●書誌 著者平野万里が編纂した与謝野晶子の短歌のアンソロジー『晶子秀歌選』(1948(昭和23)年2月大東出版社)に収録した2604首中から、802首(参照歌を含めると962首)に解説を加えたもの。初版は著者没後の1949(昭和24)年7月に三省堂から刊行されたが、品切になって稀覯本化していた。1979(昭和54)年1月に晶子生誕百年を機に復刊され、底本はこれに拠った。一部は「明星」(第三次)創刊号(1947(昭和22)年3月)から4号(同年10月)に初出。 ●執筆動機 著者は、明治・大正・昭和にわたり万単位で詠まれた晶子の歌は「少くも二千首は秀歌の部類へ入るべき作」で「古来の秀歌」に比べても「一人で全体を遥に凌駕してゐる」が、鑑賞上からは「数の多い事が甚しく妨げ」となり、「少数のお弟子さん達の間にもてはやされ或は僅に好事家の書棚の隅に眠つてゐる」状況だが、「不合理」で「恐ろしく勿体ない」から紹介すると執筆動機を明かしている。これに続く「万葉の代りに…国民大衆に紹介したい」「精神的食糧の一部にも…新文化建設の礎にもして欲しい」という表現に時代性を感じるが、「反戦詩人」晶子の復活をもたらした戦後民主化の動きが背景にあったことも記憶にとどめたい。 ●アプローチ 本書は、初期の作品と晩年の作品から遡って交互にコメントするというユニークなアプローチを採っている。著者は「青年層の読者の為にはその中から美しいまた不覇奔放な初期の作から順に、然らざる読者層の為には晶子歌の完成した縹渺たる趣きを早く知つて貰ひたく晩年の作から逆に交互に拾つて行く」と説明しているが、真意は、中年以降晩年の作品をより多く紹介して再評価したい点にあるのだろう。この結果、読者は晶子の万華鏡的な短歌世界に彷徨い込んだような気分にさせられる(が、読者は歌集ごとのイメージを把握しにくい)。 ●解説 本書は、難解といわれる晶子短歌の隠された魅力や作歌上の技巧を、個々の作品自体に即して解き明かすことに成功している。晶子は短歌を作るうえで「大切な事は、その作られたものが、その作者を待つて初めて云ひ現はされた、新しくして且つ秀れた気分、感情、思想、云ひ換へると独創的な其作者自身の内部生活が示されてゐる事である。読者たる私達が「あつ」と思はず声を放つて、各自の心の眼を開き、同時に私達の内部生活を五分でも一寸でも推進させる力のあるものが、真の意味で芸術上の「創作」である。」(雑俎―泥土自像「明星」(第二次)1927(昭和2)年4月)と記している。著者は晶子に最期まで忠実に師事して強い信頼関係で結ばれ、その「内部生活」に知悉している人でなくては解し得ないデリケートな感情の襞をも示し、読者の「心の眼」を珠玉の文章によって開かせてくれる。時には哲学的な領域にまで踏み込んだ分析もしている。総じてこれは晶子の「言葉の音楽」の秘密を解明する作業なのだろう。佐藤春夫は「最も具体的な晶子論であつて同時に萬里の詩歌概論である」「もと初学の晶子入門の書の体を採つてはゐるが詩歌に就て教へるところは甚だ深い」(「この書とその著者」)と述べているし、「本書は晶子をもっとも永く、もっともよく知っていた人が、腹蔵なくその作品への味解を吐露した本として類書がない。今後も晶子研究の基礎となるであろう」(新間進一・八角真「『晶子鑑賞』復刊にあたって」)という評価もある。 ●晶子短歌の表記 本書中に「私の読んだのは改造社版の定本與謝野晶子全集であるから既に作者の手で厳選を経た沙金のやうなものであつた」という記述がある通り、著者は晶子の短歌を初出誌紙や単行本の初版等でなく改造社版全集により引用したが、晶子自身により改作された歌がある。さらに、著者が歌の表記等を変更した場合が多い(平仮名に漢字をあてたものが多く、字体・字句の変更等もある)。このような第三者による恣意的な表記の変更は、晶子が排撃したところであった。「切取強盗御免の形で、編纂者がもとの文章を改削変容して、伸べたり縮めたり、尻切とんぼにしたり、文字を替へたり、正しく附けた仮名を間違へたり、勝手気儘なことをする。一体に文学の著者は一人一人に特有の物の云ひ方があり、文字一つでも著者の好みがある。例へば私は学問的理由から「ほんとうに」と書いてゐるのに、それを通俗な文字誤用に従つて、「本当に」と改められては不愉快である。著者としては句読点一つでも改めて欲しくない。」(冬柏亭雑記「冬柏」1934(昭和9)年4月)この結果、晶子短歌の理解は容易になったようにみえるが、女歌の持つ流麗さ、しなやかさ、さらには晶子の「言葉の音楽」が損なわれているケースもあろう(著者に好意的にいえば、これはこれで一種の短歌解釈ともとれるが…)。(武田秀男) |