悪魔の弟子

浜尾四郎





 ××地方裁判所検事土田八郎殿。
 一未決囚徒たる私、即ち島浦英三は、其の旧友にしてかつては兄弟より親しかりし土田検事殿に、此の手紙を送ります。
 検事殿、あなたは私を無論思い出してらるる事でしょうね。仮令たとい他の検事によって取り調べられ、次で予審判事の手に移されてしまった私であっても、あの、世間を騒がした美人殺しの犯人として伝えられ、新聞紙上に其の名をうたわれたに違いない以上、同じ裁判所に居るあなたが、今度の事件に就て私の名を見ない筈はなく、又聞かない筈もありません。
 しあなたが私に会ってくれたなら、恐らく此の手紙をあなたに書く必要はなかったかも知れません。私は私の旧友が、今私の収容されて居る刑務所が属して居る裁判所に居る事を、もっと早く思い出したなら、或いはこんなに永く苦しまなくてもよかったかも知れないのです。そうして恐らく私は、ここに書こうとする恐ろしい奇怪な経験を、もっともっと早く述べる事が出来たに違いないのです。
 土田検事殿、私は殺人犯人としてここに収容されて居ます。然し多分私は実は其の犯人ではありません。そうです。多分です。私は斯う云わなければならないのを悲しみます。
 私は斯ういう不思議な言い現わし方をしなければならぬのを遺憾とします。然しこの手紙をおわりまで読んで下されば、必ず私のいう意味を了解されるでしょう。
 私が之から述べようとする恐ろしい事柄は、あなたにまんざら関係なくはないのです。否、あなたこそ私をかくも苦しめた人という事すら出来るのです。そうして又、あなたでなければ私の苦しい気持は、わかってくれないに違いありません。だから私は一方にはあなたを恨みます。呪います。然し同時に私はあなたに嘆願します。すがります。あの何にも比するもののない程こまやかだった友情の名に於て、あなたはどうか私の云う事を信じて下さい。


 土田さん、斯う呼ばして下さい。こう呼んでもいい筈です。
 土田さん、暫く検事という恐ろしい職業意識を離れて、十数年前の過去を回想して下さい。われわれの学生時代を、中学を出て次の難関を突破した頃のあの涙ぐましい感激の時代、寮生生活の時代を回想して下さい。
 われわれは親友でした。或いは親友以上のものだったではありませんか。あなたのいる所必ず私の姿を見、私の行く処には必ずあなたの姿が見られた仲だったではありませんか。寮生は私等二人をパール(一対)とすら名付けていたのです。
 あなたは私より三つ上の兄さんです。其の兄さんが弟を求めたのです。若かった私は、いや寧ろ幼かったとっていい私は、あなたの強い性格に圧せられて、まもなくあなたの無二の弟となったのです。この事は、よもやお忘れではありますまい。
 私は淋しい私を、ほんとうに理解してくれる人がいたと思いました。その上あなたは私を愛してくれました。私はただ一人あなたを兄とも恋人とも感じたのです。
 あなたは私より一年上の級にいました。それ故学校の科目についても常にあなたは私を導いてくれました。あなたは其の上秀才でした。私はあなたを尊敬し、あなたのす所悉く正しいとすら信ずるに至ったのです。
 斯うやって燃えるような友情は、二年間つづきました。私達にとっては異性は何ものでもなかったのです。あなたは二年後私に先達さきだって学校を卒業され、更に最高の学校に入りました。そうしてわれわれの間はどうなったのでしたろうか。
 われわれは突然別れたのです。余りにも突然でした。そうしてそれ以後、お互に殆ど会うことすらなかったのです。土田さん、この原因は無論あなたの側にありました。私より一級下にいた或る美しい青年を、あなたが熱烈に愛しはじめたからにほかなりません。
 あなたは、あなたの移り気の為に振り捨てた弟が、あれから以後どんな気持でいたかお考えになった事がありますか。
 あれ程迄に愛し合い、理解し合ったと思っていた間柄です。二人の友情は永遠だと信じていた私です。無論私はあなたに顧みられなくなってから暫くは、ただ淋しさに襲われるより外はなかったのです。
 私は淋しさの中に自分を省みました。其処にはっきりと自身を見つめました。自身をはっきりと見い出した私は、あなたを心から恨み呪うより外なかったのです。
 自惚れの強いあなたは、ただ斯う云っただけではこの言葉をきっと、自分に都合よく解釈されるに違いありません。
 あなたは愛する男に捨てられて、その男の無情を恨む女の姿を想像して、あなた特有の悪魔的微笑をなさるにちがいありません。ところがそう思ってはいけませんよ、私があなたを恨む理由は全然他にあるのですから。
 成程われわれは一種の恋人同士だったでしょう。そうして私は其の恋人に捨てられたに違いありません。しかし捨てられてあなたから離れた私は、自身を見つめる事が出来たと同時に、あなた自身を全部見透してしまったのです。
 土田さん。一言でいいます。あなたはこの世に於て、最も危険な人間です。
 あなたは悪魔です。人の肉を食っただけではあきたらず、其の魂までも地獄に堕さねばやまぬ恐ろしい悪魔です。
 あなたは秀才でした。稀に見る明晰な頭脳の所有者でした。(そして恐らく今でもそうでしょう)然しあなたは、其の頭脳とあの雄弁とを以て、あなたに近付いた若人達に何を為し、何を教えましたか。あなたは、少くとも私を、私の性格をどう変じたか、一度でも考えたことがありますか。
 あなたは感激を以て語り、涙を以て説きました。如何なる不合理もあなたの口にかかると合理的に聞えました。如何なる詭弁も立派な論理に聞えました。然し畢竟ひっきょうそれは何だったでしょう。ただあなたの周囲に寄る純潔な魂を堕落させるのみだったではありませんか。
 私がはじめてあなたに会った時、私は全くの、汚れぬ少年でした。あなたと別れた時、ああ、既に悪魔の弟子だったのです。
 あなたはよく云いました。
「人生は薔薇を以てまきちらされた道ではない。戦いだ、戦わねばならぬ」と。
 然しあなたを刺戟して居たものは戦いではなくて実は破壊です。破壊慾です。凡てのものを破壊して喜ぶのです。あなたを慕う若者を、苦しめ、悩まし、揚句にはそれを堕落させなければ気がすまないのです。それで居てあなた自身は決して堕落して居ないのです。それが恐ろしいのです。危険なのです。
 例えて言えば、あなたは酒の味を知らぬ少年に酒を飲ませて苦しめ、苦しむ様をただ眺めていたいのです。而もそれだけではありません。その上少年が飲酒の悪習に染んで堕落して行くのを見て喜びたい人なのです。そのくせ、あなた自身は決して酒盃を手にしないのです。
 若しあなたが、酒を飲み女を買う不良青年だったら、此の危険は却って無かったかも知れません。何故ならば凡ての人々があなたを軽蔑したでしょうから。ところがあなたはともかく品行方正と云われ(尤もあなたが女に近付かない理由は決して道徳的のものではありません)その上秀才と云われて居ました。其処にこの危険があったのです。何も知らぬ善良な少年は皆あなたを信じました。あなたの弟子となりました。その人達は一体どうなったでしょう。土田さん、私は私以外のあなたに愛された青年を知っています。そうしてその人がどうなっているかも知っています。
 私は、知識を得て魂を売りました。私はあなたの変った恋愛の為にからだを犠牲にしたことはなお忍ぶとしますが、魂を売ったことを思うと口惜しくてたまらないのです。
 土田さん、私は恨み言をくどくどと云いすぎたように思います。こんな事を云って居れば限りがありません。私が此の手紙をあなたに書き出した目的は、さきにも一寸申した通りあなたを責めるばかりではないのですから、早く目的に入りましょう。


 責める為ではないのですが、一つだけはっきりと申しておかねばならぬ事があります。それは私があなたに依って如何に性格を変えられたか、と云うことです。
 私がはじめてあの校庭であなたに会った頃、私は弱い、虫も殺さぬ少年でした。ところがそれからあなたは私にあう度に、しきりにいろいろな恐ろしい話をしたことをおぼえているでしょう。元来ならば私には、恐怖とか怪奇とか犯罪、などという事は極めて興味のないものだった筈なのです。
 あなたがそれを極端に好んで居るからというところから、しきりに私にその方面の文学や知識を紹介されました。今から思えば、私にそういう自分の趣味を強いて私に毒酒を呑ませること自身が既にあなたの趣味だったのでしょう。けれども私は何も知らずにただあなたの云うことを信じていたわけなのです。
 あの当時は、恐怖や犯罪についての書物も今ほど訳されてはいませんでした。従ってわれわれは、若しそれを知ろうとするならばどうしても原書にるより他方法はなかったのです。あなたは私が当時全く知らなかったポーやドイルやフリーマンや、又はクラフトエビングなどの本を何処からかたずさえ来って語学の勉強の為、という名目のもとに私にその多くを紹介したではありませんか。しかも同時にあなたはカーペンターを説き、ホイットマンを語り、モンテーヌを紹介しました。このようにしてあらゆる武器を以て責めぬかれた私は、あなたに依って悪魔の哲学を建設せしめられ、犯罪、怪異に対する刺戟を受け、同時に私はあなたの弄びものとなって居たのでした。
 土田さん、私こそ確かに犠牲者の一人です。そうして私はあなたの聡明と熱情と用意周到と、そうして或る場合の驚くべき冷静さをもたなかったために、美事に人生の罠にひっかかってしまったのです。
 お歓びなさい。私はさんざんあなたの玩弄物になった上、今又この刑務所で苦しんでいます。然るに、其の師たるあなたはその才能と叡智とをもって、流石さすがに少しのつまずきもなく人生を進んで行かれました。私はあなたを心から尊敬し驚嘆します。と同時に、あなたのような危険な人間を如何ともすることの出来ない国家の法律というもののはかなさを思わないわけには行きません。
 あなたは検事であり、私は罪人です。何と適当な役目をお互にもっていることでしょう。とまれ、あなたも私も、終生犯罪というものと無関係では行かれない人間なのです。
 くどくも繰り返したこの非難によって、私が此の犯罪の物語を特にあなたにおしらせする第一の意味はお判りになったでしょうね。私はあの少年時代に、若しあなたに会わなかったら、今こんな所にはいっていなかったに違いないのです。あなたは私に、犯罪を教えた人ではありません。あなたは私に犯罪人たる性格を与えて下さった方なのです。之が私の第一に申したかったことです。
 次にもう一つあなたに思い出してもらい度い事は、われわれがあの熱い友情を語ったあの秋の夜のこと、あなたも多分おぼえておられるでしょう。私の記憶が正しいとすれば、あの頃は、学年の始りはたしか九月だった筈です。入学まもない私は、入学試験勉強にさんざん頭を悩ました結果か、やや神経衰弱のようになっておりました。
 ことには慣れない寮生活の事です、私は毎夜殆ど眠ることが出来ませんでした。私は苦しい気もちで、毎日教室に出ていたのです。
 丁度十月十日の夜です。其の夜も私はどうしても眠れぬ為、夜半の二時頃、校庭におりたったのでした。暗い校庭の秋草の中にふと私は人影を見い出しました。
 それがあなたでした。
 あなたと私とはそれ迄、一回も話しをした事はありません。然し、夜半の二時頃、二人の寮生が秋草茂る校庭に立った時、そこに何かの会話が行われることは決して不思議ではないのです。極めて自然にわれわれは話をしました。私が第一にあなたに云ったのは、自分がこの一ヶ月程眠れずに苦しい夜半をあかしていることでした。するとあなたは、この私の言葉に非常に動かされました。あなたはもう其の時二年も前から常に不眠症にかかっておられたのです。暗い空の下で二人の会話は眠られぬ夜のことにむけられ、話はこれから進み、二人はだんだん親しみ得られたのです。あの夜明け頃にはわれわれ二人は完全に美しき友情を以て結びつけられていたのでした。
 然るに不幸なことに私は其の苦しい病気まであなたに似て来たのです。私はあなたにあう度に自分の苦しみを訴えました。ブロームラール、アダリン、ヴェロナール等と云う名を、私は其の頃から知りました。そうして常用することをおぼえました。勿論之もあなたの指導によるものです。
 この教育は結果に於てやはり甚しく呪うべきものを生みましたけれども(それは後に書きます)然し、之はあなたのいつもの教育とは違って、あなた自身もたしかに其の犠牲になっておられたようでした。最近に到って、私は或る友人から聞いたのですが、あなたは、今は恐るべき多量の劇薬を呑まなければ毎夜眠られないそうですね。其の苦しみです。私が特にあなたに知ってもらいたいのは。
 土田さん、私が何故こんな薬の話をはじめたか、無論お判りでしょう。私の知っている限りでは、この私が情婦石原すえ子を多量の劇薬(これは催眠薬です)を以て殺した、という理由のもとに、私はこの刑務所に今もつながれているわけなのですから。
 さて、あなたにあらかじめ知っておいて頂きたい事情だけは一応書きつくしました。私の行った犯罪と、行わなかった犯罪に就いてこれから書いて行こうと思います。あなたは私が嘘を云わぬ事を知っている筈です。も一度あの友情の名に於てよびかけます。どうか私を信じて下さい。


 私は順序として、先ず私があなたと別れた頃からの事をお話しなければなりません。先にも申した通りわれわれのあの熱き友情は、あなたが大学に入学せられると同時に、突然絶えてしまったのです。当時私は二十歳で、あなたが二十二歳であった筈です。
 あなたが、私よりも若い或る美しい少年に心を移してしまってから、私は一時全く淋しさの真只中にいる自身を見い出しました。同時に、さきに述べた通り、既にあなたの魂を吹き込まれた自分自身を発見したのです。
 あの年のやはり秋です。私が、石原すえ子という美しい女と知合しりあいになったのは。
 土田さん、凡ての点に於てあなたの弟子となったにもかかわらず、情緒だけは私はあなたのそれをその儘に受け入れなかったものと見えます。私はすえ子に対して、熱烈な恋を感じたのでした。
 他人の恋物語をきくという事は大して面白くないものです。殊に、異性に対して全く興味をもたず、又センチメンタリズムの大嫌いなあなたには、失恋物語は特に面白くないでしょう。だから私は、出来るだけ簡単に話の筋道だけを書いて行きます。
 当時すえ子は私より二つ下の十八歳でした。そうして××女学校の生徒だったのです。私が彼女をはじめて見たのは上野の音楽学校の講堂ででした。あなたはおぼえて居られるでしょう。あの当時、上野に毎土曜日に開かれた音楽会が、東京に於ける殆ど唯一の権威ある音楽会でした。尤も、この他に或る有名な大名華族がパトロンとなってやって居た音楽会があった筈ですが、貴族に極端の反感をもって居たあなたは、私に一回もそれを紹介してくれた事はありません。
 すえ子も私もあの土曜演奏会の忠実な聴衆でした。皆勤者だったわけです。私が如何にして彼女を知ったかということを今更くだくだしく云うことはやめましょう。其の秋から、かつてはあなたと私との愛を語りあった上野のもりは、今度は私とすえ子の愛を語るところとなったのでした。はじめて異性を愛することを知った私は凡てを捧げて彼女を愛しました。彼女も亦、私に少からぬ好意をもっていたらしかったのです。
 若し此の恋が幸福に進んで行ったならば、或いは私はあなたから受けたあの恐ろしい毒蛇の毒を、消し得たかも知れません、あなたが全然知ることの出来ない女性の美しさ、尊さを知っている私には、すえ子はたしかに救いの神だったに違いありません。
 然るに、この恋は実に不幸な終りを告げたのでした。而もこの不幸は案外早く来ました。既に其の年の暮、すえ子には未来の夫が定められてしまったのです。
 それがすえ子の意志であろうとなかろうと、どうなりましょう、すえ子は当時、親の為に犠牲になるようなことを云っていたのですが、勿論私にはそれがどうであろうと全然関係のなかったことです。要はすえ子が私以外のものを夫にめた、という点にあるのです。私は怒りました。悲しみました。そうして女性を呪いました。土田さん、此の時あなたの今まで云われた言葉が又々私に働きかけました。私は凡ての女を呪ったのです。
 それから後のことは云うに忍びませぬ。秀才と云われた私は、あらゆる歓楽を追ってちまたをさまよった結果、ついには寮生の面目に関するとあってひどい制裁さえ加えられるようになりました。しかしそれが何です。私の苦しみを理解しない友人の忠告が何の価値があるでしょう。二十一歳になった春、私はとうとう学校をふりすてなければならなくなってしまったのでした。
 今まであなたのお蔭で秀才と云われ、又品行方正といわれていた私の変り方があまりに烈しい為、私を信用していてくれた或る教師は、一時休学して是非学校をつづけるように忠告してくれました。然し私にはそんな考えは絶対にありませんでした。私は決然として、あのあこがれの二条の白線の帽子を地に投げすて、校門を出たのでした。人は花見に浮れ、全寮の桜花はまさに春風に燃えながら散り狂う頃でありました。
 故郷の親は突然の私の行動に驚いて、泣いて反省を求めましたが、私には最早何の未練もなかったので、再び学問をする気には全くなれませんでした。遂に親は怒って自分の手許に私を呼び返そうとしました。然し一旦、あなたの悪魔の哲学を教えられた私に、どうして土臭い故郷の土が踏めましょうか。私は断然之を断って、此の広い大東京の中をただあてどもなく暮しまわったのでした。
 それから数年の間、私はあらゆる職業に身を投じました。或る時は雑誌屋にやとわれて飜訳の手伝いをしました。或る時は、活動写真館に傭われてプロを作る役目をひき受けました。かくして私は、東京の隅から隅へとうろつき歩いたのです。
 この間、辛じて私は食うだけのことをしていたのですが、その間にも常に絶やさぬものが二つありました。一つは酒、一つは催眠薬です。酒量が増すと同時に薬の量も増します。殊に私はすえ子を失った傷手を逃れるために、自暴自棄な生活をした結果、夜は殆どただでは眠れません。そうして私が一夜に用いる薬は、既にあの当時、人の倍以上に達してなお足りない有様でした。
 その時から、今年まで又八年程の年月が経ちました。あなたはこの間、絶え間なく用いている薬の分量がどの位増すか、勿論経験に依ってお判りでしょう。一言で云えば、私が最近一夜に呑む催眠剤の量は恐らく、やはり絶間なく使用されているあなたには丁度いいかも知れませぬが、たしかに他人に対しては致命的なものなのです。
 さて、物語をもとに返しますが、すえ子を失った私、校門をとび出した私は、旧友がだんだん出世するのを耳にしながら、ひたすら堕落の淵に沈んで行ったのですが、丁度、今から二年程前に或る女と同棲するようになりました。それが今の私の妻、昨日私に面会をはじめて許されて私を訪ねて来た私の妻――此の面会が私の運命に如何に重大な意味をもちきたしたかは、あとで判ります――その妻の露子であります。
 彼女は勿論教育がある女ではありません。実は場末のカフェーにつとめていた女です。此の女も私より二つ下なのですが、私が飲みに行っている間につい懇意になってしまったのです。露子は私を愛しました。私が露子に恋したのではありません。彼女は実に忠実でした。親切でした。それで遂に二年前彼女を妻ときめて同棲するようになったのです。此の結婚は愛をもって(少くも私の側から)成ったのではありません。彼女の忠実と親切と、そして彼女の肉体と彼女のためていた小金が私に必要だったためです。土田さん、私はこんなことを恥もなく云います。私は小悪魔でした。しかし私一人を成長させんが為には、女の一人や二人は犠牲にしてもかまわないじゃありませんか。
 親のない露子は、頼る者とては私一人だったのです。彼女は私の妻となってからも、至って従順で、貞淑で、善良でした。私が酒を飲み、女を買って帰っても一言の文句も云い得ない彼女です。こういう愛すべき彼女を妻として、私にはやっと平和な時が来たと思われました。


 よき妻を得て約半年、私には割に平和な日が続きました。ただ其の間に故郷の父に死なれた以外には。
 流石に父の危篤という報を得た時は急いで国へ帰ったのでしたが、私の到着するのを待たず父は逝ってしまいました。之で相続人たる私には、僅かながらも夫婦が暮して行けるだけの財産が手に入ったので、私は再び上京したのでした。
 私はそれから、以前勤めていた或る雑誌社に又雇われて、外国語の飜訳をしながら少々ばかりの収入を得ていたのです。私は其の当時から現在の所で、郊外の小さな家を借りて暮していたのでした。
 斯うやって表向きは此の若い夫婦は、無事に平和に世を送って行かれそうに見えたのです。又私自身にしろ、そう思っていたのでした。
 然し、ああ、それは全くの空想でした。私は自分が悪魔の弟子であることを忘れていたのでした。
 丁度半年ほど過ぎてから、私は何となく自分の妻に対し不満をもちはじめました。もとより惚れて女房にしたわけではないのですから、私は妻をひどく好いていたわけではないのですが、然し憎む気などはさらさら無かったのです。
 ところが、同棲して暫くたつと、妻が鼻について堪らなくなってきたのです。新婚の夫婦が、はじめ仲がよかったのにも拘らず、だんだんお互に鼻について来るということは、世の中にはざらにある例で、少しも不思議はないと思われるでしょう。けれども私の場合はそれとは全然意味が違うのです。
 先にも申した通り、露子は妻としては実に貞淑で、従順で、善良なのです。ところが、一番、私がたまらなくなり出したのは、其の貞淑、従順、善良、そのものなのでした。私は露子がおとなしいのが憎くなって来たのです。貞淑なのが癪に触りはじめて来たのです。彼女の善良さは何ものにも増して私をたけり狂わせはじめて来たのです。
 私はこの時、あなたによって蒔かれた種が、私の心の中でいよいよ成長しはじめたのを感じました。私は自分で恐ろしくなりました。どうにかしなければならぬと感じました。然しどうして此の不思議な苦悩から逃れられるでしょう。
 土田さん、私は異性に興味をもたぬあなたは、無論今でも独身で居られることと信じます。従って、いとわしい妻をもつ夫の苦悩がどんなものだかと云うことについては、全く想像がつかないかも知れません。けれども、世の常識に従えば、とり立てて云える欠点のない人間、いや却って美点をもっている人間が、たまらなく憎い気持は、私の師たるあなたには無論お判りでしょう。
 私は妻を捨てようとしました。けれど露子は私からどうしても去らないのです。外にすきな女が出来たのならつれて来てもいい、女中としてでも側にいたい、と云ってきかないのです。口で云って追い出すことの出来ぬのが明かになってから、私はあらゆる方法をとって彼女が自身で出てくれるように試みて見ました。しかし之も全く無効に終りました。彼女に対する肉体的、精神的の虐待も何の効果もありません。否、彼女は一歩一歩と私に食い入り、すがりついて来ます。私はもはや彼女の側にいるのがたまらなくなって来たのです。
 若し彼女が、今少し不貞であり、我儘であって、私に反抗を見せたなら、或いは却って私をしてああ迄たけりたてさせなかったかも知れません。然し露子はあくまで貞淑で従順でした。たとえば、私が黙って三日も四日も家をあけて帰って来ても一言の文句すら云わないのです。云わずに其の夜、床を並べてから、頭を下げてひたすらに私に愛を求めるのです。私は其のいじらしい妻の姿を見ていると、何とも知れぬ不快に襲われて、今にも露子をずたずたに引き裂いて食ってやりたいような憎しみを感ずるのです。嵐のひどい夜にわざと用を作って使に出しても、いやな顔すらしないのです。私は余りの事にたまらなくなって、露子の横面をぴしゃりと殴ってやりました。それでもただ露子は、泣いて嘆願するばかりです。
 私は妻の身体と精神とをあらゆる方法を以てなぐさみものにし、玩弄物としました。そうして何とかして彼女にあきらめさせようと努力したのでしたが、どうしても駄目でした。しまいには私も妻を苦しめぬいた揚句、自分自身までがたまらなくなり、却って妻の生霊いきりょうに憑かれているのではないかとすら、思うようになったのです。
 土田さん、若しあなたが私の立場だったら、その明晰な頭脳を以て、もっとよくこの境遇からぬけ出られたにちがいありません。然し天賦に恵まれぬ私は、ひどく散文的な方法でしかこの境遇からぬけ出る道を見い出せなかったのです。それはたった一つの道でした。即ち、死です。死ぬことです。而もわれわれの哲学に従えば、彼女が殺されることです。私は彼女が夜半に、私にすてられたら死ぬ、とよく云った時、「いっそ死んで見たらどうか」と屡々云ってやったことがありました。然しその当時は、ただ彼女を苦しめる為に云ったので、決してそれが実現されるとは思っていなかったのでした。
 ところがだんだん日がたつにつれて私は真面目にこのことを考えはじめました。私は露子が死んでいる所を想像しました。病死の場合、自殺の場合、殺されている場合――私は相変らず眠られぬ夜のなぐさみとしての、之等の光景を頭に想像して見ました。
 傍にすやすやと眠っているいじらしい露子の寝息をききながら、如何に多くの夜をこういう悪魔的想像に耽ったことでしょう。そうして今となってはただ死ぬか、殺されることによってのみ私に満足を与えることの出来る露子の寝顔をほほえみながら眺めるのでした。
 どうです。土田さん、私は立派にあなたの魂をうけついだと云っていいでしょう。


 然しまだ其の当時は、空想に依って私は妻を殺していたに過ぎなかったのです。之を実行に移そうなどという考えは全く頭にはなかったのでした。
 ところが、此処に私にとっては重大な事件が持ち上ったのです。即ち私と石原すえ子との再会です。
 女嫌いのあなたは、私が初恋の女を、憎みながらも永く忘れずに思いつづけていたことをわらうでしょう。けれどそれはあなたと私の性格の相違ですから致し方がありません。私は二十歳の年にすえ子を失っても、いつもいつも彼女のことを思いつづけていたのでした。
 従って、私が方々を流浪しつづけていた間も、彼女がとついださきの有名な実業家のことを常に注意していたので、其の男が、あの関東の大震災の時無残にも圧死し、彼女を除く外、彼女の里のものまで殆ど全部死んでしまったことを知っていたのです。
 しかし、流石に私も男として、自分の方からすえ子を訪ねる気にもならず、又訪ねようにも彼女が何処に住んでいるのかも知らなかったのです。
 ところが昨年の夏も終り近く、私はふと山の手の或る町で彼女と出会でくわしたのでした。私は其の時はじめて、彼女が夫に死に別れて以来、全く淋しく山の手のある町に女中相手に暮しているということ、震災以来、凡てが悲境に向って、彼女の嫁いだ家は勿論、里も全然駄目になってしまったことなどを知ったのでした。
 われわれは再び昔の物語をしました。そうして昔の日に立ち帰りました。私はすえ子を真に愛し、彼女も亦私を愛しました。かくして昨年の秋から冬にかけて熱烈な愛が再びよみ返ったのです。
 私は無論此の事を、妻の露子に語りました。語ったならいくらなんでも妻は私を捨てるだろうと思ったからです。然し之は誤解でした。露子はかねて云っていた通り、私がどんな女をどんなに愛してもいい、ただ自分を捨ててくれるなということをのみ云っていたのでした。
 私はそれをいいことにして、昨年の暮あたりは殆ど家に帰りませんでした。そうしてすえ子の家に入りびたりにはいっていたのでした。
 幸い、すえ子には子供はありませんでした。私が結婚したことをはっきり知らないすえ子に対しては、私は将来必ず夫婦になる約束をしたのです。こうやって何故私がそのまま露子を捨ててしまわなかったかと、お考えになるでしょう。御尤もです、ただ私には露子の生霊が恐ろしかったのです。云いかえれば、露子が生きている限りは、私は彼女から逃れられないと感じていたのです。だから私はどんなに長く家をあけていても、必ずやっぱり家に戻って、いじらしい、然し呪わしい露子の顔を見なければならなかったのです。
 私が愈々妻露子を殺そうと考えたのは今年の二月の事です。一月に妻の身体に異状が起りました、二月になっても其の様子は変りません。露子は妊娠したらしいのです。私のたねを宿したわけです。
 何と不幸な事でしょう。世間の夫なら、否、人間ならば自分の妻が自分のたねを宿した事を心から喜ぶに違いありません。然るに此の私は、妻の妊娠を呪いました。憎い憎い妻が自分のたねを宿したのです。其の自分は、余りによく自己を知って居ます。妻は悪魔の種を腹にもったのです。いとわしい妻が妊娠した、というだけでも恐ろしいことです。而もそれは悪魔の種なのです。私は決心しました。早く妻を殺して此の恐ろしさから逃れよ、と。
 私が妻露子を殺す決意をしたのは、勿論一ツには露子の生霊から逃れたい為でありました。露子が生きて居る限り、私は何処に行っても彼女の生霊から逃れられないのです。そうして妊娠した今、私は露子が生きている限り絶対に自分の運命から逃れられない、若し私が露子から姿をかくしてしまおうものならば、恐らく彼女は無事に子を生むまでは死にますまい。ああ、彼女が呪われた私の子を生むということ! 考えても恐ろしいことです。露子から生れた第二の私は、一生涯私をこの世で追いまわすでしょう。私はどうしても妻に子を生ませてはならない。露子と共に其の腹の子を闇へ葬ってしまわなければならないのです。
 然し同時に私は、露子を殺す興味に駆られて居たことも確かです。決心はきまりました。露子は殺されなければなりません。何時、如何にして彼女を殺すか、之が残された問題です。


 斯う決心して以来、私はすえ子との歓楽に耽って居る時以外の全部の時日を費して殺人の方法を考えました。私はあらゆる本をあさって人を殺すすべを考えはじめました。私はあなたが高等学校時代に私に教えてくれた凡ての本を又よみ返しました。如何にしたら最も巧妙に殺人を行い得るかという事を研究したのです。
 其の研究の第一歩に於て、私は人間は良心を捨てなければいけないという大きな前提に逢着しました。犯罪史をひもといて、犯罪の暴露の経過を見ると、犯人にとって最も危険なのは彼自身の良心です。彼等は勇敢に犯行をなすに不拘かかわらず、犯行後極めて臆病です。若し彼等が、犯罪を行った時と同様の図々しさをもって居たなら、恐らくは彼等の犯罪が発見しなかったであろう事は、多くの犯罪事実の示す所です。
 ところで此の点に就いては私は甚しく楽観的でした。私は悪魔の子です。私は良心というものを殆ど失っている筈です。而もどの程度に失っているかという事は実際、殺人をやった上でなければ畢竟ひっきょう判らない問題です。従って之について余りに頭を悩ますのは愚である事を悟りました。ともかく勇敢に行え、その上犯行後に於ては更に勇敢なれ、と自分で自分に命じたのです。
 次は殺人の方法です。之が最も重要な問題でした。
 一部の殺人者や探偵小説に出て来る犯人は、死体の始末に就いて非常な苦心をして居ります。私はこの事の愚なることを先ず考えました。ドリヤン・グレーが画家の死体を始末したような、ああいう薬を手に入れない以上、ここに頭をつかうのは極めて愚であることを思いました。死体は死体のままで放置しておいてよい筈です。ただそれが殺人事件である事がわからなければいいのです。而もそれを、積極的に自殺らしく見せかけようとする企てが、極めて危険である事も考えました。之は余程注意しないと藪蛇になります。だから殺人事件ではない、という断案だけを下せる程度に止めておかねばなりません。
 次に、妻を殺すには何処が最もよいか、という問題です。私はいろいろの研究の結果、家庭が一番安全だという結論に達しました。妻をことさらに連れ出して殺すということは極めて危険です。日常の住居たる家の中が一番たしかだということは云うまでもありません。
 そこで最後に、最も理想的な殺人方法は、仮りに第一の試みに失敗しても、決して被害者にはさとられぬものでなければならないのです。第一歩で失敗したら何食わぬ顔をして第二歩を待つのです。第二歩でやりそこなったら更に第三歩の機会を狙うのです。斯の如くにして遂に目的に達するまで、幾度でもくり返すのです。
 斯の如き方法が果して有り得るでしょうか。こういう事にかけては殆ど天才といっていいあなたは、若しあなたが私の立場に立っていたとしたら、必ず執られたであろう絶好の方法に早くも気が付いておられるに違いありませぬ。
 けれど私は手近にある此の理想的な方法に気が付かなかったのです。
 斯くして今年の二月も終り三月も半ばとなってしまったのでした。
 此の間私は十日目に一度露子のもとに帰るだけで他は殆どすえ子と起居を共にしていました。しまいには手まわりの品物などすえ子の家へ備えつけて暮していたのです。
 しかしながら遂に機会は来ました。而も意外にも露子を殺す方法は、露子の口から一種の暗示となって現われたのでした。


 それは丁度三月の二十五日の事です。私は久し振ですえ子の所から妻の家に戻って来たのでした。露子はどう考えていたかわかりませぬが、不相変あいかわらず少しも不平らしい言葉も出さず私を迎えました。久し振で露子と差し向いになってまずい夕飯をすませた私は、不相変、殺人研究の本を読み耽っていたのです。
 私は此の頃は、絶対に夜半でなければ眠れないので、露子には十一時頃にさきに眠るように命じました。露子はいつもの通り私には絶対服従なので黙ってさきに床をとり、私に挨拶して、いじらしくも黙々として床に入ったのでした。
 夜の一時頃、私は平生の通り、強烈な催眠薬を呑んで床に入りますと、暫くして、側にねていた筈の露子がしくしくと泣きはじめたのです。又例の嘆願かと思うと私は嫌な感じがして黙っていますと、突然露子は、私に話しかけました。
「あなた、私このごろどうしても夜、眠られないんですの、ゆうべなんかまるで眠れなかったのに、今夜もまだちっとも眠くないの」
 私はただぶっきら棒に、
「そうか」と云ったきり話をつづけようともしませんでした。
 だが、突然さきに露子の云った「私、このごろ夜ちっとも眠られないんですの」という言葉を思い出した時、電光の如く素晴しい思い付が胸に浮んだのです。
「そうだ」
 私は思わず闇の中で叫びました。
 これだ、これだ、俺が今まで考えに考え、工夫に工夫し抜いた手段は、此の言葉を利用するにある。
 よし、お前の生命も明日一日だ、お前の苦しみも明日一日だ。明日の夜から、楽にしてやるぞ!
 ここで私は、私がどの程度の劇薬をのまねば眠れないか、又如何にして其の薬を手に入れているかを語らねばなりません。
 しかし恐らくこれはあなたの現在と殆ど違うまいと思われるのです。
 申すまでもなく、あなたも恐らくそうでしょうが、私はもはや一般の売薬業者が一般に売ってくれる程度の催眠剤ではすこしも眠りはとれないのです。カルモチンで自殺が出来るなどというのが、自分には滑稽に聞える位です。
 あれも駄目、之もだめ、という結果、二年ばかり前に私はある有名な医者の所を訪れたのでした。其の人は私に対してある粉末の催眠剤を処方してくれました。ところが其の専門家の説によれば、患者が薬の内容を知っているという事は既に、斯の如き(不眠症の如き)場合には、非常にきき目が薄くなるものである、という理由からして内容を絶対に私に知らせずに、特に近所の薬剤師に与えてくれたものだったのです。
 ただ一寸聞いた所によれば、云わば催眠薬のカクテールのようなもので、種々な薬が調合されてあるらしいのです。そこで私ははじめの中は、その薬局から忠実に三日分ずつを貰って之を用いていたわけなのです。
 しかし、不眠症にかけては先輩であるあなたは、恐らく薬局と患者との関係がこのままではすまない事を推察なさるでしょう。
 半年ばかり経つうちに一日の量はようやく効力を薄めて来ました。私は焦慮しました。ためしに二日分一度にのんで見ました。非常にいい結果です。しかし一日早く薬局にとりに行く口実を何と申したらよいでしょう。
 斯ういう患者が得てして用いる手です。恐らくあなたも此の経験はあるでしょう。
「一包こぼしてしまってなくなったから」
 斯う云ったような口実で初めは巧みに薬局を欺きました。二度目には此の手はききません。
「一週間ばかり旅行に出るから」
 こういう理由で又もらいます。そうして自分は一度に二日分もしくは二日分半を用いはじめます。否、用いなければ、眠れないのです。
 薬局だとて営業です。それにいつもとりつけている患者の家ですから、大抵信用して来ます。しまいには十日分が三日毎になくなっても別段抗議を云っては来ません。こうやって私の一夜に用いる劇薬の量は恐るべき量に達しました。
 殊に其の頃になると患者は、常に余分の量を家に貯えておかぬと不安で不安でたまらなくなるのです。私が毎月その薬局に支払う劇薬の金が大きくなるにつれて、私の頭はいよいよ多量の催眠薬を必要とするようになりました。
 殊に昨年の秋以来、すえ子の所で暮すようになってからは、私はそちらの方にも備えつける必要を感じはじめました。絶対の信用を薬局からもたれている私は、しまいには二本の小さい罎にその白い劇薬を一杯入れてもらって、一つは家、一本はすえ子の所におきつけて、自分自身、茶さじで三杯、四杯と勝手に呑むようになったのです。
 土田さん、あなたも益々量を増しているそうですね。行く先どうなるか、流石賢明なあなたも考えられないと見えます。
 斯の如くにして、私がこのごろ用いている薬の量は、二年前に医者に与えられた一日分の殆んど十倍にも当っているのです。私が二年前に処方された一日分の催眠薬の量が、既に常人の用いる数倍の強さです。その十倍です。之がかよわい、妊娠した女にどんな効果を与えるでしょう。
 私はそこを考えました。
 若し露子に呑ませて殺し得ないにしても、恐らく致命的な現象を惹起じゃっきするに違いない。そして呑ませる方法は至極簡単です。薬に恐らく知識のない露子は、彼女の面前で私が自身或る量を呑んで見せれば、無論安心して自分も呑むに違いない。これは極めて自然の方法でわけのないことです。
 そうして若し、嘔吐はくか何かして目的を達しないでも、私自身がそれだけ呑んでおり、その時も呑んで見せるのですから、彼女に些かなりとも疑をおこされる憂はないわけです。即ち万一失敗した場合に於ても、危険はないのです。そうして首尾よく目的を達した時には、彼女が誤って多量に呑んだという推察しか下せないのです。仮令、私が、すえ子という情婦をもち、妻を殺しそうな情況にあるとしても、私が妻に故意に呑ませたという証拠を誰が挙げることが出来るでしょう。そうなればもはや良心の問題です。私が一応取り調べられても、あくまでも否認すればそれで逃れるわけです。
 私のプランは立派に立ちました。今や実行にかかるばかりです。


「明日は妻を殺す」という異常な亢奮こうふんの為に、二十五日の夜は殆ど一睡もせずにあかしました。あくれば二十六日です。朝のうち、私はいそいですえ子の所に行きました。その日はすえ子の所に泊れませんから、せめて昼間、顔だけでもみようと思ったからです。
 すえ子のなつかしい顔を見てから、ひる過に帰ろうとしますと、突然彼女が云いました。
「あら、もう今日はお帰り? 泊ってって下さらない? 私、このごろ夜眠られなくて困っているのよ」
 私はぎょっとしました。この不思議な一致に驚いたのです。しかし私はどうしても今日は仕事の都合で帰らねばならない、と云ってすえ子の許を辞したのでした。今から思えば之がすえ子と私との永久の別れだったのです。
 私がひるすぎに、帰って来たので、もう又暫くは帰ってはくれまいと思って居た露子は、さすがにひどく喜んだようすで私を迎えました。
 私も、之が此の世での別れだと思いますから、出来るだけ彼女にやさしく親切にしてやりました。
 斯くして呪うべき三月二十六日の夜が来たのでした。
 私は出来るだけの用意周到さを以て事をはかりました。私は医者ではありませんからよくわかりませんが、自分の経験で催眠薬が、空胃の時の方が一層効くという事を知っていました。
 夕食の時妻に、
「お前、余り食べると夜眠れないんだぜ」
 と注意してやったので、この親切に感じたか、露子は一杯の飯しか食べませんでした。
 いよいよ夜は来ました。実行すべき時です。
 私は其の時も、どの程度に薬をのませたら最もたしかであるかという事をなお考えていたのです。然し結局薬については知識のない私には、(仮りにあったとしても、現在自分の呑んでいる薬が何であるかを知らないのですから、結論に達しよう筈はないのですが)大体の見当よりつきませんでした。それで先ず私はいつも自分が呑んでいるだけ、即ち私にとって十日分――茶さじに五杯――を呑ませることに決心しました。
 丁度夜の十時半頃でした。
「お前眠れないそうだが、俺の呑む薬をのんで見ないか、俺も今のむから、お前もお呑み」
 出来るだけ自然にこの言葉を発したのです。
「はい」
 従順な露子は床をとりながら返事をしました。
「しめた、これでいい」
 とこをとり終った露子が火鉢を隔てて私と対した時、私は例の罎を取り出しながら、先ず自分で茶さじに五杯だけいきなり粉末を呑んで見せました。然し、流石の私もこのように亢奮している夜に、これで眠れる自信がなかったので、更に一さじのみ終ってから、紙を出して露子に丁度五さじの薬を与えました。露子は黙って其の薬を見ていましたが、その時ふと私にある思い付が浮んだのでした。
 今から思えば、あの時のあの思いつきこそ私にとって大破綻をかもすことになったのでしたが、其の時は自身素ばらしい思い付であると考えたのです。
 それは斯ういうことです。私が薬をのんでねてしまった後まで、妻がおきていたということをそれとなく誰かに知らせておくのです。さすれば私が露子に薬をのましたという万一の疑がおこった場合に、必ず有利になって来るわけです。私はいきなり、
「ねえ、近江屋へ行ってエーアシップを三つ買って来てくれないか」とこう云ったのです。
 近江屋というのはうちから二丁ほど離れた所にある煙草屋です。そこにはいつも必ず主人が店にいる筈なのです。その主人は私の碁敵で、いつもよくひまの時烏鷺うろを戦わせていたのです。それで大抵の場合、私自身が煙草を買いに行きつけていたのです。だから今もし露子が買いに行ったならば、主人はお世辞に、
「旦那は今日はどうなさったんですか」位のことは云うにきまっているのです。そうすれば露子は、
「今晩はもうやすみました」
 と必ず答えるにきまっています。後になってもし私が調べられても、近江屋の主人は妻が私よりも後に寝た事を立証してくれるでしょう。そうすれば、妻が恐らく誤って多量に薬を呑んだという事になるでしょう。私は実にすばらしい思い付だと思ったのです。
 私に此の用を命ぜられた時の露子は、不相変従順でした、彼女は与えられた粉薬を紙につつんで之を折りたたんで帯の間に一寸入れました。私は執拗に其の薬を眺めていたのです。もう一寸たてばあれが露子の胃の中にはいるのだ、そして万事は終るのだ、人間なんてなんと云っても脆いものだな、とこんなことを考えながら、半分帯の間から顔を出して居るあの恐ろしい薬の紙包を見ていたのでした。
 露子はやがて立ち上って台所の方から煙草を求めに出て行きました。
 私はその間に寝室に入って自分の床にはいりました。側には妻の寝床が其のぬしを待っています。此の寝床は明日は死体をのせていることだろうと考えながら。
 私は床の中で露子が帰るのを待っていました。所が、自身大分薬がきいて来たのに気がつきました。堪らなく眠くなって来ます。今日は今までになく多量にのんだのでした。お負けに私は、さすがに食慾が出なかったため、余り夕飯をとらなかったので自分もひどく空腹なのでした。私は妻が帰って台所の戸口をがたぴしと戸じまりをしているのをかすかにききながら、深い眠りに陥ったと見えます。
 何時間眠ったか判れません、不意に目がさめました。はじめはただ何となく重い気分で天井を眺めていました。頭の後が何かでつつまれているような気がします。そうして頭痛を伴っています。之は催眠剤を少し多くのんだ後で必ず起る現象です。
 ふと、腕時計を見ると四時半です。頭をあげると雨戸はすっかり開けてあります。
 私は暫くぼんやりとしていましたが、障子を照らす日ざしを見て、一体之は夕方なのかなと考えました。
 そう思った途端、俄に昨夜の事が頭の中に浮び上りました。
 薬を作ってやった、あれを呑ました筈だ!
 そうだ! 俺は露子を殺そうとした筈だ!
 妻は? 露子は?
 私は側を見廻しました。妻は私と同じ部屋に、床を並べて寝ていた筈です。しかし、露子の姿はおろか、床すらそこにはありません。
 失敗?
 私はがばとはね起きました。そうしていきなり座敷の襖を引き開けたのです。
 そこに私は、台所から今しも出て来たらしい、甲斐甲斐しい女房振りの露子をはっきり認めました。
 彼女の顔はいつものようにやや愁をおびてはいますが、極めて平和で、私を見るといきなり斯う云いました。
「お起きになって? 余りよくおよってらっしゃったから、今まで黙っておいたのよ、あなたもう夕方の五時だわ」
 私は何か云おうとしました。然し舌が乾いて一寸口がきけませんでした。
「お前……お前ゆうべは眠られたかい?」
「いいえ、余りよく眠れなかったの」
「だって薬をのんだんだろう」
「ええ、のむことはのんだんだけど」
「なにかい……あの……俺がやっただけのんだのかい」
「あら、あんなにのんだら死んじまうわよ」
 露子は世にも可愛らしい笑をもらしながら、半ば私の無智を憐れむような表情をしながらこう申しました。
「あなたね、御承知ないようだけど、一体お薬をのみ過ぎるのよ、あなたがずっとお留守の間にね、私ねむられないもんだから、いつもの××薬局にお薬貰いに行ったのよ。あなたのお薬に少しでも手をつけると、きっと又あなたがお怒りになると思ったから、その時いろいろ薬局の人にきいたの。あなたののんでらっしゃる分量を聞いて驚いてたわ。何とかしても少し減らすように、あなたからおっしゃいって云われたわよ。だけど、私うっかりしたことを云うと又叱られるんですもの、ね。それで心配しながら黙ってたの。きのうのお薬ね、私十位に割って一つのんだのよ、皆のんだら死ぬかも知れないわ。だけど、何だかゆうべは気にかかってよく眠れなかったの、あなたは直ぐおよったのね……ああそうそう、ゆうべ買って来たエーアシップはお机の所においてあってよ」
 私はグヮンと頭を打たれたように感じました。おお可憐な露子は、自分が殺されかかったことに気が付かない、自分を殺そうとした恐ろしい夫が前にいることに気が付かないのです。
 土田さん、若し此の事件が此の儘に済んだならば、私の此の殺人未遂――私には法律の知識がありませんから、私の此の行為が、殺人未遂と云うのかどうか知りませんけれど、仮りにそう名付けます――は誰にも知れず事件は寧ろ一場の喜劇として終ったかも知れないのです。
 ところが事実はもっともっと私にとっては恐ろしい径路を取って進行してしまいました。


 露子は薬のことを知っていたのだ、知っていて今迄黙っていたのだ! 俺は露子を殺しそこなった。幸にも俺が考えた方法が完全だったから、露子は自分が殺されようとしたことには気がついてはいない。しかし俺は美事に一杯くったんだ。
 斯う思うと、何も知らない露子を、憐れむ所か、一層露子が憎くて憎くて堪らなくなって来ました。やつ、俺のやったことを知っていて、わざとあんな態度をとっていたのじゃないか知ら、とさえ思われて、今は一時でも露子と顔を合せているのに堪えられなくなりました。
 私は、驚いている露子を尻目にかけて、ねまきを着かえるやいなや、ゆうべ露子が買って来たエーアシップを袂に投げこむと、いかにも憤然といきなり家を飛び出してしまったのでした。
 私の心は焼けるようでした。妻を殺し損った! やつは気がついてはいない、まあよかった、というような気は少しもおこらず、ただ口惜しく、腹が立って腹が立って堪らなかったのです。
 私はどこをどう歩いたかわかりませんが、怪しげなカフェーを二、三軒訪ねて、強烈な酒をあおったことはたしかです。そうして遂にすえ子の家を訪れたのでした。美しい、可愛いすえ子にあう為に。すえ子の家の前に来たのは、もう夜の七時頃だったでしょう。私はのみ過ぎた酒の為に、やや蹌踉そうろう蹣跚まんさんとして歩いていたわけです。
 すえ子の家の前まで来ますと私は異様な状態に気が付きました。いつもなら至極閑散であるべきあたりに自動車が停っています。そうして大勢の人々が其処に動いていました。
 私ははじめ、それがすえ子の家を取りまいているとは気がつかなかったのです。然しいよいよ彼女の家の所に来た時、大勢の人々がその家を取りまいている事を見い出しました。
 私はぎょっとしました。何かしら胸を打ちます。何事か起ったのです。私は格子の前に集まっている人々をつきのけて中に入ろうと試みました。
 私が丁度、入口の格子戸の所に来た時、中から背広を着た男と、巡査らしい制服を着た人とが話しながら出て来ました。私は其の時、背広をきた人が相手に云った言葉をはっきりとおぼえています。
「実に無茶だ。過失だか自殺だか、そりゃあんた方が調べる役だろうが、ともかくあんな強い薬を、罎に入れたまま側においてのむなんて、実に無茶だ。あの茶さじで多分のんだんでしょうが、実に乱暴な事をしたもんさね、無論駄目です、心臓が停っています」
 私は直ちにすえ子の身の上に何か起った事をさとりました。驚く人々をはねのけて、勝手知った座敷の中に飛び込んだのです。
 土田さん、私が其処に何を見い出したか、無論お判りでしょう。
 燃えるような夜具の下に、美しいすえ子は白い彫像のように、眠ったように仆れて居ます。彼女は完全に仰向いて右手を畳の上に出していました。
 我に返った時、私は側に立っている男に胸倉を取られていました。
「君は誰だ?」
「僕はこの女をしってるもんだ」
 こう答えながらも、私はすえ子の死体をなめずるように見入っていたのです。
 私は、考えに考えた殺人の方法の結果をここに見い出したのです。
 私は不思議にもこの時、愛する者を失ったという悲しみは全く感じませんでした。
 ただただ、自分を喜ばす不思議な肉塊を目の前に見たのみです。而も自分が計画に計画した其の結果です。
 こう思うと私は何だかたまらなくなって来ました。胸がむかむかとして来ました。そうして思わず大声で叫びました。
「間違いじゃない? 殺されたんだ。薬をのまされたんだ。そうだ、まちがってのむものか」
 驚いている周囲の者を後にして、この言葉をくり返しくり返し、私はすえ子の家を飛び出してしまいました。

十一


 すえ子は死んだのです。私は愛する人を失ったのです、永遠に!
 私は魂のぬけた人間のようになって其の夜一旦家に帰りました。しかしどうして妻の所におられましょう。此の悩みの多い地上におられましょう。私は呪わしいこの世から少しも早く逃れようと決心しました。
 其の夜、私はたった一人、飯田町駅から列車に身を投じました。私は此の世に最後の別れをつげるため、昔あなたと夏休に旅した木曽の一寒村を目あてに出発したのです。
 それは丁度三月二十七日の夜のことでした。私はたった一人列車に落ち付いてようやく自分を取り戻しました。そうして如何どうしてああいう結果になったか、を考えて見ました。
 推理は至極簡単です。すえ子こそ薬に対する知識が全くなかったのです。彼女は、いつも私が彼女の家で、薬をのむ所を見ていた筈です。無智な彼女は、眠れぬ一人の夜をすごす為、昨夜、私のまねをしてあの強烈な薬をのんだに違いありません。今日になっても夕方になっても起き出でぬ為、女中の小女が驚いて医者にかけつけたのです。それであのさわぎになったに違いないのです。
 私は十数時間、汽車に揺られながらいろいろ考えました。そうして今更、すえ子を永久に失ったという感傷的な気分になってしまったのでした。
 しかし、あの死体となっているすえ子の肉体の不思議な魅力を思い出して、私はくらい汽車の中でいろいろな女の姿や肉体を想像しました。
 私が木曽の×駅に着いたのは二十八日のひる前でした。あなたと二人で行った小さい宿屋に入りました。そうして私は自分の将来を考えたのです。
 あの不思議な偶然の一致! 憎い妻と愛しい女! そうして私はこれからさきいつになったら、ほんとうに眠れるのでしょう。
 私はもはや此の苦しみには堪えられません。私は死ぬか、気狂いにならなければ此の苦しみから逃れられないのです。私は決心しました。三月二十八日を期して此の世から去るか、気狂いになろうと。
 それには私のもっている劇薬が絶好のものです。私は一本の罎を全部のむつもりです。死に得るか、若し失敗してももとの身体でさめる筈はあるまい。こう思いました。
 私は最後に、自分の罪を書き遺しておく決心をしました。そうして其の日一日かかって自分が露子を殺そうとした計画を記したのです。
 夜の十時頃ようやく書き終りました。
 いよいよ薬をのもうという前に、再び私は考えたのです。
 遺書を残すことはいらぬことだ。永遠に知られざる犯罪を残して行くことの方が興味がある。斯う思った私は、今まで書いた遺書を全部焼きすてました、――否、全部焼き捨てたと思ったのです。
 然るに、不幸な偶然が此の時又私を襲ったのです。何分にも心の平静を欠いて居たあの時です。私は全部を焼き捨てた、と思いながら、其の一部が未だ燃えて居なかったのに気が付きませんでした。而も其の一部というのは、露子を殺す決心をしてから其の実行にとりかかる迄の部分です。即ち、
「私は彼女からどうしても逃れようと決心した。どうしても彼女を殺さねばならぬ」
 という所からはじまって、
「彼女は恐らく薬に関しては知識はあるまい、従って私が彼女に之を呑ませても気が付く筈はないのだ」――「私は自分でのんで見せた。彼女は黙って之を見て居た。私は自分で量をはかって彼女に与えた」
 という所で終って居る部分です。
 若し私が彼女という代りに「妻」若くは「露子」と書いたら、之がすえ子の変死に対する殺人の嫌疑の証拠とはならなかったでしょう。私が名を書かなかったために意外な結果をき起したのでした。
 書き終った私は、もって居た一びんの薬をそのまま全部一度に呑みほしました。いとわしい此の世に最後のあいさつをしながら、木曽川の流れを葬いの歌ともききながら。
 土田さん、私がこのまま死に得たら、どんなに私は幸福でしたろう。しかし私の罪業は之だけでは尽きなかったと見えます。

十二


 私は其の時から直ちに滾々こんこんたる眠りに陥りました。何時間眠ったか、何日眠ったかそれは私には全く判りません。私が目をさました時、死ぬような頭痛と嘔き気に襲われながらあたりを見廻した時は、後で考えて見ると、木曽の×駅近くの警察署に居たのでした。
 私がすえ子の所で、怪しい言葉を出してから、役人達は私を追って居たに違いありません。木曽の×村の宿屋は私の長い眠りに驚いて駐在所にでも訴えたのでしょう。
 ともかく私は見知らぬ所で、苦しい眠りからさめたのです。さめてから後の私は実にみじめなものでした。
 あなたは、催眠薬を少しでも呑みすぎた後の不快さを知っておられるでしょう。ところが私は二十日分ももしくはそれ以上の薬を一度に呑んだのです。私が生き甦ったのが不思議な位です。だから私が当時、凡ての記憶力と理解力を全く失っていたと云っても、あなたは少しも不思議には思われないでしょう。
 兎も角私はかような不思議な状態で、魂も何も抜けはてたまま汽車に乗せられました。今から思えば私は東京に送り返されたのでした。
 私はそれ迄何を問われても、何を訊ねられてもはっきり答えませんでした。否、答えられなかったのです。凡てが霧の中を彷徨ほうこうしているような気がして、自分で自分が判らず、極端に云えば、自分が何者であるか、という事すら、はっきり思い出せなかった位なのです。
 こちらへ帰ってからも、暫くの間は医師が私の身体を見ていてくれたようでしたが、生命にも異状がなく、いう事も大丈夫云えると見たか、やがて私は刑事の前に引き出されました。
 私が一番はじめにつきつけられたのは、あの木曽で書いた遺書の数葉の紙でした。
「之にお前、おぼえがあるだろう。之はお前が書いたのだろう」
 私は暫くそれを黙って見つめました。成程自分の字に間違いありませぬ。私はようやくそれを書いた時の有様だけを思い出しました。然しそれ以上の記憶はどうしても呼び起せなかったのです。
「おい、とぼけるなよ」
 と私は刑事に何遍云われた事でしょう。けれども私はとぼけていたのではないのです。当時、否、昨日まで私ははっきりした事実を思い浮べられなかったのです。私はあの強烈な劇薬の為に、思考力と記憶力とを全部もって行かれてしまっていたのでした。
 私は自分の遺書を見せられてから、一人監房の中でいろいろと考えはじめました。すると不意に頭に浮んで来たのがすえ子の、あの食べてもしまいたいような死の姿でした。右手を延ばし、仰向いて床の中に眠ったように仆れていた彼女の姿でした。
 あああの女が死んでいる。俺は殺そうとした。そうだ、薬を呑ませようと考えていたのだった。してみると……
 私の哀れな脳は必死にかけめぐるのでしたが、結局落ち付くところは、彼女を殺したのかも知れないという事だったのです。
 斯う思った私は、おぼろげながらも記憶を辿たどって自分の気もちを語りました。然し何時頃からすえ子を知ったか、何故殺したか、そういう込み入った事に就いては何等答えることが出来ませんでした。
 私があの日、すえ子の家を訪ねた事も立証されたのでしょう。私はいつの間にか予審判事の手に移されてしまったのです。
 しかし、判事に対しても私は今まで以外の詳しいことがどうして云えましょう。私はただ判事の質問に対し、然りとか否とか答えるより外はなかったのです。
 私は自分でも彼女を殺したのか、殺さないのか全くわかりませんでした。
 若し私が、外界にいたとしたら、周囲からの刺戟によって必ずやもっと早く凡てを思い出していたでしょう。ところが私は終日監房の中に入れられています。思い出そうにもその機会さえ与えられなかったのでした。
 然るに昨日、異常な事件が起りました。
 それは妻の露子が、やっと面会を許されて私に会いに来たという事実です。
 信じられぬ事のようですが、私はそれまで妻というものの事を全く思い出して居りませんでした。思い出すことすら出来なかったのです。
 悄然とした露子に相対した時、私はただ何となく不気味な気もちに襲われていたばかりなのでしたが、突然私の目は、彼女の帯の所に釘づけにされました。
 彼女は帯の間に紙を入れています。後から考えれば恐らく彼女は医者に通っていたのでしょうが、其の粉薬の包紙が、帯の間から半分出ているのです。
 電光の如く閃いたものがありました。
 あれだ、あれだ、あの帯だ! あの紙だ!
 私はあれをはっきり見た事がある。たしかに前に見たことがある!
 何時いつ? 何処どこで?
 私は石のようになって、なおもその紙を見つめたのです。
 私は死物狂になって脳漿のうしょうをしぼりました。
 そうだ、私は此の女を殺そうとしたのだ、此の女だ、露子だ、俺の犠牲になる筈だったのは!
 続いてまき起った頭の中の嵐、雷鳴、電光!
 私は一語も露子にものをいわずに、自分の部屋に逃げ戻りました。
 忘れてはいかんぞ、今思い出したことを!
 私は昨日一日、昨夜ゆうべ一夜、凡てを思い出そうと努力したのです。
 土田さん、斯うして、一晩中思い出し考え考え辿ったあとが、今まで書いて来た恐ろしい事実なのです。
 そうです。之こそまちがいのない事実なのです。私は妻を殺そうとしたのです。石原すえ子を殺そうとしたのでもなく、又殺したのでもありません。
 私の考えに従えば、すえ子は過って死んだのです。
 私は凡ての記憶力を回復した時、旧友たるあなたが、丁度此の裁判所の検事局にいることを思い出しました。
 私の今までの話を、信じて下さるのはあなた一人かも知れません。あなたには、此の私のいう言葉に、一つの偽りもないという事が信じられるでしょう。
 仮令、信じられぬような事実であっても事実は事実です。如何ともする事は出来ない筈です。
 さきにも、申した通り、私は早速判事に会って凡ての事情を述べるつもりです。そうしておそらく石原すえ子に対する殺人の嫌疑は晴れるでしょう。晴れなければなりません。
 然し、露子に対する私の法律上の責任は、無論逃れ得ないわけであります、又逃れる気もちもありません。
 永々としるして、あなたの判読を煩わしたことを謝します。土田さん、三たびあなたに、あの友情の名に於てよびかけます。どうか、私を信じて下さい。そうして私の云う事を信じて下さい。
(〈新青年〉昭和四年四月号発表)





底本:「日本探偵小説全集5 浜尾四郎集」創元推理文庫、東京創元社
   1985(昭和60)年3月29日初版
   1993(平成5)年3月5日4刷
底本の親本:「浜尾四郎全集※(ローマ数字1、1-13-21) 殺人小説集」桃源社
   1971(昭和46)年6月
初出:「新青年」
   1929(昭和4)年4月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード