我れ生存に行き暮れて
足どり鈍くたたずめど
満ち足らひたる人のごと
海を眺めて語るなり
あはれそのかみののぞき眼鏡に
東京の海のあさき色を
今
幼き日の記憶熱をもて妻に語りぬ
ここに来て空気のにほひを感じる
うつとりと時間をかへりみるのだ
ひなげしの花は咲き
麦の穂に潮風が吹く
青空に照りかがやく樹がある
かがやく緑に心かがやく
海の近いしるしには
空がとろりと潤んでゐる
広い眺めは横につらなる
新しい眺めは茫としてゐる
遠浅の海は遠くて
黒ずんだ砂地ばかりだ
暗い海には三日月が出てゐる
暗い海にはほの明りがある
茫として微かではあるが
あのあたりが東京らしい
外に出てみると月がある
そこで海へ行つてみた
舟をやとつて乗出した
やがて暫くして帰つた
夜の海の霧は
海と空をかくし
眼の前に闇がたれさがる
闇が波音をたてて迫る
日は丘にあるが
海はまだ明けやらぬ
潮の退いた海にむかつて
人影は一つ進んで行く