「こら、何故お前はそんな所に寝ているんだ」
フリッツ・ハアルマンが斯う声を掛けると、古着を叩き付けたように腰掛けに長くなって眠っていた子供が、むっくり起き上った。独逸サクソニイ州ハノウヴァ市の停車場待合室は、電力の節約で、巨大な土窖のように暗い。ハアルマンは透かすようにして子供の顔を見た。一九一八年十一月二十三日の真夜中だった。霙を混えた氷雨が、煤煙を溶かして、停車場の窓硝子を黒く撫でている。大戦後間もなくのことで、広い構内には、火の気一つないのだが、それでも、拾い集めた
「何うしたんだ。お前、家はないのか」
彼は少年の肩を掴んで荒々しく揺すぶりながら、顔はにやにや笑っていた。この、本篇の主人公、ハノウヴァ市の肉屋フリッツ・ハアルマン―― Fritz Haarmann ――は、まず何よりも先に稀代の男色漢だったのだ。
Saxony の Hanover 市から、ライプツィヒの方へ少し南下した所に Weetzer という小都会がある。Friedel Rothe は、このウィイツェル町のピアノ調律師ラインハルト・ロッテの息子だった。其の珍らしい美貌が禍して、性来少からず不良性を帯びていたかも知れないが、この十二歳の少年の性格を破壊したのは、矢張りあの大戦だった。町の壮青年は全部出征する。フリイデルの父親もその一人だ。戦争という国家興亡の非常時に際して、日常の徳律は些少しか云為されない。フリイデルは何時しか不良少年の群に投じて、ハノウヴァを中心に放浪生活を続けていた。ハノウヴァは、地図で見ても判る通り、伯林、ハンブルグ、ブレイメン、ドュッセルドルフ、ケルン、フランクフルト、ライプツィヒ等、四通八達の鉄道線路が網の目のように集まっている中点である。欧洲大戦の直後、
同市ツエラルストラッセ二十七番―― 27 Cellarstrasse は、停車場と公設市場の中程にある、赤煉瓦の燻んだ、低い建物で、愛嬌者の肉屋フリッツ・ハアルマンの店として附近に知られていた。ハアルマンという男は、写真で見ると、丸顔にちょび髯を生やして、快活な円い眼をした、中肉中背、と言うより、幾らか背が低くて小肥りの、呑気そうな人物である。附近の公設市場をぶらぶらして、仲買人の手を経ずに、肉類を協定価額以下にこっそり仕入れて来て売るのが、このハアルマンの商賃で、ツエラルストラッセの店には、一通り牛豚鳥類の肉が置いてあるのは勿論、冷蔵庫、売台、計量器、肉切台、各種の庖丁等、備品も立派に整い、裏街の小店ながら、普通の肉屋の体裁を備えていた。ハアルマンは三十三歳。独身だった。店員も置かず、身の周りから店の事まで、万事独りで遣っていた。勿論、人を置く必要のない程小さな商売だったが、それよりも、他に人を置けない理由があったのだった。
このツエラルストラッセ二十七番の肉屋の店に立って、「血だらけな前掛」をして
知れている限り、このフリイデル・ロッテ少年がハアルマンの最初の犠牲者ということになっているが、犯人は刑死に先立って犯行の全部を自白した訳ではないし、何しろ、大戦直後のことで、人別、人の動き等平時には想像だも出来ない程混乱を極めた時代だから、少年の失踪、捜索願などは各地の警察に徒らに山積して、その内幾割かが正式に受理されて法の発動を見たに過ぎない状態なので、勿論確実な事は判明していない。が、兎に角、この第一のロッテ事件に因って、肉屋ハアルマンの正体の何分の一かが其の筋に知れて、爾後其の意味での注意人物――変態性慾者――として或る程度の看視を受けるに到った。と言うのは、今もいう通り、少年少女とのみ言わず、行衛不明の届や捜索願は、ハノウヴァの警察にも氾濫していたけれど、もっと根本的な、一般的秩序の樹て直しに忙殺されていて、それらの比較的小さな事件には殆んど一顧も払わない、と言うより、正確には、払う暇のない有様だったのが、何ういうものか、このフリイデル・ロッテの捜索願だけは取上げになって、しかも不思議にも、まるで針で指示するように、捜査の手は直ちに伸びてツエラルストラッセの肉商フリッツ・ハアルマン方を襲っている。これでハアルマンという男に、鳥渡ハノウヴァ市民の視線が集まって、近処では大評判にもなったのだが、併しそれは、皮肉にも、この人鬼の本然の姿を曝露したものではなかった。単に鶏×常習者として、寧ろ異常者に対する多分の憐憫と滑稽の眼を以って視られたに過ぎなかった。
斯うである。
ウィイツェル町のロッテの家で、母のゲルトルウト・ロッテ夫人が、家出した息子の身の上を案じて狂気のようになっていると、少年が失踪した二日目に、既に平和が回復していたので良人のピアノ調律師ラインハルト・ロッテが軍務を解かれて帰って来た。そこで夫婦は相談して、近接各市の警察へフリイデルの捜索願を出したのだが、あの、フリッツ・ハアルマンがハノウヴァの停車場待合室でフリイデル少年に近づいていた頃、何う言う風の吹廻しか、其の捜索願の一つに動かされて、既に同市警察は腰を上げつつあったのだ。
ベンチに眠っている所を叩き起されたフリイデル・ロッテは、ハアルマンを警察の旦那と許り思い込んで、専心哀訴歎願し始めた。事実また、このハアルマンは、勿論刑事ではなかったが、その下働きのような格で、警察の仕事を手伝ってもいた。所謂
その儘ツエラルストラッセの店の二階へフリイデルを連れ帰って、其の夜は美食と煖い寝床を与えて休養させた後、翌朝少年に暴行を加えようとすると――以下は一九二四年七月三十日以後の公判廷に於ける犯人ハアルマンの得々たる陳述である――既に年長の悪友に依ってそういう事を知っていたらしいフリイデル少年は、恐怖困迷等の色なく、却って薄化粧までして大いにハアルマンの意を迎え、その都度彼の慾望を満足せしめたとある。斯うしてハアルマンは、十一月二十三日から四日間、この美少年と奇怪な生活を持ったのだが、その間、近処の者は、誰もハアルマンの家に少年の泊り客があること等は気が付かなかった。自白に依ると、冬の事で、高温に保った寝室に××にして監禁し、連日連夜×んだと言っている。が、二十七日に到って、その寝室にも、少年の姿は見られなくなった。
そして、翌る八日の朝、ハアルマンは例によって、「血だらけの前掛」をして、狭い店でせっせと「何か」の肉を切っていた。肉屋に「血だらけな前掛」は附き物である。傍らの錻力缶に大小の骨片が投げ込まれてあるのも、肉屋の店では見慣れた景色だ。近処の神さん達が買出しに来る。ハアルマンの背後の壁に、釘に差さって血の垂れている大きな肉片は、「今朝早く屠殺した犢」である。軟かいこと請合だと言う。おまけに破格に安価い。仲買の手を通さないからだと説明し乍ら、ハアルマンは其の肉を切って売る。古くなると腸詰にするのだ。そうすると又素晴らしく美味く食べられるぞ――そんな事を言って、愛想よく客に応対していると、店の前を町内の人が通る。
「
「お早う!」
大声の朝の挨拶、快活な冗談が投げ交わされる。時には、若い衆など店へ這入って来て、喫煙と雑談で油を売って行く。平和で平凡な裏町スナップの一つだ。斯うしてツエラルストラッセの肉屋さんは、「威勢の好い兄哥」、「面白い小父さん」として、依然として界隈の人気者だ。
地震で、大洋の海底が陥没したとする。すると其処から、今まで吾われの識らなかった、一見


肉屋に化けた人鬼 Fritz Haarmann の潜んでいたハノウヴァ市は、大戦の余災を最も多く被った都会の一つだった。喧嘩して取っ組み合っているときは、疲労も傷害の痛苦も余り感じないが、いざ喧嘩が済んで昂奮が収まってみると、疲労と痛苦が一時に襲い掛って来るように、あの大戦に参加した各国は、
警察は無力だった。戦争によって人員と能率に大打撃を受けている。しかも、その覚束ない警察力で、戦前の穏良な、固定的な市民群に対してと同じように、この過渡時代の
Cellarstrasse は、この恐怖区域を走っている小さな往来である。ハアルマンの肉屋のあったのは二十七番で、店というより土窖の感じの、暗い、湿った建物だ。前に言ったように、市場こぼれの肉を売り乍ら、一方警察の鼻という、犯罪の巣窟に設置された特報機関、早く言えばスパイだ。英米で俗に謂う Stool-pigeon, 本朝では手先、あれを稼いでいたと言うが、これは、当時の独逸では珍らしい事ではなく、ハノウヴァにも、この種の其の筋と密かに気脈を通ずる市民が無数に散らばっていて、フリッツ・ハアルマンはその一人に過ぎない。上記のような市の情況に直面して、窮余の対応策として当局が案出した一種の補助機関で、これによって極左団体と浮遊人口の犯罪計画を未前に嗅ぎ出そうという、その百鬼昼行時代の一つの必要から発生した制度だったが、この、密告者として警察に接近している筈のフリッツ・ハアルマンが、其の眼下で、あの言語に絶した犯行を職業的に継続したのは、正に皮肉以上である。
尤もハアルマンは、初めから利用する心算で、カモフラアジュとしてスパイの役を貰ったに相違ない。だからこそ、あれ程の犯罪がああ長く知れずに過ぎたのだ。それと言うのが、警察とハアルマンのような常備間牒との間には、暗黙の了解が成立していて、何うせスパイを稼ぐような奴だから、碌な事はしないに決まっているが、其処はお上御用の役に免じて微罪はお眼こぼしと言う事になっていた。つまり大の虫を殺す為に小の虫に眼を瞑るのだ。余り表面に出ない限り、大概の事は不問に附して呉れる。土台、警察としては、必要に迫られて遣っていることで、そうでなくても、小事件を顧みる時間も人手も無いのだから、その澎湃たる犯罪の大波の前に、内輪の者に等しいスパイの行動など、何ら注意されなかったのである。斯う言う何から何まで快適な四囲の条件に乗って、その狂暴な慾望が、フリッツ・ハアルマンを自在に推進させたのだ。武骨な、そして元気な、人当りの好い「町の男」で、そう言えば、変質者によくある、きいきい引っ掻くような、高調子の、女性的な声をしていた。
表看板の肉類は、附近の公設市場から、拾うようにして仕入れて来る。もう一つの肉は、これも附近の停車場で釣って来て、其の食糧欠乏の日に、ハアルマンだけはストックに困らなかった。流行る訳だ。相変らずにこにこして、誰彼となく軽い冗談口を叩き乍ら、「血だらけな前掛」をして肉を切っている。自慢の腸詰を作っている。この腸詰がまた評判物で、実によく売れた。
さて、ロッテ夫婦のフリイデル少年捜索願を受理したハノウヴァ警察である。放浪少年の集まる場処と言えば停車場に決まっているから、
警察の連中は、よく来て、皆勝手を知っている家だし、それに、相手が独身者の呑気屋の事だからと、別に案内も乞わずに、のこのこ二階へ押し上って、突然ハアルマンの寝室を開けると、一同は呆気に取られて終った。
床に倒した椅子の背と脚に、××の少年の××を縛して、ハアルマンが醜態を演じている最中だった。が、少年は既に目的のフリイデル・ロッテではなかった。Leon Glunz という十四歳の矢張り美少年で、同じく浮浪児だったが、これは停車場で発見したのではなく、ツエラルストラッセの街上で会って、甘言をもって伴れ込んだのだった。このレオン・グルンツは、斯うして警察の手に落ちて、××された許りで「犢の肉」にも腸詰にもならずに、危い所で助かっている。フリッツ・ハアルマンは、現行犯だから仕方がない。この事件で猥褻罪として隣町ウンストルフの刑務所に九個月食い込んだ。警察を始め、ツエラルストラッセの人々が呆れ返った事は、言う迄もない。が、茲に最も奇怪なのは、幾ら混乱時代の犯罪都市ハノウヴァだからと言って、これで警察が、宛も満足したかのように、当初の対象である筈のフリイデル・ロッテ少年の捜査をきっぱり打ち切ったことである。無証拠として断念す可きどころか、容疑者ハアルマンが意外な少年愛好者と判明した以上、勇躍してフリイデルの其の後に関して一層追究しそうなものなのが、何ういう意味か、フリイデル事件はこれで一先ず立ち消えになっている。この点は未だに説明されていないのみか、其の時、ハアルマン方の家宅捜索は愚か、醜行現場の寝室内さえ碌すっぽ検分しなかった証拠には、寝台傍に小卓が据えてある。その中段に、無雑作に新聞に包んだ円い物が置いてあったのだが、それこそは、一行が探し求めていたフリイデルの生首だった。後で裁判の時、ハアルマン自身そう証言した。
独逸腸詰の一種にフランクフルトと言うのがある。一名ウイニイとも謂って、亜米利加辺りでは俗に hot dog と称する。何故この腸詰を
子供が、長いこと肉屋の前を往ったり来たりして、頻りに店の奥を覗くので、肉屋の主人が五月蝿がって、到頭怒り出した。
「おい、小僧、何だってそんな所に立って見ているんだ」
すると子供は済まして、
「僕の犬が居なくなっちゃった」
「なに? お前の犬が居なくなったって、何も俺の知ったことじゃないじゃないか」
「そうかも知れないけど、でも、変だなあ。僕が此処で口笛を吹くと、あの、向うにぶら下がっている腸詰がひらひら動くよ」
と言うのだが、これは犬の肉だから笑い話しで済む。
一九一九年の九月にウンストルフを出獄したフリッツ・ハアルマンは、其の足でハノウヴァへ帰ったが、ツエラルストラッセの古巣へは這入らなかった。直ぐ近処の横町で、103 Neuestrasse に新居を卜して、矢張り肉屋を始めた。ハアルマンが
この四十八人と言う数は、公判でハアルマン自身が豪語したところで、裁判記録には、左の二十八名だけが犠牲者表として登載されている。
一、Friedel Rothe 十二歳。ウィイツェル在。
二、Fritz Franke 十七歳。伯林。
三、Wilhelm Schulze 十一歳。伯林。
四、Roland Huch 十五歳。オスナブルック市。
五、Hans Sennenfeld 二十歳。伯林。
六、Ernst Ehrenberg 十三歳。ミュンステル。
七、Heinrich Struss 年齢前住所不詳。
八、Paul Bronischewski 十五歳。Bochum 在。
九、Richard Graf 十七歳。ハノウヴァ市。
十、Wilhelm Erdner 十七歳。
十一、Hermann Wolf 十六歳。ミンデン町。
十二、Heinz Brinkmann 十三歳。ハノウヴァ。
十三、Adolf Hennies 十七歳。ポツダム。
十四、Hans Keimes 十七歳。ドレスデン。
十五、Ernst Spiecker 十七歳。伯林。
十六、Heinrich Koch 十八歳。前住地不詳。
十七、Willi Senger 二十歳。ヘルツベルヒ在。
十八、Hermann Speichert 十五歳。ミンデン近郊。
十九、Alfred Hogrefe 十七歳。伯林。
二十、Robert Witzel 十七歳。伯林。
二十一、Hermann Bock 二十三歳。ミュンステル。
二十二、Wilhelm Apel 十六歳。ヒルデシャイム。
二十三、Heinz Martin 十六歳。ハノウヴァ。
二十四、Fritz Wittig 十七歳。ハノウヴァ。
二十五、Friedrich Abeling 十歳。ラレンドルフ町。
二十六、Friedrich Koch 十六歳。前住地不詳。
二十七、Frich de Vries 十七歳。ハノウヴァ。
二十八、Adolf Hannappel 年齢前住所不詳。
ハアルマンは前科者で、一九一八年に出獄して、ツエラルストラッセ二十七番に落着いたのだったが、それから最後に捕縛される迄、本人は四十八人の少年を、誘拐、監禁、暴行、殺害、人肉売り、腸詰製造の順序で「処分」したと誇称しているが、人間一人の生死等何方へ転んでも大した問題にならなかったごたごたの最中の事だから、勿論正確な数は判っていない。が、フリイデル・ロッテ事件から起算して、大体二週間に一人の割で殺したことになっている。二、Fritz Franke 十七歳。伯林。
三、Wilhelm Schulze 十一歳。伯林。
四、Roland Huch 十五歳。オスナブルック市。
五、Hans Sennenfeld 二十歳。伯林。
六、Ernst Ehrenberg 十三歳。ミュンステル。
七、Heinrich Struss 年齢前住所不詳。
八、Paul Bronischewski 十五歳。Bochum 在。
九、Richard Graf 十七歳。ハノウヴァ市。
十、Wilhelm Erdner 十七歳。
十一、Hermann Wolf 十六歳。ミンデン町。
十二、Heinz Brinkmann 十三歳。ハノウヴァ。
十三、Adolf Hennies 十七歳。ポツダム。
十四、Hans Keimes 十七歳。ドレスデン。
十五、Ernst Spiecker 十七歳。伯林。
十六、Heinrich Koch 十八歳。前住地不詳。
十七、Willi Senger 二十歳。ヘルツベルヒ在。
十八、Hermann Speichert 十五歳。ミンデン近郊。
十九、Alfred Hogrefe 十七歳。伯林。
二十、Robert Witzel 十七歳。伯林。
二十一、Hermann Bock 二十三歳。ミュンステル。
二十二、Wilhelm Apel 十六歳。ヒルデシャイム。
二十三、Heinz Martin 十六歳。ハノウヴァ。
二十四、Fritz Wittig 十七歳。ハノウヴァ。
二十五、Friedrich Abeling 十歳。ラレンドルフ町。
二十六、Friedrich Koch 十六歳。前住地不詳。
二十七、Frich de Vries 十七歳。ハノウヴァ。
二十八、Adolf Hannappel 年齢前住所不詳。
これらの少年は凡べて戦争の生んだ浮浪児で当てもなく家出して来てハノウヴァの停車場内外に乞食同然の生活をしていたものだ。闇黒に呑まれ去ったように消息が断ち切れて、発見の可能性もなく、警察へ届け出ても真剣に動いては呉れず、両親達は何うすることも出来ない。常に何十人の、時として百に余る此の家出少年の群が、殊に夜になるとハノウヴァの街上から停車場に集まって来て、明日の食を獲る眼当てもなく、待合室の腰掛けに重なり合って眠っていた。其処へ、刑事を装ったフリッツ・ハアルマンが毎夜のように現れて、少年を起して廻る。
斯うして彼は、其の変態性を唆る美少年を物色したのだ。疲れ切って慾も得も無くなっている子供達の上に、警察を仄めかすハアルマンの脅しは利いたに相違ない。眠りこけている少年達の顔を覗き廻って、これと思うのを発見すると、彼は威猛高に起しに掛る。
「こら、何故お前はそんな所に寝ているんだ」
この声は、それに依って呼び起された少年にとって、正に運命的なものだった。事実、死刑の宣告にも等しかった。眼を覚ましてみると、私服らしい赫ら顔の男が、叱るように睨み付けて突っ立っている。が、その少年が相当愛くるしい容貌の
「お前家はないのか」
そして、少年の
が、依然としてフリッツ・ハアルマンは、愛嬌者の「街の肉屋」だ。朝早くから快活に仕事に就いて、せっせと肉を切っている。「血だらけな前掛」をして、鼻唄混りに、肉を叩いている。大きな骨から、肉を引き離している。骨は、足許の錻力缶へ山のように投げ込まれる。肉は肉で、血の垂れた儘、背後の壁の釘に刺して下げて置く。新鮮な犢の肉だ。少し古くなると、腸詰に拵える。フリッツ・ハアルマンの店は、何時来て見ても、ストックが豊富だった。冷蔵庫には、小さく切った肉片が、各段にきちんと並べてあった。血と肉と骨は、肉屋の店の日常の光景である。人は少しも奇異の感を抱かないし、店主ハアルマンは日増しに血色好く、陽気に、呑気に、小肥りに、界隈の道化者になって往った。若い衆が入り交り立ち代り店へ這入って来て、馬鹿話しをして往く。前を通る町内の誰かれに、ハアルマンは肉の上から大声の挨拶だ。
日が経った。
この「肉屋に化けた人鬼」フリッツ・ハアルマンの逮捕となった直接の証拠は、一枚の外套だった。それは、犠牲者中の最年少者、二十五番に出ているフリイドリッヒ・アベリンク――十歳。ラレンドルフ町――の外套だった。が、これより先、丁度其の頃、ハノウヴァ市クロステルストラッセ二二一番に、Herbert Grans という図書館員が住んでいた。息子を Hans Grans といって、二十四になる。
この図書館員ヘルベルト・グランスの息子ハンス・グランスは札附の不良で、フリッツ・ハアルマンよりもほんの一色薄いだけの悪党だった。二十四歳という若僧の癖に、詐欺、竊盗、女衒で前科何犯という強か者、これがハアルマンと親分
この「妻」のグランスに促されて、ハアルマンは一層、その戦慄すべき犯行を重ねて往ったのだと言う。似た者夫婦、所謂「鬼夫婦」の二人である。店に「柔かい犢の肉」が尠くなると、グランスにやいやい急きつかれるので、ハアルマンは夜停車場へ出掛けて行って少年を捜して来る。「結婚」以後のハアルマンは、実に絶えずグランスによって踊らされたのだ。ここで妙な表現が記録に残っている。一九二四年七月三十一日の公判廷で、ハアルマンが惚気混りに陳述した所に依ると、
「グランスは毎夜寝台で私の脇腹にぐりぐり肘を当て乍ら甘えた声で何か言いました。そうされると不思議に、私は、何事でも彼の欲する通りにしなければならないような気がして来るのです。そして凡べて彼の言うように致しました」
と言うのだが、この「彼」の所が「彼女」でありさえすれば、普通の夫婦生活の一情景として別に異とするに足らないけれど、それが男同士なのだから、何ともグロテスクな限りである。おまけに、只の変態的な告白かと思って聞いていると、流石ハアルマンだけに抜目がなくて、後へ持って来て、
「ですから、それ以後の事件は皆グランスが主犯で、私は単に彼の命令通り動いたに過ぎません」
巧みに責任を転嫁しようとしている。
同じノイエストラッセに、界隈の不良の集会所でカフエ・クルウプケという家があった。二人は
ロッテ少年から最後のハナペルに到るまで犯行の手口は大同小異だった。何時も停車場に居眠っている浮浪少年の中から犠牲者を物色して、ハアルマンが刑事顔をして伴れ込むか、後からは稀にグランスも出掛けて行って馴れなれしそうに話しかけて銜えこんで来た。二人で××を加え乍ら何日か飼った後、稼業用の大型××××で「処理」して、骨は溜めて置いて大概ライン河へ抛り込んだ。衣類や所持品は安値で古着屋に売り飛ばして、エキストラ収入とし、其の金でカフエ・クルウプケで
鶏×、殺害の順序方法等の細部に入ることは、単に不必要な許りでなく、徒らに伏字の連続になって終うが、実際に殺す場合には、全事件を通じてフリッツ・ハアルマンが単独の下手人であった事は言う迄もない。尤も本人はヘルマン・ウオルフ殺しだけは否定しているが、その理由がふるっている。このミンデン市から来た十六歳の少年は、彼の興味を唆る可く些か醜く、且つ余りに不潔だったと言うのだ。ハンス・カイムスもグランスが殺したのだと主張したが、グランスは当時入獄していたのだから、このハアルマンの抗弁は通らなかった。二十三になるヘルマン・ボックを殺害した後の如きは、ハアルマンは当分ボックの衣服を着ていた位いだ。それは後で、ボックの父親とハアルマンの近処の者が其の着物を見て証言した所だ。ボックの場合だけではなく、殺された少年の着衣や所持品は、各人に就いて大概一つ二つ宛、ノイエストラッセの家で二人に使用されていたのが発見された。登載されている最後のアドルフ・ハナペルの如きは、グランスが其の
茲に鳥渡変なのは、ハンス・カイムス殺しとフリイドリッヒ・アベリンク殺しと二つの場合である。後者に於て、今迄実に要心深かったハアルマンが、実に不注意な動きをしているのだ。此の事件は最後から四つ目なので、長期に亙る殺人生活に慣れっこになって、免感的に[#「免感的に」はママ]神経が鈍麻して来ていたに相違ない。一九二四年五月二十五日、その十歳になる少年が、菓子を与えるから尾いて来いとノイエストラッセの殺人窟へ伴れ去られてから、月が変って、六月十七日のことだ。フリイドリッヒ・アベリンクは、当時兄と姉と一緒にラレンドルフ町からハノウヴァの伯父の家に来て、ウイルヘルム街三一二番に住んでいたのだが、その十七日の夕方、フリイドリッヒの姉でアリスという十四になる少女が、家の前の往来で近処の子供達と遊んでいると、突然見知らぬ男が声を掛けて、自分はお前の伯父の友人で、今お前の所へ綺麗なカアドを持って来て遣ったが、お前が家に居ないので伯母さんに預けて来たと言うので、アリスが家に駈け戻って見ると、そんな人が訪ねて来た事実もなく、勿論カアドなどは残されていなかった。
後に証拠固めの時、この少女アリスとその時一緒に遊んでいた子供達を呼び出してハアルマンを見せると、彼らは一斉にそれがあの時の見知らぬ男に相違ないと[#「相違ないと」は底本では「相達ないと」]証言した。ハアルマンは何の為にそんな事をしたのかよく判らない。排他的に少年を好んで、女性には用のない筈のハアルマンだから、別に話し掛けて何うしようと言う気はなかったのだろう。只アリスが遊んでいるところへ通りかかったので、一寸戯ったのだろうが、彼は、アリスがフリイドリッヒの姉であることや、彼等の家庭の事情は、或る程度まで、殺した少年から聞いて知っていたに相違ない。何う言う心算か、多分売りに行く途中ででもあったのか、その時彼は、フリイドリッヒ少年の雨外套を抱えていた。それは、フリイドリッヒが行衛不明になる時着ていたもので、アリスには勿論見覚えがあった。が、綺麗なカアドと言うのに気を取られて、其の時はこの外套を見た事を言うのを忘れていたが、後日このアリスの証言は、ハアルマンを絞首台へ追い上げる重大な効果を持った。
カイムス殺しの場合は、一層不可解なものである。捜査願に依って、ハノウヴァの警察は、全市に亙ってこの十七歳の少年の姿を求めつつあった。すると、捜査が開始された数日後である。何となく其の筋の手が身辺に迫るのを感じたものか、ハアルマンは奇怪な行動を採って、例の非公式警官、民間スパイとして、彼の方からドレスデンへ出掛けて行ってハンス・カイムスの生家を訪問している。そして、悲嘆に暮れている両親から少年の写真を乞い受けて、必ず三日間に発見して連れて来ると約束した。より奇怪なのは、其の足で直ぐハアルマンはハノウヴァ市へ引き返して警察へ出頭し、「愛妻」である筈のハンス・グランスをカイムス少年殺しの犯人として訴え出ている事だ。ところがグランスは、丁度其の事件の前後他の事で入獄していて、彼が犯人であり得る訳はないし、第一、そのグランスが、カイムスが失踪した以前から引続き入獄中であることは、ハアルマンは先刻承知の筈である。何でこんな盲動をしたのか判断に苦しむのだが、それよりも、この事件の特異性は、それが屍体が発見された唯一の場合であることだ。カイムスだけは、ハアルマンの肉屋で×売りされたのではなかった。二個月後に、ハノウヴァ市を貫いてラインに合流している運河の浚渫工事で偶然発見された。羊のように四肢を一つに縛されていた。肉屋の遣りそうな縛り方だ。死因は頚部の扼殺だった。
如何に大戦直後の混乱時代のハノウヴァ市でも、斯かる大々的人間××が前後十六個月間も何ら警察の耳目に触れることなく過ぎたと言うのは鳥渡信じ難く思われるが、これには、当時の無政府的な状態の他に、少くとも二つの特種の事情が作用して、この稀代の人鬼フリッツ・ハアルマンの犯罪をして発覚を遅らしめたと言う事が出来る。其の一は、彼の職業が肉屋で、自宅で肉を切ったり骨を棄てたりする事は当り前だから、血だらけの
一つは、あのフリイデル・ロッテ殺しの直ぐ後に踏み込まれた時だが、それから、ウンストルフから出獄して間もなく、二人の売春婦が、彼の不在中にノイエストラッセの店へ肉を買いに来て、
大犯罪には、よく散在的な小さな緒が集まって自働的に発見の動機を作るように、このハアルマン事件もそうだった。
少年が頻ぴんと闇黒に呑まれて、流石腰の重い警察も何とか全線的に活動を起さなければならない事情に迫られている時、そして、何となくノイエストラッセの方面から異臭が漂って来るようで、ハアルマンの肉屋なる存在が真剣な意味で気になり出して来た矢先、一九二四年五月二十八日だったが、四、五人の子供達が、ラインの岸に近い浅瀬の泥の中で、少年の物と覚しき完態を備えている頭蓋骨を発見した。そして引続き不思議にも、翌二十九日、矢張り同じ場所から今度は三個同時に何れも少年らしい頭蓋骨が出て来た。それらは凡べて即時警察へ送られたのだが、すると、又また警察は、奇妙な程無関心な態度を採って、既に、例の肥っちょの肉屋スパイ、フリッツ・ハアルマンに関する充分疑わしい報告を受取って前提的な智識があるにも係らず、依然として泰然たるもので、それらの頭蓋骨は、医学生の悪戯か、或いは上流の他の町から流れて来た物であろうとあっさり無視して終った。そして、其の儘二個月経った。五月末から、六、七と此の二個月の間に、ハアルマンの殺人リストには、最後の三人が加えられていた。Friedrich Koch, Frich de Vries, Adolf Hannapper.
冷水を浴びたように、ぐっと警察を緊張させる為には、この連続的な三つの失踪が必要だったと見える。警察は急に狼狽して、今度は、嫌疑の眼を一時にハアルマンに向けた。が、実証を挙げる可く活躍に移る段になると、何しろ人員不足の場合ではあるし、それに、大概顔を識られているので、彼を取巻いて内密の裡に洗って往くと言うことが出来ない。そこで、急遽伯林から二名の腕っこきの刑事が迎えられてハアルマンの看視に就く。August Fromm と言う絶世の美少年を探し出して、これを囮に使った。この時既にハアルマンはノイエストラッセ一〇三番の自宅の附近に煙りのように立ち迷う其の筋の注視を感知して、逸早く市の他端に位する古い
斯うして、ハアルマンの罪が最早動かす可からざるものとなっている最中、もう一つ、退っ引ならぬ証拠が意外な所から現れて、頑固に白を切っていたハアルマンの顔色を奪ったのだ。以前のノイエストラッセのハアルマンの家主の息子が、失踪中の一少年の外套を有っている事が発見されたのである。被害者の少年の両親は、それが、少年が家を出た時に着ていた物に相違ないことを証言するし、家主の息子は、確かにハアルマンから貰ったのだと承認した。茲に於て、初めは処女のようであった警察も、今は脱兎の如く猛然とハアルマンを攻めに掛る。酷烈な十字火訊問、
ハアルマンが折れて来て、徐そろ口を割りそうな形勢を見せてきたのは、この七月二十四日からだった。
Fritz Haarmann は、一八七九年十一月二日、ハノウヴァ市に生れた。父は街灯点火人で、市庁の門番のような仕事をも兼ねていた。父、Gustav Haarmann、母、Verna。フリッツはこの母のヴェルナが四十三の時の出産で、男三人女三人の六人兄姉の末子だった。父のダスタフも酔漢で評判の好くない男だったが、長兄だけは何うやら真面目に進んで、伯林で税吏を勤めていた。もう一人の兄は、幼女に暴行を働いて長く刑務所に入っていた。フリッツが少年期に達した頃、三人の姉は三人とも売春婦だった。
斯ういう家庭が彼の生涯に致命的な暗い影響を投げたことは言う迄もない。幼少の頃から、人眼に付いて、後世恐る可しの不良児だった。趣味や行状は、何うしても男の子とは思えなかった。まるで女だった。十五の年に小学校を出て、直ぐニュウ・ブライザッハの下士官養成所へ入り、後軍隊に編入された。が、一年も経たない内に、激しい癲癇の発作に襲われるようになった。これが
ハノウヴァ市に帰って来ると、父親は、街燈点火人の仕事も、市役所の小使の口も止して、小規模な葉巻製造業を始めていたので、フリッツも此処に働くことになったが、落付くと同時に軍隊で覚えた変態癖が再発して、空地等に於て附近の子供に対する彼の行動が注目を惹くに到り、異常者として郊外ライン河畔の市立精神病院に送られた。が、六個月にして病院を脱走し、
多殺者は、その職業的殺人を開始する前に、多くの場合、竊盗犯であり、詐欺師であり、幾多の前科を潜って来るものだと言われているが、ハアルマンもそうだった。実に、その後の数年間、彼は監獄へ出たり這入ったりしている。罪条は区々で、強窃盗、少年姦、掏摸、詐欺など、その間も父親は、何とかして息子フリッツに正業を与えようと、一度は自分と同じ葉巻製造を、次ぎには、魚の天婦羅の屋台店のようなものを出させて試たが、何れも失敗に終った。その内益ます低下して、裏街に隠れ住んで、常習の犯罪者と伍すようになったので、父親のグスタフ、母ヴェルナも呆れて、以後すっぱり交渉を断ち切るようになった。その頃フリッツは、ライン河岸の倉庫に荷作人として働いていたが、相当の額の在庫品を竊取したことが露見して、五年の懲役に処せられた。これが一九一四年の事で、つまりハアルマンは、あの大戦の期間を呑気に刑務所で送ったのだ。一九一八年に出獄して見ると、世の中は一変して、サクソニイ州は戦後の飢饉状態だ。古い社会制度は独逸帝国と共に倒れ、新しいものは興ろうとして未だ固まらずにいる。この場合に際して、警察の怖るるに足らない事を、ハアルマンは一眼で看取した。ツェラルストラッセに肉屋を開いて、公設市場から誤魔化して来た肉と、あの、停車場から誤魔化して来た「肉」とを売り出して、物資窮乏の折柄、小さな店ながら素晴らしく儲けを上げたのは、それから間もなくだった。
公判は一九二四年七月三十日からハノウヴァ市サクソニイ州裁判所で開かれた。此の頃には既に、前記の種々動かす可からざる確証が続々上って、ハアルマンは比較的あっさり事実を認めた。出獄した許りのハンス・グランスも、共犯又は助犯として逮捕されていた。
法廷に於るハアルマンは、概して冷然と、興味のない顔で周囲の人々を見廻していた。何かグランスと自分と陳述が違って不利な立場に置かれると、彼は時どき其の尊大な自己満足の態度を忘れたように、甲高い声で喚いたり、罵ったりした。グランスは態とらしく無関心に構えて、ハアルマンの方を見ようともしなかった。が、不思議なことに、人気は何方かと言うとハアルマンにあった。ゴッティンゲン精神病院のシュワルツ博士と、ハノウヴァ大学のシャックウイッツ博士とが、改めてハアルマンとグランスの精神鑑査をしたが、答えはネガティヴで、二人とも立派に普通人の責任能力を有している事が判明した。弁護士の唯一の論拠もこれで崩れて、グランスには終身刑、ハアルマンには死刑の宣告が下った。刑死前にハアルマンは長文の告白を認めたが、それは少しも悔悟とか求道とか言う、斯ういう場合に在り来りの宗教的センチメンタリズムを帯びた物ではなかった。却って躍心的に、単に殺す為にのみ殺すことの快楽を高調したものだった。
フリッツ・ハアルマンも人並みに、死ぬのを嫌がったが、彼は、死んで終えば、もう少年を犯す事も、その肉を食べたり売ったりすることも出来ないので、それで、死を呪ったのだろう。
二十八名の少年を殺した事に記載されているのが、彼は大不服だった。自分でも判然したことは解らないが、四十八人迄は記憶していると言って、彼は、その犠牲者の数が実際より尠いのに非道く引け目を感じている様子だ。絞首台に立っても其の一つ事をぶつくさ呟いていた。実に完全に人を喰った男であった。