「私は先生のような人が、ああいう小説をよく書いて居られると思うのです。実に不思議でならないのです」
「というと、どういう事ですか」
「先生は元検事でしょう? そうして今弁護士です。いずれにしても法律家である筈です。そうして、正義という事の為に常に不正と戦うべきことは同じ筈です。その先生が、世を毒するような、あんな探偵小説を書くのは不思議です。先生には一方では社会を正しく導かねばならない勤めがあるのです」
「冗談云っちゃいけない、僕は社会を導くなんてそんな大それた考えをもった事はありませんよ」
「いや、先生自身は自ら社会を指導する気はないかも知れない。しかし正義を奉ずる法律家に、それだけの覚悟がなくてどうするのです? もし先生がそれを考えて居られぬとすれば、先生は法律家たるの資格がない。法律家たる以上、それだけの覚悟がなければならん筈だ」
 この語気でも察せられるように、蛇男の勢いは非常に鋭くなり、しかも、その論旨も実を云うと、中々しっかりしたものなのである。
 私は、元来、議論にかけては可なりアグレシヴな態度をとる人間なのだが、一つにはこの相手の論理が可なり正しいのと、もう一つには例の妖気が、なんとなく気味が悪いので、巧みにその鋭鋒えいほうをさけようと試みた。
「確かにあなたの云われる事は真理です。しかし僕が探偵小説を書く時は、決して法律家として書いて居るのではないのですからね。その点は十分考えて頂かんと困ると思うのだが」
「探偵小説の筆を取る時は小説家、弁護士として金を取る時は法律家だ、とこう云われるのでしょう。成程、一応それでいいようには聞えます。しかしそれは胡魔化しだ。欺瞞だ! 先生はごまかそうとしているのです」
 彼の態度はますます猛烈で、その論旨はいよいよ急である。私は実は彼の頭が割にいいのに驚いたのである。
「先生は小説家だという。しかし如何なる場合でも先生が社会の一分子たる事は争いがない。あなたがなんといったって、社会に対する感化を考えないという事はけしからんです。あなたは自らお考えになった事はないのですか?」
 於是ここにおいて「先生」は俄然「あなた」に変じ、彼の蛇男は立派な社会評論家になってしまったのである。
 私は少し腹が立って来た。真面目に論戦してやろうと考え出した。そうして何と云ってやろうかと思っていると彼は、ウイスキーの罎を殆ど空にしながら、こういうのである。
「探偵小説家の中でも、特に私はあなたに文句があるんだ」
 此の一言はきき捨てならなかった。
「どうして、特に僕が、だ」
「あなたは法律家だ、従ってあなたの書くものには、とかく法律問題が出て来る。それが面白いかどうかは別問題として……」
「いや面白くないでしょうよ」
 私は一寸ちょっとからかって彼をくじいてやるつもりだったのだが、彼は少しもひるまぬ。ひるまぬ所か手をふりながら興奮してつづけるのである。
「私が特に文句をつけたいのはそこなんだ。あなたは第一殺人ばかり書いている。その上、その殺人方法のトリックが殆ど法律問題なのだ。いいかえれば、法律的に一番安全な殺人方法をいつも書いている。つまり、如何にすれば人を殺して、しかも罰せられずにすむかという事を書いて居られる」
「それで?」
「判りませんか、私のいう意味が。あなたはああいうものを書く事によって多くの人々に巧みな殺人方法を教えているのです。人を殺しても、こうすれば決して罰せられぬという事を宣伝して居るのです。かりにここに殺人を行おうとする人間があれを見て、もしまねをしたらどうします? あなたはそんな事を考えた事はありませんか」
「まさか、そんな人はないでしょう」
「しかし、幾千万の中に一人でもそんな人が居たら、あなたは何と云ってその人と社会に謝りますか? そうです、たった一人でもそういう人が出たらあなたの責任です」
「僕はそんな事は有り得ないと思う」
「いや、あるかも知れない。少くも有り得る。少くもないとは云えない!」
 彼は断固として云い切った。
 ここに至って彼は今やなめくじ男ではない。蛇男でもない。猛虎である。彼は真正面から私に迫って来るのである。実際私もたじたじの形で今更、こんな論題を追った事を後悔した。
「しかし、有り得ると君が云った所で、又ないと僕が断言したところで、つまり水かけ論に終るのだからね。ともかく君の御忠告はあり難く拝聴しておく」
 こう云って私は衝突をさけようとした。
 相川俊夫はこの時、急に口をつぐんだ。そうして又例の妖気に満ちた顔で私をながめはじめたのである。
 私は相手が黙ったので、彼が一寸まいって口をつぐんだと解したため、これ以上の論議を打ち切るために余計な事を云ってしまった。
「だから此の問題はこれ以上進んでも仕方がないのですよ。……一昨夜電車でお目にかかった時、今日のように名乗って下されば、うちででもお話が出来たのですが残念でしたね」
 私は論議打ち切りの印のつもりでこう云いながら、傍の雑誌を手にとった。
 しかるに、彼は又々執拗に迫って来た。
「若し? 若し……そうです、若しここに一人でもあなたの為に殺人者になったという人間があるという事を、私が立証したらあなたはどうします?」
「無論、あなたが、そう主張なさるなら信じないわけにはいかないでしょう。僕はそんな事があろうとは思いませんが」
「たしかにあります。一人、確かに!」
「確かに? 君はほんとうにそう云うのか」
「無論です。たしかに少なくも一人私はそういう人のある事を知って居ます。先生、私はたしかにそういう一人を知って居ますよ」
 こうなっては最早のっぴきならない。
「君は確かにあると断言するのだね。よし。それでは君はその人の名をあげて僕に知らせる責任がある。それをしないでただそんなに頑強に僕を批難しても何もならん」
 私には、この世の中にそんな人間があるとは信じられず、又若し(しかり、正に千万度も「若し」だ!)そんな殺人者があったとしたところで、まさかその人間の名を彼が私に云い得る筈はない、と思ったので、ぴっしゃりと、叩きつけるように云ってやったのである。
 此の一言ははたして効果を現わした。
 猛虎のようにつめよった彼はこの時、正にたじたじとなったらしい。口をもごもごやったきり、物凄い顔で私をじっと見つめたのである。暮れやすい春の太陽は弱い光を投げかけながら今、山に入ろうとして居る。
 この気味の悪い沈黙の数分間、私も負けずに彼の気味のわるい顔を見つめてやった。けんのあたりに深いしわをよせながら、彼は何か心の中で苦悶と戦って居るらしい。
 私ははじめ、彼が一本参ったので口惜しがって居るものとのみ思って居た。しかし実はこの時の彼の顔色は、より深き苦しみを現わして居たものである事が後に判った。
 唾を二、三度のみ込みながら、急に相川は口を切った。今度は又、にわかに丁重な言葉を用いながら。
「先生、先生は弁護士でいらっしゃる。弁護士として聞いた人の秘密は無論お洩らしになる事はないでしょうね」
「勿論です。道義上でもいうまでもない事ですが、法律の上でもわれわれはそういう秘密を洩らすわけに行かなくなって居るのです」
(平凡な描写をすれば)相川は、しばらく、云おうか云うまいか、としきりに考えたらしいが、結局、こう云い出した。
「それならばお話しします。さっき申した一人というのはかく申す私なのです。相川俊夫です」
「何? 君?」
「そうです。私こそ先生の小説の為に身を誤った人間の一人なのです。私はこの冬、一人の人間の生命を奪いました。人殺しをやったのです」
 読者は、私がこの時彼の正気を疑った事を無理もないと考えられるだろう。彼のようすには少しも冗談らしいところはない。否、非常に真剣なのである。だから相川俊夫が私をからかって居るとは考えられないのだ。
 私は、たしかに此の男は気が狂って居るのだな、と感じた。
 それで私は、わざと驚いたようすをせず、平気な顔をしてこう云った。
「そうですか。それはほんとですか。……では何時いつ何処どこで、君が誰を殺したか、順序をたてて話してごらんなさい」
 私は彼がしゃべる事が必ずノンセンスだろうと思ったのである。精神病の医者でない私には、こうやったなら相手のいう話に必ず辻褄の合わぬ妙な事が出来て来ると思ったのだ。医者でない悲しさに、この際、これ以外にこんな気狂いを取り扱う方法を私は全く知らなかったのである。
「先生、きいてくれますか…………では一通りお話ししましょう」
 相川はかく前おきをして語りはじめた。
 私は念の為、周囲を見廻したがまわりは不相変すいて居る上彼の声は列車の走る音に消されて、私以外には決してきかれる恐れはなかった。
 なお先に一言つけ加えておけば、私は彼の話をきいているうちに、彼が悲しい事には(!)決して気狂いでない事を知ったのである。

          三

「初めにはっきり申しておきます。私は今から二ヶ月半ばかり前、即ちこの二月の初旬、僅か二歳になったばかりの私の娘をこの手で殺してしまったのです。これは全く間違いのない事実です。
 何故、私が我が子を殺したか? 憎くてならなかったからです。何故殺したい程憎かったか。それは、我が妻の子だったからです。我が子と私は云いました。しかし、あの赤ん坊がたしかに我が子だったかどうかは判りません。否、殺した時、私は妻の子であっても私の子ではないと信じたのです。
 私は今帰りつつある郷里(読者よ、それは偶然にも筆者の目的地と同じなのである)で、三年前にある女と結婚しました。私はおはずかしい話ですが彼女に惚れたのです。彼女も又私を愛しました。少なくも私はそう信じて居ました。
 私らが結婚する以前、私には互いに知り合いではありませんでしたが、競争者らしいものがありました。敏子――これは妻の名です――は固い家の娘なのですが、彼女の家では二階を若い男に貸して居たのです。東京生まれの水原という男が、敏子の家に居た事があります。その男が敏子に恋しているという話をきいた事があるので、水原という名は私には常に恋仇のように考えられて居たのでした。この男は私達の結婚の少し前に東京へ去りました。
 結婚までにも種々な事がありましたが、それ等は煩しくなりますから省いて、すぐ結婚生活の話に入ります。私ははじめは幸福でした。妻の家にもと居た水原の事などは全く忘れてしまった位幸福だったのです。
 ところが偶然の機会から、この幸福は全く破れてしまいました。それはたった一つの封書にすぎませんでした。結婚後暫くたってからの或る日、男文字で書かれた手紙が妻宛に来たのです。私は自分の所に一緒に来た手紙を片っぱしから開いていたので、つい、その手紙も自分のところに来たものと思い違えたのでした。無論封筒の上書きが男の字だったから、こんなことになったのでした。中から出て来たのは、水原からの手紙だったのですが、表にはっきり男の字で書いてある位ですから、中の文句だって一つもへんな事は書いてありません。
 けれど、変な事の書いてないその手紙が私には、限りなく不快だったのです。『その後御結婚被遊あそばされ御幸福に御暮しの由』という第一冒頭の文句からして、気に入りませんでした。私の気もちにして見れば、私の妻は私のもので誰からも指一つさされたくないのです。私ら夫婦の間に、他の男から手紙が妻に来るなどという事は考えられなかったのです。私は、たしかに嫉妬深い男でしょう。たとえなき不愉快な数日の後、ある夜私は妻を責めて責めて責めぬいたのです。そうして水原との間について訊ねました。その時、妻はとうとう恐ろしい告白をしてしまいました。その時から私は凡ての幸福を失ってしまったのです。
 あなたは検事をして居られたから、犯人がその犯罪をどんな風に自白するか、殊に女の犯罪者がどんなにその罪を告白するか、そのいろいろな有様を知って居らるるでしょう。その夜の私の妻の告白は驚くべきものではありましたが、いざ告白という所まで決心した敏子は、実に冷静に過去の事実を述べはじめたのです。
 この告白は、或る事実を肯定したのです。彼女と水原とはかつて恋人であったというのです。いや、それ以上だったのです。よもやよもやと思っていた事が事実だったので、私は一時まっくらやみに突きこまれたようにもがきくるしみました。苦しい数日数夜を通らなければならなかったのです。はじめは、余り私が嫉妬深いので、わざと妻が私にからかって居るのではないか、と思いました。いや、むしろそうであってほしいと願ったのです。自白する妻の前で私は歎願しました。どうか今まで云った事は嘘だと云ってくれと! しかし、妻の告白は全く間違いはなかったのです。ただ敏子は、過去の罪はあくまで自分でわびるが、将来は決して左様な事はしない、否、将来ばかりではない、結婚後だって無論そんな事はない。只あれは結婚前の過失だから、どうか許してくれと申すのです。先生、こう云われてはどうすればいいのです。未練な私は敏子をまだ愛して居るのです。妻の涙を許すより他仕方がなかったのです。
 その頃妻は妊娠して居ました。私は妻の告白後、その腹の児を疑ったのです。しかし、これに対して、妻は断固として私の疑いの根拠のない事を主張しました。妻とこの話をする度に、私はそれをきかされました。きかされては、心で安心したのです。しまいには疑いが心に食い入って来ると、わざと妻になじり、妻が断固として私の疑いを破壊してくれるのを頼りにしていたような男らしくないひねくれた私になってしまいました。
 昨年の夏、妻は遂に女児を生みました。ひろ子という名をつけて妻は愛し切っています。しかし、私はひろ子が生まれたその時から、その顔を見たその時から、何故か『これは俺の子ではない、あいつの子だ』と感じたのでした。不幸な事です。しかしほんとうの話なのです。近所の人は私に似て居るとお世辞を云っています。けれどどう見たって私の顔に似て居るとは考えられませぬ。私は水原に似ているとははじめ考えませんでしたが、しかし、自分の気のせいか、目のあたりが、私よりも彼に似ているように思われて来ました。
 そうして、日がたつにつれて、だんだんと面ざしが彼に似て来るように思われるのです。
 私は或る一夜、眠れぬままにいろいろに考えふけりました。敏子は過去の罪を自白した。しかし、これは自分としては許したのだ。許さざるを得なかったのだ。敏子が心を改めている以上、自分は過去を凡て葬り去ってしまわなければならない。この事は今苦しいには違いないけれ共、この心の傷は年が経つにつれて癒えてゆくべきものに相違ない。
 しかし、ひろ子は? 若しひろ子が敏子の過去の罪の結果生まれたのだとすれば、ひろ子が生存する限り、自分と敏子とは、憎み合わねばならない。少くとも自分は、にらを噛むような思いをして一生を送らなければならない。しかもひろ子は一日一日と生長している! 自分と敏子との間にあるこの障害は一日一日と大きくなっているのだ。
 若し、ひろ子が死んでくれたら! そうです、私の頭に一番はじめに浮かんだのは、若しひろ子が死んだら! という事でした。もしひろ子が死ねば私と妻との間には過去以外には何もなくなるはずです。いいかえれば、ひろ子が死ぬ事はわれわれを幸福にする事なのです。
 こう思いついてから、私はひろ子が死ぬ事ばかりを願っていました。一つには理屈でなく、私にはひろ子は全く可愛くないのでした。だから、死んだら、死んだら、と思いつづけるようになってしまったのです。
 私がひろ子を殺そうと思い付いたのは、偶然あなたの探偵小説を読んだ時なのです。さきにも申したように先生の小説には常に法律上の挙証の問題が取り扱われています。法律上罰せられないように、人を殺すには直接の証拠を残さなければいいという事です。法律にふれても、実際上罰せられぬように殺せという事です。私は先生の小説を凡て読みました。そうしてその中から一つの確実な何物かを掴んだのでした。
 それは丁度この一月のはじめでした。私は寒い雪の間、ひろ子殺害の方法を研究したのでした。如何にしてひろ子を殺すか。あなたは私がどうやったと思われますか。
 私に直接のヒントを与えたのは、あの頃、私の住んでいるA県下一体を襲った猛烈な悪性の流行性感冒だったのです。私のつとめていた小学校の生徒が、毎日一人位ずつの増加率を以て休みはじめたのでした。そうして当歳や二歳の児がたちまち肺炎になって死亡して行くという事が、私の近所でもはじまったのです。私はこれをきいた時、全くとききたれりと感じました。
 一月の或る寒い日でした。外には吹雪が荒れて、下には四寸位の雪が積っています。機会を狙っていた私はその日朝から珍しくひろ子をだいたりあやしたりやって居ました。暗くなってからひろ子がすやすやとねついたので、敏子は、私にるすを頼んで風呂に出かけました。この時です。この間です。失ってならないのはこのひまです。私は妻が傘をさしかけて出て行くのをたしかめてから、そっと裏口を開けました。
 外は今も申すような物凄い吹雪です。私はねているひろ子を出来るだけ着物をはいで、裸体にして抱きました。濡れぬように軒のへりに沿って歩きながら、この寒い中に立ちつくしました。ここは一面の畑で誰も通るおそれはなかったのです。こうやって、二歳になる赤児が、一時でも早くこの烈しい寒気の呪いを受けるようにと祈ったのでした。
 私は全く悪魔でした。ひろ子は殆ど素裸体にして抱きながら自分は戦慄しつつもまるで寒さを忘れていました。烈しい伊吹おろしに我が子をさらしながら、自分では少しも寒くなかったような気がするのです。
 妻が帰って来ては事面倒ですから、暫時ざんじにして私は家に入りました。再び暖い着物をきせて、自分はゴロリと横になりながら、何くわぬ顔をして妻の帰りを待っていたのです。
 私は、この悪魔的方法の効果がすぐ現われるかと思って居ました。けれど翌日になっても別にどうもないのです。次の日は雪はやみましたが寒さは一層加わりました。この夜、同じような機会に又同じ方法で、ひろ子を寒風にさらしたのです。雪の上におく事も考えないではありませんでしたが、もし凍傷とうしょうでも出来ると証拠が残ると思ってこれはやめました。
 二回の試みは遂に成功しました。ひろ子はその晩から非常な高熱を出しました。私には、無論そのわけは判っていましたが妻にははじめよく判らなかったらしいので、結局、医者がかけつけたのはその日の夕方になってしまったのでした。
 医者は無論、私が呼びに行ったのです。この際医者を呼ばないわけには行きません。かけつけた医者は即座に流行性感冒と診断しました。県下に、はやって居るこの病気に私の子が罹る事は少しも不思議ではありません。医者は更に、ひろ子が可なり危険な状態にある事、肺炎をおこしつつある事を注意し、いろいろ湿布しっぷの仕方などを私に説いて帰って行ったのでした。
 私は、わざと不完全な湿布をやりながら、後から医者の家まで薬を取りに行きました。なるべく時間をとるようにしたいのですが、それは、どうも不自然ですから、適当にいそいで、往復しました。しかし、私のこの顧慮は、必要のなかった事でした。何故ならば、帰宅した時はひろ子の病勢は著しく進んでいましたから。
 その真夜半まよなか、ひろ子が余り苦しむのを見かねて、妻が私に医者の許まで行ってくれと頼みますので、いそいでかけつけ門を叩いて見ましたが、幸いにも――全く幸いにもです、こういう言葉の使い方は悪魔の辞書にのみ見出されるはずです――医者は、同じような急患者の所に往診して居て不在、結局、来てくれたのはそのあくる日の昼頃でしたが、その時は既にひろ子は全く絶望の状態にありました。
 妻の涙の中に、ひろ子はついに息を引き取りました。死亡診断書には急性肺炎と書いてあったと思います。誰も怪しむ者はありません。ささやかな葬儀を以てこの事件は終ったのです。
 先生、私はこうやって完全に殺人を行いました。しかもこの世の中に、一人だって私を疑っているものはありません。私はあなたからおそわった通りに行いました。人を殺した! しかし罰せられぬ! です」
 相川俊夫と自称する男は、こう云ってにやにやと薄気味わるい笑いを洩らした。私は彼の話をきいて居るうちにその中に、或る真実さを認めた。しかし同時に余りに凡てが巧妙すぎることも感じた。もし彼がいう通りの犯人とすれば、実に容易ならぬ事件である。
 私は、今まで、彼が娘を殺したような殺人方法をどの小説でも書いた事はない。彼自身も又自ら、直接のヒントは流行性感冒から得たと称している。けれど彼のいう所に従えば、その遠因は私のつまらぬ小説にあるらしい。
 私は、彼の話の真実性と、正気の程度を試みる為に、強いて冷静を装ってこうきいて見た。
「成程、恐ろしい話だ。君の話は物凄い。君が自ら犯罪を語る以上、僕は疑う事はこの際避けよう。けれどただ一つ承りたい点がある。君は要するに、犯罪の目的に成功しているのではないか。妻との間の障害物はなくなったのではないか。しかも世界の誰一人だって、君を疑っていない事は君自身も云っている。果たして然らば、君は僕に感謝をしていい筈じゃないか。君の子はもう二ヶ月半も前に骨になっている。今更誰も疑うものはない。何故それならば君はさっきから、僕を批難するのだろう」
 彼はこの時、急に又凄い目付をした。そうして、苦しそうに頭の毛を自分でつかみながら、唸るような声をあげた。
 私は誰か怪しみはしないかと、驚いてあたりを見廻したが、誰も幸いに気がつく者はなかったようである。
「それだ! それなんだ。私があなたを恨むのは! あなたは犯罪の方法を教えた。殺人をはっきり教えた。しかし、良心を捨てる事を教えなかったじゃないか。……ああ、人殺しのあとの生活、私はたまらないんだ。苦しいんだ。良心をすてなけりゃ生きては行かれない。おまけに、あんなに完全にやったにも不拘かかわらず、私は毎日刑事に追いかけられているような気がしてるんだ。ひろ子の、あの小さなひろ子の手が土の中から出て、私をさしているような気がするんだ。どうしてこの気もちを捨てる方法をおしえないんです。え? あなたは、あなたの為にこんなに苦しんでいる人間を見殺しにするのですか?」
 相川はこういいながら、突然私の右手をつかんだ。
 生来余り大胆でない私は、とび上るように驚いた。自ら人殺しだと名乗る位な男だから、何をやるか判らない。私は強いておちついた風をしてその手を払ったが、次にどうするかと恐る恐る彼を眺めた。
 しかし彼は、ふり払われた手を右ポケットの中につっこむと、そこから又新しいウイスキーをとり出してがぶりとあおった。
「あなたから人殺しだけを教わって、良心や恐怖をふりすてる事を教わらなかった私のこの頃の有様は毎日これです。これがなくては生きて行かれない。……うちに居ても毎日これだ。妻はひろ子を失った悲嘆の余りのやけ酒だと思ってやがる馬鹿!」
 こういうと彼は突然、座席の上にぐるりと仆れたが、そのまま目をつぶって眠りはじめた。
 興奮の後の疲れが彼を襲ったのであろう。
 私はやっと安心して、向う側の座席にそっと移り、出来るだけ彼の目をさまさぬよう用心した。
 暗い外の景色をながめながら、私はこの恐ろしい話をいろいろに想像して見た。もしほんとだとすれば私は人殺しと並んで居るのだ。しかし、まさか、と思われるようでもある。
 こうやって一人いろいろの事を考えているうち、列車はT駅の一つ手前のF駅についたのである。すると相川はむっくり起き上ったが、席をうつした私を見ると、又前にやって来て云った。
「先生、どこまで行くんです」
 私はただ一言、
「T駅」
 と答えた。
「T市? そりゃ実に偶然です。一緒に降りましょう。私もそこでおりるんです。一緒に歩いて下さい。きっと刑事が私を見張ってますよ」
「そんなわけはないじゃないか」
「いえ、そんな気がするんです。どうもそうらしい。ひろ子の奴が墓場からそういって居やがる。警察に云ったに違いない。ねえ、一緒に歩いて下さいよ」
 私はこの際、黙ってうなずく事が最も賢明であると悟って、たてにかぶりをふったまま黙って彼を見た。これ以上何か云う事は一層この男の気狂いじみた振舞をあおるばかりだと考えたからである。
 二人が無言のまま向き合って居る間に、列車はついにT駅に着いたのである。

          四

 読者諸君、これがいつもの私の書くような小説だったら、私は探偵小説の常道として次のように最後の章をむすぶだろう。

 列車がT駅に着すると、今まで妙な顔をしていた相川俊夫は不意にきっぱりとした快活な調子を現わし、陽気な笑顔を作って私の手を握った。
『××先生、どうでした、今までの話は! 無論あれは皆出鱈目ですよ。私には第一女房なんてまだないんです。平生先生の小説を愛読しているので、御退屈をまぎらす為にあんな話をして見たのです。一昨日は東京で偶然のり合わせ、今日も又思いがけなく乗り合わせましたね。如何です、出来ばえは。あはははは左様なら』
 唖然としている私をあとに彼はさっさと車から出て行った。

 読者は多分こういう結末を予想されたかも知れぬ。又私自身も、こういう結末を予想しないではなかった。ことによると一杯かつがれたのではないか、とも思って見た。だから、もし彼がすっくと立ち上ったなら、やられぬうちに先手を打って、
『やあ、ありがとう、素晴らしい出来ばえでした。おかげで退屈しないですみましたよ。御作は早速発表しましょう』
 と、こう云ってやるつもりだったのである。
 所が事実というものは、中々探偵小説のようには行かぬものだ。
 T駅に着くと、彼は立ち上りはしたが、何かしきりに物をおそれるように私によりそうのだった。
 私は、いたわるように彼をそばに引きつけて、車を下りたのだが、プラットフォームを三、四歩行くうちに、私は思わずあっと叫ぶ所だった。
 一見何気なく装っては居るが、検事として刑事等に接した事のある私には、数歩むこうに、私服の刑事らしい男が電燈にてらされながら、二人こちらを見るような見ないような振りをして、やはり同じ方向を歩いて居るのを見出したからである。
 然らば彼の犯罪は、全く事実だったのだ。
 ブリッジを渡って改札口まではわれわれ(この場合われわれと云わなければならぬのは真に遺憾だが)は無事に歩いて行った。
 しかし改札口に近づいた時、さきの二人の刑事らしい男は飛鳥のようにとんで来て、相川の前後即ち私の前後に立ちふさがった。
 その瞬間の相川の死人のように変じた顔色は、今でも私の目の前にある。
 刑事はいきなり、名刺を出して相川に示し、小声で何か二言三言ささやいた。恐らく自分の身分を明かにしたのだろう。
 次の瞬間に相川は、脱兎の如くとび出そうとしたが、その逃れないのを知るやいきなり私を指さして気狂いのように絶叫した。
「この男だ、ほんとうはこの男だ。俺の子をほんとに殺したのはこの男だ、俺が手を下したのはまちがいない。しかし、ほんとはこいつが教えたのだ」
 二人の刑事は改めて私を見たが、
「あなたはどなたですか。この男とどういう関係があるのです」
 とたずねるのである。私はこれに答える義務はない筈なのだが何分相川の発した絶叫は群集をあつめるのに十分なので、長くなっては事面倒と手早く、職業用の名刺を出し、更に、
「僕もどうせ警察へ行くつもりなんです。署長に会うつもりなんですから。この男とは全く関係はないのですが、ともかく、この男にあなたの方で用があるなら、私も一緒にタクシーででも一緒に署まで行きましょうよ。何分こんな所でわめかれては私も堪りませんから」
 私の名刺がどんな力を刑事に与えたか、与えなかったかは私の知る所ではない。彼らは私と相川との関係をどう思ったか知らないが(この場合、相川を私の依頼人なりとし、私をその弁護人なりと信じたかも知れない)ともかく、私の提議には異議がないらしく、構外に出るとすばやくタクシーをよんでくれ、相川を三人でかこんで、無理やりにのりこんだため、停車場で群集のさらしものになるのは辛くも逃れ得た。
 自動車の中では相川一人が気狂いのようにしゃべりまくっていた。
「恐ろしい事だ。しかし今となっちゃ気がらくになった。ひろ子の奴とうとう訴えやがった。……肺炎ですよ。あれが死んだのは! 診断書にだってあったでしょう。ただ私があいつを肺炎にさせただけなんだ。どうだい、刑事君、あいつを雪の中に出して病気にしたんだぜ。うまい殺人法だろう。これも皆この先生(私をさして)におそわったんだぜ。俺は殺人犯人さ。しかし、この先生はその教唆犯人なんだよ。刑事君、しっかりたのむよ」
 つかまってからの彼は、犯罪人の常として急に気が楽になったらしく、むやみにしゃべり出すのだった。
 私は勿論、二人の刑事も一言も発しなかった。
 自動車は夜のT市を走りながら警察署についた。
 ここで私は無論、相川俊夫と一旦引きはなされた。東京の某司法官から警察署長にあてた紹介状をもっていたので、私は、わりに丁重に署長室にと通された。署長はその時室に居なかった。
 どこかから、不相変どなるような相川の声がきこえている。
 やがて署長が見えたので、私は自分が今日来た目的の用事をいろいろ物語った。
 しばらくすると司法主任らしい人が出て来て、署長と私語をかわしていたが、司法主任が去ると、笑顔をうかべながら、署長は私に云った。
「時に、今日あなたは相川という男と一緒に来られたそうですが」
「一緒にったって全く知らん男なんですよ。同じ車に乗ったら急に向こうから私に話しかけるんで、私も退屈凌ぎに相手をしていたわけです。しかし停車場ではとんだ目にあいましたよ。一緒に歩いてくれと云うので、一緒に歩いてやったんですがね。どうも一寸キ印じゃないんですか」
「いや、そうですか、全く御関係はないのですか」
「無論ですよ、何か彼と共犯関係でもあるという御疑いなら御免こうむりたいものですな」
 これは勿論、半分冗談のつもりだったが、共犯関係という、或る犯罪を前提にした言葉は彼の為にいささか不用意だったとすぐ感じた。果たして署長はやはり半ば冗談らしくこういうのである。
「いや勿論そんな事は思いはしません。しかし、何か彼は大分いろんな事を、あなたに白状したそうですね」
 この言葉は、私を疑っているのでない事は明かに判っているけれ共、法律家としてはこれに対してうっかりは乗って行かれない。
「ええ、何かへんな事を云っていましたよ。まあ出鱈目ですね。気狂いじゃないんですか」
 私はこう答えると、つづいてこっちから質問した。
「一体どうしたっていうんです? あの男が? 何の嫌疑なんですか、無論斯様な事は立ち入ってうかがうべき事ではありませんが」
 署長は、にこやかに答えた。
「別にあなたの事だから、かくす必要もないんですよ。それにとんだ御迷惑までかけたのですから、その点から云ってもお話しした方がいいでしょう。なにね、昨日あの男の妻が自宅で死体となって発見されたのです。一見自殺のように見えるのです。無論自殺としても理屈は立たぬ事はありません。最近子供を失ってひどく悲観していたそうですからね。ただ遺書がないのと、なおこれは一寸まだ申し上ぐべき時ではないのですが二、三、妙な点があるのです。でとりあえず他殺の嫌疑で今犯人を捜索中なのです。あの男もその嫌疑者の一人なのですよ。死体の発見されたのは昨日ですが、殺されたのは――もし他殺とすれば一昨夜ですね。解剖の結果、これはたしかです」
 この署長の言葉は、私には全く意外だった。私は一寸ぼんやりとした形だった。しかし、つまらぬ事を云わないでよかったと思った。同時に私はある事をすぐ思い浮かべた。
「それならばあの男は無罪です。私は一昨夜の十時頃、東京市内四谷区でたしかに見たのですから。彼のアリバイを立証する事が出来ます。私は、少くも法廷で証人になる覚悟はありますよ」
「ほほう、ほんとですか」
「無論、嘘は云いません」
「いや、見まちがいはないかと云うものです」
「たしかに、間違いはありません」
 此の時、又司法主任が来て署長と私語を交した。終ると署長は不相変、微笑を浮かべたまま私に云った。
「相川は自分の子を殺した事実をすっかり自白したそうです。司法主任のきいた所によれば、まさしく真の自白らしいそうです。それから何だか大変あなたを恨んで居るそうですよ。あなたにもう一度会いたいといって居るそうですが、お会いになりますか」
 署長の言葉には、私は無論会うまいという予期と無論会う必要はないから拒絶されたらよかろうという心遣いが表われて居た。
「危険さえなければ、ここで会いましょう」
「それは私の方で責任をもちます。では会いますね」
 署長は私に一応念を押しておいて、改めて司法主任に合図をした。司法主任は一旦室を出て行ったがまもなく又現われた。後から相川が二人の刑事に守られて姿をあらわした。
 彼は署長らの前で、私に車中でしゃべったあの恐ろしい犯罪の話をもう一度くり返した。その揚句、私に対してあらゆる罵詈をあびせたのである。これはやはり車中で私に云った言葉を、ただ下品にしたにすぎなかった。
 署長も私も司法主任も、ただ苦笑してきいて居るより外はなかったのである。
 彼の言葉がやっと終った時、私ははじめて司法主任に向かってたずねた。
「無論、何の嫌疑で彼をお呼びになったか、まだ本人におっしゃらないのでしょうね」
 司法主任は、それを肯定するようにうなずいた。
「云うにも何も、未だ私等の方で何も云わぬうちに、この有様なのです。はじめから相川一人でしゃべりつづけて居るのですよ」
 こう云ってから突然、彼は相川に向かって、語気を強めて訊ねた。
「おい、お前おとといの晩、どこに居た?」
 此の質問は相川にとっては全く意外のものだった。彼は一寸その意味を解するのに苦しんで居るように見えた。
 彼は黙ったまま、ぼんやりと司法主任を見つめて居た。
「お前のかみさんはおとといの夜、うちで殺されたんだよ。だから、おとといお前がどこに居たか、はっきり云えないとお前が危いんだぜ。おとといの朝、上り列車にのった事は判って居るのだ。どこに行っていたのだね。僕等が知りたいのはその点なんだ。それでお前を呼んだのだよ」
 此の言葉をきいた相川の顔を、私は恐らく永久に忘れる事は出来まい。
 それは、描写すべく余りに複雑であり、余りに悲惨であり、つ余りに淋しいものであったからである。
(〈犯罪科学〉昭和五年十一月号発表)





底本:「日本探偵小説全集5 浜尾四郎集」創元推理文庫、東京創元社
   1985(昭和60)年3月29日初版
   1997(平成9)年7月11日5刷
初出:「犯罪科学」
   1930(昭和5)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:はやしだかずこ
2001年2月26日公開
2006年4月7日修正
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●表記について