一
紫に明ける大江戸の夏。
七月十四日のことだった。神田明神は
「のう、勘、かれこれ半かの。」
「あいさ、そんなもんでがしょう。」
御門を出たのは暗いうちだったが、
「大分降りやした――気違え雨――四つ半から八つ時まで――どっと落ちて――思い
勘弁勘次はこんなことを呟いて一生懸命水溜りを飛び越えた。藤吉は何か考えていた。
南茅場町の金山寺味噌問屋八州屋の女隠居が両三日
昨夜の大雨に
「なんだ、ありゃあ?」
勘次も
「勘、この
「へえ。」と勘次は
「俺が訊いてるんだ。」
「へえ、上から下まで浚えやした、彦の野郎が
「彦の仕事ならぬかりゃあねえはず。勘、石を抛れ。舟までとどくか。」
橋際へ引き返して拾って来た小石を、勘次は力一杯に投げた。橋と舟との中間に小さな水煙りが立つと見る、その音に驚いてか、たちまち舟から舞い上るおびただしい烏の群、鳴き交す声は
「烏か。」
「あい。」
「小魚でも集りやがったか。」
「あい。」
「勘、冷えるのう。行くべえ。」
歩き出した二人の鼻先に、留守番の筈の
「お、お前は彦、今時分何しにここへ――?」
「親分、お迎えに参りやした。」
と彦兵衛はにやにや笑って、
「へっ、
「え、八州屋って味噌屋か。」
勘次が
「ほかにゃあねえやな。親分、この小僧の駈込みでね、こりゃあこうしちゃいられねえてんで、出先がわかってるから俺あお迎えに、へえ飛び出して来やしたよ。」
藤吉は黙って歩き出した。橋を渡って右へ切れた。茅場町である。堀へついて真一文字に牧野
雨上りの泥道をひたすら急ぐ藤吉の
店に寝ているところをお内儀さんと折柄買出しに来た味噌松とに叩き起されて、藤吉を呼びに八丁堀の合点長屋まで裸足で駈けつけたというほか、主人はいつどうして殺されたのか、小僧には
「やい、味噌松てものがいるのになぜ桜馬場へ訴人しねえ? 勘弁ならねえ。」
いまいましそうに勘次が言った。
「藤吉親分の
「じゃ、これから駒蔵を呼びに走るんだな?」
「いえ、長どんが行きました。なんでもかんでも駒蔵の親分に出張ってもらわなくちゃあ、って松さんが頑張るもんですから――。」
「長どんてなあもう一人の小僧か。」
「へえ。」
「お前と一緒にお店に寝てたのか。」
「へえ。」
「
調子に乗った勘次がこう小僧をきめつけた時、
「勘、黙って歩け。」
と藤吉が振り返った。勘次は頭をかいた。
雨に濡れた町に朝の陽が照り出した。昨夜二時ばかり底抜けに降った豪雨をけろりと忘れたように、輝かしい光りが家並の軒に躍り始めた。一行の上に重苦しい沈黙が続いた。
早や金色に晴れ渡った空の下に、茅場町の大通りは
藤吉は振り向いて小僧の足を見た。
「おうっ、小僧さん、長どんてなあお前より三つ四つ年上で、これも裸足で突ん出たろう。ええおう?」
勘次彦兵衛に挾まれてこの時追いついた小僧は、言葉も出ないようにただ
「二人ともでかしたぞ。」
とにっこりした藤吉は、何思ったかやにわに履物を脱ぎ捨てて、
「彦、勘、俺たちもこれだっ!」
「合点だ。」
声とともに二人も地上に降り立った。三人の下足を集めて小僧が提げた。早くも
「親分、どこから踏み込みやしょう?」
と、
去年の暮れ、お染風という悪性の感冒が江戸中に
「誰の
紙から眼を離さずに藤吉が訊いた。
「知りません。」
と小僧は
「みんな、こう、踏むと承知しねえぞ。」
露地に
「親分、
葬式彦が
「まあさ、待ちねえってことよ。」
二
八州屋孫右衛門は雨に濡れた衣服のまま頭部をめちゃめちゃに叩き毀されて、
蔵の前に、勘次を立番に残して、藤吉と彦兵衛は泥足のまま屍体の傍へ上り込んだ。その足許にある一足の高足駄、彦兵衛は早くもそれへ眼をつけた。
「親分。」
「うん、合わしてみろ。」
彦兵衛は足駄を持って出て行った。藤吉はしゃがんだ。独言がその口を洩れた。
「雨の中を帰って来たか――三時は経ったな。」
そして頭部の大傷にはたいした注意も払わずに、仰向加減に延びた仏の頸に、藤吉はじっと、瞳を凝らした。そこに、たとえば
「親分。」彦兵衛が帰って来た。「ぴったり合いやす。あれは八州屋の
「深かあねえか。」
「へえ、そう言やあちと――。」
「彦、仏を動かしてみな。」
孫右衛門は
「重いか。」
「なあに、軽いやね。」
言いながら彦兵衛がまた一、二尺死骸をずらすと、下から出て来たのは
「見ろ。はっはっは、
「親分、何か当りでも?」
「そうさな、まんざらねえこともねえが。」
と藤吉は両手を突いて屍骸の廻りをはいながら、
「
つと藤吉は立ち上った。手の埃りを払って歩き出した。
「彦、来い。もうここにゃあ用はねえ。」
外へ出ると、勘次が詰まらなそうに立っていた。味噌蔵から勝手口まで長さ二間ばかりの杉並四分板を置いた粘土の
「足形が三つあるのう。足駄のは孫右衛門のもんで、こりゃあ表通りから左の路を踏んで蔵へはいってそれなりけりと。この女郎の日和はお内儀で、勝手と蔵を一度往来して今あ母屋にいなさることは、これ、跡の向きを見りゃあ
「へえ、あっしんでげす。」
と声がして、この時、駒蔵身内の味噌松が流し元から顔を出した。喧嘩っ早い勘次はもう不愉快そうに外方を向いた。草鞋の来た道を蔵の前から彦兵衛は逆に辿って、右手の横町からこの時は坂本町の方へまで
「おや、松さん。」と藤吉は愛想よく、「
「なあに、見つけた者の御難でね、知ってるこたあ残らず申し上げてお役に立ちてえと、へえ、こうあっしゃあ思っていますのさ。――さいでげす。今の先刻坂本町の巣を出やしてね、いつものとおり味噌売りに歩くべえと、箱取りと仕入れにこの家へ来て、まっすぐに蔵へ行った折り、坂本町から横町へはいるあたりからやに土が柔かくて、御覧のとおり右手から蔵まであんな足形を
「箱取りに、まっすぐに蔵へ行ったたあ何のこってすい?」
「担ぎの荷箱を蔵へ預けといて、毎朝自身で出してお店へ廻って味噌を仕入れるのが、親分の前だがあっしとここの店との約束でげしてね。」
「なるほど。して、朝お前さんがくるころにゃあ、お店じゃいつも起きてますのかえ? 七つと言やあこちとらなんかにゃあ真夜中だが――。」
「なんの。きまって長どんを
「駒蔵さんさえ見ればすぐ片がつくだろうて。なあ、親分。」
苦々しそうに勘次が言った。藤吉は答えなかった。地面へ顔を押しつけんばかりに不意に
「松さん、昨夜雨の降ったのは――。」
「よくは知らねえが四つ半ごろから八つぐれえまで、夢
「ふうん。」と藤吉は背を伸ばして、「してみりゃあ、八州屋さんはたしかに四つ半から八つまでの間に帰って来なすったんだ。これ、この足形を見ねえ。歯跡が雨に崩れてよ。中に水が溜ってらあな。どだいこの跡はあまり新奇なもんじゃねえ。草鞋と日和に較べて、深えばかりでだらしがねえのは、後から雨に叩かれたからよ。そう言やあ、蔵の仏もずぶ濡れだったのう。なあ、松さん。」
そこへ彦兵衛が帰って来た。
「ええ親分、この草鞋の跡は新しいもんでごぜえます。付いてから一時とは経ってはいめえ、坂本町から横町を通って蔵へ来ている――。」
「ありゃあ、彦、松さんの足形だ。」
藤吉が言った。味噌松は世辞笑いとともに、
「親分、二階へ上ってお神さんに会ってやっておくんなせえ。」
「あいよ。」と藤吉はなおもそこいらを見下しながら、「松さん、お前さんは
「雨の降る前にここへ来てまだ隠れん坊している奴でも――。」
味噌松が言いかけた。藤吉は横手を
「そこだっ、松さん。お前はなかなか
「あっしは? 親分。」
「勘次。お前は立番だ。俺と松さんとでちょっくらお神を
「へえ。」
「誰も入れるな。」
「ようがす。」
勘次は不平そうに彼方を向いた。彦兵衛は家探しに蔵へはいった。
「親分、
味噌松が勝手口から
「すまねえのう。」
と言ったきり、藤吉は気が抜けたように立っていた。どこからともなく、泣くようにまた笑うように、ちろちろと水のせせらぐ音がする、藤吉は耳を傾けた。
「勘。」藤吉が大声を出した。「あの音あ何だ? 水じゃあねえか。」
「あいさ。」と勘次はすまして蔵の前を指しながら、「あれでがしょう。」
見ると、幅四寸ほどの小溝が雨水を集めて蔵の根を流れている。藤吉はにわかに活気づいた。
「深えか。」
勘次は手を入れた。
「浅えや。二寸がものあねえ。」
「どうしてあそこにあんな物が――。」
藤吉は小首を捻る。味噌松が口を入れた。
「
「勘、底は?」
「へえ、玉川砂利。」
これを聞くと、別人のように藤吉時、威勢よく泥足を洗いながら、
「松さん、二階だ、二階だ。」と唄うように我鳴り立てた。
「お内儀を引っ叩きゃあ
三
「悔みあ後だ。え、こう、御新さん、久松留守の尻が割れたぜ。おっ、なんとか言いねえな。」
二階の六畳へ通ると、出抜けにこう言って、藤吉はどっかと胡坐をかいた。味噌松は背後に立った。
手早く畳んだらしい蒲団に
「釘抜の親分え。」いきなり味噌松が沈黙を破った。「お神さんの利益にゃあならねえが、思い切って申し上げやしょう。始め、わっちが裏戸を叩いて、大変だ大変だ、旦那が大変だ、って
藤吉は唾を呑んだ。そして、おみつに向き直った。
「旦那は昨夜寄合いかね?」
「いえ、あの、」とおみつは
「そうそう、婆さまの
藤吉は優しく言った。
おみつの話はこうだった。
親戚へ行った主人は五つ半過ぎても帰らない。母親の失踪以来相談に更けて泊り込んでくることも珍しくないので、昨夜も別に気に留めずに、独り床を敷いて横になった。が、どういうものか寝就かれず、時の鐘を数えているうちに雨になった模様。ああ、今夜はとうとう帰らないな、もしまた出て来ても
現場に落ちていたあの足駄は間違いもなく自家から穿いて行ったもの。傘も借りて来たことだろうが――と、おみつは言葉を切った。
「いんや、その傘がねえ。のう、松さん。」
藤吉が振り返った。味噌松はうなずいた。おみつは争うように、
「でも、まさかあの雨の中を、傘なしで帰る人もござんすまい。」
「お内儀さんえ。」と藤吉は、輪にした左手の指を鼻の先で振り立てながら、
「旦那あ――やったかね?」
「御酒? いいえ、全然不調法でござんした。」
「はてね。婆さまのこっちゃあ豪く気を
「ええ、そりゃあもう母一人子一人の仲でござんすから、
「親分、旦那の傘は?」
味噌松が口を挾んだ。
「さて、そのことよ。」と藤吉はゆっくりと、「持って帰ったもんなら、
「わっちもそこいらだ。そりゃあそうと、親分、出て行った跡がねえんだから犯人はたしかにまだこの屋根の下に――。」
味噌松は意気込む。藤吉も立ち上った。
「だが、現場は離れた蔵だのに、足形付けずにどうして間を――。」
「板が倒してごぜえましたよ。板が。」
「大きにそうだ。雨の前から来ていて、帰って来る
「板伝いにこの母屋へ! 親分、臭えぜ。」
「やいっ。」藤吉はおみつを
「
「親分、何を――。」
おみつは不思議そうに顔を上げる。
「白々しい。覚えがあろう。立てっ!」
「すまねえが親分の
「なに?」
「いやさ、あんなに
「うん。そう言やそうだの。こりゃあ俺が
呆然として藤吉は腕を
「ねえ、親分。」と味噌松は
「松さん、あまりなことをお言いでないよ。」
口惜しそうにおみつが
「久松留守。」
俯向くおみつ。藤吉は居丈高に、
「旦那は
「お神さん、もういけねえ。誰だか言いな。よう、すっぱりと吐き出しな。」
傍から味噌松も口を添える。おみつは唇を噛んだ。間が続く。
と、この時、梯子段下の
「いた、いた。」
という彦兵衛の叫び。と、
「うぬっ!」と勘次。
やがて引き出そうとする、出まいとする、その
「あれいっ、幸ちゃん――。」
立ち上るが早いか、おみつは血相かえて降口へ。
「待て。」
藤吉が押えた。
「待て。よっく落ち着いて返答
と死物狂いのおみつを窓際へ引きずって行って、さらりと障子を開ければ鎧の渡しはつい眼の下。烏の群が立っては飛び、疲れては翼を休める岸近くの捨小舟は――。
「ほかじゃあねえが、あそこにゃあああいつも勘三郎がいますのかえ?」
「いいえ、ほんのこの二、三日。」
と聞くより藤吉はおみつを促して、悠々と階下へ降りて行った。
台所の板敷に若い男が
裏通りの風呂屋の三助で、名は幸七、出来て間もないおみつの
「今朝早く帰るつもりでいますと。」幸七は額を板へ擦りつけて、「夜の明ける前にあの騒ぎなんで。表には小僧衆、裏へ出れば人がいるので、お神さんの智慧で、今までこの
おみつも並んで手を突いた。二人は泣声で申し開いた。密通の段は重々恐れ入るが、孫右衛門殺しは夢にも知らない。こう口を揃えて二人は
味噌松が二人を調べていた。藤吉は黙って見ていた。彦兵衛を呼んで何事か囁いた。彦兵衛は愕いて訊き返した。藤吉が
「承知しやした。」
行こうとする彦兵衛を、それとなく藤吉は呼び停めて、
「在ったら口を割ってこいよ。いいか、口だぞ。」
と、それから、荒々しく、
「包み隠さず申し立てりゃあお上へ慈悲を願ってやる。なに? やいやい、まだ知らぬ存ぜぬと
と二人の前へ立ち塞がったが、
「野郎、尻尾を出せ!」
と喚きざま、突然足を上げて幸七の顔をっと蹴った。おみつが
「親分、奴はもう白状したのも同然、失礼ながらお手が過ぎやせんか。」
味噌松が出張った。
「そうか。」藤吉は手持不沙汰に、「勘、お前はこの二人についてろい。――ええ、そこで松さん、こりゃあこれでいいとして、ちょっくら裏へ出てみようじゃごわせんか。」
言いながら
四
「松さん、こりゃあどうだ。」
やにわに藤吉は蔵の前の小溝へ立った。素足に砕けて玉と散る水。味噌松はぽかんと眺めていた。
「この溝は横町から坂本町へ出ている、なんてお前さん、よく御存じだのう。」
溝の中から藤吉は続ける。
「つかねえことを訊くようだが、お前さん何貫ある?」
「え?」
「目方のことよ。十八貫はあろう?」
「それがどうした。」
「どうもしねえ。ただ、八州屋は小男だ、十二貫もあったかしら――。松さん、足駄の跡を見ろい。十二貫にしちゃあ深えのう。」
「――――」
四つの眼がはたと会う。
「十八貫にしたところでまだ深え。」
「――――」
「二つ寄せて三十貫! はっはっはっ、まるで
無言。水の音。
「お前、先刻異なことを言ったのう。」と藤吉は溝を出て、「なんだと? お神さんにあの
「う――ん。」
「野郎、唸ったな。え、こうっ、よく鉞へ気がついたのう。」
二人の男は面と向って立つ。
「顫えるこたあねえや。なあ、松。」藤吉は柔かに、「お前、手先の分際で
味噌松はちらりと背後を見た。藤吉はおっかぶせる。
「箱崎辺りで待伏せして旦那の首を繩で締め仏の足の物を穿いて屍骸を蔵へ運び入れ鉞で脳天を潰したのは、松公、どこの誰だ?」
「お、俺じゃあねえ。」
「現場に血が飛んでねえのは
「お、俺じゃねえ。」
「傷が真上に載ってるのも、倒れてる所を
「俺じゃねえってのに!」
「も一つ言って聞かしょうか。八州屋の頸にあの麻糸屑が残ってた。しかも、お前、三州宝蔵寺の捕繩麻だっ!」
「――じゃ、ど、どこを通って逃げたってえんだ? あ、足形が一つもねえじゃねえか!」
「溝!」
「わあっ!」
と叫んで走り出した味噌松、折柄帰って来た彦兵衛にぶつかれば、両方がひっくりかえる。跳び上った松、彦に足を取られて、た、た、た、た、と
「勘!」
藤吉が呶鳴った。
「おう。」
と飛んで出た御家人崩れの勘弁勘次、苦もなく
「親分、これ。」
と傘を出す。
「どうだった?」と藤吉。
「へえ、ありやした。たしかにあった。あれじゃあいくら
「水ん中の船底にぴったり貼りついてたろう、どうだ?」
「仰せのとおり。」
葬式彦兵衛は二つ三つ続けさまに
烏の群から怪しいと見た藤吉が、鎧の渡しへ彦兵衛をやって一番多く烏の下りている小舟の下を突かせると、果して締殺された女隠居の屍体が
屍骸は河原へ上げて非人を付けてある、と聞き終った藤吉、
「口を覗いたか。」
「へえ麻屑を少し噛んでやした。それから、木綿糸も。浴衣の地かな――?」
皆まで聞かずに、勘次の押さえている味噌松の両袖を、何思ったか藤吉はめりめりと
「やい、松、往生しろ。」
「糞をくらえ!」
と味噌松は土の上へ坐り込んでしまった。
かねがねおみつに横恋慕していた味噌松は、まず邪魔になる孫右衛門の母お定を締め殺して河中に捨て、次に、誰かは知らずおみつに情夫のあることを感づいて眼が
気がつくと、おみつ、幸七、小僧と、それに近所の弥次馬が加わって、勝手元から両
「色男、痛かったか。」
と藤吉は幸七を引き出して、
「桜馬場の駒蔵さんが見えたら、釘抜からの進物でげすって、この味噌松と屍骸二つをくれてやれ。おうっ、誰か松を押さえていようって者あねえか。」
鳶の若い者が二、三人出て、勘次の手から味噌松の身柄を受け取った。
「ほい、うっかり忘れるところだった。」と藤吉はおみつへ近づいて、
「この傘は旦那が持ってたもの。松公が
耐えきれずに、声を張り上げておみつは哭き崩れる。泥の中で味噌松が呻いた。人々は呼吸を呑んだ。
「行くべえ。」
藤吉は歩き出した。
「帰って朝湯だ。彦、勘、大儀だったのう。」
群衆は道を開く。釘抜のように脚の曲った小男を先頭に、五尺八寸の勘弁勘次と貧弱そのもののような葬式彦とが、視線の織るなかを練って行く。
今は高々と昇った陽に、迷う烏の二羽三羽。その影が地を辷った。
「親分、早えところをやっつけやしたのう。」
「え、ああ。うん、そうさの。」
と藤吉はもうほかのことを考えていた。
「そりゃあそうと上天気で、神田の祭あ運が好えのう。」
言いながらかかる露地口、
桜馬場の駒蔵親分。
「おう、こりゃあ。」
「おう、こりゃあ。」