一九四三年の秋であった。三年あまり便りのなかった長光太から葉書をもらった。葉書はつぎつぎに来るやうになった。暗いところから出された光太は、人の顔を見るたびに、しっぽを振りたくなる負け犬の気持がするといふことが書いてあった。葉書には横書の片仮名で書いた詩もあった。暗い牢獄から急に明るい海岸の砂丘におりたった人間の煮えたぎつ情感の詩であった。前から長光太は、人類の巨きな歴史の扉にほんの爪のかすり跡だけでもいいから己の存在してゐたことを残したいと云ってゐた。その光太の詩の片仮名の一字一字は、さういふ祈願にふるへる鋭い爪か何かのやうにおもへた。一九四三年(昭和十八年)といへば、光太にとっても私にとっても暗澹とした季節であった。それだけに、長光太が詩を書きつづけてゐるといふことは切実なものがあった。
長光太の詩が人に知られだしたのは、戦後「近代文学」の創刊号に彼の詩が掲載された時からだと謂ってよからう。その後、光太の詩は「三田文学」その他に紹介され漸く理解者も増えて来た。もう彼の詩集が出てもいい時期だらうと思ったので、私は佐々木基一君にお願いしてその運びをすすめてもらった。
これは光太が詩を書きはじめてから、二十七年目にはじめて上木される詩集である。思へば一九二三年(大正十二年)光太がはじめて私のところに訪ねて来た夜の顔もまだ私の眼底にはかなりはっきり残ってゐるが、その幼ない光太の顔と、今は札幌にゐて私には見えないが想像はできる長光太の顔と、その二つの顔の谷間に、この詩集が置かれるとき、わっと泣き崩れたくなるのはひとり私ばかりであらうか。
一九四八年三月
原 民喜