槍ガ岳

(北鎌尾根)

松濤明




荷上げ




昭和二十三年十二月十二日
 五時松本着、ただちに島々へ行き、西糸屋にて干飯、餅各三升依頼。米を若干買入れて大町へ向う。大町では葛行バスの終車に乗り遅れ、「山七」旅館に泊る。素泊りで一一〇円。暇つぶしに湯俣温泉小屋持主を訪ね、天上沢の路が予想外に良いことを聞き安心する。大町で見たところでは、雪は少なく、スキーを持った格好は良くない。

十二月十三日
 八時のバスで葛入り、高瀬館にスキーを預け、九貫の荷を背負って湯俣へ向う。葛から雪路で、ツルツルで歩き難い。
葛(九・一〇〜一〇・二〇)―七倉沢(一〇・五〇〜一〇・五五)―神ノ沢吊橋(一一・五〇〜一二・〇〇)―三ノ沢吊橋(一二・三〇〜一二・四〇)―濁(一三・〇五〜一三・一五)―第五発電所(一四・〇五〜一四・一五)―湯俣取入口(一七・〇〇)

 七倉沢少し下の営林署合宿迄トラックの轍あり、それより上も馬軌道が第五まで行っている。しかし雪は少なく輪かんも要らなかった。湯俣のおやじさんは登歩渓流会のことを覚えていて、思い出話に花が咲いた。われわれに対する印象は非常に良いらしい。気温〈−2℃\22時〉

十二月十四日 小雪後雨
湯俣(八・四五)―中東沢(一〇・〇〇〜一〇・二〇)―マチバ吊橋(一二・一五〜一二・三〇)―マチバ(一二・五〇〜一二・五五)―天上岩小屋(一三・〇〇〜一三・一五)―第三吊橋上まで偵察―岩小屋(一四・三〇)―第三吊橋(一四・五五)―P2(一六・二〇〜一六・二五)―第三吊橋(一七・一〇)―岩小屋(一七・二五)

 湯俣の親父さんの話では、天上沢の路は案外はかどりそうで、この分ではP2まで荷を上げて帰京できると見当をつける。P2まで行ければテントを張って荷を入れねばならないが、拙いことに支柱を持って来ていない。岩小屋も半分水につかって使用出来ないから、第三吊橋付近に小屋掛けしなければなるまいとの話に、ついでにP2にも小屋掛けしようと決めて鋸、針金など貰って出発。荷は約七貰、アイゼンを履き中東沢出合より輪かんを付ける。脛くらいの潜り方。中東沢を対岸に見る少し下に沢が入り、その出合付近が悪い。三番目の大きい沢の所から大高捲き(高さ一〇〇メートル位)の新道がついていた。マチバの下の吊橋は橋桁が少し落ちて飛んでいたが、水俣入口の吊橋よりむしろ良かった。三番目の沢付近からアラレが降り始め、やがてミゾレになった。岩小屋は水につかってなくて先ず安心。荷を置いて第三吊橋上の小屋掛け予定地まで行ってみたが、あまり良い場所でないので、岩小屋を使うことにする。時間が多少あるので食事後ザイル、三ツ道具、小屋掛け資材だけ持ってP2へ向う。ミゾレで身体がぐっしょり濡れる。雪もくさって感じが悪い。
 P2の側稜を直登して、P2まで一時間半で行けた。ラッセルは深くて膝まで。ただし上部に垂直近い悪場があり、先年五月には左をからんだが、今度は直登して骨折った。P2頂上の立木の根方に荷を置いて直ぐ引返したが、沢までひと息という所で暗くなり、ライトをつけて岩小屋に戻った。岩小屋内には流木あり豪勢な焚火をした。しかしシュラフだけでは寒くて眠れなかった。寒さに身体が馴れていないからだろう。気温〈−2℃\21時〉

十二月十五日 風雪
岩小屋(八・五五)―第三吊橋(九・一五)―急になる地点(九・五〇〜一〇・三五)―Pl・2のコル(一一・五五〜一二・〇〇)―P2(一二・一五〜一四・二〇)―Pl・2のコル(一四・三〇)―第三吊橋(一四・五五)―岩小屋(一五・〇五〜一五・三五)―マチバの吊橋(一五・四五)―湯俣(一七・〇〇)
 一気に小屋掛けすべく、荷約五貫を背負い出発。昨夜来の雨は風雪となり、ラッセルの跡も消え、深い所は二尺も吹き溜まっている。しかし踏んだ跡はやっぱり締っていて、さほど潜らない。昨日のルートでは無理なので新しいルートを探す。側稜取り付きから三五分程で急に傾斜の増す地点がある(ここまで約七百歩)。ここで荷を置いて偵察、Pl・2間の沢にルートをとる。このルートは、急は急だが壁というほどのものでなく、荷はあっても昨日と所要時間も殆んど変らず尾根へ出た。木立の深い痩尾根をP2へ上る。小屋掛けしようと思ったが風雪が烈しくて、ゆるゆる仕事もできないので、木立を利用してテントを張り荷を入れる。風でテントは凧のように揚がり、張綱も一本切れたりして非常に手間取った。約二時間かかって、やっと張り終った。風蔭ならば多少楽だったろうが、手頃な場所がなく、吹き溜りでテントの埋まるのをおそれたので、尾根筋の風当りの強い所へ張ったのである。昨日の荷と合せてテントに荷を入れ、直ぐ下る。ここへ上げたもの、ザイル、三ツ道具、サブルック、ビスケット全部、シュラフザック、毛糸靴下、燃缶十五個、その他小物。帰りは図のルートを下りたが、沢は腿まで埋まる吹き溜りだった。岩小屋で冷飯を煮直して昼食。湯俣へ下る。シュプールは殆んど消えていて、ラッセルが苦しかった。岩小屋に置いたもの、米五合、コッヘル、燃缶五個、木椀二個、スプーン、フォーク、地図、その他小物。湯俣に着いた時は既に真っ暗であった。

十二月十六日 晴
湯俣(一〇・二〇)―第五発電所(一一・五〇〜一二・一〇)―濁(一二・四五)―三ノ沢橋(一三・〇五)―葛(一四・一五〜一四・三〇)―第二発電所(一五・三〇〜一五・四五)―バス―大町(一六・〇五)

 うそのように晴れ上る。ゆっくり湯俣を出て下る。下の方にも多少雪が来ていた。道がこわれたため、バスは第三発電所までも来なかった。二十一日までは籠川の橋までしか行かないという。ただし、その後は第三発電所まで入る由。爺岳の双峰が新雪に輝き、鹿島槍がヒマラヤの山のように雪煙を上げる美しい夕景だった。松本発十九時三十八分で帰る。荷上げの目的は充分に果せた。干飯、餅は十九日までに作って貰うよう、改めて手配しておいた。

北鎌尾根へ死の登攀

十二月二十一日(起床七時)
大町―バス籠川まで(八・〇〇)―籠川橋(八・五五)―第二発電所(九・〇五)―北葛沢(九・一五)―第三発電所(九・二五〜一〇・一五)―葛(一一・一五)

十二月二十二日 曇(起床七時三〇分)
葛(一〇・三〇)―七倉沢(一〇・五〇)―カラ沢対岸飯場(一一・〇〇〜一一・〇五)―シシノ口切通し(一一・三〇)―神ノ沢小屋(一一・四五〜一二・二五)―神沢橋(一二・三〇)―イワナ取り大岩(一二・四五〜一二・五〇)―三ノ沢橋(一三・〇〇)―不動滝(一三・一五〜一三・二〇)―濁沢(一三・三○)―吊橋(雪チラホラ)(一三・四〇)―第四発電所(一三・四五〜一三・五〇)―第五発電所(一四・一五〜一五・二〇)―ナナシ小屋(一六・〇〇〜一六・一〇)=すぐ上に沢あり(ナナシ沢)―ガレの曲角(一六・二五)―新しい小屋(一六・三五)―次にコジの沢=コジの沢径入口(一六・四〇)屋根だけの小屋あり、次に小沢あり、北鎌の見える曲角(ガレ)―調制池(一六・五五〜一七・一五)―取入口(一七・三五)

十二月二十三日 半晴
湯俣取入口(九・四五)〈−2°〉―第一吊橋(九・五〇〜一〇・一五)―疎林(一〇・三五)=小沢あり途中十五分休み―中東沢(一一・〇五〜一一・一五)〈3°〉―比岸ガレ=曲り河原、小沢あり―二ノ沢(一一・二五)=小高捲き、河原をへつる―三ノ沢(一一・三五〜一一・四〇)=すぐ高捲き始まる。M形に小尾根二本捲く。ホンの小沢より河原へ下る=河原(一二・〇〇〜一二・一〇)―マチバ吊橋(一二・二五)―マチバ(一二・四〇)―※[#△/‥、252-11](一二・四五〜一三・三〇)〈−2°〉―第三吊橋(一三・五〇〜一四・〇〇)―沢に入る(一四・五〇〜一五・一〇)―側稜取付き(一五・二〇)―針金と同高(一六・〇〇〜一六・〇五)〈−3°〉―リッジ(一六・三五〜一六・四五)〈−4°〉―P2キャンプ(一七・〇〇)

 炊事始―十八時。時計止まる。就寝時〈+3°〉
 雪の消えた事オドロクばかり、P2の側稜はまるで五月山で、地肌さえ出ている。Plとの間の沢へ入って中間の側稜を登ったが、非常に苦しかった。

十二月二十四日 曇後雨(小雪)
 何んとなく冷えてよく眠れず、三時頃起床、燃罐で暖まる。朝食後九時頃まで一睡する。昼食後十一時頃よりテントの張り直し、焚火して夕食し、暗くなってテントに入る。雨となる。〈+5℃/18時〉

十二月二十五日(起床七時三十分)
P2(九・四五)―P3(一〇・一五〜一〇・三〇)
 ザイル背負い、ワカンを付ける。
中間P(一〇・四五)=小屋掛―ガレ下のコル(一一・〇〇)=ヤブひどし―ガレのP(一一・三〇)―P4R(一一・四五)―P4R大(一二・〇〇)―P4M(一二・三〇〜一二・五五)―P5小(一三・一五〜一三・三〇)

 P5偵察、※[#△/‥、253-9]発見、荷を入れる。
[#△/‥、253-10]出発(一四・〇〇)―P4M(一四・一〇)―P4R大(一四・二〇)―P4R小(一四・三〇)=針金―ガレ頭P(一四・三五)―ガレ下のコル(一四・五〇〜一五・〇五)―中間P(一五・一五)P3(一五・二〇)―P2(一五・三〇)

 湿雪のためグショヌレ、中間ピークより雨、テントへ帰って焚火する。夕食十九時、雨盛んに降る。テント内〈7℃/21時〉
十二月二十六日 雨
 熱っぽく、耳下腺腫れる。雨もひどいので休養とす。朝食抜きで十一時頃までねる。午後有元にヤッホー送るも応答なし。テントの下に葉をしき、内部を整理す。夜、腹がへったので夜食、テントの設計などす。雨止むも依然曇る。ラヂウス今夕満量、使用夜 1.5h(就寝二二・三〇)

十二月二十七日(起床四時三十分)
 Radius 使用朝 2h 豪雨沈澱、テント破れんばかりにはためく。

十二月二十八日
P2(一二・〇〇)―有元と会う(一三・〇〇〜一三・三五)―第三吊橋(一三・五五)―※[#△/‥、254-5](一四・一〇〜一五・一五)―第二吊橋(一五・二五)―中東沢(一六・〇五)―湯俣(一六・三五)―調制池(一六・五〇)

十二月二十九日 休養

十二月三十日(起床八時)〈−10℃〉
調制池(一〇・三〇)―湯俣吊橋=アイゼン(一〇・四五〜一〇・五五)―一ノ沢(一一・二〇)―二ノ沢=小高捲き―(一一・三〇)―三ノ沢(一一・三五)―大高捲き終る(一一・四五)―マチバ吊橋(一一・五五)―※[#△/‥、254-12](一二・〇五〜一二・四〇)―第三吊橋(一二・五〇〜一三・一〇)―急になる所(一三・四五〜一三・五五)―リッジ(一四・四〇)―P2(一四・五〇〜一五・一〇)―P3(一五・三五)―中間P(一五・四五―コル―一五・五〇)―ガレ下のコル(一六・〇〇〜一六・一〇)―ガレのP(一六・四五)〈−4℃〉(就寝二一・三〇)

十二月三十一日 曇(起床七時)〈−3℃〉
BP(一〇・一五=二五松)―P4R小(一〇・四〇)―P4R大(一一・〇五〜一一・二五)―P4主(一一・三五〜一一・五〇)―P5小(一二・〇五〜・一〇)―※[#△/‥、255-3](一二・一五〜一三・一〇)―P5・6のコル(一六・二〇)―P6(一七・一五=松)(一七・四〇)

 アラレ、ミゾレの中のツェルトビヴァーク、雪はげしくツェルトを覆い、首の根を抑えつけられた。これまでに最も苦しいビヴァーク。身体は濡れ殆んど眠れず、燃料消費烈し。
 ※[#△/‥、255-7]よりP5へのトラヴァース、ブレーカブルクラストでアイゼンきかず、ステップを切る。悪し。P6は案外楽に右をからんで登る。※[#△/‥、255-8]よりP6まで荷は分けて何度も往復する。

一月一日 大風雪
P6(一〇・三〇)―P7=松濤キジ(一一・三〇)―北鎌コル(一二・三〇)―雪洞掘り終る―(一四・三〇)

 クラストの上に新雪一尺程つもり、アイゼン効かず、わかんも効かず、烈しい風雪中に苦闘す。全身濡れて冷え切り北鎌コルの雪洞にて漸くなり。濡れ物を全部脱いで干し、ガソリン消費大。ラヂウス再び不調となる。(就寝二一・三〇)

一月二日(起床五時二十分)
 ラヂウス破壊、燃缶とガソリンの直焚きで水を作る。七時頃息苦しくて気付いてみると入口閉塞、有元掘る。
 動悸激しく、風雪は昨日にもましてひどいし、濡物もそのままなので一日沈澱。
 上るか、下るかの岐路に立つ。
 入口閉塞その後二回。
 夜、星空となる。ラヂウスも応急修理で何とか燃え出したので明日は登高とする。
 十五時洞内〈4℃〉中央〈0℃〉(ラヂウス無)入口〈−8℃〉
 十八時三十分 洞内〈13℃〉(ラヂウス)洞外〈−9℃〉
 ガソリンの直焚で洞内真黒。

食事
十二月三十日
昼 ビスケット、パイ 四
夜 干飯、シチュー、ミルク、リンゴ、パイ 六、バター、チーズ

十二月三十一日
朝 干飯、ミソ汁、ミソ漬(大根、油揚)
昼 ビスケット、チーズ、ハム、ナッパ、ラクトレート
夜 干飯、肉、リンゴ、ハム

一月一日
朝 干飯、ミソ汁(スヂ)、バター、ハム
昼 ビスケット、チーズ、ラクトレート
夜 餅、鮭、ハム

一月三日
[#○/‥、257-6](九・一〇A、九・四〇M)―有元に追い付く(一〇・五五)―第一悪場上(一一・四五)―天狗(以下二文字不明)(一三・〇五)―ビスケット食う(一四・〇〇)―※[#○/‥、257-7](一五・三五)―雪洞出来(一七・一五)(就寝二一・三〇)入口〈0℃〉


(十頁空白)

1月4日 フーセツ
 天狗のコシカケヨリ ドツペウヲコエテ 北カマ平ノノボリカヽリデビバーク。カンキキビシキタメ有元ハ足ヲ※[#「第」の俗字、U+3427、257-12]二度トーショーニヤラレル.セツドーハ小ク、ヤ中入口ヲカゼニサラハレ全身ユキデヌレル.
テング※[#○/‥、257-14](8・15)―ドッペウ(11・00)―小※[#○/‥、257-6]15・30)
1月5日 フーセツ
 SNOWHOLEヲ出タトタン全身バリバリニコオル、手モアイゼンバンドモ凍ッテアイゼン ツケラレズ、ステップカットデヤリマデユカントセシモ※[#丸有、U+3292、258-3]千丈側ニスリップ 上リナホス力ナキ

(四頁空白)

 タメ共ニ千丈ヘ下ル、カラミデモラッセルムネマデ、15時S.H.ヲホル

1月6日 フーセツ
 全身硬ッテ力ナシ、何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス
 オカアサン
 アナタノヤサシサニ タダカンシャ.一アシ先ニオトウサンノ所ヘ行キマス。
 何ノコーヨウモ出来ズ死ヌツミヲオユルシ下サイ.
 ツヨク生キテ下サイ.
 井上サンナドニイロイロ相談シテ

(二頁空白)

 井上サン
 イロイロアリガタウゴザイマシタ カゾクノコトマタオネガヒ.
 手ノユビトーショウデ思フコトノ千分ノ一モカケズ モーシワケナシ、
 ハハ、オトートヲタノミマス

 有元ト死ヲ決シタノガ 6・00
 今 14・00 仲々死ネナイ
 漸ク腰迄硬直ガキタ、
 全シンフルヘ、有元モHERZ、ソロソロクルシ.ヒグレト共ニ凡テオハラン.
 ユタカ、ヤスシ、タカヲヨ スマヌ、ユルセ、ツヨクコーヨウタノム.

(十四頁空白)

 サイゴマデ タヽカフモイノチ、友ノ辺ニ スツルモイノチ、共ニユク.(松ナミ)

 父上、母上、私ハ不孝でした、おゆるし下さい
 治泰兄、共栄君 私の分まで 幸福にお過し下さい
 実態調査室諸士、私のわがまゝを今までおゆるし下さいましてありがとうございました
 井上さん おせわになりま(六頁空白)した
 荒川さん シュラフお返しできず すみません   有元

 我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体ヲ作ル
 個人ハカリノ姿 グルグルマワル        松ナミ

(十二頁空白)

 竹越サン 御友情ヲカンシャ.
 川上君 アリガトウ(松濤)

 有元
 井上サンヨリ 2000エンカリ ポケットニアリ、
 松濤
 西糸ヤニ米代借リ、3升分、





底本:「新編 風雪のビヴァーク」山と溪谷社
   2000(平成12)年3月20日初版第1刷
底本の親本:「風雪のビバーク」朋文堂
   1960(昭和35)年7月
初出:「私家版 風説のビヴァーク」
   1950(昭和25)年1月6日
※「ビヴァーク」と「ビバーク」、「ドツペウ」と「ドッペウ」の混在は、底本通りです。
※「1月4日」の記述からは「以下は可能なかぎり原文通りとする」という編注が付加されています。
入力:岡山勝美
校正:雪森
2015年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

△/‥    252-11、253-9、253-10、254-5、254-12、255-3、255-7、255-8
○/‥    257-6、257-7、257-14、257-6
「第」の俗字、U+3427    257-12
丸有、U+3292    258-3


●図書カード