三つのばあい・未亡人はどう生きたらいいか

宮本百合子




          一

 このお手紙をよんで、わたしもほんとに「待つ」というのはどういうことなのだろうと、お手紙に書かれているとおりの疑問を感じました。
 Hさんのお母さんの立場も、日本の女らしい哀れなものですが、そのかたの身内というものはないのでしょうか。そういう縁故があれば、A子さんが働いて義理のお姑さんの余生をすごさしてあげなくてもよいということにもなるのでしょうが――。
 A子さんが働いてその方の世話を見なければ、とかかれていますが、この働くということばは、どういう内容で云われているのかわからないので、第三者としての判断が迷わされます。もしA子さんが自分の力で経済上の負担も果してそのおとしよりを見てあげようというのならば、その条件にたって、新しい結婚は全くA子さんとY氏との間の理解で解決することだと思われます。Y氏に、前の御良人の母の生活まで保証させることはできないにしろ、A子さんがその面での経済的負担を負うなら、事情は複雑ながら結婚できないことはないし、それについて、当然の義務を果さないH家の人々が一言も批判するよりどころはないと思います。
 しかし、A子さん、A子さんの親、Y氏、それぞれが真面目にA子さんの新しい生活の立て直しについて考え、その実現をのぞむのなら、H家、A家、A子さん、Y氏みんなが集って、最も妥当な方法でH氏の母親の身の処置について協議すべきです。
 嫁だから姑の世話をしなければならない、というだけで、全責任をA子さんにおわせるとすればH家の人々の態度は間違っています。旧い親子の義理がH家の人々と後ぞいの老婦人との間にないとして、嫁であるA子さんにだけその義理を強いるのは間違いです。
 待たずに結婚するように打開されるべきです。

          二

 あなたが、お兄さんからすすめられた方に心よりも体でひかれてゆきそうであり、Eという前からよく知りあっていた従弟の方には親しすぎて良人にしようとおもえない、というところが、微妙な心理だとおもいます。
 結婚というものが、肉体の問題を根底にもっており、結婚生活の経験があり、成熟期のあなたが、ときどき会う兄の御友人に肉体からさきに譲歩しそうになっていることは、自然のようで、また自然でないと思います。
 なぜなら、その人と会うようになった動機は、結婚へ、という前提であって、そのことは結婚生活を知っているあなたに情感の上でのさまざまの思い出やまた燃えたちたい欲望を刺戟しているのですから。兄は認めている、という点も、一つの暗示です。
 いい人がらとわかっていても、知りすぎているEに対して、良人としたい気がおこらない、というのは、さきに兄の友人によって刺戟をあたえられており、その渇望がみたされていず、そのための牽かれる感情がつよいからです。
 御良人の死後Eが、あなたに対して一つも刺戟をあたえるような行動がなかったこと、しかしその人はあなたを好きであったということ、そしてその人には女として刺戟を感じないということ。第三者として考えると、兄の友人とE氏とは性格もちがい、女性への感情の示しかたもちがう人のようです。
 もう幾度か会っている男の人についてなら、その人の年齢はもとより、職業も性格も、感情経歴も、子供づれで来てほしいという心もちのよりどころも、あなたにはおわかりでしょう。
 具体的なことは一つも手紙にかかないで、第三者に判断をもとめることは、現実性にかけています。
 具体的事情をよく考え、自分がもとめているのはどういう人生であり、また子どもの父であった人が、自分たち妻と子とをそのように暮させたいと希望していた生活はどういうものであったかということをじっと考えひそめて見れば、おのずから判断はおできになると思います。
 あなたの場合、問題の核心は、むしろ女の感情というより、もっとデリケートな情感的な点にあります。
 その点の問題を、そと側の「家」の問題だの新民法だのと、いわばことよせた理屈ではなすと、問題がずれて、正直にこころもちを追求して解決する人間としてのよさが失われます。

          三

 このC子さんのお話をよんで、わたしは失礼ですが、これは事実なのだろうかと思いました。なぜなら、C子さんのお手紙だけで判断すると、C子さんは、東京で戦災にあった実家の両親や弟の消息をしらべるのに、何とあっけなくあきらめているでしょう。引きあげて来て、家族が戦災にあっていたとき、その消息をたずねる人の努力と熱心は実に何とも云えず熱烈であり執拗であるのが普通です。実家の親戚、知人、職業上の連絡など何一つないような生活をしていた御両親でしょうか。
 満州引あげの際、良人と生きわかれになったということは死別よりも苦しく、あわれに切ないことです。翌年の夏まで満州にいて、多分死んだろうと云われ、そうなのだろうか、と思っていたまま三年すぎた、というのも聞くだけで苦しいことです。死んだのだろうと思いながらそのまますぎた月日のなかで新しい恋愛が生じ、そうなったら、こんどは生死不明のその人を生きたものとして、離婚を求めるという、そのこころもちの推移も、やっぱり苦しく思えます。前の良人のひととは恋愛による結婚ではなかったのでしょう。そして、二人が生活していた間、どんな情熱もないただの偶然の夫婦だったのでしょうか。
 離婚なさい。そして、新しい結婚をなさい。そして、新しい結婚によって、人を愛するとはどういうことであるかということをしっかりと理解し、自分の感情に責任のもてる女性に成長なさい。
 そういうちゃんとした生活の幾年かのちに、あなたは、過去の自分がどんなに境遇に対して受けみであり、自主的でなく、よわいものの薄情さをもっていたかということについて、発見なさるでしょう。
〔一九四九年一月〕





底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「女――その世界とその問題」(「レポート」別冊)
   1949(昭和24)年1月1日発行
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年11月30日作成
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