雲の裂け目

原民喜




 お前の幼な姿を見ることができた。それは僕がお前と死別れて郷里の方へ引あげる途中お前の生家に立寄った時だったが、昔の写真を見せてもらっているうちに、庭さきで撮られた一家族の写真があった。それにはお前の父親もいて、そのほとりに、五つか六つ位の幼ないお前は眼をきっぱりと前方に見ひらいていて、不思議に悲しいような美しいものの漲っている顔なのだ。こんな立派な思いつめたような幼な顔を僕はまだ知らなかった。そういえば、お前と死別れて間もない頃、お前の母はこんな話を僕にしてくれた。
「あの子は小さい時から、それは賢くて、まだはっきり昨日のように憶い出せるのは、あの家から小川の方を見ていると、小さな子供達があそこで遊んでいるのです。そうすると、そこへ学校の先生が通りかかりになると、ほかの子たちは知らぬ顔しているのに、あの子だけが路の真中へ出て来て、丁寧にお辞儀するのです。先生も可愛さにおもわず、あの子の頭を撫でておやりになるのでした。」
 僕はそれから、自分の郷里に戻ると、久振りにこんどは僕の幼い姿を見ることができた。その写真も家族一同が庭さきに並んでいる姿なのだが、父親に手をひかれて気ばっているこの男の子は、もう自分の片割ともおもえないのであった。そのかわり久振りで見る亡父の姿はつくづくと珍しかった。ついこの間まで僕は父親というものを、ひどく遠いところに想像していた。ところが今度みる写真では、もう殆ど僕の手の届きそうなところに父親がいる。僕は土蔵の中から父の古い手紙を見つけると、警報の合間には憑かれたようにそれを読み耽った。
 僕の父は死ぬる半年あまり前に、病気の診断を受けるため、はるばる大阪へ赴いているのだが、その大阪の病院から母へ宛てた手紙が二三あった。止むを得ない周囲の事情のため多年宿痾の療養をなおざりにしていたことを嘆じながら、診断を受けてみると、もう手遅れかもしれぬと宣告されたときのことだ。何処からも見舞状もやって来ないし、父はよほど寂しかったのだろう。それで僕の父は母に対ってこう訴えているのだ。「お前様も漸く一通の見舞状を呉れただけ その文面にも只驚いたとの事ばかりにて 私の精神とお前様の精神は大変に相違して居るのに今更私も驚く外はない 小児が多くて多忙ではあろうが毎日はがきなり又二日に一度なり手紙を下さらぬか 病室には只一人で精神の慰安は更にない」
 はたして、これが五十を過ぎた男がその妻に送った手紙なのだろうか、夫婦というものの微妙さに僕はすっかり驚かされてしまった。そして、僕はすぐにこれをお前に読ませたくなると、まるでお前がまだ何処かこの世の片隅に生きているのではないかという気がした。僕はこれを読むときのお前の顔つきも、その顔つきを眺めている僕自身の顔つきまですっかり想像できるのであった。だが、こういう空想に浸っている時でも、僕は自分のいる家が猛火につつまれる時のことがおもわれてならなかった。お前と死別れて広島に帰って来た僕は今度はここの家の最後の姿を見とどけることになるのかしらと考えていた。
 そして、間もなくそれはそのとおりになったのだった。あれは夏の朝のほんの数秒間の出来事だった。真暗な音響とともに四方の壁が滑り墜ち、濛々と煙る砂塵が鎮まると、いたるところに明るい透間と柱が見えて来た。それはおそろしく静かな眺めだった。僕はあの時、あの家の最初の姿と最後の姿を同時に見たような気がしたのだった。間もなく火の手があがりだしたので僕はあの家を逃出して行ったのだが、むかし僕の父が建て、そこで死んで行った家もあれが見おさめだったのだ。
 あの時から僕はすっかり家というものを失ってしまった。しかし、どうしたものか郷里の家の姿はもうあまり僕の眼さきにちらつかなかった。それなのに、お前と一緒に暮していたあの旅先の借家の姿は、あれは僕の内側にあって、僕はまだどうかすると、あそこでお前と一緒に暮しているのではないかしらとおもうのだ。僕はあの立てきった部屋で何かぼんやり不安と慰藉につつまれていた。机の前の窓の外の地面には氷の張っていることが感じられたが、僕のいる部屋は暖かに火がいこっていたし、廊下を隔てて隣の部屋にはお前が睡っていた。殆ど毎晩僕は同じ姿勢で同じ灰の色を眺め、同じことを考えていたらしい。お前が睡っている時間が僕の起きている時間だったので、僕は僕ひとりの時間が始まると、夜の沈黙しじまのなかに魅せられながら、やがて朝がやって来るまでを、凝とあの部屋に坐っていた。夜あけ前の微妙な時刻には、ふと、どうしたわけか、死んだ人の生還ってくるような幻覚がした。
 毎晩、僕たちは夕食後の一ときをあの部屋で過したので、あの部屋には僕たちの会話や、会話では満たされない無限の気分が一杯立罩めて行ったようだ。お前が寝室に引退り僕ひとりになると、僕はよくあの部屋の柱や壁をじっと眺めた。その柱には懐中時計の型をしたゴム消が吊りさげてあった。あれはお前が女学生だった頃から持っていたゴム消だったが、僕はあの時計の面の針が一向動かないのがひどく気に入っていた。電灯の明りが夜更になると静かな流れをなして古ぼけた襖の模様の上を匐った。僕はそっと立上って、壁際にある鏡台の真紅な覆いをめくってみた。すると、鏡は僕の顔や僕の背後をそっと映している。僕は自分の顔をのぞき込むより(何だか古い、もの寂びた井戸の底を覘くように)向側から覘いてくるものを覘き込もうとしていた。僕はお前の云っていたことを思い出す。「深夜の鏡で自分の顔を眺めると、怕くなることはありませんか」何気なくそういうことを云ったお前も、僕を覘き込むよりもっと向側から覘いてくるものを覘き込もうとしていたのではあるまいか。よくお前は臨終の話をした。人間の意識が生死の境目をさまよう時の幽暗な姿を想像するお前の顔には、いつも絶え入るようなものと魅せられたようなものが入混っていた。そして、僕たちは死のことを話すことによって、ほんとうに心が触れあうようにおもえたものだが……。

 僕は絶えずあそこの部屋で自分の少年時代の回想をしていた。僕という少年が父親の死を境に変って行った姿をくりかえし繰返し考えていた。僕の父の顔に嶮しい翳が差すことを、僕は十位のときから知っていた。恰度、雷雨がやって来そうになる前の空模様とか、にわかに光線の加減が変って死相を帯びる叢の姿にそっくりそれは似ていた。よく僕は真昼の家のうちが薄暗くなると、脅えて藻掻くような気持に駆られるのだったが、時どき僕の父も何かに駆られてもがいているような不思議な顔をしていた。しかし、父はもう真暗なものを通り越していたのだった。二ヵ月あまり熱病でうなされていた父は、やがて病床を離れると、雷雨の去った後のように爽やかな気分が訪れた。僕はもう父が死ぬるとは考えてもみなかった。父は快活に振舞っていたし、僕も明るい子供だった。だが、そういう家のうちの空気が二三年するとまた妙にこじれて来た。父は旅に出て行ったし、母は心配相な顔をして父のことを話しだした。僕は薄光りする台所の板の間に立っていた。何か心配なことを話すとき母はいつもそこにいるのだったが、すると、ほんとうに台所の窓は薄暗くなってゆくようだった。それから間もなく母も旅に出て行った。母は父に追いついて看護のために出かけて行ったのだった。僕は母が家のうちからいなくなると、だんだん不機嫌になった。ぞくぞくと鳥肌のようなものが家の隅から迫って来るし、僕はききわけのない子供になってしまった。無茶苦茶な気持に引裂れて、僕は泣き狂うのだった。だが、やがて両親は家に戻って来た。すると、僕はすっかり安心したらしかった。父はまた元どおり生きて還ったのだ。
 ところが、ある日、父はみんな彼の部屋に呼び集めたのだ。障子の窓からはひっそりした冬の庭が見えていた。父は脇息に凭掛り、その側には母も坐っていた。大きな桐火鉢に新しい火がいこっていたし、僕のすぐ隣には二番目の兄が手を膝の上に置いて坐っていたが、――僕はこうして、みんなが揃ったからには、何かすばらしい団欒が始まるのではないかと思った。すると、ちょっと浮浮した気持がした。父はまだ何も云い出さなかったけれども、兄の顔を覗くと、その頬は少し綻びかけていた。僕はもう我慢ができなくて、くすりと笑った。すると、兄も僕に誘われてくすくす笑いだした。父はまだ何も云い出そうとしない。僕の気持はおかしさが一杯詰って、すっかり上ずってしまった。そのとき漸く父が口を開いた。「きょうこれからお父さんが話すことは……」気がつくと、父の声はひどく沈んでいるのだ。だが、僕の弾んだ気持は容易に鎮まろうとしない。僕は父がしみじみ話し出せば出すほど、その下をくぐり抜けるように、くすくす笑った。その癖、僕はその時の父の言葉はみんな憶えていた。
 やっぱし父の病気はただごとではなかったのだ。父は医者から胃癌の宣告を受けたのだ。もし手術をして経過が良ければ助かるかもしれないが、この儘ではもう先が見えていると云われたのだ。それで、父は思い惑った揚句、手術を受けることに決心したのだった。またはるばる手術を受けに旅に出ることになったのだ。だが、手術で失敗すれば、それきり助からないかもしれないから、これがお別れになるかもしれないのだった。――話のなか頃から僕は隣に坐っている兄が洟を啜りだすのに気づいた。見ると、兄の鼻翼を伝って大粒の涙が流れているのだった。それでも僕は何か目さきにちらつくおかしさをこらえることができなかった。そのうちに、父も眼に指をあてて、涙を拭いだす。僕はもう流石さすがに笑わなかったようだが、それでも何か自分ひとり取残されているような、変な気持だった。僕は茶棚の上に飾られた翡翠の小さな香炉を眺めていた。子供の僕にはどうしてあんなことがおこったのかわからなかった。僕はやはり父が死ぬるとは容易に信じなかったのだろう。
 間もなく父は福岡の大学病院に入院して手術を受けることになり、母が附添って出掛けて行った。そうするとまた家のうちは薄暗くなり、寒い風が屋根の上を吹いた。僕はときどき、走り廻った揚句など、火照る感覚の向に、ひんやりした西空の翳をおもい出すことがあった。庭の池には厚い氷が張り、雪囲いの棕櫚の藁は霜でふくれ上っていた。ふと、僕はひっそりした庭が病気しているように思えると、庭の方でもじっと僕を見つめているように思えるのだった。日南の縁側には福寿草の鉢が置いてあった。あの褐色の衣の中からパッと金色に照り返っている蕾が、僕には何だか朽葉色の夜具の下で藻掻いている熱病の時の父を連想させるのだった。父はまたあの嶮しい翳を額に押されて、ひどいあがきをつづけている――僕には手術ということがはっきり解らなかったが、もの凄い感じだけがわかった。やがて父は旅先から帰って来た。手術は無事に終ったらしかった。だが、家へ戻って来ると父はすぐ奥座敷に引籠った儘、寝ついたままであった。僕はその病室に入ることを許されなかったし、父の容態がどうなっているのか分らなかった。ひょっとすると僕はまたあの雷雨の後の爽やかな気分が訪れてくるのかとおもった。ところが、ある日、隣境の黒い板塀が取除かれて、そこから隣の空家へ行けるようになると、子供たちは昼間はその空家の方で過すことになった。
 僕はその隣の家に絡まる不思議なことがらを知っていた。その家は以前は酒屋だったのが死絶えてしまったのだ。僕は幼い時、表の方からよくその店さきに遊びに行ったことがあるし、その家族の顔もよく覚えている。ある年そこの主人が亡くなると、若い息子がフラフラ病になった。そのおとなしい青年は幼い僕にガリバアの話などしてくれたこともあったが、僕はもう長い間その姿を見なかった。僕はある朝その青年が死んだということを聞かされた。恰度ちょうどその少し前、鴉が妙な啼きかたをしていたので、やっぱし、そうでした、と母は不思議そうな顔をした。それからつづいて、そこの主婦かみさんが殺された。一週間ばかし前に傭った小僧が夜明けがたその主婦かみさんの枕頭に立ち斧を振って滅多打にしたのだ。犯人は有金を攫って逃げたらしかった。それきり、そこの酒屋は表戸が鎖され長らく棲む人もなかった。僕は黒塀越しに見える隣の松の梢に月が冴えているときなど、その方角を振向くのも怕い気持がした。だから、隣境の塀が取除かれても、僕一人ではとてもその空家へ這入って行けなかっただろう。僕は兄たちに従いて、裏口から踏込んで行った。すると薄暗い台所の中央に深い車井戸があって、長い綱の垂れ下った底には水が鏡のように覘いていた。荒れた庭さきには植木鉢が放り出してある。小さな円形の厚つぽったい葉をした草が埃をかむっている。それから隅の方に、紅い椿が淋しそうに咲いている。僕は何か探険でもしているような気持で、黴くさい畳の上を歩き廻った。表の方の戸は鎖ざされているので、家のうちは薄暗かった。いたるところに怕いものが潜んでいそうなので、僕は絶えずそれを踏みつけていなければならなかった。僕たちはそこでさんざ騒ぎ廻っていた。家の方からオルガンが運ばれると、そこは一層賑やかになった。女中は僕の妹を背に負った儘オルガンを弾いた。僕はこの幽霊屋敷がだんだん気に入った位だった。しかし、電灯のつかない家だから、日暮になるともう堪らなかった。僕は逃げだすように家の方へ走って帰るのだった。
 僕は家に戻って来ると、よく厭な気分に陥った。もう久しく母の姿を見なかったし、大人たちは誰も僕をかまってくれないのを知っていたが、それがどうかすると我慢できなくなるのだった。僕は台所の方へ廻ると、尖った声で従姉を呼びとめた。その次の瞬間には僕はもう自分が狂暴な喚きをあげそうなのを知っていたし、すぐ側の火鉢に掛っている鍋がくらくら湯気をあげているのを僕は睥みつけていた。ところが、従姉はそのとき僕の顔を見ると急にとても心配そうな顔つきになり、殆ど哀願するような眼つきだった。「ね、薫さんだって、お父さんが亡くなられたら悲しいでしょう。この間お父さんはこんなことを言っていられましたよ。薫はときどき騒いだりするがあれは儂が死ぬるのを喜んでるのかしら、そうお父さんは私に訊かれたのです。いいえ、いいえ、とんでもない、薫さんだってお父さんと死にわかれるのは、それは淋しいにちがいありません、心のうちではやっぱし心配しているのです、とそうお父さんには申上げておきました」
 僕は従姉の言葉を聞いているうちに、側にある鍋の湯気まで凍ててゆくような気持がした。それからふと僕は父の顔の翳をおもい出した。すると、それが遽かに怨めしそうな白っぽいものにかわり、それが病室一ぱいに拡がっているような気がした。
 僕はその日、学校の一番最後の時間が理科の時間で、先生が次の理科の時間までにしてくる宿題を出したのをおぼえている。僕は次の理科の時間には学校を休んでいるかもしれないなと考えた。すると、何だか明日からもう学校を休まなければならなくなるような気持がした。僕はその頃、女の子が不思議な夢の話をしているのに耳を傾けていたことがある。「紅いお月さんの昇る夢をみたら、お父さんが亡くなる。白いお日さんの沈む夢をみたら、お母さんが」二人の女の子はそう云いながら教室の片隅で静かに頷き合っているのだった。その女の子たちは近頃ほんとうに不幸があったのだから、僕にはどうも不思議でたまらなかった。僕はその日も学校の帰り路で、ちらりとその夢のことを考えていたようだ。
 僕はその夜、寝る前に父の病室に呼ばれて行った。父は腹這になりながら枕にかじりつくようにして、顔をもち上げ、喘ぎ喘ぎ口をきいた。「薫か、お父さんはもう助からないが、お父さんが死んだ後は、みんな仲よくやって行ってくれ」僕は黙ってただ頷いていたが、間もなく次の間に去った。それから僕は間もなく床に這入ったのだった。だが、僕はさきほど見た父の難儀そうな姿がはっきり目に見えて、なかなか睡れそうにない。そのうちに僕はつい夢をみていた。円い大きな紅い月が昇って来た。僕は夢のなかで、とうとう紅い月の夢をみたなと思った。それではいよいよ父も死ぬるのかしら、そう考えた瞬間、父の病床がぱっと眼さきに見えて来た。さきほどあんなに喘ぎ喘ぎしていた父は今、夜具を跳ねのけると、するすると、畳の方へ匐い出して来る。はっとして僕は呻こうとした。そのとき僕は従姉にゆすぶり起されていた。「お父さんが……」彼女は急いで僕に着物着替えさせた。僕が父の病室に入った時、あたりは泣声に満ちていた。
 とうとう父はほんとに死んだのだった。僕はしかし何か半信半疑の気持がしてならなかった。死んだ父の額にはあの不吉な翳が刻まれていたし、身を縮めて棺に納まってゆくときの父はやはり喘いでいるのではないかとおもわれた。だが、家には大勢の人が集まっていたし、埋葬はもの珍しく賑やかだったので、僕はやはりどうやら、その方に気をとられている子供だったのだ。

 だが、それから一年位すると、僕はいつの間にか、あの飛んだり跳ねたりしたがる子供の衝動をすっかり喪っていた。父の臨終の時の空気がその頃になって、ぞくぞくと僕のなかに流れ込んで来た。僕の家の庭の隅にある大きな楓の樹が無性に懐しくおもえだしたのもその頃だ。その樹は恰度父が死んだ部屋のすぐ近くの地面から伸び上り、二階の窓のところに二股の幹を見せていたが、僕は窓際に坐って、青く繁った葉の一つ一つの透間にしずかに漾う影を見とれた。殆どその楓の樹は僕のすべての夢想を抱きとってくれたようであった。幹には父親のような皺があったが、光沢のいい小さな葉は柔かにそよいでいた。夜もそこに繁った葉があることを考えると、ひっそりと落着くのだった。雨の日はしずかなつぶやきが葉のなかにきこえた。僕はその密集する葉をそのまま鬱蒼とした森林のように感じたり、霊魂のやすらう場所のようにおもった。そして、僕はもう同じ齢頃の喧騒好きの少年たちとは、どうしても一緒になれなかったし、学校の課業にはまるで張合を失っていた。僕は子供のとき考えていた僕とはすっかり変っている自分に面喰いだした。僕は何になりたいのか、わからなかったし、大人たちが作っている実際の世界は僕にはやりきれないもののように思えだした。僕は運動場の喧騒を避けて、いつも一人で植物園のなかを歩いた。そうすると、樹木の上の空が無限のかなたにじっと結びつけられているのがわかったし、樹影の沈黙のなかに秘められている言葉がみつかりそうだった。それから、ふと樹の枝にある花が僕に幼年の日の美しい一日をよみがえらせたし、父親の愛情がそこに瞬いているようであった。僕の頭には、あの荘厳な宗教画の埋葬の姿が渦巻き、沈んだセピア色と燃える紅と、光と翳のひだにつつまれ、いま僕の父親の死が納まっていた。
 弾力のある青空からは今にも天使の吹く喇叭の音がききとれそうであった。僕は樹の列から列へゆるやかに流れてくる日の光のなかをくぐって、僕はいつのまにか、中央にある芝生の円い花壇のところに来ていた。円い環のなかではアネモネ、ヒヤシンス、チューリップなどが渦巻いていて、それはいきなり僕を眩惑させる。僕はエデンの園にいるような気がした。そして僕はどこか見えないところにいるイヴの姿を求めているのだった。





底本:「原民喜戦後全小説」講談社文芸文庫、講談社
   2015(平成27)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「定本原民喜全集※(ローマ数字2、1-13-22)」青土社
   1978(昭和53)年9月20日発行
初出:「高原」鳳文書林
   1947(昭和22)年12月20日発行
入力:竹井真
校正:広島さんさん
2023年2月10日作成
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