ウンベルト夫人の財産

牧逸馬





 重苦しい八月の太陽が巴里パリを押しつけていた。ウイリアム・ル・キュウ氏は、サラ・ベルナアルの招待を受けて、巴里郊外アンジャン・レ・バンの湖岸に建っているサラの別荘の午餐会へ出かけて行った。別荘は大きな白※[#「亜/土」、56-下-6]の影を静かな湖面に落として、遠くからは上下につながって二倍に見えていた。
 食堂の開かれる前ル・キュウ氏は、同じく招かれて来ていた二人の紳士と、マリイ・ドルニヤックという、髪の毛の黒い、活発な少女と一緒に、景勝の地として有名なその湖上にボウトを浮かべて時間を消した。ル・キュウ氏は、その二、三個月前に、トゥルに近い知人の家でこのマリイ・ドルニヤックに紹介されて、顔見識りの間柄だったのだ。サロンのヴェランダから、美しい芝生の傾斜が湖に続いていた。四人は同じ汽車で巴里から来て、すこし早く着き過ぎていたので、食堂があいて呼び込まれるまでボウトを漕ぎ廻った。
 ウイリアム・タフネル・ル・キュウは、有名な英国の老大衆作家だ。小説家として亦旅行家として広く知られていて、多くの冒険並びに探偵物の作品があり、「モンテ・カアロの秘密」、「勝利への道」等、今では些か古いが、彼の得意とする密偵ものなど、一頃は日本でも、可成り愛読されたもので、探偵小説の読者には、懐しい響きを持つ名前である。
 食卓でル・キュウは、古くからの相識しりあいであるゾラ夫人と並んだ。エミル・ゾラの夫人だ。ゾラが晩年に近い頃だから、――ゾラの死んだのは一九〇二年――この話しはそんなに古いことではない。一九〇〇年の八月だった。
 すると、ル・キュウの右側に、一人着飾り過ぎた、肥った婦人が坐っていて、何やかやとル・キュウに話しかけたのだが、正式に紹介されたわけではないし、それに、あまり人好きのするタイプでもなかったので、彼は、食事の合間に、いい加減に応対していた。その婦人は、何方かと言えば余り教養のない、智的でない人のようにル・キュウは観察した。言葉に田舎訛りがあった。のみならず、その田舎訛りの会話の到るところに、盛んに巴里人の通語を挟んで振り廻していた。妙にちぐはぐな効果だった。
 ゾラ夫人が、ル・キュウを越してその婦人に言った。
「まだこの方御紹介申し上げませんでしたわね。ウイリアム・ル・キュウさんです。宅のお友達ですの。矢張り作家の方でいらっしゃいます」
 夫人は、良人のエミル・ゾラのことを言うとき「愛するエミル」という言葉を使った。
 ル・キュウに対する婦人の態度は、忽ち変った。それは、単に食卓で並んだという形式的なものから、急に全身的な微笑と愛嬌への躍進だった。これがテレサ・ウンベルト夫人だった。が、ル・キュウは、夫人の名前を聞いても、何ら格別の興味も注意も呼び起しはしなかった。社交会の午餐では色んな人に会うのが常だし、ことにあの名女優サラ・ベルナアルの招待だから、各方面の一流で食堂は一杯なのである。ル・キュウは、マダム・ウンベルトを何処かの金持の無智な夫人と許り思って、無礼でない程度にあしらっていた。
 当時得意の絶頂にあったサラである。ちょうど合衆国と加奈陀カナダの巡業から帰仏した時で、サラを中心に食卓の話題は多岐に賑わって往った。が、ル・キュウの隣のウンベルト夫人は、しばらくその饒舌を収めて、何かしきりに考えている様子だった。やがて言った。
「お仕事のほうは如何ですか。お名前はよく存じ上げております。ずっと昔あなたのお父様にお眼に掛ったことがありますの。今それを考えていたのですが、やっと思い出しました。サラからも始終お噂を伺っております。エミルのお友達でいらっしゃいますってね。あの偉大なエミルの! そして、あなたも小説をお書きになるとは、まあ何というお羨しいことでしょう。御成功をお祈りしますわ。わたしは作家の方が次つぎに立派な御本をお出しになるのを拝見しますと、あれ程楽しいお仕事はなかろうと何時も思います。私の妹のマリイを御存じのようですね? マリイ・ドルニヤック。先刻ボウトに乗せて頂いているのを見ました。こう申上げれば、私が誰であるかお解りでしょう」
 しかし、それでもまだル・キュウはこのウンベルト夫人が何者であるか思い出せなかった。


 仏蘭西の田舎トゥルウズの洗濯娘が、雇主の息子と結婚して巴里へ出た。そして直ちに或る巧妙な物語を唯一の種に全市を煙に巻いて吸血鬼のように他人の財産を吸い取り、殆んど一生涯、真に無一文の身で大富豪の驕奢を擅にしたのだ。この巴里に於る一田舎女の驚くべき「大成功」こそは、近世における最大の傑作と目されている有名な詐欺事件である。じつに二十年の長きに亙って、無資産の洗濯女が皇女のような生活を続けた。文字通りの赤手空拳で、ただ頭脳の働きと口先一つで国際的な名流に伍し、社交界の花形と立てられて凡ゆる栄耀栄華を極めたという、全く活社会を背景にした一つのお伽噺とでも言いたいほど、それは不可思議な事実談なのだ。
 田舎の洗濯女テレサ・ウンベルト夫人が私かに自分のために書き下ろして、その一生をもって独演した名狂言だった。


 午餐が済んで、客一同が芝生へ流れ出た時、ル・キュウはそっとゾラ夫人にあの食卓の隣人マダム・ウンベルトのことを訊いてみた。ゾラ夫人は、驚いたようにル・キュウを見た。
「ウンベルト夫人を御存じないんですか。まあ、随分迂濶ですわね。あの方は未亡人で、巴里一の、いいえ、仏蘭西フランス一の女のお金持なのです。もしあの方から招待状が来ましたら、巴里のアヴェニウ・ドュ・ラ・グランダルメにある王宮のようなウンベルトの邸へ是非行って御覧なさい。あそこの晩餐会とリセプションには何時だって全巴里の社交界が渦を巻いています。亡くなった良人のフレデリック・ウンベルトという人は、元の司法大臣グスタフ・ウンベルトさんの息子さんです。グスタフ・ウンベルトさんが亡くなってからもう五年になりますわね。ウンベルト夫人はすこしも洗練されていませんし、御覧の通り見たところだってちっとも取柄がありませんけれど、でも、大変なお金持なのです」
「妹さんのマドモアゼル・ドルニヤックとはちょっと会ったことがあるんですが」ル・キュウが言った。「しかし、あれがあの有名なウンベルト夫人とは気がつきませんでした」
 ウンベルト夫人の評判を思い出したル・キュウは、何か自分の不明でも弁解する必要を感じたかのように、こう付け足した。
 実際その時、「グランダルメ街の女王」の名を聞いたことのない巴里人が一人だってあったろうか。各紙の社交欄は毎日ウンベルト夫人主催の宴会の種々の報道で競争的に華やかだった。客の顔触れは何時も閣僚、外交官、作家、音楽家、法律家、演劇人等、各分野の人気者を網羅した巴里の粋だった。ウンベルト夫人は、巴里にいない時は、ヴェスウルのシャトオ・ドュ・ヴェレクシオンの古城的な別荘で、または南部のモンテ・カアロとボウリュウの間のデ・シクラメンのヴィラで、年中大規模な招宴に日夜を送っていた。じっさいテレサ・ウンベルト夫人と言えば、巴里の華美と、流行のトップと、時代のトピックを一身に集めた絢爛たる存在であった。


 エミル・ゾラ夫人は、このマダム・ウンベルトの良人は、元の法相グスタフ・ウンベルトの息フレデリック・ウンベルトであるとル・キュウに告げている。しかし、一説にはトゥルウズの田舎の洗濯屋の伜だったとも言うし、また、実はフレデリック・ウンベルトという、村の青年弁護士であったともいわれているが、ただ勿論司法大臣の息子でなかったことだけは確実である。洗濯屋の伜か駈出しの弁護士か何方かだったのだろう。


 テレサ・ドルニヤックという田舎娘に、二十一歳の誕生日が来た。テレサは、仏蘭西の農村の習慣に従って、女の方から結婚の相手を求めて近村を物色し始めた。テレサの生家は、貧困を極めた小作農で、テレサも木靴を引き擦って村の洗濯屋へ洗濯女に通っている身の上だから、嫁に行くにしても持参金というものがすこしもない。そして今でもその傾向は多分にあるが、一体仏蘭西の下層の女は、持参金無しでは仲々結婚が困難なのである。が、後年巴里グランダルメ街の女王ウンベルト夫人として名を成す位いの女だ。歴史あって以来の驚倒的大詐欺師の面影は、早くもこのテレサ・ドルニヤックの少女時代に色濃く現れていた。
 こういう種類の女性の人生冒険家は、多く何か一つだけでも人に秀でた方面を備えているのが普通だ。例えば稀に見る美人だとか、素晴らしく機智に富んでいるとか男性という男性を魅惑して止まない酷烈な性美を発散しているとか、兎に角何かの武器を有しているものだが、ここに不思議なことには、このテレサ・ドルニヤック後のウンベルト夫人は、何一つとしてそういう「長所」を有ってはいなかった。極く平凡な、何処から観ても何の変哲もない田舎女に過ぎなかった。容貌も体姿すがたも何方かと言えば普通以下だったし、人中での態度や口の利き方などにも、この種の女に附き物のように想定されている超教養の滑らかさは微塵も見られなくて、まるで無教育を曝け出しているような粗野なものだった。が、只一つ、テレサは「頭」を持っていた。打てば響くような確固しっかりした頭脳の所有者だった。その上、生れ乍らの名優でもあった。そして止まるところを知らない絶大な野心家だったのだ。それにテレサは、男でも女でも、最初の一瞥で即座に判断を下し、内的に識別する特殊の才能があったと言うから、先天的読心術師とでもいう可きもので、それだけ一面から観れば天才でもあり、同時に一種の変質者であったことは疑いを容れない。その変質者だった証拠には、粗朴な口から世にも真しやかな嘘が流れるように出て、実にテレサは、地球の知る限りの完成されたる偉大な嘘言家であった。事実一小作人の娘テレサ・ドルニヤックをして二十年の間グランダルメ街の女王テレサ・ウンベルト夫人であらしめたのは、只この祝福されたる嘘言の技能だけだった。そしてそれは、たった一つの「或る素晴らしい嘘言」であった。


 テレサ・ドルニヤックは嫁資のないことなどをすこしも苦に病みはしなかった。テレサは直ぐにこういう空想を持始めた。トゥルウズの町に大きな葡萄酒問屋をしていた富豪の伯父さんがあって、それが最近ぽっくり死んだために、その遺言により三十万法――約十二万円――という財産が思いがけなく自分へ転がり込んで来たというのだ。こうしてテレサは、便利にも、一人の「金持の伯父さん」を発明したのである。そしてこの「発明された伯父さん」は、発明と同時に――便利にも――すぐ死んで、その莫大な仮想の財産を、そっくりテレサに遺して逝った。
 こういう夢物語を暫く心の中で自分に言い聞かせているうちに、テレサはそれが真実のことのように自分でも思えて来た。女性の嘘言者にはこういう風に自分でも真実のことの様に思い込んで嘘を吐く者が多い。テレサの場合も、その一つだった。テレサはこの伯父さんの遺産のことを固い秘密として友達仲間の二、三の娘たちに打ち開けた。若い女に秘密として話したのだから、テレサの計画した通りに、それは間もなく村中へ拡まった。テレサの前に求婚者の長列が現れた。三十万法の持参金付きである。テレサは醜女で生れも賤しかったが、もう婿選びには少しも困らないことになった。
 その求婚して来る男達の中から、テレサは若い弁護士を選んだ。それがフレデリック・ウンベルトだった。が、ウンベルトは二十五歳未満だったので、仏蘭西の法律では両親の合意がなくては結婚出来ないことになっている。ウンベルト青年の父は早く死んで、母が残っていたが、この母がテレサに会って、結婚の承諾を与える前に、伯父の遺した財産なるものの実証を見たいと申込んだ。
「承知いたしました。巴里の銀行へ行って証券を引出して来て、現物をお眼に掛けましょう」
 翌る日、お祭のように着飾ったテレサが、村人の驚異の眼に送られて巴里へ出発した。が、巴里どころか、テレサは次ぎの停車場で下りてしまった。その村には、ジュラックという中年の百姓が住んでいる。ジュラックは以前テレサに結婚を申込んだことのある男だった。百姓にしては先ず金持の方だったが、年を老り過ぎているのと、それにテレサは、自分が支配し得るような良人を持って何よりも巴里へ出て活躍したかったので、ジュラックを拒絶したのだった。この男の所へテレサは行った。ジュラックが四十万法許りの貯蓄をしていることを、テレサは知っていたのだ。大部分を公債にして自宅に有っていることも調べて来ていた。仏蘭西の百姓等の間には、銀行を信用しないで家の中に財産を隠して置くことは珍らしくない。テレサはジュラックを口説いて、三十万法だけの証券を一日貸して呉れるように頼みこんだ。それを持って早速村へ帰って、フレデリック・ウンベルトの母に見せると、勿論母親はテレサのものと信じて、一も二もなく結婚の承諾が与えられた。
 そうして結婚すると直ぐ、テレサは良人のフレデリックに、このからくりの凡てを告白した。フレデリックは一時病人になる程驚いたが、それでも、二人は段々愛し合うようになって、結婚生活は可成り幸福だった。が、結婚と同時に、テレサの心はもう村にはなかった。巴里へ! というのがテレサの野心の第一歩だった。巴里へさえ行けば、自分は機智一つで立派以上に世の中を渡ることが出来る。先ずこの村を出て巴里へ移住しなければならない。巴里の鋪道には利口な人間にだけ見える紙幣の束が山のように転がっているのだ。テレサは斯う言って良人を説いた。
 良人のフレデリック・ウンベルトは、弱い性質の男だったらしい。結婚と同時に、万事テレサに牛耳られている。若いウンベルト夫妻は、間もなく憧憬の巴里へ出て来た。もうテレサは、所謂ウンベルト夫人である。出市すると直ぐ、あの「ウンベルト夫人」としての驚嘆す可き欺瞞の生活が開始された。その根源は、常にウンベルト夫人の智力と意力と空想力だけだった。それが其の後二十年間マダム・ウンベルトに豪奢の王座を許したのだ。途轍もなく尨大な財産を擁しているという評判だった。実際素晴らしい黄金の反映が後光のようにウンベルト夫人から放射されていた。それによって夫人は未曽有の女富豪として巴里の社交界に君臨し続けたのだ。
 その黄金色の反射、換言すれば、莫大な財産を所有しているという仮信は、一体このトゥルウズの百姓女の何処から来たものなのか――これが問題の中心であり、そしてその正体こそは、正に一世を笑殺驚倒せしめて、未だに人の口に上っている、ここに謂うところの「ウンベルト夫人の財産」なるものである。
 何うしたら無一文の身で王侯のような生活が出来るか――この問いに解答を与えるのが本篇だ。


 巴里へ着いたと思うと恐ろしい貧窮がウンベルト夫妻の上に押っ被さって来た。良人のフレデリックは直ぐに故郷の村へ帰ろうと言い出したが、既に一家の主権を掌握している夫人は、頑として帰村を許さなかった。それどころか、却って逆に出て無い金を掻き集めて、当時巴里第一の住宅街だったオペラ座街に、最も貴族的な高価なアパルトマンを借りて住むことになった。これが「ウンベルト夫人の生涯」への踏み出しであった。全く夫人は鉄のような神経の持主であったろうと想像される。次ぎにウンベルト夫人は、応接間の眼立つ個処に、嫌でも訪客の眼に触れずには置かないように、一個の大きな金庫を据え付けたのだ。その金庫は、三つの複雑な錠を持った鋼鉄製の厳丈な物だった。そして錠前の一つ一つに、如何にも法律的な、物々しく大きな封印が夫人の手によって施された。


「ウンベルトの百万ポンド事件」として知られているこの大々的詐欺が発覚してセエヌ県巡回裁判所へ持出されたのは、一九〇二年の五月九日だった。それ迄に、このために数千の人が破産し五人の自殺者を出し、三つの謎の死まで醸したのだが、これらの悲劇の凡ては、あの一個のウンベルト夫人の金庫から発生したものだった。その金庫の中に、夫人の手品の種が潜んでいたのだ。


 エミル・ゾラ夫人の斡旋だったに相違ない。アンジャン・レ・バン湖のサラ・ベルナアルの午餐会から一週間程してからだった。マダム・ウンベルトのリセプションへの美々しい招待状がウイリアム・ル・キュウ氏の許へ舞い込んだ。
 アヴェニウ・ドュ・ラ・グランダルメのウンベルトの大邸宅は、季節の花で謝肉祭のように飾られていた。広大なサロンは、巴里の精粋を代表する美装の群集をもって埋められていた。ウイリアム・ル・キュウは、エミル・ゾラ夫人、知事アンリ・ラモウル、ジュウル・ギヨン画伯等とサロンの一隅を占めて雑談の花を咲かせていた。ラモウル氏は、半白の痩せた紳士だ。何か金庫のことを言って、応答を待ってゾラ夫人と画家の顔を見た。ル・キュウはこの突如として現れた非芸術的な話題に驚いた。ル・キュウはウンベルト夫人の金庫のことを知らなかったのだ。
「金庫って、何の金庫です」
 ル・キュウが訊いた。ラモウル知事は不思議そうな表情をした。
「御存じないんですか、このウンベルト家の金庫を」と、驚いた時に仏蘭西人がよくするように眼を円くして、「次ぎの間に置いてある有名な金庫です。四百万以上の財産が這入っている金庫です。隣の部屋にありますよ。こっちへ来て御覧なさい」
 こう言ってラモウル氏は、ル・キュウを案内して隣室へ伴れて行った。其処は、サロンより一段小さな、しかし同じように善美を尽した別室で、開け放した窓に近く、四、五人の客が腰掛けて涼を入れていた。丁度八月の末で、蒸暑い晩だった。ル・キュウは、ラモウル氏が指さす侭に部屋の隅を見た。成程そこには防火装置を施した大型金庫が一個、壁に背を付けて置かれてあった。それは高さ七フィート、幅四呎程の家庭用としては珍らしく大きな物で、周囲の繊細な装飾とは少しも調和せずに、傲慢な態度で部屋の美観を損じていた。金庫には三個の鍵穴があった。鍵穴は三つとも赤い大きな封蝋で頑丈に塗り潰されてあった。封蝋は、穴を塞いで瘤のように盛り上って、其処から、一緒に塗り込んである幅の広い封印用リボンが、各一本ずつ垂れ下っていた。リボンは、初めは白色のものだったらしいが、其の頃はもう二十年近い歳月によって着色されて薄鼠色に汚れて見えていた。
 こんなところにこれ見よがしに大きな金庫を据えて置くなど、随分人を馬鹿にした悪趣味であるとル・キュウは思った。が、ラモウル氏とはそんな親しい交友でもないので、そうは言えなかった。只その金庫の意味を多少の好奇心をもって訊いただけだった。するとラモウル知事が、厳粛な顔付きと声でル・キュウに告げたのだ。その金庫の中には、気の弱い者を卒倒せしめるに足る多額の財産が蔵されているというのである。それは、その呪縛的な巴里の夏の夜宴に相応しいミステリアスな秘話のようにル・キュウには響いた。ル・キュウはミステリ・ロマンスの作家である。この金庫の秘密は、強くル・キュウの小説家的イマジネエションを刺激して印象されたのだった。
 ル・キュウとラモウル知事が其処で立話ししていると、著名な法学者ワルデック・ルッソオ教授と伊太利大使の夫妻が談笑して通り過ぎた。他にも世界的に有名な顔が到る所に見られた。実際ウンベルト夫人のリセプションは、仏蘭西が共和政体を知ってから最初の、そして最大の貴族的な集合であった。
 秋が来た。ル・キュウは、ウンベルト家の別荘であるヴェレクシオンの古城へ招かれて客となった。冬までの数個月を其処で過ごした。夫人の妹のマドモアゼル・マリイ・ドルニヤックも来ていた。マリイの兄のロマンとも会った。ロマンはマリイの三つ上で快活な青年だ。別荘の客は全部で十七人だった。一同はシャトオを取り巻く深林で狩猟かりを楽んだ。若い頃のル・キュウは探険家だけに鉄砲の名手だった。


 こうした表面スマアトな生活の裏に、この間にも、近世犯罪史上第一の大掛りな詐欺は、テレサ・ウンベルト夫人によって組織的に営まれつつあったのだ。ウンベルト夫人は、巴里グランダルメ街のあの金庫の内容物――或る一個の――を唯一の種に、一生涯を通じて前後実に二百万磅――約二千万円――を詐取するのに成功したのである。若し小説家がこんなプロットを考えて作品として発表したならば、公衆は其の非現実性を嗤って一顧をも与えないであろう。がこの話しは小説ではない。厳正に事実であるのだ。しかも、度々言うように、犯人は平凡にして無学なる一個の百姓女なのだ。想うに、その平凡なるところ、その無学なるところ、何よりもその美人でないところ、そして能弁でないところが、却って人々をしてこの稀代の女詐欺師テレサ・ウンベルト夫人を信じせしめ、あれ程長期に亙る其の犯罪を可能ならしめた最大の原因ではなかろうか。
 被害者の大群に、浮世の表裏に通じた、鋭い観察眼の老成の実業家が多かったことも、皮肉な一事であるとともに、よく這般の心理的逆用の事情を物語っている。


 各種の記録によって尠からぬ相違点がある。が凡べてを取入れて態と雑然と話しを進めて往こうと思う。従って記述が前後したり、又多少重複する個処があるかも知れない。
 グランダルメ街の金庫の秘密は当初からウイリアム・ル・キュウの作家的空想を把握して離さなかった。事実その金庫は全巴里の幻想だったと言っていい。莫大な財産が這入った儘封印されている金庫が、グランダルメのウンベルト家にある――これは巴里の話題だった。巴里の常識だった。同時に、巴里最大の好奇の的でもあった。


 セエヌ県巡回裁判所の記録によると、このテレサ・ドルニヤックはトゥルウズの附近ポウセル村の生れとなっている。普魯西プロシヤ侵入の二年後、同地にドルニヤック伯爵と呼ぶ赤貧洗うが如き老人が住んでいて、これがテレサの父だった。丁度その頃は、普魯西との戦乱によって無一物になった貴族達が各地方に散らばっていた時なので、ボウセルの村人も、この乞食のようなドルニャック伯爵を別に怪しみはしなかったが、勿論伯爵などというのは出鱈目で、只の其の日暮らしの小作人にしか過ぎなかった。こうなるとテレサの嘘言癖は親譲りのものかも知れない。とにかくテレサは、一八七四年に父の「伯爵」が死ぬと同時に、タルン地方のマルコット古城が自分の有となったと言い触らして、この古城を嫁入りの財産にしてフレデリック・ウンベルトと結婚したのだとも言われている。が、これは前述のジュラックの証券を借りてフレデリックの母親を誤魔化したというほうが正しいらしい。それから二人は巴里へ出たのだが、一説にははじめは可成り苦労もしたらしく、ブロヴァンス街にささやかな家を借りて、良人のフレデリックは法律事務所に通い、テレサも当分は従順で節約な普通の主婦だったとある。それでもテレサはまだマルコット古城の夢を捨てずにいて、自分から出たようでなく、上手にこの話しを拡めたものだから、出入りの商人など皆信じて盛んに貸売りをした。フレデリックでさえ事実と思い込んでいたというのだから、テレサの嘘の才能は正に技神に入るの類だったのだろう。マルコット城の所有に関する色んな書類なども、テレサは何時の間にか偽造して持っていたことは言う迄もない。が、そのうちに借金で首が廻らなくなって、二人はモンジュ街へ移った。そこでも、「マルコットの古城」が利いて、夫妻は当分日用品を借りることには困らなかった。しかし、現金を見せない以上、そう長く引張って置けるわけがない。とうとう出入商人の一人がタルン地方へ照会して、同地方にそんな城の存在しないことを発見した。そうなると、債権者は一度に殺到して、流石のテレサも始めて言い抜けに困ったのだが、すると間もなく、一八八一年の三月である。
 テレサは早くからこの計画を樹てて、今まで必要な文書などを調べながら、じっと巴里人の心理を研究していたのだ。その時、誰が言いはじめたともなく、こんな噂が巴里中へ拡がって往った。
 テレサ・ウンベルト夫人という女が、奇妙な出来事から亜米利加の一富豪と相識しりあいになり、八万磅の財産を受け継ぐことになった――。
 この私語が行われている最中、ウンベルト夫妻は夫人の主張により、オペラ座街一流のアパルトマンへ引越して、其処の応接間に、或る日、あの厳かな封印を施した大型金庫が最初の姿を現したのだ。
「あら! マダム、何が這入っておりますの? まあ、立派な金庫で御座いますわね」
 ウンベルト夫人が予期した通り、この、客間に据え付けられた殺風景な怪物は忽ち凡べての訪客の視線の焦点となり、誰もが驚異の眼を見張って斯う質問した。これに対して、夫人は何時も軽く手を振って答えた。
「あああれ? 御承知で御座いましょう? 亜米利加から参りました財産。一千万法ばかりぎっしり詰まっておりますの。あれでも、すこし小さいんですけれど――嫌ですわねえ、サロンにあんな物を置いて。お眼ざわりでしたら御免遊ばせ。でも、あんまり重いんでとても二階へは上げられませんでしたの」
 そして夫人は事も無げに笑ったが、聞かされた客は一斉に度胆を抜かれた。一千万法と言えば四百万磅である。噂の八万磅が何時の間にかこんな途方もない額に上って、正直な人々の驚きと羨望のうちに、ウンベルト夫妻は暫くして凱旋門の向うのアヴェニウ・ドュ・ラ・グランダルメに、宏荘な邸を買って移転したのだった。
 こうしてウンベルト家は一躍して巴里一流の、いや、巴里第一の富豪となった。凡ゆる関係の財産家が蝿のように夫人の周囲に群がって来た。その中から選んで金を借りるに、夫人はすこしの不便も感じなかった。夫人の交際は、社会的に世界的に名を知られた人達ばかりとなった。殊にエミル・ゾラ夫妻とサラ・ベルナアルはウンベルト夫人の親友だった。フレデリックの死後、ウンベルト夫人の派手な生活振りは一層激しくなった。巴里の贅沢と流行と社交はウンベルト夫人が独占した形だった。ウイリアム・ル・キュウが最も親しい交友の一人に数えられるようになったのも、この頃からだった。
 グランダルメ街の大金庫は、依然として封印の儘で、一人として内部を見た者はない。
 それなら、その莫大なウンベルト夫人の生活費は何処から来たか――そして、この金庫の中には何が這入っている?


 暑い九月の午後、米国市伽古シカゴ市の富豪ロバアト・ヘンリイ・クロウフォウド氏は、ベレエルへ行く途中、巴里のグラネイユ停車場からセンチュウル鉄道の一車室へ乗り込んだ。汽車はすいていたので、クロウフォウドは一人でコンパアトメントを占領して、扉を閉め切っていた。クロウフォウドは老人で、身体も衰弱していたから、その残暑の猛烈な日中にも、むしろこうして密閉した車室内で、ひとりで気楽に旅行したかったのだ。が、汽車が田舎へ出ると同時に、遮るもののない日光と、激しい草いきれと、むっとするような機関の熱気とが車内に立ち罩めて、老クロウフォウドは、何時の間にか胸苦しさを覚えて来た。眩暈を感じ出した。そして、汽車がモンスウルを過ぎた頃は、かれは車室の床に倒れて、助けを呼ぶつもりで大声に呻いていた。
 丁度これは、テレサ・ウンベルトの結婚二年目のことで、テレサも、やはりこの汽車でベレエルへ行こうとして、クロウフォウドの隣りの車室に乗り合わせていた。そして、クロウフォウドのうめき声を聞きつけて、隣室との境の壁を叩いて呼んでみたが、何の返事もないので、テレサは、非常な危険を冒して一度自分の車室を出て、列車の外側に附いている踏板ずたいに[#「踏板ずたいに」はママ]、となりのコンパアトメントを覗いて見た。白髪の老紳士が、意識不明におちいって、座席からずり落ちている。テレサは、やっとのことで扉をあけて這入りこんで、先ず気附けの嗅ぎ薬を与え、洋襟カラアをゆるめ、それから、抱きかかえて、座席の隅へ立てかけるように据わらせて介抱すると、老人は間もなく、意識を回復した。かれは、老人によくある持病の心臓病が急発したのだったが、癒るのも早かった。二人はベレエルへ着くまで話しこんで、すっかり十年の相識のようになり、クロウフォウドは何度も何度もテレサに感謝して、その名前と住所を訊いて紙片に書き取って降りて行った。
 降りがけに、クロウフォウドが言った。
「マダム、またきっとお眼に掛ることもありましょう。が、御覧のとおり、私はこんな老人ですし、それに、今のような心臓の発作がありますので、若しこれきりお会いする機会がないようなことがあっても、今日のあなたの行為に対する私の謝意だけは、何卒御遠慮なくお納め下さい。実は、いま私はポケットに大金を持っています。あの苦悶の最中に悪者に発見されたとしたら、ああして無力の状態にあった私は、金は勿論、生命さえ失っていたかも知れません。そう思うと、勇敢にして親切なるマダムは、全く私の命の恩人です。私は必ず死の床において、誰よりも先ず第一にあなたを記憶することでしょう。そして、何らかの形で、この深甚な感謝のこころを表すつもりです」
 市伽古の老富豪ロバアト・ヘンリイ・クロウフォウド氏は、テレサに名刺を呈して、固い握手を交したのち、まだ幾分よろめく足を踏みしめて、それでも元気に降りて行った。クロウフォウドは、そこで乗換えて、次ぎの駅のアヴェニウ・ドュ・ヴァンサンヌまで行く用事があった――というのである。


 真しやかな話しだ。が、これだけのことなら如何にも汽車中などで有りそうな小事件で、うそでもほんとでも、一向差閊えないが、この、テレサのいわゆる「市伽古のロバアトヘンリイ・クロウフォウドとの[#「ロバアトヘンリイ・クロウフォウドとの」はママ]」偶然の邂逅こそは、後に、あのグランダルメ街の女王テレサ・ウンベルト夫人の唯一の「財源」となり、例の神秘的な金庫の存在理由となったのだから、テレサの嘘言の技能は先天的なものであり、また実際何人をも信ぜしめる一種の催眠術的魅力を備えていたものと言わなければならない。
 この、巴里・ベレエル間の汽車中の出来事は、すっかりテレサ・ウンベルトの作りごとだったのだ。ロバアト・ヘンリイ・クロウフォウドなどという人間は、市伽古は勿論、はじめから何処にも存在しないのである。


 二年経った。テレサ・ウンベルトは、この「小説的な汽車中の握手」など、何時の間にか綺麗に忘れていたという。すると或る日、紐育の弁護士から、巴里のテレサの許に一通の分厚な書状が届いた。開けてみると、老クロウフォウドの遺書の写しで、いつか約束のとおり、英貨八万磅の財産をあなたに遺して逝くから受納してくれというのだった――と、兎に角、そうテレサは、言い触らさないように巧みにいいふらしたのだ。
 八万磅というのが、当初の額だった。が、それが、人の口を通してゴシップに運ばれているうちに、この夢物語のような「クロウフォウドの黄金」は、間もなく物凄い高に上って、やがて百万磅、次に四百万磅とまで取り沙汰されるに到った。


 こうして鰻のぼりに噂されたウンベルトの財産は、その後二十年のあいだ全巴里を瞞着して、当時の仏蘭西人はみんな、ウンベルト夫人は法律上の必要な手続きとその条件を満足させさえすれば、早晩それだけの金額を受け継ぐものと信じ切って、この天下の幸運児である夫人にひとしく羨望の眼を向けたものだ。一説には、ウンベルト夫人は、借金に責め立てられた揚句、苦し紛れに、出鱈目に市伽古の富豪ロバアト・ヘンリイ・クロウフォウドという仮人格を案出して、自分はその莫大な遺産の相続人であるといい出したところが、意外にも、債権者のことごとくがそれを真に受けたために、夫人は後から思いついて、あの一生涯に亙る組織的詐欺を企てたのだとも言われているが、これは矢張り、前掲の汽車中の対面をそれとなく拡めて置いて、二年後に突如として遺産相続の件を持出したのでも解る通りに、最初から注意深く組み立てたウンベルト夫人のプランだったのだろう。このことは、彼女が、この物語の真実を証拠立てるために、ロバアト・ヘンリイ・クロウフォウドの遺書の写しをはじめ、其の他多くの米仏両国にわたる法律上の文書を作成して用意していたことでも首肯される。
 人気や評判というものは妙なもので、何時の世にも、それらは大部分批判の外にある。テレサ・ウンベルト夫人は、斯うして一躍巴里第一の女富豪に祭り上げられたのだが、ここに一つ困ったことは、その遺産相続に条件が附いていて、当分現金を引き出すことが出来ない。彼女自身、或る時期が来るまで、指一本触れることを許されていない。まことに不便な話しだが、彼女の相続に異議を申立てた者があるので、止むを得ないというのである。亜米利加から送って来た、あの大きな金庫に厳重な封印が施されて、正当な所有主である筈の自分でさえ、その金庫を開けて在中の財産を取り出すことを米仏の法律によってここ暫く禁じられているのは、そういう訳があるからだ――と、テレサ・ウンベルト夫人が打ち明けたのだった。
 故ロバアト・ヘンリイ・クロウフォウドには、二人の甥があって、彼らが、叔父の遺産の各三分の一を要求して、ウンベルト夫人を相手取り、夫人の相続額の三分の二を奪還すべく、亜米利加で訴訟を起したために、五月蝿うるさい問題になりかけているというのが、折角思いがけないことから大財産を入手したウンベルト夫人に直面した「困難」であった。好事魔多しというところである。夫人は、このいきさつを誰にでも話して、最後に楽観的にこう附け足すのが常だった。
「でも、弁護士の方に伺ってみると、クロウフォウドの甥御さん達はそんなことを主張なさる権利は法律上すこしもないんだそうで御座います。ですから裁判になれば、先方が敗訴するに決まっているんですけれど、それが確定する迄は、わたくしも、自分の所有でありながら、この財産に手をつけるわけにはいきませんの。この通り金庫に入れて厳封した儘、誰ひとり開けることを許されません。わたくしも困りますけれど、何うせ勝つと解っている裁判ですから、そのほうは、ちっとも心配しておりません」
 たとえまた夫人の負けとなって、三分の一ずつクロウフォウドの甥たちに分配しなければならないことになっても、すくなくとも残余の三分の一だけは、正確に夫人の有に帰するのである。その三分の一と見ても、英貨約百三十三万三千三百三十三磅だ。矢張り素晴らしい額たるを失わない。
 これには、後で詳述するとおりに、種々な法律行為が伴ったのだが、とにかくウンベルト夫人は、この、徹頭徹尾自分の頭脳一つから出た嘘言うそを、自然のうちに、人々に受入れさせてしまった。クロウフォウドの甥という、幽霊のような存在を代理する、同じく幽霊のような亜米利加の弁護士の口供書なるものが、山のように呈出された。それに附随して、あらゆる種類の法律上の証書が持出され、戸籍謄本、死亡証明等々々である。この空想の裁判が、じつに二十年近くも抗続されたのだった。そして、これらの物々しい書類によって、ウンベルト夫人は仏国一流の金融家達をさえ、まんまと丸め込むことが出来たに相違ない。或る者は、莫大な彼女の裁判費用を引き受け、またある者は、金庫が開く日までの当座の生活を保証し、多くの富豪が、先を争って彼女に後援を申出て、彼女に、あのグランダルメの女王としての豪奢極まる生活を可能ならしめたのだ。勿論、こうして金を貸した人々は、慾得づくだった。今にも開くであろう金庫を眼当てに、途方もない高利の約束だったのである。


 実際ウンベルト夫人は、近代詐欺師中の女王として、いわゆる鋼鉄製の神経と真鍮の顔との所有者であったろうとうなずける。この出鱈目を一年間保ちこたえるだけでも、それには、余程特殊な、そして非凡な才能を必要とすることは解り切っているが、夫人は、それを二十年のあいだ押し通して容易に尻尾を出さなかったのみか、つねに社交界の中心を占めて、衣裳、装身具、グランダルメ街の招宴と、終始最大級の贅沢をもって一貫したのだ。莫大な金が費やされたことは、言うまでもない。が、その金は、坐ったまま、ウンベルト夫人のうえに雨のように降り注いだ。後で判明した被害者の一部だけでも、有名なダイヤモンド商ルウリナ氏が十六万磅、ルウ・ドュ・ラ・ペエの宝石商デュモレ氏は七万二千磅、リル市のスカッツマン氏が二十八万磅、エルボフ市の富豪ジラルド氏が二十八万八千磅、ヴァレンシアンヌのルフエヴル氏は十六万八千磅、ルウベエ市のキャリオ氏が十六万磅、銀行家のポウル・ベルナアル氏は十二万磅を夫れぞれ一枚の借用証書と交換に、喜んでウンベルト夫人に渡している。
 この、マンモスのように巨怪なからくりを、不思議なほど円滑に旋回させた中軸は、何処までも、あのたった一つの金庫であった。ウンベルト夫人は、一刻も早く金庫を開けたいと焦って何度となく逆襲的に、亜米利加にいる二人のクロウフォウドの甥を相手に訴訟を提起した。ふたりも、凡ゆる法律的方法をもって妨害を試みて、この幽霊裁判の成行きは、その都度、大々的に新聞紙上に報道され、巴里人は、手に汗を握る思いで、金庫の開かれる日を待ったのだった。大西洋を隔てて、しっきりなしに劇的な裁判が続いている――と公衆は信じさせられていたのだが、それがすべて、マダム・ウンベルトの独り相撲であったことは、いうまでもない。夫人は右の手で金庫を開けようとし、左の手で其の邪魔をして、巧みに世人の好奇心をつないで往ったのである。


 問題のロバアト・ヘンリイ・クロウフォウドは南仏の海岸ニイスで急死したということだった。この点を証明するために、同市ルウ・ドュ・フランス街に居住していた同名の者の死亡証明が提出された。それには、立派に其の筋のスタンプと責任者の署名があって、一見何人をも首肯せしめるに足るものだった。はじめ紐育の弁護士からウンベルト夫人に移牒されたクロウフォウドの遺書に関して、その内容を法律的に確定させるために、夫人は直ちに、巴里有数の弁護士をして調査せしめたのだったが、それと同時に、米国にいる二人の甥から、夫人の相続に対して異議の申請があったのだった。あったというのだった。そのために、裁判が落着する迄、ウンベルト家の金庫は開けることを禁じられた。これが、一八八一年の三月である。それから夫人は、時には、妹のマリイ・ドルニヤックを表面に立て、ロマンとエミルの二人の兄弟の助力を借りて、宣伝に宣伝を重ね、年中行事的に、海の向うのクロウフォウドの甥を相手に、金庫を開けることの請求を裁判に持出しながら、いや、正確には、そういう裁判が進行していると称しながら、この大芝居を打ち続けたのだ。金庫は、今にも開けていいようなことになるかと思えば、また突如として、当分開けられないことになったりして、常に巴里人をやきもきさせた。
 著名な法学者ワルデック・ルッソオの名さえ、このウンベルト夫人の相続事件に関連して見えている位いだから、如何に夫人によって、そこに色いろ具体的な法律上の問題が巧妙に投げられたか、想像される。


 その間も、トゥルウズの洗濯婦テレサ・ウンベルトの贅沢ぶりは、際限がなかった。一八九七年の一年間だけに、ドゥセの店で三千七百八十磅、ウオルツで千四百磅の衣裳を買っている。ドゥセとウオルツが、巴里第一の衣裳屋であることは、人の知る通りだ。同じ年に、ウンベルト夫人は、帽子だけに八百五十磅費ったとある。このウンベルト夫人が、単なる信用一つ――それも、彼女の機智と嘘言とによる――で生活していようとは、世間は夢にも思わなかった。


 最初に怪しいと感ずいたのは、リヨンの銀行家ドュラット氏だった。彼も、ウンベルト夫人に少からざる額を貸してある一人だったが、一日ヴェレクシオンの別荘に招かれた時、それとなく訊いてみた。
「クロウフォウドさんの甥という人達は、一体亜米利加の何処に住んでいるのです?」
 夫人は、ボストンの郊外のサマヴィルにいるとだけしか答えなかったが、ドュラットは、二、三日して、誰にも告げずにアウヴル港から紐育へ渡り、ボストンで私立探偵を雇って、サマヴィルは勿論、ボストンを中心に広く捜査してみた。そして、言うまでもなく、それに該当する者が居住していないことを発見したのだった。


 二個月後に、巴里の建築家でアンリ・ヴァンサンドンという人が、その時急に破産に直面したため、二年前にウンベルト夫人に貸した五十万法の返済を請求して、夫人に拒絶されたのでボア・ドュ・ブウロウニュで拳銃ピストル自殺した事件が突発した。これが、ウンベルト事件に血を見た最初で、スカッツマン、ポウル・ベルナアル、ジラルドの三人が自殺したのは、後から、全部が詐欺で、貸した金は一文も取れないと判明してからだった。
 が、何んなに敏活な詐欺師でも、何時かは、ほんの鳥渡した舌の滑りから、ついに致命的な自縄自縛を招くものである。マダム・ウンベルトも、その例に洩れなかった。グランダルメの街の邸の応接間で、夫人が四、五人の客と雑談している時だった。そのなかに、仏蘭西銀行の重役ジュウル・ビザア氏がいて、不意に夫人に質問したのだった。
「無論あなたは、金庫に這入っているクロウフォウドさんの遺産を、御覧になったことがあるんでしょうね」
 夫人は、詰らないことを訊くというように、笑った。
「わたくしが立会って、金庫に入れて封印したんですもの。勿論、見ましたわ」
「紙幣ですか。公債ですか」
「公債です」
「何処の公債ですか」
「フランスの年期公債です」
 言ってしまってから、夫人ははっとしてビザア氏を見た。ビザア氏も内心、危く叫び声を上げようとした程、驚いたのだが、表面は、どこまでも気が付かない風を装って、黙っていた。しかし、この時は既に、その不用意なウンベルト夫人の一言によって、すべてが詐欺であることを、ビザア氏は看破してしまっていた。
 仏蘭西の年金公債は、一年ごとに現金に換えなければならないのである。
 若し夫人の言う通り、金庫の内容が仏蘭西政府の年期公債ならば、夫人は、今までに、一年に一度ずつ金庫を開けて来た筈だ――ジュウル・ビザア氏は、思いがけなくこの大詐欺を発見して、その、ウンベルト夫人の面前で、絶大な恐怖に襲われた。が、かれは、その場は飽くまでも平静を装って、何も言わなかった。夫人も、其のビザアの様子に安心したものか、直ぐに話頭を転じただけだった。
 こうして、第一の発見者はジュウル・ビザア氏だった。
 同時にその頃は、金庫の開く場合を想定して夫人に融通して来た債権者達が、しびれを切らして、裁判所に向って、夫人に金庫をあけることを命令せよと迫っていた。最後の債権者会議が開かれたのは、一九〇一年の初頭だった。その席上で、夫人は今まで多方面から借用した金を、全部長年にわたる、あのクロウフォウドの甥との訴訟に費消した筈で、その額は、既に夥しい高に上っているから、いま金庫が開かれても、債権者の尽くが満足な弁済を受けうるか何うか不安を感ぜざるを得ないと決議された。これは勿論、表面穏当な理由として立てられた言辞に過ぎなく、かれらの大部分は、ウンベルト夫人の財産に疑念を抱きはじめていたのだった。この、債権者団を代表して法廷に立ったのは、ワルデック・ルッソオだった。一方、ルッソウは、マタン紙に寄稿して、ウンベルト夫人の財産が全然虚妄のものであることを摘発したのだった。エミル・ゾラと、予審判事ボルサンとが、ルッソオに助力して奔走した結果、裁判所も終に黙過出来なくなって、とうとう一九〇二年の五月九日を期して問題の金庫を開けることになったのだが、すると、その前夜、テレサ・ウンベルトは、妹のマリイ・ドルニヤックとロマンとエミルの二人の兄弟と一緒に、巴里から姿を消してしまった。
 翌朝、エミル・ゾラ、ワルデック・ルッソオ、マタン記者、警察官、債権者の代表等が立会いの上、封印を切って金庫を開くと――空ではなかった。洋袴ズボン釦鈕ボタンが一つ、大きな棚の中段に、うやうやしく載っていて、それはいまだに全巴里の笑い草になっている。
 はじめ、倫敦へ高飛びしたという噂が高く、スカットランド・ヤアドが大分活躍したのだったが、十二月になって、ロマン・ドルニヤックの署名のあるリヨン銀行の小切手が、西班牙のマラガで引出されたことから足がついて、間もなく一同は、マドリッドの陋巷に亜米利加人と名乗って潜伏中を巴里から急行したコロン探偵によって逮捕された。裁判は、セエヌ懸巡回裁判所において、翌一九〇三年の二月六日から八月まで続いた。ウンベルト夫人が、その半生を通じて詐取した金高は、被害者がすべて社会地位のある人々なので、不明を恥じて名乗り出ないために、適確な額はとうとう判らずに終ったが、五百万磅を下るまいという推定であった。
 判決は、テレサ・ウンベルト、五年。ロマン・ドルニャック、三年。エミル、二年。マリイ・ドルニヤックは無罪だった。
 この芝居の大立物だった例の金庫は、その後長くブランシェ街の古物商の店頭に異彩を放って、好奇な巴里人の見物が絶えなかった。


 ウンベルト夫人の財産――それは、一個のズボンのボタンだった。





底本:「世界怪奇実話※(ローマ数字1、1-13-21)」桃源社
   1969(昭和44)年10月1日発行
初出:「中央公論 第四十五年第二〜三號五百五〜五百六號」中央公論社
   1930(昭和5)年2月1日、3月1日
※「次ぎに」と「次に」、「厳丈」と「頑丈」、「ポウセル」と「ボウセル」、「セエヌ懸巡回裁判所」と「セエヌ県巡回裁判所」、「年期公債」と「年金公債」、「ドルニヤック」と「ドルニャック」、「ルッソウ」と「ルッソオ」の混在は、底本通りです。
入力:A子
校正:mt.battie
2025年1月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「亜/土」    56-下-6


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