二つの庭

宮本百合子




        一

 隣の家の篠竹が根をはって、こちらの通路へほそいたけのこを生やしている。そこの竹垣について曲ると、いつになく正面の車庫の戸があけはなされていた。自動車の掃除最中らしいのに、人の姿はなくて、トタン張りの壁に裸電燈が一つ、陰気にぼんやり灯っている。
 伸子はけげんそうな顔で内玄関へ通じるその石敷道を歩いて行った。すると、ゆずり葉の枝のさし出た内庭の垣の角から、ひょっこり江田が姿をあらわした。おさがりの細かい格子のハンティングをかぶって、ゴム長をはき、シャツの腕をまくり上げた手に大きいなめし革の艶出し雑巾をにぎっている。江田は、伸子を見ると、
「や、いらっしゃいまし」
 ハンティングをぬいで頭を下げた。
「こんにちは。――手入れ?」
 伸子はきいた。
「はあ。お留守のうちにすこし念入りにやって置こうと思いまして……」
「きょうは、事務所じゃないの?」
「ゆうべの急行で山形へお立ちになりました」
「あら! そうなの――」
 伸子は、がっかりした声を出した。
「きょうは、お父様のお誕生日だったのよ、だからと思って来たのに――」
 江田は、
「それゃ知りませんでしたな」
 律気者らしく伸子の失望した顔を見た。
「奥様はおいでですよ――お客様のようですが……」
「どなた?」
「さア……越智さんだと思いますが――」
 駒沢の奥からここまで来たことが一層つまらなく思われた。ハトロンに包んだ花を下げたまま、伸子はしばらくそこに立って江田が小型ビインの手入れをするのを見ていた。しばらくすると、江田が、
「伸子さま、ともかくお上りんなったらいかがです、そのうちにはお客さまもすむでしょうから」
といった。
「和一郎さんたちはいるのかしら」
「保さんがおいでです」
 伸子は、まわり道までして買って来たバラの花を飾る場所を失った心持で内玄関から上った。左手のドアがきっちりしまっている。そこは客室であった。いつもは華やかなよく響く調子で客と応待する母の声が、きょうはひとつも外へ洩れて来ない。不自然な気分で、伸子は廊下一つへだてた食堂の一方だけあいているドアから入った。
 寂びた赤うるしで秋の柿の実を、鉄やいぶしたすずで面白く朽ち葉をあらわした火鉢に鉄瓶がかかっていた。炭がきれいにいかったまま白くたっている。部屋の気配は、ここにもう長い間坐っているひとがなかったことを感じさせた。
 女中が出て来て、
「いらっしゃいまし」
 よそのお客へするとおりのお辞儀をして、お茶をいれた。
「お父様山形なんだって?」
「さあ……」
 伸子が名もはっきり知らないその女中は、主人のゆくさきを知らないのは自分の責任ではないという風に、からだをよじった。
「ゆうべ、お立ちになったことはなったんでしょう」
「はあ……」
「まあ、いいわ、ありがとう」
 畳の上に絨毯じゅうたんをしき、坐って使う大テーブルを中央に据えてあるその部屋は、半分が洋風で片隅に深紅色のタイルをはった煖炉がきってあった。その煖炉の左右は、佐々ごのみで、イギリス流の長椅子になっている。その上に、どてらが袖だたみのままおいてあった。それは父のどてらであった。
 伸子は、ハトロン包みの花をもって風呂場へ行った。洗面器へ水をはって、ハトロン紙につつまれているままのバラの花をそこへつけた。それから壁にとりつけてある鏡に向って、髪をかきつけた。
 単純なその動作を終ると、伸子はたちまち次には何をしていいのかわからないような、とりつき場のない当惑にとらわれた。越智が来ている客間へは、どうにも入っていけないものがある。保のための家庭教師、高等学校へ入る試験準備の間、指導してもらった若い教育者である越智圭一は、はじめのうちは佐々の家庭にとって、みんなに一様の越智さんであった。勉強するときのほか、越智は食堂で雑談したし、客間で画集を見たりしている越智のまわりに、保も稚いつや子も出入りしていた。
 保が東京高校へ入学したのは前年の春であった。その夏、若い越智夫婦が田舎にある佐々の家に暮し、伸子はあとからそのときの写真をみせられたことがあった。大柄の浴衣をきて、なめらかな髪を真中からわけて結び、やせがたで憂鬱な情熱っぽい純子という夫人が、白服できちんと立っている越智と並んでうつっていた。夫人のからだにあらわれている、しめっぽくて、はげしそうな表情も、越智の白い夏服の立襟をきちんとしめて、とりすましたような工合も伸子の気質の肌に合わなかった。普通にいえばよく似合っている縁無し眼鏡も、寸法どおりにきまって、ゆとりと味わいのない越智の顔の上にかかっていると、伸子は本能的に自分が感じている彼の人がらの、しんの冷たさや流動性の乏しさを照りかえしているように思うのだった。
 そのスナップ写真を伸子と顔をよせあうようにしてしげしげ眺めながら、多計代が、
「伸ちゃん、お前、純子さんてひとを、どう思うかい?」
ときいた。伸子は、そのとき、母の唐突な質問に困った。
「だって、わたし、このかたにまだ一遍も会っていもしないのに……」
「そりゃそうだけれども、この写真をみてさ。伸ちゃんは、どう感じるかって、いうのさ」
 伸子は、そういう多計代の詮索を、苦しく感じた。伸子は、恋愛の思いを知っていた。結婚した夫婦生活の明暗もある程度はわかっている。いまは女友達とひとり暮しをしているけれども、伸子は母のききかたに、女としての感情の底流れを感じ、それは成長した娘としての伸子の心に苦しいのであった。
「旦那さまが好きらしいし、ある意味で美人だし……問題はないじゃないの」
「問題になんかしているんじゃないけれど……」
 多計代は、ふっさりとして大きい、独特に古風な美しさのあるひさし髪を傾けて、なお写真をみていたが、
「純子さんて人は、おかしな人だねえ。時々ひどいヒステリーをおこすんだってさ。越智さんが出かけようとすると、出すまいとして玄関にはだしでとび下りて、格子に鍵をかけてしまったりするんだそうだよ。まるで気違いみたいになるときがあるんだって」
 誰から、どんな風に多計代はそういう話をきかされるのだろう。それを思うと、伸子は夫婦の間のそんな話や、越智と多計代とが純子についてそういう話をする情景そのものにいとわしさを感じた。
「自分の細君のことをそんな話しかたで話すなんて――お母様の趣味? そんなこと――」
 伸子は、肩でぶつかってゆくようにいった。多計代は黙った。そして、とりあげて見ていた写真を、テーブルの下にある手箱の中へしまいはじめた。
 一月ばかり前に伸子が来たとき、多計代は黒い瞳を機嫌よい亢奮でかがやかせながら、
「――越智さんは純粋な人だねえ」
といったことがあった。
「そうお?――どうして?」
 うたがわしそうな伸子のききかえしにこだわらず、多計代は、
「僕が、もし純子と結婚していなかったら、きっと奥さんに求婚したでしょう、だって――」
 そういう多計代のこだわりのない満足らしさが、伸子をおどろかした。
「だって――」
 じゃ、お父様はどうなるの? 伸子の心に声高くその反問が響いた。
「ありえないじゃないの……そんなこと!」
 まばたきがとまったような表情になった娘をちらりと見て多計代は、
「だからさ」
といい添えた。
「ただ、そうだったろう、というだけの話なのさ」
 けれども、越智のある厚かましさが伸子の胸に鋭く深くきり込まれた。多計代はそう感じていないらしいけれども、そんな越智の言葉は、母をほめているようで、ほんとは母も父も侮辱しているところがある。そういう、越智に対する伸子の否定的な感情は、越智にも反映していた。母娘の間で意見が合わないようなことがあるとき、多計代は、自分の感情に重ね合わした憎々しさで云った。
「越智さんだってこの間云っていたよ。伸子さんという人は、破壊のために破壊をする人だって――」
 そんなとき、伸子は唇のふちが白くなってゆくのが自分でわかったほど激しい嫌悪にとらわれた。
 客間のドアは、ぴったりしめられている。越智に対する伸子の批評に向ってしめられている。伸子は、そのハンドルにかける手をもっていない自分を感じるのであった。
 心のおき場がなくて、伸子は保の勉強部屋へあがって行った。
 二階の日あたりのよい畳廊下で赤いメリンスしぼりの蒲団をかけ、小さいつや子が、お志保さんに本をよんで貰っていた。背中をかがめて膝の上に支えた手の本をよんでいるお志保さんのうしろに伸子が現れると、
「ああ、お姉ちゃまが来たア」
 つや子が、いかにも、その変化をよろこぶように声をあげた。
 伸子は、つや子が病気だとは知らなかった。
「どうしたの? 又ゼーゼー?」
 末子のつや子には、喘息の持病があった。
「二三日前雨がふりましたでしょう? あのとき学校から、ぬれておかえりになったもんですから」
「なに読んでるの?」
「アラビアン・ナイトでございます」
 つや子は、左右にたらした短い編下げの頭をふるようにして、
「お姉ちゃまア」
と伸子を見あげた。
「ここへ坐って! あったかよ」
 伸子は、ふとんと同じメリンスしぼりのねまきを着ているつや子を半分自分の膝によりかからせた。
「つや子ちゃん、唐辛子、ぬいだんでしょう? だからゼーゼーになったんでしょう?」
 よわいつや子は冬から春にかけて、いつも赤い毛糸でこしらえた下着をきせられていた。つや子ちゃんの唐辛子は佐々の名物で、小学三年になったつや子はそれをきまりわるがった。
「僕、もう唐辛子きないでいいのよ、ずっと前ぬいだんですもの」
 兄たちばかりのなかに育って、つや子は僕、僕、といった。蒲団のまわりに、南京玉の箱や色紙がちらばっている。賑やかな日向の色どりの中につや子の稚い顔は蒼ぐろく小さかった。
「大きいお兄さまは? お留守?」
「うん」
「おかえりになりますでしょう。飯倉へ御電話かけましたから」
 お志保さんは、飯倉という響を何となし特別にいった。その伯父の家には冬子と小枝という従妹たちがいて、和一郎はよく泊りがけで行っているのであった。
「保ちゃんは? 御勉強?」
 つや子は、
「うん」
 自分が学校をやすんでいるつや子は声よりもよけいつよく合点して、首をすくめるようにした。
「ちょいと保ちゃん見て来るわ、そしたらまた遊びましょう、ね」
 同じ二階の北側に長四畳があり、そこが保の勉強部屋になっていた。襖をあけようとして、伸子は鴨居にはられている細長い紙に目をひかれた。鴨居の幅きっちりに切った白い紙にフランス風の線の細い書体をのばして Meditation と書かれている。伸子は、はっきりしないおどろきに心の全面をうたれて、その一つ一つの綴りを辿った。メディテーション。――瞑想――。こういう字が、保の部屋の入口にはられている。保が自分で書いてはって、その内にこもって勉強している。どういう意味なのだろう。不自然なこだわるもののある感じがした。高校の学生たちの生活、ものの考えかた、そして仲間同士の暮しかた。それは、保の貼紙の気分とはちがったものに想像されていた。活気と若々しい野望と意慾とがむら立って想像されていた。京大で社会科学研究会の学生が三十余名検挙されたりしている頃であった。伸子はそういう事件の意味はわからなかった、伸子の生活からも文学からもはなれたところにおこっていて、その意味のわからなさと激しさとで、伸子をいくらかおじさせていることなのであった。保の生活がそういう学生の動きとはちがっている。伸子はそれにたいして批評をもたなかった。けれども貼紙の文字は伸子の本性に抵抗を感じさせ気にかかるのであった。
「保さん、いる? あけてもいい?」
 伸子は、唐紙のひきてに手をかけてきいた。
「ああ、姉さん? いらっしゃい」
 保は、勉強机に向ってかけ、ひろげた帳面にフランス語の何かを書きうつしていた。北側の腰高窓があけはなされていて、樹木の茂った隣の奥ふかい庭が見おろせた。梢をひいらせている銀杏いちょうの若葉が、楓の芽立ちの柔らかさとまじりあって美しく眺められる。
「いつ来たの、僕ちっとも知らなかった」
 保のまぶたはぽってりとしていて、もみ上げや鼻の下に初々しい和毛にこげのかげがある。
「さっき来たばっかり」
 伸子は、ちょっと黙っていて、
「お客なの知っているの?」
ときいた。
「ああ」
「おりて行けばいいのに……」
「――僕はこの間家へ行って会ったばかりだから別に話もない」
 保は、おだやかにいってかすりあわせを着た大きい膝を椅子の上でゆすりながら隣の庭を眺めおろしていたが、
「姉さん、きょう泊って行くんでしょう」
ときいた。
「そう思って来たんだけれど……」
 伸子のこころもちは、やがてどうきまるにしろ、今はとりつくはしを失っているのであった。
「じゃあ僕、これだけしてしまってもいい?」
 保の勉強机の上には、学校での時間割のほかに、細かく一週間を区分した自分の勉強表がおいてあった。
「どうぞ……じゃあとでね」
 自分のうしろに保の部屋の襖をしめてその部屋を出ながら、伸子は、広い佐々の家のなかに、自分が落ちつく場所というものは一つもなくなっていることを痛感した。

        二

 心と体の居場所がなくて、あちこちをふらついていた伸子は、漂いよったように古風な客間に入って来た。かやや楓、車輪梅などの植えこまれた庭は古びていて、あたりは市内と思われない閑寂さだった。竹垣のそとで、江田がホースを使っている水の音がきこえた。
 くつぬぎ石、苔のついた飛石。その石と石との間に羊歯しだの若葉がひろがっている。煤竹すすたけの濡縁の前に、朴訥ぼくとつな丸石の手洗鉢があり、美男かつらがからんで、そこにも艶々した新しい葉がふいている。茶室づくりの土庇を斜にかすめて黄櫨はじの樹が屋根の方へ高くのびている。
 庭下駄の上へ、白足袋の爪先を並べてのせて、伸子はやや荒れている客間の庭を眺めていた。
 庭に一人向ってじっとしていると、伸子には、佐々の家も、この数年に、随分変って来たことがしみじみ感じられた。
 変りかたは、眺めている客間の庭の様子にも反映していた。伸子が幼なかった頃の佐々の家は、家全体が茶室づくりに按配されていた。門からの入口も、台所へまわる細い道も、風雅につつましかった。それが、近頃自動車をおくようになってから、門からの細道は石だたみとなり、車庫の位置によって、台所への道がひろげられた。そのために、客間の庭の奥ゆきが何尺か削られた。もとは石燈籠と楓、松などの植えごみの裏に、人一人とおれるほどの砂利じきのゆとりがあって、ゆきとどいた庭のつくりであった。それは自動車の道のためにこわされた。植木屋がそれにつれて石燈籠を前の方へもち出してすえ直した。松の枝かげを失い、楓の下枝からむき出された燈籠に、納りをつけようと、無造作に青木が植えこまれていた。燈籠は、我からその位置を悲しむように、庭の真中へとび出て立っている。
 伸子の父は、建築設計家であった。それだのに、どうして、こんな有様にしてしまって、みんながそれに無頓着で平気なのだろう。それは、この地味な八畳の土庇のついた室やそこの庭が、佐々夫婦のこの頃の生活気分から重要さと愛着とを失われていることを意味していると伸子は思った。
 伸子が二十歳ごろ、まだこの家に娘として暮していた時分から、客室は次第に腰かける方がつかわれるようになった。水色と白の縞の壁紙がはられ、イギリス好みの出窓、その下につくりつけられた木の腰かけ。いかにも明治四十年代の初期に、その年代とおない年の日本の建築家であった父が、使える金のささやかな範囲で、自分の空想を実現したという工合の洋風客間は、柱も節のある質素なものであった。若葉の季節になると、出窓のビードロ玉のようなガラスが海の底にでもいるように新緑の色を映すので、伸子の少女の心はその美しさに奪われた。
 パンヤ入りのクッションがところどころに置かれていたその室の調度は年とともに、いつしか変った。この節は佐々の陶器の蒐集棚が立ち、メディチの紋が象嵌ぞうがんしてあるエックス・レッグスの椅子などが置かれている。第一次欧州大戦の後、日本の経済は膨脹して、全国に種々様々の大建築が行われた。丸の内の広場に面する左右の角に、東京で最初の鉄筋コンクリート高層建築が出来た。佐々と今津博士との協同で経営されていた設計事務所でそれらの設計はつくられ、完成した。
 伸子が二十歳だったとき、父につれられてニューヨークへ行った。そのことには大きい背景として、そういう当時の日本の経済のふくらがりと、建築家として父の活動場面の拡大とがあったのであった。二十の伸子は、それらの複雑な関係について何も理解していなかった。自分としては、親の指図や干渉からはなれた暮しの中で、人間として育ちたい気持が一杯なだけであった。ニューヨークで、佃という東洋語を専攻していた人と結婚した。唐突だったその結婚も、伸子とすれば一人立ちになりたいという一貫したその希望からであった。伸子は、主としては母親が計画している「よいお似合い」の社交的結婚を心から恐怖した。伸子が真面目に思っている文学の仕事は、そういう結婚生活からは生れない。そのことは、女である伸子には本能的にわかった。同時に結婚しなければいつまでつづくかわからない「大きいお嬢様」の生活の苦痛ときまりわるさとは、十八歳からの二年間で、伸子は知りつくした。
 伸子は一昨年から女友達の吉見素子と暮しはじめた。佃との結婚はこわれた。いますんでいるのは駒沢だけれども、結婚していた五年間、おそろしいもがきのつづいていた間、伸子が佃とすんでいた家から逃げ出して何日か、或は何ヵ月かを過したところは、育った佐々の家の中ばかりではなかった。佃とわかれ、作品をかき出してから、伸子が第一に自分の机をおいたのは、老松町の路地の奥にある、あるお裁縫やさんの二階であった。白い実のついた南天の根もとには、いつも小さい紙屑が散っているような小庭のかなたに、寺の松の枝が見えていた。毎朝早くから共同水道の水の音が響く界隈であった。そして、夜更けて帰る人の下駄の音が、どぶ板に響いた。伸子は、そこの茶の間で、よく、細君がやいてくれる土佐の目ざしをたべた。奥の八畳にお裁縫に通って来ている娘たちが五六人並んで針を運び、小声でおしゃべりしている。その二階で、伸子はほんとの生涯がこれから始まるこころもちで小説を書きつづけた。くたびれると、小夜着をかけて、火鉢のそばに横になった。そんなとき伸子のからだの下にしかれるメリンスのきれいな大座蒲団は、素子がくれたものであった。その二階へ、佃のところから伸子のもっていた本が送りこまれた。伸子は小説を書く収入で、素子はある団体の雑誌編輯をしてとる月給で、二人は共同の暮しをはじめたのであった。
 この二三年の伸子の生活のうつりかわりは、外からもわかりやすい変化であった。ひとこま、ひとこま、生活の情景ははっきり推移した。その間佐々の家も、思えばずいぶん変ったものだ。しかし、その変化は、大きい屋台の中で、いつとなし、あれやこれやの細目が変って行って、気がついてみれば、全体が元とちがってしまっていることにおどろかれる、そういう変りかたなのであった。
 佐々は健康で生活力の旺盛な、働きずきの男らしい恬淡てんたんさをもっていた。メディチの紋章のついた椅子も、珍重していながら、大切になでさすって、眺めるような味わいかたはしていなかった。伸子も来あわせてみんながその室でしゃべっているようなとき、泰造はちょっとその十五六世紀頃の椅子にかけてみたりした。
「昔の人間はよくこんな工合のわるい椅子で辛抱していたもんだね。これをみても進歩ということは大切ですよ」
 そういいながら、どういう細工によってか、ひじかけの先の円くなっている手前にくるくるとまわるようにはめられている繊細な輪細工を、乾いた軽い音をたててまわして遊んだ。ときによると、
「お父様のハムレットを見せて上げよう、アーヴィングの直伝だよ」
 どてらをぬいで片方の肩からななめにかけ、そのエックス・レッグスにかけて沈痛に片肱をつき額を抑えた。そして誰でも知っている“To be or not to be”というせりふをいった。丸まっちいからだの、禿げている頭の丸いハムレットが、紺の毛足袋の短い足を組みあわせ、血色のよい、髭のそりあとの見える東北人らしい顔を傾けて、To be or not to be と煩悶するのは、なんと滑稽なみものだったろう。伸子は手をうって笑った。
「オフェリアはいつ出て来るの? お父様、オフェリアを出してよ、わたし出るわよ」
と、ふざけた。
「あいにくだが、ここまでおそわったらアーヴィングのところへお客様が来ましたよ。オフェリアは出ずじまいさ」
「お父様ったら! でたらめばっかり!」
 多計代が長椅子にかけて、おかしそうに更にそれよりもいら立たしそうに白い足袋の爪先を細かく動かしながら非難した。
「お父様ったら、なんでもかんでも茶化しておしまいになる」
 悲壮な重々しい情熱を好む多計代には、ハムレットをそうやって遊ぶ泰造の気分や、それをよろこぶ娘の伸子の気分が、人生へのまじめな感情にそむいたものと感じられるのであった。
 関東の大震災の後、復興のために自動車の輸入税が一時廃止された。
「買うならこういう機会だね」
 遊びに行っていた伸子も、両親や弟たちに交って、いろいろの自動車会社から出されたカタログを見た。
「多計代のハイヤー代だけでも相当だし、俺はどんなに能率があがるかわからない……しかし、贅沢な車は駄目だよ。第一、門が入りゃしない」
 伸子の知らない幾晩かの相談の末、イギリスのビインが買われた。小型の黒い地味なビインにふさわしく、小柄で律気な機械工出の運転手の江田が通いで雇われた。江田は一風ある男で、はじめて来たとき、お仕着せは絶対にことわった。佐々のお古を頂きたい、と約束した。そして、お下りのハンティングをかぶって、毎朝八時というと、小柄の体をひどく悠然と運んで通って来るのであった。
 いま、竹垣のそとにホースをつかっている江田の姿を目にうかべ、伸子は、思わず一人笑いをした。父をなつかしむ笑いをもらした。泰造は米沢に生れて、イとエの発音がさかさになることがあった。字でかけばちゃんと書いたが、発音では逆になった。江田が運転手になったとき、佐々は伸子に、
「運転手が、いい男でよかった。イダっていうんだよ」
と教えた。伸子は井田というのだと思って、そうよんでいた。
 そしたら、あるとき、
「これを井田におやり」
と伸子にわたした祝儀袋の上に江田殿と書いてあるのを発見した。
「あら! お父様、エダじゃないの」
「そうですよ、イダだよ」
「――……」
 伸子は笑いくずれるように父の肩ごしに祝儀袋を見せた。
「これ、何ておよみになるの、お父様は……」
「イダさ」
 これはしばらく佐々の家の一つ話になった。とんちんかんなことがおこると、
「ホラ、イダだ」
と笑った。
 一つの家庭の歴史にとって、自動車が出来るということは、生活全体に深い影響があることだった。日本のように、どの家庭でも便利のためにフォード一台もっているのが普通というのでない国では、一台の自動車は、それがどんなに見栄えのしない小型のビインであろうとも、自家用車をもっていることであり、そのことは便利以上の何ごとかを、この社会で表現することなのであった。
 江田をイダ君と呼び、どっさり車の集っている場所で、江田がききわけやすいようにと特別のサイレン風の小さい呼子をふきながら、佐々は朝から夜までの活動の環をますますひろげて行った。
 毎朝佐々を事務所へ送りとどけてから、その車をうちまでかえしてよこして、それから多計代が外出した。外出さきから多計代を家まで送りとどけて、又その車は事務所へ戻った。自動車は珍しがられて、その一台が毎日多計代によっても使われていた。きょうは、今ごろの時間に、江田がのんびり車体の手入れをしている。江田にとっても、たまにはほしいのどかな午後の気分であろう。
 ひとりぼっち、客間の庭に不様ぶざまにされて忘られかけている石燈籠を眺めていると、この家の生活感情の推移が伸子の心にしみた。江田は律気な運転手の、古風な見栄のようなものをもっていた。あるとき長男の和一郎のことを、江田が若様といって伸子に話した。伸子は、自分の耳を信じかねた。この家に若様と呼ばれるようなものがいたのだろうか。伸子は、悲しそうに、江田さん、どうか和一郎さんと呼んでやって頂戴、あんまりみっともないからね、といった。そして、多計代にそのことを注意した。
「おや……そうだったかしら……」
 多計代はいくらかばつのわるい顔つきになって、まつ毛の美しい眼をしばたたいた。しかしそれぎりであった。江田のその呼びかたは続けられている。伸子はそれを知っている。
 その半面、生活の営みには、自動的なような刻薄なようなものが流れはじめていた。
 そういう家庭の推移のなかで、多計代の感情は越智に向って異常に傾きかかっているのである。
 沈んだ眼差しで、伸子が、杉苔の上にある西日の色を見ていると、もう戸のしまった車庫の角をまわって御用ききの自転車が通って行った。女中部屋の格子窓のところで下りて、小声で何かいっている若い男の声がした。すると、いきなり湧くようにイャーともキャーともきこえる女たちの嬌声がおこった。若衆は大人っぽいのど声で笑い、更に何かいって女たちを笑わした。笑い声は、自分たちだけの大っぴらな声であり、主婦なんぞは念頭にない声であり、呼ばれない限り無関心でいることがあたり前になっている生活の声であった。伸子は一層執拗に、杉苔の上へ目をすえた。

        三

 やがて豆腐屋のラッパが聞えはじめ、台所の出入りがしげくなった。父の祝いのためと思って買って来た黄色と白のバラの花を、伸子ははりあいの失われた気持でカット・グラスの花瓶にさし、それを父のどてらが置いてある煖炉前の小卓の上に飾った。
 保が二階から降りて来た。そして、立ったまま、伸子が一人だけいるその辺を見まわした。
「なあに? おなかがすいた?」
「そうでもないけど……」
 電燈の灯かげがそのガラスにきらめいてはいるが、午後じゅうぴたりとしまったままでいる客室のドアを、こっちの室の中から保が見ている。伸子は保の気持がわかるようでせつない思いがした。
「――もうすむでしょう」
 保は黙って視線をそらせ、煖炉前のバラの花を見た。いつもの保であったら、すぐよって行って、その花の品種だの咲きかたのよしあしを話すのに、今夜は遠くから立ったまま眺め、ただ、
「姉さんがもって来たの?」
ときいた。
「きょう、ほんとはお父様のお誕生日だったのよ。知っている?」
「うん」
 保はしばらく立ったままでいたが、また二階へあがって行った。
 食卓の準備がはじまった。それを見ている伸子の唇から思わずほとばしるような質問があった。
「二人だけ別? どうして? お母さまは?」
「奥様はお客様とあちらであがりますそうです」
「…………」
 やっと自分を抑えた声で伸子は女中に命じた。
「きょうは、お父様のお誕生日で駒沢から来たんだから、御一緒にたべられるまでお待ちしています、って。そう申上げて来て」
 狭い中廊下をこして、ドアをノックし、女中がはいって行った。そして、お辞儀をして出て来た。
「お待ちにならずに、とおっしゃいました」
 伸子は、涙がつき上げて来そうになった。
「すまないけれど、もう一ぺん行って頂戴。待っていますからって――」
 元気に階段を降りて来た保が、敷居ぎわで立ち止まった。大食卓の上に、向い合いに淋しく二人だけおかれている食器を見下しながら、歩調をかえて、のろい足どりで入って来て席についた。
「お母様と一緒にたべましょうよ、保さん」
 伸子はつよく訴えるように弟にいった。
「その方がいいわ」
「僕、どっちでもいい」
 保はこういう生れつきなのであった。
 女中が母の分を盆にのせて運んで来た。
「いらっしゃるって?」
「はい」
 おつゆが段々冷えていった。そのときになってやっと客室のドアがあいた。同時に、
「おや、こっちは冷えること……」
 ひとりごとのようにいう多計代の声がした。
 小紋の羽織の袖口を、胸の前でうち合わせるような様子で入って来た多計代を見て、伸子は圧倒される自分を感じた。皮膚の滑らかな多計代の顔は、ふっさりした庇髪の下に上気して匂うような艶をたたえている。いつもより、しばたたかれるまつ毛はひとしおこまやかで、多計代の大柄な全身から、においのいい熱気がかげろい立っているようにさえも見える。溢れるつややかさと乱れのまま多計代は娘と息子とが待っている食卓に来て坐った。
「お待ちどおさまだったね」
 そういったきりで、たべはじめた。さっさと、味わおうとせずにたべはじめた。自分がどんなに咲きいでているか、それを知らず、また、かくすことも知らず大輪の花のように咲き乱れている母。多計代の右手の指に泰造からおくられて愛用しているダイアモンドがきらめいていた。それは多計代の全体によく似合った。食卓は煌々こうこうと灯に照らされていて、多計代の手がこまかく動くごとに蒼く紫っぽく焔のような宝石のひらめきが走った。
 ほとんどくちをきかずに三人の食事が終った。越智のところから下げられた膳が廊下を台所へ運ばれて行った。
 多計代は、そこに保も伸子もいないような遠い目つきで、正面のドアの方を見ながら茶をのみかけていたが、急にそのまま湯呑みを食卓の上へおいて、洗面所の方へ立って行った。そのあとの空気の中になお熱っぽさと微かないい匂いとがのこった。その匂いをかぎしめるようにしていた保が、和毛のかげのある青年の顔を、伸子の方へゆるやかに向けて、
「お母様、なぜだろうね」
といった。
「越智さんが来るときっと洗面所へ行って白粉おしろいをつけるの」
 本当にいぶかしそうに、全く子供のようにそういった。伸子は瞬間何といっていいのかわからなくなった。母は知っているだろうか。彼女の秘蔵の保の、こんなこころを知っているのだろうか。
「保さんの部屋へゆきましょう、ね、いいでしょう」
 伸子は、母と保と二人へのいじらしさ、せつなさ、越智への嫌悪で、熱でも出る前のような悪寒を感じた。
 保が机に向ってかけ、伸子は、小さな折畳椅子をのばして机の横にかけた。保らしく、注意ぶかく電燈の位置が按配されていて、小さい紙が眼への直射をさえぎるように下げられている。見ると、机の上に自分だけの日課表があるだけでなく、うしろの本箱の上の鴨居に細長く紙がはってあって、それが、日課の進行表になっていた。青と赤との鉛筆で、それぞれ違った長さの横線がひかれている。
「保さん、どうしてこんなにキューキューやるの?」
 伸子は、少しあっけにとられてその表を見た。
「みんなこんなことしてやしないでしょう? この前来たときは無かったわね」
 丁寧に鉛筆のしんを削りながら保が、
「僕、この頃時間を無駄にするのは下らないことだとつくづく思ったんだもの」
といった。
「それはそうだけれど……」
 伸子には保がこの家の生活の中にあって日々夜々感じているにちがいない複雑な心持、それに対する青年らしい批評のきびしさがわかるように思えた。保は、自分の暮しで、この家の中に、いいと思える暮しかたを作り出そうとしているらしかった。保の室の入口に書きつけられている Meditation という文句が、新しい意味で伸子のこころにせまった。教科書と園芸の本ばかりが詰っていた本箱に、今みれば「出家とその弟子」という戯曲がまじって背を見せている。Meditation ――伸子は、一層そのモットウに警戒を覚えた。
「あの本、どこにあった? 古い本だわ、わたしが昔よんだんだもの」
 その時分も評判ではあったが、感傷的な戯曲としてもまた有名であった。
「面白いと思う?」
「さあ――でも、僕わかるような気がするな。あの戯曲のいっているように、何ごとも許す心持って尊いと思う」
「ね、保さん」
 伸子は、つき動かされたように保の絣の筒袖に手を置いた。
「あなた、もっとお友達とどしどしおつき合いなさいよ。あなたのようなひとは問題をどっさりもっているにきまっているんだし、ここの家は問題をもっている家なんだもの――それでいいのよ。だからどんどん話して、議論して解決していらっしゃいよ。それでなくちゃいけないわ」
「うん……でも僕、あんまり何でもしゃべる奴きらいなんだ」
 伸子は、身をとがめられるような内省的な眼差しになった。伸子が佃と結婚したのは、保が麹町の方にあるフランス人経営の中学校へ入学する前後のことであった。それから、離婚するまでの数年間、佐々の家は「伸子の問題」を中心に議論の絶え間がなかった。少年の保のいるのを忘れて、母と娘は互いに涙をこぼしながらいい争ったことがあった。おとなしい灰水色の制服のカラーに金糸でオリーヴの葉飾りをぬいとりした服をつけた保が、
「姉ちゃん、どうして結婚なんて、したの?」
 結婚という言葉を、旅行とか病気とかいう事柄と同じような感じでいって、歎息したことがあった。もしかしたら、保は、多計代と伸子との一致点の見出せないいい合いに食傷して、何につけ議論したりすることの嫌いな若ものになったのではないだろうか。伸子は、保が、姉の生活態度のすべてに同意しているのではないことも改めて考えた。伸子が家を出てから佃が入院していたことがあった。そのとき、保が、一人で自分が咲かせた花をもって幾度か佃の見舞に行っていた。ずっとあとから、多計代からそのことをきかされた。
「わたしは保さんのような生れつきでないし、一緒にすんでいるのでもないから、心配したって保さんの役には立たないのかもしれないわ。でもね、……保さん、あなた本当に何でも話し合える友達、あるんでしょう?」
「沖本なんか、今でも時々会っているし、いろいろ話す」
「ああいう人じゃなくさ!」
 伸子は、もどかしげに力をこめて、大柄だがなで肩で、筋肉のやわらかい保の温和な顔を見た。沖本は中学時代の友人で、地方に病院長をしている父親は上京するごとに、保を招いて息子と帝国ホテルのグリルで御馳走をした。佐々夫婦と自分たち夫婦とが二人の息子を挾んで会食したりした。そういう雰囲気の交際であった。
「高等学校って、わたしがよけいそう思うのかもしれないけれど、一生つき合うようなしっかりした親友が出来る時代なんじゃないの」
「…………」
 保は、こまかいふきでものが少しある生え際を、まともに電燈に照らされながら、大きい絣の膝をゆすっていたが、やがて、
「僕のまわりにいる連中って、どうしてあんなに議論のための議論みたいなことばかりやっているのか、僕全く不思議だ」
 述懐するようにいった。
「だって――それゃそうなるわよ。一つの問題が片づかないうちにまた次々と問題はおこるんですもの……」
「そうじゃあないよ」
 独特のあどけない口調で否定した。
「ただ自分がものしりだっていうことや、沢山本をよんでいることを自慢するためにだけ議論するんだもの、皆をびっくりさせてやれ、というように、むずかしいことをいうだけなんだもの……」
「そうかしら……そういう人もあるだろうけれど……」
 伸子は椅子の背にもたれ、少しやぶにらみになったような視線で保をじっと見守っていた。そして、思い出した。それは、保が赤い毛糸の房のついた帽子をかぶって小学校へ通いはじめた、二年生ぐらいのことであった。多計代が、おどろいたように、崇拝するように、
「保ちゃんて、大した子だ」
 そういって伸子に話した。保が通っていた小学校は師範の附属で、春日町から大塚へ上る長い坂を通った。その坂は、本郷台から下って来て、またすぐ登りかかる箇所であったから、電車はひどくのろく坂をのぼった。ある朝、保がそういうギーギーのぼるのろくさ電車に乗っていると、それを見つけた同級生たちが、面白がって電車とかけっこをはじめた。ほとんど同じくらいに学校についた。ハア、ハア息をはずませながら男の子たちは先生! 先生! 僕たち電車とかけっこして来たんですよ、と叫んだ。そしたら先生が偉い、偉い、とほめた。「でもお母様、僕、ほめるなんて変だと思うなア。そうでしょう? 人間より早いにきまっているから電車を発明したんでしょう。心臓わるくしちゃうだけだと思う、ね、そうじゃない?」子供の保はそう考えたのであった。
 伸子は、今保と話していて、幼かったころの電車の一つ話をまざまざと思いだした。電車と男の子たちとのかけっこについて保の示した判断は、子供として珍しい考えかたに相違なかった。けれども、今、机の前にゆったりと掛けている青年の保が、同級生たちを批評している、その批評と同じように、本当のところもあるにはあるが、どこかでもっと大切なピントがはずれているように思えるのであった。
 伸子には、自然と越智という人物と保との関係が思われた。保は越智を衒学げんがく的と思っていないのだろうか。議論のための議論をしない人と感じているのだろうか。師弟関係がなくてむしろ若い女の感覚で越智をうけとっている伸子は、彼を衒学的な上にきざな男と思っていた。多計代が伸子に、
「伸ちゃん、お前シュタイン夫人て知っているかい」
 そうたずねたことがあった。伸子は、
「シュタイン夫人て――」
 見当のつきかねる表情をした。
「調馬師の夫人ていうシュタイン夫人のこと?」
 ゲーテとエッケルマンの対話が訳されて間もない頃で、一部にゲーテ熱がはやっていた。多計代がゲーテと情人関係のあった宮廷調馬師の細君に、なんのかかわりをもっているのであろう。多計代は、素朴に、
「大変きれいな人だったんだってね」
といった。伸子は笑い出した。
「ゲーテをアポロっていうような人たちは、ゲーテのまわりの女のひとを、みんな女神みたいに思うのかもしれないわ」
「そういう皮肉をいう」
「――でも、どうして? シュタイン夫人がどうかしたの?」
「いいえねえ、越智さんが、ゲーテとシュタイン夫人のようなつき合いが理想的だっていったからさ」
 伸子は、多計代の素朴さを悲しくきいた。父と母とは、宮廷附の調馬師夫婦で、越智はゲーテの立場というのだろうか。
 多計代にとって意味のはっきりつかめない越智の衒学や議論は、情熱的な亢奮や文学趣味を好む多計代に対して肉感的な魅力とすりかえられている。だが、青年の保に対して、越智はどう作用しているのだろう。伸子は、その疑いをつきつめてゆくと、せっぱつめられる苦しい気がした。越智という人物が保の家庭教師に選ばれたことは、一つの間違いであったように思えた。越智のアカデミックによそおわれた深刻ぶりは、保の生れつきを青年期の憂悶から解放し、引き出さないで、かえって青年同士のてらいと覇気と成長力とがまじりあった旺盛な議論を、議論のための議論として保にきらわせるような妙な逆の形で観念の道へ引きこんでしまったのでないだろうか。
 伸子は保に対する心痛と自分の非力さを思って、涙ぐんだ。伸子も伸子なりに、力の限り生き、育たなければならなかった。保のために選ばれる家庭教師について考えてやるゆとりはなかった。佃との生活がもってゆけない苦闘で、あぶられるような日々を送っていたとき、中学四年生の保の家庭教師について考えてやれなかった。越智圭一は、大学の助手で、佐々と同郷のある博士の研究室から、佐々の家庭に推薦されたのであった。
 伸子は、保のからだを自分のこころの力でおすような思いでいった。
「保さん、和一郎さんとあなたとは、まるで性格がちがうんだし、私だってずいぶんちがうわ。うちの中だけでは私たち育ちきれないのよ。フレームから出なければ、駄目なのよ。土の新しいのがいるのよ。だから、本当に友達を見つけなさい、ね。越智さんが、こんなに永年つき合いながら、そういうことをあなたのような人にいって上げないなんて、あんまりだわ」
「越智さんは、越智さんとして、いろいろいい話をしてくれる」
「だって」
 なお、はげしくいいかけたところへ、
「ごめん下さい」
 襖の外から女中が声をかけた。
「奥様がおよびでございます」
「…………」
「だれに?」
 保がききかえした。
「伸子さまに……」
「――すぐ行きます、からって……」
 そろそろ伸子が立ちかけると、保もそれにつれて立上った。
「僕も一緒に行っていい?」
「もちろんよ」
 前後してその長四畳を出るとき、うしろから、保が彼よりも背のひくい伸子の頸すじに、
「お母様はね、僕が姉さんと話していると、あとできっと、なにを話していたのかってきくの」
と低い声でいった。

        四

 翌日の朝のうち、伸子は、沈んだ気持で郊外の家へかえって来た。門をはいると、台所ぐちの方で、
「それゃあ、あんまりですよ奥さん! みて下さい、このピンピンですぜ。河岸だって、この位のものを仕入れる者ア、ざらにゃいねえんだからね」
といっている魚屋の若いものの声がした。
 素子がひやかしながら魚を買っている様子だった。素子は自分であれこれと選んで、気に入った魚を買うのが好きだった。
 伸子は、玄関からあがって茶の間をぬけ、台所の板の間へ顔を出した。
「ただいま」
「ああおかえり」
 素子のもっている吸いかけの煙草から、ひとすじの煙がゆるく立ちのぼって、それがかすかな風で日向に流れている。
 伸子は玄関わきの六畳へ行って着がえをはじめた。そこへ素子が入って来た。
「動坂、どうでした?」
 佐々の家を、伸子たちはその家のある町の名でよんでいるのであった。衣桁いこうにほどいた帯をかけながら、伸子はあいまいに、
「そうねえ」
といった。
「相変らず、か……」
 いくらか皮肉に素子がそういって軽く笑った。多計代と素子とは、互にまるで派があわない性格の二人の女であったし、動坂の家の気風も、伸子たちの生活気分と根本からちがった。動坂の家に一泊して来ると、伸子の心にはいつもずっしりと重い幾つもの感銘と、とけない不安とがのこされた。しかし、それは素子に一つ一つは話されなかった。特に、多計代の感情の状態と、それについて、自分の感じることごとには口をつぐんだ。素子の専攻は外国文学であったけれども、現実の周囲で錯綜する男女の間のいきさつにたいして、素子はいつも一種辛辣な幻想のない態度をもっていた。素子のその皮肉や辛辣さが、伸子にとっては、佃との生活の沼からぬけ出る手がかりとなったのであった。しかし、娘として伸子は、多計代のこころもちには、素子のその調子で立ち入って欲しくない気持があった。伸子は、多計代の激情的な傾きに同感していないし、それを苦痛に感じているが、それかといって素子が聞いたらひとくちに冷笑するであろう、そういう風なものとしてだけ母の感情の波を見ているのでもないのであった。
ぶこちゃん」
 素子はれんじ窓のところへ腰かけて伸子をもじった愛称で呼びながら、注意ぶかく伸子を見た。
「動坂へゆくと、いつも暗い顔で帰るね」
「そうお」
「――まあ、どこでも親のうちなんてそんなもんだがね」
 関西の古い都会の女学校を出ると、素子は女子大学に入学して、それ以来ずっと自分だけ東京暮しをつづけていた。魚問屋であり、資産家である吉見の主人は、素子とその兄妹とを生んで亡くなった妻の妹を、現在妻として暮していた。そのひとを、素子はおさわさんという名で呼んだ。ときによると、おさわと呼びもした。そのひとと父との間に生れた弟や妹たちに対して、素子はちっとも偏見を抱かなかったし、父のことを話すとき、眼に涙をさしぐますこともあった。しかし、素子は、父の家に対する生きた抗議としての自分の存在を、決してかえようとしていないのであった。
「お父さん、花をおよろこびになったろう?」
「それが、がっかりよ、出張なの」
「へーえ」
 素子は、すぐ、ひらめく何かがあるという眼つきをした。けれども、伸子が真面目に沈んでいるのを見て、そのまま黙った。素子のいいたいことは、伸子に同じはやさでわかった。「出張」は市内でも出来る、というわけである。もう三年ほど一緒に暮したこの頃、伸子はそういう頭の働きかたをむしろ素子のマンネリズムと思っているのであった。
「おとよさん、おとよさん」
 庭に面した座敷へ行った素子が呼んだ。
「きのう貰った五家宝ごかぼう切っておいで、お茶も願いますよ」
 やっとわが家でくつろげるという風に、伸子は子供らしい顔つきになって好物の五家宝をたべた。
「妙なものが好物なんだなあ」
 素子は、新しくたばこに火をつけ煙に目を細めるようにしていたが、
「ああ、おつまはんから手紙が来ているよ」
 その室の角に置いてある洋風の大テーブルから、しゃれた手すきの封筒をもって来た。
「みてごらんよ」
 伸子は、それを手にとらず、
「何だって?」
ときいた。
「近いうちに東京へ来るんだってさ。少しゆっくり滞在するから、是非遊びによらせて頂くとさ」
「ここへ泊るのかしら」
 伸子は、困ったようにきいた。おつまはん、というのは祗園のある家の女将であった。ずっと前から素子とはかなり立ち入った友達つき合いで、前の年の早春二人がゆっくり関西旅行をしたとき、素子はこのおつまはんの斡旋で高台寺の粋な家を宿にした。その宿へは素子の従弟に当る縮緬ちりめん問屋の若主人だの、里栄、桃龍だのという賑やかな人たちが毎日出入りした。伸子は、相変らずの学生っぽい白襟のなりで、自分一人だけの東京弁を居心地わるく感じながら、はにかんで、色彩の入り乱れたその仲間に坐っていた。素子は、小説を書こうという人間が、何さ! と、屋台の寿司を食べたことのなかった伸子を、そういうなかに引き入れるのであった。伸子は、それを口ぐせに自分が育てられた道徳論を肯定していなかった。女にあてはめられる生活の常識にも本能的に抵抗していた。そうではあるが、素子が格別疑問もなく習慣としているおつまさん仲間との饒舌な、馬鹿笑いの多い遊びづき合いにも、とけこめなかった。すぐ飽きて倦怠した。
「おつまさん、ここへ泊めなけれゃいけないのかしら」
 気がかりそうに伸子は、くりかえし質問した。
「泊るのはどうせよそだろう、あのひとのことだもの。一人で来るんでもあるまいし、……だけれど、来たら放っちゃおけないよ」
 この家へ、おつまさんが京都からもって来るある空気が吹きとおるのだろうか。高台寺で、素子が酔った晩、桃龍たちがよってたかって素子に、里栄の派手な青竹色の縞お召の着物をきせ、紅塩瀬に金泥で竹を描いた帯をしめさせた。浅黒い棗形なつめがたの素子の白粉気のない顔は、酔ってあか黒く脂が浮いて見え、藍地に白でぽってり乱菊を刺繍した桃龍の半襟の濃艶な美しさは、素子の表情のにぶくなった顔を、ひときわ醜くした。素子は、なんえ、これ! かわいそうなめにあわさんといてくれ、頼むぜ、といいながら、その青竹色の着物の褄をとってはしごをよろめき下り、せまいその家じゅうをぞよめきまわった。「黒んぼの花嫁! 黒んぼの花嫁!」そう叫んでさわいでいる桃龍たちの声を二階でききながら、伸子は、とりちらされた広間の床の間のかまちにぽつねんと一人腰かけていた。まともな誰のめにも醜く見える素子を、ああやってはやし、その様子に笑いこけている人たち。それを不愉快に感じるのは、野暮だというこういう世界のしきたり。伸子は、暗いこころで痛烈にその雰囲気を嫌悪した。
「おつまさんが来たら聰太郎さんにたのんで、どっかよそでもてなしましょうよ」
 従弟の聰太郎は、東京の支店づめで日本橋のそばの店に来ていた。
「うちでなく……」
「遊びに来たいっていうのに、ことわれないよ」
「ただ遊びに来るだけはいいけれども」
 素子は、しばらく伸子の顔を見ていたが、
「そうか」
といった。
「――東京じゃ、自然聰さんがとりもち役になるさ」
 おつまさんからの手紙をもって、素子は自分の机の方へ立って行った。

        五

 素子の大きい勉強机の上に、厚ぼったい洋書が、終りから三分の一ぐらいの頁をひらいてのせられていた。頁の上には、鉛筆でところどころにアンダ・ラインがひかれてい、書きこみがつけられ、本の角は少しめくれかかっている。松屋の半ペラ原稿用紙の書きかけが並べておいてある。
 となりの六畳の、洋風机の根っこの畳に坐って、伸子は新聞をひろげていた。芝生の庭の真中に、先住の人の子供たちがこしらえた土俵の跡があり、そこだけまるく芝がはげている。門と庭との境には、いかにも郊外分譲地の家らしく垣根がなくて、樫だの柘榴ざくろの樹だのが、門から玄関へ来る道の仕切りとなっている。伸子が新聞をひろげているとこからは、丁度その柘榴のあたりから、庭の端の萩のしげみが見えるのであった。動坂の家のように、すぐ荒らびや生活の推移が見えるつくられた庭より、あっさりとしていて、雑草も季節の賑わいになるような借家の庭が、伸子に気やすい感じだった。去年、夜行で京都から帰って来た朝、伸子は二階のはしごの上から下まで滑りおちて、階段下の板をへし折るほどからだをうった。その時住んでいたのは、老松町でも、お裁縫やの二階ではなくて、アメリカの宣教師たちが住む古くから有名な洋館の近くであった。その家のせまいはしご段を、伸子はスリッパをはいたまま降りかけて、スリッパの踵が滑ったとたん、はっと思う間もなく下までおっこちた。その時から伸子の左の耳に耳鳴りがはじまった。小さいモータアが鳴るような音がしはじめた。素子が、二階のない、もっと閑静なところへ住むことを提案して、門のわきに栗の木の生えているここへ引越して来たのであった。
 その朝の「朝日」には、一頁をそっくりとって「福助足袋の生い立ち」という岡本一平の漫画広告が出ていた。様々の工程を経て、足袋の頭をした福助が買い手の前にまかり出るまでの道ゆきが、のんびり漫画でかかれている。南縁からの陽のぬくもりで新聞のインクの匂いがいくらかつよくにおう。ひろげた新聞の上に、伸子がかがんでいると、歩いて来たままの調子でたたきへ下駄をぬぎすてるようにして、素子が外から帰って来た。そして、
「――ばかにしてら!」
 手にもっていたがまぐちを伸子の机の上に放り出した。
「かからなかったの?」
 この辺に電話をかりるところがなかった。素子は電車の停留場のそばまで行って、聰太郎のところへ電話して来たのであった。
「かかりましたがね、おつまは来ないんだってさ」
「――……」
 伸子には、それを残念という風なあいづちはうてなかった。
「都合がわるくなったのかしら……」
「さあ、どうしたんだか。痴話喧嘩でもして気がかわったんだろう」
 ふところでをして、縁柱にもたれ、素子はまた、
「ひとをばかにしてる!」
といった。そして、むっとした口もとをした。
「いいじゃないの、私は書くものがあるんだし、あなたの翻訳だって、もう一息のところなんだもの……」
「ぶこちゃんは、ああいう連中に偏見をもってるから、そう思うだろうさ。だけれど、ばかにしてるじゃないか。ああやって手紙よこせば、私がそれに対して放っておける人間かどうか、おつまは百も知りぬいているくせに……聰さんのところへ電報よこすなら、当然、こっちへだってよこすべきさ」
「聰太郎さんのところへは電報が来たの?」
「そうだとさ。きのう来たそうだ。――おつまみたいな女でさえ、そういうやりかたする、だからいやさ」
 永年のつき合いのおつまが、素子の実意を軽くあしらい、そんなことでもおのずから男の聰太郎と女の素子との間の取扱いに差別をつける。その点を素子は立腹しているのであった。素子には、対人関係で、傷つきやすい性格があり、
「動坂のお母さんみたいに、情熱なんて、私は真平まっぴらごめんだ。こまやかさがなくて、人間、どこにいいところがあるんだ」
 毎日の生活の中にも、伸子がこれまでの暮しでは知らなかった、細かい素子の感情があるのであった。
 しばらく柱によりかかっていた素子は、やがて隣の部屋へゆき、きれいな、えんじ色にすきとおったパイプにたばこをつけ、それをくゆらしながら自分の机に向った。原稿の綴じたのをよみ直す気配がした。
「ぶこちゃん――いるかい?」
「いてよ」
「この、手紙の終りにいつもついてる、誰それにお辞儀して下さい、って文句ね、直訳だとそうしかいいようがないんだが、何だかしっくりしない」
 チェホフは病気で、晩年はヤルタにばかり暮していた。芸術座の主役女優であった若い妻のオリガは演劇のシーズンの間はモスコウに暮した。チェホフはその妻に、実に親切に俳優勉強のための忠言を与え、良人としての励ましを与える手紙をかいた。チェホフらしく、感情に誇張のないユーモアと、父親のような愛と、芸術家の気骨の湛えられているそれらの書簡は、素子の気に入って、すでに一年近く翻訳にかかっているのであった。
「日本流にいえば、よろしくってわけだろうが……」
「でもただ、よろしくじゃ口のさきだけのようね。お辞儀するっていうロシアの人らしい動作の面白さがうつらないわね」
 伸子は、一月頃築地小劇場ではじめて見たゴーゴリの「検察官」の舞台のおもしろさを思いおこした。あの舞台はなんと明暗がこくて、新鮮で、印象深かったろう。
「――よわったな……」
 こちらの部屋で伸子も机につき、最近書き終った長篇小説の綴じ合わせをよみはじめた。佃の家を出て、二階借りの生活から、駒沢のこの家へ来た二年目の冬まで、伸子はその小説を書きつづけた。それは、少女の心をぬけきらなかった伸子がニューヨークで生活しはじめ、佃と結婚しそれが破壊されたいきさつを追った作品であった。五年の間苦しみながら自分として生き甲斐のある生存を求めて来た道を、そうやってたどり直して見るしか伸子には新しい一歩の踏み出しようがなかった。動坂のうちにとって、伸子が、はっきり外にいる娘の立場に立つようになったのも、その小説とつながりがあった。多計代は娘の書く小説を一行一行よんだ。そして女主人公の母親として登場する人物を、現実の自分とてらし合わせ、感情を害するたびに、伸子を動坂へよびよせた。呼ばれるごとに、伸子はせつない表情をして多計代の腹立ちをきいた。お前は冷酷だ。そういわれた。エゴイストは、自分だけ満足ならそれでいいのだろう。そう罵られた。越智との交渉が深まってから、多計代の心持は、伸子にたいする越智の批評を柱として、なお複雑となり固定した。調和的な天性の佐々は母娘の争いにくたびれて、
「伸子、もっと空想の、美しい小説を書きなさい、え? お前は書ける人だ、あの素晴らしい色彩で、さ」
といった。伸子は、そういわれると、目に涙をため、父親の分厚い、節に毛の生えている温いなつかしい手を自分のほてる掌でおしつけた。佐々が、無邪気にほめて美しい色彩という作文は、伸子が十五六の頃、小学校の同窓会雑誌に書いた、幻想的な作文のことなのであった。伸子は二十九歳になっていた。どうして、十五の少女のこころにかえることが出来たろう。伸子は、煙にむせて窒息しかけながら、そのトンネルはぬけきることを決心した者のように、小説を書きとおした。小説は、ある先輩の婦人作家のところで、偶然素子と知り合うところで終り、佃との破局的な情景が最後に描かれていた。
 片手を机の上へ頬杖につき、右手で雑誌から切りとったその小説の綴じあわせをめくりながら、伸子の面には、徐々に、しかしまぎらすことの出来ない力で迫って来る沈思の色が濃くなった。
 その小説をかき終って、伸子は一つのまじめな事実を学んだ。それは、佃も、女主人公の母も、女主人公そのものも、一人として悪人というような者はその関係の中にいなかった、ということである。佃にしろ、時と場所とをへだてて一人物として見ればむしろ正直な人であったことがわかった。多計代が、どういう男を好む性質かというような効果を捉えて行動したり、伸子への感情の表現を、多計代の気にもかなうように粉飾したりすることを、佃は知らなかった。越智の存在とその多計代への影響のありかたを見くらべると、今伸子には佃のぎごちない、光のとぼしい正直さが理解された。佃が正直であったということについて、伸子は、女としてもっとも機微にふれた発見をしていた。二十を越したばかりであった伸子は、ほとんど倍ほど年長の佃と結婚しようと決心したとき、母になることを恐怖した。子供をもつということが、本能的に警戒された。佃は伸子のその不安について約束したことを、一緒に暮した最後の場合まで守った。離れようとしてまたひきもどされる夫婦の、暗い激情の瞬間に、佃がそのときを利用しようとすれば利用出来たいくつかの機会があったことが思われた。しかし、佃は苦しい蛾のように伸子のまわりに羽ばたきながら、約束は破らなかった。伸子を自分の子の女親とすることで、自分にしばりつけようとはしなかった。
 伸子が佃の家を出て半年ばかりたったとき、伸子にたいして憤慨した佃の友人たちが、佃を最も幸福にしてやれると思われた一人の婦人を紹介して、佃はその人と結婚した。今度は、どうしても子供をもつことだ、と決めたということを、伸子は、どこからともなく吹きまわして来た話として聞いた。
「それもよかろうさ」
 素子はその話が出たとき佃の凡庸さにふさわしい、という風に短く笑った。伸子は、黙って、庭の竹の葉が風にそよぐのを眺めていた。
 佃が伸子をその中に守ろうとしていた家庭の幸福というものは、若い伸子が求めてやまない、生きているらしい生活というものとは、決して一致しないものだった。さらに多計代が熱望している佐々家と伸子との繁栄、名声というようなものと、佃の生活目標はちがっていたし、伸子の願望ともかけはなれていた。三様の人生への願いがともえとなって渦巻き、わき立った。
 佃とわかれ、長い小説としてまたその生活を生きかえした伸子は、二度目の結婚とか、家庭生活とかいうことについて、素子との暮しのうちに出没する男の誰彼を連想することは全然不可能であった。伸子のこころとからだとの中にあって、伸子をひとつところに止まらせて置かない力、それを伸子は何と名づけたらよかったろう。どう処置していいのかさえ、わかっていなかった。世間で、結婚や家庭生活を、人間生活の一つの安定ときめてそのように形づけ内容づけるとき、きめられた安定におさまれない一人の女が、ただのくりかえしとして次の対手を求め、家庭生活をくりかえして見たいと思う、どんな必然があるというのだろう。
 伸子は、生れつきのうちにある人なつこさや子供らしい信頼や大まかさを、日常生活の細目はみんな素子にまかせきった今の形にあらわして生活していた。男のように口をききながら、実際のこまごましたことはみんな自分でとりまかなわなければ気のすまないきわめて女性的な素子にたよって、伸子は小説をかきつづけて来た。
「伸ちゃんという人は、一体どういう性格なんだか、私には理解出来ない」
 老松町へ家をもったとき、訪ねて来た多計代が、あとから苦々しげにいった。
「まるで、吉見さんという人が、旦那様みたいじゃないか、一から十までお前に命令してさ。経済だって、あの様子ではどうせ吉見さんが支配しているんだろう。一旦信じたとなると、伸ちゃんは盲目だ」
 伸子は、苦笑いした。伸子は二人の家計の一切を素子にやって貰っていたし、自分の収入も自分でもってはいなかったから。
「いいのよ、私より上手で、すきな人がすればいいのよ」
 小説の綴じあわせを読んでいるうちに、伸子の表情に濃くなりまさるかげは、この平穏な郊外の女ぐらしの家に流れる生活について、伸子の心にいつしか芽ぐみはじめた疑いがあるからであった。
 あまり永くしんとしていたのに心づいて、急に不安になったように、
「ぶこちゃん」
 となりの部屋から素子が声をかけた。
「いる?」
「――いる」
「斎藤へ筍ほりによこせっていってやらないと、またあとで細君がうるさいね」
 その家は斎藤という軍人のもち家なのであった。
「……そうね」
「あしたでも、とよに持たせてやろうか」
「それがいいかもしれない」
 素子にその感情をかくすというのではなく、伸子はおだやかに、言葉すくなく襖越しの応答をした。地平線のかなたにひとかたまりの雲が湧き出した。青く晴れた空のひろさにくらべて、その雲のかたまりはごく小さくて、それを吹き動かす風も立っていないとき、その雲のかげについて、伸子はなんと話すことが出来るだろう。柘榴の幹をすべって、細かいその葉を梳きながら、郊外のごみのない日光が芝生にひろく射している。陽の明るさに向って瞳をほそめながら、伸子は頬杖をついたなり、じっと心の地平線に見えはじめている小さい雲のかたまりを見つめた。

        六

 土曜日の午後のことであった。
 伸子たちのすんでいる駒沢の奥の家の、裏に向った四畳半で、ロシア語の稽古がはじまっていた。
 伸子が、老松町の足袋屋のよこを入った路地のお裁縫屋に二階がりをしていたとき、その部屋は東も西も、二間のガラス窓であった。寒いのと光線が多すぎて落ちつかないのとで、伸子は暖い色どりで釣鐘草の花模様を染め出した厚い更紗を買って来てカーテンにした。その更紗が、この家では小蒲団の上おおいになって、ニス塗りの長椅子の上に可愛い長クッションのように置かれている。伸子と浅原蕗子が、行儀よい女学生のように並んでそこにかけていた。素子は、一人はなれて横の籐椅子にかけ、小テーブルをひかえている。三人のまえに、ベルリッツの緑色表紙の教科書と帳面とがあった。外国人のためのロシア語と、題がついている。その本のはじめのところが開かれて、素子が、すこしかすれるような特徴のある声で、それは何ですか? それは鉛筆です。どんな鉛筆ですか? という、簡単な問答をロシア語で、ゆっくり読んだ。
「浅原さん、よんでごらんなさい」
 先生らしく素子がそういった。蕗子は、膝の上にひろげていた本をとりあげ、ふっくらとした色白の鷹揚おうような口元を、馴れない発音のために緊張させながら、丁寧に、熱心に、一つ一つの音を正しく読んだ。蕗子の、少女めいたちんまりした唇は、改まって外国の言葉を発音するとき微かにふるえた。
「さ、こんどは、あなた」
 伸子も、真面目に短い単純な文章をよんだ。けれども、伸子にはアルのきつく舌を捲き上げる発音がうまく出来ず、首をふるように力を入れていっても、それはエルに近い柔かい音にしかならなかった。
「変だね、こうしてさ」
 素子は、重いほど、どっさりある髪を束ねた顔を、北向きの窓の明るみに向けて、自分の口の中を伸子に見せるようにして、
「アル、ル、ル」
と発音してみせた。
「わたしの舌はすこし短いのよ」
 何度やっても成功しない伸子が弁解するようにいった。
「英語のアルも、ちゃんと出ないんですもの。耳がわるいんじゃなく、舌の出来がわるいのよ」
「――それだけよくまわるのに、アルだけ出来ない舌なんてあるかい」
 蕗子が、故郷の母がこしらえて送ってくれる色の淡い、おっとりした柄の着物に素直につつまれている大柄の若いからだを動かして笑った。
 三人は、それから一時間あまり、鉛筆を主役にして、いろいろに組合わされた文法の変化を稽古した。
「きょうは、この位にしておきましょうか」
 すると、袖口を少しずらして、蕗子が時間をみた。
「さっきお話ししました、私の友達。もう伺うと思うんですけれど――もう少しお邪魔していてようございましょうか」
「そうそう。――かまいませんよ」
 伸子は、お茶をいれに立った。このロシア語の稽古では、浅原蕗子が本体で、伸子はおしょうばんの形であった。素子の友達が、同じ専門学校の後輩である浅原を紹介して、ロシア語を教えてほしいといって来たとき、素子も伸子も、大柄でおとなしくて口数のすくないその若いひとが、どうしてその勉強をしたいのか、よくのみこめなかった。蕗子は、その専門学校では国文科の上級にいた。はじめて蕗子が来たとき、素子がいくらか皮肉にからかうように、
「理由がないわけではないんでしょう。私なんぞにはいえませんか」
 笑いながら問いつめても、蕗子は、すこし顔をあからめて居心地わるそうにほほえんでいるだけで、何ともいわなかった。そんなとりなしも、蕗子の場合には、いこじには感じられず、ふくらみのある人柄が印象された。蕗子は土曜日ごとに、午後の一時間半、通って来ることにきまった。蕗子が教科書を揃えるとき伸子も自分の分を買って来てもらった。
 翻訳をはじめてから、素子はちょいちょいした相談相手としてフィリッポフというロシアの人と知りあいになっていた。老松町に間借り暮しをはじめた頃のある夜、伸子も素子につれられてフィリッポフというその男の住居を訪ねたことがあった。一九一七年の革命のとき極東のどこかの小さい町に両親と生活していて、騒動の間に親たちは死に、自分は日本へ逃げて来たというフィリッポフは二十八九歳で、鴨居に頭のつかえる背たけをしていた。亜麻色の髪をすこし長めに後へなでつけ、水のような瞳をしたフィリッポフは神田に二階借りして、ロシア風の襞の多いスカートをつけた若いからだの大きい妻と、生れて間のない赤ん坊とで暮していた。階下にはいかにも下町風の頭痛膏をはった婆さんが住んでいた。二階へあがるとき内部が見える位置にある部屋の障子のそとに、寄席の引き幕の古びたようなじじむさい大きい布がぐるりとはりめぐらしてあった。フィリッポフはその二階の二つの小さい座敷の唐紙をはずして、椅子、テーブル、大きい本箱、赤ん坊の揺籃、ミシン、赤ん坊に湯をつかわせるブリキの大盥、食器棚など、生活に必要なあらゆるものを、その室内に持ちこんで暮していた。燭光の小さい電燈の光が、日本人の習慣では想像もされないほどこみ入って、しかも整頓されているその室の光景を照し出していた。壁に美しく赤と黒との糸をつかったロシア刺繍の飾り手拭いが飾ってあり、その部屋においてあるすべてのものに脂の匂いがしみこんでいた。
 伸子はフィリッポフに会って、はじめてロシア人の口から話されるロシア語の魅力を感じた。同時に、クープリンの小説などでよんだように、当てどのない、しかも濃厚な生活雰囲気が東京のその一隅に生きていると感じた。
 フィリッポフは、しかし、素子が必要としただけの教育をうけていないらしかった。話す母国語は勿論わかっているが、文学として、こまかい語義の詮索になると、図ぬけて背の高いやせたからだに黒い服をつけたフィリッポフは、水のような瞳に半ば絶望の表情をうかべた。そして、顔ほどの長さのある手で亜麻色の髪をなであげた。
 丁度そのころ、ある日本の理学者の妻になっている音楽家のロシア婦人があった。その婦人の母と姉とが、その人について来て東京で暮していた。素子は、やがてワルワーラ・ドミトリエーヴナというその姉のところへ、出入りするようになった。フィリッポフの万端が庶民風なのにくらべると、ワーリャと呼ばれているその人の生活は、伸子に、ロシアの首府がペテルブルグと呼ばれていた時代の知識人の空気を思いやらせた。小石川の閑静な高台のその家の客間は、やはりせまい日本座敷を洋風につかっているのであったが、電燈には絹のシェードがかけられて、ふすまぎわにどっしりした新しくない安楽椅子が置いてあった。そこは、黒ずくめの服装の堂々とした母夫人の場所で、ワーリャを訪ねて来る素子や伸子なども母夫人は家の客としてもてなし、伸子とは英語で話した。
 ワーリャ自身は画家であった。栗色の厚いやわらかい髪をおかっぱにして、眉まで前髪が切り下げられている。見事な二つの茶色の瞳だった。小柄だが、肉づきのしっかりしたワーリャの顔だちには、あたたかい深みがあった。話していて、ちっとも外国の婦人という気がしなかった。ドイツのひとを良人にして、幸福に生活していたのに死に別れたという話もきいた。ワーリャと素子とが、二階の書斎へ行って調べものをして来る間、伸子は客間に母夫人と残っていた。ロシアの音楽やオペラの話をするとき、年とった母夫人のいかめしい顔に生気がよみがえって、まるで昨夜、その華やかな棧敷さじき席にいたかのようだった。日本にも数年前にアンナ・パヴロバが来て、伸子は「瀕死の白鳥」の美しさに感銘されていた。私はもう二度とロシアへは帰らないでしょう。でも、ロシアの冬と音楽と舞踊は一生恋しく思うでしょうよ。母夫人は、ロシア風に煮たジャムをすすめながら、伸子にそう述懐した。
 フィリッポフ夫婦の生活やワーリャの家の人たちは、伸子に、昔から今へ生きているロシアの社会のひとこまを見せるようだった。亡命して来ていて、いわゆる白系露人といわれるそれらの人たちは、いいあわせて一九一七年前後のことは話題にしなかった。それからのちのロシアの社会や芸術の変化についても、独特な態度をもっていて、その頃日本にも伝えられて来ているルナチャルスキーとかメイエルホリドとかいう名は母夫人の話の中には決して出てこなかった。チェホフの芝居がそのまま生きているようなそれらの人々の生活気分と風習は、伸子に、これまでの文学で親しんだロシアを身近く感じさせると同時に、新しくなっている今のロシアはどう違うのだろうかと好奇心をもたせた。蕗子が、ロシア語を習いに来ることになったとき、素子は、どうせ教えるのだから、と伸子にも勉強をすすめたのであったが、伸子が教科書を一緒に買ってもらった気持には、ロシアにひかれるものがあったのだった。
 稽古がすんだ部屋へ伸子がお茶をもって行くと、素子がいつもの赤く透きとおるパイプをくわえながら、
「なるほどね、そういえば本当にそうだ」
 面白そうに笑った。
「なんなの?」
「浅原さんがね、ワーリャさんの眼は、ほかの外国人の眼とちがって、じっと見ていても変になって来ない、っていうのさ」
「変になって来るって……」
 伸子はよく意味がのみこめなくて、
「どういう風に?」
ときいた。蕗子は、ふっくりした小さい口元でなかば笑いながら、
「あんまり碧い眼を見ているうちに、段々その人が何を考えているのか分らないようになるでしょう? 溶けるみたいになって。でも、この間はじめてお目にかかったワーリャさんの眼は私たちの目とあまりちがわないみたいで、わけがわかったから」
「本当に! そういえば、ミス・ドリスだって、眼だけ見つめていたら、何がなんだかわからなくなって来るわ」
 ミス・ドリスは蕗子のいる専門学校の英語の女教師で、人望があった。その人は、黄色っぽい髪に水色がかったすみれ色の瞳をしていた。
「フィリッポフさんの眼だって、そうだわ」
「あれゃ、色のせいじゃない」
 断定的に素子がいったので、蕗子も伸子も笑い出した。
「あの人は、人生そのものが、あんな風なのさ」
 そのとき、玄関で、
「ごめんなさい」
という男の声がした。
 伸子が出て行ってみると、たたきのところに立っているのは男と女と、二人の客であった。
「やあ……」
 テニス帽をぬぐ竹村英三に、伸子は、
「……御一緒?」
ときいた。女の客はその問いにあわてたように、
「いいえ。あの蕗子さんがあがっておりましょうか」
 自分が竹村英三のつれでないことを明瞭にした。その声をききつけて、
「おそかったのね」
 蕗子が出て来た。
「おお、おや。じゃあダブったんですね。門のところでおちあったんだけれど……」
 そう云って改めて若い女客を見た竹村に、素子が座敷から、
「竹村さん、一寸八畳の方にあがっていてくれませんか」
と声をかけた。
 蕗子の友達は、就職の相談に来たのであった。吉川という、その瘠せぎすの娘は、蕗子と同じ学校の英文科を去年卒業していた。
「それゃ心がけておかないもんでもないけれど……」
 素子は、上まぶたをひきそばめるような視線になって、じっと吉川の、きちんと白衿を合わせているあたりを見た。
「あんたも、やっぱり家はいいんでしょう?」
「……生活にこまることはございませんけれど……」
「なにしろ女房子のある大の男が、これだけ失業している時代なんですからね。お金に困らないお嬢さんが、わざわざ一人分の仕事を横どりしなくたって、いいんじゃないのかな」
 伸子と入れかわって、長椅子に並んでいる蕗子と吉川とが、やっぱりね、という風に互に一寸顔を見合わせた。蕗子が、ひかえめに、
「私、なんだかそんな気もしたもんですから……」
といった。
 昭和と年号が改って間もないその頃、就職の見とおしをもって専門学校にしろ卒業出来る青年というのは幸運な例外であった。一方では、アルスだの第一書房だのという出版社が、我がちに大規模な予約出版募集をはじめていて、大型の新聞紙一頁べったりの広告が出たりしていた。出版社同士の商売喧嘩から、菊池寛、山本有三という作家が連名で、いかめしく抗議書のようなものを新聞に公表しているのなどを、伸子は小説をかくとは云いながら自分の生活に遠い感情で眺めた。
 くちかずの少い、ふっくりした蕗子の心が、若い自分たち仲間の就職ということについても、いろいろ心を働かして考えている。はたちを越したばかりのそういう蕗子に、伸子はなつかしみをもって歩みよってゆく自分を感じた。素子が結論づけるように云うのだった。
「まあ、今のうちせいぜい勉強して、新しいロシアの小説でも読んでおく方がいいでしょう。どうせ、あすこのことだから、古くさいものばっかり読まされて来たんだろうから」
「じゃあね」
とうなずきあうようにして、蕗子とその友達とは帰って行った。
 八畳の縁側の柱の下へ座蒲団をもち出して、竹村が、ひとりでたばこをふかしていた。
「や、どうも……」
 素子が、そういいながら、紫檀の角机へ縞銘仙の袷のひじをついた。
「……この頃の若い女は、変って来たねえ」
 素子が、ロシア文科にいたとき、その大学で上級生だった竹村は素子と男の友人同士の口をきいた。
「とにかく、経済的に独立して働かなけりゃならない、と思うようになって来ているんだから、大した進歩だ」
 婦人の経済的独立の必要ということは、どの婦人雑誌でも扱う問題になっていた。実際に失業がそんなにひどい現実とのつながりでとりあげられず、厨川白村がしきりに書いている恋愛論のロマンティックな色彩の裏づけとなる条件のように、婦人の経済上の独立ということが扱われている傾きがあった。
 素子と竹村とが、一人は縁側に、一人は卓の前に、はなれたところからしずかに二条のたばこの煙をただよわせながら、話している。それをきいている伸子のところから、庭の片隅にある竹藪が見えた。どこかから鶏が雌鶏をつれてそこへ入って来て、遊んでいる。雄鶏はココココと真赤に重く垂れた肉髯とさかをふるわしてのどをならしながら、つもっている落葉の間を掻きたてた。五月末の青竹の色とその間に動いている白い鶏の姿とは、閑散な午後の日のうつろいのうちにある。
 竹村と話している素子の話しかたには、一種の調子があった。どんな男友達とでも素子が話すいつもの調子なのだが、その調子は素子がほかの女友達やワーリャを対手に話しているときの、まともで真実のこもったやりとりと、どこかちがった。素子は真率な人柄で、それだから男友達も多いのに、その男友達とのつきあいの間で、素子は、自分が女っぽく扱われその興味で見られるのをさけて来たあまり、不自然なほど自分を男っぽく表現した。言葉づかいばかりでなく、つき合う男友達の表芸おもてげいの範囲でつき合わず、その人のくだけた面というか、普通女の友達には男の側から公表しない習慣にある生活面の方へ、自分からたち入った。
 素子の友人の一人に加茂という信州の禅寺の若い住持があった。その人は、伸子たちの住居から遠くないところにある宗教大学の大学院にいた。伸子は、雑誌にあった道元の伝記などに興味を持っていて、加茂とそんな話になる。素子は、しばらく話させておいて、いつか信州の雪の炬燵こたつから、そこにからむ色どり、芸者との遊びへ話題をうつした。それもごく現実的に一晩いくらということにまでふれて話した。いかにも禅家の人らしく小倉の袴を低くはいた加茂は、道元のことを話していたままの口調で、芸者のことも話した。
 いま、竹村は、しきりに若い女性の近頃の積極性をほめ、素子はそれも程がしれているという風に応待している。だが伸子には、よくわからない点があった。さっき、蕗子と吉川が就職の相談をもって来たとき、素子は、家族もちの男の失業の多いとき、食うに困らない娘が職業をもたずとも、といった。蕗子も同感して、そうきめて帰って行った。伸子も、あのときはやはりそう思ったのだったが、考えてみると、その結論には少し妙なところがあった。食うに困らないということが、その娘たちにとって親がかりの生活を意味している以上、その娘たちの心にも、何かの形で伸子が苦しんだとおりの「大きいお嬢様」としての苦痛があるのだろう。伸子の母は、伸子が佃と結婚したとき、勝手な結婚をするなら経済上のことも万事自分の力でやって見せろ、といった。新しい蒲団一枚こしらえずに、伸子は育った家を出て、西日が座敷の奥の壁までさし込む路地の横町の家へ佃と移った。あの白衿をきちんと合わせた吉川という娘が、いろいろな意味で親の掣肘せいちゅうの少い生活に入りたいと思って、職業のことも考えているなら、男の失業がこんなにも多いからといって、人間として伸びようとする女に就職しない方がよいということは、残酷なことに思えた。しかし、吉川が一人就職すれば、どこかで一人失業する人のいるのは明白だし、その人は男であるにしろ女にしろ吉川よりもっと切実な生きるてだてとして職業がいる人かもしれない。――伸子には、そういう現実の複雑なくいちがいが、どこで解決されるべきものなのかもわからなかった。
 竹村は、婦人の経済的な独立ということから移って、女性文化ということをいった。これまでの日本は男の社会すぎた。もっと女性の力が発揮されるべきだ、という意味で。
「――でも、私には、それだけじゃよくわからないわ。女のひとが、自分の力で金をとって、それで自分が暮したいように暮す……それっきりでおしまいじゃ、なんだか足りないものがあるわ。なんのために、そうして暮したいように暮すんだか、そこがはっきりしなくちゃ」
 これは、当然素子と伸子自身の生活ぶりにかかわっている感想である。素子は、火のついていない赤いパイプをかんでいたが、
「初耳だね」
 伸子にだけわかる、いくらか変った声の表情でいった。
「そんなこと、ちっとも話さなかったじゃないか」
 みんながしばらく沈黙している間をおいて、また、伸子がいった。
「たとえば、雑誌一つ出すにしろね、なんのためにそれが出されるのか、はっきりわからないのに、ただ女がそれを出すからっていうだけで、本当のねうちがあるって云えやしないでしょう?……」
 雑誌によせていったが、それをいい出す伸子の心のうちでは、自分の書く小説のことであり、小説を書いてゆく、というそのことでもあった。
 しばらくして竹村が、
「むずかしいもんさね」
 緊張した空気をほごすように、座蒲団の上で胸をひろげて、のびをするようにしながらいった。
「考えてもきりがないようなもんだし、うちの奴みたいに、てんから考えない女も、つきあえたものじゃなし……」
 立ち上って、竹村は、
「ところで、きょうは、ひっぱり出しに来たんだ。――ひとつ出かけませんか」
と、伸子を見た。
「どこへ?」
「温室を見せようっていうんです」
 去年、細君を離別した竹村は、駒沢の、伸子たちの住んでいる分譲地よりずっと奥に、一人暮しで園芸をはじめていた。
「いま、カーネーションが素晴らしいところなんだ、ね、――行こう」
「いまっからじゃあ……」
 素子が、決断のつかないおももちになって、竹村の住んでいるところとの往復の距離をはかるように庭を見た。
「かえりは送って来るよ、宵の口はひまがあるんだ。この頃の気候だと夜中にボイラーをたくだけでいいんだから」
「――ぶこちゃん、どうする?」
「私は行ってもいいけれど……」
「じゃ、行こう、おいしい干物があるから、あれをもってって御飯たべよう」
「来て見なさいとも。びっくりするから……きれいで――」

        七

 家の門を出て、右手にゆるい坂をのぼりきると、桜並木の通りへ出た。玉川電車の停留場を降りたところから、真直にもう一本桜並木があって、伸子たちの家へ来るには、そっちを通った。その道は、とっつきから、小さい魚屋、荒物屋、八百屋、大工の棟梁とうりょうの格子戸の家などが、いかにも分譲地がひらけるにつれてそこへ出来たという風に並んでいる。その間を通って来ると、段々生垣いけがきや、大谷石をすかしておいた垣の奥の洋館などが見えて来る。同じ桜の並木通りといっても、その通りは分譲地でのサラリーマン階級の雰囲気で、ちょいちょいした日用品の買いものに、住宅地の人が日に何べんもとおる通りであった。
 坂の上の方をとおっている桜並木は、左右に植えつけられている桜が古木で梢をひろげ、枝を重くさし交しているばかりでなく、並木通りからまた深い門内の植えこみをへだてて建てられている住宅が、洋風にしろ、和風にしろ、こったものばかりであった。外壁に面白い鉄唐草の窓をつけたスペイン風の建物などがあり、桜並木には人気がなかった。雨の降る日にそこをとおると、桜の梢からしたたるこまかい雨の音がやわらかく並木通りのはしからはしまでみちていて、人っこ一人とおらない青葉のトンネルのような道のどこからか、ピアノがきこえたりした。
 竹村、素子、伸子という順に並んで、そこをとおりぬけ、分譲地の外がわにひろがっている田舎道へ出た。茂った草道や新緑の濃い灌木のかげにまばらな農家があるきりで、畑はゆるやかに傾斜しながら、三人の通る道から遠くまで見えた。鵞鳥が十羽ばかり、白い小さい花をつけた灌木のしげみと腐った棚の間に群れていて、三人の足音をききつけると、首をのばしてやかましくさわいだ。
「これゃいいや、番犬がわりにうちでも飼おうか」
 素子が笑った。
 やがて三人のゆく道の景色は変って、いかにも駒沢の奥らしく続いた竹藪と、農家の古い茅屋根の間に入った。大きい竹藪の茂みの間を縫って、湿っぽく薄暗く足音の消える細道の角に、赤い布を結びつけられたきたない顔の小さい石地蔵が立っていた。うす暗い藪かげにそれをみると、伸子は、
「――気味がわるい……」
 小声でそういって素子の手につかまった。
 いくらか足早にそこをぬけると、風景は再び前方に明るく展開して、小高く連なる耕地の裾をとおる一本道は、水勢のはやい流れに沿うた。柳が生えている川岸に、ここでも鵞鳥が黄色いくちばしをふりながら餌をあさっている。丘になった耕地の彼方に、いかにも風車でもありそうな木造の洋風の高い小舎が眺められた。
「あれなにかしら……」
「なんだろうな」
 竹村は伸子にそうきかれてはじめて眺め直すように、そっちを見た。
「あなたのところ、あの近所?」
「すこし方角がちがう、もうすこしこっちになる」
 荷車が一台耕地の間の草道に置いてある、その方を指さした。
「もうそろそろついてもいい頃だな」
「栗の樹があるだろう? あの角を入ればすぐさ」
 ぐるりが畑の真中に、突然畑でない地面が四角く開いて、その垣根も何もないところにかなり大きい一棟の温室と、すこし離れて住居が建っていた。竹村は道を歩いて来たその足どりで住居のガラス窓へよって行き、白いカーテンのしまったところを一寸のぞいてみてから、おくれて来た素子と伸子を温室の入口で待った。
「さきに温室を見て貰おう、ね」
 ズボンのポケットから鍵を出して、竹村は温室の戸をあけた。素子が入り、伸子も内部へ踏みこんで、思わず、
「まあ!」
 声をあげた。一日じゅう日光の最後のぬくもりまで利用するように建てられている温室は、その時刻に丁度真向うから西日をうけていた。ガラスのまぶしい反射のために外からは見えなかったカーネーションの花の赤、白、ピンク、淡いクリームの色々が、入ってみれば温室いっぱいに咲き乱れている。しめりけのある温い空気は、粉っぽいカーネーションの薫りで満ち、近よって眺めると、見事な花冠をつけた茎のほそくつよく節だった緑の美しさ、やわらかな弾力にあふれてはね巻いている細葉の白っぽいような青さ。外気の荒さに痛められず、伸びて、繁って繚乱と咲いているカーネーションの花弁は美しくて、伸子はそこをかきわけるように入って行った人間たちの衣服の繊維のあらいこわさを、花々にふさわしくないものにさえ感じた。
「ひといろの花ばかりでいっぱいの温室って……はじめてだわ。気が遠くなるみたい」
 温室はそう大きくないのに、同じ花ばかり見てひとまわりすると、そこは限りなく奥深い広いところに思えた。伸子は、薫りに酔ってうるんだ眼になった。
 反対側を竹村とつれ立って見てまわりながら、素子がいっている。
「ほかの花はやらなかったんですか」
「何しろ第一年目だもの……功はいそぐべからず、さ」
「こんなに腕がいいとは思わなかった」竹村は、伸子がたたずんでいる側へ出て来て、それを育て、花さかせた者の注意ぶかい視線で花床とこを見まわりながら、
「案外で、見直したろう」
 素子は、素子らしくきいている。
「この中で、すぐ切れるのは何本ぐらいあるんだろう」
「さあ」
 目算するように、竹村はひとわたり眺めた。
「かれこれ、四五十本というところかな」
 カーネーションは朝早いうちにぞっくらきられて、渋谷の市場へ運ばれるのであった。
 伸子は温室を出ながら竹村にきいた。
「この花がなくならないうちに、わたし、弟を来させてもいいかしら」
 花ずきの保に見せたら、どんなによろこぶだろうと伸子は思った。フレームでやれることはきまっていて、もうつまらなくなったといって、この間行ったとき保は水栽培で紫の立派なヒヤシンスを咲かせていた。
「いいとも。歓迎する」
「じゃ、なるたけ早く来るようにいうわ」
「それがいい。きりどきがあるから」
 別の鍵を出して、竹村は住居の入口をあけた。土間に、テーブルと椅子と園芸用のごたごたがあって、右手が畳じきの六畳、四畳半になっていた。本箱、机、食卓。六畳にそういうものがおいてあって、次の室は寝室としてつかわれているらしかった。鉄金具の古い箪笥が見えた。土間のつづきに炊事場と風呂桶をおくところがあって、炭や薪が田舎らしく積みあげられている。小松菜と細根大根が、ぬいたままで、へっついわきに放り出してある。その明るく簡素な生活の仕組みを見て伸子はおどろく心持があった。素子と暮しはじめて間のないころ、はじめて竹村の家を訪ねたことがあった。よそからまわって、夕方近く竹村のところへ行った。竹村夫婦は、どこかの離室はなれめいたところに暮していて、柴折戸しおりどのような門口から、飛石づたいにいきなり座敷の前に出た。軒近くまで庭木が茂りすぎて、土庇の長いその座敷は一層陰気に見えるなかに、気むずかしい顔で、眉の濃い竹村があぐらをかいていた。本がひろげたままおいてある卓が、二月堂だった。長方形の、朱漆で細い線のめぐらされているその卓さえ、気がきいているだけ、よけい座敷の空気を気づまりにしているような感じだった。素子と挨拶したままつい話しこみかけている細君に、
「おい、お茶をいれろ」
 竹村がそう命じた。その声は乾いていて、濃い眉の下で眼がけわしくひらめいた。体裁でつくろいきれないそそけだった夫婦の気分で、伸子は、なぜ素子が自分をつれてここを訪ねたのか、いづらかった。そのとき、竹村は和服を着ていた。伸子の目には、二月堂の卓と趣味の上で一つのつながりがあるように見える変った織の和服をきて、陶器のパイプを本のわきにおいて眉をひきしめていた。
 アトリエのような気分のある、からりとして未完成なこの建物の土間であっち向きにしゃがみ、七輪に火をおこしている竹村は、ひじのぬけかかった鼠色のジャケツを着て、テニス靴をはいている。眉の間に深く刻まれている二本の縦皺はもとのとおりだが、あの暗い座敷にじっと坐っていた竹村を思い出すと、生活の変化がおどろかれた。あの細君を離婚しなくては、竹村のこういう生活の変化もおこりようがなかったのだろうか。庭木の奥の洞穴のような離れで営まれていた生活も、細君が、そうしつらえたというより、はじめは確かに竹村が自分の趣味で、あの座敷も選び、渋いという風なあの雰囲気をつくって行ったのだろうのに、と思えた。
 温室の経営をして、花をあきなって、ロシア文学の翻訳をする男の一人暮しというのも、やっぱり一つの竹村の好みというものではなかろうか。
 建物の外に、ポンプがあって、そこからは畑の起伏と遠い森とが見晴らせた。温室のガラスを焔のようにもえたたせている西日は、溶けたような空の前に遠い森を黒く浮き立たせている。
「なに、ぼんやりしているのさ」
 素子が出て来た。
「すこし歩かせすぎたかな。――じき茶が出るから、こっちで休んで下さい」
 伸子は、六畳のあがりがまちへ腰かけて、土間で働いている竹村を見ていた。
「いずれにしても、一人じゃ、あんまり風雅すぎるでしょう」
 素子が笑いながら竹村にいった。
「なかなかいいところがあるもんだよ、こういう生活も……」
「――もっとも、あんたのその手じゃ、ちょいと細君になりてもないだろうけど」
 土いじりをし、万端の荒仕事をする竹村は火箸をもっている自分の手をちらりと見おろして、
「ふん」
といった。
「手がどうのこうのっていうような女と、誰が結婚なんかしてやるもんか」
 そして、彼のななめうしろに足をぶらぶらさせていた伸子をふりかえった。
「ねえ」
 伸子は、黙っていたが、ふっていた足を一瞬止めた。それはそうだけれど――ねえ、と自分をふりかえった竹村をそのままにはうけつけない感情が、伸子のどこかに動いた。
 竹村がへっついをもやし、素子が土間の七輪であじひとしおを焼き、伸子がざるに入っている茶碗を並べて、むき出しの電燈の下で夕飯がはじまった。
 たべ終って、竹村がレコードを聴こうといい、伸子が、何となし気もすすまないでいるとき、急に、土間の隅で、何か生きものがさわぐような物音がした。
「何だろう、いたちかい?」
「鳩だよ」
 土間をすかし見ながら竹村がいった。
「つがいでいたのに雌が逃げちゃって、一羽のこってるんだ。夜ときどき出して飛ばしてやると、面白いね、そこの鏡に自分が映るだろう。それを仲間だと思うんだね、きっと。何べんも何べんも鏡へくちばしをぶっつけるよ」
 古風な大きな飾鏡が、浅い床の間の柱にかかっていて、今はぼんやりとその面に電燈の光をうつしている。男が一人いる夜の部屋の中を白い鳩が翼をはためかして鏡のなかにうつる自分の姿を雌かと思って一心に近よろうとする光景を想像して、伸子は感情を動かされた。
 伸子はカーネーションの花の美しさよりも、夜の鏡にうつる自分の白い影にくちばしをぶつける白い雄鳩の話により深く心を動かされた。けれども、伸子はそのこころもちを素子にも竹村にも話さなかった。二人は懐中電燈をもった竹村におくられて、くらい竹やぶを通りぬけ、宵の口にうちへ帰った。

        八

 翌日、伸子は自動電話で保をよび出した。そして、竹村の温室のことを話した。翌々日が日曜日だった。保は十時ごろ伸子のところへ一旦よってそれから見にゆくときまった。
「ここへよって行くって――誰が案内するんだい」
 電話をかけて帰って来た伸子の顔を椅子の上から素子が見あげて、気むずかしげにいった。
「わたしゃ、そんなお供はごめんだよ」
 伸子は当惑して、素子の椅子のよこに立ったままでいる足をふみ代えた。
「……あなたに行かせようと思っていたわけじゃないけれど」
「ぶこちゃんが、またわざわざついて行こうってのかい」
 そうときめていたわけでもなかった。伸子は保に、あんなにきれいにカーネーションの咲いているところを見せてやりたいとだけ考えた。保をつれて行ってやることなどはひとりでに解決されると思った、というより、とりたてて考えていなかった。素子は、
「なんだ! あんな温室ぐらい」
 そういってわきを向いた。素子は、伸子が大袈裟にさわぎ立てているという風に不快を示している。それは素子の感情的なうけとりかたに思えた。
「わたしがどうというのじゃないのよ。保の部屋の鴨居の貼紙のこと、話したでしょう?」
 伸子は、真面目にいった。
「わたしは、保が心配なのよ。あのひとには、何かしてやることがあるにちがいないのよ。だから、花も見せたいの」
「――ともかく、私はごめんだ……」

 日曜日の約束してあった時間、ほとんどきっかりに、東京高校の黒い制服をきた保が訪ねて来た。多計代のおみやげの、虎屋の羊羮を出した。
「保さん、ここはじめてでしょう」
「ああ」
 保は、目新しそうに庭や竹藪を見まわした。
「きょうは夜までゆっくりしてゆくんでしょう?」
「僕、夕飯までに帰る。――お母様にそういって来たから。……間に合うでしょう?」
「それゃ、間には合うけれど……ともかく行きましょう」
 伸子が帯をしめ直しに玄関わきの六畳へ入ったあとから、素子がついて来た。懐手ふところでをして、
「結局、行くんじゃないか」
 おはしょりを直している伸子にいった。
「行きましょうよ、一緒に。保にかわいそうだから――ごたついたりしちゃ」
 そういう伸子の心には、きつい激しい思いがあった。もと佃と赤坂に暮していたとき、丁度夕飯時分ふらりと和一郎が来たことがあった。大震災のあと間もないときで、佃が崩れた小壁に紙をはって働いていた。そこへ和一郎が、姉さん、いる? とのんびり入って来た。佃は、家の修繕などに熱中しないこころもちになっている伸子に対して不愉快でいる感情を和一郎に向け、役にも立たず御飯をたべにばっかり来る、という意味を、和一郎がきかずにいられないような調子でいった。しばらくして、和一郎が、姉さん、僕、帰る、といって、伸子が玄関に出てゆくのも待たず出て行ってしまった。それきり、和一郎は佃の家へ来ることがなかった。
 保に、温室を見せてやりたい伸子の、そのこころもちは、温室をやっている竹村への興味などとは全く別のものであった。口にそういわないでも、素子が拘泥している不機嫌は、その点の勘ちがいである。伸子は、そんなことを弁明するさえ必要ないと思った。保をいじらしく思っている心で行動するのに。――素子にかまわず伸子は仕度を終り、もう一度、
「来て頂戴ね」
 そういって、保のいる座敷へ戻った。
 素子は、決心のつかない表情で伸子が出かける玄関口まで来たが、とうとう来なかった。
 伸子は、保に鵞鳥も見せたいと思い、おととい通った道順そっくりに、白い小花の咲いている灌木の茂みのところを行った。
「いる! いる!」
 伸子はよろこんで、
「ほら、いるでしょう」
ときょうもなきたてる鵞鳥の群を見せた。
「七面鳥は桜山でも飼っているけれど、鵞鳥って珍しい」
 夏休みに行く田舎の家のある村の名をいって、保は伸子と道ばたに並んで鵞鳥を見た。保が、柵の外の道からポンポンと手をうって歩くと、鵞鳥はしばらくそれに平行に歩いて来た。
「お留守でなくて、よかった」
 温室の外で働いている竹村の姿が目に入ったとき、伸子はわざわざ来た保のために在宅をよろこんだ。保は、研究的に、土の混ぜあわせ方の比率だの、温度だのについて竹村にききながら、カーネーションの間をゆっくり歩いている。竹村の、年の割に枯れた皮膚の、眉間に大きい縦皺をもつ顔は、温室に花を育てる人として自然に見られた。けれども、上まぶたが重くぽってりと、色つやのさえない、しかもどこか鋭い保の容貌は、カーネーションの美しい体温のない充満の中で人間の肉体や心の分厚い存在を伸子に感じさせた。おとといは、薫りの雲がみちみちているように感じられた温室の内部が、きょうは花のつくられている温室、という現実的な手堅い感じで支配された。
 保は、
「シクラメンはおやりになりませんか」
ときいた。
「今年はやりません。鉢ものですしね」
「ああ、そうね」
 そういう問答の内容は伸子にわからなかった。
 わからないことだらけの竹村と保の話を、伸子はむしろ満足してききながら、長いこと温室にいた。保が辞退するので、住居の方へはよらないで、帰途についた。
 平静な保の表情から、伸子は、温室を見たことがうれしかったのか、それほどでもなかったのか、よくわからなかった。
「保さん」川ぶちの道を歩きながら、伸子がきいた。「どうだった? あんなの平凡?」
「僕、よく出来ていると思う。――でも、あれだけつくるのは、割合やさしいよ」
 保は、先頃、父につれられて大磯のある富豪の温室を見て来た話をした。そこでは主としてメロンと蘭などがつくられていた。
「姉さん、メロンておもしろいよ、むずかしいけれど。僕だったらメロンやる」
 円天井の大温室の中で、網に吊られた大小のメロンが、熟す順に番号をつけられて青く美しくみのっていた光景を、保は活溌に話してきかせた。
「みんなとてもいい出来だった。カンタローブの網目なんか、とてもこまかくて」
 保は子供らしく、
「メロンやりたいなあ」
 そういって、和毛のかげの濃い口元をほころばした。
 どっちみち、保は愉快そうになっている。伸子はそのことで満足した。けれど、別の思いもあった。伸子としては、自分に分相応の環境の中から、せめて保がよろこぶかと思って竹村の温室見物を思いついて誘った。保は、誘いをうけとり、見に来たけれども、それより前伸子の知らないうちに父とドライヴをかねて大磯へ行き、日本にいくつと数えるような贅沢ぜいたくな温室を見て来ていた。
 このことは伸子に、盆暮れや誕生日に、母におくりものをするときの心持と似かよった心もちをおこさせた。かさばって、ぎょうぎょうしいものばかり貰いつけた生活で、伸子がおくるささやかな品は、多計代に品物としての刺戟を与えないようだった。両親の銀婚式のとき、伸子としては奮発して、小さい銀の花瓶をもって行った。そのときはよろこんで、箱の上に出して眺めたが、十日ほどたって行ったときには、もうその辺に見えなかった。
「花瓶どこへ行ったの?」
 伸子がきくと、多計代は、
「その辺にないかい?」
 菓子箱や罐がごたごたと置いてある座敷の隅を、坐ったままひとわたり目でさがした。
「ないねえ、どうしたんだろう。せっかくお前がくれたのに……」
 それは、せっかく娘がくれたものだのに、という心持よりも、あんなものでも、ともかくお前がくれたものなのに、というニュアンスで響いた。手袋をもって行ったときも、財布をもって行ったときも、多計代の礼をいう調子から伸子が感じたのは同じことだった。そして、寂しかった。
 保は、伸子が育った時分の質素だった佐々の家庭とはまるで違って来ている経済事情や社交の空気のなかに大きくなって、多計代が、数年このかた身につけはじめた変な無感覚さを、自覚しようもない少年から青年への毎日の生活でわけもっている。伸子は、何かの拍子に、冗談のようにいったことがあった。
「わたしの力では、とてもお母様がよろこぶようなものは買ってあげられないからね、親孝行のしようがないのよ。仕方がないから、せいぜい理窟をこねてね、お母様が買えない議論というもので親孝行でもするしかない」
 保の生活は無垢ななりに、離れて暮している姉の、単純でひとり立ちの生きかたとは、ずっとかけはなれた環境におかれている。そういう具体的な点を一つ一つたしかめて来て、保の部屋の入口の鴨居にはられているメディテーションという字を思い出すと、伸子は辛かった。自動車でドライヴして、そんな大温室を見られる条件はある。けれども、メディテーションと貼紙している保の若いおさない心に、どんな葛藤がかくされているか、それをその生活の中にあって、見守ってくれるような大人の精神、本当の思いやりというものは、保の生活のまわりにはない。
 この間動坂へ泊った朝、おそい朝飯に多計代と二人きりだったとき、伸子は保の貼紙のことを話した。多計代は、保がそんなに純真で、真面目なのだから、間違いないということばかりを強調して、伸子の不安にとり合わなかった。私に保のこころもちは、本当によくわかっているんだから、といった。
「そうかしら……」
 伸子は、暗い眼をした。保は前の晩に、なんと云ったろう。
「お母様、なぜだろうね、越智さんが来るときっと洗面所へ行って白粉をつける」小さい子のように姉にそういいながらも、母には「お母様、なぜ」と、そのことについてじかにはきかない二十歳の保の青春には、母にわかっていない複雑さがある。多計代は、どうしてこんなに簡単に、保のことは隅から隅まで自分にわかっていると思いこんでいられるのだろう。
 しかし、保のなかには伸子の生れつきとはちがったものがあって、姉と弟という以上に、保は伸子から自分をへだてているところもある。
 思ったより早くかえって来た姉弟を見て、
「どうした」
 素子が意外そうに出て来た。
「留守だった?」
「いいえ。温室は見たのよ、ね保さん。でもうちの方へはよらないで来たから」
 出がけにこだわった気分をかえて、素子は二人のために食卓の世話をやいた。
 食後、素子がその頃流行していたダイアモンド・ゲームを出して三人で遊ぼうといった。保は、
「僕、やったことがないから……」
とことわった。
「やったことがないって」
 眼を見はるような表情で、素子は、
「こんなもの!」
 そこへ、赤、黄、青と小さくコロコロしたコマをあけた。
「子供のやる遊びですよ。出来ないなんてことあるものか」
「――でも、僕やったことがないから……」
 とうとう、保はその遊びをしないで、間もなく帰って行った。
「あのひと、どういうんだい、おそろしく変ってるね」
 送り出したかえりの廊下で、素子があきれたようにいった。
「あんな高等学校の学生ってあるもんか。――あんなじゃ一人前になれやしないや」
 素子の観察は、伸子に同感された。しかし素子が自分では感じていないもう一つの原因も、保の気分を支配したように思えた。パイプをくわえたままの顔を横に向けて、御飯をよそってくれ、袂の袖で腕ぐみをする素子のものごしや口調は、女を少女らしい特徴で意識しはじめている保の感覚にきっと居心地わるかったのだろう、と。

        九

 なか三日ばかりおいた午後、不意に竹村が訪ねて来た。しとしと雨が降っている日だった。机について翻訳の仕事をしていた素子が、
「不意に――どうしたのさ、用ですか」
 面倒そうに縁側に目をやった。竹村は玄関にまわらず、柘榴の樹かげから庭へ入って来ていた。
「渋谷まで出かけたもんだから……いそいでかえっても、この天気じゃ仕事がないしね」
 こっちの部屋の机のところには伸子がいた。やはり机に向ったまま、
「この間はどうもありがとう」
 保に温室を見せてもらった礼をいった。
「どうしまして……」
 素子があがるようにいわないので伸子も黙っていた。
「――一服させて貰うよ」
 玄関から竹村はひとりであがって来て、素子のいる座敷の敷居ぎわへ自分で座蒲団をもち出した。素子はそのまま仕事をしている。伸子はとよにお茶をたのんだ。竹村はその辺にあった雑誌をよんでいる。
 そのまましばらくの間三人は黙ってばらばらにいたが、伸子にはそれが気づまりだった。そんなに放り出しておくほど竹村にたいして日ごろ内輪のつきあいをしているわけでもない。素子の声にもそぶりにも竹村が予期しないとき来たのをよろこばない調子が見えている。竹村の方ではまた、その感じをどこかでおしきろうとしているところがある。どうせ落ちつかなくなってしまった伸子は机をはなれて、隣座敷へ出て行った。
「どうして? もうあのカーネーションはみんなきってしまったの」
「いやまだ三分の一ぐらいのこしてある。――何君といったっけな、君の弟さん」
「保」
「ああ、保君か、案外くわしいんだね。玄人だよ。土の配合なんかすぐ当てたよ」
「小学校の時分からすきでやってるから」
 素子が、腰かけている机のところから、
「うるさいじゃないか、なにも出来ゃしない」
といった。
「そうよ、だから仲間入りした方がいいのよ」
 茶の間も、伸子の部屋の裏の長椅子の部屋もあいていたけれども、伸子は竹村をそっちへは案内しなかった。うるさがりながら一つ室にいる方が素子の気持にとって自然なのだった。
「仕様がありゃしない」
 やがて、素子も卓のところへ来て坐った。共通の先輩であるロシア語の教授が、最近のソヴェト文学について本を出した。竹村と素子は、その本の噂をした。話題はいくつか移ったが、気のりがせず、伸子はしばしば中座した。
 とよに縫いもののつぎきれを出して座敷へ戻って来てみると、竹村があぐらをかいた膝の前に二つ折りにした盤をおいて、
「何だって――ピヨン、ピヨン?」
 ヨをピと同じ大きさで発音している前に、重そうな髪を無造作に束ねた素子が腕組みして、むつかしい顔で坐っていた。
 伸子は、その光景がなんだか滑稽で、
「出しかけたの?」
と笑った。
「ピヨン、ピヨンて――なんのことだろう」
「ヨをちぢめて飛ぶのよ」
「ピョンと?」
「そうだわ」
 盤をあけてみて、竹村は、
「なんだ、これゃダイアモンド・ゲームじゃないか」
 素子の顔をみた。
「そうさ」
「そうさ、もないもんだ。まあいいや、どうするんだって?」
 ルールを素子が説明し、伸子が赤、素子が黄、竹村が青のコマをもって、一めずつとびながら遊びはじめた。竹村のコマは一列だけとびはなれて前進し、素子の黄色陣地に迫った。
「どうだい、優勢だろう、この次は失敬して入城だよ」
「入城なもんか。あんたの陣に、そんなにぞっくりのこってるくせに。自分の陣からすっかり出きってからでなくちゃ、敵陣へは入れないんですよ」
「なあんだ! そんなことがあるんなら初めっからいっとくもんだよ、本当かな」
「あたりまえさ」
「そうですか?」
 竹村は伸子にきいた。
「そうやってるわ、いつも」
「じゃあまア、これでも進軍させようか」
 初めての竹村は、青いコマを盤の格子の上にいくつかのこして負けた。二度目に、竹村が、第一列のコマは、相手の陣の境界線の上まで行っていい筈だと主張した。
「そうじゃない、一本手前の線までさ」
「――これはダイアモンド・ゲームなんだろう」
「ああ」
「ダイアモンド・ゲームならそれがルールだよ」
「ダイアモンドだって、これはちがうんですよ、一本手前までしか行けないんだよ」
 竹村と素子とは変に熱中して、互の手許を見はりながら競争した。
「そら、ぶこちゃん、もう一つ行けるじゃないか」
「何だ、小癪な。じゃ、こうだ、ほら、ぴょん、ぴょん、ぴょんと!」
 段々普通のやりかたをかえて二コマずつとんでいい約束をこしらえたり、逆行していい契約をきめたりした。そしてますます混乱した。
「二コマとんでいいっていうならこうなるじゃないか」
「違うさ、それじゃ斜の線だもの、同じ線の上でなくちゃ」
「だって、こうだぜ、君は強情っぱりだなア」
 竹村もそんなことをいう気分になった。
「今更じゃないよ、自分だって相当偏窟のくせに」
「なに」
 そして竹村は小さなコマを、盤にめりこますように力を入れてすすめた。
「君は、五黄ごおうだろう」
「それがどうしたのさ」
「道理で。――うちの奴も五黄だった。五黄はいかんよ。頑迷だよ」
「――出したのか、出られちまったのか、わかりもしないくせに……」
 番がくると、黙ってコマをすすめている伸子の、どこか保に似て円い顔には、倦怠と憂鬱があらわれた。大体伸子は、遊戯に熱中できないたちだった。はじめのうちは気のりがしても、素子のように続かなかった。単純に遊ばず、お互のむしゃくしゃをぶつけあいながら争っているような竹村と素子との遊びかたは、よけいに伸子を疲らせた。
「もうやめだ、やめだ」
 勝てない竹村がそういって盤をたたんだとき、伸子は、
「それがいいわ」
 空虚にたえがたいという眼色になっていった。
「絵でも見た方がいい」
 すると、素子が、
「なんだい、えらそうに!」
 つよくマッチをすって、巻たばこに火をつけた。
「体裁屋!」
 竹村が帰って、卓の上をあと片づけしている伸子に視線をすえて、素子は、
「君は体裁屋だよ!」
 嘲りいどむようにいった。
「竹村なんかどう思ったっていいじゃないか」
「それはかまわないわ」
「じゃ、なぜあんなに、とりなそう、とりなそうとするんだ。私が不愉快がっているなら、勝手に不愉快がらしておいたらいいじゃないか」
「竹村さんが私たちの不愉快になるようなことをした? なにか」
「君に感じなくたって、わたしが不愉快を感じているんなら、それをたててくれていいじゃあないか。――自分ばかりいい子になろうとなんかしなくたっていいんだ、水臭い」
 とよが台所で大根を刻んでいる、こまかくせわしいその庖丁の音をききながら、伸子は卓の上に頬杖をつき、こまかい雨の中にくれかかる夕暮の広い庭を見ていた。雨にぬれる雑草の中の萩の枝や遠くの生垣が、伸子の眼に浮ぶ薄い涙をとおしてよけい水っぽく見えている。
 これまでも、素子は二三度、なんだ、体裁屋! と罵って伸子を非難した。伸子は自分の性質に素子よりもよけいそういう俗っぽさがあるらしいということは理解出来た。ひとがどう思ったってかまわない。素子はほんとにそういう生活態度であった。伸子も、ひとの思惑を気づかって生きられないたちであった。けれども、伸子としては、ひとがどう思う、こう思う、ということのほかに、自分としてそれはいやなこと、ということがあった。そしてそれは、ひとがどう思う思わないにかかわらず、自分としていやなことなのであった。
 二人が一緒に生活しはじめて間もないころのことであった。素子のふるい友人で記者あがりの男が遊びに来た。そして、その時分から目立ったある婦人作家の女同士の生活の話などが出た。
「我々男性には大いに興味があるんですがね、一体、どういう風にやっているんだろうかと思って……」
 伸子は、
「どういう風にって?――」
 その男の、髭をはやしている瓜実顔うりざねがおを見た。
「この頃、そういう組合わせで女のひとが生活しはじめたの、やっぱりこれまでの女の生活がいろいろ疑問だからじゃないの。経済的にやれるようになって来たというところもあるでしょう」
「それゃ、わかるんですがね」
「じゃ、なにがわからないの」
「困るなあ」
 その男は秋田のなまりのある東京弁で、
「そうまともにきかれちゃあ、いいにくいが……どうもわからない」
 あとを独りごとめかして濁した。伸子は、もう若くないその男の半分真面目のような半分真面目でないような口元の表情や目くばりから、透明でない感じをうけた。女二人が仲がよくて、どうやっているのか。好奇心が、性的な意味に集中されていると伸子は感じた。それをいい出した男の有為転変的な生活のいく分を伸子は知っていた。いうひとのもっている空気とのつながりで、なにかえたいのしれないグロテスクなことが、その質問のかげに思惑されているように思えて、伸子は、そういう興味が向けられることを憎悪した。伸子とすれば、習俗に拘束されない、自由な女の生活を求めて、その可能をさがして、素子との暮しに入った。伸子が、もって生れた人なつこさや、孤独でいられない愛情の幅のなかで、素子にたより、甘え、生活の細目をリードされ、素子の風変りな感情にもある程度順応している。それが傍目に不自然に見られなければならないことだと、伸子には信じられなかった。
 二人が女であるという自然の条件と、女としての自然な自尊心からおのずと限界のある自分たちの感情の表現を、伸子は樹が風でそよぐようなものだと思った。鳥と鳥とが嘴をふれあうようなものだった。こういう男たちが誇張して想像しているようなあくどい生活は、自分にも素子にもなかった。伸子は、
「あなたがた男って妙ね。そして、いやだわ」
 おこった、上気した顔でいった。
「なぜ、きたならしいほうが気にいるの? 妙なほうがうれしいの?」
「いや決して、僕は、そういう意味でいったんじゃないんだが――」
「女の友達で、私たちにこんなことをいったひとはいなくてよ」
 伸子は、激しくそういった。すると素子が、かすれの伴ったもち前の声で皮肉に落ちついて、
「まあ心配してくれなくてもようござんすよ。わたしは、ともかく、男が女に惚れるように、女に惚れるんだから……」
「いや、どうも……何だか失敬なようなことになっちまって……」
 その話はそれぎりになった。
 素子が、伸子をはじめて体裁屋といったのは、そのときだった。
「なんだい、ぶこちゃん、どうして、夫婦のように暮しているのによけいな世話をやくなっていってやらないんだ、体裁屋!」
 しかし、伸子は、
「だって……」
 あの男のほのめかしたのは、どんなことだったのだろう。疑いをまだその目の底に湛えて、むしろ訴えるように素子を見あげながら、
「――ちがう……」
といった。
「だからさ。ああいう奴には、ざっぷり冷水をあびせてやるに限るんだよ。二人が暮している以上、いいたいことはいわしとく位の実意がなくてどうするのさ」
 三年前、文学上の先輩である楢崎佐保子のところで、伸子は偶然来あわせた吉見素子に紹介された。素子の小麦色のきめのこまかい棗形の顔や、上まぶたの弓なりに張った眼。縞の着物と羽織とを着て、帯や帯どめに小味な趣味を示していた素子は、日頃友人のすくない伸子に魅力を感じさせた。佃との生活が、破壊の一歩手前まで来ていた伸子には、佐保子から話された素子の一人ぐらしの生活ぶりも、女が主人となって暮している生活として印象ぶかく、羨しく思えた。伸子は、うちに落ちついていられなくなっている心を、単純に、せっかちに素子に繋いだ。散歩だとか小旅行だとかの習慣をもたない伸子は、素子に誘われて日比谷公園で鶴の噴水を見ながら実朝の和歌の話をしたりした。その歌の話から鎌倉へ遊びに行った。そういう時の素子は、女にこんなひとがあるかとおどろくほど主動的で、つれへのいたわりがゆきとどいて、伸子は楽しかった。実朝のうたの話をしていたとき、伸子はどうした拍子か為朝といいまちがえ、二三度そういってから自分で気がついた。
「あら、わたし為朝っていってやしなかったこと?」
 そういって伸子は顔をあかくした。
「どっちだっていいじゃありませんか、わかっているんだから……ちょっとごたついただけですよ」
 そういって素子は、伸子のばつの悪さを救った。
 伸子が、二度と佃の家へはかえらない決心をして、祖母が暮していた東北の田舎の家へ行った。そのとき、おっかけて楢崎佐保子からハガキが来た。吉見さんはそちらではありませんか。もしまだなら、見ていらっしゃい。今にきっと行くでしょう。そういう意味の文句がかかれていた。素子にひかれてゆく自分の感情の性質をしらべようとしていなかった伸子には、その文句のわけがよくわからなかった。なぜ吉見は、この田舎へ来るだろうと、わざわざ佐保子が予言するのか、そして、その予言にどういう意味がふくまれているのか。伸子は、佐保子にしては珍しいハガキと思って見ただけだった。楢崎佐保子は、素子が専門学校の生徒だった頃から知っているのであった。
 吉見素子は、佐保子の予言どおり、やがてその田舎の家へ来た。四五日一緒に伸子と暮した。五月で、夜どおしよしきりが鳴いた。桐の花の咲いている田舎の家の日々は、佃との苦しい葛藤のうちに閉塞されていた二十六歳の伸子の、生活をよろこびたのしみたい慾望を開放した。単調な田舎の一日だのに、素子はおやつをたべるにしてもいろいろ変化をつけ、伸子はそんな場合、お客のようになった。そしてこういう暮しかたもあるかと珍しがった。
 素子が東京へかえり、やがて伸子も動坂へかえって、二人の間には一緒に生活する相談がもち上った。
「ぶこちゃんは、要するに、わたしを方便につかうのさ」
 その頃牛込に住んでいた素子は、下町風の家の二階で、そういった。
「そうかしら……わたしはそう思わないけれども――」
「思わなくったってそうなるさ。佃氏とはなれるのに、今のところわたしがいるのさ。よくわかってる。だから、一時の方便は、ごめんだっていうのさ」
「――わたしが、また誰かと結婚したいと思ってなんかいなくても?」
「――ぶこちゃんには、わたしの心もちなんかわからないんだ。わかりっこありゃしない」
 素子が、わからない、わからない、ということは、かえって伸子にそれがわからなければならないような感情をもたせた。
 素子と暮す話をきめてから、伸子は、二三日佃のところへ戻った。逃げたようなままで離別することは、伸子に心苦しかった。佃に会って、別れる結末をつけて、そして新しく素子と生活しはじめようと思った。けれども佃のところへ行ったら、伸子は又ほだされた。涙を流して生活のやり直しをしようとすすめる佃を拒絶しかねた。佃は、気をかえるためにと、それまで住んでいた家の、前のせまい通りをへだてた向い側の新しい二階家に引越しかけていた。伸子は、自分がそこにこれから住もうとは思わなかったが、佃にたいする最後の思いやりとして、その引越しを手伝った。引越しが終った日の夕方素子の家をたずねた伸子は、
「ああ、さわぎだった! 引越したの」
といいながら、坐った。
「引越し? だれが」
「わたしたちの家」
 素子は、坐り直し、その二つの視線で伸子の顔をハッシとうつようにけわしく、
「だから、この間、いったでしょう。君に私の気持なんてわかりっこないんだ。馬鹿馬鹿しい!」
 眼に涙を浮べた素子は、
「だから女なんていやだ!」
 侮蔑と痛苦とをこめた声でいった。
 素子の苦痛は伸子を畏縮させた。けれども、伸子のこころもちは、ぼうっと広く開いたままで、素子の切迫した激情の焦点に一致するようにしぼりが縮まなかった。そのことに気づいて伸子は一層素子にたいして気がひけた。
「君はよかれあしかれごく自然なひとさ。自然なだけ、ひどいめに会うのは私にきまってるんだ」
 素子は伸子の方を見ないまま、
「いつだったか、いったろう? 私は、男が女を愛すように女を愛すたちだって。――あのとき、ぶこちゃんは、わかったようにあいづちうってたけれど、実際には、いまだってわかってなんかいやしないのさ。わからないのが、佐々伸子さ」
 涙の粒が、素子の小麦色の頬をあとからあとからころがり落ちた。
「私に、ぶこちゃんの自然さがわかるのが、百年目だ」
 伸子も泣いた。素子の苦しさがせつなく、自分が素子をそんなにせつない思いにさせた、それが苦しくて。――素子の手を自分の頬にもち添えて泣きながら、伸子は、それでもやっぱり自分の心が素子と同じ皿の上の同じ焔とはなっていないのを感じた。素子に誠実であろうとしている自分の心の偽わりなさは伸子にわかった。素子にもそれは通じている。それもわかった。しかし素子は、女はだからいやだ、とそんなに苦しむ。そのいやさを、伸子は自分の感情として自分に実感することが出来なかった。どっさりの黒い髪を頸の上につかね、小麦肌色の顔を苦しさに蒼ずまして伸子に向っておこる。その素子にわるい、と思う気もちばかりつよく感じられるのであった。
 素子と伸子との感情生活は、独特な一つのかたちであった。素子にたいして、誠実であろうとする伸子の一般的なこころもちと、素子に、つよく意識されている伸子への傾注。それを理解し、自分たちの愛として素子のその心を傷つけまいとする伸子の従順さなどが、それであった。伸子には、二人の女の生活にある矛盾や混淆こんこうが、客観的にどういうものとして見られるかということはわかっていなかった。わからないままに、自分たちの生活から何かを覗き出そうとするような外部のいやしい興味に抵抗した。
 伸子は竹村に対して、特殊の感情はなかった。よしんば竹村が、伸子にわかるような感情表現をしたとしても、伸子はそれで動けただろうか? この間、温室を見に行ったとき、夕飯の仕度をしながら、竹村と素子が手のことを話したときの微妙な感情の流れ、そこにも伸子は、自分の居場所から動けない自分の心を直感した。夕飯のあと、竹村は伸子に編物をするか、ときいた。
「なぜ?」
 素子がきいた。
「いや、うちの奴は実にそういうことはしなかったからさ……女のひとなら、だれだって、編物ぐらいするのが普通だろう?」
 竹村は、身辺に求めているうるおいのある情景の一つというようにそれをいった。伸子は、
「わたしも駄目なくちよ」
 ぶっきら棒に答えた。伸子はそのとき、ああ、竹村も編物について佃と同じことをいうと瞳をこらすようにして思った。佃との生活の不調和がつのって、何事も手につかないような気持になって来た時分、佃の父親が上京した。伸子は二人の間のもつれを、白髯はくぜんのたれた七十近い老人に知らせるのを気の毒に思った。一つ燈の下に、老父と佃と三人で、話という話もなく、毎晩をすごす気づまりから、伸子は編物を思いついた。伸子は、少女の頃、桃色の毛糸で円いきんちゃくを編んだきり、編物をしたことがなくて、二本の竹針ではうら編みしか出来なかった。それにかまわず、いろいろな色の毛糸を買って来て、伸子は老父の滞在中、毎晩編物をした。編目がじきのびて、みっともなくなってしまうにちがいない裏あみばかりで、義理の姪に当る小さい娘のために、九つほどの息子のために、赤と茶の頸巻きをあみ、霜ふりの太い糸で老父の腹まきを編んだ。竹のすべっこい針の先と先とが電燈に光りながら、弾力のあるかたさでぶつかりながら糸目をすくいだして来る軽い微かな響、こまかく早く単調な手さきの運動。伸子は、編むひとめひとめに、まぎらしようのない心の憂さと屈託とを編みこんでいるのであった。だけれども、佃は、激しい言葉をいわなくなって、手もつけない本棚の下で、赤い毛糸の玉をころがしながら編んでいる伸子の姿をよろこんだ。家庭生活ホーム・ライフらしい。そして家庭的ホーム・ライクなときの伸子は美しい、とほめた。ほめことばは、編みものの上に伸子の涙をおとさせた。
 伸子は、素子に、その話をした。
「だからね。わたしの場合一人一人の道具立てのちがいだけが問題じゃないのに……いくら違ったように見えても、男のひとたちの考えかたのなかには、どっか同じようなところがあるわ。そこがわたしには問題だのに」
「それゃわかってる。――ぶこちゃんとしては、ほんとにそうなのさ。それに関係なく私は不愉快だよ。私が女だもんだから、こんなにして暮している心持の真実を無視する権利が、男の自分にあるようにうぬぼれてやがる、そこがいやなんだ」
「対等に考える必要なんかないのに」
「私は、ぶこちゃんに都合のいい範囲で仕事をたすけてやって、都合のいい範囲で利用されて、おまけに虚栄心まで満足させるような、そんな便利な愛情なんか持てないんだ」
 竹村は、そんなことがあってから伸子たちの家へ遊びに来なくなった。伸子は、竹村が来ることに特別な心持をもっていたわけではなかったが、素子の感情から彼が来なくなったとなると、来なくなったという面から竹村への意識がしばらくの間めざまされた。
 伸子が素子と暮して小説をかき出したように、素子は、自分にもいい生活のはじまった記念のためにと、大部な翻訳に着手していた。傷つけられることに対して余り鋭敏な素子の感情が、そういうきっかけから、のびのびと確信をもつように、と伸子はねがった。二人の生活のうちに二人の女がそれぞれの発展を示して、豊富に充実して生きてゆけたら、素子が自分の感情傾向が特殊だという自意識から、わざとその面を固執したり、誇張している、そんないつも抵抗しているような神経のくばりがどこに必要だろう。伸子の感じからあからさまにいえば、それらはケチくささであった。伸子にはそのけちくささを自分たちの生活に含むことをきらう、つよい感覚があった。それは虚栄心というものだろうか。伸子を体裁屋と、いいきれることなのだろうか。――
 伸子を折にふれて真剣に考えこませる問題があった。それは自分たちの今の生活が、はたして、本当に新しい意味をもった暮しぶりであるのだろうか、という疑いであった。小説を書くということについても。たしかに伸子はいくらか小説を書きなれた。そのために発表の場面は不足せず、経済的にも小規模の安定がたもてた。書き終った長篇小説は、それとして伸子の人生を一歩前進させた。けれども、その長篇をかき終ったことで到達した境地からは、伸子は、また歩みぬけてゆくために必要な活力は、二人の日々に動いていないことを、伸子はぼんやりと、感じはじめていた。そして、その不安は段々ごまかしにくくなっている。素子の発案で、日々に何かの変化があっても、それは同じ平面上での、あれ、これの変化にすぎない。素子が何か気のかわることを計画するとき、同じ平面で動いているにすぎないという感じは、かえって伸子ののどもとに苦しくこみあげた。
 要するに夏になれば鎌倉に粗末な家でもかりて、そっちへ仕事をしにゆくとか、ナジモ※(濁点付き片仮名「ワ」、1-7-82)の「椿姫」を見のがさず、日本橋でうまいさわらの白味噌づけを買い、はしらとわさびの小皿と並べて食卓を賑わすとか。素子はそういうことによく気がつき、それをやかましくいい、又たのしみ、生活の価値の幾分を見出しているようであった。素子が細々とそういう細目で毎日をみたしてゆくとき、伸子は受け身にそれに応じながら、素子は、こんなことで生活が充実するように思っているのではないか、と不安になって来るのであった。
 一つ一つの日に変化があるようでも、実はその変化そのものが単調なくりかえしだと感じられる時があった。その単調さの感じと、伸子が、自分の小説は一つ地盤の上の、あれこれに過ぎないと不安をもって自覚しはじめた時期は一致していて、平らな池の底におこった渦のようなその感覚は、笑っている伸子の笑いの底に、素子の関西風な献立で御飯をたべている伸子の心の奥に、音をたてずにひろがり、つよくなりまさった。
 いま二人で営まれているこの生活は、佃が妻である伸子との生活に求めた平凡な日々と、どれほどちがっているだろうか。伸子にとって、それは辛辣な自分への質問であった。佃は男で、そして良人であるということから、彼との生活にはいつも溌剌として、生きるよろこびの溢れた感動を要求し、この生活は、自分でもっているものだから、同じ凡庸さでも意味ありげに自分に感じようとしているのではないだろうか。蕗子がこの間来て、友達の就職の相談があったあと、伸子がいい出した、婦人の一応の経済的独立の、そのさきにある目的についての疑問も、伸子の実感には、きのうきょうでない根をもっていることなのであった。
 それに、素子は、女のひとにたいする自分の感情のかたよりを枢軸に自分の人生が動いているように思っている。しかし、そのことについても疑問があった。日常生活での素子は、伸子より遙かに常識にたけていた。世間なみの日々のさしくりを忘れず、二人の収入から集金貯金をかけているのも素子であった。義理がたく、律気であり、人のつきあいに真情を大事にした。それらは、どれ一つをとっても最も普通であった。女のひとに対してもつ感情のうちの、分量としては小さい特殊さを、素子は男への反撥のつよさで誇大して、自分からそこにはまりこんでいるのではないだろうか。
 伸子とは二つ三つしか年上でない素子の二十前後の時代は「青鞜」の末期であった。女子大学の生徒だの、文学愛好の若い女のひとたちの間に、マントを着てセルの袴をはく風俗がはやった。とともに煙草をのんだり酒をのんだりすることに女性の解放を示そうとした気風があった。二つ三つのちがいではあったが、そのころまだ少女期にいた伸子は、おどろきに目を大きくして、男のように吉という字のつくペンネームで有名であった「青鞜」の仲間の一人の、セルの袴にマントを羽織った背の高い姿を眺めた。その女のひとは、小石川のある電車の終点にたっていた。
 互の誠意の問題としていい出されることであっても、伸子の女の感情にとって、それはありふれた小心な男のいうことと同じだと映るような場合、伸子は悲しく、そして容赦なく、自分たちのまねごとじみた生活の矛盾を感じた。素子が、男性への反撥で、皮相的に女らしくなくなっていながら、一方で、平凡な男が女に向ける古い感覚に追随しているのだったら、女が一組となって暮す新しい意味は、どこにあるだろう。
 こういういろいろの心持を、伸子は素子と率直に話せなかった。伸子には、そのいろいろな心持の内容がまだ十分自分にも見わけられていなかった。それに伸子は日頃の生活のならわしから、素子が激怒するのがこわかった。女はだからいやだ、という伸子にとって実感しにくい、素子の噴火口が、そこに火焔をふき出すことをおそれるのであった。

        十

 婦人欄を早くから設けていることが特色とされているある新聞社が、中国から来た女学生の日本見学団を招待して茶話会を催した。日本側の婦人が幾人か招かれたなかに伸子も加えられた。
 あまり会へ出るようなことのない伸子は、中国からの女子学生団というところに心をひかれた。アメリカの大学附属の寄宿舎暮しをしていた間、伸子は中国女学生の集団的な行動と、中国の実情を外国に知らそうとする熱心さにうたれた。同じ寄宿舎に生活していた数人の中国女学生が、余興つきの「中国の夕べ」を催したりするとき、彼女たちの活動ぶりは、中国女性のつよさと、政治的な力量のようなものを伸子に印象づけた。そういう中国の若い女性たちが、観察のために眼と心とを鋭くひらいて東京へ来て、どんな発見をしているだろう。伸子が女学校を卒業してから、一学期だけ通った女子大学の英文科の予科のクラスにも、崔さんとかいう名だった中国の女学生がいた。その崔さんは、むくんだような顔色の上に古風なひさし髪を結い、めいせんの日本服にエビ茶の袴をはいていた。纏足てんそくした小さな足で不自由そうに歩いた。教室の一番うしろの席にいて、伸子は崔さんを見るたびに、彼女をなにかなぐさめてやりたい気持になった。伸子がそんな気分にうごかされるように、崔さんの沈んだ顔色や言葉も足も不自由な姿には漠然とした満たされない感じがただよっていた。日本の生活が中国の留学生にとって愉快なものでないことは、そのころの伸子にもわかっていた。彼らを愉快でなく暮させている日本へ来て、中国の女学生はどんな感想をもっただろう。伸子はそれが知りたい気持だった。
 午後一時という定刻に、伸子はその新聞社へ行った。茶話会は、会議室でもたれることになっていた。麻のカヴァーをかけた長椅子だのソファーだのが壁ぎわにおいてある。室の中央に長い会議用テーブルがあり、伸子が入って行ったときは、もうそのまわりに十六七人の女学生と背広をつけた三人の男の引率者とがかけていた。伸子の知らない教育家らしい風采の中年の日本婦人が二人来ていた。伸子は、そのとなりの席へ案内された。
 茶話会というからには主催者が一座のものを紹介して、通訳をとおしてながらもくつろいだ話が出来るのだろうといくらか楽しみをもって期待して来た伸子は、何を標準にしているのかとにかくきまりすぎた席次やその室の気分を意外に感じた。お客になって椅子に並んでいる女学生たちは、みんな黒い髪を肩までのおかっぱにしてきり下げ、支那服を着て、きわめて行儀よく並んでいる。どの顔も素顔で、浅黒く、いかにも師範の女学生らしい簡素さである。動かない彼女たちの姿勢と表情のうちで、きつい黒い瞳ばかりがいちように好奇心をあらわして、伸子たち少数の日本婦人の上に注がれている。その席には、日本流の窮屈さがあり、またその上に古い中国の長幼の序とでもいう風な礼儀の窮屈さも加っているようであった。長テーブルの中央にはひとはちの盛花があって桃色のヒヤシンスが匂っていた。
 なんとなし手もちぶさたな時がすぎて、やがて日本側の主賓であるある評論家が入って来た。縞のズボンに黒い上衣をつけ、背の高いからだに、伸子が写真で見なれた顎のはった顔と、ぴったり真中からわけられた灰色っぽい髪がある。
「やあ、どうもおそくなりまして……よそからまわって来たもんですから……」
「いえ、どうぞこちらへ」
 その評論家は、長テーブルの上座にあけておかれた席にかけた。
 司会者であるその新聞の婦人欄の記者が立って、挨拶をした。新しい中国の教育のために活動しようとしている女性たちの希望ある前途を祝福する意味での小さい集りとして、話した。それを、黒背広をきた小柄な引率者の一人が中国の言葉にうつして女学生につたえた。女学生たちは、うなずくように濃い黒いおかっぱを動かし、幾分椅子の上でのり出した。
「では、これから早川先生の御話を願いたいと思います」
 記者は、上座に向ってちょっとお辞儀をした。早川閑次郎が起立した。そして、服のポケットに右手のさきを浅く入れ、講演になれた態度で、微笑をふくみながら話し出した。伸子も、おとなしく耳かくしとよばれる髪に結っている頭をそちらに向けた。猫好きで有名な独身生活者で、綜合雑誌へ皮肉と進歩性のまじった論文、雑文をかくこの評論家は、どういう思想のおくりものを、これらの中国女学生たちに与えようとしているのだろう。そのころ中国の社会は、日本よりも急激に変化していて、女性の政治的なめざめも注目されていた。そういう空気の中から来ている中国の若い女性へのおくりものは、同じ時代に生きる女であるということから伸子たち居合わせる日本の婦人たちにとってもおくりものとなるわけだった。
「あなたがたのお国には、孔子という哲学者がいました。そして、儒教という非常に優秀な道徳を鼓吹して、日本も何百年という間、そのおかげをこうむって来ています」
 通訳をしなければならない黒背広の小柄な人は、せっせと筆記している。伸子は、早川閑次郎らしい逆説的な冒頭だと思った。
「この優秀な孔子の道徳は、女子の生活方向というものをきわめて明瞭に示して来ています。非常に具体的に親切に教えている。男女七歳にして席を同じゅうすべからず、とか、女子と小人は養いがたしとか、そのほかまあ、いろいろ有益なことを教えています」
 筆記している小柄の人は、少しけげんそうな表情でちらっと目をあげて、早川閑次郎の方を見た。腕ぐみをして、うなだれていた司会者も、顔をもたげて、話し手に注目しはじめた。
「ところが、近頃、中国の若い人々、とくに若い婦人は、この結構な孔子の道徳に対して反抗しておられるようです。盛んに男女同権を主張しておられます。ですが、どうも私の考えるところでは、反対する方が間違っているし、結局のところ女の不幸になると思うんです。女子と小人――つまり、女や、まあ一般に余りもののよくわからない人間は、皆しっかりした男にたよって安全に生かして貰ってゆくべし、それでいいというのは、女にとって実に幸福なことじゃありませんか。日本へ来てみられておわかりでしょうが、日本は今失業が多くて男は皆へこたれています。しかし、男に養って貰う女は、何とかして男がやしなってくれるから、そんな男のような苦労をする必要がない。男尊女卑ということは、女の楽園、パラダイスだと思うんです。皆さんも、折角教育をうけ、教育者として活動しようとしておられるんですから、このところをよく考えて、下らない新しがりはおやめになるのが賢明であると思います」
 ほとんどあっけなく早川閑次郎の話は終った。日本語のわかるものの顔には、彼の話の真意をなんと解していいのかわからない、ばかにされたような期待はずれの感情がみなぎった。
 伸子はあきたりない思いをもってきいているうちに、だんだん不愉快になった。猫が、犬のように飼主にこびず、ある意味での親愛感や共感なしに、冷然と飼われているそのエゴイズムが面白い、と書いているこの評論家は、この話で、皮肉な逆説として、男を食う女になって、男尊女卑を現実で裏がえしにしてやれ、といおうとしているらしく思えた。けれども、彼のひとひねりしたそういう話しぶりは、一般のききてに通用しないものだし、まして彼の論法はひたむきな向上心と観察欲にもえてここへも出席して来ている中国の女学生たちのこころにふれるものではない。伸子は、この評論家が、何につけても、これまで在るものをただそのまま裏がえしにしてしゃべるしか能のないことをおどろいて、気持わるく発見した。女が、自分の人生の道をもちたいと願っている心、中国の女学生が国の独立のために役だとうと決心している心は、こんな風なよそよそしい、有名人の持芸で、何ものを加えられるというのだろう。伸子は、年長者としての親切のない態度へのおどろきと自分の機智に満足している有名さへの軽蔑で、本来は素朴で好意的であるべき会に主賓となっている評論家を見つめた。
 黒服の小柄の人が立って、ノートを見ながら早川閑次郎の話を丁寧に通訳した。伸子がきいていると、通訳者の丁寧な通訳ぶりそのものに、ひそめられているある感情がうけとれた。通訳の半ばから、女学生たちの群の上にはっきり動揺があらわれた。一人の茶っぽい服を着た女学生が自分の席から、
「シェンション」
と呼んで手をあげた。通訳の人は、ノートを見ながら抑揚のつよい中国語で話しつづけ、左手のてのひらでその女学生の発言を柔らかくおさえるようにしながら、しまいまで通訳した。
「シェンション!」
「シェンション!」
「シェンション!」
 その声々は、伸子の動悸をたかめる響きを持っていた。中国の女学生たちのせきこんだ感情が実感された。おっしゃい! どんどんおっしゃい! 伸子は、眼をきらめかせて、手をあげている中国女学生たちを見た。
「はい」
 茶色っぽい服をきた、ほっそりした体つきの女学生が指された。通訳の終るのをまちきれずに「シェンション」と鋭く呼んだ女学生であった。席から立つと、その女学生は、おかっぱを頬からふりさばこうとするようにきつく頭をひとふりして、
「早川先生!」
と、ハヤカワという姓だけ日本語で呼びかけた。そしてぴったり自分のからだを、講師の方へ向けた。そして、激怒した口調の中国語で、たたみかけ、たたみかけして話した。二度ほど間に「早川シェンション」とよびかけながら。
 黒服の小柄の人が、その内容を日本語にしてつたえた。が、その通訳は、じかに耳できき、その若い声の抑揚から激情が感じられた話の調子にしては、ひどく内容が簡単につたえられたようだった。私たち中国の若い教育者は、真に故国を文明国とし、人民を幸福にしたいと希望している。早川先生の孔子に対する見解は、私たち中国の若いものが孔子を見ている見かたと正反対であります。孔子と儒教は、中国の女を不幸にし、若いものを老人の圧迫の下においている。恐らく日本でもそうでしょう。先生の御意見には反対です。そういう意味がつたえられた。そういう言葉は伸子に同感されるものだった。
「シェンション!」
という呼び声が、いろいろの若い女の声でほとばしるようにおこったときから、早川閑次郎は顎骨の張った面長な顔に、優越的な微笑をただよわせながらみんなを眺めていた。女学生の反駁をつたえられると、その表情は一層濃くなって、その顔つきはほとんど面白がっているようになった。早川閑次郎は、ふたたびゆっくり立ち上って話しはじめた。
「あなたがたが、お国の人の幸福のために熱心に努力なさるのは何よりです。私は十分皆さんの誠意に敬意を払います。しかし、文明といい、人智の啓発ということは、ものごとを複雑に理解する能力です。私は、あなたがたが、誠意の上に加えて、諷刺を理解する力をもたれることを希望します」
 それは、また小柄な黒服の人によって通訳された。論争の中心点をそらした返答をうけて、女学生たちはしばらく沈黙した。やがて灰色っぽい綾織の服をきた、すこし年かさらしい一人の女学生が立って、努力して感情をおさえながら、自分たちが、中国を独立した文明国にしたいと願う心、民族を向上させたいと思っているこころは、諷刺の問題ではないと思う、といった。しかし、彼女はそれから先へ話を展開してゆくことが出来なくて、着席した。
 一座には重苦しさと、とらえどころのない不服・不満がみなぎった。
 中国女学生たちは、はじめはひそひそと自分のとなりの仲間と話しはじめ、やがて次第にその声がたかまって、しまいには一人おいた先の仲間の言葉にまで、日本語だったら、いま、なんていったの? とでもいうらしく、互におかっぱの頭をのり出さして討論をはじめた。
 司会者側は、こんな結果になろうとは予想もしていなかったらしく、とりいそいだ様子で小声にうちあわせ、またそれを黒服の小柄の人につたえ、すぐつづけて日本側からの婦人に挨拶して貰うことになった。
 伸子の初対面だったある女学校長が、日本と中国の友誼と文化の協力について、もとから印刷されているような言葉をのべた。もう一人、婦人運動にしたがっている婦人の話があり、その人は、それぞれの国の貴重な伝統を新しい生活の中へ新しい形で生かしてゆくべきである、という意味のことをいった。
 伸子の気持には、早川閑次郎の話しかたにたいして、激しい反駁がうずまいていて、もし万一、指名されたら、この気持をどう話したらいいのだろうかと、不安だった。
 三年ばかり前、大戦後のヨーロッパで有名であったアンリ・バルビュスの小説「クラルテ」が翻訳されたとき、その出版記念会があって、伸子も招かれた。その夜、フランス文学者である松江喬吉がテーブル・スピーチをした。翻訳という仕事は女性にふさわしい仕事だから、日本にもこれから優秀な婦人の翻訳家が出ることを希望する、という趣旨であった。そこに伸子の名もふれられた。司会者が、伸子に、それに答えるテーブル・スピーチをもとめた。なに心なく帯どめから白いナプキンをひろげたまま松江喬吉の話をきいていた伸子は狼狽した。話をききながら伸子は、自分は翻訳は出来ないし、したくない、そうはっきり思っていたのだった。生れてはじめてテーブル・スピーチに立たされた伸子は、上気して、人々の顔の見わけもつかなくなり、会場一面が明るくきらつき、花の色が赤や桃色に流れて目に映るばかりであった。伸子はやっと、小さい声でいった。翻訳はたしかに女性むきの仕事だともいえるけれども、女として、ひとのした仕事を、別の国の言葉に移すだけが、一番ふさわしい能力だときめられることは悲しいと思う。翻訳を立派にする人も出なければならないが、自分の仕事をする婦人も、もっともっと出なければならないと思う、と。もっと大きな声で願います、といわれながらやっとそれだけいったときの、のぼせたせつなさを思って、今も、伸子はわきの下がしっとりとするのであった。
 いいあんばいに司会者は、伸子を指名しなかった。日本側の婦人客が話し出してから、中国女学生たちは、礼儀上しずかになって、その話をきいた。が、一座には、親睦の雰囲気は最後までかもし出されなかった。伸子が不服をもったこころを胸にたたんでいるとおり、中国女学生たちの顔々には、なんのための会だったのかといぶかしがり、不満がっている表情がありありと浮んでいた。挨拶が終ると、またすぐ中国女学生たちは仲間で話し出し、それは批判的な内容であることが、言葉のニュアンスや顔つきで、伸子にも感じられた。一九二七年というその年の二月末には上海の大ストライキがあった。その結果臨時革命委員会というものができて上海市の政治が中国労働者によって行われはじめた。その新聞記事を、伸子は目をみはってよんだ。北伐軍が南京で日本の陸戦隊と衝突し、漢口でも同じようなことがおこった。間もなく蒋介石の弾圧がはじまって、上海、広東その他で革命的な指導者や大衆が多量的に虐殺された。虐殺された民衆のなかには革命的な女学生もあることを、伸子はやはり新聞でよんで知っていた。官費で勉強している師範学校の女学生たちであるきょうの中国女学生たちは、そういう激しい中国の動きにどういう関心をもっているかはわからない。けれども激動する中国の空気はこれらの若い女学生の精神を敏感にしていることだけはたしかだった。彼女たちが、孔子の話に腹立つ感情は伸子にも実感されるのだった。
 散会となったとき、中国女学生たちのほとんど一人も早川閑次郎の方はかえりみず、互にしゃべりながら椅子から立ちあがり、街路を見下すその室の窓際へそのまま自分たちでかたまった。

        十一

 なぐさまない心持で、伸子はその新聞社の正面石段を一人で下りて来た。プラタナスの並木路をすこし歩いて、上野ゆきの電車にのった。市中へ出たついでに、動坂へよって泊ろうと思うのであった。
 伸子のかけた座席はあいにく西日に向った側だった。ぎらついた光線は、電車の走ってゆく大通りの高いビルディングの前にさしかかった時だけはさえぎられ、またたちまち町並のすき間から、低い瓦の屋根屋根の上から、伸子の顔の真正面にきつくてりつけた。落ちつかない気持で顔をそむけながらのってゆくうちに、伸子は何年もの昔、まだ十六七だった自分が、やっぱりこういう焦立たしい西日を顔にうけながら、牛込のある町を女中と一緒に歩いていたときのことを思い出した。
 それはまだあかるい夏の夕方であった。酒屋の店さきなどに打ち水がされている牛込のせまい通りを、白地に秋草の染めだされた真岡の単衣ひとえを着て、板じめちりめんの赤い帯をしめ、白足袋をはいた伸子が歩いていた。伸子の父の年下の友人で、稲田信一という建築家があった。その人は、江戸ッ子ということを誇りにしていた。角ばって苦みばしり、眼のきつい顔に、いくらかそっ歯で、せまい額の上に髪を粋な角刈めいた形にしている人であった。牛込に住んでいた。そこへ使いにやらされた。
 母が大きく結んでくれた赤い帯に、こわばった真岡木綿の単衣、うしろにすこしはねのあがった白足袋という自分の身なりに、伸子は本能的な気に入らなさ、野暮くささを感じながら、その感じで神経質になりながら、行儀よく、若い娘のぎごちなさで、稲田の客室に通された。切下げの老母が出ての、そつのない応待に、伸子は、いいえとか、そうでございます、とか短く答えた。
 泰造への返事の手紙を書き終ると、稲田は伸子に珍しい写真画集を見せた。世界名画の中から、婦人画家の作品ばかりを集めたものであった。伸子はよろこんで、
「あら、ロザ・ボンヌール!」
「馬市」を見出して顔をかがやかした。父のもっている色刷りの名画集で、伸子は「馬市」を見て覚えていたのであった。その本には、ボンヌールのほかにマリ・バシキルツェフとかイギリスの婦人肖像画家とか伸子の知らないたくさんの婦人画家の傑作が集められていた。
「面白いですか」
「面白いわ、こんなに大勢女のひとの絵かきがいたのね」
 稲田はぴたっとした坐りかたで、煙草をふかしながら、一枚一枚と頁をくっている伸子を眺めていた。やがて、
「伸子さん、その本あげましょうか」
といった。
「ほんと?」
「あげますよ。僕にはどうせいらないもんだから……。たかが女の絵かきなんて、どうせたいしたことはないんだからハハハハ」
 伸子は、涙ぐむほど、傷つけられた。熱心に見ていたよろこびが嘲弄されたように感じられ、ぎごちない娘である自分がそれをよろこんでいることが恥しめられたように感じた。そんなに思っている本なんか、ちっとも貰いたくない。むきにそう思った。けれども、そのままを言葉に出してことわることも出来なくて、その分厚い本を女中にもってもらって帰って来た。そして、もう二度と稲田のとこへなんか行かないと心にきめた。この建築家は後に、有名な赤坂の芸者であったひとを細君にした。
 今になって大人の女となった伸子として思えば、それは、稲田の毒舌と知人の間になりひびいていたその人のいいそうなことであったし、稲田の都会人らしいてらいや弱気のあらわれとも考えられた。しかし、一人前の男が、十六七の小娘にどうしてそんな態度をとらなければならなかっただろう。自由主義の評論家として大家の扱いをうけている早川閑次郎が、きょうの茶話会で中国女学生たちに話した話しぶりも思いあわされた。
 稲田信一や早川閑次郎の女に対しての毒舌と辛辣さは、結局裏がえされたフェミニズムの一種だということは、ちかごろは伸子にも理解される。けれども、男のそういう態度ポーズはやっぱり伸子に若い女としての反撥をおこさせた。その人々のフェミニズムが裏がえしになっていることには、社会的に個人的にいろいろいりくんだわけがあるはずだった。丁度素子が男みたいになったことには親たちの結婚生活のかくれた悲劇が裏づけになっているように。そういう点につっこんでゆけば、機智や毒舌で片づかないものがあり、そしてそれこそ人間らしいあれこれであるのに、それを掘りかえす勇気はなくて、相対的に――女に向って、優越めいた逆説をたのしんでいる種類の男を、伸子はいやだった。彼らの毒舌や逆説で、くやしがる若い女の声や態度は、彼らをたのしませるのだ。そうわかっていても、やっぱりくやしいことはくやしいし腹が立つことは腹がたつ。――
 上野の五重の塔のいただきが森の上に見はらせる坂をゆっくりのぼって、伸子は同じ歩調でしずかな道をいそがず歩き、動坂の家の門をはいった。伸子は何となし視線をおとして門から玄関までの細くて奥のふかい石じき道を歩いていて、おや、と意外なものを見つけたように足をとめた。門を入って数歩のその足もとに大きい花の形にきられた石が、はめこまれていたのにはじめて目がとまった。五つの花弁の先はまるくコスモスの花に似た模様に石がはめこまれている。伸子は、その発見を非常にびっくりした。というのは、この石じき道ができたのは、もう数年前のことであり、伸子はそれから幾百度ここを通ったかしれないのに。――足もともそぞろに、せわしくこの家を出入りしていた自分の生活の姿が、まざまざと映しだされて、伸子は悲しく、すまなかったと思った。伸子はしばらくそこにたたずんで足もとの花をながめていた。石ではめこまれた花は石らしく素朴で、同時に、石をそういう花の形にはめているというところに人の心のおもしろさがある。伸子は、しばらく眺めていてから、いままで目にも入れずに暮して来たことをあやまる心持で、特別にそっとその花の形の石じきの上を草履でふんで奥へ歩いて行った。
 車庫の扉があいて車がはいっている。玄関にはもう灯がついている。伸子は、小走りになって重いガラス戸をあけた。これらは、みんないい前兆である。父の泰造がもう帰って来ているというしるしである。玄関の靴ぬぎ石の上に一足靴が揃えられてあった。お客様かしら、そう思いながら、どんどん入って食堂の入口へ行った。ドアはあいていて、出窓の白いレースが涼しく見えている。案の定、泰造が、セルのふだん着の腰にゆるく兵児帯をまきつけた形で煖炉を背にしたテーブルのきまりのところに坐り、巻紙を片手にもって、手紙をかいていた。伸子は、
「お父様!」
 からだじゅうでよろこびをあらわしながら、廊下のところで、わざとトンと白足袋の足を鳴らした。泰造は六分どおり白い髭のある丸顔を、びっくりしたようにふり向けた。
「おや、よく来ましたね。さあこっちへおいで」
 伸子は、父の坐っている座蒲団のはしに膝をつけるようにして坐った。
「どうなすった? お父様。この間、お誕生日にわざわざ花をもって来たのに――。黙って出張なんかなさるんだもの」
 この間といっても、あのときからきょうまでには、もう二十日ばかり経っていた。
「うむ、あのときはね、急だったんでね」
「お帰りになったとき、まだバラがあった?」
 泰造は、水牛の角でこしらえたトカゲの形の紙切りで巻紙をきりながら、
「あったようだよ」
 そういうものの、はっきりとは思い出せないで、多忙な人らしいうっかりした調子で答えた。花から、伸子は、今ふんで来た石の花形を思い出した。
「門の石じきの模様ね、あれ、お父様がデザインなすったの」
「そうだよ」
「花の形を、あすこへ入れることも?」
「――いいだろう? 気に入りましたか?」
 柿模様の火鉢のよこに、ついの小抽斗ひきだしがついている。手をのばしてそこから封筒を出しながら、泰造がいった。
「門を入ると、花がある――わるくないだろう?」
 門を入って来る幾人のひとが、花をそこに散らしたこころをくむだろう。伸子は、自分までが今になってそれに気がついたとは、いいかねた。
「きょう、どうかなすったの? 珍しくお早いのね」
「ああ、腹をこわしてね、よるはことわって帰って来てしまったのさ」
「よかったわ」
 心から伸子はそういった。泰造が晩飯にいあわすことは月に数えるしかなく、そのときに伸子が来合わすことはさらに稀なことであった。
「お母様は?――お出かけ?」
「客だ」
 ぶっきら棒にいって、泰造は手紙を出させるためにベルをおした。
 六月の夕暮のうす明りが、出窓のレース越しに、植込みの青葉に残っている。落着いた深紅色の地に唐草模様のついた壁紙がはられた室内には灯がついていて、食器棚の深彫りを浮き立たせ、同時にこの食堂の意味のわからない独特な特徴である雑多な罐や箱のつみかさねを、隅の方で目立たせている。
 急に廊下ごしの客室のドアがあいて多計代が出て来た。
「こんにちは」
という伸子に、
「おや」
 目を向けたきりで多計代は、
「あなた」
 坐っている泰造のむかい側にまわった。
「ちょっとお会いんなって下さい。さっきから申上げているのに」
 泰造は返辞をしないで、新しい来信の封を鋏で切っている。その泰造の鼻の穴はふくらんでみえる。伸子は父が癇癪をおこしたことを知った。
「何でもないことじゃありませんか、ちょっと顔を出して下さるぐらい――保だって世話になっているのに……」
 伸子は、眼をそらした。白いレースの夜の窓がそこにある。苦しく心がひきしぼられた。また越智が来ているのだ。――
 挽茶ひきちゃのような淡い緑のちりめんの単衣羽織をきた多計代は立ったまま、いらだつように、
「いつもあなたは御自分のつきあいはあんなに大事になさるくせに――紳士ジェントルマンというのは、そういうもんじゃないでしょう」
 泰造の顔に、さっと血のけがのぼった。鋏を乱暴にテーブルの上へおきながら、
「俺はジェントルマンでなくていいんだ」
 めったにない激しい調子でいった。
「俺は会わない。会うもんか。あんな家庭の侵入者に、俺が会う必要なんか絶対にない」
 多計代の顔の上に困惑が現われた。
「そんな乱暴なことおっしゃって、私が困るばっかりじゃありませんか。せっかくお目にかかって御挨拶したいっていっていなさるのに」
「何の挨拶だ! この間のざまは何だ。人を愚弄して。ああいうつきあい法というものはありませんよ。会わなくて気に入らないなら幸だ。さっさと、今、すぐ、帰って貰おう」
 威圧されたように多計代は黙った。やがて、ゆっくり歩いて客室のところに行ってハンドルに手をかけ、うす緑の羽織姿を半ば消しかけたとき、泰造が大きな声を出してこちらの食堂からどなった。
「今後も決して会わん。すぐ帰って貰おう!」
 泰造はそばに動かずにいる伸子の方をみず、血の色ののぼった髭の白い顔をがんこに書類にむけている。その横顔が伸子の目の前にあった。その父の耳のなかの小さくとがったところに黒い毛がもしゃもしゃ生えている。伸子は、涙が浮んだ。日頃つづいていたにちがいない父の不快さや、こういう腹立ちの爆発のしかたに同情がもてた。みっともないと思えなかった。理づめな物言いの出来ない父、そして、面と向った対人関係では気のよわい父には、せっぱつまるとこういう爆発をするしかない気質がある。伸子にそれがよくわかった。
 伸子は、そっと立って、洗面所へ行った。ハンカチーフで涙を拭いたあとの顔を、そこの壁につけてある鏡にうつした。人の心のなごまるようにと、この家の門の石じきには花の形がちりばめてあるのに。――
 流しの前に、木の椅子がおいてある。ひっくりかえすと踏台になる椅子だった。伸子が小さかった時から、その椅子はそこにある。伸子はニスのはげかかっているその上にかけた。こういう風にして、母がかけていて、そのわきに娘の伸子が立っていたことがよくあった。夜中に母が何か父と衝突して、涙をこぼしながら下りて来てここにかけていたとき。また、もっと小さかった伸子が、錦輝館の泰西大名画という映画につれて行って貰おうとして、ともかく身じまいをはじめて母の気がきまるのを、辛抱しながらこの椅子にかけている母の横に立って待っていたとき。いま伸子は、ふと一つのことを想い出した。
 何年か前、知人の細君で日野さよ子というアメリカ帰りの女が、佐々の家へ出入りしたことがあった。どういうわけだったか良人は日本にのこっていて、細君だけがアメリカへ行き料理の勉強をして帰って来た。小柄な、いくらか蓮葉で愛嬌のいいそのひとが、動坂のうちへも来て料理を教えてくれるということになった。もうその時伸子は佃と結婚していて、赤坂の方に住んでいた。あるとき、来てみると、母がしきりに父をからかって、
「ほんとに、どうなすったのかと思ったよ。お父様ったら、今出たばかりのお風呂に、また飛びこみなさるんだもの」
 伸子にそういった。
「そんなことはないっていってるじゃないか」
「いいえ、おかくしになったって駄目ですよ」
 日野さよ子が来たと聞いたら、泰造が、そうか、というなり、さっき帰ったときにもう入浴をすました風呂へまたとび込んだ、というのであった。伸子は、半信半疑で、変な話だと思ってきいた。母が、はしゃぐようにしてくりかえしていうほどおかしくもなかった。
 伸子はそのときのことを、母の不自然なほど陽気だった笑い声までつれて思い出した。そして、父はいま越智に対して、どなりつけた。――夫婦の生活というもの、男と女との生活というものが、父母という関係から引きはなれて伸子にかえりみられた。しっかりつかまえてそれを解決してしまうにしては、頭も尻尾もない奇妙なもやもや。生活の中から湧き出る感情の明暗は、伸子が佃と生活した数年間にも充満して、ついにその生活をふきとばしてしまった。それが、もう三十年も生活して来ている親たち夫婦の間にもある。夫婦のなかにあるばかりでなく、伸子と素子との生活感情にも、形をかえてしのび入って来ている。十六歳の伸子は真剣に、こんなに喧嘩をする父と母とが、次々に赤坊を生んで、その赤坊は自分が守りしなければならないという事実について、どうしても納得できなかった。大人たちの生活に軽蔑を感じた。十六歳の心は失われている。けれども、伸子は、午後出席した茶話会での早川閑次郎の話しぶりにしろ、ふれる生活のあらゆる面に、さっぱりとした人間の結合や接触の自然さがないことを息づまるように感じた。再び伸子は門の細道のしき石にちりばめられている花びらの形を思い出した。それから、東、西、我家ほどよきところなしイースト・ウエスト・ホームス・ベストと焼きつけられている真珠色の焼つけ硝子ステインド・グラスの窓を思った。その硝子は、食堂で父がどなった背後の煖炉わきの高い小窓にはめこまれているのであった。
 スリッパで廊下を来る足音がした。きぬずれの音がした。伸子は、椅子から立ち、水道の栓をひねって、手を洗いだした。そこへ多計代が入って来た。
「おや、いたの」
 多計代は伸子の肩の一端が映っている鏡に向って一寸自分を眺め、やがてセルロイドの盆から櫛をとりあげて、格別みだれていないいつもの大きくふっさりした庇髪をかきつけた。
「お父様はあれだから困ってしまう、すぐ真っ暗になって……」
 越智は帰ったことが、多計代の話す調子でそれと察しられた。
「あの有様じゃ、何ごとかと思うじゃないか」
「…………」
 伸子は黙っていた。多計代も、伸子がさっき涙をふきにここへ来たように、きもちをしずめるために洗面所に入って来たにちがいなかった。
 鏡に向って上目で前髪の毛すじをととのえながら、多計代はいくらか弁解のように、
「お父様ったら、愚弄したとか何とかって――おっしゃることがどうしていつもああ極端なんだろう。――こないだ越智さんが一緒に夕飯をたべて、あとでいろんな話が出たんだけれど、何しろお父様は、本をよまない方だしね、越智さんはああいう真面目な人だし、すっかり話がちぐはぐになっちまって、お父様はさんざんだったのさ、それだけのことだのに……」
「またシュタイン夫人のことでもいったんじゃないの?」
「…………」
 ほんのにくまれぐちと自分で知っていったことに、多計代は答えない。伸子は愕然とした気持で、母の顔を見た。多計代は白くふっくりとしたきれいな顎をひきつけて、衿もとにかかった白粉を軽く指さきではらっている。越智に対してつかみかかるような激しい言葉がほとばしりかけたのを、伸子はやっと自制した。伸子はそこに、はっきりと、父と母とそして自分にも加えられた屈辱を感じたのであった。父親似の丸い伸子の顔に悲しみが現われた。黙って立っている伸子に、多計代は、
「食堂へ行くんだろう?」
ときいた。
「ええ」
 多計代は、どうやら伸子と一緒の方が工合よい風で、つれ立って食堂へ行った。
 珍しく保が、友人と回覧雑誌を出す計画のうちあわせで夕飯にかえらなかった。父の好物な豆腐のあんかけが出来ていた。それは伸子の好物でもあり、多計代はおくれてかえる保のために、
「保様がお帰りになったら、よくあつくしてあげてね」
とお給仕に念をおした。
 幼いつや子が食堂から去ると、泰造、多計代、伸子の間に、さっきからつづいた気分がかえって来た。伸子は大テーブルの上のすこし離れた場所で夕刊をひろげていた。泰造は、煖炉わきのつくりつけの長椅子に、クッションを枕にして横になっている。多計代はいつもの、入口から正面の席で、薄い藤紫の地にすがぬいのある半襟のよくうつる顔をまっすぐに、いくらか胸をはるように坐っている。坐っている爪先が白い生きもののように落着きなく動いていることは、多計代の繁いまばたきの工合でしれた。
 しばらくそうしていて、やがて多計代がその沈黙にたえられなくなったように、
「お父様」
 さ、ま、というところに力を入れて泰造を呼んだ。
「なんだ」
「寺島の地所のこと、してくださいましたか?」
「まだだ」
「――困るじゃありませんか」
 伸子は、自分に向けられた母の視線を感じた。が夕刊から目を動かさなかった。両親の心持のもつれが、こういうところに話題をとらえて、しかも母の方から挑むようにもち出されたことは、伸子に思いがけなかった。
「あしたですよ、期限が」
 寺島に、母の実家があった。祖母の死後、すっかり没落した多計代の実家は、銀行から宅地を差押えられかけていた。多計代は、明治初期の学者として著名だった父親の記念のために、その土地は人手にわたさず、佐々で買いとりたいと計画しているのであった。
「あなたったら、建築家のくせに、ちっとも事務的にてきぱきして下さらない――よく、それで事務所の用がすんでいらっしゃる」
「そんなにいそぐなら自分でやったらいいじゃないか」
 多計代は、
「あなたは、寺島のこととなると、実に冷淡だ」
 涙をうかべて、ふっくりと白粉のついている顎のところに泣くまえの梅ぼしをこしらえた。
「わたしに出来ることなら、はじめっからお願いなんか、しやしないじゃありませんか」
 長椅子にあおむけに横になっている泰造は、あおむけのまま脚を高くくみあわせた。そして、
「俺は、寺島のことについては、お前のこころもちのすむように、なんでもいうとおりにして来てやっている筈だ」
 伸子のところから父の顔は見えなかった。けれども泰造が煖炉前の天井についている灯を見つめながら、複雑な心もちでしんみりとそれをいっている様子はまざまざとわかった。
「世間の亭主はどんなもんか、少しはくらべて見るがいいんだ」
「恩にきせるなんて――卑怯ですよ」
「俺が卑怯かどうか、伸子にきいてみろ」
「ほら、とうとうあなたの、伸子にきいてみろ、が出た!」
 多計代は涙をうかべながら、かちほこった、刺すような笑いかたをした。
「ひとがいるといつだってそうなんだ、あなたってかたは。――虚勢をはって――」
「いいかげんにしろ!」
 ねていた泰造が長椅子の上でおき上った。
「自分の娘をひとっていう奴がどこにあるものか。――いったいなにが不平でそう悪態をつきたいんだ。何不自由なく食わせてやっているくせに。――したいだけの我ままだってしているじゃないか」
 多計代の頬を涙が光ってころがり落ちた。
「何不自由なく食べているのが、そんなにお気にいらないんなら、私はどうでもしましょう。……さぞあなた一人で、ここまでになすった家なんでしょうから」
 袂からふところ紙を出して、多計代は涙をおさえた。少しふるえるその手の中指に見事なダイアモンドの指環がきらめき、煖炉棚の上におかれた振子時計が、ガラス・ケースの中で一本の金線につられた金色の振子を音なくまわし、部屋にひろがった静寂の深さと時のうつりを計っている。伸子はその座にいたたまれない思いになった。激情的な多計代は、いつも対手が一番ひどいことをいわずにいられなくなるまで、感情を刺激し、駆りたてた。伸子も始終それにまきこまれて来た。しかし、今夜、伸子はその渦に巻きこまれず、不思議に悲しい鮮やかさで、この家庭の全情景を心に映しとった。

        十二

 翌朝、身じまいをおわって伸子が畳廊下へ出てゆくと、襖があいていて、泰造が一人洋服箪笥の前で、身仕度をしていた。
「お早うございます、もうお仕度?」
「ああ。よくねましたか」
 泰造は、きちんと剃った顔をあおむけ、洋服箪笥の戸の裏についている鏡を見ながらネクタイを結んでいた。ホワイト・シャツの背中が鼠色フェルトのズボンつりの交叉の間に清潔にふくらんで、あおむきにのばしたのどの皮膚が、カラーのあわせめから顎へかけて年配らしくたるんでいる。伸子が一緒に暮さないようになってから、もう何年か、泰造は毎朝一人で、箪笥の前で身仕度をととのえて事務所へ行くのがならわしになった。多計代は、良人や学校へゆく息子の朝食の時間におきて来ないことが多かったし、出勤の身じたくも、帰宅して来たときの着がえも、伸子が覚えてから滅多に手つだわないひとであった。泰造は年来、朝はこうして一人で仕度して出かけ、帰って来て冬ならばストーヴの前においてある和服に、今ごろなら衣紋竹につるしてある和服に一人でさっさときかえた。お嫁に来たとき、あんまりおばあさまの焼餅がひどくて、おしつけがよすぎたもんだからね。多計代は自分たち夫妻の習慣を、そういって笑った。
 けれども、年とった夫婦である父と母とがあらそいをした今朝、父がやっぱり一人箪笥の前で身仕度をしているのは、いつもの通りでありすぎて伸子には気の毒に感じられた。伸子は箪笥の中についている小抽斗からハンカチーフを出して、上着のポケットに入れたりした。
「お父様、よくおやすみになった?」
「ねたとも、例によってたちまちですよ」
 父の顔色は、ほんとに、昨夜もいつもどおり枕へ頭を置くやいなや、すぐいびきになったと告げている。顔色ばかりか、手帳と紙入れとを内ポケットへ入れる手つき、箪笥をしめてまた食堂へ戻ってゆく足どり、それらのどこにも、昨夜のもつれた気分の跡はなかった。もう今日一日の活動の一歩がふみ出されていて、その流れのうちにある泰造の身のこなし、もののいいかたすべてに、伸子が気の毒に思う心をうけつけるような隙がなかった。後頭部にだけ髪が厚くのこっている円い頭から、カラーの雪白さ、節に毛の生えている厚い手の指にまで、事務的に明るくて、ひんやりしたものがみなぎっている。父そのものが、ニスのかすかに匂う、清潔な事務所そのものになったようでもある。
「今晩は、何時ごろ? 御飯におかえりになれるの?」
「今晩は日本倶楽部だよ」
 そういいながら、ハンティングをかぶった江田がドアをあけて待っている自動車に片足をかけ、伸子が、
「いってらっしゃいまし」
というのに、一寸右手の人さし指を一本あげる外国風の挨拶をした。小さい黒いビインは、後部に朝の光をてりかえしながら、しずかに門内の狭い道を出て行った。
 伸子にとって、父が出がけに、ひとこと、いつまでいるかい、ときいてくれなかったことが、物足りなかった。今更そんなことをきかないのは、出ても入っても親子であり、いたいだけいていい楽な親子の関係を示していることではあった。しかし、そこには、いつも伸子がこの家の自由さとともに感じている、何か一つのものの欠けた気分があった。
 送りにでた女中たちはとっくに引っこんでしまっていた。伸子は、茶室風の玄関の間からゆっくり歩いて、腰かけの方の客間へ入って行った。掃除したまま、すべての窓が開け放されている客間の壁よりに、古風な銀の枝燭台のついたピアノがおかれている。伸子は久しぶりでその蓋をあけ、黄ばんだ鍵盤の上でいくつかの音階を鳴らした。このドイツ製のピアノは中古で、少女だった伸子のために買われたものだった。伸子に教則本を教えた婦人ピアニストはウィーンで自殺した。佃と結婚してこの家を出たときから、伸子は自分の楽器というものを一つももたずに暮していた。小さなウクレーレを持っていたが、それは佃がニューヨークで伸子のために買ったものだというわけから、伸子が離婚したとき、佃の所有品とした。伸子がそれを薬指からぬきとって、用箪笥の抽斗に入れて出て来た結婚指環とともに。
 あてのない音階からだんだん伸子が思い出して、前奏曲の断片を弾いていると、食堂側のドアが、がちゃっとあいた。
「やっぱりそうだ」
 それは多計代の機嫌のよくない、すこしのどのつかえたような声であった。伸子は、椅子の上でくるりとまわって母を見た。
「やかましかって?」
「――どうせおきていたんだからかまいやしないけれどね」
 伸子はピアノのふたをしめ、お召の短い丹前を羽織った母の肩を押すようにして洗面所の方へ廊下を歩いた。
「顔、まだ?」
「ああ――。お父様ったら、どうしてああなんだろう」
「ああって?」
「ひとがどんな気持でいようが一向おかまいなしだからさ。――どうしてああ寝られるんだろう」
 多計代は、泰造はじめ家族のものがみんなでつかっている瀬戸の白い洗面台をつかわず、自分だけ、わきの流しで別に白エナメルの洗面器をつかった。多計代は、踏台になる木の腰かけにかけ、ガスの湯わかしから洗面器へ湯のたまるのを待ちながら、
「伸ちゃんは、物質主義だからあたりまえのことだろうが、わたしにはお父様の何ぞというと、食わしてやっている、がじつにたまらない」
 満足に眠らなかった一夜があけて、母の心持には、父とちがって、きのうからの続きがはっきりつながっているのであった。いつの間にか自分が、物質主義ときめられているのを伸子はおどろいた。複雑ないろいろの感情や思想をこまかく表現する習慣をもっていないで、いいあらそって苦しまぎれになると、泰造は、食わしているをもち出す。そういう父と母とを、伸子はゆうべどんなこころもちで眺めていたろう。煖炉棚の上にギリシャの壺が飾られて居り、母の指にはダイアモンドがきらめいている。それらの光景の中ではかれる、食わしてやっているという言葉は、伸子を刺した。趣味とか品位とかいうものの不確かさ、女の生活というもののむきだされた根の無力さをおそろしく感じさせられたのであった。
 保もつや子も学校へゆき、和一郎は相変らず留守のひっそりとしたおそい朝食をすました。伸子は、何となし母の機嫌をつくろう気になれず、そろそろ、かえり仕度をはじめた。
「おや、もうかえるのかい?」
 ひどく不意うちのような表情になって多計代がきいた。伸子はそのとき立って、煖炉前のテーブルにおいた手まわりのものを集めようとしていた。
「そんなにいそぐのかい?」
 下から見上げる多計代の視線に、伸子は、袂のさきをつかまえられたような感じがした。
「何か用?」
「――用ってわけでもないけれど……」
 多計代は、いまのうちにきめることがあるという風な、いくらか心の内でまごついた調子で、
「ともかく、もうすこしおいで」
といった。
「お寿司でもたべておかえりよ」
 伸子は見えない手で肩をおさえられたようにまた元の座蒲団の上に坐った。
 不自然に話題をとばして、多計代は、親戚のある夫人が沢田正二郎に熱中していることを批評的に話しだした。
「ああいう心持なんか、話にはわからない……」
 母がいいたいのはこのことではない。そう伸子は直感した。多計代は、まつ毛をしばたたいて、左手で半ば無意識に指環をうごかしていたが、全然前おきぬきで、
「ねえ伸ちゃん、私、越智さんと結婚しようかと思っているんだけれど、お前どう考えるかい」
といった。伸子は、真暗闇の中でいやというほどなにかにからだをぶつけながら、なににぶつかったのか瞬間には判断出来ない、あの心持になった。
「――けっこん?――結婚て……」
 言葉の響とその意味とが目前のお召の短い丹前をきた母とどうしても結びつかなくて、伸子は苦しい顔になった。結婚という言葉は、それは伸子にしろ知っているし、どういうことかもわかっているわけだが、しかし――。母と、越智とのけっこん――。伸子は、
「わからない」
 せつなそうに多計代を見つめて頭をふった。母は五十二であった。越智圭一は、はっきりは知らなかったが三十二三の男である。自然なものとしてその二人の結婚などということを、伸子には想像出来なかった。伸子は、おびえたような眼色になった。
「――結婚て――ここの家を出て?」
「それゃ、どうしてもそういうことになるね」
 上気して、まばたきこそ繁いけれども多計代は落着いて答えた。
「伸ちゃんは、どう思うかい?」
「あんまり不意で……それゃ私たちは大きくなったんだし、お母様がどうしてもそうときめるんなら、とめられないことかもしれないけれど……でも、変だ!」
 伸子は俄かに正気づいたように坐り直した。
「本気なの?」
「――結局そうしかしかたがないと思うのさ」
 だんだん伸子は平静をとりもどした。そして、母のこの唐突でしかも重大な話が、抑えかねる情熱的な焔のもえたちとして出されているというよりも、むしろ何かもうすこし別な動機から出ているらしいことを感じはじめた。おぼろげに直覚されたその別の動機までさぐりつこうとするように、伸子はなおじっと多計代を見つめた。
「そうなったとき、お母様は、自分の経済力をもっていらっしゃるの?」
「どうせ、たいしたものはありゃしないけれど、わたし一人ぐらいはどうにかなる」
「だって――」
 大学の助手をしている三十二三の若い男に、母のもっているこのごたごたした生活の全部の幅がどうして支えきれよう。多計代は、花弁に細い花脈の網目が浮いて見えながら最後の美しさと芳しさを放っている花のような若さをもっていた。けれども、その最後のあでやかさや匂いは、多計代にとってどんな不満があるにしろ、佐々の家の安易な日々を条件として保たれているものであった。かりに越智が本心から母にたいして何かの魅力を感じているにしろ、それは全く、この家の夫人としての多計代の身にこそついているものであった。大学助手の越智の格子戸のはまったささやかな家、その上金銭に関して鷹揚とも思えない※(「耒−人」、第3水準1-14-6)ふうぼうの越智。それらと結び合わされた母の姿を思い描くと、そこに女としての生活の発展などということは、みじんも考えられなかった。伸子の目の前には急に激しい疲労と老いに襲われた哀れな母の姿しか浮ばなかった。――結婚――伸子はいよいよおどろきを眼にたたえて、テーブルの上に組合わされている多計代の、ほそくて白くすべすべした手を見た。
「……それ、どっちからの話? あっちから?」
「はっきりそうともいえないんだけれどね……」
「じゃ、お母様から? もうおっしゃったの?」
「だから、伸ちゃんはどう思うかって、きいているんじゃないか」
「――こっちから、なんて……」
 伸子は、
「変だわ、変だわ」
 不安が募って、そういいながら白くて柔らかい多計代の手をつかんだ。
「まるで変じゃないの? どうして? ね、なぜなの? 問題にもならないみたいなことなのに……」
「この間研究室へ行った時にね、あのひとも若いもんだから――」
 ついそういいかけて多計代は周章しゅうしょうした。大学にある越智の研究室へ行くことを、多計代はこれまで保からもかくしていたのだった。伸子からはもとより。――そういういきさつに拘泥せず、
「そしたら?」
 手を握ったまま多計代を促した。
 どう表現していいかわからない、けれども、この話全体の核心になる事情がそのときのことに潜んでいるらしかった。
「……ともかく私としちゃ、もう結婚をするしかないのかと思うようになったのさ」
 多計代の眼に涙が浮んだ。涙の浮んでいるその母の眼に、まばたきもしない自分の視線をぴったりと合わせ、想像されるあらゆる場合を考えめぐらしているうちに、混沌としていた伸子の想像のうちにいくらか現実性のある一つの点が照らし出されて来た。多計代は、ちらりと、あのひとも若いもんだから、ともらした。それは暗示の多い一言であった。越智は母に、男が女に求める肉体的な求めを、何かの形で出したのではなかろうか。いつか、越智が、もし現在の細君をもっていなかったら、多計代に求婚しただろうといったことを、多計代は伸子に告げたことがあった。いくらかずつ伸子にもわかりかけて来た。
「ね、お母様、越智さんは、お母様になにか特別なことを求めたの?」
「…………」
 多計代は肯定も否定もしなかった。ただ、まぶたいっぱいになってきた涙が、頬にこぼれかかった。若くない、けれども繊細ななめし革のような不思議な艶のある滑らかな頬に涙の粒を光らせながら、指環のはまった手をとられたまま、娘の目のなかをじっと見つめている多計代の顔じゅうに、のっぴきならない苦悩があった。その苦悩は伸子の若い顔にもてりかえした。越智が何かを多計代に求めたことは事実であり、それに対して多計代がすぐには応じられなかった心持があることを、女としての伸子は理解したのであった。
 伸子の心に涙がにじんだ。越智にひきつけられている母を、伸子はつよい反感をもって見て来た。その伸子の反感を、越智はうがったように娘が母にたいしてもつ嫉妬だという風に分析したりして話しているだろう。娘の感情は、嫉妬というよりもすこしちがった動きかたもあるのに。――多計代がゆとりのあるその身辺におこす波瀾の筋立てが余り月並で、伸子は主としてそこに反感をそそられて来た。いま、多計代のせっぱつまった顔をみると、伸子はその反感をうしなった。少くとも多計代の感情には、嘘をつくことの習慣がない。この発見は伸子の心を同情ふかくした。
「おかあさま……」
 伸子はやさしく、母の匂いのいい手の甲に自分の頬を近づけた。
「いってくだすってよかった」
 頬をすりよせている伸子の心に、思い出されることがあった。昔、伸子が少女だったとき、多計代が教えたことがあった。男と、唇と唇との接吻をすると、それはもう結婚すると約束をしたも同然のことである、と。漠然と結婚は一生の一大事とだけ知っている少女の伸子の感情に、結婚の約束をしたことになるのだという多計代の真面目な重々しい言葉は決定的に威嚇的に刻みつけられた。もしかして、多計代は、今の自分の場合についてそのとおりに感じているのではないだろうか。妻である多計代の場合、少女だった伸子に警告したよりももっと責任は現実的であるし、そういう事情だとすれば、嘘のつけない多計代が、それについて悩むのは自然だと思われた。大柄で、多産で、衣類やもちものなどにやや俗っぽい豪華の趣味をもっている多計代のうちに、古風に、矛盾しながら保たれている純潔さ。
 伸子は、ある手紙を思い出した。年月が経って古びた白いありふれた四角い大型の西洋封筒の表には、鵞堂流で英語を書いた見本のようなのんびりした曲線的な字で、ミスタ・タイゾウ・サッサと、ロンドンでの泰造の下宿先が宛名にかかれている。封のとじめには、赤い蝋で封印する代りに、赤い小さい楕円形の紙を細かいレースあみめにうちぬいた封緘紙が貼りつけてある。封筒は行儀よく鋏で截られていて、なかに日本の雁皮紙がんぴししんかきでぴっしり書き埋めた厚い手紙が入っていた。細かく書きつめられている字は伸子によみ下せないほどの草書で、幾枚もつづいた終りの宛名に、英京ロンドンにて、なつかしき兄上様まいると、色紙にかくように優美に三行に書かれていた。多計代という名をかく前、本文の終りの一行たっぷりが、上から下までバッテンバッテンのつづきでうめられてあった。
 自分に貰うことになった古い用箪笥を片づけているとき、伸子は、偶然明治四十年という日づけのあるその母の手紙を見たのであった。改良服を着てバラの花をもった三十をこしたばかりの多計代のその頃の写真が、そっくりそのまま字になったような手紙であった。伸子は珍しくなつかしくて、遠慮しながら丹念に眺めた。そのとき、手紙のおしまいの行がどうしてバッテンつづきで終っているのか、不審だった。あとになって伸子は思い当ることがあった。バッテンは、KISSを意味するバッテンであったらしい、と。あんなにどっさりの、おしまいは墨さえかすれたがむしゃらなバッテンバッテン――。伸子は足かけ五年留守居していた母が兄上様と宛名にかいていたこころもちを思いやり、同時に、そのどっさりのバッテンに親愛を感じた。その頃の写真にうつっているふっくらした母の手つきの愛らしさ、子供らしさをそこに感じた。
 そういう手紙をロンドンでうけとったとき、泰造が、いつも、まずそれをポケットにしまって、しばらく落ちつかなそうにしていたあげく、きっと何とか彼とか口実をみつけて友人たちのいるその部屋から出て行ったものだ。そういうことを、冗談まじりに、泰造の古い友人から伸子もきいていた。
 父と母とは、その後、しだいに変化し膨脹した経済条件につれて、いろいろな変りをその生活につけて来た。けれども、伸子が娘として父母のために、それを護りたく思う夫婦の醇朴さは失われきったといえないと思えるのであった。
「このことはね、お母様。お母様にとって、思っていらっしゃるよりも大変な危機なのかもしれないわ」
 伸子は、信頼のこもった、つっこんだいいかたをした。
「わたしには、賛成していいという根拠がわからないのよ、わかるでしょう? わたしは、越智という人を信用していないんだもの。――だから、どうぞお母様もよく考えてよ、ね。本当にお願いだわ」
 とられたままでいる多計代の手を、伸子ははげますようになでた。
「ね、お母様が、そう考えるようにおなりになったわけは、いくらかわかるわ。でもね……それゃお母様は、いざとなれば貧乏は平気だと思っていらっしゃるし、世間的な名誉なんか放り出せると思っていらっしゃるでしょう。それが、より価値のある生活だっていう自信さえあれば――そうでしょう」
「そう思わなくちゃ、こんなことは問題にならない」
「でもね、それは非常に複雑だと思うわ。だって、お母様は一ぺんだって、貧乏人の娘だったことはないんだし、妻として社会的な自尊心をきずつけられるような目にあったことはないんですもの。金もちでないというのと、貧乏人として扱われて来たというのとはちがうでしょう?」
 伸子は話をすすめてゆくうちに、多計代がどんなに自尊心の烈しい性質であるかという実際の例を次々に思い出した。
「お母様の自尊心は佐々泰造夫人という土台で、それでもっているのよ。その土台がなくなってそして、本当に女としてのむきだしな自尊心が傷つけられるようなことになったら、どうなるのかしら……」
 伸子はおそろしくなった。子供のときからみなれている母の大きい無邪気な肉体と、縁なし眼鏡をつめたくその顔の上に光らせている越智とを思い合わせると、結婚という言葉から伸子がそこに感じるのは、意味もわからないほどの不自然さ、凌辱めいた不自然感ばかりであった。
「いそいできめちゃ駄目だわ、そうでしょう?」
「私もそれはそう思っている」
「お母様の気もちだけで行動しないで、ね。わたしは、佃と結婚するとき、本当に佃だってわたしと同じように人生にたいしていろいろの希望をもっているんだと思いこんだんだわ。ただそれがわたしに向っていえないだけだと思ったのよ。それがかわいそうと思ったのよ。でも、それは間違っていたんですもの。……」
 多計代は、深い吐息をついた。そして思い沈んだ表情ながら落ちついて、
「ほんとに私もよく考えよう……ありがとうよ」
 そういいながら、とられていた伸子の手の中から自分の手をしずかにひっこめた。

        十三

 何という奇妙なこころもちだろう。
 朝から素子は牛込の本屋へ出かけて、森閑としている駒沢の家の庭には、きらめく初夏の日光が溢れた。柘榴のこまかい葉の繁みは真新しい油絵具の濃い緑のように濃く、生垣越しのポプラの若木の梢は軽いやわらかな灰緑色に、三角形の葉をそよがせている。目のとどくいたるところに伸子の愛好する爽やかな新緑の濃淡がかがやいていた。それは、花の季節よりゆたかに自然の美しさを感じさせる。伸子は机の前から、そういう庭の景色を眺めていた。そこには日一日と緑の諧調を変化させているまばゆい初夏の庭がある。伸子の眼はそのまばゆい緑をじっと眺め、まばゆさのために瞳孔を細くちぢめているほどだ。だのに、伸子が外景からうける感じは変に黒かった。樹々の緑色が黒とまじり合って濁って感じられるのではなく、まばゆい純粋な新緑の美しさはそのままくっきり目に映っており、それが伸子の心に来る途中に、しまったシャッタアのように強情な黒さがあるのであった。
 喪にいる、という言葉を、伸子は思い出した。喪の黒さとは、こういうものかと思った。しかし、伸子は悲しんでいるのではなかった。一つも悲傷はなかった。ただ奇妙な、不自然な、信じることの出来ない混乱が充満している。誰からも話しかけられず、考えの内側に好奇心をもたれず、きょう一人でいられることが伸子にうれしかった。
 きのう、動坂の家で多計代が越智と結婚しようと思うといい出したとき、伸子は全力をつくしてその不可解なことを、わかろうと努力した。自分としては必死にわかろうと努力しながら、多計代に対しては、最大の慎重さをもとめた。本能的にそうせずにいられなかったほど、越智と母との結婚という観念は伸子にうけとりがたかった。
 思えば、不思議でもある。ああやって長い間、非常に集中してそのことについて母と話していたのに、その間に一ぺんも、良人たる父の立場というものが伸子の感情に訴えて来なかった。なぜだったのだろう。結婚という考えがあんまり突飛で、あり得ることと思えなかったから、現実の生活でそういう破局に面している夫婦としての父の立場が訴えて来なかったのだろうか。十年ばかり昔、父と母とが珍しく一緒に関西から九州へ旅行したことがあった。泰造の出張をかねてであったが、髪ひとつ結うにも手間のかかる多計代が同行したことは珍しかった。二十日ばかりの旅行を終って、父と母とは九州のおいしいポンカンや日向みかんの籠をもって帰京した。そこの小さい島にだけ南洋の植物がしげっている日向の青島の話を、父も母も興味をもって話したりしたが、日がたって、伸子ばかりのとき、多計代が、
「旅行もいいけれども、私は名古屋から、よっぽど一人で帰って来てしまおうかと思った」
といった。
「どうして?」
「あんまり腹がたったからさ」
「――だから、どうしてなのよ」
「お父様ったらひとが見ていないと思って宿屋の女中と、ふざけたりなさるんだもの……」
 十八になったかならない年ごろだった伸子は、きまりのわるい顔をした。
「ふざけるって……」
 名古屋で、ある人の招待をうけたとき、母の仕度がおくれて父が一人さきに宿の玄関を出た。そして靴をはきかけているところへ、母がうしろの階段から下りて来た。そして階段の中途から、多計代の来ていることに気づかなかった泰造が靴をはきながら、女中の肩に手をおいているのを見た。多計代は、そのまま部屋へ戻ってしまった。急に気分がわるくなったといって動かない多計代を、主人側に気の毒がった泰造がやっとなだめて出席させ、以後は、決してそういうことはしない、と誓約したというのである。
「とても私はそんな侮辱をうけてだまっちゃいられないよ。男ってどうしてああなんだろう。あんまり日本の女に見識がないから、男はこわいものなしでいい気になっているんだもの」
 多計代は、女性の威厳として、痛烈にそういった。そのとき伸子は、宿屋の女中とふざけて、と父についていう母の平気さを変に思った。酔っぱらいの大きらいな伸子は、そういう場合につかわれるふざけるという言葉を、酔っぱらいについたものとして感じ、それは父に似合わしくなく思えた。一方では宿屋の女中を、そんなに自分と対立する女として感じる母の見識というものに疑問も感じた。そういう気分で宿々に泊る母の旅心は窮屈であったろうし、同行する父にとってもかさだかであったろう。
 いろいろ思いあわせているうちに、伸子は一種の滑稽を感じて口元をゆるめた。佐々の家庭では、芸者とか妾とかいう言葉はタブーで、子供のいるところでは決して出なかった。何かの場合には芸者はシンガーといわれ、妾はコンキューといわれた。そういわれても、いつかわかることはわかって来ているのであった。
 男にもとめる純潔さに対して、多計代は妥協がなかった。泰造はじめ、和一郎も保も、母の純潔と考える標準で見守られ、その気分で導かれて来ている。伸子は、年とともにそういう母の趣味や見識を、男の子たちのためにむしろ気の毒に感じ、危険にも感じはじめていた。少年から青年にうつる弟たちの肉体と精神とにある種々様々な動揺について、このこまかいニュアンスについて、母が何を知っているだろう。伸子が保について、いつも気がかりになるのはその点でもあった。伸子から見る母は、そういう方面について全然無邪気であるか、さもなければ伸子にわからないほど粗野な何かを知っていて、極端にそれに反撥しているようであった。佐々の家庭の雰囲気で、純潔は絶対の価値として刻印されているのだが、それをつきつめると、純潔の実体はごくあいまいである。
 爽やかな新緑の濃やかな庭の面を眺めながら、伸子が開かないシャッタアのような黒さを心の前に感じているのも、そこのことであった。
 妻が、良人のいないとき、自分の別な結婚のことについて娘と話す。そういう話をしなくてはならないような感情生活を、結婚生活の中にない合わせてもってゆく。それは、多計代のいわゆる純潔なことなのだろうか。男性一般に対して、良人や息子に、あれほど純潔を要求する母が、自分にたいして、他の女の良人である男が興味をもち、進んで結婚という一つのけじめの必要を考えさせるほど切迫した関係をもつということは、多計代の純潔感に抵触しないことなのだろうか。
 きのう、とり乱した母の顔を目の前に見て、伸子は我ともなく母を防衛し、母の少女っぽい純潔さを強調して自分に感じとった。けれども、いま自分の住居の机の前で、いくらか落着き筋だって考えると、それらのことのうちにはどっさり矛盾がある。うぬぼれや思いあがりがある。多計代が、女としての自分を買いかぶって、自分に対する場合だけはいつも例外で、その男にいたずら心や浮気のない深刻なことのように思うとすれば、それはうぬぼれでなくて何だろう。ある婦人の良人である男と妻である自分の間に、感情の逸脱があっても、それは自分が自分である限り高貴な悩みなのだと思っているとすれば、思いあがりでなくて何だろう。
 理づめに糺弾に傾いて行った伸子のこころもちは、やがて、一つの矛盾の裂けめを覗きこんだ。それは、男女の間の純潔ということが、多計代のこころの中では、肉体の交渉の有無にばかり重点を置かれている、ということであった。だから、あんなに純潔好きの多計代に、おどろくような矛盾として、越智との感情交渉がなりたった。その感情に肉体的な表現がもとめられて、はじめて、多計代には、純潔感がめざめ、女の警戒が覚醒している。伸子の、庭を眺めて眩しそうに細めているまぶたの上に悲しみとおどろきの色がさした。きのう多計代が結婚という言葉をいったとき、その言葉から射すひとすじの光もなかったわけがわかった。多計代の人生にとって、肉体的な意味での男女の性的交渉は、必ず結婚という手続を通ったものでなくては認められず、そのもの堅さは、逆に、若かった多計代が恋愛の道をとおらずに経験した結婚の門出が、若い娘にとってどんなに溢れる情感から溶け入ったおのずからのものでなかったかを語っているのではなかろうか。その意味で、多計代がやかましくいう純潔の裏がえされた面には、暗闇で息をのみ眼を大きく見開いているような女の経験があるのではなかろうか。
 いつだったか、父と母との結婚記念写真が出て来たことがあった。三十歳を越したばかりで髭を立ててフロック・コートを着て立っている白面のおとなしい泰造の横前に、房つきビロードの丸椅子にかけて島田に結った多計代がいる。写真には白っぽく写っている立派な衣裳の二枚重ねに、黒ちりめんの羽織を着て、膝にあげた片方の袂のなかに片手をかくしてうつされている。その花嫁の眉つき、レンズに向けられているまなざし、紅をさした口もとの締り工合、どこにも羞らいやうれしさがなかった。陰気で、けわしくさえ見えた。伸子は、しげしげと眺めながら、
「このお母様は、あとの写真ほど美人じゃないわ、なぜかしら」
といった。全く、それから小一年たったあと、浴衣で、夜会巻でとっている多計代の七分身の写真には、におやかさ、ゆたかさが映っているのであった。
「これねえ」
 しんみりとして多計代も、昔のおもかげを眺めかえしていたが、
「私としちゃ、記念写真をとるどころの気持じゃなかったんだもの、かわいそうに」
といった。
「何にもしらずにお嫁に来てみれば、親類書のどこにものっていなかった四つばかりの男の児がチョロチョロしていてさ、その子を、俊一、俊一っておばあさまが可愛がっていらっしゃるんだもの。私は本当に、これゃ大変なところへ来た、と思った。誰の子だか分らないうちは、決して、奥さんになるまいと決心してね、つきそいに来たばあやを次の間にねかして……だって、それゃそうだろうじゃないか」
「それが、あの俊ちゃんだったの?」
 泰造の伯父の息子で、その頃はもう三菱につとめている青年があった。
「そうだったのさ、だからやっと私も安心したようなものの……」
 多計代は、
「お父様もお気の毒に」
と笑った。
「私が月を眺めて泣いてばかりいるもんだから、ほかに好きな人でもあったのかっておっしゃった……そうじゃなかったんだけれど。――でも、私はお父様に感謝しているよ」
 素直な声で多計代はいった。
「よく私のいうことをきいて、ひと月もふた月も、いうままにしておいてくだすったと思って。――多計代もかわいそうに、いきなりこんなごたついた家へ来させられてそういう心持になるのも無理はない、といっていらした」
 伸子は少女としての感情が育ってから、いつも自分の母というひとは、よそのうちのおかあさんといわれている母親たちと、どっかひどくちがった感情で娘である自分にたいしているように感じることが多かった。伸子は、母にたいするというよりも、年かさで命令権をもっている女に向って、一人の若い女が正面から向いあって立ち上った時の感情を経験した。
 いま、母の結婚生活がはじまったころの話を思い出すにつれて、伸子には、これまではっきりつかめていなかった母の女としての情熱の矛盾が、しみじみわかった。大柄な美しい多計代のからだにはもって生れた様々な情熱の可能が、可能のままかくされていて、子供が次々に生れて母になってゆくという現実と、心のどこかにはいつもほかの生活への空想とあこがれがうずいていることとは、くいちがったままで多計代の生活を貫いて来ている。
 十六ぐらいの娘であった伸子に、どうしてそんな女の心のあやがわかろう。多計代の感情のうちに、恋愛のこころから結婚をとおって、母となるおどろきとよろこびに目ざまされた母性のふっくりした展開はもたらされていない。それを、多計代として気づいたことがあるだろうか。それは、多計代が彼女なりに子供を愛していることとはまた別のことであった。息子たちに激しく求めている純潔も、思えば、多計代のうちにある、理想化された男性へのあこがれのてりかえしであると思える。
 保の部屋の入口の鴨居にあるメディテーションという貼紙は思い出すたびに伸子の心を暗くし、同時に、保と対蹠たいしょする存在として一家の中にある姉の自分を思わずにはいられなかった。多計代の女の心のかげをこうたどって来てみれば、母にとっても対比されるものとして存在する娘である自分を思わないではいられなかった。つよい生命力をもちながら、時代の境遇によって夫人、母という立場から動けない四十代の多計代のかたわらで、一人前の女となった若々しい伸子は、どういう風に生きて来たろう。少くとも伸子は、一人の人間としての女の熱中を傾けて、それをあからさまに主張し、佃とも恋愛し、結婚し、離婚して来た。
 伸子は、思わずかけている籐椅子の上で力のこもった身じろぎをした。一時に多くのことが諒解された。多計代のうちには、決して母という名で消しつくされようとしていない若さが自覚されているにちがいなかった。でも、その若さは、年齢と境遇とのずれで、現実に新しい内容づけの不可能な若さの夕ばえである。何ぞというと、伸子をエゴイストと非難する多計代の感情の奥底が急に会得された。多計代が上気しておこった眼付で伸子に向ってエゴイストと罵るとき、それは伸子にだけいわれている言葉ではなかった。自由に、自分の希望と意志と責任とで行動しようとし、また、事実そうしてゆくすべての若い世代の同性にたいして、多計代はいうにいえない自身の不同意を、若い女のエゴイズムという言葉にまとめて、伸子にそれをうちかけた。
 伸子は、四年ばかり前に赤坂の古びた佃の家の縁側で泣いていた自分を思い出した。伸子は、毎日毎日がただ瑣事の反覆で過ぎてゆく生活の無意味に苦しんで、佃といいあらそった。佃には伸子の身心をさいなんでいる生活の空虚感が全く通じなかった。顔を泣きはらしている伸子の肩を抱いて、佃はやさしくくりかえした。
「そんなに泣くことはないですよ、ね。もう十年たてば、そんな苦しみはなくなります。僕にはよくわかっている――」
 慰めるように囁かれる佃のその言葉を、伸子はどんなに恐怖したろう。もう十年たてば――十年! 一年だってこのままたつのがこわいからこそ、こんなにせつながっているのに……。絶望はいっそう深まり、伸子は新しく声をあげて泣いた。
 古びて木目のたった縁側で泣いていた自分のその声のなかから、伸子はいま、たくさんの女の泣く声がきこえて来るように感じた。

        十四

 電話口に出た女の声は遠くたよりなくて、伸子が、
「もしもし、佐々ですか?」
と力を入れてきくと、
「はア」
と答えた。
「わたし、よ。伸子ですが、いらっしゃる?」
とききかえすと、また、
「はア」
と返辞した。
「ね、お母様いらっしゃるの? いらっしゃるなら、ちょっと電話口まで……」
「はア」
というから、伸子はきき耳を立てて待った。佐々の家では、多計代たちだけ卓上電話を使っていて、そちらに連接をきりかえるとプツッとスイッチのはいる音がする。伸子はきき耳を立ててその音がするのを待った。が、受話器の中では変化なく電流が響き、どこかの通話の声がしているばかりである。念のため、
「もし、もし」
といってみたらば、同じ声が、
「はア」
といったので、伸子はびっくりした。
「もしもし、あなた、だれ?」
「…………」
「ききにくいなら、誰かほかの人に出ておもらいなさいよ」
 引っこんだらしく、ややしばらくして、こんどは、
「あ、もしもし」
 思いがけなく和一郎が出た。
「まあ、しばらく――」
「ああ、姉さん、どう?」
「お母様は?」
「前崎へ行っている」
 小田原の手前に、佐々の家は小ぢんまりした別荘をもっていた。別荘らしい家はちっともないその海岸の漁村一帯は、大変体によくて長寿の者が多いということだった。泰造は、祖母に「西洋にあるとおりの家に住まわしてあげる」と、洋風のその家を建てはじめた。八十二歳になった祖母は、その家の出来上らないうちに亡くなったのであった。
「いつ、いらしたの?」
 伸子が動坂へ行って、越智と結婚しようかという話をきいたのは一昨日のことであった。
「けさ……」
「けさ?――きょう何曜日?……木曜でしょう?」
 多計代が、急に前崎の家へ行ってしまったことは、伸子を何か不安にした。
「だれか一緒に行ったの?」
「ああ、みんな行った――僕と保が留守番だから、いらっしゃいよ」
「――つや子も?」
「ええ。お父様が神経痛で事務所を休むことになったもんだから、急に大さわぎしてドタバタ行っちゃった」
「そうなの」
 それならよかった。多計代は一人でまめに汽車の往復は出来ない人だし。――
「いつもなにか文句をいうお母様が、案外簡単に出かけたんで、おとうさま、おどろいてたよ」
 思いきって、良人や小さい娘と東京をはなれる気になった多計代の心持も伸子には推測された。
「なんで行ったの?」
「僕が東京駅まで送って行って、あとは汽車」
「――さぞ大変な荷もつだったんだろう」
 伸子は笑い出した。大小のトランクや風呂敷包みのほか、多計代のゆくところへはいつも水筒だのバスケットだのが欠かされなかった。そういうとき、母の大きい手提袋をもたされるのは、つや子であった。頭の上に大きいリボンをつけて、おしゃれをさせられながら、しまりのないおかしな恰好をした大きい袋をもたせられるとき、つや子はきまりわるそうにいやそうに眼を伏せて唇をかんだ。その一行が、ぞろぞろ東京駅に入ってゆく姿が目に見えた。
「いつ頃まであっちの予定?」
「さあ、はっきりしないんでしょう。当分お父様だけはあっちから事務所へ通うらしいけれど……」
「つや子の学校は?」
「一緒に月曜に出て来るんでしょう」
 からだのよわいつや子は、家から近いというばかりでカソリック系統の女学校附属の小学校に通わされていた。同じカソリックの尼学校でも、貴族出の尼さんの学院、中流の尼さん女学校、又いく分その下に当るらしいつや子の学校の尼さんたちは、女生徒にたいしても人間ぽい好ききらいを露骨に示すらしかった。つや子はおとなしくて可愛い娘というよりは、神経質でその癖おしきったところのある生れつきのために、同じ成績でもマ・メール(お母様)とよばれている尼校長から御褒美をもらったりすることの少い女の子の部類に属した。つや子は、その学校に通わされることをだんだんいやがるようになって来ているのであった。伸子は、日曜にでもゆくということにして電話をきった。
 桜並木の道を戻って来ると、むこうから素子がぶらぶら来た。
「――出かけるの?」
「いやに手間がかかるから来てみたのさ……どうだって?」
 多計代のからだ工合をきき合わせるというわけで、伸子は酒屋まで電話をかけに来ていたのであった。
「けさ、前崎へみんなで行っちまったんだって……」
「結構じゃありませんか、そのくらいなら」
 そして、素子は皮肉に、
「たまには、われわれも、御招待にあずかりたいもんだね」
といった。
「…………」
「ぶこちゃんはたまさかいったことがあるんだろう?」
「二三遍は行ったかしら……」
 伸子が前崎へ行ったのはまだ家が出来たばかりで、門も垣根もない時分のことであった。昔の東海道に沿った松並木の名残りが生えている崖にふみつけられた細道をのぼると草がぼうぼうしげった平地に出た。そこに、ぽつりと一軒、瀟洒しょうしゃなスレート屋根の佐々の家が建っていた。両親と伸子と手つだいのものは、一列になって草ぼうぼうの間をかきわけて進み、地境のしるしにめぐらされている竹垣の木戸もない間から入った。泰造が、ポケットの鍵束の中から、親鍵を出して、入口の堅牢なドアをあけた。そのときは、水をくみあげるポンプの電力モーターの馬力が足りないで、逗留している三日間、伸子と手つだい女とが草っ原を通って下りて行って街道の漁師の家から井戸水をもらった。
 箱根の連山が見晴らせるその家のヴェランダの椅子で、多計代は、そんな役に立たないモーターをすえつけさせたことをおこりつづけた。癇癪をおこしながら、泰造は自分でモーター室へ下りて行って、調べたりした。モーター室の上は、天井のコンクリートを利用して、快適な屋根のない亭になっていた。入口のドアの外に靴の泥おとしが鋳ものの鉄製で、面白いスコッチ・テリアの形をしていた。半地下の外壁に噴水のしかけがあったりした。あっちこっちに泰造のそういう趣味がちらばっている。それは伸子を興がらした。けれども、モーターのことで居る間じゅう母がおこりつづけていることは馬鹿らしく思えた。風景の晴れやかさや別荘のいかにも快適らしい外見と、多計代の不機嫌とを見くらべると、チェホフかゴーゴリの小説に諷刺的に描かれている細君のようで、ばつがわるかった。水をもらいにバケツを下げて街道の漁師の裏へ入って行くと、そこには半分裸のような男女の子供らがはだしでついて来た。どの児の髪の毛も潮やけで赤く、ばさついている。黙ってとりかこんで、水をくんでいる「東京の邸」の女を眺め、なお街道をよこぎって崖の下の、細道の入口までついて来た。そこから奥へは入って来なかった。ものをいいかけても黙っており、笑いかけてもこたえない漁師の子たちの群とついその崖上の西洋にあるような家、そこを出たり入ったりする自分との対照は、伸子に何となしあたりまえでない感じだった。しかし泰造も多計代も、その崖の下に駅から走って来たハイヤを停めて、髪の赤い子供らに囲まれながら、ひと騒動して出入することについて、ちっともばつの悪さは感じないらしかった。伸子はそういう場合はにかみからむっとしたような表情になった。多計代は、伸子のそういう感じかたをいらざることに思って、
「何が気の毒らしいことなんかあるもんですか。自分で力で建てたい家を建ててどこが悪いのさ、ばかばかしい」
 そして、つけ加えた。
「大変妙な話さ。この頃は、何でも無産ばやりだけれど雇ってくれるものがなかったら、どうして貧乏なものは働いて行くのさ。雇ってくれるものがあるからこそ食って行けるんじゃないか。それを有難いとも思わないで……」
 こういう話になると、泰造は、決して仲間に入らなかった。ヴェランダでいねむりをしている風をした。
 佃と別れて一人暮しをはじめようと決心した頃、伸子は前崎の家に住めないかと思って多計代にきいてみたことがあった。
「おや、こんどは、あの家でも御迷惑じゃないと見えるね、御方便だこと!」
 そういってからすこしの間考えていたが、多計代は、
「おことわりだね」
と、はっきりいった。
「あすこは、私たちのために建てたところだからね。ベッドだってほかにないんだし」
 そういえば、前崎の家では洗面器にしろ家族は一つところを使うようにだけ作られている。多計代にすれば、そういうこともいやなのであろう。伸子はいそいで、
「いいのよ、いいのよ、決して無理にお願いしているんじゃないんだから……」
と、自分の希望を撤回した。それは、伸子がまだ素子に会わない前のことであった。素子とくらすようになってから、数年たつ間に多計代は一度も前崎の家へ娘たちを招ばなかった。泰造が何かの折に、伸子もたまには素子さんと来てみればいいのに、といったことがあった。すると多計代が、
「ごめんですよ。何をされるかしれたもんじゃない、気味がわるい」
 即座に本気な眼つきでそういった。月日はそのまま過ぎて来ているのであった。
 伸子は、素子とつれ立って桜並木の通りから住居の方へと小道を曲りながら、
「招待されないのがかえっていいのよ」
といった。
「わたしが、御秘蔵娘だったら、あなたなんか一日だってつきあっていられないくせに……」
「それゃそうだ」
 前崎の家が、もしこんど多計代にとって激情からの難破をふせぐための一つの港となるならば、あの家にもいくらかの意味があった。多計代が反対の使い途を考えて、前崎へ行ったとは伸子に想像されなかった。
 伸子は親たちと家屋や土地との関係を段々考えて行って一種のおもしろい心持になった。泰造は、小規模に自分の趣味を示す前崎の家を建てたり、実務的に税のないうちにガソリンのいらないヨーロッパ製の小型ビインを買ったりした。けれども、佐々の家には一軒の貸家も、収入となる一ヵ所の地所もなかった。それがあれば、ひとりでに儲かってゆくというような家とか地面とかをためていなかった。そういう点で泰造の生活態度は仕事に自信のある技術家らしい淡白さだった。多計代がむしろそういう点に用心ぶかさと積極性をもっていた。それにしろ十何年も昔、多計代がひどく意気込んで雪の日に見に行って買った北多摩の地面は、四季を通じてそこから富士が素晴らしくよく見えるというのがとりえなばかりで、地価さえろくにあがらず、今だに麦畑のままであった。
 その日は、素子の母の命日というので、素子が甘いもの好きであったひとのためにおはぎをこしらえはじめた。御飯がすこし柔らかに炊けすぎて丸めにくい。家じゅう三人の女が台所の板の間でさわいでいるとき玄関へ誰か来た気配がした。とよが、手を洗って出て行ったが、眼のすわったような妙な顔つきで戻って来た。
「――こういう方が見えましたけれど……」
 水を拭かないままのうす赤い指さきで、方眼紙の小型ノートのはしをむしった紙きれを出した。太い鉛筆で乱暴に「黒色連盟 山田」と書いてある。
「…………」
 素子も伸子も知った名前でなかった。
「なんだろう」
 とよが、気味わるそうなひそひそ声で告げた。
「三人づれの方でございます――ぼうぼう髪をのばして……何だか人相のよくない方なんですけれど……」
 素子が、少しおびえた心持を、おこったような顔の上にあらわして、
「なんだい!」
といった。伸子には、いくらか思い当るところがあった。その時分、アナ・ボルということがいわれていて、黒といえばボルの赤に対してアナーキストのシムボルであることは知っていた。そういうグループの人々が、丸の内辺の会社や有名な人々のところへ、寄附金を要求してゆくことが流行していることも知っていた。近年新しく小説をかき出している若い婦人作家がアナーキスト仲間の生活を描いている作品で、そういうことをよんだ覚えがあった。
「わたし出てみる」
 伸子が玄関へ出て行ってみると、たたきのところにとよのいったとおり三人の若い男たちが突立っていた。どのひとの髪もぼうぼうとのびっぱなしで、じじむさいのをてらいの一つにしている高校生のようにきたなかった。どのひとものどのところで丸くエリの立った茶色だの黒だののルバーシカを着て、よごれ古びたズボンに下駄や靴やまちまちの足もとである。一人は太いステッキをついていて、それが先頭に立っていた。
 伸子は、
「わたし、佐々伸子ですが――御用?」
 そうきいた。
 いく日も風呂に入らないでよごれたままの顔、おそらく、朝まともに顔も洗わないで出て来たらしい三つの青年の顔が、六つの眼を紫メリンスの前かけ姿でそこに現われた伸子の上にすえた。誰一人挨拶の頭を下げず、荒っぽそうに、いかつそうに粗暴であるが、その眼のなかや口のはたにおさえきれない若者らしさや好奇心が浮んでいる。こういう若いよごれ、手荒さは伸子の知らないものではなかった。二十三歳の美術学校生徒である弟の和一郎のあるときの表情に共通な、はにかみの裏がえされた傲慢がある。伸子は、自分の側からも好奇心をうごかされながら、
「どういう御用なのかしら」
ときいた。
「――紙をわたしたんだが……」
「紙は見たけれど――あなたたちにお会いするの、はじめてでしょう」
「…………」
「あなたがた、アナーキスト?」
 ステッキをついている黒ルバーシカの青年が、
「そうだ」
と短く力を入れて答えた。
「そういう人たちで、うちへ来た方はあなたがたがはじめてです……」
 伸子は、どこかで読んだいいかたを思い出し、
りゃくということに来たの?」
ときいた。金を寄附させることを、アナーキスト仲間では掠奪という意味からか、リャクというということを思いおこしたのだった。
 よごれていることを自分たちの青春の示威と飾りにしているような三人の青年たちは、何となし、伸子のその言葉で動揺した。
「用は、わかっているじゃないですか」
 ステッキをついた一人が、挑戦的に顎をもたげた。
「それゃ、読んでるもの……」
 伸子は、
「でも、わたしには何だかよくわからないわ」
 紫メリンスの前かけをかけた膝を揃えて、式台から畳じきへ上る敷居に腰かけた。
「どうして、あなたたち、いきなりよそへ来てそういう要求をするの?……」
「そんなこと、はっきりしていると思うんだ。いまの社会は、俺たちが生きられるように出来てやしないじゃないか」
 それはそうであるけれども、それなら伸子自身どういう世の中に生きて来ているのだろう。伸子は作家として暮している。女一人を生かす義務や責任をちっとも感じていない世の中を貫いて、伸子はその働きで、自分を生かして来ているのではないだろうか。
「今の日本の社会がそうだから、青年は、こうしか生きる道がないという主張をもっていらっしゃるわけなの?」
「そうなんだ」
「――わたしには、やっぱりわかるようでわからない」
 伸子は、真面目に考えこんで、じっと三人の垢だらけの若い顔々を見守った。
「私たちの一生って長いでしょう。社会の不公平だって長くつづくんだと思うわ、どうせ。そうだとすれば、その日その日、そうやって人のところからお金をとって来て暮していたって……結局、どっちの問題も解決しないじゃないのかしら。――」
 ステッキをついている青年は黙って伸子をにらんだ。すると、ズボンとはちぐはぐな上衣をシャツの上から着ている一人が、
「面倒くせえなア」
と、乱暴に髪ののびた頭を掻いてからだをゆすぶった。
「わかっているんなら、つべこべいわずに出したらいいじゃないか」
 伸子は、さっと顔に血の色をのぼせた。
「あなたがた、自分たちをゆすり同然に扱っていいの? 乞食が来たと思えば、黙ってお金だけやるわよ。あなたがたは、それとは、違うでしょう。少くとも主義というものがある以上、それについて、まともに話すということは、敬意なのよ。ゆするなら帰って下さい、ゆすられたりおどかされたりして出さなけれゃならないような金は、一銭だってわたしのところにはないんだから……」
 ステッキを持っているのが、
「まアそう怒り給うな」
と、すこし笑うような口元になった。しばらくどっちからも口をきかず、互いを眺めあった。しみじみと眺めているうちに、このぼうぼう頭をしながらルバーシカを着るような趣味をもっている若い人々が、本当に何か一貫した主義をもってこうして生きているのだと伸子にはだんだん思えないようになって来た。少くとも今伸子の前に並んでいる三つの若い顔のどれにも、苦悩の刻みめは大して刻みこまれていないように見えた。その顔々の上には、そういう風に毎日を生きている生活の習慣があらわれており、その習慣で身についたかまえがあるけれども、世間は紙くずが街頭をころがってゆくのを見るようにこの人々の生活を見ていて、うるさいときには少しの金をやって、追っぱらって来ているように思えた。そして、そういう関係もこの人々にとっては習慣のようになっているように思えるのであった。伸子はそこに社会の真の酷薄さを感じた。亢奮がしずまって、伸子は少しユーモラスに、
「どうも、あなたがたは、見当ちがいのところへいらしたようね」
といった。
「自分で書いて暮しているんだから、お金なんてないのよ。それに、わたしは、面倒くさいからくれてやれ、という風に、あなたがたを見る心持になれないんです」
 するとさっき、ゆするようにものをいった青年が、
「ふん」
と嘲弄した。
「詭弁でやがらあ」
 伸子は再び沈黙した。自分が詭弁を弄しているとは思えなかった。伸子の内心にはおどろきと疑問がひろがりはじめているのであった。こういう形で屈辱の立場に自分をおくに耐えるなら、どうして、生活のために何か一つの職業が見つけられないということがあるのだろう。伸子は、黙ってまじまじと三つの顔を見た。ピーター・クロポトキンの「革命家の思い出」をよんだときの感銘が思い出された。クロポトキンはアナーキストではなかったろうか。クロポトキンの「ロシア文学の理想と現実」を、伸子は、二度三度とくりかえして読んだ。そこにはよりよい人生にたいして燃えるような意慾がたたえられていた。人生と文学とを、人間のそのような精神の華として語る真実と美しさとがみちていた。クロポトキンはアナーキストであった。そして、今、目の前に並んでいる三つの顔。その三つの若い男の顔は、一つ一つ生れた故郷はそれぞれにちがう田舎の相貌をもっているとともに、互いに共通な習慣的な虚勢でこちらをにらんでいる。だが、それは伸子に、これらの人々が、ただ自分たちをアナーキストと名づけているにすぎないような心持をおこさせるのであった。
 伸子は、三人に向って丁寧にいった。
「どうか、お仲間の方たちによくいっておいて下さい、佐々伸子のところへ行っても金にはならないって。――」
 一寸ひっこんで伸子は、いくらかの小銭をもってまた出て来た。
「失礼ですが電車賃をさしあげます。きっちりよ」
 郊外電車往復三人分、市電往復三人分。それだけの金をわたした。ステッキの青年は、黙ってそれをうけとった。そして、
「おい、帰ろう」
 仲間を促して二人をさきに玄関から出し、最後に自分が出て、入口の格子をうしろ手にしめた。
 その青年が、仲間をさきに出したことや、荒っぽくなく、尋常に格子をしめて行ったことなどが、伸子の心につよい印象をのこした。自分と大して年もちがわない三人の彼ら。彼らの雰囲気はあらがねのように、いいもわるいもごたごただ。はっきりわからないところだらけなのは彼らばかりのことだろうか。わからないといえば伸子もよくわからなかった。三人の青年のいわゆるアナーキストぶりはどうも納得出来ない。それなら彼らはどうしたらよいのだろう。真面目に働きなさい、というだけが今日の社会から生み出された彼らのような心理にたいする人間らしい解答の全部だとは、伸子に直感されないのであった。
 伸子は、けさ佐々へかけた電話のことや、前崎の家をはさんで多計代と自分との間にある感情のへだたりなどについて思いあわせた。社会にある貧富の差についても、伸子は多計代のようにそれを当然なことと思えなかった。それかといって、今帰って行ったアナーキストといわれる人たちのように、ただ一つのものでも、あるところから無いところへ移し、掠奪したところで、すぐそのあとから無限に貧富の差を生み出してゆく今の社会の仕組みそのものがよくなろうとは思えない。伸子は、どっちにも荷担出来ない自分の心を感じた。どっちにも荷担できない心は、これらの二つの態度よりも何かもうすこし、しゃんとして、見とおしのある方法があるのではなかろうかと思う心持に通じた。こういう心もちの自分のようなもののところへまでリャクが来たということは、伸子に、つじつまのあわない、漠然とした苦しさと馬鹿らしさを感じさせるのであった。
 伸子は、これまで自分について常にいわれて来ている一つの悪口を思い出した。それは伸子が食うに困ったことがなく、貧乏の味を知らないということであった。あの三人の青年たちも、よりよりそんな噂をして、一つ行ってやれ、という風にして来たのだったかもしれない。
 日ごろ伸子は、自分につきもののようなそういう悪口に余り拘泥しなかった。食うに困らずに育った、という偶然の事実は、ある人々がいうように、人生がわからないことだと直訳されきれるものでない。そのことを伸子は確信していた。食うに困った覚えがないということが、ただ人間を低めるだけの意味しかないものだとも信じなかった。さもないなら、大昔から人間の善意がどうしてあんなに熱心に、貧困による不幸や暗さとたたかいつづけて来ただろう。ユートピアを考えたひとは、誰だって、まず第一に貧困というものがない社会を想像した。
 無産階級、プロレタリアという言葉は、文学の分野にも生れて来ていて、伸子はその字を賑やかに新聞や雑誌の上で見ていた。何年か前、吉野作造が帝大主催の講演会で、サン・シモンとフーリエの話をしたことがあった。その頃まだ袴をはいていた伸子は非常な興味をもって講演をききノートをとった。それから月日がとんで、無産階級、プロレタリアという声がきこえはじめた。伸子には、今の社会で貧しい人たち、労働者を無産階級、プロレタリアということはわかったが、たとえばいま帰って行った人たちのように、金もちでもない自分のようなもの、自分で働いて生活している自分を、無産階級と対立する存在のように見なされるということは納得出来なかった。労働者の娘でなく、食うに困らないからといって、伸子は自分が人間としてよく生きようとしている意志をその人々の前にはばかったり、はじたりしなければならないとは思えないのであった。
 紫メリンスの前かけをしめて、考えこんでいた伸子は、上りがまちに腰かけたまま、うしろの襖が細目にあけられたのに気づかなかった。急にそこがひろくあいて、
「ぶこちゃん!」
 不安にされたような素子の声で、伸子はかえってぎょっとした。
「どうした?」
 伸子は首だけあおむけ、
「どうもしない」
といった。
「帰ったんだろう?」
「帰った」
「ぶこちゃん、なかなかいいたんかきったじゃないか」
 その言葉は伸子にたいへん意外な感じを与えた。
「――たんかなんかにきこえた?」
「そういうわけじゃないけどさ。――生意気じゃないか、ひとのうちへ来て脅かすような声なんか出しやがって――」
「あのひとたちにすれば、はじめっから、たのみに来たんじゃないんだろうから……」
 二人は縁側に出してある籐椅子のところへ戻った。
「あれでいいのさ。よすぎるぐらいだ。くせになってしようがありゃしない」
 素子と伸子との生活で、伸子は子供らしいことをこわがった。夜道だとか、妙なきのこ、いも虫、けがや死人の話、怪談。そういうものをこわがった。だが、夜中に妙な物音がしたり、きょうのような人が来たりすると、素子は亢奮して上気した顔のままその場を動かず、別なとき臆病な伸子が出て見にゆくのだった。
 素子は、あの三人を追っぱらった、という風にいうが、じかに目の前に並んだ三つのきたない若い顔々をみ、ルバーシカの下に三つの胃袋を感じ、三人の若い男の体臭さえかいだ伸子にとって、あの人々は、おっぱらわれなかった。伸子に、のこして行ったものがある。のこされたものは、従来の伸子たちの生活になかった一つの刺戟であった。
「――とんだ飛び入りが入っちゃった。おはぎ、出来てるよ、どこで食べる?」
 素子は、伸子をいたわるようにいった。
「ここにしない?」
 運ばれた皿の上でおはぎをゆっくり箸でちぎりながら、伸子は、
「なんだか妙な心持がする」
といった。
「みんなこんな気持がするのかしら」
「――何が?――ああいう連中に来られるとかい?」
「うん」
「――税みたいなもんだと思ってるだろう」
「そうかしら……」
 関東に大震災があった年の初夏、軽井沢で愛人と共に縊死した武島裕吉という有名な文学者があった。人道主義の作家で、無産者の運動がおこってから北海道に持っていた農場を小作人にただで分譲したりした。
 伸子はその人の作品はほとんど全部よんでいた。豊富だが、感傷的なものの感じかたには肌があわなかった。特に死後に発表された女の友へ送った書簡は、その甘たるさで伸子をおどろかせた。ちょうど佃との生活が破綻しはじめているときにおこったその作家の死は、伸子をつよく衝撃した。その時分伸子はただ武島裕吉の性格や恋愛、貴族的なその環境との矛盾というところにだけ、死の原因を理解していた。伸子は、いまその武島裕吉が書いたもののどこかに、しかも一度ならず、金銭の要求に来られる者の立場から感想がもらされていたのを思い出した。文句を思い出すことは出来なかった。けれども、たしかにそれはあった。
 素子があやしんで注目するほど、伸子は念入りに皿のおはぎをいくつにもちぎりながら、それを食べるのを忘れていた。武島裕吉の生きかた、つまりはその死にかたにも賛成していない伸子は、いまの自分の心にその武島裕吉が連想されたことがいやであった。

        十五

「ぶこちゃん……動坂へ行く約束してあるんだろう」
「約束ってほどでもないけれど……」
 日曜日の朝、素子がいいだした。
「行っといでよ」
「ええ……でも、行ったって……」
「ピアノでも弾いて来た方がいいんだ」
 素子がそういうには理由もあった。土曜日のロシア語の稽古に浅原蕗子が来たとき、素子は最近のニュースという工合にして、前日来た三人のぼうぼう頭の青年たちの話をした。すると蕗子が、いつも変らないふっくりとして沈着な表情で、
「どちらがお会いになりましたの?」
と、二人を見くらべた。
「それゃ、もちろんぶこちゃんですよ。私なんぞは無名の士じゃありませんか」
「お金おやりになりました?」
「やるいわれなんかあるもんか! さすがのぶこちゃんも堂々とことわりましたよ」
 蕗子は、口元をほころばして伸子を見た。伸子はその蕗子の顔をじっと見かえしていたが、
「お金をやったとか、やらなかったとかいうだけで結着してやしないでしょう?」
 視線を蕗子の上にすえた。
「それゃそうさ」
「まして、ぶこの武勇伝なんかじゃありゃしない」
「…………」
 伸子には全くどういい現わしていいかわからないいやな後味があった。
 そういう伸子の状態を、素子は、神経にこたえた結果と解釈して、気まぎらしに動坂へでも行ってくればいいとすすめるのであった。
 月曜になってから、伸子は、八重洲町にある泰造の事務所へ電話して、昼すこし前に出かけて行った。イギリス風の料理ずきな連中が援助してその頃開業した小じんまりした店があった。そこでお昼をたべよう、ということであった。
 行ってみると、泰造はまだ机からはなれられないで、伸子は事務所に通された。いろいろな大理石の見本だの蝶番ちょうつがいだのの見本がつみ重ねてあるわきに、高いファイル棚があり、泰造はテーブルの上に青写真をひろげて調べていた。その日はモーニングを着ていて、眼鏡のはしのところを左手の指でつまむような手つきをして青写真をのぞきこんでいる。わきに白っぽいブルーズを着た若いひとが両ひじをテーブルについて、何か説明していた。伸子が入ってゆくと、ブルーズのひとは、姿勢を改めて丁寧に礼をした。だが伸子の方はその人の名も知らなかった。入口の広いところで、昼食に立ってゆく何人かの人にすれちがったときも、その人たちはほとんどみんな伸子にあいさつして出て行った。伸子の方でその人を見わけたのは、たった二人か三人きりだったのに。事務所が仲通からこちらに引越して拡大されてから、伸子はあんまり父の事務所へ出入りしなくなってしまった。名をしらず顔さえ見おぼえていない人々から、泰造のうちの者という意味で頭を下げられるのは伸子をいぐるしくさせた。
 青写真の用事がすむと、
「さ、出かけましょうか」
 顎のところに大きいほくろのある人に、来客のことをうちあわせると、泰造はさっさと事務所を出て、エレベーターのところへ行った。そういう泰造の動作は、ずんぐりなからだににあわず敏捷で、伸子はいそいでついてゆきながら、
「お母様、いかが?」
ときいた。母の様子がききたくて、伸子は出て来たのであった。
「ああ、この頃は、夜もねむれるようになったらしくて大助かりだよ」
「お父様、まだずっとあっち?」
「落着いて暮してみるといいね。駅を下りると、空気が全くちがう。第一、朝の心持がすてきですよ。この頃はヴェランダで、はだか日光浴さ」
「お客様なし?」
「絶対おことわりだよ。さもなけれゃ、行っている意味がないもの。あっちから、通っていると汽車の時間があるから、切り上げるのにもかえっていい工合ですよ。たいてい七時すぎにはつくからね」
 食事のとき伸子は、半分ふざけて、
「そういえば、お父様、前崎のモーターどうして?」
ときいた。
「もういいの? 騒動なさらない?」
「うん、大丈夫だ」
 泰造は、よっぽどこりたと見えて真面目に答えた。
「ポンプやの計算ちがいで、結局二馬力のにして、やっとよくなった。はじめっから俺はそれでなけれゃあぶないといっていたのに――」
 事務所へかえる前、泰造は丸ビルへよって髭剃りあとへつける化粧水を買った。
「前崎でいるようなものないかしら。――わたし、これから動坂へ行くから、もしあったら届けてよ」
「何にもいりませんよ」
 泰造は例の、踵の音の高く響く足どりで横浜植木の店のなかをひとまわりした。あてにして見に入ったものがないらしかった。
「ないの?」
「出ていないね、きょうは。前崎の玄関のところの花壇にバラを植えようと思っているんだが……」
 バラというと、伸子は父の誕生日にもって行ったきれいな黄色と白のバラの花を思い出した。つづいて越智が思い出された。
「お母様いつ頃おかえりになる予定なのかしら……」
「珍しくおちついているよ、ゆっくりいるがいいのさ」
「二人でいらっしゃるからいいのよ、きっと。お母様だって落着けるだろうし、お父様ったらひまがなさすぎるから駄目よ、東京ばっかりだと」
 事務所のあるビルディングの入口で泰造とわかれて伸子は動坂へまわった。
 門を入ってゆくとピアノの音がしていた。内玄関の方へまわって、女中部屋の窓の外を通る伸子を見つけて、
「あら! 伸子さまがいらした」
という声がした。ガサガサと急になにか包むこわばった紙の音がして、一人が部屋の戸をぱたんとしめた。伸子はそのまま上ってピアノの音がしている客間のドアをあけた。和一郎が一人で弾いているとばかり思ってあけたら、出まどの下の長椅子に、従妹の小枝がかけて、ピアノのよこに、和一郎の友人の松浦が制服姿で立って譜をめくっている。小卓の上に紅茶茶碗や空になった菓子鉢がとりちらされたままあった。
「あら、伸ちゃん!」
 小枝が来年女学校を卒業する、すらりとした姿で立ち上った。
「しばらく!」
「やあ、来たの!」
 和一郎も制服をきていた。松浦が、もちまえの几帳面な挨拶をした。
 これは、月曜日の午後として、伸子の想像していない客間の光景であった。あけ放された出窓から、飾られている大理石の彫刻のわきまで枝をさし入れそうにしげっている楓の若葉照りをうしろにして、小枝の血色と純白のブルーズとは生気にみちて美しい。小枝が生気にみちた少女であるだけ若い人々の間には自然の雰囲気がかもされていて、ふいと、その中に入ってしまった伸子は場ちがいな姉として自分を感じた。
「冬ちゃんどうしているかしら……」
 泰造の妹に当る母が亡くなってから、小枝の姉になる冬子が母がわりとなって家の主婦役をしていた。おなじ従妹でも伸子は年の近い冬子の方によけい親しくて、佃との紛糾に耐えがたくなった頃、冬子が療養生活をしていた鎌倉の家のそばに、二間ばかりの家を見つけて貰ってしばらく暮したりしたこともあった。小枝は行儀よく、
「あいかわらず」
と答え、思いがけず伸子に会ったのをきまりわるそうに、和一郎に視線を向けた。和一郎や松浦がいつ学校へ行くのか見当のつかないような通いかたをしているのは、学校が美術学校というところもあって、普通のことのようになっていた。
 和一郎は、ごく自然なとりなしで、やがてシューベルトのリードを弾き出した。松浦が口ずさみから段々本気になって、声量はとぼしいが正確で地味なバリトーンで歌いだした。和一郎は中学を終って間もなく、そのころ一ツ橋にあった上野の音楽学校の分教場でピアノの稽古を始めた。和一郎はいい耳をもっていた。けれども、分教場の教師が必要と考えるだけ規則的な練習をしなかった。多計代がその教師に会いに行ったとき、その点が批評された。いい耳をもっているのだが、もっと規律的に練習しなければものにならないといわれたのであった。帰って来て、それをみんなに話すとき、多計代はむしろ教師を非難した。規律正しさだけで才能はのびやしない、どうせ分教場の先生をしているぐらいのピアニストだから、いうことに見識がない。――そういう風に話した。和一郎のピアノは、いつの間にかだらだら中止になって、自己流の素人芸に落着いてしまった。
 佃との生活にもまれていた伸子は、間をとばしてところどころ、その話を多計代からきいた。そして多計代とは反対な考えかたをもった。多計代は、芸術的な才能とか天稟てんぴんとかいうものにたいしてひどく架空な考えをもっていた。自分が日本画の稽古をはじめたときも、しばらくすると師匠が平凡すぎるといって、中絶してしまった。現実には、やっと絹に牡丹の写生が一枚描けるようになったばかりのところで。――多計代は自分や自分の生んだ子どもは一人のこらず、なにか特別な力をひそめて生れついているように思っているようだった。それをのばす方法は誰よりも自分が直観している、と思いこんでいるようだった。けれども実際には伸子にしろそういう母の判断から生じるすべての細目に力いっぱい抵抗することで、やっと現実に自分らしい生きる道も辿りつづけているのであった。
 松浦はいくつものリードをうたった。それをしばらく聴いていてから伸子はのどがかわいて茶をいれに食堂へ行った。誰もいないその室の通路に面して北側の腰高窓がみんなあいていた。それは不用心だった。そればかりでなく、掃除しっぱなしでレース・カーテンが一方へ引きよせたままになっている。いかにも、男の子だけが留守をしている家のぞんざいさであった。内側が赤塗りの大きい鮨桶がその中に笹の葉だけをのこして、皿や茶碗と一緒にまだかたづけられず真中の大テーブルの上にひろがっていた。そのテーブルのはしに送り状を紐にまきつけた三越からの届け品の細長い箱が二つ、ひょいとほうりのせたように斜かいにのっている。
 伸子は立ったまま、この室内の光景に目をとられた。それは異様な感じだった。ただ主人たちが留守の家のがらんとした空気ばかりでない異様な感じがした。室の空虚さと、空虚にかかわらずそこに見えない力で運転している浪費の姿がまざまざと感じられて、伸子は異様な感じがした。
 この生活は誰のもので誰が動かしているのだろう。さっき、丸の内で一時間あまり一緒に過して来た父が主人なのだから、これが父の生活だというには、父とこの生活との間に距離がありすぎた。父は父ではっきり自分としての生活の輪をもっている。伸子は、くりかえし異様な感じにうたれた。この生活の雰囲気には、人と人とが互いにつながって何かのために生きて動いているというより、人々が何かによって生かされ、動かされていて、それについて無意識でいるような奇妙な無人格性がある。その無人格性の感じは、瞬間のうちにも追ってゆくと底なしの深さに深まって感じられる空虚さであった。
 空虚感ははうずめられなければならないというように、ぼんやりした哀感が湧いて来るのを伸子は感じた。高校生の保が瞑想メディテーションと自分の部屋の入口に貼紙するこころもち、そのこころもちの動機は、何と微妙に、しかもどっさり、ここの家の生活の明暮れにあることだろう。伸子は、ベルを鳴らした。この間電話をかけたとき、はア、はアとばかりいっていた新しい女中が、ドアから首を出した。
「ここをかたづけてね、――それからお湯わいているかしら、お茶がほしいんだけれど」
「はア」
「保さんに、お鮨とってあるの?」
「――さあ」
「ここへ出したっきり?」
「はア」
「ともかくかたづけて――おときさんはいるんでしょう?」
「はア」
 ときは、台所専門で、もう二年ばかり佐々の家にいた。
「じゃ、そういっておいて頂戴、今晩は、こちらで御飯たべてかえりますからって……」
「はア」

 四時すぎて、保が帰って来た。
「ああ姉さんもいたの!」
 保は、和毛にこげのかげの濃い上唇をうれしそうにゆるめて、こまかく詰った白い歯なみを見せながら笑った。そして、からだを半分廊下にのこしていたドアをひろくあけて、客間へ入って来た。
「この前来たとき、保さん珍しくおそかったのね、雑誌って、どうした?」
「そろそろ相談している――別にいそがないのさ」
「それがいいわ、出来たら見せて」
「ええ。是非みて貰う」
 保のために、おやつを探して来て、客間に戻った伸子は、何となしさっきまでとは違った空気がそこに出来ているのに心づいた。制服をカラーなしで着ている松浦と低い白カラーをつけている保とは、指人形の話をしていた。保は来年学校の記念祭のとき、人間の指人形で芝居を出そうと思っているらしかった。文丙に入学した第一年の記念祭のとき、どういう題だったのか、保は坊主になって、フランス語の動詞の変化をお経代りにして大好評だった。兄よりも松浦よりもよこたてに大きいからだのすこし窮屈になったズボンの膝を行儀よく椅子にかけて、保はそんな話をしている。
「ジュスイ ザーレ、テュエ ザーレってやったの?」
 つや子が宿題で動詞の変化を諳誦するとき、小さい女の子らしく甲高い声をはりあげる、その口真似をして伸子はふざけた。
「小枝ちゃんの方は? ジュスイ ザーレはやらないでいいの?」
「随意科なの」
 きちんと学校へ出た保が帰って来てからは、若い三人の話題もちがって来た。
 保は、ごくたまにしかピアノを弾かなかったし、歌は全然うたわなかった。
「外で、キャッチボールでもしたら?……もうまぶしくないわよ」
 そういう遊戯ならば保も仲間になった。伸子は小枝の方を見て、
「お気に入った樹があったら、のぼってもいいのよ」
と笑った。小枝は樹のぼりがすきで、うまいという評判なのだった。小枝は、時計をみたり、和一郎の方をそれとなく見たりしていたが、
「わたし、そろそろおいとまするわ」
と、立ちあがった。小声で和一郎に何かいっていて、和一郎も、一緒に出かける様子だった。
「僕も、そこまでゆきますから……」
 松浦が追っかけるようにして、いそいで靴をはいている背中越しに、伸子は、
「和一郎さん、おそくならないうちに帰っていらっしゃいよ」
といった。
「わたし、夕飯すぎまでしかいないから」
「ああ」
「お留守のうちだけは、ね」
「姉さん、大丈夫だよ。心配しなくても」
 必ず帰るという意味なのか、うちの方は大丈夫だというのか、どっちを心配しないでいいのかわからないようにいって三人は出て行った。すらりと背の高い、黒い絹靴下をひだの多い短いスカートの下から見せている小枝を真中にはさんで、制服の和一郎と松浦とが石じきを行く。その後姿が、伸子の駒沢の家の玄関へ来た三人の青年たちを思いおこさせた。和一郎も松浦も、頭をクリクリの一分刈りにして、古びてよごれが光る制服、制帽でいる。そして、ポケットにろくな小銭ももってはいない。けれども、この青年たちとあの三人と、なんと内容のちがう生活だろう。石じき道を垣根について見えなくなって行く三人の生活は、伸子に空虚を感じさせた。駒沢の家へ来た三つのぼうぼう頭とよごれた若い顔々が、それならば、充実した新しい生活を感じさせたかといえば、そこにも張りこの虎めいた空っぽな響があった。
 保は、畳廊下においてある洋服ダンスのところでキチンと紺絣の筒袖に着換え、手と顔を洗って、まだ客間にいる伸子のところへ戻って来た。
「きょう、保さん、いそがしいの?」
「そうでもない」
「じゃ夕飯まで話さない? わたしきょうは早くかえるのよ」
「ちょうどいい。僕は夜は少しすることがあるから……」
 伸子は、保の仲間がこしらえようとしている雑誌に強い関心があった。
「和一郎さんも中学四年ぐらいのとき、雑誌をやったことがあるのよ、じきやめちゃったけれど。――あなたの、どういう仲間でやるの?」
「ほんの三四人……気のあったものだけでやろうっていうの」
「どんなひとたち?」
「――姉さんにいっても知らない人ばっかりだな」
 考えていて、保は、
「姉さん、東大路、知っているでしょう? 外交官の方の子供が、やっぱり一緒に雑誌をやる」
といった。東大路篤治といえば、人道主義の作家として独特な存在であった。そして、近頃、九州の奥に理想村をこしらえて、そこにある河中の岩を、ロダン岩と名づけ、そのロダン岩にもたれている東大路の羅漢に似た顔の写真が雑誌に出たりしていた。
「そのひと、やっぱり叔父さんの弟子なの?」
 伸子は、東大路のあんまり空想的な理想村の考えや、自分のぐるりへひとを集めているその気分に、疑問を感じているのであった。
「特別そうというんでもないと思う――だいたいこんど雑誌やるのは、主義やなんかのためじゃないんだもの」
 それは、保の日ごろの気持からも推察された。
「それゃそうでしょう。――でも、……どういうの? こういう風につくりたいという方針はあるにきまってるわ」
「僕たち、人に見せるためや威張るために書いたものでなく、本当に自分の心を追究して良心のために書いたものを集めようと思ってる」
「――題、きまった?」
「ううん」
 保は首をふった。
「まだ……」
「その三四人のひとだけ書くの?」
「そうしようと思ってる」
「ほかのひとに書かせないの?」
「もちろん書かせたっていいんだけれど――」
 癖で、紺絣の大きい膝をすこしゆすりながら、保は柔和なぽってりした上まぶたの下に眼を三白のようにした。
「みんな、すぐ猛烈に議論するんだもの、相手を一生懸命にまかそうとばかりするんだもの――」
「…………」
「こないだも、僕、佐々は馬鹿だ、ってみんなにいわれた」
 保のそういう声のうちには、友だちにたいする反抗よりも、いうにいえない悲しみがこもっていた。伸子は、思わずその顔をのぞきこむような心になった。
「どうして?」
 熱心にきいた。
「僕は、調停派なんだって。……佐々は生れつきの調停派だって――」
「それは、佐々はバカということになるの」
「そうらしい」
 ちっとも皮肉なところなしに保は肯定した。
「調停派って――」
 社会運動の歴史も知らない伸子には、どういう意味で高校の学生たちがその言葉をつかうかわからなかった。しかし、字の上から判断して、調停の意味は、だいたいわかる――、
「保さん、そんなに調停するの」
 すこし笑って伸子がきいた。保は、
「そうしようと思わなくたって、そうなっちゃう」
 困惑したようにいった。
「どっちの議論だって、よくきいてみて、相手に勝とうとさえ思わなければ、みんなそれとしては理窟があるんだもの」
「それゃそうかもしれないけれどさ……」
 伸子は妙な顔をした。保のあの不思議に執拗な「公平」がまた出て来た。
「だって、――議論なんてものは、真中に一つ問題があって、それをはっきりさせるために起るんでしょう? だもの、てんでんばらばらに、一つずつの議論がそれとして理窟をもっているというのが眼目にはならないんじゃないの。中心の問題にとって、正しいとりあげかた、正しい解釈というものが当然ある筈じゃないの」
「うん」
「だからさ、正しい結論が出るまでの議論には、見当ちがいなのもあるわけでしょう? そして、それはすててゆくのよ。みんなそれとして理窟がある、というようなのは、変だわよ。――そう思わない?」
「…………」
「保さんが、みんなの議論してるとき、あれもこれもそれとして正しいなんていえば、それは調停派だか何だか、ともかくおかしなことだし、間違っていると思うわ」
 保は一層大きく膝をゆすりはじめた。そして、平らかな上まぶたの下からほとんどおこったように苦しく圧縮された視線を伸子の上に射かけた。
「僕がばかだっていわれたときは、暴力論だったの」
「…………」
 話がこういう風に展開したことは伸子にとって不意うちであった。伸子の心に革命、赤露、社会主義というような字が次々に浮びひらめきすぎた。
「人類のためよりいい社会をつくるというんなら、なぜそのために暴力なんて使わなけれゃならないのかなあ。――僕、どうしたって暴力ってわるいもんだと思う」
 保は、訴えるようにつづけた。
「いいことのために、わるいことをするって、まるで矛盾だと思うんだ。よくないことは、どういうためにつかったってよくないと思う」
 やっぱりそうだった。伸子はそう思った。保でさえ、伸子の知っているより遙かにどっさりのことを、仲間と話し、考えあっていたのだ。盟休した二高の学生たちばかりでなく、みんながこういうことを話している。伸子はそれらの青年たちに対して羨望の感情を抱いた。現在まだ続いている問題だと見えて、保はくりかえし、
「僕にはわからない」
といった。
「いいことのためには、絶対にいい方法をとるべきだと思う」
 いい方法。――いい方法――。佃との生活が破れかけたころから、離婚してしまうまでの数年間伸子はどんなに、その「いい方法」をさがしてもがきつづけただろう。伸子は善良さと気のよわさと両方から、佃と自分の生活の破綻を何とかして平和に解決したいと思った。出来るだけどちらも傷つけることなく、失敗したといっても、もとは愛情から出発した生活の終りらしく、その悲しみにもどこかに美しさのある調和で終らせたいと、どんなに心を砕いたろう。だが、現実に、それは可能でなかった。最後に佃は伸子を憎んだし、伸子は佃を嫌悪した。そこまで行かなければ、解決しなかった。そこまで互いをむしりあわないで生活の破綻が救われるものであったのなら、初めから佃と伸子との生活に、それだけの深い離反は生じなかったわけであった。伸子はこわさにぎっしり両眼をつぶって、がむしゃらに、ひたぶるに、佃との生活から身をもぎはなした。万事が終って何年かたったいま、伸子は、しみじみと理解しているのであった。夫婦の間の衝突でさえも、それが本質からの原因をもっているものなら、決してものわかりよく手ぎれいに解決することはあり得ない、と。互いにものわかりよく、手ぎれいに解決されるくらいなら、はじめからそんなに衝突しないですむだけの互いの理解がある筈なのだから。伸子は、離婚などということだって、いわば一つの暴力的なことだと思った。そういう意味で自分が暴力的だったのが、わるかったと思っているだろうか。伸子は、それは避けがたかったこととして、その道を通じて生活の展開の可能がつくられたという意味で、自分のしたことを否定していなかった。やましく感じる気持はなかった。
 伸子は、自分のその実感を、保の問題にあてはめた。
「わたしには、いろいろなことがわからないけれどね、いい方法って……保さんのいいっていうのはどういうのさ」
「絶対に正しい方法」
 伸子は、また新しい不安を覚えた。保は、どうして、いつも、そして何についてでも、絶対ばかりをいうのだろう。
「絶対に正しい、いい方法なんて――」
 困ったように、確信なさそうに、伸子は横目になりながらつぶやいた。
「いつでも、何にでも絶対にいいなんて、そんな方法ある?」
 ユーモラスな気になって伸子は、
「薬の広告じゃあるまいし……」
といった。
「保さんの、さっきの、どの議論もそれとしては理窟をもっているっていうのと、いまの絶対にいい方法でなければいけないっていうのと、ちょっとみると反対みたいだけれど、同じなのね、保さんの考えかたって――わからない」
 ものごとを考えるというと、具体的にそこにある問題からはなれてなんでも抽象してしまう保の方法をそれが執拗であるだけに伸子は不安に感じた。
「保さん、そういう話、越智さんとしたことがあるの?」
「すこしある」
「なんてってた?」
「――僕の考えかたは、純粋だっていっていた」
「…………」
 純粋! 何ていいかげんのにげことばだろう! 伸子は越智に対して、いつも湧く忿懣ふんまんを新たに感じた。越智は、青年たちが自分たちの生の問題としてそういう議論にも熱中するその真情がつかめるような人物ではない。現代の青年はそういう議論をする、ということだけを問題にする能力しか持っていやしない。伸子はくやしそうに、
「越智さんなんかいいかげんに卒業してしまわなくちゃ駄目じゃないの、保さん」
といった。伸子は自分の生活態度を、破壊のための破壊をこのむものだといって、多計代に一つの偏見を与えた越智をゆるすことが出来なかった。越智が多計代にたいしてとっている態度はなんだろう。ああいういきさつは、保の純粋をけがさず、周囲のすべての関係の純粋をみださないことだとでもいうのだろうか。伸子は、保の肩をつかむように、
「あんな人にかれこれいわれて、それがなにかだなんかと思ってたら、それこそとんでもありゃしない。――あんな……」
 偽善的なといいかけたその先は言葉が出なくて、伸子はただくい入るように保の眼をみつめた。伸子のそういう激しい言葉づかいにたいしても、保はあらわな反撥も、好奇心も示さず、じっと平静にきいている。伸子の性質にとって、それはもどかしく苦しかった。保は、いつも素直にきいている。でも決して自分というものをあい手に向って解放しない。伸子のいうことも一つ一つと、不思議な粘りづよさで漉して、きいている。むしろ心を動かされることを警戒してきいている。伸子は、そういう保に向って自分の心が溢れるとき、まるでせまい壜の口から一滴ずつ油でも流しこんでいるときのような息苦しさを感じるのであった。
「ね、保さん」
 紺絣の太った膝に手をおくように伸子はいった。
「いいことっていったって、そんなに永劫不変な型に入った絶対のものがあり得る? 生活は絶えず動いているのに……あとからあとから新しい条件が出来て来るのに――。いいことっていったって、それは、わるいとわかっていることを否定したり、それをなくしようとして闘ってゆく、そこに生れるんじゃない? いつだって、そうだわ、実際は。……」
 自分がそういったことで、伸子自身にも一層現実がはっきりした。本当に! いつだってそうだ。いいことは、わるいこととのたたかいの間につくられて来るのだ。
「まちがった力をどけなけれゃいいことはあり得ないとしたら、なんで正しさを防衛するの? 右の頬っぺたをぶたれたら、左の頬っぺたまで出す? わたしはいやよ。保さんは?」
「そういう場合なら、僕だって出さないと思う」
「でしょう? だもの……」
 しかし、保は内心で、そうでない場合もある、とがんこに考えているのだ。それが伸子によくわかった。
 こうして何かいっていればいるほど、保の不思議に抽象してものを考える癖につきあっているようで、伸子はますます落着けなくなった。伸子がその考えかたを否定していうにしろ、つまりはそれも抽象的な話であることはおなじなのだから。――もっときついシュッ! と泡の立つような話。保がどうしてもむき出しに自分の感情の底をわらずにはいられなくなるような、そういう人生の話。伸子はそれを求めた。保の人間性の根っこをつかまえて、その上皮にはりめぐらされたあいまいなものをひといきに破ってしまう、そういうものこそ保に必要なのだ。
 なにが、そういう種類のことがらだろう。伸子は、自分たちの生活のぐるりからそれを見出そうとするしかなかった。越智と母との普通でない交渉。それについて保と自分とでしゃべる勇気は伸子になかった。それならば、きょうのように、美しい小枝を中心に兄が見せた一種の雰囲気を、弟であり、女の子の友達のない保がどう思ってみたか。伸子にはいうまでもなく保の微妙な心もちが映っていた。和一郎が保と正反対の飄然さをつよくあらわしはじめて、余りうちで暮さないようになったのは、弟である保から感じる圧迫感の反射だということを、保が知ったとして、保がどうなろう。――
 客間のなかはすっかり薄暗くなった。青葉はずれの鈍い光が、四角い紫檀の卓の一角と、白い支那焼の灰皿のふちを細く光らせているばかりで、奥の椅子にふかくかけている保の顔は、伸子のところからほとんど見わけられなくなった。窓ぎわにいる伸子は、逆光でぼんやりシルエットを浮き上らしたまま、二人の姉弟は灯をつけないその部屋にかけていた。保をむき出しにしてやるちからが自分にないということを伸子は自分に承認しかねる撞着を感じながら……。

        十六

 多計代は前崎の家に二十日ばかり逗留した。六月も二三日で終るというころ、伸子は多計代からのよみにくい草書の速達をうけとった。例の好物がなくならないうちに、と書かれている。前崎へゆくと、いつも国府津でかまぼこを買って来るのだった。
 伸子は、茶の間でそのハガキを見ながら、
「かまぼこもらって来ようかな」
といった。
「あすこのかまぼこ、うまいにはうまいが、義太夫でいえば呂昇といったところだね」
 そして、素子はその趣向を批評するように、
「いかにも動坂の人たちの気に入りそうな味さ」
といった。全く動坂の家の空気には、渋いところや、粋なところ、そういう味はなかった。多計代の着物や帯のこのみも大味で、縞でも多計代は大名縞を、娘の伸子の方がこまかい吹きよせの縞をきるという風なちがいがあった。
 動坂の家へ行って、内玄関を上りながら、やっぱり母が帰っている生活はちがうと、伸子はおどろいた。どこがどうともいえないしまりが家の空気についていて、留守中来たときの、あの吹きぬけの感じはなくなっている。家じゅうに、近ごろずっと無かった落着きがある。それは、多計代が前崎から帰って来て、割合うちに落ちついている気分を映している。伸子はうれしい気持で、食堂へ顔を出した。大テーブルの正面の多計代の場所はからで、紫しぼりの座蒲団だけがあった。
 伸子は、
「こんにちはア」
と、大きい声で叫びながら廊下を奥の方へ行ってみた。
「おかあさま、どオこ?」
「来たのかい?――こっちだよ」
 階段下の小座敷から多計代のへんじがきこえた。三尺の茶室風の襖の奥に四畳半がかくれ部屋のようについていて、そこに多計代の箪笥や鏡台がおいてあった。家じゅうでたった一つの炬燵の炉も切ってあった。
「いいの?」
「ああ」
 唐紙をあけると、鏡台の前に坐って、髪を結い終ったばかりの多計代が背中に白いきれをかけたなり、櫛をふいていた。前髪のふくらましのしんに入れる毛たぼを揃える新聞紙がわきにひろがっている。ひとりでゆっくり髪を結った女の気分が小座敷にみちている。それは、伸子に非常に珍しかった。
「坐っていい?」
「ああ」
 多計代は、ひろがっている新聞紙をたたんで鏡台のわきに伸子の坐るところをつくった。
「おはがきありがとう。かまぼこ、まだ大丈夫?」
「伸ちゃんの分は一本別にとってあるよ」
「そうお、ありがとう」
 多計代は、いくらか目立ちはじめた白い髪を、黒いチックで塗り、かくしていた。そういう髪を結ったばかりの多計代の指には、ところどころ黒チックのよごれがついていた。耳にも掠ったような黒さが見える。伸子は、そこにあったちり紙で、母の耳の上についている黒いチックのあとを拭いてやった。
「前崎、よかったでしょう? この間、ちょっと事務所でお父様にお会いしたとき、随分よさそうにいっていらした」
「こないだうち、毎晩、なにをとっていたのか沖にずらりっと漁火いさりびが見えてね、ほんとにあの景色はきれいだった」
 伸子は、複雑な意味をこめ、
「行ってよかった?」
ときいた。多計代は、それをごくあたりまえにうけて、
「例によって三四日眠れなかったけれど……いまあっちはいいよ。ああそういえば、伸ちゃん製材所のあったの知っているだろう? カギ半の裏に……」
 ふるい東海道に面し、海を見はらす小高いとこにあるカギ半は前崎の雑貨店で、炭や味噌醤油もあきなっていた。
「覚えているわ――みかん畑のそばの」
「あすこに火事があったよ」
「まあ珍しい……海の水かけて消した?」
「村の手押しポンプが出たりしてね、びっくりした」
 多計代は、櫛のしまつをして抽斗をしめると、束髪のまんなかにいつもさしている鼈甲べっこうにガーネットのついた飾りピンをとり、もんだ紙でそれをこまかに拭いた。ひるすぎの明るい小座敷の光線で、ピンにちりばめられたガーネットは深いしぶい紅にかがやいて見事だった。伸子は、そうやって静かに髪を結ったり、ピンの手入れをしたりしている多計代の様子から、多計代の感情が一つの峠を越して、前崎から帰って来ていることを直感した。伸子へのものいいも、温和になっている。そういえば、陽炎かげろうと一緒に野火がチロチロ燃え走っているように感情の揺らぎのあらわだった多計代の亢奮した表情は、沈静され、滑らかな頬のあたりはいくらか蒼ざめて見える。伸子はピンの上に落ちている母の視線と、下目に伏せられているまつ毛のかさなりを横から眺めた。
「――あの話、どうなすった?」
 前ぶれなくふっと一枚の木の葉が落ちかかって来たように、伸子がきいた。
「わたし、やっぱり気になるわ」
 多計代は、拭き終ったピンを右手にとり、左ひじを高くあげて髷をおさえながら、束髪の真中に飾りピンをさした。鏡に向って坐っている胸をはって、しっかり、ゆっくりそのピンをさし終ると、伸子の方は見ず、あらためて鏡の中に髪の結いぶりをしらべるような目をやりながら、
「――男なんて……」
 毛すじをとりあげて、前髪の毛なみを直しながら上目で鏡を見据えつつ、
「どうしてああ卑劣なんだろう!」
 伸子は黙って、息をひそめるこころもちでじっとそういう母のそぶりを見つめた。
「あんなことをいっておきながら、いざとなると、逃げだして……」
 あんなことということが、どういう越智の話だったのか、伸子はきいていなかった。しかし、推測された。そのとき越智がいったことは、少くとも多計代にとって、越智と結婚するしかないと思わせた、そのような内容だったのだ。
「前崎から、かえっていらしたことがあったの?」
 越智との間に、いつそういう決裂がもたらされたのだろう。
「いいえ、帰っちゃ来ないよ」
「…………」
 では、多計代は伸子が想像したよりも遙かに激しく行動した。越智をさけて前崎の家へ行き、そこで考えもまとめて来るのかと思っていた伸子の推察よりも、多計代の燃えかたはずっと強烈だった。伸子に、越智との結婚について話した、おそらく次の日かその次の日に多計代はまた越智に会ったにちがいない。多分、人のいなくなった午後のおそいがらんとした研究室で。――そういう建物の中のほこりっぽい無味乾燥な室で、華やかに装った多計代が、においと熱とを放散させながら、縁なし眼鏡を顔の上に光らせて今は臆病にしりごみしている越智に迫ってゆく光景を思いやると、伸子は涙がにじんだ。越智のおじけづきかたが、伸子にまざまざと感じられた。意外の重量が自分の体面の上にくずれかかって来たことにおびえながら、越智は多計代の素朴さ、むきさを侮蔑して考えたにきまっている。その表情が伸子に見えるようだった。越智が理想だといったシュタイン夫人は、十八世紀の小っぽけなワイマールで、調馬師の細君で、宰相であり文豪だったゲーテに恋着されていることを、夫妻ともどもの名誉と思う卑屈な宮廷婦女にすぎなかった。伝説は時になんと愚劣だろう。
 多計代が、その途方もない真率さで、越智にいわせれば、おそらく粗野で、機略も年甲斐もない若さでひた迫りに越智に迫ったことを、伸子はよかったと思った。そこに、多計代の女としての威厳が感じられた。自分の生存の全重量をかけてみて、越智がそれをもちこたえられる男でなかったことが確かめられたことはよかった。けれども、母が、情熱が凝って焔となったようなつめよりかたで、ああおせば越智にこうはずされ、ここをおせばああとにげられ、ついに全く幻滅していったこころの過程を思いやると、伸子はからだがふるえた。自分のこの手のひらの下に容赦なく鳴る越智の顔がほしかった。そういう切迫した場合でも、瀑布のように自分の上におちかかる多計代の情熱を、支え切れず圧倒される人物の悲鳴でこたえる越智ではない。いつもの、あのよせ木細工の衒学と論議で、負けたと示さずに多計代を退かせたにちがいない。おそらく多計代の自尊心がそれ以上耐えられないように、身をかわしながら、……。だからいうのに。――胸いっぱいに渋く湧く涙をとおして、この七つの言葉が伸子の心じゅうに鳴った。
 多計代はもうそれきり何もいわず、鏡台にレースの鏡かけをおろしている。ふっさりと大きい庇の前髪の下に、多計代の顔は堂々と沈静されていて、そのかげに無限の軽蔑がふんまえられているのが感じられた。
 その午後、多計代は珍しく戸棚の前に坐って、息子たちの下着類をよりわけたり、雑巾に縫う布を見つけたりした。伸子はそのわきにくっついて見物していた。そういう家政のことをしている多計代の表情には、何ヵ月かの間、彼女にとって目に入って来なかった家の内の些細なことごとが、いま、はっきり見えて来ている、という風があった。丁寧に、真面目に、いつもより言葉すくなくシャツを畳んだり、布地をわきへどけたりしている。その母の様子には、伸子の心をうつものがあった。越智にたいして、苦しく燃えあがっていた多計代の憧れの焔は、おそらくは多計代として女の若さが自覚される最後の情熱のはためきであった。その不安な激しい生命のゆらぎは、越智の人間の小ささと、感情の冷やかさで哀れにうちくだかれた。けれども、こうして、堂々と軽蔑の上に落ちついた母を見ていると、伸子はやっぱり悲しかった。多計代のあんなに激しい、本気だった女としての動揺も、土台のところでは、決して全生活がそこにかけられているものではなかった。辛辣にいえば、物質の上でみち足り、妻として良人からその肉体もみたされている年配の有閑な夫人が、自分の生活に欠けているものに憧れてそれに敗れたことではないだろうか。もしそうでないなら、伸子には、母が、越智にたいする軽蔑ばかりをつよく示しているのがわからなかった。多計代の眼のなかに苦しさと歎きのないのが、伸子にせつなかった。年や境遇に矛盾するような女としての若さが、計らずもそれを最後と燃えたった。その自分の情に深い哀れを感じてもいないらしいのが、伸子をいたませた。越智が軽蔑される心情をもっていることは事実であるけれども、第三者の目は以前からそれをみていた。多計代は、自分の真情が侮蔑されて、はじめて越智の本質を見出したのだった。軽蔑すべきものに自分の女の心がそんなにも傾いたというその事実を、多計代はどんな風に自分の心の奥にうけとっているのだろうか。つきつめれば奥のふかい自分への失望と歎きを、越智への軽蔑によって支えているように思えて伸子はこわかった。まして、多計代が越智一人への軽蔑を多計代らしく敷衍ふえんして「男なんて」というとき、伸子は漠然と恐怖を感じた。伸子は佃とこそ生活出来なかったし、結婚ということをまたくりかえしたいことと思えなかったが、それは多計代のいうように「男なんて」と結論されるわけのことではなかった。よしんば男そのものが伸子にとって自然な牽引をもっていたとしても、女がその妻となったときに生じて来た家庭と、その中での男女の関係が、伸子にとって自然になじめないものなのだった。男なんて、といいながら、妻であり母であることに新しく落ちついたような多計代の姿は、そこから飛び立とう、飛び立とうとしているようだった時とはまた別な居心地わるさを伸子に感じさせるのであった。
 多計代は、うこん木綿の大風呂敷に、もう使えなくなったシャツ類をまとめて、しばっている。そうして整理された古着、古布類は、佐々の田舎の昔なじみの農家であるおかめばあさまのところに送られた。おかめばあさまは、それをつくろって子や孫にきせ、その役に立たない分はこまかく裂いて機にかけた。風呂場の足ふきや、畳廊下のしきものになる厚いくず織が、二年に一度ぐらい佐々の家へ送られて来た。
 伸子は、いまにもなんとかいいたそうに、ちらり、ちらりと指環のきらめく手でぼろをわけている母を見た。が、とうとういいそびれた。多計代は、多計代らしく越智とのこころもちを決算した。心をかたくし、軽蔑によって自分のうける傷をかるくすませている。そこに、女の年齢と、夫人として生きて来るうち、いつか身についた不思議な厚かましさがある。伸子にはそう思えた。だけれども、保はどういうことになるのだろう。伸子はそのことをしりたかった。いままでどおり、保は越智とつき合ってゆくのだろうか。本当に人間として越智から影響されるのは若く受けみな保だと伸子は思った。その保の身に即して、多計代は自分の心がへたばかりの苦い思いを、どう結びつけて見ているのだろう。
 多計代のほとんど毅然としたという風な美しい横顔には、伸子がそこに求めているこまやかなニュアンスが微塵もなかった。多計代は越智を軽蔑しきることで、自分の高まりを感じ、そこに誇りをたもっている。伸子は、いつだったか父の友人が、保さんという御子息は奥さんの情熱の子パッショネート・チャイルドですね、といったことを思い出した。多計代は、そういわれたとき非常に満足の表情をした。保が生きてゆく具体的な内容よりも、多計代にとっては、彼がいつも変らない母の情熱の子パッショネート・チャイルドであるという意識の方がさきに映っているのではないだろうか。保は、どういうことになるのだろう。伸子はどうしてもそれが気になった。堂々と、自分の問題はわりきれたことに誇りをとりもどしている多計代の様子は、忘られ二の次にされている保への残酷に似たものとして伸子に感じられた。

        十七

 そのころになって、素子の翻訳の仕事がほとんど完成した。前の年の初夏に着手されたものであったから、一年ぶりで出来あがった。素子としてはじめての大きい仕事であったし、文学史の上でも、ロシアの近代古典作家の生活の鏡として、特にモスクワ芸術座のはじまりごろの文献として、価値も興味もふかい書簡集であった。
 出版書肆しょしはきまっていなかった。けれども、一仕事終った素子ははればれとした顔つきで、赤くすきとおったパイプをくわえながら、厚く綴じこまれた原稿がいくつも重ねてのせられている机のまわりをまわって歩いた。そして、ふっと何か思いつき、頁をめくり、それなり腰をおろして一つ二つ字句を直したり、縁側の方に立って逆に机の上の辞書をひらいたりした。それは、いかにもたのしそうな様子であった。
 伸子はわざと自分の机のところから動かず、
「胃弱はいかが?」
と、そういうたのしそうな素子にきいた。
「いかにも悪そうな顔色だことよ」
「意地わるいうもんじゃないよ、ぶこちゃん」
 そして、ちょいと歯の間から舌のさきを出して、
「ほんとに。――直っちゃってる!」
 首をすくめながら小声で眉根をあげていった。
「だから本当でしょう? いるのは薬じゃなかったのよ」
「いちごんもないね」
 伸子がはじめて会ったころ、素子は不眠だといって、アダリンをのんだり、胃弱だといって散薬をのんだり、昼間でもなまあくびばかりしていた。小麦色の肌もさえなかった。伸子は睡眠薬の必要を知らなかったし、一人暮しをしている女がそういう薬を常用したりすることが気にそまなかった。伸子は、いくら素子が眠れなくても、おしゃべりや読書につきあう代り睡眠薬はやめにした。胃弱用の薬というのも、きれたときを機会にやめた。それからしばらくして、素子はこんど出来上った翻訳にとりかかって、昼間のなまあくびを消滅したのであった。
 伸子のところから、関西風に袖の短い銘仙絣をきて、頸根っこに重くまるめた髪をこちらに見せ、机に向っている素子の横姿が眺められる。その素子が、昨今は忘れて暮しているなまあくびも、素子の一生にとっては因縁をもっていた。素子が、私立大学の露文科に勉強していた頃、その担任教授が、夏休みの間、積極的な学生数人をグループにして伊豆の海岸にある辺鄙へんぴな温泉へ行った。質素な宿屋暮しをして、休暇中の勉強がてら、その教授の翻訳を手つだうという仕組であった。休暇も終りに近づいたとき、教授の発企で、みんなが大島の三原山へピクニックに出かけた。素子も当然その一行に加わって。――
 海は荒かった。島へついた一行はいよいよ三原山のぼりにかかったが、一行の中でただ一人の若い女性だった素子は海でもまれたためくたびれて、間もなくついて行けなくなり、登山道のはたにある岩に腰かけて休むことにした。一行は先へゆき、一人の青年が素子とともにのこった。その青年は同じ大学の卒業生ではあったが科がちがった。政治科を出て高文の準備をしていた。偶然、同じ宿にとまりあわせ、夏の休みの勤勉であるがくつろいだ集団生活の中で接触し、三原山のぼりにも参加した。その青年が、岩に腰かけた素子の足もとにのこった。海水浴のときかぶる経木真田のつばびろ帽子で烈しい晩夏の光線を顔のところだけさえぎり、白い麻の着物をきて、ふっくりした手にえくぼのある素子の足もとに、スポーツ・シャツ姿のその青年が横になり、ぽつり、ぽつりものをいっている。素子は次第に胸苦しさがしずまってきた。そして何心なく、あくびを一つした。つづいてすぐまた一つした。間をおかず三つめのあくびが出たとき、素子はぼんやりした狼狽を感じた。どうして、こんなにあくびが出るんだろう、そう思った。そして、もうあくびをしまいと思った。あくびは普通退屈のとき出るものとされている。足許の青年は、自分がそんなに退屈なものと思われていると考えたら不愉快だろうし、素子はその青年に対して好い感情をもっていた。素子が、もうしまいと心で力めば力むほど、あくびはとまらなくなった。その青年はひょっと顔をあげて素子の顔を見、何かの話をきり出そうとした途端、素子の心もちとは全くちぐはぐなあくびがとめどもなくまた出た。青年はおどろいた様子で、素子がものも云わず涙をこぼしあくびしている顔から視線をそらした。素子は、そのときはっきりと感じた。何かの機会が、二人の間から去ったということを。素子は、素子らしく、
「畜生! どうしたんだろう、このあくび!」
とわが身をつねるように罵るそばから、あくびはとまらず、青年は、おだやかに慰めた。
「疲れたんですよ。――よっぽど疲れたんだ」
 しかし、何かの機会はすぎてしまった。
 余りあくびが出つづけて妙にからだがくたくたに力抜けしてしまった素子は、その岩のところまで戻って来た一行と合流し、みんなにたすけられて宿へ戻った。
「しゃっくりというものは、二十四時間つづくと死ぬっていうが、あくびはどうですかね、そういうことはないんだろうね」
 奄美あまみ大島生れの、髭の濃い教授は、それが若い女性であるということで一層こころもとなさそうに、まだときどきぱふと口をあけては苦しそうにあくびをしている素子をかえりみた。
「若いご婦人は笑いがとまらない、ということはきいているが、――どうも……こういうこともあるものかな」
 医者のよびようもなくて、おいおい素子のあくびはおさまった。それから数年をへだてて素子はまたその青年とあった。そのときは仙台であった。青年はもう地方官としてそこにつとめていた。素子は、自分からそのひとを訪ねて行ったのであった。そして、勤めさきから、帰りにまわって来るそのひとを、土地の料亭で待った。芸者がよばれた。それは素子が云い出したことであった。
 素子が、そうやって仙台までさりげなく出かけた心のうちには、昔、伊豆で過した夏の思い出があり、三原山の思い出があった。あのとき、計らずもあくびでそらされた機会への関心があった。それにひかされて仙台へ行ったのであったのに、素子は、さし向いの晩餐をてれて、我からぱあとした雰囲気にしてしまった。その晩、仙台の町を素子の宿まで送って来る途中、そのひとは笑いながら、三原山の昔話をした。
「実は、あのとき僕は、あなたに求婚しようと思って大決心していたんですよ。ところが、あのあくびだもんだから……全くおどろいたなあ」
 そのひとは、そういいながら快活な高声で笑った。二人の間ではもう笑って話す昔のひとつばなしとして笑った。素子は二度めに、そして永久に、機会が去ったのを感じた。そのひとは、仙台でも、まだ独身であった。けれども、料理屋で待っていて、お給仕に芸者をよぼうという女の友達に、自分の妻を連想さえ出来なかったのは、無理もなかった。それが無理のないことであるということを、素子は万事がすんでから、そのひとが、帽子に手をかけて、
「じゃあ、またいずれ。また北海道へゆくときでも通りがかったら、しらして下さい。おかげで愉快だった」
といってわかれて行ってから、はっきりと理解したのであった。
 伸子は、素子からそういう話をきいた。
「北海道って――どうして? そのとき行ったの?」
「まさか仙台へだけ来たなんていえやしないじゃないか」
 素子は、真面目にいった。
「それからどうしたの、いま、そのひとどこにいるのかしら……」
「九州の方に赴任したらしい、ハガキが来たっけ」
「――九州へは行ってみない?」
 赤いパイプをかんでいたが、素子は、
「もう結婚しちまっているさ」
 全然、自分に関係のなくなった状態として、そういった。
 その伊豆の夏休みの集団生活のとき、上級生で一緒にいた小川豊助が、こんど素子の仕事が一段落ついた慰労に招いてくれた。
「ぶこちゃん、いつがいい?」
「さあ、わたし、あんまりよくしらないし……」
 小川豊助が「オブローモフ」を訳していて、それは伸子もよんでいた。素子は、小川豊助が湯島天神の境内の小料理やの女といきさつをおこしたとき、豊助にかわって、話をつけに行ってやったりした間柄であった。
「一人でいったら?」
 伸子は、何となしおっくうだった。伸子が小説をかいたりするせいもあって、友達となるのは大抵の場合その家の主人であり、そこの細君のこころもちに向ってくばられる神経が伸子として、多くの場合二重の負担だった。主人であるひとと話がはずめばはずむほど、伸子は細君にたいして愛想よくなくてはならない自分を感じた。そして、細君との話題は、主人であるひととの話題とはまるでちがった内容で、素子のように「男のような方」と思われていない伸子はそれが重荷なのであった。現実には、素子の方が、食物のことだの、着物のことだのを遙かにくわしく知っているのに――。
「ぶこちゃんも行くっていってやるよ、いいね、十日に――」
 ハガキをかきながら素子は、
「ぶこちゃんのひっこみ思案は、謙遜からじゃなくて、傲慢からさ」
といった。
「だからどしどし、ひっぱりだしてやるんだ」
 約束した日の午後、素子と伸子とは一旦新宿でおりて、小川豊助のところへもってゆく手みやげを買った。
「タバコにしよう」
 素子が新宿駅のプラットフォームを歩きながらきめた。
「自分じゃなかなか気ばれないもんだから」
 タバコずきの素子は駅の売店で、ウェストミンスタアのプレインを五箱買い、自分のために一箱買った。
 素子が自分の買うのはきまっていても、あれやこれやと外国タバコの箱を出させてたのしみらしくひねくっている間、伸子は同じ店頭で新刊書を眺めた。その朝の新聞が少しのこっている。そのわきに無産者新聞というのが重ねてあった。名はきいていたが、伸子はほんものをはじめて見た。ほかの大新聞はどれも一面いっぱいが広告で「わかもと」という四つの字をぶっこぬき縦にとおしてみたり、予約募集の出版広告でうずめているのに、その無産者新聞は、田中義一の軍閥内閣の満蒙侵略の画策に反対せよと東方会議の記事を一面にのせていた。「蒋介石も奉軍攻撃」と張作霖の没落の記事がある。広告だらけでないその新聞のしまった表情が伸子の心にふれた。伸子は手にとって見ていた無産者新聞をそれなり四つにたたんでふくさの中にしまい売子の男に五銭白銅を一つわたした。
 伸子たちは、新宿駅の横手からガードをくぐってゆく電車にのった。小川豊助は、鍋屋横町でおりて、少し奥へ入ったところにいるのであった。
 郊外の住宅地らしい生垣の間をゆくと、つい通りこしてしまいそうな垣根の隅に、横向きのように簡単な門があった。二階が見えていて、その門を入るといきなり右手に井戸があった。いきなり井戸のある門口は何だか風変りで、そういう家に住む小川豊助という人がオブローモフを訳しているということも、伸子を気やすい思いにさせた。
「こんちはア」
 格子の前で素子が声をかけた。返事がなかった。
「――いないんですか?」
 そういいながら格子に手をかけたら、すらりとあいた。
「不用心だなあ――小川さん! わたしですよ。いないんですか?」
 そのとき二階から大柄な二十四五の女がいそいで降りて来た。そして、
「ようこそ、どうぞ」
と玄関に膝をついた。そのあとから、小川豊助も降りて来て、階下口の鴨居へ片手をつっぱるようにして顔をまずのぞけながら、
「やあ、よく来て下さいました、どうぞ、どうぞ」
 初対面の伸子に向って、改めて頭を下げた。小川豊助はこまかい縞ちぢみの単衣をいくらか胸のはだけたように着て、ゆるく兵児帯をまきつけている。年より早く頭がはげていた。にきびのあとのでこぼこがあるあぶらぎった顔の上に、小ぶりな銀ぶち眼鏡がかかっている。それは好人物の印象であった。
 二階の書斎兼客間に通された伸子はそこにある一つ一つのものに興味を動かされた。その部屋の一隅に大きい茶色の書きもの机が置いてあった。その机は、伸子が本の插画の古い銅版画で見ているプーシュキンの書斎にあった机のような型で、グリグリのついた足と、いくつもの小引出しとをもって、いかにもロシアの古机であった。壁に、海洋を描いた画家として有名であったアイバゾフスキーの嵐の夜の海の写真版がかかっている。反対のもっと光線のすくない方の壁に、この間うち開かれていた現代ロシア美術展のとき売っていた赤いサラファンを着た太った若い女の絵の色刷りがはってある。それがロシアの復活祭のとき飾る色つけ玉子を真似したおもちゃだという、こまかい朱うるしで絵をかいた玉子形の飾りが本箱の上にあるのを見て、伸子は、
「持って拝見してもいいかしら」
 そっととりあげて眺めた。日本のうるしの細工とまるでちがう手法で、赤い玉子のおなかにまた楕円形の灰色の地があって、そこに橇遊びをしている冬の湖上の風景がミニェチュア風に描かれている。
「だから来てよかったじゃないか、ぶこちゃん」
 素子が本棚のところに立っている伸子をからかって、小川豊助にいった。
「なかなかひっこみじあんで、きょうもはじめは、わたし一人で上れっていっていたんですよ」
「本当によく来て下さいました。屑のようなものだけれど、こうして日本でみるとなつかしいもんですな。――ハルビンにいたときの記念品みたいなわけで……」
 さっきの若い女のひとが、お茶を運んで来た。細君の妹ということだった。やがて、
「どうも、失礼いたしました。つい、手まわしが下手だもんで……」
 そういいながら、あっさりと木綿の白地の単衣を着た細君が買物から戻って来た。その細君をみて、伸子は、妹という若い女との対照をつよく感じた。細君は小柄なひとであった。しまった浅黒いからだで、小じんまりした顔の造作のなかに、二つの眼がからだの小ささに似あわしくないつよい光をもっていた。愛嬌がよくて、声を立てて笑うのに、その二つのつよく光ってる眼の中は笑わなかった。伸子は、その笑わない眼が無視できなかった。自分だけは、姉とちがって薄紫の銘仙の単衣を着て、人絹であるけれど華やかなアマリリスの花のついた帯をしめ、大柄なからだのぼってりとしたしなやかな重さを一つ一つの動作につれて自分でもたのしんでいるような妹というひとのどこかゆるんだとりなしは、つつましくまめな主婦の気分で統一され、それを意識している姉とひどくちがった。一つ家の中で、小川豊助を中心にして、姉と妹とが、女としてそういう対照的な存在となって生活しているように感じられ、それは、素子が関西の生家を出て暮している理由にも似ていた。素子を生んだ母は、色の浅黒い、地味で実直な町家の主婦であった。あとの弟妹たちを生んだひとは、姉と反対の色白で、ぽっちゃりしていて、音曲おんぎょくの上手なひとである。
 素子は、早速買って来たタバコの箱をあけてすいながら、古い友達の調子で、小川豊助とあれこれと仕事上の話をしていた。
「あなたにしちゃ珍しいもの訳したんですね」
「ああ。あのレーニンですか」
 小川豊助は、すこし顔をあからめて、はげている頭をなでた。
「是非ってたのまれましてね。柄にないもんだがやってみたんです。やってみると、面白いですね、文学の下らないものよりよっぽどためになったし、面白かった」
「でも、あの題、何だか文学くさいじゃありませんか」
 伸子も同感で、ほほえんだ。二三日前の新聞に彼が訳したレーニンの本の広告があって、その題が「一歩は前へ、二歩は後へ」とあった。伸子はおかしがって、
「どっちへゆくんだかわからないみたいだわ」
と笑った。素子も、
「オブローモフだ、これじゃ」
と笑った。そのことをいっているのであった。
 夕飯の食卓に、それもハルビン時代のものだというウォツカ用の切子きりこの瓶が出た。それには葡萄酒が入れられていた。白い卓布をかけた卓に、小さいコップが並べられて、台所と茶の間の往復は、水色のエプロンをかけた細君がした。妹のひとが、小川と素子の間に坐って、とりもち役にまわった。
 葡萄酒ですこし赤らんだ素子が、
「あんなに姉さんにばかり働かしといて、いいんですか」
とじょうだんのようにいった。するとしめた障子のむこう側から、
「いえ、いえ。こっちは一人で十分なんでございますから……どうぞ御心配なく――」
 下を向いた手もとでは細かく何かしているらしい声で細君が答えた。
「わたしは、なにも出来ないもんですから……」
 妹のひとは、そういって声を立てずに笑った。そして、ちらりと小川豊助を見あげた。小川豊助は、素子からもらったタバコに火をつけて、それを右手の指の間にはさみながら、その場に錯綜した神経にも格別煩わされもしていない風で葡萄酒をすすった。
 二階へ戻って、小川と素子は縁側の籐椅子へ出た。
「ここがヴェランダになっているといいんですがどうも……」
 小川豊助は、
「ハルビンあたりでさえ夏の別荘ダーチャ気分はいいですなア、夜、ヴェランダで涼みながらサモワールをかこんでいると、ギターがきこえて来たりして……」
 追懐につれて俄かに思いおこしたらしく、
「そういえば、いよいよ日本からの国賓もきまったようですね」
といった。
「へえ」
 素子は、
「そうですか? いつ?――ちっとも知らなかった!」
 刺戟をうけた表情になってききかえした。
「そろそろ旅券も下りるらしいようですよ」
 ソヴェト・ロシアが革命十年の記念祭に、世界各国から文化代表を招待して、一ヵ月間国賓として見学させるという計画が、春ごろから噂にのぼっていたところであった。
「誰です?――国賓は……」
 国賓というとき、素子は、皮肉なゆっくりした口調になった。
「大体、噂にのぼっていた人々らしいですよ」
「あ、佐内満、秋山宇一、瀬川誠夫、そんなところですか」
「それに尾田君も加わっているらしいです」
「尾田君が?――国賓?」
 素子は、タバコをもっている手で自分の顎を下からしごきあげるようにしながら、あおむいて笑った。
「すごいことになったもんだ――誰がきめたんです?」
「それは、こっちに来ている文化連絡の代表と相談してきめたんでしょう」
「その相談をした人が問題なのさ」
 小川豊助は、鋭い素子の勢におされて、しばらく沈黙していたが、
「やっぱりいろいろのいきさつもあるんでしょうし……」
 苦労になれ、また同時にそういう派手やかな場合、問題の圏外におかれつけて来ている人のおとなしさで小川豊助は答えた。
「交渉した人をとりのけてきめることも出来なかったんでしょう」
「しかしそれゃ情実ですよ。いやしくも国賓となれば、日本の文化人の代表だもの……変だなあ」
 素子は、非常に根づよく追究した。
「どうして、登坂先生をのけものにしたんだろう。ロシア文学関係では、芝居の佐内さんと同じに功績のある人なのに――独創的ではないけれど……不公平ですよ」
 素子が、伊豆へ一緒に行って一夏暮したのはその登坂教授であった。
「そんな不公平を、どうして後輩がだまっているんだろう。薄情だ」
 伸子は、かたわらからきいていて、どこにでもおこることがまたここでくりかえされていると思った。外国人同士の間で、まっさきに自分を紹介し、自分を推薦し、代表らしく扱わせる人々というものが、いつも必ずしも本国の人全体からそれだけの価値をもって見られているというのではない場合が多い。伸子が、少女としてニューヨークの大学の寄宿舎に暮していたときも、外国の人々の前に、茶だの生花だの振袖だので自分をあらわしてゆくある種の人の方法に対して、いつも調和しにくかった。ほんとの人間としての日本人の精神にある教養、世界の輪の一つとしての日本人のこころは、もっと奥にある。伸子には、そう思えて、領事館などで催される社交的な集会などへ、伸子も若い日本の娘の一人だということで、日本服などを着せられ、接待役によばれることを、きらった。国際的な感情といっても、それはあらゆる外国の通俗の慣習にただなじむことではない。外国の人間の新しい感覚でそれを感じあって、より高い偏見や先入観のない関係へすすめてゆく。好奇心をより人間らしい、互にわかったものにしてゆく。おぼろげに伸子の感じている国際的という内容は、そういう方向をもっていた。
 夏の宵闇に涼みながら、ソヴェトへの国賓のとりざたをきいていると、伸子は、ロシアという国に錯綜している古さ新しさについて、またそれをとりかこむ国々の人の好意のなかにさえある古さと新しさ、利害のまじりあいについて、複雑な心持がした。ロシアが、ソヴェト・ロシアと呼ばれるようになり、ペテルブルグがレーニングラードと名づけられてからのロシアについて、伸子は、一般の人々が知っている以上のなにも知っているといえなかった。ただ、トルストイによってあのように描かれたロシアの生活、チェホフの語ったあのロシアの感情、そしてチャイコフスキーの悲愴交響曲や胡桃割の舞踊曲がその諧調で世界のこころに刻みつけたあの胸せまるロシアが、新しいロシアになったということについては、深い深いおどろきと魅力とがあった。そのロシアへの国賓ということには、それに向って人々を注目させ、嫉妬させる刺戟がこもっている。せり合って、幾人かの国賓の中に加わろうとする心に、まじりけない憧れ、好学心しかないといえば、その無垢さはかえっておとぎ話めいた。日本における新しい国の代表とされている古い人――事実その東洋学者は若くなかったし、歴史的に新しい人でもないらしかった――おくれた日本という国の新しさを代表して国賓になろうとする人々のうちにある陳腐さ。あらゆる場合どこにでもあった陳腐さや浅薄をとおして、しかもなおそこに実現されようとしていることは、世界の歴史にこれまでなかった一つの光景なのだ。観光は、言葉そのものの意義を変化させようとしている。
 素子と伸子とが、そろそろ帰らなければ、といい出す時分になって、俄雨がふり出した。
「この分ならじき上るでしょう」
 そういって、素子はちょいちょい雨の音に耳を傾けていたが、だんだん風が加わって来て、しめた二階のガラス戸に、折々ザーとふきつけられて雨脚が流れるようになった。
「おとまりになっていらっしゃいましよ」
 細君がしきりにすすめた。
「お二人ぐらい、夏ですもの――ああ蚊帳もございますことよ」
 どうしようかと躊躇しているうちに、いきなり、天の一方で皮のゆるんだ大太鼓をたたいたような雷鳴がした。伸子は、口の尖ったような表情になって、いそいで電燈の下から壁ぎわの方にいざった。
「おきらい?」
 白粉のある顔をむけて、ちっともこわくなさそうに笑いながら妹のひとがきいた。
「駄目なの、わたし……」
「――どうも、それゃあすみませんな」
 小川豊助が、当惑したように、雷が主人である自分の責任であるように額に手をやったので、こわがっている伸子まで笑い出した。その晩、伸子と素子とは、ハルビン製だという、卵色の毛の長い毛布をかけて、小川豊助の家に泊った。

        十八

 素子は、出来あがった翻訳の出版社をきめる用事で数日つづけて外出した。夏の西日を駅で買った夕刊のたたんだのでよけながら帰って来ると、すぐ浴衣にきかえて素子は、
「ばかにしてる!」
と、おこった。
「現代小説なら、いくらでも出したいんですが、だとさ。――これだから、ろくな翻訳家が出ないんだ、きわものばっかり追いまわして……」
 出版戦国時代という言葉が文芸批評のなかにさえ出て来たほど、予約の大規模な出版競争が行われていた。
「現代のものだって、つまらないのがあるのに――『太陽の根蔕こんたい』みたいに――」
「そうさ!」
 ポリニャークというロシアの新しい作家が前の年日本へ来た。そして、秋山宇一そのほか無産派と云われる芸術家やロシア文学紹介者たちと日本見学をして、見聞記をかいた。それが訳され、「太陽の根蔕」として出版された。その本は、作者がどんな観察者であるかということを知るには役だったが、日本の現実を報告するという点では、日本の読者にも、従ってロシアの読者にはなお更役に立たないものに思えた。ちがった意味でのフジヤマ・サクラにすぎなかった。
 素子は、行ったさきざきで、例のロシアへの国賓出発の噂話をきくらしくて、内輪のとり沙汰までつぎつぎと伸子にもつたえられた。それらの話はどれも、小川豊助の家の二階で感じたと同じ悲哀を伸子に感じさせるばかりであった。
「――やめましょう!」
 伸子は自分の顔の横で手をふって、いった。
「いくらいやなことくりかえしたって、別の人に変るわけじゃなし――行けばいいのよ! 行けば、うそが通用しないことが本人にもわかっていいのよ――」
 椅子の上でむき直って伸子は素子にいった。
「あなたがロシア語だから、なお、もうやめにしましょうよ、ね」
 素子としては正義派めいた感情の面に立って批評しているだけなのだろうが、少くとも伸子には必要以上の執拗さがそこに感じられた。
 二人が住んでいるその郊外の家の界隈は竹やぶが多くて、七月に入ってからは昼間でも蚊が出た。ほそい蚊やり線香の煙が、机の足の間から夏草の繁茂した女住居らしい庭へ流れている。電燈をつけるにはまだ早い伸子の机の上に、このあいだ新宿の駅で買った無産者新聞がひろがっていた。素子が出かけていたその午後、伸子は一人でたんのうするまであちらこちらうちかえして、その新聞を見た。大正一四年九月二〇日創刊(毎土曜日発行)というところから無産者新聞といくらかくずした字でかかれている題字の裏にある装飾の、毛の長い麦の穂や歯車・鎌・鎚・寸断されている鉄鎖などまでを、こまかに見た。記事もすっかり読んだ。伸子は興味をうごかされて、七月二日という同じ日づけの、ほかの大新聞をもって来てみた。両方をみくらべると、無産者新聞が週刊だから記事の扱いかたがちがうというばかりでなく、たとえてみると、観客席からばかり観ている舞台と、舞台うらから見ている舞台とのちがいのようなものが、記事の扱いにあった。ほかの大新聞では、出兵のことも、川崎造船のこともただどうなったかということだけしか語っていない。なぜ、それはそういうことになったかということは、もう一つの無産者新聞でだけ話されている。毎日毎日の事件が、このふたとおりの新聞で、裏からと表からと照し出されて、はじめてほんとの現実になるという発見は、伸子にぴったりとしてわかる実感だった。小説はそうなのだから。なぜ? そして、どうして? この二つなしで小説というものは出発しないから。
 四頁しかないその新聞の紙面には、伸子が自分の日々にちっとも感じたことのない権力の圧迫というものを、日夜直接に痛烈にこうむって、それと抗争している人々の息づかいがみなぎっていた。いつか玄関に来た三人の、ぼうぼう頭であぶらと垢でひかる顔をした青年たちが思い出された。つい先日、灯をつけない動坂の家の客間で保と話した話の内容や、その背景となっている学生たちのこころもちも思い浮んだ。これらはみんな伸子の生活のなかにおこっている筈のことであった。それだのに、伸子のきょうは全く平穏で、このとおり籐椅子にかけ、庭には盛夏に向って繁茂した夏草の午後のいきれがこめている。晩には、すだれの下った茶の間で、おとといそうであったように、今夜も冷たい京都風な煮うめんをたべるだろう。――
 その平穏は、しかし伸子自身にとっても何となし澄明でなかった。新聞に、二高や松山高校の盟休について、水野文相が断然処分する、と断言したために、それらの高校の校長がつよ腰になっているばかりでなく、学内の暴力団があばれているということが云われている。これは、ほかのどの新聞にも出た。こういうことのうちには伸子に自分の平穏を懐疑させる事実があった。
 文相である政友会の政治家の細君は、萬亀子といって、多計代とは、明治の初めに建てられた貴族的な女学校の同級生であった。どちらかというと親友の部類であった。萬亀子夫人が熱心な天理教信者であるため、ときどき互の意見が合わなかったが、それがすぎると、芝居の切符のことだの、同窓会のことだのと、電話でながくしゃべり合った。伸子たちは小さかったころ、その夫妻をおじさま、おばさまとよばせられた。
 保は、この間、佐々は、ばかだ、生れつきの調停派だ、といわれたと伸子に話した。それは、保の通学している七年制の坊っちゃん風の高校にさえも、調停派でない学生たちの気分があるということではないだろうか。もし、保がちがった生れつきで、生れつきの調停派でなかったなら、多計代がかつておじさまとよばした、その大臣に、やはり保も処分されただろう、断然と。彼はとりも直さず、その文相であり、保はその学生なのだから。
 この春、前崎にある佐々のうちへ、大磯の別荘から、萬亀子夫人が遊びに来たとき、多計代はいあわせた泰造はもとより和一郎まで加勢させて、箱根へドライヴしたり、力をつくしてもてなした。僕、へこたれちゃった、袋もちさせられて。一分刈の頭でカラーなしの制服姿の和一郎は、その日じゅうおばさまの手提袋をもってあげる役にあてられたのであった。一方的な、多計代のそういう熱中や奉仕ぶりを思うと、伸子には、それがさもしくけちけちしたことに思えた。あきるほどちやほやされつけている大臣夫人を、多計代のような古い幼な友達までが、世間並の方法でさわぐのはばかばかしかった。
 痩型で、折襟のカラーをつけて、こがたい官僚風な大臣であるその政治家の顔を思い出すと、伸子は、おばさまである夫人の敏捷で悧溌な凹み眼と、うすく水白粉のはかれている顔や沈んだ色の紅をさした唇で、軽く、やや口早にげびない蓮葉さでものを云うときの表情を思いおこした。夫婦は、その夫婦らしい会話の間で、どんな風に、新聞に出た学生処分のことなどについて話しあうだろう。伸子は突然、あすこに息子はいなかったかしら、と思った。そして、憎悪を感じた。「断然処分する!」あすこに男の子がいるとしてもきっとまだ小さいんだろう。末っ子かもしれない。伸子は、新聞をたたみながらそう思った。

 素子の翻訳した書簡集は、やがてある文芸書を専門にしている出版社から出ることにきまった。
「よかったわ――おめでとう」
 素子は、うれしそうに上気しながら、つみのないまけおしみで、
「出すの、あたりまえさ」
といった。
「本当にいいものなんだもの。――もし出さなけりゃ、むこうがばかなのさ」
「それゃそうだけれど……」
 伸子とすれば、間もなく、自分がこの二三年かかって書いた長い小説がまとまりかかっている。そのとき、素子の仕事も、はじめての業績として出版されることになったのを、うれしく思うのであった。
「――ひとつ献辞をかかなくちゃ、わるいかな」
「結構よ」
「外国の作家はよくやってるじゃないか」
「だって……」
 伸子は、首をすくめた。
「わたしも、じゃ書くの? 献ぐって?」
 二人は笑った。素子は、赤いパイプを口の中でころがすようにして目を細め、ポプラの枝の間に白く光っているとなりの洗濯ものを見ていたが、ふと椅子ごと伸子の方へ向きかわるようにし、
「ぶこちゃん!」
 改まってよんだ。
「なあに」
「――実はこの間うちから考えていたんだが、ここでひとつ、思いきってロシアへ行って来ようと思うんだがどう思う?」
「――……」
 とっさに伸子はへんじが出なかった。ロシアへ行こうと思う――。素子がしきりに拘泥していたロシアへの国賓のこと。素子はロシア語専門であること。今のところ行って帰って来た人は少いし、行こうとしている人もごく少い。民間の婦人としては一人もいなかった。素子が行きたいと思う動機はひととおりわかりはするのであったが……。
「――急なのねえ」
 そのことがら全体がよく会得出来ない、ぼんやりした表情で伸子はつぶやいた。
「それゃあなたは専門だから、行くのがいいのはわかるけれど……」
 前年の初秋、コンラードという東洋語学者が美しい細君同伴で日本へ来たことがあった。その歓迎会に伸子も素子と一緒に出席した。源氏物語を、ロシア語に抄訳しているというその教授の話の様子では、交換教授の可能性もあるような工合であったが、素子はそのときは格別の興味も示さなかった。
 ――でも、何故、素子はこの話にかぎって結論からいい出したのだろう。いつもは、伸子が煩しいと感じるぐらい、思いついた計画の第一歩から話す素子だのに。――急にわいて来る様々な疑問を、とりあえず一番簡単な問いにまとめたように、伸子はきいた。
「――お金、あるの?」
 素子は、そうきく伸子の腑におちかねながら緊張している顔を見やり、
「なんとかなるだろう」
 その点も、十分考えてある、という風に答えた。
「帰ってみた上でなくちゃたしかなことはわからないけれど、だいたいなんとかなるだろう――私の分を、この際いちどきに貰っちゃうのさ」
 関西にいる父親から、素子の分として予定されている財産を、まとめて貰って、それでロシアへ行って来ようというのであった。伸子は、財産のことについてそういう計画的な方法をとっているのが素子親子であることに、珍しい感じを動かされながら、当惑したように、
「わたしは駄目だわ、とても動坂なんかから、お金出してもらえない」
といった。
 七八年前、伸子は父につれられてニューヨークへゆき、そこで一年あまり暮した。そして、佃と結婚して、帰って来た。その間の費用は、佐々の親から出してもらった。そうして費用を出してもらったということで、伸子はあとまでどんなにせつない思いをしたことだったろう。佃も、うけないでいい侮辱をこうむった。自分がしたいとおりに生活するのなら経済上のことも自分でやるがいい。そういって、多計代は、佃と伸子とを動坂の家から出した。それ以来、伸子は現在のようにして暮して来た。
「話せば、出してくれるかもしれないけれど、わたしはいやだわ」
「それゃ、そうだね」
 素子は肯定した。が、じゃあ、ぶこちゃんの方はどうしよう、といわない。伸子は、ロシアへ行くというようなことについて、ちっとも考えを組立てていなかった。だから、いま急に素子が行くといっても、実感はそこになくて、どうせ行くならフランスも見たい、と漠然とした計画を感じるだけであった。けれども、二人のこの数年来の生活で、素子が、この話を、自分が行く計画としてだけ話しだしたことは、伸子を別の角度から複雑な心もちにするのであった。
「行けばどの位行くの?」
「さあ……」
 素子は、しばらく躊躇していたが、
「どうしたって二年だろう?――その位いなくちゃものになるまい?」
 そういいながら、素子はちょっと苦しそうな眼をし、うすく顔をあからめた。伸子は諒解した。素子は、こんどは、本当にひとりでも行く決心になっているのだ、と。そして、素子がひとりで外国へ行くようなことが実際におこれば、伸子とこうして暮して来た生活の形は、根本からちがったものになってゆくしかない。素子にはそれもわかっているのだ。伸子は、一層複雑なこころもちになった。伸子が、二人の生活ぶりに対して日頃心にわだかまらせている様々の疑いを、素子は察していて、こういう形で自分の方から全生活を変化させようと考えているのだろうか。伸子は、いよいよわたしはどうするの? といいにくい心持になった。それは素子がきめることではなくて、伸子自身がきめていいことだと、思われているのかもしれなかった。
「とにかく、わたしにかまわず仕度した方がいいわ」
 伸子は、おとなしく、すこししょげていった。
「わたしの方には、お金のあてもないんだもの……」
「じゃ、この原稿を渡しちまったら、ともかく京都へ行って来る」
 いまにも椅子から立ち上りそうに素子はいった。
「万事はそれからのことさ」
 ――しかし、まるで唐突に生活が大展開した。……その夜、金魚の絵のついた団扇で蚊を追いながら縁側の柱によりかかっていて、伸子はおどろきのやまない気分だった。素子の性格のなかには、伸子とまるでちがったあらわれかたをする実行性があった。それがこれまでの二人の生活の急所でバネを押す力となって、移って来ている。そもそも二人が、一つの家に暮すようなきっかけとなったのも、どちらかといえば素子のそういう実行性の刺戟であったし、こんどのことにしろ、日頃はこまごまと煩瑣な素子に、予想されないような決断が働いている。
「――あなたは、なかなかえらいところがあるひとなのね」
 伸子は、わきで白い団扇をつかっている素子にいった。
「どうしてさ」
「だって……生活の舞台を大きくまわすことを知っているんだもの」
 こういうときには、かえって受動的な自分を伸子は感じた。そして、きいてみたかった。ほんとに素子は、向上心だけで、外国へ行こうと決心しているのかと。素子だけが外国へ行く、ということが伸子には、切迫した実感としてうけとりきれなかった。ひとり日本にのこる自分の生活の変化ということの実体もよくわからなかった。伸子は冷静なような、また、非常に動揺しているような気持で、夜の庭の夏草が室内から溢れる皎々こうこうとした電燈に照し出されて、不自然にくっきりと粉っぽいように見えているのを眺めた。

        十九

 東京の夏は、いつも七月二十日前後からひとしお暑気を加えて来る。その夏は近年にない酷暑ということで、新聞の写真版もあらそって涼味をもとめていた。
 外国行の話をしてから、素子はその暑気の中を精力的に動いた。そして、二三日うちに京都へ出発するところまで用事を運んだ。
「やれ、やれ、これであした日本橋へ行けばもうすっかりすんだ!」
 日中は乾くまでが暑くるしいと、夜あらったどっさりの髪を肩にひろげて、素子はうまそうに煙草をすった。日傘をささない素子の顔は日にやけて、湯上りの鼻のみねが、うす光りした。
 あくる朝、伸子はいつものとおり、素子よりひとあしおくれて起床した。そして、蚊帳をたたみ、床をあげてから、茶の間のそとの縁側を通って風呂場へゆこうとした。すると、
「ぶこちゃん」
 妙にしんとした声で、素子がちゃぶ台の前からよんだ。
「いま、すぐ」
 そのまま髪を結いに行こうとする伸子に向って、素子はなお息をひそめたような声で、
「ちょいと来てごらん」
 手にもっている新聞で招くようにした。
「――なにかあるの?」
 櫛をつかいながら及び腰に、素子がひろげたまま、見せるその朝の新聞に目をおとし、伸子は、表情を変えて、そこへ膝をついた。
「やっぱりこういうことになっちまった」
 素子が呟いた。伸子は沈黙して、上下の唇のまわりに白い輪のでたような顔つきになって、紙面に大きく複写されている作家相川良之介の写真を見つめた。痩せて、髪を特徴のある形でよく発達した前額の上にたらし、一種の精気と妖気とをとりまぜて、写真の上にも生々しくうつし出されている。当代においても最も芸術的であると云われていたこの作家が自宅で昨夜劇薬自殺を遂げた。その報道である。
 肩に髪を散らしたまま、伸子は紙面全体に目をはしらせた。故人の親友の一人であった久留雅雄が、記者団と会見をしている写真を見、遺書として公表されている「ある旧友への手紙」という長い文章を読んだ。伸子は、全身にうけた衝撃を内容づけて、それで自分を落ちつかせるに足りるなにかをさがすように、新聞をよんだ。けれども、そこにかかれてあるすべての詳細な記事や久留雅雄の談話はもとより、「ある旧友への手紙」そのものでさえも、伸子のうけた衝撃の裏づけとなるだけの質量をかいていた。
 伸子は、涙をおさえた悲しい顔をかしげて、しずかに櫛をうごかし自分の髪を梳いた。ほんとに、なんといっていいかわからない気がした。思いがけない、とか、本当にされない、とか云えるならばそれはいくらかうけた衝撃をまとまりやすい感動の言葉で表現できただろう。相川良之介の場合には、この作家の精神と肉体との危期が書くものにもにじみ出しはじめていることは、彼の芸術を理解するほとんどすべてのものが最近になって直感していた。鋭い稜角を常に示しつづける彼の知性の頂点と人間的な危期とは、最近この作家の作品とその風格の上に云うに云えない鬼気となって漂った。そして、それこそはこの作家の純芸術家としての光彩であるように目をみはられ、讃えられた。そのぎりぎりのところまでいって、とうとうこの作家は生きられなかった。生きられなかったのは、常識にたって、彼の死に驚愕し悲しみ、記者対談をやっている旧友の誰彼でもなければ、こうやって新聞をみて声をのんでいる伸子のようなものでもなく、人々から賞讚され、どっさりの追随者と模倣者とを身近にもっていた、作家そのひとである。
 伸子は、刃のごく鈍い大きい桑切の庖丁のようなもので、からだを、刻まれるような痛苦を感じた。
「――くるしい」
 そういって、伸子はもっと空気を求めるように白いやわらかいのどをのばして顔をあおむけた。
「だめだよ、ぶこちゃん! しっかりしなくちゃ」
「しっかりしている……でも――苦しい」
「…………」
「かわいそうに……」
 心からそういって伸子は、眼にいっぱい涙を浮べた。
「ある旧友への手紙」は、びっくりするほど素朴に気取らない文章でかかれていた。日頃のこの作家につきものであり、それが伸子に親愛感を失わせていた文章のいいまわしの知的なポーズがなくて、「僕の場合はただボンヤリした不安である、何か僕の将来に対するただボンヤリした不安である」と、自殺を思いはじめた心理的な動機がかかれていた。「僕はこの二年ばかりは死ぬことばかりを考えつづけた」「気づかれないうちに自殺するために数ヵ月準備したのち、自信に到達した」「僕は冷やかにこの準備を終り、今はただ死と遊んでいる」「僕は昨夜ある売笑婦と一緒に彼女の賃銀! の話をしみじみし、『生きるために生きている』吾々人間のあわれを感じた」「自然はこういう自分にはいつもより美しい。僕は誰よりも見、愛し、且つ理解した。それだけ苦しみを感じたうちにも僕には満足である」伸子はくりかえして、それらの文章の断片をひろいあげた。自殺の準備について、「僕は冷やかにこの準備を終り」とかかれている。何と思いがけないおさなおさなした天真さだろう。これまで自殺したどっさりの青年たちが、この冷やかにという自分の状態を遺書のうちにかいて来たのではなかったろうか。理智的な技巧と措辞の新奇さを一つの特色として来た彼がそれを、陳腐ともしないで誠心こめて自分の最後の文章のうちに書いている相川良之介のてらいのなくなった心。そしてまた、「僕は誰よりも見、愛し、且つ理解した。それだけ苦しみを感じたうちにも僕には満足である」と、ほんとに誰にでもその感じのわかるいいかたで一生をしめくくる最後の思いを語っている。「ある旧友への手紙」は伸子に、桃や柿の種のしんにある真白な芽を思わせた。作品にあらわれる相川良之介、或は作家相川良之介の趣味は低くなかったけれども、そこにはいつも人為的なものが感じられた。殻がくだけた最後に、はじめて白い、いじらしい、淳朴な人間性のふた葉がむき出された。
 ひやひやになった伸子の手のさきをとって、
「さ、ぶこ、御飯にしよう」
 素子が、励ますように、こわい声を出した。
「だらしないじゃないか――そんなに動顛するなんて……」
 単純に動顛ということをいうなら、伸子は六七年前に武島裕吉が軽井沢の別荘で女の人と縊死した事件を知ったときの方が動顛した。動顛して、いく度か感歎詞をもらしたし、その葬儀のとき、焼香をしながら涙をこぼし、格式だかい遺族の人々の注目の前に自分を恥かしく感じたりした。動顛というよりもっと複雑なもの、もっと自分の精神にきりこんで来て、何か解答を迫る強烈な衝撃が、この相川良之介の死にある。伸子がしびれたような唇になっているのもそのためであった。
 味覚のなくなった舌で食事を終った。素子が、また新聞をとりあげた。そして、「さぞ、楢崎さん夫婦もびっくりしていることだろう」といった。楢崎佐保子のところで、伸子は偶然素子に会ったのだった。「青鞜」のころから作品をかいているこの婦人作家は、良人の専攻であるイギリス文学の系統に立っていて、無産派の文学という問題がおこったころ、謡曲の「邯鄲かんたん」から取材した小説をかいたりしていた。あんまり人につきあう習慣のない伸子は、佐保子にだけはおりおり会いに行った。
 いつだったか、現代作家の話が出たとき、佐保子は、きわめつけの語調で、
「相川良之介だけは本ものですよ」
と云った。
「あのひとはまがいものではありませんよ。この間うちへ見えたとき、作品が古典としてのこるかのこらないかは、その作品のスタイルによるっていっていましたよ。それは本当だと思うわ」
 そして、笑いながら、
「古典になると思ったら、伸子さんもきちんとしたスタイルをもつことですよ」
 冗談のように云った。伸子は、いかにも相川良之介のいいそうなことだと思い、
「そうお」
と笑ったが、すぐ、ふっと、それは彼が本気でいったことだったのかしら、と疑われた。文学作品がスタイルだけで古典としてのこるなどということを、伸子としては信じかねた。相川良之介には、彼が彼の背負っている文学的後光そのものをさえ皮肉に感じている口調でいうために、非常に辛辣な諷刺だったり逆説だったりするのに、きくものは文学上の箴言しんげんのように考える場合があった。周囲にそういう習慣が出来ているばかりでなく、相川良之介自身、孤独な知的焦躁とでもいう風な意地わるさにとらわれることがあるらしかった。
 彼の書斎へはあれやこれや、訪問客が殺到するらしかった。ある場合には、そういう訪問者のある人に、相川良之介は春画を集めたものを出してあてがった。訪問者は、それを、さも古今にめずらしい芸術的名画でも鑑賞するようにしかつめらしくいつまでも黙って見ているから、大変扱いよい。そういう意味の文章をよんだことがあった。伸子は顔の赤らむ思いがあった。彼の作品や人柄にひとかたならず興味をひかれるところはありながら、どこかにこわいものを、感じつづけて来た隠密の原因がおのずからわかる気がした。その短い文章をよんだとき、伸子は、それとは時のちがういつだったかに、ある文壇的な社交の圏内にいる若い女性の書いたもののなかに、ちらりと、相川良之介の書斎におけるそういう絵の話があったように思った。
 相川良之介の、作品の技巧的なそつのなさ、機智、警句的な文体、それらは、彼の小説の主題が、すべての人間の心情に直接迫るようなものであってさえも、伸子には、つくられているうまさが気になった。
 伸子の記憶のなかに、きのうのことのように一つの情景が浮んだ。夏の終りのある宵のことであった。そこは、相川良之介の住居からも遠くない楢崎佐保子の家の二階の客間であった。古風なゆったりした床の間に大雅堂の絵がかかって、支那の壺が飾られていた。電燈の下の紫檀の長い大きい卓の、床の間を背にしたところに楢崎夫妻の謡曲の師匠が坐っていた。その右手に楢崎、向いあう側に伸子と佐保子とがいて、謡曲の師匠に相対す座に相川良之介が坐った。永年夫妻で謡曲を習練して来て、鼓も打つ佐保子は、師匠の謡を、精彩のこもっている絶頂と思われたその頃、近い友人に聴かして置こうというこころもちで、伸子もよばれた。
 佐保子たちの流儀は金春こんぱるであった。花間金次郎の「道成寺」などを観て、伸子は運動というものをほりつめて精髄だけ凝結させたような古典の芸術を面白く思った。佐保子が切符をくれて、そういう見物もしたのであった。母の多計代が少女時代に観世かんぜの謡曲を習って娘の伸子は、子供のときからゴマ点のついた謡本になじみがあった。多計代の、いかにも自分の声量にこころよく身をまかせた謡いぶりは、素人のなぐさみとしての安らかさであることもいつか会得していた。佐保子の師匠であるその中老人が、着ていた夏羽織をぬいで、端然と坐り直し、腹からの声で謡った一曲は、小規模であるが精煉されていることとその気迫で震撼的な感銘を与えた。日本の封建文化の磨き上げから生じた艶、量感が感じられた。
 伸子は、だまって楢崎夫妻やその師匠、相川などの間に交わされる話をきいていた。それは全く大人の話しぶりであった。伸子は自分をまるで羽根の生え揃わない不器用なひよっ子のように感じながら、坐っていた。しばらくしてから、佐保子が、画帖と硯をもって来た。師匠が、肉太な書体で自分の名だけを書いた。新しい頁をひらいて、画帖は伸子の前にまわされた。伸子は、当惑した。画帖に書いたことがなかった。そういうものに書くということが、なんだか年にも柄にもふさわしくなく思えた。伸子は、困った様子で、かたわらの佐保子に、
「わたしはかんべんして――字なんか下手なんですもの」
といった。すると、佐保子は、
「そんなことわかっていますよ、誰もあなたの字が上手だとは思ってはいないのだから、さっさとおかきなさいよ」
といった。
「なんて書くの?」
 伸子は、こういうものに、なにをなんとかいていいのか見当がつかなかった。
「わからないわ」
 いくらかもどかしそうに、佐保子はその卓の上に出ていた謡本を手にとった。そして、偶然一つの頁がひらいたとき、その一くだりをよんだ。
「じゃ、これでも書いておきなさい」
 それは、いとどしく虫の音しげきあさぢふや、という文句であった。伸子は、その文句が、自分の今そこに坐っているこころもちの静けさとは反対であり、むしろ、伸子のとりなしのぶまさにもどかしさを感じる感情のリズムにあった文章のように思えた。しかし、筆をとって、卓の上にひろげられた画帖の上に、風趣のとぼしい不確かな字で、いとどしく虫の音しげきあさぢふや、と書いた。画箋紙は墨をはやく吸って、たどたどしい伸子の筆あとは、一層ぎごちなく見えた。伸子は汗ばむような思いだった。
 画帖は、相川良之介にまわった。彼は、その夜、白地に蚊がすりの麻の上に、夏羽織を着ていたが、もち前の慇懃な身ぶりで、画帖をすこしさかのぼってめくった。それから、新しい頁をひらいて眺めていたが、一寸座蒲団の上で体をずらせ、みんなが視線をあつめている卓の上から硯と画帖とを自分の左手の畳の上におろした。そして、じかには誰の視線も届かない方を向き、身を折りかがめて、なにかをかきはじめた。伸子のところからは、畳の上にかがみかかった相川良之介の折目だった単衣羽織の背中から胴にかけてのもり上りしか見えなかった。
 しばらくそちらを眺めていた主客が、おのずと卓の上へ顔をもどして、物をいいはじめるぐらいたっぷり手間がかかった。相川良之介は、本気でなにかかいているのだ。伸子は、画帖という風なものは、さらりと、そのときの興によってかかれるものと思っていたので、相川良之介の仕事に向ったようなうちこみ工合を心のうちにおどろいた。
 出来たのは、その頃、相川良之介の絵として有名になっていた河童の図であった。背の高くやせた、しかし丈夫そうな脚をした河童が笹枝をかつぎ、左手に獲った魚を頬ざしにしてつるしてゆく姿が描かれた。我鬼と署名されている。
 相川良之介は、だまってその画帖が人々の前をまわされるのを見ながら、煙草をくゆらしていた。一座の人々は、それが洗煉された態度であると見えて、格別、ほめもせず批評もしないで、しずかにまわして見た。相川良之介が、どうぞKaPPaと発音して下さい、という前書をつけて発表した「河童」という作品は、河童の国の出来ごとになぞらえて、警官の弁士中止! という叫びまで描かれた諷刺小説であった。心情の噴出による諷刺であるというよりも、相川良之介らしい、知的な諷刺であった。それは、伸子にちゃんと理解されない部分があったし、理解される部分にたいしては、そのビイドロの破片のように鋭くひらめく知性を、例によって懐疑した。
 そのようにして、佐保子の画帖に河童図の描かれたのは二た夏ばかり昔のことであった。伸子は、自分がさしずにまかせて、いとどしく、という文章を書きうつさなければならなかったその宵の切ない心持を思い出すよりもしばしば、そして、その度に考えこむ気分に誘われながら、相川良之介が、あんなにむきに、人目から画帖をかくして、描いていた姿を思いおこした。人々の視線の下に一筆一筆をさらして描くようなことをしなかったのは、いかにも相川良之介らしく思われた。それから、自分の描くものは、どれ一つにしろ最上の出来栄えであろうと欲する心持も。伸子は、何かの文章で相川良之介が、僕はあらゆる天才にならわんとするものなり、といっていたのを思った。画帖を人目からかくし、あんなに本気で一つの河童図をかいていた相川良之介の様子は、伸子にかえってそのひとのうちにある一途な、わき目をふらない気持を感じさせた。それは、伸子に好感をもたせるものであった。だのに、もし、伸子が何かの機会にその感想を彼につたえたとすると、相川良之介は、少くともそれにたいする返事としては、また伸子にとって真偽のわからないような逆説をはくであろう。普通のことばで物がいえないひと。そのために、軽蔑する自分のエピゴーネンからつきまとわれずにいられなかった人。偶像と教師になる愚劣さをしんから軽蔑して、いくつかの小説にそのこころもちをかいていながらも。――
 伸子は自分の机のところへ、その朝の新聞をもって行って、ひとりで見ていた。新聞の写真の上に目をおとし、自分とほとんど同じ頃文学者として出発し、声名を博し、僅かの年長で生涯を断って逝ったひとのことを思いつめると、伸子は、また、刃の鈍い桑切庖丁のようなもので隈なくからだを刻まれるような苦しみを感じた。機智をつくし、知的な精緻をこらして自分の生活と文学とをもって来た相川良之介が、「ある旧友への手紙」で、こんなに淳朴に、若々しく、流露する心情を語っていることに、伸子は涙を抑えようとしても抑えかねた。「ある旧友への手紙」でだけはこう書くしかなかった相川良之介の人間としての一生にたいして恐怖と感動があった。どの写真も、相川良之介といえばその知的な風※(「耒−人」、第3水準1-14-6)を標榜して、額におちかかっている髪や、敏感な口もとや、じっとこらされた眼に焦点をむけているのであるが、相川良之介の、やや上眼にこらされている瞳のうちには、知的で硬い自足したような辛辣さはちっともなかった。それは温和とはちがった柔軟さ、聰明というものの本質的なしなやかさでかがやいていた。憎らしく押しづよいものはどこにもなかった。写真のその眼を見て、中学生でも最後の思いには書くであろうような「僕は誰よりも見、愛し、且つ理解した。それだけ苦しみを感じたうちにも僕には満足である」という文章をくりかえして読んだとき、伸子は、相川良之介に代表された人の心というもののいじらしさにふるえるようになった。そして、丸めて口に当てたハンカチーフから声をもらして泣いた。

        二十

 大きな音をきいたあと、耳のなかが変にカーンとして、自分の声もひとの声もよく聴えないようになる。相川良之介の自殺を新聞で知ったあと、伸子は心理的にそういう状態に陥った。朝おきてからねるまでにする自分のあれこれの動作さえ妙に身に添わず、周囲の出来ごとは遠のいて感じられた。同時に、大きすぎた衝撃にひきつづいたその反応の鈍いような状態は相川良之介の死という事件をめぐる外界にも感じられた。
 数日来ことのほか暑くて、庭の夏草のいきれさえ息苦しいような家のなかで、伸子は、いまは鈍刀の庖丁で刻まれる思いから、ほそい絹糸でからだじゅうをきつく縛られているような痛さで、相川良之介の行きくれてきわまった人生の過程を辿っているのであったが、新聞は、七月二十五日の朝相川良之介の自殺を大きく扱っただけで、翌日はもうそれについてどんな特別な記事ものせなかった。ただ早川閑次郎が、相川良之介氏の自殺について、という題で、それが特に社会的または文学的な意味をもつ死でないという結論の感想を発表しているだけだった。朝日の文芸欄などは、楢崎佐保子の「時と世間モンド」という別荘生活者の夏季随筆だけをつづけてのせている。伸子は、不思議な気がした。
 相川良之介というひとは、作家のなかでも広汎な読者をもっていた筈であった。外国の小説はよむし、漢詩もよむが、日本のいまの小説は、という人たちでも相川良之介の短篇をよむことは恥かしいと思っていなかった。そういう意味で相川良之介は漱石の系統での最後の文人であった。伸子はそう理解して来ていた。作家の間では、芸術的な良心の点で一目おかれていた相川良之介であった。その相川良之介がこういう風に彼の一生を閉じなければならなかったということは、彼を肯定して来たすべての人々にとって、また彼を肯定しきれなかったすべての人々にとって、ひとごとでなく迫ってゆくことではないのだろうか。
 前月号の「文芸春秋」に相川良之介の「侏儒の言葉」という作品がのせられていた。いま再び頁をひらいてその作品を読めば伸子は身の毛のよだつ思いがした。「彼はペンをとる手さえふるえだしたのみならず、よだれさえ流れ出した。〇・八のベロナールをつかいさめたのちは、はっきりしているのは僅か半時間か一時間だった。彼はただ薄暗い中にその日暮しの生活をしていた。言わば刃のこぼれてしまった細いつるぎを杖にしながら」
 そのようにふるえる手にペンをとって、その文章の中で現に相川良之介は涎をたらすようになってゆく自分というものの姿を凝視しそれを書いているのだが、その雑誌の特色として四段に区切られた頁の上にその文章をよんだとき、そこに相川良之介らしい文学的悽惨ばかりをつよく感じたのは、伸子の理解が浅薄なためばかりだったろうか。
 いまになってみれば、それは「ある旧友への手紙」の中にいわれているとおり三年がかりの死への準備行動の一記録であった。よだれをながしながらも、正気を失わず、一歩一歩と死に入って行っている人間の文章が、どうしてもっときのままの恐怖でよむものをうたなかったろう。すべてが、こんなにあるままにかかれていて、それだのに、相川良之介は、どうしても文学的姿態からぬけられなかった。
 率直に、漠然とした本質をそのまま「ただボンヤリした不安」と告白されているとりとめない不安を相川良之介が自分の将来にたいして感じはじめたとすれば、それは、彼の聰明さが、才能的な聰明の限界というものを直感しはじめたからではなかったのだろうか。そう考えつめれば伸子にもわかるところがあった。
 けれども、やはりわかりきらなかった。彼のような博識と聰明とが、なぜ自覚されはじめた限界感の内側にとどまっていなければならなかったか。そこのところがわからなかった。相川良之介が、生活と文学との上に追随を許さない独自のものとして画して来たスタイルを、こわすまいとして、死を選んだというより、死にまで自分を追い立ててゆく過程で、もしや自分が自分をぬけ出ることがありはしまいかという期待がもたれたのではなかったか。それも、伸子にそうも思えるというだけで、彼の作品から直截にわかることはできなかった。
 そのようにこみ入ったそのわからなさを、伸子は、自分の生活にもどこかでつながったものと感じた。その意味で自分にもボンヤリした不安はあるということが出来ると思った。自分だって、よりよく生きたいとねがい、痛切に生きることを感じながら生きたい、と思っていることはわかっているが、それならばどういう風にしてそれを実現してゆくかときかれて、答えられるようなへんじは伸子になかった。伸子は、現在の生活に感じている不満についての側から話すことは出来た。けれども、そこから育つ新しい方法については、わかっていなかった。素子はロシアへ行くときめた。伸子自身はどうなるだろう。のこるだろうか。ゆくだろうか。それもわかっていない。金銭の問題を別にして、自分の心の必然としてわかっていないのであった。
 伸子は、自分の生活にあらわれるそんな様々のわからなさ、自分流のボンヤリした不安が、ほかのひとのところにはないのだ、と思うことは不可能だった。文壇の沈滞ということが、この二三年いわれつづけて来ている。「秋刀魚」の詩で有名な詩人は作家の経済事情が文学を沈滞させると、原稿料問題を新聞にかいた。それに反対して、原稿料の問題だけが文壇と文士を沈滞させているのではない。文士が余り常識的で平穏な日常生活に腰をおろしすぎてしまったからだ。人生への冒険の気魄を失ったからだ。そこを考え直さなければならないと、小坂村夫が書いた。それはつい先頃のことであった。しかし、そういう小坂村夫自身は、彼自身の人生と文学とを冒険させる機会を発見することに熱心であるとも見えなかった。無産階級文学の理論にたいしても昔ながらの芸術性をいって、相川良之介のように条理にたって、玉は砕けるが、砕けない瓦、文学の母胎としての民衆を信じるとはいわなかった。相川良之介が、東京の炎暑の夜を徹して涎をたらしつつ、手をふるわせつつ、透明になった神経の力を奮いあつめて最後の幾行かをかいているとき、小坂村夫は、日光かどこかの涼しい湖でマス釣りをしていた。「マス釣り」という随筆が、相川良之介の葬儀と前後した日の新聞に出た。盛夏になればマス釣りもなどと、それは小さな安定におさまった人間の最も常識的遊楽の一つではないか。どこに人生の冒険の気魄があろう。伸子はそのひとの書くりきみと、現実の生きかたのなまぬるさとの間に激しい軽蔑を感じた。その矛盾は、相川良之介の死によって見直される気配もなかった。文学が沈滞している。それは、人間らしさの沈滞と別なことであり得るだろうか。そう思うと、伸子には、この沈滞を貫いて、命がけの抵抗をつづけた相川良之介という一条の光道に、深い深い意味を感じるのであった。だのに――相川良之介! 相川良之介! 伸子は無限の哀感としりぞけることの出来ない否定の絹糸にしばりあげられて、汗にとけこむ涙を流した。彼の悲劇は、命がけであることさえ文学的至芸と崇拝されなければならないところにあった。
 相川良之介の葬儀は、七月二十七日谷中の斎場で行われるという通知が伸子のところへも来た。情のこもった悲しみが式場のぐるりにみなぎっていて、いつもはいろいろの会場で一つにかたまっている姿を美しいとは見られない文学関係の婦人たちが、きょうはいちように喪服で、しとやかに群れ立っているのも情景にふさわしかった。伸子は、式場では決して泣くまいとかたく心にきめて家を出た。柩は、生きていたときの相川良之介のある美しい気分や趣味をしのばせるようにすき間なく純白の花々につつまれ、あまたの蝋燭のきらめきに飾られていた。紋服白足袋姿の「湯島詣」の作者が先輩総代として、硯友社調の弔詞を朗読した。短躯の久地浩が友人総代の弔詞をよみはじめたが、彼は、せき上げる涙に耐えず、友よ! 安らかに眠れ! というくだりは辛うじて会衆にききとれるばかりであった。さざなみのひろがるようにむせびなきがおこった。
「君去りて、我らが身辺とみに蕭々しょうしょうたるをいかんせん」
 泣くまいとする伸子の唇が、はげしくふるえた。久地浩の哀傷は丸く短いその全身からほとばしり、ひとり去った旧友相川良之介に向って、彼によってあらわされていた彼等同時代人の芸術性もともに終焉したことをかなしみ訴えるようだった。そのようなまじりけない悲傷を語っている久地浩は、最近の数年来大衆作家となり、出版社をおこし、企業家として成功しつつあった。腕に喪章をまき、日ごろのあからがおも蒼ざめて見える久留雅雄は、やはり通俗作家となって、昨今文壇に流行をきわめている麻雀のもとじめとゴシップされていた。
 生きつづける友人たちの生の営みは様々であるが、相川良之介をかなしむ思いではひとつにながれていて、伸子は、白い花ときらめく蝋燭の灯にちりばめられた式場に声ない哀悼の合唱を感じた。生きるために生きることを拒絶しない人々は、それを拒絶して翔び去った友人の最後のかどでを、真情の手にいで送っている。伸子は、黒と白と金色の悲しく美しい「オルドス伯の埋葬」というグレコの絵を思いおこした。
 こらえていて涙が汗にかわって全身からにじみでたあとのようにぐったりして、伸子は谷中の式場から動坂のうちへまわった。
「大層な疲れようだこと」
 かり着の浴衣にくつろいでも、口がきけないようにして冷たいものばかりのんでいる伸子をよこから眺めながら、多計代がいった。そして、つつみきれない好奇心で、遠慮がちに、
「――お葬式、どうだったい?」
ときいた。伸子は、すぐ答えられなかった。そういう風にきいたり、話したりするにふさわしい感情が伸子のなかになかった。忘れたころになって伸子は、ひとりごとのようにいった。
「相川良之介というひとが、芸術家だったことだけはたしかだわ……ああいう風に友達からおくられることができるんですもの……」
 伸子の記憶のなかに、軽井沢で死んだ武島裕吉の葬儀の日の光景がよみがえった。式は、麹町辺にあったそのひとの大きい邸宅で行われた。鯨幕をはりめぐらした玄関から、故人の柩の前まで、更にそこから出口まで、白布がしきつめられ、柩の横に、礼装の親族が立ち並んでいた。そこには、幼い二人の遺児もつらなっていた。静かに動いている弔問者の列に加わって歩きながら、伸子は、作家武島裕吉をじかに感じられなかった。重大な儀式がとり行われるような場合にことに際だってあらわれるその家の格式のきびしさが、万端にみなぎっていた。それは、古風であるとともに世俗的であり、そういう雰囲気のうちで、葬送される武島裕吉の感傷的に柔かい相貌が映されている棺前の写真を眺め、焼香するとき、伸子はつい涙をこぼした。武島裕吉が生きつづけられなくなった生活環境の矛盾そのものが、上流人らしい老若の顔々となり、威儀を正した喪装のそよぎとなってそこに立ち並んでいた。――
 多計代は、また自分を抑えられないように、その作品で知っている作家たちの名をあげた。その人々も来ていたか、ときいた。
「ねえ、お母様、全体がまるでちがうのよ。普通立派なお葬式とか何とかいう、そういうのとは、ちがうのよ。ね、だから、もうきかないでさ」
「それゃ、もちろんそうなはずですよ」
 そして、
「本当に、相川良之介というひとは、独特だった……覚えているだろう、伸ちゃん。あのひとがうちへ来たとき……」
 世間並の礼儀は一応まもらなければならないが、しんからの話相手とは出来ず、いくらか手もちぶさたなような、退屈なようなとき、相川良之介は、両方の手を、蠅があしをすり合わせるような工合にして、もて扱う癖があるらしかった。彼や久留雅雄が同人雑誌に作品を発表したばかりの頃、本をかりるために相川良之介が動坂の家へよったことがあった。そのときのことを多計代はいうのであった。伸子は、そのとき、どんなに相川良之介が、その手もちぶさたらしい手つきをしたか、はっきり覚えている。
 伸子は、きょう、ここへよったことは間違っていた、と思った。伸子は悲しそうに黙っていたが、やがて、
「わたし、すこしねて来ていい?」
ときいた。
「あんまりくたびれたから……」
 多計代は、すこしびっくりして、
「さあ、さあ、おねなさいとも。――でも大丈夫なのかい、ただねるだけで」
「いいの、いいの」
 青桐の葉ごしの光線でその座敷にしかれた蒲団のシーツの白さが緑に光るようなところで、伸子は、団扇を顔の上において、本当にすこし眠った。

 となりの室で多計代が何かいっている声で伸子は、目をさました。
「なるたけもって行くまいよ、ね、きりがありゃしないもの」
 つや子の学校も夏休みになり、近日中に、東北の田舎の家へ出かける、その仕度であった。
 伸子は、真夏のひるねからさめた新鮮な顔つきでそこへ出て行った。
「いつお立ち?」
「四五日うちには立たなくちゃなるまい」
「ことしは誰が行くの」
「さあ……ともかくわたしは出かけるよ、またあせもがこわいから」
 多計代は糖尿病をもっていた。あせもがよって、悪化して、大変苦しんだことがあった。それから、夏の間は東京にいないことになっているのだった。
「お父様はだめ?」
「それゃ、一寸はおいでになるだろうけれどね、例のとおり忙しいから――保さんは来るよ」
 そういえば、伸子が来たときから保が見えなかった。
「保さん、うち?」
「ああ」
 満足そうに多計代は、
「あのひとは相変らずさ、よく勉強している……この節は毎朝六時すぎに出かけて、ドイツ語に通っているよ」
 フランス語の文丙にいる保がドイツ語をはじめた、ということは一応高等学校の上級生らしいことであった。けれども伸子は、ドイツ語ときくと、そこに越智を連想され、ひいて、保の日頃から思弁ぐせにつらなって考え、単純にきけなかった。保は、このごろも越智のところに出入しているのだろうか。
 伸子は、うちにいるという保に会うつもりで、いつもの二階の北側の小部屋へ行ってみた。鴨居にはられているメディテーションという貼紙のはしが暑気に乾き上って少しめくれかかっている。机のよこの障子は、はずされていて、内庭の八つ手の梢の上に高くそびえているタンクでモーターが鳴り、風呂水をくみ上げている。保はそこにいなかった。保がいないで開放されている書斎を見まわして、伸子は、そこにあるどの本棚も、例によって教科書ばっかりなのに、いまさら不思議な気がした。この前、ここで保としゃべったりしたときから、もう数ヵ月たっている。それだのに、伸子の目には教科書以外の一冊の新しい本も見当らなかった。園芸の本だけは一かたまり、もとからのところに立ってはいるが。――
 乱読して来た伸子には、保の若々しい精神がこの本棚のような有様でもちこされているということには合点がゆかなかった。
「保さん、いなかったわよ」
 伸子は、実家へ遊びに来ている大きい娘というようないくらか甘えた声で母にいった。
「出かけちゃったのかしら」
「ああそうそう、保さんはね、土蔵だよ」
「土蔵?」
 かたづけものでもたのまれたのだろう。伸子はすぐそう思った。
「じきすむかしら」
「すむって――勉強してるんですよ」
「土蔵で?」
 伸子は、頸がのびたような眼つきをした。
「何しに土蔵なんかでやるの?」
 おかしいの! 伸子はそのひとことを口のうちでつぶやいた。土蔵のどこが、勉強場所として心持よいというのだろう。
「あすこの地下室は涼しくっていい気持なんだってさ、それにしずかでいいって――それゃしずかなことはしずかだろうさ」
 多計代はユーモラスにうけとっているらしく、本当にあのひとは、という風に笑った。
 大きな音をたてて戸車のころがる重いくぐりの網戸をあけて、伸子は土蔵へ入って行ってみた。入ったところの板じきには、古椅子だの屏風箱だのが積まれ、東西についた窓が大きいから内部は明るいけれども、永年の間につもった塵のにおいがしている。西側の隅に鍵のてに手すりがあって、そこのあげぶたがたたまれ、半地下室への階子口はしごぐちがあいていた。伸子は、その辺にはなおどっさりつもっている塵をそっと草履でふみつけるようにして歩いて、その階子口へ行き、少しのぞきこむようにして声をかけた。
「保さん、いる?」
 へんじがなかった。
「いないの?」
 しばらく耳をすましてもシンとしているので、伸子は足もとに気をつけて、いくぶん前下り気味の工合のわるい階子を二三段下りて、下をのぞいた。半地下室には、湿気どめのために真黒くラック塗料をぬられた太い角柱が幾本も立っている。その柱と柱の間の東よりの窓下に保の勉強場が出来ていた。製図板をのせる脚高台に、大形の製図板をのせ、その前に木づくりの大きいひじかけ椅子があった。本やノートがすこしその製図板の上にちらばっている。半地下室の東と西とにも半分だけ地面に出た窓がしきってあって、そこから光線がさしこんでいる。けれども、四方の壁が柱と同じようにやっぱり真黒い塗料でぬりこめられているから、その明るさなどは吸収されて、机のところに、単調で鈍い庇合ひあわいの明るみが落ちているばかりであった。たしかに、その半地下室の空気は、ひやりとした。でも――なぜさ。伸子は、黒く光る柱の下にたたずんで、ほんとに声に出してそうひとりごとした。なぜさ! 涼しい、といったって、夏のさかんな季節のおもしろさ、その自然の美しさや光線の横溢を、こういう半地下室のひやりとした朦朧もうろうさととりかえている保のこころもちを、伸子は解せなかった。つよく、わからない、と思おうとしている伸子の感情はいわば強いてもそのわからなさに踏み止まっている、というところがあった。相川良之介の死。「ある旧友への手紙」。その感銘ぶかい葬儀からかえったばかりの伸子の神経には、保の土蔵への引こしを、ただ偶然のことと思えないような過敏さがあった。土蔵好きになった、という保の心持そのものに不吉感を感じるのであった。
 伸子は、言葉にいえないその不吉感を、自分に認めることさえ恐れた。そういう風に感じたりすることは、わるい文学趣味だと思おうとした。
 伸子は、またガラガラとひどい音をたてて網戸をあけ、それをしめて、土蔵から出て来た。出た途端に、ボオッと炎暑でやけた外気が体につつみかかって来るのがわかった。半地下室の方が涼しいことは全く事実なのだった。
「見えなかったわ」
 伸子は、食堂にいる多計代のわきの出まどに腰かけた。
「保さん、いつから、あんなしゃれたこと工夫したの?」
「さあいつごろだったろう……なにしろ、ことしの暑気は実際ひどいものね、無理はないよ。わたしも二階はほてりで寝苦しくて閉口だ」
 扇風機が多計代のよこてから風を送っていた。
「お母様、保さん、ぜひ一緒につれていらっしゃいよ」
「ああ、わたしもそう思っていたらね、ドイツ語の講習会がすんだら、珍しく今年は東大路さんなんかと、しばらく野尻湖の夏季寮へ行くんだとさ。あっちは、これからだそうだよ」
 多計代は、その叔父の著書で知っている東大路という名に、自分の安心をもたせかけているような調子でいった。和一郎の方は、十日ばかり前から湘南にある飯倉の伯父の別荘に行っているらしかった。漆細工で柿の実を飾った小ひきだしの上に、和一郎がペンで描いた西瓜泥棒の漫画エハガキがのっていた。いろいろ愉快にやってます、と文句は簡単であるけれども、小枝やその兄弟、従弟たち若いものばかりの無邪気で野放図な昼夜の情景――そのエピソードには西瓜どろぼうもはいっているらしい賑やかさが偲ばれた。彼らのところには正真正銘の夏があるらしかった。
 多計代が、
「吉見さんはこのごろどうだい?」
と、きいた。
「きょうは、一緒じゃなかったのかい?」
「あのひとは京都へ行ったわ」
「――へえ」
 それは、皮肉の用意された調子であった。
「なにか京都にあるのかい」
 伸子は、
「親があるわ」
と、ぶっきら棒にいった。
「用もあるでしょう」
 多計代は、しばらくだまっていたが、わきの手提袋から小鈴のついた鋏を出して爪をきりながら、
「伸ちゃん、相川さんの、あの女人ていうのはいったい誰のことなんだい」
ときいた。
 新聞に発表された「ある旧友への手紙」の中に、相川良之介が死にとび入るために一つのスプリング・ボードとして女人を必要と感じたことが書かれていた。一人の婦人が一緒に死のうとしたが、それは出来ない相談となった。やがて、そういうスプリング・ボードもいらないようになった、とかかれていた。相川良之介の死が公表された朝の記事に、記者会見で故人の旧友の一人である久留雅雄が、その点についての記者の質問に答えていた。妻をいたわりたいと思った、と相川良之介が書いているのだから、それはおそらく夫人のことであったろう、と。伸子は、そう理解しなかった。たとい死別するにもしろ、ということばを前提として妻をいたわりたい、とのべられていることは、女人と夫人とは別のひとであった事実を語っている。いずれにしろ、こういう心理は、記録されている全体の経過のうちの一部分であるにすぎないと思われた。こういう心持のときもあった、そういう比重で書いてあることとしてよまれた。伸子には、女人のことよりも、相川良之介が、僕の遺産は百坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕の貯金の二千円あるだけである。僕は、僕の自殺したことで僕の家の売れないことを苦にした。別荘の一つもあるブルジョア達にうらやましさを感じた、と書いている、そのことに妻子をのこし芸術家として死のうとする彼の良人とし父親としての思いの厚さを感じていたのであった。
 常にふかいつきあいもなかったことがわかっている自分に、多計代が、どうしてそんなに機微に属することをきいたりするのかと伸子は怪しんだ。
「どうして、わたしが知っているの?」
「だってさ――いずれ文学に関係をもっている女のひとだろうからさ」
「知らない」
 伸子は、いとわしそうに眉根をくもらして首をふった。
「相川良之介のようなひとが一緒に死のうとまで思ったくらいなら、おそらく、よっぽど魅力のある女のひとだったんだろうねえ」
 それらの言葉から母の関心の焦点がのみこめた。
「相川さんの細君というひとは、いずれ平凡なひとなんだろう?」
 ――またはじまった! 心のうちで叫ぶように感じ、伸子は出窓にかけていたからだを思わずおこした。あんまりいやな気持がした。
「そういう比較はするもんじゃないわよ。誰が知っているの? そんなこと!」
 漠然と語られている女人の方に魅力があって、細君の方は平凡なひとだと勝手にきめてかかる、そのいやしさは伸子の胸をしぼった。越智の若い妻についてもいつか多計代はなんといっただろう。自分と、どう比較しただろう。相川夫人についていまいっている、そっくりそのままをいった。その後、越智とのいきさつがああいう風に結末しても、多計代がそこから学んだのはただ越智を軽蔑するという一つのことだけしかなかったのだろうか。
「……ほんとに、誰なんだろう――」
 いやな顔をしてかたく黙っている伸子の横前で、紺ちぢみの品のいい蛇の目しぼりの浴衣の袂をうごかして、多計代はきった爪をとりあつめた紙を丸めて屑籠にすてた。
「相川良之介でさえ、やっぱりかげではこんな女のひととのかかりあいがあったんだものねえ――どうして男って、みんなこうなんだろう」
 多計代は、
「つくづく厭になって来る!」
 嫌悪をこめていった。
「男なんてものは、誰だって信用出来ゃしない。かげではなにをしているのかしれたもんじゃありゃしない。――相川さんの細君だって、きいてごらん。きっと、その女のひとのことなんか、最後まで知っちゃいなかったに違いないんだから」
 強情にだまりつづけている伸子に、ほとんど挑戦するように、
「もう私は、決して男の勝手をゆるしゃしないから!」
と力をこめて多計代がいいきったとき、伸子はからだのどこかを指環のはまった女の拳でこづかれるように感じた。
「日本の女はなにをされたって泣きねいりばっかりしているから男はほうずがありゃしない――どっちをみても幻滅さ」
 多計代のそういう云いかたをきいていると、伸子は、ますます母のこころが、越智とのいきさつ以来、このごろになってからまた一つの転機をへたのを感じた。多計代は素朴に撞着した熱情のまま、その熱情の限りで、ひよわい越智をおして行った。その結果は、丁度ひとが、自分のからだの全重量をかけて廻転扉をつよくおしすぎて、外へ出るよりもはやすぎるスピードでドアがまわってしまい、また逆にもとのところへ戻ったような工合だった。多計代は自分の心の力にまけて、自分の心のこまかい組立てをしんみりと吟味するゆとりもなく、男のひよわさの裏ばかりをひとまわりしてしまった。そして、女の自己肯定にこりかたまったように見える。
 伸子は一種の恐慌の感じでこの新しい事実をうけとった。多計代のうちに燃えゆれていた最後のみずみずしさ、柔軟さは徒労のうちに燃えつきた。そこには灰色にかたまったおきがのこされた。もう二度とそれに火はつかないだろう。そして多計代が人生のいろいろな面、とくに男女のいきさつについてもっている偏見は、矛盾したまま冷えかたまって、多計代の生活にあるあらゆる自己撞着はこれからさきはひとしお威厳の加わったものとなって、佐々の家庭に君臨するであろう。伸子はそこに恐慌を感じるのであった。

        二十一

 二三日の予定で京都へ行った素子は、五六日ノビル、という電報をよこした。九月号の文芸雑誌は、急に相川良之介についての特集を行うことになって、伸子も感想を求められた。新聞にいちはやく、「改造八月号相川良之介氏の絶筆『西方の人』」という大きい広告が出ていた。「沙羅の花」「支那游記」などが同じ社から広告されていた。
 相川良之介について感想を語るとすれば、伸子は、自分の心にあるとおり、彼への疑問、肯定のつよさをおしのけるほどつよくもちあがって来る非肯定の心持から書くしかなかった。けれども、伸子には、自分が相川良之介の全貌を底の底からつかんでいるのではないという漠然とした自覚があった。「ある旧友への手紙」の中にこういうところがあった。「ただ僕にたいする社会的条件――僕の上に影をなげた封建時代のことだけは故意にそのなかに書かなかった。なぜまた故意にかかなかったかと云えば、吾々人間は今日でも多少封建時代の中にいるからである。のみならず、社会的条件などはその社会的条件のなかにいる僕自身に判然と判るかどうかも疑わないわけにはゆかないだろう。」こういうところは、伸子に字づらでしかわからなかった。伸子は、封建時代という意味をぼんやり「昔」としか理解していなかった。従って、相川良之介のいっている意味はよくのみこめず、その十分のみこめない文章の中で伸子によくわかるひとつのことは、自分によくわからないことについては書かないものだ、と語っている相川良之介の態度であった。この暗示に従えば、伸子として相川良之介についての感想などを書くのは礼儀でもないし、自分に忠実でもない、ということになった。しかし、伸子とすれば、自分にまでそういう暗示をなげる相川良之介の聰明そのものに非肯定を感じるのであった。
 伸子が机の前で考えにしずんでいるところへ、とよが、
「お客さまですが……」
と来て立った。
「どなた?」
「遠藤絢子さんという方です……老松町のころにもよく上ったとおっしゃっていますけれど……」
 遠藤さん――伸子は思い出した。老松町の家に住んでいた頃、近所の筑前琵琶師の二階がりをして、賃仕事などをしながら、文学をやりたいといっていた絢子という二十四五のひとがあった。
「ぜひお話ししたいことがあるっておっしゃいます」
 伸子は、玄関へ出てみた。二三年会わなかったうちに、生活のやつれが濃くなり肩も骨だって見えはしているが、やはりそのひとであった。
「ああよかった、わたし、きょうはどうしてもきいて頂かなくちゃならないことがあるんですのよ」
 犬歯の目だつ口もとで、伸子の上に目をすえていった。
「ともかくお上りなさいな」
 玄関に立っている様子も、そこから座敷に入って来る絢子のものごしも、どことなく伸子を警戒させた。伸子は、客を北側の落ちつく小部屋の籐椅子へ案内した。遠藤絢子は、暑いさなかを歩いて来たのに、汗をふくよりのどの乾きの方がきついという様子に見えた。冷たい水をたてつづけにのんだ。そこに出ている団扇をとりあげようともしないでコップで二杯の水をのみ終ると、
「ああ、お会い出来てよかった!」
 思いつめて遠方から来た気がゆるんだというように、椅子の背へもたれこんだ。酷暑だのに、白地銘仙の着物に友禅の昼夜帯をしめ、そのどっちにもたたみめがなかった。伸子は、
「なにか急に用があったの?」
ときいた。
「ええ是非きいて頂きたいと思う重大な問題があるもんですから……」
 絢子は、伸子が老松町を引こしてからの自分の生活を話した。久地浩のところへ出入りし、書いたものを見て貰い、大変嘱望された。またこの一年ばかりは相川良之介のところへしげしげ訪ねていた。そういう話だった。絢子は、
「あのかたは、家庭でも、ほんとに孤独でいらしたわ、わたしにはよくわかっていましたの」
 そういって、わかる訳があったのだ、という眼つきで伸子を見た。伸子は、ばつのわるい表情をした。黙っていると、
「あの新聞に出ました『ある旧友への手紙』もちろんおよみになりましたわねえ」
といった。
「ええ」
 絢子は、犬歯のめにたつ口もとを引しめてうつむいていたが、その頭をもたげるなり、
「あすこに、女人とありましたでしょう。あれは、実は、私のことなんですの」
「…………」
 おこった視線で、絢子はその言葉を信じかねて黙っている伸子を見つめた。
「あなたも、私のいうことをお疑いになるんですのね」
 伸子は、
「ごめんなさい」
といった。
「でも――わたしは、あなたに二年も三年も会わなかったでしょう。そして、相川さんという人だってなにも直接の交友はなかったんですもの――信じる根拠も、信じない根拠も、わたしとしてはないのよ」
 やせて、皮膚のあれている顎をすくうようにして、絢子はうなずいた。
「それはそうですわね」
 絢子はなおひとりうなずいた。
「佐々さんは、やっぱり佐々さんらしくていらっしゃるわ……あがってよかった!」
 すぐつづけて、
「でも、それは事実なんです」
と、もとの主題に戻った。伸子は困惑し、同時にいとわしかった。
「事実だとして、わたしが伺って、どうかなることなの?」
「ええ、なりますとも。あなたが私のいうことは事実だって証明して下されば、それで私は満足なんです」
 相川良之介というひとは、何といろいろの角度から、いろいろの女に興味をもたれていたのだろう。多計代が示した好奇心も思いあわされた。伸子は、相川良之介が絢子にたいしていまいうような関心をもったということは、普通では信じられなかった。すべての点から。――たとえば、相川良之介がもっている清潔さへの好みにたいして、絢子の皮膚には汗のよごれが見えているというような点からだけでさえも。――
 伸子は、本気になって、
「ね、絢子さん」
とよびかけた。
「ああいう有名な、ある魅力をもつ人が、内容のわからないああいうことをかくと、大変誤解がおこるのよ。外国の文学史をみたって、そうだわ。愛人の詮議がよくおこるでしょう。――失礼だけれど、第三者からいえば、あなたのように、自分をその立場に当てはめて考えている女のひとが、ほかに幾人もあるかもしれないのよ」
「それゃ、事情を知らない方は、そうもお思いになりますでしょう、でも――私の場合はちがうんです」
「日本の女のひとは、外国の男が何でもない習慣ですることを、特別の関心と思いちがいして、かわいそうなことになるでしょう。――相川良之介というひとは、最も辛辣なことをいっても女のひとは愛の告白かと思いちがえるかもしれないぐらいのところがあったのよ」
「ええ、それもわかっています。でも私の場合はちがいます」
 そして絢子は、その言葉で伸子の顔をぶちでもするように、
「相川良之介さんは、私に接吻したんです」
といった。
「あのおうちの二階からおりようとしていたとき、階子段のところで……」
 伸子は、ぞっとした。そして、黙った。ペンをもつ手がふるえ、涎がたれるようになったと自分について書いている相川良之介を思った。二階へ急にかけ上って来た夫人が、となりの部屋の畳につっぷして、お父さんが死んでおしまいになったのじゃないかと思って、と弾む息をころしていた情景を思いおこした。その家の二階を下りるとき――……
「そういうことがあっても、あの女人というのは、私でないとおっしゃいますの?」
 二人が腰かけている小部屋の出窓の前の樫の梢でミーンミンミン、ミーンミンミンと単調にやかましく蝉が鳴きたて、生垣ごしの隣家の草むらに大輪の向日葵ひまわりが黄色く咲いている。草木の上には夏の日光が燃えきらめいている。そのやきつく風景を目に見ながら伸子は、寒いような心持だった。もし万一、絢子のいうようなことがあったとすれば、それは、酸鼻だと思った。相川良之介は、刃のこぼれた細身の劒を杖にして、その日その日をよろばい生きている自分の哀れさを、恋愛に飢え、金銭にかつえ、名声にかわいて汗くさくなっている絢子の上にも感じたのかもしれなかった。人生を彷徨ほうこうする餓鬼が、また一人そこに女の姿をしていることを病的な神経に感じとったのかもしれなかった。鼻の頭にされようと、唇の上にされようと、そのこころに立ってされた接吻でなくてほかのなんであったろう。それは幽鬼の接吻でなくてなんであろう。ともにくずれゆくものとしての挨拶でなくてなんであろう。
 しかし、それは、絢子のいう意味の接吻とは全くちがう。本質がちがう。絢子にそれは理解されないだろう。
 沈痛に沈黙している伸子を、じりじりした眼で見まもっていた絢子は、どうしても信じるらしくない伸子を屈伏させようとするように、そのことで、自分が男心を惹きつける女性であることを力説するようにいった。
「佐々さん、まだ信じて下さらないんですのね。でも、男のかたのこころというものは、微妙なものですわ」
 そういう事情に通じない伸子を憫笑するようなほほえみを浮べた。
「久地浩さんも、私に接吻なさいました。でも、あのかたなんかはね……」
 世評にもいわれているとおりなのだから、という声の表情だった。
 絢子のいうことが事実であるにしろ、ないにしろ、そういう話しぶりをする絢子のこころは普通でなくなっている。
 伸子は、
「ひととひととのいきさつには、きっと、はたではわからないようなこともあるものなんでしょう」
 自制して、おだやかにいった。
「私にはわからない事実というものもあるんだろうと思います。でもね、遠藤さん、あなたは相川良之介という人を愛していたの?」
「それは愛していましたわ。家庭で、どんなにあの方が孤独だったか知っていたのは、私一人ですもの」
「それなら、そういう話を、あっちこっちもって歩いて、わけもわからないひとに、それを信じろなんていう必要はないと思うわ」
 こんどは、絢子がだまった。
「わたし、あなたが、そういうことをいって歩くのを考えると苦しいわ」
 伸子は、しばらくだまっていて、やがて、
「やめた方がいいわ、おやめなさいよ、ね」
といった。
「少くともわたしは、もうききたくないわ。いい?」
 また、間をおいて、
「世間は冷酷ですからね、あなたの気がどうかしている、というのがおちよ」
 遂に伸子は、とことんのことをいった。絢子は、じっと伸子のいうことをきいていた。そしてそろそろとかえり仕度をはじめた。
「ほんとに、そうですわ」
 顎を掬い出すようにしてまたうなずいた。
「あなたのおっしゃるとおりですわ。いくら記者のひとに話したって、気違い扱いなんですもの」
「そんな人にまでも話したの?」
「ええ」
 どうしてそれがまちがっているのか、という風に平静に、伸子の世間のせまさをあわれむように、絢子は答えた。
 あらゆる草木や地面からしめりけというしめりけを蒸発させて暑くかわき上っていた空の模様が変って、八月に入ったある夜、雷鳴につれて豪雨があった。
 素子は、まだ京都から帰っていなかった。奥の座敷に広々とつった白い蚊帳のなかで、ひとり床に入っている伸子は、じっと目をあいて凄じいその雨の音をきいていた。茂った竹藪の竹の葉や手入れのされていない松の枝、自然な萩のしげみなどをうっておちる雨の音は柔かく幅ひろくとどろいて、そのとどろきは、しずかにねている伸子の背なかに、つたわって来るようだった。雨戸の上についた欄間のガラスから時々稲妻の青白いひらめきが白い蚊帳の上に光った。一瞬の燐光に射出された天地がたちまちまたもとの暗黒にもどるとき、豪雨はしばらくの間一層きつくなったように感じられる。雨量の大きさには、忍びこみはじめた秋が思われた。伸子は自分のからだばかり不思議にぬれずに、季節の橋の上に横たわっているような心持がした。庭の夏草の根を洗って流れる水は、床の下に淙々そうそうと流れている。
 夜なかのこの豪雨を、やっぱり蚊帳の中によこたわりながらおそらく目をあいて聴いているひとがある。伸子は、そのひとのおとなしく七三にわけて結った髪の形を思った。そのひとは、つつましく化粧して白の喪服をきていた。亡くなった相川良之介が灰となって葬られているのはいいことだった。さもなければ、あの夫人は、この雨の音を、自分の悲しみの上に聴きしめていることは出来なかったろう。いとしいもののからだに流れる水を思えば、いるにいられない思いだったろう。
 その豪雨は、宵の口からふり出した。昼間はポプラの梢の上に白雲の浮き出た空がギラついていた。その空が見上げられる縁側に椅子を出して、伸子がかけている。小卓をはさんだ向い側に、大柄の瀧じま明石に絽の帯をしめた大島のり子がいた。二人は初対面であった。のり子は、その頃女子学生のために開放された大学で哲学の勉強をしていた。そして、ピアノに堪能であるらしかった。
「下宿ぐらしといったって、ピアノまでもって行っていらっしゃるなら、いいわ。――よすぎるくらいだわ」
 伸子は、半分ふざけて、それがまさか、と否定されることを予想しながら、
「ピアノはなんなの? ベッシュタイン?」
ときいた。のり子は、
「あっちのはひどいのですけれど……」
 自然な調子で、
「うちのはそうでございます」
と答えた。昔亡夫は大学教授であったというのり子の家庭のあらましが、そのピアノのことからだけでもおしはかられた。
「――母もすきで、下手でございますけれど弾きますの、若いころには音楽学校に入りたかったんですって」
 のり子は、来年の春、その大学を卒業しようとしているのであった。大島のり子というひとは、いい紙に大きい仮名でかかれた手紙のような感じだった。ペンでつめた字ばかり書いている伸子にとっては、のり子と向い合って話している気分の行間が、いかにもゆっくりのびていた。そして、そのゆったりとられた行間はただの余白というのではなくて、かかれた文字の余韻の響いているところという風だった。伸子に、こういう若い友達は珍しかった。のり子としては、哲学も、つまりは人間の趣味の一つと考えているというのが、そのままうなずけた。
 のびやかに話している大島のり子の、どこやら漱石の女性が進化したような雰囲気を感じながら、伸子は、このひとがもっている話したいことというのは、どういう事なのだろうと思った。もしかしたら、肝腎のそのことには結局ふれずに帰るひとなのかもしれない。
 大島のり子は、テーブルの上に出ていた白い団扇をなんということなくうちかえして眺めていたが、ふとその手をとめて、ふっさりした前髪を傾けるようにしながら、
「佐々さん、豊田淳さんのおかきになるものなんか、お読みになることがございますか?」
ときいた。漱石門下の先輩で有名な一人であることを知っているだけで、伸子はその人のように日本の古典芸術に深い興味をもっていなかったし、演劇に通じているわけでもなかった。
「あのかたのものは、楢崎さんなんかの方がよくよんでいらっしゃるのじゃないかしら……わたしは、多趣味というんじゃないんですもの」
 のり子は、しずかに笑った。
「それはそうね」
 また団扇をいじっていたが、そのまま、
「あの方、あっちにいらっしゃいますのよ」
と、大学のある地名をいった。
「――講座をもっていらっしゃいますの」
「――あなた、おききになるの?」
「ええ、昨年一年うかがいました」
 葉から葉へつたわるしずくのように、少しずつしたたって来るこれらの話、というより、むしろそれを話すのり子の話しぶりから、伸子はぼんやりなにかを感じはじめた。
「豊田さんの話は、豊富でしょう?」
「豊富ですわ――。それに、いい感覚があって、……」
 一音ずつ鳴らすピアノのようにのり子は話す。その一つ一つは、一つ一つとしての音色をもって鳴っている。そこから伸子にはっきりわかって来た、のり子の豊田淳への傾倒は、どういう内容で展開しているのだろう。
「わたくし……どうしようと思っていますの、もう、あっちからは引き上げて来てしまおうかとも思って――」
 のり子の調子は、住居をうつすばかりでなく自分の感情も、あっちから引上げて来た方がよかろうかと意味しているようにきこえた。
「わたしにはわからないわ……勉強の方はどうなの? もう論文だけでいいの?」
「ええ、そちらは、まあどうにでもなるようなものですけれど――」
 夏の若い女のほんのり美しい顔色に、重いかげがさしよって来た。のり子のふっくりしたまぶたや顎のところが、上簇じょうぞくまえの蚕の肌のような鈍い透明な色になった。伸子にのり子のせつなさが感染した。伸子は、力を入れて棹をつっぱって、二人がのっている話しにくさの小舟を、流れのなかへつき出した。
「ほんとに――論文なんかどうにだってなるもんでしょう……」
 いきなり問題の中心に飛躍して、伸子は、
「具体的に複雑なことになっているの?」
ときいた。そして、すぐつづけて念をおした。
「わたし、自分が伺いたいのじゃないのよ、だから……返事なさらないだっていいのよ――ただわたしが無作法な方が、あなたにいくらか便利かと思って……」
「ええ、ありがとう。わかりますわ」
 のり子は、膝においた両手の指で小さいハンカチーフを、かたくかたく細い棒に巻きしめた。
「――具体的ですし――この頃ではもうすっかり発展の見とおしもなくなってしまって……だもんだから」
 苦しくて、というところをのり子は黙って椅子の上で身をよじった。伸子は、豊田淳の書くものを思い出した。そのこった、ふくみの多い主観的な表現と、のり子の言葉のすくない風情との間には近似性がある。その趣が趣をひきつけたところから、のり子として真剣な問題がおこって、初対面の伸子にもむき合わせることになった。のり子の、ひとり苦しんでいる、という様子が伸子に、さまざまの現実を推察させた。伸子は歎息するように、
「いつも女の負担が多いのねえ」
といった。
「なんて、そうなんでしょう!」
 水の中でこらえていた顔をもちあげて、一気に苦しい息をはき出すようにのり子が応じた。
「愛することは、まるで苦しさに耐える、というみたい……」
「だって、それは変えなけれゃうそよ」
 伸子らしい一途さでいった。
「そういうのは決して、正常じゃないわ。決して正常であり得ないわ」
 佃と暮して、もがき苦しんでいた間、伸子はどんなにしばしば、いまのり子が歎いたような歎きに呻いただろう。歎いても歎いても、そのことで歎きの原因はとりのぞかれなかった。
「佐々さんの場合はわかりますわ。――ですけれど、もし、正常にする可能性がどこにもなかったとしたら? どうすればいいのかしら……」
「…………」
「正常にするためには、もとからある生活を根柢こんていからこわさなければならないとしたら――」
「だって――それは、はじめっからわかっていることじゃないの?」
「……実際にそれが不可能だとしたら? 男のひとに、その意志がないとしたら?」
 そういうのり子のまぶたの色は鉛のように沈んだ。その名をきけば一部の人々には教養の守護者のように思われている人の生活の現実も、こういういきさつとなると、凡庸さも、不決断を理由づける卑屈さも、世間の多くの男の場合とその本質では大差ないように見える。伸子は自分もその気分に染んでいないこともない教養ごのみそのものに、なまなましい嫌悪を感じた。教養の選良のように見られている人に、こんなありふれた男女関係の混乱がある。しかも、これらの人々にはありふれた事件をありふれた事件として判断するものを、かえって嘲笑する傲慢さがある。情景のひとこまひとこまが、よしんば教養のニュアンスで複雑にされ、情趣で色どられているにしろ、社会で生きる男と女としてはこれまでの男くさい勝手をつらぬいて、むしろその弁護にだけ役立てられる教養というものに、伸子は唾棄を感じた。
 とり乱すことが出来ないだけになお苦しそうなのり子は、そこに出ていたコップをとり上げて、氷のかけらの浮いた水をひとくちのんだ。そして、しばらくいいようを考えている風だったが、いきなり、
「父親をもたない子供が生れるということは罪悪でしょうか」
といった。いい終ったのり子の鉛色のまぶたがだんだんにあからんだ。その変化は、のり子の若い肉体と精神の全血行の逆流を語った。のり子のその顔つきは、こうしてそれをみているより自分の胸の上に抱き伏せてしまった方が、まだ楽だと伸子に思わせた。伸子は、自分を凝視しているのり子の眼に、ひとこと、ひとことをうちこめるようにいった。
「世間の習慣では、そういう子供はかわいそうね。でも、罪悪かしら――一人の女のひとがその子の母親となるようになった動機が罪悪といえるかしら――」
 伸子にそうは思われなかった。
「でもね、当然母親になるはずの女の人と子供とを、そういう条件においておく男があれば、それは罪悪的だわ。子供が生れる生れないにかかわらず、よ。世間が、どうみる、みないに、かかわらず――そうでしょう?」
 よくいいあらわせなくて、伸子はもどかしげに目ばたきした。
「そういう条件だのに、それなりずるずるに進行した全体の関係そのものが変よ――まして一方に、もうちゃんと出来上った家庭生活があったりすれば……」
 いっているうちに自分にも少しずつ細部が明瞭になって来て、伸子は、
「その意味では女のひとにだって、同じだけ責任があるわけだわ、知らなかったのではないんだもの」
といった。
「愛なんて、ほんとに愛なはずだのに――紛糾や怨ではないはずなのに――妙ねえ。なぜ、こんなに、どこでもかしこでも愛はごたごただの苦しみだのなの? ほんとに、なぜ? 愛が苦しみだなんて――」
 ほんとうに、伸子のまわりのどこに、愛の発露とはこうもあろうか、と、目を奪われる眺めがあるだろう。佃と自分とがからみあいもつれあって生きたあの姿。母と越智との空虚な、しかも力いっぱいの葛藤。そして、母と娘との感情においてさえも――。伸子はその中から自分をもぎはなすように、頭をふっていった。
「ね、勇気をふるってね。いやな苦しいいきさつの中から、一番ましな部分をつかまえるのよ。生れるものを堂々と生れさせるのよ。生むことを堂々と認めるのよ。父親は逃げた。それだって、その女のひとは子供を愛しているのだわ、そうでしょう? 愛はそのひとのものだわ、そうして、子供も……。子供には子供の人生を生かしてやるのよ」
 のり子の、また鉛色にかえったまぶたの下から、とめどなく涙が溢れた。のり子は、涙を抑えていたハンカチーフを口にあてて、声を忍んで嗚咽しはじめた。伸子は座をはずした。
 ほどたってから、伸子が新しくこしらえた飲みものをもって座敷へ戻って行こうとすると、のり子が、どうしたのか隣室の襖ぎわへ来て立っていた。
「――気もちがわるくなったの?」
おどろいて、伸子がたずねた。
「いいえ」
 のり子は半分ぼうっとなったように、涙で濡れたハンカチーフを握ったまま、なおそこにたたずんでいる。じっとしていられなくなって、我知らずそこまで動いて来たという風だった。
「あっちへ行きましょうか。立っているとくたびれることよ」
「ええ」
 のり子は、ななめ下の畳を見つめながら機械的に返事したが、動こうとしなかった。伸子がひとあし進もうとしたとき、その胸にのり子がぶつかるように身を投げかけてきた。
「ねえ、あのかたのことをわるくお思いにならないで!」
 低いけれども、絶叫のようにのり子はそういった。
「どうか、あのかたのことをわるくお思いにならないで頂戴!」
 そして、伸子の胸から、伸子よりもすらりと高い自分の上半身をすべらせて、傍らのベッドの上へ泣き伏した。
 夏の夜なかの豪雨を蚊帳のなかで聴きながら、伸子は昼間のその情景をこまごまと思いかえした。女ひとりの寝ている家の屋根瓦をうち、その庭に生い茂った夏草の根を洗って流れる雨の音と稲妻の間を縫って、あのかたをわるくお思いにならないで! といったのり子の、訴えにみちた叫びが、またきこえるようだった。あのかたをわるく思わないで。――しかし、ベッドの上に泣き伏したのり子の綺麗な友禅の絽のおたいこは、なんとせつなく波うちもだえていただろう。
 伸子の心は、いうにいえない哀憐と、人間生活へのわけのわからなさで、しめあげられた。瘠せた顎に汗とともにかわいたほこりのしみをつけたきたない遠藤絢子は、ギラギラした眼でもって、幽鬼じみた接吻のことを告げた。相川良之介さんは私に接吻したんです、と。そこにも人間性のぴくぴくする断片とその痙攣とがある。けれども、なんとあれこれは互に齟齬しており、くだらなさと痛切さとがまじりあっていて、窮極の意味はわからないのだろう。豪雨の夜の天地の暗さと、人間の生きかたの奇妙なくらさとは、ひろい座敷に虫籠のようにつられている白い蚊帳を、パッと瞬間ひらめき照らす稲妻が消えるごとに、いよいよ濃くなりまさって、伸子の心とからだとをおしくるむようだった。

        二十二

 素子が京都から帰って来た。
 東京をはなれたのは僅かの十日たらずであるけれども、その間ひどくちがった生活の中にいてきた人の眼つきで、素子はうちのなかを見まわした。
「――どうした? 相川良之介の葬式には出かけた?」
「ええ。行った」
 伸子は、不自然でないように話題をうつし、
「あなたの方、どうだった?」
ときいた。
「工合よく行って?」
「――ひとり角力とって来たみたいなところがあってね」
 予定していたほど、素子が分配される財産がなかったらしかった。
「まるで駄目?」
「そんなことはないさ!――それゃ、わたし一人ぐらいはなんとかなりますがね」
 わたし一人ぐらい、という言葉に伸子はおどろいた。
「一人ぐらいって……」
 では、素子は、伸子の外国旅行の費用も、自分の分から賄おうと思っていたのだろうか。
 伸子はあわてて、
「そんなこと出来ないことだわ」
といった。
「とても、わたし、出来ないわ。わるいわ。それに――」
 よしんば素子に十分の金があろうとも、伸子はその金で自分が外国を旅行するということは考えられないのであった。
「ぶこちゃんは、そう思うような人さ。だけれどね、金は、金さ! そうだろう? 使える金を一番よく使うのが功徳というものさ。――うちの親父も、どうせろくな金をためちゃいないにきまっているが、まさか、さわって穢れるほどの悪銭でもないだろう」
「そういう意味じゃなくさ」
 伸子は、すこし顔をあからめ、素子の心くばりをうれしく思いながら、ゆずらない小声で、
「そのお金、出来ないでよかった」
といった。
「もし出来たら、わたし困るわ。やっぱり、そんなこと出来ないし……」
 赤いパイプを口の中でころがしながら、素子はまぶしい庭から移した視線を伸子の上においた。
「――ぶこちゃんの気持は、じゃあ、どうなのさ」
 外国旅行の話が出て初めて、素子がそうきいた。
「行く気がないのか?」
 まるで行く気がないといえば、それは一面に傾きすぎた答えだった。
 それかといって、伸子のいまの心は、どうしても行きたい、というところまで歩み出していなかった。
「もちろん、行ってもいいと思うわ。でもわたしロシア語専門というのじゃないから、行くならフランスなんかもみたいし……」
 だが、それも伸子の心もち全部をいいあらわしている返答でなかった。伸子は、もしこんど外国にゆくのなら、本当に自分ではっきりした動機をもって、はっきりした心持で行きたいと思った。二十のとき、父につれられてニューヨークへ行った。それは伸子とすれば全くうけみな偶然であった。その偶然をそのときの伸子として一番痛切だった方向に活かそうとしたのが精いっぱいであった。外国へゆくということは、その経験があるだけに、かえって伸子を考えぶかくするのであった。
「あなたは、自分の専門だから、行く理由も目的もはっきりしているわ。でも、わたしの方は……ねえ、わかるでしょう?……それにね、いま、わたしの心に、こうなっているものがあるの」
 伸子は、両手の指を胸のところで、もしゃくしゃと動かしてみせた。
「それがまとまると、きっとはっきりすると思うの、だから、もうすこし待って……」
「それゃ、待つも待たないもないけれど……」
 相川良之介の死は、それを知った当座のおどろきや疑い、悲しさの激発が一応はしずまったあと、伸子のなかに深い余韻をのこした。その余韻は、細々としながらしかも消しがたく、丁度相川良之介が「蜘蛛の糸」という小説でかいた一本の細く光る蜘蛛の糸のように、伸子の日々を縫い貫いて、その日々に何かの作用を与えはじめていた。その蜘蛛の糸は、いまにも絶えそうに細いのに決して切れない強靱さをもっていて、南京玉を一粒一粒ととおしてゆく絹の糸のように、いつの間にか、伸子の心の中で、一つ一つばらばらにおこって伸子をつき動かした出来ごとと出来ごととの間をとおして、それはなんだか、そしてどうなるのだかは分らないながら、一つの輪になりかかっている気持であった。
 この二三ヵ月のうちにおこったいろいろのこと、越智と母とのいきさつ、保の生活ぶりとそれにたいする自分のいつも心配な心持、どれも切実なようでいてそのはしばしは、みんな本質的には未解決のまま、伸子にとって手に負えない、現実のくらがりのうちに消えこんでいる。そのわからなさの上に大島のり子の優美に泣きくずれた姿があり、またあのよごれで光った三人の若い青年たちの顔々もある。
 いつか動坂の客間の夕やみの中で保の心もちを飛躍させる力のない自分を不本意に苦しく発見したとおり、これまでの伸子の心ひとつでは、自分のわからなさとこんぐらかってしまうだけだったものを、一条の蜘蛛の糸が、細く、しかし決して切れないその光る粘りで、貫きまとめかけているように思えた。それはいろいろが、もっとわかって来た、というのではなかった。反対にいくつも、いくつものわからなさの間を、相川良之介がその時代に向って正直に示した、ボンヤリした不安という蜘蛛の糸が絡みまとめて、そろそろ、そろそろそのしぼりを締めつつあるような心持だった。わかったという方向から湧く力ではなく、ほんとにわからない! としぼりがちぢまり凝集することで、そこからなにかひとつふみ出す力が湧きそうな、痛みと歓喜との入り交った予感が伸子の心をうずかせているのであった。
 伸子は、わかりにくいことをわかって貰おうとして、困り困り素子に自分のその心持を説明した。
「だからね、わたしは、これをすっかりみのらしてみたいの。わかる? 中絶したくないの。音楽のように、しまいまできいてみたいの」
「――まあ、それもいいだろうさ、わたしの方だって、なにもきょうあすにきまるわけじゃなし……」
 素子は、そういう伸子の心にはあまりさわらないようにし、さわらないことではやく、伸子がいわゆるみのった状態におかれることを期待している風で、自分の旅行のための用事で外出しつづけた。巣についた牝鶏のように、伸子は家にこもりつづけた。
 そういうある日の午後、縁側で竹の葉の色が青く映っている金魚の鉢を眺めていた伸子は、うしろで、
「こんにちは」
と、よびかけた男の声におどろいた。ふりかえるなり、伸子は、愛嬌のない眼をそちらにむけた。少女むきの文芸雑誌の記者で沼辺耕三という記者が、原稿をたのみに、といって先頃ちょいちょい訪ねて来た。沼辺耕三は、玄関をあけて入らず、柘榴の下枝をくぐって、いつもいきなり座敷の縁側のところへ姿をあらわした。はじめて来たときから、彼はそうした。
 伸子は、そのとき座敷にいたこともあり、いなかったこともある。不機嫌になって座敷の真中の卓の、床の間よりの側に坐る伸子に、白服をきた沼辺耕三ははなれた縁側から、話しかけた。
「きょうは吉見さんは――お留守ですか?」
 そして、奥をのぞくようにした。伸子のこころに、留守ならばどうだというのだろう、と思わせるいいかたできいた。いくら伸子がことわっても、何か書けと求めた。そのおしのつよさは、伸子に自然なものとしてうけとれず、俗に男はおし、という、そういう意味でのおしの感じに通じていて、沼辺耕三を嫌悪した。
 その男が、きょうは浴衣がけで来た、と思って、伸子はいそいで縁側から立って奥へ入ろうとした。すると、庭へ入りかけていた白い浴衣の人は、伸子のおどろいたのがわかったと見え、
「や、失敬しました」
といった。
「――玄関へまわった方がいいですか」
 眼を定めてみれば、それは、沼辺耕三とはまるで別の人であった。ただ、三十をすこし出た年恰好が似ているのと、背だけが似ていたのだった。眼鏡をかけた顔は、すこし蒼く、静かに見えた。伸子は、あわてた自分に苦笑した。
「失礼いたしました……ちょっと人ちがいして」
 縁側へ出て行った。
「どなたかしら……」
「いや、別に名前をいうほどの用で上ったもんでもないんですがね」
 白い浴衣の人は、高くしげった夏草の穂を野原にでも立っているようにぬいて、それを指の先でまわしながら、
「あなたの書かれるものを読んでいるもんだから……」
といった。
「…………」
 伸子はきくような眼でそのひとを眺めた。
「偶然通りがかって、表札を見たもんだから――」
 浴衣のひとの言葉づかいやものごしが、伸子に珍しい印象を与えた。伸子の書くものを読んで、と訪ねて来た人にしては、そのひとは大人すぎて見えた。さっぱりした感じとまじってほんのすこし横柄のようでもあった。年の多さという以上に、そのひとは伸子にたいして、出来上っている自分の世界の感じを示した。伸子は静かで、おとなしく、だが、どこかふみこんだところのある人物を、警戒よりもつよい好奇心で見まもった。
 庭へ立ったまま、そのひとは、縁側にいる伸子にきいた。
「あなたは、北條一雄というひとの書いた本をよんだことがありますか」
「それは――文学の本じゃないでしょう?」
 伸子は、どこかの広告でその名を見た記憶があった。
「文学じゃない」
 浴衣のひとは、苦笑のような笑い顔をした。
「経済と政治ですがね」
「よんだことはありません」
 あるとおりに伸子は答えた。
「――そんな本の話きいたことはないですか」
 伸子たちの生活の輪には、政治や経済の話をする人はなかった。
「一つよんでみる気はありませんか」
「さあ……」
 自分の名もいわずに、いきなりそんな話をしはじめた人を、伸子はまた不思議に感じた。その心持を顔にあらわして立っている伸子に、その浴衣のひとは、また苦笑に似た笑顔を見せた。
「マルクス主義なんていう雑誌は、よまないんですか」
「よんだことないわ」
「文芸理論も出ますよ、篠原蔵人の立派な論文もありますよ」
「そうお」
 篠原蔵人という名前で書かれた文学についての論文を、伸子はいつか雑誌でみたことがあった。読んだがわからなかった。引用から引用に続いた文章の組みたてで、伸子にはどこに、そのひとの文章があるのかよくわからなかった。そういう面ばかりつよく感じられて一層伸子の理解が戸惑わされた。
 伸子は、そのとおりを浴衣のひとに話した。
「なるほどねえ――そういう風なものかな――しかしわかりますよ」
 力を入れて、くりかえした。
「あれが、わからないなんてことはないはずだ」
 そして、いくらかむっとしたように、
「それは君がわざとわかろうとしないんだ」
といった。
「どうして?」
 伸子は縁側にしゃがんでいて、思いもかけない表情になった。
「どうして、わたしがわざとわかろうとしないなんて、あなたに、わかっていらっしゃるの?」
「…………」
「いま、はじめてお会いしたばかりだのに――」
「いや、いや、そういう意味でいったわけじゃない」
 伸子は、本当にそれがどういう人なのか知りたそうにまた、
「――あなたは、どなたなんでしょう」
とつぶやいた。しかし浴衣のひとは黙ったまま、手にもっている雑草の穂を指の間でクルリ、クルリとまわしていたが、やがて、吸いきったタバコでもすてるようにそれを足下にすてて、
「――どうも突然、失敬しました。いつか北條一雄の本はよんで見られるといいと思うな」
 そういって、伸子があいさつをする間もなく、柘榴の枝かげに身をかわして、門の外へ出て行ってしまった。その白い浴衣の後姿に黒い兵児帯が伸子の目にのこった。

        二十三

 不意に柘榴の樹かげからあらわれて、伸子が一人で金魚鉢を見ていた縁側によって来た男は、何者だったのだろう。どういう意味で、北條一雄の本のことや篠原蔵人の書いたものについてばかり話して行ったのだろう。それらの本や論文について、伸子が、わざとわかろうとしないんだ、というようなことを、どうしてその白い浴衣のひとは云うことができたのだろう。
 素子が夕方帰って来たとき、伸子は、その不意な来客について話した。
「まるで知らない男かい?」
「知らないわ……」
「近所に住んでいるらしかった?」
「そうとも思えなかったけれど」
 素子は、煙草の煙が夕風に流れる方角を追うように庭に目をやっていたが、
「ここが流通なのも考えもんだな?」
と云った。門から玄関までの通路と庭との境に、垣根のないことをいうのであった。
「どうもこの節は、えたいのしれないものが頻々ひんぴんとやって来るね」
 きょうの不思議な客ばかりでなく、いつか来た三人の、よごれで光った青年たちのような若者が、皺くちゃになった紙に鉛筆で姓だけを書いたものを示して、あれから三組ほど来た。いつも三四人ずつが一組となって。その人たちは、しかし、必ず玄関から来た。堂々と玄関から来る、というところに、その人々が自身に認めている権威が示されているらしかった。
 白い浴衣の男が、わざとわかろうとしないんだ、とひとくちに云った言葉は、伸子の耳から入って小さいとげのように心にのこった。その言葉は不愉快な鋭さで伸子の心をつついた。伸子にすれば、わざとわかろうとしないなどという態度は、そこになにか防衛しなければならない特別の利害とか、権威とかを考えずには思えもしなかった。篠原蔵人の階級芸術についてかいた論文は引用ばかりのようでよくわからなかった、と云った伸子に、どんな打算があったというのだろう。わざとわかろうとしない必要がどこにあるのだろう。
 久しぶりで、昔の同窓生であり、小説家である河野ウメ子が遊びに来たとき、伸子は、その奇妙な訪問者のことを話した。
「その人は、そういうのよ。――わざとわかろうとしないんだ、って……そんなことありうる?」
 下町に育って、小柄なからだに、特徴のある美しい上まぶたの表情と長いまつ毛をもったウメ子は、糊のきいた素子の伝法な柄の浴衣の中で、
「どういうんでしょうか」
 ほっそりした首をすくめるようにして、素子の方を見かえした。素子は、黙っている。三人の前に、ウメ子のお土産だったアイスクリームをたべたガラス皿があった。
「河野さん、あなたは、ああいうものおわかりになる?」
 ウメ子は目立たない勉強家で、いつとなく専攻の英文学のほかに、チェホフの作品などを原語でよむようになっていた。小説のことでは伸子も間接に影響をうけている須田猶吉に親炙しんしゃして、婦人の作家に珍しく装ったところのない作風を認められていた。
「わたし、いつもなまけてばかりいてわるいんですけれど、あんまりああいうものは読まないんです」
 ウメ子は、ちらりと奥にある小さい金歯をのぞかせながら笑って、美しい上まぶたをつり上げるようにした。
 伸子には、篠原蔵人の論文にあるように、リアリズムという文学の上の傾向にも階級の区別があって、ブルジョア・リアリズム、プロレタリア・リアリズムとわけられなければならないということが、よくのみこめなかった。「アンナ・カレーニナ」のなかで、アンナがモスクワへ来てはじめて夜会に出かけた晩の美しさ。そしてまた、ウロンスキーと恋愛におちいったのち、良人カレーニンの書斎で、女としての解放を求めて冷血なカレーニンに迫ってゆくあの生命に溢れ、必死な真実に燃えたった情景。ああいう風に、まざまざと人間とその生活とがたぎっている小説がかけたら、と思いこんでいるのぞみのなかで伸子には、ブルジョア・リアリズム、プロレタリア・リアリズムという区分の意味がわからないのであった。
「どっちみち、ほんとにちゃんとした小説がかけるようになりたいわ、ねえ。それは同感でしょう?」
 伸子は、つよい憧れを顔にあらわして云った。
「プロレタリアの生活もブルジョアの生活も、ひっくるめたようなリアルな小説がかきたい。社会はそうして動いているんだもの――リアリズムって云うのも、そういうもんじゃあないのかしら……」
「…………」
 ウメ子はちょっと伏目になったような真面目な表情で、自分の意見は云わず伸子のいうことをきいた。しばらくみんな沈黙していると、素子が、男のように腕をくんでいた片手でパイプを口からとりながら、
「われわれには、階級ってものがよくわかっていないから、どうもすべてはっきりしないのさ」
と云った。
 伸子は、ほんとうに眼を大きく見ひらいてそういうことを突然云い出した素子を見た。素子が、そんなことを云う。――全く思いがけないことだった。
「……あなたはわかっているの?」
「そうはっきりわかろう道理がないじゃないか。けれどさ――どうも、そういうものらしいというのさ」
「…………」
 いつの間に、素子には、そういうことがわかったのだろう。この間京都へかえっていた間も、素子は祗園のおつまはんのところで夜明ししたりした。帰ってからも日常のこまごましたことに関心を示して、すべては相変らずに見えるのに、その素子から自分たちの生活の中では云われたことのなかった階級というような言葉が云われた。これは伸子をおどろかした。軽薄というところがないウメ子が、黙って素子を眺めた目の中にもそのおどろきが映っている。伸子は、からだをよせてゆくような調子で素子にきいた。
「どこで、そんな勉強してきたの?」
 素子は、顔をあかくし、例の、顎を下からなで上げる手つきをした。
「うちじゃあ、いつもぶこちゃんだけが物知りでなくちゃならないってわけもないだろう」
「意地わる云わないで……ね、ほんとに」
「虎の巻があるのさ」
 伸子とウメ子とは、思わず目を見合わせた。
「どこに?」
 素子は、面白そうににやにや笑って返事しなかった。伸子が、瞳のなかに焦立たしさをひらめかせはじめたとき、素子は、
「そこさ!」
 顎で、その座敷の隅にある自分のテーブルの方をしゃくった。
「ほんと?」
「うそをついたって、はじまりゃしない」
 伸子は、すぐ立って机のところへ行ってみた。素子の訳したロシアの作家の書簡集の校正刷りがその机の上にのっていて、わきに赤インクのびんが栓をするのを忘られたままある。見まわしたところ、素子のいう虎の巻らしいものは見当らなかった。
「ないことよ、なんにも――」
「字引の下にあるだろう、カヴァーのかかったの」
 重いロシア語字典の下に、四角っぽい形の厚い本がハトロン紙のカヴァーをかけてあった。
「これ?」
 伸子は、手にとりあげた本を、むこうに坐っている素子の方にさしあげてみせた。
「そうさ」
 立ったまま伸子は、その本をあけて見た。ブハーリン著、史的唯物論と印刷されている。これはしばしば新聞や雑誌の広告でみかけた題であった。同時に、伸子には意味のわからない題でもあった。伸子は、頁のところどころをあけてみながら、のろのろと、二人の坐っているところへ戻った。そして、ウメ子にその本をわたした。ウメ子は、落ちついて順序よく目次をよみ、いくらかの頁をめくった。ウメ子は、だまってそのハトロン紙でカヴァーをつけられた本を畳においた。その本の目次や、書かれている文章のところどころには、伸子がよみなれて来た本にない何か新鮮な、鋭いつっこんだ調子が感じられた。そこにある美しさが感じられた。伸子は手をのばしてウメ子のわきからまたその本をとりあげた。
「面白い?」
「おもしろい」
 素子ははっきりうなずいた。
「ずるいなあ」
 伸子はほんとにそう思って云った。
「いつ買ったのよ」
「二三日前さ」
 二三日前と云えば、白い浴衣の男が不意に柘榴の樹かげから縁先にあらわれた日の、すぐあとのことである。素子は、また顎をなで上げるようにしながら、
「北條一雄の本ていうのも見ましたがね、どうもこっちの方がいいらしいから、こっちにした」
「ずるいなあ」
 伸子はまたそう云った。
「わたしが、とじこもって、あれこれ考えてるまに……」
「いくらわたしだって、まさか、何一つしらないで行くわけにも行かないじゃないか、ぶこちゃんだって買えばいいのさ、どっさり積んであるよ、東京堂に」
 ウメ子が、その言葉に注意をひかれていくらかためらいながら、
「――どっかへいらっしゃるんですか?」
ときいた。素子は、
「ああ、」
と、自分で自分の言葉に不意うちをくったように少しまごついた。
「まだはっきりきまったことじゃないんですがね――わたしもどうせ一生ロシア文学の翻訳で暮すんなら、思いきってひとつソヴェトへ行ってきたいと思って……」
「まあ!」
 ウメ子は、まぶたの上にさっと艶を浮べて、
「いいこと! 是非いっていらっしゃい」
 独特の謙遜な態度で賛成した。
「いらっしゃれたら、本当に結構ですわ、わたしまでなんだかうれしくなっちゃった」
 なっちゃった、というところを、いかにも東京ッ子らしい歯切れのいい調子で早口に云って、ウメ子は、身幅のひろすぎる借着の浴衣の中で首をすくめた。
「――伸子さんもいらっしゃるんでしょう?」
「わたしは、お金がないの」
 すると素子が、幾分からんだ口ぶりで、
「金だけの問題じゃないんですよ」
と云った。
「相かわらず手がこんでるんですよ……動機がまだ熟さないんだそうだ」
「だって――それはウメ子さんは、わかって下さると思うわ。あいまいで、行くようになってしまったりするの、惜しいんですもの。度々行けるところでもないんだもの」
 動機ということを云えば、名も告げない白い浴衣のひとが来て云ったことで、伸子は、自分のわからなさの凝集作用ばかり見つめていたような状態から、つきとばされて、そとへころげ出たようなところがあった。わからなさのそとに、わかるべきことが存在していて、むしろ、そっちに意味がありそうに思えるようになって来ているのであった。
 ウメ子は、その晩伸子たちの住んでいる郊外の家へ泊った。翌日のひる前、帰ろうとするウメ子に、素子が実際家らしい調子で念をおした。
「旅行の話ね、あれはまあいまのところ全く確定していないんですから、そのつもりで、たのみますね。いい恥っかきだからね、じたばたしてあげくの果に行けなかったなんてのは――」
「ええ。大丈夫です。誰にも云いませんから……」
 玄関へ出ながら、ウメ子は濃い長い眉をあげるようにして、
「しかし、本当に実現なさるといいですね」
 伸子をかえりみて、云った。

 うすい灰色のような紙表紙に、赤い字でブハーリン著史的唯物論と書かれた定価一円の厚い本が、伸子の身のまわりにも現れはじめた。この一冊の本によって社会のなり立ちというものが、いくらか客観的に伸子の前に示された。伸子が、久しい間ぼんやり人間性の発展として文学的に感じて来ていた社会の進歩ということが、生産条件の発展とその推移を中軸として実現するという事実は伸子にとって全く新しい真実であった。社会に階級があるということも、いきなり文学とくっつけてはのみこめなかったけれども、この本のように、階級のなかった原始の社会から、どう人間の社会は変化して来て階級が発生したかと説かれてあれば、伸子にもわかった。一つの発展のうちにふくまれている矛盾そのものに、また次の発展の可能が用意され、進展には固定があり得ないということ、絶対がないということ、解決しきるということは現実にあり得ないこと、それらは、伸子を同感させ、そして実感に迫った。これまで伸子は、保がいつもくりかえす「絶対に云々」という観念をどんなに、うさんくさく思って来ただろう。いつもそれに抵抗を感じて来た。その抵抗によりどころがあったし、それが自然だったのだ。
 伸子は毎日どっさりの時間をその本のためにさいた。部分部分ばかりにふれ、そこからだけ覗いて来たこの人間の社会というものを、その千変万化の複雑さのなかに、矛盾の根柢から解明して、歴史の発展してゆく必然の方向を導き出してゆく社会科学というものの方法は、全く新しい力で伸子の知識慾をみたした。
 伸子は時々その感動を抑えきれなくなった。そして素子に、
「わたし、ほんとにうれしい」
と云った。
「まるで霧がはれてゆくみたい。一つ一つ山や森や河の景色が霧の中から見えて来るみたい。そうじゃない?」
「――」
「ねえ。あなたはそう感じない?」
「うるさいじゃないか、いまこれをしてるのに……」
 素子は、おこったようにはねつけた。
「きのうも、同じこと言ったじゃないか」
「そうだったかしら――ごめんなさい」
 そして、伸子はまたその本に戻ってゆくのであった。
 階級というものの存在は客観的であって、自分自分の主観に立ったこころもちにかかわりない社会的事実である。このことは、伸子を深く考えこませた。人はそれぞれ一定の階級に属し、階級はそのものとしての歴史的な利害をもっている。この客観の事実は、その人が階級というものについて全く無智で暮している場合でも、動かせない現実として存在する。そういうところを読むと、伸子にも、ぼんやりと、リャクに来た青年たちと自分との第三者からみた立場のちがいが、どういうことになるかわかるようにも思えた。伸子は、自分というものが、社会の階級では中産階級という不安定な階級に属す一人の女だということを理解した。自分の仕事をもって、独立の経済で生活しているにしろ、中産階級・小市民という階級に属していることにかわりはなかった。そして、その中産階級というものは、ますます寡頭化してゆくブルジョアジーと勤労階級との矛盾の間にはさまって動揺しており、歴史の発展の中で新しい任務をもちはじめている勤労階級と利害をともにする立場にうつるか、さもなければ、本質的な発展を阻まれたままふるい支配階級とともに歴史のなかに消耗されてゆくしかない階級として、示されているのであった。
「そうなのねえ。だから、動坂でいくら自動車を買って、どうかなった気でいたって、結局のところやっぱり、けちくさいんだわ。大戦で郵船会社が大儲けしたから、建築家だってあのビルディングを建てたんだもの――」
 そう云っているうちに、伸子は建築家である父が、しばしば娘の伸子に向って、依頼者の註文づけが不愉快だと話していたことを思い出した。方眼紙でできている父の手帖には、実際に建てる家やビルディングの設計図のほかに、それを考えているうちに浮んで来たいくつもの架空の設計図が描かれてあった。椅子にかけた泰造が、その膝のところにくっついて低い腰かけにいる伸子の手をとってなでながら、よく、想像(イマジネーション)を発揮しなさい。と、それを日本語でいうより英語でいうと一層そこにゆたかさが思われるようにいうのを思い出した。そういうとき伸子は、
「お父様のイマジネーションずき!」
と笑った。社会のしくみがいくらかわかって、建築家としておかれている父の立場が察しられてみれば、父のイマジネーションずきには、決して実現しない建築家としてのあこがれがひそめられているのを知った。それを思いやらず、無頓著にただ陽気そうに笑っていた若い女である自分の笑顔の上に、伸子は無智からくる厚かましさをみとめた。それは伸子に自分への反感をつよく感じさせた。
 食うための苦労をしたことがないということで、伸子は作品に関してまで悪口を云われて来た。それにたいして食うための苦労をしなくたって、と人間の高まる可能を思いつづけて来たのであったが、今、伸子にはそういう卑俗な、そして、現象からだけ云われている言葉にも、もうすこし違った意味がありそうに思えた。ちがった意味というのは、伸子が勤労階級の生活の中から育ったものでないということ。保の上には、ある程度それを見て、心痛しているその同じ小市民風の考え癖、そんな考え癖の生れる保と、同じ本質の階級の地盤に自分も生活の根をもっている、ということが理解されるのであった。だからいつかのように、どうしても保にシュッ! としたことが云ってやれなかったわけもわかるようだった。
 これらの発見の一つ一つは伸子にとって、自分の無智と無力を知らされることであった。しかし、この自己暴露には身をひきはがすような痛さと同時に爽快さが伴った。
 階級的に発展することだけが、小市民の歴史における正しい生きかただとして、それはどういう風にしておこるだろう。
「あなたにわかる?」
 伸子は、校正をしている素子のわきにくっついて云った。
「相川良之介の聰明に限界があったわけがわかるようでもあるんだけれど――階級的移行って、一人一人にとって、たとえば、あなたやわたしにどういう風におこるんだと思う?」
「ぶこちゃんは、それが生れつきなんだろうけれど、いやんなっちゃうな」
 赤インクのついたペンをもったまま素子はほんとにいやになるようにわきに立っている伸子を椅子の上から見上げた。
「いつだって、こうだ、知ってるかい自分で――こんどだって、あの本見つけて来たのは、わたしだよ。ぶこちゃんは、うちにただ坐ってたんじゃないか。わたしは用で外へ出なくちゃならない。すると君は坐ってそれをよんでいる。そしてどんどん吸収して生長してゆくんだ。いつだってそうだ。わたしがきっかけをつくる、それをわきからとってものにしてしまうのは、ぶこさ」
 素子は、暗い眼でじっと伸子を見すえた。
「そこがおおかた力のちがいというもんなんでしょうがね……」
 奥歯をかみあわせたような辛辣さで云った。
「……わたしは、ぶこに食われるのはごめんだよ」
 なにかいおうとして伸子は唇をすこしあけた。けれども、なんといってよいかわからなかった。暗い素子の視線のなかには、そんなに複雑にそして本気に伸子をつきのけるかげがあった。でも――伸子は素子とのいまの生活に決してすっかり安心しているのでなかった。佃との生活におさまりきれなかったように。佃との生活に落ちつけずにいた伸子にたいして、素子はあんなに積極的に離れてゆく伸子の心を支持した。いまだって伸子は動こうとしている。自分たちの生活として、そして、自分たちの生活の新しい意味を発見しかかっている。素子は、なぜ同感してくれないのだろう。伸子と素子との間のことのようにうけとるのだろう。素子の机のよこからはなれてゆきながら伸子は涙ぐんだ。

        二十四

 ソヴェト同盟の革命十周年記念祭は十月初旬から一ヵ月の間つづく予定だった。それがすんでから、あっちへ着く方がいい。素子はそういう風に計画を立てた。全く個人の資格で、もしかしたら招かれざる客としてゆく女なんかは、そういう騒ぎがしずまってからの方がいい。そういう考えであった。
 九月に入って、素子は本式に旅券の申請手続をとることになった。旅券申請には、下附される旅券にはる写真が入用ということだった。
「厄介だな。うちでとったのだっていいんだろう。何かありそうなもんだね」
 素子は、台紙にはらないスナップ写真を入れてあるカステーラの古箱を床の間の地袋からもち出して、なかみを机の上にひっくりかえしはじめた。伸子は縁側の椅子のところからその様子を眺めていた。素子は、
「丁度っていうのはないもんだな、これは小さすぎるし」
 書類につけて出す写真は寸法もきまっているのであった。伸子は、妙に力のこもった眼つきをして素子が素人写真をいじっている様子を見まもっていたが、やがて、少しつばのたまったような声になって、
「――あたらしくとったら?」
 そういいながら椅子を立って、机のわきへ来た。
「新しくとりましょうよ、かわりばんこに……」
 ばつがわるそうにそう言って伸子はちらりと亢奮した笑顔をした。
「わたしもいるから……」
 素子は、それをきくとさっと顔をあからめた。
「なんだ! ぶこちゃん!」
 そして、たしかめるように、じろじろと伸子を見まわした。
「ほんとかい?」
 伸子は、こっくりとした。
「どうしたのさ――動機ってやつは――」
 灰色表紙の一冊の厚い本は、伸子がこれまで知らずにいたどっさりのことを教えた。自分の様々の疑問がこの日本の社会の中にもっている環境と関係したものであるという性質が、おぼろげに輪郭づけられた。けれども、それはどこまでもおぼろげにわかっただけだった。たとえば、自分が階級的に成長するということについて、具体的に何がどうなればよいのか、伸子にわからなかった。本には明瞭に示されている。小市民やインテリゲンツィアはプロレタリアの革命的陣営に参加して、はじめて自身を歴史の上に発展させることが出来るのだ、と。
 ロシアの歴史のなかでのこととしてみれば伸子にもそれはよくわかった。すでに沢山の人々がそういう風に生きた。けれども、日本で、自分のこととすると、伸子には見当がつかなかった。誰でもが革命家にならなければならないとしたら、そしてそれしか自分の生きる道がないとしたら……。伸子はこわかった。アナーキストだった大杉栄と伊藤野枝が甘粕という憲兵に、どんなにして虐殺されたかを思いおこして、こわかった。伸子は生きたいのだった。篠原蔵人が、リアリズムにある階級の区別についていっていることも、その本をよんで伸子にいくらかわかった。プロレタリアとしての立場で、その感情で現実をみるのだということはうなずけたが、でも、それは、伸子の毎日の暮しや書くものに、どうかかわって来るのだろう。無産派といわれる人々の間では、その理論を語っている篠原蔵人のような人々は特別で、大体労働者出身の作家か、貧乏の生活をしている作家でなければ、発言権をみとめられていないように、伸子の目にうつった。そして実際、伸子のかくものなどは、それらの人々から全く無視されていた。
 それらの人々に認められようと認められまいと、伸子は人間として、女としての自分がこの人生に発言したいものをもっているのを感じた。自分の生きかたを帳消しにする気がなかった。どっかで、何かの理窟にひっかかって止ってしまうつもりなら――それならどうしてあんな思いをして、追いすがる佃の顔をこの手でつきのけるようにして、あぶら汗でつめたくぬるついた佃の顔の感覚が、それをつきのけた自分の手のひらから今だに消えきっていないほどの思いをして、佃との生活をふりもぎって来たろう。
「わたしね、だからソヴェトへも行ってみようと思うの。そこで生きてみたいの。いいことも、わるいことも、みんなこの目でみて、このからだであじわいたいの」
 一方からは楽土のように語られ、一方からは悪魔の巣のように語られているソヴェト同盟のほんとの生活の日々のなかへ、自分の眼と心とで入って暮してみれば、そこの生活の実際がわかるだろうし、それにつれて自分というものやその生きかたもわかって来るだろうと期待するのであった。
「うまく説明出来ないけれど……わかる? 自分を砥石といしにかけてみたいの。だから、わたしロシア語なんか知らなくたっていいわ。そこで生きてみるんだもの……」
「それゃ、ぶこちゃんらしい」
 素子は、しばらく黙って考えていたが、
「どだい、君とわたしとは同じ行くにしろ目標はちがうんだからね」
 その点を、改めて自分たちにも明瞭にするというように素子はゆっくり云った。
「しかし、そうきまったらきまったで、早速動き出さなくちゃ」
「そうだわ、旅費もないんだもの……」
 実際的なテムポで云い出す素子にそう答えながら、伸子は、
「ああ、あ」
 長い溜息をついて、卓の上にさしかわした自分の腕へ頬をのせた。
「なんて、ひと仕事だったんでしょう」
「何が?――きまるまで?」
「だって、わたしたち、惰性だけで動くの本当にいやだったんだもの……あなたの方だけ、どんどんはかどって、わたしがそれでもまだわからなかったら、どうしようと思っていたんだもの」
「…………」
 素子は、再びその棗形の小麦色の顔を薄く染めた。そして、黙ったままつやのこもった視線で伸子を見た。そのつややかな眼は、伸子に同じ素子がこのあいだ自分を見た別の目を思いおこさせた。わたしは君にくわれるのはごめんだよ。そう云って伸子を見つめたときの素子の目つきを。それは暗く、一定のところからよせつけまいとするような色であった。伸子は、いま素子の眼をみたしている明るさと、あの暗さとの間にたたみこまれている微妙なこころのひだを感じた。伸子は笑いのかげにある口もとですこし意地わるくきいた。
「あなたは、どうきまりそうだと思っていた? どうきまったら一番いいと思っていた?」
 素子は黙ったまま新しいタバコに火をつけ、それをすった。
「結局、こうなるのが一番自然なきまりかたなんだろう……よかったさ」
「…………」
 伸子は、太平洋航路の大きな客船が、横浜の埠頭から次第次第に沖へむかってはなれて行ったときの光景を思いおこした。銅鑼どらが鳴り、渡りはしごがひき上げられ、音楽やテープの色どりのうちに、そろそろと巨大な客船は岸壁をはなれる。最初に、気もつかないほど細い藁や果物の皮などのういたきたない水の幅が岸壁と舷側との間にあらわれる。その細いきたない水の幅は刻々にひろがり、やがて岸壁に立ってこちらをみている見送人の群集は、顔がみわけられないほど小さく遠くなって、船客は本当にひろい海上に出た自分たちというものを感じるのだった。
 伸子は自分が、きょうまでの生活の岸壁をとうとうはなれたことを感じた。岸壁の上にはくっきりとまだ実物大で動坂の家の生活が見えていた。友人たちの生活も。そして、自分たち自身の生活さえ。しかし、そこにはもう決定的な水幅があらわれている。――動坂の生活が伸子自身の生活でなくなってから幾年もたっていて、伸子が外国へ行って暮していようと、この郊外の家で生活していようと、動坂の日々は動坂の家なりに転廻してゆくのだ。友達たちの生活も。けれどもそうして生活の輪がまわるすき間から見えがくれして伸子の心をそこにひきつける一つの顔があった。もみ上げや鼻の下に和毛のかげをもった保のぽってりした少年ぽい顔である。その顔は、心の内にあんまりどっさり云わないことをもちすぎていて、そのためにまぶたが重いような表情で、時々クンと鼻をならし、二十歳になったからだにあわせてはちいさくなっている高校の制服のズボンが古びて光る太い膝をゆすっている。家族のみんなから愛され、真面目なことで一目おかれながら、実はあんなに孤立している保。佐々はバカだ、生れつきの調停派だと、同級生にいわれている保。――
 伸子は、ふっくりした手の甲を頬っぺたにおしあてて、うらがえしの頬杖をついたまま思い沈んだ。
「どうしたのさ」
「…………」
「何がまだあるのさ」
「――保のことが気にかかって来たの」
「……だって――それなら、ゆくのをやめられるかい?」
「もうやめられない」
 伸子は答えた。
「――だから気になる」
 素子は現実的な判断のよりどころを与えるように、
「あのひとは、君をたよっちゃいないよ」
 早口にはっきり言った。
「そうなの。あのひとはたよるものなんかもつのは間違っていると決心しているのよ。そして、わたしは自分があのひとのたよりにならないことも知っているわ。だから気になる」
 姉が外国へゆくときめたことを知れば、保は、おそらく自分のこころもちは何にもあらわさず、それに賛成し、必要なことを手伝ってくれるにきまっていた。でも、保のこころのうちは、果してそれだけだろうか。うれわしげに頬杖をついている伸子の顔を眺めながら、素子はそのまましばらくタバコをふかしていたが、やがてきめた以上はそのようにという風に、
「さて、いよいよ旅費が問題だね」
ときりだした。
「名案はないものかな」
 伸子のきもちは保から実際問題にうつされた。
 行こうという決心がかたまりかかるにつれて、伸子も当然旅費のことは考えた。この旅行は、はじめっからしまいまですっかり自分のものとして経験し、どういう結果についても掣肘せいちゅうをうけたくない気持がした。伸子は、どうしても自分の力で、旅費をつくらなければならなかった。そのためには、新聞社や雑誌社と契約して海外特派員となる方法があった。けれども、伸子にどんな特派員らしい記事がかけるというのだろう。言葉さえろくに出来ないのに、経済だの政治について、なんにも知っていないのに。
「汽車賃ぐらい、あの月がけで何とかなるけれどね」
 それは素子が主張してつづけていた、小さな銀行の集金貯金のことであった。
 旅費の工面はあてがないまま、伸子たちは、ともかく旅券の申請をした。夏草のもうすがれはじめた庭の軒さきで、かわりばんこに撮った下手な素人写真を添えて書類を出した。下附までには凡そ一ヵ月以上かかるという話であった。それまでに旅費の見当がつくかもしれないというわけだった。
 二人がゆくとすれば、この郊外の家は当然たたまなければならない。本や荷物をどこへ預けよう。素子は、日本橋の従弟の店の倉庫と、老松町の、伸子がもと二階がりをしていたお裁縫やへあずかって貰うことにした。伸子の分は動坂へやる。そんな相談が始められるようになったある日、伸子が、長い小説を連載していた雑誌社の社長の木下徹が、伸子たちの家を訪ねて来た。
 鼠っぽい夏服をつけた背の低い木下徹は、自動車から降りて来たままの帽子なしの姿で、
「やあ、おられますか」
 南国の訛を声にひびかせながら、玄関に立った。
「ちょっと用事があって玉川まで来たもんですからね……なかなか閑静なところじゃないですか」
 珍しそうに、女住居に塵のしずまっている家の中や、荒れた庭を眺めた。伸子は、市中のビルディングの一室で、どっちかというと事務的な会いかたばかりして来ている木下を、自分たちのうちの椅子にかけさせつけなかった。とりとめない話の末、木下は、
「やあ、どうもこれでなかなか問題が多くてね」
 頭のうしろへ組み合わせた腕をはって、椅子の上で背中をのばすようにした。
「実は、いまもちょっと、迷っていることがあるんです」
 雑誌社を経営しながら、その人は代議士に立候補する気があったり、伸子などのしらない政治的な活躍の場面ももっていた。
「木下さんは、気が多いんだもの。問題は多いでしょう。なれているくせに」
「――それがね、こんどのはちょっと大きいんでね」
 木下は、柔軟さとがんこさとのいれまじった蒼い角顔をすこしうつむけるようにして、黒い、憂鬱なところのある眼を上眼にした。
 どっちみち、本気な話にはならないその問題というのにたいして、伸子はふっと面白いことを思いついた。伸子は改ってきき直した。
「木下さん、本当に、それは重大な問題なの?」
「――私としては重大ですね。少しおおげさにいえば一生の浮沈にもかかわりますね」
「じゃあ、いい智慧をかしてあげましょう」
 伸子は立って行って、地袋の写真帖の上から一冊の薄い冊子をもって来た。その表紙には、黄色い地に一平の漫画が色ずりになっていた。
「何です?」
 木下は、それを手にとった。
「運命判断……へえ。こんなものが、ここにあるとは思わなかった」
「それは特別なの、実にあらたかなの。わたしの運勢は、実によく当りました。あなたもびっくりなさることよ」
 机の引出しから半紙をもち出して、伸子はそれを、ほそい紙片にさいた。幅一寸ばかりの紙きれを、つばでしめして、鼻の先へはりつけ、その運命判断の、数字ばかり四角いコマに印刷してある見開きの頁の上に顔をさし出してフーオン・コロ・コロのフン、といって、その紙きれをふきとばす。紙片の落ちた数字にしたがって、その項をあければ、そこにその運命判じの漫画の答は出ているというしくみであった。
「へえ……奇妙な占いがあるもんだな」
 そう言いながら、木下は鼠色の背広の袖を動かして、自分の鼻さきへ紙きれをはりつけた。
「フーオン・コロ・コロのフー?」
「ええ、そういうの」
 そして、紙片が落ちた86という項を開いてみた。そこには、島田に結った若い女が、裾をかかげて、急流のまんなかに行きくれている絵がかかれていた。そして、美人流水の中に立って云々と、おみくじにあるような文句のほかに、くだけた言葉で、いまのあなたには何よりも決断が大切です。躊躇していれば、事態は悪くなるばかり、という風な文句が、その漫画家得意の、禅ぽいいいまわしでかかれていた。伸子は、おかしがって、
「どうです?」
ときいた。
「あらたかでしょう? よその占いなんか、とても足もとへもよれないでしょう」
「いや、全くこれはいいところを当てたですよ!」
 木下の言葉の真剣さに伸子はびっくりした。占いなんかをしてみる人の心もちにたいして、最大公約数のような、こんな常識が何か真面目な作用もするというのだろうか。伸子は、思いもかけないという顔になった。そして、
「なにが当ったの?」
ときいた。
「なにがって――ちょっと云いにくいが、ともかくね。いや、ありがとう。大いに得るところがある」
 ほんとうに、そうであるらしかった。この鼠色背広のひとには、ちょいとしたなにかのきっかけが入用だったのにちがいない。伸子はそう判断した。
「わたしの運勢はこれですけれど……元日にやったんだから、たしかよ。素晴らしいでしょう」
 それは、43という番号だった。勲章をつけて、からのおはちをかきまわす図。そう題があって、その題のとおりの絵がかかれていた。髭をつけ、鳥の飾毛のついた礼帽をかぶった大礼服の男が、板の間に膝をついておはちをかきまわしている。そのおはちの、こちらに見えている内部はからっぽで、一粒の米もなかった。
「ハハハハハハ」
 木下はひどく愉快そうに、大笑いをした。
「これはいい。いいじゃないですか」
「そうよ。わたしも気に入っているんだけれど」
 伸子は、自然に飛躍した。
「こまることもあるわ。この絵を見せて、わたしはこういう運勢のものですから、よろしくって云ったって、外国旅行はさせてくれないから」
「――そんな話が出ているんですか」
 二人にソヴェト旅行の計画がきまったこと。素子は自分で支弁するが、伸子には旅費がなくて、からの旅券下附願を出してあることを話した。
「なんとかならないかな」
「わたしに、小説でない、いろんなものをかけるなら、もちろん、木下さんのところへ相談に行ったんです。無理にだっておたのみしただろうけれども、わたしは、それが駄目だから……言葉も通じないところへ行くんだし……」
 どこへ行っても小説以外のものはかけないだろうということを、伸子は、自分の生活上の無力さとして感じているのであった。しかも旅行している何年かの間は、その小説さえたいしてかけまい。そう予感してもいるのであった。
「お父さんに出して貰ったらいいじゃないですか――そのくらい」
「そうするしかなければむしろ行かないわ」
 双方とも言葉がとぎれた。やがて木下が、自分の仕事として思い出したらしく、
「あなたが、この間うち連載していた小説、あれはもうじきうちから単行本になるんでしょう?」
と伸子にきいた。
「再校が終ったから、じきでしょう」
 またしばらく沈黙がつづいた。よっぽどたって、
「じゃあ一つ、こういうことにしましょうか」
 木下が、椅子の上で膝をくみかえた。
「いまうちでやっている全集ね。あれへ一冊、あなたと、楢崎佐保子さん、村田壽子さんと、三人で一冊こしらえようじゃないですか」
「ほんと?」
 伸子は、われ知らずよろこびで上気した。
「そういう風に出来たら、ほんとにいいけれど……」
 その社で、大規模な明治以来の日本文学全集刊行の事業をはじめていた。尾崎紅葉から現代の新進作家の作品まで網羅されて、一人で一冊の割当てをもつ作家もあり三四人で一冊という割当てのもあった。新聞に大広告が出され、流行の一円本出版の先頭をきっている仕事であった。伸子は、全然自分にかかわりないこととしてそれをながめて来た。婦人の作家では樋口一葉しか加えられていなかった。
 木下は自分の発案が、伸子にとって経済上の必要をみたすばかりでなく、刊行の仕事そのものとしても、好い思いつきだと考えるらしく、
「そうしましょう!」
 自分に向って確信するように云った。
「全集としても、その三人で一冊ぐらいは、あった方がいいものなんだ。そうすれば佐々さんもいいでしょう、借金じゃないんだから――印税をあげることになるんだから」
「いいわ」
 伸子は、思いがけなさで、まじまじと木下の蒼い、まるいようで四角ばった顔を眺めた。
「借金じゃ、わたしに返すのぞみはないもの」
「それゃそうです。――ただどのくらいになるかな、どっちみち本が出るのはよっぽどあとだから……」
 木下は、何かの算用をした。
「予約ものってものは、いつもはじめのうちよりは、あとになってぐっと減るもんなんだが。……まあ、一万は出せるでしょう」
「それは三人で?」
「いや一人」
「じゃいいじゃないの。行ける」
「一万はひきうけることにします。あと、何か書けたら送って下さい。それは別に原稿料として払いますから……」
 予想もしなかった方法で、伸子の旅費のことは、解決しそうになった。
 そこへ素子が外出さきから戻って来た。
「おや、これは珍らしいお客さんだ」
 素子が椅子にかけるとすぐ、伸子は、
「もっと珍らしいことがおこったわ」
 全集に一冊加えて、伸子の旅費が出そうなことを話した。
「それゃよかった。企画としたって、あれだけ揃えるなら、そういうものも一冊はあるべきですよ」
 素子は、ちらりと皮肉な笑顔をして、木下にウェストミンスタアをさし出しながら、
「でも木下さん、大丈夫ですか、あなたの一人合点で。――殿様はそうおっしゃいましたそうですが、と、あとから御用人が出るんじゃないんですか」
「相かわらず辛辣だなあ。――そんなことはない。大丈夫です。必ずひきうけました」
 数年前、アメリカへ行ってしまっている村田壽子と素子は、昔、親しいつきあいがあった。素子が村田壽子の作品を選んで決定することになり、伸子は自分で、一番はじめに発表した小説と、最近単行本になりかかっている長篇とを入れることにきめた。
「それぐらい具体的になっていれば結構だ。じゃ、ひとつ楢崎さんの方へは、直接社から話させますから」
 木下が去ったあとしばらく、伸子は、焦点のちったような視線を、テーブルの上に出ている灰皿の上におとしていた。
「ぶこちゃん! しっかりしてくれよ」
「だって、あんまり思いがけなくて……」
「ものがまとまるときってものは、こういうもんさ。だが、よかったね」
 旅費のことで伸子はあんなに途方にくれ、思案にあまっていた。たかが金のことだのにと思う、その金に目あてがつかなかった。木下が、偶然彼自身の屈託からふらりと伸子の家の前で自動車を降りた。小さなきっかけがかさなって、にわかに伸子の旅費の問題も展開した。伸子としては、仕事に立って手に入る金で筋が通ったものだった。
 けれども、木下がなにかの気分のこじれで、伸子がそのときの調子でなに心なく云い出した話にとりあわなければ、少くとも、こういう工合で金が出来るようにはならなかっただろう。気分や偶然が作用していると思え、伸子として一生懸命な問題であっただけ、そのことで滅入った。
「なにを、そう拘泥する必要があるのさ」
 素子が云った。
「ひきうける以上、さきだってちゃんとそれだけの目算をもってやってることじゃないか。そんなことを考えるなんて――逆のうぬぼれ、だよ。誰が気分だの偶然だので、動くもんか」
 外出のなりのまま素子は、タバコをふかしていたが、
「ぶこちゃん、散歩に行こう!」
 さきに立って玄関へおりた。
 伸子は紫メリンスの前かけをかけたままついて出た。門から右手へつづいているだらだら坂をのぼりきって、この郊外の分譲地の中央通りにあたる桜の並木道を、左へとった。高い外壁に蔦のからんだ洋館だの、しゃれた鉄のすかし格子の見える上り口の様子だのを眺めながら、秋めいた午後三時の透明な光線に梳かれている桜並木をぬけた。並木を出はずれると、もう畑で、からりとした秋日にてらされて、ゆるやかな起伏をもった耕地や、遠く近くところどころに点在する雑木林がひろびろとあらわれた。伸子と素子とは畑の間の草道を、浅い雑木林のある方へと向った。大根畑があり、唐辛子が色づきかけており、大気の中には草木のみのる香りと午後の日光にあたためられた強壮な下肥えのにおいが漂っている。草道へ出ると、伸子は歩きながら秋の野草の花をつんだ。太い赤まんまの花や紫苑しおんのような紫の野菊を。そうやってつまれるこまかい野の花々は伸子のこころを鎮め、広い地平線の眺めは伸子の目路めじをはるかにした。伸子は、だんだん、気分が落ちつき、そして、うれしくなって来た。うれしさが、はっきりして来た。花をつむために、数歩おくれていた伸子は、かけるように素子に追いついた。そして、
「なんだかうれしくなってきた」
と告げた。小声でそう云ったら、一時に、どっとそのうれしさが呼び出され、こみ上げて来たようで、伸子は活溌な勢のいい足どりになった。うたが歌いたくなった。本当に、行ける! 行く。――その思いは、遠くに森の見える地平線や、高い空で白く光っている雲にまで響くようで、伸子は、
「ね、ね」
と素子の手をひっぱった。素子と伸子とは、うれしさが明瞭になるにつれ、元気が出て、大股にどんどんと畑の間の道を歩きまわった。一つの丘の裾をめぐって下り、小さい川に、かけられた丸木橋をわたった。そのまましばらく行くと灌木のしげったかげに木の柵のある農家の横へ出た。そこはいつか、竹村の温室をみにゆくとき通った鵞鳥のいる農家だった。
「あら、こんなところへ出てよ!」
 面白そうに伸子が立ちどまった。きょうは、どうしたのか鵞鳥はいず、柵の上にまたがって二三人の男の子が遊んでいた。草道を足音もしないで来て急に灌木のかげから現れた二人の女たちを見つめて、子供たちはじっとしていたが、その柵を通りすぎてしばらくすると、うしろから、
「ヤーイ狐の嫁入り!」
と、はやしたてた。
 ぎらつく日のきらいな伸子が、白い大きなハンカチーフの端を髪の上にかけ、つみ集めた花をもっていない方の手でかつぎのようにもう一つのはしをもって、西日をよけながら歩いているのであった。

        二十五

 旅券が下附されて、ソヴェト大使館の裏書がとれるまで、伸子は旅行のことについて動坂に知らすまいと思っていた。
「ぜひ、そうしましょう。さもないと、あんまり騒々しくなっちゃうから、ね」
 多計代がこういうことを知れば、たちまち賑やかすぎることになるのは必定であった。
 この予定は、或る日素子が、
「ぶこちゃん、厄介なことになりそうだよ」
と、当惑げな顔つきでよそから帰って来たことで、番くるわせになった。素子がきょうソヴェト関係の記者である友人にあったら、伸子と素子との裏書は、そう簡単にかかれないかもしれないと注意されたのだそうだった。
「――どうして?」
「どうもはっきりしたことを云わないからよくわからないんだけれどね、われわれの素姓すじょうを、むこうじゃ信用しないという意味らしい」
「素姓って……」
「なにものか、と思うらしいのさ」
 伸子は、ありえないという表情で、
「おかしいじゃないの、ちゃんとわかっているじゃないの」
と云った。
「あなたは翻訳家だし、わたしは作家だし……どっちもきのう開業したわけでもないのに……」
 素子は、赤いすきとおるパイプを口の中でころがしながら、考え深い眼つきでしばらく黙っていたが、少し声を低くして、
「政治的な意味があるんだね」
と云った。
「案外、諒解が必要だ、というようなことなのかもしれない」
 ソヴェト革命記念祭のお客に、日本から国賓が招待されたとき、その人選や連絡のために斡旋した文化連絡員がいる。素子はその外国人の名をいった。
「それゃ民間の女でゆくのは、私たちがはじめてなんだから、一応面倒なのもわかるけどね」
 きいている伸子は、次第におこった顔つきになって行った。
「わたしたちが、もしいわゆる無産派でないからっていうなら、それこそ馬鹿らしいことだと思うわ。そういう立場でさえあれば、すべて素姓がたしかだとでもいうの?」
「しかしね、ぶこちゃん」
 いつもに似合わず、素子の方が沈着に、亢奮している伸子に向っていった。
「無理のないところがあるのかもしれないんだ。むこうとすれば、そもそも日本というものにたいしては用心ぶかくなるわけもあるだろうしさ」
 そういわれれば、伸子にもわかるところがあった。日本の政府は一九一七年からシベリアへ出兵して、ウランゲルやコルチャックとともに、ふるいロシアがソヴェトに変ってゆく道を妨害しつづけた。国交が回復したのは、伸子たちが老松町からその郊外の家へ引越して来た時分のことであった。そういう角度からみれば、伸子たちが通り一ぺんの手続で裏がきを求めて提出してある旅券が、何とはなし積極的になれない手にとりあげられ、うちかえして眺められているという状態も推察された。
「わたしたちの立場というものを、ありのまま出して、しかしやっぱり無いよりはましという風な紹介者があると一番具合がいいんだがねえ」
「そうだわ、もし紹介者がいるんなら、そういうのでなければいけないわ」
 伸子は、もとより自分の身辺にそういう外交上の響をもつような知人をもっていなかった。自然父の知友の間に物色するわけであったが、役所がきらいで民間の建築家になった佐々泰造が官僚の間にそういうときに便利な友人をもっているようにも思えない。考えまどっていて、伸子は、ふっと一つのことを思いあたった。
「ね、カラハンが来たときね、日本側の代表でいろいろやったの、藤堂駿平だった?」
「そうさ」
「――それだったら、もしかしたら何とかなるかもしれない」
 十年も昔、伸子の小説がはじめて雑誌にのせられたとき、それを読んでといって、少女だった伸子に一匹の反物をおくってくれた老婦人があった。同じ錦紗でも手にとってみるとしっとり重い上質で、大まかに麻の葉の紋柄が浮き出ていた。その布地は、ひどく伸子の気に入り、さっぱりした薄紫にそめて着た。あとで、それを黒にして、いまもその羽織は愛用している。その反物をくれたのは、藤堂駿平の母で、七十になっていても、本をよむのを日課にしているという老夫人だった。伸子は、その御礼のことで多計代といいあらそったのを覚えている。多計代は折角もらったものだから、着物にして着てよく似合うところを見せに行くべきだといい、伸子は、そんなことはいやだ、とあらそった。
「お母様、もしこの反物を、ほかのどっかのおばあさんがくれたとしても、やっぱりそうおっしゃる? 藤堂駿平が男爵でなくても、そんなにおっしゃる?」
 伸子は、
「そんなにむずかしいものなら、着ない」
 そう云って、本当にそれが仕立てあがった冬は着なかった。
 藤堂駿平と佐々泰造とは、公式なつき合いばかりでない交際があるらしいことも、伸子は思い出したのであった。
「わたし、ちょっときいて来てみる」
 伸子は、郊外電車の停留場のわきにある酒屋から、佐々の事務所に電話した。
 勢いこんでかえって来て、伸子はすぐに縁側にまわった。
「よかった! 何とか考えましょうって――今来るようにって……」
 多計代は東北の田舎からまだ帰っていず、父ひとりの動坂の家を思うと、伸子は、素子を誘ってゆくにいい折だと思った。
「一緒に行かない?」
 旅券のことについて父にたのむのは、伸子の分ばかりでなかった。素子も行って会えば、たのまれる父の気持もよかろう。伸子は、そう思ったのであった。
「さあ……」
 素子としても、同じように考えるらしく、行ってもわるくなさそうにしていたが、
「まあ、やめとこう」
 皮肉な苦笑を浮べた。
「お母さんの留守には来るんだね、なんていわれちゃ、ちょいと癪だからね」
 伸子たちが老松町の家に住んでいたとき一二度、それからこちらへ越して来てからも二度ばかり、多計代が訪ねて来たことがあった。和一郎をつれたり、つや子をつれたりして。そのときは、素子も仕事をやめて一行をもてなした。けれども、多計代は、一度も改まって娘と一緒に素子を動坂の家へよぶことはしていないのであった。
「わたしは、いずれお父さんの事務所へでも伺うから、よろしくいっておいとくれ」
 秋の夕暮れらしい渋谷の雑沓のなかを、伸子は気をせいて、二つの電車をのりかえ、家のある高台に向う坂道をのぼって行った。その横通りには、昔から屋敷の間にはさまって、日本橋の方に店をもっている有名な書籍文具店のインク製造工場があった。丁度そこがひけどきで、小さい銀杏がえしや束髪にした少女の女工たちが、伸子のゆく細い道を群れて来てすれちがった。昼ごろには、その細い道に向って開いた工場の門のよこてに、年よりのおでんやが屋台車をひいて来て止っているのをよく見かけた。すると工場の中から、かたあげのある紺木綿の筒袖をきて、同じような紺木綿の前かけをかけた少女の女工が、てんでに皿や小鉢をもって、椎の大きい枝の下に店を出しているおでんやのおじさんを囲んだ。しかし、少女たちはそこに立ったまますぐたべたりしないで、行儀よく、おでんを買った皿や小鉢をもって、また建物の中へ戻って行った。伸子が、子供だったころは、その工場のビンを一杯並べた仕事場の入口に佇んでながいこと見物していても格別おこられもしなかった。インクが紺色だから、そこで働く小さい女工たちも肩上げのきものに紺の前かけをさせられているにちがいない。
 外国へ行こうとしている伸子の心には、見なれたその通りの夕暮の光景や、ゆきちがう小さな女工たちの姿が永年見なれている界隈の生活だけに印象ぶかく迫った。
 その通りをもっと広い大通りへ出た角に交番と赤いポストがあり、佐々の家は、じきそのはす向いの奥だった。伸子がもうすこしで大通りへ出きろうとしたとき、まだ見えていない佐々の家の門のところで、きき覚えのある自動車のクラクソンが鳴った。それをききつけて、伸子はちょっとうれしそうに眼をうごかした。よかった、丁度父も帰って来たところだ。そう思って、もう車が入ってしまった門の道を行った。
 つきあたりの玄関のところに、三四人の人の姿が見え、混雑している。伸子は、遠目にそれを見て、はっとする気がした。ごたついた玄関の様子で、父が加減でもわるくして帰ったかと思った。いそぎ足で車まわしのところへ来たとき、踏石から玄関の間へあがってゆく白い足袋が見え、鶯色の単衣羽織の裾がちらりと目を掠めた。その車で帰って来たのは、多計代であった。伸子はとっさに、一人で来てよかった、と思った。
 玄関のところに、車から出した手提袋やトランクがのこっていて、踏石に父の靴もぬぎすてられてある。伸子は、膝かけをたたんでいる江田に、
「一緒におかえりになったの?」
ときいた。
「はい。旦那様も上野駅へまわってお迎えしてかえりました」
 多計代は着いたなりの服装で食堂のいつもの場所に中腰で、早速大きいコップにレモンの切れの浮いた水をもって来させているところだった。多計代の帰京は急なことだったらしく、うちじゅうに特別なざわめきが感じられた。
「おかえりなさいまし……クラクソンが角のところできこえたわ」
 伸子は、そういいながら、母のわきに自分も中腰になった。
「じゃあ知らなかったの?」
「しらなかったわ」
「――あした隅田さんの御婚礼にどうしても出なけれゃならないもんだからね。急に帰って来たってわけさ」
 多計代は、しばらく会わなかった伸子を、しらべるように上下に見た。
「どうしているの?」
「――きょうは、ちょっとお願いがあって来たところだったの」
「へえ……」
 父ひとりのつもりのところへ伸子が来て、何をたのもうとしたのだろう。多計代は、あらわに、そういう表情をした。
「何の御用かしらないけれど、わたしは、ちょいと着物を着かえさせてもらいますよ」
 いれちがいに、響く足音をたてて、兵児帯をまきつけた泰造が入って来た。
「どうです!」
 伸子に向って、泰造は握手するように手をさしのべた。
「たいしたことになったじゃないか」
 黙ってさし出された父の手を執って、伸子は甘えるような、ばつのわるいような笑顔をした。電話口で父とその話をしたとき、それからあの角でクラクソンの音をきいたときまで、伸子は自然な亢奮でよろこび、素晴らしいでしょ? お父様。だから行けるようにしてね、という心もちで急いで来た。多計代が偶然かえり合わせたことは、伸子の単純だったこころもちを複雑にした。
「それで、どういうことになってるんだい?」
「旅券はおりたの。裏書だけのことなんだけれど……」
「それゃ早速、あした藤堂君のところへ行ってみよう。お前も一緒においでなさい、その方がいい」
 そこへ、多計代が戻って来た。
「どこへいらっしゃろうっていうんです?」
 坐りながら、
「お父様、あしたは隅田さんがあるのをお忘れになっちゃ駄目ですよ」
「あれゃ午後五時からだ。こっちは午前中にすむよ――伸子がロシアへ行こうっていうんだ」
「――ロシア?」
 多計代は、その三つの音を、ながくながくひっぱって発音した。そして、ほとんどうさんくさい、という眼付で伸子をかえりみた。なめらかで色つやの美しい多計代の顔に浮んだその表情をみると、伸子はせきこむような苦しい思いになった。早口に、
「文明社から出る全集のお金で行くことになったんだから、その方は心配して頂かなくていいの」
と云った。
「旅券の裏書のことで、お願いに来たのよ」
「へえ……」
 まだ半信半疑という目の色で、伸子を見ながら多計代はダイアモンドの指環のはまった手で自分の鼻のわきを撫でるようなしぐさをした。
「――それで……いつ立とうというの」
「それゃ、裏書ができしだいだわ」
「もちろん吉見さんも一緒なんだろう?」
 伸子が口を開かないうちに、泰造がわきから、
「それゃそうでなくちゃ、伸子が困りますよ」
と云った。
「あのひとはロシア語が専門なんだろう」
「ええ。吉見さんは事務所の方へ伺いますって。よろしくって……」
 多計代は、黙って考えていたが、
「まあ、伸ちゃんも、そうやって自分の力で行けるというなら、どこへ行くのも御自由だし、いろいろのところへ行ってみるのもためになることなんだろう。それゃ結構だけれどもね……」
 一転して、多計代は事務的な調子で、裏書について、伸子が父に求めている援助の内容をきいた。
「なるほどね、それで大分話がわかってきた……なんだろう? その裏書のことでは、吉見さんの分もいるんだろう? どうせ伸ちゃんのことだから……」
「両方出来なくちゃ意味がないわけよね」
「お前、吉見ってひとの責任まで負えるのかい? あとで困ることになりゃしないのかい?」
「困るって?――」
「吉見なんていったって東京じゅうに知っているものなんざ一人もありゃしませんよ」
 吉見素子が、伸子の旅費も出来たら自分で工夫しようとしていたと知ったら、多計代はそれにたいしてなんというつもりだろう。伸子は、腹のたつ気持を抑えたぎごちない低い声で、
「お母様の世間だけが、世間のすべてでもなさそうよ」
と云った。
「お金のことでいうんなら、吉見さんのうちの方がよっぽどお金持かもしれないわ、吉見さんは自分のお金で行けるんだから」
「なにもお金のことばかりいってやしませんよ」
 多計代は、自分の息子や娘の友人にたいしていつも警戒的で、下目に見る習慣があった。さもなければ、保の友人の東大路の場合のように、何かの偶然で有名なその家族の名前に盲信した。だから、和一郎の友人にしろ、保の友達にしろ、その年頃の若い者らしく溌剌と自由で、まともなつき合は佐々の家庭のなかまでひろがらず、例外のように出入りしつづける若者は、多計代のそういう態度に反撥しないような人柄だった。そういうことに潜んでいる和一郎や保にとっての人生的な危険を、多計代は全く気づこうとしないのであった。佃がどういう性格であったにしろ、多計代からこうむった侮辱は度をこした。そのことのために、伸子は佃を気の毒に思わずにいられなくて、自分が妻として佃にたいして抱く苦しさの解決さえもかえってのばしのばしした。
「お母様、ほんとにいつになったら、自分の娘を一人前と思えるのかしら……友達を信じないってことは、娘を信じないことなのに――」
 多計代が、いいつのろうとする機先を制して泰造が、
「いいじゃないか、多計代。よろこんでやって、いいじゃないか」
といった。
「あんな小さい赤ん坊だった伸子が、こうやって一人で外国へまで行くようになったんだ」
 多計代は、その言葉で感傷を動かされ、しばらく黙った。
「それゃ、わたしだって、よろこんでいるんですよ。それにしてもね」
「吉見、だろう。そう拘泥するもんじゃありません。お前だって伸子一人遠くへやるより、ああやって一緒のひとがいる方が、どんなに安心だかしれないじゃないか」
「…………」
 多計代の釈然としない理由は、伸子によくわかった。多計代の心には、この旅行についても素子が伸子をどこかで利用しているにちがいない、と思いこんでいるのだ。

 伸子のために、便宜があればそれにこしたことはないが、吉見素子がそれにあやかることは不本意だが、大目にみておくという表情を、ありありと顔にうかべている多計代に玄関まで送られて、翌日伸子は父と藤堂駿平の邸へ出かけた。
 麻布の天文台のそばで門の石塀のそこまで葉を落した桜の枝がさし出ている。三人の取りつぎがどれも男ばかりの案内で、応接間にとおされた。近代風の洋式客間で、明快な色調の広い部屋だのに、一方の壁に床の間めいた高いところがこしらえてあって、そこに日本画のかけものと、紫檀の板の上に香炉がおかれている。伸子は、政治家というものの客間を珍しく見まわした。じき、
「やあ」
といって、和服姿にスリッパをはいた藤堂駿平が現れた。
「ようこそ」
 はじめて会う伸子に会釈した。有名な鼻眼鏡の黒リボンと、くさび形のあご髯の間から見えている藤堂駿平の皮膚は白くて、濶達な身ごなしだった。
 泰造が、全く友人同士のようでありながら、どこか微妙なニュアンスで自分との間に差別をおいている話しかたで用件を説明した。
「ほう。なるほど。――それぐらいは、むずかしいことでもなさそうだ。ようござんす」
 藤堂駿平はわきにあるベルをおした。伸子たちをとりついだ少年が来た。
「今井君にちょっと」
 秘書の一人らしい黒い背広の男が入って来て、丁寧に礼をしながら、そこにかけている泰造と伸子との方をひとわたり見、いそがず藤堂駿平のそばへよって行った。
「このお嬢さんが、お友達と二人でソヴェトへ行かれるんだそうだ。それについて一寸……」
 あとは、はなれた椅子にかけている伸子にきこえない打ちあわせになった。深いひじかけ椅子に背をもたせかけて、鼻眼鏡の顔をあおむかせ気味に何かいう藤堂駿平の方にこごみかかって、
「はァ」
とか、
「それは出来ますでしょう」
とか簡単に答えながら、秘書はそれとなく眼を動かして、ちょいちょい伸子の方を見た。
「じゃ」
「…………」
 秘書が一礼して出て行くと、藤堂駿平は、
「お嬢さん、明後日あたりでも、大使館へいらっしゃい、わかるようにしておくから」
といった。そして、膝の前におかれている小卓の箱から葉巻を出して、その先をきり、火をつけ、くゆらしながら、一層深く椅子の背にもたれこんで、
「日本の婦人たちも、どしどし外国へでもどこへでも行くようになってくれなくちゃ仕様がありませんな」
と云った。
「三浦環なんかにたいして、どういうものか日本人は冷淡だ、悪口をいう奴さえある。あなたも広いところをみて、しっかり面白い小説をかいて下さい」
 いつか伸子に反物をおくってくれた老母は、じき喜の字の祝いで別荘に暮している。そんな話もあって、泰造と伸子とは四五十分で藤堂駿平の邸を出た。
「どうもありがとうございました」
 自動車が麻布の通りをいい加減進んだとき、伸子は父に改めて礼をいった。
「ほんとに一安心したわ。――でもなんて、簡単なんでしょう」
「なにが?」
「いろんなことが――ああいう人たちって、あんなになんでも簡単にいくのかしら……」
「まあ、簡単にゆくところがあるだけ、一方でたいしたところもあるだろうさ」
「――お嬢さん、お嬢さんていうんだもの」
 伸子は苦笑した。しかし泰造は案外真面目で、
「だってお前はミス佐々じゃありませんか」
と云った。
「それゃそうだけれど……」
 お嬢さんとよばれることに、伸子はミスという意味よりもっとちがった内容を感じるのであった。面白い小説をかいてくれ、といわれることにも、返答にこまる心持がした。藤堂駿平が、在来の政治家と非常にちがった自由な寛濶な雰囲気をもっていることは伸子にもわかった。けれども、ああやって堂々として椅子にかけて話しているときの、近いようで遠い、わかったようで全く互にわかっていない感じは、何と変だろう。
 伸子は、はたちのとき父につれられてニューヨークへ行った。その仕度の時のことを思いおこした。子供の時しか洋服を着ていない伸子の服装のことで、多計代はその相談を同窓生であり、つい先頃までペテルブルグに暮していた大使夫人のところへもちこんだ。そこには、最近フランス人を母にもった若夫人が嫁入って来ていた。その若夫人が相談相手になってやる、ということで、伸子は、一時間半も俥にゆられて、その家へ行かされた。そして、長椅子の上に華やかなクッションがどっさりおいてある客間で、お召の袖口に、重そうな金のくさり細工の腕環を見せている夫人に応待され、若夫人につれられて、レースの被いのかかったダブルベッドと衣裳箪笥でいっぱいになっているその夫人の寝室で、洋服の下縫いの検分をされた。半ばフランス人であり、半ば日本人であり、その半ばフランス人であるという面を優越として意識している美貌な若夫人のじっと見つめる視線の下で、遠慮ぶかく着物をぬぎ、むき出しになる伸子は自分の肩がやけどをするようにせつなかった。
 自分の好みとはちっともあわない大きい縞リボンの結び飾りが三枚の翼のようにつっ立っている帽子をかぶって、伸子はヴィクトーリアの港についた。そこの街を歩いている一人の女も、伸子のかぶっているような帽子をかぶっている女はなかった。伸子はその帽子をぬいで、市中見物のために乗っていた馬車の足もとへつっこんだ。伸子はニューヨークにいる間、自分がその手から手へとわたされそうだった親たちの環境とその関係から急速に自分をひきはがそうと必死だった。佃と結婚したことは、伸子を完全に別の世界のものとし、品位のある人々の環境から離脱したものとした。一年前にひなびた伸子に衣裳の世話をしてくれた大使夫人は、伸子がニューヨークから帰って挨拶に行ったときは病気中だからといって会わなかった。この夫人の良人であった大使は、ペテルブルグから日本へ帰ったとき、新聞記者の問いに答えて、当時ケレンスキー内閣のあったロシアに別の革命はおこらない、と予想を語った。ところが十月革命は、それからほんの半年ばかりあとに成就した。伸子はそのとき、大使というような事情通が、こんな大事件について実際にはわかっていないのに実にびっくりした。それらのことがまざまざと思いおこされた。それは、伸子のニューヨーク行きさわぎの一年ばかり前のことであったが。――
 こんどは計らず藤堂駿平の一つの力をかりることになった。藤堂駿平が面白い小説をかくようにという、それにたいして返答に困った伸子のこころはソヴェトの未知の生活のなかで、どんなに震盪しんとうされ、動いてゆくのだろう。伸子自身にもそれはわかっていないことだった。
 藤堂駿平にいわれたとおり、なか一日をおいて、伸子と素子とはつれだってソヴェト大使館へ行った。門を入るとすぐ植ごみがあって、その左手の高みに小公園のような内庭があった。そこのベンチに、秋の午前の日光に白く見えるほどブロンドの髪をした若い女がかけて、よちよち歩きの幼児を遊ばせていた。ソヴェト大使館には警視庁の私服の刑事がはりこんで、出入りする日本人を見はっているという話があり、伸子と素子とは、漠然と緊張した気もちで、人影のない植ごみの横の事務所のベルを押した。戸が内側へあいて、若い、つやつやと光ったまるで真新しい麦わらのように新鮮な感じの館員が出て来た。用むきをきくと、一旦ひっこんで、伸子たちは構内にある文化聯絡協会の事務所へ行ってパルヴィン博士に会うように、ということだった。
 二人は、植ごみをまわって、そのかげに一区画別棟になっている木造洋館の玄関へ行った。日本の女中らしい女がとりつぎに出て来て、伸子たちは、応接間にとおされた。やや古風でくすんだ壁紙のはられたその広間の中央に大形の円テーブルがあって、その上に、家庭的な展覧会というように、ソヴェトから刊行されている種々の雑誌、新聞、書籍が並べられている。その奥の、もっとうす暗い、どっさり額のかかった室から、背の高さも、腹の太さも見上げるばかり大男のパルヴィン博士が出て来た。腰をかがめ、小人にあいさつするように伸子たちに握手した。灰色の上にすこし黄がかってドロリとした大きな二つの眼が愛嬌の笑いを下まぶたのしわにまでたたえながら二人の女の上にすえられた。伸子はその眼をみると、頭のどこかがジーンとするような途方にくれた気がした。霜降りの背広をきて、話のあい間には、両方のひじをふりひろげるようにもみ手をまじえるパルヴィン博士に、主として素子が日本語で旅行についての計画を話した。パルヴィン博士は、ロシア語と日本語とちゃんぽんに話し、素子に向って、
「あなたのロシア語は正しいロシア語です」
と日本語でいった。
「あちらに行けば、発音はじき立派になりますです」
 そして伸子をかえりみ、
「あなたは? ロシア語わかりますか?」
 ちょっと、名刺の面を見て、
「サッサさん?」
といった。
「わたくし、ロシア語はできません」
「しかし、サッサさんは英語話しますから不便ないでしょう」
 素子が、いそいで、とりなすようにいった。
「そう、ソヴェトでもこの頃は英語がはやっていますからね」
 パルヴィン博士は素子に、ロシア語をどこで勉強したかということや、誰が教授だったかときいた。そこへ、物かげになっているドアのところから、洋装した一人の日本婦人が出て来た。非常に小柄で、やせて、小骨の多い小鳥のようなからだつきだった。パルヴィン博士が、
「わたしの奥さんです」
と紹介した。
「どうぞよろしく」
 夫人は、スカートの前に両手をそろえて、ごく日本風のお辞儀をした。毎日あらゆる種類の人々を応待し、観察し、それを仕事として暮している婦人らしい笑顔と身ぶりで、夫人は博士のわきにかけた。この夫婦がならんでかけた光景は現実ばなれがしていた。灰色の大きい眼玉が黄色っぽく溶けかけている巨人のような外国人の主人。やせて、小さくて、軽くて、油断のないひわのような日本人の細君。背景をなす部屋のつくりが、がっしりとして宏大なために、夫婦の対照はひとしお目にたった。
 パルヴィン博士は、
「ヴィザ、じきおりるでしょう」
 そういいながらなぜかちょっと、傍の小さい夫人の方をみた。夫人は、にこやかな表情のまま、大きい良人の方は見ないでうなずいた。
「一週間もたったら出来るでしょう。そう思います。そのときおいで下さい」
 博士の住んでいる茶色の別館を出た伸子と素子とは、互にひとことも口をきかず、ゆっくり大使館の門外へ出た。ろくな街路樹もない歩道をしばらく歩いて一軒の文房具屋の前へ来たとき、
「ぶこちゃん、ちょっとまってくれ」
 素子が立ちどまって、たてしぼの単衣羽織をきた袂からタバコ入れを出した。
「ともかく一服しなくちゃ!」
 あんまりそれは実感に迫ったいいかただった。
「まったくね! あなたは、こういうとき、そういうものがあるから本当にいいわ」
 そういいながら、伸子は商店の並んだその街上を見まわした。
「でも、歩きながらじゃ変だから……」
 正午近い電車どおりのむこう側で、坂の下りかかりに色のあせた藍縞の日よけを出した一軒の喫茶店があった。
「あすこへ行きましょう、どんなとこでもいいわ。かけられさえしたら――」
 素子は、まちきれないように、白ペンキをぬったその喫茶店のドアの内へ入るなり、マッチをすって、タバコへ火をつけた。

 旅券の裏書ができれば、だいたい一ヵ月ぐらいのうちに出発しなければならない規定だった。伸子たちの旅行準備は、トランクを買うことから旅行のための服装の仕度まで俄に現実のこととしてせわしくなりはじめた。毎土曜日の午後やっていたロシア語勉強も、二人が大使館へ行った翌日で、おしまいにすることになった。素子は、課業をはじめる前いつもどおり帳面と本とを並べている浅原蕗子に、
「浅原さんいよいよきょうでおしまいですよ。ヴィザが一週間位のうちに出来るらしいから」
といった。
「ほんとですか」
 蕗子は、いつものおとなしい声はそのまま、眼を大きくするような表情をした。そしてもう一度、
「ほんとですか」
と、念をおすように、同じ長椅子に並んでかけている伸子をかえりみた。
「こんどは、たしかそうよ」
 伸子は、きのう自分たち二人がパルヴィン博士のところでどんなにのどのかわくような思いをしたか、ということを珍しい夫婦のくみあわせと一緒に話した。
「そうですか、では、たしかでしょうね」
 蕗子は分別らしくきいていた表情を次第にゆるめて、もちまえのゆったりした善良な顔になり、
「いいこと!」
 十分の羨望をあらわして、伸子の肩へ自分の肩をうちあてるようにした。
「でも――どういうことになるのかしら」
 伸子は、うれしさとあてどなさのまじった顔つきでいった。
「なにしろ、これじゃあね」
 草色の表紙を開かれているベルリッツの「外国人のためのロシア語」は、そこに「停車場で」という見出しの頁をあけ、われわれは、赤帽をよばなければなりません、というような単純なことを教えているのであった。
「ともかく、いっていらっしゃいませ」
 首をかしげた蕗子の、ぽってりとして若い顔の上を、ほほ笑みと涙とが瞬間に交錯して走りすぎた。
「二三年でしょう?――そのうちには、わたしもしっかり勉強して、役に立つようになっていますからね」
 蕗子は、素子が勉強した大学の露文科へ入学することにきまっていた。
「あなたは心配ないさ。それだけ真面目にやっていれば、大丈夫ものになりますよ、ワーリャさんも熱心だってほめているもの」
「…………」
 蕗子は、伸子たちがいなくなってからの自分の生活の思いにとらえられたように、細い青桐の葉が茶色になっている隣家の生垣の方へ目をやっていたが、小声のひとりごとのように、
「ロシア語ばかりじゃあなくね」
とつぶやいた。うっとりした唇からもれたようなその言葉の調子に伸子の心がひかされた。
「なにをしようというの? ロシア語のほかに――」
 蕗子は急に目をさまされたような様子でしばらく伸子をみつめた。そして、また人なつこい小声で、
「いろいろあるでしょう?」
 小首をかしげてそういった。しかしそれぎり、気をかえたらしく蕗子ははっきり坐り直した口調になって、
「わたしにどんなお手伝いができるでしょうか」
 素子にきいた。
「おっしゃって下さい。出来ることでしたらなんでもよろこんでいたしますから」
 伸子たちはすぐにも、家の始末にとりかからなければならなかった。それには、まず本のかたづけが一仕事であった。
「こんどは、ごく信用の出来る人だけにたのみますよ。この前ここへこして来るときみたいに、あんな大切な本とられたりしちゃたまりゃしない」
 老松町からこの郊外の家へ越して来るとき、一二度遊びに来た学生が手伝った。その青年がかたづけながらひろげて見ていたモスクワ芸術座の立派な写真帖が、あとからどうさがしても見えなくなっていた。そして、その学生は、もうそれきり素子のところへ出入りしなくなった。
 課業が終ってから、素子は、
「いそがないんなら、夕飯をたべていらっしゃい」
と蕗子をさそった。
「あなたが使うようにのこしておく本なんか、そろそろ選んでおかなけれゃ。こんなときは、あとへゆくほどごたつきますからね」
 夕飯のできるまでと、伸子は、いつも電話をかけている停留場わきの酒屋へ出かけた。そして、本をつめて、動坂のうちの土蔵にあずかって貰うためのビールのあき箱を、十個ぐらい註文して来た。帰ってみると、ロシア語関係の辞典類をすっかりひとまとめにして積み上げた卓の前に、素子と蕗子が一服していた。入ってゆく伸子を見上げて、
「こまっちゃったよ、ぶこちゃん」
 素子が、辞典のつみ重ねを目でさした。
「――これだけで一荷物だ」
「ダーリのようなものは、かえってむこうではいらないんじゃないでしょうか」
 そういう蕗子の注意で、素子は大判の幾冊もある百科辞典風の大辞書をとりのけた。
「ぶこちゃんの本は、どの位になるかい」
「さあ」
 伸子は、まだ揃えてなかった。歴史の年表。日本の辞典。簡単な日本と世界の文学史。そんなものの必要はすぐわかった。けれども、
「小説、なにもって行こうかしら……」
 一冊の小説もなしで、外国へ行って何年も暮す。それは、伸子にとってたよりなくまた寂しく思えた。この間まで長い小説をかいていたとき、伸子がずっと机の上にのせていたのは「暗夜行路」であった。仕事をすまして休んでいるとき、また、書こうとすることがらが、はっきり心にまとまって来ないようなとき、伸子は、その小説を開いて一頁二頁とよんだ。断続して、いわば手あたりばったりに開かれる頁は、そのときどき、なにかの意味で伸子の伴侶となった。そうして、伸子は、自分の小説をかき終ったのであった。しかし、これからさき、幾年かの間のために是非もってゆきたい小説――それは何だろう。伸子は、躊躇なく自分の手がそこへのびる小説集を思い浮べることが困難だった。「暗夜行路」を思ってみても、その作品の世界は、伸子のいまの生活感情にとって、前方にはなくて、後方にあった。伸子が、ぼんやり息苦しい生活のせまさを感じ、そこを突破したいうずきを感じている、その限界が、「暗夜行路」にも感じられるのであった。もってゆきたい小説がわからない。伸子とすれば、このことで、一層切実に外国へもゆく気になっている自分のこころの状態を思いしらされるようだった。
「じゃ、ぶこちゃんのは、あとのこととして――浅原さん、あなたは、ロシア語関係の連絡係になって下さい。たのみますよ」
 素子が、蕗子にたのんだ。
「日本語の方のことは、河野さんにたのむから……ねえ、ぶこちゃん、その方がいいだろう。まだあなたの校正だって見て貰わなくちゃならないんだから……」

 二三日おいて河野ウメ子に会い、三人で相談した結果、家の始末をつけたら、素子だけ先へ京都へゆき、あとから伸子が出かけてウメ子も京都で落ち会うことにきまった。京都には三人にとって共通な幾人かの友達がいた。それにウメ子の文学上の指導者である須田猶吉はそのころ奈良に住んでいた。
「丁度よござんすわ、奈良へもよれますし……」
とウメ子がいうのも本当だった。
 京都で落ちあったら、ある女歌人のやっている地味な宿にとまることにした。
「いいところですよ。鴨川のすぐそばで――座敷から流れが見える」
 そこは、先へゆく素子が手はずしておくことになった。伸子はウメ子に最後の校正がのこっている小説のことをたのんだ。
「わたし下手でわるいんですけれど、本当に一生懸命にやりますから」
 ウメ子は、美しい上まぶたをつり上げるようにして真実こめていった。
「本が出たら、すぐお送りします。わたしのロシア語なんてあやしいんですけれど、宛名ぐらいかけるでしょうから、思いがけない役に立つわけです」
 諧謔かいぎゃく的にそういって、ウメ子は小さい金歯をみせながら、ちょっと舌を出すように笑った。
 引越しのトラックが来る日がきまったとき、伸子は重い気もちで動坂へ行った。駒沢の家かたづけの第一日は動坂へ荷物を送り、第二日は日本橋の素子の従弟の倉庫へ。そう順序だてられた。多計代は、きっといつもの調子で、そのビール箱の中のいくつが、素子の本かときいたりするのだろう。そう思って伸子は気のはずみの失われた顔でその話をきりだした。
「そのビール箱っていうのはいくつぐらいあるの?」
 何となく、多計代のうけ答えは軽快であった。
「全部で、十ばかりなの」
 土蔵の空きまを一寸考えてみる風だったが、
「そのくらいなら大丈夫だよ、もっといで」
 多計代は淡白に承知した。
「災難はいつおこるかわからないから、第一土蔵が落ちるような火事でもあったらそのときのことだけれど――そしたらまあ、お互にあきらめて貰うことさね」
 あらためて多計代は、
「伸ちゃん、いつからこっちへ来るのかい」
ときいた。
「駒沢をひきあげるならひきあげるでいい加減にこっちへ来てくれなくちゃ。電話のとりつぎだけでも、困っちまうのさ。いつ伸子さんはお立ちですかってきかれたって、おりません、わかりませんだもの。それに、お父様もいらっしゃるとき、せめて一枚家じゅうの写真ぐらいとっておきたいし……」
 素子と伸子との旅行の噂がひろまって、問い合わせが電話のある動坂のうちの方へ来るらしかった。そういう外の空気の動きは、多計代の気持に影響した。多計代流に派手にうけとっている外国ゆきということのなかで、素子だけ差別をつけきれなくなっている。しかし、伸子は動坂の家には最少限しか逗留しないですむように日程を立てていた。
 うち合せをすまして伸子が帰りかけているところへ、六尺近い体と、つき出た腹と、ブランデーやけのした顔色とで、日本人というよりいくらかジョン・ブルめいた砂場嘉訓が訪ねて来た。
「こんにちは、奥さん」
 砂場は、さきごろまで二十年近くイギリスに暮して、イギリス人を妻にしている洋画家であった。しなれない日本流の立礼を、特にこの夫人には丁寧にするという風で、膝を少しかがめて辞儀をした。
「佐々先生、まだかえられないですか?」
「まだですよ、あなた、事務所へ電話をかけていらっしゃいましたか」
「ええかけました。じきかえられるということでした。伸子さん、しばらく」
 ひらいた長い二つの脚の間に腹をおとすような姿勢で煖炉まえのベンチにかけた砂場嘉訓は、伸子に向って大きい右手をさし出した。
 伸子が小さかったとき、砂場嘉訓は山陰の奥から上京した日本画の画学生であった。袂のある絣のきものを着て小倉の袴をつけた砂場嘉訓は、伸子のうちの客間の真中に文晁ぶんちょうの懸物をひろげ、わきに唐紙をのべて、それをうやうやしく模写をしていた。小さかった伸子は時々廊下づたいに客間へ行って、どこか子供をおとなしくさせるような雰囲気のあるその場の光景をのぞいた。
 それからほどなく、どういういきさつをへたのであったか嘉訓はロンドンへ行った。パン、ミルク。たったそれだけの言葉しか知らなかった嘉訓は、不自由なところは得意の絵物語でおぎないながら、ロンドンの美術学校を卒業し、やがて日本の文展に純英国流の婦人像を送って特選となり、つづいてイギリスでローヤル・アカデミーの会員になった。そして、一流の洋画家として永年暮していたイギリスをひき上げて、先頃帰朝したのであった。嘉訓は帰って来ると昔なじみの佐々のうちへしばしば出入りした。
「奥さん、あなたののどの線は、美しいです。日本の女には滅多にない。ヴィクトーリア女王ね、あのひとは、そういう美しいのどの線をもっていました。是非、描かして下さい。佐々先生の肖像も。きっと描きましょう。お二人はわたしの恩人だからね」
 砂場嘉訓は、永年画架に向って仕事をしているうちにそういう姿勢になったのか。どこにかけても、開いた脚の間に腹をおとして尻をうしろに引いた姿勢となり、ものをいいながらいつもほろ酔いのように、変に柔らかく手頸をふった。そして、上まぶたをほそめた真直な視線で、それも大画家の風貌という風に、ふた息、三息する時間だけ余計にじっとあい手を見た。伸子の幼い記憶のなかにぼんやり浮ぶ若かったときの砂場嘉訓はもっとからだも小さく、無骨で、かたい若者のようだった。今日老大家として現れている嘉訓は伸子に妙に落ちつかない印象を与えた。
 嘉訓が帰って間もない頃佐々泰造が、おどろいたように、
「砂場嘉訓という男は、一風変っているね、金勘定をしらないらしいよ」
といったことがあった。
「まさか」
 多計代が、否定した。
「あれだけ苦学までした人間じゃありませんか」
「若いときは、それゃ苦労したろうが、とにかく、日本の金の勘定はよくわからないらしい」
 泰造と一緒に出かけて、食事の支払いにけたちがいの金を出し、それを注意したら、金の勘定は不得手だからたのむと、札入れを泰造にまかした、というのであった。誰と歩いても、砂場と歩いたひとは、みんなそういうことを云った。
 日本金の勘定を覚えない砂場嘉訓は、佐々夫婦の肖像を描くこともなかなか実現しなかった。
「砂場嘉訓て、ああいう人間だったと見える」
 そういって、多計代は、砂場が、佐々に紹介される知名の実業家や富豪などの肖像を、どんな高い画料で描いているかというようなことばかり話す、と伸子に告げた。
「あてにする方がばかなんだろう。なにがなんだかわかりゃしない」
 砂場嘉訓は日本へ帰ってからはいわゆる画壇というものには余り接近せず、じかに、上流の依頼者へ結びついて行った。フランス絵画の影響のつよい日本の洋画の若い世代は、アカデミックな嘉訓が日本に帰ろうと帰るまいと無頓著らしかった。彼は渋谷の方の、二階に浴室の設備まである洋館に住んでいた。
 多計代はこの前会ったときからだの工合がわるかった嘉訓の細君の安否をきき、
「お宅のジョージさん、やっぱりドアのハンドルをみがいていますか」
ときいた。
「みがいています」
 砂場嘉訓は重々しく首をうなずけると一緒に、右手を自分の前でふらりとふった。
「いまは、子供部屋のハンドルですハハハ」
「お母さんのお手伝いにもなって、いい道楽をおしこみになったこと!」
 砂場嘉訓は、多計代のその言葉に答えず、ちょっとだまっていたが、上まぶたをひき上げるように伸子の方を見て、
「伸子さん、外国へはいつ立ちますか?」
といきなりきいた。今度の計画を砂場が知っていようとは思いがけなかった。伸子は、
「どうして御存じ?」
 素朴に意外さをあらわしてきいた。
「わたしのところへは毎日、新聞記者が来ます。いろいろな人がどっさり来ますからね」
「立つのは十一月です」
「きょう何日? 十月二十日ですね、もうじきだ」
 泰造が帰るまで、と多計代は砂場嘉訓が来るときまって出しかけられるリキュールのコップを煖炉前のテーブルの上においた。
「どうぞ御自由に――ちょっと失礼いたします」
 つづいて伸子もその室を出ようとすると、砂場嘉訓が、
「伸子さん、ちょっと」
とよびとめた。立ちどまって、ふりかえった伸子を手まねきして、自分のいる煖炉前のところへ来させた。
「あなた外国へゆくのは大変いいです。――非常にいいです」
 実感のこもった真面目な低い声で、首をふりながら砂場はそういった。
「大きいところで大きく育つこと。これが大切だからね。――これお祝です」
 砂場嘉訓は、いつの間に出したのか百円の札をむき出しのまま伸子にさしつけた。
「ありがとう、お祝は頂くけれど――お金はいらないわ」
「そうじゃない。伸子さん、金というものはいるものです」
 やっぱり低いしらふの声で砂場は手をひっこめている伸子を説得する調子でいった。
「これでも何かの役に立つ。もっていくものです、もっていくものです」
 その上拒絶しかねてその金をうけとったまま立っている伸子の顔を腰かけたままの高さからのぞきこむようにして、砂場嘉訓は一段声をひそめて、ささやいた。
「えらくなるには、ばかのまねしなければだめです。ひとがばかだと思うようにすることが大切です、金のことなんかわからないふりしてね」
 なにがいい出されるのかとブランデーやけした砂場の顔に注いでいた視線をおとして伸子はぞっとしたような気もちでその室から出た。
 えらくなるには、ばかのまねしなければだめです。金のことなんかわからないふりして。――どういう気持で砂場嘉訓は、伸子に、彼のこの秘密をもらしたのだろう。この言葉の中に、伸子は砂場嘉訓のかくされた辛酸と悲劇とを感じた。日本とまるで社会の発達の程度も経済の事情もちがうロンドンで、パン、ミルクということしかしらなかった貧しい東洋の画学生だった砂場嘉訓が、イギリスでも一流のアカデミシァンとして暮すようになるまでにへた苦心が、この奇怪な人生哲学のうちにまざまざと語られている。イギリスの格式ばった中流人たちや上流の絵画愛好者の間に存在の道をきりひらき、才能をみとめられてゆくために、砂場嘉訓は洋画の技法に、日本画の筆法を活用して新機軸をあみ出したばかりでなく、むこうの人々にとっては珍らしい東洋の画家という面を強調し、伝統のふかい欧州上流人の生活様式に不案内の弱点を、かえって、おもしろさに転化させて生きて来たのだと思われた。
 金のことなんかわからないふりして――。そういう言葉は金のために砂場嘉訓がどんな苦しい経験をしたかということを、逆に伸子に考えさせた。画商からまるではたかれた金をあてがわれたとき、肖像画の依頼者から画料について、みみっちいほのめかしをされる都度、日本の画家砂場嘉訓は、イギリスのむずかしい金のことはわからないというふりを逆用して画料もじりじりとあげて来たにちがいない。
 郊外の家へ帰って来て、素子に、砂場嘉訓に貰った不思議な餞別の話をしているうちに、伸子は鼻の髄が酸っぱいようになって来た。
「よくて、わたしたちはね、あっちへ行って決して活躍しないのよ。いい? あっちで有名人になろうとするなんて、こわいことだわ」
 伸子は、何かから自分たちの生活を防衛するような眼つきをした。
「ただどっさり観て来るの、感じてくるの、ね? それでいいでしょう?」
 同時に素子としてはどうしてもロシア語をしっかりものにしてかえって来なければならない。伸子は、素子の沈黙のなかに、その主張を感じた。
 いよいよ荷物を運び出す日になった。日本橋の素子の従弟のところから、若いものを四人よこしてくれた。働きなれた人々の手で家じゅうは思ったよりずっと簡単に空っぽになった。そして、最後のトラックが駒沢の家の門から出て行った。手伝いの男たちもそれに同乗してゆき、ふとん類もつみ出した伸子たちは、すっかり建具のとりはらわれてがらんとした縁側で番茶をのんだ。とよはそのまま駒沢の奥の実家へ帰り、伸子たちは、今晩、老松町の裁縫屋の増田のところへ泊ることになっていた。素子が京都へ立つまでの数日の宿として、そこがきめてあった。いまは空屋となった家のなかから丁寧に雨戸をしめて戸締りし、風呂場のくぐりから外へ出た。そこへも、えび錠をかけるとよの手もとを見まもりながら、伸子はいよいよこうして日本を離れようとしている自分を痛感した。伸子を、日本にひきとどめるようなものはなに一つない。この家の生活にしろ、どこでの生活にしろ。――しかし、そこを離れるための準備ばかりがされているいま、そのあわただしさと全く事務的ないそがしさをとおして、これまでの生活のすべてがそこにあった倦怠や憎悪さえひっくるめて一つの忘れがたいものとして迫った。それを思い出とよぶにはまだあんまり近すぎ、しかも、もうはっきり自分たちの生活する場所ではなくなったものとして、今朝まで住んでいた家に最後の戸じまりをして去るこころもちは、深く伸子をうごかした。
 伸子たちが戸じまりをしている間に素子が近所別れのあいさつにまわっていた。それをすまして帰って来るのを葉の黄色い秋のポプラの樹の下で待ち合わし、やがて、三人はそれぞれにかさばった風呂敷をもって、郊外電車の停留場へ出た。とよが乗る電車と伸子たちの渋谷行方面とは反対で、とよの乗る方がさきへ来た。とよは、あいている座席に風呂敷包をおくと、線路ごしに伸子たちの立っている方へ向いて立ち、しまった窓ガラスごしに幾度も腰をかがめた。電車が動き出し、丁度また腰をこごめかけていたとよの七三の前髪がよろけて窓ガラスにぶつかった。
 伸子と素子とは渋谷からタクシーをひろった。数日来うちつづいたいそがしさに疲れて、伸子はいくらか胃がこわばり痛みそうだった。タクシーの座席のクッションに頭をもたせかけるようにして、はしりすぎる街の風景を見ていた。素子もひどくくたびれて、同じようにうしろへ頭をもたせかけ、目をつぶってタバコをすっている。
 青山の大通りをはしっていたタクシーは前をゆく電車と、板を積んだ荷馬車とに行手をさえぎられて、不機嫌そうにスピードをおとし、徐行しはじめた。伸子のかけている側の窓からは、すぐそばに歩道が見え、そこに、ちらりと、うなぎ屋の紺ののれんが目に入った。そののれんに橋本と白く染めだされている。クッションにもたせかけた頭の位置はそのまま、伸子はじっと刺すようにそののれんに視線をすえた。このうなぎ屋を伸子は知っている。よく知っている。佃の妻であったころ、急にお客へ食事を出さなければならないとき、伸子は台所口から前かけ姿のまま出て行ってはこのうなぎ屋へ中串やどんぶりを註文に来た。佃の家のある裏の通りから、ここへ出る角は時計屋で――昔のとおりの順序で、伸子の乗っているタクシーの窓に、二人の天使が舞いながら、時計盤を吊りあげている青銅のかざり時計がおいてある時計屋のショウ・ウィンドウがあらわれて来た。この時計屋から佃の家までは、裏をまわって二町ばかりしかない。この時計屋の角へ出る道の一方のはしは石屋の角で、そこから入った裏通りのなかごろの右側に佃の家がある。伸子が、恐怖や、憎悪にうらづけられた鮮明さで覚えているその大きい石屋の、石柱を幾本も立てかけた石置場が、店のよこの天水桶とともに、ゆっくりタクシーの窓外をすべって行った。交叉点の手前まで来ると、伸子ののったタクシーはにわかにスピードを出して前方の障害物を迂回し、赤坂見附に向って走りつづけた。
 伸子は、はじめから終りまでクッションにもたせかけている頭の位置を動かさず、タクシーの窓外にジリジリと移ってゆく、昔の生活の場所を瞳の中にうつしとった。橋本と染めだしたのれんの下ったうなぎやの横から、不意に佃がそこの歩道へ出て来たとしても、そして、タクシーの窓ガラス越しに佃の蒼めな顎の大きい顔が伸子の顔と向いあったとしても伸子はクッションにもたせた自分の頭は動かさなかったろう。その界隈の風景はその時代の生活の苦しさとともに伸子の過去のなかにくっきりと凝固していて、きょうの感情に語りかけてくる生命をもっていない。佃とわかれてからあしかけ四年たっていたが、伸子は、どこでも、一ぺんも、佃に出会ったことはなかった。
 街々をつきぬけいくつもの角を曲って自動車が走ってゆくにつれて、青山一丁目の街の光景は次第に遠くにおきやられたが、うなぎやの手前に、青塗りの妙にとび出した露台をもった氷問屋がいまだにあったのを思い出し、伸子はふと、あれは本当はどういうことだったのだろうと思った。佃との生活がだんだん破局を重ねて来て、伸子は佃の家から逃げ出すことが多くなった。東北の田舎にいた祖母のところや、湘南にいた従妹の冬子のところへ。そういう一つの逃げ出しから動坂のうちへ帰って来たとき、多計代が一種の目つきをして、
「佃さんてひとも、あれで案外不自由なんかしていないんだろう」
 そう云って、その頃佃のうちに女中としていたみつが、佃が病気で鎌倉へ行った先までついて行って世話していたことを話した。そのときの伸子には、せめて、みつがそうしてくれてよかったという感情しかなかった。それから、伸子がまた決心をぐらつかせてしばらく佃と暮すようになったとき、みつは、どうもからだがわるいからといって、青塗りのバルコニーのあるあの氷屋の二階がりをして、そこへ移った。いくらうちで養生するようにといっても、みつはそれをことわって、氷問屋の二階へ行った。
 二三日たってある午後、伸子はそこへみつを見舞に行った。みつは、友達と二人でかりている、意外にひろい、和洋折衷の室の真中に床をとってねていた。伸子が、ドアをあけて、三尺ばかりの下駄ぬぎに立ったとき、みつは、
「だあれ」
と割合元気な声でききながら、枕の上から頭をもたげた。そして自分のかけぶとんのふくらがりごしに、立っている伸子を認めると、
「アラ……」
 伸子が、自分のほかになにかいるのかとおどろいてうしろを見かえったほど、びっくりした声をあげて頭を枕の上におとした。
「入ってもいい?」
 返事がないのでそのままそっと入って床のわきへゆくと、みつは、すっぽり頭からかけぶとんをかぶってしまった。伸子は、自分が佃のうちの細君であるということからみつが遠慮するのかと思った。かけぶとんをかぶってしまったみつに、伸子は気軽な冗談をいったり、慰めたりしたけれども、みつはかけぶとんから顔を出さず、しまいに、ふとんの中で泣いているのがわかった。伸子には、みつの激しい感情の動きの理由がわからなかった。妻である伸子のいない間、みつにばかり苦労をかけて、いまさら慰めてくれても仕方がない。みつにそう思われているのかと思い、伸子は途方にくれた心持のまま、蒲団の下に見舞の包みをさし入れて、かえった。あれは、本当はどういうことだったのだろう? みつを見舞いに行ったことや、みつの不思議な亢奮について佃に話したとき、佃は例のとおり一言、病気で亢奮しているのでしょうといったきりだった。間もなく、伸子はまたその生活に耐えなくて、もがきはじめ、そして最後の逃げ出しをした。そんなことがあったのは、すべて四年もまえのことだった。氷問屋の青塗りの露台は秋日にてらされて今もあすこに在り、佃はあすこのうなぎ屋の裏に別の妻と住んでおり、そこには子供がい、自分は、外国へ行こうとしている。
 自動車は、江戸川の通りから豊川町の高台へのぼる大きい坂にさしかかった。クッションに頭をもたせかけたまま、いつかうつらうつらしたらしい素子が、
「どのへんだい?」
 上体をおこして、窓の外をみた。そして、
「もうじきだ」
 またクッションにもたれこんだ。
 伸子は、目的のところが近づくにつれてまた段々遠方へ出発する前のあわただしい心持になって来た。そして、和一郎にたのまれたことは、忘れずあしたでも行ったとき多計代に話しておかなければならない、と思った。おととい動坂へ行ったとき、和一郎は出会いがしらに伸子を廊下でつかまえて、人気のない客間につれこんだ。そして灯もつけず、椅子と椅子との間に立ったまま、自分はどうしても従妹の小枝と結婚する。多計代たちはきっと反対だろう。どんなに反対したって、譲らないから、そのことを、伸子が行ってしまう前多計代に予告しておいてくれというのだった。
「その決心――かわりようがない?」
 伸子はしばらくだまっていた後、しずかにききかえした。伸子は血族の結婚には不安を感じるのであった。
「かわらない!」
 伸子の不賛成をぼんやり感じた和一郎は、にらむように姉に目をすえながら、低い熱い声でくりかえした。
「僕の命がある間は、このこころもち、変えようないんだ」
 伸子とすれば、それをそのまま多計代に告げておくしかなかった。問題を根本からこねかえすためには、もう時間のゆとりがなかった。伸子は、あと四五日で東京を立たなければならず、大型のハンドバッグの中には、トゥリスト・ビューローで買った東京モスクワ間の切符が入っているのだった。つづけて伸子の心に、保のいったことが思い出された。やっぱりおととい、伸子は手まわりの荷物をつめた大小のスーツ・ケースと一緒に、本をつめた行李を二つタクシーで動坂へ運んだ。その行李にはもしかいることがあるかと思って、ビール箱につめてしまわなかった文学書が入っていた。伸子が、その行李を、中玄関横の板じきにおいているところへ、保が出て来た。伸子は、
「あら、丁度よかった」
 いつもの単純な調子でいくらか一人のみこみに、
「この行李、保さんあずかってよ」
といった。
「もしかしたらあとから送ってほしい本を入れてあるの。たのむわね」
 どうしたのか保は、そのときすぐ返事をしなかった。伸子はかさねて、
「ね、おねがい」
といった。すると保は、なんとなくその行李の繩に手をかけ、重みでもはかるように背を曲げて下を向いたまま、
「――ともかく、わかるようにしておく」
といった。
「僕がいなくても、ちゃんとわかるようにしておくから、姉さん、安心していい」
 伸子はその言葉を思い出したのだった。僕がいなくてもわかるようにしておくから……。それは、保だって旅行に出ることもあり、そこへ、行李の中のどの本を送ってくれとたのんだ伸子の手紙がつくことだってあるだろう。けれども、なぜ、わざわざあんな風に念をおしたんだろう。保の几帳面さからではあるのだろうけれども――。そのとき、タクシーがめじるしの椎の樹の下を思わず行きすぎた。素子が、
「そこ! そこ!」
 あわてて大声で注意した。伸子も自分たちの降りる角を見まちがうまいとして、バックしはじめたタクシーの座席から腰をうかした。





底本:「宮本百合子全集 第六巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十巻」河出書房
   1952(昭和27)年6月発行
初出:「中央公論」
   1947(昭和22)年1、3〜9月号
※底本266ページに現れる「衒学げんがく」と、274ページに現れる「柘榴ざくろ」のルビは、ページ初出の当該文字に移しました。
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年6月25日作成
2003年6月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について