肉屋に化けた人鬼

牧逸馬





「こら、何故お前はそんな所に寝ているんだ」
 フリッツ・ハアルマンが斯う声を掛けると、古着を叩き付けたように腰掛けに長くなって眠っていた子供が、むっくり起き上った。独逸サクソニイ州ハノウヴァ市の停車場待合室は、電力の節約で、巨大な土窖のように暗い。ハアルマンは透かすようにして子供の顔を見た。一九一八年十一月二十三日の真夜中だった。霙を混えた氷雨が、煤煙を溶かして、停車場の窓硝子を黒く撫でている。大戦後間もなくのことで、広い構内には、火の気一つないのだが、それでも、拾い集めた襤褸ぼろ片や紙屑等で身体を囲って、ベンチにぐっすり寝込んでいたフリイデル・ロッテは、突然呶鳴り付けられて喫驚※[#「てへん+発」、118-上-13]ね起き乍ら、ははあ、刑事だな。警察へ引っ張られて保護とか言う五月蝿い目に遭わないように、いつものように此処で謝罪あやまって終おうと、十二歳の少年だったが、浮浪児に特徴の卑屈な、そして、う職業的になっている笑顔を作って、その、自分を覗き込んでいる男を見上げた。それは、少年の微笑と言うよりも、娼婦が、誰にも教えられずに何時の間にか体得する、手法的な媚びに近かった。それ程、フリイデル・ロッテは、悩艶と言って好い位いの美少年だったので、起したフリッツ・ハアルマンの方が驚いた。
「何うしたんだ。お前、家はないのか」
 彼は少年の肩を掴んで荒々しく揺すぶりながら、顔はにやにや笑っていた。この、本篇の主人公、ハノウヴァ市の肉屋フリッツ・ハアルマン―― Fritz Haarmann ――は、まず何よりも先に稀代の男色漢だったのだ。
 Saxony の Hanover 市から、ライプツィヒの方へ少し南下した所に Weetzer という小都会がある。Friedel Rothe は、このウィイツェル町のピアノ調律師ラインハルト・ロッテの息子だった。其の珍らしい美貌が禍して、性来少からず不良性を帯びていたかも知れないが、この十二歳の少年の性格を破壊したのは、矢張りあの大戦だった。町の壮青年は全部出征する。フリイデルの父親もその一人だ。戦争という国家興亡の非常時に際して、日常の徳律は些少しか云為されない。フリイデルは何時しか不良少年の群に投じて、ハノウヴァを中心に放浪生活を続けていた。ハノウヴァは、地図で見ても判る通り、伯林、ハンブルグ、ブレイメン、ドュッセルドルフ、ケルン、フランクフルト、ライプツィヒ等、四通八達の鉄道線路が網の目のように集まっている中点である。欧洲大戦の直後、此市ここの停車場のプラットフォウムと待合室は、日に何回となく各方面からの列車によって吐き出される避難民と浮浪者の大群で、名状す可からざる混雑を呈していた。或る者は炊事道具を持込んで停車場で生活している。或る者は遊牧の民に還元して、停車場を足溜りに家族を引き伴れて食を漁る。そしてその大部分は、全国的な食糧不足、家庭の離散、社会的不安、それらの肉体的及び精神的飢餓に追い立てられて町から町を浮動している、十代の少年だったということは、想像に難くない。彼等は、仔犬のように互いの体温で煖め合って、空貨車や無蓋車の中、プラットフォウムの隅、待合室の腰掛けなどで夜を明かすのだが、フリイデル・ロッテもその一人だった。
 同市ツエラルストラッセ二十七番―― 27 Cellarstrasse は、停車場と公設市場の中程にある、赤煉瓦の燻んだ、低い建物で、愛嬌者の肉屋フリッツ・ハアルマンの店として附近に知られていた。ハアルマンという男は、写真で見ると、丸顔にちょび髯を生やして、快活な円い眼をした、中肉中背、と言うより、幾らか背が低くて小肥りの、呑気そうな人物である。附近の公設市場をぶらぶらして、仲買人の手を経ずに、肉類を協定価額以下にこっそり仕入れて来て売るのが、このハアルマンの商賃で、ツエラルストラッセの店には、一通り牛豚鳥類の肉が置いてあるのは勿論、冷蔵庫、売台、計量器、肉切台、各種の庖丁等、備品も立派に整い、裏街の小店ながら、普通の肉屋の体裁を備えていた。ハアルマンは三十三歳。独身だった。店員も置かず、身の周りから店の事まで、万事独りで遣っていた。勿論、人を置く必要のない程小さな商売だったが、それよりも、他に人を置けない理由があったのだった。
 このツエラルストラッセ二十七番の肉屋の店に立って、「血だらけな前掛」をして襯衣シャツの腕まくりをしたフリッツ・ハアルマンは、毎日赭ら顔をにこにこさせて、肉を切ったり腸詰を作ったりしている。肉屋の「血だらけな前掛」は、人の注意を惹く可く余りに普通事である。傍らの錻力缶に、大小の白い骨が一杯詰っているのも、肉屋であってみれば異とするに足らない。近処のお神さん連が肉を買いに来る。町内の人が前を通る。時には立寄って、煙草の烟りと雑談を残して行く。平和且つ平凡なる裏町風景の一つである。ハアルマンは其の誰とも愛想よく応対して、斯うして「ツエラルストラッセの肉屋さん」は、界隈の人気者だった。店で肉を小売りしていた許りでなく、行商にも出たという。御用聞きのようなことをしたり、品物を担いでお顧客とくいを廻ったりしたのだろう。
 知れている限り、このフリイデル・ロッテ少年がハアルマンの最初の犠牲者ということになっているが、犯人は刑死に先立って犯行の全部を自白した訳ではないし、何しろ、大戦直後のことで、人別、人の動き等平時には想像だも出来ない程混乱を極めた時代だから、少年の失踪、捜索願などは各地の警察に徒らに山積して、その内幾割かが正式に受理されて法の発動を見たに過ぎない状態なので、勿論確実な事は判明していない。が、兎に角、この第一のロッテ事件に因って、肉屋ハアルマンの正体の何分の一かが其の筋に知れて、爾後其の意味での注意人物――変態性慾者――として或る程度の看視を受けるに到った。と言うのは、今もいう通り、少年少女とのみ言わず、行衛不明の届や捜索願は、ハノウヴァの警察にも氾濫していたけれど、もっと根本的な、一般的秩序の樹て直しに忙殺されていて、それらの比較的小さな事件には殆んど一顧も払わない、と言うより、正確には、払う暇のない有様だったのが、何ういうものか、このフリイデル・ロッテの捜索願だけは取上げになって、しかも不思議にも、まるで針で指示するように、捜査の手は直ちに伸びてツエラルストラッセの肉商フリッツ・ハアルマン方を襲っている。これでハアルマンという男に、鳥渡ハノウヴァ市民の視線が集まって、近処では大評判にもなったのだが、併しそれは、皮肉にも、この人鬼の本然の姿を曝露したものではなかった。単に鶏×常習者として、寧ろ異常者に対する多分の憐憫と滑稽の眼を以って視られたに過ぎなかった。
 斯うである。
 ウィイツェル町のロッテの家で、母のゲルトルウト・ロッテ夫人が、家出した息子の身の上を案じて狂気のようになっていると、少年が失踪した二日目に、既に平和が回復していたので良人のピアノ調律師ラインハルト・ロッテが軍務を解かれて帰って来た。そこで夫婦は相談して、近接各市の警察へフリイデルの捜索願を出したのだが、あの、フリッツ・ハアルマンがハノウヴァの停車場待合室でフリイデル少年に近づいていた頃、何う言う風の吹廻しか、其の捜索願の一つに動かされて、既に同市警察は腰を上げつつあったのだ。
 ベンチに眠っている所を叩き起されたフリイデル・ロッテは、ハアルマンを警察の旦那と許り思い込んで、専心哀訴歎願し始めた。事実また、このハアルマンは、勿論刑事ではなかったが、その下働きのような格で、警察の仕事を手伝ってもいた。所謂民間探偵ストウル・ビジョン[#ルビの「ストウル・ビジョン」はママ]――囮鳩――というやつで、鳥渡妙な話しだが、これは後で説明する。が、日本で言えば、丁度江戸時代の岡っ引きに相当する役柄だから、好い事にして、署の者だ位い言ったに相違ない。相手は、幾ら不良でも十二の子供である。許されないと知って、顫え上っている美少年を急き立てて、肚に一物あるハアルマンは変態的な情炎を燃やし乍ら停車場を出た。その、二人伴れ立って停車場を出る所を、同じ不良で放浪仲間の猶太人の少年エリヒ・ホルトハウゼンが見ていたのだが、ハアルマンは気が付かない。
 その儘ツエラルストラッセの店の二階へフリイデルを連れ帰って、其の夜は美食と煖い寝床を与えて休養させた後、翌朝少年に暴行を加えようとすると――以下は一九二四年七月三十日以後の公判廷に於ける犯人ハアルマンの得々たる陳述である――既に年長の悪友に依ってそういう事を知っていたらしいフリイデル少年は、恐怖困迷等の色なく、却って薄化粧までして大いにハアルマンの意を迎え、その都度彼の慾望を満足せしめたとある。斯うしてハアルマンは、十一月二十三日から四日間、この美少年と奇怪な生活を持ったのだが、その間、近処の者は、誰もハアルマンの家に少年の泊り客があること等は気が付かなかった。自白に依ると、冬の事で、高温に保った寝室に××にして監禁し、連日連夜×んだと言っている。が、二十七日に到って、その寝室にも、少年の姿は見られなくなった。
 そして、翌る八日の朝、ハアルマンは例によって、「血だらけの前掛」をして、狭い店でせっせと「何か」の肉を切っていた。肉屋に「血だらけな前掛」は附き物である。傍らの錻力缶に大小の骨片が投げ込まれてあるのも、肉屋の店では見慣れた景色だ。近処の神さん達が買出しに来る。ハアルマンの背後の壁に、釘に差さって血の垂れている大きな肉片は、「今朝早く屠殺した犢」である。軟かいこと請合だと言う。おまけに破格に安価い。仲買の手を通さないからだと説明し乍ら、ハアルマンは其の肉を切って売る。古くなると腸詰にするのだ。そうすると又素晴らしく美味く食べられるぞ――そんな事を言って、愛想よく客に応対していると、店の前を町内の人が通る。
お早うグウテン・モルガン!」
「お早う!」
 大声の朝の挨拶、快活な冗談が投げ交わされる。時には、若い衆など店へ這入って来て、喫煙と雑談で油を売って行く。平和で平凡な裏町スナップの一つだ。斯うしてツエラルストラッセの肉屋さんは、「威勢の好い兄哥」、「面白い小父さん」として、依然として界隈の人気者だ。


 地震で、大洋の海底が陥没したとする。すると其処から、今まで吾われの識らなかった、一見※(「口+区」、第4水準2-3-68)吐を催すような、醜怪極まりない形態を備えた巨生物が這い出すかも知れない。丁度それと同じように、大戦は、一時完全に社会生活の秩序と常識を倒壊して、其の余震最中に、茲に、普通時には現れることを許されない、正に※(「口+区」、第4水準2-3-68)吐を催すような、人道的に醜怪極まりない一匹の人鬼を追い出したのだ。この、社会規約の弛緩した割目から頭を出した怪物――それは、ハノウヴァ市の、一人の陽気な「巷の肉屋」の形を採って、血だらけの前掛をしてにこにこ顔で鼻唄を歌っていた。
 肉屋に化けた人鬼 Fritz Haarmann の潜んでいたハノウヴァ市は、大戦の余災を最も多く被った都会の一つだった。喧嘩して取っ組み合っているときは、疲労も傷害の痛苦も余り感じないが、いざ喧嘩が済んで昂奮が収まってみると、疲労と痛苦が一時に襲い掛って来るように、あの大戦に参加した各国は、平和克復アウミスティスと同時に、今更のように国内の疲弊困憊を意識して、公安の樹立に向って即時第二の開戦を余儀なくされたと言っていい。その最も惨状を呈したのが、戦敗国の独逸だったことは勿論である。物資の欠乏は全国を刷いて、洪水のような避難民の大群は蝗虫が襲来したように視野に入る凡べての物を食い尽し、食糧の切符制度など、此の急場に際しては焼石に水だ。都鄙を通じて、現実に飢餓に迫っていた。この時に当って、フリッツ・ハアルマンの「商品」が、何らの疑問を受ける暇もなく、それ所か、市民の歓迎と感謝の下に、吸われるように捌けて往ったに不思議はない。
 警察は無力だった。戦争によって人員と能率に大打撃を受けている。しかも、その覚束ない警察力で、戦前の穏良な、固定的な市民群に対してと同じように、この過渡時代の旋渦メルストロムを抑えようと言うのだから、初めから出来ない相談に決まっている。実に当時のハノウヴァ市の公序を保って往く為には、その三倍の警察力を必要としたと言われている。斯かる致命的に不可能な状態だったから、当局は好い加減に、そして形式的に警察事務を管掌していたに過ぎない。暗黒、恐怖の無政府状態が、完全にハノウヴァ市を包み去っていた。尤も、この人事的な理由以外に、この都会に特有な風土的理由が、一層当事の警察をして手も足も出なくしていたと言うのは、元来ハノウヴァは、欧羅巴に於ける最も古い町の一つである。単に古い歴史を持つ許りでなく、今だに古い外貌を持っていて、鳥渡街を歩いてみても、旅行者の驚異にまで、所謂近代味の侵蝕が甚だ尠いのを発見する。筆者は、外遊の砌、此市ここに小閑を偸んで数日遊覧の機を得たが、市街の一部は、何世紀前其の儘の姿を残していて、人気の荒い、物凄い細民街を形作っている。始終濡れている不気味な暗い露地、影の深い小広場、曲りくねった細い横丁、其処では、住民が一度結束して警察に背中を向けたが最後、兇悪な犯罪者の一個旅団が、極く僅少の発見の可能性の下に、長期に亙って、安全に生棲出来ると言うのだ。今でさえ此の点で有名な都会だから、あの、凡ゆる窮乏、不潔、淫行、犯罪が公然と横行した、大戦後の一九一八――二〇年頃の状態は想像に余りある。警察は有名無実、完全に封じ込まれた形だった。
 Cellarstrasse は、この恐怖区域を走っている小さな往来である。ハアルマンの肉屋のあったのは二十七番で、店というより土窖の感じの、暗い、湿った建物だ。前に言ったように、市場こぼれの肉を売り乍ら、一方警察の鼻という、犯罪の巣窟に設置された特報機関、早く言えばスパイだ。英米で俗に謂う Stool-pigeon, 本朝では手先、あれを稼いでいたと言うが、これは、当時の独逸では珍らしい事ではなく、ハノウヴァにも、この種の其の筋と密かに気脈を通ずる市民が無数に散らばっていて、フリッツ・ハアルマンはその一人に過ぎない。上記のような市の情況に直面して、窮余の対応策として当局が案出した一種の補助機関で、これによって極左団体と浮遊人口の犯罪計画を未前に嗅ぎ出そうという、その百鬼昼行時代の一つの必要から発生した制度だったが、この、密告者として警察に接近している筈のフリッツ・ハアルマンが、其の眼下で、あの言語に絶した犯行を職業的に継続したのは、正に皮肉以上である。
 尤もハアルマンは、初めから利用する心算で、カモフラアジュとしてスパイの役を貰ったに相違ない。だからこそ、あれ程の犯罪がああ長く知れずに過ぎたのだ。それと言うのが、警察とハアルマンのような常備間牒との間には、暗黙の了解が成立していて、何うせスパイを稼ぐような奴だから、碌な事はしないに決まっているが、其処はお上御用の役に免じて微罪はお眼こぼしと言う事になっていた。つまり大の虫を殺す為に小の虫に眼を瞑るのだ。余り表面に出ない限り、大概の事は不問に附して呉れる。土台、警察としては、必要に迫られて遣っていることで、そうでなくても、小事件を顧みる時間も人手も無いのだから、その澎湃たる犯罪の大波の前に、内輪の者に等しいスパイの行動など、何ら注意されなかったのである。斯う言う何から何まで快適な四囲の条件に乗って、その狂暴な慾望が、フリッツ・ハアルマンを自在に推進させたのだ。武骨な、そして元気な、人当りの好い「町の男」で、そう言えば、変質者によくある、きいきい引っ掻くような、高調子の、女性的な声をしていた。
 表看板の肉類は、附近の公設市場から、拾うようにして仕入れて来る。もう一つの肉は、これも附近の停車場で釣って来て、其の食糧欠乏の日に、ハアルマンだけはストックに困らなかった。流行る訳だ。相変らずにこにこして、誰彼となく軽い冗談口を叩き乍ら、「血だらけな前掛」をして肉を切っている。自慢の腸詰を作っている。この腸詰がまた評判物で、実によく売れた。
 さて、ロッテ夫婦のフリイデル少年捜索願を受理したハノウヴァ警察である。放浪少年の集まる場処と言えば停車場に決まっているから、ひそかに此の方面に眼を付けていると軈て一つの聞込みが揚った。失踪中のフリイデルの悪友で、エリヒ・ホルトハウゼンと言う猶太人の少年が、「フリイデルの奴は刑事に引っ張られて停車場を出て行ったきり帰らない」と言っているのを、ちらと耳にしたのだ。停車場に張込む刑事若しくはスパイと言えば、警察には判っている。何んな人相の刑事だったかとホルトハウゼンに就いて訊問すると、其の供述はスパイのフリッツ・ハアルマンに、そしてハアルマンにだけ該当して来る。真逆あのお人好しの肉屋が――とは思ったが、それでも、何が手懸りになるか判らないから、そこで刑事の一隊が、友人の家にでも遊びに行くような気易さで、然し深夜不意に、ツエラルストラッセの店を訪れた。
 警察の連中は、よく来て、皆勝手を知っている家だし、それに、相手が独身者の呑気屋の事だからと、別に案内も乞わずに、のこのこ二階へ押し上って、突然ハアルマンの寝室を開けると、一同は呆気に取られて終った。
 床に倒した椅子の背と脚に、××の少年の××を縛して、ハアルマンが醜態を演じている最中だった。が、少年は既に目的のフリイデル・ロッテではなかった。Leon Glunz という十四歳の矢張り美少年で、同じく浮浪児だったが、これは停車場で発見したのではなく、ツエラルストラッセの街上で会って、甘言をもって伴れ込んだのだった。このレオン・グルンツは、斯うして警察の手に落ちて、××された許りで「犢の肉」にも腸詰にもならずに、危い所で助かっている。フリッツ・ハアルマンは、現行犯だから仕方がない。この事件で猥褻罪として隣町ウンストルフの刑務所に九個月食い込んだ。警察を始め、ツエラルストラッセの人々が呆れ返った事は、言う迄もない。が、茲に最も奇怪なのは、幾ら混乱時代の犯罪都市ハノウヴァだからと言って、これで警察が、宛も満足したかのように、当初の対象である筈のフリイデル・ロッテ少年の捜査をきっぱり打ち切ったことである。無証拠として断念す可きどころか、容疑者ハアルマンが意外な少年愛好者と判明した以上、勇躍してフリイデルの其の後に関して一層追究しそうなものなのが、何ういう意味か、フリイデル事件はこれで一先ず立ち消えになっている。この点は未だに説明されていないのみか、其の時、ハアルマン方の家宅捜索は愚か、醜行現場の寝室内さえ碌すっぽ検分しなかった証拠には、寝台傍に小卓が据えてある。その中段に、無雑作に新聞に包んだ円い物が置いてあったのだが、それこそは、一行が探し求めていたフリイデルの生首だった。後で裁判の時、ハアルマン自身そう証言した。


 独逸腸詰の一種にフランクフルトと言うのがある。一名ウイニイとも謂って、亜米利加辺りでは俗に hot dog と称する。何故この腸詰を熱い犬ハット・ドッグなどと変な名で呼ぶかと言うと、一体腸詰なる物には、何の肉が這入っているか知れたものではないとなっていて、このフランクフルトは犬の肉で出来ていると言うのだ。勿論、滑稽めかした悪口に過ぎないが、野犬か何か撲殺した、其の肉を詰め込んだのが此のフランクフルト腸詰ソオセイジで、だからドッグだと言う。この妄説から出て、次ぎのような笑い話しがある。
 子供が、長いこと肉屋の前を往ったり来たりして、頻りに店の奥を覗くので、肉屋の主人が五月蝿がって、到頭怒り出した。
「おい、小僧、何だってそんな所に立って見ているんだ」
 すると子供は済まして、
「僕の犬が居なくなっちゃった」
「なに? お前の犬が居なくなったって、何も俺の知ったことじゃないじゃないか」
「そうかも知れないけど、でも、変だなあ。僕が此処で口笛を吹くと、あの、向うにぶら下がっている腸詰がひらひら動くよ」
 と言うのだが、これは犬の肉だから笑い話しで済む。
 一九一九年の九月にウンストルフを出獄したフリッツ・ハアルマンは、其の足でハノウヴァへ帰ったが、ツエラルストラッセの古巣へは這入らなかった。直ぐ近処の横町で、103 Neuestrasse に新居を卜して、矢張り肉屋を始めた。ハアルマンが真個ほんとの活動に入って、四十八人の少年を××し虐殺した其の大部分の犯行は、実に此のノイエストラッセ一〇三番の家と、後に移転したロッテ・ライルの古い猶太区ゲトウに於て為されたものである。
 この四十八人と言う数は、公判でハアルマン自身が豪語したところで、裁判記録には、左の二十八名だけが犠牲者表として登載されている。
 一、Friedel Rothe 十二歳。ウィイツェル在。
 二、Fritz Franke 十七歳。伯林。
 三、Wilhelm Schulze 十一歳。伯林。
 四、Roland Huch 十五歳。オスナブルック市。
 五、Hans Sennenfeld 二十歳。伯林。
 六、Ernst Ehrenberg 十三歳。ミュンステル。
 七、Heinrich Struss 年齢前住所不詳。
 八、Paul Bronischewski 十五歳。Bochum 在。
 九、Richard Graf 十七歳。ハノウヴァ市。
 十、Wilhelm Erdner 十七歳。
十一、Hermann Wolf 十六歳。ミンデン町。
十二、Heinz Brinkmann 十三歳。ハノウヴァ。
十三、Adolf Hennies 十七歳。ポツダム。
十四、Hans Keimes 十七歳。ドレスデン。
十五、Ernst Spiecker 十七歳。伯林。
十六、Heinrich Koch 十八歳。前住地不詳。
十七、Willi Senger 二十歳。ヘルツベルヒ在。
十八、Hermann Speichert 十五歳。ミンデン近郊。
十九、Alfred Hogrefe 十七歳。伯林。
二十、Robert Witzel 十七歳。伯林。
二十一、Hermann Bock 二十三歳。ミュンステル。
二十二、Wilhelm Apel 十六歳。ヒルデシャイム。
二十三、Heinz Martin 十六歳。ハノウヴァ。
二十四、Fritz Wittig 十七歳。ハノウヴァ。
二十五、Friedrich Abeling 十歳。ラレンドルフ町。
二十六、Friedrich Koch 十六歳。前住地不詳。
二十七、Frich de Vries 十七歳。ハノウヴァ。
二十八、Adolf Hannappel 年齢前住所不詳。
 ハアルマンは前科者で、一九一八年に出獄して、ツエラルストラッセ二十七番に落着いたのだったが、それから最後に捕縛される迄、本人は四十八人の少年を、誘拐、監禁、暴行、殺害、人肉売り、腸詰製造の順序で「処分」したと誇称しているが、人間一人の生死等何方へ転んでも大した問題にならなかったごたごたの最中の事だから、勿論正確な数は判っていない。が、フリイデル・ロッテ事件から起算して、大体二週間に一人の割で殺したことになっている。
 これらの少年は凡べて戦争の生んだ浮浪児で当てもなく家出して来てハノウヴァの停車場内外に乞食同然の生活をしていたものだ。闇黒に呑まれ去ったように消息が断ち切れて、発見の可能性もなく、警察へ届け出ても真剣に動いては呉れず、両親達は何うすることも出来ない。常に何十人の、時として百に余る此の家出少年の群が、殊に夜になるとハノウヴァの街上から停車場に集まって来て、明日の食を獲る眼当てもなく、待合室の腰掛けに重なり合って眠っていた。其処へ、刑事を装ったフリッツ・ハアルマンが毎夜のように現れて、少年を起して廻る。
 斯うして彼は、其の変態性を唆る美少年を物色したのだ。疲れ切って慾も得も無くなっている子供達の上に、警察を仄めかすハアルマンの脅しは利いたに相違ない。眠りこけている少年達の顔を覗き廻って、これと思うのを発見すると、彼は威猛高に起しに掛る。
「こら、何故お前はそんな所に寝ているんだ」
 この声は、それに依って呼び起された少年にとって、正に運命的なものだった。事実、死刑の宣告にも等しかった。眼を覚ましてみると、私服らしい赫ら顔の男が、叱るように睨み付けて突っ立っている。が、その少年が相当愛くるしい容貌の所有主もちぬしであれば、軈てハアルマンはにやにやし出して、幾分次ぎの言語を和げるのだ。
「お前家はないのか」
 そして、少年のタイプと出様によって、或る者は本署へ連行すると称し、或いは、飯を食わしてゆっくり休ませてやると誘って、難なく停車場から伴れ出してツエラルストラッセや、後には、ノイエストラッセの肉店の二階へ銜え上げる。駅の固い冷たい腰掛けよりは警察のほうが好いと考える子供もあろうし、兎に角食事にありつけると言うので、皆いそいそとハアルマンに従って停車場を出ている。そして、出たきり帰らない。其の内誰も、生きて再び見られた者はなかった。
 が、依然としてフリッツ・ハアルマンは、愛嬌者の「街の肉屋」だ。朝早くから快活に仕事に就いて、せっせと肉を切っている。「血だらけな前掛」をして、鼻唄混りに、肉を叩いている。大きな骨から、肉を引き離している。骨は、足許の錻力缶へ山のように投げ込まれる。肉は肉で、血の垂れた儘、背後の壁の釘に刺して下げて置く。新鮮な犢の肉だ。少し古くなると、腸詰に拵える。フリッツ・ハアルマンの店は、何時来て見ても、ストックが豊富だった。冷蔵庫には、小さく切った肉片が、各段にきちんと並べてあった。血と肉と骨は、肉屋の店の日常の光景である。人は少しも奇異の感を抱かないし、店主ハアルマンは日増しに血色好く、陽気に、呑気に、小肥りに、界隈の道化者になって往った。若い衆が入り交り立ち代り店へ這入って来て、馬鹿話しをして往く。前を通る町内の誰かれに、ハアルマンは肉の上から大声の挨拶だ。
 日が経った。
 この「肉屋に化けた人鬼」フリッツ・ハアルマンの逮捕となった直接の証拠は、一枚の外套だった。それは、犠牲者中の最年少者、二十五番に出ているフリイドリッヒ・アベリンク――十歳。ラレンドルフ町――の外套だった。が、これより先、丁度其の頃、ハノウヴァ市クロステルストラッセ二二一番に、Herbert Grans という図書館員が住んでいた。息子を Hans Grans といって、二十四になる。


 この図書館員ヘルベルト・グランスの息子ハンス・グランスは札附の不良で、フリッツ・ハアルマンよりもほんの一色薄いだけの悪党だった。二十四歳という若僧の癖に、詐欺、竊盗、女衒で前科何犯という強か者、これがハアルマンと親分乾児こぶんの関係を結んで、二人掛りで美少年狩りを始めた。美少年狩りと言っても、ハアルマンのは、子供を捕まえて何う斯うするというだけではなく、揚句の果て×して肉を売って、自分も××て、古くなると腸詰にしようというのだから話しが人間離れしている。そこで此の共犯者ハンス・グランスだが、彼も、前回に述べた当時の事由からハアルマンと同じに警察の鼻、スパイを勤めていた。斯うして二人とも警察に関係があったからこそ、結果から観て、皮肉に言えば、其の筋の庇護の下に存分活躍出来た訳である。前掲の犠牲者表に就いて見ると、最年少が二十五番目に出ているラレンドルフ生れのフリイドリッヒ・アベリンクで十歳――この児の外套から足が附いて直接間接にハアルマンの逮捕と服罪を見るに到ったのだが――最年長者は二十一番目のヘルマン・ボックで廿三歳、ミュンステル出生、となっているのでも推定される通りに、ハアルマンは、十代の少年のみならず、二十歳を越した、美少年としては些かトう[#ルビの「トう」はママ]の立った者をも嗜んだのであるから、ハアルマンとハンス・グランスとの交渉も、初めは、ハアルマンが、矢張り××と×肉売りの目的から、グランスをノイエストラッセの自宅の肉屋へ伴れ込んだのだったが、グランス自身同じ方面の変態性慾者だったので、大いに意気投合して、其の夜からグランスは女房気取りにずるずるべったりノイエストラッセの「人肉屋」に腰を据えることになったのだった、グランスは小指の先が埋まる程の靨を有つ神経質に蒼白い顔をした、牝鹿のような眼の美少年――でもない、美青年だった。鳥渡文学青年みたいなところもあって、一度も掲載されないのに始終会体の知れない詩などを書いてはハノウヴァの新聞に投書していたと言うから、われわれは、よくある斯うしたタイプの青年を眼前に想描するに難くない。この色白で痩せぎすのグランスが「妻」で、肥ってにこにこしている赫ら顔のハアルマンが「亭主」格だった。二人で例の文字通りの×肉屋を経営することになったのだが、実際この男同士の夫婦は、それでも好くしたもので、全く世の常の夫婦に似た組合わせであった。「結婚」後間もなく、文学女房のグランスが権力を振るい出して、「家庭」に於けるハアルマンはぐうの音も出ない程尻に敷かれている。独逸語で、ねえ、あなた、とか何とかやったのだろうが、ハアルマンはすっかり眼尻を下げて、一も二もなく、うむ、そうか、宜しよしと言った調子――兎に角、可成り愛し愛された仲らしく、珍奇な同棲生活が続いている。
 この「妻」のグランスに促されて、ハアルマンは一層、その戦慄すべき犯行を重ねて往ったのだと言う。似た者夫婦、所謂「鬼夫婦」の二人である。店に「柔かい犢の肉」が尠くなると、グランスにやいやい急きつかれるので、ハアルマンは夜停車場へ出掛けて行って少年を捜して来る。「結婚」以後のハアルマンは、実に絶えずグランスによって踊らされたのだ。ここで妙な表現が記録に残っている。一九二四年七月三十一日の公判廷で、ハアルマンが惚気混りに陳述した所に依ると、
「グランスは毎夜寝台で私の脇腹にぐりぐり肘を当て乍ら甘えた声で何か言いました。そうされると不思議に、私は、何事でも彼の欲する通りにしなければならないような気がして来るのです。そして凡べて彼の言うように致しました」
 と言うのだが、この「彼」の所が「彼女」でありさえすれば、普通の夫婦生活の一情景として別に異とするに足らないけれど、それが男同士なのだから、何ともグロテスクな限りである。おまけに、只の変態的な告白かと思って聞いていると、流石ハアルマンだけに抜目がなくて、後へ持って来て、
「ですから、それ以後の事件は皆グランスが主犯で、私は単に彼の命令通り動いたに過ぎません」
 巧みに責任を転嫁しようとしている。
 同じノイエストラッセに、界隈の不良の集会所でカフエ・クルウプケという家があった。二人は此家ここの定連で、よく夜晩く迄麦酒を飲んでいるハアルマンとグランスの姿が、通りからも見られた。其処を根拠に附近の踊り場を廻って歩く。そして毎晩明方近く、二人は肉店の前まで帰って来て、グランスは家へ這入る。ハアルマンはそれから停車場の方へ稼ぎに行く。それが殆んど毎晩だった。ハアルマンの肉屋で殺した少年の×を継続的に売っていたことは確然たる事実で、捕縛後、店に在った肉を科学的に調査した所が、大半×肉だった。腸詰は全部×肉で出来ていた。が、当局は飽く迄この事件を単なる常習的殺人に局限して、×肉売りや×肉腸詰に関しては、公判でも一言も触れなかった許りか、当時は記事差止めになって誰も知らなかった。永らく商売をしていて固定的な購売者も[#「購売者も」はママ]相当多く、其の人々は朝夕ハアルマン方の肉を食卓に上せて来たのだから、その恐慌と騒擾を救う為に、これは其の筋として賢明な遣り方だったと言わなければならない。
 ロッテ少年から最後のハナペルに到るまで犯行の手口は大同小異だった。何時も停車場に居眠っている浮浪少年の中から犠牲者を物色して、ハアルマンが刑事顔をして伴れ込むか、後からは稀にグランスも出掛けて行って馴れなれしそうに話しかけて銜えこんで来た。二人で××を加え乍ら何日か飼った後、稼業用の大型××××で「処理」して、骨は溜めて置いて大概ライン河へ抛り込んだ。衣類や所持品は安値で古着屋に売り飛ばして、エキストラ収入とし、其の金でカフエ・クルウプケで麦酒ビイルを飲むことにしていた。
 鶏×、殺害の順序方法等の細部に入ることは、単に不必要な許りでなく、徒らに伏字の連続になって終うが、実際に殺す場合には、全事件を通じてフリッツ・ハアルマンが単独の下手人であった事は言う迄もない。尤も本人はヘルマン・ウオルフ殺しだけは否定しているが、その理由がふるっている。このミンデン市から来た十六歳の少年は、彼の興味を唆る可く些か醜く、且つ余りに不潔だったと言うのだ。ハンス・カイムスもグランスが殺したのだと主張したが、グランスは当時入獄していたのだから、このハアルマンの抗弁は通らなかった。二十三になるヘルマン・ボックを殺害した後の如きは、ハアルマンは当分ボックの衣服を着ていた位いだ。それは後で、ボックの父親とハアルマンの近処の者が其の着物を見て証言した所だ。ボックの場合だけではなく、殺された少年の着衣や所持品は、各人に就いて大概一つ二つ宛、ノイエストラッセの家で二人に使用されていたのが発見された。登載されている最後のアドルフ・ハナペルの如きは、グランスが其の洋袴ズボンを欲しがった為に、誘拐された晩に直ぐ×されて、翌朝から×××になって店頭に並んだ。
 茲に鳥渡変なのは、ハンス・カイムス殺しとフリイドリッヒ・アベリンク殺しと二つの場合である。後者に於て、今迄実に要心深かったハアルマンが、実に不注意な動きをしているのだ。此の事件は最後から四つ目なので、長期に亙る殺人生活に慣れっこになって、免感的に[#「免感的に」はママ]神経が鈍麻して来ていたに相違ない。一九二四年五月二十五日、その十歳になる少年が、菓子を与えるから尾いて来いとノイエストラッセの殺人窟へ伴れ去られてから、月が変って、六月十七日のことだ。フリイドリッヒ・アベリンクは、当時兄と姉と一緒にラレンドルフ町からハノウヴァの伯父の家に来て、ウイルヘルム街三一二番に住んでいたのだが、その十七日の夕方、フリイドリッヒの姉でアリスという十四になる少女が、家の前の往来で近処の子供達と遊んでいると、突然見知らぬ男が声を掛けて、自分はお前の伯父の友人で、今お前の所へ綺麗なカアドを持って来て遣ったが、お前が家に居ないので伯母さんに預けて来たと言うので、アリスが家に駈け戻って見ると、そんな人が訪ねて来た事実もなく、勿論カアドなどは残されていなかった。
 後に証拠固めの時、この少女アリスとその時一緒に遊んでいた子供達を呼び出してハアルマンを見せると、彼らは一斉にそれがあの時の見知らぬ男に相違ないと[#「相違ないと」は底本では「相達ないと」]証言した。ハアルマンは何の為にそんな事をしたのかよく判らない。排他的に少年を好んで、女性には用のない筈のハアルマンだから、別に話し掛けて何うしようと言う気はなかったのだろう。只アリスが遊んでいるところへ通りかかったので、一寸戯ったのだろうが、彼は、アリスがフリイドリッヒの姉であることや、彼等の家庭の事情は、或る程度まで、殺した少年から聞いて知っていたに相違ない。何う言う心算か、多分売りに行く途中ででもあったのか、その時彼は、フリイドリッヒ少年の雨外套を抱えていた。それは、フリイドリッヒが行衛不明になる時着ていたもので、アリスには勿論見覚えがあった。が、綺麗なカアドと言うのに気を取られて、其の時はこの外套を見た事を言うのを忘れていたが、後日このアリスの証言は、ハアルマンを絞首台へ追い上げる重大な効果を持った。
 カイムス殺しの場合は、一層不可解なものである。捜査願に依って、ハノウヴァの警察は、全市に亙ってこの十七歳の少年の姿を求めつつあった。すると、捜査が開始された数日後である。何となく其の筋の手が身辺に迫るのを感じたものか、ハアルマンは奇怪な行動を採って、例の非公式警官、民間スパイとして、彼の方からドレスデンへ出掛けて行ってハンス・カイムスの生家を訪問している。そして、悲嘆に暮れている両親から少年の写真を乞い受けて、必ず三日間に発見して連れて来ると約束した。より奇怪なのは、其の足で直ぐハアルマンはハノウヴァ市へ引き返して警察へ出頭し、「愛妻」である筈のハンス・グランスをカイムス少年殺しの犯人として訴え出ている事だ。ところがグランスは、丁度其の事件の前後他の事で入獄していて、彼が犯人であり得る訳はないし、第一、そのグランスが、カイムスが失踪した以前から引続き入獄中であることは、ハアルマンは先刻承知の筈である。何でこんな盲動をしたのか判断に苦しむのだが、それよりも、この事件の特異性は、それが屍体が発見された唯一の場合であることだ。カイムスだけは、ハアルマンの肉屋で×売りされたのではなかった。二個月後に、ハノウヴァ市を貫いてラインに合流している運河の浚渫工事で偶然発見された。羊のように四肢を一つに縛されていた。肉屋の遣りそうな縛り方だ。死因は頚部の扼殺だった。


 如何に大戦直後の混乱時代のハノウヴァ市でも、斯かる大々的人間××が前後十六個月間も何ら警察の耳目に触れることなく過ぎたと言うのは鳥渡信じ難く思われるが、これには、当時の無政府的な状態の他に、少くとも二つの特種の事情が作用して、この稀代の人鬼フリッツ・ハアルマンの犯罪をして発覚を遅らしめたと言う事が出来る。其の一は、彼の職業が肉屋で、自宅で肉を切ったり骨を棄てたりする事は当り前だから、血だらけの卓子テエブルも床も何ら注意を惹かなかった事と、もう一つは、あの猥褻罪で、九個月間ウンストルフ刑務所に投獄されたにも拘らず、ハアルマンは出獄後も未だ警察のスパイを解かれないで、絶えず部内と密接な関係を保ち、刑事や巡査とは友達交際の間柄だったからだ。が、以前にも前科があるのだし、斯う頻繁に少年が失踪し出すにつれて、何時、何と言うことなしに漂って来る噂や、種々ハアルマンに関する挙動不審な点や、第一、彼が刑務所に収容されている間は、少年の行衛不明が、皆無ではなかったが、比較的尠かった事等から観て、警察は漸次ハアルマンに着眼するに到り、実際、可成り組織的にハアルマン方の家宅捜索を行った事も一再ではなかったが、併し、何しろ相手が同僚のようなハアルマンではあり、快活なお人好しで通っている「町の肉屋」なので、結局それは形式的な散漫な訪問に終って、のみならず根本的に、別にそれ程重要な目的を意識しての家宅捜索ではなかった。が、其の間もハアルマンは度び度び冷やひやする眼に遭っている。
 一つは、あのフリイデル・ロッテ殺しの直ぐ後に踏み込まれた時だが、それから、ウンストルフから出獄して間もなく、二人の売春婦が、彼の不在中にノイエストラッセの店へ肉を買いに来て、売台カウンタアの下に突っ込んである大きな肉塊に第六感的に怪異な驚怖を感じて、その一片を警察へ届けたことがあった。それは、細毛の生えている皮膚が一部分残っていて、人間の臀部の片割れを聯想させる形態を備えていた。警察はこれを調べても見ずに豚だと簡単に片附けて、ハアルマンとしては、危い所を助かった訳だ。Roland Huch の父親も、数週間懸命に息子フックの跡を探し求めた揚句、ハアルマンの戸口で其の消息が絶えている事を突き留め、それから先の徹底的究明を警察へ持込んだのだが、此の時も単にお座なりに、刑事の一隊がハアルマン方を訪れて、赭ら顔の肉屋と騒噪しく談笑して引上げたに過ぎない。ウイルヘルム・エルドネル事件の時は、父エルドネルの許へ、或る日 Honnerbrook なる探偵と名乗る人物が現れて、息子のウイルヘルムは、浮浪罪の廉で自分が検挙して保護を加えてあると話して立去った。然し、ホネルブルックと言う名前は全市の警察員になかった。これがフリッツ・ハアルマンであった事は、彼が逮捕されてから、エルドネルと対質して判明したことで、当時其の偽刑事の人相着衣等をエルドネルから巨細に聴取しても、そしてそれに依って自然且つ容易にフリッツ・ハアルマンを想起出来た筈なのに、警察は其の時は何ら歩を進めようとしなかった。犯罪が最後に近づくに従って、ハアルマンは段々露見の懼れなど忘れたように大胆になって、殺した少年のポケットから出た小刀ナイフ其の他の小物品を平気で市場で見せびらかしたり、友人に配けてったりしている。
 大犯罪には、よく散在的な小さな緒が集まって自働的に発見の動機を作るように、このハアルマン事件もそうだった。
 少年が頻ぴんと闇黒に呑まれて、流石腰の重い警察も何とか全線的に活動を起さなければならない事情に迫られている時、そして、何となくノイエストラッセの方面から異臭が漂って来るようで、ハアルマンの肉屋なる存在が真剣な意味で気になり出して来た矢先、一九二四年五月二十八日だったが、四、五人の子供達が、ラインの岸に近い浅瀬の泥の中で、少年の物と覚しき完態を備えている頭蓋骨を発見した。そして引続き不思議にも、翌二十九日、矢張り同じ場所から今度は三個同時に何れも少年らしい頭蓋骨が出て来た。それらは凡べて即時警察へ送られたのだが、すると、又また警察は、奇妙な程無関心な態度を採って、既に、例の肥っちょの肉屋スパイ、フリッツ・ハアルマンに関する充分疑わしい報告を受取って前提的な智識があるにも係らず、依然として泰然たるもので、それらの頭蓋骨は、医学生の悪戯か、或いは上流の他の町から流れて来た物であろうとあっさり無視して終った。そして、其の儘二個月経った。五月末から、六、七と此の二個月の間に、ハアルマンの殺人リストには、最後の三人が加えられていた。Friedrich Koch, Frich de Vries, Adolf Hannapper.
 冷水を浴びたように、ぐっと警察を緊張させる為には、この連続的な三つの失踪が必要だったと見える。警察は急に狼狽して、今度は、嫌疑の眼を一時にハアルマンに向けた。が、実証を挙げる可く活躍に移る段になると、何しろ人員不足の場合ではあるし、それに、大概顔を識られているので、彼を取巻いて内密の裡に洗って往くと言うことが出来ない。そこで、急遽伯林から二名の腕っこきの刑事が迎えられてハアルマンの看視に就く。August Fromm と言う絶世の美少年を探し出して、これを囮に使った。この時既にハアルマンはノイエストラッセ一〇三番の自宅の附近に煙りのように立ち迷う其の筋の注視を感知して、逸早く市の他端に位する古い猶太区ゲトウ[#ルビの「ゲトウ」は、底本では「ゲ」が左に90度回転]ロッテ・ライルに移転していた。そこで日夜このアウギュスト・フロム少年を猶太区のハアルマン家――それも矢張り肉屋の店だったが――の近くに放って根気よく待ち構えていると、果して六月二十二日の夜、ハアルマンは街上でフロムを認めて自店の二階に同伴した。確証を掴む必要があるので、暫く時間を与えた後、矢庭に一団の刑事が乗り込むと、最初のロッテ少年捜索の時に発見されたレオン・グルンツと同じに、フロムは××にされて、床に転がした大型椅子に××を縛され、ハアルマンが将に××に着手しようとしている所だった。有無を言わさず、猥褻現行犯と[#「猥褻現行犯と」は底本では「褻褻現行犯と」]して拘引する一方、直ちに、此度は念入りに同家の家宅捜索を行って、衣服、手廻品等片端から押収した許りか、最近迄住んでいたノイエストラッセの家も、未だ其の儘に締め切ってあったので、其処からも殆んど凡ての物品が証拠品として貨物自動車で警察に運ばれた。此の時は大事を採って、単に眼に付くあらゆる物を押えたに過ぎなかったが、事実、その一個一個が後日法廷で役に立って、ハアルマンの口を閉じ、断罪を早からしめたのだった。
 斯うして、ハアルマンの罪が最早動かす可からざるものとなっている最中、もう一つ、退っ引ならぬ証拠が意外な所から現れて、頑固に白を切っていたハアルマンの顔色を奪ったのだ。以前のノイエストラッセのハアルマンの家主の息子が、失踪中の一少年の外套を有っている事が発見されたのである。被害者の少年の両親は、それが、少年が家を出た時に着ていた物に相違ないことを証言するし、家主の息子は、確かにハアルマンから貰ったのだと承認した。茲に於て、初めは処女のようであった警察も、今は脱兎の如く猛然とハアルマンを攻めに掛る。酷烈な十字火訊問、第三級サアド・デグリイ、一種の拷問である。が、それでもハアルマンは執拗に否認し続けていると、果然七月二十四日、暑い頃なのでラインの河岸は涼み客で賑わう。夕風の中を軽艇ランチ納涼すずみの人を満載して上下する。その錨の鎖に引っ掛って河床から浮き揚がったのが、等身大の馬鈴薯の袋だった。大小の骨片がぎっしり詰まっている。発見の現場は、以前頭蓋骨の出た浅瀬を少し下った個所だった。その、口まで骨の充満している袋を、ハノウヴァ大学法医学教室のシャックウイッツ博士―― Doctor Schackwitz ――に送って鑑定を乞うと、精査の結果、少くとも二十三人の人体を構成する骨片である事が判明した。
 ハアルマンが折れて来て、徐そろ口を割りそうな形勢を見せてきたのは、この七月二十四日からだった。


 Fritz Haarmann は、一八七九年十一月二日、ハノウヴァ市に生れた。父は街灯点火人で、市庁の門番のような仕事をも兼ねていた。父、Gustav Haarmann、母、Verna。フリッツはこの母のヴェルナが四十三の時の出産で、男三人女三人の六人兄姉の末子だった。父のダスタフも酔漢で評判の好くない男だったが、長兄だけは何うやら真面目に進んで、伯林で税吏を勤めていた。もう一人の兄は、幼女に暴行を働いて長く刑務所に入っていた。フリッツが少年期に達した頃、三人の姉は三人とも売春婦だった。
 斯ういう家庭が彼の生涯に致命的な暗い影響を投げたことは言う迄もない。幼少の頃から、人眼に付いて、後世恐る可しの不良児だった。趣味や行状は、何うしても男の子とは思えなかった。まるで女だった。十五の年に小学校を出て、直ぐニュウ・ブライザッハの下士官養成所へ入り、後軍隊に編入された。が、一年も経たない内に、激しい癲癇の発作に襲われるようになった。これが真個ほんとの癲癇であったか何うか、其処らは甚だ怪しいのだが、本人は日射病が嵩じたものと言い張って、陸軍病院へ送られ、間もなく除隊になった。ハアルマンの男色癖は、性来そういう異常性のあったのが、この兵営生活中に眼覚まされ、昂進したものと言われている。
 ハノウヴァ市に帰って来ると、父親は、街燈点火人の仕事も、市役所の小使の口も止して、小規模な葉巻製造業を始めていたので、フリッツも此処に働くことになったが、落付くと同時に軍隊で覚えた変態癖が再発して、空地等に於て附近の子供に対する彼の行動が注目を惹くに到り、異常者として郊外ライン河畔の市立精神病院に送られた。が、六個月にして病院を脱走し、瑞西スイスに潜入した。そして、暫く何事もなく働いている。初めは短艇ボウトの舟大工、後には薬局に勤めて、小金を蓄めた。二年後にハノウヴァへ帰って来た。この時彼は、姓名不詳の女と恋に落ちて結婚したのだが、妊娠すると同時に棄てて、こっそり国境防備の聯隊に入隊してアルサスへ行き、士官の従卒として、同地に三年暮らした。神経衰弱と称して除隊になったが、隊内の評判は仲なか好く、辞す時には善行章を貰って、些かの恩給まで附いた位いだ。そうして四度目にハノウヴァへ帰ったのだが、元来父親とは反りが合わなくて、何時も一緒に生活すると喧嘩許りしていた。尤も呑んだくれのおやじが観てさえ、フリッツの素行が面白くないからで、此の時もフリッツは盛んに子供を襲って、一家は迷惑の仕続けだった。到頭我慢し切れなくなって、父親が警察へ訴え出たので、フリッツは再び精神鑑定を受けることになり、脳の専門医と神経系統の医師と、二人がフリッツのみならずハアルマン一家を詳密に鑑査した結果、フリッツの両親とも普通以下の道徳的責任観念しかないが、それかと言って、直ちにフリッツ・ハアルマンは精神病者であるとは、断言出来ない。換言すれば、精神病者ではないと言う事になって、一九〇四年の夏、釈放された。それから丁度二十年後の同じ頃に、彼は死刑執行人の手に掛る可き運命だったのだ。
 多殺者は、その職業的殺人を開始する前に、多くの場合、竊盗犯であり、詐欺師であり、幾多の前科を潜って来るものだと言われているが、ハアルマンもそうだった。実に、その後の数年間、彼は監獄へ出たり這入ったりしている。罪条は区々で、強窃盗、少年姦、掏摸、詐欺など、その間も父親は、何とかして息子フリッツに正業を与えようと、一度は自分と同じ葉巻製造を、次ぎには、魚の天婦羅の屋台店のようなものを出させて試たが、何れも失敗に終った。その内益ます低下して、裏街に隠れ住んで、常習の犯罪者と伍すようになったので、父親のグスタフ、母ヴェルナも呆れて、以後すっぱり交渉を断ち切るようになった。その頃フリッツは、ライン河岸の倉庫に荷作人として働いていたが、相当の額の在庫品を竊取したことが露見して、五年の懲役に処せられた。これが一九一四年の事で、つまりハアルマンは、あの大戦の期間を呑気に刑務所で送ったのだ。一九一八年に出獄して見ると、世の中は一変して、サクソニイ州は戦後の飢饉状態だ。古い社会制度は独逸帝国と共に倒れ、新しいものは興ろうとして未だ固まらずにいる。この場合に際して、警察の怖るるに足らない事を、ハアルマンは一眼で看取した。ツェラルストラッセに肉屋を開いて、公設市場から誤魔化して来た肉と、あの、停車場から誤魔化して来た「肉」とを売り出して、物資窮乏の折柄、小さな店ながら素晴らしく儲けを上げたのは、それから間もなくだった。
 公判は一九二四年七月三十日からハノウヴァ市サクソニイ州裁判所で開かれた。此の頃には既に、前記の種々動かす可からざる確証が続々上って、ハアルマンは比較的あっさり事実を認めた。出獄した許りのハンス・グランスも、共犯又は助犯として逮捕されていた。
 法廷に於るハアルマンは、概して冷然と、興味のない顔で周囲の人々を見廻していた。何かグランスと自分と陳述が違って不利な立場に置かれると、彼は時どき其の尊大な自己満足の態度を忘れたように、甲高い声で喚いたり、罵ったりした。グランスは態とらしく無関心に構えて、ハアルマンの方を見ようともしなかった。が、不思議なことに、人気は何方かと言うとハアルマンにあった。ゴッティンゲン精神病院のシュワルツ博士と、ハノウヴァ大学のシャックウイッツ博士とが、改めてハアルマンとグランスの精神鑑査をしたが、答えはネガティヴで、二人とも立派に普通人の責任能力を有している事が判明した。弁護士の唯一の論拠もこれで崩れて、グランスには終身刑、ハアルマンには死刑の宣告が下った。刑死前にハアルマンは長文の告白を認めたが、それは少しも悔悟とか求道とか言う、斯ういう場合に在り来りの宗教的センチメンタリズムを帯びた物ではなかった。却って躍心的に、単に殺す為にのみ殺すことの快楽を高調したものだった。
 フリッツ・ハアルマンも人並みに、死ぬのを嫌がったが、彼は、死んで終えば、もう少年を犯す事も、その肉を食べたり売ったりすることも出来ないので、それで、死を呪ったのだろう。
 二十八名の少年を殺した事に記載されているのが、彼は大不服だった。自分でも判然したことは解らないが、四十八人迄は記憶していると言って、彼は、その犠牲者の数が実際より尠いのに非道く引け目を感じている様子だ。絞首台に立っても其の一つ事をぶつくさ呟いていた。実に完全に人を喰った男であった。





底本:「世界怪奇実話※(ローマ数字1、1-13-21)」桃源社
   1969(昭和44)年10月1日発行
初出:「中央公論 第四十五年第八號五百十一號」中央公論社
   1930(昭和5)年8月1日
※誤植を疑った「相達ない」「褻褻」を、本文中の他の箇所の表記にそって、あらためました。
※「二十」と「廿」、「血だらけな前掛」と「血だらけの前掛」、「赭ら顔」と「赫ら顔」、「鳥渡」と「一寸」、「場処」と「場所」、「竊盗」と「窃盗」、「捜索願」と「捜査願」、「街灯」と「街燈」、「精神鑑定」と「精神鑑査」、「グスタフ」と「ダスタフ」、「ツエラルストラッセ」と「ツエラルストラッセ」の混在は、底本通りです。
入力:A子
校正:mt.battie
2024年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「てへん+発」    118-上-13


●図書カード