鶉居山房と私とは路傍に屈んで洋服屋の若旦那を待ってゐた。別に用事なんかなかったのだが、待ってゐるうちに帰るのがめんどくさくなった。若旦那は今朝から留守なのださうだから、なかなか帰っては来まい。そこの通りは人通りも稀れで静かだった。私達は煙草を吸ってぼんやりしてゐた。その時学校から帰る二人連れの小学生がすぐ側を歩いてゐた。そして、小学生の肩の辺に鳩がたまたま飛んで来た。すると小学生は帽子を脱いで鳩を掬はうとした。鳩は大きな羽ばたきを残して屋根に舞上った。即ち鶉居山房はからからと

私が洋服屋の若旦那に逢へたのは、それから四五年後のことだった。ひどい春雨が降りまくる日、思ひきって彼を訪れてみると、彼はアパートの六畳で運のよくならないのを喞ってゐた。「早い話が、君。」と彼は云った。「この部屋だって屋根が漏るんだからね。」と、彼が天井を見上げると、ひどい降りが亜鉛屋根にあたる音とともに、ぽたぽたと畳に落ちて来る。暫くの間、さうして彼は怨しげに天井と畳を見較べてゐたが、不図雨が漏らなくなったのに気づいた。
「おや、こいつは変だな、たしかに今雨は降ってゐるのだがね。」
彼が訊ねるまでもなく亜鉛屋根は烈しく鳴ってゐた。
「すると、大きな鳥でも来て屋根に留まったのかな。」さう云って彼はひょいと晴やかな顔をした。