二人は暑い日盛りを用ありげに歩いた。電車通りの曲ったところから別に一つの通りが開けて、そのトンネルのやうな街に入ると何だか落着くのではあった。が、其処の街のフルーツ・パーラーに入って柔かいソファに腰掛けると猶のこと落着くやうな気がした。で、彼等は自分達がまたもや何時ものやうにコーヒーを飲みに行くのであることを暗黙のうちに意識してゐた。
電車や自動車の雑音はさっきから彼等の会話を妨げてゐた。痩せて神経質な男の方は目をいらいらさせながら訳のわからぬ吐息や微笑を洩らしてゐた。体格の逞しい柔和な男も相手に和して時々笑ひを洩らすのであった。彼等は暢気な学生で、何と言ってとりとめもない生活を送ってゐるのではあった。が、絶えず何かを求めようとする気持が何時も彼等を落着かせなかった。
突然、体格の逞しい男の方が相手を顧みて、
「椅子が欲しいね。」と言った。
「どうして人間は喫茶店に入りたがるのか、君は知ってるかい。」
「椅子かい?」と神経質の男が応へた。
「さうだよ。つまり物理的安定感て奴を望むのだね。哲学にしろ、宗教にしろ、芸術にしろ、何かかう自分以外のものに縋ってゐると気持がいいからね。だから君があの
それから三年目のある蒸暑い夜であった。神経質な男は柔和な男の家の椅子に腰をかけてゐた。体格の逞しい男の方は最近細君をもって郊外に落着いたのである。恰度袋路の一番奥の家で、すぐ側には崖があった。神経質な男は自分の腰掛けてゐる椅子を手で撫でながら尋ねた。
「この椅子は気がきいてるね。」
「なあに、ビール箱で造ったのだよ。」
神経質の男は自分のアパートへ帰るべく省線に乗った。開放たれた窓から凉しい風が頬を撫でた。電車の響に初夏の爽やかさが頻りと感じられた。
「椅子もいいが、電車もいい。」と彼は無意味なことを考へた。
「永久に変らない椅子と、停まることのない電車ならどちらも結構だ。」