モンルアルの狼

牧逸馬





 モンタヴェルンの森の小径に、顔と頭部に六個処の傷を負って全身血染れの若い女の屍体が横たわっていた。衣服は糸のように引裂かれて裸体に近く、下半身は土塊枯枝等で覆われ、顕著な暴行の痕跡が見られた。屍体の傍らに、手巾ハンケチ一枚、当時仏蘭西の女性間に流行していた糊の付いた洋襟カラア、小型の聖書、黒笹絹レイスの婦人帽、黄革の女靴一足などが散乱して、前夜の雪が解けて、水から引上げたように濡れていた。これらの所持品を手懸りに間もなく判明したところに依ると、被害者はマリイ・バダイユ。二十二歳。三日前まで附近の里昂リヨン市で女中奉公をしていた。
 田舎から人が来て、今直ぐ移れるようなら、自分の近処にもっと好い口があるから世話してやろうと言われて、里昂の働き先から逃げるように暇を取って出掛けたのだと言う。
 現場は、森を貫いている本道から鳥渡傍へ外れたところで、樫の老樹の根元に潅木が生い繁っている。滅多に人の行く場処ではない。発見したのは、このモンタヴェルンの森の向側に別荘を有っている馬耳塞マルセイユの衣裳屋マリアンヌ・カミイル夫人、猟犬を馴らしに出て見つけたのだ。
 二月八日のことで、中部仏蘭西に粉のような雪が落ちたり止んだりしている。


 昔から人気が荒いので有名なモンルアル地方である。これから初まって六年間、同じような犯罪がこの界隈に繰り返された。


 里昂から瑞西のジェネヴアへ出る所謂ジェネヴア街道、これに沿って、里昂から十二哩のところに、モンルアルと言う小さな宿場がある。伝説的に評判の宜くない町で、ヴァルボンヌの丘に立っている。遠くからでも、屋根の高い白壁の建物が二つ、陽に光っているのが見える。「大きな危険の家」、「小さな危険の家」という物騒な屋号の二軒の酒場だ。中世以来、山窩街道の追剥、胡麻の蝿などの集会所で、殺したり殺されたり、凡ゆる悪いことの巣窟だった。周囲一帯は不毛の地、人家も稀である。古綿を詰め込んだように、深い暗い森が、丘も谷も覆い尽している。


 里昂市に、これも矢張り女中で、マリイ・カルトという女があった。このマリイ・カルトが、一寸気になる話しを提げて現れた。
 殺されたマリイ・バダイユが里昂の主家を出た同じ日である。一人の見知らぬ田舎者がカルトの許へやって来てバダイユに言ったと同じことをいってカルトを田舎へ誘い出そうとした。田舎の自分の相識が至急に女中を探している。非常に好い条件だからこれから直ぐ一緒に来ないかというのだ。カルトは三月四日まで現在いまの家に居る約束だったので、それ迄に考えて置こう。その時未だ空いていたら、改めて世話を頼もうと答えると、男は重ねて奨めもせず、失望したように首を振り乍ら立ち去って行ったが、こうしてカルトに断られたので、彼は代りにバダイユに当ってみたのだろう。そしてそれが成功したという訳なのだろう。
 カルトのところへ来た男というのは、五十前後、何処から見ても田舎者の風俗、上口唇が瘤のように腫れ上って、おまけに其処に大きな創痕があったと言う。
 この特徴を眼当てに、捜査は一時に活気付いた。
 すると約束の三月四日、マリイ・カルトの方では忘れていたが、男は忘れない。のこのこ返事を聞きにやって来た。何時かの口はもう塞がっているが、他に、同じような条件で女中の世話を頼まれて来た。来る気があるなら、今から伴れて行ってやろう――男は、自分がお尋ね者になっていることなど知らない様子で、平気な顔だ。命拾いをした気でいたマリイ・カルトは、震え上ってしまった。これがもう少し頭の働く女なら、何とか釣って待たせて置いて、その間に警察へ人を走らせて難なく押えることも出来たろうが、何しろカルトは、怖ろしさが先に立って歯の根も合わない。物も言わずに、ぴっしゃり扉を閉め切った。
 近くの家に、オランプ・アラベルと言う女中が居た。次ぎに男は此家へ立廻って台所口へアラベルを呼出し、旨い事を並べて誘いを掛けた。待遇は好いし、呑気な仕事だと聞いて、何も知らないアラベルは行く気になった。即座に、その働いている家から暇を貰って、男の案内で里昂市を後にする。ジェネヴア街道、話しながらぶらぶら行くと、夕方である。
 森へ差掛った頃、とっぷり日が暮れた。つい先日マリイ・バダイユの屍体が発見されたモンタヴェルンの森である。薄気味が悪い。思わず並んで歩いている男の方へ擦り寄ると、男は、何だかんだ言いながら歩調あしを緩める。矢庭に、腰へ手を廻して来た。前まえから恐怖本能に駆られていたところなので、オランプ・アラベル、遁足が速かった。滅茶苦茶に走って近処の百姓家へ飛び込む。
 このオランプ・アラベルは、奇蹟的に助かった一人だが、「狼」としては飛んだ失敗を演じた訳で、これで二人の生きている女に顔を見識られたことになった。伴れ出そうとして応じなかったマリイ・カルトと、斯うして途中で逃げられたオランプ・アラベル。
 不思議なことに、ここまで捜査の糸を手繰った警察が、石の壁に往き当ったように、暫時しばらく何らの活動を示していない。狼も些か怖毛が付いたものか、其の後鳥渡何事もなかった。
 双方夏休みの形である。
 九月になると、ジョセフィン・シャアロッテと言う矢張り若い女中が狼の訪問を受けている。うまい奉公口があるからと言うような事で、連れ立って里昂を出た。が、夜道にモンタヴェルンの森へ掛ると、オランプ・アラベルと同じように何となく不意に怖ろしさがこみ上げて来て、これも近処の家へ駈込んで難を逃れている。
 十月三十一日、同じく女中でジャンヌ・ブウルジョア、この女も、逸早く恐怖に襲われて途中から逃げ出した為に危いところを助かった。一体この、後日「モンルアルの狼」として知られた田舎者風のおとこは、何処か其の身辺に物凄い空気を有っていたに相違ない。誘き出す傍から斯うして遁げられている。
 十二月に這入ると、これも里昂市の女中でヴィクトランヌ・ペランと言うのが伴れ出されたが、今度は、森の中で一団の旅人に出会ったため、狼のほうで機会を失い、女の金や衣類の這入っている大鞄トランクを担いでどろんを極めた。
 これらの事実が耳に這入っても、警察は依然泰然と構えている。後で判った事だが、その泰然としている間に、暗いモンタヴェルンの森は、何人もの女が強姦されて殺される現場を目撃しているのだ。六年経った。再び真剣な探査が開始されたのは、マリイ・パションと言う女中が魔手を逃れて駈込み訴えをしたに初まる。
 六年後の五月二十六日、夜の十一時頃だった。


 バランの村で、まだ起きていた一軒の百姓家の戸を割れん許りに叩いて助けを呼ぶ女の声がする。出て見ると、顔中傷だらけ、着物は引毟られて殆んど裸体、靴も何処かへすっ飛んで靴下がふくら臑までずり下がっていようという、一見して身を守って逃れて来た女だから、大騒ぎになった。転がり込んでぐったりなるやつを、証拠のため其の儘の風体いでたちで、村人がわいわい附随いてモンルアルの警察へ訴え出る。この女がマリイ・パションで、その陳述は後日法廷で呼び物になった。


 今日午後二時頃、里昂のラ・ギロチェイル橋の袂で、見識らぬ男に呼び停められました。何処か近くに桂庵はないかと訊くのです。私は、二軒教えてやって、自分もこれから其の一軒へ行くところだと言いますと、男は非常に喜んで、
「お前さん、仕事口を捜しているのかね」
 田舎弁ですが親切そうな声です。
「そうですよ。奉公に出たいと思いましてね」
「それあ丁度好い具合だ。実は――」
 と男は、急に乗り出して来ました。聞いてみると、その男は、このモンルアルの近処の別荘に働いている庭師で、里昂へ行って何んなに高給でも構わないから、大至急女中を一人雇って来るようにと言う奥さんの厳命を受けて今着いたところだというのです。そして色いろと其の仕事口の好ましい点を話し出しました。家族が少くて楽なこと、お給金は最初二百五十法と他に降誕祭クリスマスの贈物をどっさり下さること。それから、お嫁に行っているお嬢様がちょいちょいお見えになって、其の度びに女中に五法ずつ煖炉棚マントルピイスの上に残してお帰りになること。それに、日曜日には教会に行っていいという、先ず破格の待遇なのです。その男の態度や言葉など如何にも大家の下僕おとこ衆さんらしくちゃんとしていますから、私はすっかり信用しました。早速話しが決まって汽車で出発しました。モンルアルへ着いたのは、七時半頃でしたろう。暗くなっていました。一時間半位いの距離みちのりだが近道があるからと言って、男は私の荷物を背負って先に立ちます。私は片手に小さな箱と、片手に籠と洋傘こうもりを提げて続きました。鉄道線路を渡って少し行くと、急な登りで、両側は潅木の繁みです。もう真っ暗になっていました。其処迄往くと男は振返って、背中の荷物が重くて仕様がないから、此処らの木の根へ隠して置いて、朝早く手車を引いて取りに来ると言うのです。そんなら停車場に預けて来れば宜かったのにと思いましたが、抗う訳にも往きませんので、二人掛りで其の雑木林に荷物を下ろして、明るくなっても見えないように木の枝などを被せた後、又歩き出しました。広い野原や、水の乾いた河原のような所や、岨しい坂道などを、上ったり下りたりするのです。思ったより遠いので、私がそう言うと、男は澄まして、もう直き別荘の灯が見える筈だと言います。何処まで行っても同じ答えです。
 その内に気が付くと、男は先に立って歩き乍ら、始終振返って私の足許に注意するのです。何時の間にか、余り人も通らないような細い山道になって、大きな石が転がっていたり藪があったりします。男は頻りに振向いて、私を助けようとして手を出したりするんですが、その好意が必要以上で、段々嫌らしい態度ようすを見せて来るので私はぎょっとしました。それに、何度も立停まっては小さな立木を抜こうとしたり、枝を折ろうとしたり、手頃な石を拾おうとしたりするのです。が、直ぐ後から押すように私が附いて行くので、ゆっくり目的を達することが出来ません。焦いらして来る様子ですから、私は、何気なく訊きました。
「何を捜していらっしゃるの? 何か落し物でもしたんですか」
「いやいや、何でもない。若木を抜いて行って、庭へ植えようと思っただけでさあ」
 私はすっかり怖くなって、いっそ逃げ出そうかと思いましたが、それでは却って不可ないと考え直して、背後から男の一挙一動に注意し乍ら歩いて行きました。
 相変らず、男は盛んに振返ります。二、三歩毎に振返ります。私は態と笑って、
「何ですよ。そんなに見なくったって大丈夫ですよ。斯うして随いて往きますから」
 けれど、幾ら往っても別荘へ着きません。軈て又小高い丘のような所へ出ました。材木置場らしい小屋が、半分建て掛けた儘になっています。玉菜キャベジの菜園があって、鳥渡した車の通る路もついています。私は恐怖で泣き出し度くなって、自然に足が竦んでいました。
「道を間違えたんでしょう? 嫌ですよ。私はもう先へ行きません」
 言い終らない内に、男はくるりと向き直って、突然私の頭へ綱を投げ掛けました。上衣の下に隠していたらしいのです。一瞬間後に、私は夢中で格闘していました。有りったけの力で男を突き飛ばして、手の洋傘こうもりを振上げました。この動作が、無意識に私を救ったのです。頭部の周囲に掛っていた綱が、洋傘に払われて、帽子と一緒につるりと除れたのでした。何か男が叫んだようでしたが、其の声を背後に聞いて、私は転がるように丘を駈け降りていました。樹の根に躓いたり茨に引掻かれたり濠へ落ちて這いずり上ったり、靴も洋傘も何処かへ飛んで終いましたが、恐怖に追われて走り続けました。男の跫音が迫って来て、冗談だよというのが一言聞えたようでした。左側の雑木林の上に大きな月が出ていたことを記憶えています。その光りで、野原の向うに白い建物が見えました。一散に駈けて踏切りを越えると、往手に灯の集団かたまりが浮かんでいます。バランの村です。ほっとした私は、死んだようになって最初の家の戸を叩いていました。


 これで警察もやっと緊張する。間もなく眼を付けたのが、近くのドュモラル村の一軒の茅屋。聞込みが上ったのだ。その家の主人おやじと言うのが、頻りに夜歩きをする。変な時刻に、密々出たり這入ったりする。加之おまけにお神さんという女が大変怖らしい人物――全く本書の頭巻に載せた写真を見てもこれ以上怖らしい小母さんは鳥渡あるまい――その上恐ろしく交際嫌いだとのこと。ドュモラル一家である。村と同じ名前で、其処ら一帯にドュモラルを名乗る家は矢鱈に多い。
 そこで此のドュモラル村のドュモラルを呼出してみると、警察も驚いた。上唇が瘤みたいに見事に腫れ上って、御丁寧に其の頂上てっぺんに傷がある。


 五月二十六日夜の行動を訊いてみると、案の条曖昧である。家の中に、同じ品物が二つ三つ宛あるのが、注意を惹いた。ドュモラル夫婦を引縛しょっぴいてトレヴォ署の留置所へ打ち込む。マリイ・パションに首実検を[#「首実検を」は底本では「首実験を」]させると、一眼見てこの男だと証言した。一方、ドュモラル村の家を捜索する。衣類、肌着、レイスの切れ端、リボン、外套、手巾ハンケチ、靴、贋の宝石等――一言にいえば、女中の有って居そうな品物の夥しい堆積が現れた。言う迄もなく犠牲者の所有品である。多くは血が附いた儘だ。ざっと洗って皺になっているのもある。全部で千二百五十七点。暢気な仏蘭西の巡査も、これには呆れて、
「此奴、自家用納骨堂は何処に在るんだ――?」


 仲なか泥を吐かない。周囲から証拠固めに掛った。段だん洗って往くと、以前一度、ドュモラルは若い女と一緒にモンルアルで汽車を降りて、明朝あした取りに来るからと、駅の一時預けに女の荷物を残して行ったことがあるという事実が出て来た。見ていた者があるのだ。が、荷物は預けっ放しになって、誰も受取りに来なかった。
 細君のジャンヌ・ドュモラルの方が徐そろ折れて来て、
「申上げます。実は、其の晩うちの人は、銀時計と血の附いた着物を持って、晩くなって帰宅って来ました。私に着物を渡して、洗濯しろと言いますから、何うしたんだよと訊きますと、例もの面倒臭そうな口調で、なあに、今其処のモンマンの森で女を一人ばらして来た。これから引返して一寸埋めて来る。そう言って、鍬を担いで出て行きましたが、翌る日駅に預けてある女の荷物を取りに行くと申しますから、それは危険い、止したが宜いと言って停めたので御座います」
 この陳述を確かめる為に、七月三十一日、現場の検証となった。夫婦を引いて、警官の一隊がモンマンの森へ出張する。この鬼夫婦を見ようと言うので、近郷近在から大層な人出、まるで競馬かお祭礼みたいに物売りの店が立った。仏蘭西らしいナンセンスだった。
 森中捜し廻ったが、何ら発見されない。ドュモラル夫人は、何処へ屍体を埋めたか知らないのだし、ドュモラルは、何と小突き廻されても、魚のように黙りこくっている。やっと潅木の間に塚のようになっている個処を発見して、鳥渡鍬を入れて試ると、直ぐ白い骨が出て来た。周囲を円く、注意深く掘り下げる。完態を備えた女性の骸骨が現れた。頭部に強打を受けたらしく、頭蓋骨が無残な破損を見せている。頭の下に当る土中に、鳶色の毛髪が脱落して、それに、二つ折りの大きな髪留ヘヤ・ピンが絡んでいた。
 ドュモラルのおやじに突き付けても、顔色一つ変えない。お婆さんの方は最早すっかり降参していて、今度は一同を、自分が先に立って少し離れたコンミュンの森へ案内した。夜になっている。村民の手を藉りて、松明を点けて捜索を続ける。が、何分暗くて意に任せない。明日の事にして引上げようとすると、ドュモラル、何を思い出したか急に笑い出して、御一同の探している場所をお報せしましょうと味なことを言った。
 五十ヤード程森の奥へ這入ったところで、確か此処らですと言うから、手分けして綿密に検べ始めると、三十分程して警官の一人が、何となく、人為の跡の見える草叢を発見した。土が置き換えたようになって、草や木の生え具合にも、態とらしいものが読まれる。松明を近付けると、其の光野ひかりを乱して銀蝿の群が舞い立つ。
 土の成分が独特なのだろう。防腐剤の性質を含んでいたに相違ない。若い女の屍体、少しも腐っていないで、綺麗なものだった。生きているようだ。全裸体である。仰臥して脚を開き、片膝を立て、左手さしゅは乳房を覆うように、そして右手に一塊の土を握っている。まだ生きて意識のある内に埋めたのだろうとなって、それには一同、顔を外向けた。
 ドュモラルの老爺おやじは平気。それでも、流石に余り愉快ではないとみえて、屍骸の顔だけは見ないようにしている。もう幾ら白を切っても駄目だ。警官が詰め寄ると、少し巡逡ためらった[#「巡逡った」はママ]後、ドュモラルの口からこんな告白が出て来た。


 八年前の十二月、儂は里昂リヨンで、百姓らしい二人伴れの男に会った。酒場へ連れ込まれて一杯り乍ら、色んな事を訊いた揚句、何うだ、一つ仲間に這入らねえかと言うから、何んな事をするんだと訊いたら、なあに、訳あ無え。若い女を誘拐するんだ。一人連れ出しゃあ四十法る。二十年働けば十万法の賞金を出すと言うでねえか。旨え話しだから早速引請けると、其の場で手筈を決めた。儂の仕事と言うのは、奉公口を探してる女中に態の好いことをいって、町の外部へ誘き出せばいいのだ。一週間程後、プラス・ドュ・ラ・シャラテでもう一度二人に落合って、儂は直ぐ女を探して歩いた。最初のやつは失敗ったが、二番目のは、儂の言う事を真に受けて郊外へくっ着いて来た。途中で例の二人が待っていた。そこで女に、この人達は儂の知人しりびとだから、安心して一緒に一足先へ行っているように――儂は鳥渡忘れ物をしたので引返すが、ネイロンで追い付くからと言って、女を二人に引渡した。そして二時間許り其処らをぶら付いていると、二人が帰って来て、約束の四十法と一緒に儂に、お神さんへ手土産を遣ると言って紙包みを呉れた。開けて見たら、血だらけの女服ガウン肌着シミイズで、儂が引っ張って来た女の着ていた物だ。あの娘っこあ何うしたかね? 儂が訊くと、もう誰もあの女を見ることはあるめえと言う返答だった。
 ネイロンの共同井戸で其の着物と肌着の血を落して、家へ持って帰って嬶あに与えた。里昂の古着屋で買って来たんだと嘘を言った。
 儂はよくは知らねえが、二人が女を殺したところは、何でもドュ・バル橋の近くで、屍骸はロウヌ河へ投込んだに違えねえ。
 一年余り過ぎて、二月の事だ。初めて二人に会った里昂の酒場に来いと言うから行ってみると、二人は、顔の浅黒い若い女を伴れて先に来ている。これから女が奉公に出るのを送って行くんだと言って、四人で出た。
 マラベル街道をロマネッシュまで来ると、彼処に森がある。儂は何だか歩くのが厭になって坐り込んで終った。二人は、何とかして起たせようとしたが、儂が動かねえので、諦めて女を伴れて森へ這入って行った。二時間も待ってみたが、別に叫び声も聞えねえ。が、耐らねえ嫌な事が起ってるような気がして、儂は顫えが止まらなかった。間もなく、二人の男だけ帰って来て、女を向うの百姓家に預けて来たと言ったが、女の着物も何も持って来て居ねえので、やれやれあの阿女あまっ子は助かったかと思うと、ほっとして、二人に別れて儂はドュモラル村へ帰った。


 ――これが其の筋の耳へ這入った最初の犠牲者マリイ・バダイユだったらしい――ドュモラルは続ける。


 ドュモラルは続けて、二年後の十二月に、里昂市のケエ・ドュ・ペラアシュで又其の二人の男に出会い、自分が女を探し出してショアゼイの森まで連れて行って二人に渡したと自白している。その時ドュモラルは、女の有っていた銀時計と衣類きものを二人の男から貰って、持帰って妻に与えたと言うのだ。
 マリイ・バダイユの屍骸が発見されているので、大事を取って、家から鍬を持って来て屍骸を埋めることにした。妻に訊かれて、面倒臭いから自分が女を殺したと言って置いたが、実は、凡べての下手人はこの二人の男で、自分は只雇われて働いたに過ぎない。ドュモラルはそう主張いいはった。
 その間に、誘き出そうとして失敗した女も沢山ある。コンミュンの森で蝋人形のようになって掘り出された女は、マリイ・ユウラリイ・ビュッソオという十七になる少女で、矢張り女中。里昂の街上まちで会って、例の出鱈目の仕事口の話しを持掛けると、給料の事で仲なか折合わない。何うせ根っから架空のことなのに何う言う気か、ドュモラルは態わざビュッソオの家まで出掛けて行って、二人の姉に面会して相談したりなんかしている。一週間してやっと話しが決まって、ドュモラルは女を案内してブロトウまで行き、其処で二人の男の手に引き継いだ。
「うむ。こいつあ素晴らしい玉菜だ!」
 男の一人が感心して、変な賞め方をしたと言うが、実際このマリイ・ユウラリイ・ビュッソオは、被害者の中で一番の美人。生きているような姿で土の中から現れた時も、皆その艶麗さに愕きを倍に、凄さも倍に感じた位いだ。コンミュンの森をクロア・マルテルの方へ進む。ドュモラルが其処に立って待っていると、二人の男はドュモラルが持って来た鍬を肩に、何も気付かずにいるビュッソオを仲に[#「仲に」はママ]挟んで森の奥へ消えたが、三時間もすると帰って来て、ビュッソオの着ていた着物と金の耳輪を、細君へ、と言ってドュモラルに進呈したと言う。
 そのビュッソオが、御覧の通り、こんなに見事に土の中に保存されていた訳です。実あマリイ・パション、あの女も、約束通りに丘の上の材木小屋に例の二人が来ていたら、ビュッソオと同じ運命だったでしょう。二人が来ていないのを見て、儂は態と脅かして逃がしてやったのです。頭に綱を掛けたなんて、飛んでもない! 早く行けと言って手を振ったんでさあ。全く、駈けて行く背後姿を見送って、儂は独語を言いましたよ。
「先ず、それで宜かった! その女も、もう彼の二人に捕まるまいて」
 そして、バランの村へ出る路を大声に教えてやったんです。この儂が。いいかね、このドュモラルが。


 これが「モンルアルの狼」ドュモラルの告白。玄怪極まりない二人の男と言うのは、些と何うも苦しかった。てんで実在しない人物、ドュモラルの創作に決まっているのである。皆そう言い合った。


氏名不詳の三人の女を強姦殺害してロウヌへ投入れたる件。
マリイ・バダイユを強姦殺害してモンタヴェルン森に埋めたる件。
氏名不詳の女を強姦殺害してモンマンの森に埋めたる件。
同じく氏名不詳の女を強姦殺害してルアロンヌ森に埋めたる件。
マリイ・ビュッソオを強姦殺害してコンミュンの森に埋めたる件。
及びシャアレッテ、アラベル、ブウルジョア、ペラン、ファルガット、ミシェル、パション其の他三人の氏名不詳の女に対する誘拐暴行殺人未遂。
併し、ドュモラル村の家で発見された被害者の衣服や持物等から見ると、尠くとも十二人内至十八人殺られて居なければならない勘定である。
 が、何うせドュモラルは断首機ギロチンものだとしても、要するに一個の首である。まあ、判っているのだけで好いだろうとなった。
裁判が始まる。


 マルテン・ドュモラル、五十二歳。がっしりした骨組み、髪は漆黒。碧い円い眼。受難の口唇は若い頃毒虫に刺されたのだそうだ。当時骨相学フレノロジイというのが莫迦に流行っていて、此の方面から観ると、ドュモラルの頭は確かに一異彩だった。嫌に鉢が拡がっていて、それが前後左右に急傾斜を作り、上へ往って円錐形に尖っている。おまけに猛烈なお凸頭で、その癖額と称す可き部分がなく生え際から直ぐ眉毛になっていたとある。余程奇抜な顔だったらしい。
 その珍面居士のドュモラル、裁判の最中にしっきり無しに起上って、やれ窓が開いていて寒いことの、夕陽が顔に当ることのと、種々真に重要なステイトメントを発している。其の度びにみんな大笑いしたとあるから、愛嬌のある老爺だったに相違ない。休憩時間に、ポケットから巨大な麺※パン[#「麦+包」、U+2EB86、182-上-3]乾酪チイスを取り出して噛じっているところが写真になって、巴里の新聞に出たりした。
 父は匈牙利ハンガリア人、マルテンは伊太利のパデュアで生れている。この父親おやじ墺太利オウストリヤの反逆者で、パデュアで発見されて牛裂きアカルテルマンの刑に処されているから、マルテン・ドュモラル、謂わば歴とした志士の遺児なのである。
 証人が七十四人、証拠品――手巾ハンケチ七十七枚、靴下五十七足、首巻スカアフ二十七枚、帽子三十八個、コルセット十一、長衣ガウン九着、他雑品無数。


 証人の一人、ルイ・コウシェと言うドュモラルの隣家の老人が、面白い事を言っている。ドュモラルは、何時も夜更けて帰宅って来ると戸口で大声に、Hardi! Hardi! と叫んで、この合言葉パスワアドを聞くと、屋内なかのドュモラル婦人がドアを開けるのが常だったというのだ。そうかと思うと、マリイ・ビュッソオの検屍をしたモンヴェノオ博士は、ビュッソオが手に握っていたのは地面の土で、それに上下の歯を固く噛み合わせていたから、生埋めにされたのだと断定して、法廷に新しい恐怖のセンセイションを巻き起した。この時、死者の姉ジョウゼット・ビュッソオが、
「私が悪いのです。あの男が口から出任せの事を言って相談に来た時、妹を奨めて出してやったのは、私でした。私が妹を殺したようなものです。生埋めですって? おおユウラリイ、何という――!」
 卒倒して担ぎ出された。
 ドュモラルの弁護人はラルデエイル氏、弁護の仕様が無くて弱った。黙っても居られないので、感傷的な詩の暗記みたいな事を一くさりやってお茶を濁している。
 マルテン・ドュモラル、死刑。
 ジャンヌ・ドュモラル、懲役二十年。
 狼が上告したら、モンルアル町の在るアン州の知事が直ぐ様ペンを取って最後の裁断書に斯う書いた。Il n'y d lieu ――余地無しゼア・イズ・ノウ・ルーム。其の二十四時間以内、三月七日の金曜日に、グレノブルの広場で断頭機ギロチンに掛る。大変な見物人。首が落ちる間際まで、市役所の応接間で煖炉ストウブに当っていた。引出されて受刑の仕度、仏蘭西人だけにこれをお化粧トワレットと謂って、上着を脱ぎ、足を縛り、後頭部の髪を刈って襯衣シャツの襟を毟り取る。落下する斧、ギロチンは速い。殆んど血を見せないそうである。例の珍妙な頭部は貴重な研究資料、里昂大学の骨相学フレノロジイ教室へ送られた。


 三年程経って、又モンルアル地方に、これと同じ女中専門の強姦殺人事件が続け様に繰り返された。犯人は二人の男で、これは到頭捕まらないで終っている。
 あの狼の陳述は真実ほんとだったかも知れない。そうするとギロチンは少し非道過ぎたようだ。が、多分これは、この二人の男がドュモラルの話しで後から思い付いたのだろう。





底本:「世界怪奇実話※(ローマ数字1、1-13-21)」桃源社
   1969(昭和44)年10月1日発行
※「鳥渡」と「一寸」、「場処」と「場所」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、「世界怪奇實話全集 第一篇 浴槽の花嫁」中央公論社、1930(昭和5)年10月1日発行の表記にそって、あらためました。同じ場合はママ注記としました。
入力:A子
校正:mt.battie
2024年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「麦+包」、U+2EB86    182-上-3


●図書カード