電車は恍惚とした五月の大気のなかを走った。西へ傾いた太陽の甘ったるい光は樹木や屋根の上に溢れ、時としてその光は房子の険しい額に戯れかかった。何処の駅に着くのか何処を今過ぎてゐるのか、まるで乗客はみんな放心状態にあるやうな、さう云った
ふと、房子は自分の視線がさっきまでは何かに遮られてゐたやうだが、気がつくと眼の前に三人のマダムが坐ってゐるのだった。三人は三人ともセルの単衣を着て上品な化粧でその上彼女達は揃も揃って玉のやうに可愛いい男の赤ん坊を抱いてゐるのであった。彼女達は恵まれた自分の姿をぢっと静かに何ものにかに委ねてゐるやうであった。三人は今日の一日をピクニックに出掛け、さうして歓談を尽して今帰る途中らしく思へた。マダム達は憎い程美しかったし、赤ん坊のやうに若々しかった。
房子は不思議なことに嫉妬の感情を交へないでマダム達を正視することが出来た。それどころか世にはこんな珍しい
だが、房子はそれを打消すやうに顔を伏せて、猫いらずを買ふことを考へた。さっき自殺を決心して家を出てからと云ふものは、どうしたものか房子は目に触れるものがみんな活々と美しく呼吸づいてゐるやうに感じられたが、自分だけがもう半分心臓の鼓動が停まったやうに死相を帯びて来たのではないかと思へた。とにかく房子は自分が間もなく死んで行くのだと信じた。それはもうどうにもならない決定的のことで、今ゴーと走ってゐる電車に彼女が乗ってゐるのと同じくらゐ普通のことのやうに思へた。
しかし、房子は顔を伏せてはゐたが、眼の前にゐる三人のマダム達がやはり気になった。死んで行く自分の直ぐ目の前に、今、世にも幸福さうな三人のマダムが揃も揃って腰掛けてゐるとは、何と云ふこれもあたりまへのことだらう。
暫くすると電車はある駅に停まった。真中にゐたマダムが立上ったので、両側の二人も次いで立上るのかと思へた。が、二人はぢっと身動きもしなかった。さうして真中のマダムが一人でさっさと降りて行ってしまった。空いた真中の席にはすぐに学生が割込んで来て、両側のマダムは今は別々に隔てられてしまった。房子は意外な感銘に打たれながら、猶も二人のマダム達に気を惹かれてゐた。が、次の駅に来た時、二人のマダム達もまた別々に降りて行ってしまった。