モンタヴェルンの森の小径に、顔と頭部に六個処の傷を負って全身血染れの若い女の屍体が横たわっていた。衣服は糸のように引裂かれて裸体に近く、下半身は土塊枯枝等で覆われ、顕著な暴行の痕跡が見られた。屍体の傍らに、
田舎から人が来て、今直ぐ移れるようなら、自分の近処にもっと好い口があるから世話してやろうと言われて、里昂の働き先から逃げるように暇を取って出掛けたのだと言う。
現場は、森を貫いている本道から鳥渡傍へ外れたところで、樫の老樹の根元に潅木が生い繁っている。滅多に人の行く場処ではない。発見したのは、このモンタヴェルンの森の向側に別荘を有っている
二月八日のことで、中部仏蘭西に粉のような雪が落ちたり止んだりしている。
昔から人気が荒いので有名なモンルアル地方である。これから初まって六年間、同じような犯罪がこの界隈に繰り返された。
里昂から瑞西のジェネヴアへ出る所謂ジェネヴア街道、これに沿って、里昂から十二哩のところに、モンルアルと言う小さな宿場がある。伝説的に評判の宜くない町で、ヴァルボンヌの丘に立っている。遠くからでも、屋根の高い白壁の建物が二つ、陽に光っているのが見える。「大きな危険の家」、「小さな危険の家」という物騒な屋号の二軒の酒場だ。中世以来、山窩街道の追剥、胡麻の蝿などの集会所で、殺したり殺されたり、凡ゆる悪いことの巣窟だった。周囲一帯は不毛の地、人家も稀である。古綿を詰め込んだように、深い暗い森が、丘も谷も覆い尽している。
里昂市に、これも矢張り女中で、マリイ・カルトという女があった。このマリイ・カルトが、一寸気になる話しを提げて現れた。
殺されたマリイ・バダイユが里昂の主家を出た同じ日である。一人の見知らぬ田舎者がカルトの許へやって来てバダイユに言ったと同じことをいってカルトを田舎へ誘い出そうとした。田舎の自分の相識が至急に女中を探している。非常に好い条件だからこれから直ぐ一緒に来ないかというのだ。カルトは三月四日まで
カルトのところへ来た男というのは、五十前後、何処から見ても田舎者の風俗、上口唇が瘤のように腫れ上って、おまけに其処に大きな創痕があったと言う。
この特徴を眼当てに、捜査は一時に活気付いた。
すると約束の三月四日、マリイ・カルトの方では忘れていたが、男は忘れない。のこのこ返事を聞きにやって来た。何時かの口はもう塞がっているが、他に、同じような条件で女中の世話を頼まれて来た。来る気があるなら、今から伴れて行ってやろう――男は、自分がお尋ね者になっていることなど知らない様子で、平気な顔だ。命拾いをした気でいたマリイ・カルトは、震え上ってしまった。これがもう少し頭の働く女なら、何とか釣って待たせて置いて、その間に警察へ人を走らせて難なく押えることも出来たろうが、何しろカルトは、怖ろしさが先に立って歯の根も合わない。物も言わずに、ぴっしゃり扉を閉め切った。
近くの家に、オランプ・アラベルと言う女中が居た。次ぎに男は此家へ立廻って台所口へアラベルを呼出し、旨い事を並べて誘いを掛けた。待遇は好いし、呑気な仕事だと聞いて、何も知らないアラベルは行く気になった。即座に、その働いている家から暇を貰って、男の案内で里昂市を後にする。ジェネヴア街道、話しながらぶらぶら行くと、夕方である。
森へ差掛った頃、とっぷり日が暮れた。つい先日マリイ・バダイユの屍体が発見されたモンタヴェルンの森である。薄気味が悪い。思わず並んで歩いている男の方へ擦り寄ると、男は、何だかんだ言いながら
このオランプ・アラベルは、奇蹟的に助かった一人だが、「狼」としては飛んだ失敗を演じた訳で、これで二人の生きている女に顔を見識られたことになった。伴れ出そうとして応じなかったマリイ・カルトと、斯うして途中で逃げられたオランプ・アラベル。
不思議なことに、ここまで捜査の糸を手繰った警察が、石の壁に往き当ったように、
双方夏休みの形である。
九月になると、ジョセフィン・シャアロッテと言う矢張り若い女中が狼の訪問を受けている。うまい奉公口があるからと言うような事で、連れ立って里昂を出た。が、夜道にモンタヴェルンの森へ掛ると、オランプ・アラベルと同じように何となく不意に怖ろしさがこみ上げて来て、これも近処の家へ駈込んで難を逃れている。
十月三十一日、同じく女中でジャンヌ・ブウルジョア、この女も、逸早く恐怖に襲われて途中から逃げ出した為に危いところを助かった。一体この、後日「モンルアルの狼」として知られた田舎者風の
十二月に這入ると、これも里昂市の女中でヴィクトランヌ・ペランと言うのが伴れ出されたが、今度は、森の中で一団の旅人に出会ったため、狼のほうで機会を失い、女の金や衣類の這入っている
これらの事実が耳に這入っても、警察は依然泰然と構えている。後で判った事だが、その泰然としている間に、暗いモンタヴェルンの森は、何人もの女が強姦されて殺される現場を目撃しているのだ。六年経った。再び真剣な探査が開始されたのは、マリイ・パションと言う女中が魔手を逃れて駈込み訴えをしたに初まる。
六年後の五月二十六日、夜の十一時頃だった。
バランの村で、まだ起きていた一軒の百姓家の戸を割れん許りに叩いて助けを呼ぶ女の声がする。出て見ると、顔中傷だらけ、着物は引毟られて殆んど裸体、靴も何処かへすっ飛んで靴下がふくら臑までずり下がっていようという、一見して身を守って逃れて来た女だから、大騒ぎになった。転がり込んでぐったりなるやつを、証拠のため其の儘の
今日午後二時頃、里昂のラ・ギロチェイル橋の袂で、見識らぬ男に呼び停められました。何処か近くに桂庵はないかと訊くのです。私は、二軒教えてやって、自分もこれから其の一軒へ行くところだと言いますと、男は非常に喜んで、
「お前さん、仕事口を捜しているのかね」
田舎弁ですが親切そうな声です。
「そうですよ。奉公に出たいと思いましてね」
「それあ丁度好い具合だ。実は――」
と男は、急に乗り出して来ました。聞いてみると、その男は、このモンルアルの近処の別荘に働いている庭師で、里昂へ行って何んなに高給でも構わないから、大至急女中を一人雇って来るようにと言う奥さんの厳命を受けて今着いたところだというのです。そして色いろと其の仕事口の好ましい点を話し出しました。家族が少くて楽なこと、お給金は最初二百五十法と他に
その内に気が付くと、男は先に立って歩き乍ら、始終振返って私の足許に注意するのです。何時の間にか、余り人も通らないような細い山道になって、大きな石が転がっていたり藪があったりします。男は頻りに振向いて、私を助けようとして手を出したりするんですが、その好意が必要以上で、段々嫌らしい
「何を捜していらっしゃるの? 何か落し物でもしたんですか」
「いやいや、何でもない。若木を抜いて行って、庭へ植えようと思っただけでさあ」
私はすっかり怖くなって、いっそ逃げ出そうかと思いましたが、それでは却って不可ないと考え直して、背後から男の一挙一動に注意し乍ら歩いて行きました。
相変らず、男は盛んに振返ります。二、三歩毎に振返ります。私は態と笑って、
「何ですよ。そんなに見なくったって大丈夫ですよ。斯うして随いて往きますから」
けれど、幾ら往っても別荘へ着きません。軈て又小高い丘のような所へ出ました。材木置場らしい小屋が、半分建て掛けた儘になっています。
「道を間違えたんでしょう? 嫌ですよ。私はもう先へ行きません」
言い終らない内に、男はくるりと向き直って、突然私の頭へ綱を投げ掛けました。上衣の下に隠していたらしいのです。一瞬間後に、私は夢中で格闘していました。有りったけの力で男を突き飛ばして、手の
これで警察もやっと緊張する。間もなく眼を付けたのが、近くのドュモラル村の一軒の茅屋。聞込みが上ったのだ。その家の
そこで此のドュモラル村のドュモラルを呼出してみると、警察も驚いた。上唇が瘤みたいに見事に腫れ上って、御丁寧に其の
五月二十六日夜の行動を訊いてみると、案の条曖昧である。家の中に、同じ品物が二つ三つ宛あるのが、注意を惹いた。ドュモラル夫婦を
「此奴、自家用納骨堂は何処に在るんだ――?」
仲なか泥を吐かない。周囲から証拠固めに掛った。段だん洗って往くと、以前一度、ドュモラルは若い女と一緒にモンルアルで汽車を降りて、
細君のジャンヌ・ドュモラルの方が徐そろ折れて来て、
「申上げます。実は、其の晩うちの人は、銀時計と血の附いた着物を持って、晩くなって帰宅って来ました。私に着物を渡して、洗濯しろと言いますから、何うしたんだよと訊きますと、例もの面倒臭そうな口調で、なあに、今其処のモンマンの森で女を一人
この陳述を確かめる為に、七月三十一日、現場の検証となった。夫婦を引いて、警官の一隊がモンマンの森へ出張する。この鬼夫婦を見ようと言うので、近郷近在から大層な人出、まるで競馬かお祭礼みたいに物売りの店が立った。仏蘭西らしいナンセンスだった。
森中捜し廻ったが、何ら発見されない。ドュモラル夫人は、何処へ屍体を埋めたか知らないのだし、ドュモラルは、何と小突き廻されても、魚のように黙りこくっている。やっと潅木の間に塚のようになっている個処を発見して、鳥渡鍬を入れて試ると、直ぐ白い骨が出て来た。周囲を円く、注意深く掘り下げる。完態を備えた女性の骸骨が現れた。頭部に強打を受けたらしく、頭蓋骨が無残な破損を見せている。頭の下に当る土中に、鳶色の毛髪が脱落して、それに、二つ折りの大きな
ドュモラルのおやじに突き付けても、顔色一つ変えない。お婆さんの方は最早すっかり降参していて、今度は一同を、自分が先に立って少し離れたコンミュンの森へ案内した。夜になっている。村民の手を藉りて、松明を点けて捜索を続ける。が、何分暗くて意に任せない。明日の事にして引上げようとすると、ドュモラル、何を思い出したか急に笑い出して、御一同の探している場所をお報せしましょうと味なことを言った。
五十
土の成分が独特なのだろう。防腐剤の性質を含んでいたに相違ない。若い女の屍体、少しも腐っていないで、綺麗なものだった。生きているようだ。全裸体である。仰臥して脚を開き、片膝を立て、
ドュモラルの
八年前の十二月、儂は
ネイロンの共同井戸で其の着物と肌着の血を落して、家へ持って帰って嬶あに与えた。里昂の古着屋で買って来たんだと嘘を言った。
儂はよくは知らねえが、二人が女を殺したところは、何でもドュ・バル橋の近くで、屍骸はロウヌ河へ投込んだに違えねえ。
一年余り過ぎて、二月の事だ。初めて二人に会った里昂の酒場に来いと言うから行ってみると、二人は、顔の浅黒い若い女を伴れて先に来ている。これから女が奉公に出るのを送って行くんだと言って、四人で出た。
マラベル街道をロマネッシュまで来ると、彼処に森がある。儂は何だか歩くのが厭になって坐り込んで終った。二人は、何とかして起たせようとしたが、儂が動かねえので、諦めて女を伴れて森へ這入って行った。二時間も待ってみたが、別に叫び声も聞えねえ。が、耐らねえ嫌な事が起ってるような気がして、儂は顫えが止まらなかった。間もなく、二人の男だけ帰って来て、女を向うの百姓家に預けて来たと言ったが、女の着物も何も持って来て居ねえので、やれやれあの
――これが其の筋の耳へ這入った最初の犠牲者マリイ・バダイユだったらしい――ドュモラルは続ける。
ドュモラルは続けて、二年後の十二月に、里昂市のケエ・ドュ・ペラアシュで又其の二人の男に出会い、自分が女を探し出してショアゼイの森まで連れて行って二人に渡したと自白している。その時ドュモラルは、女の有っていた銀時計と
マリイ・バダイユの屍骸が発見されているので、大事を取って、家から鍬を持って来て屍骸を埋めることにした。妻に訊かれて、面倒臭いから自分が女を殺したと言って置いたが、実は、凡べての下手人はこの二人の男で、自分は只雇われて働いたに過ぎない。ドュモラルはそう
その間に、誘き出そうとして失敗した女も沢山ある。コンミュンの森で蝋人形のようになって掘り出された女は、マリイ・ユウラリイ・ビュッソオという十七になる少女で、矢張り女中。里昂の
「うむ。こいつあ素晴らしい玉菜だ!」
男の一人が感心して、変な賞め方をしたと言うが、実際このマリイ・ユウラリイ・ビュッソオは、被害者の中で一番の美人。生きているような姿で土の中から現れた時も、皆その艶麗さに愕きを倍に、凄さも倍に感じた位いだ。コンミュンの森をクロア・マルテルの方へ進む。ドュモラルが其処に立って待っていると、二人の男はドュモラルが持って来た鍬を肩に、何も気付かずにいるビュッソオを仲に[#「仲に」はママ]挟んで森の奥へ消えたが、三時間もすると帰って来て、ビュッソオの着ていた着物と金の耳輪を、細君へ、と言ってドュモラルに進呈したと言う。
そのビュッソオが、御覧の通り、こんなに見事に土の中に保存されていた訳です。実あマリイ・パション、あの女も、約束通りに丘の上の材木小屋に例の二人が来ていたら、ビュッソオと同じ運命だったでしょう。二人が来ていないのを見て、儂は態と脅かして逃がしてやったのです。頭に綱を掛けたなんて、飛んでもない! 早く行けと言って手を振ったんでさあ。全く、駈けて行く背後姿を見送って、儂は独語を言いましたよ。
「先ず、それで宜かった! その女も、もう彼の二人に捕まるまいて」
そして、バランの村へ出る路を大声に教えてやったんです。この儂が。いいかね、このドュモラルが。
これが「モンルアルの狼」ドュモラルの告白。玄怪極まりない二人の男と言うのは、些と何うも苦しかった。
氏名不詳の三人の女を強姦殺害してロウヌへ投入れたる件。
マリイ・バダイユを強姦殺害してモンタヴェルン森に埋めたる件。
氏名不詳の女を強姦殺害してモンマンの森に埋めたる件。
同じく氏名不詳の女を強姦殺害してルアロンヌ森に埋めたる件。
マリイ・ビュッソオを強姦殺害してコンミュンの森に埋めたる件。
及びシャアレッテ、アラベル、ブウルジョア、ペラン、ファルガット、ミシェル、パション其の他三人の氏名不詳の女に対する誘拐暴行殺人未遂。
併し、ドュモラル村の家で発見された被害者の衣服や持物等から見ると、尠くとも十二人内至十八人殺られて居なければならない勘定である。
が、何うせドュモラルは断首機 ものだとしても、要するに一個の首である。まあ、判っているのだけで好いだろうとなった。
裁判が始まる。
マリイ・バダイユを強姦殺害してモンタヴェルン森に埋めたる件。
氏名不詳の女を強姦殺害してモンマンの森に埋めたる件。
同じく氏名不詳の女を強姦殺害してルアロンヌ森に埋めたる件。
マリイ・ビュッソオを強姦殺害してコンミュンの森に埋めたる件。
及びシャアレッテ、アラベル、ブウルジョア、ペラン、ファルガット、ミシェル、パション其の他三人の氏名不詳の女に対する誘拐暴行殺人未遂。
併し、ドュモラル村の家で発見された被害者の衣服や持物等から見ると、尠くとも十二人内至十八人殺られて居なければならない勘定である。
が、何うせドュモラルは
裁判が始まる。
マルテン・ドュモラル、五十二歳。がっしりした骨組み、髪は漆黒。碧い円い眼。受難の口唇は若い頃毒虫に刺されたのだそうだ。当時
その珍面居士のドュモラル、裁判の最中にしっきり無しに起上って、やれ窓が開いていて寒いことの、夕陽が顔に当ることのと、種々真に重要なステイトメントを発している。其の度びにみんな大笑いしたとあるから、愛嬌のある老爺だったに相違ない。休憩時間に、ポケットから巨大な
父は
証人が七十四人、証拠品――
証人の一人、ルイ・コウシェと言うドュモラルの隣家の老人が、面白い事を言っている。ドュモラルは、何時も夜更けて帰宅って来ると戸口で大声に、Hardi! Hardi! と叫んで、この
「私が悪いのです。あの男が口から出任せの事を言って相談に来た時、妹を奨めて出してやったのは、私でした。私が妹を殺したようなものです。生埋めですって? おおユウラリイ、何という――!」
卒倒して担ぎ出された。
ドュモラルの弁護人はラルデエイル氏、弁護の仕様が無くて弱った。黙っても居られないので、感傷的な詩の暗記みたいな事を一くさりやってお茶を濁している。
マルテン・ドュモラル、死刑。
ジャンヌ・ドュモラル、懲役二十年。
狼が上告したら、モンルアル町の在るアン州の知事が直ぐ様ペンを取って最後の裁断書に斯う書いた。Il n'y d lieu ――
三年程経って、又モンルアル地方に、これと同じ女中専門の強姦殺人事件が続け様に繰り返された。犯人は二人の男で、これは到頭捕まらないで終っている。
あの狼の陳述は