牡丹句録

子規病中記

正岡子規




左の一篇は客月痼疾平かならざりし病苦の中、子規子の手記になりたる日記なり。巻頭に中村不折氏の牡丹園と一輪の牡丹との絵画あり。其牡丹赫奕かくえきとして紅燃えんとするものあり、子規子の墨痕た古雅瀟洒たり。読み到りて当時を追想すればうた悚然しようぜんたらずんばあらず、しかも今之を誌上に掲載して、昔日の夢を笑ふが如き、けだし天の幸のみ。碧梧桐附記。

 五月九日 頃来体温不調、昼夜焦熱地獄ニ在リ 此日朝把栗鼠骨二子牡丹の鉢をかゝへて来る 札に薄氷と書けり 薄紅にして大輪也 晩に虚子西洋料理を携へて到る 昼夜二度服薬 発汗疲労甚しく眠安からず

薄様に花包みある牡丹哉

人力に乗せて牡丹のゆるき哉
鉢植の牡丹もらひし病哉
一輪の牡丹かゝやく病間哉
あらたまる病の床のほたん哉
政宗の額の下也牡たん鉢
蓑笠をかけし古家の牡丹哉

 此夜始めて時鳥ほととぎすを聴く

床の間の牡丹のやミや郭公ほととぎす

 此日叔父来給ふ
 五月十日 朝浣腸しをはりて少し眠る 心地僅ニよし

余の重患ハいつも五月なれは
厄月の庭にさいたる牡丹哉

 あまりの苦しさを思ふに何んの為めにながらへてあるらん 死なんか/\ さらは薬を仰ひで死なんと思ふに今の苦しみにくらぶれバ我か命つゆ〈原〉からず いで一生の晴れに死別会と云ふを催ほすも興あらむ 試にいはゞ日を限りて誰彼に其の旨を通じ参会者には香奠の代りに花又は菓を携へ来ることを命じ やがて皆集りたる時各々死別の句をよみ我れは思ふまゝに菓したゝかに食ひ尽して腹に充つるを期とし其の儘花と菓の山の中に快く薬を飲んですや/\と永き眠りに就くは如何に嬉しかるべき

林檎食ふて牡丹の前に死なん哉
  ○
牡丹散る病の床の静さよ
二片散て牡丹の形かハりけり

 飄亭朝来ル、左衛門午後来る 不折夕来、表紙牡丹ノ画成る
 五月十一日 朝羯翁丁軒来る 牡丹ハ今朝尽く散り居たり

牡丹散て芭蕉の像そ残りける

 大なる花片一つおさめおかんと思ひしに子供来りて早く取去おわんぬ
 今日ハ夜ニ入リテ熱三九度四分也 一昨日より高けれどきのふマデ一日ニ二度ヅヽ、高マリシ熱、今日ハ一度ニ復シタリ

三日にして牡丹散りたる句録かな





底本:「花の名随筆5 五月の花」作品社
   1999(平成11)年4月10日初版第1刷発行
底本の親本:「子規全集 第一二巻 随筆二」講談社
   1975(昭和50)年10月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2022年9月26日作成
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