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からだの下で、列車がゴットンと鈍く大きくゆりかえしながら止った。その拍子に眼がさめた。伸子は、そんな気がして眼をあけた。だが、伸子の眼の前のすぐそばには緑と白のゴバン縞のテーブルかけをかけた四角いテーブルが立っている。そのテーブルの上に伸子のハンド・バッグだの素子の書類入鞄だのがごたごたのっていて、目をうつすと白く塗られた入口のドアの横に、大小数個のトランク、二つの行李、ハルビンで用意した食糧入れの柳製大籠などが、いかにもひとまずそこまで運びこんだという風に積みあげられている。それらが、薄暗い光線のなかに見えた。素子は伸子の位置からすればTの型に、あっちの壁によせておかれているベッドで睡っている。それも、やっぱり薄暗い中に見える。
ここはモスクだったのだ。伸子は急にはっきり目がさめた。自分たちはモスクへついている。――モスク――。
きのう彼女たちが北停車場へ着いたのは午後五時すぎだった。北国の冬の都会は全く宵景色で、駅からホテルまで来るタクシーの窓からすっかり暮れている街と、街路に流れている灯の色と、その灯かげを掠めて降っている元気のいい雪がみえた。タクシーの窓へ顔をぴったりよせてそとを見ている伸子の前を、どこか田舎風な大きい夜につつまれはじめた都会の街々が、低いところに灯かげをみせ、時には歩道に面した半地下室の店の中から扇形の明りをぱっと雪の降る歩道へ照し出したりして通りすぎた。通行人たちは黒い影絵となって足早にその光と雪の錯綜をよこぎっていた。それらの景色には、ヨーロッパの大都市としては思いがけないような人懐こさがあった。
きょうはモスクの第一日。――その第一瞥。――伸子はこみ上げて来る感情を抑えきれなくなった。ベッドのきしみで素子をおこさないようにそっと半身おきあがって、窓のカーテンの裾を少しばかりもちあげた。そこへ頭をつっこむようにして外を見た。
二重窓のそとに雪が降っていた。伸子たちがゆうべついたばかりのとき、軽く降っていた雪は、そのまま夜じゅう降りつづけていたものと見える。見えない空の高みから速くどっさりの雪が降っていて、ひろくない往来をへだてた向い側の大工事場の足場に積り、その工事場の入口に哨兵の休み場のために立っている小舎のきのこ屋根の上にも厚くつもっている。雪の降りしきるその横町には人通りもない。きこえて来る物音もない。そのしずかな雪降りの工事場の前のところを、一人の歩哨が銃をつり皮で肩にかけてゆっくり行ったり来たりしていた。さきのとんがった、赤い星のぬいつけられたフェルトの防寒帽をかぶって、雪の面とすれすれに長く大きい皮製裏毛の防寒外套の裾をひきずるようにして、歩哨は行ったり来たりしている。彼に気づかれることのない三階の窓のカーテンの隅からその様子を眺めおろしている伸子の口元に、ほほえみが浮んだ。ふる雪の中をゆっくり歩いている歩哨は、あとからあとからとおちて来る雪に向って、血色のいい若い顔をいくらか仰向かせ、わざと顔に雪をあてるような恰好で歩いている。若い歩哨は雪がすきらしかった。自分たちの国のゆたかで荘重な冬の季節を愛していて、体の暖い若い顔にかかる雪がうれしいのだろう。雪のすきな伸子には、歩哨の若者が顔を雪にあてる感情がわかるようだった。
「――ぶこちゃん?」
うしろで、目をさましたばかりの素子の声がした。伸子は、カーテンをもち上げていたところから頭をひっこめた。
「めがさめた?」
「あーあよくねた、何時ごろなんだろう」
そう云えば伸子もまだ時計をみていなかった。
「八時半だわ」
素子は一寸の間黙っていたが、ベッドに横になったまま、
「カーテンあけてみないか」
と云った。伸子は、重く大きい
「これじゃ仕様がない、ぶこちゃん、電気つけようよ」
スイッチを押し、灯をつけてから、伸子はドアをあけて首だけ出すようにホテルの廊下をのぞいた。くらい十二月の朝の気配や降る雪にすべての物音を消されている外界の様子が伸子にもの珍しかった。廊下のはずれにバケツを下げた掃除女の姿が見えるばかりだった。廊下をへだてた
ドアをしめて戻ると、伸子は
「まだみんな寝てるのかしら――」
と小声を出した。
「まるでひっそりよ」
「ふうん」
ゆっくりかまえていた素子は、
「どれ」
とおき上ると、わきの椅子の背にぬぎかけてあったものを一つ一つとって手早く身仕度をととのえはじめた。
二人で廊下へ出てみても、やっぱり森閑として人気がない。伸子たちは、ドアの上に57という室番号が小さい楕円形の瀬戸ものに書いてある一室をノックした。
「はい」
几帳面なロシア語の返事がドアのすぐうしろでした。素子がハンドルに手をかけると同時にドアは内側へひらかれた。
「や、お早うございます。さあ、どうぞ……」
ロシア革命十周年記念の文化国賓として、二ヵ月ばかり前からモスクに来ている秋山宇一は、日本からつれて来た内海厚という外語の露語科を出た若いひととずっと一緒だった。ドアをあけたのは、内海だった。
「どうでした――第一夜の眠り心地は……」
窓よりに置いたテーブルに向って長椅子にかけている秋山宇一が、ちょっとしゃれた工合に頭をうなずかせて挨拶しながら伸子たちにきいた。
「すっかりよく寝ちまった……なかなか降ってるじゃありませんか」
素子がそう云いながら近づいて外を眺めるこの室の窓は、二つとも大通りの側に面していて、まうように降る雪をとおして通りの屋根屋根が見はらせた。
「今年は全体に雪がおくれたそうです。――四日だったかな、初雪がふったのは――」
すこし秋田
「もう、これで根雪ですね。一月に入って、この降りがやむと、毎日快晴でほんとのロシアの
秋山も、はじめてみるモスクの冬らしい景色に心を動かされているらしかったが、
「じゃ、瀬川君に知らせましょうか」
と、内海をかえりみた。
「朝飯前だったんですか」
「ええ。あなたがたが起きられたら一緒にしようと思って」
「まあ、わるかったこと」
きまりのわるい顔で伸子があやまった。
「わたしたち、寝坊してしまって……」
「いや、いいんです。私どもだって、さっき起きたばっかりなんですから……しかしソヴェトの人たちには、とてもかないませんね、実に精力的ですからね。夜あけ頃まで談論風発で、笑ったり踊ったりしているかと思うと、きちんと九時に出勤しているんだから……」
そこへ、黒背広に縞ズボンのきちんとした服装で瀬川雅夫が入って来た。日本のロシア語の代表的な専門家として瀬川雅夫も国賓だった。演劇専門の佐内満は十日ばかり前にモスクからベルリンへ立ったというところだった。
「お早うございます。――いかがです? よくおやすみでしたか」
秋山宇一は無産派の芸術家らしく、半白の長めな髪を総髪のような工合にかき上げている。瀬川雅夫は教授らしく髪をわけ、髭をたくわえている。それはいかにもめいめいのもっているその人らしさであった。その人らしいと云えば内海厚は、柔かい髪をぴったりと横幅のひろい額の上に
やがて五人の日本人はテーブルを囲んで、茶道具類とパン、バタなどをとりよせ、殆ど衣類は入っていない秋山の衣裳
「ロシアの人は昔からよくお茶をのむことが小説にも出て来ますが、来てみると、実際にのみたくなるから妙ですよ」
瀬川雅夫がそう云った。
「日本でも信州あたりの人はよくお茶をのみますね――大体寒い地方は、そうじゃないですか」
もち前の啓蒙的な口調で、秋山が答えている。
うまい塩漬胡瓜をうす切れにしてバタをつけたパンに添えてたべながらも、伸子の眼は雪の降っている窓のそとへひかれがちだった。モスクの雪……活々した感情が動いて、伸子のこころをしずかにさせないのであった。雪そのものについてだけ云うならば、ハルビンを出たシベリア鉄道が、バイカル湖にかかってから大ロシアへ出るまで数日の間、伸子たちは十二月中旬の果しないシベリアの雪を朝から夜まで車窓に見て来た。それは曠野の雪だった。雪と氷柱につつまれたステイションで、列車の発着をつげる鐘の音が、カン、カン、カンと凍りついたシベリアの大気の燦きのなかに響く。白い寂寞は美しかった。列車がノヴォシビリスクに着いたとき、いつものとおり外気を吸おうとして雪の上へおりた伸子は、凍りきってキラキラ明るく光る空気がまるでかたくて、鼻の穴に吸いこまれて来ないのにびっくりした。おどろいて笑いながら、つづけて
食事も終りかかったころ、瀬川雅夫が、
「さて、あなたがたのきょうのスケジュールはどういう風です?」
と、伸子たちにきいた。
「別にこれってきめてはいないんですがね」
きな
「大使館へでも一寸顔だしして来ようかと思っているんだけど。――手紙類を、大使館気づけで受けとるようにして来たから……」
秋山宇一は、黙ったままそれをききながら小柄な体で、重ね合わせている脚をゆすった。
「じゃ、こうなさい」
席から立ちかけながら、瀬川が云った。
「もう三十分もすると、どうせ私も出かけて
「それがいいですよ。
濃くて長い眉の下に、不釣合に小さい二つの眼をしばたたきながら、我からうなずくようにして秋山宇一が云った。
「外国の文化人たちは、みんな世話になっているんですから」
「じゃ、それでいいですね」
瀬川が実務家らしく話をうちきった。
「
瀬川につづいて、出かける仕度に部屋へ戻ろうとする伸子たちに向って、茶道具がのったままのテーブルのところから秋山宇一が、
「
笑いながらそう云った。
黒い羊のはららごの毛皮でこしらえたアストラカン帽をかぶり、同じ毛皮の襟のついた外套を着た瀬川雅夫について、素子と伸子とは雪の降る往来へ出た。ホテルの前の大きい普請場の入口を、いま一台の重い荷馬車が入りかけているところだった。歩哨の兵士のきているのによく似た裏毛の防寒外套の胸をはだけたまま、不精ひげの生えた頬っぺたの両側に防寒帽のたれをばたつかせたまま、馬子は、
「ダワイ! ダワイ! ダワイ!」
と太い声で馬をはげまし、
「ぶこちゃん!」
素子が大きい声でよんだ。ホテルを出たばかりの街角に、三台橇が客待ちしていた。その一台に、素子がのりかけているところだった。日本風呂敷に包んだ大きい箱のようなものをわきにかかえた瀬川雅夫が、素子と並んでかけた。
「ぶこちゃん、前へ立つんだよ」
「どこへ?」
「ここへ――十分立てますよ」
瀬川雅夫が防寒上靴をはいた足をひっこめながら云った。
「ほんの六七分のところだから大丈夫ですよ。却って面白いじゃないですか。……ほら、こうして」
箱を素子にあずけ、瀬川は素子を自分の膝に半ばかけさせるようにした。
三人をつみこんで橇は、トゥウェルスカヤの大通りへ向けていた馬首をゆっくり反対の方角へ向け直し、それから速歩で、家の窓々の並んだその通りを進みはじめた。いかにも鮮やかな緑色
三人で、その低い石段をのぼるとき、素子が何かのはずみで雪の上で足をすべらし、前へのめって、段々に手袋をはめた手をついた。素子はすぐ起き直った。そのまま表玄関に入った。
そこが
対外文化連絡のための事務所として、この建物を選定したとき、モスクのその関係の委員会の人々はみんなこの建物を美しいと思い、外国から来るものに、観られるねうちのあるものと思って選んだろう。でも、その人々は、この建物の華麗が、フランス風を模しながら、こんなにもずっしりしたロシア気質を溢らしているという点の意味ふかい面白さ、殆どユーモアに近い面白みを、予測しただろうか。
伸子は、一層興味を動かされて、ホールの左手にある一室に案内された。そこが応接室につかわれていて、もう数人の先客が、いくらか
秋山宇一が特別注意した美人というのは、一言それと云われないでもわかるほど、際だった容貌の二十七八のアルメニア婦人だった。黒のスカートにうすい桃色のブラウスをつけ、美しい耳環をつけ、陶器のように青白い皮膚と、近東風な長い眉と、素晴らしい眼と、円くて、極めて赤い唇とをもって、その室に入ったつき当りのデスクをうけもっているのであった。
「ああ、プロフェッソル・セガァワ!」
てきぱきした事務的な愛嬌よさでそのひとは椅子から立ち上った。そして、手入れよく房々とちぢらした黒い髪を頸のまわりでふりさばくようにして、デスクのむこう側から握手の手をのばした。それと同時に、新しい客としてそこに佇んでいる伸子と素子の方へ、それぞれ笑顔をむけ、やがてデスクのうらから出て来て、握手した。
「これが、ここの事務責任者のゴルシュキナさんです」
そして、一人一人伸子と素子の専門と、ソヴェト旅行は個人の資格で来ていることを紹介した。
「ようこそおいでになりました」
美しいその人は、仕事に訓練された要領よさで、いきなり英語で伸子たちに向って云った。
「私たちは、出来るだけ、あなたがたの御便利をはかりたいと思います。――どのくらい御滞在になりますか」
素子が一寸
「瀬川さん、すみませんが、こう返事して
「それは愉快です」
ゴルシュキナは笑い出して、伸子の手をとった。
「じゃ、モスク観光も、あんまりいそがないおつもり、というわけでしょうか」
「もちろんいろいろな場合、御助力いただかなければなりませんけれど、まあ段々に――。わたしは早くロシア語で
「あら、蜜柑がお気に入りましたか」
こんどは伸子が笑い出した。ゴルシュキナは一緒に笑いながら、その黒い、大きい、
「ソヴェト同盟を半年の間見物してね。最後に、一番気に入ったのは塩漬胡瓜だ、とおっしゃったお客様もありました」
瀬川雅夫は、ゴルシュキナに、カーメネ夫人に会いたいと云った。
「一寸お待ち下さい」
ゴルシュキナは、もう一つのデスクにいる婦人に、ノートを書いてわたしながら、
「みなさんお会いになりますか?」
ときいた。
「どうです、丁度いい機会だから会っておおきなさい」
伸子たちにそう云って、瀬川は、
「どうか」
と、ゴルシュキナが書きいいように
これで、伸子たちとの用に一段落がつき、ゴルシュキナは、さっきから待っていた三人のアメリカ人に、出来て来た書類をわたして説明しはじめた。
そこへ、しずかな大股で、ひどく背の高くてやせて
「こんにちは、プロフェッソル瀬川」
その声をきいて、伸子は思わずそのひとを見直した。こんな低音でものを云うひとに、はじめて出会った。それが自然の地声と見えて、ノヴァミルスキーというその人は瀬川に紹介された伸子たちに、やっぱり喉仏が胸の中にずり落ちてでもいるような最低音で挨拶した。彼の手には、さっきゴルシュキナが、もう一つのデスクの婦人にわたした水色の紙片がもたれていた。
「一寸おまち下さい」
その室を出て行ったノヴァミルスキーは程なく戻って来た。そして、
「カーメネ夫人は、よろこんでお目にかかるそうです」
例の最低音で云いながら、社交界の婦人にでもするように伸子たちに向って小腰をかがめた。
ドアの開けはなされたいくつかの事務室の前をとおりすぎて、三人はその建物の奥まった一隅に案内された。たっぷり首から上だけ瀬川より背の高いノヴァミルスキーが、一つのドアの前に立って、内部へ注意をあつめながら慎重にノックした。若くない婦人の声が低く答えるのがきこえた。ノヴァミルスキーは、ドアをあけ、
「プロフェッソル瀬川」
と声をかけておいてから、
「さあ、どうぞ」
自分はそとにのこって、ドアをしめた。
そこは、明るい灰色と水色の調子で統一された広い部屋であった。よけいな装飾も余計な家具もない四角なその広間の左奥のところに立派なデスクがあった。その前に白ブラウスに灰鼠色のスーツをつけた断髪の婦人がかけて、書類をみていた。四十歳と五十歳との間ぐらいに見えるそのがっしりした肩幅の婦人は、瀬川や伸子たちが厚いカーペットの上を音なく歩いて、そのデスクから五六歩のところへ来るまで、手にもっている書類から視線をあげなかった。
「こんにちは。お忙しいところを暫くお邪魔いたします」
いんぎんな瀬川の言葉で、その婦人は書類から目をあげた。
「こんにちは」
そして、椅子から立ち上って、伸子たちに向って、辛うじて笑顔らしいものを向けた。伸子には、彼女のその第一印象がほんとに異様だった。男きょうだいのトロツキーにそっくりの重たくかくばった下顎をもっているカーメネ夫人は、じっと三白の眼で対手を見つめながら、奥歯をかみしめたまま努めて顔の上にあらわしているような笑顔をしたのであった。伸子は若い女らしく、ぼんやりした
瀬川雅夫は、夫人のそういう表情にももう馴れているとみえて、格別こだわったところもない風で彼女に丁重に握手し、それから伸子、素子を紹介した。夫人は、
「お目にかかって大変うれしゅうございます」
と云ったきりだった。最近の観光小旅行について瀬川がいかにも大学教授らしい長い文章で礼をのべ、それから立って壁ぎわの椅子においてあった風呂敷づつみをといて、大事にもって来た二尺足らずの箱を運んで来た。その桐箱は人形箱であった。ガラスのふたをずらせると、なかから、見事な本染めの振袖をつけ、肩に藤の花枝をかついで紅緒の塗笠をかぶった藤娘が出て来た。瀬川は、一尺五六寸もあるその精巧な人形をカーメネ夫人のデスクの上に立たせた。
「おちかづきになりました記念のために。また、ソヴェトと日本の文化の一層の親睦のために」
暗色のカーメネ夫人の顔に、かすかではあるがまじりけのない物珍しさがあらわれた。
「大変きれいです!」
その言葉のアクセントだけに、感歎のこころをあらわしながら、カーメネ夫人は、よりかかっていた回転椅子から上体をおこし、藤娘の人形を両手にとった。
「――非常に精巧な美術品です」
カーメネ夫人は、ヨーロッパ婦人がこんな場合よくいう、オオとか、アアとかいう感歎詞は一つもつかわなかった。
日本人形の名産地はソヴェトで云えばキエフのようなキヨトであること。この藤娘は京都の特に優秀な店でつくらしたものであること。人形の衣裳は、本仕度であるから、すっかりそのまま人間のつかうものの縮小であること。それらを瀬川はことこまかに説明した。
「もちろん、十分御承知のとおり、すべての日本婦人が毎日こういう美的な服装はして居りません――彼女たちの日常はなかなか辛いのですから……」
瀬川の説明をだまってきき、それに対してうなずきながら、カーメネ夫人は、持ち前の三白眼でなおじっと、両手にもった人形を観察している。
こっちの椅子から、伸子たちが、またじっと、その夫人のものごしを見まもっているのだった。伸子には、人形をみている夫人の胸の中をではなく、その断髪の頭の中を、どんな感想が通りすぎているか、きこえて来るような気がした。色どりは繊美であやもこいけれども、全く生気を欠いていてどこか
夫人は、ため息をつくような息づきをして、黙ったままそっと人形をデスクの上においた。
また、いんぎんな瀬川の方から、何か話題を提供しなければならない羽目になった。
伸子は、段々驚きの心を大きくして、わきにいる素子と目を見あわさないでいるのには努力がいった。こんなつき合いというものがあるだろうか。瀬川の日本人形が出されてさえ、夫人が、若い女性である伸子たちに、くつろいだ一言もかけないということは珍しいことだった。夫人の素振りをみると、何も伸子たちに感情を害しているというのでもないらしかった。ただ、関心がないのだ。
そう思ってみると、カーメネ夫人のとりなしには、文化的であるが社交の要素も加味されているこの文化連絡協会の会長という立場に、据りきっていないところがあった。この広々として灰色としぶい水色で統一されたしずかな照明の部屋に一人いる夫人の内面の意識は非常に
瀬川は、新しい話題をさがしているようだったが、
「ああ、あなたがたのもっていらしたものがあったんでしょう?」
伸子たちをかえりみた。
「いま、出したらどうです」
心からのおくりものがとり出されるには、およそそぐわないその場の雰囲気だった。しかし、素子が、いくらかむっとして上気し、そのために美しくなった顔で立ち上り、二人のみやげとしてもって来たしぼり
伸子たちのおくりものに対しても、夫人は、ごく短い一言ずつで、美しさをほめただけだった。ありがとうという言葉は夫人として云わない習慣らしかった。
こういう贈呈の儀式がすむと、夫人は再び黙りこんだ。瀬川雅夫の言葉は自由でも、それを活用する自然なきっかけが明るい寒色の広間のどこにもなかった。三人は、そこで、会見は終ったものとしてそとに出た。
ドアをしめるのを待ちかねたようにして、素子が、
「おっそろしく気づまりなんですね、文化連絡って、あんなものかい」
と、ひどくおこった調子で云った。
「どんなえらい女かしらないけれど、ありがとうぐらい云ったって、こけんにかかわりもしまいのに」
瀬川はおどろいたように鼻の下の黒い髭を動かして、
「云いましたよ! ね、云ったでしょう?」
並んで歩いている伸子をかえりみた。
「さあ……わたしは、ききませんでした。――いつも、ああいう人なの?」
「そうですか? 変だなあ、……云いませんでしたか。云ったとばかり思ったがな」
「――まるでお言葉をたまわる、みたいで、おそれいっちまうな」
瀬川は、素子のその言葉は上の空にきいて、内心しきりに、夫人がありがとうと云わなかったというのが事実だったかどうか、思いかえしている風だった。
そこへ、廊下のかどからノヴァミルスキーが出て来た。そして、うすい人参色のばさっとした眉毛の下から
伸子たちの橇は、そこでたてよこ五つに岐れる道のたての一本の通りを、斜かいに進んで行った。そこは商店街でなかった。鉄扉は堂々としているがその奥には
日本の大使館は、どことなく不揃いで、その不揃いなところに趣のある淋しい通りの右側に、どっしりした門と内庭と馬車まわしとをもって建っていた。伸子たちは、車よせのついた表玄関の手前にある一つの入口から、いきなり二階の事務室の前の廊下へ出た。瀬川の紹介で、伸子たちは、自分たちの姓名、住所をかき、郵便物の保管をたのんだ。参事官である人は外出中で、伸子はその人の友人である文明社の社長から、貰って来た紹介状は出さないまま帰途についた。
ホテルに戻った三人は、そのままどやどやと秋山宇一の室へ入って行った。
「や、おかえんなさい」
「どうでした、おひげさんを見て来ましたか」
面白そうに秋山が小さい眼を輝かしてすぐ訊いた。
「おひげさんて?」
「ああ、あのアルメニア美人は上唇のわきに髭があるんです」
そう云えば、赤い円い上唇の上に
「会いました……いきいきした人ね」
「なかなか大したものでしょう」
内海厚が、生真面目な表情に一種のニュアンスを浮べて、
「秋山さんは、コーカサス美人がすっかり気に入りましてね、日本の女によく似ているって、とてもよろこばれたですよ」
と云った。室の入口にぬいでかけた外套のポケットから、ロシアタバコの大型の箱を出して、テーブルのところへ来た素子が、瀬川に、
「いろいろお世話さまでした」
律義にお辞儀をした。
「しかし、なんですね、あの美人も美人だがカーメネという女も相当なもんだ」
「…………」
秋山はだまって目をしばたたいた。瀬川も黙っている。瀬川としては、素子がそれをおこっているように、夫人が、あれほどのおくりものに対してろくな礼も云わなかったということを認めにくい感情があるらしかった。黙って、タバコの煙をはいた。
「あのひとはいつも、あんな風なんですか」
くい下っている素子に秋山が、あたらずさわらずに、
「どっちかというと堅い感じのひとですがね、そう云えるでしょうね」
同意を求められた瀬川は、
「元来あんまり物を云わない人ですね」
そう云った。そして、つづけて、
「しかし、わたしはカーメネ夫人が、あの
秋山宇一が、小柄なその体にふさわしく小さい両方の手をもみ合わせるようにして、よく彼が演壇でする身ぶりをしながら、
「カーメネフは追放されているんですからね、ジノヴィエフと一緒に――」
素子は、だまっていたが、やがて、きわめて皮肉な笑いかたをして、
「なるほどね」
と云った。
「
どういうことがあるにしろ、自分はいやだと云いたい一種の強情を示して、素子は、
「あんな女のいる
と云った。それをきいて秋山がすこし気色ばんだ。小さい眼に力の入った表情になった。
「それは個人的な感情ですよ。――ソヴェトの複雑さを理解するためには、いつも虚心坦懐であることが必要です」
「吉見さん、あなたは第一日からなかなか辛辣なんですねえ」
瀬川が、苦笑に似たように笑った。
「けれど吉見さん、ああいう文化施設はあっていいものだと思われませんか」
そうきいたのは内海であった。
「それについちゃ異存ありませんね」
「施設と、そこで現実にやっている仕事の価値が、要するに問題なんじゃないですか」
「…………」
「ああいうところも、よそと同じように委員制でやっているから、一人の傾向だけでどうなるというもんではないんでしょう」
内海の言葉を補足するように、秋山がつけ加えた。
「
伸子は、みんなのひとこともききもらすまいと耳を傾けた。これらはすべて日本語で語られているにしても、伸子が東京ではきいたことのない議論だった。そして、きのうまでのシベリア鉄道で動揺のひどい車室で過された素子と伸子との一週間にも。
「どうしました、佐々さん」
瀬川が、さっきから一言も話さずそこにいる伸子に顔をむけて云った。
「つかれましたか」
「いいえ」
「じゃあどうしました?」
「どうもしやしないけれど――早くロシア語がわかるようになりたいわ。
「いやなものまでが面白いか……ハハハハ。全くそうかもしれない!」
同感をもって瀬川は笑い、彼の快活をとりもどした。
「これからはお互にかけちがうことが多いから、きょうは御一緒に
瀬川がそう提案した。ホテルの食堂は、階上のすべての部屋部屋と同じように緑仕上の壁を持っていた。普通の室に作られているものを、食堂にしたらしい狭さで、並んでいるテーブルには、テーブル・クローズの代りに白いザラ紙がひろげられて、粗末なナイフ、フォーク、大小のスプーンが用意されている。午後三時だけれど、夕方のようで、よその建物の屋根を低く見おろす二つの窓には、くらくなった空から一日じゅう、同じ迅さで降っている雪の景色があった。伸子たちがかけた中央の長テーブルの上には、花が飾ってあった。大輪な薄紫の西洋菊が咲いている鉢なのだが、花のまわり、鉢のまわりを薄桃色に染められた経木の大幅リボンが園遊会の柱のようにまきついて、みどりのちりめん紙でくるんだ鉢のところで大きい蝶結びになっている。白いザラ紙のテーブル・クローズ、粗末なナイフ、フォーク、そしてこの花の鉢。ロシアというところが、その大国の一方の端でどんなに蒙古にくっついた国であるかということを、伸子はつきない感興で感じた。
うしろまでまわるような白い大前かけをかけ、余りきれいでないナプキンを腕にかけた給仕が、皆の前へきつい脂のういた
「
素子をかえりみた。
「なにさ」
「わたしたちがハルビンへついたとき、もうロシア暮しに馴れるんだというわけで、『
「ああ、ロシアだけでしょうからね、正餐が三時から五時だなんていう習慣のところは――」
秋山がそういうのを、瀬川が、
「そりゃ吉見さんにも似合わないぬかりかたでしたね」
と笑った。
「小説にだって正餐の時間はよく出て来るじゃないですか」
「――そこが、
「わたしは大丈夫でしたよ」
妙に含蓄のある調子で瀬川が力説したので、みんな笑い出した。
「ハルビンに、またどうしてそんなに滞在されたんです」
「猿の毛皮を買わなけりゃならなかったんですもの」
「猿の毛皮?」
「外套のうらにつける」
その猿の毛皮について、伸子はいくらか
デザートに出た乾杏や梅、なつめなどの砂糖煮をたべていると、瀬川が腕時計を一寸みて、
「秋山さん、こんやは
と、きいた。
「さあ……」
「切符、この間、あなたもおもらいでしょう?」
「あったかね――内海君」
「…………」
内海は、首をかしげて黙ったまま思い出そうとするようにした。
「今夜は、『装甲列車』なんです――どうです、お二人は――みに行かれませんか」
瀬川にそう云われて、芝居ずきの素子が、すこし上気した顔になった。
「よわったなあ」
と例の、下顎を撫であげる手つきをした。
「是非観たいけれど――今からじゃ、とても切符が駄目でしょう?」
イワノフの『装甲列車』は日本に翻訳されていて、伸子も読んだ。
「切符は、わたしのところにありますよ」
「そりゃあ――それを頂けますか」
「丁度三枚あるから、お役に立てましょう」
伸子は、
「うれしいこと!」
心からよろこばしそうな眼つきをした。
「宿望の
「そうそう、吉見さんはチェホフの手紙を訳しておられましたね」
それで、素子が芸術座へ関心をもつ気持もなおよくわかるという風に瀬川が云った。そうきまると、秋山は言葉をおしまないで、その芝居の見事さを賞讚しはじめた。
「あれは、観ておくべきものですよ。実に立派です」
小さい両手を握り合わすようにして強調する秋山を見て、伸子は、秋山宇一というひとは、どういう性格なのだろうと思った。けさ、
モスク芸術座は、瀬川が云ったとおり、ほんとにホテルから、じきだった。トゥウェルスカヤの大通りを、赤い広場と反対の左の方へ少しのぼって、ひろい十字路を右へ入ると、いくらも行かないうちに、せまい歩道の上に反射光線をうけて硝子
その人群れにまじって伸子たちも防寒靴をあずけた。それから別のところにある外套あずかり所へ行って、帽子や外套をあずけた。伸子の前後左右には派手な花模様や、こまかい
瀬川の切符は、舞台に向って右側の中ほどにある
「えらく晴れがましい場所なんですね」
ひる間と同じ、きなこ色のスーツを着て来ている素子が、伸子と並んで最前列の椅子にかけながらうしろの瀬川に云った。
「
「そりゃ、あなたがたは国賓だもの」
「ちょっと!」
それを遮って肩にビーズの飾止めのついた絹服を着た伸子が素子の手の上に自分の手を重ねて押しつけながら、注意をもとめた。
「チャイカ(かもめ)がついている!」
「どれ?」
伸子は身ぶりで舞台を示した。開幕前のひろい舞台にはどっしりと灰色っぽい幕がおりていた。その幕の左右からうち合わせになっている中央のところに、翼をはって空と水との間を
「入口のドアにもついていたでしょう――気がついた?」
地味な幕の中央に、かどを落した横長の四角にかこまれて、それだけがただ一つの装飾となっている鴎は、片はじをもぎとられて伸子のハンド・バッグに入っている水色の切符の左肩にも刷られていたし、棧敷席のビロードばりの手すりの上においてあるプログラムの表紙にもついている。芸術座は、チェホフの『鴎』で、現代劇の歴史にとって意味ふかい出発をした。その初演の稽古のときは、まだこの劇場が落成していなかったので、俳優たちはどこかの物置のような寒い寒い建物のなかで、ローソクの光をたよりに稽古した。それでも、あらゆる俳優が自分たちこそ本当の新しい芝居をするのだという希望と誇りに燃えていて、寒いことも苦にしませんでした。そうかいていたのはチェホフの妻であったオリガ・クニッペルだった。「チャイカ」は
こんなに
瀬川が、熱心に舞台を見ながら、棧敷の前列にいる伸子たちにささやいた。
「御覧なさい――カチャーロフのエルシーニンは、この場面で、はじめてやや目立って来たでしょう」
観客たちは、ほんとに自分たちのために芝居をして貰って、それを観ているといううちこみかただった。伸子たちのいる棧敷から一段低い平土間席から二階のバルコンの奥まで、見物はぎっしりつまっていた。子供は見あたらないが、あらゆる服装、あらゆる顔立ちの老若男女が、薄明りのさす座席から身じろぎもしないで数千の瞳を舞台に集注しているのだった。この劇場の中で観客はどっちかというと遠慮ぶかく、つつましい感じに支配されているらしいのに、或るところへ来ると、猛烈な拍手が湧きたって場内をゆすぶった。どうみても、それはカチャーロフの芸達者に向ってだけ与えられる賞讚ではなかった。そのとき観客はパルチザンの判断と行動とに同感するのだ。
十一時すぎのトゥウェルスカヤ通りには、宵のうちよりも結晶のこまかい粉雪が降りつづけている。劇場のはねるのを目あてにして来てあぶれた辻待橇が一台、のろのろ、伸子たちの歩いて来る方向について来た。伸子は、足もとのあぶなっかしさよりも、
「そんなに寒いの?」
ぴったりよりそって歩いている伸子の体のかすかな
「そうじゃないのよ、大丈夫!」
上気している頬に粉雪を快く感じながら、何となく顫えの止らないような芝居がえりのこの心持――伸子は、十六七のとき、上目黒のある富豪のもっている小劇場で、はじめてストリンドベリーの『伯爵令嬢ユリー』を観た晩のことを思い出した。それは、伸子がみた最初の新劇だった。伯爵令嬢ユリーの恋は、なんと病的で奇異だったろう。鞭が、何とぞっとする音で鳴ったことだろう。しかし、伸子は何とも云えないその芝居全体の空気から亢奮して、うちまでかえる
今夜は伸子たちの室で、お茶にすることになった。茶道具が註文され、秋山と内海が集って来た。
「――どうでした」
伸子や素子の感動している顔を見まわしながら満足そうに秋山が中指にインクのしみのついた小さい両手をすり合わせた。
「
伸子と並んで余りかけ心地のよくない堅いバネなしの長椅子にかけ、タバコばかりふかしている素子に、瀬川がきいた。
「吉見さん、感想はどうです」
「ふーむ」
素子は、美しい顔色をして、自分に腹を立てているように、ぶっきら棒に云った。
「わたしは、大体、ここでは、いきなり何にでも感服しないことにしたんです」
「なるほどね――ところで、今夜の
「それが困るのさ!」
素子は、同じようにむかっ腹を立てているような口調で云った。
「くやしいけれど、嘘はつけませんからね」
「じゃ、感服したんじゃないですか」
瀬川と秋山は、ひどく愉快そうに笑った。内海は、そういう素子の感情表現に不賛成らしく、十九世紀のロシア大学生のような頭を、だまって振った。
「もしかしたら芝居だけが面白いんじゃないのかもしれないわ。見物と舞台と、あんなにいきがあうんですもの――独特ねえ……何て独特なんでしょう!」
「佐々さんは、そう思いましたか」
秋山が目を輝かした。
「私も同感です。モスクの見物ぐらい熱心で素直な観衆はありませんよ。子供のように、彼等は舞台を一緒に生き、経験するんです。ところが佐内君はね、今度モスクへ来て、失望したといっていましたよ。
「じゃ、佐内さんは、タクシードでも着ていらしたの?」
「そうじゃありませんでしたがね」
「見物のたちは、服装の問題じゃありませんよ」
専門のロシア語のほか、伝来の家の芸で笛の名手である瀬川は、自分の舞台経験から云った。
「舞台に、しらずしらず活を入れて来るような観客がいい見物というもんですよ」
「時代の推移というか、年齢の推移というか、考えると一種の感慨がありますね。佐内君が左団次と自由劇場をやったのが一九〇九年。まだ二十五六で、私と少ししかちがわなかったんですが、第一回の公演のとき、舞台から挨拶をしましてね、三階の客を尊重するような意味のことを云ったんです。――三階の客と云ったって、今から思えば小市民層で、主に学生だったんですがね。すると、それが自然主義作家たちからえらく批判されましてね、きざだと云われたんです」
瀬川が、
「そう云えば、このあいだ芸術座の事務所でスタニスラフスキーと会ったとき、佐内さんの話しかたは、幾分にげていましたね」
と云った。
「佐内君は、芸術座の技術の点だけをほめていたですね」
素子は、注意して話に耳を傾けていたが、また一本、吸口の長いロシアタバコに新しく火をつけながら、きいた。
「スタニスラフスキーって、どんな人です?」
「なかなか立派ですよ。もっとも、もうすっかり白髪になっていますがね」
「ともかく、
瀬川が、白髪のスタニスラフスキーのもっている落付いた前進性を評価するように云った。
「そうですよ、私もその点で、彼に敬意を感じるんです。『桜の園』にしろ『どん底』にしろ演出方法は段々変化して、チェホフ時代のリアリズムに止ってはいませんがね。『装甲列車』を、あれだけリアルに、しかも、あれだけ研究しつくして、はっきり弁証法的演出方法で仕上げたのはすばらしいですよ。おそらくこのシーズンの典型じゃないですか」
話をききながら伸子は眼をしばたたいた。演出の弁証法的方法というのは、どういうことなのだろう。伸子がよんだ只一冊の史的唯物論には、哲学に関係する表現としてその言葉がつかわれていたが。
素子が、淡泊に、
「リアリズムと、どうちがうんです?」
と秋山に向って質問した。秋山は、すこし照れて、手をもみ合わせながら、
「要するにプロレタリア・リアリズムを一歩押しすすめたもんじゃないですか」
と説明した。
「同じ階級的立場に立っても平板なリアリズムで片っぱしから現象を描いて行くんではなくって、階級の必然に向って摩擦しながらも積極的に発展的に動いてゆく、その動きの姿と方向で描こうというんではないですか」
しばらく沈黙して考えこんでいた素子は、
「そういうもんかな」
疑わしそうにつぶやいた。
「たとえば今夜の『装甲列車』ですがね。ああいうのが、自然だし、また現実でしょう? パルチザンの指導者が、農民自身の中から出て来るいきさつっていうものは――天下りの指揮者がないときに――だから、リアリズムがとことんまで徹底すれば、おのずから、あすこへ行く筈じゃないんですか。どだい、些末主義なんか、リアリズムじゃありませんよ」
秋山宇一は、質問者に応答しつけて来たもの馴れたこつで、
「今日のソヴェトでは、一つの推進的標語として、弁証法的方法、ということが云われていると理解していいんでしょうね」
それ以上の討論を、すらりとさけながら云った。
「大局では、もちろん、リアリズムを発展的に具体化しようとしているにほかならないでしょうがね」
厚い八角のガラスコップについだ濃い茶を美味そうにのみながら、瀬川が意外そうに、
「吉見さん、あなた、なかなか論客なんですね」
と、髭をうごかして云った。
「わたしは、これまで、佐々さんの方が、議論ずきなのかと思っていましたよ」
素子と伸子とは思わず顔を見合わせた。瀬川の着眼を肯定しなければならないように現れている自分を、素子は、自分であきれたように、
「ほんとうだ」
とつぶやいた。そして、すこし顔を
「ぶこちゃん、どうしたのさ」
「わたし?」
伸子は、何と説明したらこの気持がわかって貰えるかと、困ったようにほほ笑んだ。
「――つまり、こうなのよ」
その返事をきいてみんな陽気に笑った。素子が議論していることや、秋山の答えぶりの要領よさについて、伸子は決して無関心なのではなかった。むしろ、鋭く注意してきいていた。けれども、劇場でうけてきた深い感覚的な印象のなかから、素子のようにぬけ出すことが伸子の気質にとっては不可能だった。伸子の感覚のなかには、云ってみれば今朝から観たこと、感じたことがいっぱいになっていて、粉雪の降るモスクの街の風景さえ、朝の雪、さては夜の芝居がえりの雪景色と、景色そのまま、まざまざと感覚されているのだった。伸子は、
一座の話が自然とだえた。そのとき、どこか遠くから、かすかに音楽らしいものがきこえて来た。
「あれは、なに?」
若い動物がぴくりとしたように伸子が耳をたてた。
「マルセイエーズじゃない?」
粉雪の夜をとおして、どこからかゆっくり、かすかに、メロディーが響いてくる。
「ね、あれ、なんでしょう?」
秋山が、一寸耳をすませ、
「ああ、クレムリンの時計台のインターナショナルですよ」
と云った。
「十二時ですね」
きいているとやがて、重く、澄んだ音色で、はっきり一から十二まで時を打つ音がきこえて来た。金属的に澄んで無心なその響は、その無心さできいているものを動かすものがあった。
「さあ、とうとう
みんないなくなってから、伸子は、カーテンをもち上げて、その朝したように、またそとをみおろした。向い側の普請場を、どこからかさすアーク燈が
一九二七年の秋、ソヴェト同盟の革命十周年記念のために文化上の国賓として世界各国からモスクへ招待された人々は、
伸子の心はモスク暮しの第一日から、ここにある昼間の生活にも夜の過しかたにも、親愛感と緊張とで
クレムリンを中心として八方へ、幾本かの大通りが走っている。どれも歴史を辿れば数世紀の物語をもった旧い街すじだが、その一本、昔はトゥウェリの町への街道だった道が、今、トゥウェルスカヤとよばれる目貫きの通りだった。この大通りはクレムリンの城壁の外にある広い広場から遠く一直線にのびて、その途中では、一八一二年のナポレオンのモスク敗退記念門をとおりながら、モスクをとりかこむ最も見事な原始林公園・鷲の森の横を通っている。
このトゥウェルスカヤ通りがはじまってほんの五つか六つブロックを進んだ左側の歩道に向って、ガランとして薄暗い大きい飾窓があった。その薄く埃のたまったようなショウ・ウィンドウの中には、商品らしいものは何一つなくて、人間の内臓模型と猫の内臓模型とがおいてあった。模型は着色の蝋細工でありふれた医学用のものだった。ショウ・ウィンドウの上には、中央出版所と看板が出ていた。しかし、そこはいつ伸子が通ってみても、同じように薄暗くて、埃っぽくて、閉っていて、人気がなかった。この建物の同じ側のむこう角では、中央郵便局の大建築が行われていた。その間にある横丁を左へ曲った第一の狭い戸口が、伸子たちのいるホテル・パッサージだった。
オフィス・ビルディングのようなその入口のドアに、そこがホテルである証拠には毎日献立が貼り出されていた。モスクは紙払底がひどくて、伸子たちはついてすぐいろんな色の紙が思いがけない用途につかわれているのを発見したが、その献立は黄色い大判の紙に、うすい紫インクのコンニャク版ですられていた。伸子がトゥウェルスカヤ通りからぐるりと歩いて来てみると、陰気な医料器械店のようなショウ・ウィンドウをもった中央出版所も、パッサージ・ホテルも、その一画を占めている四階建の大きい四角な建物の、それぞれの側に属していることがわかるのだった。
伸子たちはモスクへついて三日目にホテルで室を代った。そして四階の表側へ来た。広いその室の窓からは、伸子に忘られない情景を印象づけた雪の深夜の工事場を照すアーク燈の光や、大外套の若い歩哨の姿はもうなくて、壊れた大屋根の一部が見られた。十二月の雪の降りしきる空と、遙か通りの彼方の屋根屋根を見わたしながら近くに荒涼と横わっている錆びた鉄骨の古屋根は、思いがけずむき出されている壊滅の痕跡だった。伸子が窓ぎわに佇んで飽きずに降る雪を見ていると、あとからあとから舞い降りる白い雪片が、スッスッと鉄骨の間の暗い穴の中へ吸いこまれてゆく。雪は無限に吸いこまれてゆくようで、それを
荒廃にまかせられている大屋根は、もとガラス張りの天井で、トゥウェルスカヤ通りの勧工場であった。だから、パッサージ(勧工場)ホテルという田舎っぽい名が、この小ホテルについているのだろう。質素というよりも粗末なくらいのこの小ホテルは、ドアに貼り出してある献立をのぞいては入口にホテルらしいところがないとおり、建物全体にちっともホテルらしさがなかった。表のドアの内側は、一本の
伸子は、この絨毯に目がついたとき、そのひなびかげんを面白がり、その絨毯を愛した。こけおどしじみた空気は、この小ホテルのどこにもなかった。人々は生活する。生活には仕事がある。ホテルの各室は、生活についてのそういう気取りない理解に立って設備されていた。どの室にも、お茶をのんだりする角テーブル一つと、仕事用の大きいデスクが置かれていた。デスクの上には、うち側の白い緑色のシェードのついたスタンドが備えつけてあり、二色のインク・スタンドがあった。ロシア流にトノ粉をぬって磨きあげられた木の
こういう小ホテルのなかに、おそらくは伸子たちにとって特別
「どうしたの? わいていなかった?」
風呂は、前日事務所へ申しこんでおいて、きまった時間に入ることになっているのだった。
「わいちゃいますがね、――ちょいと来てごらんよ」
「どうしたの?」
「まあ、きてみなさい」
白い不二絹のブラウスの上に、紫の日本羽織をはおっている伸子が、太い縞ラシャの男仕立のガウンを着ている素子について、厨房のわきの「浴室」と瀬戸ものの札のうってある一つのドアをあけた。
「――まあ……」
伸子は思わず、その浴室のずば抜けた広さに笑い出した。古びて色のかわった白タイルを張りつめた床は、やたらに広々として、ところどころにすこし水のたまったくぼみがある。やっぱり白タイル張りの左手の壁に、ひびの入って蠅のしみのついた鏡がとりつけてあって、その下に洗面台があった。瀬戸ものの浴槽は、その壁と反対の側に据えられているのであったが、そんなに遠くない昔、すべてのロシア人は、こんなにも巨大漢であったというのだろうか。長さと云い、深さと云い、古びて光沢のぬけたその浴槽は、まるで喜劇の舞台に据えられるはりぬきの風呂ででもあるように堂々と大きかった。焚き口とタンクとが一つにしくまれている黒い大円筒が頭のところに立っていて、焚き口のよこに二人分の入浴につかう太い白樺薪が二三本おかれている。このうすよごれて、だだっぴろい浴室を、撫で肩でなめらかな皮膚をもった断髪の素子が、自分のゆたかで女らしい胸もとについて我から
「――わたし
二人は、到頭いちどきに入ることにした。たがいちがいにしてならば、裸の体が小さくても滑りこむ危険はふせげるのであった。気候がさむくて、その上、夜は芝居だの、夜ふかしの癖のあるモスクの人たちは、午後のうちに入浴する習慣らしかった。十二月のモスクでは、昼間という時間が、一日に八時間ぐらいしかなかった。しかも雪のひどく降る日には電燈をつけぱなしにしたままで。
伸子たちは、その朝も十時ごろまでには朝の茶をすました。掃除女が室の片づけを終るのを待って、素子は窓に向ったデスクの前に、「プラウダ」と「イズヴェスチヤ」とをもって納った。伸子は、外套を出してベッドの上におき、珍しいことに衣裳タンスについた鏡に向って、褐色フェルトの小さい帽子のかぶりかたを研究していた。
この小帽子については、伸子にとって第二の帽子物語があった。伸子が日本からかぶって来た黒い帽子は、ずっとこれよりも上等で、色どりの美しい細いリボンであしらわれていた。モスクへついて数日すると、伸子にはその帽子がきれいすぎることで気に入らなくなった。雪のふるモスクで女のひとたちは髪の上から毛織のショールをかぶったり、鳥うち帽をかぶったりして、元気に歩いていた。普通の婦人帽をかぶっている人たちにしろ、どれもごく単純なフェルト製の小型のものだった。土地の人は土地の気候にふさわしいかぶりものをかぶっているのだった。色の美しいリボンをあしらった伸子の装飾的な帽子に雪がついて、しめりで形のはりを失ったとき、その弱々しさは不甲斐なく見えて伸子に腹立たしい気持をおこさせた。雪のモスクは、チェホフが心からそれを愛したようにきびしいけれども素晴らしい季節だのに。――
モスク芸術座の通りを歩いていたら、そこに幾軒も婦人帽を売る店があった。その一軒で伸子は、金色の簡単な飾金のついた褐色小帽子に目をとめたのであった。
伸子と素子とは、その店へ入って行った。そして、ショウ・ウィンドウに出ていたその帽子を見せて貰った。それは伸子の気に入ったけれども、かぶってみるとあわなかった。髪が邪魔した。伸子は、モスクの婦人たちが、だれもかれもきりっと小さい帽子をかぶっているのは、彼女たちが断髪だったからだとはじめて気がついたのだった。
その褐色帽子を手にとったまますこし考えていた伸子は、ひどく自然な調子で、
「わたし、きるわ」
と云った。
「きる?――いいのかい?」
そういう素子は、ハルビンで断髪になっているのであった。
「ほんとに、きっちゃうわ――いいでしょう?」
「そりゃ、いいもわるいもないけれど」
「じゃ、そう云って頂戴。――どうせ、ちゃんときり直さなけりゃならないんだろうけれど……」
こういういきさつで断髪になった頭に褐色帽子がおさまることになった。伸子は新聞読みに没頭しはじめた素子をデスクの前にのこして、ホテルを出かけた。
伸子のわきの下には、表紙に「黄金の水」という題のある一冊のパンフレットと、縁を赤く染めたモスク製の手帖が抱えられていた。
トゥウェルスカヤの大通りをストラスナーヤ広場まで真直のぼって行った伸子は、広場をつっきって、モスク夕刊新聞社の建物とは反対側の薬屋の横を入った。そして、正面入口の破風の
艷のない栗色の髪を、ロシア風に頭の真中でわけ、こめかみのところに細い髪房にしてたらしているマリア・グレゴーリエヴナを、はじめ紹介してくれたのは
約束の第一日、伸子は貰った所書と地図をたよりにこの建物をさがし当てて来た。マリア・グレゴーリエヴナの小皺の多い丸顔には、善良さと熱心さとがあらわれていて、伸子は気が楽になった。早速「黄金の水」がはじまった。短い課業が終って、二人が不自由な英語で雑談していると、入口でベルがなった。
「あら、おかえりなさい! もう?」
出て行ったマリア・グレゴーリエヴナのおどろいたような声がした。対手は男らしいが声は聞えない。伸子がこんどマリア・グレゴーリエヴナが現れたら帰ろうとしていると、
「佐々さん、こんにちは」
ききちがえようのない最低音で云いながら、ノヴァミルスキーが入って来た。つづいてそこへ現れたマリア・グレゴーリエヴナを、
「わたくしの妻です」
と改めて紹介した。
「課業はいかがです?」
ここがノヴァミルスキーの家だとは思いがけなかった。伸子は急にいうことが見つからなくて、
「ありがとう」
と答えた。
「たしかにいい先生を御紹介下さいましたけれども、わたしはいい生徒とは云えないかもしれません」
「そんなことはありません。わたしの経験でわかりますよ」
ノヴァミルスキーもそうだが、妻のマリア・グレゴーリエヴナは、すこし鼻のさきの赤いような顔で熱心に云った。
「佐々さんは、早い耳をおもちですもの」
それにしても、伸子にはやっぱりここがノヴァミルスキーの家だったということが、意外だった。
「革命博物館は見られましたか」
ときいた。
「ええ。見ました」
「あれは独特な意義をもっています。当分は、モスクにしかあり得ない種類の博物館だと思いますね」
ちょっと言葉を改めて、ノヴァミルスキーは、
「私は七年間、牢獄におかれました。アナーキストだったんです」
と云った。
「十月にレーニンに会って、二時間話しあいました。そのとき、私は自分のそれまでの思想をかえたんです。――発展させたんです――発展――おわかりですね」
この話は伸子にとって、ノヴァミルスキーがここへ出現したことよりも意外でなかった。新世界という字をもじったノヴァミルスキーという名は本名なのだろうか、それとも、ウリヤーノフがレーニンと云った、そんな風なものなのだろうか。伸子たちの間で話題になったことがあった。マリア・グレゴーリエヴナは、頬に当てた左手の肱をもう一方の手で支えながら、ノヴァミルスキーのいうことをきいていたが、
「わたしどものところの革命も、随分いろいろ批評をうけます。でも、批評する人たちに、それまでの私たちがどんなに生きていたかということが、ちょっとでも分りさえしたら!」
と云った。
「革命は、たしかに少くない犠牲を出しました。けれど、その幾千倍かの人に、生を与えたんです。それはもっとたしかな事実なんです」
革命前、マリア・グレゴーリエヴナは将校の妻であった。
「何という生活だったでしょう。あのころわたしは、死ぬことしか考えませんでした。でも、小さい男の子と女の子を、誰が育ててくれるでしょう? そのうち十月が来ました。そして、わたしと子供たちの人生が新しくはじまったんです」
子供たちの望みで、男の子はマリア・グレゴーリエヴナについてここで暮すようになり、女の子は、父親について別れた。
このマリア・グレゴーリエヴナのところへ素子も通いはじめた。素子は、プーシュキンの「オニェーギン」をよみはじめた。
マリア・グレゴーリエヴナの稽古から、真直伸子がホテルへかえって来ることはほとんどなかった。ストラスナーヤ広場から、雪につつまれた並木道をニキーツキー門の方まで歩いてみることがあった。その時間の並木道は、ひどい雪降りでないかぎり、戸外につれ出されている赤坊と子供たちでいっぱいだった。すっかり
風景に情趣こまやかなのはストラスナーヤから左の並木道で、同じ並木道でも右側にのびた方はいつも寂しく、子供たちも滅多に遊んでいなかった。遠くに古い教会の尖塔が見える雪並木の間を、皮外套に鳥打帽子の人たちが、鞄をかかえ、いそがしそうに歩いていた。道を歩いているというよりも用事から用事へいそいでいるようなその歩きつき。ぐっと胴でしめつけられた皮外套の着かたや、全神経が或る一点に集注されていて、ものが目に入って来ない眼つき。そういう視線が無反応に自分の上を掠めるのを感じながら、こちらからは一つずつ一つずつそういう顔を眺めて並木道を歩いてゆく心持。伸子にはそれも興味ふかかった。
トゥウェルスカヤ通りをアホートヌイ・リャードまで下り切ると食糧市場へ出た。切符制で乳製品や茶、砂糖、野菜その他を売る協同販売所が並んでいる。その歩道をはさんだ向い側に、ずらりと、ありとあらゆる種類の食品の露店が出ていた。半身まるのままの豚がある。ひろげた両脚の間にバケツをはさんで、漬汁がザクザクに凍った塩漬胡瓜を売っている。乳製品のうす黄色い大きなかたまりがある。
「とっさん、素晴らしい肉だぜ。ボールシチにもってこいだ!」
それはいい肉と云えるのだろうか。伸子の目に、その塊りは黒くて、何の肉だか正体がしれなかった。黙ったままじいさんは、よごれた指を出してちょいとその肉をつついて見た。
「
肉を入れて来た樺製のカバンを足許において、その売手は、膝まである防寒靴を雪の上でふみかえながらせきたてた。じいさんは、口をきかない。その白髪まじりの不精髭につつまれたじいさんの顔にある無限の疑りぶかさに伸子の目がひかれた。じいさんは、おそらく、お前の名はこれこれだ、とその名を云われても、やっぱりその疑りぶかい顔つきを更えないだろう。ここの露店で売られるものは、すべて公定の価よりも三割か四割たかかった。何でもあるかわり、売る方も買う方も、実力のかけひきだった。アホートヌイ・リャードにどよめいている群集の中には、労働者風の男女は殆どみかけられないのに伸子は気づいた。そして子供づれも。――雪のつもった長方形の広場のむこうには、道のはたへとび出したような位置に古い教会がのこっていて、わきの大きい建物に張りわたされている赤いプラカートの上には、くっきりと白く、文盲を撲滅せよ、とよまれた。そういう広場の雪をよごしながら群集が動いた。
伸子が、ながい街あるきの果に、自分たちの夜食のための刻みキャベジやイクラを買いに入る店は、ホテルからじきのところにあった。半地下室のその店の入口の段々のところからタイルではった床の上まで、オガ屑がまかれていた。濡れたオガ屑の匂い、漬もの桶の匂い、どっさり棚につまれた
素子は、大抵、伸子が出がけに見たとおりデスクの前にいた。入ってゆく伸子をみて、素子は椅子の上でふりむき、
「どうだった?」
ときいた。これは、そとは一般にどうだった、という意味だった。その素子の声には、たっぷり三時間一人でいたあげくの変化をよろこぶ調子がある。伸子は
「でもね、こういうこまごました面白さって、生活の虹だもの――話したときはもう半分消えてしまっているわ」
伸子は、遺憾そうに云った。
「ほんとに一緒に出られるといいのに。――」
デスクの上にひろげられている本から、わきにおいてある腕時計へちらりと目をやりながら、素子は、
「なにしろ、毎日の新聞をよむのがひと仕事なうちは、仕様がないさ」
あきらめたように云うのだった。新聞――伸子はうけて来た許りの様々の印象で
毎朝起きると、ドアの下から新聞がすべり込んでいるようになったとき、伸子は、自分によめない字でぎっしり詰まっている「プラウダ」の大きい紙面を、あっちへかえし、こっちへかえしして眺めた。そして、素子に、
「あなたが読んでいるとき、ところどころでいいから、わたしにも話してきかしてくれない?」
とたのんだ。そのとき「イズヴェスチヤ」の一面をよんでいた素子はすぐに返事をしなかった。
「ねえ、どう?」
「――ぶこちゃんはデイリー・モスクよめばいいじゃないか」
「どうして?」
むしろおどろいたように伸子が云った。
「デイリー・モスクは、デイリー・モスクじゃないの。モスク・夕刊は、プラウダとちがうでしょう? そういう風にちがうんじゃない?」
主として外国人のために編輯されている英字新聞が、プラウダと同じ内容をもっているとは思えなかった。
丁度その年の秋のはじめ頃ソヴェト最大の石炭生産地であるドン・バス炭坑区の、殆ど全区域にわたって組織されていた反革命の国際的な組織が摘発された事件があった。帝政時代からの古い技師、共産党員であってトロツキストである技師、ドイツ人技師その他数百名のものが、数年来、ソヴェトの生産を乱す目的で、サボタージュと生産能率の低下、老朽した坑内の支柱をわざとそのままにしておいて災害を誘発させるというようなことをやって来た。それが発見された。
その記事は伸子も日本にいた間に新聞でよんだ。日本の新聞記事は、この事件でソヴェトの新社会が一つの重大な破綻に面し、またスターリンに対する反抗が公然化されたというような調子で書かれていた。そのドン・バス事件の公判が、伸子たちのモスクへ来た前後からはじまっていた。一面を費し、ときには二面をつかって、反革命グループのスケッチと一緒に事件の詳細な経過が報告された。そういう記事は世界じゅうの文明国の新聞にのったとおり、モスク発行のすべての新聞に掲載されていた。けれども、伸子は、この世界の視聴をあつめている事件の成りゆきばかりでなく、しんのしんにある意味というものをつかみたかった。こんなに執拗な階級的な憎悪。そしてそれらの人々としてはきわめて真剣に計画し実行されていた陰謀。それがその人々にとってどんなに真面目だったかということは、公判で、すべての被告が、理性的という以上に理論をもって陰謀を告白しているということでもわかった。そこには、ソヴェトの建設に傾注されている情熱と匹敵すると云っていいくらいの破壊と妨害への情熱があり、伸子はこれらの情熱の源泉としての憎悪、更にその憎悪の源泉としての利害のありどころについて知りたかった。フランスの貴族たち、王党の人たちは、自分たちが貴族であり王党でさえいられるならと、大革命のとき、外国から軍隊を招きいれて、あんなに祖国を
伸子は、そのとき、もう一度、
「――じゃあ社説の要点だけでもいいから――駄目?」
ときいた。素子は、
「ぶこちゃんは、そんなに、こせこせしなくっていいんだよ」
と云った。
「ぶこちゃんみたいな人間は、今のまんまで結構なのさ。あるいたり、見たり聞いたりしてりゃいいのさ。――いずれはどうせ読めるようになるんじゃないか」
読めないなりに、伸子はデイリー・モスクのほかに、記事のかきかたのやさしいコムソモーリスカヤ・プラウダを外出のたびに買って来て見るのだった。
朝から夜まで素子と伸子とが、一緒に行動したのは、モスクへ着いて、ほんの五日か一週間ぐらいのことであった。素子は、二人で芝居を観に出かける夜の時間をのぞいて、毎日の規則正しい勉強の計画をこしらえた。マリア・グレゴーリエヴナのところでプーシュキンを読むほかに、素子は一人の女教師に来て貰って、発音と文法だけの勉強もはじめた。
言語学を専攻したというその女教師が、モスク河のむこうからホテルへ教えに来るのは、芝居に行かない月曜日の、正餐後の時刻であった。
その晩、教師が来たとき、伸子は、その前のときのように、素子が勉強するデスクから一番遠い壁ぎわに角テーブルをひっぱって行って、そこで、例の「黄金の水」の書きとりをやっていた。緑色笠のスタンドの光を
女教師と素子とは、機嫌よくときどき笑ったりしながら、いろいろの組合せで発音していたが、ふと、女教師が何かききとがめたような声の表情で、
「どうぞ――もう一度」
と求めた。素子が注意してくりかえしているのは「あった」という字であった。伸子は室のこっちの壁ぎわで、粗末な紙の帳面へにじむ紫インクで書き取っていた。「農民ボリスは、非常に苦悩した。何故なら、彼に富と幸福をもって来る筈だった黄金の水――石油は、彼を果しのないぺてんの中へひっぱり込んだから」ひっぱりこむ、という字がわからなくて辞書をみていた伸子は、デスクのところで、
「何故です?」
すこし怒りをふくんでききかえしている素子の声で、頭をあげた。
「わたしは、三度とも同じに発音したのに」
まだ「あった」が問題になっていた。伸子は、おやおやと思った。柔かいエリときつく舌を巻くエルの区別が出来ない伸子は、駒沢の家でロシア語の稽古をしていた時分、素子に散々笑われた。その素子が、やっぱり本場へくれば、案外エリを荷厄介にしている。女教師はもう一度、そのごくありふれた一つの字を素子に発音させた。こんども黙って不賛成をあらわし、頭をふった。彼女のその視線が丁度そのとき帳面から顔をあげたばかりの伸子の眼とあった。女教師は、その拍子の思いつきらしく、素子のよこにかけたままの遠いところから、
「あなた、やって御覧なさい。――ブィラ」
と、その室の端にいる伸子に向って云った。
伸子は、下手な方に自信があったので、格別の努力もしないで、その言葉を発音した。
「もう一遍」
伸子は素直にもう一遍くりかえした。
「御覧なさい。あなたのお友達は、発音出来ますよ。やって御覧なさい」
これは伸子にとって思いがけないことだった。恐縮してそちらを見ている伸子に、素子はちらりとながしめをくれながら苦笑した。そして、
「この次まで練習しておきましょう」
ブィラは保留となって、女教師はかえった。
女教師のうしろでドアがしまるとすぐ、伸子は壁にくっついている長椅子とテーブルの間から出て来た。
「――妙ね、あれ、どういうの?」
「なにがなんだかわかりゃしない」
「わたしのブィラが、ほんとによかったの?」
「いいんだろう」
素子は一二度マッチをすりそこなってタバコに火をつけた。そして、その吸いくちの長いロシアタバコに、パイプをもつときのように指をかけてふかしながら室の中央に向けてずらした椅子にかけて考えていたが、
「ぶこちゃん」
不機嫌な声のままで云った。
「なあに」
「わたしが何かやっている間は、この室から出ていてくれよ」
「――そうしたっていいけれど……」
その間自分はどこにいたらいいのだろう。伸子は当惑した。ぶらぶら雪の夜街を散歩するほど伸子はまだモスクに馴れていなかった。考えてみれば、日本を出てから二ヵ月近く、二人は一つ室にばかり暮して来た。
「ね、いいことがあるわ、ここで、小さい室を二つかりましょうよ」
今いる四階の表側のひろい室代は六ルーブリ五十カペイキでそれに一割の税がついていた。
「われわれに、そんな贅沢なんか出来やしないよ。ここじゃ、一番小さい室だって五ルーブリじゃないか。そんなことしたら本代なんか出やしない」
「…………」
系統的に本を買わなければならないのは素子だった。二人の旅費のしめくくりをしているのも素子であった。
「ね、ぶこ、たのむ」
素子は、自分の云うことに我ままのあるのは分っているが、どうにもやりきれないのだという風に、そう云いながら涙ぐんだ。
「暫くのことなんだから秋山さんの室へでもどこへでもいっててくれ」
「――いいわ。もう心配しないで」
しかし、その晩ベッドに入ってから、伸子は長いこと目をあいていた。廊下の明りが、ドアの上のガラス越しに、灯の消えた自分たちの室の壁の高い一隅に映っている。スティーム・パイプのなかでコトコトコトと鳴る音がするばかりで、素子のベッドも、あっちの壁際で、ひっそりしている。
素子が、発音のことからあんなに神経をいためられた。そのことに、どこまで自分の責任があるのだろう。伸子はそこがよくわからなくて、眠りにくかった。伸子にわるいところがあるとすれば、それは、このモスクの新しい生活で素子を押しのけようとすることではなくて、反対に、ここの生活に対する伸子の興味があんまりつよいためについ言葉のわかる素子にたよろうとする傾きがあることだ。実際モスクの朝から夜までの生活は、狭くせつない一本の
息苦しい存在の壜のようなものが熱量のたかいモスク生活でとけ去って、観ることのこんなにもうれしい自分、感じることがこんなにも
新聞の場合ばかりでなかった。
モスクへついて三四日したとき、どうかして素子の外套のカラーボタンがとれて失くなってしまった。素子は、
「ぶこちゃん、見物がてら買っといでよ」
と云った。
「あらァ、それは無理よ」
伸子は冗談のように甘えて、首をふった。
「ボタンなんて言葉、ベルリッツの本に出ていなかったわ」
「そのために字引もって来たんじゃないか。ひいて御覧」
そう云われるといちごんもなくて和露の字引をひいて、伸子はその字を見つけ出した。
「あったろう?」
「あったわ」
「それで、いいじゃないか。さ、行っといでよ」
片仮名でボタンという字と茶色という字を書きつけた紙片をもって伸子は、トゥウェルスカヤの通りへ出た。そして、衣料品の販売店を見つけ出して、どうにか茶色の大ボタンを買って来た。ちょいとした食糧品の買いものにしろ、モスクではいつとはなし伸子のうけもちになった。
「丁度いいじゃないか、ぶこちゃんは、何にだって興味もってるんだから……」
それは、たしかにそう云えたし、素子の教育法は、伸子の片ことに自信をつけた。素子のそういうしつけがなかったら、伸子はモスクへついて、たった二週間めに、鉄工労働者のクラブで、たとえ十ことばかりにしろ、ものを云うことなどは出来なかったろう。
「あら、私たちのこと云っているんじゃない?」
と小声で素子にささやいた。
「…………」
黙って
「挨拶する、って云ってる――ぶこ、おやり」
と云った。
「どうして!」
当惑している伸子たちの前へ、司会者が来た。そして、
「どうぞ。みんな非常によろこんでいます」
二人のどちらとも云わず、一寸腰をかがめた。素子は、はためにもわかるほど椅子の上に体を重くした。
「ぶこちゃん、何とかお云いよ」
「困った――何て? ね」
押問答しているうちに、人々の間から元気のいい、催促するような拍手がおこった。
「ダワイ! ダワイ!」
そういう声もする。モスクについた翌日、馬方が馬をはげましていた陽気なかけ声をきくと、伸子は何を何と云っていいのか分らないままに、赤い布で飾られている演壇に上った。小さい伸子の体がかくれるように高い演説者のためのテーブルをよけて、演壇のはじっこまで出て行った。すぐ目の下から、ぎっしりと男女組合員のいろいろな顔が並んで、面白く珍しそうに、壇の上の伸子を見上げた。その空気が伸子を勇気づけた。伸子は、ひとこと、ひとこと区切って、
「みなさん」
と云った。
「わたくしは、たった二週間前に、日本から来たばかりです。わたしは、ロシア語が話せません」
すかさずうしろの方から、響のいい年よりの男の声で、
「結構、話してるよ」
というものがあった。みんなが笑った。壇の上にいる伸子も思わずほほ笑んだ。そして、その先何と云っていいか分らず、しばらく考えていて、
「日本の進歩的な労働者は、あなたがたの生活を知りたいと思っています」
と云おうとした。しかし、それは伸子の文法の力に背負いきれず、伸子の云おうとしたことが、ききてに通じなかった。伸子はそれを感じて、
「わかりますか?」
と、みんなに向ってきいてみた。伸子の真下で第一列にいた中年の女が、すぐ首を横にふった。伸子は困ったが、こんどは単刀直入に、
「わたしは、あなたがたを、支持します」
と云った。さっきの年よりの男の声がまた響のいい声で答えた。
「こんどは分った!」
そして、盛な拍手がおこった。
これは伸子にとって思いがけない経験であった。同時に、伸子をモスクの心情により具体的に結びつけた出来ごとでもあった。
敏感な素子は、学問として学んだロシア語の知識で、かえって、闊達さをしばられている状態だった。また、素子は二年なら二年という限られた時の間に、来ただけのことはあるという語学者としての収穫をためようともしているのだった。そういう緊張した素子の神経のかたわらに、対外的に課せられている責任をちっとも持たず、自然に、気質のままに、ひろがったり、流れたりしてあらゆるものを吸収しようとしている伸子がいることは、素子を時々はいらだたせるのかもしれない。伸子はそうも思った。
いま暮しているように暮さないで、どう生活するかとそうきかれれば伸子に分らなかった。けれども、伸子の暮しかたは、素子の生活計画と平行して、では伸子の方はこういう風に、と考えられ、きめられ、そこで始っているものではなかった。モスクの二十四時間に素子が素子としての線を一本つよくひいた。その線にかち合わないところ、外側のところ、あまったところをひとりでに縫うようにして、伸子のモスク生活の細目は、はじまっているのだった。伸子がそういう工合に生活している。そのことは、そんなに全く素子の意識にのぼらないわけのことなのだろうか。
素子が、マリア・グレゴーリエヴナのところでプーシュキンをはじめるときめたとき、伸子は何心なく、
「新しいものやったら?」
と云った。古典は、持ってかえっても読める。革命後の文学は、つかわれている言葉そのものさえ違って来ているのだから。そう思ったのだった。すると素子が、閃くような笑いかたをして、
「そして伸子さんのお役に立てますか」
と云った。瞬間、伸子にわけがわからなかった。伸子はほとんど、あどけない顔で、
「わたしに?」
とききかえしながら素子を見た。その伸子の眼を見て、素子は急に語調をかえた真面目な調子で、
「わたしは、一年は古典をやるよ」
と云った。そう云っているうちに、素子の顔が薄すらと赧くなった。
「新しものずきは、どこにだってありすぎるぐらいあるさ。しかし、ロシア文学には古いもので立派なものがどっさりあるんだ。いまの文学に意味があるんなら、その歴史の源が、ちゃんとあるんだもの――シチェドリンだって、サルトィコフだって。面倒くさくて儲かりもしないから、誰もやらないのさ。――だからわたしは、一つ土台からやってやるんだ」
素子が自分で云ったことに対してひそかに赤面したわけは、よっぽどたってから、伸子に、わかった。
率直ということが卑劣と相いれない本質のものであるなら、素子は卑劣でなかった。素子は伸子に対して、どんな場合も率直でないことはないのだから。けれども、伸子には、自分に向って率直にあらわされる素子の不安定な機嫌というようなものが切なく思われた。窓のそとでは大屋根の廃墟の穴の中へ雪が落ちているホテルの夜中、コトコト鳴るスティームの音をききながら、伸子は考えるのだった。そもそも、機嫌とは、何なのだろうか、と。そして、ぼんやりした恐怖を感じた。伸子は、はじめて機嫌を軽蔑する自分を感じたから。そして、一緒にくらして来た数年間、伸子は、素子の機嫌を無視した経験がなかったから。こうして伸子が何となしくよくよと物を思っているその夜の間も、
つぎの夜、素子のところへ女教師が来たとき、伸子は気をつけていて、自分がドアをあけるようにした。そして、入れちがいに、戸をしめて、室の外へ出た。
いつものとおりしずかな狭いホテルの廊下の階段よりのところに、ふちのぴらぴらした、日本の氷屋のコップのようなかさの電燈がついている。その下の明るい場所へ椅子をもち出して、ホテル女中のシューラが、
「御用ですか」
ときいた。
「いいえ。何でもないの」
今夜も伸子は白いブラウスの上に日本の紫羽織をひっかけていた。
「ここは寒くないの」
「暖くはありませんよ――」
毛がすりきれて、編みめののびた古い海老茶色のジャケツを着て、薄色の髪をかたく頸ねっこに丸めているシューラはやせていた。小さな金の輪の耳飾りをつけているシューラの耳のうしろは骨だってやつれが目立った。伸子は、自分につかえるわずかの言葉で話すために骨を折りながら、
「シューラ、あなた、丈夫?」
ときいた。
シューラは、
「わたしは肺がわるいです」
と云った。
「肺、わかります? ここ――」
そう云いながら、ボタンの一つとれたジャケツの胸をさして伸子を見あげた。シューラの顔に、遠目でわからなかった若さがあるのに伸子はびっくりした。
「わかるわ――日本にも肺病はどっさりよ」
「――わたしは技術がないから、ほかの働きが出来ないんですよ。でも、わたしはこわがっちゃいないんです、もうじき、サナトリアムに入る番が来るから」
そのとき誰かが階段をあがって来た。シューラは話すのをやめて細工ものをとりあげた。
伸子は、時間つぶしに一段一段、階段の数をかぞえながら三階へ降りて行った。それは二十六段あった。粗末な花模様絨毯がしかれている廊下の右側にある秋山宇一の室のドアをたたいた。
「おはいりなさい」
「今晩は――お邪魔じゃないこと?」
「どぞ、どぞ」
ドーリヤ・ツィンが早口の日本語で云った。
「わたしたちの勉強、すんだところです、ね秋山さん――そでしょう?」
「ええ――どうぞ」
ドーリヤと秋山とが、そうやってくっついてかけている様子は、まるで丸くふくれて真紅な紅雀のよこへ、頭が灰色で黒ネクタイをつけた茶色のもっと小さい一羽が、自分からぴったりくっついて止り木にとまっているようだった。若い内海厚が却ってつつましくドーリヤからはなれているところも面白かった。ドーリヤ・ツィンという珍しい姓名をもっているこの東洋語学校の卒業生から、秋山はこの頃ロシア語を習っているのだった。
「ドーリヤさんと秋山さんがそうして並んでいるところは、二羽の紅雀のようよ」
伸子が笑いながら云った。
「ベニスズメ?――それなんでしょう、わかりませんね」
「なんていうの? 紅雀」
伸子にきかれた内海は、
「さあ」
と首を曲げた。伸子は、不審がっているドーリヤの気をわるくしないようにいそいで、
「小鳥」
とロシア語で云った。
「二つの小鳥……二つのロビンよ」
「おお、ロビン! アイ・ノウ」
ドーリヤは英語をまぜて叫んで、面白そうに手をうち合わせた。
「ロビン! 英語の詩でよんだことあります。それ、美しい小鳥です。そうでしょう? サッサさん」
「そうよ。ドーリヤさんは、紅い紅雀よ、秋山さんは髭の生えている紅雀」
「まあ、素敵!」
ドーリヤは、すっかり面白がって大笑いしながら、テーブルの奥の長椅子から、とび出して来た。
「サッサさん、可愛いかた!」
そう云って伸子を抱擁した。ドーリヤは伸子を抱きしめると、そのまま、あっさり伸子からはなれ、衣裳タンスの前へ行って、
「サッサさん、あなたチャールストン踊れますか? わたし、これ、きのうならいました。むずかしいです」
「ロシアの人のこころとチャールストンのリズム、ちがうでしょう」
伸子も、ドーリヤにわからせようと片言の日本語になって云った。ドーリヤは、なおしばらく、せかせかとぎごちなく足を動かしていたが、
「本当だわ」
ロシア語で、真面目な顔つきで云って足のばたばたは中止にし、両手をうしろに組んで、面白いことをさがし出そうとするように、秋山の室のなかをぐるりと歩いた。やがて伸子のよこにかけて羽織をいじくっているうちにドーリヤは、子供のとき両親につれられて、日本見物に行ったときのことを話し出した。
「何と云いました? あの温泉のある美しい山の公園――」
「どこだろう、ハコネですか」
秋山が云った。
「おお、ハコネ。そこで、わたくし、一つの箱買って貰いました。小さい小さい板のきれをあつめて、きれいにこしらえた箱です、そして、それ、秘密のポケットもっていましたね」
「ああ寄木細工の箱だ――貯金箱ですよ」
慎重な顔で内海が、きわめつけた。
「その箱、いまどこにあるの?」
伸子がそうきくと、ドーリヤ・ツィンは目に見えて悄気た。両肩をすくめて、
「知りません」
悲しそうに云った。
「わたしたちはどっさりのものを失ったんです。――両親は、非常に金持でした。大きな金持の商人でした」
ドーリヤは、それをロシア語で、ゆっくり、重々しく云った。秋山が暗示的に、伸子に向って補足した。
「ドーリヤさんの両親は、シベリアの方に生活しているらしいですよ。――そうでしたね?」
「そうです、そうです」
ドーリヤは、シベリアという言葉に幾度も頷ずきながら、濃く紅をつけた唇の両隅を、救いようのない困惑の表情でひき下げながら、下唇をつき出すような顔をした。伸子にもおぼろげに察しられた。ドーリヤの親は何か経済攪乱の事件にひっかかっているのだ。
「ドーリヤさんは、どこで、そんなに日本語が上手になったの?」
やがて、すっかり話題をかえて伸子がきいた。箱根細工から思いがけない物思いにひきこまれかかっていたドーリヤには、伸子の日本語がききとれなかった。内海が先生のように几帳面な口調で通訳した。
「おお、サッサさん、あなた、ほんとに、わたしの日本語上手と思いますか?」
ドーリヤ自身、そのきっかけにすがりつくようにして、もとの陽気さに戻ろうとした。
「思います」
「ほんとに、うれしいです」
その声に真実がこもっていた。ドーリヤはモスクでの生活の基礎を、すこしの英語、すこしの中国語、日本語などの語学においているのであった。
「わたくし、日本語話すとき、考えません。ただ、出来るだけ、迅く迅く、途切れないように」
と最後の途切れないようにという一字だけロシア語をはさんで、
「つづけて話します。きいている人、思いましょう? あんなになめらかに話す。彼女は必ずよく知っているだろうと。これ、かしこいでしょう?」
ドーリヤの若い娘らしい率直さが、みんなを大いに笑わせた。秋山宇一は、何遍も合点合点しながら、手をもみ合わせた。
「わたしたち日本人には、こういうところが足りなさすぎるんですね。大胆さが足りないんです。いつも間違いばかりおそれていますからね」
だまっていたが、伸子は、この時ドーリヤとさっき廊下で話して来たシューラとの比較におどろかされていた。はしゃいで、チャールストンの真似をしているときでも、しんから気をゆるした眼つきをしていないドーリヤと、清潔なぼろと云えるようなジャケツをきたやせたシューラの落着きとは、何というちがいだろう。エナメル靴をはいたドーリヤは何ともがいているだろう。
ドーリヤ・ツィンは、今夜七時から友達のところの誕生祝いに出かける。二三人の仲間が誘いに来るのを秋山の室で待ち合わせることになっているのだそうだった。ドーリヤ自身は何も云わなかった。秋山がそのことを話した。そして、
「もう何時ごろでしょうかね」
時計をみるようにした。伸子は、ひき上げる時だということを知った。秋山は、自分のところへ誰か訪ねて来るとき、伸子たちがいあわすことを好まなかった。いつも、自然に伸子たちが遠慮する空気をつくった。
「じゃ、また」
伸子が椅子から立ちかけると、ドーリヤが思いがけないという顔で伸子と秋山を見くらべながら、自分も腰を浮かして、
「なぜですか?」
と尻あがりの外国人のアクセントで云った。
「どうぞ。どうぞ。サッサさん。時間どっさりあります。わたくし、サッサさんの日本語きくのうれしいです。ほんとにうつくしいです」
秋山はしかし格別引きとめようともしないで、立ったままでいる伸子に、
「ああ、おとといニキーチナ夫人のところへ行きましたらね、どうしてあなたがたが来ないかと云っていましたよ」
「そうお――……」
「行かれたらいいですよ、なかなかいろいろの作家が来て興味がありますよ」
「ええ……ありがとう」
伸子は秋山宇一らしく、おとといのことづてをするのを苦笑のこころもちできいた。
ニキーチナ夫人は博言学者で、モスクの専門学校の教授だった。ケレンスキー内閣のとき文部大臣をしたニキーチンの夫人で、土曜会という文学者のグループをこしらえていた。瀬川雅夫が日本へ立つ三日前、瀬川・伸子という顔ぶれで、日本文学の夕べが催された。日本へ来たことのあるポリニャークが司会して、伸子は、短く、明治からの日本の婦人作家の歴史を話した。その晩、伸子は、絶えず自分のうしろつきが気にかかるような洋服をやめて、裾に刺繍のある日本服をきて出席した。
講演が終ると、何人かのひとが伸子に握手した。ニキーチナ夫人もそのなかの一人だった。伸子は夫人の立派なロシア風の顔だちと、学殖をもった年配の女のどっしりとした豊富さを快く感じた。ニキーチナ夫人は、鼻のさきが一寸上向きになっている容貌にふさわしいどこか
「あなたは大変よくお話しなさいましたよ」
と、はげました。
「わたしたちが知らなかった知識を与えられました。けれどね、おそらくあなたは、こういう場合を余り経験していらっしゃらないんでしょう」
伸子はありのまま答えた。
「日本では一遍も講演したことがありません。モスクでだって、これがはじめて」
「そうでしょう? あなたは、大へんたびたびキモノのそこのところを」
とニキーチナ夫人は、伸子の着物の上前をさした。
「ひっぱっていましたよ」
「あら。――そうだったかしら……」
「御免なさい、妙なことに目をとめて」
笑いながらニキーチナ夫人は鳶色ビロードの服につつまれた腕を伸子の肩にまわすようにした。
「そこについている刺繍があんまりきれいだからついわたしの目が行ったんです。そうすると、あなたの小さい手が、そこをひっぱっているんです」
ニキーチナ夫人は、伸子たちに、土曜会の仲間に入ることをすすめ、数日後には一緒に写真をとったりした。でも、土曜会とは、どういう人々の会なのだろう。伸子たちは、つい、行きそびれているのだった。秋山宇一は、おとといも行ったというからには、土曜会の定連なのだろう。
「この間は、珍しい人たちが来ていましたよ、シベリア生れの詩人のアレクセーフが。わたしに、あなたは、こういうところに坐っているよりも、むしろプロレタリア作家の団体にいる筈の人なのじゃないかなんて云っていましたよ」
こういう風に、秋山宇一は伸子に、いつも自分が経験して来た様々のことを、情熱をもって描いてきかせた。けれども、それは、きまって、自分だけがもう見て来てしまったこと、行って来てしまったところについてだった。そして、そのあとできまって秋山宇一は、
「是非あなたも行かれるといいですよ」
と云うのだったが、どういう場合にでもあらかじめ誘うということはしなかったし、この次は一緒に行きましょうとは云わなかった。また、こういう順序で、あなたもそれを見ていらっしゃいという具体的なことは告げないのだった。
ドーリヤに挨拶してその室を出ようとした伸子が、
「ああ、秋山さんたち、お正月、どうなさる?」
ドアの握りへ手をかけたまま立ちどまった。
「きょう大使館へ手紙をとりに行ったら、はり出しが出ていたことよ。元旦、四方拝を十一時に行うから在留邦人は出席するようにって――」
「――そうでしたか」
内海は黙ったまま、すっぱいような口もとをした。
「何だか妙ねえ――四方拝だなんて――やっぱりお辞儀するのかしら……」
困ったように、秋山は大きい眉の下の小さい目をしばたたいていたが、
「やっぱり出なけりゃなりますまいね」
ほかに思案もないという風に云った。
「モスクにいる民間人と云えば、われわれぐらいのものだし……何しろ、想像以上にこまかく観られていますからね」
ドーリヤのいるところで、秋山は云いにくそうに、云った。そして、残念そうに内海を見ながら、
「うっかりしていたが、そうすると、レーニングラードは三十一日にきり上げなくちゃなりますまいね」
秋山は国賓としての観光のつづきで、レーニングラードの
四階の自分の室へ戻る階段をゆっくりのぼりながら、伸子は、このパッサージというモスクの小ホテルに、偶然おち合った四人の日本人それぞれが、それぞれの心や計画で生きている姿について知らず知らず考えこんだ。素子も、随分気を張っている。秋山宇一も、何と細心に自分だけの土産でつまった土産袋をこしらえようと気をくばっていることだろう。秋山宇一は、日本の無産派芸術家である。その特色をモスクで鮮明に印象づけようとして、彼は、立場のきまっていない伸子たちと、あらゆる行動で自分を区別しているように思えた。同時に伸子たちには、彼女たちと秋山とは全く資格がちがい、したがって同じモスクを観るにしろ、全然ちがった観かたをもっているのだということを忘れさせなかった。その意識された立場にかかわらず、秋山宇一は大使館の四方拝については気にやんで、レーニングラードも早めに切り上げようとしている。秋山が短い言葉でこまかく観られているといったことの内容を直感するほどモスクに生活していない伸子には、秋山のその態度が、どっち側からもわるく思われたくない人のせわしなさ、とうけとれた。伸子は、日本にいるときからロシア生活で、ゲ・ペ・ウのおそろしさ、ということはあきるほどきかされて来ていたが、日本側のこまかい観かたの存在やその意味方法については、ひとことも話されるのをきいていなかった。
階段に人気のないのを幸い、伸子は紫羽織のたもとを片々ずつつかんだ手を、右、左、と大きくふりながら、一段ずつ階段をとばして登って行った。二人しかいないホテルの給仕たちは、三階や四階へものを運ぶとき、どっさりものをのせた大盆をそばやの出前もちのように逆手で肩の上へ支え、片手にうすよごれたナプキンを振りまわしながら、癇のたった眼つきで、今伸子がまねをしているように一またぎに二段ずつ階段をとばして登った。
その年の正月早々、藤堂駿平がモスクへ来た。これは、伸子たちにとっても一つの思いがけない出来事だった。三ヵ月ばかり前、旅券の裏書のことで、伸子が父の泰造と藤堂駿平を訪ねたときには、そんなけぶりもなかった。藤堂駿平の今度の旅行も表面は個人の資格で、日ソ親善を目的としていた。ソヴェト側では、大規模に歓迎の夕べを準備した。その報道が新聞に出たとき、秋山宇一は、
「到頭来ましたかねえ」
と感慨ふかげな面もちであった。
「この政治家の政治論は妙なものでしてね、よくきいてみればブルジョア政治家らしく手前勝手なものだし、近代的でもないんですが、日本の既成政治家の中では少くとも何か新しいものを理解しようとするひろさだけはあるんですね。ソヴェトは若い国で、新しい文化をつくる活力をもっている。だから日本は提携しなければならない。――そういったところなんです」
そして、彼はちょっと考えこんでいたが、
「いまの政府がこの人を出してよこした裏には満蒙の問題もあるんでしょうね」
と云った。
こっちへ来るについて旅券のことで世話になったこともあり、伸子は藤堂駿平のとまっているサヴォイ・ホテルへ敬意を表しに行った。
金ぶちに浮織絹をはった長椅子のある立派な広い室で、藤堂駿平は多勢の人にかこまれながら立って、葉巻をくゆらしていた。モーニングをつけている彼のまわりにいるのは日本人ばかりだった。控間にいた秘書らしい背広の男に案内されて、彼のわきに近づく伸子を見ると、藤堂駿平は、鼻眼鏡をかけ、くさびがたの
「やあ……会いましたね」
と東北なまりの響く明るい調子で云った。
「モスクは、どうです? 気に入りましたか。――うちへはちょいちょい手紙をかきますか?」
伸子が、簡単な返事をするのを半分ききながら、藤堂駿平は鼻眼鏡の顔を動かしてそのあたりを見まわしていたが、むこうの壁際で四五人かたまっている人々の中から、灰色っぽい交織の服を着て、いがくり頭をした五十がらみの人をさしまねいた。
「伸子さん。このひとは、漢方のお医者さんでね。このひとの薬を私は大いに信用しているんだ。紹介しておいて上げましょう。病気になったら、是非この人の薬をもらいなさい」
漢方医というひとに挨拶しながら伸子は思わず笑って云った。
「おかえりまでに、わたしがするさきの病気までわかると都合がいいんですけれど」
藤堂駿平のソヴェト滞在はほんの半月にもたりない予定らしかった。
「いや、いや」
灰色服をきたひとは、一瞬医者らしい視線で伸子の顔色を見まもったが、
「いたって御健康そうじゃありませんか」
と言った。
「わたしの任務は、わたしを必要としない状態にみなさんをおいてお置きすることですからね」
誰かと話していた藤堂駿平がそのとき伸子にふりむいて、
「あなたのロシア語は、だいぶ上達が速いそうじゃないか」
と云った。伸子は、自分が文盲撲滅協会の出版物ばかり読んでいることを話した。
「ハハハハ。なるほど。そういう点でもここは便利に出来ている。――お父さんに会ったら、よくあなたの様子を話してあげますよ。安心されるだろう」
その広い部屋から鍵のてになった控間の方にも、相当の人がいる。みんな日本人ばかりで、伸子はモスクへ来てからはじめて、これだけの日本人がかたまっているところをみた。小規模なモスク大使館の全員よりも、いまサヴォイに来ている日本人の方が多勢のようだった。藤堂駿平のそばから控間の方へ来て、帰る前、すこしの間を椅子にかけてあたりを眺めていた伸子のよこへ、黒い背広をきた中背の男が近づいて来た。
「失礼ですが――佐々伸子さんですか?」
「ええ」
「いかがです、モスクは――」
そう云いながら伸子のよこに空いていた椅子にかけ、その人は名刺を出した。名刺には比田礼二とあり、ベルリンの朝日新聞特派員の肩がきがついていた。比田礼二――伸子は何かを思い出そうとするような眼つきで、やせぎすの、地味な服装のその記者を見た。いつか、どこかで比田礼二という名のひとが小市民というものについて書いている文章をよんだ記憶があった。そして、それが面白かったというぼんやりした記憶がある。伸子は、名刺を見なおしながら云った。
「比田さんて……お書きになったものを拝見したように思うんですけれど――」
「…………」
比田は、苦笑に似た笑いを浮べ、口さきだけではない調子で、あっさりと、
「あんなものは、どうせ大したもんじゃないですがね――」
と云った。
「あなたのモスク観がききたいですよ」
「……なにかにお書きになるんじゃ困るわ、わたしは、ほんとに何にもわかっていないんだから」
「そういう意味じゃないんです。ただね、折角お会いしたから、あなたのモスク印象というものをきいてみたいんです」
「モスクというところは、不思議なところね。ひとを熱中させるところね――でも、わたしはまだ新聞ひとつよめないんだから……」
はじめ元気よく喋り出して、間もなく素直に悄気た伸子を、その比田礼二という記者は、いかにも愛煙家らしい象牙色の歯をみせて笑った。
「新聞がよめないなんてのは、なにもあなた一人のことじゃないんだから、心配御無用ですよ。――ところで、モスクのどういう所が気に入りましたか? 新しいところですか――古さですか」
「私には、いまのところ、あれもこれも面白いんです。たしかにごたついていて、そのごたごたなりに、じりじり動いているでしょう? 大した力だと思うんです。何だか未来は底なしという気がするわ。――ちがうかしら……」
「…………」
「空間的に最も集約的なのはニューヨーク。時間的に最も集約的なのがモスク……」
比田は、ポケットから煙草ケースをとり出して、ゆっくり一本くわえながら、
「なるほどね」
と云った。そして、すこしの間だまっていたが、やがて、
「ところで、あなたはロシアの鋏ということがあるのを御存じですか」
ときいた。伸子は、そういうことばを、きいたことさえなかった。
「つまりあなたの云われる、ロシアの可能性の土台をなすもんなんですがね。ロシアは昔っから、ヨーロッパの穀倉と云われて来たんです。ロシアは、自分の方から主として麦を輸出して、その代りに外国から機械そのほかを輸入して来ていたんですがね、この交互関係――つまり鋏のひらきは、あらゆる時代に、ロシアの運命に影響しました。帝政時代のロシアは、その鋏の柄を大地主だった貴族たちに完全に握られていましてね。連中は、ロシア貴族と云えばヨーロッパでも大金持と相場がきまっていたような暮しをして、そのくせ、農業の方法だって実におくれた状態におきっぱなしでね。石油、石炭みたいなものだって、半分以上が外国人の経営だった、利権を売っちゃって。――そんな状態だからロシアの民衆は、自分たちの無限の富の上で無限貧乏をさせられていたわけなんです。――宝石ずくめのインドの王様と骸骨みたいなインドの民衆のようなものでね」
儀礼の上から藤堂駿平を訪問したサヴォイ・ホテルのバラ色絹の張られた壁の下で、比田礼二に会ったことも思いがけなかったし、更にこういう話に展開して来たことも、伸子には予想されないことだった。
「この頃のモスクでは、どこへ行ったっていやでも見ずにいられないインダストリザァツィア(工業化)エレクトリザァツィア(電化)という問題にしたってね。云おうと思えばいくらでも悪口は云えますよ。たしかに、先進国では、そんなことはとっくにやっちまっているんですからね――しかし、ロシアでは意味がちがう。これが新しいロシアの可能を決定する条件なんです。ともかく、まずロシアは一応近代工業の世界的水準に追いついてその上でそれを追い越さなくちゃ、社会主義なんて成りたたないわけですからね。『追いつけ、追いこせ』っていうのだって、ある人たちがひやかすように、単なるごろあわせじゃないわけなんです」
人間ぽい知的な興味でかがやいている比田礼二の眼を見ながら、伸子は、このひとは、何とモスクにいる誰彼とちがっているだろうと思った。それは快く感じられた。
モスクにいる日本人の記者にしろ、役人にしろ、伸子が会うそれらの人々は、一定の限度以上にたちいっては、ロシアについて話すことを避けているような雰囲気があった。その限度はきわめて微妙で、またうち破りにくいものだった。
伸子は、知識欲に燃えるような顔つきになって、
「あなたのお話を伺えてうれしいわ」
と云った。
「それで――?」
「いや、別に、それで、どういうような卓見があるわけじゃありませんがね」
比田礼二は、それももちまえの一つであるらしい一種の自分を
「――革命で社会主義そのものが完成されたなんかと思ったらとんでもないことさ――ロシアでだって、やっと社会主義への可能、その条件が獲得されたというだけなんです。しかも、その条件たるや、どうして、お手飼いの
それは、伸子にもおぼろげにわかることだった。ドン・バスの事件一つをとりあげても、比田礼二のはなしの意味が実証されている。
「これだけのことを、日本語できかして下すったのは、ほんとに大したことだわ」
伸子は、友情をあらわして、比田に礼を云った。
「わたしはここへ来て、随分いろいろ感じているんです。つよく感じてもいるの――」
もっともっと、こういう話をきかせてほしい。口に出かかったその言葉を、伸子は、変な
「気に入ろうと入るまいと、地球六分の一の地域で、もう実験がはじまっているのが事実なんですがね」
彼はぽつりぽつりと続けた。
「――人間て奴は、よっぽどしぶとい動物と見えますね、理窟にあっているというぐらいのことじゃ一向におどろかない」
彼は人間の愚劣さについて忍耐しているような、皮肉に見ているような複雑な微笑を目の中に閃かした。
「見ようによっちゃ、まるで、狼ですよ。強い奴の四方八方からよってたかって噛みついちゃ、強さをためさずには置かないってわけでね」
そのとき、人々の間をわけて、肩つきのいかつい一人の平服の男が、二人のいる壁ぎわへよって来た。
「――えらく、話がもてているじゃないか」
その男は、断髪で紺の絹服をつけている伸子に、女を意識した長い一瞥を与えたまま、わざと伸子を無視して、比田に向って高飛車に云いかけた。
比田はだまったまま、タバコをつけなおしたが、その煙で目を細めた顔をすこしわきへねじりながら、
「まあ、おかけなさい」
格別自分のかけている椅子をどこうともしないで云った。三人はだまっていた。すると、比田がその男に、
「――飯山に会われましたか」
ときいた。
「いいや」
「あなたをさがしていましたよ」
「ふうむ」
なにか思いあたる節があるらしく、その男は比田から火をもらったパイプをくわえると、大股に広間の方へ去った。
「何の商売かしら――あのかた……」
そのうしろ姿を目送しながら伸子がひとりごとのように云った。
「軍人さん、ですよ」
やっぱりその肩のいかつい男のうしろ姿を見守ったまま、伸子の視線は、スーと絞りを狭めたようになった。秋山宇一が、われわれは、こまかく見られている、と云った、そのこまかい目は、こういう一行のなかにもまぎれこんでいるのだろうか。
伸子は、やがてかえり仕度をしながら、
「ここよりベルリンの方がよくて?」
と比田礼二にきいた。
「さあ、ここより、と云えるかどうかしらないが、ベルリンも相当なところですよ、このごろは。――ナチスの動きが微妙ですからね。――いろいろ面白いですよ。ベルリンへはいつ頃来られます?」
「まるで当なしです」
「是非いらっしゃい。ここからはたった一晩だもの。――案内しますよ。僕が忙しくても、家の奴がいますから……」
「御一緒?」
「――ドイツで結婚したんです」
その室の入口のドアまで送り出した比田礼二と、伸子は握手してわかれた。
藤堂駿平の一行で占められているサヴォイ・ホテルの奥まった一画から、おもての方へ深紅色のカーペットの上を歩いて行きながら、伸子は、モスクにいる同じ新聞の特派員の生活を思いうかべた。その夫婦は、モスクの住宅難からある邸の温室を住宅がわりにして、そのガラス張りの天井の下へ、ありとあらゆるものをカーテン代りに吊って、うっすり醤油のにおいをさせながら暮しているのだった。
棕梠の植込みで飾られたホテルの広間から玄関へ出ようとするところで、
「おお、サッサさん、おめにかかれてうれしいです」
モスクには珍しい鼠色のソフトを、前の大きくはげた頭からぬぎながら伸子に向って近よって来るクラウデに出あった。一二年前、レーニングラードの日本語教授コンラード夫妻が東京へ来たとき、ひらかれた歓迎会の席へ、日本語の達者な外交官の一人としてクラウデも出席していた。黒い背広をどことなしタクシードのような感じに着こなして、ほんとに三重にたたまってたれている顎を七面鳥の肉髯のようにふるわしながら
ところが、伸子がこっちへ来てから間もないある晩、芸術座の廊下で声をかけた男があった。それがクラウデであった。三重にたたまっておもく垂れた顎をふるわしてものをいうところは元のままであったが、そのときのクラウデには、東京で逢ったときの、あの居心地わるいほどつるつるした艷はなくなっていた。彼の着ている背広もあたりまえの背広に見えた。クラウデはまた日本文学の夕べにも来ていた。そして、いま、またこのサヴォイ・ホテルの廊下で出あったのだった。クラウデは、愛嬌のいい調子で、
「モスクの冬、いかがですか」
と云った。
「あなたのホテルは煖房設備よろしいですか」
「ええ、ありがとう。わたしは、冬はすきですし、スティームも大体工合ようございます。あなたは、日本の冬を御存じだから……」
伸子はすこし別の意味をふくめて、ほほ笑みながら云った。
「日本の雪見の味をお思い出しになるでしょう?」
「おお、そうです。ユキミ――」
クラウデは、瞬間、遠い記憶のなかに浮ぶ絵と目の前の生活の動きの間に板ばさみになったような眼つきをした。しかしすぐ、その立ち往生からぬけ出して、クラウデは、
「サッサさん、是非あなたに御紹介したいひとがあります。いつ御都合いいでしょうか」
と云った。伸子は語学の稽古や芝居へゆく予定のほかに先約らしいものもなかった。
「そうですか、では、木曜日の十五時――午後三時ですね、どうかわたしのうちへおいで下さい」
クラウデは小さい手帖から紙をきりとって伸子のために自分の住所と地図をかいてわたした。
ボリシャーヤ・モスコウスカヤと並んで、大きく古びたホテル・メトロポリタンの建物がクレムリンの外壁に面してたっていた。約束の木曜日に、伸子はその正面玄関の黒くよごれた鉄唐草の車よせの下から入って行った。もとはとなりのボリシャーヤ・モスコウスカヤのように派手な外国人向ホテルだったものが、革命後は、伸子の知らないソヴェトの機関に属す一定の人々のための住居になっている模様だった。受付に、クラウデの書いてよこした室番号を通じたら、そこへは、建物の横をまわって裏階段から入るようになっていた。伸子は、やっとその説明をききわけて、大きい建物の外廓についてまわった。
積った雪の中にドラム罐がころがっているのがぼんやり見える内庭に向って、暗い階段が口を見せていた。あたりは荒れて、階段は陰気だった。冬の午後三時と云えば、モスクの街々にもう灯がついているのに、ホテルの裏階段や内庭には、灯らしい灯もなかった。伸子は、用心ぶかくその暗い階段を三階まで辿りついた。そこで、踊り場に向ってしまっている重い防寒扉を押して入ると、そこは廊下で、はじめて普通の明るさと、人の住んでいる生気が感じられた。でも、どのドアもぴったりとしまっていて、あたりに人気はない。伸子は、ずっと奥まで歩いて行って、目ざす番号のドアのベルを押した。靴の音が近づいて来て、ドアについている戸じまりの鎖をはずす音がした。ドアをあけたのはクラウデであった。
「こんにちは――」
「おお、サッサさん! さあ、どうぞおはいり下さい」
そういうクラウデの言葉づかいはいんぎんだけれども、上着をぬいで、カラーをはだけたワイシャツの上へ喫煙服をひっかけたままであった。クラウデは日本の習慣を知っている。日本の習慣のなかで女がどう扱われているかということを知りぬいている外国人であるだけ、伸子はいやな気がして、
「早く来すぎたでしょうか」
ドアのところへ立ったまま少し意地わるに云った。
「たいへんおいそがしそうですけれど……」
「ああ、失礼いたしました。書きものをしていまして……」
クラウデは、腕時計を見た。
「お約束の時間です――どうぞ」
伸子を、窓よりの椅子に案内して自分は、二つのベッドが並んでおかれている奥の方へゆき、そっちで、カラーをちゃんとし上衣を着て、戻って来た。
「よくおいで下さいました。いまじき、もう一人のお客様も見えるでしょう」
クラウデの住んでいるその室というのは奇妙な室だった。大きくて、薄暗くて、二つのベッドがおいてあるところと、伸子がかけている窓よりの場所との間に、何となし日本の敷居や鴨居でもあるように、区分のついた感じがあった。窓の下に暮れかかった雪の街路が見え、アーク燈の蒼白い光がうつっている。窓から見える外景が一層この室の内部の薄暗さや、雑然とした感じをつよめた。黙ってそこに腰かけ、窓のそとを眺めている伸子に、クラウデは、
「わたしは、ここにブハーリンさんのお父さんと住んでいます」
と云った。
「ブハーリンさん、御存じでしょう? あのひとのお父さんがこの室にいます」
伸子はあきらかに好奇心を刺戟された。伸子がよんだたった一つの唯物史観の本はブハーリンが書いたものであったから。
「ブハーリンの本は、日本語に翻訳されています」
伸子は、ちょっと笑って云った。
「お父さんのブハーリンも、やっぱり円い頭と円い眼をしていらっしゃいますか?」
単純な伸子の質問を、クラウデは、何と思ったのかひどく真面目に、
「ブハーリンさんのお父さんは立派な人ですよ」
と、なにかを訂正するように云った。
「わたしたちは、一緒に愉快に働いています」
しかし、伸子はちっとも知らないのだった、三重顎のクラウデが、現在モスクでどういう仕事に働いているのか。――
クラウデは、ちょいちょい手くびをあげて時計を見た。
「サッサさん、もうじき、もう一人のお客様もおいでになります。わたくし、用事があって外出します。お二人で、ごゆっくり話して下さい。……それでよろしいでしょう?」
クラウデにとってそれでよいのならば、伸子は格別彼にいてもらわなくては困るわけもなかった。
「いま来るお客さま、中国のひとです。女の法学博士です」
そのひとが伸子に会おうという動機は何なのだろう。
「でも、わたしたち――そのかたとわたし、どういう言葉で話せるのかしら――わたしのロシア語はあんまり下手です」
「そのご心配いりません。英語、達者に話します」
また時計をみて、クラウデは椅子から立ち上った。
「御免下さい。もう時間がありませんから、わたくし、失礼して仕度いたします」
薄暗い奥の方で書類らしいものをとりまとめてから、クラウデは低い衣裳箪笥の前へもどって来た。そこの鏡に向って、禿げている頭にのこっている茶色の髪にブラッシュをかけはじめた。はなれた窓ぎわに、クラウデの方へは斜めに背をむけて伸子がかけている。その目の端に思いがけないピノーのオー・ド・キニーヌの新しい瓶が映った。伸子は
「ああ、お客様でしょう」
出て行ったクラウデは、やがて一人の茶色の大外套を着た女のひとを案内して戻って来た。襟に狼の毛のついた外套をぬぎ、頭をつつんでいた柔かい黒毛糸のショールをとると、カラーのつまった服をつけた四十近い婦人が現れた。男も女も頬っぺたが赧くて角ばった体つきのひとが多いこのモスクで、その中国婦人の沈んだクリーム色の肌や、しっとりと撫でつけられた黒い髪は伸子の目に安らかさを与えた。
時間を気にしているクラウデは、あわただしくその中国婦人と伸子とをひきあわせた。
「リン博士です。このかたの旦那様、やっぱり法学博士で、いまはお国へかえっておられます」
リンという婦人に、クラウデはロシア語で紹介した。
「お話しした佐々伸子さん。日本の進歩的な婦人作家です」
そして、リン博士と伸子とが握手している間に、
「では、どうぞごゆっくり」
と、クラウデは、外套を着て室から出て行った。
やっと、きょうここへ来た目的がはっきりして、同じ薄暗く、ごたついた室にいても伸子は気が楽になった。伸子は、ほぐれくつろいでゆく心持から自然に、にっこりして、リン博士を見た。
「…………」
伸子の人なつこいその気分を、聰明らしい落付いた眼のなかにうけとって、リン博士も年長の婦人らしく、笑みをふくんだ視線で伸子を見ながら、
「さて――私たちは何からお話ししたらいいでしょうね」
と云った。明晰で、同時に対手に安心を与える声だった。伸子はこのひとが若いものを扱いなれていることを直感した。モスクの孫逸仙大学にはどっさり中国から女学生が来ていた。黒いこわい髪を首の短い肩までバサッと長いめの断髪に垂して、鳥打帽をかぶっている中国の女学生たちを、伸子もよく往来で見かけた。中国では革命家たちに対して残酷で血なまぐさい復讐が加えられていたから、モスクへ来て勉強している娘たちの顴骨のたかい浅黒い顔の上にも、若い一本気な表情に加えてどこやら独特の緊張があった。中国女学生たちのそういう表情のつよい顔々は、並木道に立って色糸でかがった毬を売っている纏足の中国の女たちの顔つきと全くちがっていたし、半地下室に店をもっている洗濯屋のおかみさんである中国の女たちともまるでちがった、新しい中国の顔であった。リン博士は、それらの中国のどの顔々ともちがう落つきと、深みと、いくらかの寂しみをもってあらわれている。
リン博士は、孫逸仙大学の教授かもしれない。ほとんどそれは間違なく思えた。けれども、自分が政治的な立場を明かにもっていないのに、あいてにばかりそんなことについて質問するのは無礼だと思えた。伸子は、
「ミスタ・クラウデは、あなたに私を、どう紹介して下すっているのでしょう」
かいつまんで、自分のことを話した。モスクへ来て、ほんの少ししか経っていないこと。モスクへは、観て、そして学ぶために来ていること、など。――
「あなたの計画はわるくありませんね。だれでも、一番事実からつよい影響をうけますからね」
リン博士はニューヨークにある大学の政治科を卒業して、そこの学位をもっているということだった。伸子の記憶に、まざまざと、その大学のまわりで過した一年ほどの月日の様々な場面が甦った。大図書館の大きな半円形のデスクに、夜になると、緑色シェードの読書用スタンドが数百もついていた光景。楡の木影がちらつく芝生に遊んでいた
「ああ――それは、わたしたちが国へかえるすこし前のことでした」
わたしたちと複数で云われたことが、伸子の耳にとまった。リン博士は夫妻でアメリカにいたのだろうか。
「私たちも、モスクへ来てまだ長くはないんですよ。――私たちは去年来たんですから」
ボロージンが、武昌から引あげたのも去年のことであった。――伸子には段々、この経歴のゆたからしいリン博士に向いあって自分が坐っている意味がわからなくなって来た。クラウデは、どういうつもりで、リン博士を伸子に紹介したのだろう。リン博士の話しぶりには、親愛なこころもちが流れているけれども、クラウデに云われてここで伸子に会うために来ていることは、あきらかである。伸子は、リン博士と自分との間にあり得るいくつかの場合を考えているうちに、ひとつのことに思い当って、益々困惑した。もしかしたらリン博士は、何か伸子がうちあけて相談しなければならない真面目な問題をもっているように理解したのではなかろうか。たとえば合法的に旅券をもって来ているが、何かの形で政治的な活動にふれたいとでもいうような。そして、それが切り出されるのを待って、スカートのあたりのゆったりひろがった姿勢でテーブルによりながらこうして話しているのではなかろうか。さもなければ、その身ごなしをみても一日じゅうの仕事の予定をきっちり立てて活動しているらしいリン博士が、わざわざこの薄暗くて、お茶さえもないメトロポリタンの一室へ来て、伸子ととりとめない話をしようとは思えないのであった。どうしたらいいだろう。伸子は、さしあたってリン博士にうちあけて相談しなければならないようなどんな問題ももっていなかった。額のひろい色白で、眉と眉との間の明るくひらいている伸子の顔に、理解力と感受性のゆたかさはあっても、明確に方向のきまった意志の力はよみとれない。伸子の内心の状態も、彼女のその表情のとおり軟かくて、きまっていなかった。伸子が自覚し、意志しているのは、よく生きたいということだけだった。伸子は、こまって、また自分についての説明に戻って行くしかなかった。伸子はやや唐突に云いだした。
「わたしには、政治的な知識も、政治的な訓練もありません――社会の矛盾は、つよく感じているけれども」
リン博士は、前おきもなしにいきなりそんなことを云いだした伸子の顔を平静な目でちょっと眺めていたが、
「わたしたちの国の文学者も、つい最近まではそうでしたよ」
おだやかにそう云った。そして、考えている風だったが、ほっそりした形のいい腕をテーブルの上にすこし深く置きなおすようにして、リン博士は伸子にきいた。
「――モスクはどうでしょう……モスクの生活は、あなたを変えると思いますか?」
こんなに煮えている鍋のなかで、変らずにいられるものがあるだろうか。
「モスクは煮えています。――誰だって、ここでは煮られずには生きられません」
ひとこと毎に自分をたしかめながら、のろのろ口をきいていた伸子は、
「でもね、リン博士」
へだてのない、信頼によってうちとけた態度で云った。
「いつでも、すべての人が、同じ時間に、同じように煮えるとは限らないでしょう?」
「…………」
「わたしは、わたしらしく煮えたいのです。いるだけの時間をかけて――必然な過程をとおって――」
しばらく黙って、伸子の云ったことを含味していたリン博士は、右手をのばして、テーブルの上で組み合わせている伸子の、ふっくりとして先ぼその手をとった。
「――あなたの道をいらっしゃい。あなたは、それを発見するでしょう」
二人はそれきり、黙った。窓の外の宵闇は濃くなって、アーク燈の蒼白い光の下を、いそぎ足に通る人影が雪の上に黒く動く。その景色に目をやったまま、リン博士がほとんど、ひとりごとのようにしんみりとつぶやいた。
「――わたしたちの国の人たちと、あなたの国の人たちと、どっちが苦しい生活をしているんでしょうね」
リン博士の言葉は、しずかで、柔らかくて、心にしみる響があった。伸子は、自分が、リン博士との話の間で、はじめからしまいまで、わたし、わたし、とばかり云っていたことに気づき、自分というものの存在のせまさが急に意識された。そして伸子は、はずかしさを感じた。
けれどもリン博士は、きいている伸子のこころがそんなに激しく動かされたことに心づかなかったらしく窓の外の雪の宵景色を眺めたまま、
「中国の民衆には、大きい、巨大と云ってもいいくらいの可能がかくされています――男にも、もちろん女にも。――ところが中国の人々は、まだその可能性を自覚しないばかりか、それを自覚する必要さえ理解していないんです」
ふっと、情愛のこもった笑顔を伸子に向けて、リン博士は、
「あなた、孫逸仙大学の女学生たちを見ましたか?」
ときいた。
「あの娘たち――みんなほんとに若くて、未熟でさえあるけれど、熱意にあふれているんです。――可愛い娘たち――そう思いませんか?」
その Don't you think so ?(そう思いませんか)というききかたには、どんなひとも抵抗できないあたたかさと、思いやりとがこもっている。ほんとに、黒い髪をしたあの娘たちは、国へかえって中国の人々の自由のためにたたかって、いつまで生きていられるだろう。伸子は彼女たちの生活を厳粛に思いやった。リン博士の声には、短く、熱烈な若い命を限りなく評価する響があった。
ホテル・メトロポリタンのうすよごれた暗い裏階段から、伸子はアーク燈に照らされている雪の街路へ出た。リン博士との会見は不得要領に終ったようでありながら、伸子のこころに、これまで知らなかった人の姿を刻みつけた。リン博士のすんなりとした胸のなかには、そこをひらくと深い愛につつまれながら幾百幾千の中国の人々が、黒いおかっぱを肩に垂らした女学生もこめて、生きている。それにくらべて、自分の白いブラウスの胸をさいて見たとして、そこから何が出て来るというのだろう。先ず、わたし。それから佃や動坂の一家列。――しかもそれが、幾百幾千の人々の運命と、どうつながっているというのだろう。伸子は、防寒靴の底にキシキシと
一月にはいると、モスクでは快晴がつづいた。冬の青空がたかく晴れわたった下に、風のない真冬の日光が、白雪につつまれた屋根屋根、雪だまり、凍った並木道の樹々を、まばゆく、ときには桃色っぽく、ときには水色っぽく、きらめかせた。
モスク河の凍結もかたくなった。雪の深い河岸から眺めると、数株の裸の楊の木が黒く見えるこっち側の岸から、小さな小屋のようなものがポッツリと建っているむこう岸まで、はすかいに細く黒く、一本の踏つけ道が見えた。凍った河づらの白雪の上に黒い線に見える横断道の先で、氷滑りをしている人影が動いた。人影は雪の上で黒く小さく見えた。
この季節になってから、赤い広場の景色に風致が加った。トゥウェルスカヤ通りが、クレムリン外壁の一つの門につきあたる。漆喰の古びた奥ゆきのふかいその門のアーチのぐるりには、毎日、雪の上に露店が出ていた。どこでもそうであるとおり、先ず向日葵の種とリンゴ売。靴みがき。エハガキ屋。粗末なカバンや、原始的な色どりのコーカサス絹のカチーフを並べて売っているもの。門のまわりはこみあっていて、裾長の大外套をきた赤軍の兵士だの、鞣外套のいそがしそうな男女、腕に籠を下げて、ゆっくりと何時間でも、店から店へ歩いていそうなプラトークのお婆さん。なかに交って、品質はいいけれども不器用に仕立てられた黒い外套をつけた伸子のような外国人までもまじって流れ動いているのだが、伸子は、いつも、この門のアーチを境にして、その内と外とにくりひろげられている景色の対照の著しさに興味をもった。アーチをくぐりぬけて、白雪におおわれた広場の全景があらわれた途端、その外ではあんなに陽気に動いていた人ごみは急に密度を小さくして、広場には通行人のかげさえまばらな寂しい白い真冬がいかめしかった。
韃靼風に反りのある矛形飾りのついたクレムリンの城壁が広場の右手に高くつづき、その城壁のはずれに一つの門があった。そこに時計台が聳えていた。その時計台から夜毎にインターナショナルのメロディが響いて、こわれた屋根を見おろす伸子のホテルの窓へもつたわった。クレムリンの城壁からは、そのなかに幾棟もある建物の屋根屋根の間に、高く低く林立という感じで幾本もの黄金の十字架がきらめいていた。広場のつき当りに、一面平らな雪の白さに挑むように、紅白に塗りわけられたビザンチン教会がふくらんだ尖塔と十字架とで立ち、そのかたわらに、こっちの方はしぶい黄と緑で菊目石のようにたたみあげられた古い教会が並んでいる。これらの教会は十六七世紀につくられたものだった。広場の左側には、どっしりとした役所風の建築がつらなっていてその建物の数百の窓々が赤い広場を見おろしていた。
広場の雪に、二本の踏つけ道が、細く遠くとおっている。一本はトゥウェルスカヤ通りの方から来た通行人が、歴史博物館の赤煉瓦の建物のよこから、レーニン廟の前をとおり、広場をよこぎって、時計台の下からモスク河岸へ下りてゆく道。もう一本は、双曲線を描いて、左側の大建築の下につけられているアーチから、支那門とよばれているクレムリンに相対するもう一つの門へ出てゆく道。白い雪の上に、二本の踏つけ道は細い糸のように見えた。まばらに、そこを通る人々は、一列になって、踏つけ道の上をいそいだ。
伸子は、この雪の広場の全景がすきだった。
赤い広場の白雪の中に、円形の石井戸のようなものが灰色に突ったっていた。そのそばへ行く人はないから、その円形の石井戸のぐるりの雪は降りつもったままの厚さと、白さとできらめいている。遠くからは見えないけれども、その浅い石井戸のようなものの中に、あんまり高くない石の台があった。丁度、大きい男がひざまずいてのばした首がのるぐらいの高さで、――そして、太い鎖がたぐまって、その台の下に落ちていた。ここが、昔モスクがロシアの首都であった時分しばしばつかわれた有名な
ひろい雪の上でさえぎるものない視線に、この首の座とクレムリンの城壁から林立している金の十字架の頂きを眺めあわせると、伸子は、いつも激しい叙事詩の感銘にうたれた。代々、いろんな人たちが、名のないステンカ・ラージンやプガチョフとしてこの首の座へ直らされるとき、この広場には、四方の門から、どんなにぎっしり群集が集って来たことだろう。みんなは首を斬られなければならない人物をあわれがり、自分たちの大きく正直な肉体にその恐怖と痛みを感じ、いくたびも胸に十字をきりながら、息をころして無残ないちぶしじゅうを凝視しただろう。その群集の訴えに向って、血の流されている首の座に向って、クレムリンの住人ツァーの一族がふりかざしたものは林立する十字架だった。モスク河への道も有平糖細工のような二つの大教会でふさがれている。この広場にたぎった思いにこたえる人間らしいものは、どこにも見あたらない。
どこの国の都でも、そこの広場には民衆の歴史のものがたりがつながっている。それだからこそ広場は面白く、あわれに、生きている。雪に覆われた赤い広場を眺めていると、ここには濃い諧調と美とがあって、伸子は、抑えられつづけた人間の執拗な
その日は、珍しく素子も一緒に散歩に出た。素子と伸子の二人は、トゥウェルスカヤ通りが終って、クレムリンの門へかかる手前で、一軒の菓子屋へよって、半ポンドの砂糖菓子を買った。そんな買物をするのは素子として滅多にないことだった。
「ちょっと、一つだけ」
伸子は紙袋から、
いかにも晴れやかな
「やっぱりここの景色は味があるね」
と広場のはずれに立って、あちこち眺めわたした。そして、城壁に沿って足場めいたものの見えるレーニン廟へと目をとめた。
「一向工事がはかどってないじゃないか」
レーニンの遺骸を、その姿のままに保存して、公開していたレーニン廟は、伸子たちがモスクへ来たころから修繕にとりかかって、閉鎖されていた。
「なおったら見るかい?」
「なにを?」
「レーニン廟というものを、さ。――世界名物の一つですよ」
素子は、いつもの皮肉な笑いかたをして伸子をみた。
「わたしは、見ない」
笑おうともしないで、遠いそっちを見つめながら伸子が答えた。
「――気味がわるい――それに変だわ。――レーニンは、死んでるから、うるさくないかもしれないけれど……」
「これだけの仕事をやっていながら、あんな子供だましみたいなこと、やめちまえばいいのさ。――これだからわるくちを云われるんだ」
二人は、支那門へ向う踏つけ道を行った。「サトコ」のオペラの舞台が見せるように、諸国からモスクへと隊商たちが集った昔には、この辺に蒙古を横切ってやって来た粘りづよい支那商人のたむろ場所があったのだろうか。支那門のわきにも、いろんな露店が出ていた。こちらには食糧品が多かった。バケツに入れたトワローグ(クリームのしぼりかす)などまで売っている。素子と伸子とはそういう品々を見て歩き、素子は素子らしく、ホテル暮しでは買ってもしかたのない鶏一羽の価をきいたりした。そして、一人のリンゴ売りの前へ来かかった。年とったその男は、ものうげに小さい木の台へ腰をおろして、山形につみ上げたリンゴを売っていた。ちょっと肩のはった形で、こいクリーム色の皮に、
「うまそうなリンゴだね」
と立ちどまって見ていたが、
「パチョム(いくら)?」
くだけたねだんのききかたをした。リンゴ売は、ろくに開けていないような瞼の間から、ぬけめなく、価をきいているのがロシアの女でないことを認めたとみえ、
「八十五カペイキ」
わざとらしいぶっきら棒さで答えた。
「そりゃ、たかい」
素子が、こごみかかって果物を手にとってしらべながら、ねぎりはじめた。
「七十五カペイキにしておきなさい。七十五カペイキなら六つ貰う」
素子が、買いもののときねぎるのは癖と云ってよかった。日本でも、一緒にいる伸子がきまりわるく感じるほど、よくねぎった。気やすめのようにでも価をひかれると、もうそれで気をよくして払った。あいにくモスクでは、辻待ちの橇も露天商人も、素子のその癖を刺戟する場合が多かった。伸子は、こういうことがはじまるとわきに立って、おとなしくかけあいを傍聴するのだった。
「さ、七十五カペイキ……いいだろう?」
リンゴ売は、いこじに、
「八十五カペイキ!」
と大きな声で固執した。
するとそのとき、リンゴ売と並んで、すぐ隣りの雪の上に布をかぶせてなかみのわからない籠をおいて、赤黄っぽい山羊皮外套の両袖口からたがいちがいに手をつっこんで指先を暖めながら、フェルトの長防寒靴をパタパタやってこのかけひきを見ていた若い一人の物売女が、かみ合わせた白い丈夫そうな前歯と前歯の間から、真似のできないからかい調子で、
「キタヤンキ!(支那女)」
と云った。はじめと終りのキの音に、女の子がイーをしたときそっくりの特別な鋭い響をもたせて。――
たちまち素子が、ききとがめた。リンゴ売の方は放り出して、
「何ていったのかい」
花模様のプラトークをかぶったその物売女につめよって行った。頬の赤く太ったその若い女は、素子にとがめられてちょっと不意をくらった目つきになったが、すぐ、前より一層挑戦的に、もっと、意識的に赤い唇を上下にひろげて、白い歯の間から、
「キタヤンキ」
と云った。近づいて行った素子の顔の真正面に向ってそう云って、ハハハハと笑った。笑ったと思った途端、素子の皮手袋をはめた手がその女の横顔をぶった。
「バカやろう!」
亢奮で顔色をかえた素子は、早口な日本語で罵り、女を睨んだ。
「ひとを馬鹿にしやがって!」
また日本語で素子はひと息にそう云った。あまりの思いがけなさに、瞬間、伸子は何がなんだかよくわからなかった。同じようにあっけにとられた物売女は、気をとり直すと、左手で、素子にぶたれた方の頬っぺたをおさえながら、右手を大きくふりまわして、
「オイ! オイ! オイ!」
自分の山羊皮外套の前をばたばた、はたきながら泣き声でわめきたてた。
「オイ! オイ! この女がわたしをぶったよウ。オイ! わたしに何のとががあるんだよう! オイ! オイ!」
若い物売女のわめき声で、すぐ四五人の人だかりが出来た。よって来た通行人たちは、わめいている女に近づいてよく見ようとして、素子をうしろへ押しのけるようにしながら輪になった。
「どうしたんだ」
低い声でひとりごとを云いながら、立ちどまるものもある。素子は、よって来る人だかりに押されて輪のそとへはみ出そうになりながら、急激な亢奮で体じゅうの神経がこりかたまったように、女を睨みすえたまま立っている。物売女は、一応人が集ったのに満足して、さて、これから自分をぶった女を本式に罵倒し、人だかりの力で復讐して貰おうとするように、頬っぺたを押えて、から泣きをしながら一息いれた。そのとき、女の背後の車道の方から、スーと半外套に鳥打をかぶった中年の男がよって来た。瘠せぎすで鋭いその男の身ごなしや油断のない顔つきが目についた
「はやく、どかなけりゃ!」
素子は、神経の亢奮で妙に動作が鈍くなり、そんな男がよって来たことも心づかず、伸子が力いっぱい引っぱって歩き出そうとするのにも抵抗するようにした。
「だめよ! 来るじゃないの!」
さいわい、物売女をとり巻いた人々は、
「エーイ、ホージャ!(ちゃんころ) ホージャ!(ちゃんころ)」
と、
伸子たちはやっと普通の歩調にもどった。そして、青く塗った囲いの柵が雪の下からのぞいている小公園のような植込みに沿ったひろい歩道をホテルの方へ歩きはじめた。このときになって、伸子は膝頭ががくがくするほど疲れが出た。力のかぎり素子をひっぱった右腕が、気もちわるく小刻みにふるえた。伸子は泣きたい気分だった。
「――つかまらせて……」
伸子の方がぐったりして、散歩の途中から気分でもわるくしたというかっこうで二人は室へ戻った。
帽子をベッドの上へぬぎすて、外套のボタンをはずしたまま、伸子はいつまでもベッドに腰かけて口をきかなかった。素子も並んでかけ、タバコを吸い、やっぱり何と云っていいか分らないらしく黙っている。伸子はまだいくらか総毛立った頬の色をして、苦しそうに乾いた唇をなめた。
「――お茶でも飲もう」
素子が立って行って、茶を云いつけ、それを注いで、伸子の手にもたせた。コップ半分ぐらいまでお茶をのんだとき、
「ああ、そうだ」
素子が、入口の外套かけにかけた外套のポケットから、往きに買った砂糖菓子を出して来た。二杯めの茶をのみはじめたころ、やっと伸子が、変にしわがれたような低い声で、悲しそうに、
「ああいうことは、もう絶対にいや」
と云った。
「…………」
「手を出すなんて――駄目よ! どんな理由があるにしろ……まして悪態をついたぐらいのことで――」
素子は、タバコの灰を茶の受皿のふちへおとしながら、しばらくだまっていたが、
「だって、人馬鹿にしているじゃないか。なんだい! あのキタヤンキって云いようは!」
物売がやったように、上と下とのキの音に、いかにも歯をむき出した響きをもたせて素子はくりかえした。
「だから、口で云えばいいのよ」
「口なんかで間に合うかい!」
それは、素子独特の率直な可笑しみだった。伸子は思わず苦笑した。
「だって、ぶつなんて……どうして?」
支那の女という悪口が、それほど素子を逆上させる、その癇のきつさが、伸子にはのみこめないのだった。
「そりゃ、ぶこちゃんは品のいい人間だろうさ。淑女だろうさ。わたしはちがうよ――わたしは、日本人なんだ……」
「だからさ、なお、おこるわけはないじゃないの。ああいうひとたちには、区別がわかりゃしないんだもの。ここにいるのは、昔っから支那の人の方が多いんだもの」
街で伸子たちが見かけるのも中国の男女で、日本人は、まして日本の女は、モスクじゅうにたった十人もいはしない。その日本婦人も、大使館関係の人々は伸子たちよりはもとより、一般人よりずっと立派な服装をしていて、外見からはっきり自分たちを貴婦人として示そうとしていた。伸子たちにさえ、日本人と中国人の見わけはつかなかった。モスクの極東大学には、この数年間日本から相当の数の日本人が革命家としての教育をうけるために来ているはずであった。その大学附近の並木路を伸子たちが歩いていたとき、ふと、あっちからやって来る二人づれの男の感じが何となし日本人くさいのに気づいた。
「あれ、日本のひとじゃないのかしら」
素子もそれとなく注目して、双方から次第に近づき、ごく間近のところを互に反対の方向へすれちがった。伸子も素子も、その二人の人たちが大ロシア人でないことをたしかめただけだった。中国人か朝鮮のひとか、蒙古の若い男たちか、その区別さえもはっきりしなかった。もし日本人であったとすれば、その人たちの方からまぎれない日本女である伸子たちを見つけて、話すのをやめ、漠然と「東洋の顔」になってすれちがって行ったのにちがいなかった。
もう一度、トゥウェルスカヤの通りでも、それに似たことがあった。そのときも、さきは二人づれだった。愉快そうに喋りながら来る、その口もとが、遠目に、いかにも日本語が話されている感じだった。が、とある食料品店の前の人ごみで、ほとんど肩をくっつけるようにしてすれちがったとき、その人たちが、日本人だと云い切る特徴を伸子は発見しなかった。伸子は、それらのことを思い出した。
「それだもの、ああいう女がまちがえたって、云わば無理もないわよ」
「そりゃ、ただ区別がわからないだけなら仕様がないさ。日本人だって、西洋人の国籍が見わけられるものはろくにいやしないんだから。……バカにしやがるから、
「…………」
キタヤンカ――(支那女)伸子は、その言葉をしずかにかみしめているうちに、この間、ホテル・メトロポリタンの薄暗い、がらんとした妙な室で会ったリン博士を思い出した。あのひとこそ、正銘の中国の女、キタヤンカであった。けれども、あのものごしの沈厚な、まなざしの美しいひとが、もの売をねぎっているわきからキタヤンカと、素子がからかわれたようなからかわれかたをしたことがあるだろうか。伸子からみると公平に云って素子には、何となしひとにからかいたい気持をおこさせるところがあるように思えた。
素子は、タバコの灰をおとすときだけ灰皿のおいてある机のところへよるだけで、いかにも不愉快そうに室の内を歩きまわっている。段々おちついた伸子の心に、いきなりぶったあげく逃げ出した卑怯な二人の女のかっこうが、苦々しくまた滑稽に見えて来た。
「――あなたって、不思議ねえ」
柔和になった伸子の声に、素子の視線がやわらいだ。
「どうしてさ」
「だって――あなたは、さばけたところがあるのに――。ある意味じゃ、わたしよりずっとさばけているのに、変ねえ……キタヤンカだけには、そんなにむらむらするなんて……」
「…………」
伸子を見かえした素子の瞳のなかにはふたたび緊張があらわれた。
伸子が五つ六つの頃、よく支那人のひとさらいの話でおどかされたことがあった。けれども、現実に幼い伸子の見馴れた支那人は、動坂のうちへ反物を売りに来る弁髪のながい太った支那の商人だった。その太った男は、いつも俥にのって来た。そして、日本のひとのように膝かけはかけないで、黒い布でこしらえた
「ジョーチャン、こんにちは」
と、いつも伸子に笑って挨拶した。玄関の畳の上へあがって、いろいろの布地をひろげた。父が外国へ行っていて経済のつまっている若い母は、美しい支那の織物を手にとって眺めては、あきらめて下へおくのを根気づよく待って、
「オクサン、これやすい、ね。上等のきれ」
などと、たまには、母も羽織裏の緞子などを買ったらしかった。この支那人の躯と、反物包みと、伸子の手のひらにのせてくれた落花生の小さな支那菓子とからは、つよく支那くさいにおいがした。子供の伸子が、支那くささをはっきりかぎわけたのは、小さい伸子の生活の一方に、はっきりと西洋の匂いというものがあったからだった。たまに、イギリスの父から厚いボール箱や木箱が送られて来ることがあった。そういう小包をうけとり、それを開くことは、母の多計代や小さかった三人の子供たちばかりか一家中の大騒動だった。伸子は、そうして開かれる小包が、うっとりするように、西洋のいいにおいにみちていることを発見していた。包装紙の上からかいでも、かすかに匂うそのにおいは、いよいよ包が開かれ、なかみの箱が現れると一層はっきりして来て、さて、箱のふたがあいていっぱいのつめものが、はじけるように溢れ出したとき、西洋のにおいは最も強烈に伸子の鼻ににおった。西洋のにおいは、西洋菓子のにおいそっくりだった。めったにたべることのない、風月の木箱にはいった、きれいな、銀の粒々で飾られた西洋菓子のにおいと同じように、軽くて、甘くて、ツンとしたところのある匂いがした。
こわいような懐しいような支那についての伸子の感じは、その後、さまざまの内容を加えた。昔の支那の詩や「絹の道」の物語、絵画・陶器などの豊富な立派さが伸子の生活にいくらかずつ入って来るにつれ、伸子は、昔の支那、そして現代の中国というものに不断の関心をひかれて来ていた。そこには、日本で想像されないような大規模な東洋の豊饒さと荒涼さ、人間生活の人為的なゆたかさと赤裸々の窮乏とがむき出されているように思えているのだった。
日本にいたとき、わざわざ九段下の支那ものを扱っている店へ行って、支那やきの六角火鉢と碧色の
日本人のきもちには日清戦争以来、中国人に近づいて暮しながらそれをばかにしている気もちがある。日本に来ている留学生に対しても、商人にたいしても。そのばかにした心持からの中国人の呼びかたがいくとおりも、日本にある。素子が、キタヤンカと云われた瞬間、ホージャと呼ばれた瞬間、それは稲妻のような迅さで中国人に対する侮蔑のよびかたとなって、素子の顔にしぶきかかるのではないだろうか。
「そう思わない?――心理的だと思わない?」
素子は、睨みつける目で、そういう伸子を見すえていたが、ぷいとして、
「君はコスモポリタンかもしれないさ。わたしは日本人だからね。日本人の感じかたしか出来ないよ」
タバコの箱のふたの上で、一本とり出したタバコをぽんぽんとはずませていたが、
「ふん」
鼻息だけでそう云って、素子は棗形をした顔の顎を伸子に向って、しゃくうようにした。
「――コスモポリタンがなんだい! コスモポリタンなら、えらいとでもいうのかい!」
火をつけないタバコを指の間にはさんだまま室の真中につったって自分をにらんでいる素子から伸子は目をそらした。伸子は、あらためて自分を日本人だと意識するまでもないほど、ありのままの心に、ありのままに万事を感じとって生活しているだけだった。日本の女に生れた伸子に、日本の心のほかの心がありようはなかったけれども、伸子には、素子のように、傷けられやすい日本人意識というものがそれほどつよくなかった。或は気に入るものは何につけ、それを日本にあるものとひきつけて感情を動かされてゆく癖がないだけだった。
モスクへついた翌日、モスク芸術座を見物したとき、瀬川雅夫は、幾たびカチャーロフやモスクビンが歌舞伎の名優そっくりだ、と云って
秋山宇一が、コーカサスの美女は、日本美人そっくりだ、とほめたとき、伸子がその言葉から受けた感じは、暗く、苦しかった。エスペラントで講演するひとでさえも、女というものについては、ひっくるめて顔だちから云い出すような感覚をもっているという事実は、それにつれて、伸子に苦しく佃を思い浮ばせもすることだった。駒沢の奥の家で一時しげしげつき合いそうになった竹村の感情も思い出させた。竹村も佃も、それが男の云い分であるかのように、編みものをしているような女と生活するのは愉しい、と云った。編みものをしたりするより、もっと生きているらしく生きたがって、そのために心も身も休まらずにいる伸子にむかって。――素子にしろ日本の習俗がそういう習俗でなかったら、もっと自然に、素子としての女らしさを生かせたのに――。
「自分で、日本のしきたりに入りきれずにいるくせに、日本人病なんて――。おかしい」
と伸子は云った。
「矛盾してる」
「――ともかく、さきへ手をあげたのは、わたしがよくなかった。それはみとめますよ」
思いがけない素直さで素子が云い出した。
「実は、幾重にも腹が立つのさ」
「なにに?」
「先ず自分に……」
そう云って、素子は、うっすり顔を赧らめた。
「それから、ぶこに――」
「…………」
「ぶこが、どんなに軽蔑を感じているかと思ってさ――腹んなかに軽蔑をかくしているくせに、なにを優等生
「軽蔑しやしないけれど……でも、あんなこと……」
自分の前に来て立った素子を見あげて伸子はすこしほほえみながら涙をうかべた。
「ここのひとたちの前から、まさか、かけて逃げ出さなけりゃならないような暮しかたをしようとしてやしないんだもの――」
壁紙のないうす緑色の壁に、大きな世界地図がとめてある。伸子はその下の、粗末な長椅子の上で横むきに足をのばし、くつしたをつくろっている。女学生っぽい紺スカートの
すぐ手の届くところまでテーブルがひきよせてあった。日本風の
薄黄色いニスで塗られた長椅子の腕木に背をもたせて針を動かしている伸子の、苅りあげられたさっぱりさが寂しいくらいの頸すじや肩に、白い天井からの電燈がまっすぐに明るく落ちた。伸子はその頸をねじるようにして、ちょいちょいテーブルの上へ眼をやった。向い側の建物の雪のつもった屋根の煙突から、白樺薪の濃い煙が真黒く渦巻いて晴れた冬空へのぼってゆくのが見えた部屋で、マリア・グレゴーリエヴナが熱心と不安のまじりあった表情で、新しい本の第一頁を開き、カデットとか、エスエルとかいうケレンスキー革命政府ごろの政党の関係を説明してくれた顔つきが思いだされた。そういういりくんだ問題になると、伸子の語学の力ではマリア・グレゴーリエヴナの説明そのものが半分もわからなかった。針に糸をとおしながら、伸子はあっちの窓下の緑色がさのスタンドにてらされたデスクで勉強している素子に声をかけた。
「あなた、ちかいうちに
「さあ……わからない」
「行くときさそってね」
「ああ……」
カデットとかエスエルとか、そのほかそういう政治方面の辞書のようなものが必要になって来た。
伸子は、気がついて、保か河野ウメ子かにたのんで日本語のそういう辞典を送ってもらうのが一番いいと思いついた。日本でもそういう本はどんどん出版されていた。言海はモスクへももって来ているが、社会科学辞典がこんなに毎日の生活にいるとは思いつかなかった伸子だった。あんなに用意周到だった素子も蕗子もそのことまでにはゆきとどかないで来てしまった。――
東京とモスクと、遠いように思っていても、こうして、たった二週間ばかりで手紙も来るんだから……。伸子は、ひょいと体をうかすようにして手をのばし、テーブルの上から二通の手紙をとった。手紙のわきには、キリキリとかたく巻いて送られて来た日本の新聞や雑誌の小さいひと山が封を切っても、まだ巻きあがったくせのままあった。マリア・グレゴーリエヴナのところへ稽古に出かけたかえりに、伸子は例によって散歩がてら大使館へよって、素子と自分への郵便物をとって来たのだった。
伸子は、針をさしたつくろいものをブルーズの膝の上にのせたまま、一遍よんだ手紙をまた封筒からぬき出した。
乾いた小枝をふんでゆくようなぽきぽきしたなかに一種の面白さのある字で、河野ウメ子は、伸子にたのまれた小説の校正が終って近々本になることを知らせて来ていた。そして、春にでもなったら、京都か奈良へ行ってしばらく暮して見ようと思っているとあった。奈良に須田猶吉が数年来住んでいて、その家から遠くないところにウメ子の部屋が見つかるかもしれない、とかかれている。この手紙は、素子様伸子様と連名であった。伸子は、ウメ子の手紙にかかれている高畠という町のあたりは知らなかったが、雨の日の奈良公園とそこに白い花房をたれて咲いていた
ウメ子の手紙を封筒にもどして、伸子はもう一通をとりあげた。ケント紙のしっかりした角封筒の上に、ゴシックの装飾文字のような書体で、伸子の宛名がかいてある。さきのプツンときれたGペンを横縦につかって、こんな図案のような字をかくことが和一郎のお得意の一つだった。その封筒のなかみは、泰造、多計代、和一郎、保、つや子と、佐々一家のよせがきだった。つや子が、友禅ちりめんの可愛い小布れをはってこしらえた
つぎの一枚は、多計代の字で半ば以上埋められていた。伸子はその頁の上へぼんやり目をおとしたまま、むかし父かたの祖母が田舎に生きていたころ、多計代の手紙を眺めては歎息していたことを思い出した。「おっかさんは、はア、あんまり字がうまくて、おらにはよめないごんだ」と。その祖母は、かけ
さっき一遍よんだとき、読めなかったところをあらためて拾うようにして、その流達といえば云える黒い肉太の線がぬるぬるぬるぬるとたぐまっては伸び、伸びてはたぐまるような多計代の字をたどって行った。伸子は、こまかくよむにつれてはりあいのないような、くいちがっているようなきもちになった。そのよせがきには動坂の人たちが、食堂の大テーブルを囲んでがやがやいいながらてんでに喋っているその場の感じがそのまま映っているようだった。その和一郎にしろ、先月、伸子がきいたオペラについてモスクの劇場広場のエハガキを書いてやったことにはふれていないで、今年は美術学校も卒業で卒業制作だけを出せばいいから目下のところ大いに浩然の気を養ってます、と語っている。泰造はいそがしさにまぎれてだろう、伸子が特に父あてにおくったトレチャコフ美術館の三枚つづきのエハガキについて全く忘れている。
多計代の文章の冒頭にだけ、この間は面白いエハガキを心にかけてどうもありがとう。一同大よろこびで拝見しました、とあった。けれども、それはいつ伸子が書いたどんなエハガキのことなのか、そして、どう面白かったのか、それはかいてなかった。膝の上にいまこの手紙をひろげている伸子が、もし、それはどのエハガキのことなの? ときくことが出来たとしたら、多計代はきっとあのつややかな睫毛をしばたたいて、ちょっとばつのわるそうな顔になりながら、あれさ、ほら、この間おくってくれたじゃないか、といいまぎらすことだろう。
みんなの手紙の調子は、伸子にまざまざと動坂の家の、食堂の情景を思い浮べさせた。
そして伸子は、ふっと笑い出した。動坂の家の食堂のあっちこっちの隅には、いつもあらゆる形の箱だの罐だのがつみかさねられていた。中村屋の、「かりんとう」とかいた卵色のたてかん、濃い緑と朱の縞のビスケットの角罐、少しさびの来た古いブリキ罐、そんなものが傍若無人に、どっしりした英国風の深紅色に唐草模様のうき出た壁紙の下につまれている。それは一種の奇観であった。中央の大テーブルの多計代がいつも坐る場所の下には、二つ三つの風月堂のカステラ箱がおいてあって、その中には手あたり次第に紙きれだの何だの、ともかくそのとき多計代がなくしては困ると思ったものが入れてあった。だから、動坂の家で何か必要な書きつけが見つからないというようなことがおこると、まず多計代から率先してふっさりしたひさしの前髪をこごめて、大テーブルの下をのぞいた。この習慣は、伸子たち動坂の子供にとっては物心づいて以来というようなものだから、食堂にとおされるほど親しいつき合いの人なら、その客のいるところでも、必要に応じて伸子のいわゆる「
その食堂の
こういうけたはずれのところは主婦である多計代の気質から来た。もし多計代が隅から隅までゆきとどいて自分の豪華趣味で統一したり、泰造の古美術ごのみで統一されたりしていたら、動坂の家というところはどんなに厭な、人間の自由に伸びるすきのない家になっただろう。伸子は、動坂の家に、せめてもそういう乱脈があることをよろこんだ。少女時代を思い出すと、そういうよそからは想像も出来ないようなすき間が動坂の家にあったからこそ伸子は、いつかその間にこぼれて伸びることもできた野生の芽として自分の少女時代を思い出すことができた。
伸子が十四五になって、自分の部屋がほしくなったとき、伸子はひとりで、玄関わきの五畳の茶室風の室がものおき同然になっていたのを片づけた。そしてそこに押しこんであった古い机を、小松の根に
すきだらけと乱脈とは、いまも動坂の家風の一つとしてのこっている。年月がたつうちに経済にゆとりが出来てきただけ、その乱脈やすきだらけが、むかしの無邪気さを失って、家族のめいめいのてんでんばらばらな感情や、物質の浪費としてあらわれて来ている。伸子は数千キロもはなれているモスクの、雪のつもった冬の夜の長椅子から、確信をもって断言することが出来た。伸子がこのホテルのテーブルの上で、モスク人がみんなそれをつかっている紫インクで、エハガキや時には手紙でかいてやる音信は、先ず多計代に封をきられ、いあわせたものたちに一通りよまれ、それから、なくなるといけないからね、と例のテーブルの下の箱にしまわれていることを。カステラ箱にしまわれた伸子の手紙はなくならないかもしれないけれども、ほんのしばらくたてば動坂の人たちは、もうすっかりそれについて、何が書かれているかさえ忘れてしまっているのだ。動坂の人たちは伸子なしで充分自足しているのだから――。
伸子がいろいろの感情をもって打ちかえして見ている動坂のよせ書きの三頁めのところで、保が数行かいていた。ほそく、ペンから力をぬいて綿密に粒をそろえたノートのような字は、保のぽってりした上瞼のふくらみに似たまるみをもっている。これが、高等学校の最上級になろうとしている二十歳の青年の手紙だろうか。来年は大学に入ろうという――。保は、そのよせ書きの中で保だけまるで一人だけ別なインクとペンを使ったのかと思えるほど細い万遍なく力をぬいた字で、こうかいていた。「僕が東京高校へ入学したとき、お祝に何か僕のほしいものを買って下さるということでした。僕には何がほしいか、そのときわからなかった。こんど、僕は入学祝として本式にボイラーをたく温室を
動坂の家風は、すきだらけであったが、親に子供たちが何かしてもらったときとか、見せてもらったりしたときには、改まってきちんと、ありがとうございました、と礼を云わせられる習慣だった。言葉づかいも、目上のものにはけじめをつけて育ったから、二十歳になった保が、こしらえて頂いたという云いかたをするのは、そういう育ちかたがわれしらず反映しているとも云えた。しかし、保は小学生の時分から花の種を買うために僅の金を母からもらっても、収支をかきつけて残りをかえす性質だった。お母さまから頂いたお金三円、僕の買った種これこれ、いくらと細目を並べて。
伸子が、モスク暮しの明け暮れの中で見て感じているソヴェト青年の二十歳の人生の内容からみると、たかだか高等学校に入ったというような事にたいして、温室をこしらえて頂いた、と書いている保の生活気分はあんまりおさなかった。高等学校に入ったということ、大学に入るということそれだけが、ひろい世の中をどんな波瀾をしのぎながら生きなければならないか分らない保自身にとって、どれだけ重大なことだというのだろう。
多計代にとってこそ、それは、佐々家の将来にもかかわる事件のように思われるにちがいなかった。長男の和一郎は、多計代にやかましく云われて一高をうけたが、失敗すると、さっさと美術学校へ入ってしまった。多計代は明治時代の、学士ということが自分の結婚条件ともなった時代の感情で、息子が帝大を出ることの出来る高校に入ったということに絶大の意味と期待をかけているのだった。その感情からお祝いをあげようという多計代の気もちが、それなり、お祝いを頂く、という保の気もちとなっているところが伸子に苦しかった。辛辣にならないまでも、保は保の年齢の青年らしく、家庭においての自分の立場、自分の受けている愛情について、つっこんで考えないのだろうか。あんなに問題をもっているはずの保が、和一郎と妹のつや子の間にはさまって、
――ふと、伸子は、あり得ないようなことを推測した。多計代は、もしかしたら保が伸子に手紙をかくことを何かのかたちで抑えているのではないだろうか。姉さんに手紙を出すなら、わたしに一度みせてからにおし。対手が保であれば、多計代のそういう命令が守られる可能もある。伸子が動坂の家へ遊びに行って、保と二人きりですこしゆっくり話しこんでさえ多計代は、その話の内容を保から話させずにいられないほど、自分の
伸子は膝の上からつくろいものをどけて、ちゃんと長椅子にかけなおした。そして日本からもって来ている半ペラの原稿用紙をテーブルの上においた。
「みなさんのよせがきをありがとう。今度はこの手紙を、とくべつ、保さんだけにあててかきます。わたしたちは、いつもみんなと一緒にばかり喋っていて、ちっとも二人だけの話をしないわね。なぜでしょう? 保さんのところには、わたしに話してきかせてくれたいような話が一つもないの? まさかそうとは思われません。姉と弟とが別々の国に暮していて、お互にどんなに本気で生活しているかということを知らせ合うのはあたりまえだし、いいことだと思います。もし保さんの方に、それをさまたげているものがあるとすればそれは何でしょう」
伸子は、こう書いている一行一行が多計代の目でよまれることを予期していた。
「わたしの筆不精がその原因かしら」
温室の出来たことを保がよろこんでいる気持は、伸子にも思いやられた。フレームでやれることはもうしてしまったと云って、伸子がモスクへ立って来る年の春から夏にかけて、保は勉強机の上でシクラメンの水栽培しかしていなかった。温室がもてた保のうれしさは、心から同感された。しかしそれを高校入学祝として、こしらえて頂いた、という範囲でだけうけとって、自分の青年らしい様々の問題に連関させていないような保の気持が伸子には不安で、もどかしいのだった。伸子から云えば、保にはもっと率直な気むずかしさがあっていいとさえ思えた。そのことを伸子は感じているとおりにかいた。
「保さんの健康と能力と家庭の条件をもっているひとなら、高校に入るのは、むしろあたりまえでしょう。親はどこの親でも、親としての様々の動機をもってそれをよろこび、よろこびを誇張します。けれども、その親たちは、自分の息子が高校に入れたというよろこびにつけて、ほんとにただ金がないというだけの理由で、中学にさえ入れない子供たちが日本じゅうにどれだけいるか分らないということを、思いやっているでしょうか。
保さんの東京高校というところは、たった一人の貧しい学生もいないほど金持の坊ちゃんぞろいの学校なの? もしそうだとすれば、こわいことだし、軽蔑すべきことだわ。そこで育っている学生たちは、自分たちだけに満足して、世の中にどっさり存在している不幸について、想像力をはたらかすことさえ知らないのでしょうか」
書いている自分の肱で、
「保さんのこしらえて頂いた温室というのがいくらかかったかは知らないけれども、それは少くとも、貧しい高校生の一年分の月謝よりどっさり費用がかかっているでしょう。保さんはそのことを考えてみたでしょうか。そして、公平に云えば、それだけの金がないばかりに、保さんよりもっと才能もあり人類に役に立つ青年が泥まびれで働いているかもしれないということを考えてみたでしょうか。こういういろんなことを、保さんは考えてみて? 想像の力のない人間は、思いやりも同情もまして人間に対する愛などもてようもありません」
保に向ってかいているうちに、みんなが
「保さん、あなたこそ青春の誇りをもたなければいけないわ。自分のもてるよろこびをたっぷり味うと一緒に、それが、この社会でどういう意味をもっているかということは、はっきり知っているべきです。いただくものは、無条件に頂くなんて卑屈よ。持つべきものは、主張しても持たなければならないし、持つべきでないものは、下すったって、頂いたって、持つべきではないと思います」
伸子の感情の面に、モスク第一大学の光景がいきいきと浮んできた。冬日に雪の輝いている通りを大学に向って行くと、雪を頂いた円形大講堂の黄色い外壁が聳えている。その外壁の上のところを帯のようにかこんで、書かれている字はラテン語でもなければ、聖書の文句でもなかった。「すべての働くものに学問を」モスク第一大学の黄色い円形講堂の外壁にきょうかかれているのは、その文字だった。
「保さん、この簡単なことばのふくんでいる意味はどれほどの大さでしょう。この四つの言葉は、この国で人間と学問との関係が、はじめてあるべきようにおきかえられたという事実を示しています。人間も、学問をすべてのひとの幸福のために扱うところまで進歩して来たという事実を語っています。わたしは、きのうもそれを見て来たばかりなのよ。そして、この古いモスク大学の壁にその字がかかれたときのことを思って、美しさと歓喜との波にうたれるようでした。そしてね保さん。ソヴェトの青年は、この文字を頂いたのではなかったのよ。自分たちで自分たちのものとしたのよ」
はるかに海をへだたっている保のところまで、
「わたしたちは、人間として生きてゆく上に、美しいことに感動する心を大切にしなければならないと思います。美しさに感動して、そのために勇気あるものにもなれるように。保さんはそう思わない? 花つくりの美しさは、それをうちの温室で咲かせてみせる、という主我的な心持にはなくて、あの見ばえのしない種一粒にこもっているすべての生命の美しさを導き出して来る、その美しさにあるんですもの」
保むけのその綱が多計代の目の前に音をたてておちることをはばからないこころもちで伸子は手紙を書き終った。
厚いその手紙のたたみめがふくらみすぎていて封筒がやぶれた。おもしをかってから封することにして、伸子は四つ折にした手紙の上へ本や字引をつみかさねた。
丁度そのとき、素子が勉強をひとくぎりして、椅子を動かした。
「あああ!」
部屋着の背中をのばすように二つの腕を左右にひろげて、素子は断髪のぼんのくぼを椅子の背に押しつけた。
「ぶこちゃん、どうした。いやにひっそりしてたじゃないか」
「――手紙かいてたから……」
「そう言えば、そろそろわたしもおやじさんに書かなくちゃ」
きょう大使館からとって来た日本からの郵便物の中には素子あての二三通もあった。うまそうにタバコをふかしながら素子は、
「きみんところなんか、まだ書いても話の通じる対手がいるんだから張り合いもあるけれど、わたしんところは、結局何を書いたって猫に小判なんだから」
と云った。
「いきおいとおり一遍になっちまって……どうも――」
京都で生れて、京都の商人で生涯をおくっている素子の父親やその一家は、素子を一族中の思いがけない変りだねとして扱っていた。まして、素子を生んだ母が死んだあと、公然と妻となったそのひとの妹である現在の主婦は、素子の感情のなかで決して自然なものとして認められていなかった。むずかしい自分の立場の意識から、そのひとは素子に対しても義理ある長女としての取りあつかいに疎漏ないようにつとめたあとは、一切かかわらない風だった。モスクへ来ても、素子は父親にあててだけ手紙をかいていた。
保への手紙をかき終ったばかりで亢奮ののこっている伸子は、
「一度でいいから、ほんとに一字一字わたしに話してくれている、と思えるような手紙を母からもらってみたいわ」
と云った。
「母の手紙ったら、あいてがよめてもよめなくってもそんなことにはおかまいなしなんだもの……」
「――」
素子は、そういう伸子の顔を見て賢そうで皮肉ないつもの片頬の笑いをちらりと浮べた。そう云えば、父の泰造には、母のあのするする文字がみんなよめたのかしら、と伸子は思った。昔、泰造がロンドンに行っていた足かけ五年の間に、まだその頃三十歳にかかる年ごろだった多計代は、
伸子は、いま自分が遠く日本をはなれて来ていて、モスクの生活感情そのもののなかで、故国からの手紙をよむ気持を思いあわせると、泰造ばかりでなく、すべての外国暮しをしているものが、その外国生活の雰囲気のなかにうけとる故国からのたよりを、一種独特の安心と同じ程度の気重さで感じるのがわかるようだった。
「母の手紙がつくと、父はそれをいきなりポケットにしまいこんで、やがてきっと、ひとのいないところへ立って行ったんだって――。それをね、話すひとは、いつも父の御愛妻ぶり、というように云っていたけれど――こうやって、自分がこっちへ来てみると、なんだかそんな単純なものと思えないわ、ねえ」
「じゃ、なんなのさ」
「――わたしたちはここで自分で手紙をとりに行って、そしてもって来るでしょう? だけれど、いきなり、はい、日本からのおたよりと云ってここへくばられて来たら、わたし、やっぱり何かショックがあると思うわ」
まして、泰造がロンドン暮しをしていた明治の末期、日本にのこされた妻子のとぼしい生活とロンドンの泰造の、きりつめながらもその都会としての色彩につつまれた生活との間には、あんまりひらきがありすぎた。
「モスクだよりじゃ、たべもののことはいくら書いても決して恨まれっこないだけ安心ね」
伸子は笑って云いながら、可哀そうな一つのことを思い出した。やっぱり泰造がロンドンにいた間のことだった。あるとき、多計代が座敷のまんなかに坐って泣きながら、お父様って何て残酷なひとだろう! とおかっぱにつけ
ずっと伸子が成長してからも、そのハガキの文句のことで、父と母とが諍っていたのを覚えていた。泰造は、ほんとにみんなが気の毒だと思ってそれを書いた、と弁明した。その時代の伸子は、母のあのときの憤りが、決してひな鳥のむしやき一皿にだけ向けられていたのではないことを諒解した。そういう御馳走。
「漱石だって、かいたものでよめば、外国暮しでは、別な意味で随分両方苦しんでいるわね。奥さんにしろ」
自分がいま保にかいたばかりの手紙を思い、その文面にものぞき出ているような動坂の家の生活とここの自分の生活との間にある裂けめの深さを伸子は、計るようなまなざしになった。
モスクに暮しているものとしての伸子の心へ、角度を新しくして映る日本の生活一般、または動坂の暮しぶりに対して、自分の云い分を伸子は割合はっきりつかむことが出来た。しかし、モスクにいる伸子のそういう云い分に対して、佐々のうちのものや友人たちが、変らないそれぞれの環境のなかにあって、どういううけとりかたをするか。そのことについて、伸子はほとんど顧慮していなかった。
伸子は、モスクの時々刻々を愛し、沸騰し停滞することをしらない生活の感銘一つ一つを貪慾に自分の収穫としてうけいれていた。伸子がウメ子のような友人にかくハガキの文体でも、モスクへ来てからは少しずつかわっていた。伸子としてはそれが自然そうなって来ているために心づかなかった。――わたしの住んでいるホテル・パッサージの壁紙もない室の窓は、トゥウェルスカヤ通りに面しています。そう書けば、伸子は、その窓の下に見えていて
伸子のかくたよりに現れる生活の描写は、こうして段々即物的になり、テンポが加わり、モスクの社会生活の圧縮された象徴のようになりつつあった。きょうの手紙にもあったようにウメ子が校正ののこりをひきうけてくれて、そろそろ本になろうとしている長い小説を、伸子は、ごくリアリスティックな筆致でかきとおした。それがいつとはなし、即物的になり、印象から印象へ飛躍したテムポで貫かれるような文章になって来ていることは、モスクへ来てからの伸子の精神の変化してゆく状態をあらわすことだった。それはモスクという都会の生活について、そこでの社会主義への前進について、伸子が深い現実を知った結果からだったろうか。それとも、ここで見られる歴史の現実も、伸子にとっては新鮮に感覚に訴えて来る範囲でしか、把握出来なかったからの結果だろうか。伸子はそういう点一切を自覚していなかった。
日々を生きている伸子の感興は、耳目にふれる雑多な印象と心におこるその反響との間をただ活溌にゆきかいしているばかりだった。
しばらくだまって休んでいた素子が何心なく腕時計を見て、
「ぶこちゃん、また忘れてる! だめだよ」
と、あわてて、とがめるような声をだした。
「なにを?」
ぼんやりした顔で伸子がききかえした。
「室代――」
「ほんと!」
「きのうだって到頭忘れちゃったじゃないか。――すぐ行ってきなさい、よ!」
伸子は、テーブルをずらして、日本から来た新聞の山の間に赤いロシア皮で拵らえられた自分の財布をさがした。ホテルの室代を、毎日夜十時までに支払わなければならないきめになっていた。伸子たちはよくそれを忘れて、二日分ためた。ほんとうは、いくらか罰金がつくらしかったけれども、素子や伸子がホテルの二階にある事務室へ入って行って、忘れてしまって、と二日分の金を出すとき、罰金はとられたことがなかった。長椅子から立って来るとき、伸子は、テーブルのわきに落してしまっていたのを知らずに、
「あら!」
いそいでひろいあげて、伸子は
「かあいそうに――」
針さしをテーブルの上へおき、ベッドから紫の羽織をとって袖をとおしながら伸子は室を出た。
三四日たった或る日の午後のことであった。伸子が、網袋にイクラと塩づけ胡瓜とリンゴを入れて、ゆっくりホテルの階段をのぼって来るところへ、上から内海厚が、上衣のポケットへ両手をさしこんだまま体の重心を踵にかけて、暇なようないそいでいるような曖昧な様子で降りて来た。
「や、かえられましたか。実はね、部屋へお訪ねしたところなんです」
「吉見さん、いませんでしたか?」
「居られました、居られました」
内海は、相変らず十九世紀のロシアの進歩的大学生とでもいうような感じの顔をうなずけた。
「吉見さんには話して来ましたがね。実はね、ポリニャークがぜひ今夜あなたがたお二人に来て頂きたいっていうんです」
革命後作品を発表しはじめているボリス・ポリニャークは、ロシアプロレタリア作家同盟に属していて、活動中の作家だった。
「こんや?――急なのねえ」
「なに、急でもないんでしょう」
そのとき、また下から登って来た人のために内海は手摺の方へ体をよけながら、すこし声を低めた。
「この間っから、たのまれていたことだったんでしょうがね」
二三年前ポリニャークが日本へ来た時、無産派の芸術家として接待者の一人であった秋山宇一は、モスクへ来てからも比較的しげしげ彼と交際があるらしかった。その間に、いつからか出ていた伸子たちをよぶという話を秋山宇一は、さしせまったきょうまで黙っていたというわけらしかった。伸子は、
「吉見さんはどうするって云っていました?」
ときいた。伸子としては、行っても、行かなくてもいい気持だった。ポリニャークは日本へも来たことがあるというだけで、作家として是非会いたい人でもなかった。
「吉見さんは行かれるつもりらしいですよ、あなたが外出して居られたから、はっきりした返事はきけなかったですが――つまりあなたがどうされるか、はね」
「すみませんが、じゃ、一寸いっしょに戻って下さる?」
「いいですとも!」
伸子は、室へ入ると買いものの網袋をテーブルの上へおいたまま、外套をぬぎながら、素子に、
「ポリニャークのところへ行くんだって?」
ときいた。
「ぶこちゃんはどうする?」
こういうときいつも伸子は、行きましょう、行きましょうよと、とび立つ返事をすることが、すくなかった。
「わたしは、消極的よ」
すると内海が、そのパラリと離れてついている眉をよせるようにして、
「それじゃ困るんです。今夜は是非来て下さい」
たのむように云った。
「どうも工合がわるいんだ――下へ、アレクサンドロフが来て待ってるんですよ」
「そのことで?」
びっくりして伸子がきいた。
「そうなんです。秋山氏があんまり要領得ないもんだから、先生到頭しびれをきらしてアレクサンドロフをよこしたんでしょう」
アレクサンドロフも作家で、いつかの日本文学の夕べに出席していた。
「まあいいさ、ポリニャークのところへもいっぺん行ってみるさ」
そういう素子に向って内海は、
「じゃ、たのみます」
念を入れるように、力をいれて二度ほど手をふった。
「五時になったら下まで来て下さい。じゃ」
そして、こんどは、本当にいそいで出て行った。
「――急に云って来たって仕様がないじゃないか――丁度うちにいる日だったからいいようなものの……」
そう云うものの、素子は時間が来ると、案外面倒くさがらずよく似合う
「ぶこちゃん、なにきてゆくんだい」
「例のとおりよ――いけない?」
「結構さ」
鏡の前に立って、白い胸飾りのついた紺のワンピースの腕をあげ、ほそい真珠のネックレースを頸のうしろでとめている伸子を見ながら、素子は、ついこの間気に入って買った皮外套に揃いの帽子をかぶり、まだすっていたタバコを灰皿の上でもみ消した。
「さあ、出かけよう」
二階の秋山宇一のところへおりた。
「いまからだと、丁度いいでしょう」
小型のアストラハン帽を頭へのせながら秋山もすぐ立って、四人は狩人広場から、郊外へ向うバスに乗った。街燈が雪道と大きい建物を明るく浮上らせ、人通りの多い劇場広場の前をつっきって、つとめがえりの乗客を満載したその大型バスが、なじみのすくない
「まだなかなかですか?」
「ええ相当ありますね――大丈夫ですか」
伸子と秋山宇一、内海と素子と前後二列になって、座席の角についている
「あなたがた来られてよかったですよ」
秋山宇一が、白いものの混った髭を、手袋の手で撫でるようにしながら云った。
「大した熱心でしてね、今夜、あなたがたをつれて来なければ、友情を信じない、なんて云われましてね――どうも……」
今夜までのいきさつをきいていない伸子としては、だまっているしかなかった。もっとも、日本文学の夕べのときも、ポリニャークはくりかえし、伸子たちに遊びに来るように、とすすめてはいたけれども。――
とある停留場でバスがとまったとき内海は、
「この次でおりましょう」
と秋山に注意した。
「――もう一つさきじゃなかったですか」
秋山は窓から外を覗きたそうにした。が、八分どおり満員のバスの明るい窓ガラスはみんな白く凍っていた。
乗客たちの防寒靴の底についた雪が次々とその上に踏みかためられて、滑りやすい氷のステップのようになっているバスの降口から、伸子は気をつけて雪の深い停留場に降り立った。バスがそのまま赤いテイル・ランプを見せて駛り去ったあと、アーク燈の光りをうけてぼんやりと見えているそのあたりは、モスク郊外の林間公園らしい眺めだった。枝々に雪のつもった黒い木の茂みに沿って、伸子たちが歩いてゆく歩道に市中よりずっと深い雪がある。歩道の奥はロシア風の柵をめぐらした家々があった。
「この辺はみんな昔の
雪の深い歩道を右側によこぎって、伸子たちは一つの低い木の門を入って行った。ロシア式に丸太を積み上げたつくりの平屋の玄関が、軒燈のない暗やみのなかに
内海が来馴れた者らしい風で、どこか見えないところについている呼鈴を鳴らした。重い大股の靴音がきこえ、やがて防寒のため二重にしめられている扉があいた。
「あ――秋山サン!」
出て来たのはポリニャーク自身だった。すぐわきに立っている伸子や素子の姿を認め、
「到頭、来てくれましたね、サア、ドーゾ」
サア、ドーゾと日本語で云って、四人を内廊下へ案内した。ひる間、ホテル・パッサージへよったというアレクサンドロフも奥から出て来て、女たちが外套をぬぎ、マフラーをとるのを手つだった。
かなりひろい奥の部屋に賑やかなテーブルの仕度がしてあった。はいってゆく伸子たちに向って愛想よくほほ笑みながら、ほっそりとした、眼の碧い、ひどく娘がたの夫人がそのテーブルの自分の席に立って待っている。
「おめにかかれてうれしゅうございます」
伸子たちがその夫人と挨拶をする間も、ポリニャークは陽気な気ぜわしさで、
「もういいです、いいです、こちらへおかけなさい」
と、秋山を夫人の右手に、伸子を自分の右手に腰かけさせた。そして、早速、
「外からこごえて入って来たときは、何よりもさきに先ずこれを一杯! 悧巧も馬鹿もそれからのこと」
そう云って、テーブルの上に出されているウォツカをみんなの前の杯についだ。
「お互の健康を祝して」
素子も、杯のふちを唇にあてて投げこむような勢のいいウォツカののみかたで、半分ほどあけた。伸子は、夫人に向って杯をあげ、
「あなたの御健康を!」
と云い、ほんのちょっと酒に唇をふれただけでそれを下においた。
「ナゼデス? サッサさん。ダメ! ダメ!」
ポリニャークは、伸子が杯をあけないのを見とがめた。
「内海さん、彼女に云って下さい」
よその家へ来て、最初の一杯もあけないのは、ロシアの礼儀では、信じられない無礼だというのだった。
「わかりましたか? サッサさん、ドゾ!」
伸子は、こまった。
「内海さん、よく説明して頂戴よ。わたしは生れつきほんとにお酒がのめないたちなんだからって――でも、十分陽気にはなれますから安心して下さいって……」
内海がそれをつたえると、ポリニャークは、
「残念なことだ」
ほんとに残念そうに赫っぽい髪がポヤポヤ生えた大きい頭をふった。そのいきさつをほほ笑みながら見ていた夫人が伸子たちにむかって、
「わたしもお酒はよわいんです」
と云った。
「でもレモンを入れたのは、軽いですよ。いい匂いがするでしょう?」
そう云われてみると、そのテーブルの上には同じ様に透明なウォツカのガラス瓶が幾本もあるなかに、レモンの黄色い皮を刻みこんだのが二本あって、伸子たちの分はその瓶からつがれたのだった。
素子は気持よさそうに温い顔色になって、
「ウォツカもこうしてレモンを入れると、なかなか口当りがいい」
のこりの半分も遂にあけた。
「ブラボー! ブラボー!」
ポリニャークが賞讚して、素子の杯を新しくみたした。
「ごらんなさい。あなたのお友達は勇敢ですよ」
「仕方がないわ。わたしは駄目なんです」
だめなんです、というところを、伸子は自分の使えるロシア語でヤー、ニェマグウと云った。ポリニャークは面白そうに伸子の柔かな発音をくりかえして、
「わたしはだめですか」
と云った。それは角のある片仮名で書かれた音ではなく平仮名で、やあ にぇまぐう とでも書いたように柔軟に響いた。伸子自身は、しっかり発音したつもりなのに、みんなの耳には、全く外国風に柔かくきこえるらしかった。主人と同じように大きい体つきで、灰色がかって赫っぽい軽い髪をポヤポヤさせている真面目なアレクサンドロフも、伸子を見て、笑いながら好意的にうなずいた。
やがて日本とロシアと、どっちが酒の美味い国だろうかというような話になった。つづいて酒のさかなについて、議論がはじまった。この室へ入るなり酒をすすめられつづけた困難から解放されて、伸子は、はじめてくつろぐことが出来た。ペチカに暖められているその部屋は、いかにもまだ新しいロシアの家らしく、チャンの匂いがしていた。床もむき出しの板で、壁紙のない壁に、ちょいちょいした飾りものや絵がかけられている。室はポリニャーク自身の大柄で無頓着めいたところと共通した、おおざっぱな感じだった。自分なりの生活を追っている、そういう人の住居らしかった。
ポリニャークは、同じようなおおざっぱさで、細君との間もはこんでいるらしかった。モスク小劇場の娘役女優である細君は、ブロンドの捲毛をこめかみに垂れ、自分だけの世界をもっているように、しずかにそこにほほ笑んでいる。薄色の服をつけた
ポリニャーク夫婦の感じは、伸子が語学の稽古に通っているマリア・グレゴーリエヴナの生活雰囲気とまるでちがっていた。マリア・グレゴーリエヴナの二つの頬っぺたは、びっくりするような最低音でものをいう背の高いノヴァミルスキーの頬っぺたと同様に、厳冬のつよい外気にやけて赤くなって居り、丸っこい鼻のさきの光りかたも夫婦は互に似ていた。二人はそれぞれ二人で働き、二人でとった金を出しあわせて、赤ビロードのすれた家具のおいてある家での生活を営んでいる。
野生の生活力にみち、その体から溢れる文学上の才能をたのしんでいるポリニャークは、自分の快適をみださない限り、女優である細君が家庭でまで娘役をポーズしているということに、どんな女としての心理があるかなどと、考えてないらしかった。
一座の話題は、酒の話から芝居の評判に移って行った。
大阪の人形芝居のすきな素子が、
「大阪へ行ったとき、人形芝居を観ましたか」
とポリニャークにきいた。
「観ました。あの人形芝居は面白かった」
ポリニャークは、それを見たこともきいたこともない夫人とアレクサンドロフに説明してきかせた。
「舞台の上にまた小舞台があって、そこがオーケストラ席になっている。サミセンと唄とがそこで奏されて、人形が芝居をするんだ」
「外国の人形芝居は、あやつりも指使いの人形も、人の姿は観客からかくして演じるでしょう」
素子は、ロシア語でそう云って、
「そうですね」
と日本語で秋山宇一に念を押した。
「そうです、こわいろだけきかせてね」
「あなた気がつきましたか?」
またロシア語にもどって素子が云った。
「日本の人形芝居は、タユー(太夫)とよばれる人形使いが、舞台へ人形と一緒に現れます。あやつられる人形とあやつる太夫とが全く一つリズムのなかにとけこんで、互が互の生き生きした一部分になります。あの面白さは、独創的です」
「そう、そう、ほんとにそうだった。ヨシミさん、演芸通なんですね」
興味を示して、テーブルの上にくみ合わせた両腕をおいてきいている細君の方へ目顔をしながらポリニャークが云った。
「しかし、ノウ(能)というものは、僕たちには薄気味が悪かった」
「ノウって、どういうものかい?」
アレクサンドロフが珍しそうにきいた。
「見給え、こういうものさ」
酒のまわり始めたポリニャークは、テーブルに向ってかけている椅子の上で胸をはって上体を立て、顎をカラーの上にひきつけて、正面をにらみ、腕をそろそろと大きい曲線でもち上げながら、
「ウーウ、ウウウウヽヽヽヽ」
と、どこやら謡曲らしくなくもない太い呻声を発した。その様子をまばたきもしないで見守っていたアレクサンドロフが、暫く考えたあげく絶望したように、
「わからないね」
と云った。
「僕にだってわかりゃしないさ」
みんなが大笑いした。
「可哀そうに! 日本人だってノウがすきだというのは特殊な人々だって、話してお上げなさいよ」
伸子が笑いながら云った。
「限られた古典趣味なんだもの」
「何ておっしゃるんです?」
ポリニャークが伸子をのぞきこんだ。
「内海さんがあなたにおつたえします」
話がわかると、
「それでよし!」
とアレクサンドロフをかえりみて、
「これで、われわれが、『野蛮なロシアの熊』ではないという証明がされたよ。さあ、そのお祝に一杯!」
みんなの杯にまた新しい一杯がなみなみとつがれた。そして、
「幸福なるノウの安らかな眠りのために!」
と乾杯した。伸子は、また、
「わたしはだめです」
をくりかえさなければならない羽目になった。ポリニャークは、
「やあ にぇ まぐう」
と、鳥が喉でもならすような響で、伸子の真似をした。そして、立てつづけに二杯ウォツカを口の中へなげ込んで、
「自分の国のものでもわれわれにはわからないものがあるのと、同じことさ」
タバコの煙をはき出した。
「たとえば、ム・ハ・ト(モスク芸術座)でやっている『トルビーン家の日々』あれはもう三シーズンもつづけて上演している。どこがそんなに面白いのか? 僕にはわからない」
「ム・ハ・トの観客は、伝統をもっていて特にああいうものがすきなんだ」
アレクサンドロフが穏和に説明した。
「そりゃ誰でもそう云っているよ。しかし、僕にはちっとも面白くない。それだから僕がソヴェト魂をもっていないとでも云うのかい?――アキヤマさん」
ウォツカの瓶とともに、ポリニャークは秋山にむいて云った。
「あなたは『トルビーン家の日々』を面白いと思いますか?」
「あれは、むずかしい劇です」
それだけロシア語で云って、あとは内海厚につたえさせた。
「特に外国人にはむずかしい劇です。心理的な題材ですからね。
一九一七年の革命の当時、元貴族や富裕なインテリゲンツィアだった家庭に、たくさんの悲劇がおこった。一つの家庭のなかで年よりは反革命的にばかりものを考え行動するし、若い人々は革命的にならずにいられないために。或る家庭では、またその正反対がおこったために。「トルビーン家の日々」は、革命のうちに旧い富裕階級の家庭が刻々と崩壊してゆかなければならない苦しい歴史的な日々をテーマとしていた。科白がわからないながら、伸子は、雰囲気の濃い舞台の上に展開される時代の急速なうつりかわりと、それにとり残されながら自分たちの旧い社交的習慣に恋着して、あたじけなくみみっちく、その今はもうあり得ない華麗の色あせたきれっぱじにしがみついている人々の姿を、印象づよく観た。
「サッサさん、どうでした? あの芝居は気にいりますか?」
「いまのソヴェトには、『装甲列車』の登場人物のような経験をもっている人々もいるし、『トルビーン家の日々』を経験した人々も、いるでしょう? わたしは、つよくそういう印象をうけました。そして、あれは決してロシアにだけおこることじゃないでしょう。――吉見さん、そう話してあげてよ」
「いやに、手がこんでるんだなあ」
ウォツカの数杯で、気持よく顔を染めている素子が、そのせいで舌がなめらからしく、ほとんど伸子が云ったとおりをロシア語でつたえた。
「サッサさん、あなたは非常に賢明に答えられました」
半ば本気で、しかしどこやら皮肉の感じられる調子でポリニャークが、かるく伸子に向って頭を下げた。
「僕は、あなたの理解力と、あなたの馬鹿馬鹿しいウォツカぎらいの肝臓に乾杯します」
舞台の時間が来てポリニャーク夫人が席を去ってから、ポリニャークが杯をあける速力は目立ってはやくなった。
秋山宇一は額まで赫くなった顔を小さい手でなでるようにしながら、
「ロシアの人は酒につよいですね」
頭をひとりうなずかせながら、すこし鼻にかかるようになった声で云った。
「寒い国の人は、みんなそうですがね」
「空気が乾燥しているから、これだけのめるんですよ」
やっぱり大してのめない内海厚が、テーブルの上に置いたままあったウォツカの杯をとりあげて、試験管でもしらべるように、電燈の光にすかして眺めた。それに目をとめてアレクサンドロフが、
「内海さん、ウォツカの実験をする一番適切な方法はね、視ることじゃないんです、こうするんです」
唇にあてた杯と一緒に頭をうしろにふるようにして自分の杯をのみほした。
「日本の酒は、
「啜ろうと、仰ごうと、一般に酒は苦手でね」
内海が、もう酒の席にはいくぶんげんなりしたように云った。
「日本の神々のなかには、大方バッカスはいないんだろうよ。あわれなことさ!」
伸子はハンカチーフがほしくなった。カフスの中にもハンド・バッグの中にもはいっていない。そう云えば、出がけにいそいで外套のポケットへつっこんで来たのを思い出した。伸子は席を立って、なか廊下を玄関の外套かけの方へ行った。そして、ハンカチーフを見つけ出して、カフスのなかへしまい、スナップをとめながらまたもとの室へ戻ろうとしているところへ、むこうからポリニャークが来かかった。あまりひろくもない廊下の左側によけて通りすがろうとする伸子の行手に、かえってそっち側へ寄って来たポリニャークが突立った。
偶然、ぶつかりそうになったのだと思って伸子は、
「ごめんなさい」
そう云いながら、目の前につったったポリニャークの反対側にすりぬけようとした。
「ニーチェヴォ」
という低い声がした。と思うと、どっちがどう動いたはずみをとらえられたのか、伸子の体がひと
あんまり思いがけなくて、体ごと床から掬いあげられた瞬間伸子は分別が消えた。
「おろして!」
思わず英語で低く叫ぶように伸子は云った。
「おろして!」
背が高くて力のつよいポリニャークの腕の上から、伸子がいくら足に力をこめてずり落ちようとしても、それは無駄であった。伸子は、左手でポリニャークの胸をつきながら、
「声を出すから!(ヤー、クリチュー!)」
と云った。ほんとに伸子は、秋山と吉見を呼ぼうと思った。
「ニーチェヴォ……」
ポリニャークは、またそう云って、その室の中央にある大きいデスクに自分の背をもたせるようにして立ちどまった。そこで伸子を床の上におろした。けれども、伸子の左腕をきつくとらえて、酔っている間のびのした動作で、伸子の顔へ自分の大きな赧い顔を近づけようとした。伸子は、逃げようとした。左腕が一層つよくつかまれた。顔がふれて来ようとするのを完全に防ぐには、背の低い伸子が、体をはなさず却ってポリニャークに密着してしまうほかなかった。くっつけば、背の低い伸子の顔は、丁度大男のポリニャークのチョッキのボタンのところに伏さって、いくら顔だけかがめて来ようとも、伸子の顔には届きようがないのだった。
伸子の右手は自由だった。ザラザラする羅紗のチョッキの上にぴったり顔を押しつけて、伸子は自由な右手を、ぐるっとポリニャークの腕の下からうしろにまわし、デスクの方をさぐった。何か手にふれたら、それを床にぶっつけて物音を立てようと思った。
そこへ、廊下に靴音がした。あけ放されているドアから、室内のこの光景を見まいとしても見ずにその廊下を通ることは出来ない。
伸子は、ポリニャークのチョッキに伏せている眼の隅から赫毛のアレクサンドロフが敷居のところに立って、こちらを見ている姿を認めた。伸子は、デスクの方へのばしていた手で、はげしく、来てくれ、という合図をくりかえした。一足二足は判断にまよっているような足どりで、それから、急につかつかとアレクサンドロフが近づいて、
「ボリス! やめ給え。よくない!」
ポリニャークの肩へ手をかけおさえながら、伸子にそこをはなれる機会を与えた。
伸子は白々とした気分で、テーブルの出ている方の室へ戻って来た。いちどきに三人もの人間が席をたって、はぬけのようになっているテーブルに、ザクースカのたべのこりや、よごれた皿、ナイフ、フォークなどが乱雑に目立った。ポリニャークの席にウォツカの杯が倒れていて、テーブル・クローズに大きい酒のしみができている。秋山宇一と内海厚は気楽な姿勢で椅子の背にもたれこんでいる。反対に、素子がすこし軟かくなった体をテーブルへもたせかけるように深く肱をついてタバコをふかしている。伸子がまたその室へ入って行って席についたとき、素子のタバコの先から長くなった灰が崩れてテーブル・クローズの上に落ちた。
「――どうした? ぶこちゃん」
ちょっと気にした調子で素子がテーブルの向い側から声をかけた。
「気分でもわるくなったんじゃない?」
伸子は、いくらか顔色のよくなくなった自分を感じながら、
「大丈夫……」
と云った。そして、ポリニャークに掬い上げられたとき少し乱れた断髪を耳のうしろへかきあげた。
程なく、ポリニャークとアレクサンドロフが前後して席へもどって来た。
「さて、そろそろ暖い皿に移るとしましょうか」
酔ってはいても、格別変ったところのない主人役の口調で云いながら、伸子の方は見ないでポリニャークは椅子をテーブルにひきよせた。テーブルの角をまわってポリニャークの右手にかけている伸子は、部屋へ戻って来たときから、自然椅子を遠のけ気味にひいているのだった。
「われらの食欲のために!」
最後の杯があけられた。アレクサンドロフが伸子にだけその意味がわかる親和の表情で、彼女に向って杯をあげた。ポリニャークは陽気なお喋りをやめ、新しく運びこまれたあついスープをたべている。食事の間には主にアレクサンドロフが口をきいた。部屋の雰囲気は、こうして後半になってから、微妙に変化した。しかし、少しずつ酔って、その酔に気もちよく身をまかせている秋山宇一や内海厚、素子さえも、その雰囲気の変化にはとりたてて気づかない風だった。
伸子たち四人が、ポリニャークのところから出て、また雪の深い停留場からバスにのったのは、十一時すぎだった。市中の劇場がはねた時刻で、郊外へ向うすべての交通機関は混み合うが、市の外廓から中心へ向うバスはどれもすいていた。伸子たち四人は、ばらばらに座席を見つけてかけた。秋山も素子も、バスのなかの暖かさと、凍った雪の夜道を駛ってゆく車体の単調な動揺とで軽い酔いから睡気を誘われたらしく、気持よさそうにうつらうつらしはじめた。伸子がかけている座席のよこの白く凍った窓ガラスに乗客の誰かが丹念に息をふきかけ、厚く凍りついた氷をとかしてこしらえた覗き穴がまるく小さくあいていた。その穴に顔をよせて外をのぞいていると、蒼白くアーク燈にてらし出されている並木の雪のつもった枝だの灯のついた大きい建物だのが、目の前を
断片的なそとの景色につれて、伸子の心にも、いろいろな思いが断片的に湧いて消えた。ポリニャークにいきなり体ごと高く掬い上げられ、その刹那意識の流れが中断されたようだった変な感じが、まだ伸子の感覚にのこっていた。ポリニャークは、どうしてあんなことをしたのだろう。自分も何か用事で廊下へ出て来た拍子に、小さい伸子が来かかるのを見て、ひょいと掬い上げたというのならば、そうするポリニャークに陽気ないたずらっ子の笑いがあったはずだし、伸子も、びっくりした次には笑い出す気分がうつったはずだった。ポリニャークのポヤポヤ髪をもった大きい赤い顔には、ひとつもそういうあけっぱなしの陽気さや笑いはなかった。伸子が本能的に体をこわばらして抵抗する、そういう感じがあった。男が女に何かの感情をつたえる方法としてならば、あんまり粗野だった。ポリニャークが育ったロシアの農村の若衆たちに、ああいう習慣でもあるのだろうか。また女優である細君の楽屋仲間をよんだりすると、酔った男優女優は、主人のポリニャークもこめてああいう騒ぎをやるのかもしれない。
伸子は、客に行ったさきであんな風に掬い上げられたことは不愉快だった。自分の態度のどこかに、すきがあったと思われた。伸子は、「やあ にぇ まぐう」を思い出した。柔かくすべっこくされた日本の女のロシア語が、酔った男の感覚にどう作用するかというようなことを、伸子は今になって、考えて、はじめて推測できた。伸子は、屈辱の感じで思わず凍った窓ののぞき穴から顔をそむけた。
モスクへ来てたった二週間しか経たなかったとき、伸子は鉄工組合の労働者クラブの集会へ行った。にわかに演壇に立たされて、困りながら伸子は、自分がたった二週間前に日本から来たばかりなこと、ロシア語が話せない、ということを云った。そのとき、伸子は、どんなしっかりした立派な発音でヤー ニェ マグウ ガバリーチ パ ルースキー(わたしはロシア語は話せません)と云ったというのだろう。いまよりもっとひどいフニャフニャ にぇ まぐう で云ったにちがいなかった。それでも、あの会場に集っていた二三百人の男女は、瞳をそろえて、下手なロシア語を話す体の小さい伸子を見守り、その努力を認め、声をかけて励してくれる者もあった。あの人々が、ポリニャークに掬い上げられたりしている伸子をみたら、どんなにばかばかしく感じるだろう。そんな伸子に拍手をおくった自分たちまでが、同時にばかにされたように感じるだろう。伸子はその感情を正当だと思った。そして、あの人々に、このいやさを訴えたいこころもちと半ばして、訴えることさえ
ホテルへかえりつくと、素子も秋山も、浅い酔いがさめかかって寒くなり、大いそぎで熱い茶を幾杯ものんで、部屋部屋にわかれ、じき床に入った。
あくる日、臨時にマリア・グレゴーリエヴナの稽古の時間が変更になって、伸子がトゥウェルスカヤ通りをホテルへ帰って来る頃には、もうモスクの街々に灯がはいった。歩道に流れ出している光を群集の黒い影が絶間なくつっきって足早に動いている。そのなかにまじっていそぎ足に歩いていた伸子は、ふと、トゥウェルスカヤ通りの見なれた夕景が、霧につつまれはじめたのに気づいた。日本の晩秋に立ちこめる
モスクへ来て暮したふた月ほどの間、モスクの人々に対する伸子の一般的な信頼と自分に対する信頼とを、動かされるような目に会っていなかった。ところが昨夜、ポリニャークのところへよばれて、あんなにひょいと、二本の脚でしゃんと立っていた筈の自分が床の上から体ごと掬い上げられた経験は、伸子が自分についてもっていた安定感を、ひっくるかえした。ポリニャークに、あんな風にやすやすと掬い上げられてしまったことには、体力も関係した。ポリニャークの大さ、力のつよさに対して、あんまり伸子は小さかった。日本人の男と伸子との体力の間にはあれだけの開きはない。あいてになりようない力を働かしてポリニャークは一人前の女である伸子をあんなにいきなり掬いあげた。無礼ということばの、真の感覚で伸子はそれを無礼と感じた。同時に、ひとから無礼をはたらかれるような理由も動機も自分はもっていないように天真爛漫だった伸子のモスク暮しの気分も、ゆらいだ。これからも屈辱的な扱いにあうかもしれないモメントを自分がもっているということを伸子は知らされたのであった。二月の夜霧が流れるトゥウェルスカヤ通の、下り坂になった広い歩道をいそいで来る伸子のこころの孤独感は、素子にも話さない、そういう感情とつながっていた。
その晩は、これまでなら、素子のところへモスク河のむこうから女教師が来るはずの日だった。そして、伸子は二時間ばかりどこかへ行っていなくてはならないわけだった。今週からその女教師は、むこうからことわって来て、やめになった。伸子が、未払いになっていた授業料を届けがてら、素子のつかいで、病気だというハガキをよこしたその女教師のところへ行った。丁度午後三時すぎの日没がはじまる頃で荒涼と淋しい町はずれの一廓の、くずれかかったロシア風の木柵に沿って裸の枝をつきたたせている白樺の梢に、無数のロシア烏が鈴なりにとまって
そういうわけで今夜は、伸子も室にいてよかった。素子が自分の勉強がてらプレハーノフの芸術論をよもうということになった。素子がひとりで音読し、ひとりで訳した。モスクのどこの劇場へ行っても、劇評を見ても、弁証法的な演出とか手法とかいうことがくりかえされていたが、伸子たちにはどうもその具体的な内容がのみこめなかった。メイエルホリドでは「トラストD・E」を上演していて、解説には資本主義の批判をテーマとした脚本の弁証法的演出とあった。しかし伸子たちが観た印象では、その芝居は極端な表現派の手法としか感じられなかった。プレハーノフをよもうといい出した素子の動機は、そういうところにもあるのだった。
素子のよむプレハーノフの論文の一字一字を懸命に追ってゆくうちに、伸子は、この芸術論が、案外ジョン・リードの「世界を震撼させた十日間」よりもわかりやすいのを発見した。時々刻々に変化する緊張した革命の推移を、ジャーナリスティックな複雑さと活溌なテムポとで描き出し記録しているリードの文章よりも、理論を辿って展開されてゆくプレハーノフの文章の方が、感情的でないだけに、伸子についてゆきやすかった。
「こうしてみると小説ってむずかしいわねえ」
「そりゃむずかしいさ、文章が動いているもの――」
「わたしには、とても小説の方はのぞみがないわ。――一字一句格闘なんだもの」
「なれないからさ」
「それもあるだろうけれど……」
モスクへ来てからは、とくに字をよむよりさきに耳と口とを働かせなければならない必要が先にたって、伸子のロシア語のちんばな状態は一層ひどくなった。話す言葉は、間違いだらけでも、必要によって通用した。伸子の読み書く能力は、非常に劣っていた。自分の片ことのロシア語についても、伸子は昨夜の「にぇ まぐう」のことから不快を感じはじめているのだった。
「いまの作家で、だれの文章がやさしいのかしら」
素子は、考えていたが、
「わからないね」
と云った。
「外国人にわかりやすい文章とロシア人にわかりやすい文章とは、すこしちがうらしいもの。大体、ロシア人は新しい作家のは、やさしいっていうけれど、わたしたちには反対だ、
それは伸子にも推察された。
「ケンペルの文章、ほんとにやさしいのかしら」
本屋でヴェラ・ケンペルの『動物の生活』というお
「ありゃ、たしかに気取ってるよ」
「――でも、わたしたちが、彼女の文章はむずかしいと云ったら、大変きげんがわるかったわねえ」
「そうそう、御亭主に何だか云いつけてたね」
それは半月ばかり前のことであった。伸子たち二人が秋山宇一のところにいたら、そこへ、シベリア風のきれいな
その晩、秋山の室でおちあったグットネルは、伸子たちをみると、まるでその用事で来たように、二人をヴェラ・ケンペルの家へ誘った。
黄色と純白の毛皮をはぎ合わせた派手なきれいな毛皮外套をきたままの若々しいグットネルにタバコの火をやりながら、素子はうす笑いして、
「突然私たちが行ったって、芝居へ行っているかもしれないじゃありませんか」
と云った。
「ケンペルは、こんや家にいるんです。僕は知っています」
寒いところをいそいで歩いて来た顔のうすくて滑かな皮膚をすがすがしく赤らませ、グットネルは若い鹿のような眼つきで素子を見ながら、
「行きましょう」
と云い、更に伸子をみて、
「ね、行きましょう(ヌ・パイディヨム)」
すこし体をふるようにして云った。
素子は、じらすように、
「あなたと私たちがここで今夜会ったのは、偶然じゃありませんか」
「ちがいます」
それだけ日本語で云ってグットネルは伸子たちを、部屋へ訪ねて誘うために来たのだと云った。
「偶然なら、なお私たちはそれをたのしくするべきです、そうでしょう?」
到頭三人で、ヴェラ・ケンペルの住居を訪ねることになった。大通りから伸子によくわからない角をいくつも曲って、入口が見えないほど暗い一つの建物を入った。いくつか階段をのぼって、やっぱり殆ど真暗な一つのドアの呼鈴を押した。
すらりとした、薄色のスウェター姿の婦人が出て来た。それが、ケンペルだった。
狭い玄関の廊下から一つの四角いひろい室にはいった。あんまり明るくない電燈にてらされている。その室の一隅に大きなディヴァンがあった。もう一方の壁をいっぱいにして、フランス風の淡い色調で描かれた百号ぐらいの人物がかかっていた。その下に、膝かけで脚をくるんだ一人の老人が揺り椅子によっていた。伸子たちは所在なさそうに膝かけの上に手をおいているその老人に挨拶をしてそこをとおりぬけ、一つのドアからヴェラの書斎に案内された。
「見て下さい。モスクの住宅難はこのとおりですよ。私たちは、まるで壁のわれ目に棲んでいるようなもんです」
ほんとに、その室は、モスクへ来てから伸子が目撃した最も細長い部屋の一つだった。左手に、一つ大窓があって、幅は九尺もあろうかと思う部屋の窓よりに左光線になるようにしてヴェラの仕事机がおいてあった。伸子たちが並んで腰かけたディヴァンが入口のドアの左手に当るところに据えられていて、小さい茶テーブルや腰のひくい椅子があり、その部分が応接につかわれていた。一番どんづまりの三分の一が寝室にあてられているらしくて、高い衣裳箪笥が見えた。素子が、
「わたしたちは、いまホテルにいますけれど、そろそろ部屋をさがしたいと思っているんです」
と言った。
「モスクで貸室さがしをするのは、職業を見つけるより遙かに難事業です――グットネル、あなたの友情がためされる時が来ましたよ」
よっぽどその馴鹿の毛皮外套が気にいっているらしく、ヴェラの室へもそれを着たまま入って来て、ドアによりかかるようにして立っていたグットネルが、間もなく劇場へゆく時間だからと、出かけて行った。
おもに素子とヴェラとが話した。未来派の詩をかいていたケンペルは、革命後
「いかがでした? 面白かったですか」
ヴェラが興味をもってきいた。素子が、あっさりと、
「むずかしいと思いました」
と云った。
「一つ一つの字より、全体の表現が……」
「――あなたは? どう思いました?」
伸子の方をむいて、ヴェラが熱心にきいた。
「わたしのロシア語はあんまり貧弱で、文学作品はまだよめないんです」
「――だって……」
ヴェラ・ケンペルは憂鬱な眼つきでドアの方を見ていたが、やがて、
「わたしたち現代のロシア作家は、すべて、きのう字を覚えたばかりの大衆のためにも、わかるように書かなければならないということになっているんです」
皮肉の味をもって云い出しながら、皮肉より重い日ごろの負担がつい吐露されたようにヴェラは云った。
「そのことは外国人の読者の場合とはちがいましょう」
「どうして?」
「外国人には、生活として生きている言葉の感覚がわからないことがあるんです。――あなたの文章を、むずかしいと感じるのは、わたしたちが外国人だからでしょう……」
「どっちだって同じことです」
ヴェラの室にテリア種の小犬が一匹飼われていた。伸子たちが入って行ったとき壁ぎわのディヴァンの上にまるまっていたその白黒まだらの小犬は、そのままそのディヴァンにかけた伸子の膝の上にのって来て、悧巧な黒い瞳を輝やかしている。伸子は、その犬を寵愛しているらしい女主人の気持を尊重する意味で、膝にのせたまま、ときどきその犬を撫でながら、素子との話をきいていた。
そこへ、ドアのそとから、声をかけて、全くアメリカ好みのスケート用白黒模様のジャケットを着た若い大柄の男が入って来た。ヴェラは、小テーブルのわきへ腰かけたまま、
「わたしの良人です。ニコライ・クランゲル――ソヴ・キノの監督――日本からのお客さまがたよ」
と伸子たちを紹介した。
「こちらは」
と素子をチェホフの翻訳家として、
「そちらは、作家」
と伸子を紹介した。
「お目にかかってうれしいです」
クランゲルは、握手をしない頭だけの挨拶をして、グットネルがこの部屋へ入って来たときしていたように、入口のドアに背をもたせて佇んだ。くすんだ鼠色のズボンのポケットへ片手をつっこんで。――
伸子たちにききわけられない簡単な夫婦らしい言葉のやりとりでヴェラはニコライに、二言三言なにかの様子をきいた。
「そう、それはよかったこと……」
ヴェラは、ちょっと言葉を途切らせたが、
「ねえ、あなたはどう思うこと?」
ほとんど彼女の正面にドアによっかかって立っているニコライを仰ぎみるようにして云った。
「この方々は、わたしの書くものがむずかしいっておっしゃるんです」
じっと、ニコライの顔をみつめて、ヴェラは云っている。伸子は、そのヴェラの、妻として訴え甘えている態度をおもしろく感じた。モスクというところでは、何だかこんな婦人作家の表情を予期しないような先入観が伸子にあった。
ニコライは、何とも返事をしないでヴェラの顔を見かえしたまま肩をすくめ、片方の眉をつり上げるようにした。その身ぶりを言葉にすれば、何を云ってるんだか、と伸子たちの意見をとりあわない意味であろう。ニコライは、ヴェラの顔を見まもったまま、ゆっくりタバコに火をつけた。伸子たちには、別に話しかけようとしない。ニコライが、ひと吸いふた吸いしたとき、ヴェラが、
「わたし退屈だわ」
と云って、そっとほっそりした胴をのばすような身ごなしををした。伸子は、びっくりした眼つきでヴェラ・ケンペルをみた。ヴェラのその言葉は、伸子たちの対手をしていることが退屈なのか、それとも一般的に生活が退屈だという意味なのか、そこの区別をぼやかした調子で云われた。
ニコライは、ドアによりかかっているすらりと長い片脚に重心をもたせてタバコを吸いながら、映画俳優がよくやる、一方の眉の下からはすに対手を見る眼つきで、
「――
と云った。
「……
伸子は、テリアの小犬を自分の膝からディヴァンの上へおろした。そして素子に日本語で、
「そろそろかえらない?」
と云った。
「そうしよう」
そこで伸子と素子とは、ヴェラ・ケンペルの家から帰ったのであった。帰るみちで、伸子は素子に、
「あの私、退屈だわ、はわたしたちに云ったことなの?」
ときいた。
「さあ……ああいうんだろう」
素子は、案外気にとめずヴェラ・ケンペルの文学的ポーズの一つとうけとっているらしかった。
ときをへだてた今夜、素子と本をよみ終えて、雑談のうちにそのときの情景をまた思いおこすと、伸子たち二人を前におきながらヴェラがニコライに甘えて、じっとニコライの眼を見つめながら、書くものがむずかしいと云うと訴えたことも、退屈だわ、と云ったことも、伸子にいい心持では思い出されなかった。あの雰囲気のなかには、伸子たちにとって自然でなく感じられるものがあった。伸子たちが、どうだったらば、ヴェラ夫妻にあんな雰囲気をつくらせないですんだだろう? この問いは、伸子の心のなかですぐポリニャークに掬い上げられたことと、くっついた。伸子がどうであればポリニャークに、あんなに掬い上げられたりしなかっただろうか。伸子は、ひろげた帳面の上に、鉛筆で麻の葉つなぎだの、わけのわからない円形のつながりだのを、いたずら書きをはじめた。
この前の日本文学の夕べのとき会ったノヴィコフ・プリヴォイの
「彼は、どうしてももう一度日本へ行って、お花さんに会う決心だそうですよ」
と笑いながら云った。
「わたしは、お花さんによくお礼をいう義務があるんだそうです」
クロンシュタットの海兵が反乱をおこしたとき連座して、一九一七年までイギリスに亡命して暮したプリヴォイ夫妻は英語を話した。モスクの住宅難で自分のうちに落付いた仕事部屋のないプリヴォイは、モスク郊外に出来た「創作の家」で、「ツシマ」という長篇をかいているところだった。
石垣のように円をつみ重ねたいたずらがきを濃くなぞりながら、伸子は、あのプリヴォイがたとえ酔ったからと云って、伸子を掬い上げたりするだろうか、と思った。それは想像されないことだった。プリヴォイには、そういう想像がなりたたない人柄が感じられる。けれども、ポリニャークもプリヴォイも同じロシアプロレタリア作家同盟に属している。――
「ねえ、プロレタリア作家って、ほんとうはどういうの?」
伸子に訳してきかせたあとを一人でよみつづけていた素子が、
「――どういうのって……どういう意味なのさ」
本の頁から顔をあげずにタバコの灰を指さきでおとしながらききかえした。
「何ていうか――規定というのかしら――こういうものだという、そのこと」
「そんなことわかりきってるじゃないか」
すこし気をわるくしたような声で素子が答えた。
「労働者階級の立場に立つ作家がプロレタリア作家じゃないか」
「そりゃそうだけれどさ……」
革命後にかきはじめた作家のなかには、プロレタリア作家と云っても、偶然な理由からそのグループに属している人もある、と伸子には思えた。
「ポリニャークなんかもそうじゃない? 革命のとき、偶然金持ちでない階級に生れていて、国内戦の間、ジャガ薯袋を背負って、避難列車であっちこっちして『裸の年』が認められたって……プロレタリア作家って文才の問題じゃないでしょう?」
「だからルナチャルスキーが気をもむわけもあるんだろうさ――前衛の眼をもてって――」
伸子は、ひょっと、自分がもし日本から来た女の労働者だったら――工場かどこかで働くひとであったら、同じ事情のもとでポリニャークはどうしただろうか、と思った。それから、ヴェラ・ケンペルも。やっぱり、気のきかない客だということを、わたし退屈だわ、と云う表現でほのめかしただろうか。
日本の政府はソヴェトへの旅行の自由をすべての人に同じようには与えないから、公然と来られるものはいつも半官半民の特殊な用向の日本人か、さもなければ伸子たちのような中途半端な文化人ということになっている。けれども、仮にもし女の労働者がどういう方法かでモスクへ来たとして。
そういう人に対してだったら、ポリニャークもケンペルも、決して伸子に対したようには行動しない、ということは伸子に直感された。働く女の人なら、彼女がどんなに、にぇ、まぐう、と柔かく発音しようと、その女の体が日本の女らしく酔った大きな男に軽々ともち上げられる小ささしかなかろうとも、ポリニャークは伸子をそうしたようにそのひとを掬いあげたりはしないだろう。その女の労働者は、たとえ日本から来た人であろうと、労働者ということでソヴェトの労働者の全体とつながっている。その女のひとを掬いあげることは、ソヴェトの女の労働者の誰か一人を掬いあげたと同様であり、そういうポリニャークの好みについてソヴェトの働く人々は同感をもっていない。労働者が仲間の女の掬い上げられたことについて黙っていないことをポリニャークは知っているのだ。ヴェラ・ケンペルにしても、ちがった事情のうちに働くポリニャークと同じ心理があるにちがいない。
伸子は、帖面の紙がきれそうになるまで、いたずら書きのグリグリを真黒くぬりつぶした。ああいう人たちは或る意味で卑屈だ。伸子は、ポリニャークやケンペルのことを考えて、そう思った。彼等はプロレタリアにこびる心を働かせずにはいられないのだ。伸子はもとより女の労働者ではない。だが、伸子が女の労働者でない、ということは、伸子がポリニャークやケンペルに対して、ソヴェトの働く人々に対して卑屈でなければならないということではない。伸子がモスクへ来てから、労働者階級の人たちや、その人たちのもっているいろんな組織は、伸子を無視していた。伸子の方から近づいてゆかなければ、その人たちの方から伸子を必要とはしていない。それは全く当然だ、と伸子は思った。伸子はモスクの生活でどっさりあたらしい生活感覚を吸いとっているのに、伸子のなかには、ここの人にとって学ぶべき新しいものはないのだから。珍しさはあるとしても。また漠然とした親愛感はあるにしろ。――無視されている、ということと、自分を卑屈の徒党のなかにおく、ということとははっきり別なことではないだろうか。――
苅りあげて、せいせいと白いうなじを電燈の光の下にさらしながら、伸子はいつまでもいたずらがきをつづけた。
モスクの街に深い霧がおりた翌日の十一時ごろ、郵便を入れにホテルから出かけた伸子は、トゥウェルスカヤ通りを行き来する馬という馬に、氷のひげが生えているのにおどろいた。ちっとも風のない冬空から太陽はキラキラ雪の往来にそそいで馬の氷のひげやたてがみをきらめかしている。
並木道へはいって行って、伸子は氷華の森のふところ深く迷いこんだ思いがした。きのうまでは、ただ裸の黒い枝々に凍った雪をつけていた並木道の菩提樹が、けさ見れば、細かい枝々のさきにまで繊細な氷華を咲かせている。氷華につつまれた菩提樹の一本一本がいつもより大きく見え、際限ないきらめきに覆われて空の眩ゆさとまじりながら広い並木道の左右から撓みあっている。その下の通行人の姿はいつもよりも小さく、黒く、遠く見えた。
二月も半ばをすぎると、モスクの
マリア・グレゴーリエヴナに世話をたのんで、はじめて三人で見に行った家は市の中央からバスで大分郊外に出た場所にあった。バスの停留場から更に淋しい疎林のある雪道を二十分も行った空地の一方の端に、ロシア式丸木建の新しい家がたっていた。ここは部屋の内部も丸木がむき出しになっている建てかたで、床の塗りあげもまだしてなかった。ガランとした室に白木の角テーブルが一つあった。室へ案内したそこの主婦は堂々として大柄な四十ばかりの女で、ほそいレースのふちかざりのついた白い清潔なプラトークで髪をつつんでいた。重い胸の前に両腕をさし交しに組んで戸口に立ち、いかにも彼女のひろい背中のうしろに、一九二一年の
家具らしいものが一つも入っていず、きつくチャンの匂うその新築丸木建の室の窓からは、貧弱な楊が一二本曲って生えている凹地が見はらせた。いまこそ一面の雪で白くおおわれて野原のように見えているが、やがて雪がとけだしたとき、その下から広いごみすて場があらわれることはたしかにみえた。伸子は、そういう窓外の景色を眺めながら、
「ここでは夜芝居の帰りみちがこわいわ。街燈がなかったことよ」
と云った。それは一つの理由で、この大柄で目つきがきつく、冷やかで陽気な主婦は、伸子たちがおじるような胸算用のきびしさを直感させた。
劇場がえりが、女ばかりだから遠い夜道はこわいということは、眼つきのきつい主婦も認めた。モスクでは何よりむずかしいとされている室さがしを伸子たちにたのまれたマリア・グレゴーリエヴナは[#「マリア・グレゴーリエヴナは」は底本では「マリア・グリゴーリエヴナは」]は、何かのつてでやっと手に入れた所書きだけをたよりに、自分でも先方のことは知らないまま、伸子と素子とを連れて見に来たのだった。
その家を出てまた雪道をバスまで戻りながら、伸子は、自分たちのモスク暮しも段々とモスク市民生活の臓腑に近づいて来た、と思った。モスクの臓腑は赤い広場やトゥウェルスカヤ通りだけでは分らない色どりと、うねり工合と、ときに悪臭と発熱とで歴史の歯車にひっかかっている。
ワフタンゴフ劇場の通りには、横丁が網目のように通じていた。或る日のおそい午後、伸子たち三人は、所書きをたどってその一つの横丁の、ひどく高い茶色の石壁のわきにある袋小路を入って行った。貸す室というのは、袋小路のなかの、ひどく
「おのぞみなら、食事もおひきうけします」
と熱心に云った。
「料理にはいくらか心得がありますし……ここの市場はものが割合やすくて、種類もたっぷりあるんです……」
きれぎれな言葉で外套のどこかをひっぱるような貸し主の女のものの云いかたには、ほんとに部屋代を必要としている人間の訴えがこもっていた。その室にしばらく立っていると、この家のどこかにもう長いこと床についたままの病人がいて、見えないところからこの交渉へ神経をこらしているような感じだった。かりにこの室で我慢するとしても伸子たちが借りることの出来る寝台が一つしかなくて、補充する寝椅子も、そこにはなかった。
こういう風なところをあちこち歩いてホテルへかえると、小規模なパッサージの清潔さと設備の簡素な合理性とが改めて新鮮に感じられた。
「こうしてみると、住めるような部屋ってものは容易にないもんだね」
素子がタバコを深く吸いながら云った。
「いまのモスクで外国人に室をかそうとでもいうような者は、あの丸木小舎のかみさんのような因業な奴か、さもなけりゃ、きょうみたいな、気の毒ではあるがこっちの健康が心配だというような室しかもっていないような人しかないんだね」
伸子はじっと素子をみて、体のなかのどこかが疼くような表情をした。室さがしにあっちこっち歩いてみて、伸子はまだモスクにも人間の古い不幸としての貧や狡猾がのこっているのを目近に目撃した。
「もうすこしさがしてみましょうよ。ね?」
伸子は熱心に云った。
「モスクで外国人に室をかすものは、ほんとにいかがわしい者や、時代にとりのこされたような人しかないのかどうか、わたし知りたいわ」
「そりゃ探すさ、ほんとにさがしているんだもの――」
女子大学の学生時代から、借家さがしや室さがしに経験のある素子は、しばらく考えていたが、
「もしかしたら、広告して見ようよ、ぶこちゃん」
と云った。
「モスク夕刊か何かに――かえってその方が、ちゃんとしたのが見つかるかもしれない。あさっての約束の分ね、それを見て駄目だったら、広告にしよう」
あさってという日、三人が行ったのは、ブロンナヤの通りにある一軒の小ぢんまりした家だった。外壁の黄色い塗料が古くなってはげているその家の二重窓の窓じきりのかげに、シャボテンの鉢植がおいてあるのが、そとから見えた。
呼鈴にこたえて入口をあけたのは三十をこした丸顔の女で、その人をみたとき、伸子は自分たちが楽屋口へ立ったのかと思った。女は、映画女優のナジモアが椿姫を演じたときそうしていたように、黒っぽい断髪を頭いっぱいの泡立つような捲毛にしていた。モスクでは見なれないジャージの服を着て、赤いコーカサス鞣の室内靴をはいている。そういういでたちの女主人は伸子たちをみると、
「今日は」
と、フランス語で云った。
「どうぞ、お入り下さい」
それもフランス語で云って、マリア・グレゴーリエヴナに、
「この方たちは、二人一緒に室をかりようとしているんでしょうか」
とロシア語できいた。
「ええ、そうですよ、もちろん」
マリア・グレゴーリエヴナは照れたように正直な茶色の眼を見開いて、
「彼女たちはロシア語が十分話せるんです。どうか、じかにお話し下さい」
と、丸っこい鼻のさきを一層光らした顔で云った。
「まあ! それはうれしいですこと! ロシア語を野蛮だと思いなさらない外国の女のかたには滅多におめにかかったことがありませんわ」
更紗の布のはられた肱かけ椅子に伸子たちはかけた。
「この室はね、外が眺められてほんとに気の晴れ晴れする室なんです。ずっとわたしの私室にしていたんですけれど――」
捲毛の泡立つ頭をちょいとかしげて、言葉をにごした女主人は、あとはお察しにまかせる、という風に、
「――教養のある方と御一緒に棲めればしあわせです」
スプリングの上等なベッドを二つと、衣裳ダンスと勉強机その他はすぐ調えられるということだった。
「私には便宜がありますから……。それに時間で通う手伝いをたのんで居りますから、食事も、おのぞみならいたしますよ。白い肉か鶏でね――わたしも娘もデリケートな体質で白い肉しかたべられませんの……」
女主人がそう云ったとき、マリア・グレゴーリエヴナは、ひどく瞬きした。女主人が浮き浮きした声で喋れば喋るほど、素子は、もち前の声を一層低くして、
「で、これからこの室へ入れる家具っていうのは――、費用はあなたもちなんですか?」
タバコを出しかけながら面白がっている眼つきできいている。
「あら、――それは、あらためて御相談しなくちゃ」
素子は何くわぬ風で、外国人というロシア語をすべて男性で話しながら、
「モスクに、室をさがしている外国人はどっさりいるんでしょう、こんないい室なら、家具を自分もちでも来る外国人があるだろうに……」
と、云った。女主人は、素子が外国人を男性で話したことには心づかなかった表情で、
「おことわりするのに苦労いたしますわ」
と云った。
「ちゃんとした家庭では、一緒に住む人の選びかたがむずかしくてね。わたし、娘の教育に生涯をかけて居りますのよ」
女主人は、うしろのドアの方へ体をねじって、遠いところにいるひとをよぶように声に抑揚をつけ、
「イリーナ」
とよんだ。
待ちかまえていたようにすぐドアがあいた。スカートの短すぎる赤い服に、
「娘のイリーナです。大劇場の舞踊の先生について、バレーの稽古をさせて居ります。――本当の、古典的なイタリー風のバレーを。さあ、可愛いイリーナ、お客さまに御挨拶は?」
すると、イリーナとよばれたその娘は、まるで舞台の上で、踊り子がアンコールに答えるときにでもするように、にっこり笑いながら、赤い服のスカートを左右につまみあげて、片脚を深くうしろにひいて膝を曲げるお辞儀をした。全くそれが、この娘に仕込まれた一つの芸であるらしく、前にのこした足を、踊子らしく外輪においてゆっくり膝をかがめ、またもとの姿勢に戻るまでを、女主人は息をころすようにして見つめた。
マリア・グレゴーリエヴナが、
「見事にできました」
とほめた。低い椅子にかけたまま、立っている娘を見上げる女主人、立ったまま母親の顔を見ている娘とは、マリア・グレゴーリエヴナの褒め言葉で、互に、満足の笑顔を交しあった。娘は、ドアのむこうに引こんだ。
「さて、どうするかね、ぶこちゃん」
素子が日本語で相談した。
「場所はいいが……ちっと複雑すぎるだろう」
「わたしには、とてもあの子をほめきれないわ」
「――場所は私たちにとって便利だし、室もいいけれども、何しろわたしたちは旅行者ですからね」
女主人とマリア・グレゴーリエヴナとを等分に見ながら素子が説明した。
「家具を自分たちで負担するのは、無理なんです」
捲毛の渦まく頭をすこし傾けながら、女主人は無邪気そうに、思いがけないという目つきをした。
「どうしてでしょう。――わたしたちが家具を買う、というときは、いつもそれが、また売れるということを意味しますのよ。そして、私たちは実際、いい価で交換出来ないような品物を、家具とはよばないんです」
マリア・グレゴーリエヴナが、
「いずれにせよ、即答はお互に無理でしょう」
なかに立って提案した。
「二日ばかり余裕をおいて、返事することになすったら?――こちらにしろ」
と赤い部屋靴をはいている女主人をかえりみて、
「その間に、非常に希望する借りてを見つけなさるかもしれませんしね」
「結構ですわ」
捲毛の女主人は、社交になれたとりなしでちょっと胸をはった姿勢で椅子から立った。
「では二日のちに――」
「どうぞ――御一緒に暮せるようになったらイリーナもよろこびますわ」
入口のドアがしずかに、しかしかたく、三人のうしろでしまった。三人はしばらく黙ったまま、人通りのない古風なブロンナヤの通りを並木道の方へ歩いた。
「ああいう女のひとにとって一七年はどういう意味をもっているんでしょうねえ」
マリア・グレゴーリエヴナは、黒い毛皮のついた、いくらか古びの目立つ海老茶色の外套の肩をすくめるようにした。
「モスクの舞台にあらわれるああいう女のひとのタイプは、誇張されているんじゃないということがわかりました。――そう思うでしょう?」
ブロンナヤの通りを出はずれて二股になったところで素子が雪の鋪道に足をとめた。
「ここまで来たんだから、ちょっと大使館へよって手紙見て行こうか」
部屋を見に行った家の裏がわぐらいのところが、丁度大使館の見当だった。マリア・グレゴーリエヴナはそのまま真直ニキーツキー門から電車にのって帰るために行った。
二人きりになって、二股通りを裏がわにまわった。伸子が口をききはじめた。
「珍しかったわねえ!」
伸子はそう云って深く息をついた。
「フランス語――どうだった?」
「――ありゃ、妾だね」
断定的に素子が云った。
「男をおかないのは、世話しているやつがやかましいからさ。あんな、うざっこい家にいられるもんか」
「あのうちにいたりしたら、日に何度娘をほめなけりゃならないかわからないわ」
素子は、モスクでああいう女を囲ったりしている男の生活というものへ、より多く興味をひかれるらしかった。
「あの女の様子じゃ、男はまさか政治家じゃあるまい。所謂実業家というところだね」
「実業家って――あるの? ここに」
「トラストだのシンジケートだのってあるじゃないか」
「…………」
門の入口に門番小舎を持つ大使館は、きょうも雪のつもった大きい樹のかげに陰気な茶色の建物で立っていた。正月一日に、在留邦人の拝賀式があって、そのあと、ちょっとした接待があった。そのとき客のあつまった大応接間は、陰気な建物の外見からは想像もされない贅沢さで飾られていた。はじめこの家を建てるとき、おそらくモスクの金持ちの一人だった主人は、社交シーズンである厳冬の雪の白さと橇の鈴音との、鋭いコントラストをたのしもうとしたのだろう。表玄関がすっかりエジプト式に装飾してあった。胴のふくらんだ黄土色の太い二本の柱には、朱、緑、黄などでパピラスの形象文字が絵のように描かれて居り、周囲の壁もその柱にふさわしく薄い黄土色で、浮彫の効果で二人のエジプト人が描かれていた。廊下一つをへだてた応接間はフランス風に、大食堂はイギリス好みに高い板の腰羽目をもってつくられていた。
手紙をとりに事務室の方へのぼってゆく階段は、大玄関とは別の、茶色のドアのなかにあった。事務室のそとの廊下に、郵便局の私書箱のような仕切りのついた箱棚があって、在留している人々の名が書いてはりつけてある。伸子は、自分の姓が貼られてある仕切りのなかを見た。そして、瞬間何ということなし普通でない感じにうたれた。その日はどうしたのか仕切りの箱の中がいつものように新聞の巻いたのや雑誌の巻いたのでつまっていず、ガランとした棚の底に水色の角封筒がたった一つ、ぴたりとのっていた。封筒には多計代の字でかかれた表書きが見えている。その水色の厚ぼったい封筒はその仕きりのなかでいやに生きた感じだった。生きている上に感情をもってそこにいるという感じだった。伸子は変な気がして瞬間眺めていたが、やがて、生きものをつかむように、その手紙を仕切り箱からとり出した。そとの明るい光線にさらされると手紙はただ厚いだけで、別に変ったところもないのだった。
ホテルへ帰って、二人はすこし早めに正餐をすませた。その晩は、メイエルホリド劇場で「
「橇にしましょう、ね」
「橇、橇って……贅沢だよ」
「だって、もうじき雪がとけてしまうのよ、そしたらもう来年まで橇にはのれないのよ――来年の冬、たしかにモスクで橇にのるって、誰が知っている?」
外套を着るばかりに外出の支度を終った伸子は、派手なマフラーをたらして、テーブルのよこに立ったまま、午後大使館でとって来た水色封筒の手紙を開いた。縦にケイのある実用的な便箋の第一行から、多計代のよみわけにくい草書が、きょうは糸のもつれるようではなく、熱い滝のように伸子の上にふりかかって来た。
「いま、あなたの手紙をうけとりました、異国にあるなつかしい娘から、その弟への久々のたよりをわたしはどんなによろこび、期待して見たでしょう。ところがわたしの暖い期待は見事にうらぎられました。あなたはどこまで残酷な人でしょう」
この前保に手紙をかいたとき、伸子は、はっきり多計代に向っても対決する感情でいた。それにもかかわらず、多計代一流の云いかたに出会って伸子は、唇をかんだ。多計代が昂奮して、ダイアモンドのきらめく手に万年筆をとりあげ、食堂のテーブルのいつものところに坐って早速に書いている肩つきが、数千キロをへだてながら、ついそこに見えるようだった。保と自分との間には想像していたとおり、関所があった。はっきり保だけにあてて表書きのされている手紙だったのに、多計代は、あけて、先によんでいる。そして高校の入学祝に温室をこしらえて貰ったということについて伸子のかいたことに対して、保の考えはどうかということなどにかまわず伸子に挑みかかって来ていた。
激越した筆致で、多計代は、保が、いまどきの青年に似ず、どんなに純情で、利己的なたのしみをもっていないかということを力説した。
「その彼が唯一のたのしみとしている温室のことを、あなたはどういう権利があって、難じるのですか。人間として、母として、私は抑えることの出来ない憤りを感じます。あなたは刻薄な人です。これまで永年の間、私がそれで苦しんで来た佐々家の血統にながれている冷酷な血は、あなたの心の中にも流れています。そのあなたが、ロシアへ行ってからの生活で――」
そこまで読んで、伸子はその手紙を握りつぶしてしまいたい衝動を感じた。多計代は、何という云いかたをするだろう。伸子が佃と結婚すれば結婚してから、離婚して吉見素子と暮すようになれば吉見と暮すようになってから、伸子は冷酷になったとばかり云われて来た。ロシアへ来れば、多計代は偏見や先入観を一点にあつめて、ロシアへ行ってから伸子はいよいよ刻薄になったと云うのだ。多計代にとって伸子が暖い人間だったことは、一度もないらしかった。多計代にとって冷酷でないのは、保のような気質しかないのだろう。伸子は、蒼い顔になって、読まない手紙をしばらく手にもっていたが、やがて、しずかにそれをテーブルの上においた。投げだすよりももっと嫌悪のこもったしずかさで。――
メイエルホリド劇場の舞台の上には、大きい軍艦の甲板があった。白い海軍将校の服をつけたヨーロッパ人将校が、粗末な白木綿の服の背に弁髪をたれている少年給仕を叱咤し、殴りたおし、そのしなやかな体を足蹴にかけている。こうして憎悪は集積されてゆくのだ。
二日たった。ブロンナヤ通りの貸室の女主人に返事をする約束の日になった。
「ぶこちゃん、行ってことわっといでよ」
朝の茶がすんだとき、素子が、テーブルの上を片づけている伸子に云った。
「家具の条件で?」
「――そうだろう? ぶこちゃんだって家具なんか買えないって云ってたんじゃないか」
「わたしにうまく云えるかしら――言葉の点で……」
「平気じゃないか。結局ことわるって意味さえ通じればそれでいいんだから……」
その間に素子が机のところで、モスク夕刊に出す求室広告をかいた。部屋の求め主を二人の外国女と書いた。
「大体こんなところでいいだろう?」
二人の
「これでいいかしら……」
と、紙きれを見おろしながらためらった。
「
素子は、だまって二吸い三吸いタバコをふかしながら、自分の書いた文面を眺めていたが、
「いいさ、いいさ」
わきに立っている伸子の手に、草稿の紙きれを押しつけた。
「われわれは
伸子はホテルを出かけた。ホテルの玄関と雪のつもった往来をへだてて向いあっている中央郵便局の建築場の前に、大きなトラックが来て、鉄材の荷おろしをやっていた。防寒用外套の裾を深い雪の面とすれすれに歩哨の赤軍兵が鉄材の運びこまれるその仕事を見ている。膝まであるフェルトの
合間に
古びた外壁に黄色がのこり、歩道に面して低い窓のきられているその家は、きょうも窓のなかにシャボテンの鉢植えをみせていた。
やっぱり捲毛の渦を頭いっぱいにして、しかしきょうは化粧をおとした顔で出て来た女主人が、伸子を玄関の廊下のところまで通した。伸子は、つかえるだけの単純な言葉で、彼女たちの経済では家具まで買えないからと云って、部屋をかりることをことわった。
「ようござんす。わかりました。(ハラショ パニャートノ)」
女主人はこの前マリア・グレゴーリエヴナや素子と一緒にはじめて部屋を見に来たときの気取りいっぱいの調子とは別人のような素気ない早口で、役所でよくつかうようなふたことの返事をした。そして、ちょっとだまりこんでいたが、かすかに捲毛の頭をふり、自分で自分の気をひき立てでもするように、
「ニーチェヴォ」
と云った。
「わたしは、またあなたがたを、外交団関係の方たちだと思ったんです」
なぜそう思ったんだろう。そう考えながらだまっていくらか仰向きかげんに向いあって立っている伸子の顔に、捲毛の女主人は瞬間全く別なことを考えている視線をおとした。が、やがてすぐ気がついたように、
「じゃあ、さようなら」
伸子に向って手を出した。
「さようなら」
入口をしめて雪の往来に出たとき、伸子は、やっぱりこのひとも、心の底では本当に部屋をかしたかったのだと、あわれな気がした。舞台の上にいるように、扮装だらけのいろんな表情で日々を送りながら、真実には不安があるのだ。伸子に向って云うというより自分に向って云ったような女主人のニーチェヴォの調子を思いかえしながら、伸子はモスク夕刊社へ行く方角に歩いた。
ニキーツキー門のところまで来たら、
むきかわって、もと来た道を、二つ股のところまで戻り、左をとって大使館の陰気な海老茶色の門をくぐった。
事務室のある二階へのぼって、廊下の受信箱をのぞいた。伸子のかんはあたった。細紐で一束にくくられた新聞雑誌が、サッサと書いた仕切り棚へ入っている。シベリア鉄道は、一週のうちきまった日にしか通っていないのだから、さきおとといのように多計代からの手紙だけが一通別に届くということはあり得なかった。
伸子は、何となしはずみのついた気持で、棚に入れられている郵便物をすっかりさらい出した。そして、一段一段とのろのろ二階を下りながら、紐の間をゆるめるようにして、どんな雑誌が来たのか、のぞいた。モスクへ来てからずっと送ってもらっている中央公論。婦人公論。その間に大型の外国郵便用ハガキが一枚まぎれこんだように挾まっているのをみつけた。保の字だ。
丁度壁が高くて薄暗くなった階段口を、伸子はかけおりて外へ出た。菩提樹の根もとを深い雪が埋めている大使館の庭の柵のそばに立って、そのハガキをよみだした。読みながら伸子は無意識に一二度そのハガキの面を、茶色の鞣手袋をはめた指さきで払うようにした。保の字は例のとおり細く力をぬいたうすいペン字で、こまかく粒のそろった字面が、遠いところをもまれて来たハガキの上で毛ばだち、読めはするのだけれども伸子のよくよく読みたい感情には読みにくいのだった。
「姉さん、僕にあてて書いてくれた手紙をありがとう」
先ず冒頭にそう書いてある。伸子は、よかった、と思った。多計代は、あんなに当然なことのように保に書いた伸子の手紙を勝手に開け、読み、おこってよこした。それでも伸子の手紙を保からかくしてはしまわなかった。そういうところは多計代らしいやりかただった。
「僕は、姉さんの手紙を幾度も幾度もくりかえして読んだ。いま、返事を書きはじめる前にも、また二度くりかえして読んだ。そして姉さんのいうことは正しいと思う。姉さんが外国へ行って、まるでちがう生活をしていても、僕のことをこんなに考えていてくれるということがわかって、僕は、ほんとにびっくりした」
簡単に云いあらわされている文句のなかに、保が、姉・弟としての自分たちの関係について改めて感じなおしている気持が、はっきり伸子につたわった。
「姉さんが温室について書いてよこしたことは、もちろんただ僕を責めたり叱ったりしているのではない。また、温室をこしらえて下すったことを非難しているわけでもない。僕にそのことはよくわかる。姉さんは、僕に、もっとひろい社会の関係を知らそうとしただけなのだ」
伸子は、涙ぐむようになった。保の書いている調子は重々しく真面目で、そこには、姉である伸子のいうことをちゃんと理解しようとしている心が
「僕は温室について姉さんの考えるようなことは一つも考えていなかった。これは大変恥しいことだと思う」
最後の一行のよこに線が引いてあった。字を書いているのと同じ細いうすいペンの使いかたで、これは大変恥しいことだと思う、と。
伸子は、考えるとき時々クンクンと鼻の奥をならす保の初々しい和毛のくまのある瞼の腫れぼったい顔や、小さくなった制服のズボンの大きい膝が、雪の中に立ってよんでいる自分のすぐそのそこにあるように感じた。これは大変恥しいことだと思う。――そして伸子は自分の心にもその一本の線が通ったのを感じた。恥しいことだと思う、と。伸子が勢はげしく保へあててあの手紙をかいたとき、こんなに軟く深い黒土の上にくっきりと
門のわきの番小舎の戸があいた。大外套をきた門番が伸子の立っている庭の方へ来かかった。番人は、そこにいたのが時々見かける伸子だとわかると、
「こんにちは」
と、防寒帽のふちに指さきをあてた。そして、伸子がよんでいるハガキに目をくれながら通りすぎた。番人とは反対の方向へ、大使館の門の方へ伸子も歩き出した。歩きながら、ハガキをよみおわった。温室は、折角こしらえて頂いたものだから、みんなのよろこぶように使いたい。この夏はメロンを栽培してお父様、お母様そのほかうちのみんなにたべて貰おうと思う。そうかいたハガキの終りに、やっと余白をみつけて、
「僕は姉さんにもっと手紙を書きたいと思っている」
と、その一行は本文よりも一層こまかい字で書かれていた。ハガキはそれで全部だった。
モスク夕刊社で広告を出す用事をすまし、トゥウェルスカヤの大通りへ出てホテルへ帰って来ながら、伸子は、そのことばかり考えつづけた。保がこれからはもっと伸子へ手紙を書きたいと思っているというだけならば、保の手紙にこもっている姉への感情からも、すらりとのみこめることだった。これまでも、もっと手紙をかきたいと思っている保の心もちが伝えられたのだとすると、伸子は、きょうの保からのたよりがハガキで来ていることにさえ、そこに作用している多計代の指図を推測しずにいられなかった。書いてある字のよめない人たちばかりの外国にいる姉へやるのだから、こんなに心もちをじかに語っているたよりも保はハガキで書いたのかもしれなかった。けれども、姉さんへ返事をかくならハガキにおし。そして、出すまえに見せるんですよ。そう保に向って云わない多計代ではなかった。
伸子は、素子も出かけて留守の、しんとした昼間のホテルの室へかえって来た。二重窓のガラスに、真向いの鉄骨ばかりの大屋根ごしの日があたっていて、日が、角テーブルのはずれまであたっている。抱えて帰って来た郵便物の束をそのテーブルにおろしてゆっくり手袋をとり、外套をぬいでいる伸子の目が、テーブルの上の本のつみかさなりの間にある白い紙の畳んだものの上に落ちた。それは、多計代の手紙だった。「そのあなたが、ロシアへ行ってからの生活で」というところまで読んで、伸子が、躯のふるえるような嫌悪からもう一字もその先はよまずに、そこへおいた多計代の手紙だった。封筒から出された手紙は、厚いたたみめをふくらませ、幾枚も重なった用箋の端をぱらっと開きながら、そこに横たわっている。
明るいしずかなホテルの室で外套のボタンをはずしている伸子の胸に、悲しさがひろがった。保の心はあんまり柔かい。その柔かさは、伸子に自分のこころのいかつさを感じさせる。伸子が自分として考えかたの正しさを信じながら保に向ってそれをあらわしたとき、そのときは気がつかなかった威勢のよさや能弁があったことを反省させ、伸子にひそかな、つよい恥しさを感じさせるのだった。伸子が、それをうけ入れようとする気さえ失わせる多計代の能弁は、手紙となってそこの机の上にさらされている。悲しいほど柔かい保の心をなかにして思うと、伸子は、多計代の保に対するはげしい独占的な情のこわさと、その娘で、その情のはげしさやこわさでよく似ている自分とが、向きあっている姿を感じるのだった。
外套をぬいで水色のブルーズ姿になった伸子は、ちょっと長椅子にかけていた体をまたおこして、清潔につや出しをされた茶色の床の上をあっちこっち歩きはじめた。
保の心のやわらかさは、こうして伸子に自分の心のきめの粗雑さを感じさせ、そのことで恥しささえ感じさせている。多計代のきらいなところが、自分にあることをかえりみさせる。だけれども、そうだからと云って、保の心の柔かさにうたれることで、伸子は自分の生きかたを保の道に譲ってしまうことは思いもよらなかったし、保のゆえに多計代の生きかたと妥協してしまうことも考えられなかった。
二重窓の前に立ちどまって、かすかにモスクの冬の日向のぬくみがつたわっている内ガラスに額をおっつけ、黒い鉄骨と日かげに凍りついている薄よごれた雪を見ながら、伸子は心に一つの画面を感じた。そこは海の面であった。海の面はこまやかな日光にきらめき、時々雲が通りすぎると薄ら曇り、純粋でいのちをもっている。そのむこうに断崖が見える。断崖の上は青草がしげって、その青草の上にも、断崖の中腹にも、海の上と同じ日光がさしていて、断崖の根は海に洗われている。夜もひるも、断崖の根は海に洗われており、海はその断崖のために波をあげている。だけれども、断崖は海でなく、海は断崖ではない。しかし一つ自然の光のなかにつつまれて、そうしている。
海がそうなのか、断崖がそうなのか分らなかったが、伸子はそこに自分と保との存在を感じた。調停派ということは、決して調停されることはない人々によってつけられる名だ。海と断崖の心の絵の上に、伸子は、異様な鮮明さで、はっとしたように理解した。保が同級生から、佐々はバカだ。生れつきの調停派だと罵られたことを、いつか動坂のうちの客間できいた。あのとき伸子は、保のものの考えかたについてばかり、調停派ということを理解した。保の友達たちは、やっと伸子にいま、わかったこともふくめてそう云ったのにちがいなかった。考えかたや理窟だけでなく、保の心の悲しいくらいの柔かさが、柔かさそのもので、いくつかの心を若々しい一本気な追究から撓わせそうにする。保の友人たちには、保のその異様な柔らかさが、いやなのだ。だといって、保に、自分の心のそんな柔かさをどうすることが出来るだろう……。
伸子は、三月近いモスクのよごれてふくらみのへった雪の見えるホテルの二重窓の前に長いあいだ佇んでいた。
それは、ほんとに狭い室だった。ヴェラ・ケンペルが彼女夫婦の暮している
マリア・グレゴーリエヴナと、三人であっちこっちさがして歩いた貸間には住めそうなところがなくて、モスク夕刊に出した求室広告に案外三通、反応があった。
一通はモスク河の向う岸にいる家主からだった。一通はトゥウェルスカヤの大通りをずっと下って鷲の森公園に近いところ。最後の一通がアストージェンカ一番地、エフ・ルイバコフという男からだった。
「変だな、ただアストージェンカきりで、町とも何ともないんだね、どの辺なんだろう」
その手紙は、ぞんざいに切った黄色い紙片に、字の上をこすったり
「へえ。――こんなところに、こんな名がついているんだね。ぶこちゃん! 場所はいかにも、もって来いだよ」
地図をみると伸子たちがいるホテル・パッサージから狩人広場へ出て、ずっと右へ行き、クレムリンの外廓を通りすぎたところにデルタのようにつき出た小区画があって、そこがアストージェンカだった。
「一番地て云えば、とっつきなんだろうな」
地図に見えている様子だと、そこはモスク河にも近いらしいし、
「妙だな……ともかく、ぶこちゃん、見るだけ見といでよ、どんなところだか」
「ひとりで?」
出しぶって伸子が素子を見た。
「ともかく、散歩のつもりで行って見てさ、ね。ほんのついそこじゃないか。一番近いところから片づけて行こうよ」
小一時間たったとき、伸子が、ホテルの階段を駈けあがるようにして戻って来た。ノックもしないで自分たちの室のドアをあけるなり、
「ちょっと! すばらしいの。――早く来て」
手袋をはめたなりの手で、素子の外套を壁からはずした。
「すぐ、友達をつれて来るからって、待ってもらっているんだから」
「ほんとかい?」
「ほんと! 絶対のがされないわ」
二人は大急ぎで狩人広場まで出て、そこから電車にのった。
「よっぽど先かい?」
「四つめ」
クレムリンをすぎると、左手の小高い丘の雪の上に、金ぴかの大きな円屋根と十字架をきらめかして建っている大きな教会があった。その停留場で伸子たちは電車を降りた。
「おや、まるでこりゃ
「そうなのよ!」
亢奮している伸子はさきに立って、すぐその右手からはじまっている
「なんだ、こんなとこを入るのか」
素子もついて木戸の中へ入ると、樽だの古材だのが雪の下からのぞいている細長い空地があって、そこをぬけるとかなりひろい内庭へ出た。雪の上に四本黒く踏つけ道がついている。コンクリートの新しいしっかりした五階の建物が、コの字形にその内庭をかこんで建っていた。
伸子は、まだ黙ったまま、四本の踏みつけ道の一番とっつきの一本を辿って、一つの入口から、階段をのぼりはじめた。
入口や階段口にはむき出しの電燈がともっていた。コンクリート床の隅に、建築につかったあまりらしいセメント袋がつみ重ねられたままある。手すりもコンクリートで武骨にうち出されている。あんまりひろくない階段を、伸子は、素子をおどろかしているのがうれしくてたまらない顔つきで、一歩一歩無言のままのぼった。建築されてからまだ一二年しか経っていないらしいその大きい建物の内部は、適度な煖房のあたたかみにまじってかすかにコンクリートの匂いをさせている。
三階へのぼり切ると、伸子は防寒扉の黒いおもてに35と白ペンキで書いた扉の前にとまった。
「ここなの」
「なるほどね。これじゃ、ぶこちゃんが亢奮するのも尤だ」
さっき伸子が一人で見に来たときには、髪にマルセル・ウェーヴをかけて、紺のワンピースをきた大柄な細君と五つばかりの男の児しかいなかった。こんどは、
ルイバコフの話によれば、建物は、鉄道労働者組合の住宅協同部が建てたものなのだそうだった。
「鉄道の組合は、ソヴェトの労働組合でも化学をのぞけば最も大規模な一つですからね、おそらく、この建物は、モスクに建った組合の建物の中じゃ、一番早かった部でしょう」
十年の年賦がすむと、その四つの部屋と浴室、共同の物干場をもったアパートメントはルイバコフの所有になるのだった。あいている一室を利用することは伸子たちの便利と同時に、ルイバコフの経済にも便利だ。従って室代も決して不合理には要求しようと思わない。
そんな話を、ルイバコフ夫婦、伸子、素子の四人がこれから借りようとし、貸そうとしている室で話しあったのだったが、赭っぽい鼻髭のルイバコフは人はわるくないがいくらか慾ふかそうな顔つきで、その室の入口の左手に置いてある衣裳箪笥にもたれて立って話している。マルセル・ウェーヴがやや不釣合な身だしなみに見える味のない大柄な細君はドアを入ってすぐのところで、縦におかれている寝台の裾に一メートルばかりあいたところがある、そこに佇んでいる。寝台の頭と直角に壁をふさいでいるもう一つの寝台兼用の皮張り大型ディヴァンに素子がかけ、ディヴァンに向ってその室の幅いっぱいの長テーブルのこっち側の椅子に伸子が横向きにかけていた。小さな室はアストージェンカの角を占める建物の外側に面しているので伸子のうしろの窓からは雪の丘と大教会が目のさきに見えた。素子が奥のディヴァンにおさまっているのは、そこを選んでかけた、というよりも、むしろそっちへ行ってみていた彼女のあとから伸子やルイバコフ夫妻がつめかけたので、素子はディヴァンと長テーブルとの間から出られなくなってしまっている、という方がふさわしかった。そんなにそれは小さな室なのだった。
伸子たちこそ、モスク市街地図の上でさがさなければならない一区画であったが、アストージェンカと云えば、モスクの人には知られている場所だった。伸子が、遠くから金色にきらめいて見える円屋根を、目じるしにして電車を降りた小高い丘の上の大寺院はフラム・フリスタ・スパシーチェリヤ(キリスト感謝寺院)とよばれていて、一八一二年、ナポレオンがモスクを敗走したあと、ロシアの勝利の記念のために建てられたものだった。ロシアじゅうから種類のちがう大理石を運びあつめてその大建造がされたこと、大円屋根が本ものの金でふかれていること、大小六つの鐘の音は特別美しく響いて聳えている鐘楼からモスクの果まできこえる、ということなどでこの寺院はモスクの一つの有名物らしかった。ナポレオンが、モスクの焼けるのをその上に立って眺めたという雀ヶ丘と、遙かに相対す位置に建てられたというから、おそらく十九世紀はじめのアストージェンカは、クレムリンの城壁を出はずれたモスク河岸の寂しく郊外めいた一画であったのだろう。そして、遊山がてら、フラム・フリスタ・スパシーチェリヤを見に来るモスク人たちは、きっと雪のつもった
フラム・フリスタ・スパシーチェリヤの建っている丘の周囲は、石の胸壁をめぐらされ、一本の狭い歩道がぐるりとその胸壁の下をまわって、川に面した寺院の正面石段から下りて来たところの道に合している。もう一本、伸子たちが出入りするアストージェンカ一番地の板囲いの前をとおっている歩道が、ずっと河岸近くまで行ったつき当りのようなところに、賑やかな色彩のタイルをはめこんだペルシア公使館の建物があった。河岸はどこでも淋しい。その上に、雪にとざされて、交通人の絶えているフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの大階段のあたりは眺望が
アストージェンカ一番地という場所は、面白い位置だった。河岸はそんなに荒涼とし、淋しさにつつまれているけれども、電車がとおる道の方は、三四流の商店街で、夜でも雪の歩道に灯が流れた。モスクを、半円にかこんでいる二本の
ひとが、或る町に住んでいて、やがてもうそこには住まなくなる。そのことには、何か不思議な感覚があった。伸子たちの窓からみえる景色が、トゥウェルスカヤ大通りの裏側のこわれた大屋根の鉄骨ではなくなって、アストージェンカの大きいばかりで趣味のないフラム・フリスタ・スパシーチェリヤであり、
アストージェンカの室の二重窓にカーテンがなかったから、雪明りまじりの朝の光はいきなり狭い室の奥にまでさした。寝台がわりのディヴァンの上で目をさまし、そういう清潔ではあるがうるおいのない朝の光線に洗われて、すぐ横から突立っている大テーブルの上に、ゆうべ茶をのんだ水色エナメルのやかんが光っているのを眺めたりするとき、伸子は自分たちの生活がほんとに平凡なモスク暮しの道具だてにはまって来たのを感じた。そして、伸子としてはその平凡であるということに云いつくせない勇躍があり満足があった。
夜になるとカーテンのないアストージェンカの室の窓ガラスの面に、伸子たちが室内でつけているスタンドの緑色のかさの灯かげが映った。長テーブルの中央に本を並べてこしらえた区切りのあっち側に素子が、こっちのドアに背をむける側が伸子の場所だった。ルイバコフの夫婦は小さい男の子を寝かしてから二人で映画へ出かけ、台所に女中のニューラがいるだけだった。アパートじゅうは暖くて、しんとしている。八時になると、ギリシア系で浅黒い皮膚をしたニューラがドアをたたき、
「お茶の仕度が出来ました」
コップや急須をのせた盆をもち、水色エナメルやかんを下げて入って来る。伸子たちは、朝と夜の茶の仕度だけをルイバコフの台所でして貰って、
「秋山さんたちどうしてるでしょうね」
と云った。伸子たちがパッサージ・ホテルをひきあげてアストージェンカに移るときまったとき、秋山宇一は記念のために、と云って、ウクライナの民謡集を一冊くれた。それは、水色の表紙に特色のあるウクライナ刺繍の図案のついた見事な大判の本だった。
「これは、あるロシア民謡の研究家がわたしにくれたものですがね」
その扉にエスペラントと日本字で、ゆっくりサインをしながら秋山宇一が言った。
「わたしがもっていても仕様がないですからね」
楽譜づきで、ウクライナの民謡が紹介してある本だった。秋山宇一は、メーデーをみてから帰ると云っていた。
伸子は、長テーブルの端三分の一ばかりのところに食卓をこしらえつづけた。ひろげた紙の上に、大きなかたまりになっている砂糖を出して、
トゥウェルスカヤ界隈で伸子たちのよく行った映画館は、第一ソヴキノや、音楽学校の立派なホールを利用したコロスなどだった。アストージェンカへ来てから、伸子が一人で行く小さな映画館は、昼間伸子がそこでプロスト・クワシャを買ったりパンを買ったりするコムナールの三階にあった。すりへって中凹になった白い石の階段をのぼりきったとっつきにガラスばりのボックスがあって、そこで切符を買い、
そのうちにその日の何回目かの上映が終って、観客席のドアが開いた。
アストージェンカの生活には、三重顎のクラウデも現れず、ポリニャークも遠くなった。伸子の心は次第に重心を沈め、心の足の裏がふみごたえある何ものかにふれはじめた感じだった。それは伸子に、ものを書きたい心持をおこさせはじめた。
丁度そのころ、モスクの雪どけがはじまった。伸子の住んでいる建物の板囲いのなかにも、往来にも、
伸子のものをかきたい心持は、一層せまった。瞳のなかに疼く
「
と伸子をよびとめた。そして一束の花束をさし出した。
「
伸子はその花束を眺め、ポケットからチャックつきの赤いロシア鞣の小銭入れを出し、婆さんに三十五カペイキやって花束をうけとった。雪の下という花は、日本で伸子の知っている雪の下のけば立った葉とちがって、つるつるした
――伸子は、ものを書きはじめた。
その日は日曜日だった。素子は、この頃たいてい毎日モスク大学の文科の講義をききに行っていた。その留守の間、伸子は一人をたのしく室にいた。そして伸子の旅費を出している文明社へ送るためにモスクの印象記を書いていた。日曜は素子の大学も休みだし、従って一つしかテーブルのない室では伸子の書く方も休日にならないわけにゆかず、二人は、ゆっくりおきて、素子は背が高いからそっちに
そこへドアをノックして、ニューラがギリシア式の、鼻筋のとおった浅黒い顔をだした。そして、なまりのつよい発音で、
「あなたがたのところへ、お客ですよ」
と告げた。
伸子と素子とは思いがけないという表情で顔を見合わせた。誰が来たんだろう。二人はまだ起きたばかりでちゃんと衣服をつけていなかった。
「――仕様がないじゃないか!」
素子が、ロシア風に、困ったとき両手をひろげるしぐさをしてみせながらニューラに云った。
「みておくれ、私たちはまだ着物をきていないんだから……どうかニューラ、お客の名をきいて来ておくれ」
いそいで寝床のしまつをし終りながら、伸子が、
「朝っから誰なのかしら」
不思議そうに云った。もし秋山宇一なら、こんな朝のうちに来るわけはなかった。まして、気のつく内海厚がついていて、伸子たちの寝坊は知りぬいているのだから。
ニューラが戻ってきて、またドアから首をさし入れた。
「お客さんは、ミャーノってんだそうです。レーニングラードからモスクへついたばかりだって」
「ミャーノ?」
素子はわけの分らない表情になった。が、
「それはロシア人なの? 日本人なの?」
改めて気がついてききただした。ニューラには、はっきり日本人というものの規定がわからないらしくて、迷惑そうにドアのところでもじもじと立っている足をすり合わした。
「ロシア人じゃないです」
そのとき、伸子が、
「ね、きっとミヤノって名なのよ。それがミャーノってきこえたんだわ、ニューラに……そうでしょう?」
「ああそうか、なるほどね。それにしたって宮野なんて――知ってるかい?」
「知らないわ」
「だれなんだろう」
ともかく、廊下で待っていて貰うようにニューラにたのんで、伸子たちは、浴室へ行った。
顔を洗って室へ戻ろうとすると、ほんのすこし先に行った素子が、
「おや! もう来ていらしたんですか!」
と云っている声がした。それに対して低い声で何か答えている男の声がきこえる。伸子は、その声にきき耳を立てた。ニューラが間ちがえて通してしまったんだろうか。女ばかりの室へ、いないうちに入っているなんて――。伸子は浴室から出られなくなってしまった。例のとおり紫の日本羽織はきているものの、その下はスリップだけだった。
浴室のドアをあけて、伸子は素子をよんだ。そして、もって来て貰ったブラウスとスカートをつけ、又、その上から羽織をはおって、室へ戻ってみると、ドアの横のベッドの裾のところの椅子に、一人の男がかけている。入ってゆく伸子をみて、そのひとは椅子から立った。一種ひかえめな物ごしで、
「突然あがりまして。宮野です」
と云った。
「レーニングラードでバレーの研究をして居られるんだって」
「着いて停車場から
そのひとはほんの一二分の用事できている人のように、カラーにだけ毛のついた半外套をきたまま、そこにかけていた。伸子は、その形式ばったような行儀よさと、いきなり女の室に入っていたような厚かましさとの矛盾を妙に感じた。意地わるい質問と知りながら伸子は、
「秋山宇一さんとお知り合いででもありますか」
ときいた。
「いいえ。――お名前はよく知っていますがおめにかかったことはありません。まだ居られるそうですね」
「じゃ、どうして、わたしたちがこんなところにいるっておわかりになったのかしら――」
紹介状もない不意の訪問者は二十四五で、ごくあたりまえの身なりだった。ちょっとみると、薄あばたでもあるのかと思うような顔つきで、長い睫毛が、むしろ眼のまわりのうっとうしさとなっている。
宮野というひとは、遠慮ない伸子のききかたを、おとなしくうけて、
「大使館でききましたから」
と返事した。伸子には不審だった。レーニングラードからモスクへ着いて真直来たと云った人が、大使館で、きいて来たという、前後のいきさつがのみこめなかった。しばらくだまっていて、伸子が、
「――きょうは何曜?」
ゆっくり素子に向って、注目しながらきいた。
「日曜じゃないか!」
わかりきってる、というように答えたとたん、素子はそうきいた伸子の気持をはっきりさとったらしかった。日曜日の大使館は、一般の人に向って閉鎖されているのだった。ふうん、というように、素子はつよく大きくタバコの煙をはいた。
「ずっとレーニングラードですか?」
こんどは素子がききはじめた。レーニングラードはモスクより物価もやすいし、住宅難もすくないから、レーニングラードにいるということだった。同じような理由から、外務省の委托生――将来領事などになるロシア語学生も、何人かレーニングラードにいるということだった。
「バレーの研究って――わたしたちはもちろん素人ですがね、自分で踊るんですか」
「そうじゃありません、僕のやっているのは舞踊史とでもいいましょうか……何しろ、ロシアはツァー時代からバレーではヨーロッパでも世界的な位置をもっていましたからね。――レーニングラードには、もと王立バレー学校がありましたし、いまでも、その伝統があってバレーでは明らかにモスクをリードしていると思います」
「――失礼ですが、わたしたち、お茶がまだなのよ」
伸子が言葉をはさんだ。
「御免蒙って、はじめてもいいかしら」
「どうぞ。――すっかりお邪魔してしまって……」
「その外套おとりになったら?」
明らかに焦だって伸子が注意した。
「あなたに見物させて、お茶をのむわけにもいかないわ……」
そのひとにもコップをわたして、バタをつけたパンとリンゴで茶をのみはじめた。そうしているうちに、伸子の気分がいくらかしずまって来た。不意にあらわれた宮野という人物に対して、自分は礼儀の上からも実際の上からも適切にふるまっていないことに気づいた。話がおかしいならおかしいでもっと宮野というひとについて具体的に知っておくことこそ、必要だ。伸子はそう気づいた。
「いま第一国立オペラ・舞踊劇場で『赤い
ちゃんと着かえる機会を失った素子が部屋着のまま、茶をのみながら話していた。
「あんなのは、どうなんです? 正統的なバレーとは云えないんですか」
「レーニングラードでは、このシーズン、『眠り姫』をやっているんですが、僕はやっぱり立派だと思いました――勿論『赤い罌粟』なんかも観たくてこっちへ来たんですが」
宮野というひとは、
「僕は主として古典的なバレーを題目にしているんです。何と云ってもそれが基礎ですから」
と云った。
その頃、ソヴェトでは、イタリー式のバレーの技法について疑問がもたれていた。極度にきびしい訓練やそういう訓練を経なければ身につかない爪立ちその他の方法は、特別な職業舞踊家のもので、大衆的な舞踊は、もっと自然であってよいという議論があった。伸子がこれまでみた労働者クラブの舞踊は、集団舞踊であっても、いわゆるバレーではなかった。伸子は、すこし話題が面白くなりかかったという顔つきで、
「日本でも、バレー御専門だったんですか?」
ときいた。
「そうでもないんです。――折角こっちにいるんだからと思いましてね。バレーでもすこしまとめてやりたいと思って……」
再び伸子は睫毛のうっとうしい宮野の顔をうちまもった。何て変なことをいうひとだろう。折角こっちにいるんだから、バレーの研究でもやる。――外交官の細君でもそういうのならば、不思議はなかった。良人が外交官という用向きでこっちへ来ていて、自分も折角いるのだから、たとえばロシア刺繍でもおぼえたい、それならわかった。けれども、この若い男が――では、本当の用事は何でこのひとはソヴェトへ来たのだろう。はじめっからバレーの研究をするつもりもなくて来て、折角だからバレーでもやろうというような話のすじは、伸子にうす気味わるかった。伸子にしろ、素子にしろ、フランスではないソヴェトへ来るについては、はっきりした目的をきめているばかりか、いる間の金のやりくりだって、旅券やヴィザのことだってひととおりならないことで来ている。それだのに――伸子はかさねて宮野にきいた。
「どのくらい、こっちにいらっしゃる予定なの」
「さあ――はっきりきまらないんです。――旅費を送ってよこす間は居ようと思っていますが……」
素子が、へんな苦笑いを唇の隅に浮べた。
「何だか、ひどくいい御身分のようでもあるし、えらくたよりないようでもありますね」
「そうなんです」
「そんなの、落付かないでしょう。――失敬だが、雑誌社か何かですか、金を送るってのは……」
「西片町に一人兄がいるんです。その兄が送ってよこすんですが――大した力があるわけでもないんだから、どういうことになりますか……」
そういいながら、宮野はちっとも不安そうな様子も示さないし、その兄という人物から是非金をつづけて送らせようとしている様子もない。
茶道具を片づけて台所へ出て行った伸子は、つかみどころのない疑いでいっぱいだった。どういうわけで、宮野という人が伸子たちのところへ来たのか、その目的が感じとれなかった。ただ友達になろうというなら、どうして誰かから紹介されて来なかったのだろう、たとえば大使館からでも。――大使館からでもと思うと、伸子は宮野の身辺がいっそうわからなくなった。その大使館で、伸子の住所をきいて来たと云ったって、今朝はしまっているはずなのに。――
はっきりした訪問の目的もわからずに、日本人同士というだけでちぐはぐな話をだらだらやっているうちに、一緒に
ややしばらくして、伸子は思いこんだような顔つきになって、室へ戻って行った。そして、苦しそうな、せっぱつまった調子で、
「ねえ」
と素子に云いかけた。
「失礼だけれど、わたしたち、そろそろ時間じゃない?」
素子は、この突然の謎をとくだろうか。その日曜に外出の約束なんか二人の間に一つもありはしなかったのだから。素子は、
「ああ」
と、ぼんやり答えたぎり、窓のそとにキラキラするフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根の方を眺めてタバコをふかしている。宮野は伸子がそう云い出しても帰りそうな気配がなかった。
伸子は、また落付かなくなって室を出た。自分たちも出かけるにしろ、伸子は行先にこまった。日曜にあいているところ、そして、男はついて来にくいようなところ、どこがそういう場所だろう。伸子は、やっと裁縫師のところを思いついた。室へ戻ると、それをきっかけのように素子がテーブルのあっち側に立ち上った。
「じゃ、出かけましょうか」
ひどくあっさりときり出した。
「あなたもその辺まで御一緒に、いかがです?」
素子独特の淡白さで、着がえのために宮野に室から出て貰った。衣裳ダンスの前で上衣を出しかけている素子の耳へ口をよせて伸子が心配そうにささやいた。
「行くところ、わかってる?」
素子はニヤリとした。そしてテーブルのところへ行って引出しから財布を出しながら、そばへよって行った伸子にだけきこえる声で、
「ついて来りゃいいのさ」
と云った。
外へ出ると、春のはじめの快晴の日曜日らしさが町にも並木道の上にもあふれていた。ふだんよりゆっくり歩いている通行人たちはまだ防寒外套こそ着ているけれども、膝頭まであるワーレンキがたいてい軽いゴムのオヴァ・シューズだった。車道との間にはとけたきたない雪だまりと雪どけ水の小川が出来ているが、きょうは歩道の真中が乾いて石があらわれている。伸子たちにとっては、春がきたモスクの歩道をじかに踏む第一日だった。
「――乾きはじめたわねえ」
伸子は天気のよさをよろこびながら、こんな事情で出て来たことを辛がっている声でつぶやいた。
素子は三人のすこし先に立つようにアストージェンカの角まで来た。そこで、立ちどまった。そして、
「宮野さん、どっちです?」
ふりむくようにしてきいた。折から、左手のゆるやかな坂の方から劇場広場の方向へゆく電車がのんびりした日曜日の速力で来かかっている。
伸子たちが住んでいる建物の板囲いからいくらも来ていないのに、いきなり素子からそうきかれて、宮野は
「――僕は、『赤い罌粟』の切符を買いに行っておきましょう」
「じゃ」
素子が、鞣帽子をかぶっている頭をちょいと下げて会釈した。
「わたしたち、こっちですから……」
宮野は鳥打帽のふちに手をかけた。
「レーニングラードへいらっしゃることもあるでしょうから――いずれまたゆっくりあちらでお目にかかります」
こうして宮野は電車の停留場のところへのこった。
伸子たちは、自然、停留場のあるその町角をつっきって、
得体のしれない客に気分を圧しつけられていた伸子はしっとりした黒い土の上の道を、往き来の群集にまじって歩きながらふかい溜息をつくように、
「ああ、
と云った。冬のぼてついたものは、みんな体からぬいでしまいたい。早春の日曜日の並木道は、すべての人々をそういう心持にさせる風景だった。それでも、モスク人は北方の季節の重厚なうつりかわりをよく知っていて、まだガローシをぬいでいるものはなかったし、外套のボタンをはずしているものもなかった。とける雪、暖くしめった大地、芽立とうとしている樹木のかすかな樹液のにおい。それらが交りあって柔かく濃い空気をたのしみながら、伸子と素子とはしばらくだまって
「わたし、びっくりしちゃった」
歩きながら伸子が云った。
「あんな風に出来るのねえ。わたしは、本気で行くさきを考えて、苦心したのよ」
「ああでいいのさ」
日本服なら、片手はふところででもしていそうな散歩の気分で素子が答えた。
「先手をうてばいいのさ」
「――あの宮野ってひと……どういうんだと思う?」
まだこだわって、伸子が云い出した。
「ぶこちゃん、だいぶ神経質になってるね」
「たしかにそうだわ。曖昧なんだもの――西片町の兄さんだのって――誰だって外国にいるとき、お金のことはもっと本気よ。まるで帰れと言われればすぐ帰る人間みたいじゃないの。あの話しぶり……」
宮野という男が、室を出入りするとき妙にあたりの空気を動かさないで自分の体だけその場から抜いてゆくような感じだったことを思い出して、伸子は、それにもいい心持がしなかった。たとえば内海厚という人などにしても、どういう目的で秋山宇一と一緒にソヴェトに来ているのか、伸子たちにはちっともわかっていなかった。秋山宇一が日本へかえっても、彼だけはあとにのこるらしいくちぶりだけれど、それとてもモスクでどんな生活をやって行こうとしているのか、伸子たちはしらない。知らないなりに、内海厚の万端のものごしはあたりまえで、あたりまえにがたついていて、伸子たちに不審の心を抱かせる点がなかった。
「――まあ、どうせいろんな人間がいるんだろうさ、それはそれなりにあしらっとけばいいのさ。――何もわたしたちがわるいことしてやしまいし……」
「そりゃそうよ。もちろんそうだわ。誰だって、ここでわるいことなんてしようとしてやしないのに――ソヴェトの人たち自身だってもよ――なぜ……」
伸子はつまって言葉をきった。伸子も宮野という人を、暗い職業人だと断定してしまうことは憚られた。しばらく黙って歩きながら、やがて低い、不機嫌な声で続けた。
「――
「そんなこと、むこうの勝手じゃないか。こっちのかまったこっちゃありゃしない」
伸子たちは、いつか
「あれなんだろう」
と、その店先へよって行った。売り出されたばかりの「プロジェクトル」というグラフ雑誌が表紙いっぱいにゴーリキイの写真をのせて、幾冊も紐から吊り下げられていた。
その展覧会場の最後の仕切りの部分まで見終ると、伸子はゆっくり引かえして、また一番はじめのところへもどって行った。
作家生活の三十年を記念するゴーリキイの展覧会のそこには、マルクス・レーニン研究所から出品された様々の写真や書類が陳列されていた。けれども、おしまいまで何心なく見て行った伸子は、これだけの写真の数の中にゴーリキイの子供の時分を
伸子は、またはじめっから、仕切りの壁に沿って見なおして行った。マクシム・ゴーリキイが生れて育った古いニージュニ・ノヴゴロドの市の全景がある。ヴォルガ河の船つき場や荷揚人足の群の写真があり、ニージュニの町はずれの大きなごみすて場のあったあたりもうつされている。写真の下に簡単な解説が貼られていた。このごみすて場からボロや古釘をひろって、祖母と彼のパンを買う「小銭を稼いだ」と。けれども、そこには、ごみすて場をあさっている少年ゴーリキイの写真は一枚もなかった。
写真の列は年代を追って、伸子の前にカザンの市の眺望を示し、アゾフ海岸の景色や、近東風な風俗の群集が動いているチフリス市の光景をくりひろげた。解説は語っている。カザンで十五歳のゴーリキイを迎えたのは彼がそこへ入学したいと思ったカザン大学ではなくて、貧民窟と波止場人足。やがてパン焼職人として十四時間の労働であったと。ここにもゴーリキイそのひとは写っていない。
伸子は、カバンの河岸という一枚の写真の前に立ちどまってしみじみ眺めた。ゴーリキイは、二十歳だった。そう解説は云っている。夜この河岸に坐って、ゴーリキイは水の面へ石を放りながらいつまでも三つの言葉をくりかえした。「俺は、どうしたら、いいんだ?」と。陳列されている写真の順でみると、それから間もなくゴーリキイはニージュニへかえり、ヴォルガの岸でピストル自殺をしかけている。苦しい、孤独な
黒い鍔びろ帽子を少しあみだにかぶって、ルバーシカの上に外套をひっかけ、日本の読者にもなじみの深いゴーリキイが、芸術家風というよりはむしろロシアの職人じみた長髪で、その荒削りの姿を写真の上に現しはじめたのは一九〇〇年になってからだった。その頃から急にどっさり、華々しい顔ぶれで撮影されている。記念写真のどれを見ても、当時のロシアとヨーロッパの真面目な人々が、ゴーリキイの出現に対して抱いた感動が伝えられていた。気むずかしげに角ばった老齢の大作家トルストイ。穏和なつよさと聰明のあふれているチェホフ。芸術座によって新しい劇運動をおこしはじめたスタニスラフスキーやダンチェンコ。だれもかれも、ロシアの人特有の本気さでゴーリキイとともにレンズに顔をむけてうつされている。「マカール・チュードラ」「鷹の歌」「三人」やがて「小市民」と「どん底」などの古い版が数々の記念写真の下の台に陳列されはじめている。ゴーリキイは、ツァーの専制の下で無智と野蛮の中に生を浪費していた人民の中から、「非凡、善、不屈、美と名づけられる細片」をあつめ描きだした、と解説は感動をこめて云っているのだった。
その展覧会はやっときのう開かれたばかりだった。まだ邪魔になるほどの人もいない明るくしずかな会場のそこのところを、伸子は一二度小戻りして眺めた。有名になり、作品があらわれてからのゴーリキイは、こんなに写真にとられ、その存在はすべての人から関心をもたれている。だけれども、それまでのゴーリキイ、生きるためにあんなに骨を折らなければならなかった子供のゴーリキイ。
ゴーリキイの幼年と青年時代を通じて、一枚の写真さえとられていない事実を発見して、伸子は新しく鋭く人生の一つの面を拓らかれたように感じた。トルストイの幼年時代の写真は全集にもついていた。レーニンも。チェホフはどうだったろう? 会場の窓ぎわに置かれている大きい皮ばりの長椅子にかけて休みながら、伸子は思い出そうとした。チェホフの写真として伸子の記憶にあるのは、どれも、ここにゴーリキイとうつっているような時代になってからのチェホフの姿ばかりだった。少年のチェホフの写真をみた人があるかしら。――記憶のあちこちをさぐっていた伸子は、一つのことにかっちりとせきとめられた。それはチェホフも少年時代はおそらく貧乏だったにちがいない、ということだった。チェホフの父は解放された農奴でタガンローグというアゾフ海の近くのどこかの町で
それらのことに気がつくと、伸子はひとりでに
雪どけが終って春の光が溢れるようになると、モスクの
「こういうところをみるとロシアって、やっぱりヨーロッパでは田舎なのねえ」
そして、連想のままに、
「ヨーロッパで、日本人を見わける法ってのがあるんだって。――知っている?」
「知らないよ」
「黄色くって、眼鏡をかけて、立派な写真器をもって歩いているのは日本人てきまっているんだって」
「なるほどねえ」
展覧会場の長椅子の上で、伸子が思い出したのは、この自分の会話だった。ゴーリキイの幼年時代や青年の頃一枚の写真さえもっていなかったということ。そしてあんなにゴーリキイが愛して、命の糧のようにさえ思っていた話し上手のお祖母さんの写真さえ、ただ一枚スナップものこされていないという現実は、伸子に自分のお喋りの軽薄さを苦々しくかえりみさせた。ロシアの貧しかった人々の痛ましい生活の荒々しさ。無視された存在。現在ソヴェトの若い人たちが、あんなに嬉々として春の光を追っかけて互に写真をとりあっていることは、決してただ田舎っぽいもの珍しさだけではなかった。
伸子は、あんな小憎らしい日本の言葉が、まわりの人たちにわからなかったことをすまなくも、またたすかったとも思った。
これまでの社会で写真というものは、ただそれを写すとか写さないとかいうだけのものではなかったのだ。伸子ははじめて、その事実を知った。写真をうつすということが、金のかかることである時代、何かというと写真をうつす人々は、それだけ金があり自分たちを記念したり残したりする方法を知っている人たちであり、写真を眺めて、その愉快や愛を反復して永く存在させる手段をもった人々であった。写真というものがロシアのあの時代に、そういう性質のものでなかったのなら、ゴーリキイのロマンティックで野生な人間性のむき出された少年時代のスナップが、誰かによって撮られなかったということはなかったろう。チェホフの子供時代にしろ、小父さんのとった一二枚の写真はあり得ただろう。
ソヴェトの若い人たちが、写真器をほしがり、一枚でも自分たちの写真をほしがっているのは、伸子が浅はかに思ったような田舎っぽい物珍しがりではなかった。金もちや権力からその存在を無視され、自分からも自分の存在について全く受け身でなげやりだった昔のロシアの貧しい
こういう点にふれて来ると、伸子は、自分がどんなに写真というものについてひねくれた感情をもっているかと思わずにいられなかった。そして、ヨーロッパ見物の日本人について云われる皮肉と、ソヴェトの写真ばやりとを、同じ田舎くささのように思ったひとりよがりにも、胸をつかれた。
伸子は、子供のときから、モスクへ来てニキーチナ夫人と一緒にうつした写真まで、無数と云うぐらいどっさり写真をとられた。それは生後百日記念、佐々伸子、と父の字で裏がきされている赤坊の伸子の第一撮影からはじまった。そこには、ゴム乳首をくわえている幼い総領娘の手をひいた佐々泰造の若いときの姿があり、被布をきた祖母が居り、弟たち、母がいた。ニューヨークで佃と結婚したとき、伸子はその記念のためにとった写真の一つを思い出した。平凡に並んでうつしたほかに、伸子は自分のこのみで、佃と自分の顔をよせ、横から二人の輪廓を記念メダルの構想で写してもらった。佃の彫りの深い横顔を大きくあらわして、その輪廓に添えて、二十一歳の軟かく燃える伸子の顔の線をあらわすようにした。六年たって、佃と離婚したあと、伸子はその写真を見るに堪えなかった。写真がそんなに佃と自分との結合を記念して、消えないのが堪えがたかった。書いた日記を破ったりしたことがないほど生活をいとしむ伸子であったが、そのメダル風の写真は、台紙からはがしてストーヴの火のなかに入れた。伸子は写真ぎらいになっていた。
十八ぐらいからあと、伸子は、自分が写真にとられなければならなくなる羽目そのものを厭うことから、写真ぎらいになって来た。それは見合い写真をとらされることから、気もちのはっきりした娘たちが屈辱に感じて、いやがるのとはちがった。ゴーリキイが人生にさらされたのと、反対の角度から、伸子は、早く世間にさらし出された。それは、伸子が少女の年で小説をかき出したということが、原因であった。伸子は、新聞や雑誌から来る写真班に、うつしてほしくないときでも写真をとられた。それらの写真は、いつも好奇心と娘について示される多計代の関心に対する皮肉と伸子の将来の発展に対する不信用の暗示をふくんだ文章とともに人目にさらされた。伸子には、それが辛かった。そういう人工的なめぐり合わせをいやがって、普通の女としての生活に身を投げるように佃と結婚したのだったが、そこにもまた写真はつきまとった。伸子が思いがけなく唐突な結婚をしたと云って。身もちになってしまったからそのあと始末に仕方なく佃というアメリカごろつきと夫婦にもなったのだそうだ、という噂などを添えて。
それらすべては伸子にとって苦しく、伸子の意識を不自然にした。伸子が、母の多計代に対してはたで想像されないほど激越した反撥をもちつづける原因も、伸子のその苦悩を多計代が理解しないことによっている。世間の期待と云えば云えたのかもしれないが、伸子の感じから云えば無責任な要求に、多計代は娘を添わして行きたがった。伸子は、それに抵抗しないわけにゆかなかった。
目の前に、赤い布で飾られたゴーリキイ展の一つの仕切りを眺めながら、伸子は限りなくくりひろがる自分の思いの裡にいたが、その赤い飾りの布の色は段々伸子の眼の中でぼやけた。あんなに自分の境遇に抵抗して来ているつもりでも、伸子は、やっぱりいやにすべっこくて艷のいいような浅薄さをもっている自分であることを認めずにいられなくなった。いやがる自分をうつそうとする写真を軽蔑しながら、結局伸子はうつされた。写されながらいやがって、写真を金のかかる貴重なものとし、大切にするねうちのあるものとして考える地味な正直な人々、一枚の写真のために自分で働いて稼いだ金のなかから支払わなければならない人々の心と、とおくはなれた。これは、中流的なあさはかさの上に所謂文化ですれた感覚だと伸子は思った。そう思うと展覧会の飾り布の赤い色が一層ぼやけた。すれっからしの自分を自分に認めるのは伸子にとって切なかった。
伸子は、どこかしょんぼりとした恰好で、中央美術館のルネッサンス式の正面石段を一歩一歩おりて、通りへ出た。雪どけが終って、八分どおり道路が乾いたらモスクは急に喧しいところになった。電車の響、磨滅して丸いようになった角石でしきつめられている車道の上を、頻繁に荷馬車や辻馬車が堅い車輪を鳴らし、蹄鉄としき石との間から小さい火花を散らしながら通行する物音。伸子が来たころモスクは雪に物音の消されている白いモスクだった。それから町じゅうに雪どけ水のせせらぎが流れ、日光が躍り雨樋がむせび、陽気ではねだらけでモスクは音楽的だった。こうして、道が乾くと乾燥しはじめた春の大気のなかでは、電車の音響、人声、すべてが灰色だの古びた桃色だの
モスクへ来て半年たったきょう伸子の心の中でも下地がむき出しにあらわされた。歩くに辛いその心の上を歩いてゆくように伸子はアストージェンカへの道を行った。
ソヴェトの人たちが、ゴーリキイを我らの作家として認めている。それにはどんなに深く根ざした必然があるだろう。歩きながらも伸子はそのことを思わずにいられなかった。
ソヴェトに子供の家のあること、児童図書館のあること。働く青年男女のために大学が開放されていること。ソヴェトの民衆は自分たちの努力と犠牲とでそういう社会を組み立てはじめたことについて誇りとよろこびとを感じている。少年時代のゴーリキイの日々は、ソヴェトの表現でベスプリゾールヌイ(保護者なき子)と云われる浮浪の子供たちの生活だった。ヴォルガ通いの汽船の料理番から本をよむことを習って大きくなったゴーリキイは、ソヴェトに出来はじめている児童図書館の事業を自分のやきつくような思い出とともに見守っているのだ。そしてすべての働く若もののために大学があることを。「私の大学」でない大学がソヴェトに出来たことを。
ゴーリキイは、生きるために、そして人間であるためにたたかわなければならなかった。ロシアの人民みんながそのたたかいを経なければならなかったとおり。そしてゴーリキイの物語は、どれもみんなその人々の悲しみと善意ともがきの物語りである。これらの人々が自分たちの人生を変革し、人間らしく生きようと決心して、忍耐づよくつづけた闘争の過程で、ゴーリキイはペテロパウロフスクの要塞にいれられたし、イタリーへ亡命もしなければならなかった。ゴーリキイの人生はそっくり、正直で骨身惜しまず、人間のよりよい生活のために尽力したすべてのロシアの人々の歴史だった。
伸子は、まだ冬だった頃、メトロポリタンのがらんとした室で中国の女博士のリンに会った帰り途、自分に向って感じた問いをゴーリキイ展からの帰り途ひときわ深く自分に向って感じた。伸子の主観ではいつも人生を大切に思って来たし、人々の運命について無関心でなかった。女として人として。だけれども、伸子は、誰とともに生き、誰のための作家なのだろう。伸子はどういう人達にとっていなくてはならない作家だと云えるだろう。
伸子は、アストージェンカの角を横切りながら再び肩をちぢめるような思いで、写真について生意気に云った自分を思いかえした。伸子が、ひとなら、あのひとことで佐々伸子を憎悪したと思う。ああいう心持は、ソヴェトの人たちの現実にふれ合った心でもなければ、日本のおとなしく地味な人たちの素直な心に通じた心でもない。その刹那伸子は、また一つの写真を思い出した。ニキーチナ夫人ととった写真だった。その写真で伸子は真面目に自分の表情でレンズの方を見ながら、手ばかりは写真師に云われたとおり、一方の手を真珠の小さいネックレースに一寸かけ、一方の腕はニキーチナ夫人の肩のところから見える長椅子の背にかけて、両方の手がすっかりうつるようなポーズでとられているのを思い出した。その髯の濃い写真師は、伸子の手がふっくりしていて美しいと云い、ぜひそれを写したいと、伸子にそういうポーズをさせたのだった。ドイツ風というか、ソヴェト風というのか、濃く重い効果で仕上げられたその写真をみたとき、伸子は、ちらりときまりわるかった。幾分てれて、伸子はその写真をとどけて来てくれた内海厚に、
「みんな気取ってしまったわねえ」
と笑った。そこにうつっている秋山宇一も内海厚も素子も、みんなそれぞれに気取って、写真師に云われたとおりになっていることは事実だった。けれども、伸子のポーズでは、伸子の額のひろい顔だちの東洋風な重さや、内面から反映している圧力感とくらべて、平俗なおしゃれな手の置きかたの、不調和が目立った。手が美しいと写真師がほめたとき、伸子は、それが伸子の生活のどういうことを暗示するかまるで考えなかった。しかも、その手の美しさが、何かを創り何かを生んでいる手の節の高さや力づよさからではなく、ただふっくりとしていて滑らかだという標準から云われているとき。――
伸子には、ポリニャークが自分を掬い上げたことや、それに関連して自分が考えたあれこれのことが、写真のことをきっかけとしてちがった光で思いかえされた。これまで、伸子は自分が中流的な社会層の生れの女であることについて、決してそれをただ気のひけることと思わないで来た。気のひけるいわれはないことと考えて来た。そして、ポリニャークやケンペルが、プロレタリアートにこびることに反撥した。駒沢に暮していた時分「リャク」の若いアナーキストたちが来たときも、伸子は、そういう心の据えかたをかえなかった。
それはそれとして間違っていなかったにしろ、いつとしらず自分の身についている上すべりした浅はかさのようなものは、伸子自身の趣味にさえもあわなかった。
伸子は、そういうことを考えながら、
伸子は、住居のコンクリートの段々を、のぼりながら、しつこく自分をいためつけるように思いつづけた。こうしてソヴェトへ来るときにしろ、伸子は自分のまともに生きたいと思っている心持ばかりを自分に向って押し立てて来た。本当の本当のところはどうだったのだろう? 伸子が誰にとってもいなくてはならない人でなかったからこそ、来てしまえたのだと云えそうにも思えた。伸子は誰の妻でもなかった。どの子の母親でもなかった。女で文学の仕事をするという意味では、伸子の生れた階層の常識にとってさえ、伸子はいてもいなくてもいい存在だったかもしれない。そして、伸子の側からは絶えずある関心を惹かれているソヴェトの毎日にとっても、また故国で伸子とはちがった労働の生活をしているどっさりの人々にとっても。――伸子は、その人々の苦闘ともがきの中にいなかったし、この社会に存在の場所を与えられずに生きつづけて来た者の一人ではない。その人たちの作家というには遠いものだったのだ。食事のために素子と会う約束の時間が来るまで、伸子はアストージェンカの室のディヴァンの上へよこになって考えこんでいた。
作家生活の三十年を記念するマクシム・ゴーリキイ展は日がたつにつれ、全市的な催しになった。五月中旬には、五年ぶりでゴーリキイがソヴェトへ帰って来るという予告が出て、モスクでは工場のクラブ図書室から本屋の店にまで、「マクシム・ゴーリキイの隅」がこしらえられた。伸子たちがもと住んでいたトゥウェルスカヤ通りの中央出版所のがらんとした飾窓にも、人体の内臓模型の上にゴーリキイの大きい肖像画がかかげられた。
そういう四月はじめの或る晩のことだった。
伸子はアストージェンカの室の窓ぎわで、宵の街路を見おろしていた。そして街の騒音に耳を傾けていた。その日の昼ごろ、伸子が外出していた間に、伸子たちの室も窓の目貼りがとられた。帰って来てちっとも知らずにドアをあけた伸子は、室へふみこんだとき彼女に向ってなだれかかって来た騒音にびっくりした。雪のある間は静かすぎて寂寥さえ感じられた周囲だのに、窓の目ばりがとれたら、アストージェンカのその小さな室はまるでサウンド・ボックスの中にいるようになった。建物のすぐ前の小高いところにフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの多角型の大
テーブルのところで、昼間買って来た「赤い処女地」を見ながら素子が、
「きょう、ペレウェルゼフが、ゴーリキイについて一時間、特別講演をしたよ」
と言い出した。
「まあ、みんなよろこんだでしょう?」
「ああ随分拍手だった、前ぶれなしだったから……」
ペレウェルゼフ教授は、モスク大学でヨーロッパ文学史の講義をしていた。今学期は、ロマンティシズムの時代の部分で、素子はそれを聴講していた。
伸子は素子の聴講第一日にくっついて行った。文科だのに段々教室で、一杯つまった男女学生がペレウェルゼフの講義している講壇の端にまであふれて腰かけていた。立って聴いている学生もあった。伸子にはききわけにくいその二時間ぶっとおしの講義が終って四十五分の質問になったとき、そこに風変りの光景がおこった。質問時間には、学生同士が自主的に討論することを許されているらしかった。教授のわきに立って、黒板にもたれるようにしてノートをとっていた数人の学生の中から、学生の質問にじかに解答したり「君の質問は先週の講義の中に話されている」と質問を整理したりした。段々教室の中頃の席に素子と並んでかけて居た伸子は、そのとき、講壇のわきにいる学生の一群の中でも特別よく発言する一人の学生に注意をひかれた。その学生は、ごく明るい金髪の、小柄な青年だった。そばかすのある顔を仰向けて段々教室につまった仲間たちを見まわしながらその学生は、ユーゴーについての質問に応答した。ロシア語ではHの音がGのように発音されるから、その色のさめた葡萄色のルバーシカを着た金髪で小柄な学生は、ギューゴー・ギューゴーとユーゴーを呼びながら、組合の会合で喋るときのとおり、手をふって話していた。その光景は親愛な気分が
「それで何だって?」
とペレウェルゼフ教授の話の内容を素子にきいた。
「ゴーリキイの作品にあらわれているロマンティシズムについて話したんだけれどね」
素子の声に不承知の響があった。
「革命的なロマンティシズムと比較してね、ゴーリキイの多くの作品を貫くロマンティシズムは、概して小市民的な本質だというのさ。『母』だけが階級的なロマンティシズムをもっているっていうわけなんだそうだ」
素子のタバコの煙が、スタンドの緑色のかげのなかを流れている。伸子は、
「ふーん」
と云った。そう云えば、伸子たちがモスク芸術座で見た「どん底」では、巡礼のルカの役をリアリスティックに解釈していた。「どん底」の人々に慰めや希望を与えるものとしてではなく、現実にはどん底生活にかがまってそこから出ようともしないのに、架空なあこがれ話をくりかえして、不平な人々をなお無力なものにしてゆくお喋りの主として、モスクヴィンのルカは演じられた。とくにそのことが、プログラムに解説されていた。演出の上でルカがそのように理解されたことは、「どん底」の悲惨に一層リアルな奥ゆきを加えて観衆に訴えた。少くとも伸子の印象はそうだった。
「ゴーリキイのロマンティシズムが或るとき過剰だったということは、もちろんわかるさ。チェホフが云ったとおりに。しかしね、『母』だけが革命的ロマンティシズムで立派であとは小市民的なロマンティシズムだって、そんなに簡単にきめられるかい?」
素子は、何かに反抗するような眼つきをして云った。
「『母』のテーマは革命的であり、英雄的である。したがって、そこにあるのは革命的ロマンティシズムである。――それだけのもんかね」
京都風にうけ口な唇にむっとした表情をうかべて素子はおこったように、
「メチターってどういうものなのさ。え? 人間の心に湧くメチターってどういうものなのさ」
憧れ、待望をあらわすその言葉を、響そのものの調子が心に訴えて来るロシア語で、つよく、せまるように素子は云った。きょう目貼りのとれた窓からきこえるようになった早春の夜の物音が時々のぼって来て、月のない空にフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根がぼんやり浮んで見えている。
しばらくだまっていた素子は、苦しそうな反感をふくんだ表情で、
「わたしはここのものの考えかたの、こういうところは嫌いだ」
と云った。
「何でも、ああか、こうかにわける。分けて比べて、一方には価値があって、一方は価値がない。そうきめちまうようなところが気にくわない」
素子は、抑えていた感情にあおられたようにつづけた。
「ゴーリキイにしろ一人の人間じゃないか。一人の人間である作家が書いたものに、ぴょこんと、一つだけ革命的ロマンティシズムがあって、ほかはそうでないなんてあり得ないじゃないか……どっかで、きっとつながっているんだ。そのつながったどっかこそ人間と文学の問題じゃないか、ねえ。社会主義ってものにしろ、そういうところに急所があるんだろうとわたしは思いますがね」
おしまいを素子は皮肉に結んだ。素子がこれだけ集注した感情で、話すのはめずらしいことだった。
伸子は、素子のいおうとするところを理解した。けれども、語学のできない伸子は、素子とちがってすべてがそうであるとおり目で見て来たゴーリキイ展からあんまり自分に照らし合わせて考えさせられる点をどっさりうけとって来ていた。
こういうことは、伸子と素子との間でよくあった。
ソヴェトにおけるゴーリキイの芸術についての評価ということになると、伸子には伸子らしく目で見えることから疑問がなくはなかった。伸子たちがモスクへ来て間もない頃リテラトゥールナヤ・ガゼータ(文学新聞)にゴーリキイの漫画がでたことがあった。乳母のかぶるようなふちのぴらぴらした白いカナキン帽をかぶった老年のゴーリキイが、揺籃に入れた「幼年時代」をゆすぶっているところだった。伸子はその漫画に好感がもてなかった。その意味で印象にのこった。今年になってからも何かの雑誌にゴーリキイの漫画があって、それではゴーリキイが女のスカートをはかせられていた。スカートをはいたゴーリキイが、炉ばたにかがみこんで「四十年」という大鍋をゆるゆるかきまわしている絵だった。「ラップ」と略称されているロシアのプロレタリア作家同盟の人たちのこころもちは、ゴーリキイに対してこういう表現をするところもあるのかと、伸子は少しこわいように思ってじっとその漫画を見た。
この頃になってルナチャルスキーの評論をはじめ、マクシム・ゴーリキイの作家生活三十年を記念し、ロシアの人民の解放の歴史とその芸術に与えたゴーリキイの功績が再評価されるようになると、文学新聞をふくめてすべての出版物のゴーリキイに対しかたが同じ方向をとった。
この間の日曜の晩、アルバート広場で買った「プロジェクトル」にも漫画に描かれたマクシム・ゴーリキイという一頁があった。それはどれも「小市民」や「どん底」の作者としてゴーリキイが人々の注目をあつめはじめた時代にペテルブルグ・ガゼータなどに出たものだった。一つの漫画には、例の黒いつば広帽をかぶってルバーシカを着たゴーリキイがバラライカを弾きながら歌っている記念像の台座のぐるりを、三人のロシアの浮浪人が輪おどりしていて、その台座の石には「マクシム・ゴーリキイに。感謝する浮浪人たちより」とかかれている。ゴーリキイの似顔へ、いきなり大きなはだしの足をくっつけた絵の下には「浮浪人の足を讚美する頭」とかかれている。ゴーリキイきのこという大きな似顔きのこのまわりから、小さくかたまって生えだしているいくつもの作家の顔。ゴーリキイが「小市民」のなかで苦々しい嫌悪を示した当時の小市民やインテリゲンツィアが、「やっぱり、これも読者大衆」としてゴーリキイを喝采しているのを見て、げんこをにぎっていらついているゴーリキイ。それらはみんな一九〇〇年頃の漫画であった。「プロジェクトル」のゴーリキイ特輯号のために新しく描かれた漫画では、大きな鼻の穴を見せ、大きな髭をたらした背広姿の年をとったゴーリキイが、彼にむかって手桶のよごれ水をぶっかけている女や
「国外の白色亡命者と何のかかわりもないマクシム・ゴーリキイ」について数行の説明がついていた。イン・ブーニンは、ゴーリキイが結核だということさえ捏造してゴシップを書きちらした。しかし、実際にはゴーリキイが結核を患ったことなんかはないのだという意味がかかれている。
ゴーリキイが一九二三年にレーニンのすすめでソレントへ行ったとき、理由は彼の療養ということだったと伸子も思っていた。「プロジェクトル」はそれを否定している。
ゴーリキイは、ソレントで、その乳母帽子をかぶって描かれていた自分の絵を見ただろうし、スカートをはいて「四十年」の鍋をかきまわしている婆さんとして描き出されている自分をも眺めたことだろう。そして、今は巨人として描かれている自分も。肺病だった、肺病でなかった、今更の議論も、ゴーリキイの心情に何と映ることだろう。伸子には、そういうことが、切実に思いやられた。ゴーリキイはソヴェトへ帰って来ようとしている。ソヴェトへ帰って来ようとしているゴーリキイの心の前には、どんな絵があるだろう。乳母帽子やスカートをはいた自分の絵でないことは明らかだった。ゴーリキイの心は、じかに、数千万のソヴェトの人々のところへ帰って行く自分を思っているにちがいなかった。伸子はそう思ってゴーリキイの年をとり、嘘のない彼の眼を写真の上に見るのだった。
その晩、九時すぎてから伸子が廊下へ出たら、伸子たちの室と台所との間の廊下で、ニューラが妙に半端なかっこうでいるのが目についた。伸子は、自分の行こうとしているところへ、ニューラも行きたかったのかと思って、
「行くの?」
手洗所のドアをさした。どこからか帰ったばかりのように毛糸のショールを頭にかぶっているニューラは、あわてて、
「いいえ。いいえ」
と首をふり、台所へ消えた。
伸子が出て来たとき、台所のところからまたニューラの頭がちょいとのぞいた。どうしたのかしらと思いながら、伸子がそのまま室へ入ろうとするとうしろから、
「
すがるようなニューラのよび声がした。伸子は少しおどろきながら台所の前まで戻って行った。
「どうしたの? ニューラ」
「邪魔して御免なさい」
「かまわないわ。――でも、どうかしたの? 気分がわるいの?」
「いいえ。いいえ」
ニューラはまたあわてたように首を左右にふりながら、浅黒い、鼻すじの高い半分ギリシア人の顔の中から、黒い瞳で当惑したように伸子を見つめた。
「きいて下さい、
洗濯ものを干すことで、どうしてニューラがそんなにまごつかなければならないのか伸子にわからなかった。
「ニューラ、あなたいつも自分で干してるんでしょう? それとも奥さんがほしているの?」
「わたしが干しているんです。――でも、わたし、こわいんです」
わたし、こわいんですと云いながら、ニューラはショールの下で本当にそこにこわいものが見えているように見開いた眼をした。
黒海沿岸のどこかの小さい町で生れた十七歳のニューラは、ほとんど教育をうけていなかった。ソヴェトの娘としての心持にもめざまされていなかった。伸子たちが、ヨシミとサッサという二人の名を教えても、ニューラはその方がよびいいように昔風に二人を
こわいというニューラの言葉から伸子は、この間この建物の別の棟に泥棒がはいったという噂があったのを思いだした。
「ニューラ、その洗濯ものはどこへ干すの」
「物干場です」
「それはどこ?」
「上なんです。一番てっぺんなんです」
やっと伸子にわかりかけて来た。物干場は五階のてっぺんだった。もう夜だのにニューラはそこへ一人で物を干しにゆくのがこわい、というわけなのだった。
「わかったわ、ニューラ、じゃ、わたしが一緒に行ったげる」
「ありがとう、
「外套をきて来るからね」
「わたし待ちます」
伸子は室へ戻り、外套を出しながら、
「一寸ニューラが洗濯もの干すのについて行ってやることよ」
と素子に告げた。
「てっぺんで、一人でそこまで行くのがこわいんだって」
「――ぶこだって大丈夫なのかい? いまごろ」
「だって建物の中だもの」
「そりゃそうだけど……」
「大丈夫だことよ。じゃ、ね」
ニューラとつれ立ってアパートメントを出た。ニューラは普通の外出のときのとおりちゃんと表戸をしめた。コンクリートのむき出しの階段には、それぞれの階の踊場に燭光の小さいはだか電燈がついているぎりで、しめきられたアパートメントのいくつもの戸と人っ子一人いない階段に二人の
「ここなんです」
ニューラはポケットから鍵を出してドアをあけた。はだかの電燈に照しだされて、天井の低いその広間いっぱいに綱がはられているのや、あっちこっちにいろんな物の干してあるのが見えた。床は砂じきだった。ニューラは二人でその物干場へ入ると、また内側から鍵をしめた。そして、伸子の先へ立って、ずんずん、ほし物の幾列かの横を通りすぎ奥に近いところに張りわたされている綱の下に、下げて来たバケツをおろした。張りわたした綱がひっかけられている大釘の上の壁に、アパート番号がはっきり書かれている。ニューラはダブルベッド用の大シーツや下着類を、いそいでその綱に吊るしはじめた。伸子が砂の上に佇んで待っているのでニューラは気が気でないらしく、
「じきです――じきです」
とくりかえした。
「いいのよ、ニューラ、いそがないでやりなさい。わたしはいそいでいないのよ。鍵をしめておけば、こわくもないわ――ニューラは?」
ニューラは、すぐに返事をせず綱に沿って横歩きにものを干しつづけていたが、
「すこしは、ましです」
と、ぶっきらぼうに答えた。伸子は笑った。天井の低いうす暗いもの干場の空気はしめっぽくて、そこからぬけたことのない石鹸のにおいがした。
「きょうは、どうして、夜もの干しに来たの?」
伸子が、その辺を眺めながら、ニューラにきいた。
「きょうは洗濯日じゃなかったんです」
「――じゃ、特別?」
「ええ。――さっき、洗ったんです。
不恰好に長い腕を動かしながらものを干している若いニューラの見すぼらしい姿を、伸子は可哀そうに思った。ソヴェトの家事労働者組合では、契約時間外の労働には一時間についていくらと割増を主人が支払うことをきめている。そんなことなんかニューラは知らないのだろう。ルイバコフ夫婦はニューラがそういうことを知らないのを、ちっとも不便とはしていないということも伸子にわかる。
「ニューラ、あなた両親がいるの?」
「死にました、二人とも。――二一年にチフスで、二一年には、どっさりの人が死んだんです」
ジョン・リードのような外国人も、それで死んだし、この間素子がその著作集を買ったラリサ・レイスネル夫人のように類のすくない勇敢な上流出身のパルチザン指導者、政治部員だったひとたちも序文でみればその頃に死んだ。
「ニューラは一人ぼっちなの?」
「そうです」
最後の下着を吊り終ったニューラは、そのまま足元へ押して来た、からのバケツをとろうとしてかがんだ。が、急にそれをやめて、斜うしろについて来ている伸子をふりかえった。そして、いきなり、前おきなしに、
「わたしの本当の名はニューラじゃないんです」
と云った。
「エウドキアなんです――でも、ここのひとたちはわたしをニューラとしかよばないんです」
伸子は、思わずニューラの浅黒くてこめかみにこまかいふきでもののある若い顔を見つめた。その顔の上には、どう云いあらわしていいかニューラ自身にもはっきりわかっていない自身のめぐり合わせについての訴えがあった。伸子の眼に思いやりの色があらわれた。その伸子の眼をニューラも見つめた。夜の物干場のしめっぽくて石鹸の匂いがきつくこめて居る空気の中で、ほしものとほしものの間に向いあって、瞬間そうして立っていた二人は、やがて黙ったまま入口のドアの方へ歩き出した。ニューラが、黙ったまま鍵をあけ、外へ出て二人のうしろへ鍵をしめた。跫音を反響させながら、再び人気ない階段を下りて来た。
四階まで下りて来たとき、伸子がきいた。
「ニューラ、あなたの月給はいくらなの?」
「十三ルーブリです」
「…………」
もうじきで三階の踊場へ出る階段のところで伸子が、
「ニューラ、あなたがたの組合があるのを知っていて?」
ときいた。この間、ニキーツキイ門へ出る通りを歩いていたら歩道に面した空店の中で多勢の女が、大部分立ったまま何か会議していた。ドアのあいた店内へは通りすがりの誰でも入れた。伸子も入って立って聞いていたら、それは、家事労働婦人の組合の会議だった。伸子はその集会をみたりしていて独特にテムポのゆるい、重い、しかし熱心な空気を思いおこしてニューラにきいたのだった。
「知っています」
「じゃ、はいりなさいよ、そうすれば、友達が出来るわ。そこの書類にはエウドキアって本当の名を書いてくれるわ」
「わたしは書類をかきこむために
「いつ?」
「もう三月ばかり前に」
三月まえと云えば、伸子たちがまだアストージェンカへ引越して来なかった時分のことだ。
「書いてくれるまで度々、たのみなさい、ね」
もうそこは主人のドアの前だったので、ニューラは、気がねしたような声で、
「ええ」
と返事した。
ベルを鳴らすと、素子が出て来て戸をあけた。ルイバコフ夫婦はまだ帰って来ていなかった。
「いやに手間がかかったじゃないか、どうかしたのかと思っちゃった」
「そうだった? 御免なさい。わたしたちは急がなかったのよ、そうでしょう? ニューラ」
ニューラは台所の入口に立ってショールをぬきながら無言でにこりとしたぎりだった。
あくる朝、ニューラはいつもどおり茶道具を運んで来た。そして丁寧に腰をかがめるような形で急須や水色ヤカンを一つ一つテーブルの上へおくと、関節ののびすぎた両方の腕を、いかにも絶望的にスカートの上へおとして、
「オイ! わたし、不仕合わせなことになっちゃったんです」
呻くように、
「オイ! オイ!」
と云いながら胸を反らし、両腕で、つぎのあたった茶色のスカートをうつようにした。その動作は、いつか赤い広場のはずれで素子が物売女の顔をぶったとき、仰山な泣き真似をしながら物売女がオイ! オイ! と大声をあげたそのときの身ぶりとそっくりだった。
「どうしたのさ、ニューラ」
ニューラの大
「盗まれちまったんです! オイ!」
「なにを盗まれたのさ」
「洗濯ものを。――ゆうべ乾した洗濯ものがみんな無いんです。盗まれたんです」
「ゆうべ乾したって……」
素子が、おどろいた顔を伸子にむけた。
「ぶこちゃんが一緒に行ってやった分のことかい?」
「ニューラ、落付きなさい。わたしと一緒にゆうべ乾したものが、無いの?」
「その洗濯ものが、けさまでに、一枚もなくなったんです――わたしに何の罪があるでしょう。こんなことがなくたって、わたしはちっとも仕合わせじゃあないのに……何て呪われているんだろう。何のために、わたしに大きな敷布がいるでしょう」
ニューラの頬を涙が流れた。
「奥さんは、わたしが盗んだにちがいないと思っているんです。もう電話かけました。警察犬をよんで、わたしの体じゅうを嗅がせるんです。オイ!」
最大の恐怖が、警察犬にあらわされてでもいるかのようにニューラはますます涙を流した。
「ニューラ、あなた、物干場を出るとき鍵をかけたことはたしかに思い出せるでしょう!」
「わたしが鍵をかけたって何になるでしょう。あすこに入る鍵はこの建物じゅうの住居にあるんです……警察犬が来たら、わたし、この建物じゅうの人たちを嗅がせてやるんだから――オイ!」
ニューラは涙をふきもせず濡れたほっぺたをしたまま室を出て行った。
「どうしたっていうんだろう」
ゆうべ見た夜ふけの物干場の光景や人気なかった階段の様子を思い浮べながら伸子が気味わるいという顔をして素子をかえりみた。どういうわけで、ニューラの干したものばかり、盗まれたのだろう。濡れた洗濯ものからはあのときまだ床にしかれた砂の上へ水がたれていたのに。ニューラの荷物と云えば、台所の壁についている折り畳み寝台の下に置かれている白樺の箱の一つだった。
「――こんなことがあるから、つまらないおせっかいなんかしないがいいのさ」
不機嫌に素子が云った。迷惑をうけるばかりでなく、そんな風ならゆうべだってどこに危険がかくされていたのかもしれないのに。そういう意味から素子は不機嫌になって伸子の軽率をとがめた。
「なにか特別なものがあったの?」
「いいえ。シーツが二枚に女の下着やタオルよ。――変ねえ、よそのだってあんなに干してあったのに……」
災難がルイバコフ一軒のことだとは伸子に信じられなかった。
「ニューラは知らなくっても、きっとよそでもやられているんでしょう、いやねえ」
素子は大学へ出かける仕度をしながら、こういうときの彼女の云いかたで、
「わたしは知らないよ」
わざとちょいと顎をつき出すような表情で云った。
「まあ犬にでも何でも嗅がせることさ」
そして、出て行った。
伸子は、一人になってテーブルの上を片づけ、自分の場所におちついた。書きかけた半ぺらの原稿紙はもう三十枚ばかりたまって、ニッケルの紙ばさみにはさまれている。きのう書いた部分をよみ直したりしているうちに、朝おきぬけからの泥棒のさわぎを忘れた。藍色のケイがある原稿紙に、モスク出来の粗悪な紫インクで伸子はしばらく続きを書いて行った。伸子はこの間の復活祭の夜のことを書きかけていた。
宗教は阿片である。と、ホテル大モスクの向いの反宗教出版所の飾窓にプラカートが飾られている。しかし一九二八年の、ソヴェトで
相変らず時々ひどい音をたてて電車がとおる。そのたびに机の上のコップにさされているミモザのこまかい黄色の花がふるえた。伸子は自分の心の中で何かと格闘しているような緊張を感じながら書いて行った。
モスクの印象記を書こうとしはじめてから、伸子はこれまで経験されなかったその緊張感を自覚した。その感じは、書き進んでも消えなかった。ソヴェトの社会現象はその印象を書きはじめてみると、ひとしおその複雑さと嵩のたかさとで伸子を圧倒しそうになるのだった。
モスクの印象記を、伸子は、自分が感じとったままの感銘と感覚であらわして行きたいと思った。伸子はいつも眼から、何かの出来事と情景から、色彩と動きと音と心情をもってモスクを感じとって来た。そのテムポ、その気ぜわしさ、一つ一つに深い理由のある感情の火花や風景。それらをみたように、あったように表現しようとすると伸子の文体はひとりでに立体的になり、印象的になり、テムポのはやい飛躍が生じた。そして断片的でもあった。
エイゼンシュタインの映画やメイエルホリドの舞台と、どこか共通したようなところのある伸子の文体は、伸子自身にとって馴れないものだった。けれども、生活の刺戟は、ひとりでに伸子にそういう様式を与え、伸子は、そうしかかけなくて書いているのだった。
伸子がモスクに生きている現実のいきさつを辿れば、モスクは伸子が印象記にかいているように伸子のそとに見えている現象だけのものではなかった。伸子は眼から自分の中へ様々のものをうけ入れ、自分というものをそれによって発掘してもいた。たとえばゴーリキイ展のときのように。しかし、そのようにして一人の女の内面ふかく作用しながら生かしているモスクとして印象記を描き出す力は、伸子にまだなかった。伸子には影響をうけつつある自分がまだはっきり自分につかめていなかった。伸子はおのずからの選択で主題を限ってその印象記を書いているのだった。
伸子が、
「はいっていいですか」
ニューラのしめっぽい声がした。伸子はけさの泥棒さわぎを思い出した。警察犬が来たのかと思った。そういう職業人に、その人々によめない日本字でうずめられた原稿を見られたくなかった。伸子はいそいで椅子から立ち、紙ばさみのなかへ原稿をしまいながら、
「お入りなさい」
改まった声をだした。
入って来たのはニューラだけだった。泣いて唇の
「どうしたの? ニューラ」
また椅子に腰をおろした伸子のわきに、だまって自分の体をくっつけるようにして佇んだ。ニューラの着ているものからは、かすかに台所の匂いがした。警察犬が、いま来るかいま来るかと思いながら一人ぽっちで台所にいるのが、ニューラに辛抱できなくなって、到頭伸子のところへ来たことは、室へ入って来たものの、そのまま途方にくれたようにしているニューラのそぶりでわかった。
「ニューラ。こわがるのはやめなさい。犬は正直だから、ニューラのところに洗濯ものなんかかくしてないことはよくわかることよ」
そうはげまされてもなお半信半疑の表情で、窓からフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根を眺めていたニューラは、
「奥さんは、わたしを疑っているんです」
深く傷つけられて、それを癒す道のない声の調子でつぶやいた。
「奥さんは、わたしが不正直でも九ヵ月つかっていたでしょうか」
すすり泣くように大きな息を吸いこんでニューラは、
「ああ。悲しい」
と全身をよじるようにした。
「いつだってあのひとたちはそうなんです」
ニューラは、気の上ずったような早口で喋りはじめた。伸子たちがここへ移って来る前、オルロフという山羊髯の気味のわるい男の下宿人がいた。山羊髯のオルロフは何でも特別彼のためのものをもっていた。ニッケルの特別な彼の手拭かけ。特別な彼の葡萄酒コップ。そして、彼はいつでも机の上へバラで小銭をちらばしていた。
「あのひとは何故、小銭をそうやって出しておかなけりゃならなかったでしょう――わたしがとるのを待っていたんです。わたしをためしているのがわかっていたんです。朝と夜の時間に、あのひとは何度わたしを呼びたてたでしょう。可愛いニューラ、どうぞこれをしておくれ。親切なニューラ、あれをしなさい」
ニューラは憎悪をこめて、「可愛いニューラ、どうぞこれをしておくれ」「親切なニューラ、あれをしなさい」と云うときの山羊髯のオルロフという男の口真似をした。
「口でそう云いながら、眼はいつだってわたしを睨んでいたんです。いつだって――笑うときだって、あのひとは唇でだけ笑ったんです」
伸子は、時計を見て、立ちあがった。
「ニューラ、わたし
ニューラは、自分が用もないのに伸子のところに来ていたことが急に不安になった風で、
「
哀願するように伸子を見た。
「わたしがこんなこと話したって、どうか奥さんに云わないで下さい」
「心配しないでいいのよ、ニューラ。――でもあなたは淋しいのよ、一人ぼっちすぎるのよ、だから、あなたには組合がいるのに」
室を出て行こうとするニューラに伸子は、外套を着ながら云った。
「犬が来ても、あなたは自分が正直なニューラだということを考えて、こわがっちゃ駄目よ」
四時に、伸子は素子とうち合わせてある菜食食堂の二階へ行った。普通の食堂とちがってあんまり混んでいない壁際の小テーブルに席をとり、その席へこれから来る人のあるしるしに向い側の椅子をテーブルにもたせかけた。モスクの気候が春めいて来てから、素子は、日本人の体にはもっと野菜をたべなければわるい、と云いはじめた。そこで、三日に一度は菜食食堂へ来ることになったのだった。
素子の来るのを待ちながら、伸子はそこになじむことのできない詮索的な視線であたりを眺めていた。モスクでも食堂へ来て食べるひとは、女よりも、男の方が多かった。ここでも大部分は男でしめられているのだったが、菜食食堂でたべる男たちは、概してゆっくり噛んでたべた。連れ同士で話している調子も声高でなく、よそではよく見かけるように食事をそっちのけで何かに熱中して喋り合っているような男たちの光景は、ここで見られなかった。常連の中には、髪を肩までたらしたトルストイアンらしい風采の男もある。伸子がみていると、菜食食堂へ来る人は、みんな体のどこにか故障があって、内心に屈託のある人のようだった。さもなければ、自分の食慾に対して何かその人としてのおきてをもち、同時にソヴェト政権の
素子は二十分もおくれた。
「ああおそくなっちゃった。何か註文しておいた?」
「あなたが来てからと思って……」
「じゃ、すぐたのもうよ」
二人は薄桃色の紙によみにくい紫インクでかかれた献立表を見て食べるものを選んだ。
「どうした? 来たかい?」
泥棒詮議のことを素子が訊いた。
「わたしが出かけるまでは何にも来なかったわ」
素子は存外こだわらず、
「ま、いいさ」
と云った。
「われわれの部屋だって鍵ひとつないんだから、犬に嗅がせるなら嗅がしてみるさ」
アストージェンカの室へ移ってから、伸子と素子の生活条件は、一方では前よりわるくなった。室はせまくてぎゅうぎゅう詰めだし、テーブルは一つしかないのを、二人で両側から使っている有様だった。けれども新しい生活のそんな窮屈ささえもモスクではあたりまえのこととして伸子が却って落付けたように、素子もアストージェンカへ来てから、大学の講義をききはじめ、神経質でなくなった。泥棒さわぎにしろ、そのことに伸子がいくらかひっかかっているような状況だのに、素子はその点を伸子がひそかにおそれたよりも淡泊にうけた。
菜食食堂を出て伸子と素子とは散歩がてら大学通りの古本屋へまわった。よごれた白堊の天井ちかくまで、三方の壁を本棚で埋めた広い店内はほこりぽくて、夜も昼も電燈の光で照らされていた。入れかわり立ちかわりする人の手で絶えず上から下へとひっくりかえされている本の山のおかれている台の脚もとに、繩でくくられたクロポトキン全集がつまれていた。伸子は偶然、一九一七年から二一年ごろに出版された書物だけが雑然と集められている台に立った。その台には、ひどい紙だし、わるい印刷ではあるが、この国内戦と飢饉の時代にもソヴェトが出版したプーシュキン文集だのゴーリキイの作品集、レルモントフ詩集などが、今日ではもう古典的な参考品になってしまったプロレトクリトのパンフレットなどとまじっている。
伸子がその台の上の本を少しずつ片よせて見ているところへ、素子が、より出した二冊の背皮の本をもって別な本棚の方から来た。
「なにかあるのかい」
「――この間のコロンタイの本――こういうところにならあるのかしら」
「さあ。――何しろもうまるでよまれてないもんだから、あやしいな」
素子が勘定台へ去ったあと、なお暫く伸子はその台の本を見ていた。
一週間ばかり前日本から婦人雑誌が届いた。それに二木準作というプロレタリア作家が、自分の翻訳で出版したコロンタイ夫人の「偉大な恋」について紹介の文章を書いていた。二木準作は、その作家もちまえの派手な奔放な調子でコロンタイの恋愛や結婚観こそ新しい世紀の尖端をゆくモラルであり、日本の旧套を否定するものはコロンタイの思想を学ぶべきであるというような意味が、若い女性の好奇心や憧憬を刺戟しながら書きつらねられていた。
アストージェンカの室でその文章をよんで、伸子は一種のショックを感じた。伸子たちがモスクへ来た時、コロンタイズムは十年昔の社会が、古いものから新しいものにうつろうとした過渡期にひき出された性的混乱の典型として見られ、扱われていた。むしろ、性生活の規律や結婚の社会的な責任、新しい社会的な内容での家庭の確立のことが、くりかえしとりあげられていた。「偉大な恋」はコロンタイ夫人が、国内戦の時代にかいた小説だった。その中で、新しい性生活の形として、互の接触のあとには互に何の責任ももたず、結婚、家庭という永続的な形へ発展する必要も認めないのが、唯物論の立場に立つ考えかただという観念がのべられている。その誤りは、本質的に批判されていた。唯物的であるということの現実は、めいめいの恋愛や結婚そして家庭生活の幸福の基礎が、働いて生きる男女の労働条件が益々よくなってゆくこと、社会連帯の諸施設がゆきわたり、住宅難、食糧、托児所問題などがどしどし解決されてゆくその事実に立つものだということが、いつか自然と伸子にものみこめて来ていた。あらゆる場面でそれはそのように理解されているのだった。
婦人雑誌の上で二木準作のコロンタイズム礼讚の文章をよんで伸子が感じたショックは、十年おくれの紹介が野放図にされているというだけではなかった。伸子は女としてその文章をよんだとき、本能的ないとわしさを感じ、胸が痛む思いがした。プロレタリア作家だという二木準作は、社会主義というものに対して責任を感じないのだろうか。伸子は、二木という人物の心持をはかりかねた。伸子たちが日本を去る頃、マルクスボーイとかエンゲルスガールだとかいう流行語があった。伸子はあんまり出会ったことがなかったが、菜っ葉服をきた若い男女が銀座をのしまわすことが云われていた。その時分、ジャーナリズムにはエロ、グロ、ナンセンスという三つの言葉がくりかえされていた。コロンタイズムを紹介している二木準作の調子は、その三つの流行語のはじめの一つと通じているようだった。伸子の女の感覚は、それを扱っている二木準作の興味が理論にはなく、そういう無軌道な性関係への男としての興味があると感じた。もっとつきつめて云うと、日本の男の古来の性的
「生産手段と政権をプロレタリアートがとれば社会主義だなんかと思っているんなら、それこそバチが当る、……人間は、それだけのためにこんな苦労をしてやしないわよ、ねえ。人間の心も体も、個人と社会とひっくるめて、ましに生きようと思うからこそ、骨を折っているのに……」
伸子は二木準作をしんからいやに感じる心の一方で思うのだった。ソヴェトにある数千の托児所や子供の家、産院は何を意味して居るだろうか、と。数百の食堂は不十分ではあっても働く女の二十四時間にとって何を語っているだろう。結婚の社会的な責任が無視されているならば、無責任な父親である男に課せられているアリメントの法律的な義務は存在するはずがない。
伸子が、二木準作のコロンタイズム宣伝について憤懣する心の底には、そのとき云い表わされなかった微妙な女の思いがあった。伸子は佃とああいう風に結婚し、ああいう風にして離婚した。もう四年素子と二人の女暮しをして、伸子は、どういう男の愛人でもなかった。恋や結婚の問題は、伸子のいまの身に迫っていることではないようだった。そして、もし伸子に質ねる人があったら、伸子はやっぱり、いま結婚を考えていないと答えたであろう。その返辞は偽りでなかった。佃が悪い良人だったから伸子が一緒に暮せなかったのではなかった。佃は常識からみればいい良人であった。しかし伸子には佃のそのいい良人ぶりが苦しいのだった。平和で不自由のない家庭を自分たちだけの小ささで守ろうとすることに疑問のもてないいい良人ぶりが、伸子を窒息させたのだった。それ故、伸子がいま結婚を考えていない心には、佃とは別な誰か一人の男を見出していない、というよりも、伸子が経験した結婚とか家庭とかいうそのものの扱われかたに抵抗があるのだった。
モスクへ来て半年近くなる伸子の感情には、結婚や家庭のありかたについて、ぼんやりした新しい予測と、同時に、どこかがちぐはぐな疑問が湧いて来ていた。伸子がみるソヴェトの生活で、たしかに社会的な施設は幸福の可能に向って精力的につくり出されていた。だけれども、彼女のふれたせまい範囲では、伸子の女の気持がうらやましさで燃え立つほど、新鮮でゆたかな結合を示している男女の一組を見たと思ったことはなかった。ルイバコフの夫婦にしろ、ケンペル夫妻にしろ、そして、
然し、そういう何の奇もない男と女とが、平凡な勤勉、多忙、平凡な衝突、平凡な移り気や官僚主義など、ソヴェト風な常套の中に生きている姿の底を支えて、伸子が生きて来た日本の社会では、どんな秀抜な資質のためにも決して存在しなかった一人一人の女の、働く女として、妻として、母として、お婆さんとしての社会保護が、社会契約で実現されていることに思い及ぶと伸子はやはり感動した。自分も女であるということに奮起して、伸子は元気を与えられるのだった。伸子の心の中にいくらかごたついたまま芽生えはじめた女としての未来への期待、確信めいたものが、二木準作のコロンタイズムに対して、女にだけわかる猛烈さで抗議するのだった。
コロンタイの本は、結局その古本屋にもなかった。帰って来て、ルイバコフのベルを鳴らすと、ドアをあけたニューラの顔が明るかった。すぐ素子が、
「どうした? ニューラ?」ときいた。
「犬に嗅いでもらったかい?」
するとニューラは、うしろをふりかえってルイバコフたちの住んでいる室のドアがしまっているのをたしかめてから、
「わたしには犬の必要がなかったんです」
小声で、勝ちほこって云った。
「あの人たちは、よその家の敷布もどっさり盗まれているのを見つけたんです――御覧なさい! あの人たちはいつもあとから分るんです」
うれしくて仕方のない感情を、ほかの仕草であらわすすべを知らないニューラは、いそいで廊下を先に立って行って、伸子と素子とのための二人の室のドアをあけた。
メーデイの日のために、伸子たちは対外文化連絡協会から、赤い広場への入場券をもらった。
その朝はうす曇の天候で、気温もひくかった。モスクの街々では電車もバスもとまった。辻馬車の影もないがらんとした通りを、赤い広場へむかって、人々がまばらにいそいで行く。行進をする幾十万という人々は、みんなそれぞれの勤め先から旗やプラカートをもってくり出して来るから、ばらばらに赤い広場の方へ歩いているものはごく少数で、しかも何かの事情で行進には参加しない連中らしく見うけられる。伸子と素子も、そのばらばらの通行人にまじって、中央美術館前の大通りを、アストージェンカから真直に赤い広場へ歩いて行った。
うすら寒いような五月一日の天気にかかわらず、歩道をゆく人々は、今朝はすっかり夏仕度だった。くすんだ小豆色のレイン・コートじみた合外套にハンティングをかぶった男連のシャツやルバーシカは、白かクリーム色だった。女の半外套の下からは、寒くないのかとびっくりするような薄い夏服の裾がひらめいた。伸子たちのすぐ前を、黒い半外套の下からヴォイルのような夏服を見せた三人づれの若い娘たちが歩いて行っていた。三人おそろいのプラトークで頭をつつんで、派手なその結びめが、大きい三つの蝶々のようにひらひらする。それを追うように伸子たちも無言で速く歩いた。午前十時から赤い広場の行進がはじまる、その三十分前に、参観者たちは広場の中のきめられた場所へ到着しているように指定されているのだった。
猟人広場まで来ると、もうトゥウェルスカヤ通り一杯につまって、行進が定刻の来るのを待機していた。大きい赤地のプラカートをもった行進の先頭はトゥウェルスカヤ通りが猟人広場に向ってひらく鋪道のギリギリの線まで来ていて、ゆるく上りになっている通りをずっとかみてへ見渡すと、トゥウェルスカヤ通りは、目のとどく限り人と赤い旗の波だった。左右の高い建物の窓から窓へとプラカートが張りわたされている。広場をこして大劇場通りの方を眺めると、こっちにはモスクの商業地帯、官庁地帯から出て来た幾列もの行進で、赤く賑やかにつまっている。いまにも溢れんばかり街すじに漲っている巨大なエネルギーを
きれいに掃かれてがらんとしている猟人広場を横ぎって赤い広場の方へ歩いて行きながら、伸子はたがいちがいに運ぶ自分の脚の短かさを妙にぎごちなく意識した。伸子はこれまでに、人間のこんな陽気な大群集を観たことがなかったし、その大群集がこんな秩序をもって待機している光景を見たことはなかった。まして自分が、特権でもあるように、
各国の外交団のための観覧席と、伸子たちの入った民間日本人の観覧席との間に、赤い布で飾られた高い演壇がこしらえられていた。そこがソヴェト政府の指導者たちの立つところらしかった。そこはまだ誰も見えていない。
太い綱をはって、広場の片隅を区切っているだけの観覧席には、秋山宇一、内海厚、そのほか新聞関係の人とその細君などが先着していた。
「や、来られましたね」
ハンティングをかぶった秋山宇一が、入って来た伸子たちに向ってうなずいた。
「あいにく、寒いですね」
「それでも降らなかったから大助りですよ」
素子が答えながら、はすうしろに立っていた新聞の特派員とその細君に会釈した。大柄な体に、薄手な合外套のボタンを上までしめている特派員はいくらか近づいて来るようにしながら、
「あなたがた、最近の日本の新聞を御覧でしたか」
と伸子たちに話しかけた。
「――最近のって云ったところで、わたしたちのは、どうせ幾日もかかってシベリアをやって来るんですがね――何かニュースがあるんですか」
「日本の共産党事件――よまれましたか」
「ああ、よみました――ひどく漠然とした記事ですね、何が何だか分らなかった」
「――そう云えばそうだが、吉見さんなんか、あらかじめこっちへ逃避というわけじゃなかったんですか」
うす笑いをしながらそういう特派員の言葉を、素子はぼんやりした顔つきできいていたが、急にその特派員の方へくるりと向きかわって、
「冗談にしろ、そんなこと、迷惑ですよ」
きめつけるように、真顔で云った。そして、秋山宇一をかえりみながら、いくらか皮肉な調子をこめて、
「秋山さんこそ、どうなんです?」
と云った。
「あなたは、大丈夫なんですか」
「今も塩尻君に様子をきいていたところですがね」
例の癖で自分に向ってうなずくように首をふりながらその特派員の名を云って秋山宇一が答えた。
「友人のなかには、やられたものが相当あるらしい工合ですよ」
そう云いながら、秋山宇一はどことなく肩をすぼめるようにして、それも癖の、小さい両手を揉み合わせながら、仕切り綱に上体をのり出させ、
「――まだ誰も見えませんか?」
赤い布飾りのついた演壇の方をのぞいた。折角、モスクのメーデイを見に来ているところで、これからじき帰って行こうとしている日本では、共産党という秘密結社が発見されて、全国で千余名の人々がつかまった、というような報道を、どこかその身に関係がありそうに話されたのを秋山宇一が快く感じていない表情は、ありありとうけとられた。
秋山宇一が、その話をさけたそうに体をのり出させて眺めている赤い演壇の方を一緒に見ながら、伸子も、メーデイの朝の気分にそぐわない、いやな気持でそのことを思いだした。伸子たちは、ついおととい着いた日本からの新聞で、一ヵ月近く前の三月十五日の明け方、「官憲は全国一斉に活動を開始し」という文句で書かれている共産党検挙の事件が解禁になった記事をよんだのだった。初号の大見出しで一面に亙って、五色温泉で秘密の会合をした仮名の人々のことだの、大学教授や大学生がどっさり関係していること、内相談、文相談と、いかにも陰謀の一端を
三月十五日の記事にかけられている赤インクのかぎを見たとき、伸子は、いやな刺戟を感じた。記事そのものが漠然としている上に、そういう運動を知らない伸子には、全国的検挙という事実さえ、実感に迫って来なかった。共産党という字が、いたるところで目にふれるモスクでは政治について知らない伸子も、世界の国々に資本家の代表政党があるからには、勤労階級の共産党があるのは当然と思うようになっていた。泰造のペン先でつけられた赤インクのかぎは、そんな風にのんびりと、日本の現実について無知なまま自由になっている伸子の体のどこかを、その赤いかぎでひっかけて、窮屈なところへ引っぱり込もうとするような感じを伸子に与え、伸子は抵抗を意識した。
うす曇りのメーデイの朝、赤い広場の観覧席の仕切り綱の中に立って、まだ空っぽの赤い演壇の方を眺めながら、伸子は、素子と記者との間に交わされた話から、赤インクのかぎの形を生々しく思い出した。抵抗の感じがまた全身によみがえって来た。その抵抗の感じは、すべての感受性をうちひらいてメーデイの行事を観ようとして来ている伸子の軟かい心と、瞬間鋭く対立した。観覧席で、まわりの人々は腕時計を見たり、とりとめなく話し合ったりしながら折々期待にみちた視線を赤い広場の入口へ向けている。その中に交っている伸子の背の低い丸い顔は、質素な紺の春コートの上で、弱々しいような強情のような一種の表情を浮べた。
そのとき、何の前ぶれもなしに、突然猟人広場の方から轟くようなウラーの声がつたわって来た。観覧席は俄に緊張し色めきたった。
「スターリンですか」
「さあ……」
「見えますか」
「いいや」
尾の房々と長く垂れた白馬にまたがった一人の将校を先頭に黒馬に
「ブジョンヌイよ!」
びっくりしたような、よろこばしいような声を立てた。
「あの髭! あの髭はブジョンヌイだわ!」
白馬にのった将校の顔の上には、ほかの誰もつけていない大きい黒髭が、顔はばを超して左右にのびていた。
「ほんとだ!」
素子も、おもしろそうに肯定した。一九一七年から二〇年にかけてウクライナで革命のために活躍した第一騎兵隊と云えば、その英雄的な物語は戯曲のテーマにもなっていた。ブジョンヌイは、その第一騎兵隊の組織者、指導者として、コサック風の大髭とともに、伸子のような外国人にさえ親愛の感情をもたれていた。
騎馬の一団は、伸子たちが目をはなさず見守っている観覧席の前を通りすぎて、一番はずれの観覧席のところまで行った。そこで馬首をめぐらして、広場の遠いむこう側を、すこし速めた足で、再び入口に向ったときだった。それが合図のように、赤軍の行進が猟人広場の方の門から広場へ流れこんで来た。見る見る広場が埋められはじめた。すると、一台、大型オープンの自動車が伸子たちの観覧席の前をすべるようにすぎて、クレムリンの河岸に近い門の方へ去った。
「自動車が行きましたね。じゃ、スターリンが来たんです」
秋山宇一が確信ありげにそう云って、伸子と一緒に仕切り綱の上へのり出したとき、クレムリンのスパースカヤ門の時計台からインターナショナルの一節がうちだされた。それから一つ、二つ、と時をうって十時を告げ終ったとたん、赤い広場からそう遠くないところで数発の号砲がとどろいた。
メーデイの儀式と行進とはこうして、うすら寒い五月の赤い広場ではじまった。真横にあたる伸子たちの観覧席からは、骨を折っても赤い演壇の上の光景は見わけられなかった。広場の四隅につけられている拡声機から、力のこもった、しかし誇張した抑揚のちっともない、語尾の明晰なメーデイの挨拶の言葉が流れて来た。演壇の上が見られない伸子は気をもんで、かたわらの素子に、
「いま話しているの、スターリン? そう?」
ときいた。
「そうなんだろう、わたしにだって見えやしないよ」
声にひかされるように、伸子は、見えない演壇の方へ爪先立った。伸子は、日本の共産党検挙の記事や、その記事に父のペンでかけられていた赤インクのかぎのことを忘れた。
スターリンの声と思われた演説が終ったとき、広場をゆるがし、その周囲にある建物の壁をゆすってソヴェト政権とメーデイのためにウラーが叫ばれた。ブジョンヌイは、その間じゅう白馬に騎って、演壇の下に、赤軍の大集団に面して立っていた。
やがて、拡声機から行進曲が流れ出して、赤軍が動きはじめた。歩兵の大部隊がゆき、騎兵の一隊が、隊伍に加った大髭のブジョンヌイを先頭に立てて去り、機械化部隊が進行して行った。つづいて労働者の行進が広場へ入って来た。
まちまちの服装で、ズック靴をはいて、プラカートをかかげた人々の密集した行進が来るのを見たとき、伸子の眼のなかにさっと涙が湧いた。この人々は何とむき出しだろう。なんとめいめいが体一つでかたまりあっているだろう。いかつく武装をかためた機械化部隊のすぎたあとから行進して来た労働者の隊伍は、あんまりむきだしに人間の体の柔かさや、心や血の温かさを感じさせ、伸子は自分の体をその生きた波にさらいこまれそうに感じた。年をとった男、若い男、同じようにハンティングをかぶり、娘もおかみさん風の婦人労働者もとりどりのプラトークで頭をつつみ、質素な清潔さで統一されているが、ソヴェトの繊維品生産はまだ足りないということは行進する人々の体に示されていた。何という様々の顔だろう。さまざまの顔のその一つ一つに一つずつの人生がある。心がある。けれども、きょうのメーデイに行進するという心では一つに
そっちの方角を埋める人波と、人波の上にゆれるプラカートの林立を眺めていて、伸子は、いつも特別な思いで眺める
伸子の心には閃くように、三月十五日の記事にかけられていた赤インキのかぎの形が浮んだ。それはいま、一つの象徴として伸子の心に浮んだ。実際よりもはるかに巨大な形をもって。父の泰造が伸子に送る新聞につけてよこした赤インクのかぎはいまその形をひきのばされ、
終りに近づいたメーデイの行進は、数十万の靴の下でポクポクにされ熱っぽくなった広場の土埃りの中を、きょうは一日中おくられる行進曲につれて、いくらか隊伍をまばらに通っている。
最後の行進が通過した。気がついた伸子が演壇の方を見たら、いつかそこも空になっていた。伸子、素子、秋山宇一、内海厚の四人はひとかたまりになって、ぐったりとくたびれたようになった赤い広場を猟人広場へ出て来た。
この辺はひどい混雑だった。行進を解散したばかりの群集が押し合いへし合いしている間を縫って、赤いプラトークで頭をつつんだ娘をのせた耕作用トラクターが、劇場の方からビラを
「ぶこちゃん、ちょっとパッサージへよってお茶をのんで行こうよ」
素子がそう云って秋山に、
「パッサージ、やっていますか」
ときいた。
「さあ――どうでしょう――やっているでしょう」
「やってます、やってます」
内海厚が、わきから早口に答えた。
伸子たちは、靴を埃だらけにして、アストージェンカへ帰って来た。朝のうちは、電車のとまった通りを赤い広場の方へゆく人かげはまばらだったのに、帰り途は、同じ大通りが、赤い広場から家へ歩いてかえる群集で混雑していた。赤い紙の小さい旗をもったり、口笛をふいたりしながら、みんなが歩きつかれたメーデイ気分でゆっくり歩いている。
「くたびれた!」
部屋へ入ると、すぐ窓をあけて伸子がディヴァンへ身をなげかけた。
「立ってるのはこたえるもんさ」
いつもなら窓をあけるやいなや、ごろた石じきの車道をゆく荷馬車の音だの、電車のガッタンガッタンがひとかたまりの騒音となって、フラム・フリスタ・スパシーチェリヤの大きな石の建物にぶつかってから伸子たちの狭く浅い部屋へなだれこんで来る。きょうは、窓をあけても、騒々しい音は一つもなかった。午後の柔かく大きな静けさが建物全体と街をつつんで、伸子がディヴァンにじっとしていると、四階の窓へはかすかに人通りのざわめきがつたわって来るだけだった。伸子にとってメーデイの行進は感銘ふかかった。こうしてメーデイにはいそがしいモスク全市が仕事をやめて休み、祝っている。その祭日の気分の深さには、やはり心をうたれるものがあった。メーデイの前日からアルコール類は一切売られなかったから、きょうの祝い日の陽気さはどこまでもしらふだった。そういうところにも一層伸子に同感されるよろこびがあるのだった。
伸子と素子とは、しばらく休んでから埃をかぶった顔を洗い、着ているものをかえた。そしたら、また喉がかわいて来た。素子が、
「お湯わかしといでよ」
と伸子に云った。
「いいさ、メーデイじゃないか」
伸子たちとルイバコフとの間の日頃の約束では、朝晩しかお湯はわかさないことになっていた。
伸子が台所へ行ってみると、さっき入口をあけてくれたニューラの姿が見えない。ルイバコフの細君や子供も出かけてしまったらしく、アパートメントじゅう、ひっそりとしている。伸子は、自分たちの水色ヤカンが、流しの上の棚にのっているのを見つけた。伸子は、ニューラが見えないのに困った。うちのものが誰もいない台所で、勝手なことをするようなのがいやで、伸子は水色ヤカンを眺めながら、半分ひとりごとのように、
「ニューラ、どこへ行っちまったの」
節をつけるようにひっぱって云った。すると、台所のガラス戸のそとについているバルコニーからニューラが出て来た。何をしていたのか、すこし
「歩いたんで、喉がかわいたのよ、ニューラ。お湯をもらえるかしら」
「よござんす」
ニューラはすぐヤカンをおろして水を入れ、ガスにかけた。
「ありがとう。お湯はわたしがとりに来るから」
そう云って台所を出ようとした伸子に、ちょっとためらっていたニューラが、
「ここへ来てごらんなさい」
バルコニーへ出るドアをさした。鉄の手摺のついたせまいバルコニーの片隅には、空箱だの袋だのが積まれていて、ニューラが洗濯するブリキの
伸子は反射的にドアのかげに体をひっこめた。
「ヘーイ! デブチョンカ(娘っこ)!」
「来いよ、こっちへ!」
屋根の上から笑いながら怒鳴る若者の声がきこえた。むこう側からはこちらの建物の、内庭に面しているすべての窓々とバルコニーとが見えるわけだった。若い者たちはおそらくその窓々がきょうはみんなしまっていて、バルコニーで働いている女の姿もないのを見きわめて、たった一つあいているバルコニーのニューラをからかっているらしかった。
赤茶色の屋根のゆるい勾配にそって横になっていた一人の若者が、重心をとりながら立ちあがって、ポケットから何か出した。そして、それを、ニューラのいるこちらのバルコニーへ向って見せながら、伸子にはききわけられない短い言葉を早口に叫んだ。そして、声をそろえてどっと笑った。一人が口へ指をあてて高い鋭い口笛をならした。それは何か
伸子はそっと台所から出て、自分たちの部屋に戻った。建物の表側にある伸子たちの部屋では、あけ放された窓ガラスに明るくフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根の色が映って、祭り日の街路を通る人々の気配がかすかにつたわって来る。こっちには祭日のおもて側があった。
モスクのメーデイのよろこびの深さがわかるだけに、建物のうら側のバルコニーにはメーデイの閑寂の裏がある。台所のバルコニーに立ったニューラの姿は伸子に印象づけられた。伸子の心は象徴的に形を大きくした赤インクのかぎの形を忘られていなかった。
メーデイがすぎると、モスクの街々には一足とびの初夏がはじまった。すべての街路樹の若芽がおどろくようなはやさで若葉をひろげた。フラム・フリスタ・スパシーチェリヤの大理石の胸壁を濡らして明るい雨が降った。伸子が、モスクの印象記を書き終ろうとしている机のところから目をあげて雨のあがったばかりの、窓のそとを見ると、雨の滴をつけた一本の電線に雀が七八羽ならんでとまっていたりした。
伸子は、このごろ直接多計代あての手紙は書かなくなってしまっていた。モスクの町に雪があったころ、保にかいた手紙のことで多計代から来た手紙を、伸子は半分よんだだけでおしまいまで読めなかったことがあった。それ以来、伸子は時々エハガキに近況をしらせる文句をかき、佐々皆々様、という宛名で出していた。動坂の家からは、伸子が東京あてのエハガキをかくよりも間遠に、和一郎がかいたり、寄せ書きしたりした音信が来た。相かわらずとりとめなく、どこへドライヴしたとかいう出来ごとばかりを知らせて。
メーデイの前後しばらくの間、伸子はちょくちょく父のペンでつけられた赤インクのかぎつきの新聞記事を思い出してこだわった。
泰造が、例によって一人がそこにいる朝の食堂のテーブルであの新聞を読み、無意識に、入歯のはいっている奥歯をかみ合せながら、しっぽのひろがった太く短い眉をひそめてすぐテーブルの上においてあるインクスタンドからペンを執り、せっかちな手つきで赤インクのかぎをかけたときの顔つきが、手にとるように伸子にわかった。泰造のその表情や、わるく刺戟的な赤インクのかぎをかけた新聞を送らせるようなやりかたのなかに、伸子は、これまで心づかなかった父と自分との心のへだたりを知った。
三月十五日に日本で共産党の人々が検挙されたという記事に、泰造は、どんなつもりでそんな、衝動的な赤インクのかぎをかけ、伸子へ送らせたのだろう。伸子が仮にパリにいたとして、泰造はやっぱりこうして新聞をよこすだろうか。娘がモスクにいるということだけで、泰造はその新聞記事から普通でない衝動をうけたのだ。どう表現していいか泰造自身にもわからなかったのだろうけれども、赤インクのかぎは、泰造の受けた衝撃の感情の性質を語っていることが伸子を悲しくさせた。
去年の秋、伸子たちがソヴェトへ来るときめたとき、そして旅券のことについて動坂の家へ行ったとき、母の多計代は「ロ・シ・アへ?」と、ひとことひとこと、ひっぱって云って、いやな顔をした。半年近くたったこの間、伸子がそこまでよんで先がよめなくなった多計代の手紙には、「冷酷なあなたの心は、ロシアへ行ってから」とかかれていた。父の泰造は、旅券のことで助力をたのみに行ったときも、伸子がともかく自分の力で借金ができて、外国へも行くようになったことをよろこんで、行くさきについて意見は洩さなかった。その後の泰造の簡単なたよりにも、ロシアというものへの先入観や偏見はちっともあらわされていなかった。
ところが、こうして、日本にも世界のよその国と同じようにいつの間にか共産党が出来ていて、それがわかった、と大臣や役人があわてて右往左往している様子のわかる新聞記事が出たら、泰造の心の安定はたちまち動揺した。程度のちがいこそあれ多計代と同じような性質で、ロシアというところ、そこにいる伸子というものについて普通でない心の作用をあらわしている。
伸子には、無条件で父を肯定する習慣があった。母の多計代はどうであっても、父の泰造は、と思う習慣があった。その習慣的な父への安心が、伸子の心の中ではげしく揺られた。父と母とは、生れ合わせにもっている気質がちがって、そのちがいは永い年月が経つ間に双方からつよめられ、その間で育った娘の伸子には、父と母とがものの考えかたや感じかたで全くちがうように思えていた。けれども、いま伸子は、父と母との気質のそのちがいを実際よりも誇張して感じていたのは、自分の甘えだったとさとる心持になった。父と母とは、夫婦だったのだ。いざというところでは、いつも一致した利害を守って生きて来た夫婦だったのだ。伸子が、自分の都合のいいように誇張してそれに甘えて来たような本質のちがいが、両親のものの考えかたにあるという方が変だったのだ。
四月の末モスクの中央美術館でひらかれたゴーリキイ展を見に行ったとき、伸子は、そこでゴーリキイに子供のときの写真が一枚もないことを発見した。そして赤坊のときからの写真をどっさりもっている自分に思いくらべた。それにつれて、写真に対する自分の浅薄さを非常に苦しく自覚したことがあった。母親と仮借なく対立しながら、父にだけは批評なしに甘えられそうに思っていた自分の心の姿も、伸子にはじめて同じような醜さとして見えた。父の泰造が、よく云っていた見識とか常識とかいうことも、窮極では、母の多計代の量見とどこまでちがったものだったろう。
泰造は役所や役人ぎらいであった。大学を出たばかりで勤めた文部省の営繕課をやめたいばかりに、若い旧藩主のお伴のような立場でイギリスへ行った。泰造が官庁の建築家として完成したのは札幌の農科大学のつましい幾棟かの校舎だけであった。伸子が十九のとき札幌へ行ってみたら、その校舎は楡の樹の枝かげに古風な油絵のように煉瓦建の棟を並べていた。外国から帰ってから泰造はずっと民間の建築家として活動して来ている。
泰造はよく、判断のよりどころのように常識があるとか、ないとかいうことを云った。それがイギリスには在って日本にはないものであるかのように「コンモンセンス」と英語で云って、常識が低いとか、常識がないとか云うことは、泰造にとって軽蔑すべきことだった。でも泰造が、あるとかないとか重々しくいう常識というものは、どういうものだったのだろう。考えつめながらもお父様というよび名が心にうかぶとき、伸子は懐しさにうごかされた。泰造の暖くて大きくてオー・ド・キニーヌの匂いのする禿げ頭をしのんだ。そのなつかしい父に、伸子は自分について発見していると同じ性質の浅薄を感じた。父の泰造も、つきつめてみればほんとに常識と呼ぶだけつよい常識はもっていないのに、コンモンセンスと英語でいうようなところがある。ほんとに分別にとんだ常識というものなら、資本主義の一つの国で法律が共産党を禁じるという事実があるなら、とりも直さずそのことがそういう改革的な政党の生れるような社会的条件をその国がもっていることを語っているのだと、理解するはずだった。
五月の夜、若葉の香の濃い
こういう心の状態で夜の
ところが、赤インクのかぎは、伸子のその理解を、もう一遍ひっくりかえしにして見せた。泰造のうそのない役人ぎらいは、そのまま泰造を、金をもっている人々ぎらいの人間にはしてはいないという現実を、伸子は理解したのだった。
父の泰造のバロン、バロンとよんで話す或る富豪は美術と音楽の愛好者であった。同時に日本の大財閥で政党を支配し、日本の権力をにぎっている人の一人だった。その富豪と父の泰造とはイギリス時代からのつき合いで、友人の一種ではあったろうが、伸子たちをふくめる家族は、そのつき合いのなかに入れられていなかった。
伸子が十か十一ぐらいのときだった。泰造が何かの用で箱根へ行くことができて、伸子もつれられた。夏のことで、伸子ははじめて箱根というところへ父につれられてゆく珍しさに亢奮し、自分が着せられている真白なリネンの洋服に誇りを感じた。箱根へ行って、大きな宿屋で御飯をたべて、それから泰造が少女の伸子でも知っていたその富豪の名を云って、その別荘へよって行こうと云った。
伸子が父の泰造につれられて行ったその富豪の別荘は、伸子が少女小説の絵で見知っている城のようだった。大きな鉄の
少女の伸子は父とつれ立って目をみはりながらも、勝気な少女らしく、そのホールの絨毯の上を歩いた。自分が、よく似合うリネンの白い洋服をつけ、桃色のリボンで頭をまき、イギリス製のしゃれたサンダルをはいていることに伸子は満足していた。
伸子は、帰るまでにはきっとここの主人に会うものと思っていた。けれども父の泰造は伸子をつれて、執事の男と二つ三つの室をまわって見ただけだった。それきりで、また夏の日が土の上に照りつけている外へ出てしまったとき、伸子はあてがはずれ、辱しめられたような、がっかりしたいやな感じがした。あとで伸子に、主人が留守だから自分をつれて行ってくれたのだったということがわかった。
泰造はまた、財閥としてはその富豪と対立の立場にいて、同時に対立する政党を支配しているような人々とも同じような友人めいた交渉があった。全然政治的な興味も野心も持たない泰造の気質は、ひろい趣味をもっていて、或る意味では至極さっぱりしていたから、そういう年じゅうごたごたした関係の中で生きている人々にとって、らくにつき合える建築家の友人という関係であったのかもしれない。しかし、伸子は赤インクのかぎを思いだすと、父の泰造のそういう社交性を、やっぱり複雑に感じとらずにいられなかった。
そういう人々の住んでいる、伸子が見たこともなく快適な住居で、主人と泰造とが談笑しているとき、誰かが検挙された共産党を、少くともそれが生れる必然を肯定して話したとしたら、主人も泰造もどんな顔をするだろう。泰造はきっと、場所柄を考えずそんな話題をもちだした者の常識なさをとがめるだろう。でも、その場合の常識とは何だろう。富豪で権力をもっている人が、共産党の話なんかはきらうというその人たちの気分の側に立った泰造の判断であり、その人たちがきらうことを、よくないこととする通念にしたがう泰造の判断でなかったろうか。
伸子は、心ひそかに父の泰造を誇って来ていた。日本で有数の建築家として。役人でも実業家でもなく、軍人や政治家でもなくて、自分の父は建築家であり民間の独立した一人の技術家であるということを、文学を愛するような年ごろになってからの伸子は、どんなに心の誇りとして来たろう。
けれども、泰造の建築家としての独立性はほんとに狭い範囲のもので、根本では、民間の大建築を行う経済能力をもった者によって活動を支配されていることがわかったのは、伸子にとってそう遠いことではなかった。そして、泰造のそういう社会的な立場は、泰造の清廉さ、誠実さ、正義感、独立性にも限界を与えていて、泰造の紳士らしさには、何か見えないものへの服従が感じられることを、いま伸子は悲しく認めるのだった。伸子の意識は、そういう服従を、自分に求めていなかった。けれども、と伸子は自分について考えめぐらすのだった。たとえば自分が泰造の娘として、そのバロンなる人と一座しているとき、伸子が父の泰造の服従した感情とどれだけちがった自由をその心に保っていると期待できるだろうか。伸子は、自分がそういう場面におかれれば、やっぱり泰造と同じようにその人たちに好感を与える若い女として自分をあらわすにちがいないと感じた。さもなければ、そういう人が自分に加える圧力に負ける自覚がいやで、こわばって一座をさけるか。
伸子が十六七になったころ、日本ではじめてフィルハーモニーという洋楽愛好者の組織が出来た。パトロンは、泰造と友人めいた交渉を持つそのバロンだった。その第一回のコンサートのとき、伸子はおしゃれをして、親たちとその音楽会をききに行った。そしてバロン夫妻に紹介されたとき、その人たちの光沢のよい雰囲気に伸子は亢奮と反撥とを同時に感じた。二様の感情をうけながら伸子は、我しらず利発そうな洗練された娘として自分をあらわした記憶があった。そういうところが、自分にそれを認めることがいつもきらいな伸子の腹立たしいすべっこさだった。
素子に話しそうになりながら、話さなかったことのいきさつは、父の泰造に対すると同時に自分にも連関する伸子のこういう新しい気持の過程だった。それぞれの人がもっている道徳観というものも、その人たちの属す階級の利害に作用されている。それは、泰造についてみても真実だった。その真実は、伸子が生れかかっているイヴのように半分そこからぬけかかってまだ全体はぬけきっていない中流性にもあてはめられた。泰造がその限界の中では誠実な人であり、清廉な人であることにちがいはなかった。でも、伸子が新しく感じとった泰造の限界、自分の限界は、伸子にとってそれが分らなかった以前に戻すことは不可能だった。無条件に父を肯定しつづけ、父を肯定する自分を肯定して来た伸子にとって、こういう思いは、一段落がついたとき、痩せた自分に心づくような心の中の経験であった。
三月十五日の事件に関連して、社会科学の研究会を指導していた京大や九大の教授の或る人々を、文部省ではやめさせるように命令し、大学総長たちはそれをすぐ承知しないという新聞の記事があった。しかし、結局辞職勧告をうけて京大の山上毅教授そのほかのひとが大学を去ることになった。山上毅教授の勅任官服をつけた写真とそのニュースとがのっている新聞に、伸子が校正を友達の河野ウメにたのんでモスクへ立って来た長い小説がやっと本になって発売される広告があった。
間もなく、河野ウメから、出来た本を送ってよこした。モスクの町に、本はどっさりあるけれども、紙質もまだわるく、装幀も粗末だった。そういう本ばかりみている伸子は、送られて来た自分の本の立派さにおどろいた。
「いい本ねえ」
アストージェンカの室の机の上で小包をほどいて、伸子と素子とは、ひっぱり合うようにしてその美しい柿の絵のある和紙木版刷の表紙をもつ天金の本を眺めた。
その小説は日本の中産階級の一人の若い女を主人公としていた。溢れようとたぎりたつ若々しい生活意欲と環境のはげしい摩擦を描いたその小説のかげには、伸子自身の歓迎されない結婚とその破綻の推移があった。上質の紙にルビつきの鮮やかな活字で刷られているその本の頁をひらいて、テーブルの前に立ったまま伸子は、あちらこちらと、自分のかいた小説をよんだ。
「わたしにもお見せよ」
と手を出す素子に本をわたし、小包紙や紐の始末をしながら、伸子は、ソヴェトの女のひとたちに果してこの小説にこめられている日本の女性の様々な思いが同感できるだろうかしら、と思った。
「――ここじゃあ、却ってこの小説の男の立場を女にした場合の方が多くて、それならここのひとたちにもわかるんじゃないか」
素子が云う、男の立場というのは、主人公の夫である人物のことだった。その男は、若い妻が、息づまる生活環境に辛抱できないでもがく心持を理解することが出来ず、夫として妻を愛しているという自分の主観ばかりを固執して、複雑な関係の中で破局に導かれる人物だった。
「そうともちがうんじゃない?」
伸子は、その本の美しい小花の木版刷のついたケースをいじりながら云った。
「『インガ』みたいな芝居でも、夫にとりのこされた女は自分で自分を伸してゆく余力をもっているし、またそれが可能な条件を社会生活の中でもっているんだもの……」
伸子のその小説に描き出されているような娘の生活に対する親の執拗な干渉ということ一つとってみても、それはもうソヴェトの社会の習慣と感情のなかからはなくされている事実だった。モスクのメーデイの行進の轟きの上に、象徴的に大きくされた赤インクのかぎを見たのが、日本の女であり、娘である伸子ばかりであったように。しかも、それは、伸子を愛していると自分でかたく信じている父の手によってひかれている赤インクのかぎを。――
前後して、保から久しぶりにたよりが来た。またハガキだった。温室は好調でメロンが育ちつつあるということや、僕もそろそろ大学の入学準備で、科の選定をしなければならない。姉さんはどう思いますか、僕は大体哲学か倫理にしようと考えて居ます。と例の保の、軽いペンのつかいかたの几帳面な細字でかかれていた。
その頃から、モスクでは目に見えて夕方の時間がのびた。午後九時になっても、うすら明りのなかにフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根が艷の消えた金色で大きく浮び、街々の古い建物にぬられている桃色や灰色が単調な、反射光線のない薄明りの中で街路樹の葉の濃い緑とともにパステル絵のように見えた。物音も不思議に柔らかく遠くひびくようになった。
夜のなくなりはじめた広い空に向って、あいている二つの窓にカーテンのない伸子たちの部屋では、いつの間にやら二時三時になった。電車が通らなくなってしまってからの時刻、静かな、変化のないうすら明りにつつまれて、まばらに人通りのあるアストージェンカの街角の眺めは、そよりともしない
窓のそとの小さいバルコニーへ椅子を出して、伸子と素子とはいつまでも寝なかった。伸子は、保が、大学で哲学だの倫理だのを選ぼうとしていることを気にした。
「倫理学なんて、それだけを専門にするような学問なのかしら……あんまりあのひとらしくて、わたし苦しくなってしまう」
くもった真珠色のうすら明りの中で、小さく美しく焔を燃えたたせながら素子はマッチをすってタバコに火をつけた。そして、指先で、唇についたタバコの粉をとりながら云った。
「哲学の方が、そりゃましさね」
「哲学って云ったって……」
保のそういう選択に加わっているに相違ない越智の考えや、それに影響されている多計代の衒学好みを思いあわせ、伸子は信用しないという表情をかえなかった。
「哲学なんかやって、あのひとは益々出口がなくなってしまうばかりだわ、どうせカントなんかやるんだろうから……」
昔東大の夏期講座できいたカントの哲学の講義を思いおこし、保の抽象癖が、カント好みで拡大され組織されるのかと思うと、伸子はこわいような気がした。そんな学者になってしまった保を想像すると、伸子は保の一生と自分の生涯とを繋ぐどんな心のよりどころも失われてしまうように思った。
「あのひとに必要なのは、思いきって社会的にあのひとを突き出してくれる学科だのに」
「経済でもやればいいのさ、いっそのこと。――さもなければ、哲学だって、ここの国でやってるような方法で哲学をやりゃいいのさ。それなら、生きていることはたしかだもの」
でも保は、保のこのみで、あらゆる現実から絶対に影響されない純粋な真理を求めようとしている。そのことは伸子にわかりすぎるほどわかっていた。それは人間と自然の諸関係のおどろくべき動きそのものにわけ入って、その動きを肯定し、動きの法則を見出そうとする唯物弁証法の方向とはちがった。保は、何かの折唯物という言葉にさえ反撥したのを、伸子は覚えていた。利己という字につづいた物質的というような意味に感じて。
しばらく言葉をとぎらせて伸子と素子とがうすら明りの街を見下している午前二時のバルコニーへ、遠くから一つ馬の蹄の音がきこえて来た。その蹄の音は、伸子たちのバルコニーが面している中央美術館通りから響いて来た。石じき道の上へ四つの蹄が順ぐり落ちる音がききわけられるほどゆっくり、アストージェンカに向って進んで来る。やや暫くかかって、モスクの一台の辻馬車があらわれた。それは、人も馬も眠りながら、白夜の通りを歩いてゆく馬車だった。黒い馬が、頸を垂れて挽いてゆく辻馬車の高い御者台の上で、毛皮ふちの緑色の円型帽をかぶった御者は、すっかりゆるめた手綱をもったまま両手をさしかわしに外套の袖口に入れて、こくりこくり揺られている。座席に一人の酔っぱらいが半分横倒しにのっていた。薄い外套の下に白ルバーシカの胸をはだけ、ギターをかかえている。馬車は、伸子たちの目の前へあらわれたときののろさで、アストージェンカの角へ見えなくなって行った。馬車が見えなくなったあといつまでも、蹄の音が単調なうす明りの中に建ち並んでいる通りの建物に反響して、伸子たちのところまできこえた。
伸子は、翌日、保へあて、手紙をかいた。伸子には、倫理学が独立した専門の学問として考えられないこと。哲学そのものが、今日の世界では進歩して来ている。彼は、どういう方向で哲学をやって行こうとしているのか知らしてほしい、そういう意味を書いた。
伸子が保へその手紙を出して一週間ばかり立ったとき、おっかけて保からまた一枚のハガキが来た。それには、前のたよりと何の関係もなく、保の夏のプランが語られていた。僕はこの夏は一つ大いに愉快にやって見ようと思います。保としては珍しく、決断のこもった調子の文章であった。字はいつもながらの字で、大いにテニスをやり、自転車をのりまわし、ドライヴもしてと書いてあった。伸子は、そのハガキを手にとって読んだとき、何となし唐突なように感じなくもなかった。けれども、伸子が保から来たそのハガキをよんでいるモスクは、もう夏だった。
白夜の美しいのは六月のはじめと云われている。伸子と素子とはその季節に、二ヵ月あまり暮したアストージェンカの部屋をひきあげてレーニングラードへ向った。
春とともに乾きはじめて埃っぽくなるモスクは、メーデイがすぎ、にわかに夏めいた日光がすべてのものの上に躍りだすと、いかにも平地の都会らしく、うるおいのない暑さになって来た。
伸子たちは夜の十一時すぎの汽車でモスクの北停車場を出発した。汽車がすいていて、よく眠って目がさめたとき列車の窓の外に見える風景が伸子をおどろかせた。列車は、ところどころに朽ちかけた柵のある寂しいひろい野原に沿って走っていた。その野原の青草を浸す一面のひたひた水が春のまし水のように明けがたの鈍い灰色の空の下に光っていた。瑞々しい若葉をひろげた白樺の林がその水の中に群れ立っている。白と緑と灰色の色調の水っぽくて人気ない風景は、いかにも北の海近い土地に入って来た感じだった。
汽車の窓から見えた北の国らしい風物の印象は、レーニングラードという都会にはいって一層つよめられた。バルト海に面していくすじもの運河をもつこの都会は十八世紀につくられた。橋々は繁華で、いまは十月通りと呼ばれるもとのニェフスキー
伸子と素子とはレーニングラードのはじめの十日間ばかり、小ネ河の掘割の見えるヨーロッパ・ホテルにとまっていた。そこで伸子たちに予想しなかった一つのことがおこった。或る朝、新聞のインタービュー記事で、ゴーリキイが、伸子たちと同じヨーロッパ・ホテルに逗留していることがわかった。
「へえ――じゃあ、もう南から帰って来ていたんだね」
「そうらしいわねえ」
五月に五年ぶりでソレントからソヴェトへ帰って来たマクシム・ゴーリキイは、歓迎の波にまかれながら、じき南露へ行ってドニェプルのダム建設工事その他を見学していたのだった。
「――そうか」
そう云ったまま黙って何か考えている素子と顔を見合わせているうちに、伸子の心が動いた。
「会ってみましょうか」
伸子がいきなり単純に云いだした。どんなひとだか会って見ようという心ではなく、もっと
「――どう?」
「ひとつ都合をきいて見ようか」
明るく眼を
「われわれはいつがいいだろう」
「だって――。あっちは忙しい人だもの」
「むこうの都合をきいてからこっちをきめるとするか」
「そりゃそうだと思うわ」
素子が小さい紙にノートの下書きをかいた。二人の日本の婦人作家が、あなたに会うことを希望している。短い時間がさいて貰えるでしょうか。御返事を期待します。そしてホテルの自分たちの室番号と二人の名をかいた。
「ところで、宛名、何て書いたもんだろう――いきなりマクシム・ゴーリキイへ、かい?」
なんとなしそれも落付かなかった。
「グラジュダニン(市民)てこともないわねえ」
区役所へでも行ったような不似合さにふき出しながら伸子が云った。
「タワーリシチじゃ変かしら」
「そのこころもちさね、土台会おうなんて――」
「じゃ、そう書いちゃえ」
「そうだ、そうだ」
素子の書いたノートを、二人でホテルの受付へもって行った。そして、ゴーリキイの室の鍵箱へいれてもらった。ゴーリキイは八番の室であった。
翌朝、伸子たちはその返事を自分たちの鍵箱に見出した。その次の日の朝十時半に、ゴーリキイは伸子たちを自分の室で待つということだった。
伸子は白地にほそい紅縞の夏服をつけ、素子は、白ブラウスの胸に絹糸の手あみのきれいなネクタイをつけ、約束の朝の時間きっちりに、八番のドアをたたいた。
白く塗られた大きいドアがすぐ開けられた。びっくりするほど背の高い、うすい栗色の髪をした若い男が、これはまたドアを開けたすぐのところに立っている二人の女があんまり小さいのにおどろいたようだった。
「こんにちは。どんな御用でしょう」
こごみかかるようにして訊いた。いくらか上気した頬の色で素子が自分たちの来たわけを告げた。
「ああ、お待ちしていました。お入りなさい」
狭い控間をぬけて、その奥の客室へとおされた。そこの窓にも小ネの眺望があった。室のまんなかにおかれている大理石のテーブルの上に、どうしたわけかぽつんと一つ皿がおいてあって、ひと切れのトーストがのっていた。
奥の別室に通じているもう一つのドアがあいた。ゴーリキイが出て来た。伸子たちを案内した若い背の高い男と一緒に。写真で見覚えているよりも、ゴーリキイはずっとふけて大柄な体から肉が落ちていた。同時に、薄灰色の柔かな布地の服を着ているゴーリキイには、写真でわからない老年の乾いた軽やかさがあった。二人つれだったところを見ると、一目で若い男がゴーリキイの息子であるのがわかった。二人とも背の高さはおつかつで、骨骼もそっくりだった。けれども、ちょっと形容する言葉の見出せないほど重々しく豊富なゴーリキイの顔と、善良そうであるけれどもどこか力の足りなくて、背がのびすぎたようなゴーリキイの息子とは、何とちがっているだろう。ゴーリキイ父子をそういうものとして目の前に見ることも伸子の心にふれた。ゴーリキイは大きくてさっぱりと暖い掌の中へ、かわりがわり伸子と素子の手をとって挨拶した。
「おかけなさい」
そして、自分もゆったりした肱かけ椅子にかけながら、
「私の息子です」
わきに立っている若い男を伸子たちに紹介した。
「私の秘書として働いています」
多分このひとの子供だろう、ゴーリキイが、赤坊をだいてとっていた写真のあることを伸子は思い出した。
ゴーリキイは、伸子たちに、ソヴェトをどう思うか、ときいた。
伸子は少し考えて、
「大変面白いと思います」
と答えた。
「ふむ」
ゴーリキイは、面白い、という簡単な表現がふくむ端から端までの内容を吟味するようにしていたが、やがて、
「そう。たしかに面白いと云える」
と肯いた。
「ソヴェトは、大規模な人類的実験をしています」
そして、日本へ行ったソヴェト作家の噂が話題になった。また、日本で翻訳されているゴーリキイの作品につき、上演された「どん底」につき、主として素子が話した。
素子は、素子の訳したチェホフの書簡集を、伸子は伸子の小説をゴーリキイにおくった。ゴーリキイは、綺麗な本だと云って伸子の小説をうちかえして眺めながら、日本の法律は婦人の著作について特別な制限を加えていないのかと素子に向ってたずねた。素子は、
「女でも自分の意志で本が出せます――勿論検閲が許す範囲ですが」
と答えた。ゴーリキイは、
「そうですか」
と意外そうだった。
「イタリーでは、婦人が著書を出版するときには、若い娘ならば父兄か、結婚している婦人なら夫の許可が必要です」
そして、真面目に考えながら、
「それはむしろ不思議なことだ」
と云った。
「日本というところは婦人の社会的地位を認めていないのに、本だけが自由に出せるというのは――」
「それだけ日本が女にとって自由だということではないと思います」
伸子が、やっとそれだけのロシア語をつかまえて並べるように云った。
「それは、古い日本の権力が、女の本をかく場合を想像していなかったからでしょう」
「――あり得ることだ」
社会のそういう矛盾を度々見て来ている人らしく、ゴーリキイは、笑った。伸子たちも笑った。三人の間に、やがて日本の
低い肱かけ椅子にかけているゴーリキイは顔のよこから六月の朝の澄んだ光線をうけて額に大きく深い横皺が見えた。ネ河の小波だつ川面をわたって、ひろく窓から入っている明るさは、ゴーリキイの薄灰色のやわらかな服の肩にも膝にも落ちて、それは絨毯の上で伸子たちの靴のつまさきを光らせている。
自分が話そうとするよりもゴーリキイの真率でとりつくろったところのない全体の様子を伸子は、吸いとるように眺めた。ゴーリキイには、有名な人間が自分の有名さですれているようなうわ光りが
そろそろ
「ニーチェヴォ」
と云いながら、窓の方へ体をよじるようにして伸子の書いた字の濡れているインクの上を吹いた。それは自然で、伸子の心をぎゅーっとつかむような自然さだった。ゴーリキイに会っていると、伸子のよんだ作品の世界のすべてが、人間の多様さと真実性をもって確認される感じだった。
ゴーリキイの室を出て、自分たちの部屋へと廊下を歩いて来ながら、伸子はうれしさから段々しんみりと沈んだ心持に移って行った。ゴーリキイの深い味わいのある艷消しの人間性にこのましさを感じたとき、伸子は反射的に、父の泰造にある艷を思った。泰造のもっている艷の世俗性が伸子にまざまざとした。そしてそこに赤インクのかぎが見えた。伸子はまばたきをとめて父の艷と赤インクのかぎとを見つめるような心持になった。
一人の芸術家が、個性的だというような表現で概括されるうちは、そのひとの線はほそく、未発展のものだということも、ゴーリキイを見ると伸子に感じられた。
それから五、六日後、伸子と素子とはヨーロッパ・ホテルから冬宮わきにある学者の家へ移った。レーニングラード対外文化連絡協会の紹介と、メーデイのすぐあと日本へかえった秋山宇一を送ってからレーニングラードへ来ている内海厚の斡旋であった。
そこはネ河の河岸で、窓ぎわにたつと目の下に黒く迅いネの流れがあった。遠く対岸にペテロパウロフスク要塞の金の尖塔が見えている。伸子と素子とが並んで、ネの流れの落日を眺めたりする窓は、二人の立姿が小さく見えるぐらい高く大きかった。白夜の最中で、毎日午後十二時をすぎての日没だった。伸子と素子が日本の女の
レーニングラードのこの季節の日没と日の出は一つの見ものだった。対岸に真黒く突立っている三本の煙突の一本めと二本めとの間に沈んだ太陽は、十二三分の間をおいただけで、すぐまた、沈んだところからほんの僅か側へよった地点からのぼりはじめた。沈むときよりも、手間どるようにその太陽はのぼって来る。バルト海からの上げ潮でふくらみはじめたネの水の重い鋼色の上を光が走った。河岸通りには、人通りが絶えている。こういう時間の眺めは憂愁にみち、また美しかった。伸子はレーニングラードという都会がそんなにも北の果ちかくあることや、地球の円さが日没と日の出とにそんなにはっきりあらわされる自然にうたれた。
レーニングラードは、ソヴェト同盟の首都でない。このことが、半年モスクでばかり生活しつづけて来た伸子と素子とに、レーニングラードへ来てみるまではわからなかったそこでの暮しの味わいを知らせた。
レーニングラード‐ヴ・オ・ク・ス(対外文化連絡協会)は、伸子たちの泊っている元ウラジーミル大公の邸、ドーム・ウチョーヌイフ(学者の家)の通りを三位一体橋の方へゆく左側にあった。木煉瓦のしきつめられたそのあたりの通りは広くて、いつも静かで、ヨーロッパの貴族屋敷らしい鉄柵のめぐらされた庭の六月の青葉の茂みが歩道の上まで深く枝をのばしている。冬宮の周辺のそのあたりには、まるで人気のない建物があった。同じ広い通りの右側に、鉄柵のめぐらされた大邸宅が一つあった。槍形に
寂しいその通りは、三色菫の植えこまれた花壇が遠くに見える公園へ向ってひらいた。その左角の鉄柵に、レーニングラード‐ヴ・オ・ク・ス(対外文化連絡協会)の白く塗られた札がかかっていた。
伸子たちは、タイプライターの音をたよりに二階の一つの広間へ入って行った。そこは、壁に絹をはった本式の貴族の広間だった。楕円形の大テーブルが中央に置いてあって、その上にきちんと、ヴ・オ・ク・スの出版物が陳列されている。そこを通りぬけた小部屋でタイプライターがうたれている。
声をかけて、あけはなされているその室の入口に立ったとき、伸子はまた不思議な心持になった。若いきれいな女のひとがたった一人、そのバラ色で装飾された室の真中にフランス脚の茶テーブルを出して、その上でタイプライターをうっていた。なぜ、このひどく
モスクのブロンナヤ通りに面して、フランスまがいの飾りドアが、一日中開いたりしまったりしているモスク‐ヴ・オ・ク・スの活況と、ここのしずけさとは、何というちがいだろう。モスクのヴ・オ・ク・スは、あぶくを立て湯気をたてて煮えたっているスープ鍋だった。ここの、廃園の奥にあるレーニングラード‐ヴ・オ・ク・スは丁度手綺麗な切子ガラスのオードウヴル(前菜)の皿のようだった。よけいなものは何一つない。いるだけのものは揃えられている。――
伸子と素子とは、毎朝九時ごろ、学者の家のごろた石をしきつめた裏庭をぬけて、レーニングラードのあっち、こっちへ出かけた。レーニングラード・ソヴェトのあるスモーリヌィや、母性保護研究所。「労働婦人と農婦」編輯局。郊外にあるピオニェールの夏の野営地など。
伸子たちがそこへ行ってみたいと思ってヴ・オ・ク・スから紹介をもらったところは、どこもみんな、元ニェフスキー
白麻のブラウスに、学生っぽいジャンパア・スカートをつけて訪ねて行ったさきざきで、伸子たちは、モスクで知らなかった発見をしたのだった。モスクでも、伸子たちは随分いろんなところを見学した。とくに伸子は素子の倍ほども足で歩いて目で見て歩く仕事をしたのであったが、モスクではどこへ行っても、そこに見出すのは、ソヴェト社会という大きな有機体の一部として不断に活動している一つのシステム、或はメカニズムだった。最新式の
スモーリヌィへ行って、伸子たちは、はじめてレーニングラードの、テムポを理解した。スモーリヌィはもと貴族女学校で、十月革命の頃、ここに全露ソヴェトがおかれていた。歴史的な十月の夜、コサック革命軍の機銃にまもられていたスモーリヌィの正面玄関の柱列や、銃をかかえたまま無数の人々がそこを駈け上り駈け下りした正面階段には、伸子たちがのぼってゆく一九二八年の六月の或る朝、夏の
伸子と素子とは、その日一日だけ、スモーリヌィで過すつもりだった。都合によれば、数時間だけ。――ところが、伸子たちは、その翌日もまた次の日も、四日つづけてスモーリヌィを訪ねることになった。レーニングラード・ソヴェトでは、そのころ婦人部の仕事で農村婦人の政治指導者養成のための講習会をやっていた。レーニングラード附近の各地方ソヴェトから選ばれて来た婦人代表が五十人ばかり一クラスとなって、二週間の講習をうけていた。計らずそこへ現れた伸子と素子とは、翌日もたれる懇談会へ招かれた。懇談会へ傍聴に来ていた文化部の責任者から、その次の日、文化部を訪ねて来るように招かれた。四日目に、伸子たちは、十月革命の時期、レーニン夫妻が自分たちの室として住んでいたというスモーリヌィの、もと掃除女の部屋だった小室を見せて貰った。
そんなことは、何ひとつヴ・オ・ク・スの紹介状には記入されていないことだった。モスクでは、どこでも、紹介状の当てられたその部面だけが、伸子たちの前にひらかれた。一通の紹介状は二度役に立たず、二つの部門に共通しなかった。スモーリヌィでは、伸子たちの前に開いた婦人部のドアが、次から次へと別のドアを開き、次から次へと別の人が現れ、その人々は、それぞれ自分から説明し、伸子たちに訊ね、ちょいとしたユーモアをあらわした。文化部のパシュキンが云ったように。――パシュキンは、
「さあ、どう思いますか、我らの達成は素晴らしいでしょう、ここにこういう手紙が来ましたよ、遠い田舎の女から……」
「彼女は、ソヴェト文化部へ質問して来ているんです。ソヴェト権力は、亭主が妻をなぐることを認めているでしょうか。わたしの亭主は革命前に、わたしをなぐっていました。そしていまもなぐります。――ヴォート!」
パシュキンは、さきの太い鉛筆の大きな字のかいてある水色の紙きれをテーブルの上において、大きい手の平を上向けに、また、
「ヴォート!」
と、云って左眼をつぶった。
「ソヴェト権力がどんなに広汎な問題に責任を問われているかということが、わかりますか」
やがてパシュキンは、ユーモラスな眼の輝きのなかに集注した注意を浮べた。
「彼女は、坊主にこれを訴えないで、ソヴェト文化部へ手紙をよこした。ここにはっきり我らの十年の意味が語られています」
「返事をやりますか?」
伸子がそうきいた。
「もちろんやりますとも。――この手紙は我々のところから婦人部へまわします。残念なことにロシアにはまだ、なぐる夫や親たちが少なからずいるんです。子供たちも加わって、なぐられる習慣のある子供たちを保護する団体をつくりました。誰からそのことをききましたか?」
こういう話しぶりの間に、モスクでは伸子がめぐり合うことのなかったゆるやかさでスモーリヌィでの時が経過した。迅すぎない時間の流れのなかに、伸子は変化しつつあるソヴェトの人々の感情の、横姿やうしろ姿までを見まもるゆとりを与えられた。
はじめて、スモーリヌィの婦人部へ行ったときのことだった。
二台のタイプライターの音が交互にきこえて来る隣りの室のドアがあいて、一人の瘠せがたの白ブラウスをつけた婦人が出て来た。黒いスカートをはいて背のすらりとしたそのひとの皮膚はうすくて、ヴ・オ・ク・スで会った若い女のひとと一種共通したレーニングラードの知識婦人の雰囲気をもっていた。
そのひとは、伸子たちの問いに答えて婦人部の活動を話してきかせるより先に、伸子たちが共産党とどういう関係をもっているかときいた。伸子たちとして、行った先でそういう質問をうけたのははじめてだった。
「わたしたちは党外のものです」
伸子が返事した。
「政治活動家でもありません。わたしたちは文学の仕事をしているから――けれども、わたしたちはあなたがたの仕事について知りたいと思って居ります」
白黒のなりの女は、役所風に、
「モージュノ(出来ます)」
と云った。そうひとこと云ったきりで、片手にもった鉛筆で、機械的に片手の手のひらをたたきながら不得要領にしている。その態度に刺戟されたように、素子が独特の悧巧で皮肉な鋭い片頬笑みを浮べながら、
「ソヴェト婦人部の仕事は、党員婦人だけのためにされるべきものなんですか」
と質問した。黒白の女は、急に目をさましたように伸子たち二人をみて、弁明的な早口で云った。
「そんなことはありません。ソヴェト代議員には、党外婦人の方がより多勢選挙されているぐらいですから」
しかし、この白黒の女に、東洋という観念がはっきりつかめていず、日本の女を見たのも初めてなのは明らかだった。ヴ・オ・ク・スの若いひとも、日本の女に会ったのは伸子たちがやっぱり初めてらしくて、どこか調子のわからないようなばつのわるさを、優美なそのひとらしく内気さと社交性であらわした。スモーリヌィの白黒の女は、なお自分に求められている婦人部の活動についての説明は回避して、自分の知らない未開地の状況の報告でもきくように、日本では女子のための大学があるかなどと質問をつづけた。
ますます
「――わたしどものところへのお客様ですか?」
こだわりのない足どりで真直伸子たちに近づいて来た。
「こんにちは」
太くて力のある手で握手しながら白黒の女と伸子たちとを半々に見た。
「どちらから?」
白黒の女は、椅子から立ち上りながら、
「わたしたちの主任です」
伸子たちにそう告げて、サラファンのひとに向って伸子たちが日本の婦人作家であること。ヴ・オ・ク・スから紹介されて来ていること。婦人部の仕事について学びたいと云っていることを報告した。サラファンのひとは、クリーム色のプラトークの結びめのはじを、日焦け色をしたむきだしの頸のうしろでひらひらさせながら、
「大変うれしいです」
と、伸子たちにうなずいた、すると、白黒の女は、すこし声をおとし、しかしそれは十分伸子たちにきこえる程度で念を押すように、
「彼女たちは、党員でありません」
とつけ加えた。その瞬間、伸子は火のような軽蔑と反撥が胸の中を走ったのを感じた。党員でなければどうだ、というのだろう。どんな人だって、党員より前に人間であるしかないのだ。そして、女であるか男であるかしかないのだ。――
クリーム色のプラトークのひとは、到って平静で、伸子たちの上に視線をおいたまま、声の高さをかえず、
「それは重大なことじゃありません」
と云った。
「わたしたちは、みんなのために働いているんだから……」
白黒が立ってそこから去ったあとの椅子に、かわってサラファンのひとがかけた。
「さて、何からはじめましょう。あなたがたは遠くから来ていらっしゃるのだから、ここでの時間は有効につかわなくてはなりません」
サラファンのひとは、その室にいた別の女に云ってソヴェトの構成図の印刷したものを伸子たちに与えた。婦人のソヴェト代議員の大部分は村でも都会でも主として、教育、衛生、食糧の部門でよく活動していると説明した。
「非常に大部分の婦人が、特に農村では自分たちの文盲を克服すると同時に、すぐ村ソヴェトの活動に参加して来ているんです。わたしたちのところでは、子供たちもぐんぐん育っていますけれど、婦人たちの成長ぶりはすばらしいです」
このサラファンのひとが、伸子たちを婦人代議員たちのために政治講習会が開かれている室へつれて行った。かなり広い、風とおしのいい白壁の室の真中に、色さまざまなプラトークで頭をつつんだ、さまざまの年齢の婦人たちが、どの額も頬も農村のつよい日光と風にさらされた色で、農業と電化の話をきいていた。うしろに空いていたベンチに伸子たちと並んでかけて、クリーム色プラトークのひとは、更紗模様のサラファンの下で楽々と高く膝を組み、その上へむきだしの太い肱をつき、顎を支え、断髪を赤いプラトークでつつんだ二十七八の講師の話が終るのを待った。講義が終ったとき、彼女は一同に伸子たちをひき合わせた。すると、講習生の中の一人で金の輪の耳飾りをつけた、いかにもしっかりもののおっかさん風の四十ばかりの婦人代議員から、伸子たちに向って、日本の婦人も参政権をもっているか、という質問が出た。
伸子は、この村ソヴェト婦人代議員の質問の題目よりも、彼女の質問のしかたにつよい興味をひかれた。どこまでも実際家らしい体つきのそのおっかさん風の代議員は、単に知識上の好奇心からそういう質問を伸子にしているのではないことが、まざまざと伸子に感じられた。彼女は村での自分の生活がひろがり、日々に新発見があり、人生の地平線が遠く大きく見えはじめたその生活感の新鮮さから、日本の女はどうしているのだろうと、知りたがっているのだった。素子にたすけられながら、伸子は簡単に、ごく短かかった日本の自由民権時代、男女平等論の時代と、それからあと現代までつづいている婦人の差別的な境遇について説明した。おっかさん代議員は、伸子のその話をきくと、
「御覧!」
肩をゆすりながらおこったようにとなりに坐っている同年配の女の脇を
「わたしたちのとこだって同じことだったんだ」
楽な様子でベンチにかけながら注意ぶかくこの空気を見ていたサラファンのひとが、
「皆さん、どうですか」
と云った。
「この様子だと、わたしどもは、お互にもっと訊いたり、きかせたりすることがありそうじゃありませんか。明日、二時から、座談会をしましょう、どうです?」
農村からのひとたちらしく、ゆっくり重くひっぱった。
「ハラショー」
「ラードノ」
が、あっちこっちからおこった。こうして、伸子たちは、思いがけずまた翌日もスモーリヌィへ来ることになった。丁度
「どうして?」
立ちどまって伸子たちを見た。
「どこへ駈け出すんです? わたしたちと一緒におたべなさい」
わきを歩いていた一人の、手に
「まったくのことさ!」
と云った。
「革命のときはみんながかつえたけれど、いま、パンは、たっぷりなんだから遠慮はいらないことさ」
スモーリヌィからニェフスキー大通りの手前まで、電車にのって夕方の街々をぬけてかえる途中、伸子はサラファンのひとと、白黒のひととあんまり違いのひどかったことを、くりかえして心にかみしめた。サラファンのひとが戻って来るまで、伸子は、白黒を婦人部の責任者かしらと思っていた。白黒は、伸子たちにそんな風に思いこませるように応待をした。まるで素朴な外見で、自分のするべきことをよく知っていて、そのやりかたに、気持のさっぱりした洗濯上手の女のような自然の練達と確信がそなわっているサラファンのひとが、本当の責任者だったということは、すこし強く云えば、伸子に、ソヴェトというものに対する信頼をとりもどさせた。
「あなた気がついた?」
がったん、がったん、と古びたレールの上ではずむ電車の中で、伸子は
「白黒さんが、わたしたちの主任です、と云ったときの、あの調子! なんてデリケートだったんでしょう。まるで、あのひとが間にあったのが残念みたいだったじゃないの」
「あれで、白黒の方がきっと大学ぐらいでているんだ。だからいやんなっちゃう――」
翌日スモーリヌィへゆき、また次の日もゆき、ゆくたびに伸子はアンナ・シーモヴァというそのサラファンのひとにつよくひかれた。アンナ・シーモヴァは伸子よりも五つ六つ年上らしかった。一九一七年からの党員で、革命のときは働いていた工場のある地区ソヴェトの仕事をしていたということだった。いつみてもとりつくろわない風で、アンナ・シーモヴァは動きも気持も自然だった。彼女のうちにきわだって感じられるのは精神の均衡で、あっさりしたユーモアと具体的なポイントのつかみと一緒に、人に自信をめざませ、働かせ、それを愉快に感じさせる力がアンナ・シーモヴァのなかにある。
一番おしまいにスモーリヌィへ行ったときのことであった。レーニンの室を見せて貰って帰りぎわに、伸子たちはもう一遍アンナ・シーモヴァのところへよった。彼女は室にいなかった。伸子たちが帰りかけて、三階の踊り場まで降りて来たとき、下からのぼって来るアンナ・シーモヴァに会った。伸子たちは、ほんとに心持よく多くのことを学んで過したスモーリヌィの四日間について礼を云った。
「あなたがたが満足されたのは、わたしもうれしいですよ」
そして、伸子たちが秋まではレーニングラードに滞在する予定だと云うと、
「せいぜい愉快なときをおもちなさい、秋にまたお会いしましょう」
そう云ってさようならをしかけたが、アンナ・シーモヴァは、急に伸子と握手していた手をそのままとめて、
「この講習会がすむと、わたしも休暇をとるんですよ」
と云った。アンナ・シーモヴァはうれしそうにそう云って頬が微笑で輝いた。
「わたしに、三つの娘がいるんです」
つづけて、アンナ・シーモヴァが柔かい低い声で云った。
「わたしの夫は、集団農場の組織のために地方へ行っていますが、彼も一週間たつと休暇になります」
アンナ・シーモヴァが、
「わたしたちは、三人で暮すんです。少くとも一ヵ月――」
と云ったとき、伸子は思わず、
「おめでとう!」
そう云って、アンナ・シーモヴァを抱擁しそうに手をひろげた。アンナ・シーモヴァの幸福感はそれほど新鮮で、伸子をうち、感染させた。三つの娘がいるんですよ。わたしの夫は地方から休暇をとって来ます。わたしも講習会が終ったら休暇になります。そして、わたしたちは三人で暮すんです。歌のような活動のリズムと
もうスモーリヌィへ行かなくなってから、伸子は一層しばしばアンナ・シーモヴァを思いおこした。あの、歌の
それを思うごとに、伸子の心に憧れがさまされた。アンナ・シーモヴァのあの歓喜のある生きかた。ひとまで幸福にするあの清冽な幸福感。
「アンナ・シーモヴァって、いいわねえ。あのひとは、ほんとに生きているという感じがぴちぴちしている。――そう思わない?」
レーニングラードの白夜もややすぎかけて薄暗くなりはじめた夜ふけの窓によりかかり、ネからの風にふかれながら、部屋靴にくつろいだ伸子が、ひかれる心を抑えかねるように素子に云った。
「あんな風に生きるってこと――羨しくない?」
素子は、正面から噴水のしぶきでもあびたときのように、伸子の横溢の前にちょっと息をひくようにした。
「そりゃ、あのひとはほんものさね」
「あんな人に会えたの、思いがけないことだったわねえ」
モスクで暮した六ヵ月あまりの間に、その面影が伸子の心に刻まれたひとが無いわけではなかった。正体のわからないような三重顎のクラウデに紹介されて、ホテル・メトロポリタンのごみっぽい室で会った中国の女博士リンの思い出は、そのときの情景を思い出すごとに伸子をしんみりと真面目にした。あなたの国の人たちとわたしの国の人たちと、どっちが苦しい生活をしているんでしょうねえ。哀愁をこめたリン博士のその言葉は伸子の耳の底にのこっている。伸子は、そういうリン博士の言葉で、自分という者の運命が日本の見知らぬ数千万の人々の運命とかたく結ばれたその一部であることを知らされたのだった。けれども、伸子がリン博士に感じた尊敬や真摯さは、伸子が伸子でないものになりたいような刺戟を与えるものではなかった。リン博士のゆたかさ、伸子の貧弱さ、その間には非常に大きな差があった。けれども、その厳粛な差のなかにリン博士の本質は伸子の本質と通じるものであることが感じられた。
アンナ・シーモヴァに伸子のひかれているこころもちは、惹きつけられる感情そのものが、もう伸子を伸子のそとへ押しだすものだった。リン博士と伸子との間に流れかよった共感というのとはちがった。アンナ・シーモヴァって何といいのだろう。そう思うとき伸子は、自分という意識から解き放されて、アンナ・シーモヴァという一人の女性に表現されているこのましい生活ぶりへの想像に惹きこまれるのだった。
六月も終ろうとする晩で、伸子がよりかかっている窓のあたりは、人気ない河岸どおりをへだてて、ふんだんなネの夜の水の匂いがして来るようだった。
「あなた不思議だと思わない?」
くつろいでいる全身に、金ぶち飾りのついた天井からの隈ないシャンデリアの光を浴びながら伸子がまたつづけた。
「アンナ・シーモヴァとゴーリキイと、どこか共通な感じがあるのに気がついた?」
「――そうかなあ」
ベッドよりに置かれているテーブルのはじに左肱をかけて、タバコのついていないパイプを指の間でいじりながら、素子がのみこめなさそうな眼ばたきをした。
「そう云えば、あのひとたちは、どっちも働く人の中から出ているんだから、そういう意味では共通な感じがあるかもしれない」
「そればかりじゃなく――革命を経験した人たちだというだけでもなく。――ゴーリキイはあんなに人間で、まるで人生そのものみたいに見事で、それで
「…………」
素子はだまってじっと伸子を見つめた。そして、無意識な手つきでからのパイプを口に
「立派な、人間らしい人たちの中に、それぞれの完全な性があるのは美しいことだわねえ」
素子の方へ背をむけて歩いていた伸子は、あこがれに小波だっているような調子でそう云ったとき、きいている素子がさっと上気したのを知らなかった。
「わたしも、ああいう風に咲き揃ってみたいと思うわ。――あの人たちのように……何て人間らしいんでしょう。咲きそろうって……」
でも、と伸子はすぐつづけて考えた。自分には、自分を咲き揃わせるどんな方法が現実にあるだろう。誰の真似でもなく、間に合わせでもなく、この自分が咲き揃うために。――ゴーリキイやアンナ・シーモヴァが生きて来て、自身を咲き揃わせた道は、それが心を魅する内容をもっていればいるほどその人たち固有のもので、伸子にそのままくりかえせるものでも、真似するすき間のあるものでもなかった。いつかまた窓ぎわに戻って、目に映るものをほんとには見ていない視線を、明るく照し出されている素子の顔の上におきながら、伸子は思いつづけた。人間の善意は大きく真面目で、その中で一人一人が自分の正直な意志や希望を生かしてゆくためには、何ときびしいその人ひとの道があるだろう。その道の前途は、伸子にとって空白だった。そのことが伸子に明白に意識されるばかりだった。伸子が口を開こうとした瞬間、
「ぶこ!」
低い迫るような素子の声が先をこした。
「なに考えてる――」
複雑なこころもちを云おうとしていたその出鼻をくじかれて、伸子は言葉につまった。
「――当てて見ようか」
素子のなめらかな小麦肌色の片頬に、不自然な片頬笑みがあらわれた。
「いままでぶこが考えなかったことを考えてる――ちがうかい?」
亢奮を強いて抑えているような素子の声音や凝視が、伸子を警戒させた。
「そうかしら……でも、どうして?」
「はぐらかさなくたっていいだろう」
そう云いながら、素子は椅子のなかで膝を組み重ねている体の重心をぐっと落すようにした。
「率直に云ったらどんなもんだい。いつだってぶこは正々堂々がすきなはずだったじゃないか」
まごつきをあらわしている伸子の顔を素子はくらいつくような眼で見据えた。そして、ふん、というように顔をそむけ、その顔をもどして、
「わたしへ遠慮はいらないよ」
と云った。
「そんなに咲き揃いたいんなら、さっさと咲き揃ったらいいじゃないか。――さいわい、ここなら、内海君とちがった男たちもいるんだから」
かたく、大きく見開かれた伸子の目の前で、素子は挑発するように伸子を見ながらパイプをもっている片手で自分の顎から頬へさかなでした。
「――せいぜい全き性を発見するさ!」
ガスへバッと音をさせて火がついたように、伸子の気持が爆発した。
「それはどういうことなの」
素子につめよろうとする衝動をやっと制しながら窓ぎわから伸子がひしがれた声で反問した。
「何の意味?」
「わかってるじゃないか」
「わからなくてよ――なにを思いちがいしてるんだろう……」
「わたしは――複雑に云っているのよ」
素子は明らかにかんちがいしているのだった。伸子が云った全き性という感じや、咲き揃うということを、じかに男は女との関係、女は男との関係という風にだけうけとったのだ。しかもその関係というものを、素子の狭い傾いた主観の癖で、直接で露骨な性の交渉の絵図に局限して、
伸子は、素子を見ていればいるほど、素子の暗く亢奮してこちらを睨んでいる眼つきから、唇の両端を憎らしそうに、自虐的にひき下げている口つきから、いとわしさを挑発されるのに気がついた。伸子は、泣きたくなった頬を手でおさえて、窓の方へ向いてしまった。
ネの上流に架かっている長い橋の上を、灯のついた電車が小さくのろく動いてゆく。日頃は、特別な意識をもたずにすぎてゆく伸子と素子との生活だが、伸子が何か男の影をうけたと素子が思うこういう瞬間に、素子は思いもかけない角度でぐらんと感情の平衡を失わせた。そして、その上に
少女期を出たばかりにずっと年上の佃と結婚して、心がそこに安らわず、断続して遂に破壊された五年の結婚生活の経験で、伸子は女として、性的な意味でほんとに開花していなかった。伸子は、ほんとの意味では女にも妻にもなりきらないまま、素子と暮すようになったのだった。けれども、伸子は自分の女としてのその微妙な状態について、何と比較するよしもなく、従って知りようもなかった。本質ははげしいけれど今は半ば眠っている伸子の官能のなかで、まだその全能力を発揮させられずにいる強い愛の能力の範囲で、伸子は素子にひかれ、暮しているのだった。伸子としては、自分が自分の頬を素子の頬にふれさせたい気持になることがあること、唇をふれ合うこともあること。そういう感情や表現を、そっくりそのまま男と女との間のことと同じとは感じていなかった。それはちがうのだもの。素子は女なのだもの。未開のままその生活からはなれたと云っても、伸子は佃と恋愛した。夫婦の生活をした。伸子にとって男と女のちがいは、自然がそれを区分しているとおりはっきりしていて、素子は男の代償という意味ではなく、どこまでも女として、友達として、しかし、そこには頬をふれる気持になるようなところのある女友達として、伸子は結ばれているのだった。
モスクへ来て暮すようになってから、伸子と素子の生活は、駒沢にいた時分より、ずっとのびやかに、解放された。特に男たちから、伸子と素子との表面の暮しのかげに、なにか偏奇なグロテスクなものでもありそうにのぞきこまれる苦痛がなくなった。それに抵抗して、強いても二人を一組に押し出そうとするような伸子のうらがえされた恥辱感も消された。モスクでは、伸子たち二人が、つれだって遠い国から来ている外国の女たちだからと云うばかりではなかった。ソヴェトの社会生活では、男と女との接触が理性的にも感情的にも解放されていて、その間のいきさつはめいめいの自然の流れにしたがい、社会的責任で処理されている。そういう雰囲気の中では、性に関する好奇心とでもいうようなものも、表面で封鎖されているだけに、すべての下心が一枚はがれた下では、いつもかくされた亢奮ではりつめているような日本の状態とはちがった。すべてのことを感覚へじかにうけとるたちではあるけれども情慾的であるとは云えない伸子の気質は、ソヴェトのその雰囲気に調和した。そして、佃との苦しい生活で
ゴーリキイやアンナ・シーモヴァの人間らしさに、完全な性が保たれ、咲き揃っている。そのことを伸子が、美しいと感じうらやましいと感じるのは、人間達成の可能のゆたかさへの共感であり、すすみゆく社会の本質が個々の男や女に与える可能性の意味ふかい承認だった。
おとといの晩、伸子たちはレーニングラードの一つの横通りにある外務省の留学生沖のアパートメントに招かれた。そこには、沖の一時的な愛人である蒙古の眉、蒙古の口元、蒙古の濃い黒髪をもったヨーコという女医がいた。ほかに七人ばかりの外務省の留学生たちがいた。重く太い編み下げを蒙古服の背にたらして、おとなしく台所の間を往復するヨーコの姉という、原始的な皮膚をした女のひとがいた。だらだらとつづいた食事やいくらか葡萄酒によった会話の、どこに本ものの愉快さがあったろう。みんなが自分を馬鹿者でないと思っていて、日本の官僚主義や退屈な社交生活を軽蔑して話しながら、自分たちのその話しぶりそのものが無気力であり退屈であることを知らない若い男たちに、伸子が、どんな男の魅惑を感じたというのだろう。土台、そういうきっかけから出ている話ではなかった。
伸子は、しばらくして、窓の方を向いたまま、テーブルのところにいる素子に云った。
「あなたは、自分のそういうものの感じかたをあんまり自認しすぎているわよ」
「…………」
「ぶこは、ひとりよがりで、自分は真実だから、おこりもすると思っているとしたら、違うことよ。ソヴェトへ来てまで、そんな何だか女同士の痴話喧嘩みたいなこと――わたしほんとに御免だから……」
「――えらそうに、なにを生意気云ってるんだ。――ぶこはいつだってそうだ。自分の都合のいいように理窟をつける――卑劣さ」
「そうは思わない。だって、あんたがああいう風にからんじまうとき、わたしは、どうしたらいいの?――どうしたら、あなた、気がすむ?」
段々落ちついてものが云えるようになって、伸子は窓を向いていた体を素子の方へ向け直した。
「駒沢のころ、そういうとき、わたしはこわくなって泣いたり、真実を証明したりしました。やっぱり、いまもわたしがそうすればあなたの気がやすまる?」
だまっている素子のまわりを伸子はゆっくり歩いて、背の高い煖炉棚へ部屋靴のつまさきをそろえてもたれかかった。
「――わたしは、もうそうしなくてよ。お互のために――わたしたち、折角いつもは病的なところなんかなくて暮しているのに、こんな時っていうと、まるで突発的に妙になるんだもの――これこそ病的だとしか思えない。わたし苦しくなるし、自分たちが恥しい……」
ちょっと言葉を切って、伸子は羞恥のあらわれた、うす赧い顔で早口に云った。
「わたしたち性的異常者じゃないんだもの。――人間の親密さのいろんなニュアンスを肯定しているだけなんだもの」
素子の眼から暗い
「そんなことはわかってるさ」
「変じゃないの、じゃどうして、あんなに、何とも云えないぐらんとした居直りかたになるんだろう。自分でわかる? どんなに――」
醜い、という言葉を云いかねて伸子は、
「普通でないか……」
と云った。
「そりゃ普通じゃなかろうさ、わたしは自分を一遍だって普通だなんて云ったことはありませんよ」
「…………」
素子の、京都風な受口の小麦肌色の顔や、そこから伸子を見ている黒い二つの
「あなたってまったく不思議ねえ」
その声のなかから腹立たしさも軽蔑も今はすっかり消えた調子で、伸子がまじまじと素子を見た。
「あなたの生活に、これまで具体的に男のひとが入って来たことってなかったんでしょう」
「そりゃないさ」
「そういう意味からだけ云えば、あなたは、わたしより純潔と云えるわけなのに――あなたは、わたしより純潔じゃないわ」
素子はすこし顔を赧らめ、立ち上ってタバコに火をつけた。
「中学の男の子みたい? そうお? 具体的に経験されていないから却って、男と女のことっていうと、きまりきった形でいやにむき出しに頭の中で誇張されるのかしら……」
素子は、タバコをふかしながら、ネ河に向って二つの大きい窓のひらいている夜の室内をあっちこっち歩いた。伸子のいうことから、何か自分への目がひらかれるところがあるらしい表情で。――考えながら歩きまわって、素子はやがて、
「もういい。ぶこ」
と、椅子のところへ立ちどまりながら云った。
「そう分析されちゃ、やりきれるもんか」
伸子は黙った。けれども、伸子はこれまでのいつのときよりもはっきりした輪廓で素子を理解できたように思った。素子の封鎖されている性のなかには、伸子が自分に感じるより醗酵力のつよい欲望があり、しかもその欲情の激しさと同じ程度のはげしさで男の性が反撥されている。いつか素子は、自分からその矛盾の輪を破るだろうか。伸子はそのときがみたいと思った。素子の上にそのときを見たいと思う心の底潮に、意識されないかすかな遠さで、自分の生活もそのときはちがった展開をするだろうという予感がきざしていることは心づかずに。――
レーニングラードから近郊列車で小一時間ばかり行ったところに、もとの離宮村があった。エカテリナ二世が、バルト海に臨んだ水の多い首都から、ひろびろとしたロシアの耕野の眺望を恋しがり、自然の野原と森の眺めをなつかしがったその好みに、いかにもあった地勢の土地だった。平らに遠く地平線がひらけて、ところどころに天然の深い森がある土地を更に人工の大公園で飾って、バロック風の離宮をこしらえた。
一九一七年の十月、ニコライ二世が退位してから、シベリアへ出発するまで暮したのも、そこの離宮であった。ツァールスコエ・セロー(皇帝村)とよばれていたその離宮村は、その後デーツコエ・セロー(子供の村)と改称され、格別そこに子供のための施設ができているわけではなかったが、レーニングラード近郊の遊園地になっていた。日曜ごとに、ズック靴をはいて運動シャツ姿の青年男女や少年少女の見学団がデーツコエ・セローの小さくて白い停車場から降りて、大公園のなかへぞろぞろと入って行った。エカテリナ二世の離宮もニコライ二世の離宮もいまはそのまま博物館になっていた。エカテリナ二世がその小部屋をすいていて、毎日長い時間をそこで過したという見事なディヴァンのある「支那室」や、ニコライ二世の大理石の浴槽、その妻や娘たちの衣裳室というようなところを、見学団の数百の若いものたちは好奇心と無感興と半々な表情でだまって見て歩いた。彼等は博物館の内部を見おわって、そこからニコライ二世がシベリアへの旅へ出て行ったというフレンチ・ドアから自分たちも出て、公園の森と池とを見おろす大露台へかかると、はじめて解放されたように陽気になり、さわぎだし、喋ったりふざけたりする。
そのフランス風の大露台から左手に見える森をへだてて、公園のはずれに、古風で陰気な石造の小建築がある。プーシュキンが少年時代をそこで教育された貴族学校のあとだった。その建物と往来をへだてた斜向いのところに、目立たない入口をもった石造の二階建の家がある。建物に沿った古びた石じきの歩道をゆくと、その建物の一階の四つの窓に白レースの目かくしがたれて、桃色のきれいなゼラニウムの花が、窓のひろさいっぱいに飾られているのがちらりと目に入った。その建物はもと貴族学校の校長の家だった。いまはパンシオン(下宿)になっている。
伸子と素子とがデーツコエ・セローについて、ごくあらましにしろあれこれの知識をもったのは、ヴ・オ・ク・スのつけてくれた案内者と一緒に、七月の或る一日その大公園と離宮の村を歩きまわったからだった。そのとき案内者がアベードのためにつれ込んだ下宿は、ずっととまっている下宿人のほかに、日曜などにはそうやって不意の客もうけ入れる派手な落付きのない家だった。公園の一部を見晴らす庭に面した広間のあっちこっちにテーブル・クローズのかかった大きい円テーブルをおいて、ネップ(新経済政策)風の社交気分だった。
外へ出てみると、そんなうちは例外で、デーツコエ・セローの村全体の日常は地味で、しかも鬱蒼とした大公園の散歩も、周辺の原始的な原っぱの遠足も思いのままで、伸子は、暫くこんなところに住みたいと思った。
レーニングラードへ来てから伸子と素子とが暮している学者の家には、夏じゅういてもさしつかえなかった。けれども、もとウラジーミル大公の屋敷だったという学者の家の室は、いい部屋であればあるほどつくりが宮廷ごのみで、伸子たちにはしっくり出来なかった。フランス脚が金で塗られた椅子はあっても、モスクのホテル・パッサージにあったような実用的なデスク一つ、スタンド一つなかった。レーニングラード見学の期間が終ると、伸子も素子も、食事つきで勉強のできる下宿がほしくなった。デーツコエ・セローで、あんなにネツプ風でない下宿はないものだろうか。
東洋語学校の教授であるコンラット博士が偶然デーツコエ・セローの下宿の一軒をよく知っているという話になった。きいてみると、それは、あのプーシュキンの学校の前の家で、伸子たちが桃色のゼラニウムの小ざっぱりした綺麗さに目をひかれた旧校長の家だった。その教授の紹介で、伸子たちは学者の家からデーツコエ・セローのパンシオン・ソモロフの二階へ移った。
七月初旬で、伸子たちははじめの数日を一室で、あとは二人別々に部屋がもてた。食事のために出歩かないでよくなったことや、七ヵ月ぶりで自分一人の部屋がもてたこと、青葉照りの底へ沈んだような自然の奥ふかさなどで、伸子はレーニングラードへ来てから受けたいろいろの刺戟がデーツコエ・セローの暮しで日に日に自分のなかへ定着するのを感じた。落付いた気分になると、モスクのアストージェンカの、あのやかましくて狭い室で暮した生活も面白く思いかえされ、伸子は、自分の室がもてるようになってから間もなく小説をかきはじめた。
朝飯がすむと、伸子は自分の部屋へかえって、くつろいだなりになって三時のアベードまでとじこもった。アベードのあと、八時の夜の茶の時間まで伸子と素子とは大公園の中を歩きまわったり、草のなかに長い間ねころがっていたりした。思いがけず往来で出会った作家のアレクサンドロフにつれられて、アレクセイ・トルストイのところを訪ねたりもした。アレクセイ・トルストイはピョートル大帝についての歴史小説をかいているところだった。マホガニー塗のグランドピアノのある客室に、すこし黄がかったピンクの軽い服を着た若づくりの夫人と十三四歳の息子がいた。トルストイの書斎にはプーシュキンとナポレオンのデス・マスクがかかっていた。タイプライターがおかれて支那の陶器の丸腰掛があった。プーシュキンのデス・マスクはともかくとして、ナポレオンのデス・マスクの趣味が伸子にわからなかった。
伸子にわからないと云えば、パンシオン・ソモロフにとまっている人たちが、折々盛に話題にするコニー博士という学者のことも、伸子たちには分らなかった。下宿の食堂の壁に、コニー博士の寸簡が額に入れて飾ってあった。レーニングラード大学の歴史教授リジンスキー。法律の教授ヴェルデル。やせぎすの体にいつも黒い服をつけて姿勢の正しい老嬢エレーナ。夜のお茶の間などに主としてそういう人たちがよくコニー博士の追想を語りあった。なかでも老嬢のエレーナが故コニー博士を褒めるとき、いつも冷静にしている彼女の声が感動で波だった。少くとも老嬢エレーナにとってはコニー博士について話すときだけが彼女の感情を公開する機会らしかった。やがて伸子は、パンシオン・ソモロフの人々が云わず語らずのうちに一つのエティケットをもっていることに、気づいた。それは食卓で顔を合わす同士が、決してお互の過去にふれないこと、政治の話をしないこと、現在の職業にふれても、つっこんだ話はしないことなどだった。
ところが、ある晩、ふとしたことからひとりでにこの掟が破られた。何かのはずみで一九〇五年の一月九日事件の話が出た。外国の民衆が、レーニングラード、その頃のペテルブルグの冬宮前広場でツァーの命令でツァーの軍隊によって行われた人民殺戮事件を、どんな風にうけとったかという風な話だった。高級技師の細君であるリザ・フョードロヴナが、二すじ三筋、白い髪の見えはじめたその年輩によく似合ったおだやかに深みのある声で、
「わたしは、こんなことをきいていますよ」
と話した。
「イギリスでね、一月九日の事件があったとき、ある大公が晩餐会を開いて居りました。食卓についている淑女・紳士がたの間に計らず『ロシアの事件』が話題になりましてね、当然いろいろの意見が語られたというわけでしたろう。すると、最後に当夜の主人である大公が、口を開いて『要するにロシアのツァーは政治を知っていない。そして人民たちは野獣にすぎないんだ』と云いました。その途端、お客たちのうしろで、いちどきにガラスのこわれる音がしました。今まで杯をのせた盆をもって、お客がたのうしろに立って給仕をしていた給仕頭が、人民たちは野獣にすぎないんだと主人が云った次の瞬間、真直に杯をのせた盆を自分の足許に投げすてたんです。そして、ひとことも口をきかず、ふりかえりもしないでその室を出てゆきました。――御承知のとおりイギリスの礼儀では子供と召使は見られるべきものであって、自分から口を利くべきものとはされて居りませんからね。――その給仕頭は適切な方法で自分を表現したというわけです」
灰色の背広を着て、薄色の髪とあご髯とをもった歴史教授のリジンスキーが、すこしさきの赤らんだほそい鼻が特色である顔に内省的な、いくらか皮肉な微笑を浮べた。
「それは一九〇五年のエピソードであると同時に、その給仕頭の一生にとって恐らくたった一遍のエピソードじゃありますまいかね。――そこにディケンズの国の平穏な悲劇があるんだが……」
老嬢のエレーナが、心のなかにかくされているいらだたしい何かの思い出でも刺戟されたように、
「大体エピソードというものをわたしたちはどのくらい信用したらいいんでしょう」
テーブルの上においている右手の細い中指でテーブル・クローズの上を軽く叩きながら云った。
「エピソードに誇張が加えられなかったことがあるでしょうか――ほとんど嘘に近いほど……」
「お言葉ですが――御免下さい」
袋を二つかさねたようなだぶだぶの顎をふるわして、パーヴェル・パヴロヴィッチが舌もつれのした云いかたでエレーナに答えた。
「わたくしは、全く誇張されない一つのエピソードをお話しすることができます」
パーヴェル・パヴロヴィッチが、それだけのまとまった会話をはじめたということさえ、パンシオン・ソモロフの食堂では珍しいことだった。パンシオンの実際上の主人である大柄な老婦人と大柄でつやのぬけたようなその息子とは、いつも裏の部屋にだけ暮していて、パンシオンの客たちと食卓につくのは、古軍服をきた、中風症のパーヴェル・パヴロヴィッチだった。彼はテーブルで主人の席についているものの、ちっとも主人らしいところがなく、どっちかといえばその席に出されている主婦のかかりうどという感じだった。パーヴェル・パヴロヴィッチは、枯れた玉蜀黍の毛たばのような大きな髭を、二つめの胸ボタンのところからひろげてかけているナプキンで入念に拭いた。
「わたくしは、御承知のとおり軍隊につとめていまして――砲兵中佐でした。一七年には西部国境近くの小さな町に駐屯していました。われわれのところではペテルブルグでどんなことが起っているのか全然知っていませんでした。ところが、或る晩、二時頃でした。急にわれわれの粗末な営所へ武装した兵士の一隊がやって来ました。その頃は、どこへ行ったって武装した兵士ばかりでした。――ただその連中の旗がちがいました。赤い旗を彼等はもっています。ツァーはもういない。革命だ、と彼等は云います。しかし、私どもは何にも知っていない……」
パーヴェル・パヴロヴィッチはそのときの困惑がよみがえった表情で、たれさがっている両頬をふるわせた。
「われわれの受けていた命令は国境警備に関するものでした。われわれは革命軍に対する命令は何も受けとっていなかったんです」
きいている一同の口元が思わずゆるんだ。
「それで、どうなさいました? パーヴェル・パヴロヴィッチ」
リザ・フョードロヴナが訊いた。
「御免下さい奥さん。――わたくしに何ができましょう。私には理解できませんでした。革命軍は将校をみんなひとつところに集めました。そして、その一人一人について、集っている兵士たちにききただしました。上官として彼等を苦しめるようなことをしたかどうか。将校は一人一人、連れ去られました。――おわかりでしょう? わたくしの番が来ました。わたくしはもう死ぬものと思って跪きました。私も将校ですから。ほかの将校たちよりよくもなければわるくもない将校であると思っていましたから。革命軍は、兵士たちにききはじめました。彼等を殴ったことはないか。無理な懲罰を加えたことはないか。支給品を着服したことはないか。――彼等の質問は非常に精密で厳格でした。私の額から汗がしたたりました。幸い、私は、質問される箇条のどれもしていません。ところが、やがて思いがけないことになりました。部下の兵士たちが、革命軍に向って、私を処罰するな、と要求しはじめたんです。私は親切な上官であったから殺さないでくれ。もし彼を殺さなければならないなら、われわれも殺してからにしろ、と叫びはじめました。革命軍は、永いこと彼等の間で相談しました。そして、わたくしはこうして生きています」
パーヴェル・パヴロヴィッチの年をとったおっとせいのように曇って丸い眼玉に薄く涙がにじんだ。
「わたくしは、生きました。――しかし、私にはまだわからないようです」
彼の左隣りの席にいる伸子をじっとみて、パーヴェル・パヴロヴィッチは一層舌をもつれさせながら云った。
「私が彼等を殴らなかったのは、私に、人間が殴れなかったからだけです。――概して、殴られるということがそれほど決定的な意味をもっているならば、どうして彼等は、あのときよりもっと前に、それをやめさせなかったでしょう――私は、殴れない人間だったのです」
自分の恐怖や弱さを飾りなくあらわしたパーヴェル・パヴロヴィッチの話は、みんなに一種の感動を与えた。老嬢エレーナも、その話に誇張があるとは云わなかった。同時に、リジンスキー教授もヴェルデル教授も、兵士たちが、どうしてもっと前に将校の殴るのをやめさせることが出来なかったかということについては話題にしないまま、やがてテーブルからはなれた。
伸子は、パーヴェル・パヴロヴィッチのエピソードから深い印象をうけた。それと同じくらいのつよさで、パンシオンの話術を感じた。この人たちの間には、品のいい話しぶりがあるのだ。
翌る日のアベードの前、すこし早めに自分の室から出て来た伸子が素子と並んで、パンシオンの古風なヴェランダに休んでいた。隣りの家との間に扇形に枝をひろげた楓の大木があって、その葉かげを白い頁の上に映すような場所の揺椅子で、老嬢エレーナがフランス語の本をよんでいた。ヴェランダからは午後三時まえの人通りのない夏の日の大通りと、大公園の茂みと、そのそとの低い鉄柵が見えている。デーツコエ・セローの夏の日は果しなく静かである。
そこへ、広間の方からヴェランダに向ってコトリ、コトリ、床に杖をついて来る音がした。元軍医の夫人ペラーゲア・ステパーノヴァがあらわれた。彼女は、心臓衰弱で、室内を歩くにも杖がいった。赤銅がかった髪を庇がみにして、どろんと大きい目、むくんだ顔色にいつも威脅的な不機嫌をあらわしている夫人は、灰色っぽい古軍服をきている良人に扶けられて、あいている揺椅子の一つにやっと重く大きい体をおさめた。
「ふ! わたしの心臓!」
息をきらしながら、胸を抑えて頭をふった。一番近いところにいた老嬢エレーナが、ものを云わなければならなくなった。
「いかがです。また眠れませんでしたか?」
「――どこへ行ってもわたしに必要な空気が足りないんです」
「窓をあけてねると大分たすかりましょう」
ペラーゲア・ステパーノヴァは、まるで侮辱でもされたように白眼に血管の浮いた眼を大きくした。
「わたしの心臓が滅茶滅茶になってから、十年ですよ。――できることなら壁さえあけて眠りとうござんすよ」
暫くして、思いがけない質問がヴェランダのはずれにいる伸子たちに向けられた。
「日本にも、心臓のわるい人はどっさりいますか」
伸子と素子とはちょっと間誤ついた。
「日本には、心臓病よりも肺のわるい人の方が多いでしょう」
素子がそう答えた。ペラーゲア・ステパーノヴァにはその返事が不平らしかった。
「革命からあと、少くともロシアには心臓病がふえました」
ふっと笑いたそうな影が伸子の口元を掠めた。
「わたしは一八年まではほんとに丈夫で、よく活動していました。あの火事までは。――ねえ、ニコライ。わたしの心臓は全くあの火事のおかげですね」
古軍服と同じように茫漠とした表情の元軍医は、そういう妻の問いかけを珍しくもなさそうに、
「うむ」
と云った。
「もちろんそうですとも、ほかに原因がありようないんです」
椅子によせかけてあったステッキをとって、コトコトとヴェランダの木の床を鳴らした。
「一八年にわたしどもはエストニアにいたんです。良人は病院長、わたしは婦長として。病院は、その村の地主の邸だったんですがね、何ていう農民どもでしょう? そこへ火をつけたんです。屋敷ばかりではなく、ぐるりの森や草原へまで――」
息をきらして、ペラーゲア・ステパーノヴァは話しつづけた。
「その晩だって、わたしどもはちゃんと屋根に赤十字の旗を立てておきました。ねえ、ニコライ。わたしたちの赤十字の旗は二メートル以上の大きさがありましたね」
「うむ」
「わたしどもは、夢中になって負傷者や病人を火事の中から救い出しました。眉毛をやいたものさえいませんでしたよ。その代り、わたしどもは、ほんとうに着のみ着のまま」
ペラーゲア・ステパーノヴァは揺椅子の上に上体をのり出させた。そして白眼に血管の走っている二つの大きな眼で、伸子、素子、老嬢エレーナをぐるりと見まわしながら、
「ほんとの一文なし!」
むき出した歯の間から低い声で云って、左手の人さし指のさきを、拇指の爪ではじいた。
「革命は、わたしの心臓をこわしただけですよ」
革命のときのことを知らない伸子の顔にしぶきかかるような憎悪がペラーゲア・ステパーノヴァの話ぶりに溢れた。伸子は食堂へゆっくり歩いて行く廊下で素子に云った。
「あんな話しかたって、実に妙ね。そんな一文なしになったのなら、どうしてこんなところに来ていられるんでしょう」
リザ・フョードロヴナのところへ、良人の技師が来ることがあった。理科大学の上級生で、ラジオ放送局に実習生としてつとめている十九歳の娘のオリガが一晩どまりで来ることもある。赧ら顔に鼻眼鏡をかけ、頭を青い坊主刈りにして、いくらかしまりのない大きな口元に愛嬌を浮べながら社交的に話す技師が現れると、パンシオン・ソモロフの食堂の空気は微妙に変化した。日ごろは、いい意味でさえも野心の閃きというようなものが無さすぎる食卓に、技師は一種の騒々しさ、ソヴェト風な景気よさのような雰囲気をもたらした。細君であるリザ・フョードロヴナよりもむしろ軽薄で俗っぽい人物に見える技師がテーブルに加わると、その隣りに席のきまっているヴェルデル博士とリジンスキー教授の態度が目にとまらないくらい、より内輪になった。
食堂のこういう小風景にかかわりなく、パンシオン・ソモロフで、いつもたゆまず同じように働いている人があった。それは女中のダーシャだった。パンシオン・ソモロフの人々の生活や感情にかかわりなく、日曜日ごとに天気さえよければ陽気にガルモーシュカを奏し、歌い、白藍横ダンダラの運動シャツの姿や赤いプラトークを大公園の樹の間がくれにちらちらさせて、日の暮まで遊んでゆく大群集があった。その群集について現れる向日葵の種売り、アイスクリーム屋が鉄柵のそとへ並んだ。その大群集や物売りたちは、日曜日になると、デーツコエ・セローの鬱蒼とした公園にうちよせるソヴェト生活のピチピチした波だった。伸子は、その波の波うちぎわにいる自分を感じながら、二つに畳める円テーブルの一つのたたみめを壁にくっつけて、ベッドに背中がさわりそうな僅のすき間で毎日少しずつ小説を書いた。
八月にはいって間もない或る雨の日のことであった。きのうも一日雨であった。しっとり雨をふくんだ公園の散歩道にパラパラと音をたてて木立から雨のしずくが落ちかかり、雨にうたれているひろい池の面をかなり強い風が吹くごとに、噴水が白い水煙となってなびきながらとび散った。
人っこ一人いない雨の日の大公園で、噴水を白く吹きなびかせている風は、パンシオン・ソモロフのヴェランダのよこの大楓の枝をゆすって、雨のしずくを欄干のなかまで吹きこませた。この北の国の夏が終りに近づいた前じらせのように大雨が降っている古いヴェランダの端から端へとぶようにして、老嬢のエレーナと伸子とがマズルカを踊っていた。いつものとおり黒ずくめのなりをしたエレーナの細くて力のある手が、くいこむようにきつく伸子のふっくりした若い手をとらえていた。伸子には
いつも冷静に、厳粛にしているエレーナの黒服につつまれた細いからだには、こんな荒々しい情熱がひそんでいた。伸子はそのことにおどろかされた。エレーナとしては不意に中断されて、それっきりすっかり消えてしまった半生の最後に響いたマズルカの曲が、いまこの夏の終りの雨が降る人気ないヴェランダで伸子の手をつかんで立たせる衝動となってよみがえって来たのだろう。エレーナは非常に軽かった。彼女にはまだまだマズルカをおどるエネルギーがある。伸子はエレーナにリードされてヴェランダの床をギャロップしながらそう感じた。でも、いつ? そしてどこで? また誰とエレーナはマズルカを踊るだろう。彼女は昔よろこんで踊ったマズルカがあったことさえ今語ろうと思ってない。彼女にも憎悪があるのだ。ペラーゲア・ステパーノヴァの心臓のかわりに、エレーナは彼女のがんこな黒服をまとっている。説明ぬきで――説明するよりも雄弁に彼女が
「ぶこちゃん、電報だ」
黄色い紙を細長い四角に畳んだものをわたした。
「電報? どこから」
「うちかららしい」
伸子は、どういう風にエレーナの手をほどいたかも気づかないで、広間とヴェランダの境に立ったまま電報をひらいた。
よみにくいローマ綴りを一字一字ひろった。シキウキチヨウアリタシ。――至急帰朝ありたし。――無言のまま二度三度、その文句を心の中にくりかえして見ているうちに、伸子は抵抗の自覚される心持になって来た。電文そのものが唐突で簡単すぎ、意味がつかめないばかりでなく、そういう唐突な電報でこんなに遠くで営まれている伸子の生活の流れが変えられでもするように思ううちのひとたちの考えが、苦しかった。
伸子はエレーナに挨拶して、のろのろ素子と広間の寄木の床を部屋の方へ歩いた。
「どういうんだろう」
電文をくりかえしてよんだ素子が、それを伸子にかえしながら、いろいろの場合を考えて見るように云った。
「何があったんだろう」
「さあ……」
動坂のうちの人たちとして、伸子にそういう電報を打つだけの何かはあったのだろう。しかし、伸子は、その動機を、すぐに、自分の生活を変えるだけ重大なものとしてうけとる気持になれなかった。
廊下のはずれにある伸子の室まで二人で来て、伸子はベッドに腰かけ、もう一遍電報を見た。やっぱり、シキウキチヨウアリタシとしか書かれていない。
「何てうちは相かわらずなんだろう。電報まで電話そっくりなんだもの――伸ちゃん、一寸話があるからすぐ来ておくれ。――ここにいるものにすぐ帰れなんて……」
素子はタバコに火をつけて、それをふかしながら、窓の外を見てしきりに考えている。動坂の家を出て別に暮すようになってから、多計代からの電話というと、伸子にはきかない先から用がわかる習慣になってしまった。ああ、もしもし伸ちゃんかえ。ぜひ話したいことがあるから、すぐ来ておくれ。多計代のいうことはきまっていた。
はじめの頃、伸子は呼び出されるとりつぎ電話の口で、ほんとに何か火急な用が出来たのかと思って、当惑したりびっくりしたりした。家の戸締りをして、留守に帰って来る佃のために書きおきして、住んでいた路地の間の家から急いで歩いて動坂の家へ行った。多計代の坐っている食堂に入りかけながら、伸子が息のはずむ声で、
「何かおこったの」
というと、多計代は一向いそがない顔つきで、
「まあお坐り」
と云うのだった。そして、やがて切り出される話は、伸子が佃と暮していた間は、佃や伸子についての多計代の不満だったり、臆測だったりした。素子と生活しはじめてからは、一体、吉見というひとは、という冒頭ではじまる同じような多計代の感情だった。三度にいちどは、気の重い話のでないこともあって、そういうとき多計代はほんとにただ娘と喋りたい気になって、よび出す口実に用があると云っただけらしかった。
いずれにせよ、多計代のすぐ来ておくれ、は伸子にとって一つの苦手であった。素子にとっても。――伸子はそうしてよばれると、じぶくって出かけて、その晩は駒沢の奥までかえれず、翌る日、素子にそのまま話しかねるような多計代との云い合いの表情を顔にのこして戻って来るのだった。
シキウキチヨウアリタシ。その電文をよんだ瞬間、伸子は反射的にぐっと重しがかかって、その場から動くまいとする自分を意識した。
「しかしぶこちゃん、こりゃ放っておいちゃいけないよ」
素子が妙に居すわってしまったような伸子に向って云った。
「ともかく電報うって見よう。――あんまりこれだけじゃ事情がわからないから」
「なんてうつ?」
しばらく思案して素子は、
「事情しらせ、とでも云ってやるか」
と言った。
「それがいいわ。じゃ、すぐ打って来る、正餐までに」
「いっしょに行ってやろう」
伸子と素子とは、人通りのたえている雨の大通りをデーツコエ・セローの郵便局まで出かけて、問い合わせの電報をうった。レイン・コートをもっていない伸子たちは、うすい夏服の前やうしろをすっかり黒く雨にぬらして帰って来た。
「ぶこのおっかさんなんか、わたしがこうやって却って気をもんでることなんか知りもしないんだから……」
毒のない不平の調子で素子が云った。
「ぶこちゃんが、これを放ってでもおいてみろ。無実の罪をきるのは、わたしさ」
東京から返事の電報が来るまでには少くとも二三日かかるということだった。伸子は、シキウキチヨウアリタシに気をわるくしながら、やっぱり返事が気にかかり、落付けず、快活さを失った。夜、素子の室で話したりしているとき、自然その方へ話が向いた。
「まあ、返事が来てからのことさ。次第によったら、いやでも帰らなけりゃならないかもしれないが……」
「ひとりで?」
「――お伴しなくちゃならないというわけかい」
一人で帰ることがいや、いやでないよりも、伸子にとっては今ソヴェトから帰るということが、うけ入れられないのだった。
「先にね、ニューヨークから急に帰ったとき、やっぱり、こんな風だったのよ。母がね、お産をしなければならないのに、こんどは非常に危険だと医者に宣告された、と云って来たんです。わたしはたまらなく心配になってね、無理やり一人で帰って来てみたら、とっくに赤坊は生れてしまっているし、母はおきてけろりとしていたのよ」
あのときの残念な心持、たぶらかされたような切ない心持を伸子はまざまざと思いおこした。ニューヨークで、伸子がアメリカごろの洗濯屋と夫婦になったとか、身重になって始末にこまって結婚したとかいう風聞になやまされた佐々の両親は、多計代の出産ということを口実に伸子がいやでも、大学での研究が中途だった佃をのこして帰って来なければならないように仕向けたことだった。そのときから八九年たった今になって見れば、親たちのばつのわるい立場も苦肉策も伸子に思いやることができた。それでも、父や母が、二十一ばかりだった伸子のまじりけない娘としての心配ごころをつかんで動かしたということについては、思いが消えなかった。伸子は思うとおりに生きようとして親たちに抵抗する娘ではあったが、他人のなかでもまれて育った女とちがって、そういう子供の時分から習慣になっている肉親のいきさつでは案外もろかった。
至急帰朝ありたし、と云って来るからには、何かあるのだろう。だが、伸子は、こんども自分の子供っぽさであわてさせられるのは金輪際いやだった。
「まさか、お父さんがどうかされたんじゃないだろうね」
老年の父親をもっている素子が、次の日になってから、散歩している公園の橋の上でふっと云った。黙っていて、やがて伸子は確信があるように断言した。
「父じゃないわ、それはたしかよ。もしそんなことなら、別な電報のうちようがあるもの。――それに……たしかに大丈夫!」
伸子は、もし万一父の身の上に変ったことでもあれば、あの電報があんなにはっきりとそれにさからう心持を自分におこさせる筈はないと思った。最近は父というものについても伸子の心にこれまでとちがった判断が加えられて来ていたけれども、まだ伸子は仲のいい父娘としての心のゆきかいを信じていた。多計代に変ったことのないのは、あの電文そのものが、多計代の娘に対する物云い癖をそのままあらわしていることでたしかだった。家族の一人一人の消息を心のうちに反復してみても、伸子には見当がつかなかった。モスクを立って来るとき受けとったハガキで、保が、この夏は大いに自転車ものりまわし愉快にやってみるつもりですと書いてよこしていた。その文章も、伸子はよくおぼえていた。
デーツコエ・セローの郵便局から伸子がジジヨウシラセと東京の家へ電報した三日目の夕刻だった。パンシオン・ソモロフの人々は茶のテーブルに向っていた。その午後、伸子は東京からの返電をまっている心持があんまり張りつめて苦しいので、素子につれ出されて四
食堂とホールとの境のドアは、夏の夕方らしくパーヴェル・パヴロヴィッチの背後で左右に開けはなされている。食堂から玄関へ出て行ったダーシャが、戻って来ると、パーヴェル・パヴロヴィッチの左側をまわって、伸子の方へ来た。彼女の手に電報がもたれている。伸子は、思わずテーブルから少し椅子をずらした。
「あなたに――電報です」
「ありがとう」
たたまれている黄色い紙をひらいて、テープに印刷されて貼られているローマ字の綴りを克明に辿ると、伸子はテーブル仲間に会釈することも忘れて食堂を出た。一足おくれて素子も席を立って来た。ホールの真中で伸子は電報をつきつけるように素子にわたした。八ガツ一ヒタモツドゾウチカシツニテシスアトフミ。
ものも言わず二階へあがる階段に足をかけたら、伸子は体じゅうがふるえはじめてとまらなくなった。てすりにつかまって一段一段のぼって行きながら、伸子ははげしく泣き出した。泣きながら階段をのぼりつづけ、のぼりつづけて泣きながら、てすりにつかまっていない左手をこぶしに握って伸子は身をもだえるように幾度もいくたびも空をうった。何てことをしたんだろう。保のばか。保のばか。とりかえしのつかない可哀そうさ。くちおしさ。――よろよろしながら伸子は自分の室へ行く廊下を異常な早足で進んだ。もうじき室のドアというところで、伸子は不意に白と黒との市松模様の廊下の床が、自分の体ごとふわーともち上って、急に下るのを感じた。
伸子にはっきり思い出せるのは、そこまでであった。それからどういう風にして自分がベッドへつれこまれたのだったか、素子が涙に濡れた顔をさしよせてしきりに自分の肩へかけものをかけてくれたのや、夜だったのか昼間だったのかわからないいつだったかに、素子が、ぐらぐらして体のきまらない伸子をベッドの上にかかえおこし、伸子の顔を自分の胸にもたせかけて、
「駄目じゃないか! ぶこ! どうするんだ、こんなこって! さ、これをのんで……」
スープをひとさじ無理やりのまされたことなどを、きれぎれに思い出せるだけだった。それからもう一つ、自分がしつこくくりかえして、よくって? わたしは帰ったりしないことよ。よくって? と云ったことと、そのたんびに素子が、ああいいよ、わかってる、わかってる。と力を入れて返事して涙をこぼしたことなどを思い出すことが出来た。
夢とうつつの間で伸子はまる二日臥ていた。どの位のときが経ったのかそんなことを考えてみる気もおこらないほど長い昼寝からさめたような気分で、伸子は三日目のひるごろ、ほんとに目をさまして自分の周囲をみた。
伸子が目をさましたとき、その狭い室のなかには臥ている伸子のほかに誰もいなかった。明るい静かな光線が小さい室の白い壁いっぱいにさしていた。テーブルの上のコップに、
胸に手をやって痛いところを抑えずにいられないほど悲しさは鋭いのに、伸子の眼からは不思議にもう涙がでなかった。そのかわり、まるであたりの空気そのものが悲しみそのものであるかのように、ちょっと体を動かしても、首をまわしても、伸子は息のつけないような悲しみのいたさを感じるのだった。
足もとのドアがそっと開けられた。素子が入って来た。眼をあけている伸子をみると、
「めがさめた?」
素子が強いてふだんの調子をたもとうとしている言いかたでベッドに近づいて来た。
「大分眠ったから、もう大丈夫さ。――気分ましだろう?」
「ありがとう」
「ともかく電報をうっといたから……」
伸子の感情を刺戟しまいとして素子は事務的な方面からばかり話した。
「ぶこちゃんは帰らないということと、お
「それでいいわ。ありがとう」
次の日、素子に扶けられて、伸子はアベードの時だけ食堂へ下りた。食後、テーブルについていた人々が、一人一人伸子に握手して悔みをのべた。ロシアの人としては小柄で、頭のはげているヴェルデル博士は、彼の真面目な、こころよい黒い瞳でじっと伸子の蒼ざめている顔を見ながら、
「あなたが勇気を失わずに居られることは結構です。あなたはまだお若い。生きぬけられます」
信頼をこめてそう云って、執ったままいる伸子の手の甲を励ますようにねんごろにたたいた。
「ありがとう」
泣きださないで礼をいうのが伸子にやっとだった。ヴェルデル博士のやりかたは、あんまり父そっくりだった。泰造も、伸子の手をとることが出来たら、きっとそうして伸子と自分をはげましただろう。
やがて、伸子は、食事のたびに食堂へ出るようになった。けれども、伸子の状態は、重い病気からやっと恢復しかかっているひとに似ていた。まだごくひよわいところのある恢復期の病人が、微かなすき間や気温のちがいに過敏すぎるとおり、伸子は人々の間に交って食卓に向っているようなとき、何か自分でさえわからないきっかけで、不意に「八月一日」とはっきり思うことがあった。するとたちまち悲哀のさむけが伸子の全身を
喪服をつけるというようなことを思いつきもしなかった伸子は、相かわらず白麻のブラウスにジャンパア・スカートのなりで、素子の腕につかまりながら、ほとんど一日じゅう戸外で暮した。結局たれ一人、保が生きられるようにはしてやれなかった。この自責が伸子をじっとさせておかないのだった。ひとはてんでに、生きるようにして生きている。そのひとのなかに、兄の和一郎も姉の伸子も、父母さえもおいて保は一人感じつめたのだと思うと、伸子の唇は乾いた啜り泣きでふるえた。
伸子は、保の勉強部屋の入口の鴨居に貼られているメディテーションという小紙に、あんなに拘泥していた。いつだってそれを気にしていた。だけれども、それだからと云って自分がソヴェトへ来ることをやめようとはしなかった。自分の生きることが先だった。デーツコエ・セローの大公園の人目から遠い池の上に架かった木橋の欄干にもたれて、そこに浮いている白い睡蓮の花を見ながら伸子は考え沈んでいた。
保は、おそらく、あんなに執拗に追求していた絶対の正しさ、絶対の善という固定したものを現実の生活の中に発見できない自分と和解できなくて、死んでしまったのだろう。保が恋愛から死んだとは伸子にどうしても思えなかった。伸子がそう感じていたくらいだから、保の同級生はどんなにか佐々保を、家庭にくっついた息子だと思っていたことだろう。母の云うことにはがゆいばかり従順だった保が、母の情愛の限界も知って、死んだ。そのことも伸子のこころをひきむしった。越智がまだしげしげ動坂の家へ来て母が客間に永い間とじこもっているような頃、保が、伸子に向って、越智さんが来るとお母様どうしてお
相川良之介のように複雑な生活の経験がなく、また性格的に相川良之介のように俊敏でない保に、生きるに生きかねる漠然たる不安というようなものがあったとは伸子に思いかねた。二十一歳の保は、一本気に自分流の観念に導かれて、その生きかたを主張する方法として死ぬことを選んだのだったろう。いずれにしろ、保はもう生きていない。生きて、いない――何という空虚感だろう。その空虚の感じは伸子の吸う息と一緒に体じゅうにしみわたった。そして保がもういないという空虚感には、九つ年上の姉の伸子が、保というものを通じて、漠然と自分よりも年のすくない新鮮な男たちにつないでいたいのちの断絶も加わっていた。兄とはちがう姉の女の心が、三十歳の予感にみたされた感覚で、弟の大人づいてゆく肉体と精神に関心をよせていた思いの内には、そのこころもちをとらえて名づけようとするともう消えて跡ないようなにおやかさもあった。
落胆のなかをさまようように、伸子はデーツコエ・セローの森のなかを歩きまわった。伸子のかたわらにはいつも素子がついていた。伸子の悲しみの深さで、日頃はちらかりがちな自分の感情をしんみりと集中させた素子が、伸子と一つの体になったような忠実さで、ついていた。伸子は折々びっくりして気づくのだった。こんなに素子がしてくれるのに、何時間も口をきかずにいて、ほんとにすまなかった、と。
「ごめんなさい――心配かけて」
伸子は、心からそう言って素子の腕を自分のわきへおしつけた。
「いい。いい。ぶこ。よけいなことに気をつかうもんじゃない」
「だって……いまになおるからね」
「――いいったら!」
しかし、しばらく歩いているうちに、伸子はまた素子のいることを忘れ、しかも伸子は素子の腕につかまって、やっと森かげの小みちを歩きつづけることができるのだった。
日曜日になると、朝早いうちからいつものようにデーツコエ・セローの停車場へはき出された青年男女の見学団が、ぞろぞろとパンシオン・ソモロフのヴェランダの前の通りを通って行った。終日浮々したガルモーシュカの響がきこえ、笑い声や仲間を呼んで叫ぶ声々が大公園にこだました。伸子はそういう日は公園へ出てゆかず、パンシオンの古いヴェランダにいた。そして、自分をみたしている悲しさと全くあべこべでありながら、不思議な慰めの感じられるよろこばしげなざわめきに耳を傾けた。
伸子がいるパンシオン・ソモロフのヴェランダから、ひろい通りをへだてた向い側に、大公園のわきの入口の一つが見えていた。楓の枝が房々としげった低い鉄柵のところに、桃色と赤とに塗りわけられたアイスクリーム屋が出ている。日曜日にだけ商売する
ヴェランダから見ていると、そのあたりの光景は絶えず動いていて、淡泊で、日曜日の森に集っている健康さそのもののとおりに単純だった。雰囲気にはかわゆさがあった。その雰囲気に誘いこまれ、心をまかせていた伸子は、やがて蒼ざめ、痛さにたえがたいところがあるように椅子の上で胸をおさえた。伸子は思い出したのだった。保の笑っていたときの様子を。愉快なとき保は両手で膝をたたいて大笑いした。にこ毛のかげのある上唇の下から、きっちりつまって生えている真白い歯が輝やいて、しんからおかしそうに笑っていた保。――その保は死んだ。もういない。
ヴェランダから見ている伸子の視界に出て来たり、見えなくなったりしている若ものたちは大抵、十七八から二十ぐらいの青年や娘たちだった。この若い人たちの生は、何とその人たちに確認されているだろう。
伸子は公園のぐるりの光景から目をはなすことができずに、そのヴェランダの椅子にかけていた。そこに動いている若さには若い人たちの生きている社会そのものの若さが底潮のように渦巻いているのが感じられて、デーツコエ・セローの日曜日は、たのしげなガルモーシュカの音を近く遠く吹きよこす風にも、保が偲ばれた。
動坂の家のひとたちは、伸子と保とがどんなに一枚の楯の裏と表のようなこころの繋りをもって生きていたものであったかということについて、考えてみようともしていないであろう。或は多計代だけは考えているかもしれない。伸子のような姉がいるから、保はなお更思いつめずにはいられなかったのだ、と。誰か人があって、伸子に向い、同じことを言ってなじったとしたら、伸子はひとこともそれについて弁明しようと思わなかった。たしかにそれも事実の一つであろう。だけれども、それだけが現実のすべてだろうか。伸子が保に影響したというよりも、伸子は伸子らしく、それに対して保は保らしく反応せずにいられない今という時代の激しい動きがあるのだ。たとえば三・一五とよばれる事件で大学生が多数検挙されている。生れながらの調停派とあだ名されながらその恥辱の意味さえ彼の実感にはのみこめないような保が、保なりに、保流に、それについていろいろ考えなかったとどうして言えよう。保は、その一つのことについてさえも彼らしく各種の矛盾を発見し、そこに絶対の正しさをとらえられない自分を感じたことであろう。動坂の人々の生活の気風は、一定の経済的安定の上に流れ漂って、泰造にしろ、或る朝新聞をひろげてその報道に三・一五事件をよむと、そのときの短兵急な反応でその記事に赤インクのかぎをかけ、伸子へ送らせたりするけれども、つまりはそれなりで日が過ぎて行った。
八ガツ一ヒタモツドゾウチカシツニテシスという電文をよんで気を失いかけながら、伸子がくりかえして、よくって? わたしは帰ったりしないことよ。よくって? とうわごとのように念を押した。それは伸子が自覚しているよりも深い本心の溢れだった。伸子という姉のいるせいで、保が一層保らしく生きそして死んだとしても、伸子は、その生と死においてやっぱり密着しつづけている彼と自分とを感じた。その保の死を負った伸子の生の感覚は動坂の誰にもわからないものであることを伸子は感じ、伸子に、いま在る自分の生の位置からずることをがえんじさせないのだった。
その日曜日も、午後おそくなるとデーツコエ・セローの森じゅうにちらばっていた見学団が、再びそれぞれの列にまとめられた。誰も彼も朝来たときよりは日にやけ、着くずれ、一日じゅうたゆまず鳴っていたガルモーシュカの
「おくやみを申します」
と言った。
「弟さんが死なれましたそうで――おおかた学生さんだったんでしょうね」
もう四十をいくつか越しているらしいダーシャは重いため息をした。
「もとは、こっちでもちょくちょくそういうことがあったものです。神よ、彼の平安とともにあれ」
ダーシャは祈祷の文句をとなえて胸の上に十字を切った。
もとは、こっちでもちょくちょくそういうことがあったもんですというダーシャの言葉と、学生さんだったんでしょうね、と疑う余地ないように言ったダーシャの感じとりかたが、伸子の感銘にきざまれた。もとはちょいちょい自殺するものがあって、その多くは学生たちだった頃のロシアの生活。ダーシャはその生活を生きて来た。そしていまデーツコエ・セローの歩道で、足もとから埃を立てながらぞろぞろ歩いてゆく若い男女見学団を見物している。それは日曜の平凡な街の風景にすぎなかった。けれども、その平凡さのうちには、伸子の悲しみに均衡する新しい日常性がくりひろげられている。
もう十日ばかりで伸子と素子とがパンシオン・ソモロフをひきあげようとしていた九月はじめ、伸子は東京からの電報以来、はじめての手紙をうけとった。丈夫な
伸子は手紙をうけとると、素子と一緒に室にとじこもった。封筒を鋏できった。パリッとした白い紙に昭和三年八月十五日。東京。父より。伸子どの。と二行にかかれていた。わが家庭の不幸がありてのちいまだ日も浅く、母の涙もかわかざるとき、父としてこの手紙を書くことは、苦痛この上ありません。しかし、伸子も一人異国の空にてどのように歎いているであろうかと推察し、勇を鼓して、保死去の前後の事情を詳細に知らせることにした。泰造は、伸子が見馴れている万年筆の字でそう書いている。その万年筆は、ペン先がどうしたはずみか妙にねじれてしまっていたが、泰造はそれでもほかのよりは書きいいと云って、ねじれたペンを裏がえしにつかって書いていた。動坂の家庭生活のこまごました癖やそのちらかり工合までを伸子に思いおこさせずにおかない父の筆蹟は、肉体的な実感で伸子をつかんだ。
今年も七月早々母は持病の糖尿病によるあせもの悪化をおそれて、例の如く桜山へつや子とともに避暑し、動坂の家にのこりたるは保、和一郎と余のみ。保は、二十日間のドイツ語講習会を無事終了。その二三日来特に暑気甚しく、三十一日の夜は和一郎、保、余三人、保の講習会を終った慰労をかねてホテルの屋上にて食事、映画を見物して帰った。その夜も保は映画の喜劇に大笑いし極めて愉快そうに見えた。
三十一日はそうして過ぎ、泰造の手紙によると八月一日は、平常どおり泰造は朝から事務所へ、和一郎は友人のところへそれぞれ出かけた。父も和一郎も夕飯にかえって来たが、めずらしいことに保がうちにいなかった。女中にきくと、おひる前ごろ、保が筒袖の白絣に黒いメリンスの
いつも几帳面に自分の出るとき帰る時間を言いおく保が、その晩はとうとう帰宅しなかった。八月二日になった。父は事務所に出勤。和一郎は在宅して、保が帰るのを心待ちしたが、その日の夕刻になっても保は帰って来ない。父が事務所から帰ったときは、和一郎が何となし不安になって、日頃保が親しくしていた二三人の友達の家へ電話をかけたところだった。保はどこへも行っていなかった。きのう来たというところもなかった。まして、家へ泊ったという返事をした友人はなかった。われらの不安は極度に高まり、二日夜は深更に到るまで和一郎と協議し、家じゅうを隈なく捜索せり。
よみ終った頁を一枚ずつ素子にわたしながらそこまでよみ進んだ伸子は、鳥肌だった。和一郎とつれだった泰造が、平常は活動的な生活のいそがしさから忘れている家のなかの隅々や、庭の茂みの中に保をさがすこころの内はどんなだったろう。伸子は、白い紙の上にかかれている文字の一つ一つを、父の苦渋の一滴一滴と思った。
三日の早朝、和一郎が念のためにもう一度土蔵をしらべた。そして、はじめて、土蔵の金網が切られていることを発見した。母の留守中土蔵の鍵は余の保管にあり。くぐりにつけられている錠はおろされたままで、くぐりごと土蔵の大戸を開けることの出来る場所の金網がきられ、それが外部からは見わけられないように綿密につくろわれていることがわかった。父と和一郎が土蔵へ入った。入ったばかりの板の間に、猛毒アリ、と保の大きい字で注意書した紙がおかれていた。地下室へ降りるあげぶたが密閉されている。そこにも猛毒アリ危険 と警告した紙があった。
保はかくの如く細心に己れの最期のあとまでも家人の安全を考慮し居たるなり。その心を思いやれば涙を禁じ得ず。動坂の家へ出入りしている遠縁の青年がよばれた。父と和一郎とは土蔵の地下室のガラスをそとからこわして、僅かなそのすき間から二つの扇風機で地下室の空気の交換をはじめた。土蔵の地下室の窓は、東と西とに二つあったが、どっちも半分地面に出ているだけだった。一刻も早く換気せんとすれども、折からの雨にて余の手にある扇風機は間もなく故障をおこし、操作は遅々としてすすまず。――涙があふれて伸子は字が見えなくなった。幾度も幾度もくりかえして伸子はそのくだりをよんだ。父の涙とまじって降る雨のしぶきが顔をぬらすようだった。
動坂の家でそういう切ない作業がつづけられている間に、よばれた遠縁の青年が、福島県の桜山の家へ避暑している多計代の許へやられた。多計代をおどろかさないために、とりあえず、保さんはこちらに来ていませんか、とたずねて。
つづけてその先へよみすすんで、伸子は涙もかわきあがった両眼をひきつったように見開いた。手紙をもっていた手が膝の上におちた。やがてまたそれを目に近よせて熱心によみ直した。保は三月の下旬に一度死のうとしたことがあって、さいわいそのときは未然に発見されたと泰造は書いているのだった。三月下旬のある晩、まだ高校が春休み中だった保もまじえて、みんなが賑やかに夜をふかし、保だけをのこして、両親は二階の寝室へあがった。寝ついてしばらくたったとき、泰造はふと、いつも眼鏡、いれ歯、財布、時計などを入れて枕もとにおく小物入れの箱を食堂へおきっぱなしにして来たのを思い出した。泰造が階下へおりて食堂へ行こうとすると、真暗な廊下にひどくガスのにおいがした。廊下をはさんで食堂と向い合いに洋風の客間があって、そこにガスストーブがおかれている。泰造はそれを思いだしてスウィッチをきって、客間の電燈をつけた。そして、内から鍵をかけたその室にガスの栓をあけ放して保が長椅子の上に横になっているのが見つけられた。保は廊下に面した小窓が外からあくのを忘れていたのだった。その夜は母も保も共に泣き、余も思わずもらい泣きをした。こういうことがあったから、東京から行った若いものが多計代に、保さんはこっちへ来ていませんか、ときけば、それで十分母の多計代にとって保の身に何事かあったという暗示になる。そのいきさつの説明として泰造は伸子への手紙に書いているのだった。
なんということだったろう。そんなことがあったのに、長い夏休みじゅう、留守で、がらんとした、男と女中ばかりの動坂の家へ保を一人おいておくなんて。伸子には、そんなうかつさを信じられなかった。三月に、死のうとした保が見つかったとき、母も保も共に泣き、余も思わずもらい泣きをしたと泰造は書いている。それきりで、泰造や多計代が、どんなにして死のうとして失敗した息子の保をなぐさめ、愧しさから救い、生きる方向へはげましたかということについては、書かれていない。多計代は、そのとき保とともに心ゆくばかり泣いて、死のうとした保の純情に感動して、それで自分としてはすんだように思ってしまっていたのではなかろうか。さもなくて、どうして、夏、がらんとした動坂の家へ保をおいて自分たちだけ田舎へ行ってしまう気になれたろう。伸子は、くちおしさに堪えなくて、自分の
去年の夏、相川良之介が死んだとき発表された遺書を、もちろん保も読んだだろう。その遺書の中に、生きるためだけに生きるみじめさ、と書かれた観念は、全く同じ内容ではないにしろ、保の日頃の考えかたと符合していた。あのとき、伸子はそのことを考えて不安だった。相川良之介の葬儀のかえり動坂へよったら、保が、涼しいからと云って土蔵の地下室を勉強部屋にしていた。そのことも、不吉感として迫った。その不吉感がつよいだけに却って伸子はこわくてそれを母にも素子にも云えなかった。きょうとなってみれば、予感にみたされていたのは一番自分だった。伸子は自分にさしつけられた事実としてそれを認めた。だのに、自分はつまるところ保のために何もしなかった。自分はソヴェトへ来てしまった。――自分が生きるために。
自分の悲しみに鞭をあて、感傷の皮をひっぺがそうとするように、伸子はきびしく先をよんで行った。父の手紙には、悲歎にくれる多計代の姿はひとつも語られていなかった。桜山へ行った青年から保が来ていないかときかれて、あることを直覚した母は、つづけて届いた保キトク、保シキョの電報を、むしろ落付いてうけとった。母は急遽つや子同伴、桜山より帰京した。その夜は、清浄無垢な保に対面するには心の準備がいるとて一夜を寝室にこもり、翌朝はやく紋服に着かえ、保の
伸子はそのくだりをよんで恐ろしいような気がした。多計代の悲しみかたは、泰造や伸子のむきだしのおどろきや涙と何とちがっているだろう。死んだ保を崇高なものとして、保のその心は自分にだけわかっていたというように、とりみださなかった母としての多計代の態度は伸子を恐怖させた。多計代が悲歎にとりみださなかったということは、伸子に、口に言えない疑惑をもたせた。多計代は、いつか保が生きていなくなることをひそかに覚悟していたとでもいうのだろうか。その覚悟をもちながら、暑くて寂しい八月の日に保を一人にしておいたとでもいうのだろうか。清浄無垢な保にふさわしい母として荘重にふるまおうとしている多計代のとりなしは、父の手紙をとおして伸子に胸のわるくなるような母の自己満足を感じさせた。かあいそうな保を抱きとって死ぬまで生きた心を
手紙の最後に、泰造は、伸子が帰朝しないと電報したことに対して意見をかいていた。寂寥とみに加わったわが家に、溌剌たる伸子の居らざることはたえがたいが、考えてみれば、伸子の判断にも一理ありと信じる。たとえ伸子がいま帰朝したにせよ、すでに逝いた保の命はよみがえらすに由ない。おそらくは保も、姉が元気に研究をつづけることを希望しているだろう。われら老夫妻も保とともにそれを希望するこころもちになって来た。何よりも健康に注意して暮すように。泰造は、はじめて自分たちを、われら老夫妻とかいている。最後の白い書簡箋を素子にわたして、伸子は両手で顔をおおった。
伸子は、思いにとらわれた心でパンシオン・ソモロフの食卓につらなっていた。妙に長くて人目立つ鼻にお白粉を塗って、白ヴォイルのブラウスの胸に造花の飾りをつけたエレーナ・ニコライエヴナが、小さくて黒く光る眼をせわしく動かしながら耳だつ声でトルストイが最後に家出した気持は理解できるとか出来ないとか盛に喋っている。あの雨の日のヴェランダで伸子の手をつかんで蝙蝠の羽ばたきのようにマズルカをおどった老嬢エレーナは、彼女の休暇を終って美術館の仕事に戻って行った。新しく来たエレーナ・ニコライエヴナは、レーニングラードのどこかの映画館でプログラム売りをしていた。三十三四になっている彼女は、自分からそのいかがわしい職業を披露した。彼女の出生がいいためにソヴェト社会ではそんな半端な職業しか許されない、と軽蔑をこめた註釈を添えて。
香水をにおわせているエレーナ・ニコライエヴナとトルストイ論の相手をしているのはリザ・フョードロヴナの
「トルストイが家庭に対してもっていたこころもちは私にはわかりますね。――理解のふかいあなたに、彼の心がわからないというわけはないと思います」
「まあ」
エレーナ・ニコライエヴナは、自然にうけとれない亢奮をかくした笑顔で、
「でもそれは良人として、父親として家庭への義務を忘れたことですわ。ねえ、リザ・フョードロヴナ」
と、いきなりテーブル越しに、伸子のわきにいる技師の細君に話しかけた。
「――トルストイの場合として、わたしは理解されると思いますよ」
リザ・フョードロヴナはおだやかにフォークを動かしながらいつものしっとりとした声で、エレーナ・ニコライエヴナを見ないで答えている。そこには何か感じられる雰囲気があるのであった。
伸子は、その雰囲気を感じながら同時に自分自身の思いに沈んだ。保の死んだ前後のいきさつをこまかく書いた泰造からの手紙をよんでから、伸子にはあのことも、このこともと思いあたることばかりだった。
駒沢の家をたたんで、荷物を動坂へはこびこんだとき、伸子は本の入った一つの行李だけ別にして保に保管をたのんだ。その行李の中には、もしかしたらモスクへおくってほしくなるかもしれないと思う本ばかりをひとまとめにしてあった。伸子がそのことをたのんだとき、保はなぜか、すぐああいい、と言わなかった。ちょっとの間だまっていた。それをけげんに感じた伸子が重ねて、ね、たのむわ、いいでしょう、と念をおしたとき保は、ともかくわかるようにしておく、と言った。
「僕がいなくてもちゃんとわかるようにしておくから姉さん安心していい」
保のその言葉は、ひと息に云われて、何ということなく伸子の印象にのこった。今になって思いおこすと、保の心にはもうそのとき、自分がいつまでも生きているとは思えない計画が浮んでいたのだったろう。伸子が動坂の家へ荷物を運びこんだのは十月のはじめだった。二ヵ月前新聞に出た相川良之介の遺書は、保に長い計画的な死の準備を暗示しなかったとは、伸子に考えられなくなった。相川良之介の遺書には、三年来、死ぬことばかり考え、そのために研究して来た、とかかれていた。保は三月下旬に、第一回を試みて、失敗した。十月ごろからほぼ半年たっている。八月一日といえばその三月からまた半年ちかい時間があった。その間に、保は、大学へ入るときどの科を選ぼうかと伸子に手紙をよこし、六月にはあんなに元気そうに、今年の夏休みは大いに自転車ものりまわし愉快にやってみるつもりです、といってよこした。伸子は、自分がどんなに単純にそのハガキをよんで安心していたかということが今やっとわかるようだった。愉快にやってみるつもりです、という表現に気をつけてよめば、それは、きわめて陰翳にとんでいるわけだった。愉快にやってみるつもり、という言葉のかげには、愉快になれない現在を一飛躍して見よう、という努力の意味がこもっている。しかも、愉快にやってみるつもりだが、それがうまく行かなければ、と、保の内心には、執拗な死の観念と生への誘いのかね合いが感じられていたのだったろう。伸子は、そんなことすべてに気がつかなかった。気がつかなかったということから、伸子は保に対する自分の情のうすさを責められた。
一月に、温室について保へ書いた伸子の手紙に対して多計代が怒り、伸子をののしった手紙をよこした。それぎり多計代と伸子との間に直接のたよりは絶えてしまっているのだったが、そのわけも、間に三月の保のことがあったとわかれば、おのずからまた別の角度で伸子に思いあたるふしもある。父の手紙によれば、三月の夜のガスのことは、家族のあらゆる人から完全に秘密にされていた。知っているのは保と父と母のみである、とかかれていた。多計代は、この秘密を伸子にたいして絶対に守ろうとしたにちがいなかった。多計代にとっては神聖この上ない保の秘密を、破壊的だと思われている伸子、物質的だと考える伸子には決してふれさせまいときめたのだろう。そのために一層手紙もかかなくなったと思える。
伸子は、もっとつよくも想像した。多計代はもしかしたら、三月の夜保のしたことに、姉の伸子の冷酷な手紙が原因しているとさえ思っているかもしれなかった。保は、そんな風にはうけていなかった。雪のつもった大使館の外庭の菩提樹の下でよんだ保からのハガキを伸子はまざまざと思い浮べることができた。姉さんが遠い外国に生活しているのに、こんなに僕のことを考えていてくれたのに僕はびっくりした。そこには、保の柔かな心情が溢れていた。保が高校入学祝にこしらえて貰ったという温室の一つで、金がなくって困っている高校生の一年分の月謝が出たかもしれないと伸子が言ってやったことについて、保は率直に、僕はまるでそんな風には考えてみなかったといってよこした。僕はそれをたいへん恥しいことだと思う。その一句のよこには特別な線がひいてあった。あのハガキをよんだとき、伸子はそういう保の心をどんなに近く自分の胸に抱きしめただろう。かわゆい保。――新しい悲しさで茶のコップをとりあげた伸子の喉がつまった。
そのとき、テーブルの向い側からエレーナ・ニコライエヴナが、さっきからの話のつづきで、変に上気した顔つきをしながら伸子に向って、
「あなたは小説をおかきになるんですってね。婦人の作家としてトルストイのこの問題をどうお考えです?」
と話しかけた。伸子はエレーナ・ニコライエヴナの人がらにも話ぶりにも、どちらにも好感がもてなかった。エレーナ・ニコライエヴナは食卓の礼儀とすれすれなところで、赧ら顔の頬から顎にかけて剃りあとの濃い、口元にしまりなくて羽ぶりのいい技師とトルストイをたねにいちゃついているだけのことだった。伸子は、ロシア語のよく話せないのを幸い、喉にこみあげている悲しみのかたまりをやっとのみこんで、
「リザ・フョードロヴナが、正確にお答えになったと思います」
と短く返事した。
伸子が夜となく昼となく自分の悲しみをかみくだき、水気の多い歎きの底から次第に渋い永続的な苦しさをかみだしている間に、パンシオン・ソモロフの朝夕はエレーナ・ニコライエヴナが来てから変りはじめた奇妙な調子で進行していた。
食卓でトルストイの家出の話が、何かひっかかる言葉の綾をひそめて話題になってから程ない或る午後のことだった。ヴェルデル博士、伸子、素子の三人で、二マイルばかりはなれた野原の中にたっている古い教会の壁画を見に行った。附近の村からはなれて、灌木のしげみにかこまれた小さい空地にある淋しい廃寺で、ビザンチン風のモザイクの壁画が有名だった。そこを出てぶらぶら来たら、思いがけず正面の茂みの間をエレーナ・ニコライエヴナと技師とがつれ立って歩いているのにぶつかった。双方ともにかわしようのない一本の道の上にヴェルデル博士と伸子たちとを見て、エレーナと技師は組んでいた互の腕をはなしたところらしかった。そのままの距離で二人は二三歩あるいて来ると、派手な水色で胸あきのひろい服をつけたエレーナ・ニコライエヴナがわざとらしくはしゃいだ調子で、
「まあ思いがけないですこと!」
と、明らかにヴェルデル博士だけを眼中において近づいて来た。
「お邪魔いたしましたわね」
ヴェルデル博士は、黒いソフトのふちへちょっと手をふれて、技師へ目礼し、いつものおだやかで真面目な口調に苦笑しながら云った。
「誰が誰の邪魔をしたのか、私にはわかりかねますな」
伸子たち三人はそのまま帰り道へ出てしまった。その間技師は少し顔をあからめたまま、ひとことも口をきかなかった。
「男の方があわてたのさ。エレーナなんか、どうせ出張さきのひと稼ぎの気でいやがるんだ」
二人きりになると、素子は憤慨して云った。
「あんまり人を馬鹿にしているじゃないか、あんな感じのいいちゃんとした細君をわきへおいときながら、その鼻っさきで――甘助技師奴」
夜のお茶にパンシオン・ソモロフの人々がみんなテーブルについたとき、素子がとなりのリザ・フョードロヴナに、誰でもする会話の調子で、
「きょう散歩なさいましたか」
ときいた。
「いいえ」
暗色のロシア風な顔の上ですこし眉をあげるようにして、リザ・フョードロヴナは若くない女のふっくりした声で答えた。
「わたしは部屋に居ました――本をよんで」
「それは残念でしたこと。わたしたちは、あなたの旦那様とエレーナ・ニコライエヴナが散歩していらっしゃるのにお会いしましたよ、あの原っぱの古いお寺で。――」
わきできいていて、伸子はきまりわるい心持がした。素子は、リザ・フョードロヴナに感じている好意から技師とエレーナに反撥してそんな風に話しはじめたにちがいないのだ。でも、それはおせっかいで、誰にいい感じを与えることでもなかった。伸子は、そっと素子をつついた。すると素子は、伸子のその合図を無視する証拠のように、こんどはエレーナ・ニコライエヴナに向ってテーブルごしに話しかけた。
「エレーナ・ニコライエヴナ、散歩はいかがでした? あなたが、古い壁画にそれほど興味をおもちなさるとは思いがけませんでしたよ」
エレーナ・ニコライエヴナは素子がリザ・フョードロヴナに話しかけたときから、歴史教授のリジンスキーといやに熱中して、デーツコエ・セローでは有名なその寺の由緒について喋りはじめていた。自分に話しかけられると、彼女は軽蔑しきった視線をちらりと素子になげて、技師の細君に向って云った。
「ほんとにきょうは偶然御一緒に散歩できて愉快でしたわ。ねえリザ・フョードロヴナ、ぜひ近いうちに皆さんともう一度、あの寺を見に参りましょうよ、リジンスキー教授に説明して頂きながら……」
素子は、そんなことがあってから益々エレーナと技師の行動にかんを立てた。ゆうべ、廊下で二人が接吻してるのを見かけた、ということもあった。伸子は苦しそうな顔つきになって、
「いいじゃないの。放っておおきなさいよ。おこるなら奥さんが怒ればいいんだもの」
と云った。
「エレーナはおもしろがっていてよ。あの
「チェッ! だれが!」
素子は顔をよこに向けてタバコの煙をふっとはいた。
「あんまり細君をなめてるから癪にさわるんじゃないか」
正義感から神経質になっている自分を理解していない。そう云って素子は伸子をにらんだ。
耳にきこえ、目にも見える夏のパンシオンらしい些細な醜聞に、伸子は半分も心にとめていなかった。保が死んで日がたつにつれ、動坂の家というものが、いよいよ伸子にとって遠くのものになって行った。自分もそのなかで育ったという事実をこめて。保の死は、動坂の家がどんなに変質してい、また崩壊しつつあるかという現実を伸子につきつけて思いしらした。
ひとりでじっとしていると、伸子の心にはくずれてゆく動坂の家の思いが執拗に湧いた。パンシオン・ソモロフのヴェランダの手摺に両方の腕をさしかわしてのせ、その上へ顎をのせ、伸子が目をやっているデーツコエ・セローの大公園の森はもうほとんど暗かった。黒い森の上に青エナメルでもかけたような光沢をもってくれのこった夕空が憂鬱に美しく輝いている。伸子の心の中に奇妙なあらそいがあった。心の中で、又しても動坂の家がそのなかへ佐々伸子の半生をこめて、あっちへ、あっちへと遠ざかって行っていた。動坂の家といっしょに伸子の体からはなれて漂い去っていく伸子は、佐々伸子からひきちぎられたうしろ半分であった。目鼻のついた顔ののこり半面は前を向いて、今いるここのところにしがみついて決してそこから離れまいとしている。動坂の家というものが遠くになればなるほど、伸子が自分の片身で固執している今この場所の感覚がつよまって、伸子はいつの間にか素子がわきに来たのにも気がつかなかった。エレーナの室からこそこそと技師が出て来たところを見たと素子は云っている。それがどうだというのだろう。自分がどうなっているからというのでなく、やがて自分がどうなるだろうからというためでなく、死んだ保につきやられて遠のくこれまでの家と自分の半生に対して、伸子は自分の顔が向っている今の、ここに、力のかぎりしがみついているのだった。いまは全く伸子の生のなかにうけいれられている保を心の底に抱きながら。
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その年の夏の終り近くなってから伸子と素子とはニージュニ・ノヴゴロドからスターリングラードまでヴォルガ河を下った。ドン・バスの炭坑を見学したり、アゾフ海に面したタガンローグの町でチェホフがそこで生れて育ったつましい家などを見物して、二人がモスクへ帰って来たのは十月であった。
モスクには秋の雨が降りはじめていて、並木道の上に落ち散った黄色い葉を、日に幾度も
旅行からかえった伸子たちは一時またパッサージ・ホテルに部屋をとって暮していた。日本から左団次が歌舞伎をつれてモスクとレーニングラードへ来るという話が確定した。シーズンのはじめに日本の歌舞伎がロシアへ来て、二つの都で忠臣蔵と所作ごととを組合わせたプログラムで公演するという評判は、モスクにいる日本人のすべてにとって一つのできごとであった。ヴ・オ・ク・スと日本大使館とがこの歌舞伎招待の直接の世話役であったから、伸子と素子とは何かの用事でどっちへ行っても、必ず一度はモスクへ来る歌舞伎の話題にであった。浮世絵などをとおして、日本のカブキに異国情緒の興味を抱いているヴ・オ・ク・スの人々の単純な期待にくらべると、日本の人たちがモスクへ来る歌舞伎について話すときは、深い期待といくらかの不安がつきまとった。歌舞伎が日本特有の演劇だとは云っても、モスクへ来ている人たちのなかで、ほんとに歌舞伎についていくらかつっこんで知っているのはほんのわずかの男女であった。日本にいたときだって、歌舞伎などをたびたび見ることもなく暮していた人々が、うろ覚えの印象をたぐりながら、モスクへ来るからには歌舞伎はどうしてもソヴェトの市民たちに感銘を与えるだけ美しくて立派でなくては困るような感情で噂するのだった。
芝居ずきで、歌舞伎のこともわりあいよく知っている素子は、
「歌舞伎の花道のつかいかた一つだって、ソヴェトの連中は、無駄に観やしませんよ。舞台を観客のなかへのばす、ということについて、メイエルホリドにしろ随分工夫してはいますけれどね、歌舞伎の花道の大胆な単純さには、きっとびっくりするから」
社会主義の国の雰囲気の中で古風な日本の歌舞伎を見るということに新しい刺戟を期待して、素子は熱心だった。
「ただ解説が問題だよ、よっぽど親切な解説がなけりゃ、組合の人たちなんかにわかりっこありゃしない」
モスクの主な劇場は、シーズンをとおして一定数の入場券をいろいろな労働組合へ無料でわりあてるのだった。
歌舞伎が来れば、どうせまたレーニングラードへも行くのだからと、旅のつづきのようにホテル住居している気分のなかで、伸子は言葉すくなに人々の話をきき、話している人々の顔を眺めた。
八月のはじめデーツコエ・セローのパンシオン・ソモロフで、保が死んだ知らせをうけとってから、伸子はすこし変った。いくらか女らしい軽薄さも加っている生れつきの明るさ。疑りっぽくなさ。美味いものを食べることもすきだし知識欲もさかんだという気質のままにソヴェトの九ヵ月を生活して来ていた伸子は、自分が新しいものにふれて生きている感覚で楽天的になっていた。どこかでひどくちがったものだった。ソヴェトの社会の動きの真面目さから自分の空虚さがぴしりと思いしらされる時でも、その痛さはそんなに容赦ない痛さを自分に感じさせるという点でやっぱり爽快であった。
保が死に、その打撃から一応快復したとき、伸子と伸子がそこに暮しているソヴェトとの関係は伸子の感じでこれまでとちがったものになっていた。保は死んでしまった。伸子はこれまでのきずなの一切からはたき出されたと自分で感じた。はたきだされた伸子は、小さい堅いくさびがとび出した勢で壁につきささりでもするようにいや応ない力で自分という存在をソヴェト社会へうちつけられ、そこにつきささったと感じるのだった。
こんな伸子の生活感情の変化はそとめにはどこにもわからなかったが外界に対して伸子を内気にした。ソヴェト社会につきささった自分という感じは、しきりにモスクへ来る歌舞伎の噂でもちきっている人々の感情とは、どこかでひどくちがったものだった。伸子はそのちがいを自分一人のものとしてつよく感じた。保の死んだ知らせが来たとき、伸子は失神しかけながらしつこく、よくて? わたしは帰ったりしないことよ、よくて? とくりかえした。ソヴェト社会につきささった自分という感じは、この、よくて? 帰ったりはしないことよ、と云った瞬間の伸子の心に通じるものであった。同時に、パンシオン・ソモロフの古びた露台の手摺へふさって、すべての過去が自分の体ぐるみ、うしろへうしろへと遠のいてゆくようなせつな、絶壁にとりついてのこっている顔の前面だけは、どんなことがあってもしがみついているその場所からはがれないと感じた、あの異様な夏の夕暮の実感に通じるものでもあった。
伸子は素子と自分との間に生れた新しいこころもちの距離を発見した。保の死から伸子のうけた衝撃の大きいのを見て、ヴォルガ下りの遊覧やドン・バスの炭坑でシキへ入るような見学を計画したのは素子であった。それはみんな伸子を生活の興味へひき戻そうとする素子の心づかいだった。そうして生活へ戻ったとき、伸子はソヴェト社会と自分との関係が、心の中でこれまでとちがったものになったのを自覚した。素子は、もとのままの位置づけでのこった。この間までの伸子がそうであったように、素子は自分をソヴェト社会の時々刻々の生活に絡めあわせながらも、一定の距離をおいていて、必要な場合にはどちらも傷つかずにはなれられる関係のままにのこっていた。
自分と素子とのこのちがいは切実に伸子にわかった。そして、伸子はその変化を議論の余地ない事実として素直にうけいれた。弟の保に死なれたのは素子ではなくて伸子であった。その衝撃が深く大きくて、そのためにこれまでの自分の半生がぽっきり折り落されたと感じているのは、伸子であって素子ではなかった。その結果伸子は、ソヴェト社会につきささった自分という不器用で動きのとれないような感じにとらわれ、そのことにむしろきょうの心の手がかりを見出している。その伸子でない素子が、生活を数年このかた継続して来たままのものとして感じており、モスクの生活で蓄積されてゆく知識や見聞をそれなりに意識していることは自然であり、当然でもあった。伸子と素子とはこういう状態で、外国にいる日本人にとってお祭りさわぎめいた出来ごとであったモスクへ来た歌舞伎の
モスクに駐在する日本の外交官たちの生活が、どんな風に営まれているものか伸子たちの立場では全然うかがいしられなかった。いずれにしろ、いわゆる華やかなものでもなければ、闊達自在な動きにみたされたものでもないことは、大使館の夫人たちの雰囲気でもわかった。歌舞伎が来たことは、モスクにいる日本人全体に活気をあたえ、日本の外交官もいまはソヴェトの人々に示すべき何ものかをもち、ともに語るべきものをもったというよろこばしげな風だった。
歌舞伎についていろいろな人がモスクからレーニングラードへゆき、またレーニングラードからモスクへ来た。前後してドイツにいた映画や演劇関係の人たちも数人やって来た。
伸子は、たのまれて映画と演劇という雑誌に鷺娘の解説の文章をかいた。日本語で書いたものをロシア語に翻訳してのせるということだった。どうせ考証ぬきの素人がかくことだからせめて文章そのものから白と黒との幻想に描きだされる鷺娘のファンタジーを読者につたえようと努力した。日本の古典的な舞踊の伝統の中に、さらさらとふりかかる雪と傘とがどんなに詩趣を添える手法として愛されているかということなどもかいた。
「どうせわたしにわかる範囲なんだから単純なことなんですけれどね、一生懸命に書いているうちに、段々妙なきもちになって、こまっちゃった」
そう話している伸子とテーブルをはさんでかけているのはドイツから来ている映画監督の中館公一郎と歌舞伎の一座の中で若手の俳優である長原吉之助、素子、そのほか二三人の人たちだった。場所はボリシャーヤ・モスコウスカヤ・ホテルの部屋だった。中館公一郎があしたソヴ・キノの第一製作所へエイゼンシュタインの仕事ぶりを見学にゆく、伸子たちも一緒にということで、伸子たちはその誘いをよろこんでうち合わせに寄ったのだった。
歌舞伎の俳優たちは左団次を中心に、短い外国滞在の日程を集団的に動いていて、個人的な自由の時間がなかなか見つからないらしかった。その忙しいすきに何かの用で中館のところへ話しに来ていた長原吉之助は、遠慮がちにカフスのかげで腕時計を見ながら、
「いま、佐々さんの云われた妙なきもちっていうの、全く別のことなのかもしれないんですが、わたしはここの舞台の上でちょくちょく感じることがあるんです」
歌舞伎の俳優としては例外なようにざっくばらんな熱っぽい口調で吉之助が云った。
「それ、どんな気持?」
どこまでもくい下ってゆく柔らかな粘着力とつよい神経を感じさせる中館が、それが癖のどこか女っぽい言葉で吉之助にきいた。
「言葉の通じない見物を前へおいての舞台って、そりゃたしかに妙だろうな」
「その点は案外平気なんです。せりふがわからないからかえってたすかるみたいなところがあるんです。こっちは、土台、せりふがわからない見物を芸でひっぱって行く覚悟でやっているんですから」
「それは見ていてわかりますよ」
と素子が、永年芝居を見ているものらしく同感した。
「左団次だって、よっぽどまじめに力を入れてやってますよ。その意味じゃ、ちょいと日本で見られないぐらいの面白さがある」
「文字どおり水をうったようだねえ、ソヴェトの人に面白いんだろうか。こっちの見物には
「そうでしょう? お目こぼしのないのが芸術の本来だって気がするんです。ふっと妙なこころもちがするっていうのもそこなんです。舞台でいっぱいに
吉之助は、青年らしい語気に我からはにかむように、薄く顔をあからめた。
「たしかに歌舞伎は日本独特の演劇にはちがいないんですけれどね――忠臣蔵にしろ、自分でやりながらこの感情がきょうの私たちの感情じゃないって気がつよくするんです」
「そうだわ、わたしが鷺娘の幽艷さを説明しようとして、妙な気もちがしたのもそういうとこだわ」
伸子が賛成した。
「どんなに力こぶを入れて見たって、鷺娘には昔の日本のシムボリズムとファンタジーがあるきりなんですもの……しかもああいう踊りの幻想は、古風なつらあかりの灯の下でだけ生きていたんだわ」
「――桑原、桑原」
中館公一郎がふざけて濃い眉をつりあげながら首をちぢめた。
「吉ちゃんの云っているようなことが
だまって笑っている吉之助に向って素子が、
「あんたがた、モスクへ来る前に一場の訓辞をうけたって、ほんとですか」
ときいた。
「左団次が一同をあつめて、ロシアへは芝居をしに行くんだっていうことを忘れるな、赤くなることは禁物だって云ったって――」
吉之助はあっさり、
「そんなこと云わせるものもあるんですね」
と答えた。
「こんどこっちへ来るについてだって、それだけの人間をひっこぬかれるんならいくらいくらよこせって、会社側じゃ大分ごてたんだっていうじゃありませんか」
素子の話に答えずしばらく黙っていた吉之助は、
「歌舞伎も何とかならなくちゃならない時代になってます。ともかく生きてる人間がきょうの飯をくってやっていることなんですから」
やがて時間がなくなって、長原吉之助はさきに席を立った。
柄の大きい、がっしりした吉之助の背広姿がドアのそとへ消えると、素子は感慨ぶかそうに、
「歌舞伎生えぬきの人がああいう心もちになってるんだものなア」
と云った。
「案外、云わせてみりゃ、ああいうところじゃないんですか」
歌舞伎の伝統的な世界の消息にも通じている中館は、若い俳優たちの動きはじめている心に同感をもっている口調だった。
「なんせ、あの世界はあんまりかたまりすぎちまっていてね。いいかげんあきらめのいいやつでも、こっちへ来て万事のやりかたを見りゃ、目がさめますよ、おいらも人間だったんだってね、同じ役者であってみれば、こういうこともあってよかったんだぐらい、誰だって思ってるでしょう」
レーニングラードのドラマ劇場の楽屋で、鏡に向って顔を作っている左団次のうしろに不機嫌なあおい顔をして、ソファにかけていた左団次の細君の様子を、伸子は思い出した。楽屋のそとの廊下で伸子たちを案内して行った中館が顔みしりの若い俳優に会った。中館が、令夫人もいるかい? ときいたら、半分若侍のこしらえをしたその俳優は、ええ、と答えて、何か
そんな前景をぬけて、楽屋へとおり、
手もちぶさたでぎこちない伸子にひきかえ、黙ってタバコをふかしているそのおちつき工合にも素子は、楽屋馴れしてみえた。
ひいきがいう調子で、素子は中館に、
「吉之助、いくつです?」
ときいた。
「八ぐらいじゃないんですか」
「これからってとこだな」
「――吉ちゃんは、あれで考えてますからね、ここまで出て来たってことだけでも、歌舞伎俳優としちゃ謂わば千載一遇のことなんだから、おめおめかえっちゃいられないって気もあるでしょう」
吉之助のことを云っている中館公一郎の言葉の底に、計らず中館自身の映画監督としての気がまえが感じとられ、わきできいている伸子はひきつけられた。中館公一郎は、日本の映画監督のなかでは最も期待されている一人だった。
「若い連中のなかには、だいぶ千載一遇組がいるらしいですよ。吉ちゃんなんか、この際ベルリンあたりも見ておきたいんじゃないかな」
「そう云うわけだったんですか」
新しい興味で目を大きくした素子は、
「吉之助の今のたちばなら、出来ないこともないんでしょう。――行きゃいいさ」
好意のあらわれた云いかたをした。
吉之助のベルリン行きの希望とその実現計画について話すにつけても、中館公一郎は、歌舞伎が滞在しているという自然な機会のうちにモスクで吸収できるだけの収穫を得ようとする自分の熱心もおさえかねる風だった。あしたのソヴ・キノ見学について、素子とうち合わせた。
「エイゼンシュタインも偉いですよ。そりゃたしかにすごい偉さなんでしょうけれどもね、僕らは製作の実際で、お話にもなんにもならないしがない苦労をさせられているんでね。ソヴ・キノの製作企画や、仕事のしぶりみたいなことも知ってみたいんです」
三人が行ったときエイゼンシュタインは、丁度ソヴ・キノの大きい撮影室で、農民が大勢登場して来る場面を準備しているところだった。舞台は、農民小屋の内部だった。古風な小さい窓の下におかれた箱の上にかけて泣いている婆さんと、そのわきに絶望的にたっている若い女、二人の前でたけりたって
舞台からすこしはなれたところに腰かけているエイゼンシュタインは、映画雑誌などに出ている写真で伸子もなじみのあるくるりとした眼と、ぼってり長い顎の肉あつな精力的な顔だちだった。立って練習を見物している中館や伸子たちに彼は、この三十人ばかりの男女の農民がボログダの田舎から来ているほんとの農民で、カメラというものをはじめて見た連中だと説明した。
「御覧のとおり、彼等に演技はありません。しかし、彼等は生粋の農民の顔と農民の動作と農民の魂をもっているんです。その上に何がいります?」
エイゼンシュタインは『オクチャーブリ』(十月)でも素人の大群集を非常に効果的につかった。
「集団とその意志を、芸術の上にどう生かすか、ということは、ソヴェトの社会が我々に与えた課題なんです。映画はそれに答える多くの可能性をもっています」
そう云って言葉をきり、エイゼンシュタインは同業者である中館公一郎のまじめに口を結んで舞台を見ている顔を仰むいて見るようにしながら、
「もしわれわれに十分の忍耐力と技倆さえあるならば――」
とユーモラスにウィンクした。それがとりもなおさず彼の目下の実感にちがいなかった。
伸子たちがスタディオに入って行ったとき、もう何回めかの、
「一! 二! 三!」
で、戸口からどっと入る稽古をしていた農民たちの六列横隊の動きは、どうしても足なみと速度がばらばらで、スクリーンの上にいっせいに展開し肉迫する圧力を生みださない。運動の密度が農民の感覚に理解されていないことが伸子にも見てとられた。
中館とエイゼンシュタインとが素子を介して話している間、なお二度ばかり同じ合図で同じ失敗をくりかえした演出助手は、首をふってダメをだし、しばらく一人で考えていたが、やがて一本の長い棒を持ってこさせた。農民の群集の最前列の六人が、一本のその棒につかまらせられた。棒の一番はじを握っている奥の一人はそのまま動かず、あとの五人が棒につかまって大いそぎで扇形にひらいてゆく。従って舞台のはじ、カメラに近い側にいる農民ほど早足に大股に殆ど駈けて展開しなければならない。
棒が出て、ボログダの農民たちにはやっと自分たちに求められている総体的な動作のうちで一人一人がうけもつ早さやかけ工合の呼吸が会得されたらしかった。三度目に棒なしで、
「さあ、戸口からどっと入って!」
農民がぐるりと三人をとりまく集団の効果は、テムポも圧力も予期に近づいた。エイゼンシュタインは、そのときはじめて、
「ハラショー」
と腰をもたげた。カメラがのぞかれ本式の撮影にすすんだ。
ソヴ・キノのスタディオから帰りに伸子たちのとまっているパッサージ・ホテルへよった中館公一郎は、映画監督らしいしゃれたハンティングをテーブルの上へなげ出して、
「われわれにこわいものがあるとすれば、あの根気ですね」
と、椅子にかけた。
「しかもそれがエイゼンシュタインばかりじゃないところね。――それにしてもいい助手をもってるんだなあ」
素子のタバコに火をつけてやり、自分のにもつけて、うまそうに吸い、中館はいい助手をもっているエイゼンシュタインをうらやむような眼ざしをした。
「ちがいがひどすぎますよ。徹夜徹夜で、へとへとに煽って、根気もへちまもあったもんですか――あのみんなが腰をすえてかかっている根気よさねえ――あれが計画生産の生きてる姿なんです」
伸子もその日はじめてソヴ・キノの大規模な内部をあちこち見学した。一九二八年度のソヴ・キノ映画製作計画表も説明された。その中では文化映画何本、教育映画何本、劇映画何本、ニュース幾本と、それぞれに企画されていた。
「こういう企画でやっていますから、われわれは資材のゆるすかぎり、適当な時が来ると次の作品のためのセットから衣裳、配役その他の準備をします。しかし、残念なことに、まだ革命からたった十年ですからね。ソヴ・キノは決して必要なだけの設備をもっていません、もう五年たったら、われわれは遙にいい設備をもてると信じています」
スポーツのスタディアムのように天井の高いセット準備室から別棟のフィルム処理室へと、きのうの雨ですこしぬかるむ通路を行きながら中館公一郎は、
「あきれたもんですね」
と、わきを歩いている伸子に逆説的に云った。
「俳優から大道具までが八時間労働で映画をつくっているなんて話したところで、本気にする者なんかいるもんですか」
ソヴェトへ来てから、映画におけるプドフキンとかエイゼンシュタインとかいう監督の名は、いちはやく伸子たちの耳にもつよくきこえた。その一つ一つの名を、伸子は何となし文学の世界でバルビュスとかリベディンスキーという名が云われるときのように、そのひとひと固有の達成の素晴らしさとしてききなれた。ソヴェトでもこれらの監督たちは新しい映画の英雄のように見られてもいる。
小柄な体としなやかなものごしをもって、柔軟の底に見かけより大きい気魄をこめている中館公一郎が、エイゼンシュタインの才能について多く云わないで、いきなりそのエイゼンシュタインに能力を発揮させているぐるりの諸条件につよい観察と分析とを向けていることが、伸子にとって新鮮な活気のある印象だった。中館公一郎がもちまえの腰のひくいやわらかな調子で、エイゼンシュタインは偉いですよ。そりゃたしかにすごい偉さなんでしょうけれどもね、というとき、彼の言葉のニュアンスのなかには、同じ仕事にたずさわるものに与えられている世間の定評に対する礼儀と、その礼儀をはねのけている芸術上の不屈さが感じられた。それは、伸子にも同感される感情だった。映画監督としての才能そのもので中館公一郎は、あながちエイゼンシュタインを別格のものとしているのではないらしかった。彼にとっては、エイゼンシュタインよりむしろソヴェトの映画製作そのもののやりかたが重大な関心事なのだった。ソヴ・キノのスタディオからかえったとき、素子が、
「あの棒はいい思いつきだったじゃありませんか」
と、云ったのに答えて中館は、
「棒をつかってみようとするところまでは、大体誰しも考えることなんじゃないのかな」
と云った。
「ただ棒のつかいかたね……そこのところですよ」
つづいてドイツ映画の話も出た。伸子がモスクへ来たウファの『サラマンドル』という映画をみたことを話した。
「ユダヤ人の学者が迫害されて、外国へ逃げる話なんですけれどね、へこたれちゃった。その学者が深刻な表情をしてピアノをひくと、グランド・ピアノの上におそろしくロマンティックな荒磯の怒濤が現れるんですもの」
「ヤニングスみたいな俳優にしろ、もち味がいかにもドイツ的でしょう」
中館の言葉を、素子が、かぶせて、
「でも、ヤニングスぐらいになれば相当なものさ」
と、ヤニングスの演技の迫力をほめた。
「リア・ド・プチとヤニングスのあの組み合わせなんか、認めていいものさ」
「中館さん、あなたにベルリンてところ、随分やくにたつの?」
伸子がむき出しにきいた。
「そりゃあ……日本から行って役にたたないってところの方が少ないんじゃないかな」
「わたしには、ドイツの映画、なんだか分らないところがあるんです。だって、ツァイスのレンズって云えば、世界一でしょう? それは科学性でしょう? それなのに、『サラマンドル』であんなセンチメンタルな波なんかおくめんなく出してさ。――ドイツの文化って、一方でひどく科学的で理づめみたいなのに、ひどく官能的だし、暗いし――わからないわ」
「――ツァイスのレンズだけあってもいい映画にならないところに、われわれの生き甲斐があるわけでしょう」
歌舞伎がモスクへ来たにつれて、一座の俳優の或るひとたちや中館公一郎のような映画監督がそれぞれに芸術の上に新しい意欲を燃やし、どこかへ展開しようとして身じろいでいる。その雰囲気は、はじめ歌舞伎がモスクへ来て公演するときいたころの伸子たちには、予想もされなかった若々しく激しいものだった。
ソヴェトの見物人たちは、歌舞伎の舞台衣裳の華やかで立派なことを無邪気に驚歎し、ごくわずかの体の動きで表現される俳優の表情や
「どうです、うまく行きそうですか」
ときくと、
「ええ、まあ」
と笑いまぎらすことが多かった。
「左団次さんは自分も若いときイギリスへ行ったりなんかしているから、自然話もわかるんですがねえ」
それでも吉之助たちのベルリン行の計画は歌舞伎がモスクでの公演を終る前後には実現の可能が見えて来た。
「見てきます」
吉之助は俳優らしさと学生らしさのまじりあったような若い顔を紅潮させた。
「そしてまたかえりにここへちょいとよります、こっちはないしょですが……」
と健康そうな白い歯を見せて笑った。ソヴェトへ来て、自分というものは一つところに置いたまま、見聞ばかりをかき集めてもって帰ろうとするような人たちとちがって、吉之助や中館公一郎の態度は、伸子に共感を与えた。吉之助がふるい歌舞伎の世界のどこかをくいやぶって、自分を溢れ出させずにはいられなくなっている情熱。中館公一郎が映画監督として、自分の持てる条件を最大限まで押しひろげて見ようとしている目のくばり。そんな気持はどれもはげしく明日に向って動いている心であり計画であった。
モスクへ来た歌舞伎は、そのふるい伝統の底から思いがけない新しいもの、種子を、そうとは知らず後にのこして、好評をみやげに日本へひきあげた。吉之助とあと三四人の若手俳優が、すぐベルリンへ立ち、中館公一郎も別に一人でハンブルグ行きの汽船にのった。
歌舞伎がモスクで公演していたとき、左団次の楽屋で、伸子と素子とはさくらと光子という二人の日本語を話すロシアの若い女に紹介された。二人とも東洋語学校を出ていて、日本名をもち、さくらはたまに短歌をつくったりした。色のわるい面長な顔に黒い美しい眼と髪をもっている文学的なさくらとちがって、光子はがっしりとしたいつも昼間のような娘で、脚がわるく、ステッキをついて伸子たちのホテルの室へ遊びに来た。またそのステッキをついて毎日どこかの役所につとめてもいるのだった。
さくらや光子が、それとなしベルリンから吉之助が帰って来るのを待っているきもちが伸子によくわかった。吉之助には、歌舞伎俳優の型にはまっていない人柄の生々した力があって、それが外国人であるさくらや光子を魅していた。伸子が吉之助に快く感じるのも同じ点からであった。若い男に対して、いつもうわての態度で辛辣な素子が、
「吉之助、なかなかいいね」
と伸子に云ったことがあった。それは、レーニングラードのジプシーの音楽をききながら食事をする店でのことで、素子と伸子とはスタンドのついた小卓にさし向い、素子はグルジア産の白い
「そう思う?」
のまない葡萄酒のコップをいじりながら、伸子は、ききかえした。
「――ぶこちゃんだってそう思うだろう?」
素子が、俳優としての吉之助だけを云っているのでないことを伸子は女の感覚で直感した。軽いショックで伸子は上気した。素子がいいと思う男がいたということは思いがけない一つのおどろきであった。そして、それが伸子も好感をもっている長原吉之助だということは。しかし、その長原吉之助だから素子がすきというのもわかるところがあるのでもあった。素子の珍しいその心持のうごきを、伸子は自分の手もそえて、こぼすまいとするような気持で、だまってスタンドの灯に輝く
「あなた、本気なら、話してみたら?」
「…………」
「じゃ、わたしが話す?」
素子はだまったまま、葡萄酒をのみ、スタンドのかさのまわりでタバコの煙がゆるやかに消えて行くのを見まもっている。じゃ、わたしが話す? 思わずそう云って、伸子は、当惑した。素子に対して吉之助がどう思っているか、知りようもなかったし、仮に、互の間にいい感情があったにしろ、吉之助の歌舞伎俳優としてのこまごました生活の諸条件と断髪で洋装の素子とはどうつながるものなのだろう。素子が吉之助にひかれるのはわかるけれど、二つの生活の結びつく現実的な必然が見つからなくて、伸子はとまどう心持だった。
当の素子よりも解決にせまられているような伸子の表情をいくらかぼっとしたまなざしで眺めていた素子はやがてゆっくり、
「まあ、いいさ」
とひとりごとのように云った。そして、給仕をよんで勘定をさせはじめた。
歌舞伎がモスクからひきあげ、吉之助たちがベルリンへ行って二週間とすこしたったある朝のことだった。朝の茶を終ったばかりの伸子たちの室の戸がノックされた。素子が大きな声で、
「お入りなさい」
とロシア語で云った。
ドアがあいて、そこに現れたのは黒っぽい背広をきた吉之助だった。
「ただいま!」
吉之助は、ベルリンへ行けるときまったとき、見て来ます、と簡明に力をこめて云った、あの調子でただいまと云った。
「ゆうべ帰って来ました、こんどはここへ部屋をとりましたからどうぞよろしく」
握手の挨拶をしながら伸子が、
「ひどく早かったんですね」
と、おどろいた。
「そんなに早くいろんな芝居が見られたの?」
「ええ。マチネーと夜と必ず二度ずつ見ましたから」
素子は、思いがけず吉之助の姿があらわれたのを見てかすかに顔を
「何時についたんです」
ときいた。
「よく部屋がとれましたね」
「ええ。カントーラ(帳場)の人が顔をおぼえていてくれましてね。パジャーリスタ、コームナタ(どうぞ、部屋)って云ったら、ハラショー、ハラショーでした」
「どこです?」
「この廊下のつき当りの左の小さい室です」
「ああ、じゃあ一番はじめわたしたちがいた室だ。ね、ぶこちゃん」
それは雪の夜アーク燈にてらされて中央郵便局の工事場が見えた部屋だった。
ベルリンへ行くということが、むしろ一行のあとにのこって自由行動をとるための一つのきっかけであったように、吉之助は一人になってベルリンからモスクへ戻って来た。そして、外国人はめったにとまらない、やすいパッサージ・ホテルにとまった。
秋山宇一や内海厚が同じパッサージに泊っていた時分、伸子も素子もモスク生活に馴れなかったこともあって、気やすくその人たちの部屋をたずねた。こんど吉之助の部屋が同じ廊下ならびになったが、伸子も素子も吉之助の室へは出かけなかった。吉之助がちやほやされつけている若い俳優であるということは伸子たちに理由もなく彼の部屋を訪ねたりすることに気をかねさせた。それにレーニングラードのジプシー料理屋のスタンドのかげで素子の吉之助に対する好意がわかっているものだから、なお更彼の部屋へ訪ねかねた。二三日まるで顔を合わさないまま過ぎることが珍しくなかった。
そんな風にして数日が過ぎた或る晩、吉之助の方から伸子たちの室を訪ねて来た。
「なにたべて生きてたんです? 大丈夫ですか」
ロシア語のできない吉之助に素子が云った。
「パジャーリスタ、オムレツ。パジャーリスタ、カツレツでやっていますから、大丈夫です」
艷のいい顔を吉之助は屈托なさそうにほころばした。
「オムレツとカツレツだけは日本と同じらしいですね」
吉之助は用事があって来たのだった。あした朝のうちにメイエルホリド劇場俳優のガーリンが吉之助にあいにホテルへ来る。歌舞伎の演技のことについてじかにききたいことがあるのだそうだ。素子か伸子に通訳をしてくれるようにということだった。
「じゃ吉見さんでなくちゃ。わたしのロシア語なんて、長原さんのオムレツに二三品ふやしたぐらいのところなんだから」
「――わたしはいやだよ」
素子はかけている長椅子の背へもたれこむようにして拒絶した。
「芝居の話なんて出来るもんか」
芝居ずきで、俳優一人一人の演技についてもこまかい観賞をしている素子が、通訳なんかいやだという気持は、伸子にわからなくもなかった。ガーリンは『検察官』のフレスタコフを演じたりしてメイエルホリドの若手の中で近頃著しく評判になっている俳優だし、一方に吉之助がいることだし。
そんなこころもちのいきさつを知らない吉之助は、当惑したように
「すみませんが、じゃあお二人でいっしょに会って下さいませんか、おかまいなかったら、ここを拝借して」
と云った。
「それがいい。ここで、みんなで会いましょうよ。そして、わたしが主に通訳するわ」
伸子が、あっさりひきうけて云った。
「そのかわり、わたしは、みんな普通の云いかたでしか云えなくてよ。だから吉之助さんはかんを働かして、ね」
「それで結構ですとも。ガーリンさんは型のきまりのことが知りたいらしいんです」
「それ見なさい」
素子が伸子の軽はずみをからかうように
「きまりなんか、ぶこちゃんの軽業だって、説明できるもんか」
「そうでもないでしょう」
とりなすためばかりでない専門家の云いかたで吉之助が説明した。
「わたしに、どういう場合ってことさえわからせてもらえばいいんです。あとは、どうせ体で説明するんですからね」
「なるほどね」
その晩は吉之助にも約束がなくて例外のゆっくりした夜だった。三人はテーブルをかこんでモスクの書生ぐらしらしくイクラや
「こんなにしていると、日本にある自分たちの暮しかたが信じられないほどです」
と云った。
「外国へ出て見るとほんとにわかるんですねえ」
「ふるさがですか?」
「あんまり別世界だってことですね」
吉之助は、レモンの入ったいい匂いの熱い紅茶をのみながら、若い顔の上に白眼の目立つような目つきでしばらくだまっていたが、
「伝統的なのは舞台ばかりじゃないんですからね、歌舞伎の俳優の私生活の隅々までがそれでいっぱいなんだ……」
ため息をつくようにした。
「かえられませんか」
伸子は、思わずそういう素子の顔を見た。素子は、伸子が見たのを知りながら、吉之助の上においている視線を動かさなかった。
「むずかしいですね」
これまでにもう幾度か考えぬいたことの結論という風に吉之助は云った。
「自分一人、そこから、ぬけてしまうならともかくですが、あの中にいて何とか変えようったって、それはできるこっちゃありません」
「かりに、あなたがそこをぬけるとしたら、どういうことになるんです」
素子が何気なくたたみかけてゆく問いのなかに、伸子は、自分だけしか知らない素子の吉之助への感情の脈うちを感じるように思った。かたわらで問答をきいていて伸子の動悸が速まった。
「そこなんですね、問題は」
テーブルにぐっと肱をかけ、吉之助はまじめなむしろ沈痛な声で言った。
「まず周囲が承知しませんね」
「周囲って――細君ですか」
「細君も不承知にきまってるでしょうが、親戚がね。歌舞伎の世界では、親戚関係っていうのが実に大したものなんです――義理もあるし」
吉之助は、歌舞伎俳優だった父親に少年時代に死なれ、その伝統的な家柄のために大先輩である親戚から永年庇護される立場におかれて来ているのだった。
「もう一つ自分として問題があるわけなんです。僕には舞台はすてられない。これだけはどうあっても動かせません。俳優としての技術の蓄積ということもあります。ただ、やめちまうというなら簡単でしょうがね。自分を成長させ、日本の演劇も発展させる舞台っていうものは、どこにあるでしょう」
「いきなり築地でもないだろうし……」
「そこなんです」
歌舞伎の息づまる旧さのなかに棲息していられなくなっている吉之助は、さりとていきなりドラの鳴る築地小劇場で『どん底』を演じるような飛躍も現実には不可能なのだった。
吉之助の飾らない話をきいていて、伸子はやっぱりみんなこういう風にして変るものは変ってゆくのだ、としみじみ思った。丁度せり上りのように、生活の半分は奈落と舞台との間の暗やみにのこっていても、もうせり上ってそとに出ている生活の半分が、猛烈にのこっている半分について意識し苦しむのだ。伸子にはそれが自然だと思えた。相川良之介が自殺したとき、その遺書に、彼の身辺の封建的なものについてはふれない、なぜなら、日本の社会には多少ともまだ封建的なものが存在していると思うし、封建的なものの中にいて封建的なものの批判は出来ないと思うから、とかかれていたことが思い出された。当時伸子には、その文章の意味がよくのみこめなかった。けれども、こうして話している吉之助を見ても、伸子自身について考えて見ても、自分のなかに古いものももちながら、吉之助のようにはっきりそれを肯定しながらもその一方で新しいものを求めているのが真実だった。そこに矛盾があるということで新しい道を求める思いの真実性が否定されなければならないということはないのだ。伸子は、そういうごたごたのなかでひとすじの思いを推してゆく人間の生きかたを思い、悲しい気がした。保を思い出して。保には、こうやって矛盾や撞着の中から芽立ち伸びてゆく休みない人生の発展がわからなかったのだ。そして相川良之介にも。相川良之介の聰明さは、半分泥の中にうずまりながら泥からぬけ出した上半身で自分にも理性を求めてもがく人間の精神の野性がかけていた。
伸子はその質問に自分の文学上の疑問もこめた心で、
「吉之助さんのような人でも、新劇へうつるということはできないものなのかしら」
とたずねた。
「気分では、いっそひと思いにそうしたら、さぞサバサバするだろうって気がします。しかしどうでしょう」
「歌舞伎のひとは、子役からだからねえ」
身についた演技の伝統のふかさをはかるように素子が云った。
「あなただって、そうなんでしょう」
「初舞台が六つのときでしたから」
吉之助は考えぶかい表情で、
「西洋の俳優も、芸の苦心はいろいろあるでしょうが、わたしのような立場で苦しむことはないんじゃないでしょうか」
と云った。
「古典劇が得意で、たとえばシェークスピアものをやる人だって、現代ものがやれるんでしょう。日本の歌舞伎と現代もののちがいみたいなちがいは、よその国にはなかろうと思うんです」
「考えてみると、日本てところは大変な国だなあ」
からのパン皿のふちへタバコをすりつけて消しながら素子が云った。
「チョン髷のきりくちへ、いきなりイプセンがくっついたようなもんだもの」
「問題が問題ですから、てまがかかりましょうが、ともかく何とかやって見るつもりです」
そう云ってしばらく考えていた吉之助は、やがてもち前の熱っぽい口調で、
「私生活からでも、思いきってかえて行ってみるつもりです」
伸子には、吉之助が決心を示してそういう内容がすぐつかめなかった。歌舞伎俳優として、しきたりのような花柳界とのいきさつとかひいき客との交渉とか、そういう点を整理するという意味なのか、それとも別のことなのか、判断にまよった。同じようにすぐ話の焦点のつかめなかったらしい素子が、
「私生活っていうと?」
とききかえした。
「粋すじですか」
そうきいて、素子はちょっとからかう眼をした。
「わたしは、そっちはどっちかっていうとほかの人たちよりあっさりしているんです。自分がつくらなけりゃあそういう問題はおこらない性質のものでしょう。わたしのいうのは主に結婚生活ですね」
ひろがっていた話題が、再び急に渦を巻きしぼめて、吉之助は知らない素子の感情の周辺に迫って来た。
「うまく行きませんか」
「――わたしの場合はうまく行きすぎているんです。そこが問題なんです」
伸子は吉之助の話につよい関心をひかれた。同時に、良人によってそういう風に友人の間で話される妻の立場というものを、伸子は女として切ないように感じた。
素子もだまった。しかし、吉之助は、歌舞伎のことを話していたときと同じまじめな研究の調子で、
「わたしたちの結婚は、土台わたしに妻をもらったというより、早くから後家で私を育てた母の助手をもらったみたいなところがありましてね」
と云った。
「よくやってくれることは、実によくやってくれているんです。その点一言もないんですが……細君には、俳優が芸術家だってことや成長しようとしているってことはわからないし、必要なことだとも考えられないんですね、役者の生活の範囲ではうるさいつき合も、義理もきちんきちんと手おちなくやってくれて、全く後顧の憂いがないわけなんですが。これまでの役者の生活なんて、そんなことが第一義だったんですからね、無理もないが……。細君に一つもつみはないんです。けれども、わたしにはマネージャと妻はべつのものであるべきだと思えて来ているんです」
つやのいい元気な吉之助の顔の上に、沈んだ表情が浮んだ。
「あなたがた、どうお思いです? あんまり
伸子も素子も、吉之助の気持がぴったりわかるだけに、すぐ返事をしかねた。
「――わたしは妻を求めているんですね。演劇そのものの話し合える……」
するとわきできいている伸子をびっくりさせるような鋭さで、素子が、
「かりにそういうひとが細君になったって、やっぱりマネージャ的必要は起って来るんじゃありませんか」
と云った。
「ほんとに、わけられるもんなのかな――あなたに、わけられますか?」
「わけられないことはないと思いますね。ほんとに芝居のことがわかっているひとっていうなら、自然自分でも舞台に立つひとだろうし、舞台に立つものなら勉強の面とマネージャ的用事と、却ってはっきり区別がつくわけですから……」
赤いパイプを口の中でころがしながら、じっと吉之助の言葉をきいていた素子は、ややしばらくして、
「なるほどねえ」
深く自分に向って会得したところがあったようにつぶやいた。
「あなたは、リアリストですね」
その云いかたに閃いたニュアンスが伸子に素子の気持の変化を感じとらせた。伸子が理解したと同じ明瞭さで、素子も、長原吉之助が求めている女性は、彼として現実のはっきりした条件をもって考えられて居り、少くとも伸子や素子たちとそのことについて話す吉之助の感情に遊びのないことを理解したのだった。
伸子は段々さっぱりしてうれしい気持になって来た。吉之助にたいする自分たちの感情にはあいまいに揺れているところがあった。素子は素子の角度から、伸子はその素子の角度に作用された角度から、吉之助としては考えてもいない過敏さが伸子たちの側にあった。吉之助の考えかたがずっと前へ行っているために、素子の吉之助に対する一種の感情やそれにひっぱられていた伸子の気分が、吉之助の新しい人間らしさにひかれるからでありながら、その一面では、やっぱりありきたりの常識のなかに描かれている俳優を対象においた気分だったということが、伸子にのみこめて来た。伸子は、心ひそかに自分たち二人の女をいくらかきまりわるく感じた。そして、改めて吉之助を友達として確信するこころもちだった。
「わたし長原吉之助が、いわゆる役者じゃなくてほんとによかったと思うわ」
「へんなほめかたがあったもんだな」
素子が笑った。吉之助も笑った。伸子は、素子のその笑いのなかにやっぱり転換させられた素子の気分を感じた。素子は、もうすっかり自分ときりはなした淡泊さで吉之助にきいた。
「ところで、あなたの希望のようなひとって、実際にいますか」
「どうなんでしょう」
彼としてどこに眼ぼしもないらしかった。
「なにしろ、歌舞伎には女形しかないんですから……」
そこにも歌舞伎の世界の封建的な変則さがあるという口ぶりだった。
あくる朝十時ごろ約束のガーリンが吉之助とつれだって伸子たちの室へ来た。くつろいだ低いカラーに地味なネクタイをつけて、さっぱりした風采だった。ガーリンが芸術座の名優たちとはまるでちがった顔だちで、アメリカの素晴らしい踊り手フレッド・アステアによく似たおでこの形をしているのが伸子の目をひいた。アンナ・パヴロァも、ああいうこぢんまりとして横にひろいおでこをもっていた。少し鉢のひらいたような聰明で敏捷なガーリンの丸いおでこは、『検察官』のフレスタコフとはちがった役柄が彼の本領を発揮させそうに思えた。メイエルホリドは、前のシーズンから構成派風の奇抜な舞台装置で、蒼白くて骨なしめいたフレスタコフを登場させているのだった。
ガーリンは、歌舞伎のきまりを直接自分の舞台の参考にしたいらしく、忠臣蔵で見たいくつかの例で吉之助に質問した。きのうの話し合いで、伸子がガーリンのいうとおりをあたりまえの日本語で表現すると、素子が、
「ああ、かけこみのきまりのことだ」
という風に補足した。
「そうですね、じゃ」
と、吉之助は洋服のまま、ホテルのむきだしの床に片膝をついて型をして見せた。
そんな間にも伸子には、ガーリンの特徴のあるおでこが目についた。ガーリンが歌舞伎の型にこれだけ興味をもつことも彼の舞踊的な素質を示すことのように思えた。メイエルホリドの舞台は強度に様式化されていて、人物の性格描写も、ム・ハ・ト(芸術座)のリアリスティックな演技とは正反対に、観念で性格の焦点をつかんだ運動で様式化して表現された。フレスタコフもそういう演出方法だった。そういう舞台で、ガーリンのような額をもつ俳優が、鋭い運動神経で現在成功していることもわかる。しかし、伸子は、何だか芝居としてメイエルホリドの舞台に沈潜しにくいのだった。
ガーリンは、一時間ばかりいて、帰って行った。一二度、吉之助のやる型を見習って、すぐ自分で床に膝をついてやって見たりした。
「こっちのひとたちは、あんな人気俳優でもあっさりしていますね」
吉之助は師匠役に満足したらしく云った。
「われわれの間じゃ、何一つおそわろうたって、大したさわぎなんです。人を立てたり、つけ届けしたり」
「そりゃ能も同じですよ。家伝だもの――大したギルドですよ」
伸子は、ガーリンのおでこのことを話した。
「気がつかなかった?」
「そうだったかな」
運動神経のよさと、俳優としての人間描写の能力とは同じものでないし、いつも同じ一人の中にその二つの素質が綜合されてあるとも思えない。伸子は俳優としてのガーリンの一生を、平坦な発展の道の上に予想できなかった。
「それもそうだけれど、吉之助さん、どう思う? わたし、さっきガーリンと話していてふっと思ったのよ。こんど歌舞伎が来て、一番熱心に見学したり、特別講習をうけたりしたのはメイエルホリドだったでしょう。次は『トゥランドット』をやっているワフタンゴフ。ム・ハ・ト(芸術座)はその割でなかったでしょう? あれは、どういうことなんだろうと思ったの」
「ム・ハ・トには演技の伝統が確立しているからなんじゃないですか」
「そりゃそうだよ、ぶこちゃん」
「わたし、それだけだとは思わないなあ」
伸子は、真面目な眼つきで吉之助を見た。
「ム・ハ・トは、リアリズムで押しているのよ、そうでしょう?『桜の園』から『装甲列車』へと移って来ているけれども、それはリアリズムそのものを押して発展させて動いて来ているんです。メイエルホリドはあんな風に様式化して、動的にやろうとしているけれど、ああいう線が本質的にどこまでも発展できるのかしら……。わたし、ム・ハ・トが、歌舞伎の
「――歌舞伎だって世話ものには菊五郎のリアリズムだってあるよ」
反駁するように芝居ずきの素子が云った。
「こっちじゃ、時代ものしかやりませんでしたからね。そのせいもあるかもしれませんね」
吉之助が日本へ帰らなければならない時が迫って来た。けれども、同じホテルにいる伸子たちとのつき合いは、はじめと同じに、三四日顔も合わせないまますぎてゆく工合だった。吉之助と伸子たちの間にあるのは、もう不安定なところのない友人の気持だけだった。吉之助が珍しく伸子たちの室に長居して家庭生活の問題も出た夜、素子は、吉之助が去ったあともテーブルのところから動かなかった。そしてその晩、会話の底を流れて、吉之助の上へは影も投げず自分の心の内にだけ推移した心持を思いかえしているようだった。テーブルに背を向けベッドの毛布をはねて、そろそろ寝仕度をはじめている伸子に素子は、
「吉之助もあのくらいはっきり考えて居りゃ、何かになれるかもしれない」
と云った。その声の調子に、思いやりとおちついた期待が響いた。レーニングラードのジプシー料理の店で、クリーム色のスタンドの灯かげといっしょに伸子の気分まで動揺させた、あの、吉之助、なかなかいいね、と云った素子の三十をいくつか越した女の体がそのせつなふっと浮き上ったような切ないニュアンスは消されていた。
あさってはいよいよ吉之助もモスクを立つという晩だった。十二月の十日すぎで街は一面寒い月夜だった。八時すぎに、思いがけず若い女を二人つれた吉之助が伸子たちの部屋を訪ねて来た。
「お邪魔してすまないと思ったんですが、わたしにロシア語ができないんで、どうも……」
吉之助は当惑そうに云って、モスクの若い女にあんまり見かけない捲毛を器量のいい顔のまわりに垂れた姉妹を、伸子たちに紹介した。
「こちらは姉さんなんだそうです、浪子さん」
その娘は、紫っぽい絹服をつけていて、内気そうに伸子たちと挨拶した。
「こちらが妹さん、さくらさんていうんだそうです。――姉妹で度々楽屋へ訪ねて頂いたんですが……」
妹も新しくないベージュの絹服をきていて、器量は美しいけれども艷のない若い顔に白粉がついていた。胸のひろくあいた古い絹服、
一つ長椅子の上に並んでかけた姉妹は伸子たちと、ぽつりぽつりあたりさわりのない話をはじめた。二人ともほんとに内気らしく、二人ともどこにも勤めていない、と答えたりするとき、そんな質問をしたのが気の毒に思えるような調子だった。素子が間に日本語で、
「あなた、このひとたちの家へ行ったことがあるんですか」
と吉之助にきいた。
「ええ、一二度」
そして、
「ひどいところに住んでいるんです。何人も一つ部屋にいて、カーテンで区切って。あんまり気の毒だったから少しおくりものして来ました」
と云った。娘たちの住居はモスク河のむこう岸らしかった。
十分もすると吉之助は、ちょっと今のうちにすまさなければならない荷作りがあるから、と自分の室へ戻って行った。
娘たちは、しきりに吉之助の立つ時間をきいた。それは、伸子たちも知っていないのだった。もう引きあげなくてはならないとわかりながら、吉之助を待って二人の娘たちが長椅子の上でおちつかなくなりはじめたとき、せっかちに伸子たちの部屋をノックするものがあった。
「おはいりなさい」
「こんばんは」
「わたし、テルノフスカヤです――日本にいたことがある……」
伸子は、思いがけないことに思いがけないことの重なったという表情で、ゆっくり椅子から立ち上った。テルノフスカヤという女のひとの名は、革命当時シベリアのパルティザンの勇敢な婦人指導者であったひととして、日本へ来ていた間はプロレタリア派の文学者たちと結びついて、伸子たちにも知られていた。このモスクでもむしろ、ホテル暮しなどをしている自分たちとは政治的にもちがった環境に属す人として、伸子も素子も、テルノフスカヤが今晩不意に現れたことに意外だった。
いそがしく活動している婦人の身ごなしでテルノフスカヤは伸子たち娘たちと、事務的に握手した。そして、テーブルに向ってかけ、タバコを出して素子や娘たちにすすめ、自分も火をつけた。眉をしかめるようにタバコに火をつけているテルノフスカヤの髪は、ひどく黄色くて光沢がなかった。五人の女の中でたった一人タバコをすわない伸子は圧迫される感じで、テルノフスカヤの眼から自分の眼をそらした。テルノフスカヤの眼は黄色っぽい灰色でその真中に真黒く刺したような瞳があった。その目の表情があんまり豹の目に似ていた。精神の精悍さより、何か残忍に近いものが感じられ、それが女の顔の中にあることで伸子はこわかった。
「吉之助さんは、ここに住んでいるんでしょう?」
「ええ。この娘さんたちも彼のところへ来たお客さんなんですが、いま、いそぐ荷作りがあって、彼は自分の室で働いています」
「彼に会えますか」
「じきここへ来るでしょう」
テルノフスカヤは素子と話している。伸子は、秋のはじめのいつだったか雨上りの並木道で、この人には会ったことがあると思った。雨はあがったが、菩提樹の枝から風につれてまだしずくが散るような道を、伸子の反対の方から一人の女が書類鞄を下げて通りがかった。伸子の眼をひいたのは、その雨上りの並木道を来るひけどきの通行人のなかで、その人ひとりがすきとおるコバルト色のきれいな絹防水の雨外套を着ていたからだった。それは、日本で若い女たちが着ているものだったが、モスクでそんなレイン・コートを見たのは、初めてだった。コバルト色のレイン・コートとともに、特徴のあるその瞳の表情も、伸子の印象にのこされた。
伸子は、思い出して、テルノフスカヤにその話をした。
「そうですか? わたしは思い出せませんよ」
それきりで、テルノフスカヤはコバルト色のレイン・コートを自分がもっているともいないとも云わなかった。二人の娘たちは、自分たちに話しかけようともしないテルノフスカヤの出現に、やっと思いあきらめて腰をあげた。すると、テルノフスカヤが、
「あなたがた、吉之助さんの部屋へよって帰るんでしょう」
見とおした命令的な口調で云った。
「荷作りがすんだら、こちらへ来るように云って下さい」
思ったより早く吉之助が、どことなし腑におちない表情で伸子たちの室へ入って来た。テルノフスカヤを見ると、顔みしりではあると見えて、
「こんばんは」
身についている客あしらいのよさで挨拶した。テルノフスカヤはだまって握手して、
「いそがしいですか」
はじめて日本語で吉之助にきいた。
「ええ荷づくりが少しあったもんですから、……失礼しました」
二人の娘をあずけたことをもこめて、吉之助は伸子たちにも軽く頭を下げた。先にかえった左団次一行からはたよりがあったか、とか、正月興行で、吉之助の配役は何かというような話が出た。
テルノフスカヤがどういう用で吉之助のところへ来たのか、伸子たちに見当がつかないように、吉之助にもわからないらしかった。吉之助の室へ行こうとするでもなくて、四十分も雑談すると彼女は来たときのように余情をのこさない足どりで伸子たちの室から出て行った。
伸子たちがモスクへ来てやがて一年になろうとしていた。その間、ただ一度も来たことのないテルノフスカヤが、その晩不意に、しかもさがしもしないような的確さでパッサージの三階にいる伸子たちの室を訪ねて来たのは不思議な気持だった。
「長原吉之助のファンは、ああいうところまではいってるのかな」
そういう素子に吉之助は却って訊ねるような視線を向けた。
「一度楽屋で見かけた方には相違ないんですが……」
素子は何か考えるようにパイプをかんでいたが、やがて、
「気にすることはありませんよ」
と云った。
「俳優にどんなファンがいたって、ある意味じゃ不可抗力なんだから」
一日おいた冬の晴れた朝、吉之助は予定どおりモスクを出るシベリア鉄道へのりこんだ。
伸子と素子とは、また貸間さがしをはじめた。もう十二月で、伸子たちにとってまる一年のモスク生活だった。春ごろ、貸部屋をさがしたときのようなまだるっこいことはしないで、こんどはいきなりモスク夕刊の広告受付の窓口で求間の広告をかいた。
あしたにも雪が降りはじめそうな夕方だった。午後三時ごろから店々に灯がついているトゥウェルスカヤ通りをホテルへ帰りながら、伸子は、
「こんどもいい室が見つかるといいけれど」
と云った。
「でも、ルイバコフのところみたいに、あんまり短い期限は不便ね」
レーニングラードへ出発するまでの暫くの間暮したフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根が窓からみえる家は、ルイバコフの家族が夏の休暇をとるまでという期限つきだった。
「あのときは、わたしたちだってモスクから出る前だったんだし、よかったのさ。こんどは少し腰をおちつけなくちゃ」
伸子たちの夏の休暇は、間に保の死という突発の事件をはさみ、予定より長びいた。ひきつづいて歌舞伎が日本から来たことは、モスクにいた多くの日本人の気持にふだんとちがった影響を与えた。なかでも芝居ずきの素子は、モスクで歌舞伎を観るということに亢奮した。そして、その旧い歌舞伎の根元から思いがけない若さでひこ生えて来ているような長原吉之助の俳優としての存在が、モスクの環境で、伸子と素子との日常に接近した。伸子は、保に死なれ、生れた家や過去の生活ぶりから絶縁された自分を感じている心の上へ、長原吉之助や映画監督エイゼンシュタインが新しい生活と芸術を求めて動いているエネルギーを新しい発見としてうけとった。うちはないようになっても、うちよりほかのところに伸子の精神につながった動きがあるという確認は、伸子を力づけた。長原吉之助がモスクを立ってから、伸子は一層自分を、モスク生活にくっささったものとして感じた。素子も、吉之助がパッサージ・ホテルを去った次の週から、またモスク大学へ通いはじめた。素子の勉強ぶりには、何となく、とりとめもなく煙のあとを目で追いながらタバコをくゆらしていたひとが、急に果さなければならない義務があったのを思い出して、灰皿の上へタバコをもみ消しながら立ち上った趣きがあった。
素子の日常が、レーニングラードへ出かける前の初夏のころとあんまりちがわない平面の上で廻転しはじめた。一つ部屋に暮してそれを見ながら、伸子は平面で動けなくなっている自分というものを感じ、しかしくっささったぎりそれからさきの自分の動かしようはわからないでいる感じだった。
二人の外国女として伸子たちの求間広告がモスク夕刊の広告欄に出た二日後、伸子たちは一通の封書をうけとった。それはタイプライターでうたれた短い手紙だった。要求にふさわしい一室があいている。毎日午後二時には在宅。来訪を待つ。部屋主からの事務的な通知だが、伸子たちはそのアドレスを見て、
「まあ!」
と、手紙の上に集めていた二つの頭をはなして互の顔を見合わせた。
「またあの建物の中よ! なんて縁があるんでしょう!」タイプライターの字が、アストージェンカ一番地とあった。
「じゃ、またあのフラム・フリスタの金の円屋根ね」
「さあ」
素子が実際家らしく、思案した。
「そうとも限るまい。だって、こっちはクワルティーラ(アパートメント)五八とあるもの」
また伸子が下検分の役だった。
六ヵ月ぶりで来てみるとアストージェンカの街角には、やっぱり黒地にコムナールと大きく白字で書いた看板をかかげた食糧販売店の店が開かれており、そのわきからはじまる並木道の樹々は、葉をふるいおとした梢のこまかい枝で冬空に黒いレース模様を編みだしている。フラム・フリスタ・スパシーチェリヤの石垣の下に春ごろ、空のまま放られていたキオスク(屋台店)に、人がはいっていまは新聞だのタバコ、つり下げたソーセージなどを売っていた。
一番地の板がこいには、まだ「この中に便所なし」と書いた紙がはりつけられている。
伸子は、そこを出入りしなれている者独特のこころもちで、一番地の木戸をはいって行った。ルイバコフの入口はとっつきの右だったけれども、クワルティーラ五八というのは、その建物の内庭に面して並んでいる四つの入口の、左はじから二番目に入口があった。
相かわらず人気のない内庭から四階までのぼって、五八のドアの
「おまち下さい」
と、奥へ入って行った。入れちがいに、大柄の、耳飾りをつけた年ごろのはっきりわからない中年の女が出て来た。この女も、こんにちは、と云いながら一目で伸子の上から下までを見た。それが主婦であった。
ここで貸そうとしている部屋は、ルイバコフで借りていた浅い箱のような室を、丁度たてにして置いたような細長い部屋だった。フラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根はその窓からは見えず、したがって街の物音の反響もすくなかった。
「この室には、別入口がついているんですよ」
ぱさぱさした褐色の髪や皮膚の色にエメラルドの耳飾りがきわだつ顔を奥のドアへ向けながら主婦が伸子に説明した。
「そのドアをお使いなすってもかまわないんですが、もし不用心だといけませんから、表から出入りしていただきたいと思います」
翌日、伸子たちはソコーリスキーというその家の表部屋へ移った。アストージェンカの界隈には馴れていたし、シーズンのはじまった芝居の往復にも、そこからは便利だった。ソコーリスキーでは食事つきの契約ができた。もうじき厳冬がはじまるモスクで、毎日正餐をたべに出ないでもすむのはのぞましい条件だった。
「アニュータの料理はわたしたちの自慢です」
耳飾をさげた細君のいうとおり、太ったアニュータのボルシチ(濃いスープ)やカツレツは、パッサージ・ホテルの脂ぎった料理よりはるかにうまかった。伸子たちにとってやや意外だったのは、正餐がソコーリスキーの夫婦といっしょなことだった。白いテーブル・クローズをかけ、デザート用の小サジまでとり揃えたテーブルで。
食後、細君はすぐ子供部屋へひっこんだ。
「われわれのところには、三つになる娘がいるんです。可愛い子です。二三日風邪気味でしてね……もっとも母親に云わせると、娘の健康状態はいつも重大な注意を要するんだそうですが」
どっちかというと蒼白いぬけめない顔の上に気のきいた黒い髭をたてて大柄でたるんだ細君よりずっと若く見えるソコーリスキーは、皮肉そうに本気にしない調子でそう云った。
「日本でも――概して母性というものは、驚歎に価しますか?」
食後のタバコをくゆらしていた素子が、そんな風にいうソコーリスキーの気分を見ぬいた辛辣さで、
「どこの国でも、雛鳥をもっている牝鶏にかなう猫はありませんよ」
と云った。
「なるほど! それが真実でしょうな」
皮ばりのディヴァンにふかくもたれこんで、よく手入れされたなめし革の長靴をはいた脚を高く組んでいたソコーリスキーは、
「さて」
と、ルバーシカのカフスの下で腕時計を見た。
「失礼します。こんやはまだ二つ委員会があるもんですから。――必要なことは、何でもアニュータに云いつけて下さい」
ルイバコフの家庭には、いかにも下級技師らしい生活の気分があり、正直と慾ふかさとがまじっていたが、飾りけがなく、そこで働いていたニューラの体からしめっぽい台所のにおいがしていた。ソコーリスキーの家庭の雰囲気には、上級官吏らしい艷のいいニスがなめらかにかけられていて、伸子はなじみにくかった。
部屋へかえって、伸子は素子に、
「わたしルイバコフの方がすきだわ」
と、ふくれた顔で云った。
「ここの連中は、ミャーフキー(二等車)にしか乗らないときめてるようなんだもの」
素子は、
「まあいいさ」
と、伸子の不満にとりあわず、それぞれに風のある家の仕くみを興がるようだった。
「ここじゃ、アニュータが実質上の主婦だね。あの太った婆さんで全体がもててる感じだ」
おそく生れたらしい娘にかかりきりになっている細君にかわってソコーリスキーの家庭の軸がアニュータのおかげで廻転している。それが一度の正餐でもわかった。アニュータの給仕ぶりは自信と権威とにみちていて、いかにも、さあ、みなさんあがって下さい。いかがです? という調子だった。アニュータは、主人の地位をほこっていて、そこで権威を与えられている自分自身に満足している様子だった。
二日目の午後、伸子たちは下町の国際出版所へ出かけ、正餐にやっと間に合う時刻に帰って来た。その日は朝から初雪だった。二人が外套についた雪をはらっているところへ、ノックといっしょにドアがあいた。そして、耳飾りをした細君の顔があらわれた。
「入ってもようござんすか?」
いいともわるいともいうひまもなく細君は伸子たちの狭い室へ体を入れて、自分のうしろでドアをしめた。細君は、体の前で両手を握りあわすような身ぶりをした。握りあわせた手をよじるようにしながら、
「きいて下さい」
奇妙な赤まだらの浮いたようになった顔で伸子たちに云った。
「さっき、わたしの夫から電話がかかりまして、非常に思いがけないことが起って、どうしてもこの室が必要になったんです」
あんまり突然で意味がわからないのと、勝手なのとで素子と伸子とは傷つけられた表情になった。だまって、デスクの前の椅子に腰をおろした素子に追いすがるように、細君は一歩前へ出て、また、
「スルーシャイチェ(きいて下さい)」
圧しつけた苦しい声でつづけた。
「どう説明したらいいでしょう、――つまり、――非常に重大な人物に関係のあることが起ったためなんです」
「…………」
「わたしの夫の役所の関係なんです。――どうしても避けられない事情になって来たんです。すみませんが、子供部屋と代っていただきたいんです。アニュータがあっちへ、あなたがたの荷物や寝台の一つを運びますから」
伸子が、
「大変わかりにくいお話だこと!」
というのにつづいて素子が、
「妙じゃありませんか」
と言った。
「わたしたちは、きのうこの部屋に移って来たばかりですよ。あなたがたは、この部屋に、そういう突然の必要がおこることを、おととい知っていらしたんですか。知っていて、われわれと契約したんですか」
「どうしてそんなことがあるでしょう! ほんとに思いがけないことになったんです」
細君の混乱ぶりはとりみだしたという以上で何か普通でない事件がふりかかって来ようとしていることを示している。それはこの大柄で、不似合な耳飾りをつけ、娘にかかりきっている細君に深い恐怖を抱かせる種類のことであり、部屋の問題も、それが夫の命令であるからというばかりでなく、夫婦を危機から守るためにも、細君として必死な場合であるらしく見えた。しかし、おそらく決して説明されることのないだろうその内容は不明で、したがって伸子も素子も、いきなりきのううつって来たばかりの部屋をあけろと云われている者の立場からしか、口のききようもないのだった。
素子は、
「残念ですが、わたしどもに、あなたの話はのみこめないんです」
と云った。
「あんまり例外の場合だから。――あなたの旦那様とお話ししましょう。そして、わたしどもに話がわかることだったら、そのとき荷もつは動かしましょう。――この部屋がいるのは何時ごろからです?」
「多分夜だろうとは思うんですが……」
細君は、途方にくれたように両手をねじりつづけ、顔のむらむらが一層濃くなった。そのまましばらく立っていたが、急に啜り泣きのような音をたてて息を吸いこむと、ドアをあけはなしたまま部屋を出て行った。
立ってドアをしめながら、伸子が目を大きくして、
「何のことなの?」
小声で素子にきいた。
「何がもちあがったっていうんだろう」
素子は不機嫌に唇のはしをひきさげて、タバコに火をつけながら、自分にも分らない事件の意味をさぐりでもするようにドアをしめて来た伸子をじろじろ見た。
「何がどうさけがたいのか知らないが、バカにしてるじゃないか、いきなりここをあけろなんて。――そんなくらいなら貸さなけりゃいいんだ」
「ほかの部屋をつかえばいいんだわ。なぜわたしたちが子供部屋へ行って、ここをあけなけりゃならないのかわからない」
いいことを思いついたという表情で伸子が、
「いいことがある!」
と云った。
「パ・オーチェリジ(列の順)と云ってすましてましょうよ、ね?」
パンを買うにも、劇場や汽車の切符を買うにもモスクの列の秩序はよく守られた。長い列の中でも、ちゃんと番さえとっておけば途中で別の用事をすまして来ても、番が乱されることはなかった。モスクの市民生活のモラルの一つなのであった。
伸子たちが評定している間もなく、玄関の呼鈴が鳴ってソコーリスキーが帰って来た。細君がいそいで出迎える気配がした。ひそひそ声で訴えるようにしゃべっている。夫婦の寝室になっている部屋のドアがあいて、しまった。
するとアニュータが、伸子たちのドアをノックして、戸をしめたままそとから高い声に節をつけて、
「アーベェード」
と呼んだ。
伸子たちがこっちのドアから出てゆく。その向い側のドアがあいて、ソコーリスキー夫婦が出て来た。下手な芝居の一場面のような滑稽なぎごちなさで四人がテーブルへついた。きょうもよく磨いた長靴をはいているソコーリスキーが、テーブルに向って椅子をひきよせながら、
「さきほど、家内が部屋のことについてお話ししたが、よく御諒解なかったそうでしたね」
と云いだした。
「ええ。突然のことだし、大体、あんまり例のないことですからね」
ソコーリスキーは、気のきいた黒い髭に指を当ててちょっと考えていたが、
「そうです、そうです」
自分にむかっても合点するように頭をふった。
「われわれの生活には、例のないことも起ることがあるんです。――ともかく正餐をすませてからにしましょう」
細君はひとことも口をきかず、赤いむらむらは消えたかわり妙に色がくろくなったような顔で、まずそうに
ほとんど口をきかないで食事が終った。細君はすぐ立って寝室の方へ去った。アニュータがテーブルを片づけに入って来た。うちのなかにおこることは何から何まで知られて困らない召使をもっている人間の気がねなさで、ソコーリスキーは早速、
「では、われわれの事務を片づけましょう」
と、ディヴァンの方へうつった。
ソコーリスキーは、細君が伸子たちに云ったと同じことを、細君より順序よく、もっと重要性をふくめてくりかえした。ソコーリスキーが、神経の亢奮やいらだちをおさえて、出来るだけすらりとことを運ぼうと希望しているのは明瞭だった。
「あなたにもおわかりでしょう」
素子が、ソコーリスキーにタバコの火をつけさせながら云いはじめた。
「あなたの説明は、客観的にはよわい根拠しかもっていないと考えるんです。或る一つの室を、ちゃんとした契約でAという人が借りた。そして二日たったら、その部屋が急にいるからあけてくれ、というような場合、一般に、『やむを得ない事情』というのは、説明にならないと考えます」
「――なるほど」
ソコーリスキーはディヴァンに浅くかけて、その上に片肱をついていた膝をひっこめて、坐り直した。
「あなたの云われるとおり、わたしの説明は客観性をかいているとしてですね――、それをより具体的にする自由がわたしに許されていない場合、あなたならどうしますか」
きいていて、伸子はソコーリスキーの巧妙さと役人くさい抜け道上手に翻弄されてはいられない気がして来た。素子が、タバコをひと吸いしている間に伸子は、全く伸子らしい表現で云った。
「それは、ほんとにあなたの不幸だ、というしかありません」
ソコーリスキーは、思いがけないという表情で伸子を見守って云った。
「不幸は、そのことにおいて同情される性質のものです」
「そうかしら」
伸子は、思わず小さく笑った。
「残念なことに、あなたはあんまり権威にみちて見えます」
「それで、部屋は何日間必要なんですか」
素子が話を本筋にひきもどした。
「それは今のところわかりません」
「その間、わたしたちは子供部屋に暮して待っているわけですか」
「わたしは、むしろ、あなたがたが、この際別の部屋を見つけて移られる方が便利だろうと思うんです」
すっかり怒らされた眼つきと声で素子が、
「エート、ニェワズモージュノ(それは不可能です)」
議論の余地なし、というつよい調子で云った。
「モスクに住宅難がないなら、あなたがたがわたしたちの広告に返事をよこすこともなかったでしょう」
伸子の心にもきつい抗議が湧いた。大体すべてこれらのいきさつには、伸子がこの一年の間に経験したソヴェト生活らしい、いいところがなかった。理由は曖昧だし、いやに高圧的だし、伸子の気質としてほかならぬこのモスクで、こういう妙なおしつけがましさに負けていなければならない理由が発見されないのだった。むっとして黙っているうちに、伸子は「クロコディール(鰐)」にでていた一つの諷刺画を思い出した。それは、ソヴェト社会にある官僚主義を鋭く諷刺したものだった。「氷でつつまれた」役人たちを、一枚のブマーガ(書類)がどんなに忽ち愛嬌のいい人間に「とかしてゆく」かという有様が描かれていた。伸子は、
「わたし、これからヴ・オ・ク・スへ行ってくる」
ソコーリスキーが、ヴ・オ・ク・ス(対外文化連絡協会)という単語をききとがめた。
「何と云われたんですか」
伸子に向ってきいた。
「わたしは、ヴ・オ・ク・スへ行って、こういう場合、モスク人はどう処置するのが普通なのか相談して来る、と云ったんです」
「ヴ・オ・ク・スにお知り合いがありますか」
「わたしたちは、モスクへ来てもう一年たっているんです」
ソコーリスキーは沈黙した。しかし、彼が伸子たちのいる部屋をあけさせなければならないことにはかわりないらしく、しかも、その時刻は、刻々に迫っているらしかった。考えながらソコーリスキーは腕時計をのぞいた。そして、また思案していたが、暫くすると、それよりほかに方法はない何事かを決心したらしく、
「わたしは、最後の協調案を提出します」
と云った。
「必ずあなたがたのために、最も早い機会にこの建物の中で部屋を一つ見つけましょう。今の部屋とちがわない部屋を。――これは約束します。心あたりもありますから。その条件で、子供部屋へ荷物を運ばして下さい」
「では、わたしたちは、あなたの言葉を信じましょう。部屋ができたら子供部屋からそちらへ移りましょう」
ソコーリスキーは、ディヴァンから立ちあがると、伸子たちに挨拶することも忘れて、あわただしい足どりで台所へ行った。
伸子たちは、机の上に並べたばかりの本や飾りものを自分たちで、食堂と壁をへだてた裏側の子供部屋へはこんだ。
アニュータは、子供寝台をその室からおし出し、あっちの室から折り畳式の寝台をもって来た。大きいトランクや籠は、外出のために外套をつけたソコーリスキー自身が運んだ。子供は前もって夫婦の寝室へつれてゆかれていて、白い壁の上に、復活祭の飾りか、誕生日祝の飾りか、赤と緑の紙で大きいトロイカの切り紙細工がのこされていた。ほかの室より燭光のよわい電燈で照されている子供部屋にはかすかに甘ったるく乳くさいにおいがしみついている。部屋そのものは、伸子たちのかりたところよりも倍以上ひろかった。けれども、窓ぎわにごたごた子供部屋らしい品々をのせたテーブルがあるきりで、デスクはないし、スタンドはないし、伸子たちは避難民のようにベッドの上に坐って、建物の内庭に面した暗い窓の外に降っている雪を眺めた。
その晩、伸子が手洗いに行ったら、まだ灯のついた食堂のドアが開いていて、細君が葡萄酒の壜とコップとをのせた盆をうやうやしげにもとの伸子たちの部屋へ運んでゆくところだった。
あくる朝、伸子と素子とは目ざめ心地のわるい気分で、乳くさい部屋の第一日を迎えた。顔を洗って来た素子が、男ものめいた太い縞のガウンを着て、手拭をもって、臨時にあてがわれている部屋へ戻って来るなり、
「保健人民委員にミャーコフっていう男がいるのかい」
ときいた。
「――知らない」
伸子は、ソヴェトの指導的な人々の名をいくつか知っていたし、ある人々の写真をエハガキにしたのも数枚もっていた。けれどもそれは一年もモスクに暮している自然の結果で、政府の役人の一人一人についてなど、知っていなかった。
「その人がどうかしたの?」
「あの部屋へ来ているのは、その保健人民委員のミャーコフだとさ」
ソコーリスキーが伸子たちに部屋をかわらした熱中ぶりの意味がそのひとことで説明された。同時に、伸子は疑いぶかい、さぐるような表情を二つ目にあらわして、じっと素子を見た。
「そんな人間が、なぜ、こそこそこんなとこへ部屋なんかもつ必要があるんだろう」
ゆうべその人物がアパートメントへ来たのは、劇場のはねる前の、一番人出入りのすくない時刻だった。表ドアのそとについている別入口から直接部屋の鍵をあけて入ったらしく、ベルの鳴る音もしなかった。偶然細君が酒を運ぶところを見かけて、伸子は、自分たちをどけたその室に予定のとおり人が来ているのを知ったのだった。
「何かあるんだね」
「いやねえ」
去年ドン・バスの反ソヴェト陰謀が発覚してから、ソヴェトの全機構と党内の粛正がつづけられていた。収賄、不正な資材や生産物の処分、意識的な指導放棄などが、いろいろの生産部門、協同組合などの組織の中から摘発されて「プラウダ」に記事がのせられる場合がまれでなかった。一人の人民委員が、その地位にかかわらず非合法めいた住居のかえかたをしたりすることは、外国人である伸子たちに暗い想像を与えた。そして、その暗さは、ソヴェト生活の中では特殊な性格をもった。みんなから選ばれた人民委員が大衆の批判をおそれて、こそこそ動く。そのことが、ソヴェト生活の感情にとって不正の証明であるという印象を与えるのだった。その感情は素朴かもしれないが強くはっきりしていて、伸子は、そういう者のために自分たちがいるところをとりあげられるいわれは絶対にないという気が一層つよくおこった。自分たちは外国人で、共産党員でもなければ、革命家でもない。だけれども、少くともソヴェトの人々の真剣な建設の仕事をむしばむ作用はしていない。こそこそアジトをもったりする人民委員よりも、伸子たちの方が心性と事実とにおいてソヴェトの人々の側にいるのだ。伸子は、
「それならそれで結構だわよ、ね」
挑戦的な元気な表情で云った。
「ソコーリスキーがわたしたちをおい出す理由がますます貧弱になっただけだわ」
朝晩は部屋へ運ばれることになっている茶を注ぎながら、素子が幻滅したような皮肉な口調で、
「人民委員は、バルザック(ロシア産の白葡萄酒)がお気に入ったとさ。朝はコーヒーしかめし上らないんだそうだ」
と、唇をゆがめて笑った。
「アニュータは、うちへそういう人が来たっていうんで亢奮してだまっちゃいられないんだね。絶対秘密だってみんな話してきかせた。どうせしゃべらずにいられないんならわたしを対手にした方が安全だから、アニュータもばかじゃない」
伸子は茶をのみながら考えていて、
「部屋がみつかりさえしたら、ひっこしましょうね」
と云った。
「たとえわるい部屋でもね」
いかがわしい事件にかかわりのある家に自分たちがいることを伸子はいやに思った。モスクへ来て一年たつ間、伸子たちの存在は何の華々しいこともないかわり、平静で自由であった。もしミャーコフという保健人民委員のいざこざにつれてどういういきさつからかそれに荷担しているソコーリスキー一家の生活がひっくりかえった場合、それにつれて自分たちの生活まで一応は複雑な角度から見られなければならない。そういうことは伸子にいやだった。保が死んでから、かっきりソヴェト生活へうちこまれた自分しか感じられずにいる伸子にとって、そういう事態にまきこまれるような場面に自分をおくことはあんまり本心にたがった。
それには素子も同じ意見で、熱心に自分のきもちを話す伸子を半ばからかいながら、
「わかってるじゃないか。そんなにむきにならなくたって」
と云った。
「しかし、ソヴェトもなかなかだなあ。アニュータはその男がコーヒーをのむ(ピヨット)というところを、わざわざプリニマーエットと云ったよ。特別丁寧に云ったわけなんだ。ナルコム(人民委員)はただ飲むんじゃなくて――召しあがるというわけか」
プリニマーチという動詞を、伸子は薬なんかを服用するというとき使う言葉としてしかしらなかった。
その日も一日雪だった。伸子たちがモスクへ着いて間もなかった去年の季節の風景そのまま、来年の春まで街々をうずめて根雪となるこまかい雪が間断なく降りつづけた。
正餐のとき、それまでどこにも姿を見せなかった細君が不承不承な様子で寝室から出て来た。そして、テーブルにつき、
「いやな天気ですね」
おちつかない視線を伸子たちからそらして台所の方を見ながら、両手をこすり合わした。素子が平静な声で、
「特別でもないでしょう」
と云った。
そのアストージェンカ一番地の大きいアパートメントには、中央煖房の設備があって、各クワルティーラは台所まで居心地よい温度にあたためられているのだった。
細君は、すこし乱れた褐色の髪の下にエメラルドの耳飾りを見せながら、スープをのんだきりだった。両肱をテーブルの上について、時々指でこめかみをもみながら、二番目の肉の皿にも乾果物の砂糖煮にも手をつけなかった。ソコーリスキーは正餐にかえって来ず、伸子たちの出たあとの部屋へ来た人物同様、いつ帰っていつ出てゆくのかわからなかった。
翌日、正餐のときも細君は寝室にとじこもったきりだった。アニュータの給仕で二人だけの食事を終って、伸子は食堂の窓からアストージェンカの雪ふりの通りの景色を眺めようとした。寝室のドアがすこしあいていて、
建物の同じ棟の一階下に、ともかく部屋が見つかったのは三日目の正餐のあとのことだった。細君は、まるで一家のごたごたが伸子たちのせいででもあるように、がんこに寝室から顔を出さなくなった。正餐には帰らなかったソコーリスキーが五時ごろ、いそいで十五分間ばかりもどって来て伸子たちのドアをたたいた。やっと同じ棟の三階に一部屋できたこと、四十分たったら荷物をはこぶために門番が来ることを通告して、ちょいと寝室へ入ってゆき、ドアの間へ外套の裾をはさみこみそうにあわただしくまた出て行った。伸子たちはアニュータに心づけをやり、太って息ぎれのする門番について三階の新しい室へおりて行った。
いかにも醇朴な若くないロシア女の眼をもった主婦の顔を見て、まず伸子がふかい安心と信頼を感じた。そのルケアーノフ一家はソコーリスキーの家庭と比較にならないほど質朴で、住んでいる人に虚飾がないように調度も余計なものはなに一つなかった。
伸子たちのための部屋というのは、しかしながらひどい部屋だった。この建物には、どこへ行っても一部屋はそういう室があるらしい狭い小部屋が、ルケアーノフのクワルティーラでは、建物の内庭に面して作られていた。暗い外ではしきりなしに雪の降っている内庭に面して一つの窓が開いているばかりで、寝台が一つ、デスクが一つ、入口のドアのよこにたっている衣裳箪笥で、きわめて狭いその部屋はもういっぱいだった。
ソコーリスキーが苦しまぎれに、こんな部屋でも無理に約束したことは明白だった。伸子たちにしても、ソコーリスキーの破局的な不安にとらえられている家庭の雰囲気中にいるよりは、どんな窮屈でも、さっぱりしたルケアーノフの室がましだった。伸子たちが、苦心して荷物を片づけているのをドアのところに立って見ているルケアーノフの細君の素朴な鳶色の目に、真面目な親切と当惑があらわれた。
「この室は、わたしの娘がつかっている部屋でしたのを、ソコーリスキーが、たってと云われるので、お二人のためにあけたんですけれど――二人が暮せる部屋ではありません」
一層困惑したように、ルケアーノフの細君は、手縫いの、ロシア風にゆるく円く胸もとをくったうすクリーム色のブラウスのなかで頸筋をあからめた。
「わたしどものところでは、あなたがたのために正餐をおひきうけできるかどうかもきまっていないんです」
伸子も素子もそれぞれに働きながら、困ったと思った。素子が、
「ソコーリスキーがおねがいしませんでしたか」
ときいた。
「あのひとは、そのことをあなたにお話ししなければならなかったわけです」
「ソコーリスキーは話しました。けれども、わたしの夫がいま出張中なのです。この部屋をおかししたことさえ、彼は知らないんです」
ソコーリスキーが何かの関係でことわりにくいルケアーノフの細君をときふせて、部屋のやりくりをさせたことはいよいよ明瞭になった。ゆっくり口をきく真面目な細君は、伸子たちに対して、主婦としてはっきりしたことの云いきれない極りわるさとともに、夫に独断で外国人を家庭に入れたりしたことに不安を感じているのだった。
「いいじゃないの、パッサージへたべに行けば」
日本語で伸子が云った。
「うちの人が気持いいんだもの」
素子が、むしろ細君の不安をしずめるように、
「かまいませんよ」
と云った。
「何とかなります。心配なさらないでいいんです」
「オーチェン・ジャールコ(大変残念です)」
心からの声で細君がそう云った。しばらく考えていて細君としては
「お茶は、わたしどものところで用意できます。朝と晩――」
翌々日出張さきから帰って来たルケアーノフは、物の云いかたも服装も地味な五十がらみの小柄な撫で肩の男だった。大して英雄的な行動もなかったかわり、正直に一九一七年の革命を経験して、実直に運輸省の官吏として働いている、そういう感じの人物だった。ルケアーノフの眼も、細君の眼と同じ暖い鳶色をしている。二つのちがいは、ルケアーノフの眼の方が、細君の眼の明るさにくらべて、いくらかの憂鬱を沈めているだけだった。娘が二人いた。やせて小柄で気取っている上の娘は去年モスク大学を卒業してどこかへ勤めている。下の娘は、来年専門学校へ入るぽってりとした母親似の少女で、母親よりもっと澄んだ鳶色の眼に、同じ色の艷のいい髪をおかっぱにしている。この下の娘が伸子たちの室へ茶を運んで来た。ドアをゆっくり二つノックして、
「いいですか?(モージュノ?)」
どこかまだ子供っぽい声で、ゆっくり声をかけ、ついにっこりする笑顔で茶の盆をさし出した。
ルケアーノフの質素な家庭には、伸子と素子の語学の教師であるマリア・グレゴーリエヴナとその夫でヴ・オ・ク・スに働いているノヴァミルスキー夫妻のクワルティーラにあるような雰囲気があった。みんながそれぞれに自分たちのすべき仕事を熱心にし、乏しくないまでも無駄のゆとりはない暮しぶりだった。夫のノヴァミルスキーと妻のマリア・グレゴーリエヴナが、夫婦とも同じように外気にさらされて赤い頬と、同じようにすこしその先が上向きかげんの鼻をもっているように、ルケアーノフの夫婦と二人の娘たちは、みんな鳶色の眼とゆっくりしたロシア風の動作とをもっている。
ルケアーノフ一家の暮しぶりには、伸子の心に共感をよびさます正直さがあった。ルイバコフのうちでは夫婦ともが日常生活のどっさりの部分をニューラに負担させ、細君がそうであるように夫も目的のはっきりしない時間のゆとりのなかで暮していた。ソコーリスキーの家庭は、伸子にとって思いもかけずまぎれこんだソヴェト社会の一つのわれめだった。ルケアーノフの一家の、飾ることを知らない人々の自然で勤勉な簡素さは、保が死んでのち伸子の心から消えることのなくなった生活への真面目な気分に調和した。保がいなくなってから、ヴォルガ河やドン・バスの旅行から帰ってから、伸子は、はためには大人らしさを加えた。素子に対しても、おとなしくなった。しかし、それは伸子の心が沈静しているからではなくて、反対に、生活に対するひとにわからない新しい情熱が伸子の内部に集中しているからだった。ますます生きようとしている伸子のはげしい情熱は、ひそかに体の顫えるような、保は死んだ、という痛恨で裏づけられている。まぎらしようのないその痛みは、新しく生きようとしている伸子の情熱に音楽の低音のような深い諧調を与えていた。伸子は自分の内にきこえる響に導かれて、もっと、もっととソヴェト生活にはまりこんで行こうとしているのであった。
ルケアーノフの主婦が伸子たちの正餐をひきうけてもよいときめたのと、素子が、パッサージ・ホテルに部屋をとったのとが同じ四日目のことだった。
「惜しいな、折角そういうのに――」
丁度パッサージに部屋をきめて帰ったばかりの素子が、部屋にのこっていた伸子からその話をきいて残念がった。
「――でも、これじゃ、とてもやってかれないし……ぶこちゃんだってそうだろう?」
伸子は黒っぽい粗末な毛布のかかったベッドの上に坐っていた。
「無理ね。ほんとに一人分だわ、この部屋は」
「正餐だけたべにこっちへ来ることにするか」
パッサージ・ホテルとアストージェンカは近いけれども、素子は往復の時間が惜しいらしかった。
「ついおっくうになっちゃうからね、いまの天気じゃ。こっちで正餐をたべりゃ、ついどうしたってこっちで夜まで暇つぶししちゃう」
「わたしがパッサージへ行ったら? 暇つぶししないの?」
「いいさ、おっぱらっちゃうもの」
笑いもしないでそう云いながら考えていて、素子はやっぱり予定どおり自分だけパッサージに移ることにした。そうなれば、たった一人で降る雪ばかり見える窓に向いて、正餐をたべる勇気は伸子になかった。正餐には伸子がパッサージへ出かけて行くことにきまった。
舞台では、人々の耳になじみぶかい華麗な乾杯のコーラスの余韻をひきながらオペラ「椿姫」の第一幕めのカーテンがおりたばかりだった。
二階のバルコニーの第一列に並んでいる伸子と素子のところへ、一人の金髪のピオニェールのなりをした少年があらわれた。ピオニェールの少年は、素子のわきへよって来た。そして、そばかすのある顔じゅうにひどく陽気な好奇心を踊らして、
「それ、望遠鏡ですか」
素子のきなこ色のスカートの膝におかれていた双眼鏡をさした。
「ああ。――なぜ?」
「僕はじめてこういうものを見たんです。ずっと遠くまで見えるんですか」
「そんなに遠くは見えないさ、オペラ・グラスだもの――舞台を見るためのものだから」
赤い繻子のネクタイをひろく胸の前に結んでさげているピオニェールは、ちょっと素子の云っていることがわからない表情をした。
「それで見てもいいですか」
素子は、オペラ・グラスをそのピオニェールにわたした。そして、もちかたや、二つのレンズの真中にある銀色の軸をまわして、距離を調節する方法などを教えた。
「やあ素敵だ! あんな隅が、まるで近くに見えらあ」
ピオニェールは、オペラ・グラスを目にあてて、そう大きくもないエクスペリメンターリヌイ劇場の円天井のてっぺんだの、下の座席だのを見まわした。そのころモスクでは万年筆だの時計だのが珍しく思われていた。そのピオニェールがオペラ・グラスをはじめて見たということは本当らしかった。でも、ピオニェールが、オペラ・グラスを目にあてがって、あすこも見える! こっちも見える! とはしゃぐ有頂天ぶりは何か度はずれだった。伸子は、
「ほんとにそんなによく見えるの?」
そのピオニェールにきいた。
「そのグラスはもう古くて、よくない機械でわたしたちには舞台を見るにも不便なのに」
オペラ・グラスは、伸子の母親が誰からか外国土産にもらって長い間つかい古したものだった。小さいねじで、レンズが倒れて、オペラ・グラス全体が薄くたたまれる。それが手ごろで、伸子はもらって来たのだった。
伸子がそういうと、ピオニェールはレンズを目からはなして、瞬間かたまったような笑い顔で伸子をじっと見た。
「それ、ほんとですか」
伸子は半分ふざけて云った。
「レンズだの自動車だのは、一年ごとに進歩して、よりよいものが作られているのよ」
ピオニェールは、口のなかで、
「そりゃ本当だ」
と言いながらまたレンズを目に当ててバルコニーのうしろの方を眺めていたが、素子に、
「僕このレンズちょっとかりて下へもって行っていいですか。僕の席、あすこなんです」
バルコニーの手摺りから、下のオーケストラ・ボックスの右よりの場所を示した。
「僕、下から上が見てみたいんだ。いいですか。すぐもって来ます」
素子は、ちらりと伸子を見た。
「――いいだろう」
その言葉の響には、少年を信用してもいいだろうという意味がききとれた。伸子は、だまって、口元でわからないという表情をした。その少年のピオニェールの服装が、どこやら信用しない自分のきもちの方が普通でないようにも伸子に感じさせるのだった。
「まあいい――」
素子はロシア語で、
「かしてあげるよ。すぐもって来なさい」
と云った。少年はバルコニーから姿を消した。オーケストラ・ボックスに近い下の席にまた彼のピオニェール姿が現れるまでに、すこし時間がかかりすぎる感じだった。素子と並んで首をのばして下を見ながら、伸子は、
「あの子供、返しに来るかしら」
と云った。来ないような気がした。
「ピオニェールだよ」
「そりゃそうだけれど……」
そう云ってなお下を見ている伸子の頭に、札束のことが思い浮んだ。
「あなた、お金どこにある?」
「こっちへうつした」
伸子と自分との席の間に挾んでおいてある書類鞄を素子はたたいた。劇場へ来るまえに、伸子と素子とは国立銀行へまわって、三ヵ月間の生活費にあたるほどの紙幣をもっていた。素子はどうしたのかそれを外套の内ポケットに入れていた。劇場の外套あずかり所で、外套をぬいであずけるとき、素子はそのことを思い出し、ポケットから札束を出して、入れ場所をかえた。伸子は、素子のそういう動作は場所柄不用心だと思ったけれども、だまっていた。そのとき、彼女たちのまわりに何人か外套あずけの観客がいた。素子がそうやって手早くではあったが不適当な場所で札を動かしたとき、すぐ横にいて、どうも素子のやったことに気づいたらしい、きびしい顔つきの四十がらみの女が、赤っぽい絹ブラウスを着て、やっぱり同じバルコニーで素子から斜よこの席に一人でかけていた。
伸子は、あいかわらず素子と顔を並べて下を見ながら、小さな声で、
「お金、みられたんじゃないかしら」
と云った。
「あの女、気がついてる? 赤ブラウスの女、外套あずけのところで、すぐあなたのうしろにいたのよ」
「ああ、あいつはすこし変だ」
オペラ・グラスそのものは、伸子たちにとって、なくなって大して惜しいものでもなかったし、不便する品ものでもなかった。けれども、あの子供は、ほんとにただオペラ・グラスが珍しいだけなのか。それとも盗むのだろうか。伸子たちの好奇心はそちらに重点がうつった。
すこし時間をかけすぎた感じだったが、やがてそのピオニェールは伸子たちが見下しているオーケストラ・ボックスの近くの席へ、赤いネクタイ姿をあらわした。幕のしまっている舞台をうしろにして席のところに立ち、伸子たちのいるバルコニーへオペラ・グラスを向け、挨拶に手をふった。幕間にも席を立たずにいたまばらな観客の顔が二つ三つ、ふりかえって、ピオニェールがそこに向って手をふっている伸子たちのバルコニーを見上げた。少年の隣りの席にいた黒っぽい背びろ服の男が、少年からオペラ・グラスをかりて首をねじり、特に伸子たちの方というのではなくバルコニー全体を眺めた。そして、かえしたオペラ・グラスで又ひとしきりあっちこっち見まわしてから、少年は、いまそっちへゆくという意味の合図をして、見えなくなった。
ピオニェールは、オペラ・グラスをかえしに来た。素子は少し伸子をとがめるように「やっぱり来たじゃないか」とささやいた。そして素子と少年との間に、断片的な日本の話がはじまった。
「モスクに日本人すくないですね。中国人は僕よく知ってるんです、『子供の家』に中国人の子供がいたから。僕日本人にあったのはじめてです」
自分の名をペーチャと云って紹介したピオニェールは、やがて開幕を告げるベルが場内に鳴ると、
「僕、こっちの席へうつってもいいですか」
と素子にきいた。
「幕間に、もっと日本のことがききたいから」
その晩のエクスペリメンターリヌイ劇場は八分の入りだった。モスクの劇場ではそこがあいていることがたしかなら、席をかえてもかまわない習慣がある。――もっとも、そんな空席のあることはまれだったけれども。
ピオニェールはそのままバルコニーにのこって、赤ブラウスの女の一つうしろの席に坐った。素子と伸子との座席は丁度第一列の中央通路から一つめと二つめだった。素子の右手はゆったりした幅の通路で区ぎられており、その隣りにいるのは伸子で、あとずっとその列に空席がなかった。
オペラとバレエだけを上演する国立大劇場とくらべれば、エクスペリメンターリヌイ劇場は、上演目録も『ラ・ボエーム』『ファウスト』『トラヴィアタ』という風なもので若い歌手たちの登場場面とされていた。すべてが小規模で、舞台装置もあっさりしているけれども、その晩の『椿姫』は魅力的であった。ソプラノが、いかにも軟かく若々しい潤いにとんだ声で、トラヴィアタの古風で可憐な女の歓び、歎き、絶望が、堂々としたプリマドンナにはない生々しさで演じられた。歌詞がロシア語で歌われるために、流麗なメロディーにいくらかロシア風のニュアンスがかげを添え、その晩の『椿姫』は、プーシュキンでもかいた物語をきくような親しみぶかさだった。伸子は、体のなかで美しく演奏されたオペラのメロディーが鳴っているような暖くとけた心持で劇場を出た。パッサージ・ホテルまで歩いて、そこで素子とお茶でものんで、伸子はそれから電車でアストージェンカの住居へ帰るのだった。
雪のこやみになっている夜道を中央郵便局の建築場に面したパッサージの入口まで来た。伸子たちは二人きりでそこまで来たのではなかった。例のピオニェールが送ってゆくと云って、ついて来ていた。
パッサージの入口で、素子が糸目のすりきれた黒ラシャの短外套の襟の間から赤いネクタイをのぞかせているピオニェールにわかれを告げた。
「じゃ、さようなら、家へかえって、寝なさい。もうおそいよ」
ピオニェールは、ちょっと躊躇していたが、
「あなたの室へよって行っていいですか」
いくらか哀願するように云った。
「ほんの暫くの間。――じきかえります」
伸子も素子も、子供が茶をのみたがっているのだと想像した。
「ピオニェールが、そんなに夜更していいのかい」
そう云いながら結局三人で素子の室へあがった。そのとき素子は、モスクへついた一番はじめの晩に伸子と泊った室、あとでは長原吉之助がオムレツばかりたべながら二週間の余り逗留していた三階の隅の小さい部屋をとっているのだった。
素子の室へはいって外套をぬぎ、もちものをデスクの上や椅子の上においてひと休みするとピオニェールはめっきり陽気になりだした。小さい焔がゆれているような顔をしてトラヴィアタの中にあるメロディーを口笛で吹き、そうかと思うと、ブジョンヌイの歌を鼻うたでうたって、部屋じゅう歩きまわったあげく膝をまげた脚をピンピン左右かわりばんこに蹴出すコーカサス踊の真似などをした。
「なぜ、お前さんはそう騒々しいのかい」
と、素子があきれた顔でとがめた。
「おかしな小僧だ!」
ピオニェールはすかさず、
「僕、いつだって陽気なんだ。ラーゲリ(野営地)で有名なんです」
と口答えして笑ったが、敏感に限度を察して、それきりさわぐのをやめた。そしてこんどは当てっこ遊びをはじめた。
「この机の引出しに何が入ってるか、僕あててみましょうか」
「あたるものか」
「いいや僕あててみせます――
緑色のラシャの張ってあるデスクを上から撫でて、金色の髪がキラキラ光る五分刈の頭をかしげ、
「まず、紙類が入っている!」
「お前さんはずるいよ。紙類の入っていない机の引出しなんてあるものか」
「それから、たしかに鉛筆も入っている。ナイフ――あるかな?」
ピオニェールは、挑むような、からかうような眼つきをして素子と伸子を、順ぐりに横目で見た。
「少くとも、何か金属のものが入っています!」
そう宣言しながらさっと素子のデスクの引出しをあけた。その引出しに、白い大判のノート紙と日本の原稿紙などしか入っていないのを見てピオニェールは、失望の表情をした。
「大したもんじゃないや!(ニェ・ワージヌイ!)」
「あたり前さ、もちろん大したもんじゃないよ、紙は紙さ。白かろうと青かろうと」
ピオニェールはすぐ元気をとり戻した陽気さにかえって、
「でも、僕はあてましたよ、御覧なさい。これは金属でつくられてる!」
モスク製のペン先を二本つまんで見せた。
「――さてと……これには何が入っているかな」
デスクの上におかれている素子の書類入鞄に手をかけようとした。
「さわっちゃいけない」
きつい声で云って、素子はその鞄をかけている椅子の背と自分の体との間にしっかりはさみこんだ。
「なぜ、それにさわっちゃいけないんですか?」
「お前さんの指導者にきいてごらん」
伸子は、ピオニェールのあてっこ遊びに飽きて来た。茶をのまして早く帰そうと思い、水色エナメルの丸く胴のふくらんだヤカンをさげて、台所まで湯をとりにおりた。
湯の入ったヤカンをさげ、ピオニェールのためにコップとサジとをのせた盆をもって部屋へもどって来ると、ピオニェールは、せまいその部屋の真中あたりにじっと椅子にかけている素子のまわりを、ぐるぐるまわって歩きながら、伸子の茶色い小さなハンド・バッグをあけてなかをのぞき、
「やあ、あなたのまけだ!」
と叫んでいるところだった。
「七ルーブリ、三十五カペイキと、金の時計と、古い芝居の切符とが入ってますよ」
伸子は、変なことをすると思った。
「なにしてるの? なぜわたしのスーモチカ(金入れ)に用があるの」
「あなたのタワーリシチが、この中に入ってるものをあてる番だったんです。三ルーブリぐらい金があるだろうというきりで、あと何が入っているか、全然しらなかったんです。僕が勝ったんだから、これは僕が没収(リクイジーロワーチ)します」
ピオニェールは、その茶色の小型ハンド・バッグを、もったまま、手をうしろへまわした。伸子は、少年の前へずっとよって行って手をさし出した。
「よこしなさい!(ダワイ)」
「…………」
「どうして? よこしなさい! 遊びは遊びよ!」
戻してよこしたハンド・バッグを伸子は、机にしまい、音をたてて引出しをしめた。
「さあ、もう十分だ。お茶をのんで、帰るんです」
茶をのみながら伸子はそろそろ自分のかえる時間も気になりはじめた。
「何時ごろかしら」
素子が腕時計を見た。
「おや、もうこんなかい」
間もなく十二時になろうとしているところだった。
伸子はピオニェールのなりをした少年とつれ立ってパッサージ・ホテルを出た。トゥウェルスカヤ通りを、猟人広場の方へおりた。
「アストージェンカへは、ストラスナーヤからも行けますよ」
「知ってるわ」
「ストラスナーヤから行きましょうよ。――いやですか?」
「わたしには遠まわりする必要がないのよ」
ストラスナーヤ広場は、夜のモスクの繁華なところとされているかわり、いろんなことのある場所としても知られていた。伸子は、ストラスナーヤをまわって行こうと云った少年の言葉を自然にきけなかった。足早に猟人広場の停留場へ行こうとして、伸子は雪のつもったごろた石の間で防寒靴をすべらせた。
「気をつけなさい!」
ピオニェールは大人らしく叫んで伸子の腕をささえた。そして、彼が支えた方の手にもっていて、すべったとき伸子がそれをおとしそうにした茶色の小型ハンド・バッグを、
「僕がもってあげましょう」
伸子からとって自分の脇の下にはさんだ。
アストージェンカへ行く電車が間もなく来た。明るい車内は、劇場や集会帰りの男女で満員だった。伸子とピオニェールはやっと車掌台へわりこんだ。伸子たちのほかにも数人乗った。おされて少しずつ奥へ入りながら、伸子は、
「そのスーモチカをよこしなさい。切符を買うから」
と云った。
「僕が買ったげます――僕はパスがあるから」
そう云いながら伸子より一歩さきに車掌台から一段高くなった電車の入口に立っていたピオニェールは、すこし爪先だったようにして、こんだ車内を見わたした。電車は次の停留場へ近づいているところだった。ちょっと外を見た伸子が、目をかえして電車の入口を見たら、ピオニェールは、そこにいなかった。モスクの電車で車掌はいつも伸子たちののりこんだ後部にいて、日本のように車内を動きまわらない。見ればちゃんと婦人車掌は、こみながらも彼女の場所として保たれている片隅に立っている。ピオニェールは切符を買うために奥へ入る必要はないのだ。
やられた! 伸子は瞬間にそう思った。それといっしょに伸子は黙ったまま猛烈な勢で電車の奥へ人ごみをかきわけて突進しはじめた。伸子はすりという言葉を知らなかった。泥棒という言葉も思いうかばなかった。咄嗟に叫ぶ声が出なかった伸子は、ぐいぐい人をかきわけて奥へすすみ、停留場へ着く前に自分で赤ネクタイをつかまえようとした。
車内を四分の三ぐらいまで進んだとき電車はとまった。そして、すぐ発車した。車内には赤ネクタイの端っぽさえ見あたらなかった。ピオニェールは完全に逃げおおせた。
そのときになって、伸子はやっと口がきけるようになった。まわりの乗客たちは、黒い外套を着た小柄な外国女がピオニェールのなりをした小僧にスモーチカを
まだかなり人通りのある夜ふけの雪道を、いそがずパッサージ・ホテルに向って歩きながら、伸子は亢奮している自分を感じ、同時に、ピオニェール小僧のやりかたに感歎もした。エクスペリメンターリヌイ劇場で伸子たちにつきまといはじめてから、小僧は一晩じゅう目的に向って努力をした。双眼鏡をもって行って、それはかえして、第一歩の疑惑をといたやりかた。あてっこ遊び。小僧はそういう遊びにことよせて伸子たちの持ちものの検査と値ぶみをしたのだった。素子に、伸子のモードの金側腕時計を見せて、
「これ、にせものでしょう」
と云い、素子から、
「にせものなもんか、本ものだよ」
と云わせた巧妙さ。伸子も素子も、陽気すぎ、その好奇心がうるさすぎるピオニェール小僧に対して決して気を許しきってはいなかった。半分の疑惑があった。素子は、意地くらべをするように書類鞄を椅子の背と自分の背中との間に挾みこんで椅子から動かなかった。伸子だって、ストラスナーヤをまわろうというピオニェール小僧の言葉をしりぞけたとき、あっちに小僧の仲間がいるのかもしれないと思ったのだった。それだのに、結局スーモチカをもたせる始末になった。それは伸子がすべったはずみではあるが、全体として、あの金毛のそばかすのあるピオニェール小僧が、はじめっから伸子たちの警戒と油断とが等分に
パッサージのドアをあけ、去年伸子たちがモスクに着いたときからそこに置かれていた
椅子にちょこなんと腰かけて防寒靴をぬぎながら、伸子は、
「あの小僧が――そりゃ、そりゃ」
ノーソフは、頭をふった。
「わしは、あなたがたといっしょに小僧が入って来たのを見ましたよ。だが、あなたがたといっしょだったもんだからね、知り合いの子でもあるかと思ったです。――カントーラ(帳場)に話しなさるこったよ」
ノーソフと話しているうちに、伸子の眼の中と唇の上に奇妙に輝きながらゆがんだ微笑がうかんだ。トゥウェルスカヤの大通りからアホートヌイへ出るところで伸子が足をすべらし、そのはずみに何気なく伸子のスーモチカがピオニェール小僧の手にわたった。そのとき、ピオニェール小僧は、伸子の小型で古びたスーモチカを脇の下にしっかり挾み、伸子の腕を支えて歩き出しながら、手袋をはめている伸子の手をとりあげ、寒さで赤くなっている自分のむき出しの両手の間にはさんで音たかく接吻の真似をした。伸子は、馬鹿馬鹿しいというように手をひっこめた。
ノーソフと話しながら伸子はその情景を思い出した。あのときどんなにピオニェール小僧はほっとしたんだろう。先ずこれでせしめた。そう思ったはずみに、ピオニェール小僧は思わず伸子の手へ接吻の真似をしたのかもしれない。しかし――接吻の真似――それはやっぱりごまのはいの仕業だった。
小花模様のついた絨毯のしかれた午前一時すこし前の階段を伸子は一段ずつ素子の部屋へ、のぼって行った。
伸子と素子とがたかられ、伸子がスーモチカをとられたピオニェール小僧は、モスクで通称ダームスキーとよばれ、婦人や外国人専門のごまのはいだった。翌日、市民警察の私服のひとと四十分ばかり昨夜の出来ごとについて話して、伸子たちは新しくそういう事実も知った。しかし、伸子にも素子にも、自分たちの被害を強調する気分がなかった。ことのいきさつは、はじめから伸子たちの不注意に発端していたのだから。
写真で見るルイバコフがいつも着ているようなダブル襟の胸にひだのあるつめ襟を着た私服のひとは、こまかに伸子のとられた品物の記録をとった。わずかの金銭のことや時計のことを告げているとき、伸子はきまりわるい思いだった。時計は、モードの金側であるにしろ、とまったまま動かなくなっていたものだし、それは伸子が立つとき父の泰造が餞別に買ってくれたものでもあった。職業をきかれたとき、婦人作家と答えた伸子は、現実にあらわれたとんまを、自分に対してつらい点で感じるわけだった。
「わたしたちは、むしろ自分たちがわるかったと思っているんです。しかし起ったことは起ったことですからね」
素子が、その私服のひとにタバコをすすめながら云った。
「報告すべきだと考えたわけです」
「そうですとも。それにわれわれとしては、あなたがた外国のひとが、ピオニェールという点でその小僧を半ば信用されたことを、非常にお気の毒に思います。且つ遺憾とします」
ああいう小僧のつかまることや品ものの出ることについてはそのひとも度々の経験から期待をもっていないらしかった。
「あなたはどうお考えですか」
ゆうべから疑問に思えていたことを伸子が質問した。
「あの小僧は、本当のピオニェールだったんでしょうか、それともただピオニェールの服を着たよくない小僧だったんでしょうか」
ちょっと考えて、実直な顔をした若い私服のひとは、
「どっちとも云えないですね」
と云った。
「ピオニェールの組織は御承知のとおり大きな大衆組織で、モスク市ばかりで数万の少年少女がそれに属しています。――その小僧がピオニェールであることも事実であり、同時に職業的ダームスキーであることも事実かもしれません。――残念ながらこれは、過渡期の社会としてあり得ることです」
モスクへ来た当座はすりにもあわないで、一年たったとき念入りなごまのはいにたかられたということは、伸子に自分たちの生活態度をいろいろと考えさせた。劇場の外套あずかりどころで、素子が外套のポケットから札束を出したりした。それが間違いのもとだったのだが、そんな油断は伸子たちのどんな心理からおこったことだったのだろう。伸子も素子もモスクで働いて、それで取る金で生活しているというのではない。その上、ルーブルが円よりやすくて、換算上、日本の金の何倍かにつかわれている。素子と伸子のうかつさは、都会生活になれない人間の素朴なぼんやりさが原因なのではなくて、その土地で働いて生活しているのでない外国人がいくらか分のいい換算率に甘やかされている、そのすきだということが伸子には思われるのだった。
素子の節倹は、モスクへついた当座からかわりなく、伸子たちはいまでも、気のかわった贅沢な料理をたべに、サヴォイ・ホテルの食堂へ行くというようなことは一ぺんもしなかった。モスクとしてはたかい砂糖菓子さえ滅多に買わなかった。そういう風なつつましさでは、多くの実直なモスク人と同様なのに。――あの札束が、かりに素子の月給であったらどうだったろう。もしくは、伸子の原稿料だったら――いずれにせよ二人はもっと慎重だったにきまっている。
ルーブルと円との換算率ということも、改めて考えてみれば、伸子にとっては一つの自己撞着だった。日本の円に対してルーブルが低い換算率をもっているということは、日本よりソヴェトの方が、一般的に社会的信用がないことを意味している。でもそれは、日本のどういう条件に対してソヴェトの信用がより少ないのだろう。ソヴェトの大多数の人々にとっては、ソヴェトの全生活がほかの資本主義社会より少ししか信用できないものだとは決して思われていない。ここの国の人々が選んだ社会主義の実績は着々進められているのだから。農業や工業の電化は、一九二八年のメーデーから革命記念日までの六ヵ月間に、かなりのパーセント高められた。ソヴェトに対する信用は低いとしているのは、その社会主義の方法を信用しまいとしている諸外国の権力であり、ソヴェトに機械類その他をより高く売る方がのぞましい人々の利害であるし、本国にいるよりどっさりルーブルの月給がとれる出さきの役人や顧問技師の満足であるわけだった。
ソヴェトの生活になじむにつれて、伸子は、ソヴェトに対するよその国々の偏見と、それをこけおどしに宣伝する態度にいとわしさを感じていた。いってみれば、その偏見そのものが通過の上にあらわされている換算率で、自分たちのルーブルがふえるというのは何という皮肉だろう。
金についての素子のつましさは、働くもののつましさではない。むしろ、常にいくらかゆとりのある金を用心ぶかくねうちよくつかってゆく小市民的な習慣だ、と伸子は思った。けれども、それならば、伸子自身が素子とはちがった面で小市民的でないと云えただろうか。一度か二度ピオニェールの野営地を訪問し、クラブでピオニェールたちと会談したくらいのことで、ピオニェールのことは心得たようにあの金毛のピオニェール小僧に対した伸子は、自分の態度に甘さのあったことをかえりみずにいられなかった。ピオニェールのネクタイしか赤いきれがモスクにないとでもいうように! モスクぐらい、どこへ行ったって雑作なく赤い布きれが手に入るところはありはしないのに! 悪意は辛辣でリアリスティックだと伸子は思わないわけにゆかなかった。小悪漢ピオニェール小僧の
このことがあって間もなく、素子はパッサージ・ホテルから、筆入れ箱のように細長くて狭いルケアーノフの室に戻って来た。そして、伸子がチェホフの墓のあるノヴォデビーチェ修道院のそばの新しい建物の一室に移ることになった。
アストージェンカからモスクの郊外に向う電車にのってゆくと、その終点が有名なノヴォデビーチェだった。ノヴォデビーチェと云えば先頃までは修道院でしか知られていないところだったが、今年十二月の雪が降りしきるノヴォデビーチェにひとかたまりの新開町ができていた。モスク市の膨脹を語るできたばかりの町で、その町の住民の生活に必要な食料品販売店、本屋、衣料店などがとりあえず当座入用な品々を並べて菩提樹の下の歩道に面して木造の店鋪をひらいている。公園の中のように、大きい菩提樹の間をとおって幾条か雪の中のふみつけ道がある。その一条一条が三棟ほどある五階建ての大きいアパートメントのそれぞれの入口に向っているのだった。
雪空のかなたにノヴォデビーチェ修道院の尖塔のついた内屋根をのぞみ、雪につつまれた曠野にひとかたまり出現したその新開町のなかは、ぐるりの風景のロシア風な淋しさとつよい対照をもって、ソヴェト新生活の賑わいと活気をあらわしていた。雪の中に黒い四角な輪廓で堂々と建ちつらなっている大アパートメントは、化学航空労働組合が建てたものだった。人々は、何年かにわたって、これらの建物のために一定の積立金をし、完成の日を期待し、やがて凱歌とともにこの新開町へ引越して来たところだった。店々に品物がまだとりそろわず、雑貨店の赤い旗で飾った窓に石油コンロがちょこなんと二つ並んでいるばかりであるにしろ、そこにはこの町のできた由来と新生活のほこりがあるのだった。
伸子が移った室というのは、そのノヴォデビーチェの新開町の中心をなす三棟の大アパートメントの右はずれの建物の四階にあった。入口のドアをおして入ると、その大きい建物全体の生乾きのコンクリートがスティームに暖められ、徐々に乾燥してゆく、洗濯物が乾くときのような鼻の奥を刺すにおいがこめていた。借りた室は、ルケアーノフの室の四倍ほどの広さがあった。が、伸子は、組合の保健婦であるそこの細君に案内されて部屋をみたとき、素子がどうしてもそこに、おちついていられないんだ、といくぶんきまりわるそうに云ったわけがわかるようだった。
三方の真白い壁と、カーテンのかかっていない二つの大窓に面して、ひろくむき出された床の上には、ぽつねんと古びた衣裳箪笥が一つたっていた。ニスの光る新品のデスクが一つ窓に向って据えてあった。ドアの左手の窓ぎわにくっつけて、寝台がわりにディヴァンがおかれている。部屋を見わたして、伸子は、
「大変清潔です」
と云いながら、ひどく不思議な気持がした。その部屋は全く清潔でなくなろうとするにも、それだけのものがないのだったが、この室におかれているものは、デスクにしろディヴァンにしろ、どうしてこうも小型のものばっかり揃っているのだろう。デスクは、室の広さとのつり合いでおちつきようもなく小さくて真新しいし、ディヴァンにしろ、それがそこにあるためにかえって室内のがらんとした感じが目立つぎごちない新しさと小ささだった。伸子がモスクの家具として見なれた大きさをもっているのは、衣裳箪笥だけだった。どこにも悪気はないのだけれども、大きい顔の上に、やたらに小さい目鼻だちをもった人とむかいあっているような、居工合のわるさがその部屋を特色づけている。
素子がこういう部屋を見つけたことについて伸子は、ちっとも知らなかった。パッサージ・ホテルにいた素子は、ひとりで広告して、一人できめて、正餐つき一ヵ月の部屋代をさき払いした。
「ぶこちゃん、失敗しちゃった」
と、素子がノヴォデビーチェの部屋について話したのは、伸子をびっくりさせようとして、素子がノヴォデビーチェの室へ一晩とまって見た翌日の正餐のときのことだった。
「前払いなんかしなけりゃよかった。――すまないけれど、ぶこちゃんあっちで暫く暮してくれよ。入れかわって――いやかい?」
パッサージの室を素子はその日の夕方までで解約してしまっているのだった。
紙のおおいのかかったパッサージの食堂のテーブルに素子とさし向いにかけ、アルミニュームのサジで乾杏や梅を砂糖煮にしたものをたべながら、伸子は、答えのかわりに、べそをかいた顔をつくった。
「だって、そこは淋しいっていうのに――」
「ぶこなら大丈夫だよ」
「どうして?」
「わたしみたいに一日そんなところへとじこもっていなくたっていいんだもの。ぶこは寝るだけでいいんだもの、平気だよ。モローゾフスキーとトレチャコフスキーをしっかり見るんだって云ってたんじゃないか」
レーニングラードの冬宮附属に、エカテリナ二世がこしらえたエルミタージ美術館があった。その厖大で趣味のまちまちな
フランスの近代絵画の手法と、ロシアのどこまでもリアリスティックな絵画の伝統とは決してとけ合うことない二つの流れとして、ソヴェト絵画の新しい門の前にとどまっているようだった。ちょうど日本から歌舞伎の来ていたころ、プロレタリア美術家団体からフランスへ留学させられていた三人の若い画家の帰朝展がモスクで開かれた。パリにおける三年の月日は、ソヴェトから行った若い素朴な三人の才能を四分五裂させてしまっていた。三人の作品は、どれをみても、ソヴェト人にとって、外国絵画のまねなどをしようとしてもはじまらないことだという事実を証拠だてているようだった。画面全体が不確なモティーヴと模倣のために混乱した手法の下におしひしがれ、本人たちが、何をどう描いていいのか、次第にこんぐらがって行った心理の過程がうかがえた。パリへ行ったばかりのときの作品は主として風景で、三人ともロシア人らしい目でありのままに対象を見、しかもにわかに身のまわりに溢れる色彩のゆたかさと雰囲気にはげまされて、面白く親愛な調子を示していた。それが一年目の末、二年と三年めとごたつきかたがひどくなって来て、最後の帰朝記念の作品では、三人が三人ながら、いたずらに何かをつかもうとする苦しい焦燥をあらわしていて、しかもそれができずに途方にくれているのだった。
このパリ留学失敗展は伸子にいろいろ考えさせた。ソヴェトの新しい芸術はパリへ三年留学するというようなことでは創れない本質をもつものだ。この事実を、ルナチャルスキーとソヴェト画家たちが知ったことにはねうちがあった。学ばれること。模倣されること。ソヴェト独特の絵や文学がそのどっちでもなかったということは、伸子にとって身につまされる実感だった。この発見のなかには、伸子にむかって、それならお前のものはどこに? とひびく声がひそんでいた。ソヴェトの芸術はソヴェト生活そのものの中から。自分としては今のところ、益々ソヴェト生活そのものの中へ、という執拗な欲求の形でしか伸子の答えはないのだった。
そういうわけで、この冬、伸子はもっぱらトレチャコフスキーやモローゾフスキーを見るにしても――
「どうして、そのノヴォデビーチェ、ことわっちゃいけないの?」
それは自然な伸子としての疑問だった。
「そんなこと今更できやしないよ。だって、あの連中」
と素子はクワルティーラの番号だけはっきり覚えていて、名を忘れた化学航空組合員夫婦のことを云った。
「わたしがはじめての借りてなんだもの。そのためにデスクとディヴァンを買って入れたんだし、こっちだってそれに対して前払いしたんだから、解約なんてばかばかしいことはできないよ」
解約すれば一ヵ月の前金は先方にわたすことになっているのだった。
アストージェンカからノヴォデビーチェ行きの電車にのりながら、伸子は、そういう素子らしい考えかたを滑稽なように、また、いやなように感じた。自分が淋しくていにくいところへ、もっと淋しがりの伸子をやる。前金を無駄するのがばからしいという気持から――。しかし、伸子が行って見る気になったのにはどっちみちどこかへ室がいるのだからという実際の判断とともに、その淋しさというものへの彼女自身のこわいものみたさもあるのだった。
グーセフというノヴォデビーチェの夫婦には四つばかりの男の子があった。朝、八時すぎに夫婦がそろって出勤してゆく。暫くして、田舎出の女中が、男の子を新開町の中にある托児所へつれて行ってもどって来る。それから伸子が食堂で朝の茶をのみ、午後四時に、また一人で食堂の電燈の下で正餐をたべた。九時に、又同じようにして夜の茶をのむ。毎晩きまってそのあとへ、夫婦がつれだって、ときには集会の討論のつづきの高声でしゃべりながら、帰って来た。グーセフの家では夫婦とも勤めさきで正餐をたべた。
保健婦であるグーセフの細君は、ルイバコフの細君のように、自分の髪にマルセル・ウェーヴをかけて、女中のニューラに絶えず用をあてがうような趣味をもっていなかった。托児所へ送り迎えをしなければならない小さな子供がいるから女中もおいているという風なグーセフ夫婦は、ひる間女中の時間がすっかりあいているそのことから下宿人をおくことを考えついたらしかった。夫婦は下宿人に対してきわめて淡泊だった。したがって女中の料理の腕についても無関心だった。伸子がどんなに焦げたカツレツを毎日たべ、夜の茶にはどんなにわるい脂でかきまぜた魚とキャベジと人参のつめたい酸づけをたべているかということについても無頓着だった。
二三日暮らすうちに、グーセフの家のそういう無頓着さは、ほんとにただ無頓着だというだけのもので、むしろ自然な状態なのだということが伸子に会得された。小型なディヴァンも、室の大きさにくらべて異様にちょこんとしたデスクも、グーセフ夫婦にすれば単純に素子と伸子の体の大きさを念頭においてそれらの家具を選んだというのにすぎないらしかった。事実、その極端に小さく見えるディヴァンに伸子がシーツと毛布とをひろげて寝てみれば、それはゆっくりしないまでもさしつかえなく寝床の役に立つのだった。
グーセフ夫婦は足にあわせて靴の寸法でもはかるように、自分たちからみればずっと小柄な新しい下宿人の寸法に合わせて、清潔な新しい二つの家具を買い入れた。その小型なディヴァンと小型なデスクとが、がらんとしたひろい室にどんな効果をもたらすかということについて夫婦は考えなかった。そこに伸子にとっての苦しいはめがあった。
むきだしの二つの窓のそとには、十二月下旬の雪が降りしきるノヴォデビーチェのはてしない夜がある。がらんとした室の中に一点きれいな緑色をきらめかせている灯の下で、伸子はデスクに向っていた。せめてデスクにおくスタンドのかさでも気に入ったのにしておちつこうと、伸子はそのシェードをきょうモスクの繁栄街であるクズネツキー橋の店から買って来たのだった。伸子は例によって水色不二絹のスモックを着て、絹のうち紐を胸の前にさげている。伸子はこの室へ移って来てから毎日数時間デスクに向ってかけて、そのセメントのにおいとがらんとした室の雰囲気に自分をなじませようと練習しているのだった。
いまも外では雪の降っている夜の窓に向って、デスクにかけている伸子には、目の前の窓ガラスにうつる緑の灯かげと、その灯かげにてらされて映っている自分の水色のスモックの一部分ばかりが気になった。デスクの上に本と手帳とがひらかれていた。が、それには手がつかない。麻痺するような淋しさだった。なぜこうここは寂しいんだろう。あんまりセメントくさいからだろうか。伸子はしびれるような単調な淋しさにかこまれながらあやしんだ。部屋がガランとしているということが、こんなはげしい淋しさの原因となるものなのだろうか。しかしグーセフ夫婦はあっさりしたいい人間なのだ。伸子は自分をぐっとおちつけようとつとめるのだったが、ちょうど水をたたえた円筒の中でフラフラ底から浮上って来るおもちゃの人形のように、いつの間にか伸子の体も心も、深い寂寥の底から浮きあがって一心に寂しさを思いつめているのだった。淋しさははげしくて、ぬけ道がないのに、奇妙なことにはその淋しさにちっとも悲しさや涙ぐましさがともなっていなかった。伸子を淋しくしているそのがらんとした部屋がそうであるとおり淋しさは隅々まで乾いていて、コンクリートの乾燥してゆくにおいに滲透されているのだった。乾ききって涙ぐみもしない淋しさ。それは伸子にとって勝手のしれない淋しさだった。二つの黒目が淋しさでこりかたまったような視線を窓ガラスに釘づけにしている伸子の髪が、その晩は風変りだった。スタンドのかさを買う道で、伸子はクズネツキー橋の行きつけの理髪店によった。そこは男の理髪師ばかりでやっていて、評判がいいだけにいつもこんでいた。伸子の番がきたとき、年とって肥った理髪師は、ただ刈りあげて、という伸子の註文を、
「毎度こうなんでしょう? あんまり簡単すぎますよ」
と云いながら、白い布でくるまれた伸子の背後で鋏を鳴らした。
「御婦人の髪の毛は、羊の毛とちがいましてね、バーリシュニャー(お嬢さん)ただ刈りさえすればいいってわけのもんじゃありません――まあためしにやらせてごらんなさい」
肥った理髪師は、体で調子をとりながら次から次へと鏝をとりかえて、伸子の髪にあてて行った。鏡の上に動いている理髪師の白くて丸っこい手もとを見ていても、自分の髪がどんな風にできあがってゆくのか、伸子には見当がつかなかった。
「わたしは、あんまり手のこまない方がいいのよ」
「ハラショー、ハラショー。こわがりなさるな」
やがて、
「さあすみました! いかがです?」
闘牛のマンティラでもさばくような派手な手ぶりで、伸子の上半身をすっぽりくるんでいた白い布をとりのけると、肥った理髪師は、ちょっと腰をかがめて、伸子の顔の見えている同じ高さから鏡の中をのぞいた。そして、
「トレ・ビアン!」
フランス語で自分の腕をほめた。
鏡の中の伸子は、頭じゅうに泡だつような黒い艷々したカールをのせられているのだった。それは似合わないこともないが、似合いかたに全く性格がなかった。女が、その年ごろや顔だちでただ似合うという平凡な似合いかたにすぎなかった。伸子は、鏡の前へ立ったまま、手をやって、ふくらんでいる捲毛の波をおさえつけるようにした。
「いけません、いけません。そのままで完全です」
伸子はそんな髪を自分として突飛だと思った。だけれども、女は髪で気がかわると云われるから、もしかしたら淋しさを追っぱらう何かの役に立つかしらと思った。髪は祭のようだったが、伸子が雪の降る夜のガラス窓を見ている眼は黒い二つのボタンのようにゆうべと同じ淋しさで光っている。
その晩はめずらしく早めに帰って来ていたグーセフの細君が、ノックして伸子の室へ入って来た。
「邪魔してごめんなさい。外套を出さして下さいね」
一つしかない衣裳箪笥は、伸子のかりている室におかれていた。伸子とおもやいに使う、という約束だったが、伸子は自分のスーツ・ケースをディヴァンの横へ立て、外套は釘にかけていた。いかにも一時的なそういうくらしかたそのものが、なお伸子をそこになじませないのだということを伸子は心づいていなかった。
「あした、わたしどもお客に招かれているんです」
白木綿のブラウスに黒いスカートのグーセフの細君は、たのしみそうに云って、衣裳箪笥をあけた。そして、その中に彼女のもちものとして一枚かかっていた大きな毛皮外套をとり出した。グーセフの細君は、ハンガーごとその毛皮外套を片手でつり上げ、すこし自分からはなして眺めながら、
「ニェ・プローホ(悪くない)」
と云った。
「わたしに似合いますか?」
顎の下へその毛皮外套を当てがって伸子の方を向いた。伸子はノックがきこえたとき、ものが手につかず淋しがっている自分をその室の中に見出されるのがせつなくて、さも何かしかけていたようにデスクのまわりに立っていたのだった。伸子は、
「着てみせて」
といった。
「よく似合います」
「よかったこと」
細君は伸子がひそかに気にしたようには、伸子の髪の変化に注意をはらわず毛皮外套を着ている腕をのばし、厚く折りかえしになっているカフスのところを手で撫でながら、
「モストルグには、もっとずっと上等の毛皮外套が出ていたんです。でも、そういうのはひどくたかいんです」
と云った。
「わたしたちは、当分これで間に合わせることにきめたんです」
「結構だわ。いい外套ですよ」
グーセフたちは今年の冬は組合住宅へ住むようになった。そして、木綿綾織の裏がついた綿入外套でない毛皮外套を初めて着て夫婦でお客に招かれてゆけるようになった。グーセフの細君の生活のよろこびは、ノヴォデビーチェの新開町そのものに溢れている新生活のよろこびだった。ルイバコフの細君は決して身につけていない飾りけなさで、また遠慮ぶかいルケアーノフの細君にはできないあけっぱなしの単純さで、保健婦グーセフは何と気もちよく彼女たちの生活の向上を伸子にまでつたえるだろう。一面から云えば、この部屋がたえがたくがらんとしているのだって、ソヴェトにおける急速な勤労者生活の向上の結果なのだと思うのだった。
毛皮外套をかかえてグーセフの細君が出て行ってしまうと、伸子はふたたび、緑色の灯かげが動かないと同じように動かない淋しさにとりまかれた。グーセフの細君には、彼女の下宿人がこんなに、たっぷり空気のある部屋にいて、どうしてそんなに淋しがる必要があるのか、しかも淋しがっていることをどうしてだまってこらえていなければならないのか、それらのことは全然想像もされていないのだった。そして、伸子自身にも、その暖く乾いた淋しさにそれほど苦しみながら、なぜ一日一日を耐えて見ようとして暮しているのか、わかってはいなかった。伸子は、素子が、一ヵ月前払いしているということに呪文をかけられていた。その期限が来るまでは、としらずしらず身動きを失っていて、しかもその状態を自分で心づいていないのだった。
その年の十二月三十一日の晩、伸子と素子とは大使館の年越しに招かれた。漁業関係の民間の人々などもよばれていて、伸子ははじめてその夜の客たちにまじって麻雀をした。伸子のわきに椅子をもって来てルールや手を教えてくれる財務官の指導で、伸子はゲームに優勝した。
「これだから、素人はこわいというのさ」
いつもきまった顔ぶれで麻雀をしているらしい大使館の人たちが、勝ったことにびっくりしている伸子をからかって笑った。
「佐々さん、白ばっくれるなんて罪なことだけはしないで下さいね」
「わたし、ほんとに今夜はじめてなのに――。ねえ」
伸子が上気した顔をふりむけて念をおすのを、素子はわざと、
「わたしはそんなこと知らないよ」
とはぐらかしてタバコをふかした。その夜中に、伸子たちは珍しい日本風の握り
一九二九年の元旦、朝の儀式が終ってからまた暫く大使館で遊んで、伸子が素子といっしょにルケアーノフの部屋へかえったのは午後五時ごろだった。
ひとやすみして、伸子はノヴォデビーチェの自分の部屋へかえろうとしているうちに、胃のあたりがさしこむように痛んで来た。
「あんまり珍しいお鮨をたべたり、麻雀で勝ったりしたバチかしら……」
冗談のように云いながら、伸子は素子のベッドにあがって、壁へもたれ指さきに力を入れて痛い胃の辺をおした。
「冷えたんだろう」
素子が、湯タンポをこしらえて来た。
「足をひやしていたんじゃなおりっこない。暫く横になっていた方がいいよ」
着たまま毛布の下へ入り、湯たんぽを足の先、胃のうしろと、かわりばんこに動かして伸子は体を暖めようとした。
「どこも寒くないのに……」
痛みはつのって、夜になると、痛いのは胃なのか、それとも体じゅうなのかわからないほどひろがり、激烈になった。伸子は、痛みにたえかねて首をふりながら絶え絶えの泣き声で、
「ねていられない」
とベッドの上におきあがった。腹の中がよじられるように痛み、それにつれて背中じゅうが板のようにこわばった。起きていても苦しく、ねていることもできなかった。伸子はうめきながら素子の手をつかまえて、それを脇腹だの苦痛でゆがんだ顔などにあてながらベッドの上で前へかがみ、うしろにそりした。
明るすぎる電燈の光が顔の真上からさしている。伸子は、やっときこえる声で、
「まぶしくて」
とつぶやいた。伸子の瞼の上にたたんだハンカチーフのようなものがのせられた。伸子にだけくらやみが与えられた。そのくらやみにもぐっているような伸子の耳のつい近くで絶え間なく話し声がしている。話しているのは女と男とだった。彼等はロシア語でない言葉で話している。ゴットとかゼンとかミットとか。ドイツ語なんだろうか。女は入れ歯をしている。ああいうシュッ、シュッという音は入れ歯をした人間だけが出す音だ。いつまでしゃべるんだろう。もうさっきから無限にずいぶんながくしゃべっている。しゃべりつづけているようだ。伸子は、話し声をうるさく感じながら、同時に胴全体をくるまれたあつい湿布はたしかにいい心持だと思った。しきりに口が乾いた。伸子がそれを訴えるたびに、ふくろをむいて、お獅子にしたミカンが伸子の唇にあてがわれた。ミカンの汁を吸わすのは素子だ。見ないだってそれはわかっている。ミカン――マンダリーン。マンダリーンチク。プーシュキンは、どうしてあんなにたくさん果物の名を並べたんだろう。アナナースとマンダリーン。それを、素子が韻をひろって、雑巾のこまかい縫めのように帳面のケイをさして行く。おかしなの。詩を韻だけで書くなんて――愚劣だ。
やがて伸子にだけ与えられている暗やみの中で、素子が、ミカンここへおいとくからね、と云った。またあした午後来て見るからね、と云った。そして素子はいなくなった。男の声と女の声との、ごろた石の間をゆくような発音の会話はまだつづいている。
目をあいて、伸子は自分のおかれている病室の早い朝の光景を見た。同時にはげしい脇腹の痛みを感じた。ベッドのわきの小テーブルの上にあるベルを鳴らして便器をもらった。雑仕婦が用のすんだ便器をもって病室を出てゆくと、隣りのベッドの上に起きあがっていた中年の女が、
「こういうところで、ものをたのむときにはブッチェ・ドーブルイ(すみませんが)といった方がいいんですよ」
と教えた。
「あのひとたちはみんな忙しいんですからね」
「ありがとう」
ブッチェ・ドーブルイと云うとき、女の声は入れ歯の声だった。伸子はゆうべのまぶしさとうるささとがこんがらかっていた気持を夢のような感じで思いだした。
素子が午後になって来た。
伸子の運びこまれたのはモスク大学の附属病院だった。面会時間が午後の二時から四時までだった。伸子の胆嚢と肝臓とが急性の炎症をおこしているのだそうだった。
「胆嚢って、ロシア語で何ていうの」
「ジョールチヌイ・プズィリだよ」
「ふーん。ジョールチヌイ・プズィリ?」
「たって来る前、ぶこ、胃
「どうして、炎症をおこしたの?」
「わからないとさ、まだ」
全身こわばって身うごきの出来ない伸子は[#「伸子は」は底本では「伸は子」]、二つの重ねた白い枕の上に断髪の頭をおいたまま、苦痛のある患者につきものの鈍い冷淡なような眼つきで、フロムゴリド教授をじろじろ観察した。フロムゴリド教授は、何てごしごし洗った、うす赤い手をしているんだろう。その手を、白い診察衣の膝に四角四面において、鼻眼鏡をかけて、シングルの高いカラーに黒ネクタイをつけ、ぴんからきりまでドイツ風だ。フロムゴリド教授は、その上に鼻眼鏡ののっている高い鼻をもち、卵形にぬけ上った額を少し傾けて、
「まだ痛みますか?」
と、伸子の手をとり、脈をかぞえた。その声は権威のある鼻声だった。
「ひどく痛みます」
「お正月に酒をのみましたか?」
「いいえ、一滴も」
「家族の誰か、癌をわずらっていますか」
「いいえ、誰も」
「ハラショー」
フロムゴリド教授は椅子から立ち上って、伸子に、
「じきましになりますよ」
と云い、わきに立っていた助手のボリスにダワイ何とかとロシア語にドイツ語をまぜて指図した。
伸子は、一日に二度湿布をとりかえられ、湯たんぽを二つあてて仰向きにベッドに横たわっている。となりのベッドにいる女は糖尿病患者だった。肉の小さいかたまりが食事に運ばれて来たとき、その女は、ベッドに半分起き上って、皿の上のその肉をフォークでつついてころがしながら、
「肉のこんな切れっぱじ!――どこから滋養をとるんだろう」
憎々しげに云った。それはやっぱり入れ歯をしている声だった。アトクーダ・ウジャーチ・シールィ?(どこから力をとるんだろう)ウジャーチという言葉には奪うという意味がある。どこから力を奪う――生きるために。――そこには憎悪がある。
伸子は、ボリスと二人の看護婦におさえつけられて、ゴム管をのみこまされた。そのゴム管のさきに、穴のある大豆ぐらいの金の玉がついていた。伸子の口から垂れた細いゴム管の先は、ベッドの横の床におかれたジョッキのようなガラスのメートル・グラスの中に垂れている。そのゴム管はゾンデとよばれた。三時間、ゴム管を口からたらしていても、床の上におかれたジョッキには一滴の胆汁もしたたりおちなかった。
伸子ののむ粉薬は白くてベラ・ドンナという名だった。紙袋の上に紫インクでそうかいてある。ベラ・ドンナ。それは美人ということだった。
四五日たつうちに、伸子の体じゅうの痛みがおちついて来た。まず背中がらくになった。それから、鈍痛が右の脇腹だけに範囲をちぢめた。仰向いたまま少し身動きができるようになった。少くとも腕と首だけは苦しさなしにうごかせるようになってきた。そして、伸子に普通の声がもどり、生活に一日の脈絡がよみがえりはじめた。
モスク大学附属のその内科病室は、
はげしい苦痛が去るとともに、伸子が臥ていながらときどき雪明りそのもののようにすきとおったよろこびを体の中に感じるようになった。鈍く重く痛い右脇腹は別として。――胆嚢や肝臓の炎症が病名であり、伸子はその一撃でねこんだのだけれども、生活の微妙なリズムは、病気そのもののためよりもむしろ伸子の生の転調のために、そういう病気を必要としたかのようだった。モスクへ来てから、とりわけ去年の夏保が自殺してからというもの、伸子の生存感はつよく緊張しつづけていた。ノヴォデビーチェのあのコンクリートの乾いてゆくにおいのきつい、淋しい室で、伸子がこりかたまったようにその淋しさとむかいあって暮した一週間。伸子にめずらしいあの方策なしの状態に、もう彼女の病気のきざしがあったかもしれず、もしかしたら、あの建物の生がわきのコンクリートが暖められるにつれて発散させていたガスが、伸子の肝臓に有害だったのかもしれなかった。しかし、伸子には病気の原因や理由をやかましく詮索するような感情がなかった。伸子は内臓におこった炎症の一撃でたおれた自分の状態をおとなしく、すらりとうけとった。
ゾンデをのまなければならないとき、伸子は両眼から涙をこぼし仔猫のようにはきかけた。マグネシュームをのみ、ひどい下剤を与えられるとき、伸子は猛烈な騒々しさといそがしさのあげくにぐったりした。黒いレザーをはった台の上に横たえられ、皮膚の白いすべすべした伸子の胴がはだかにされることがある。その右脇腹へフランネルの布の上から
「パジャーリスタ・チューチ・チューチ。ハラショー?(どうか、少しずつ。いいですか)」
そのほかのとき、伸子は明るく透明な雪明りに澄んだような気分ですごした。右の脇腹の中に黒くて柔くて重たいものがあって寝台から動けない、そのためになおさら心は安定をもって、ひろびろとただよい雪明りとともにあるようだった。伸子は、非常にゆっくり恢復の方へ向って行った。病気の原因はわからないまま。そして、規則正しくて単調な朝と夜との反復の間に、いつか伸子の心から、保が死んで以来の緊張がゆるめられて行った。その全過程について伸子が心づかないでいるうちに。保が死んだとき、八月のゼラニウムが濃い桃色の花を咲かせているパンシオン・ソモロフの窓ぎわで、懇篤なヴェルデル博士が、蒼ざめている伸子の手をとって、あなたはまだ若い、生きぬけられます(モージュノ・ペレジワーチ)と云った。いまこそ、伸子は生きぬけつつあった、突然な病気という変則な大休止の時期をとおして。
モスク大学の病院には一等二等三等という区別がなかった。伸子のいるのは、内科の婦人ばかりの病棟で廊下のつきあたりに三十ばかりベッドの並んだ広い病室が二つあり、その手前に、四つばかりの小病室が並んでいた。小病室には二つずつ寝台があって、病気の重いものがそこへ入れられた。けれども、小病室があいていて一人を希望すれば、伸子がそうしているように、室代を倍払うだけで一人部屋にもなった。糖尿病の患者の女が退院すると、その女のいたベッドは伸子のとなりからもち去られ、大きい長椅子がもちこまれた。
素子が、その長椅子に脚をまげてのっていた。面会時間で、伸子がねているベッドの裾の方のあけはなしたドアのそとの廊下を、毛糸のショールを頭からかぶった年よりの女が籠を下げ、子供をつれて大病室の方へゆくのなどが見られた。モスクでは病院でも産院でも、原則として外から患者へ食べものをもちこむことは禁じられていた。
「考えてもごらんなさい。肉やジャム入りの揚饅頭が、胃の潰瘍にどんな作用をするか。しかも多勢の中にはそれさえたべたら病気がなおるとかたく信じている患者がいるんです」
助手のボリスはそう云って笑った。素子は、伸子の正餐のためにルケアーノフのところから鶏のスープと鶏のひき肉の料理とキセリ(果汁で味をつけた薄いジェリーのようなもの)を運ばせる許可を得た。それは、アルミニュームの重ね鍋に入れられ、ナプキンで包まれて、毎日きちんと四時半に、届けられた。
「ぶこちゃんが病気したおかげで、わたしもルケアーノフで正餐がたべられるようになったよ」
伸子のためにもって来たミカンを自分もたべようとしてむきながら、素子はわざと意地わるに云った。
「おかげで、スープをとったかすの鶏のカツレツばっかりたべさせられてる」
伸子は、枕の上にひろげて頭にかぶっている白い毛糸レースのショールの中で笑った。
「大丈夫よ。わたしはまだ濃いスープはだめなんだから、かすになりきっちゃいないわよ」
その年の冬は厳冬の季節がきびしくて、モスクで零下二五度という日があった。電車もとまった。伸子の病室の雪明りはその明るさに青味がかったかげをそえた。頭の上の二重窓の内側のガラスの隅にかけたところがあって、その小さい破れからきびしい冷気が頭痛をおこすほどしみて来た。その日伸子は湯あがりにつかう大きなタオルを頭からかぶって暮した。翌日素子にもって来てもらってそれから、ずっと伸子がかぶってねている白い羊毛レースのショールは、ヴォルガ沿岸のヴィヤトカ村の名物だった。去年の秋伸子と素子が遊覧船でヴォルガ河をスターリングラードまで下ったとき、ヴィヤトカの船つき場をちょっと登ったいら草原のようなところで、三四人の婆さんがショールを売っていた。雨が降ったらひどくぬかるみそうな赭土が晴れた秋空の下ででこぼこにかたまっていて、船つき場から村へ通じる棧道がヴォルガの高い石崖に沿ってのぼっていた。船から見物にあがって来た群集がショール売りの婆さんのまわりに群れていた。そのひとかたまりの群集も、口々にがやがや云っている彼等のまとまりのない人声も、みんなひろいヴォルガの水の面と高い九月の空に吸いこまれて、群集は小さく、声々はやかましいくせに河と空とに消されて静かだった。伸子が買ったヴィヤトカ・ショールはあんまり上等の品でなかったから、そうして枕の上でかぶっていても頬にさわるとチクついた。
ノヴォデビーチェの部屋は解約した。伸子の容態に見とおしがついたから、東京の佐々の家へ大体の報告をかいてやったことなどを素子は話した。
「どうもありがとう。いまにわたしも書くわ」
「おいおいでいいさ。いずれぶこちゃん自身で書くがと云っておいたから。――ノヴォデビーチェじゃびっくりしていたよ、ぶこが入院したと云ったら。お大事にってさ」
「――あの犬の箱みたいなディヴァン、まだやっぱりあの壁のところにあった?」
「あったさ」
素子は、ちょっと寂しい室内の光景を思い浮べる表情をした。
「――あすこは妙なところだったね」
そこへ伸子一人をやったことをいくらか気の毒に思う目つきで早口に云った。そして、
「きょうは、すこし早めにひきあげるよ」
と、腕時計を見た。
「河井さんの奥さんとスケートに行く約束してあるから」
「そりゃいいわ。是非おやんなさいよ、奥さんはすべれるの?」
「四年めだっていうんだから、すこしゃすべれるんだろう」
二人のスケート靴を買ったばかりで伸子は入院してしまったのだった。
「はじめ眼鏡はずして練習しないとだめよ、きっと。ころぶのをこわがってるといつまでもうまくなれないから。――どこでやるの?」
「どっか大使館の近くにあるんだとさ、専用のスケート場が……」
「――そんなところでないとこでやればいいのに……」
伸子はいかにも不服げな声を出した。専用スケート場と云えば、リンクのまわりが板囲いか何かで、一般のモスク人は入れないにちがいなかった。
「いっそモスク河ででもやればいいのに」
快活な冬のスポーツにさえ、専用のかこった場所をもっている外交官生活というものが、モスクという場所柄伸子にはひときわ普通でなく感じられた。伸子は、自分がこうやってねている病院が、あたりまえの大学附属病院で、いろんな女が入院しているのをよかったと思った。しかし素子は専用スケート・リンクというものについて伸子が感じるようには感じないらしく、
「いいのさ、はじめのうちはどうせころがり専門なんだから」
日本人同士の方が気がおけなくていい、という風に云った。伸子は白い毛糸レースのショールをかぶった枕の上から、長椅子の上に脚を折りまげている素子を、じっと、やぶにらみのような眼つきで見た。伸子は、ねたきりの自分と丈夫な素子とがその瞬間すれ違ったことを感じたのだった。
素子が帰ってからも、伸子は長椅子の肱かけのところに置きわすれられたミカンの黄色い皮を眺めながら、そのことを考えた。自分は身動きもろくにできず日に幾度かとってのぐらつくところをガーゼで巻いてあるベルをふって雑仕婦をよび、糖尿病患者のユダヤの女に教えられたとおりブッチェ・ドーブルイと云って用を足してもらっている。けれども、ここはロシアの人たちの病院だった。その二十四時間にはソヴェト式のやりかたとロシア固有のこころもちとが濃厚にまざっていて、伸子はねていながら病気のために一層ふかくロシアの人々のなかにはまりこんだ生活を感じていた。健康で大学に通っている素子の方が、スケートをはじめ、そのスケートがきっかけとなって大使館専用のスケート場へ行く。そして、ソヴェトの生活について、いつも必ず一定の距離をおき、それに感動しないということを外交官というものの特質のようにしている人々の雰囲気にふれてゆく。伸子には、そこにわりきれない心持がわくのだった。伸子自身、大使館で夜をふかすことがあったのだし、こんど急な病気で半分意識が
スケートをはじめてはいて、一歩あるこうとしては尻もちをつくユーモラスな姿を、どうして素子はロシアの人に見られるのがいやなのだろう。きっとそのスケート場にいる誰かが女か男かが、尻もちをつく素子のそばへ笑いながらやって来て、すべれるこつを教えてくれるだろうのに。ころぶのをロシアの人に見られたくないという素子の気分は、伸子に、いつか、素子が彼女をキタヤンキ!(支那女)とからかった物売女の頬にものも云わず平手うちを加えた感情の激発を思いおこさせた。
思ってみれば素子も一年のモスクぐらしで、生活上のいろいろの細目は加えたけれども、本質的な心もちの動きかたには、何とかわりがないだろう。大きいソヴェト生活のうねりに向ってさえも、素子は何かにつけ自分の自分らしさでうち向って行くようなのを思うと伸子は苦しくなった。
伸子は
澄みわたった二月の午後の雪明りが真白な狭い浴室の隅から隅までさしこんでいる。タイルばりの床の上に、車輪付椅子があって、その上に伸子のぬいだ病衣や毛布がたぐめられてある。浴槽には熱いめの湯がたっぷりたたえられていて、その湯のなかに沈んでいる伸子の体は、病人と思えないほど快い桜色だった。胆嚢や肝臓の炎症にかかわらず伸子は黄疸の気味もなかった。すこしのびた断髪のぼんのくぼの毛がぬれるほど伸子はゆったり手脚をのばして湯につかっている。明るい雪あかりは白い浴槽のふちに輝き、短く湯気のたっている湯がほんのり赤い伸子の体の上におこす波だちの上にきらめき、ナターシャの糊のきつい白前掛の膝に流れている。
ナターシャは、ちぢれた艷のいい栗色の髪を真白なプラトークでつつんで、白い看護服の首のところから洗いたての白前掛をかけ、肱の上まで両腕をむき出している。小さい円腰かけにかけたナターシャは気持よさそうに窓外の雪景色を眺めている。そうしていながらときどき、雪あかりをいっぱいうけて湯の中に横たわっている伸子の暖かそうな肌色の体に目をやり、また外を見ている。ナターシャの頬っぺたの色は日に日に熟して行くすももの色をしていた。ごみのない澄んだ雪あかりと白いプラトークや看護服のなかで、ナターシャのすもも色の若い頬っぺたは、びっくりするほどの生活力にあふれている。遠いそとの雪景色を見ている彼女のすももの頬っぺたの横顔やおなかのところで白い大前掛のもりあがっている若い丈夫な
額ぎわに汗ばんで来た伸子は、汗のつぶが流れるようになるまで漬っていて、ナターシャの腕につかまりながら湯ぶねの中に立ちあがった。伸子が、左脚に重心をおいて、ナターシャの腕につかまり、まだ足のつけない右脇をかばって立っているうちに、ナターシャはタオルで伸子のぬれて湯気のたつ体をつつみ、きつくこすった。自分も片手をうごかして拭きながら伸子がきいた。
「ナターシャ、数学の課題、どうなって? すんだ?」
その日ナターシャは午前の休息時間じゅう、微分の宿題ととっくんでいた。ナターシャの踵へ重みのかかった歩き姿をちっとも見かけないので、伸子が年とった雑仕婦の一人に、
「ナターシャ、きょうは休んだの」ときいたら、
「来ていますよ。――彼女は一生懸命数学の勉強しているんです」
そして、片手のひらを皺のよった頬にあてて同情するように頭をふった。
「課題は彼女にとってやさしくないんです」
ナターシャは第二モスク大学の医科のラブ・ファク(労働者科)の学生なのだった。
伸子の頭から新しい病衣を着せかけながらナターシャは、
「どうやらこうやらね」
と答えた。
「できないのが一題あるけれど、それはかまわないんです」
「あなたお風呂へ入ってからいつも学校へ行くけれど、それで風邪をひかないの」
「いいえ。お風呂はわたしのためにいいんです」
伸子の治療のため、毎日午後湯がわかされるようになってから姙娠七ヵ月の彼女は医局から許可されて、伸子のあと自分も入浴するようになった。それから正餐をすませ、彼女は晩の六時から十一時まで大学へ通って勉強している。
湯あがりの伸子がすき間風にあたらないように、ショールと毛布ですっかりくるんで、ナターシャは車椅子を押し、病室へもどった。いない間に病室のドアのすきから病棟に飼われている猫が入って来ていた。猫は枕もとのテーブルの上へのり、おとなしく、しかも熱中した様子で、テーブルの上にあるアスパラガスに似た鉢植の房々した青い葉っぱを引っぱってはたべている。伸子は猫にかまわず器用に車椅子からベッドへ移って横たわった。
「ああ、いい気持。ナターシャ、こんどはあなたの番よ」
「ハラショー」
入院して一ヵ月以上たったこのごろ伸子とナターシャとの間には、看護婦と患者とのありふれた交渉より、もうすこし友情に近い感情がうまれていた。その感情は、ナターシャの側ではごく淡白なもので、むしろ伸子のこころもちが、身重なナターシャの一挙一動に関心をそそられている状態だった。伸子のその感情は、はじめまるで逆なきっかけから成長した。
入院して五日ばかりたったとき、フロムゴリド教授が、伸子に治療として毎日の入浴を命じた。その午後、車椅子をころがして、
「お風呂へ行きましょう」
と病室へ入って来たのが、いま思えばナターシャであった。痛さでくたびれ、ぼんやりしている伸子の視線に、入ってきた赤い頬っぺたの若い看護婦のおなかがかなり大きいのがうつった。伸子はその看護婦に扶けられて、どうやらベッドから両脚をおろした。が、痛みでどこもかしこも
「やめましょう」
泣き声をだした。
「わたしたち、どっちの力もたりないんだもの」
翌朝助手のボリスが回診に来て、入浴の工合をきいたとき、伸子は、
「看護婦は来てくれましたけれど、彼女は姙娠しているんです。彼女のためにすけてがいるぐらいなのに、どうして、動けない私が運べるでしょう」
そういう体の看護婦に力仕事を命じたことは不当であるという不満を、はっきり声にあらわして云った。伸子のベッドに向って腰かけているボリスのよこに、当の看護婦が伸子のカルテをもって立っていた。またふたたび、伸子にとってもその看護婦にとっても不便なくりかえしが起らないようにと、伸子はその看護婦がそこにいるのを知って云ったのだった。
背が高くて、薄色の髪と瞳をもっているボリスは黙って伸子の訴えをきいていたが、訴えそのものには答えず、診察を終ると平静な口調で、
「まだ動くのには早すぎたかもしれないですね。まあ、ゆっくりやりましょう」
そう云って、全く自然な様子で病室を出て行った。伸子の非難をふくんだ訴えを聞かなかったと同様に。カルテをもった看護婦も同様だった。まるで自分の状態については、何の不満もあるべきようがないというあっさりした感じで出て行った。
彼等のあんまり自然なあたりまえらしさが伸子をおどろかせ、ついで反省をひきおこした。モスクでは、身重の看護婦がいるということは、或る場合あたりまえのことであったのだ。身重になった看護婦が、一つ病院の中でそういう体で大して無理のない部署へまわり、出産休暇まで勤務をつづけるのは、思ってみればあたりまえのことだった。ソヴェトでは働くすべての女が、姙娠して五ヵ月以後になったとき
ソヴェトのそういう女の勤労条件を、伸子はパンフレットでよんで知っていたはずだった。産院だの托児所だのも見学していた。だのに、そういう条件が当然病院の中の看護婦にもあてはめられるという現実をのみこまなかった自分におどろいた。痛い脇腹からしぼり出された伸子の、身もちの看護婦! という何か場ちがいなものに出会ったような感情は、ボリスやあの看護婦の知らない、しかし伸子はその中に生きて自分もそれに苦しまされて来た旧い社会での感じかただった。金をはらって入院している患者が、その金に対して、病院や看護婦に或る程度要求することが慣習になっている社会でのエゴイズムがほとばしり出たと伸子は心づいた。伸子がいままで経験して来た病院というところは、そこで病人がたかい金をとられ、医療に対する漠然とした不信用になやみつつ、自分の病を癒すことに懸命なところだった。モスクで病院は、患者が組合だの医療保険だのに後だてされながら病気を治療される場所であると同時に、そこで働いている健康な若い女である看護婦が、首からかけた白い大前垂の下に円く大きいおなかを公然と運び、踵へ重心をおいた歩きつきで、ゆったり働いていていいところでもあるのだった。
この発見は、伸子に、自分の住んで来た社会がどんなに思いやりがないかを思いしらせるといっしょに、驚くばかりの新鮮さで「よそとはちがうソヴェトの生きかた」を伸子の女の感覚に訴えた。
伸子は、身持ちのナターシャに絶大の注意をむけはじめた。
伸子の入院している婦人ばかりの病棟では六人の看護婦が二十四時間を八時間制の三交代で勤務していた。看護婦が、乳母という意味ももつニャーニャという言葉でよばれているのは、いかにもロシア風な人なつこさだった。また、ニャーニャという昔ながらのよび名が彼女たちの実際にもふさわしかった。というのは六人の看護婦のうち、いくらかでも系統だった医学の知識をもっているのは身もちのナターシャだけで、あとの五人はどれも年とった女たちで、親切と辛抱づよさと看病の経験をもっているだけの、よその国でいう雑仕婦だった。
朝の掃除の時間に、ナターシャが押し棒の先に濡雑巾のついた掃除道具をもって廊下から入って来るのを見ると、伸子は活気づいた。背の低いがんじょうづくりのナターシャは、艷のいい栗色のちぢれ毛と、そのちぢれ毛に似合った大きくていくらか動物的で勝気らしい眼をもっている。ナターシャは、ゆっくり
伸子は枕の上からナターシャの動作を目で追った。身もちの彼女の動きがひとりでの慎重さで統制されていることから、伸子はいかにもはじめて母になろうとしているナターシャの若々しさと、赤坊へのかわゆさと夫をこめた自分たちの生存全体へのまじめな評価を感じとった。伸子は、ゆっくり働いているナターシャに向ってねている病人がベッドからものをいう声の調子で訊いた。
「ナターシャ、あなたの旦那さんはどこに勤めているの?」
「彼は学生です。国立音楽学校の声楽科で、バリトーンです」
医科大学の労働者科(ラブ・ファク)に通っている若い身もちの看護婦の夫は、音楽学校の生徒でバリトーン歌手である。そのことを、ナターシャは、ソヴェト以外の国できくことのできない何の不思議もなさで答えた。
「じゃあ、あなたも音楽は好きね」
「オペラや音楽学校の演奏会の切符は決して無駄にしたことがないんです」
また別の日。ナターシャは掃除を終って、ガラスの吸いのみの水を伸子の枕もとのアスパラガスに似た鉢植に注いでいる。片手の甲でテーブルへのっかって来ている白と黒とのぶち猫の顔をよこへむけながら、伸子がいう。
「その猫、どうしてこう青いものがすきなんだろう」
「さあ。彼女にはリンゴがないからでしょう」
新しい野菜のない冬の間じゅう、モスクの人たちは、ほんとにリンゴやミカンをよくたべる。伸子も毎日ミカンをかかさなかった。
伸子は、いきなり話題をとばして、
「ナターシャ、ラブ・ファク(労働者科)はもうあと何年ですむの?」
ときいた。
「今二年めです。だから、あともう一年です」
「女の学生、何人ぐらい居て?」
「少ないんです。――たった九人」
ナターシャは看護婦というよりも大学生らしい眼くばりになって云った。
「わたしたちのところでは、一般に云ってまだ婦人がおくれているんです。生産面に働いている勤労婦人の間でも、高い技術水準をもっている女はすくないんです。それにラブ・ファクは昼間働いてからですからね。学課だってかなり骨が折れるし、女はやり通せない場合もあるんです。家庭をもったり、赤坊がいたりすると」
「あなたはどうなの? 自信がある? その体で昼間働いて、夜勉強する、つらいことがあるでしょう?」
「ニーチェヴォ」
ほんとに、何でもないという調子でナターシャは、むき出しの腕でちょいと顎をこすった。
「ラブ・ファクではほんとに勉強したいと思っているものだけが勉強しているんです。ただ、ときどき、眠いことったら! どうしたって目のあいてないことがあるんです。並んで順ぐり居睡りしているかっこうったら! オイ!」
ナターシャはたまらなさそうにふき出した。
「でも、みんないい青年たちなんです。ラブ・ファクには、全国で五万人ぐらいの若者が勉強しています。ルナチャルスキーが云っていたでしょう、『ソヴェトにとって最も必要なのは今ラブ・ファクで困難にうちかちつつ学んでいる者たちだ』って」
ナターシャは何でもない時間に、ふっと入って来ることがあった。
「かけてもいいですか」
「どうぞ」
長椅子にかけて、ナターシャは前かけのポケットからリンゴをとり出し、いい音をたててそれを丸かじりし、五分ばかり休んで出て行く。
ナターシャの勤務ぶりをつくづく眺めていて、伸子は心から、公然たる結婚、公然たる姙娠というものの本質がわかって来るように感じた。
伸子が女としてこれまで知って来た社会ではどこでも、公然たる結婚ということを結婚の儀式の手落ちない運びかたとか、さもなければ法律上の手続の完了――入籍したかしないかという点などから云っていた。こそこそしたことのきらいな生れつきの伸子は、その意味では佃と公然と結婚したのであったし、同じ意味での公然さで離婚した。
だけれども。――伸子は、ナターシャが彼女の職業と結婚、姙娠、赤坊の誕生についてもっている全く社会的な公然性を、自分の経験したみせかけばかりの公然さとくらべて見ないではいられなかった。伸子が女として生きて来た社会では、自分の意志で選んだ対手と生活しようときめた若い女に対してはその
伸子は、そういう社会に行われていて人のあやしまない虚偽におどろきを深めながら、佃と離婚しようときめたときの自分の困惑と動顛の感情を思い出した。伸子は、そのときになるまで日本の民法では女が結婚すると法律上の人格をうしなって無能力者にならなければならないという事実を知っていなかった。互にとって苦しい五年の生活のあげく、伸子は離婚するしかないときめて、その法律上の手続きを調べようと六法全書をあけてみたら、婚姻の項に、その法文を発見したのだった。そのとき伸子はもうずっと佃の家からはなれ、動坂の生家にいた。父親のデスクの前にたって六法全書のその頁をひらいたまま、ほんとにあのときは体も頭も一時にしびれてゆくようだった。佃はこの法律を知っているだろうか。伸子は恐怖の稲妻の下でそう思った。妻という立場の自分からは離婚もできないのだろうか。伸子は毛穴から脂をしぼられるような苦悩で、夫は妻に同居を要求する権利がある、という文句や夫の許可なくして妻が行うことのできない様々の行為をよみ、やっと協議離婚ということは、妻からも求めることができるとわかったとき。これで救われたと思った次の瞬間、伸子は一層残酷な恐怖にとらわれた。もし佃が、協議離婚をうけつけなかった場合はどうしよう。いつもの彼の云いかたで、それは伸子の望むことであるかもしれないが自分としては考えられもしないことだ、僕の愛は永久に変らない、と云って、その手続のためになくてはならない署名や捺印を拒んだら。――それは佃がしようと思えば夫としてする権利のある復讐なのだった。
うしろの往来では十一月の北風に砂塵がまきあげられている代書人の店先の土間の椅子にかけて、協議離婚の書式がげびた代書人の筆蹟でかかれてゆくのを、くい入る視線で見つめていた自分のコートを着た姿。やがて、佃の本籍地の役場で離婚手続きはされなければならないとわかったときの新しい不安。――ヴィヤトカ・レースのショールをかぶって、雪明りのさしている静かな病室に横たわりながら、あの暗澹としたこころもちを思い出すにつれ、伸子は、女だけがあれほどの恐怖をくぐって生きなければならない社会で、結婚の公然性など、いうも偽善だと思った。
ナターシャは美しい。若い強壮な動物がはらんでいるような荘重な純潔な美しさにみちている。そのような彼女の美しさは、ナターシャが彼女の現在あるすべての条件において公然と存在しているからこそ、日ましにはたん杏色の濃くなる彼女の頬の上に、日ましにふくらむ看護婦の白前垂の上に輝き出ているのだ。病室へ来て、赤い頬やエプロンの上に澄んだ雪あかりをちらつかせながら無心に何かしているナターシャを眺めていて、伸子はもうすこしで、
「あなたがたにとってソヴェト権力がどういうものだかということはほんとによくわかるわ」
と云いたくなることがあった。そんなとき伸子は黙ったまま白いショールと白い枕との間で、東洋風な一重瞼の黒い眼をしばたたきながら辛辣に考えるのだった。妻であった五年の間に、日本の権力が伸子の公然たる結婚に対して与えたものは、いくばくのものであったろうか、と。妻になったということで法律上の人格がうばわれたほかに、伸子のうけた社会的存在のしるしは、佃の月給に二十五円ずつ加えられていた家族手当と、年に四俵か五俵、独身者よりもよけいに学校からわけられる炭俵だけだった、と。
葡萄の房でも眺めるように、伸子は枕に仰向いている顔の上へ両手で一対の耳飾りをつまみあげて見ていた。ちょうど伸子の小指のさきほどある紫水晶が金台の上にぷっちりとのっていて、その紫から
いかにもモスクの富裕な商人の妻の耳につけられたものらしい趣味のその耳飾りは、伸子の誕生日の祝いに、素子が買って来てくれたものだった。そのままでは伸子に使いようがないから、二つの耳飾りを一つにつないでブローチにこしらえ直すという素子の計画だった。その前に、ひとめみせてと、きょうが誕生日であるきのう、素子が置いて行ったのだった。
紫水晶の重いあつかいかたはロシア風で、伸子はそれがブローチになったとしても紫水晶の重さにふさわしい豊満な胸が自分にはないと思った。二月の生れ月の宝石は紫水晶だからと、素子はその耳飾りを見つけて来てくれた。そして、伸子はよろこんだ。けれども、それはむしろ素子の心くばりに対して示されたよろこびというのがふさわしかった。伸子は、白い紙包みがあけられて、なかからその一対の耳飾りがあらわれたとき、宝石のきれいさに目をみはったと同時に心の奥には一種の衝撃を感じた。どこからみても新品でないその耳飾りは、それだからこそ金目と手間をおしまないいい細工なのだが、このことは伸子に刺すような鋭さで革命の時期を思わせた。はじめこれをこしらえさせて持っていた富裕な女の手からはなれて、この耳飾りが今計らず素子に買われるまで、どのくらい転々としたことだろう。どんな指が、富を表象するこの耳飾りをつかみ、そして離して来ただろう。
伸子のほんとの好みは、その純粋な美しさをたのしむ宝石のようなものこそ、新しくて、人の慾や恨みや涙にくもらされていないことが条件だった。新しくて美しい宝石が買えないのなら、伸子は全然買おうという気さえおこさなかったろう。でも、素子は買った。大病をしている伸子を慰めようとして。――
紫水晶の大きな粒にあたる光線の角度をほんの少しずつ変えながら濃紫色の見事な色を眺めているうちに、伸子は、露のしずくのようにあしらわれているダイアモンドがちっとも燦かないのを発見した。露は紫水晶からしたたって繊細な金の座金の上にとまったまま、白く鉱物性の光をたたえているだけだった。多計代の指にいつもはめられていた指環のダイアモンドが放ったような高貴なつよい冷たい焔のようなきらめきは射ださない。ウラル・ダイアと云われているダイアモンドの種類があったことを伸子は思い出した。それはアフリカから出るダイアモンドより質が劣っていると云われた。そんな話を、伸子は日本歌舞伎がモスクへ来たときにきいた。そのとき一行について日本から来ていた一人の婦人が、ロシアはダイアモンドがやすいと云ってウラル・ダイアをせっせと買っている、という風な噂話で。
伸子は、一瞬、見事なダイアモンドの指環をはめている多計代の、青白い皮膚のなめらかな細い指を思い出した。その若くない手の表情から、くすんだ色の紅をつけている多計代の華やかな唇のあたりが思い出された。ふっさりした庇髪、亢奮で輝いている黒い眼と濃い睫毛の繁いまばたき。伸子は横たわっているベッドの白いかけものの下でかすかに身じろぎをした。二三日前うけとった多計代からの手紙のなかに何だか気にかかる箇所があった。伸子の病気と入院していることを知った多計代は、いつものとおり流達すぎる草書の字を書簡箋の上に走らせているうちに、次第に自分の感動に感激して来た調子で、伸子の健康を恢復させるためには、母として可能なすべての手段をつくす決心をしたと書いていた。彼のために、というのは、死んだ保のことであった。多計代は、去年の八月保が自殺してから、保のことは決して固有名詞で云わなかった。彼としか書かなくなった。彼のために為すことの乏しかった母は、のこされた子等のために最善をつくすのが彼に対する義務だと思っています。そして、電報為替で千円送ってくれた。その金は、手紙より早くモスクへついていた。礼のハガキは行きちがいにつくだろう。が、いま紫水晶の耳かざりを見ているように仰向いたまま読んだ多計代の手紙にあるそれらの字句は、思い出したいま、やっぱり伸子に漠然とした
病室のドアのところへ誰かが来たように思って伸子は、いそいで紫水晶の耳飾りを手のひらの中に握った。伸子は、ナターシャに、こういうものを見られたくなかった。ナターシャが彼女の大きい少し動物的で勝気そうなあの眼でじろりと見て、肩をそびやかす気持が伸子にありあり映った。ナターシャにとって、それは軽蔑すべきものであり、彼女の階級の歴史が憎悪とともにそれをむしりすてたものなのだ。それをひろって、埃りを吹いて、掘り出しものだと珍重する外国人を見たとしたら、伸子がナターシャだったとしても、さあさあ、そんなものでいいならいくらでもおもちなさい、と思うだろう。伸子は、枕もとのテーブルから紙をとってその耳飾りをつつんだ。そして、ベラ・ドンナの粉薬が入っているボールの薬箱へしまった。
しばらくして、ほんとにナターシャが病室へ入って来た。ちぢれた髪と、濃いはたん杏色の頬と、踵へ重みをかけた重い歩きつきとで。洗いたての真白い看護服と前かけをつけて、ナターシャの丸い姿はひとしお新鮮だった。伸子は、もうナターシャのおなかの大きさにすっかりなれているばかりでなく、おなかの大きい彼女を愛してさえいるのだった。
「ナターシャ、きょうはあなたのちびさんの御機嫌いかが?」
「オイ! とても体操しているんです」
その日は、伸子のひまな日だった。マグネシュームと下剤をのまなくてよかったし、ゾンデもない日だった。
白い病室の壁にまぶしいくらい雪明りがさしている。伸子は、ぼんやりその明るさを見ながら一つの黒い皮ばりの安楽椅子と、白フランネルで縫われた小さい袋とを思い出した。昔、伸子がニューヨークでスペイン風邪にかかったとき入院していたのは、セント・ルーク病院の小さい病室で、黒い皮ばりの大きな安楽椅子が窓と衣裳箪笥の間におかれていた。それは看護婦用のものだった。水色木綿の服の上から、胸のところがひとりでにふくらむほどきつく糊をしたエプロンをかけ、同じようにきつく糊をした小さい白い看護婦帽を頭にのせた一人の看護婦が、その椅子にかけている。そして、モウパッサンの「頸飾」を伸子のために音読していた。
伸子はベッドにねてそれをきいている。日本語の翻訳で、伸子はその
「可哀そうに!」
心からそうつぶやいて、幾人もの看護婦に読みまわされたらしく頁の隅のめくれあがって手ずれた本をエプロンの膝の上においた。
じっとして仰向きにねている伸子の胸に、ミス・ジョーンズの実感のこもった Poor thing !(かあいそうに)という響がしみとおった。夫のために出席しなければならない一晩の宴会のために身分のいい女友達から、借りた真珠のネックレスを紛失させ、代りに買ってかえした真珠の頸飾りの代を月賦で払うために、何年間も苦労してやつれ果てた貧しくつましい妻。彼女夫婦の幸福ととりかえた月賦払いが終ったとき、もと借りた頸飾りは模造品であったことを知らされる。貧しくて正直なものが
一九一八年十二月で、曇ったニューヨークの冬空を見晴らすセント・ルーク病院の高い窓の彼方には、距離をへだてて大都市の同じような高層建築が眺められた。ミス・ジョーンズは、きちんと前を二つに分けて結っている褐色の髪の上に白い看護婦キャップをのせ、高い鼻を横に向けて、頬杖をつき、外の景色を眺めていた。すこし荒れたような横顔にはかすかな物思いと、きちんとした看護婦が彼女の勤務時間中、患者のどんな些細な要求にもすぐ立ち上って応じる準備をもっている習慣的な緊張がある。頬杖をついているミス・ジョーンズの手は、日に幾度も洗われるために薄赤く清潔で、何年間も患者の体を扱っているうちに力が強くなり、節々のしっかりした働く人の手だった。華美と豪奢の面をみれば限りのないニューヨークという都会のなかで、生れつき親切で勤勉で背の高いミス・ジョーンズが、隅のめくれたモウパッサンの「頸飾」一冊を膝において窓の外を眺めている姿は、伸子をしんみりした心持にした。
いつの間にとろりとしたのか、伸子は自分が眠りかけたのにおどろいたようにして枕の上で眼をあいた。ミス・ジョーンズはさっきと同じ窓ぎわの椅子にかけている。物音をたてずに行われている彼女の奇妙な動作が伸子の視線をひきつけた。ミス・ジョーンズは、真白い糊のこわいエプロンの前胸の横から、小さな灰色の袋をとり出し、そのくちをあけ、なかから何かつまみ出して左手の指にはめた。それは大きなダイアモンドのついた指環だった。ミス・ジョーンズは、女が自分の部屋でひとり気に入りの指環をはめて見ているときのように、真面目な、しらべるような表情で薬指に指環のはめられている左の手を眼の高さにもちあげて動かしながら、冬の室内の光線でダイアモンドのきらめき工合を眺めた。やがてその手を握って膝の上において、じっと見おろした。
その目をあげたミス・ジョーンズと伸子の視線があった。顔を赧らめたミス・ジョーンズのために、伸子はいそいで彼女と同じような真面目さで、
「その指環はたいへん立派な指環ね」
と云った。
「あなたは大切にしなくてはいけないわ」
ミス・ジョーンズは伸子の気持をそのままの暖かさでうけとって、
「Yes. Dear」
と答えた。そして、真白い帆のようにふくらんだエプロンの胸横から、長い紐でつりさげられている灰白の小さい袋をぶらさげたまま、
「これはわたしの婚約指環です」
と云った。そして、いまはベッドの上の伸子にもそれを見せるという工合にまた顔からはなして左手をあげて、しばらく複雑なきらめき工合を眺めた。
「勤務中、わたしたちは度々手を洗わなければなりませんからね、ときにはつよい薬で。どんな指環もはめられないんです。だからいつもわたしは勤務がすむと、はめるんです」
そうやって、伸子もいっしょに真面目な目つきで見ているミス・ジョーンズの婚約指環は、大粒なダイアモンドの見事さにかかわらず、浮々したところも、派手やかさもなかった。その婚約指環は、いかにもミス・ジョーンズとその夫になるらしい地味な人がらの男が二人で相談して、慎重に自分たちのものにしたという感じだった。婚約指環と云っても、そこには、どこかに勤めて一定の月給をとっている男と看護婦であるミス・ジョーンズとのつましい生活設計が感じられる。ふと読んだ「頸飾」の物語から、何とはなし自分たちの婚約指環を出して見る心持になったミス・ジョーンズに伸子は同感できるのだった。
その夜、七時になると、ミス・ジョーンズはいつものとおり伸子の髪をとかして二本の編下げにし、体じゅうを湯で拭いてアルコールをぬり、タルカム・パウダーをつけて、彼女の一日の勤務を終った。最後にスティームを調節して病室を出て行こうとするミス・ジョーンズに、伸子は、
「ミス・ジョーンズ、あなた、これからまだ手を洗わなければならないの?」
ときいた。
「いいえ。もうすっかりすみましたよ」
「じゃあ、あの指環をおはめなさいよ。わたしは、あなたがあれをはめて帰るところが見たいのよ」
ミス・ジョーンズは思いがけない注文をうけたように、ちょっとの間伸子を見て黙って考えていたが何か思いついたように、
「じき戻って来ますから」
ドアをしめて出て行った。ほんとにじき廊下に足早な女の靴音がきこえ、ノックと同時にドアが開いた。着物を着かえて来たミス・ジョーンズだった。彼女はカラーに黒い毛皮のついた紫色の外套を着て、黒い目立たない帽子をかぶっている。
「これでお気に入りましたか?」
いそぎ足に伸子のベッドのわきへよって来て、
「さようなら、おやすみなさい」
右手で伸子のかけものを直しながら、婚約指環をはめた方の手で伸子の手をにぎってふった。
「看護婦が個人のなりで病室へ入ることは禁じられているんです――さようなら」
ミス・ジョーンズはすぐドアのそとへ消えた。
――年をへだてて二月の雪明りが室内にあふれるモスクの病院で、あのときのミス・ジョーンズのダイアモンドの婚約指環や彼女が紫色外套を着てこっそり入って来たときの正直にせかついた顔つきを思い出している伸子の心は、それからあとにつづいておのずと思いおこされて来た記憶に一種の抵抗を感じた。そうやって毎夜七時に、ミス・ジョーンズが伸子のために夜の身じまいをして帰って行くと、やがて八時頃、伸子の病室のドアが間をおいて重くノックされた。佃が入って来るのだった。佃の下顎の骨格の大きくたっぷりした、青白い筋肉の柔軟な顔がまざまざと伸子の思い出に浮んだ。
そう。あのころ佃は毎晩伸子の病室へ訪ねて来たのだ。枕の上へリボンを結んだ二本の編下げをおき、それを待っていた自分。夜がふけてもうエレヴェータアのとまった病院の階段を一段一段遠のいてゆく靴音を追って耳を澄していた自分。それを思い出すことは、現在の伸子につらかった。その足音と顔とからにげだすために、あんなにも死もの狂いにならなければならなかった自分。それを思い出すことにも苦しさとこわさとがあった。
セント・ルークの病院にいたころ伸子の全心に恋があったから、ミス・ジョーンズの婚約指環に対してもあんなにやさしい同感があったと云えるかもしれない。それにしても、と、伸子は重苦しい記憶をのりこして考えるのだった。ミス・ジョーンズは、何とあの婚約指環を大事にし、自分たちの幸福の要石がそこにあるようにしていただろう。伸子が、彼女の大切な指環のありかを知ってからミス・ジョーンズはよくあの胸から下げている小袋を出して、一粒のダイアモンドを見た。そのたびに伸子は不思議な感じにとらわれたものだった。辛苦のこもっている見事なそのダイアモンドの婚約指環は、それがミス・ジョーンズのエプロンの下から出て来るとは思いがけないだけに、伸子には何だか、その婚約指環が金の結婚指環と重ねてはめられるときが、ミス・ジョーンズにとってなかなか来そうもなく思えるのだった。
伸子が病院から出て、やがてその都会の山の手にある大学の寄宿舎で暮すようになったとき、ミス・ジョーンズが一度芝居に誘ってくれたことがあった。若い女学生たちがざわめいている寄宿舎のホールで、伸子が七階の室からおりて来るのを待っていたミス・ジョーンズの全体の姿は、何と質素で隅から隅まで看護婦らしかったろう。歩いて来る伸子を認めて、ホールの椅子から立ちあがり、伸子の歩くのを扶けようとでもするように手をさしのばしながらいそぎ足によって来たミス・ジョーンズの素振りは、いい看護婦だけのもつまめな親切にあふれていた。その晩行った劇場の名も戯曲の名も、伸子はもう忘れてしまった。三階の席に、ミス・ジョーンズの親友であるもう一人の看護婦が来ていた。幕がすすむにつれて、ミス・ジョーンズはハンカチーフを握って、しきりに目を拭いた。白いハンカチーフで、せっかちそうに涙をふく彼女の手に指環があった。三階のやすい席からのり出して一心に舞台を見ながら涙をふいているミス・ジョーンズの急にふけたような真面目な横顔が、うす明りの中にぼんやり照し出されていた。
大きいおなかを勤勉な生活の旗じるしのようにして
ナターシャは、彼女がうけている社会の条件について、価値を知りつくしていない。そう伸子は思った。ナターシャにはどこにも過渡期の影がない。ナターシャはきっすいのソヴェト娘として育ち、生きている。ヒールのない運動靴のようなものをはいて、いくつも薬袋をのせた盆をもってドアの外を通ってゆくナターシャを伸子は枕の上から見ていた。
その日の午後おそく、やがて面会時間がきれようとするころ、伸子は思いがけない人に訪問された。その日は素子のいるうちに入浴がすんだ。その素子も帰ったあと、雪明りが赤っぽい西日にかわってゆく時刻の病室で、半分ねむったような状態でいた伸子は、
「こんにちは――入ってもいいですか」
という男の声にびっくりして目をあいた。ドアのところに、黒い背広を着て、がっちりした背の高くない日本人の男が
「どなたかしら」
ときいた。
「権田正助です。――大使館へ行ったらあなたが病気でここへ入院しておられるってきいたもんだから、ちょっとお見舞しようと思って」
権田正助という名は、伸子の耳にも幾度かつたわっていた。どこかの海で、国際的な注目のもとに第一次大戦当時沈没した旅客船のひきあげに成功して有名になった潜水業者であった。
権田正助は、自分を自分で紹介しているうちに、病室へ入って来た。そして、
「やあ、初めておめにかかります」
頭を軽くさげ、さっさとあいている長椅子に腰をおろした。
「ロシアの病院なんてどんな有様かと実はばかにして来たんだが、案外なもんじゃないですか。――なかなかいい」
権田正助は、枕についている伸子の顔を正面から見ながら、
「ところで病気っていうのはどうなんです」
ときいた。
「どこがわるいのかしらないが、いっこうやつれていないじゃないですか。それどころか、艷々したもんだ。いい顔の色ですよ」
伸子には、権田正助というような商売の人が、まるで見当ちがいな自分の見舞いに来てくれたということが思いがけなかったし、その上、調子の太いもの云いにあいてしにくい感じがした。
「あなたはいつこっちへいらしたんです」
伸子は話題を自分からはなして権田の側へうつした。
「こっちにも、何かお仕事があるんですか」
短く刈って前の方だけ長めな髪を左分けにしている頭のうしろを、ばさっと払うようにした片手を膝におとして、権田正助は、
「それがね、面倒くさくてね」
と云った。
「あなた、ブラック・プリンスっていう船の名をきいたことがあるでしょう? 有名なもんだから」
「――さあ、知らないけれど」
「ブラック・プリンスっていうロシアの大きな船が黒海のある地点に沈んだままになっているはずなんです。こんどは一つそいつをあげて見ようと思ってね、それでやって来たんですが、四の五の云って、ちっともらちがあかない」
「権利か何かお貰いになるわけなんですか」
「そうですよ。なかなかこまかい契約がいるんでね。第一引上げに成功したら、その何パーセントかはこっちへとるということがあるし」
ブラック・プリンスは、世界の潜水業者の間に久しく話題になっている沈没船なのだそうだった。金塊を何百万ルーブリとかつんだまま沈んでいるというのだった。
「それが今ごろまでそのまんまあるものかしら」
押川春浪の綺談めいた物語に伸子はうす笑いの口元になった。ソヴェトは、こんなに新しい開発建設の事業のために金を必要としている。それだのに、自分の領海に沈んでいる何百万ルーブリという金塊をうちすてておこうとは伸子には信じられなかった。
「案外、もう始末してしまってあるんじゃないかしら」
「いいや、そんなことは決してない」
つよく首をふって権田正助は否定した。
「第一、誰もまだブラック・プリンスの引上げに成功したっていう話をきいていないんだから」
「だって、いちいち世界へ報告しないだっていいでしょう」
「そう行くもんですか」
四十を越した年配にかかわらず、権田正助は、一徹に主張した。
「あなたにはわかるまいけれど、海の真中でそれだけの仕事をやるのに、航行中の船が目をつけないってわけは絶対にあるもんじゃないんです。わたしがやっているときだって、どうして、大したもんだった。――コースをまげて来たからね。それに、今のソヴェトには、あの船がひっぱり上げられるだけ腕のいい潜水夫はいませんよ。もぐることにかけちゃ、日本は世界一だからね」
かさばって貝がらだらけになった船そのものをそのままにしておいても、必要な金塊だけ発見して海底からもち出すことがあり得ないのだろうか。かりに権田正助が引上げて見て、金塊がなかったらどうするのだろう。
「そりゃはじめによくよく調べてかかるんですさ。対手国で保証しないもんなら、そりゃ骨折損ですがね――そのかわりうまく当てれば、相当のもんだからね」
権田正助は、当ったときの痛快さと満足を思い出して、
「どうです、これでわたしの商売もなかなか男らしくていいでしょう」
と云った。伸子は、ふと妙な気がした。権田正助は、酒のあいてをする女を前においていい気持になっているときのような口調で云ったから。双方が暫くだまった。
「ところで、あなたはいつごろ退院です?」
権田がやがて帰りそうにしてたずねた。
「さあ、まだ見当がつかないんです――肝臓がはれているから」
原因のわからない伸子の胆嚢と肝臓の炎症はなかなかひかなくて、つい四五日前、レントゲン療養所へまで行って調べた。その結果何も新しい発見はなかった。ゾンデをとおしてすんだ胆汁が出るようになって来たけれど、肝臓は膨れていて、肋骨の下から指三本たっぷりはみ出たままだった。
「肝臓とはまた酒のみみたいな病気になったもんだな――黄疸の気はちっともないじゃないですか」
「ええ」
「のむんですか?」
「いいえ」
「まあ、どっちみち大丈夫ですよ。わたしが保証してあげます。その色つやならじき退院できるさ」
帰りそうにしながらまだ長椅子にかけてねている伸子を見ていた権田正助は、ブラック・プリンスのことを云ったと同じ調子で、
「あなた、フレンチ・レター、知ってるでしょう」
と云った。フレンチ・レター。伸子はどこかでそういう言葉をよんだ。そして、それは普通の話の間には出されない種類のことのように書かれていたのを思い出した。だが、果してそういう種類のことなのかどうか。そうだとすれば、権田正助がこんなところで云い出したのがわからなくて伸子は、
「しらないけれど」
と云った。
「ふーん、知らないかな」
小首をかしげたが、
「男のつかうもんですよ」
と伸子に説明した。
「わたしのところに、非常に質のいいのがあるんです、全く自然なんだ。――一つこころみませんか」
伸子は白い枕の上に断髪の頭をのせ、ぽかんとした眼で権田正助を見た。権田の云っている言葉はわかるのだが、話の感覚がまるで伸子とピントを合わせなかった。黙って、意外な眼で権田をみている伸子に、
「とにかくお大事に。――時間があったらまたよってみますが」
と云って、権田正助は病室を出て行った。
どんな気で、権田正助が伸子の見舞いに来、ああいうことを云ったのか、伸子にはいくら考えても推量ができなかった。それなり世界的な日本の潜水業者と自他ともに許している背の低い、色の黒い男は伸子のところへ二度とあらわれず、伸子は一日のうち少しずつベッドの上へ起き上ってくらすようになった。
そうすると、伸子の病室に出入りするひとも、素子とナターシャと医者たちばかりでなくなった。医局の方につとめている若くない看護婦で、紙にはった押し花を売りに来るひとができた。その内気な小皺の多い看護婦のこしらえている押し花は、よくある植物標本のようなものではなくて、青色やクリーム色の台紙へ、その紙の色にふさわしい配合で三四種類のロシアの草や野の花をあしらったものだった。どういう方法で乾燥させるのか、花々は鮮やかなもとの色をあんまり
「きれいですね、よくこしらえてあります」
と云ったきりだった。それはナターシャとして自然な態度だった。乾燥して押された花は所詮思い出草にしかすぎない。自分の体のなかで旺盛な生の営みが行われているナターシャにはどんな思い出のよすががいるというのだろう。
また、二つばかり先の病室にいると云って、伸子のところへ美しく刺繍した婦人用下着をみせに来た女のひとがあった。病院ぐらしのいまは手入れもおこたられているが、いつもは理髪店で鏝をあてられているらしい髪つきで、瘠せてすらりとした体に、だぶつきかげんの紺のワンピースを着ていた。上へ、変り編の青っぽいスウェターを羽織って。
三十と四十との間らしい年ごろのそのひとは伸子にこまかい花飾を刺繍した麻の下着類を見せた。水色、紺、白、桃色のとりあわせで忘れな草が刺繍されているシミーズ。裾まわりに黄色とクリーム色、レモン色の濃淡であっさりとウクライナ風の模様が縫いとりされているパンテイ。どれもいい配色だし、手ぎわがよかった。伸子は、枕に背をもたせて起きあがっているベッドの上に、それらをひろげて眺めた。
「モスクにも、こういうものがあるんですね。どこでも見たことがなかった」
伸子が見る範囲のモスクでは、衣料品は貧弱で、麻のブラウスさえ見かけたことがなかった。
「商品じゃないんですよ。個人のためにこんな仕事をするひとがあるんです。わるくない腕でしょう?」
刺繍を見ている伸子にそのひとが云った。
「お気にいりまして?」
「大変きれいだわ」
「もしおのぞみなら、あなたのために、そういう下着類をこしらえさせることができますよ」
「そう? ありがとう」
伸子は、ぼんやり挨拶した。素子も伸子も日本からもって来た白いあっさりしたものばかり身につけていて、モスクでわざわざ刺繍させた下着を買うなどとは思いもよらなかった。
「――彼女はじきこしらえるでしょう。一週間もあれば。――あなたはそれまでに退院なさいますか?」
その云いかたで、伸子は、もしかしたらこのひと自身が刺繍のうまい彼女であるかもしれないと心づいた。そこで伸子は、下着類をたたんで、ありがとうとそのひとにかえしながら、
「わたしたちは、ここで簡単にくらしているんです」
と、下着を注文する意志のないことがわかるように云った。
「見事な下着――そして、上へ着るものは?」
女のひとも伸子といっしょに笑って、
「ほんとにね」
と同意した。
「すべての人は簡単にくらしたいと思っているんです。ただ誰にでもそうくらせるものではないんです」
伸子からうけとった下着類を女らしいしぐさで何ということなし自分で膝の上でたたみ直しながら、その女のひとは突然、
「あなた、子供さんは?」
と伸子にきいた。
「まだです」
そう答えて、伸子は夫もなかったのに、と自分の返事が飛躍したのに心づき、
「わたしには、まだ夫がないんです」
とつけ加えた。そのひとはそれについて何とも云わず、しかしどこかでその思い出が、外国の女の病室へ刺繍を見せに来ている現在の彼女の生活とつながっているらしく、
「わたしは子供をもったことがあったんです」
と話しだした。
「それは一九一九年の飢饉の年でね。年をとった真面目ないいドクターでしたが、わたしにこう云いました、いまこの子供を生んで、育てることができると思うかって。――わたしたちは、そういう時代も生きて来たんです」
伸子は去年、デーツコエ・セローのパンシオン・ソモロフで会った技師の娘の歯のことを思い出した。レーニングラード大学の工科の実習生として放送局につとめているそのソヴェトの娘は、可愛く大きく育った十九歳の体だのに、笑うと上歯がみんなみそっぱだった。その歯は飢饉のためだった。赤坊の乳歯から本歯にうつる年ごろに、その女の児がひもじく育ったせいだった。
双方の言葉がとぎれているところへ、ナターシャが、例の踵をひく歩きつきで病室へ入って来た。女のひとは、ナターシャが窓ぎわの台で何かさがしている姿を眺めていたが、しみじみと、
「これが、わたしたちの時代、ですよ――ねえ、ナターシャ。あなたお産の準備にいくら貰うの?」
「月給の半分。――産院は無料なんです。それに九ヵ月の牛乳代」
「決してわるかないわ」
女のひとは、なお暫くだまって何か考えながら長椅子にかけていた。が、ナターシャが出てゆくと、つづいて、
「では、お大事に。さようなら、わたしは多分あさってごろ退院するでしょう」
優美であるけれども素姓のあいまいなすらりとした後姿を廊下へ消した。
たった一ぺんだけ伸子の病室に現れて何かの生活の断片を落し、しかしもう二度とめぐり合うことのない訪問者の一人として、やっぱりそれも或る午後、伸子の病室へ一人のひどく気のたった女が入って来た。
病院で患者に着せる白ネルの病衣の上から茶がかった自分の外套をはおったもう若くない女は、両肩の上に黄色っぽい髪をふりみだし、ちょうどおきあがっていた伸子をドアのところに立ってにらむように見つめた。
「お前さんかね――日本の女のひとっていうのは?」
いきなりのことで伸子は返答につまった。しかしここで日本の女と言えば自分よりほかの誰でもないわけだった。伸子は、
「何か用ですか」
ときいた。
「入ってもかまわないかね」
「どうぞ」
伸子は、長椅子の方をさして、
「かけて下さい」
と云った。
「寒くないかしら。――ここの窓はガラスがこわれているんだけれど」
「なに、かまわないさ」
その女は、ひどく亢奮している様子でそんなことは面倒くさそうにせかせかと云った。
「わたしはね、ちょいとお前さんに会って話したいと思って来たのさ」
抗議することのある調子だった。伸子は何だろうと思った。人の気をわるくする機会があるほど伸子はまだ動けないでいるのだから。見当のつかないまま伸子は、
「スカジーチェ(おきかせなさい)」
と云って、両方の手を、半身おきあがっているかけものの上においた。
「わたしは、腎臓がわるくて、体じゅうはれたんでこの病院に入って来たのさ。できるだけ早くよくしてもらって、すぐかえるためにね。それが二週間よりもっと前のことさ。ところがもうこの一週間はわたしの体からはれがひいて、すっかりなおっているのに、ドクターは、まだ癒っていないって云うのさ。――え? 誰が知っちゃいるもんか! わたしは癒ったっていうのに、医者は癒っていないっていう。あけてもくれても一つことだ」
女はおこった大きな声でしゃべった。大病室の方はしずかだった。廊下越しに、彼女の病床がそっちにある大病室の仲間たちにも、伸子の室で自分が云っていることをきかせようとしているようだった。伸子は荒々しい生活の中に年を重ねて来たらしいその女の上気して毛穴のひらいた顔を見つめた。亢奮しているばかりでなく熱が出ているらしい眼のうるみ工合だった。伸子は、また、
「寒くないのかしら」
と気にした。
「ニーチェヴォ」
そんなことではぐらかされるものかという風に伸子の注意をしりぞけて、女は一層声高につづけた。
「わたしが早くかえらしてくれっていうと、ここのドクターと看護婦はいつだって、お前さんのことを引合いに出すんだ。あの日本の女のひとを見ろって、さ! 若くって、遠いところから来て一人ぼっちでねていて、友達が来るだけなのに、もう二ヵ月近く、いっぺんだって苦情を云ったことがないって。食べものについても、治療についても辛抱づよいって。わたしもお前さんに見習えっていうのさ!――ばかばかしい」
女は憤懣にたえないらしく、はげしい身ぶりで片手をふった。
「わたしとお前さんとはまるきしちがうじゃないか。こう見たところお前さんはまだ若い――」
首をのばして伸子の顔を改めて見直して、
「まるでまだ娘っこみたいなもんじゃないか!」
伸子は、思わず笑った。
「ところが、わたしはどうだね。わたしはもう四十四だよ。うちには、去年生れの赤坊を入れて五人子供がいるんだ。わたしは、あいつらに食べさせ、着させ、体を洗ってやって、その上勤めているんだ――わたしは掃除婦だからね。それに亭主だって――亭主だって見てやるもんがなけりゃ、どうして満足に働きに出られるかね。――わたしは、お前さんとはまるきりちがうんだ。わかるだろう?――どうして、わたしがお前さんと同じように辛抱づよくなれるかってんだ――世帯も持ってなけりゃ、亭主もなけりゃ、
粗野な女の言葉のなかに真実があった。伸子には心配の種がないんだ。ソヴェトの働く女というより古い、ロシアの下層の女のままな彼女の暗い不安な、人を信用しない感情には、医者のいうことも疑わしければ、苦労のなさそうな日本の女を手本にひっぱり出されることにも辛抱がならないらしかった。暗くせつなくとりつめて、髪を乱し、伸子にくってかかっている女に、伸子は自分が予期しなかったおちつきで、
「あなたがわたしのところへ来たのは、よかったですよ」
と云った。
「あなたは、本当のことを云いましたよ。たしかにあなたの条件とわたしの条件とはまったくちがうんです。――わたしはひとりもんだから」
つい体に力がはいって、重苦しくなった右脇に手をあてて圧しながら、伸子は説明した。
「しかし、お医者があなたに云ったことについて、わたしの責任はないのよ。わたしはまるでそのことは知らなかったんだから。――あなたから、いまはじめてきかされたんだから。そのかわり、あなたのことについて、わたしは誰からもひとことも話されていませんよ」
煮えたぎるようだった女のいらだちとぼんやりした屈辱感は、伸子のその話しぶりでいくらかずつ鎮められて行くらしかった。伸子のねているベッドの裾のところにつっ立っていた女は、すこしらくな体つきになって肩からひっかけている外套の前を押えながら衣裳箪笥にもたれた。伸子は、
「腰かけなさい。立っていることはあなたの病気にわるいんです」
と云った。
「あなたは、あんまりどっさり働かなけりゃならなかったから病気になったんだから……」
女は、のろのろした動作で長椅子にかけた。彼女は素足に短靴をつっかけている。いかにも、もう我慢ならない、と病室からとび出して来たらしく。ひとめ見たときはこわらしい彼女の顔にある正直ものらしい一徹さと生活にひしがれたぶきりょうさが伸子の心にふれた。ふっと伸子は、この女の亭主には、もしかしたらほかに若い女があるかもしれないと思った。
「あなたの旦那さん、あなたの見舞に来ますか?」
「あのひとにどうしてそんな時間があるものかね、会議! 会議! で。いつだって、夜なかにならなけりゃ帰ってきないよ」
「党員?」
「ああ」
「あなたは?」
女は腹立たしそうに、ぶっきら棒に答えた。
「わたしは党員じゃないよ、組合の代議員さ」
「結構じゃないの。デレガートカ(代議員)ならあなたも自分の病気について、道理にかなった考えかたをもたなくちゃならないと思うわ」
「そりゃそうさ。――だけれどね、まあ見ておくれ」
女は自分の外套をひろげ、更に病衣をはだけて伸子に清潔でない自分の胸をみせた。
「このわたしの体のどこがむくんでるんかね、それどころか、やせちまったわ、ろくなもの食わないでいるから」
「塩気なしの食事でしょう?」
意外らしく女は伸子の顔を見直した。
「――お前さん、医者の勉強もしているのかね」
「世界中、どこでも腎臓の病人には塩気をたべさせないんです」
「それにしたって、お前さんにゃわけがわかるかね。これほど毎日医者の顔さえ見りゃもうなおったって云ってる者を、何だってまた意地にかかって出さないんだか」
女の眼のなかにまたつかみどころのない非難苦悩があらわれた。女は思い
伸子は蛋白というロシア語を知らないので困った。そればかりか、この女の体のなかにどんな病気があるのか、どうして伸子にわかることが出来よう。伸子はやがていいことを思いついた。レントゲン照射を受けたかどうか女にきいてみた。
「ああ。やられたよ、来て間もなしに一度と、またこの間。――ありゃ高くつくんだってね」
「心配はいりませんよ、あなたは組合員なんだもの。――医者は、あのレントゲンの写真を見て、まだ癒っていないっていうんだと思います。あなたはそれを見なかったにしろ、彼はよく見ていますからね、それが仕事なんだから……」
いま女は伸子の病室の外まできこえるような声では話さない。日本の女が、襟の間に片手をさしこんで物思いするように、女は外套の襟のところへ手をさしこんでうなだれた。肩にふりかぶっている髪はこんがらかっていて雪明りのなかによごれて見える。
伸子は、よけい重苦しくなった脇腹へ、ゴム湯たんぽをひっぱりあげながら、
「早くかえろうと思うなら、気を立てることは禁物ですよ」
と、疲れの響く声になって云った。
「鍋の下で火をたけば、病気もそれにつれて煮えたつからね」
そして、一つの思いつきを女に提案した。同じ病室から退院する誰かに家の住所を教えて、子供に来るようにつたえて貰うように、と。伸子は大儀になって枕の上によこたわった。女はうつむいた頭をもたげて、あてもなく二重窓の外の雪景色に目をやっている。伸子にそっちの景色は見えない。二重窓は寝台のちょうど真上にあたるところにあるから。
伸子の病室の人気なさと沈黙とが、その女の気分に最後のおちつきを与えたらしかった。彼女は、暫くすると自分に云いきかすように、
「じゃあまあ、当分辛抱してみることだね」
と、膝に手をつっかって、身をもちあげるように長椅子から立ちあがった。亢奮がすぎて彼女にも疲れが感じられて来たらしかった。
「お前さんは、よくわかるように説明したよ」
そう云って、女はちらりと微笑に似た皺を口のはたに浮べて伸子を見た。そして、足をひきずるように伸子の病室から出て行った。
お前さんはよくわかるように説明したよ。――何て組合の職場集会での言葉だろう。あのもつれた暗色の
こんな風なモスク大学病院での生活のうちに、伸子の病気は快癒するというより、どうやら徐々におちついてゆくという消極的な経過だった。二月も末になってからまだ右脇腹にのこっている重く鈍い痛みで上体をまげたまま伸子はやっと寝台から長椅子まで歩くようになった。
そういう或る日、伸子にとっては一日で一番きもちのいい湯上りの時間だったにかかわらず、彼女は緊張した眼を病室の白い壁にくぎづけにして、考えこんでいた。その顔の上にめずらしい屈托があった。彼女の胸に生れた苦しい混乱した思いをてりかえして。
伸子は、伸子の病気に対する故国の母親の心配ぶりをきょう思いがけない形でうけとったのだった。外国に駐在する大使館付の陸軍武官という立場の軍人がもっている様々な隠密の任務について、多計代はおどろくばかり無邪気で、ただ派手やかな役目という風にだけ考えているらしかった。さもなければ、多計代も一二度の面識しかない藤原威夫という陸軍少佐に、モスクで入院している娘の伸子の様子をよくしらべて、
伸子は病気の経過をずっと話した。いや。お目にかかるまでは、どんなに
伸子がこわく思うような粗剛なこわらしさは、藤原威夫のどこにもなく、この少佐は全体がはっきりしない色合で静かに乾いた感じだった。モスク生活についてのあれこれ雑談の末、日本の天皇というものについてあなたはどう考えておられますか、と訊かれたとき、伸子はあんまりその質問が思いがけなかったからベッドの上で笑い出した。どうって。――あなたがたのような軍人さんは別かもしれないけれど、わたしたち普通の人間がそんなに天皇のことなんか考えているものなのかしら。――伸子には、そうとしか感じられなかった。すると藤原威夫は自分も薄く笑ってそりゃそうでもありましょうがね。と伸子の耳について消えない穏やかな執拗さで云った。御覧のとおりロシアではツァーを廃してこういうソヴェトの世の中にしているんだし、フランス革命のときだって、ルイ十六世をギロチンにかけたんですから、大体社会主義思想そのものに、主権の問題がふくまれているんでしょう。あなたは、大分ソヴェトのやりかたに共鳴しておられるらしいから、ひとつその点をおききして見たいんです。――伸子はみぞおちのあたりが妙な心持になった。これが雑談だろうか。伸子は、この質問のかげにぼんやり何かの危険を感じた。一般的に軍人に対する本能的ないとわしさがこみあげた。しかし伸子は自然な警戒心から自分の感情におこったいとわしさをおしころして、はじめと同じ調子で返事した。そりゃ、わたしはソヴェトの生活に興味をもっているし、感心していますけれど、だってそれは、ソヴェトのことでしょう? 日本は日本でしょう。あなたはどうお思いかしらないけれど、わたしはまだ革命家というものになってはいないのよ。理論は知らないんです。それは伸子のありのままの答えだった。じゃ、あなた個人の気持ではどうです? 藤原威夫は、同じおだやかなねばりづよさでなお質問した。日本に天皇はあった方がいいと思いますか、無い方がいいと思いますか。伸子はそういう風によくわけのわからないことを受け身に質問されては答えようとしている自分に腹立って来た。伸子は、ぽっと上気した。そして、どんな人が考えたって、在る方がいいものならあっていいだろうし、悪いものならないのがいいにきまってるんじゃないかしら。と早口に云った。そんなにおききになるのは日本に天皇があるのが悪いと思っていらっしゃるからなのかしら。伸子は、むっとして、変だと思うわ、とつぶやいた。どうして、モスクで天皇がそう問題になるのか。
藤原威夫は、伸子の癇癪をおこしたような同時に問題を理解していないことがあらわれている答えかたを、青黒い、眼のくぼんだ顔の表情を動かさずきいていたが、やがて云ってきかすような口調で、日本の将来にとってあらゆる場合この天皇の問題が一番むずかしいし、危険な点でしてね、と云った。日本でも、共産主義者は、天皇制打倒を云っているんです。従ってこんど改正された治安維持法でも、第一条にこの国体の変革という点をおきましてね。きわめて重刑です。あなたも、社会についてどう考えられるのも自由だが天皇の問題だけは慎重に扱われたがいいですよ。藤原威夫は、タバコを吸わない人と見えて、長椅子にもたれている両腕を腕ぐみしたままこういう話をした。伸子がだまって彼のいうことをきいていると、藤原威夫は、声を立てない笑いかたで口のまわりを皺めながら、あなたのお母さんも、御婦人にはめずらしく深く考えておられると見えて、あなたの思想について御心配でしたよ、と云った。伸子は、胸のなかへ
多計代にとって、藤原威夫が何ものだというのだろう! 伸子は体がふるえる思いがした。多計代は、子供のことについては自分が誰よりも理解しているというくせに、現実ではいつも、思いがけない他人のわが子に対する批評をきいてまわり、その言葉に影響されている。保の家庭教師の越智の場合にしろ、そうだった。彼の主観的なまた性格的な批評が、そのまま多計代の伸子に対する感情表現にくちまねされるから、伸子は娘として我慢ならなかった。母と娘とさし向いならば衝突は烈しく互に涙を流し合おうとも、多計代に対する心底からの嫌悪がのこされて行くようなことはないのに。佃と結婚した当時のごたごたの間多計代は伸子をしばしば泣かせ、娘に対して母親だけの知っている苦しめかたで絶望させた。でもあのころは母だった。伸子が泣いてものの云える母であった。あのころはまだ二人の間に立つものは存在しなかった。やがて越智があらわれ、モスクへまでこういう人があらわれて。――母が肉親の情のあらわれだと信じて行う工作は伸子の心を多計代に対して警戒的にするばかりだ。多計代は致命的なこのことに心づかないのだろうか。たった一度しかあったことのない軍人に、それが旧くから知ったもののところへ義妹を縁づけた人だというだけの因縁で、おそらくは、軍人だからたしかだと信じて多計代が自動車で駈けつけ、伸子の思想上のこともよろしくお願いいたしますとたのんでいる情景を想像すると、伸子は手のひらがにちゃつくような屈辱をともなう切なさだった。保がああして死んで、伸子は何が多計代にうちあけられたろう。伸子には保の死について多計代の責任を感じる和解しがたい思いがある。それは、保が亡くなってからの伸子の生きてゆく意識に作用している。伸子は保であるまいとしているのだった。人生に対して。母というものに対して。どうして、それやこれやのことが、手紙のようなものに書けよう。議論される余地のあることではなかったのだから。伸子にとってそれは自分の生そのものなのだから……
思い沈んでだまっていた伸子に、藤原威夫は、彼もその間に彼自身の考えの筋を辿っていたらしく、しかしなんですな、と云った。あなたのお母さんはさすが井村先生の令嬢だけあって、皇室に対しては今どきめずらしい純粋な気持をもっておられるですね。お話をうかがって敬服しました。
藤原威夫のその軍人らしい賞讚の言葉を、伸子はぼんやりと実感なくきいていた。母が、皇室に対して純粋な気持をもっている――それは何だかまるで生活からはなれていて伸子の感情にない問題だった。自分の感情の中に合わせるピントがないという意味で、伸子は母と藤原威夫という軍人とはっきり別な自分を感じるのだった。藤原威夫は、帰りしなに、笑って次のように云った。実はお母さんから、モスクへ来たらぜひちょいちょいあなたをお訪ねするように御依頼をうけたんですが、どうもこう忙しくては折角おひきうけして来たものの実行不可能ですな。
腎臓病で入院している同じ病棟の掃除婦に、伸子が、お前さんにゃてんで心配の種ってものがないんじゃないか、と云われて、それを自分からもうけがったのは、二三日前のことだった。屈托なく心をひろげて一つの病棟のなかに様々のニュアンスで展開されてゆくソヴェト・ロシアの生活の朝から夜の動きに身をまかせていた伸子は、不意に現れた一人の軍人によって、その居心地のよかった場所から熊手で丸ごとかきおこされた。伸子は、藤原威夫が軍人らしい歩調で出て行ったあとの病室のベッドの上で、自分のまわりにかけられた堅くて曲げようのない金熊手の歯を感じた。ほんとのところ、伸子には藤原威夫の話したことがよくわからなかった。モスクへ来る前の伸子が考えたこともなかったし、またモスクで伸子が考える必要を感じもしなかったこと、たとえば天皇のことなどを、藤原威夫は主にして話して行ったがそれは伸子に何と無関係のように感じられ、その一方で何と薄気味わるい後味をのこしたろう。
三・一五事件からあとの本国の空気を知らない伸子には、藤原威夫の出現も天皇論も多計代が彼のところへかけつけたということも、すべて普通でなくうけとれた。そしてその普通でない何かは、去年のメーデーの前、父の泰造が三・一五事件の新聞記事に赤インクでカギをつけてよこした、あのあくどい赤インクのカギが自分の動きに向って暗黙にかけられたように感じた、そのときの漠然とした感じより、はるかに内容をもっており、また意志的だった。藤原の来たのも話したのも個人としてのわけだのに伸子の心にのこされた後味には何をどうしようというのか伸子にわからないが、ともかく権力の感じが濃かった。そして、そのような権力を身のまわりに感じることは伸子を居心地わるくさせる一方だった。
その午後おそく素子が病室へ来たとき、伸子は待ちかねていたように、
「あなた藤原威夫って少佐に会った?」
ときいた。
「さっきここへ来たわよ」
「きみのおっかさんからたのまれたってんだろう?」
素子は皮肉な眼つきで浮かない伸子の顔つきを見ながら鞄からタバコを出しかけた。
「ひどく鄭重なお礼言のおことづけだった」
そう云って素子はハハハと笑った。
「きみのおっかさんの現金なのにゃ、顔まけだ」
モスクで病気している伸子が素子の世話になると思うと、多計代はそれとしてはうそのない気持で感謝のことづてをよこしたのだろう、でも素子とすれば過去何年もの間自分に向けられている多計代の猜疑や習慣的に見くだした扱いの、全部をそのことによって忘れることはできないのだった。素子は、おきまりの土産であるミカンを鞄から出して一つずつ伸子のベッドのわきのテーブルへ並べながら、低い声の、ちょっと唇を歪めた表情で、
「君のおっかさんは何と思ってるかしらないが、ここじゃ、ああいう関係、いいことはないよ」
と云った。
「わたしもそう思ったわ。――ほんとに困る……」
「木部中佐とは反対のタイプさ、そうだろう?」
「そうだと思うわ」
「木部君にしたって、あの磊落は外向的ジェスチュアだがね」
伸子は素子のいうことがいちいちわかって、一層せつなかった。心細い活路をそこに見つけるように伸子は、
「あなた、東大の吉沢博士がモスクへ来るかもしれないって話きいて?」
と素子にたずねた。
「誰から?……藤原からかい?」
「私にちょっとそんなこと云ってよ。――もし来るときまったらわたしを診てもらうようにするって母が云っていたって」
「へえ――知らないよ。佐々のお父さんと同郷とかっていう、あの吉沢さんかい?」
「聞いたことがあった?――吉沢さんでも来ればいい」
伸子は、自分の病気を診てもらうもらわないより、せめて自分の病室へは藤原威夫のようなものでない普通の人、天皇のこととか伸子の思想のことだとか云わないあたり前の人に来てほしかった。
その夜は、二つばかりさきの小病室から終夜病人の呻り声がこちらの廊下へまできこえた。伸子が入院してから平穏がつづいているその病棟にはじめてのことだった。その呻り声は、はじまった病気の苦しみというよりも、死ぬ間際のうめきのようにきこえた。婦人病棟だのに、その呻り声は高く低く男のようにしわがれて、ドアの外の廊下を看護婦や当直医の往来する足音がした。
あたりがふっと静まったときまどろみかける伸子は、じきまた聞えて来る呻り声で目をさまされた。さめた瞬間、伸子の心は沈んでいて昼間の印象がこびりついている自分に気づくのだった。灯を消してある病室の中は、ドアの上のガラスからさしこむ廊下の明りにぼんやり照し出されていた。その薄暗がりの中で両眼をあいている伸子には、暗さが圧迫的で、我知らず耳をひかれる物凄い呻り声が高まるにつれ、伸子の体は恐怖といっしょに仰向きに横わったまま浮きあがるような感じだった。
こんな晩こそナターシャが見たかった。看護婦の大前掛を大きいおなかの上にかけて、はたん杏の頬をして、ゆっくり歩いているナターシャが。でも、ナターシャはよびようがない。彼女は夜勤はしなかった。身重だから。
呻り声がたかくなってこわさがつのると伸子は息をつめ掛けものの下でぎゅっと両手を握りあわせた。伸子の全心が苦しく緊張し、その苦しさのなかには呻り声から与えられる恐怖とは別に昼間のいやな後味が冴えて尾をひいているのだった。薄い涙を眼のなかに浮かせたまま、伸子は顔をできるだけ深く枕に埋めるようにして明けがた近く、疲れて眠った。
この二月初旬から三月にかけての間に、本国の佐々の家で多計代を中心にどんな相談がもちあがり、それが実行に移されようとしていたかということについて、伸子は全然知る由もなかった。
三月にはいったばかりの或るひる前のことだった。ナターシャと素子とが二人揃って伸子の病室へはいって来た。
ベッドの中で爪をはさんでいた伸子はそれを見て、
「あら――どうして?」
小鋏みの手をとめ、鞣外套を着ている素子からナターシャへ、ナターシャから素子へと視線をうつした。素子は伸子の入院以来、かかさず日に一度は病室へ顔を見せていたが、それはいつも必ず午後二時から四時までの面会時間のなかでだった。伸子の顔にかすかな懸念があらわれた。入って来た素子がどこやら緊張した表情で、不機嫌だというのともちがう口の
素子は、伸子の咄嗟の不安を察したらしく、
「ちょいと早く見せたいものができたんで特別許可をもらったの」
と説明した。
「なんなの」
「――心配はいらないことさ」
ナターシャが去ると、伸子は、
「ね、なんなの」
とせきたてた。
「こういう電報が、けさ来た」
渡されたローマ綴りの日本語の電文をよんで、伸子は、
「まあ」
ほとんど、あっけにとられ、信じられないという風に素子を見あげた。そして、もう一ぺんたしかめるように一字一字をよんだ。「マダタイインセヌカ、ワイチローケツコン三カツ一四ヒ。イツカ五カツ二三ヒコウベハツ、七カツ一ヒマルセーユチヤク」まだ退院せぬか。それはすらりと伸子にのみこめた。和一郎結婚三月十四日も唐突ながらわかった。五月二十三日神戸発、七月一日にマルセーユに着というのもわかるけれども、一家というのは――。
「どういうんでしょう」
一家という言葉にあらわされている父と母、弟とその妻となるおそらくは小枝、妹のつや子という佐々一家の人々を、七月一日にマルセーユに着く顔ぶれとして想像することは、日頃の一家のくらしぶりを知っている伸子にとってあんまり予想外だった。伸子は、しばらく黙りこんで電報をながめていた。やがてうなるように、
「どういうつもりなんだろう」
とつぶやいた。多計代の健康がよくなくて、一日に何度も神経性の下痢がおこること、糖尿病から視力に障害のおこっていることなどを、保が亡くなってからの手紙には、絶えず訴えられていた。伸子は、多計代の外出のひとさわぎの情景を思い出した。海辺の家へ数日出かけるだけにさえ、どれだけの荷物と人手が入用だったろう。家のなかでさえ自分の枕、自分の洗面器がなくてはならない多計代が、ヨーロッパへ来る。――電報のローマ綴りの間から、伸子は佐々一家独特の混雑と亢奮とを、気圧計の針が全身で気圧の変化を示さずにいられないようにありありと感じとった。費用の点から言っても、伸子が知っている範囲では、佐々の家にとって一つの事件というに足りた。自家用の自動車をもっているにしろ、そして、多計代はいつもそれでばかり出歩いているにせよ、その自動車はガソリン消費のすくないイギリスのものであり、かつ、自動車輸入が無税であった期間に買われたものだった。佐々の家の経済は、日常些細なことには派手やからしいが、どういうまとまった額の支出にもたえるという深い実力をもっているものではなかった。きっと父は陶器を手ばなすのだろう。伸子はそう思った。佐々泰造は陶器に趣味があって、蒐集のなかには名陶図譜にのっているものもあった。それにしても、一家総出で来るというのは――つや子まで連れて……
「あなた、これ、いったいどういうことなんだと思う?」
伸子は、ゆったりおさまっていたベッドの下が急に
「うちじゅうで来るなんて」
「わからないね」
赤くすきとおったパイプをかみながら素子は、
「こっちへ来る気なんじゃないかな」
病院へ来る道々でもさんざん考えたあげく発見している結論のように、おとなしい客観的な調子で言った。
「保君がああいうことだったし、君の病気というんで、おっかさんが矢も楯もたまらなくなっているんじゃないのかな」
伸子は、おびえた眼色になってこの間うけとった母の手紙の文句を思いあわせた。「母は可能なすべての方法をとる決心をしました。」まずその第一のあらわれとして、多計代にたのまれて訪ねて来たというのが軍人の藤原威夫だった。その訪問は伸子に苦しいだけだった。こんどはうちじゅうでやって来て。――そのようにうちじゅうでやって来るということに対して、伸子はどうするのが当然だと思われているのだろう。ああ、と伸子は両手で顔をおおいたいようだった。
「かえりをこっちからシベリアまわりにして、もし君がなおってないなら、そのとき一緒につれて帰ろうという心もちじゃないのかい?」
「ほんと? そりゃ、だめよ! そんなの絶対にだめだから」
伸子はベッドにしがみつくような泣き顔になった。
「もっとも、七月にマルセーユ着っていうんだから、まだかなり間があるがね。まだ三月になったばかりなんだから五ヵ月もすりゃ、ぶこちゃんだって、まさかよくなってるだろうさ」
とりみだしたというに近いほど困惑している伸子を眺めて、
「ぶこちゃんにも、人の知らない苦労があるさね」
と、素子が、伸子のはげしい困惑の半ばは自分も負っているものの思いやりがある口調で言った。
「なにしろ、君の一家はかわってる。奇想天外を実際やりだすんだから恐縮しちまう。そこへ行くと、うちの親父なんか、全くのメシチャニン(町人)だからね。かえって始末がいいようなもんだ。せいぜい年に二度の別府行きぐらいしか考えもしない」
伸子は少しずつ最初の衝撃から分別をとりもどした。うちで、こまかい計画を立てきってしまわないうちに、それに応じた手配があちらこちらへされてしまわないうちに、伸子たちは伸子たちとして自主的なプランをはっきり知らしてやることが先決問題だと考えついた。すべてが二人にとって、特に伸子にとって受けみな、追いこまれた状態になってしまわないためには。――
伸子は一生懸命に起り得るあれやこれやの条件を考え、それについて素子に相談し、最後に一つの決定をした。それは伸子たちが、モスクから出て行って、フランスでうちのものと合流する、という方法だった。
「たしかに、それも一つの方法かもしれない」
素子もその計画に不賛成でなかった。
「わたし、そうするのが一番いいと思う。どうせわたしたちだって、いずれフランスやドイツは見ようと思っているんだし、ね、そうきめましょう、ね。――どうかそうきめて
伸子は肝臓の手術をうけようと思っていなかった。なお相談しているうちに、伸子は、いつだったかフロムゴリド教授が云った言葉を思い出した。肝臓に炭酸泉がきくということを。フロムゴリド教授は、真白い診察着の膝に、うす赤く清潔に洗われた手をドイツ流な肱のはりかたでおいて、鼻眼鏡をきらめかせながら、身についている鼻声で、日本には豊富な温泉があることをきいていると言った。そのとき、炭酸泉の温浴は、肝臓のためのすばらしい治療だと言った。
「いいことを思いついた。素敵! 素敵!」
それを思い出して伸子は素子の両手をつかまえた。
「ね、ほら、ドイツのどこかにバーデン・バーデンて有名な温泉場があったじゃないの、よく小説なんかに出て来る。――それからカルルスバードっていうところも。わたし、どっちかへ行くことにする」
ヨーロッパの温泉地がどういう風俗のところであるか、伸子たちがモスク暮しの習慣と、ろくな身なり一つ持たないでその雰囲気にまじれるものかどうかということについて、何ひとつ知らない伸子は、そういうことを知らないからこその単純さで自分の思いつきにすがりついた。手術をしないようにすること。そして、国外旅行の許可を得ること。その二つのために、カルルスバードかバーデン・バーデンへ治療に行くということは、ヨーロッパの人々の常識にとってよりどころのない理由ではないはずであった。午前中相談をかさねて、伸子はさしあたっては次のような電報を佐々のうちあてにうってもらうことを素子にたのんだ。「コンゲツスエマデニタイイン。マルセイユニテアウ」
朝からの思いもうけない亢奮で疲れ、伸子は長い午睡をした。そして、目がさめたとき、伸子はテーブルの青い薬箱の下から、もう一度電報をとり出して、読みかえした。
日本の中流の家庭で、一家五人のものが、どういう事情にせよ外国にいるその家族の一人に会いに出かけて来るということは、例のすくないことだった。あたりまえにはない佐々のうちのもののやりかただが、それをいきなり自分をさらいに来るためばかりのように警戒の心でだけうけとった自分を、伸子はわるかったと思いはじめた。伸子の病気が一つの大きいきっかけになっているにしろ、折角みんながそれだけの決心をして出かけるからには、父の泰造として二十年ぶりのロンドンも再び見る機会を期待しているだろうし、多計代にしろ、一度西洋を見たいという希望は随分昔からのものだった。視力が弱っていると言えば、多計代が今のうちに外国へ行ってみたく思うのは当然だとも思われた。保が死んで、多計代には夫だのほかの子供たちとはまったくちがった存在として神格化された「彼」というものができてしまっているらしかった。それは、一家のみんなにとって圧迫的でないわけはない。珍しいところへ、あれこれかかわっていられない時間や旅程でガタガタ旅行をし、様々のものを見たり聞いたりすることは、うちの空気をすっかり変えるためにいいかもしれない。ほこりの種であった保を失った多計代が、また別の話の種をもつようになり、それに興味をもてば、どんなにみんなほっとすることができるだろう。出発前に、云わば旅行のために結婚が促進されたらしい和一郎と小枝が、三月十四日といえばたったもう二週間しかないが、急に式をあげるようになったことも、伸子としてはやっぱりうちのものの身になって祝福すべきだと思った。
泰造や多計代の世間の親としての立場とすれば、こんど長男の和一郎の結婚式こそ、はじめて子供を結婚させると言える場合なのだった。長女の伸子は、あんな騒動をして、親たちがいいともわるいともいうひまを与えずがむしゃらに結婚してしまった。伸子のときには結婚式もなければ、披露らしいものもなかった。それらのことで、あれほど親としての社会的な体面を傷つけられ、自尊心をそこなわれた多計代は、きっと和一郎の婚礼は佐々家の大事なのだからと言ってさぞ盛大にやることだろうと伸子は想像した。数年前行われた小枝の姉の結婚式も、華美だった。実業家である小枝の父親も派手にすべきときには思いきって派手にする性格と手段をもつひとだった。さぞや賑やかなことだろう。伸子が外国へ出発するというだけでさえ人のゆきかいで廊下が鳴るようだった情景を思って、伸子は枕の上でほほえんだ。佐々のうちとしても保がいなくなってお嫁さんというものをもらう息子は和一郎一人になってしまったのだから、萌黄のユタンのかかった箪笥でも長持でもドシドシかつぎこめばいい。なかばユーモラスな感情で伸子は親たちの派手ごのみを肯定した。
和一郎と小枝が結婚するようになったということは、伸子としてとうとう、と思えることだった。和一郎はもう何年も従妹の小枝がすきで、伸子がソヴェトへ立って来る前の日の晩、伸子をわざわざ暗い応接間へひっぱりこんで、彼の気持を多計代につたえておいてほしいと言った。小枝は、華麗な少女で、樹のぼりが上手という風な自分の知らない活気と生の衝動にみたされている娘だった。多計代は、和一郎が従妹にあたる小枝のところへ幾日も泊っていたりすることについては、和一郎を信用して黙認して来ているのに、伸子が彼の決心を伝えたとき、そんなことを言っていたかい? とそのひとことに明瞭な否認をこめて伸子を見た。そりゃ小枝ちゃんはわるい子じゃないだろうけれど、和一郎のおくさんになんて! あのひとは、夫を扶けて発展させるようなたちの女じゃあないよ。あんまり享楽的だよ。多計代は小枝についてはっきり自分の批評をもっていた。伸子は、明日に迫った出立のために気ぜわしくて、細かく話をしていられず、きいてもいられなかった。彼女は、短い時間と言葉のうちに多計代を説得しようとするように母の手を押え、でもねお母様、と言った。和一郎さんは決心をかえないことよ。そうはっきり言ったわ。だから、わたしに、お話しておいてくれとたのんだんでしょう。伸子は、そのとき、母の白くてにおいのいい顔を見ているうちにいつもながらわが息子尊しが不快になって、お母様もよくお考えになった方がいいわよと言ったのを今も忘れなかった。和一郎さんがあんなにずるずる飯倉の家へとまりこんだりしているのは放っておいて、あげくに、小枝ちゃんが和一郎を扶けて立身させる女でないなんていうの、虫がよすぎるわよ。小枝ちゃんは和一郎さんがよくよくきらいでないなら好きになるしかしようがないようになってるのに。伸子にそうつっこんで言われると多計代は、また例のお前がはじまった! と伸子の手から自分の手をひっこめた。お前は姉さんのくせに――お前はしたいようにやってみるのもいいだろうが、和一郎まで煽動しておくれでないよ。そう云う多計代の二つの眼に伸子の言葉をはねかえす光が閃いた。伸子は、じゃまあいいようになさるといい。とそこを立ちかけた。でも、わたしがあのひとにたのまれて、こういうことを言ったことだけは覚えていて下さる方がいいことよ。
あのいきさつ――多計代の小枝に対する不満は、どう扱ったのだろう。伸子は、ベッドのかけものの上へ出している両手の間で電報をひろげたり畳んだりしながら思いめぐらした。和一郎も小枝もがんばりとおしたと見える。
伸子がソヴェトへ立つ前に一家揃ってとった写真の中には、制服をきちんと着て、ぽってりとした顔にまったく表情の動きのない保の姿がうつっており、前の例に、おかっぱで太い脚をして、はにかみと強情と半ばした口もとで小さいつや子もうつっていた。そのつや子までついてはるばるやって来る。――
この思いたちを、できるだけ豊富な収穫の多いものにし、愉快なものにするために、伸子は自分ものり出そうという気になった。自分の積極性をその計画に綯い合わして行こうと思いはじめた。和一郎と小枝にとって、ましてつや子にとってそういう旅行をする機会がまたいつあろうとも思われなかった。若い連中への思いやりとはおのずからちがったニュアンスで、父と母とがその立場や境遇にふさわしくこの旅をたのしむことを想像すれば、それはやはり伸子にやさしい思いを抱かせるのだった。できるだけみんなを満足させ、その上でみんなはシベリアをとおってなり、アメリカをぬけてなり、都合のいいように帰ればいい。そして自分はまたモスクへ戻ってくればそれでいいのだ。自分はうちのものみんなと、どうしても帰らないと気分がきまればきまるほど、伸子はさっぱりしたこころで、一家の旅行が愉快に始められることを希望するようになった。
翌日、素子が来たとき伸子は、彼女の顔を見るなり、
「ねえ、わたし、少し希望が出てきたわ、みんなが来るということについて」
嬉しそうに快活に言った。
「わたしはね、早くよくなって、フランスまで出かけて、まめによくみんなの面倒をみてやってね、帰れなんて言われないようにする決心したのよ」
熱心な思いを浮べて話している伸子の顔をじっと見つめ、素子は非常にまじめな複雑な表情で、彼女の大きめな唇の隅をゆっくりつりあげた。その表情には、ちっとも皮肉がなく、伸子をあわれんでいるような、また伸子のその考えかたをあやぶんでいるような表情だった。伸子は、その表情に素子の無言の批評を感じて、
「どうして?」
とききかえした。
「いけないところがあると思う?」
「――よすぎるぐらいだろう」
素子は、
「肉親なんて、なんと言ったって大したもんさ」
と、沈んだ声で云った。伸子は、その声の調子から、素子の知りぬいている多計代を中心にパリのどこかでかたまった情景を描くと、素子はその家族の輪に決してしっくりはまることのあり得ない自身を急に一人別なものとして感じているにちがいなかった。伸子は、間接にその問題にふれ、しかし直接には自分の希望として、
「わたしたちは、うちのものとは別々に暮しましょうね」
と提案した。
「どうせわたしたちは、生活の内容がちがうんだし、サーヴィスばっかりじゃとても身がもたないから」
伸子たちが、すこし早めにパリへついていて、自分たちなりの暮しかたをはじめておれば、佐々のうちのものとすっかりまぜこぜになる必要もおこるまい。いくら、うちのものを満足させようと思う気になったにしろ、伸子は多計代が好むような交際や見物につき合うきりで辛抱できない自分であることはわかっているのだった。そして、もっと伸子自身にとってこまったような面白いような思いのすることは、フランスとかパリとかいうとき、モスクに一年以上生活した現在、伸子の心にそこで何がほんとに自分の興味をとらえるのかということがつかみにくくなって来ていることだった。ひととおりのものに万遍なく興味をもつことは、伸子の生れつきから自然だった。ソヴェトへ向って立って来る時分の伸子は、そのひととおりフランスらしいもの、音楽とか絵とかカフェーとかマロニエとかパリの雰囲気として語られているものに期待するだけだった。けれども、現在の伸子は、モスクについてクレムリンや
もうとうに素子のスケート練習は中止だった。素子はそれでも三四度、大使館専用のスケート場へ通ったらしかったが、ころんでばかりいたってはじまらないや、と笑いもせずにつぶやいて行かなくなってしまった。伸子はベッドの中から惜しがって、モスクにいるうちだわ、おやりなさいよ、とはげました。きっともうじき歩けてよ、いまやめちゃ、一生やらなくなっちゃうってことだもの。しかし素子は、わたしは駄目だよと伸子の激励をこばんだ。わたしは駄目さ。体をこわばらしちまうんだから。――伸子はそれ以上すすめることをやめた。素子自身に不可抗な、そういうことは素子の性格的な一つのあらわれであることを伸子は理解したから。
七月一日マルセーユ着という多計代からの電報をうけとってから、日に一度伸子の病室へ来る素子の来かたもおのずから内容がかわった。病人である伸子の気分もかわって、二人はこれまでのようにミカンをたべながらのんびりしているというような時間がなくなった。伸子と素子とは長椅子へ並んでかけた膝の上にヨーロッパ地図をひろげて手帳のうしろについているカレンダーを見くらべながら、モスクからパリまでの道順を相談した。ウィーンとかベルリンとかいう都会にどのくらいずつの日数を滞在するかという予定をたてた。素子はそれとなしに河井夫人に相談して、二人の最少限の服装はでずいらずのウィーンでととのえるのがよかろうということになった。ウィーンからプラーグ。そこからカルルスバードへ行き、ベルリン、パリという順だった。それにしても、伸子がいつ退院できるものか。うちへは、今月末までに退院と電報をうってやったけれども、それは退院の見こみ、または伸子たちの予想というだけで、フロムゴリド教授はその点について、はっきりしたことは何も言っていなかった。ただ、教授の話しぶりから伸子自身が、内科的な治療としてはするべきことがすべて試みられたこと、フロムゴリド教授は現在肝臓のはれのひききらない状態のまま伸子がだんだん動けるように訓練していること。しかしそれは快癒の状態ではないから、外科に診察をうけさせようと思っていることなどを判断しているのだった。そして、自分としてはかたく心をきめているのだった。よしんば不十分な癒りかたであるにしても、白くて、丸くすべすべした自分の脇腹から年じゅう胆汁を流す一本のゴム管をぶら下げて生きていなければならなくなるような手術は断じて受けないと。伸子は不具のような体になるのはいやだった。ブラウスの下にゴム管をさげている女の姿を想像すると、伸子はそこに遮断され、限定された未来を感じた。伸子は未来をそっくり未来のまま欲しているのだった。
三月の雪どけがはじまって、冬じゅう静かな雪あかりにみたされていた伸子の病室の壁にも、雪どけでどこかにできた水たまりから反射するキラキラした光りがおどるようになった。そういう一日、伸子はショールをかぶり、毛布に包まれ、運搬車にのせられて、病室からはなれた構内にある外科へ診察をうけに運ばれた。ワーレンキ(長防寒靴)をはいたナターシャが看護服の上から外套を着、プラトークをかぶってついて来た。
適当な温度にあたためられたひろい手術室で、伸子は着ているものをすっかりぬがされた。そして、手術台の上によこたえられた。マスクをつけていず、手袋をはめていないというだけで、すっかり手術者のなりをした三人の医者が、つやのいい体を裸でころがされ、きまりのわるさと厳粛さとまじりあった表情で口をむすんでいる手術台の上の伸子をかこんだ。そして、だまって診察しはじめた。内科の医者がやるとおり、肝臓の上を押したり、それを痛がって伸子が顔をしかめると、
「――痛む(ボーリノ)」
と仲間同士でつぶやいたりしながら。いくたびも同じ調べかたをしてから、三人のうちの一番年長で髭の剃りあとの鮮やかな医者が、
「さて…………」
手術台から一歩どいた。手術室づきの看護婦の方へ伸子に着せるようにと合図しながら、
「あなたは手術をのぞんでいますか?」
伸子は、手術台の上におきあがり看護婦のきせる病衣に腕をとおしながら断髪の頭をもたげてその医者を仰ぎ見、ひとこと、ひとことをあいての理解にうちこもうとするように云った。
「ヤー・ソフセム・ニェ・ハチュー(わたしは全然のぞんでいません)」
みんなの顔に瞬間微笑がうかんだ。
主任医師が、ちょっと考えた末、
「あなたに手術の必要はありません」
そう結論した。医者の一人はそれだけきき終ると手術室のドアの方へ去りかけた。
「フロムゴリド教授はあなたをよく治療しました。あんまり
また運搬車にのせられて、菩提樹並木の間の雪どけ道を内科病室の方へもどるとき、伸子は、
「ナターシャ、どんなにわたしがうれしいか察して頂戴!」
と言った。
「わたしは手術を恐れていたんだもの」
「まったくですよ」
大きなワーレンキとふくらんだ体つきとでロシア人形のようなかっこうのナターシャは、折から行手にあらわれた水たまりをよけながら内科の看護婦らしく同意した。
「わたしも手術はきらいです」
天気のいい午前十一時ごろで、大気はつめたくひきしまっているけれど、三月の日光は晴れやかにその
その午後、病室にあらわれた素子を見るなり伸子は、
「万歳よ!」
握りあわせた両手をすとんとベッドのかけものの上へうちおろしながら告げた。
「悪魔退散よ! 手術しないでいいときまったことよ」
そして、上機嫌のおしゃべりで、伸子はけさ外科へ診察のため運搬車にのせられて出かけて行ったことや、久しぶりの外気がどんなに爽やかで気持よかったかということや、雪どけの道で、どんなに多くの悪魔の黒い穴を見つけたかという話をした。
外科から病室へ帰って来る途中の菩提樹並木のところで、伸子は人のふまない白い雪の上に、いくつもいくつも泥のしぶきでまわりの雪のよごれた小さい黒い穴ぼこができているのを発見した。樹の枝々からしたたり落ちる雪どけ水が点々と地べたの雪をうがってつくる穴ぼこだった。モスクに春の来たしるし、季節の足跡として、去年の早春も
「わたしのロシア語じゃ、とてもこんなおかしさは話せないしさ。それこそまったくチョルトだと思っておかしくって……」
伸子は安心を笑いにとかし出して素子とふざけた。
手術しなくていいときまって、伸子はなるたけ一日のうちの長い時間をベッドから出て、起きている稽古をはじめた。三月中に退院することについて現実のよりどころができた。フランスでうちのものたちと合流するという計画も実際的に考えられて来た。三月十四日に間に合うように和一郎と小枝との結婚を祝う電報をうったなかに伸子はハハノケンコウノタメアメリカケイユデコラレヨと云ってやった。糖尿病からのアセモがひどくて、毎年夏は東京にもいられない多計代が、どうして真夏の欧州航路で印度洋の暑熱をとおって来る気になっているのだろう。伸子はだんだん考えを実際的にひろげて行って、それを無謀だと思った。うちのものが少くとも
日本ではきょう和一郎と小枝の結婚式があげられたという夜、伸子は何とはなし眠りにくくて、九時すぎても病室のあかりを消さずにいた。
かれこれ十時になろうとするころだった。伸子の病室のドアがあいて、よほど前に一ぺん見たことのある女の助医が入って来た。看護婦とフロムゴリド教授の助手であるボリスとのちょうど中間のような地位で、伸子が入院して間もなく回診について来たことのある女助医だった。
「こんばんは。――いかがですか?」
伸子が名前を知らない女助医は、ずっと伸子のベッドのそばへよって来た。
「久しくお会いしませんでしたね。もうほとんど恢復しなすったんでしょう?」
この前みたときと同じ四角い乾いた顔つきで、彼女は愛嬌よくしゃべりながら、伸子を見たりベッドの枕もとのテーブルの上へ眼を走らせたりした。
「今晩、わたしは当直なんです。あなたのことを思い出しましてね、よし、ひとつあの気持のいい日本の御婦人を見舞って来ようと思いついたんです」
彼女の来た時間も、また彼女のいうこともとってつけたように感じながら伸子は、
「ありがとう」
と答えた。
「やっとそろそろ歩きはじめました――もう結構永いことねたきりだったけれど」
「おめでとう」
女助医は何だかおちつかない風で病室のなかをひとわたり見まわし、
「ちょいとかけていいですか」
ときいた。
「――どうぞ」
伸子は、病室へ来たものは誰でもそうするようにその女助医もむこうの壁ぎわにおかれている長椅子にかけるものと思った。ところが、彼女は伸子が思ってもいなかったなれなれしさで、いきなり伸子がねているベッドの脇へはすかいに腰をおろした。伸子は思わずかけものの下で少し体を横へずらせた。女助医は、伸子がその表情をかくそうともしないで迷惑がっているのに一向かまわず、夜の十時の患者の室がまるで非番の日曜日の公園のベンチででもあるかのように、
「あなた、作家でしたね、そうでしたね」
と言いだした。
「ええ」
伸子は短く答えた。
「どんなものをお書きなさるの?――ロマン? それともラススカーズ(短篇)? ああ、わたしは文学がすきですよ。何てどっさり読むでしょう!」
だまっている伸子に、彼女はくりかえしてきいた。
「ね、何をおかきなさるの?」
「小説(ポーヴェスティ)です」
「すばらしいこと! ロシア語でかかれないのはほんとに残念です。本になっていますか」
「わたしはもう幾冊かの本を出版しています」
だが、一体何のためにこういうばからしい会話をしていなければならないのだろう。伸子には訳がわからなくなった。彼女が伸子を迷惑がらしているということをはっきり知らすために、伸子は、
「私に幾冊本があろうと、あなたには同じことです――残念ながらあなたは読めないんだから」
そう言った。
「さあ、もうそろそろねる時間です」
そして、伸子がベッドの中で寝がえりをうちそうにすると、女助医はどうしたのか、
「もうちょっと! 可愛いひと!(ミヌートチク! ミーラヤ!)」
というなり、ベッドのはじに
「きいて下さい、わたしはゆうべ結婚したんです」
その瞬間伸子は女助医が酔っぱらっているのかと思った。ウィシュラ・ザームジュ。嫁に行った――そうだとしてこのひとは何故伸子に知らさなければならないのだろう。伸子は枕の上でできるだけ頭と顎をうしろへひき、きめの荒い四角いどっちかというと醜い女助医の顔から自分の顔を遠のけるようにした。
「あなた、旦那さんがありますか?」
不機嫌に伸子は、
「わたしに旦那さんがあるんなら、どうぞ見つけ出して下さい」
と云って、片手で、
「窮屈(トゥーゴ)」
と自分の上へかぶさりかかっている女助医の白い上っぱりの腕をおしのけるようにした。そう大柄ではないが重い彼女の体と、伸子の体ごしにつっぱった彼女の手との間で伸子のベッドのかけものは息ぐるしく伸子の胸の上でひきつめられた。
「ね、息をさせて!」
必要よりすこしきつい力を出して伸子は身をもがいた。女助医は上の空のような表情で、
「御免なさい」
伸子の体ごしについていた手をどけ、同時に自分の体をまともな位置にもどしながら、なお追いかけて思いこんだように、
「あなた、どこからお金をうけとっているんです?」
ときいた。
この質問で、伸子に万事が氷解した。彼女はさしせまってモスク大学病院に入院中の日本婦人佐々伸子について、一定の報告をしなければならない立場におかれているにちがいなかった。しかもそれは、突然の必要で、彼女はいそいでいるのだ。それにしても、この人は何という下手な演技者だろう。そういう性質の仕事にまったくふさわしくなく愚直で、悪意がないどころか機智にさえかけた女助医のしどろもどろの努力はむしろ伸子にあわれを感じさせた。伸子は、もう一年以上モスクに生活して、ある程度は外国人に対するソヴェトとしてやむをえない必要というものについては理解していた。そして、伸子の理解は同情的だった。無邪気でない者に対して無邪気である必要はない。自分の気持としてもそう思っているのだった。だからそういう特殊であるがその特殊が一般性となっているところではあるとき自分もそれにかかわってゆくのはさけられなかった。伸子の主観的な気持から言えば、いまこの女助医は率直に、これこれのことについて答えて下さい、と伸子に向っていうのが一番かしこい的確なやりかただった。しかし彼女にそうはできない。なぜなら彼女の女助医という立場と別の任務とは全く別個の任務とされていてそれについて知っているものは彼女自身よりほかにあってはならないのが任務の性質だから。
伸子は、彼女のためと自分自身のために、きわめてざっくばらんに説明した。
「或る程度文学の上での仕事を認められている作家が、出版社から本を出す約束で金を出させて旅行するということは、どこの国でもあることです。――わたしのいうことがわかります?」
「どうして? もちろんわかりますよ」
「日本の代表的な出版社の一つである文明社がわたしが出すだろう本のためにわたしのところへ金を送ってよこすんです。朝鮮銀行を通して。――わかりました?」
どうして越したらいいのか戸まどっていた質問の峠を、すらりと通過することができて、女助医はやっと自然に近い表情と動作をとりかえした。あんなに突拍子もなく、まるで何かに酔っぱらったようにゆうべ嫁に行った、などと口走ったことを忘れたように、彼女はにっこりして、
「きっとあなたはソヴェトについて興味のある本をかくことができるでしょう」
と云った。そして、はじめに文学がすきだといったときの空々しさのない調子でつけ加えた。
「ロシア語に翻訳されることをのぞみます」
なお暫く黙ってベッドのはじに掛けていたがやがておとなしく立ちあがって女助医は、
「おやすみなさい」
と言った。
「邪魔して御免なさい」
女助医がドアをしめて病室を出てゆこうとしたとき、伸子はベッドの中から大きな声で、
「あかりを消して下さい、どうぞ」
とたのんだ。
あくる日、いつものとおり面会時間に来て、伸子からゆうべのいちぶ始終をきかされた素子は、
「へえ。だって今更――おかしいじゃないか」
素早く頭を働らかせて状況を判断しようとする眼の表情で言った。
「きのうきょうここへ来た人間じゃあるまいし」
「そう思うでしょう? わたしもわからなかったの。でもよく考えてみたらね、
「御利益?……なんのさ」
「陸軍少佐藤原威夫の」
「そうか――なるほどね」
素子はうめくように承認した。
「だって、そうとしか考えられないんだもの。わたしたち、モスクへ来てはじめてだわ、こんなこと」
伸子は自分の推測を最も現実に近い事情として信じた。それにつけ、考えれば考えるほど歎けて来るおももちで伸子はしょげ、
「ほんとに、母ったら!」
おこってもまに合わないという風に気落ちした顔を窓に向けてだまりこんだ。
そのころ、ソヴェトでは、はっきりした目的や理由がないと国外旅行を許可しなかったし、旅行のために国外へもち出せるルーブリの額にも制限があった。伸子たちは、モスクから出かけた先のどこか便宜な場所で、伸子は文明社からの送金を、素子は東京の従弟にまかせて来ている送金を受けとることができる手筈をととのえておく必要があった。やっと病棟の廊下をそろそろ歩きするようになった伸子に代って、ひまを見ては素子がその調べのために歩きまわった。こういうことを、伸子と素子とは慎重に二人の間だけの事務にしていた。少くとも、フロムゴリド教授が伸子のカルルスバード行きに賛成して、証明書のようなものを書いてくれるまで。伸子も素子も、いらざるひとに――藤原威夫のようなひとに――二人のこの計画へ手を出されることをひどくおそれた。
いったい、佐々のうちのもの、と言ってもそれは多計代の意志で決定されたものなのだったが、いつの間に、ヨーロッパへ出かけて来ようという計画をたて、その決心をし、船室までとったのだろう。
モスク東京間の電報往復にさきを越されてやっと三月三十日ちかくなってついた多計代からの二度目の部厚い手紙を半分ばかり読んだとき、伸子はそういう疑問にとらわれた。手紙の最後の頁をみると、二月二十一日夜と、多計代がそれを書いた日づけが入っている。素子からのしらせで伸子の病気を知り、胸をうたれ、と言って来た一回目の手紙は、いつごろ出したのだったろう。伸子は枕もとのテーブルから紙ばさみをとって、しまってあるその手紙を出してみた。それは二月五日の日づけだった。二つの日づけをみくらべて、伸子は、ものすごいスピードだと思った。たった二週間たらずのうちに、田舎の家へ行くさえも一騒動の多計代がこれだけのことをきめてしまった。いかにも多計代らしい一図さ。情熱的な強引。動坂のうちににわかにまきおこされた旋風状態が察しられるようだった。間に、和一郎と小枝の結婚式までさしはさまれて。
でも、その和一郎と小枝との結婚について、新しく着いた多計代の手紙の上にあらわされている感情は、期待とちがう沈静、冷淡とさえうけとれる調子で伸子を意外に思わせた。このたびいよいよわれわれ外国行につき、和一郎と小枝の法律上の手続が必要になったから、来月十四日を吉辰として挙式のことに決定。母親のこころは、はかりしれない慈愛をもってこの若い二人の前途を祝福しようと、それぞれ準備中です、とかかれていた。この調子は事務的だった。どことなし、われわれ外国行につき、必要だということが主眼で和一郎と小枝の結婚式は行われることのような感じを与える。「ああ、でもこの母が、出入りのものの祝儀の言葉に何げなくほほ笑んでいる、その胸のうちを何人がわかってくれるでしょう。神となりし吾子は知るらんわが心、泣きつつも笑み、笑みつつも泣く。」
読みながら伸子は暗さを感じ、危惧をおぼえた。ここでは、若い二人に与える祝福という表現をおおうもっとリアルな雲が湧きたっている。母がしんから和一郎と小枝の結婚を歓迎していない感じがむき出されていた。伸子には書いてよこさない何かの考えを多計代としてもっている。そしてそれは彼にしかわかってもらえない、とされているのだった。
伸子は唇を酸っぱさで小さく引緊めたような表情になりながら読みすすんだ。結婚式は親類の者ばかりでごく内輪に行い、おなじ顔ぶれで星ヶ岡茶寮の披露をやるとかかれていた。予定されている客の顔ぶれを見て、伸子は、おそらく招かれる親戚たちにしろいささか拍子はずれだろうと思った。日ごろ佐々家のあととりとして、うちの運転手が和一郎を若様とよぶのさえやめさせきらない多計代。泰造の仕事の上の後継者として、泰造の引き立てようが足りないと不満をもらす多計代。その多計代が、和一郎の結婚式を仰々しく行えば、馬鹿らしいにせよ、言わばあのお母さんだからとわかる話だった。そんなに内輪にする理由として、このたびのヨーロッパ旅行に若夫婦と同伴するについては経費も莫大なことだから、と多計代はかいている。
若夫婦を同伴するのは、二人に対する親の恩恵ということが多計代のかきぶりのうちにはっきり示されていた。たとえ自分の健康がどうあろうとも伸子を見舞おうと決心したことは、親の限りない愛だ、と自分からきめて多計代が言っていると同じに。でもそれは、伸子としてそれだけの単純さにはよめないのだった。だって多計代の「このたびわれわれ外国行につき」という言いかたは、たった二十ことにもみたないながら、何とわれわれと多計代と泰造とを主体とし、決定的に言われていることだろう。お前のところへゆくについては、と行く手に伸子の姿を想像して言われてもいなければ、若い人たちにも見せてやりたいしと、かばったところの感じられるもの言いでもなかった。われわれ外国行きにつき、多計代がこうと思うことはみんなその目的にしたがえさせられる。あれもこれも親心の発露というしめくくりのもとに。そしてもっと伸子をせつなくしたことは、多計代は会う人ごとに、新聞、雑誌の記者たちにまで、こんどの一家総出の外国行きは伸子に対するやむにやまれぬ親心からこそ企図されていることを吹聴しているらしいことだった。
伸子は
多計代の手紙の白い紙をスクリーンとして、その上には黒や灰色やあかね色が、どぎつく神秘的な水色をのぞかせながら、あとからあとから漂いすぎている。伸子にはそんな感じだった。その定まりない色の渾沌は、わが身の上に映って動き流れるが、伸子はそれをつかまえてどの一つの色に統一させるということもできず、流れてとまらないおちつきなさを静止させる力もない。
伸子は手紙をしまってから、永いこと枕の上へ仰向いていた。涙にならない涙が伸子の胸のうちを流れた。多計代のえたいのしれない強烈さ。伸子がそれを堪えがたく感じ、偽善だと感じる愛の心理のちぐはぐさ。それが母にとっては微塵のうそのない真情であり、すべての行動はその真情から発しているほか在りようないものと信じられているのを、どうしたらいいのだろう。おそらく多計代にとって世の中には善いことと悪いこととしか存在していないのだろう。そして、「母」は本原的に善に属すものと考えられているのだろう。伸子は歎きをもってそう思った。けれども、生活には、善悪のほかに、母のしらない堪えがたい思いという種類のことがあるのだ。その堪えるにかたい思いを、伸子は多計代との間であんまりしばしば経験しなければならない。それが伸子のやさしくなさ、冷刻さと云われるときこれまで何度も伸子の堪えがたさは燃えて憤りにかわって行ったのだった。
伸子の心の中のこういう一切のうねりにかかわりなく、ナターシャは今は廊下を歩くようになった患者としての伸子を見、車附椅子に用のなくなった退院間ぢかな一人の患者として伸子に接し、彼女自身はますます雄大なおなかの丸さになって来た。ちぢれた髪にふちどられた精力的な彼女の容貌の上で、頬っぺたのはたん杏色はいっそう濃くなった。
「ナターシャ、あなたいつから休暇をとるの?」
「もう十六日あとに」
「それじゃ、わたしはのこされるでしょうね、たぶん」
伸子の退院はもう時間の問題だった。けれどもそれが三月のうちにできることか、来月にかかってのことになるか、伸子は知っていなかった。フロムゴリド教授の回診のとき伸子は、外国の温泉行きの話を出しかけたばかりだった。日本にいる家族がフランスへ来る。自分はどこかの温泉へ行って暫く休養した上でフランスで家族に会って来たい。伸子がそう言ったら鼻眼鏡をきらめかせ、鼻にかかった幾分甲高い声でフロムゴリド教授は、
「それはすばらしい!」
と、診察用の椅子にかけている白い上っぱりの上体を前へかがめるようにした。しかし、まだ話はそれぎりのことだった。
ナターシャが、一日一日と近づいて来る休暇をたのしみにしている様子は、感動的だった。彼女は相かわらず勤勉に勤務し、必要な任務をすべて果し、そういう勤務ぶりで来ようとしている二ヵ月の有給休暇をまったく自分にふさわしいものにしようとしているようだった。ナターシャは毎朝おきると、さあ、あともう何日という風に若い夫と数えて暦の紙をめくるらしく、うけもち患者の一人である伸子にことさら言う必要もない自分たちの計画のたのしさが、勤務中彼女のはたん杏の頬にこぼれて感じとられることがあった。
「ナターシャ、あなたを見ていると、わたしまで何かいいことがありそうなきもちになることよ」
伸子はほんとうにそう感じるのだった。彼女の見とおしをもった生きかたの単純さ。よろこびの曇りなさ。このナターシャが赤坊をもった姿を想像し、そのかたわらにバリトーンの歌手である彼女の若い夫を居させると、そこに若いというばかりでなくまるで新しい内容での家族というものの肖像が思われた。目的のわからない熱烈さと、とりとめなく錯雑した感情のくるめきに支配されつつ日が日に重ねられてゆく動坂の家族生活と、それとをくらべるとなんというちがいかただろう。ナターシャの新鮮なトマトの実のような「家族」をおもうと、伸子は、動坂の家族生活からうける複雑で、手のつけようのないごたごたした物思いから慰められた。保がああして死んだとき、遂に保を生かさなかった環境とし、自分をも息づまらせる環境とし、伸子は動坂のうちの生活と自分の生きかたとの間に、もう決して埋められることのない距離を感じた。そして、ソヴェト社会に向いてくっささった自分を感じ、その感じにつかまって生活して来た。伸子の心の中にわれめをつくっているその精神の
「ナターシャ、休暇をたっぷりたのしみなさいね」
すると、ナターシャはにっこりして伸子を見、
「散歩できるんです」
とひとこと言った。散歩できるんです――これこそ休暇のたのしさの根本という風に彼女は言った。思えば、そうなはずだった。看護婦として昼間いっぱい勤務し、夜はモスク大学医科のラブ・ファクに通ってきりつめた時の間でくらしているナターシャにとって、散歩ができるということ、昼間ぶらぶら歩きの時がもてるということは、そのほかにも可能ないろんなたのしさがもりこめる自由な時間、解放と休息の何より確実な証左であるわけだった。
モスクじゅうの樹という樹、建物の
家族の騒動や、刺戟的な多計代の激情。支離滅裂な論議ずきを思うと苦しかったが、それでもモスクの満一ヵ年の後フランスが見られることや、うちの者たちに会えることは伸子にとっても負担だとばかり言うのはうそだった。伸子は或る日思い立って、日本のうちあてに三通の手紙を書いた。父母あてに、和一郎夫婦あてに、それからあしかけ三年見ないうちに十五歳の少女になっているはずの妹のつや子にあてて。荷物を最少限にすること。母は身についた和服で旅行するように、どうせ多計代はバスや電車にのることはないのだから。足袋は少し多いめに、草履は三足ぐらいもって来るように。パラパラ雨の用意をもつこと――コートなり何なり。なんと言っても和一郎と小枝に対して一番具体的に旅行の収穫を期待する感情が伸子にあった。若い建築家として和一郎がただぼんやり御漫遊の気分で来ないように、専門の立場から何か一つのテーマをもって見て歩く用意をするようにというのが、手紙の眼目だった。つや子へ伸子は、女学校の下級生の受けもち先生のように書いた。自分の身のまわりのことは母や小枝をたよりにしないで荷づくりもできるようにしなければいけない、と。あなたは、これまでいつも何をするんだって、誰かに手つだってもらってばかりして来たんですものね、と。
もう一週間ばかりで伸子が退院するときまったころ、噂されていた泰造の友人の吉沢博士がジェネの国際連盟の会議へ出席するためにシベリア経由で来てモスクへ数時間たちよった。その短い時間に素子が吉沢博士に会って、伸子の経過を話し伸子に加えられた治療について報告した。
「そりゃ、もうそこでおちついているんでしょうな」
というのが吉沢博士の意見だった。
「手あても、これ以上の方法はどこにいたってないんだとさ。日本へかえって一ヵ月も温泉へ行けば、ケロッとしてしまうだろうって話しだったよ」
そう素子がつたえた。伸子は、
「日本へかえって温泉へ行くって?……」
たちまち不安そうにした。
「わたしたち、逆へ行こうとしているんじゃないの」
「日本へ帰ったらば、ということさね。おっかさんは、吉沢さんに電報をうつようにたのんでるんだそうだ。君の様子しだいで、あっちがたつかどうかをきめるわけになってるらしいよ」
訊くような眼つきで伸子はそういう素子の顔を見た。何と妙な――だから多計代は率直に、わたしも西洋を見て来たいし、と言ってしまえば誰の気持もさっぱりしていいのに! 伸子は多計代の手紙から感じた矛盾をまたあらためて感じた。死んでもいいから生命を賭して娘の見舞いに来ようとするものが、様子によってたつのをきめる、伸子が旅行してよかったらたつというのは、伸子にはくいちがったものとしてうけとれるのだった。
とにかく吉沢博士から「タテ。ヨシザワ」という電報がうたれた。伸子は四月の第一土曜日に、あしかけ四ヵ月ぶりでモスク大学病院を退院して、アストージェンカの狭い狭い素子の室へかえった。カルルスバード行きを証明したフロムゴリド教授の小さい一枚の書きつけをもって。
佐々伸子と吉見素子とがモスクを出発して、ワルシャワについたのは一九二九年の四月三十日の午後だった。
朝から車窓のそとにつづくポーランドの原野や耕地をぬらして雨が降っていた。その雨は、彼女たちがワルシャワへついてもまだやまなかった。大きく
伸子と素子とが旅行用のハンド・バッグに入れてもっている旅券には、モスクの日本大使館から出されたドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、オーストリアに向けての許可が記入されて居り、モスク駐在のポーランド公使館のヴィザがあった。ワルシャワからウィーンへゆき、プラーグからカルルスバードをまわってベルリンには少しゆっくり滞在するというのが伸子と素子との旅程であった。伸子の家族がマルセーユに着くのは七月一日の予定だった。それまでに、伸子と素子はパリに到着していればいいはずだった。一年半もそこに暮していれば、伸子と素子とにとって外国であるモスクの生活はいつしか身に添ったものになっていて、ポーランド国境を越して来て、伸子も素子も新しく外国旅行に出発して来ている自分たちを感じているのだった。
長い旅行に出たての気軽さと不馴れなのんきさとで、伸子たちは一晩をそこにとどまるワルシャワで格別ホテルを選択もしていなかった。馬車が案内するままに停車場近くの、国境通過の客ばかりが対手のようなそのホテルに部屋をとった。
ワルシャワの駅頭でうけた感じ。それからその三流ホテルのロビーや食堂で、あぶらじみたような華美なような雰囲気にふれるにつれ、伸子と素子とは自分たちがここでは外国人であり、どこまでも通りすがりの外国人としての扱いで扱われることをはっきりと感じた。その国の人々の間で自分たちをそれほど外国人として感じることは、モスクではないことだった。それに、ワルシャワでは特別、モスクから来た外国人というものに、一種の微妙な感情がもたれているらしかった。
広場を見はらすホテルの二階正面の部屋がきまると、素子は早速ロビーへおりて、片隅の売店でタバコを買った。こんどの旅行では、少くとも数ヵ国のタバコをのみくらべられる、というのがタバコ好きの素子のたのしみなのだった。素子はロシヤ語でタバコ問答をはじめた。すると、若い女売子の唇にごく微かではあるが伸子がそれを軽蔑の表情として目とめずにいられなかったある表情が浮んだ。女売子はお義理に素子の相手をし、素子の顔をみないで釣銭をさし出しながら、フランス語でメルシと云った。
似たようなことがホテルの食堂でもおこった。伸子と素子のテーブルをうけもった年とった給仕は、素子の話すロシア語をすっかり理解しながら、自分からは決して同じ言葉で答えず、ひとことごとにフランス語でウイ・マダームと返事した。しごく丁寧に、そして強情に。――
食器のふれ合う音や絶間ない人出入りでかきみだされているその食堂の空気をふるわして、
「あら。白いパン!」
びっくりしたような小声でつぶやいた。そして向い側の素子の顔を見た。
「ね?」
「ほんとだ。真白だ」
素子は自分のパンもさいてみて、
「パンが白いっておどろくんだから、われわれも結構田舎ものになったもんさね」
と苦笑した。モスクでは、黒パンと茶っぽい粉でやいたコッペのような形のパンしかなかった。それに馴れてしまっていた伸子は、いま皿の上で何心なく
食事がすんで、ロビーへ出て来ながら、素子が、ひやかし半分伸子に云った。
「ぶこちゃんにもなかなかいいところがある。ヨーロッパへ出てきての第一声が、あら、白いパン! てのは天衣無縫だ」
「だって、ほんとにそうじゃない?」
「だからさ、天衣無縫なのさ」
それにしても、ワルシャワの人々の、ロシアに対する無言の反撥は、何と根ぶかいだろう。帝政時代には、ポーランド語で教育をうけることさえ禁じられていた人々が、古いロシアへ恨みをもっているというのなら、伸子にものみこめた。けれども、現在になってまで、これほどロシア語に反感がもたれているとは思いがけなかった。
「ポーランドの人たちは、いまのロシアがどんなに変っているか、知らないのかしら。――まるで別なものになってるのに……」
遺憾そうに伸子が云った。ポーランドはソヴェト・ロシアになってから独立したばかりでなく、一九二〇年にウクライナのひろい地域を包括するようになった。
「あんまりいためつけられていたもんだから、猜疑心がぬけないんだろう。ソヴェトのいうことだって信用するもんか、と思っているんだろう」
ポーランドでは軍人のピルスーズスキーが独裁者で、ポーランドの反ソ的な民族主義の立場を
伸子と素子とは、いそぎもしない足どりでホテルのロビーを帳場へむかった。明日のメーデーはワルシャワのどこで行われるのか。劇場の在り場所でもきくように伸子たちはそれをホテルのカウンターできこうとしているわけだった。
ロビーのひろさに合わして不釣合に狭苦しい古風なカウンターのところでは、折から到着した二組の旅客が、プランを見て、部屋をきめているところだった。その用がすむのを待って、伸子たちはわきに佇んだ。旅客たちはドイツ語で話している。いかにも職業用にフロックコートを着た支配人が、ヤー・ヤーとせっかちに返事して、何かこまかいことを云っているらしい一組の夫婦づれの方の細君に答えている。大きな胸の、赤っぽい髪の細君が、内気そうに鼻の長い顔色のよくない亭主をさしおいて旅先のホテルの泊りにも勝気をあらわして交渉している光景が面白くて、伸子は、いつの間にか自分がハンカチーフを落したことを知らなかった。
そこへいかにも、このホテルのどこかで催されている宴会へでも来ているらしい一人の若いポーランド将校が華やかな空色の軍服姿で通りあわせた。彼はすっと瀟洒に身をかがめて伸子が落して知らずにいたハンカチーフを赤いカーペットの上からひろいあげると、
「ヴォアラ。――マドモアゼル」
直立して、乗馬靴の二つの踵をきつくうち合わせチャリンと拍車を鳴らし、笑いをふくんで白い麻の女もちハンカチーフを伸子にさし出した。社交にみがかれてつやのあるヴォアラ・マドモアゼルという云いかた。チャリンと澄んだ音でうち鳴らされた拍車の響。そして軽く指の先へひっかけるようにしてつまみあげたハンカチーフを小柄な伸子にさし出した身ごなし。そのひとつらなりの動作がまるで舞踊のひとくさりそのまま軽妙でリズミカルだった。
伸子は、あんまり人に見られるとも思わず佇んでいた。モスクを立つ間ぎわになってから大急ぎで、そのカラーとカフスのところへ柔かな灰色のアンゴラ毛皮を自分で縫いつけて来た紺の合外套を着て。
そこへさし出されたものを見れば、思いもかけずいつおとしたのか、それが自分のハンカチーフであったのと、若い将校のひろってくれかたが、あんまり派手なサロン風なのとで、伸子はわれしらず耳朶を赤くした。そして、踊りあいての挨拶につい誘われたようなしなで、
「メルシ」
と礼を云った。若い将校は、
対手が行ってしまうと同時に、伸子は急にきまりわるさがこみあげた。我にもなくつい気取って、メルシなんて云ってしまって。フランス語なんか知りもしない自分だのに。素子が見ていなくてたすかった、と伸子は思った。素子は支配人に向って少し声高なロシア語で談判めいて云っている。
「どうして? もちろんあなたは知っているはずだし、知っていなければならないでしょう、職務上……」
伸子は、わきへよって行った。
「どうしたの?」
ちらりと伸子を見て、意味ありげに苦笑しながら素子は日本語で、
「メーデーのことなんか知らないって云いやがる」
ワルシャワで、メーデーがどう感じとられているかということが、伸子たちに察しられた。伸子がかわって、英語で支配人に云った。
「
支配人は黒いフロックコートの腕をあげて鼻髭を撫でながら伸子のいうことをきいていたが、まるで出し惜しみするように、ドイツ訛のきつい英語で、
「行進は劇場広場に集ると、けさの新聞にはありました」
と答えた。つづけて、
「しかし危険です」真中からわけてポマードでかためている頭をふりながら警告した。「彼らが、どこで何をやるか、誰にわかっているもんですか。――御婦人の近よる場所じゃありません」
伸子と素子とが、あしたのメーデーについて支配人から知ることのできたのはメーデー行進は劇場広場に集るだろう、ということだけだった。
モスクを出るとき、彼女たちは、さて、これで今年のメーデーはワルシャワだ、と感興をもって期待した。去年のメーデーは、赤い広場の観覧席で、音楽につれ流れ去り流れ来る数十万の人々の行進を観た。町々が何と赤い旗と群集と歌とで埋ったろう。ウラア……という轟きに何という実感があったろう。行進が終った午後のモスクの、いくらかくたびれたような市中の静けさのうちにさえもとけこんで休日の空気を充していたあのよろこびと満足の感情。伸子にはその感銘が忘られなかった。ポーランドでは、どういうメーデーがあるのだろう。ワルシャワのメーデーを観る。どうせ、五月一日にワルシャワにいられるならそれは伸子にとっても素子にとっても、自然な興味のよせかたなのだった。
たしかな時間も場所もわからないままに、翌朝九時ごろ、伸子と素子はつれだってホテルを出た。
目をさました頃にはまだ降っていた雨がやっとあがって、歩道はうすらつめたく濡れていた。街路樹の春の芽もまだかたい枝々から大粒な雨のしずくが音をたてて落ちて、歩道をゆく伸子の肩にかかった。幾たびか通行人にきいていま伸子たちが来かかっているその通りは、市公園のどこか一方の外廓に沿っている道らしかった。低い鉄柵とその奥に灌木のしげみが見えている。規則正しく一定の間隔をおいて植えこまれている街路樹と鉄柵との間にはさまれている歩道は、ひやびやと濡れていて淋しいばかりでなく、人通りがごくたまにあるきりだった。その通行人も雨外套の襟を立てポケットへ両手をつっこんだ肩をすぼめるような姿で足早に過ぎてゆく。
伸子と素子とは、互にこれでいいのかしらん、と云いながら半信半疑で歩いて行った。モスクのようなメーデーの朝の気配があるはずはないにしても、こんなに寒そうで濡れて人気なく淋しい通りが、どこかで自分たちをともかくワルシャワでのメーデーの行進に出会わせるとは、思えないようだった。
「こんな調子じゃ、行進なんかないのかもしれない」
「そうかしら――そんなことってあるかしら。ここだって労働者がいるはずだのに……」
二人が先へ先へと視線を放って歩いてゆくと、歩道の右手沿いにずっとつづいた公園の低い鉄柵がぽつんと終った。その先に茶色っぽい高い建物が現れた。伸子たちの背たけより高い石の外羽目が切れたところが、城門のようなアーケードになっていた。重々しいそのアーケードの奥がちょっとした広場めいた場所だった。人がつまって乗っているトラックが数台とまっている。伸子たちは怪しんでそっちを見た。
「変だな。――こんなところが劇場広場だなんてことないだろう」
いぶかりながらそれでも二人は建物にとりかこまれて陰気なその広場めいたところへ歩みこんだ。モスクの赤い広場にくらべると、十分の一あるかなしのその石じきの場所の、三方を高く囲む石造建築の裾にぴったり車体をよせて、トラックが十数台とまっている。どのトラックの上にも、いちようにカーキ色のレイン・コートのような外套を着て同じ色の雨帽子めいたものをかぶった男女が、長い棒をついて立っていた。一台ごとにきまっただけの人数が積まれているらしかった。トラックの上に棒をついて立っている男女の方陣の間からは、そんな情景につきものの談笑も湧いていなければ、タバコをふかしている者さえまれだった。服装はみんな同じだが指揮者らしい年かさの者だけがトラックからおりて、石じきのあっちこっちにかたまり、断片的に何か話したり、腕時計を見たりしている。そこには、何かを待って緊張している雰囲気がある。
何心なくその場へふみこんだ伸子と素子とは、普通でない雰囲気に警戒心をよびさまされた。何かしらただごとでなく感じながら、旅行者の好奇心で、その広場を去ろうとしなかった。
トラックの連中はレイン・コートの上からみんな腕章をつけていた。白地に黒い活字のような字でシュタッド・ガルドとよめる。ガルドという意味を警備とすれば、シュタッドは、クロンシュタッドというようなわけで、市とでもいうわけだろうか。トラックの上からは、伸子たちに向って、無関心な機械的な視線が投げられた。伸子たちが、そこから入って来たアーケードとは反対の広場のはずれに、一軒のカフェーと、短い家なみをなして店鋪が並んでいる。それらの店は防火扉をしめて、カフェーだけがあいていた。袋のような広場からの一方の通路はその一廓にあいている。
高い建物にかこまれた広場のまんなかで足をとめ、そのままどこやら物々しい光景を見まわしている伸子と素子。一人は柔かい灰色アンゴラのファーつき外套を着、もう一人はラクダ色の外套を着て自分たちをむき出しに広場をかこんで止っているトラックの上からの環視にさらしたまま、佇んでいる伸子と素子。そのときその場にいあわせた並の身なりの人間と云えば、こういう伸子と素子の二人ぎりだった。それはどこから見てもポーランド語の話せない外国婦人の風体であり、その場の事情にうといものだけが示す自然で無警戒なそぶりだった。伸子たちは、次第にここの広場の空気のただならなさを感じるにつれ、どっちからともなくまた歩き出して、
「もうすこしあっちへ行こうか」
カフェーが一軒、店をあけている広場のはずれへ近づいた。そこからふりかえってみると、雨あがりの空からうすくさしはじめた陽の光が、高い建物にさえぎられて、広場の半分どころまでに注いでいる。石だたみの奥半分は寒々とした陰翳の中におかれていて、どぎつい明暗は見るからに陰気な広場だった。
伸子と素子とが、あらましその附近の様子を会得したときだった。カフェー側から見て右手の通りに向って三台一列縦隊にならんでとまっていた先頭のトラックから、一声、伸子たちに意味のわからない叫び声がおこった。それは何かの合図だった。忽ち、そのトラックにいたカーキ色レイン・コートの連中が棒を片手にトラックの両側からとびおり、あとにつづく二台のトラックから同じようにしてとびおりて駈け集った連中と一隊になって、す早く、その狭い右手の町口にかたまった。何事かがはじまった。そのときになって、伸子たちは発見した。自分たちのまわりがいつの間にか群集でかこまれている。どこから、いつ、これだけの人が出てきたのだろう。ついさっきまで、広場には、カーキ色の連中のほかに、伸子と素子の姿しか見あたらなかったのに。無気味に、がらんとしていた広場だったのに、いま伸子たちが爪立って前方を眺めようとしている横通りへの出口あたりは、黒山の人だった。その群集の頭ごしに、まだかなりの距離をもってこちらへ向って進んで来る赤旗が見えた。伸子のところから眺められる赤旗は十本たらずの数だった。伸子は赤旗が目に入ったと同時に、異様な衝撃を感じた。赤旗は黙って進んで来る。メーデーの歌の声一つそっちからきこえて来ない。赤旗がこちらに向って前進して来る歩調はかなり速かった。歌声もなく、十本足らずの赤旗はどこか悲しそうに、しかしかたく決心している者のようにいくらか旗頭を前方へ傾け、執拗に一直線に進んで来る。のび上っている伸子は思わず片方の手袋をはめている手をこぶしに握りしめた。メーデーの日だのに、メーデーの歌もうたわず、ほんの少数でかたまって広場に向ってつめよせて来る赤旗の下の人々の心もちはどんなだろう。突然、先頭に進んでいた赤旗が高く揺れたと思うと、行進は駈足にうつったらしく、それと一緒に急調子のインターナショナルがわきおこった。はげしい調子のインターナショナルの歌声の上に赤旗が広場の間近まで来たとき、カーキ色の連中を最前列にして伸子たちの前方をふさいでいた群衆の垣がくずれ立った。インターナショナルがとぎれた。入りまじっておしつけられた怒号が、伸子に見えない前方からおこった。もみ合いがはじまった。十本足らずの赤旗は高く低くごたごたと怒声の上にゆれていたが、そのうち赤旗を奪おうとしたものがあるらしくて、急に殺気だって圧力をました人なだれが伸子の立っているところまでおしかえして来た。行進はカーキ色連中が棒と棒とでこしらえたバリケードを破って、なお前進しようとしているのだった。人なだれは渦のように広場へひろがって、伸子と素子とははぐれまいとして手をつなぎあったまま小さな日本の女の体をぐいぐいおしたくられ、到頭行進のもみ合っている町口からずっとひっこんだカフェーよりまでつめられてしまった。そのときパン。パン。と高くあたりに響きながら間をおいて二つ、ピストルかと思う音がした。
「なかへ入っちまいましょう、よ!」
伸子と素子とは、むしろよろけこんだという姿勢でカフェーの表ドアをおして入った。そして、そこだけに空席のあったカフェーの大きなショウ・ウィンドウ前のテーブルについた。広場の混乱はショウ・ウィンドウ越しのついそこにあった。それどころか、今にもひろいショウ・ウィンドウのガラスがわられるかと思うほど群集の肩や背中がおしつけられて来る。
そういう戸外の光景をガラス一枚へだてて見ているカフェー内部のおちつきは、まったく対照的なものとして伸子に感じられた。そこにいて外を見ているのは伸子と素子ばかりではなかった。しっかりした体格の背広姿に無帽の男が三四人、それぞれ自分の前のテーブルの上にコーヒー茶碗をおいてかけている。或るものは、外が騒がしくなったから読むのをやめたという風に、ひろげたままの新聞を膝の上へのせて戸外を見ている。一人の男は、椅子の上で体をずらし、ひろげた両股の間へカフェーの小テーブルをはさみこむ行儀のわるい恰好で、ズボンのポケットへ両手をつっこんだまま上眼づかいにショウ・ウィンドウの外でこねかえしている人波を視ている。
内心こわくてそこにいる伸子にまわりの男たちの奇妙に動じないような様子はどこやら不自然に感じられた。もしピストルの撃ち合いでもはじまったら、カフェーの内部とは云っても、ショウ・ウィンドウ一重へだてただけで広場に向って自分たちをさらしているその位置は安全でなかった。そう云っても、手狭なそのカフェーの内部では、ほかに移る奥まった席もなかった。伸子たちのかけているすぐうしろがカウンターで、ワイシャツにチョッキ姿の太ったおやじがカウンターのうしろに突立って、腕組みしながら表ドア越しに広場を見ている。
それをきいて伸子がカフェーへにげこんだピストルかと思う音は、あの二つぎりでもうしなかった。入口でカーキ色外套の連中に遮えぎられたメーデーの行進は遂に広場へ入って来ることができなかった。一本の赤旗も広場に釘づけされている伸子たちの視野の内にあらわれなかった。段々、目に立たない速さで広場の群集のもみ合いも下火になりはじめた。伸子はそのときになって、その広場につめかけた群集はほとんど男ばかりで、女は見当らないのに気がついた。そして、陰気な広場へ数百人あつまっている男ばかりのその群集が、ワルシャワ市民のどういう層に属す人々なのかも伸子にわからなかった。メーデーの行進とその赤旗とを広場へ導き入れたいと思って来て見ていた人々なのか、それとも、もしも赤旗が広場へ入ったら、と事あれかしの連中が群集の大部分を占めているのか。――
群集がまばらになってゆくにつれて、カフェーのショウ・ウィンドウの外でマッチをすりタバコに火をつけたりしている男の背広が、失業者らしくすりきれているのが伸子の目にとまった。まるでルンペンらしくよごれて、油じみのついたりしているレイン・コートをひっかけているような男もまじっている。
伸子と素子とは、広場が大分閑散になってからそのカフェーを出た。二人とも、互に必要以外の口をきかなかった。どちらも亢奮が去ったあとの疲れのよどんだ瞼の表情だった。
再び二人で立って眺める広場の空気は、群集のもみ合いが散ったばかりでまだ荒れている。広場をとりかこむ高い建物の外壁にぴったりよせて止っていた幾台ものトラックの影もなく、カーキ色外套の連中は退散してしまっている。それとともに、メーデーの行進と赤旗も同じような速さでどこへ消え去ってしまったものか。伸子と素子とはいくらか急ぐ気持でカフェーの前からさっき行進が広場へ入ろうとしていた街すじの見とおせるところまで出て見た。いまその街すじには、二人五人と遠ざかってゆくまばらな人影があるばかりだった。伸子は、見とおしのきくその路面の明るい空虚さから鋭い悲しみを感じた。あの行進の人々はどこへ行ってしまったのだろう。そして、あの揺れていた赤旗は?――ほんの数節うたわれてすぐとだえたインターナショナル。とだえた歌声も群集の頭の波の上にゆらいでいた赤旗のかげも、伸子にすればまだその空の下に残っていそうに思えるのに、その街すじにあるものとては遠くまでつづくからっぽさである。伸子は思わず深く息を吸いこみ、自分の鼻翼のふるえを感じた。これがワルシャワのメーデーだった。ちらりと見えたと思ったらもう散らされてしまったワルシャワのメーデー。行進して来た人々は何百人ぐらい居たのだろうか。伸子にその見当がつかなかったが、あのようにして赤旗の下にかたまって進んで来た人々が、こんなにす早くカーキ色連中と同じように一人のこさず広場のまわりから姿を消したのは異様だった。伸子にはそれが、むごいしわざにならされた人のすばしこさのように思えた。彼らは、おそらく赤旗をかくして迅く走らなければならなかったのだ。赤旗とプラカートがわきおこる音楽の上に林立していたモスクのメーデーの街々が思いくらべられた。伸子の眼に涙がにじんだ。ワルシャワのメーデーに赤旗をたてて行進して来た人々に、伸子は、つたえようのない同感と可哀そうさを感じた。
もと来た道へひっかえす気分を失った伸子と素子とは、自分たちの激しくされた感情におし出されるような歩調で、空虚のみちている街すじを歩いて市公園の表通りへまわった。
往きに通って来た鉄柵沿いの紙くずなどの散った寂しい歩道とは正反対に、こちら側はいかにも近代都市公園をめぐってつくられている清楚な大通りだった。おこたらず手入されて、ゆるやかな起伏に
暫く行って、みて、伸子はその公園通りが、そこの歩道を歩く人のためというよりも、自家用自動車の駛りすぎる窓から眺める風物として満足感を与えるように端から端まで手ぎれいにされているということを理解した。歩道に沿って、一つのベンチも置いてなかった。そこは歩くしかないようにこしらえられている見事な公園通りなのだった。公園のいい景色を眺めながら、陽にでもあたってベンチで休みたいと思う通行人はワルシャワではたった一日しか逗留しない旅客である伸子たちが今そうして歩いているように、自動車なんかにのらないのだ。タクシーのつかまえようがわからない人でもあるのだ。どこかで足を休ませたいのを、こらえて歩いているうちに、この公園通りの見てくれのいい壮麗さが段々伸子の癪にさわって来た。伸子のその気分が通じたように、素子が歩道の上で立ちどまった。
「この調子じゃ、どこまで行ったって結局同じこったね」
どこかへかけて一服したそうに素子もぐるりを見まわした。
「――ベンチぐらい置いたってよかりそうなもんだのに――薄情にできてる」
仕方なく二人は、ずっとのろい歩調で歩きつづけた。
「変だなあ、いくらなんでもあれっきりのメーデーなんてあるもんかね」
はっきり目当てもないままに素子も伸子も心のどこかで、メーデーらしいメーデーの行進をさがしてここまでは足早に来もしたのだった。
「はじめっから分散デモだったんだろうか」
「そう思える?」
二人の前に贅沢らしく照り輝やいているその公園通りのどこの隅にも、きょうがメーデーだという雰囲気はなかった。伸子たちが、公園裏の陰気な広場で目撃して来た光景は、夢魔にすぎないとでも云われかねない様子だった。
伸子と素子とは、くたびれて、がっかりした気持で、おそい昼飯にホテルへ戻った。そうやって歩いて来てみると、ワルシャワのステーションから伸子たちをのせて来た馬車が、雨の中を街まで出て大まわりして来たのがわかった。ステーションから灌木の茂みの見える小公園を直線にぬけると、ついそこがホテル前の広場だった。
「これだからいやんなっちゃう! あの爺、あらかた街をひとまわりして来てやがる」
「いいじゃないの。どうせ
いちいち腹を立てていたら、これから言葉もわからない国々を旅行するのに、たまったものではない、と伸子は思った。
「抜けめない旅行をしようなんかと思って、気をはるの、わたしいや。どうせ土地の連中にかないっこないんだもの」
「ぶこはいい気なもんだ。――おかげでわたし一人がけちけちしたり気をもんだりしてなけりゃならない」
ひる休みのあと、伸子と素子とはもう一度ホテルを出た。こんどは本式にワルシャワの街見物のために。二人はまたステーション前から馬車をやとった。伸子たちがそれにのってウィーンへ向う列車はその晩の七時すぎにワルシャワを出発する予定だった。
ワルシャワの辻馬車が街見物をさせてまわる個所は大体きまっているらしく、毛並のわるい栗毛馬にひかれた伸子たちの馬車はいくつかの町をぬけて、次第に道はばの狭い穢い通りへはいって行った。やがて、ごろた石じきの横丁のようなところへさしかかった。馬車の上から手がとどきそうに迫った両側の家々の窓に、あらゆる種類の洗濯物が干してある。それらの洗濯物は、そうやってぬれて綱にはられているからこそ洗濯ものとよばれるけれど、どれもみんな
ワルシャワのここではその不潔で古い町すじに密集して建っている建物のすき間というすき間に、その内部にぎっしりつまって生きている不幸な老若子供よりもっとどっさりの南京虫が棲息していることはたしかだった。幌をあげた馬車の上から、通りの左右に惨めさを眺めて行く伸子の顔に苦しく悲しい色が濃くなった。現代になっても、こんなに根ぶかく、血なまぐさくユダヤに対する偏見がのこっていることは、ヨーロッパ文明の暗さとしか伸子に思えなかった。東京に生れて東京で育った伸子は、日本の地方の特殊部落に対する偏見も実感として知っていなかった。これまでポーランドが自分の国をあんなに分割され、自身の悲劇と屈辱の歴史をもって来たのに、そのなかでなお絶えず侮蔑するもの、人づきあいしないもの、虐殺の対象としてユダヤの人々をもって来ていることを思うと、伸子は苦しく、おそろしかった。関東の大震災のとき、東京そのほかで虐殺された朝鮮人の屍の写真を見たことがあった。虐殺という連想から伸子は馬車の上で計らずその記憶をよびおこした。
その
伸子と素子とをのせた馬車は、葬式のような馬の足どりで旧市街を通過した。一つの門のようなところをぬけると御者が、自分もほっとしたように御者台の上へ坐り直して、ロシア語で云った。
「さて、こんどは新市街へ行きましょう」
「あっちはきれいです。立派な公園もあります」
ついでに自分も一見物というような口調だった。
なるほど暫くすると、伸子たちの馬車は、その馬車のいかにも駅前の客待ちらしいうすぎたなさが周囲から目立つように堂々とした住宅街にのり入れた。近代的な公園住宅で、一つ一つの邸宅が趣をこらして美しい常緑樹の木立と花園に包まれて建っていた。芝生の噴水のまわりで小さい子供が真白いエプロンをつけた乳母に守りされながら、大きい犬と遊んでいる庭園も見えた。この界隈では、富んでいるのが人間として普通であるようであり、どの家もそれを当然としてかくそうとしていなかった。旧市街の人々が、せま苦しい往来いっぱいに貧を氾濫させて、かくそうにもかくしきれずにいたとは反対に。
その住宅街を貫いて滑らかな車道と春の芽にかすみ立った並木道が、なだらかに遙か見わたせた。自分たちが決してこれらの近代的
馬車は馬の足並みにまかせてゆっくりひかれてゆく。美しい糸杉の生垣の彼方に黄色いイギリス水仙の花が咲きみだれている庭があった。その美しい糸杉の生垣も早咲きのイギリス水仙の花も、繊細な唐草をうち出した鉄の門扉をとおして、往来から見えるのだった。まるで、ここにある人生そのものを説明しているようだ、と伸子は思った。その人生は、
伸子はかたわらの素子を見た。素子は火をつけたタバコを片手にもち、手袋をぬいだもう片方の指さきで、舌のさきについたタバコの粉をとりながら、馬車の上から、とりとめのない視線を過ぎてゆく景色の上においている。焦点のぼやけたその表情と、むっつりしてあんまりものも云わないところをみれば、素子も特別気が晴れていないのだ。ゆうべホテルの食堂でモスク馴れした自分の目をみはらせたワルシャワのパンの白さ。それが、象徴的に伸子に思い浮んだ。パンはあんなに白い。――パンのその白さを反対の暗さの方から伸子に思い出させるようなものがワルシャワの生活とその市街の瞥見のうちにあった。メーデーさえ何だか底なしのどこかへ吸いこまれてしまって、しかも、それについては、知っているものしか知っていてはいけないとでもいうような。ワルシャワの街そのものが秘密をもっているような感じだった。
折から、伸子たちをのせた馬車が、とある四辻のこぢんまりした広場めいた場所にさしかかった。その辺一帯の公園住宅地のそこに、また改めて装飾的な円形小花園をつくり、伸子たちの乗っている馬車の上からその中央に置かれている大きい大理石の
「ショパンの記念像です。有名なポーランドの音楽家のショパンの像です」
御者は、御者台の上で体をひねってうしろの座席の伸子たちにそう説明しながら、ゆっくり
「どうする?」
少しあわてたような顔で素子が伸子を見た。
「見るかい?」
「いい。いい」
伸子もせかついてことわった。この首府の名物ショパンの像と云ったものを見せられたところで、伸子がワルシャワの街から受けた印象がどうなろうとも思えなかった。
「まっすぐゆきましょうよ」
素子は御者に向って片手を否定的な身ぶりでふりながら、
「ハラショー。ハラショー。ニェ・ナーダ(よしよし、いらないよ)」
と云った。
「プリャーモ・パイェージチェ(まっすぐ行きなさい)」
うすよごれた馬車は、伸子と素子とをのせてそのまま下町を見晴らす大きな坂へさしかかった。かすかにあたりをこめはじめた夕靄と、薄い雲の彼方の夕映えにつつまれたワルシャワの市街にそのとき一斉に灯がともった。
ヨーロッパ大戦の後、オーストリアの伝統を支配していたハップスブルグ家の華美な権威がくずれて、オーストリアは共和国になった。首府ウィーンをかこんで、そこからとれる農作物では人口の必要をみたしてゆくことのできないほど狭い土地が、共和国のために残された。外国資本があらゆる部面に入りこんでいた。
それでも、ウィーンは、さきごろまでヨーロッパにおける小パリ・ヴィエンナと呼ばれていた都市の特色をすてまいとしていて、大通りに並んでいる店々は、その店飾りにもよその国の都会では見られない趣を出そうと努力している。
伸子と素子とは、ウィーンまで来たらいかにも五月らしくなったきららかな陽を浴びながら、店々がその陽にきれいに輝やいている大通りを歩いていた。婦人靴屋のショウ・ウィンドウには、ウィーンの流行らしく、おとなしい肌色の皮にチョコレート色をあしらった典雅な靴が、そのはき心地よさで誘うようにガラスのしゃれた台の上に軽く飾られている。大体ウィーンはヨーロッパでも有名な鞣細工の都だった。目抜きの通りのところどころに、用心ぶかく日よけをおろして、その奥に色彩のゆたかなウィーン
伸子は、素子とならんで賑やかな目抜通りを歩いていた。その辺の店ではどこでも英語が通じた。それはウィーンへはこの頃アメリカの客がふえていることを物語っている。伸子は沈んだ顔つきで午前十一時のウィーンの街を歩いていた。何を売るのか二本の角を金色に塗られた白い山羊が、頸につられた赤い鈴をこまかく鳴らしながら、クリーム色に塗られた小さな箱車をひいて通ってゆく。トラックが通り、そうかと思うと蹄の大きい二頭の馬にひかれた荷車が通ってゆく。頻繁で多様なそれらの車馬の交通は、街の騒音を小味に、賑やかに、複雑にしている。こうしてウィーンの街はどっさりの通行人にみたされて繁昌しているように見える。だけれども、こんなに店があり、こんなに使いきれないのがわかっているほど品物があり、しかもどの店の品も真新しく飾りつけられているのを眺めて歩いていると、伸子はウィーンがどんなに商売のための商売に気をつかっているかということを感じずにいられなかった。ウィーンは、パリともロンドンともニューヨークともちがった都会の味――小共和国の首府としての気軽さをもちながら、その程よい貴族趣味と華麗で旅行者をよろこばせるように工夫されている。オペラと芝居のシーズンがすんでしまっているウィーンでも、ウィーンという名そのものにシュトラウスのワルツが余韻をひいているようだった。
鞣細工品の店頭の椅子にかけて、素子は自分たちの前へ並べられた男もちの財布の一つを手にとり、しかつめらしくそのにおいをかいでいる。店員が、
「これはすばらしい品です。かいで御覧なさい。いいにおいがしていましょう? すぐわかります」
と云ったからだった。伸子は、気のりのしない表情で、皮財布のにおいをかいでいる素子の様子を見ていた。伸子は、そんなにして買物をたのしんでいる素子に対して、傷つけられた自分の気持を恢復できず、離れた気分でいるのだった。
けさ、ホテルで、素子はどうしてあんなに伸子をおこらなければならなかったのだろう。自分の着がえのブラウスが、手まわりのスーツ・ケースに入っていなかったからと云って。ベッドのわきで着がえをはじめた素子は、さきに着てしまっていた伸子に、スーツ・ケースからブラウスを出すことをたのんだ。伸子はスーツ・ケースの下まで見た。が、素子のいう白いクレープ・デシンのブラウスは見当らなかった。伸子は、うっかりした調子で、
「どうしたのかしら、……ないわ」
と云った。
「ないことあるもんか。あれはたった一枚のましなんだから、入れなかったはずありゃしない。見なさい」
「ほんとに入っていないのよ……どうしたのかしら」
手ごろなスーツ・ケースが伸子の分一つしかなくて、その一つに、素子のと伸子のと、二人ぶんの手まわりを入れて来ているのだった。
「ぶこがつめたんじゃないか」
まだカーテンをあけず、電燈にてらされている寝室の中で、スリップの上にスカートだけをつけた立ち姿の素子が、こわい眼つきと声とで、
「出してくれ!」
伸子に命令した。
「わたしが、出さなかったはずは絶対にないんだ。ほかに着るものがないのに、忘れる奴があるもんか。ぶこの責任だ。つめたのは君だもの。――どっからでも、出してくれ――」
どっからでも出せと云ったって、伸子と素子と二人で、そのたった一つのスーツ・ケースしかもっていないのに。――
「無理よ。そんなこと」
伸子は、自分のベッドの上で、ひっくりかえしたスーツ・ケースのなかみをまたもとどおりにしまいながら云った。
「二人分を一つに入れているのがわるかったんだわ」
「出してくれ!」
素子は腹だちで顎のあたりがねじれたような顔つきになり、寝台に近づいて来て、その上で片づけものをしている伸子の腕を服の上からぎゅっとつかんだ。
「あのブラウスがなくて何を着たらいいんだ」
「…………」
いっしょにつめるように素子が揃えて出したすべてのものを、スーツ・ケースに入れたとしか伸子には思えないのだった。伸子は途方にくれた。
「もしかしたら、衣裳ダンスにかけっぱなしで来たんじゃないのかしら――着て来ようとでも思って」
「そんなことないったら!」
痛いように伸子の腕をつかんでゆすぶりながら、
「自分のものは何を忘れて来た? え? 何一つ忘れたものなんかないじゃないか。わたしだけ、よごれくさったものを着て歩かなくちゃならないなんて!」
くいつくように睨んでそういう素子の顔に赤みがさして来て眼のなかに涙がわいた。
「わたしのことなんかどうでもいいと思っている証拠だ。いいよ! いつまでだってこうしてここにいてやるから!」
あのとき、ウィーンの公使館からきいて来たと云って、黒川隆三という青年が二人を訪ねて来なかったら、素子はほんとに一日ホテルの寝室から出なかったかもしれなかった。
二つのベッドの間のテーブルの上で電話のベルが鳴ったとき、素子は、そっちを見むきもしないで、伸子の腕をつかんでいた。自然、伸子もその場から動けず、答えてのない電話のベルは、重いカーテンで朝の光を遮られた寝室のなかで、三四へんけたたましく鳴った。やがてベルがやんだ。しばらくして、ドアをノックするものがあった。それが、黒い髪の毛に黒い背広を着た、若いのに世なれた調子の黒川隆三だった。
「やっぱり、おいででしたね、下で、電話に出る方はないが鍵が来ていないっていうもんですから。――いきなりお邪魔しました」
黒川という客の来たことが素子にとっても局面打開のきっかけだった。仕方なくきのう着た白いブラウスを着た素子と伸子とは互同士では口をきかず、しかし黒川に対してはどっちもあたりまえに応対しながら、寝室のとなりの室で朝食をすました。やがて三人でホテルを出、伸子たちは約束のある服飾店へ、黒川は次に会う日どりをきめてわかれた。黒川は、二週間近くウィーンに滞在する伸子と素子とのために、
これからの旅の先々では片言ながらどうしても伸子の英語で用を足してゆかなければならなかった。素子が自分の言葉の通用しないもどかしさと、伸子のうかつさとに癇をたかぶらしてきっかけがありさえすれば又けさのような場面が起るのかと思うと、伸子はその鞣細工品で、自分のために気の利いた小鞄を選びながら自分たちの旅行について銷沈した気分になるのだった。
ウィーン風にいれられたコーヒーには、ふわふわと泡だってつめたいクリームが熱く芳しいコーヒーの上にのっている。その芳しいあつさと軽くとけるクリームの舌ざわりとをあんまりかきまぜず口にふくむ美味さが、特色だった。
そういう飲みようを知らない伸子と素子とは、クリームをすっかりかきまわしたコーヒーの茶碗を前において、とあるカフェーにかけていた。空いている椅子の上に、買って来た、暗緑色とココア色の二つの婦人用カバンがおいてある。暗緑色で、角のまっしかくに張った方は素子のだった。こってりしたココア色で四隅に丸みのつけてあるのが伸子用だった。
そのカフェーも、ウィーンの目抜き通りにあるカフェーがそうであるように、通りに向って低く苅りこんだ常緑樹の
おそろしい戦争が終り、ウィーンの飢餓時代がすぎた一九一八年このかた、ロシアはソヴェトになってしまったけれども、ヨーロッパのこっちはこれまでの貴族をなくしただけでそのまま小市民風の安定と安逸に落付こうと欲している人々の感情を反映し、またその気分にアッピールしてウィーンの最新流行は、室内装飾まで、このカフェーのようにネオ・ロココだった。
そのカフェーの一隅で、伸子は途中で買った英字新聞をひろげた。二人がモスクをたったのは四月二十九日だった。五月五日のその日まで、あしかけ七日、伸子たちは新聞からひきはなされていたわけだった。何心なく新聞を開いた伸子の眼が、おどろいたまばたきとともに、第一面に吸いよせられた。「ベルリン市危機を脱す。騒擾やや下火。」という大見出があった。「
「――どういうことなのかしら、こんなことが出ているけれど」
伸子は素子にその新聞をわたした。ドイツの共産党は合法的な政党として大きな組織をもっていた。
「比田礼二や中館公一郎、大丈夫かしら」
伸子はあぶなっかしそうに、そう云った。ベルリン全市がただならぬ事態におかれたとすれば、日本の新聞記者である比田礼二や映画監督である中館公一郎にしても、その渦中にいるかもしれないと伸子は考えた。二人は、どちらも、この人々がベルリンからモスクに来たときに伸子が会った人たちだった。二人がベルリンからモスクへ来て見る気持の人々だということは、メーデーの事件がおこったとき、彼等がカーテンをひいてベルリンの自分の室にとじこもってはいまいと伸子に思わせるのだった。
「何かあったらしいが、これだけじゃわからない」
ニュースにおどろいて、その朝から二人の間にあった感情のわだかまりを忘れている伸子に、しずかに新聞をかえした。
「いずれにしたって、あの連中は大丈夫さ。外国人だもの」
「わからないわ。どっちもじっとしていそうもない人たちなんだもの」
ワルシャワのあの広場のカフェーに逃げこんだときの女二人の自分たちの姿を伸子は思い浮べた。雨あがりの空に響いてパン、パン。と二つ鳴ったピストルのような音も。――どういう意味で、ベルリンにそれほどの混乱がおこったのか、わけがわからないだけ、伸子はいろいろ不安に想像した。
「きのうの新聞をぜひ見つけましょうよ、ね」
カフェーを出ると、伸子はさっきのキオスクへとってかえした。その店には、前日のしかなかった。青く芽だっているリンデンの街路樹の下に佇んで、伸子は五月三日づけの外電をよんだ。ベルリン騒擾第二日という見出しで、数欄が埋められている。できるだけはやく、事件の輪廓をつかもうとして、伸子は自分の語学の許すかぎり、記事をはす読みした。ベルリンでメーデーの行進が禁止されていたことがわかった。それにかまわず、多数の婦人子供の加った十万人ばかりの労働者の行進がベルリン各所に行われて、警官隊との衝突をおこし、ウェディング、モアビイト、ノイケルンその他の労働者街では市街戦になった。警官隊は、大戦のときつかわなかった最新式の自動ピストルまでつかったとかかれている。ウェディングとノイケルンにバリケードが築かれた。二日の夜は附近の街燈が破壊され、真暗闇の中で、バリケードをはさんだ労働者と警官隊とが対峙した。夜半の二時十五分に、装甲自動車が到着して、遂にその明けがた、労働者がバリケードを放棄したまでが、夜じゅう歩きまわった記者の戦慄的なルポルタージュに描写されている。一日二日にかけて労働者側の死者二十数名。負傷者数百。そして千人を越す男女労働者少年が検挙されつつあるとあった。政府がベルリンのメーデー行進を禁止したという理由が、伸子にはまるでのみこめなかった。ドイツは共和国だのに。――政府は社会民主党だのに。――こんな風なら、ワルシャワのメーデーも、行進が禁じられていたのだったろうか。でもなぜ? いったいなぜ? メーデーに労働者がデモンストレートしてはいけないというわけがあるのだろう。不可解な気もちと、腹だたしさの加った不安とで伸子は、眉根と口もとをひきしめながら、その記事をよみ終り、あらましを素子に話した。
「これだから、モスクの新聞がないのは不便なのさ。何が何だかちっともわかりゃしない」
もどかしそうに素子が云った。そう云いながら、さっきカバンやなにかの買物をした鞣細工店の前をまた通りすぎるとき、素子は、つとそのショウ・ウィンドウへよって行ってまたその中をのぞいた。
メーデーにおこったベルリン市の動乱は、五月五日ごろまでつづいた。政府は禁止したが、それを自分たちの権利としてメーデーの行進をしようとしたベルリンの労働者の大群を、武装警官隊が出動して殺傷したことは、ドイツじゅうの民衆をおこらしているらしかった。ハンブルグでジェネラル・ストライキがおこる模様だった。「メーデー事件公開調査委員会」というものが、ドイツの労働団体ばかりでなく、各方面の知識人もあつめて組織されようとしているらしかった。
ウィーン発行の英字新聞だけを読んでいる伸子と素子とにとって、それらすべてのことがらしいとしかつかめなかった。その英字新聞は五月三日のベルリン市の状況を報道するのに、何より先に外国人はウンテル・デン・リンデンを全く安全に通行することができる、と書いたような性質の新聞であった。ハンブルグにジェネストがおこりかかっていることも、調査委員会が組織されたことも、その英字新聞は、直接ベルリンのメーデー事件に関係したことではないように、まるでそれぞれが独立したニュースであるかのように同じ頁のあっちこっちにばら撒いてあるのだった。
伸子と素子とは、黒川隆三が世話してくれた
繁華なケルントナー・ストラッセからそう遠くない静かな横通りにあるその
ベデカ(有名な旅行案内書)一冊もっていず、金ももっていない伸子と素子とは、オペラや演劇シーズンの過ぎた五月のウィーンの市じゅうをきままに歩いて、いくつかの美術館を観た。リヒテンシュタイン美術館でルーベンスの「毛皮をまとえる女」を見ただけでも、伸子としては忘られない感銘だった。そこには、ベラスケスの白と桃色と灰色と黒との見事に古びた王女像もあった。
モスクを出発して来てから十日ばかりたって、伸子ももうウィーンでは
そのおとなしい公使夫妻は、ヨーロッパの中でも国際政治の面でうるさいことの比較的すくないウィーンのような都会に駐在していることを満足に感じている風だった。公使館が植物園ととなり合わせだった。公使館の庭をかこむ五月の新緑の色が
「丁度この窓からよく見えましてね、ほんとに綺麗でございましたよ、あの大きい機体がすっかり銀色に輝やいておりましてね、まるで、空の白鳥のように」
などと、伸子に話してきかせた。公使夫人は、ウィーンが世界の音楽の都であるという点を外交官夫人としての社交生活の中心にしていて、日本へ演奏旅行に行ったジンバリストの噂が出た。最近イタリーで暫く勉強してウィーンへまわって来た若いソプラノ歌手の話もでた。大戦後はオーストリアも共和国になって、伝統的な貴族、上流人の社交界がすたれてしまったために、シーズンが終るといっしょにウィーンの有名な音楽家たちは、アメリカへ長期契約で演奏旅行をするようになった。
「そんなわけで当節はウィーンも、いいのはシーズンのうちだけでございますよ。いまごろになりますと、せっかくおいでになった方々にお聴かせするほどの演奏会もございませんでねえ」
「でも、そのおかげで日本にいてもみんながジンバリストをきけたと思えばようございますわ」
日本へヨーロッパの演奏家たちが来るようになったのは、夫人のいうように、第一次大戦のあとからのことだった。ジンバリストが日本へ来たのは伸子がモスクへ立って来た年の初秋ごろのことだった。それはジンバリストの二度めの来訪で、彼はアメリカへの往きと帰りに日本へよった。二度めにジンバリストが東京へ来た期間の或る日、上野の音楽学校でベートーヴェンの第九シムフォニーの初演があった。いかにも明治初年に建てられた学校講堂めいた古風で飾りけない上野の音楽学校の舞台に、その日は日本で屈指な演奏家たちが居並んだ。第一ヴァイオリンのトップは音楽学校教授であり、日本のヴァイオリニストの大先輩である有名な婦人演奏家だった。その日伸子は母親の多計代、弟と妹、二人の従妹たちという賑やかな顔ぶれで、舞台に近すぎて、音がみんな頭の上をこして行ってしまうようなよくない場所できいていた。演奏者たちも、せまい講堂に立錐のよちのなくつまった聴衆も、日本ではじめて演奏される第九シムフォニーということで緊張が場内にみなぎった。第一楽章が、入れ混ったつよい音の林のように伸子たちの頭の上をふきすぎ、短いアントラクトがあって、第二楽章に入ろうとする間際だった。ヴァイオリンを左脇にかかえ、弓をもった右手を膝の上に休ませてくつろいだ姿勢で聴衆席を眺めていた第一ヴァイオリンのトップの伊藤香女史が、何を見つけたのか急にうれしそうな笑顔をくずして、いくたびもつよく束髪の頭でうなずきながら、弓をもった右手を軽くあげた。数百の聴衆は、何ごとかと伊藤女史が頭で挨拶している方角をさがした。谷底のような伸子の場所からは何も見えなかった。が、じきジンバリストだ、ジンバリストが来ている、という囁きが満場につたわった。すると、どこにそのジンバリストがいるのかわからないなりに熱心な拍手がおこって、伸子も、どこ? 見えないわね、と云いながら誰にも劣らず拍手した。ジンバリスト自身は演奏中に思いがけずおこった歓迎を遠慮するらしくて何の応答もなかった。かえって静粛を求めるシッシッという声がどこからかきこえた。それはほんの一分か二分の出来ごとだった。第九シムフォニーの第二楽章がはじまった。その日の指揮はセロのドイツ人教授だった。指揮棒が譜面台を軽く叩き、注意。そして、演奏がはじまる。
一呼吸はやく、第一ヴァイオリンのトップが弾き出した。伸子は、はっとした。次に罪なくほほえまれる感情につかまれた。ジンバリストが来ている。そのうれしさで全員の感じた亢奮が、率直にもう若くないしかも大家である女性ヴァイオリニストによってあらわされたように感じたのだった。その演奏会から、伸子も多計代も、ほかの連中もひどく刺戟に疲れてかえって来た。多計代は、まず一服という風に外出着のまま食堂に坐ってお茶をのみながら、一つテーブルをかこんでこれもお茶とお菓子を前にしている伸子たちに、
「さすがはベートーヴェンだけあるねえ。わたしはほんとに感激した。おしまいごろには、涙がこぼれて来てしかたがなかったよ」
と云った。その瞬間和一郎と小枝とが、顔を見合わせようとしてこらえたのが伸子にわかった。伸子は、何にしてもきょうの場所はわるかったと思っているところだった。シムフォニーとして一つにまとまり調和しあった音楽の雲につつまれることができず、伸子たちの席では、はじめっからおしまいまで厖大な音響の群らだつ根っこの底にかがんでいるようなものだった。それは素人である伸子の耳に過度に強烈な音響の群立であり、音楽に感動するよりさきに逃げようのない大量な烈しい音響に神経が震撼させられた感じだった。日本ではじめて演奏される第九シムフォニーだったのに、と切符を買いおくれたことを残念に思っていた。伸子は自然なそのこころもちのまま多計代に、
「場所がわるかったわねえ」
と云った。
「あれじゃ、涙も出て来てしまうわ」
そして何心なく、
「人間て、あんまりひどい音をきいていると涙が出るのよ」
と云った。そう云ったとき伸子に皮肉な気分は一つもなかった。すると、多計代が亢奮でまだ黒くきらめいている美しい眼で伸子を不快そうに見ながら、
「また、おはこの皮肉がはじまった」
と云った。
「わたしが感激しているんだから、勝手に感激させとけばいいじゃないか」
伸子はだまった。けれども、多計代はどうして、ベートーヴェンだから感激しなければならないときめているのだろう、と誇張を苦しく思った。
モスクへ来てから、伸子はずいぶんいろいろのオペラをきき、音楽会をきいた。日本ではまだハルビン辺から来るオペラ団を歓迎していた。オペラはもとより、ソヴェトになってから組織されたフェル・シン・ファンスという、コンダクターなしの小管絃楽団の演奏にしろ、伸子が日本できいていたオーケストラとはくらべられない熟練をもち、音楽の音楽らしさをたたえていた。モスクの音楽学校で演奏者たちが舞台の上に円くなって、第一ヴァイオリンが指揮の役もかねて演奏するフェル・シン・ファンスのモツァルトをききながら、伸子は、はじめてモツァルトの音楽の精神にふれることができたように感じた。フェル・シン・ファンスの演奏するモツァルトは、ただおのずから華麗な十八世紀の才能が流露しているばかりではなかった。そこには、意識して醜さとたたかいながら美を追求しそれを創り出そうとしている意志と理性とがあり、人生が感じられた。伸子は、モツァルトを自分のこころの世界のなかに同感した。
その演奏会があったのは一九二八年の雪のつもった日曜の午後だった。雪道をきしませてホテルへかえって来ながら伸子は最後に上野できいて来たベートーヴェンの第九シムフォニーの演奏を思いおこし、それが、どんなに不手際な幼稚なものだったかを理解した。同時に、あのとき、裾模様を着て第一ヴァイオリンの席につきながら束髪の頭を、あんなにうれしそうにこっくり、こっくりした伊藤香女史の特徴のある平顔を思い出し、一つの息を吸うほどの間、早く鳴り出した彼女のヴァイオリンの音を思いおこした。モスクへ来てみると、それらはすべて途方もないことだったのが、伸子にもわかるのだった。しかしまた、ヨーロッパの輝やかしく技術の練達した、社交性に磨きぬかれた音楽の世界に馴れたジンバリストにとってそういう真心にあふれ
ウィーンにいる日本公使夫人として、東から西からの音楽交驩に立ち会う機会の多い夫人は、話している対手の伸子が社交界に関係をもっていず、また音楽家でもないことに、くつろぎを感じるようだった。
「こちらにこうしておりますとね、ウィーンへ音楽の勉強にいらっしゃる日本の方々の御評判のいいことも嬉しゅうございますが、ジンバリストのような偉い方が日本へいらして、お帰りになると、きっと、日本の聴衆は静粛で、まじめでいいとほめて下さるときぐらい、うれしいことはございませんよ。そのときは、ほんとに肩身のひろい思いをいたします」
アメリカへ演奏旅行したウィーンの音楽家たちは、アメリカの聴衆は入場券を買って入った以上その分だけ自分たちが楽しませられることを要求している、と云う印象をうけて来るそうだ。まじめ一方な日本の聴衆にさえ好感をもつ人々が、もしロシアのしんから音楽ずきに生れついている聴衆の前で、刻々の共感につつまれながら演奏したら、どんなに活々した歓びがあるだろう。思えばおかしいことだった。ソヴェトへはヨーロッパの音楽家の誰も演奏旅行に行かなかった。ふたをあけるともう鳴り出すオールゴールのように音楽の可能にみちみちているロシアは、避けられている。それは、外国の政府が音楽家がモスクへ行くのをのぞんでいないためなのだろうか。
伸子からそういう質問をうけた公使夫人、どこやらのみ下しにくいものを口の中に入れたような表情をしたまま、
「さあ――。どういうものでございましょうねえ」
すらりと手ごたえのない返事をしたきり、その質問を流しやった。ウィーンでは、そして、この客間では、そういう風に話をもってゆかないならわしである、ということが伸子にさとれるようなそらしかたで。
伸子たちが、社交と音楽のシーズンがすぎてからウィーンへ来たことは、伸子たちのためにもむしろよかった。冬のシーズン中には、その日の午後新緑の光りにつつまれ静寂のうちに小鳥の囀りさえきこえている公使館の客間にも、幾度か公式に非公式に、華々しい客たちが集められるらしかった。シーズンはずれの旅行者であるために、モスクから来た社交になじまない伸子と素子にも、公使夫人として気をらくに対せていることを、伸子は感じるのだった。
数年前、ウィーンで自殺した日本のピアニスト川辺みさ子の、自殺するまでにつめられて行ったせつない心のいきさつが、彼女の名も忘られはてた今、ウィーンに来た伸子に思いやられるようになった。
川辺みさ子は、伸子が十ばかりのときから五年ほどピアノをならったピアニストだった。ある早春の晩、肩あげの目だつ友禅の被布をきた伸子が父の泰造につれられて、はじめて川辺みさ子の家を訪ねたとき、門の中で犬が吠え、伸子たちが来たのでぱっと電燈のついた西洋間に、黒塗のピアノが一台、茶色のピアノが一台、並んでおいてあった。川辺みさ子は、その春、上野の音楽学校を首席で卒業したばかりの若いピアニストだった。細面の、瞳の澄んだ顔は、うち側からいつも何かの光にてらし出されているように美しく燃えていた。少女の心にさえ特別な美しさがはっきりと感じとられるその川辺みさ子がひどい
やがて、チンタウから来たものだという、中古のドイツ製のピアノが買われた。古風な装飾のついた黒塗りのピアノの左右についている銀色のローソク立てに火をとぼし、伸子は夜おそくまで、少女の心をうち傾けて練習曲をひき、また出まかせをひいた。それらは、光そのものの中に生きるような時の流れだった。伸子はやがてソナチネからソナタを弾くようになった。そのころの川辺みさ子は有名な天才ピアニストであり、音楽学校の教授だった。ベートーヴェンを専門に勉強していた川辺みさ子のリサイタルは、そのころの音楽会と云えば大抵そうであったように上野の音楽学校で開かれた。飾りけない舞台の奥のドアがあいて、そこから裾模様に丸帯をしめた川辺みさ子が出て来ると、聴衆は熱烈に拍手した。美しく燃え緊張した若い顔を聴衆にむけ、優しい左肩をはげしく上下に波立てながら、左手を紋服の左の膝頭につっかうようにしてピアノに向って歩いて来る川辺みさ子の姿には、美しい悲愴さがあった。その雰囲気に狂い咲いた花のようなロマンティシズムが匂った。彼女の演奏は情熱的であるということで特徴づけられていた。うす紫縮緬の肩にも模様のおかれている礼装の袂をひるがえしてベートーヴェンのコンチェルトが弾かれ、熱中が加わるにつれて、川辺みさ子のゆるやかに結ばれた束髪からは櫛がとんで舞台におちた。コンチェルトはその時分誰の場合でもオーケストラはなしで、ピアノだけで演奏されていた。
伸子に、二人のあい弟子があった。二人とも伸子が通っていた女学校の上級生であり、その人々は、伸子よりずっと上達していた。伸子は、ピアノに向って弾いているとき、よくその横についている川辺みさ子から、不意に手首のところをぐいとおしつけられて、急につぶされた手のひらの下でいくつものキイの音をいちどきに鳴らしてしまうことがあった。川辺みさ子の弾きかたは、キイの上においた両手の、手くびはいつもさげて十の指をキイと直角に高くあげて弾らす方法だった。それは、どこかに無理があってむずかしかった。われ知らず弾いていると、いつの間にか手くびは動く腕から自然な高さにもどってしまって、川辺みさ子の二本の指さきで――いつもそれはきまって彼女の人さし指と中指とであったが、ぐいときびしく低められるのだった。
伸子が、一週に二度ずつ通っていたピアノの稽古をやめてしまったのは、偶然な動機だった。伸子が十六になる前の冬、川辺みさ子は指を、ひょうそうで痛めた。激しい練習のために、ひょうそうになったのだそうだった。稽古は四ヵ月休みにされた。その四ヵ月がすぎて、川辺みさ子が削がれて
こうして、伸子は川辺みさ子から離れた。離れたと云ってもピアノの稽古をやめたというだけであったが。――伸子はその後もかかさないで彼女の演奏をきいた。
伸子が女学校を終ったばかりの早春、川辺みさ子の身の上に思いがけない災難がおこった。或る晩、友人のところから帰りがけ、赤坂見附のところで川辺みさ子は自動車に
その年の秋もふけてから、川辺みさ子は病院から自宅へかえって来た。伸子は見舞に行った。ピアノのおいてある、そこで伸子が教則本をひきはじめた洋間に、手軽なベッドをおいて、川辺みさ子は、伸子がその部屋に入って行ったときは、うしろのカーテンをひいて、ほの暗くしたなかに横たわっていた。
「おお、伸子はん!」
川辺みさ子は、おお! という外国風な叫びと京都弁とをまぜて、ベッドの上におき直った。
「よう来てくれました!」
つよくつよく伸子の手をとって握りしめた。
「これからやりますよ、わたしは生れかわったのやもの! なあ、そうやろう?」
伸子が口をさしはさむ間を与えず、川辺みさ子は話しつづけた。伸子は、暫く話をきいているうちに、せつなくて体から汗がにじみ出した。川辺みさ子は、脳のどこかに負傷の影響を蒙ったと思わずにいられなかった。早口に、だまっていられないように勢づいて話す川辺みさ子の言葉は、明瞭をかいていた。そして、これからの自分こそほんとの天才を発揮するのだとくりかえし川辺みさ子が云うとき、伸子は滲み出た血がこったような涙を目の中に浮べた。それをきくのはこわかった。そして、いやだった。天才! 伸子がそのひとことでおぞけをふるうには、深いわけがあった。その前後にはじめて小説を発表するまわりあわせになった十八歳の伸子は、天才という人の心をそそるような、同時にマンネリズムによごされた言葉の裏に最も辛辣冷酷なものを感じていた。それをまったく感じようとしていない母の多計代の人生への態度との間に、伸子の一生にとって決定的なものとなったとけ合うことのできないへだたりを感じはじめているときだった。川辺みさ子がまだ弾くことのできない閉されたピアノのよこの薄暗いベッドで、伸子の手をにぎり、ほとんどききわけにくいまでに乱された舌で、未来の自分の音楽における成功と天才についてとめどなく話すのをきいていることは、伸子にとって苛責だった。
伸子は、川辺みさ子のところからほんとに逃げて、うちへ帰って来た。そして、自分の小部屋にひっこんで長いこと姿をあらわさなかった。川辺みさ子は、
川辺みさ子がまだ療養生活をしていたころのあるときのことだった。近所にすんでいる伸子のところへ迎えの使いが来た。川辺みさ子は、文学の仕事をはじめた伸子に、音楽と関係のある作品を教えてくれというのだった。伸子は、立派な文学作品で音楽に関係のないというものがあるだろうかと思った。そのどちらもが、人生にかかわっているとき。――伸子は「ジャン・クリストフ」と「クロイチェル・ソナータ」をあげた。それから「ジャン・クリストフ」の作者ロマン・ローランによる「ベートーヴェン」とを。その日、川辺みさ子は、何が動機だったのか日本の音楽家の思想の貧しさをしきりに伸子に話した。
更に月日がすぎて再び川辺みさ子がピアノの前に立ち、弟子たちの練習に立ち合うようになったとき、伸子は心ひそかにおそれていたことを噂としてきくようになった。川辺みさ子は、あの怪我から少し誇大妄想のようになったというのだった。伸子は子供のころからのおなじみなのだから、何とか注意してあげたら、と云う人もあった。でも伸子に何と云えたろう。伸子は伸子として自分のぐるりとたたかうことで精一杯だった。
しばらくして、川辺みさ子のウィーン行きが発表された。日本へアンナ・パヴロヴァが来たり、エルマンが来たりしていた。川辺みさ子は、日本のピアニストである自分の芸術で、少くとも自分の弾くベートーヴェンで世界の音楽界を揺すぶって見せる、とインタービューで語った。伸子は、その談話を新聞でよんで覚えず手の中をじっとりさせた。
どこかはらはらしたところのある思いで伸子は川辺みさ子がウィーンへ立つ前の
演奏はつづけられたが、伸子は、どうせとんでしまうものならステージへ出る前に、なぜ櫛なんかとって出て来ないのかと、川辺みさ子自身の趣味をうたがった。伸子がごく若い娘の作家であることを娘義太夫にあつまる人気になぞらえて、娘義太夫のよさは、見台にとりついてわあーっと泣き伏す前髪から櫛がおちる刹那にある、佐々伸子にこの味が加ったら云々と書かれていたのを読んだことがあった。伸子はそれを忘れることができず、意識してそれに類するどんなその注文にも応じまいとかたく決心していた。伸子のそのこころもちは、川辺みさ子の演奏会と云えばステージにおとされる櫛を期待させているような点に伸子を妥協させないのだった。彼女の天才主義に疑問をもちつづけた伸子は、櫛のことから、芸術家としての川辺みさ子と自分のへだたりを埋めがたいものとして感じた。稚いながらも川辺みさ子に対しては伸子も一人の芸術にたずさわるものとしての主張をもちはじめていた。
川辺みさ子がウィーンへ行ってから半年たつかたたない頃だった。川辺みさ子は世界を征服すると大した勢で出かけたが、案外なんだそうだ、某というコンセルバトワールの教授に、これから三四年みっしり稽古したら
下宿の窓から鋪道へ身を投げて川辺みさ子がウィーンで自殺した。そのニュースが新聞へ出たのは、それから程ない時だった。伸子は、頬のひきつったような表情でその新聞を見つめ何にも云わず、息を吸いこんだ。吸いこんだその一つの息がはきどころないように胸がつまった。伸子は誰に向っても、がんこに口をつぐみつづけた。
数ヵ月たって川辺みさ子の遺骨が故国へ送り届けられた。それは単衣の季節だった。はかばかしい喪主もなくて、まばらに人の坐っている寺の本堂を読経の声とともに風が通った。遺骨は、錫製のスープ運びの罐のようなものに入れられていた。その罐に外国語でタイプされた小さな貼紙がついていた。京都に埋められる遺骨の一部を東京にのこすために分骨するとき、こころを入れてその日の世話を見ているたった一人の弟子であった土井和子の貴族的な美貌の上をいくたびも涙がころがって落ちた。――おかわいそうに。土井和子は真実こめてそうささやきながら骨をひろった。伸子は、土井和子の誠意にうたれ、謹んでかたわらに坐っていた。川辺みさ子その人に対して芸術家としての疑問や異種なものである感じは、死によっても伸子の心からは消されなかった。伸子はそのころ佃との生活紛糾のただなかにいて、自分にもひとにも鋭く暗い気分だった。
音楽という広いようで狭い世界では、ウィーンと日本との距離がはたで思うよりはるかに近いものであることを、こんどウィーンに来て見て伸子は実感した。当時川辺みさ子の評判やそれに対する期待、好奇心は、おそらく川辺みさ子そのひとが、ウィーンに現れるよりさきまわりして、彼女の登場の背景を準備していたことだろう。いま公使館の客間は五月の深い新緑に青ずんでしまっている。ここへはじめて川辺みさ子が日本服姿を現したとき、まだ
三四年みっちり稽古すれば
川辺みさ子の黒く澄んだ眼は、どんなに暗澹とした闇をたたえて、彼女の
川辺みさ子がウィーンでくらした下宿というのは、どこのどんな家だったろう。そして、川辺みさ子の体が窓から落ちて横たわったウィーンの通りというのはどんな通りだったのだろう。伸子は生々しいようなこわい思いで、自分のすぐ横に開いている三階のひろい窓から外をのぞいた。天気のいい日が向う側の建物に照っていて、伸子の窓の下は、人通りのすくない横通りのペーヴメントだった。灰色に乾いた日向のペーヴメントの車どめの石の上に半ズボンの男の子がちょこんと腰かけて、両手の間で何か小さい物をああし、こうしして、しきりに研究中らしくいじくりまわしている。余念のない少年の動作を見おろしているうちに、伸子はいつか川辺みさ子の最期についての暗く凄じい回想から解放された。同時に、まるでそれは人気ないその部屋のどこかではっきり云われた言葉であるような感じで一つの疑問がおこった。どうして川辺みさ子は自分の音楽で世界を征服するなどと、いう気になったのだろうかと。川辺みさ子の生涯が悲劇として終ったあとも伸子はそれを川辺みさ子個人の天才癖の悲惨とだけ思っていた。モスク生活の間、そこできく音楽と川辺みさ子の回想は、一度も結びついたことがなかった。――ベートーヴェンの音楽のどこに、いわゆる征服的なものがあるだろう。あるものは、人間の存在にさけがたい苦悩と擾乱の克服ではないだろうか。苦しむ人間の情熱そのものが昇華しようとする過程が嵐のようなとけるようなアダジオとなって新しい生への意欲へと運ばれてゆく。それだのに、何故川辺みさ子はそのようなベートーヴェンの本質が、世界を征服すると思ったのだろう。
ペーヴメントの上にいる少年の動作を見おろしている眼をしばたたいて、伸子は自分にわきおこった新しい疑問におどろいた。征服したいと思ったのはワグナーだったのに、と伸子は考えた。彼はウィルヘルム一世にああいう手紙をかいたのだから。――人民を温和にして統治しやすくするために最も有効果なのは宗教ならびに音楽であります、と。ニイチェは、音楽をそういう風なものとして皇帝に売りつける晩年のワグナーに腹を立てて仲たがいした。伸子にはニイチェの気持がもっともなことと思えているのだった。
そして、きょうワグナーのオペラとしてきかれているのは、ワグナーがまだそんな手紙を皇帝にかいたりしなかったころ、初期の作品、ワグナーが若くて、貧しくて自分の途をさがしていた頃の「タンホイザー」などであることも、意味ふかいと思っているのだった。
ベートーヴェンの音楽の人類的な本質、それは文学へもつきぬけて来ているほどの本質を、川辺みさ子が個人的な、天才の光輝と思いちがいし、自分の光背ともして背負いあげたことは、愚かしい単純さであり、思いあがりとして、彼女の一人の女としての真実な悲劇まで嘲笑のうちに忘られた。でも――と伸子は、なお思いつづけるのだった。川辺みさ子のような天才についての本質的な考えちがい、芸術が人々の心にしみ入り、そこに場所を占めてゆく過程とナポレオン風な力ずくのような征服をごちゃまぜにする途方もなさが、果して川辺みさ子の頭の中だけにあったことだろうか。伸子にはそう思えなかった。伸子が、モスクへ来るまでの生活でぶつかりつづけて来た母の多計代のものの考えかた、文学上の名声だの名誉だのというものについての感じかたは、伸子がまともに生きようと願えばそれとたたかわずにいられない本質のものだった。多計代の名声欲につよく反撥する伸子の心もちがそのまま川辺みさ子の天才主義に抵抗したのであってみれば母としての多計代とピアニストとしての川辺みさ子の態度に共通な世俗的な英雄主義があるわけだった。そして、詮じつめれば、それも二人の気の勝った女性が偶然もち合わせた共通な性格というようなものではなくて、個人と個人のたえまないはたき落しっこで一方は栄達し一方は没落してゆくという風な、激甚で盲目的で血みどろな生存のためのあらそいがよぎなくされている旧い社会のしきたりの中では、ひとりでに固められて来た観念でもある。ただ人々は、そのあらそいの凄まじさをむき出しにして、うっかり勝利の前ぶれなどをして自分への敵意を挑発する危険から身を守るために、つつましさだの、謙遜だのというつけ
伸子の下宿のその室には、大きな煖炉がきられていた。冬の季節がすぎて、その中に火がたかれなくなってから程たっている。春の煖炉の、冷えてくらい炉の上の棚に、伸子が街で買って来たパンジーの花束が飾られている。
その下をゆっくり歩きながら、ウィーンで命を絶った川辺みさ子がいまになってみれば、きょうの自分といくらもちがわない年ごろであったことを考え、伸子は新しい哀れに誘われた。あのことがあってから七年も八年もたった。伸子もモスクへ来てからは新しい社会が作家や音楽家の生活状態がどんなにいろいろな関係の面で変るものかという事実を目撃している。そういう理解の加わった気持で、しんみりと思いかえしてみると、伸子が自分のひとりの心の中で川辺みさ子と自分とが別ものであることをあんなに強調して意識し、一生懸命に自分とは反対の端へ川辺みさ子という存在を押しつけていたにしろ、ひっきょうその気がまえをもっているというだけでは、伸子が川辺みさ子から本質的に別な世界にいるということではなかった。伸子は、そのころ云われていた文士とか女文士とかいう言葉と、そこから連想されている生活ぶりに、嫌厭を感じ、反撥していた。けれども反撥していただけで、それにかわるものがなに一つ伸子にあるわけではなかった。文士の一人であり女文士であることを拒んでいる伸子にあるのは孤立だけだった。その孤立のなかで、伸子はもがきつづけて来ているのだった。
静かな午後の横町の下宿の室でかすかにパンジーの花束がにおう炉棚の下にたたずみ、伸子はあれからこれへと心の小道をたどりながら、半ば無意識に、そこの小テーブルの上に立ててあるモツァルトの薄肉浮彫の飾りメダルを手にとった。ウィーン名物の薄肉浮彫の金色の面に、こころもち猫背で、というより鳩胸のような肩つきで、円い形のかつらをつけたモツァルトの横顔が浮き出ている。
伸子は、川辺みさ子が、晴やかな裾模様につつまれた跛の姿で、ステージにあらわれたときの表情を、まざまざとおもかげにみた。拍手にこたえて何か云いたそうに少しあいている紅のさされた唇。細おもてできめのこまやかな顔にうっすりとお白粉がにおっていて、亢奮と精神集注と、そこから来る一種のぽーっとした表情にとけ合った若く燃える彼女の顔は、いくらか上向きかげんに聴衆に向ってもたげられていた。彼女の不均衡な足のはこびによって、彼女の左肩がどんなにひどくしゃくられ、一歩は高く、一歩は低く進まなくてはならないにしても、川辺みさ子は、かすかに開いて印象的な唇をもつ、その関西風の小さい白い顎を決してさげることはなかった。――
あと二日で、ウィーンを去るという日のことだった。伸子と素子とは、黒川隆三にたってすすめられて、ウィーンのまちはずれにあるカール・マルクス館というものを見学に出かけた。
オーストリアの政権はキリスト教社会党にとられているけれども、ウィーン市の市政とウィーン州の政策はすっかり社会民主党に掌握されている。そして、百八十万の人口をもつウィーンは最近社会主義によって運営されている工業都市として、各国の注目をあつめている。
「あなたがたのような御婦人が、せっかくウィーンへ来て、あすこを観ないで行ったんではもの笑いですよ。僕だって、シェーンブルンへ案内したが、そっちへは連れて行かなかったなんて、あとで恨まれては遺憾ですからね」
リンデンホーフというウィーン市の外廓にある労働者街までゆく電車の中で、黒川隆三は、ウィーンの社会民主党が、労働者福祉のためにどんな数々の事業を行っているか、なかでも、住宅政策と保護事業の成功について伸子と素子に説明した。ウィーンでは、借家人の権利を尊重して、大きな家屋を独占しているものに増加税法をかけるため、売買から利益を得ることが困難にされている。ウィーン市は、一九二七年にウィーンの土地の二七パーセント弱を市有にすることができた。それらの土地へ、これから伸子たちがみようとしている労働者住宅と同じものをどんどん建ててゆく計画なのだそうだった。
電車がウィーンの街を出はずれるにつれて、市中の多彩で華美な雰囲気が、段々左右の町なみから消されて行った。伸子たちは、木造の低い小家やガソリン・スタンドの赤いタンクが目立つ、ひっそりした停車場で電車を降りた。そこからすこし歩いた小高いところに、名所の一つであるカール・マルクス館が建っていた。ひろやかな砂利道を入ってゆく中央に、丸々とした裸の子供が飾られている小噴水があり、それを灌木の低いしげみが囲んで、小公園の趣にベンチが置かれていた。各階ごとにテラスをもった近代風なアパートメントが、二
「どうです――労働者住宅ですよ、これが」
黒川隆三は、そう云いながら、第一の棟の地階の、廻廊になったところへ伸子と素子とをつれて行った。地階は、建物のあっち側へ通りぬけられる黒と白との市松模様のモザイックの廻廊だった。迫持天井に装飾ランプがつられていて、廻廊に面していくつかのドアが堅くしめられている。通路も、ごみの吹きたまりそうな廻廊の隅もこざっぱりと掃除がゆきとどいていて、しかも人影のないあたりの空気は、伸子に何だかなじみにくかった。週日で人々は働きに出ている午後の時間のせいだろう、と伸子は思った。
黒川隆三は、ここへの常連の一人らしく、なれた様子で廻廊のつきあたりにしまっている一つのドアをノックした。ドアの上には、その建物全体の洋式につりあったおとなしさで図案風に17と番号が白くかかれている。
「ここに、シュミットという爺さんがすんでいるんです。古い旋盤工ですがね。――ひとつ内部を見せて貰いましょう」
心やすい黒川隆三のノックは応えられず、二度三度間をおいてたたいても、ドアのあちら側に人の気配はなかった。
「留守らしいわね」
「爺さん、ふらふら出て行っちまったかな、天気がいいですからね」
黒川隆三の口ぶりは、どういうわけか、たとえばいつもそこにいるはずにきまっている門番の姿が見あたらない、といったときの調子だった。
「その辺へ出て、待って見ましょうか」
云われるままに、伸子と素子とはその廻廊から建物の裏側へぬけて、斜面を見はらす日ざしの気持よい石段の低い
伸子は、瞳をせばめたような視線で、灌木の生えている斜面の下に日をうけてつらなるウィーンの市はずれの屋根屋根を眺めていたが、やがて、
「静かねえ、ここは……」
と、あらためて、背後の建物と廻廊を見かえった。
「なんだか、人なんかどこにも住んでいないみたいね、いつもこんなのかしら」
「そんなことはありませんよ。いま丁度みんな働きに出ている時間ですからね」
黒川隆三は、単純な説明にいくらか弁解の調子を加えて云った。
「かみさん連も、ここに住んでいると留守番がなくてすむから、何かかにか外へでてみんなで稼いでいますからね。――比較的楽にやっていますよ。ウィーン市は労働者に失業手当はもとよりだが、養老保険も出しているから……」
伸子たちが日向ぼっこしている場所から離れて、建物よりのところに一人の老婆が黒い肩かけをかけて編物をしていた。
「おおかた、ああいう連中も養老年金組でしょう。シュミットも今は年金ぐらしで結構やっているんです、三十五年勤続したあげくですからね、それが当然ですよ」
そのシュミットがもう帰っているかもしれない、と黒川隆三は建物の廻廊の方へ一人で見に行った。伸子は、彼の姿が少し遠のくと、素子に、
「ここ、どういうのかしら」
すこし低めた声で云った。
「こんなに、子供のいない労働者住宅ってある? どこ見たって、もののほしてある窓一つないなんて――」
モスクのノヴォデビーチェの新開町が、勤労者住宅を中心として雪の中に賑やかに雑沓してあけくれしていた情景を伸子は思いくらべた。あそこではどっちを見ても子供たちがいた。いろんな物音と声がしていた。そして動いて生活の活気がたぎっていた。
「――ここは、だいぶ参観用なんじゃないかな」
素子がそう云って、皮肉そうにタバコをもっている手で顎をなでるようにした。そこへ、
「まだかえっていませんよ――せっかく来たのに残念だなあ」
と、黒川隆三が、脱いだ黒いソフト帽を片手にふりながら伸子たちのところへもどって来た。
「いつもいるんですがね、あいにくだ」
「いいですよ」
素子が云った。
「いずれ、内部も外同様、さぞこざっぱりしているんだろうから」
「それを見てもらいたいんです」
「ほんとに、いいことよ」
伸子も素子についてそう云った。
「たいてい、わかるわ」
「しかし、そこにまた百聞一見にしかず、ということもありましてね」
ウィーン大学の宗教哲学の学生だという黒川隆三は、伸子たちが日本で学生として考えなれている若者とちがい、世馴れていて、ものをいうにも、いまのように百聞一見にしかず、というような成語をさしはさむのだった。
シュミットをさがすことは断念したらしく、黒川隆三がまた一本タバコをつけて、何か云い出そうとしたとき、廻廊の奥から一人の少年が、伸子たち一行へ向って歩いて来た。半ズボンの下から少年らしく肉の少い脛と膝小僧を出して、古いシャツの上からジャケットを着たその十一ばかりの男の子は、おとなしい様子で伸子たちの前へ立つと、ウィーンの子供らしい金髪の頭をすこしかしげるようにして、
「
と云った。伸子たちも、
「こんにちは」
と挨拶した。すると、男の子は、何ということなしの身ごなしでそれまで伸子たちの視線からかくされていた右手をさし出して、
「
と、エハガキを見せた。素子が、
「
と、思わずロシア語で云って少年の手にあるエハガキを上からのぞきこんだ。それは、このリンデンホーフの労働者住宅カール・マルクス館の写真エハガキだった。入口の小公園めいた噴水のところから、明るく並んだテラスと窓々の
「
と云って、病身そうなぼんのくぼを見せながら、出て来た廻廊の方へ去って行った。黒川隆三は、
「記念に一つ」
と一枚ずつ、伸子と素子にそのエハガキをわけた。「都市行政における社会主義化」を見るために世界各国から参観人が絶えないと黒川がいうこの労働者住宅の状況が、このエハガキを売る少年の表情で、伸子にいかにもと思えた。おそらくきょうは留守のシュミットという旋盤工だった爺さんの室も、お客が来ればドアを開いて内部を見せる住居ときまっているのだろう。そして、一遍うちのなかを外国人に見せるたびに、シュミット爺さんは、案内して来たものからいくらかの
「ここへは、誰でも労働者なら住む権利をもっているんですか」
と黒川にきいた。
「今のところ、ここに住んでいる二百七十世帯ばかりの労働者は、大体のところ、古くから社会民主党に入っている労働者の家族ですね」
「――政党労働貴族ってわけですか」
すると黒川は、
「ロシアだって事実はそうなんでしょう?」
からかうような笑顔で伸子を見た。
「コンムニストの労働者だけなんでしょう? 住宅なんかもてるのは――」
「こっちではそういうことになっているの? ロシアって何でもコンムニストだけでやっているっていう話があるのかしら。はっきりおぼえてはいないけれどもソヴェトのコンムニストは人口の一パーセントぐらいよ」
「――ともかくここの社会民主党の政策は、こういう住宅をどんどんふやして、労働者の生活を向上させて行こうとしているんです」
黒川隆三は、
「佐々島博士――御存じでしょう?」
と、『改造』や『中央公論』に、社会主義についての論文をかいている経済学者の名をあげた。
「先生は、大分ウィーンの社会主義には感服しておられるようですよ。都市社会主義からマルクシズムにまで出て来ているって。実際いまのウィーンの労働者住宅の家賃は戦前の十二分の一ですからね」
都市社会主義というのが、どういうものか伸子は知っていなかった。伸子も素子もだまっていた。黒川隆三は、
「どうです。佐々さん!」
はっきり年齢のとらえられない独特のものなれたくちぶりで黒川は伸子に話しの中心を向けて来た。
「こうしてみると、世の中ってものはおもしろいもんでしょう? 労働者の生活向上をやっているのはロシアばかりじゃないんですからね。ボルシェビキでなくたってウィーン社会民主党は、現に労働者生活を改善しているんですから」
「そうかしら」
胸のなかで黒川のいうことをはじきかえした伸子の気持が、そういう声におのずとあらわれた。
「わたしにはそう思えないわ」
「どうしてです?」
小さなものにつまずいたような表情が黒川の、ぴったり黒い髪をわけた顔の上を通りすぎた。
「ひとつ、後学のためにうかがいたいもんですな」
こういう黒川の身のかわしかたと口調とが伸子に彼の人物をわからないものにするのだった。
「だって、そうじゃないかしら。ああしてそこに住んでいる労働者の子が、外国人を見るとエハガキを売りに来るんじゃ、そこで労働者生活が改善されているとは云えないと思うんです」
「あれは佐々さん、大した意味のあることじゃないですよ。ここへ来る外国人は、みんな何か記念を欲しがるんでね、ああやってほしい人に売っているだけですよ」
「でも、事実、あれで小遣いを稼いでいるんでしょう? エハガキの収入がこの労働者住宅としての収入になっているのでないことはたしかよ」
「それはそうでしょうがね」
黒川は、その現実は認めた。しかし、すぐつづけて、
「じゃ、ロシアじゃ売ってませんか」
と、逆に質問した。
「何でも彼でも宣伝というとぬけめがないらしいがエハガキまでには手がまわりませんか」
何と妙にもってまわった云いかたをするのだろう。伸子は、
「そんなもの売っちゃあいないわ」
おこった若い女らしくぷりっとして答えた。そして傷つけられた心もちで、この間シェーンブルンへ三人で行ったときのことを思いあわせた。それは、ベルリン事件から間のないある日のことで、美しい丘の上の
いまも、気もちの害された表情で伸子が沈黙したまま、斜面の景色を眺めていると、黒川は、
「もしロシアで労働者がエハガキなんか売っていないとおっしゃるんなら、そりゃ、まだロシアが、エハガキなんか作るところまで進んでいないというだけのことですよ」
と云った。
「やめてよ! 黒川さん」
伸子が、あきれた顔に黒川を見た。
「あなたレーピンやコンチャロフスキーの絵のエハガキ見たことおありんならないの?」
「こりゃ、黒川君のまけだね」
面白そうに、わきから素子が云った。
「ロシアじゃね、黒川君、労働者住宅は労働者がそこに住むために建てられているんで、外国人に見せたり、エハガキにしたりするために建てているんじゃないんですよ」
「まあ、見ていらっしゃい」
深い確信に貫かれているように黒川が反駁した。
「いまにロシアの労働者も、ここみたいにエハガキでも何でも自由にこしらえられるようになって御覧なさい。きっと、売るようになるんだから。――人情なんてものは、国によってそうそうちがうものじゃないんです」
「変だわ、黒川さんの話は。みんな逆なんだもの――」
もうこれひとことだけ、という顔つきで素子を見ながら伸子が云った。
「ロシアの労働者が、何でも自由にこしらえられるようになった時こそ、あの人たちはなおエハガキなんか売る必要のない生活をもつようになるのに――」
ウィーン出発をひかえて、それまでにすまさなければならない用事はみんなすみ、伸子たちにとってその日の用事は、このカール・マルクス館を見るだけだった。ここをいそいできりあげて、うららかな午後ののこりの時間をどうすごす計画もなかった。黒川隆三とのくいちがった話にあきて、伸子は一人でぶらぶら石段を斜面のなかほどまで下りて見た。その石段のなかほどから見おろすと、町の眺望が低くはるか左右に
その眺望を面白い感じで見ながら、伸子はこのカール・マルクス館についてふっきれない味をうけている。これと同じようなきもちは、クーデンホフ夫人の客間でも感じた、と思った。東京に生れた光子という美しい日本婦人が、明治の初年、外交官として東京に来ていたウィーンのクーデンホフ伯爵夫人となって、一生をウィーンで過していた。オーストリアが共和国となってから、そのクーデンホフ伯未亡人は、額のひろい、やせぎすな末娘と二人で、郊外の別荘につましく生活していた。数年来、半身不随の老婦人は、レモン色の細い毛糸で編んだ優美な部屋着につつまれて、長椅子にもたれていた。そのヴィラの、小砂利のしかれた入口の細道にも狭い庭にも折から紫のライラックが満開で、その花房は
「ああ、パン・オイロープはね、あなた、今ブルッセルでございますよ」
などと話していると、いくらか時代ばなれした日本語のつかいかたがかえってみやびやかにきこえた。
このパン・オイロープという不在のひとの名と仕事のために、ウィーンの郊外の老人の隠栖も時々は賑わされている様子だった。伸子と素子とを、この老夫人の客間へつれて行ったのは、公使館づきの武官だった。瀟洒として目立たない縞の背広を着て、春らしい灰色のソフトと鹿皮の手袋をもったその人の風采は、陸軍少佐とは見えなかった。彼は、クーデンホフ未亡人に、伸子にもパン・オイロープに賛成して、署名してもらうべきだとすすめた。
「そうでございますよ。あなた。お一人でも多くみなさんの御署名をいただきましてね」
伸子は、だまって笑っていた。汎ヨーロッパ連合にソヴェト同盟は招待されていなかった。ロシアがヨーロッパのうちの一国ではないかのように。そして、
モスクを立ってワルシャワへいったとき、伸子は、雰囲気的にポーランドのソヴェトぎらいを感じとった。一晩しかいなかったワルシャワでは一つの匂いのように伸子の顔の上に感じられた反ソヴェトの感情が、ウィーンへ来ると音楽についての公使夫人の話しかた、附武官のパン・オイロープへの肩のいれかた、黒川隆三の老成ぶったソヴェト批評と、どれもつながりをもち、一定の方向をとっている。その国の言葉が話せないということで、自分と全く種類のちがう同国人にまじってすごす不自然さについて伸子はまじめな感情にされた。あながち伸子自身がどうという政治的な立場をきめているのではないけれども、ソヴェトの現実を知っているものの心持としておのずから彼等と反対におかれるような場合、ウィーンでの伸子は、沈黙してしまうことが少くなかった。ここと、ここにいる人々と自分とのつながりは一時のものにすぎないということから、いつの間にかそういう伸子の態度がでていた。伸子とすれば、もしあしたになれば、ふたたびみることのないこの丘の斜面の風景であるにしろ、いま遠いところにあるどこかの建物の窓々が午後のある時間の日光をある角度から受けるとあんなに燃えるという事実は、伸子がそれを眺めようが眺めまいが、その事実独自の全さで存在しつづけるだろう。それがすべてに通じる事実というものの本体なのだ。
伸子は、ウィーン風の春外套の背中で女らしく結び飾りがゆれるのを意識しながら、一段一段のぼってゆく靴のつまさきに目をおとして、素子と黒川隆三がタバコをくゆらしている場所へもどって来た。
もどってみると、素子が、胸の前にくみ合わせた右手に長い女もちのタバコのパイプをもったまま、並んでその胸壁にかけている黒川を
「へえ、妙な理論なんだな。じゃあ、あなたの社会主義じゃ、インテリゲンツィアってものが、それとして一つの階級だってわけなんですか」
「まあ、そうですな。――少くともインテリゲンツィアの独自性というもの、ビルドウングというものは守ってそれとして発展させてゆかなけりゃならんのです」
「そのビルドウングとかって、なんなんです?」
素子一流の率直なききかただった。
「日本語で云えば文化とでも訳すかな。ほんとはずっと複雑な内容をもったガイスティックなものなんですがね」
「ガイスティックてのは?」
つっこんでまた素子がきいた。
「精神的、或は知性的とでもいいますか」
皮肉な表情でそうやって、ぐんぐん追っかけてきくところは、素子だった。わきにきいていて伸子はふとユーモラスな気分になった。この素子がモスクである日内海厚と、ロシア字一字のよみかたについてひどく論判して、遂にどっちも自分が正しいとゆずらなかったことがあったのを思い出して。――
「ぶこちゃん、さっきから黒川君の社会主義理論というのを拝聴しているところなんだがね」
暗示的なまなざしで伸子をかえりみながら素子が云った。
「社会主義の理論というものは、元来三十何種とかあるんだってさ。――そうでしたねえ、黒川君。黒川君の社会主義ってのは、知識階級は知識階級、資本家階級は資本家階級として、それぞれの独自性において発展してゆくべきなんだそうだ」
「もちろん、労働者階級を基礎においての話ですよ」
伸子にむかって、黒川は補足した。
「大体日本のインテリゲンツィアが、猫も
「じゃ、つまりこう?」
伸子は黒川隆三にききかえした。
「あなたの考えでは労働者は労働者として、インテリゲンツィアはインテリゲンツィアとして、資本家は資本家として、その区別をいまのままこういう工合でもちながら、よりよく発展して行くべきだっていうわけ?」
こういう工合というとき、伸子は、労働者、インテリゲンツィア、資本家という順に上へ上へとつみあげる手つきをした。
「いいや、社会主義の中では、知識が金の上にくるべきなんです。インテリゲンツィアがその文化力で、資本を支配してゆくべきなんです」
「だって――それじゃ、オーエンだわ」
伸子が、おどろいた眼で黒川を見つめた。
「そう云われるだろうと実は、はじめっから思っていたんです。失礼ながら、あなたがたは、ボルシェビキの理論しか御存じないから……」
黒川隆三はパッと音をさせてマッチをすり、改めて素子のタバコにも火をつけてやりながら、
「ボルシェビキの理論にしたがって、革命になったら、一つ佐々伸子さんがプロレタリアの側に移ったところを見せていただきましょうか」
それは伸子の心に、彼に対して憎悪をわかせる云いかただった。黒川は声をたてて笑った。
「佐々伸子さんが、プロレタリアになって、小説なんかやめて、どこかのホテルの掃除女になるってわけですか」
たかぶる感情をしずめようとして伸子が沈黙しているのを、黒川は自分の意見に彼女が説得されはじめたと思ったらしかった。
「僕は人道上から、そういうことは許せません。佐々さん自身にしたって、事実がそうなって現れたとき、それにたえることはできないにきまってるんだ。ボルシェビキのすることをごらんなさい。プロレタリア独裁がはじまるとすぐ、それまでは仲間づらをして利用したインテリゲンツィアをどう扱いました?」
そういう黒川の一つ一つの言葉は、きいている伸子の心に百の抗議をよびさまして、それを黒川へ直接の悪態とならないように、順序だてていうためには伸子の全心の力がいった。伸子は、そっと深い息をひとつして、
「よくて、黒川さん」
ふだん話すときより、二音程ばかり低い声で云い出した。
「あなたは、大変上手に、率直に云えば人をひっかけるようにお話しなさいます。だけど、それは間違いよ」
何か云おうとする黒川を伸子はおさえて、
「第一に、インテリゲンツィアは、労働者階級や資本家の階級のような意味での階級ではありません。それから、社会主義は文化だけの問題ではあり得ないんです。社会の生産とその経済関係が基礎です。それから政治よ。インテリゲンツィアがプロレタリアート側に移行するっていうのは、わたしが掃除婦にならなければならないってことではないんです。作家そのものとして、歴史の発展的な方向に立ってプロレタリアートの立場から社会をよくしなけりゃ、芸術も文化もそのものとしてのびないことは明白です。――ルナチャルスキーはインテリゲンツィアよ。レーニンだって。マルクスだって、インテリゲンツィアよ」
もし革命になったら、というような前提で話すことさえ、伸子にはうけ入れられなかった。伸子は現在の自分が革命家というものであると思っていなかったし、将来そういうものになるとも思っていなかった。しかし、人類の歴史の前進という意味で、伸子はどういう過程でどう現れるのかはわからないながらも、革命というものについて、うけみにばかり感じているのではなかった。でも、それは伸子の心の奥の奥にひそめられている小さくて熱いものだった。議論の中で話す種類のことでもないのだった。
黒川隆三はしばらくだまって、ひろい外気の中へタバコの煙が消えてゆくのを目で追っていたが、そのうちに自分の心の中の重点を一つところからもう一つのところへおきかえた風で、
「なかなか、頑強ですな。おどろきましたよ」
こんどは声を立てない笑いかたで笑った。
「もっとも御婦人てものは、一旦こうと覚えこまされると、あたまが単純だからなんでしょうな、なかなか理性的に方向転換できにくいものと見えますからね」
さっと手をのばしてそういう黒川のネクタイをつかむように、
「とうとうそれを出したね」
と素子が云った。そして、
「黒川君のまけだよ。男が女と議論して、それを出したら、白旗だ。――認めませんか」
言葉の上では冗談のようでもあり、黒川に迫っている素子の眼の表情のうちには冗談でない真剣さも閃いている。
「なにしろ二対一だからね」
態度をあいまいにして、黒川は譲歩した。
「外国じゃあ、あらゆる場合に御婦人を立てる習慣ですからね」
「――そんなことじゃないさ!」
三人とも三人の思いでだまりこんだ。そのままなおしばらくはそこで休んでいた。
「そろそろ行きましょうか」
そう云いだしたのは黒川だった。三人並んでカール・マルクス館の廻廊をぬけ、またシュミット爺さんが住んでいるというドアのわきを通りがかった。けれども、黒川はもう一度そこをノックして見ようとはしなかった。みんなは入りまじった音で砂利をふみ、表門を出た。ウィーンもこの辺の労働者街になると歩道が未完成で、歩くだけの幅にコンクリートがうってあるのだった。
予定どおりにウィーンを立って、プラーグへ来た伸子と素子とは、そこで思いがけず旅程を変更させるような事情にぶつかった。
伸子たちがウィルソン駅から遠くないホテルへ着いてみると、そこでは近代風なロビーのあたりからアメリカ流のひろいカウンターのぐるりをとりまいて、男女の旅客がひどく雑踏していた。プラーグでは最新式と云われるそのホテルはもう満員になっていて、白と黒の派手な市松模様の床の上にトランクを置いたまま、ことわられた旅客がつれ同士で相談しているのは伸子たちばかりではなかった。いちじにプラーグへつめかけたこれらの旅客は、みんな翌日から開会されるチェッコスロヴァキア第一回工業博覧会へ来た人々だった。東ヨーロッパの交通の中心点であるプラーグへ殺到したこれらの旅客たちのほとんどすべては、伸子と素子とがそこへ行こうとしているカルルスバード目ざしているのだった。欧州で有名な温泉地での
ウィーンから一二〇〇キロもはなれた旧いボヘミアの都。美しいモルタウ河に沿って「一百の塔の都」とよばれている十三世紀以来の都であるプラーグは、その河岸や町のなかのいたるところに豊富な中世紀の記念物をのこしているとともに、大戦後は、民族解放の指導者マサリークを三度大統領としている新鮮な若い共和国の心臓部でもある。伸子と素子とは、とぼしい知識ながらも、ウィーンとはおのずから違った好奇心を抱いてウィルソン駅に下りたのだった。が、ステーションの混雑にひきつづく予想外のホテル難で、先ず伸子が、旅心をくじかれた。ホテルのカウンターにぐっと上半身をもたせこんで部屋のかけ合いをしている男連中の態度は、いかにも自分たちが工業博覧会のために来ている客たちなのだということを押し出したとりなしだった。数人一組の男づれだったり、或は夫婦づれだったり、いずれにもせよ、伸子たちのように博覧会があるということも知らず、室の予約もなく賑いのなかにまぎれこんで来たような女二人づれの旅客などというものは、カウンターの周囲をいれかわり立ちかわりする人たちの間にも見当らないのだった。
時がたつほど、ほかのホテルも満員になってゆく心配が目に見えた。伸子たちは、馬車にのって、プラーグの中心地をすこし出はずれたところにある一つのホテルにやっと部屋をとった。それも、一応満員になっているそのホテルで、たった一つだけのこっているという
はじめ着いたホテルが、新興プラーグのビジネス・センターに近くて、設備も近代的をめざしているとすれば、伸子たちが室をとることのできたホテルの気風は、プラーグの優美さをそこに泊ったものに印象づけようとしているらしかった。
李王世子が泊ったことがあるというその
伸子たちは、夕食後、カウンターへよってカルルスバードでは、もうどんな小さいホテルにも空いた部屋はあるまいと聞いて、自分たちの、一晩とまるにしても贅沢すぎて落付けない室へかえって来た。
かげろうの
「どうする?」
テーブルのところに立ってタバコに火をつけた素子を見上げた。
「この有様じゃ、何とも仕様がないわね」
チェッコスロヴァキアの工業博覧会は、向う二ヵ月の予定で開催されているのだった。
「わたし、カルルスバードはやめにする」
「どうして……ここまで来ているのに」
「だって。――わかるじゃないの」
大雑踏のカルルスバードで、きょうの騒ぎを幾層倍かにした気骨を折ることを思うと、伸子は体が苦しいようになった。
「ね、わたし、ほんとにカルルスバードはやめたいわ。かえって横腹がいたくなってしまうもの」
「そりゃ御本人がいやだっていうなら、それまでのことだがね」
「フロムゴリド博士にだって、決してわるいことはないと思うわ。プラーグで博覧会とかち合おうなんて、思ってもいなかったことなんですもの」
伸子は素子をときふせた。カルルスバードへ行かないときまったら、翌日プラーグの市内見物をして、夜の汽車でひと思いにベルリンまで行ってしまおうということになった。
次の日は朝から細かい雨ふりだった。細雨にけむる新緑の道をゆっくり馬車で行きながら、モルタウ河にかけられている中欧らしい橋や城を観てゆくと、伸子は、たった一日たらずでこのこまやかな趣のある、そして宗教改革者フスのまけじ魂をもった町を去ってしまうのが心のこりだった。それに伸子たちが選んだベルリン行の列車ではドレスデンを真夜中に通過することになった。中欧のフロレンスと云われるドレスデンの美術館も見ないでしまう。
「カルルスバードをやめたんだから、もう一晩とまって、ドレスデンへ昼間つく汽車にしない? 四五時間でもいいから」
有名なプラーグの天文時計を見るために、市役所に向って行く馬車の上で、伸子は素子に云った。
「やっぱりあきらめきれないわ。ドレスデンなんて、またあらためて来られるところでもないし……」
しばらく黙っていて、素子は決断したように、
「まっすぐベルリンへ行こう」
はっきりと云った。
「ぶこちゃんの趣味であっちこっちへひっかかりはじめたら、それこそきりがありゃしない。とにかくベルリンまで行っちゃおう」
こうして伸子たちは翌日のひる近くベルリンに着いた。そして、かねて中館公一郎に教えてもらってあったモルツ・ストラッセのルドウィクというパンシオン(下宿)に部屋をとった。
ベルリンには、モスクで伸子たちと一緒にソヴキノのスタディオを見学したりした中館公一郎がまだ滞在していた。建築から新鋭な舞台芸術の研究にかわったことで多くの人に名を知られている川瀬勇もいた。落付いていられるホテルもないプラーグで素子が、とにかくベルリンまで行っちゃおう、と主張した気持の底には、互に言葉の通じるこれらの人々の顔が浮んでいたこともあらそえなかった。伸子は、モスクで会った新聞の特派員である比田礼二に会えたらとたのしみにして来たのだった。ベルリンについたあくる日、伸子たちのとまっているパンシオンから近いプラーゲル広場のカフェーで、中館公一郎にあったとき比田のことをきくと、
「あのひとは、いま旅行じゃないんですか」
あっさりしすぎた口調が、何かを伸子に感じさせるように中館公一郎は答えた。
「ジェネかどっちかじゃないんですか。そんなような話だったですよ」
川瀬勇にたずねたときも、伸子は似たような返事をうけとった。
「ああ、彼は旅行中だよ、スウィスだ」
その云いかたは、比田の行くさきについて伸子にそれ以上しつこく訊かせない調子があった。おぼろげながら伸子は理解したのだった。要するに、比田礼二はジェネであろうと、ずっと東のどこかの都市であろうと、彼にとって行かなければならないところへ行っているのだ、と。そして、それについて何もきく必要はないのだし、きくべきではないのだ、と。伸子はそういうところに、ベルリンという土地にいて世界をひろく生きようとしている日本の人たちの暮しぶりがあることを知ったのだった。
美術学校の建築科にいたころから俊才と云われた川瀬勇は、ベルリンのどこかの街にもう三年近く住んで舞台装置や演出の研究をつづけていた。かたわら、ベルリンの急進的な青年劇場の運動にも関係しているらしかった。川瀬勇は、そのころ日本で有名になったプロレタリア作家の、印刷工の大ストライキをあつかった長篇小説を翻訳しているところでもあった。翻訳の話のあいだに、川瀬勇がたいへん能才なドイツの女のひとを愛人としているらしいことが、伸子たちに察しられた。
この川瀬につれられて伸子と素子とはベルリンへ来て間もない或る日、ノイケルン地区へ行った。ベルリンのメーデーに、ノイケルンやウェディングという労働者地区で、数十人の労働者の血が流された。その記事を伸子たちはウィーンにいたとき、偶然買った英字新聞の上でよんだ。
「ただ行ってみたいなんて、何だか恥しいんだけれど」
ノイケルン行きを川瀬勇にたのみながら、伸子は、その地区に生活し、そこでたたかっている人々に対してきまりわるげな顔をした。
「でも、わかるでしょう? あなたがモスクへ来たとすれば、やっぱり赤い広場へは、行ってみるしかないと思うの」
「そうだともさ。行こうよ」
その日は、メーデーからもう二十日あまりたっていた。が、ベルリンの革命的な地区とされているノイケルンの労働者たちとその家族が、五月一日の夜から三日の夜まで自分たちが築いて守ったバリケードと、そこで流された仲間の血について忘れようとしていない証拠が、カール・リープクネヒト館前の広場にあった。それは、白ペンキで広場の石じきのあちらこちらに描かれている大きい輪じるしだった。広場の上にそれぞれはなれて三ところに、白い大きい輪じるしがある。その輪のなかに、警官隊に殺されたノイケルンの労働者の血が流された。カール・リープクネヒト館に向って左手の建物の黒い石の腰羽目のところに、やはりいくところか白ペンキをこすりつけられているところがあった。それは、警官隊の弾丸があたって石がそがれた箇所の目じるしだった。
「土台、メーデーの行進を禁止するなんていうやりかたが、そもそも明らかに挑発さ。百九十万もあるんだぜ、失業が――。それを、ひっこんでいろったって、いられるものかどうか、誰が考えたってわかるこっちゃないの。折あらば弾圧しようと。うの目鷹の目なのさ、ムッソリーニなんてわるい奴さ」
ドイツの保守的な勢力は、ムッソリーニのファシスト独裁をうらやましがっていて、一九二五年、彼がイタリー全土にメーデー行進を禁止したとき、ヒンデンブルグは早速まねして、ドイツでもメーデーを禁止しようとした。ドイツの労働者階級は勇敢にあらそって、メーデーの権利をとりもどしたのだそうだった。
薄曇りしたベルリンの日の光を、ライラック色の旅行外套の肩にうけながら、伸子は瞳のこりかたまったような視線で、広場の上に、くっきりと白く円い三つの輪じるしを見つめた。バーバリ・コートを着てベレー帽をかぶっている背の高い川瀬勇は、
「いまのうちに見ておくことさ」
と、云った。
「ツェルギーベルは、手前が命令してやらせたくせに今となっちゃ、ここにいつまでも白い輪がかかれているのがたまらないんだ。場所がら、ツェルギーベルの名が世界の労働者に向って挑戦しているようなもんだからね」
その広場に面して建っているカール・リープクネヒト館に、ドイツ共産党K・P・Dの本部がおかれているのだった。素子が、まじめなような、からかうような眼つきで川瀬を見ながら、
「そのツェル何とかって奴、案外正直ものなんだな。人をうち殺させる男が、白ペンキの輪には閉口なのかしら」
「なんべんもやったあげくのことさね、もちろん。彼は遂に労働者地区ノイケルンには、白ペンキが払底していないという事実を発見せざるを得なかったのさ」
伸子たちは、声をそろえて短く笑った。
「ドイツの労働階級も、社会民主党の正体をしんからつかまないうちは泥沼だと思うな。どんどん産業合理化で失業させる。何十万人というロック・アウトをやる。
暫く広場にいてから、伸子、素子、川瀬勇の三人は、カール・リープクネヒト館の地階の書店にはいって行った。共産党本部への入口は、どこか別のところにあるらしくて、広場に向った地階は、単純に開放されて、書店になっている。格別人目をひくようなショウ・ウィンドウもなく、書物を並べた陳列台と、壁のぐるりに書棚をめぐらしあっさりした感じのその店で事務をとっているのは、白いブラウスに黒いスカートをつけた五十がらみの、物静かな婦人だった。
川瀬に教えられた伸子はグロスの諷刺画集一冊、ケーテ・コルヴィッツの二冊の画集、フランスの諷刺的な版画家マズレールの二つの絵物語を陳列されている書籍の中から選びだした。クララ・ツェトキンのレーニン伝の英訳があって、それもとった。その間にも、伸子の気持にはほかならぬK・P・Dの売店で本を買っているのだという亢奮があった。伸子にとっては、このベルリンのカール・リープクネヒト館こそ、生れてはじめて目撃した共産党の本部だった。モスクにいる間、伸子はたびたび
ゆっくり時間をかけて書籍を買ってから、三人は広場を横切って、ノイケルンの通りへ出た。地下鉄のステーションに向っていた川瀬勇は、歩きながら何か思いついたらしく、
「ついでに、もうひとところ、見せよう。カフェーだがね。なかじゃ、あんまり話ししない方がいいんだ」
土地なれない伸子と素子にそう注意してから、川瀬勇は一軒の小さなカフェーのドアを押して、女づれ二人をさきに入れた。
労働者地区にあるカフェーらしく、小さいテーブルと鉄の椅子がせまい店内におかれていて、カウンターにおかれた二つのニッケル湯わかしが唯一の装飾になっている。カウンターのうしろに、頭のはげたおやじが縞シャツの腕をまくりあげて立っていた。半ば裸体になった女の蒼い顔を大映しにした映画のビラがよこての壁に貼られてある。
川瀬は、すぐココアを三つ注文した。窓ぎわの席を選んでかけた川瀬からはななめうしろ、伸子たちに正面を向けるテーブルに、つれもない四十がらみの男が一人かけていた。椅子の上に両股をひろげてかけて、片手をズボンのポケットにつっこんでいる。からのコーヒー茶碗がその男の前のテーブルにのっていた。通りからそのカフェーへ入って来た途端、伸子は、川瀬がこのノイケルンでどういうカフェー風景を見せようとしたのか、察しがついた。伸子が思い出したのはワルシャワのメーデーの朝、素子と二人で逃げこんだカフェーにいた男たちのもっていた感じだった。ドアをあけて小さい店へ賑やかに入って来た伸子たちに鈍重なようで鋭い一瞥をくれたこの男の感じは、瞬間に、ワルシャワのあの朝伸子が理解していなかった多くのことを理解させた。テーブルへ運ばれて来たココアをかきまわしながら、川瀬はほんのちらりと片方の眉を動かして、伸子たちに合図した。
ココアをのみ終ると、川瀬と素子とがタバコを一服して、三人はそこを出た。
「わかったろう? この辺は到るところに、ああいうこぎたない眼だの耳だのがばらまかれているんだ。でも、このごろは連中も楽じゃないのさ」
川瀬はおかしそうに結んだままの口をひろげて笑った。
「あれ以来、連中はうっかり労働者住宅の窓の下なんか、うろつけないことになってしまったんだ。水はおろかもっと結構なものまで浴びなけりゃならないからね――あのとき子供まで見さかいなく怪我させたんだから、女連だって勘弁しやしないさ」
ベルリンへ来た翌日から伸子と素子とは、一日に一度は市内のどこかで川瀬勇、中館公一郎そのほか二三人の青年からできているグループと会った。川瀬や中館は、伸子たちの住所も、およそのつき合いの範囲も知っていた。けれども、伸子たちには中館の住所も川瀬の住居も告げられていなかった。これらの人々の日常生活の内容についても、伸子たちとしては自分たちに会っているときの彼ら、伸子たちと行動している間の彼らのことしか、知らないのだった。しかし、ベルリンでは日本人の間にそういうつき合いかたがあるのも伸子と素子とに、不自然でなくうけとられた。
生れた国のなかで、会ったこともなければ噂をきいたこともなかった親戚同士が、外国の都で偶然おちあって、つき合いはじめるというのは、おかしなことだった。古い日本がつたえて来た義理がたい親類づきあいの習慣は、佐々の家庭ではいつとはなしにこわれて来ていた。そのくせ、外国で偶然同じ都会にいあわせたりすると、日本人同士というせまさから双方を近くに見て、多計代らしくベルリンにいる母方のまたいとこ、医学博士の津山進治郎に、伸子のことについて連絡してあった。
ベルリンの地下鉄が、ウェステンドあたりで高架線にかわる。そこのとある街で、大学教授の未亡人の家とかに下宿している津山進治郎と伸子が初対面したのは、主に儀礼的な動機だった。ところが、伸子は彼から思いがけないたのみを受けた。ベルリンにいる医学関係の人々の間に木曜会というものが組織されている。そこで伸子に、ソヴェトの見聞について短い話をしてくれるように、というのだった。
伸子は、こまって、返事を保留した。そして、川瀬や中館に相談した。
「津山って――軍医じゃないのかい」
大きな眼玉をもっている川瀬がその眼玉をギョロリと動かしながら、中国の青年と見まがうような長身をねじってかたわらの村井とよばれる青年にきいた。
「さあ……知らないんだ」
伸子も、医学博士津山進治郎としてしか知っていなかった。
「毒ガスの研究か何かやっている男で、そんな名をきいたように思うんだが――相当がんばるって、誰かが云っていたように思うんだが……」
「――ことわっちゃおうかしら」
教室から抜け出そうとたくらんでいる女学生のような顔つきをして伸子が云った。
「話はにがてだから、わたしはことわることが賛成なんだけれど」
そのときまで黙っていた中館公一郎が、
「お話しなさい」
濃い眉に重って一層太くまるく見える黒い眼鏡のふちの中から伸子を見て、はげますように云った。
「あっちの話はね、ききたいっていうものには話してやるのが功徳なんです」
みんなの言葉に背中を押されるようにして、伸子は、その会に出席することを承知したのだった。
伸子は気をはって、その日は定刻の午後七時きっちりに着くように、素子とつれだって日本人クラブへ行った。
その一区画は、規則ずくめなベルリン市のやりかたにしたがって、町並全体がどの家の前にも同じ様式の上り段とおどり場とを並べている。タクシーからおりた伸子は、車のなかでぬいでしまった紺フェルトの帽子をハンド・バッグにもちそえた学生っぽい姿で、その一つの入口をのぼって行った。
とりつぎらしい人の姿も見あたらなくて、がらんとしたホールに立話をしている人があった。会合のある室をその人にきいて、伸子と素子とは左手の奥に大きい両開きのドアがあけはなされている方へ行った。
その室の敷居ぎわまで行って、伸子の断髪がさっぱりとうつっている顔に困った表情があらわれた。古風なシャンデリアの強い光にてらしつけられているその室は、どの窓もすっかりカーテンをおろして夜の重々しさだった。タバコの煙がうすくこめている。細長い大テーブルのぐるりには、一見して伸子のような若い女は子供に近いものとしてしか見なさそうな年輩の風采の医学者連が多勢よりあつまっているのだった。今夜話をさせられるのは女の自分だということから、伸子は、何となし夫人同伴の組もあるように想像して来た。しかし、目の前の光景は女気ぬきでタバコと乾いた毛織物の香のみちた雰囲気だった。その室の開いたドアのところに素子と伸子とを見ずにいられない位置にいる年配の人々は、おおかた彼らの日本医学者としての権威が非常にたかくて、年かさの女学生に過ぎない風な簡素な日本の女に、直接の注意を向けることは不見識と思われるのだろう。伸子たちとほとんど真向いのところでテーブルに頬づえをついて喋っている人。そのわきで、片腕を不精らしくテーブルの上でのばして遠くの灰皿で吸いきったタバコを消している人。彼らの視線はちらりと伸子たちの上を掃いたきりだった。
話しをするために
「やあ――」
彼は、いくらかあわてたように椅子をずらして立ち上った。
「さあ、どうぞ。どうぞこちらへ。失礼しました。御案内しませんでしたか――例会の前にちょっと報告していたもんですから、失敬しました」
伸子と素子とは、大きなテーブルの一方の端に並んだ席を与えられた。落付くと素子は例によってタバコをだした。そして、口をきかないまま隣席の人に向ってちょいと頭を下げて火をもらい、男連がどう思おうとかかわりない風でそれをうまそうにくゆらしながら、古風なベルリンごのみでいかつく装飾されている室内とそこに集っている人々をひっくるめた視野においている。人々の間にかけてみると、一座の親しみにくい雰囲気は、一層具体的な感じで伸子をしめつけた。みんな学問をしているはずの人々だのに、その室内の空気はどこまでもかたくて、妙に粗くて、浸透性をかいている。伸子はテーブルにおいていたハンド・バッグを膝の上におろして、小さいハンカチーフをとり出した。彼女はそのハンカチーフで、そっと力を入れててのひらを片方ずつこすった。
やがて津山進治郎が、雑談の中止を求める意味で手を鳴らしながら立ち上った。そして、格式ばって講演者としての伸子を紹介した。津山進治郎にとって伸子はベルリンで初対面した母方のまたいとこであったが、津山進治郎はそういう個人的な点にはふれないで、小説をかく佐々伸子、日本の民間婦人としてはじめてソヴェト生活を経験して来たものとして紹介した。
「このたび各国視察旅行の途中、ベルリンに来られたのを機会に、今晩は一席ソヴェト同盟の医療問題について、話を願った次第です。御清聴をわずらわします」
それをきいて、伸子は思わず心の中でつぶやいた。
「そんな医療問題なんて――、わたしこまっちゃう」
津山進治郎が木曜会の例会に伸子をよんだとき、彼はそんないかめしい専門の区分はつけて話をするようにとは云わなかった。おおまかにソヴェトの生活について、ということだった。伸子はそれならば、とあながち自分にできないこととも思わなかったのだった。
何だか心やすさのない室内の空気だったわけも、伸子にのみこめた。小説をかく佐々伸子が、ソヴェトを見て来たというだけでベルリンの専門家に医療問題を話すときかされれば、軽い反撥もおこるだろう。話のきっかけがむしろそこにつかめた気持で、伸子は案外自然に口をひらくことができた。何よりも、自分には、医学上の専門のことは何もわかっていないこと。従って、伸子としては実際に見聞したソヴェト――主としてモスクの日常生活の有様を、ありのままに話して参考になればと思っているという点を明瞭にした。伸子はソヴェトの工場やそこで見た医療設備のこと、労働組合と健康保護の関係、母子健康相談所やレーニングラードの母性保護研究所の仕事、労働者、特に婦人労働者の保健のために職場で行われている一分体操や休養室の細かい注意、海岸や温泉地につくられている休みの家の様子などについて話した。座談的な伸子の話は、おさないような云いまわしながら、どの一つをとっても、それはみんな彼女が心を動かされて自分の眼で見て来ているものであり、ソヴェト生活の現実から生々しくきりとられて来た、誰にもわかる報告なのであった。
話がすすみ、まざまざとした印象がよみがえって描写されてゆくにつれて、伸子は心の自由をとりもどした。話している伸子にも聴きての感興が集中されてゆくのが感じとられる刹那もあった。
最後に、伸子は自分が肝臓炎でついこの四月まで、三ヵ月も入院していたモスク大学附属病院の生活を話した。いかにもソヴェトの病院らしい事実は、ナターシャのことだった。熟したはたん杏のような頬っぺたをして、ずんぐりした身持ちの看護婦ナターシャと伸子とが、どんなに滑稽に車輪付椅子のまわりで抱きあいながらもごもごしたか。患者である伸子が、それについてどんな癇癪を起したか。やがて、身持ちのナターシャが、健康で美しく働いているのを見たり彼女と話したりすることが、伸子の病床生活の一つの歓びとなったいきさつについて、ナターシャはコムソモールカであり、モスク大学医科の
「みなさまは、あちこちで立派な病院をどっさり御存知でございましょうし、御自分でそういう病院をおもちかもしれません。よく訓練された看護婦というものも珍しくおありになるまいと思います。けれど、このナターシャの看護婦としての生活ね、わたくしは女ですから、やっぱり深く感銘いたしました。ドイツの人は音楽好きと云われますけれど、このナターシャたちのように、国立音楽学校のバリトーンの学生の若い細君が大学附属病院の看護婦だというような組合わせは、あんまりないでしょうと思います」
四十分あまり、変化をもって話しつづけて来た伸子は、そこで絶句した。ナターシャのことまで話して来るうちに、伸子の心にいろいろの思いが湧いた。めいめいが偉くなることを目的としているような従来の医学の道について、その本質をくつがえす一言を呈したい気持になって来た。
頭上から強い光をうけているせいで断髪の頭や、ゆるやかな頸から肩への輪廓が
「わたくしが最もつよく感じたのは、ソヴェトで医学は、ほんとにすべての人の生活をまもるために役立てられようとしているということです。もちろんまだいろいろ不備な点はあって、たとえば、歯医者が下手で痛いという漫画が出たりもして居りますけれど、それにしろ、医学は、どんどん生活のなかへ普及して居ります。すべての国で医学が、そういう本来の働きを発揮できるように、お医者さまというものが、ほんとに苦しんでいる人間の燈台となれるように、そういう社会がつくられてゆくことが、医学の側からも求められていいのだと思います」
そう結んで、また一二秒だまった。が、ぽつんと、
「わたくしの話はこれでおしまい」
一つお辞儀をして伸子は席に復した。
三四十人ほどの聴きての間から、儀礼的でない拍手が与えられた。あきらかに、伸子の話は、自然さといきいきした事実とによって、ききてに人間らしい感銘を与えたのだった。
「や、御苦労さまでした」
色の黒い太い頸に、うすくよごれの見えるソフト・カラーをしめた津山進治郎が立って挨拶した。
「具体的で、得るところがあったと思いますが、例によって、どうぞ諸君から自由に質問を出して下さい」
伸子があんまり素人だから、専門家であるききてとしては、かえってききたいことがないのだろう。ややしばらくはタバコの煙があっちこちからあがるばかりであった。その沈黙をやぶって、伸子の右側にいた六十がらみの人が、チョッキの前でプラチナの時計の鎖をいじりながら、
「どういうもんかね、これで。――いまの話で、社会的な面はどうやらわかったようなもんだが」
と、そこへ伸子にわからないドイツ語をさしはさんで、
「そっちの方面は低いんじゃないのかね」
臨床の大家といわれる医者によくあるように少し鼻にかかった声でゆっくり、じかに伸子に向うというのでもなく云った。この額の四角い半白の人は、伸子が話しはじめたときから終るまで、腕組みをして椅子の背にもたせた顔を仰向けたなり目をつぶっていた。
「どうですか、佐々さん」
幹事の津山が、伸子には横柄に感じられたそのひとの間接の質問をとりついだ。
「あっちの、医学そのものとしてのレベルは、どうです? 現在はやっぱり相当のものだと思いますか」
「――?」
伸子はのみかけていた番茶の茶碗をテーブルの上において、顔の上に意外そうな表情をむき出しながら津山から一座の人々へと目をうつした。
「わたしにそんなことをおききになるなんて――ソヴェトの研究や発見の報告はいつも世界の学界へ報告されているんじゃないでしょうか――ドイツの医学雑誌では、ソヴェトのものはのせないことになっているのかしら――」
伸子は、この言葉の皮肉な効果を全く知らずに云ったのだった。
音楽の都のウィーンでは、ソヴェト音楽をしめ出していた。ドイツでの学会というようなところでは、似たようなことがあり得ないことでもないと思ったのだった。ところが、伸子の単純な問いかえしに答えて発言する人は誰もなかった。みんな黙っている。その黙りかたが何だか妙だった。話しがすんで、いくらかゆとりのできた伸子は、いぶかしがる視線で、部屋の奥にかたまっている人たちの方まで見た。そっちの壁には、ドイツの趣味で紫がかった水色タイルで飾られたカミン(煖炉の一種)が四角くつきでていた。その左右のくぼみへ椅子をひきつけて、若い人々が云い合わせたようにその隅にかたまっていた。その一番隅っこのところで、三十三四の一人のひとが、カミンへ肩と頭とを軽くよせかけた楽な姿勢で腕組みして居た。その人は組合わせた脚をゆるくふりながら、唇をしめたまま微笑していた。伸子の視線がその微笑にとめられた。それは智慧のあらわれた微笑であり同時に批評をたたえている微笑だった。その表情が暗示するものがあった。伸子は視線をもどして、勿体ぶって間接に質問した人や自分がそこでかこまれているテーブルのぐるりの人々を見直した。どっかりと自分たちをテーブルのぐるりに落つけている人々はみんな概して年配であった。カミンのところにかたまっている後輩たちが、当然彼らのためにその場所をあけておくものときめてそこへかけているような人々だった。ベルリンの木曜会なるものの性格が伸子に断面を開いたような感じだった。ここも一種の学界みたいなのだろう。先輩後輩の関係やら会員同士にもいろいろと面倒くさい留学生らしい感情があるのだろう。その木曜会のしきたりにとって、伸子のもの云いの簡明率直さはおのずと笑いを誘うようなところがあるだろう。伸子に質問している人が、格式にかかわらず、学問上のことについては若い専門家たちから批評をもって見られている人であるらしい感じもうけた。
血色いい角顔に半白の髭をつけて、金杉英五郎にどこか似た面ざしのその人は、伸子の話から一座に流れたソヴェトに対する好感的な印象を、そのまま人々の胸に沈められることをきらうらしかった。
「医学にかぎらず、すべて学問というものは、学問それ自身として重大な多くの問題をもっているものなんでね。あなたに云っても無理だろうが、まああなたの話は、要するに医学というよりもソヴェトというところの社会状態の紹介さね」
ここにいる学者たちにとって、それだけで価値をみるには足りないのだ、ということを伸子にわからせ、同時にほかのききての自尊心も刺戟しようとするようだった。
「ところで、どうですかな、予防医学なんかの方面は――」
「――予防医学って――結核や流行病の予防なんかのことでしょうか」
伸子は津山進治郎にきいた。
「そんなようなことです」
「結核のサナトリアムは随分できていますが――どうなんでしょう」
伸子は不確に答えた。
「御承知のとおり一九二二年、三年まで、饑饉のチフスであれだけ死んだんですから、ソヴェトは決して無関心だとは思えません。でも、一般に予防注射なんかどの程度やっているかしら……」
モスクに一年半ちかくいた間に、伸子たちはそういう場合にめぐりあわなかった。
「性病予防の知識を普及させることは労働者クラブなんかでも随分行きとどいてやられて居ります」
「そりゃそうだろう」
半白の髭をつけた人は、満足そうにうなずいた。
「かなりな乱脈ぶりらしいからね。政府としても放っちゃおかれまい」
ソヴェトでは女が共有されているとか、乱婚が行われているとかいう種類のつくり話を否定しきろうとせずに、その半白の頭の中にうかべているらしいそのときの表情だった。
「いずれにしろ、現在予防医学の進歩しているところはアメリカだね。つぎが、戦前のドイツ」
「でもね」
その人がひとつひとつにひっかかってくる云いかたにだまっていにくい気持につき動かされた伸子は、
「この間、宮井準之助さんがジェネの国際連盟で報告なさるとき」
と、木曜会員なら知らないわけにゆかない、知名な伝染病と予防医学の大家の名をあげた。
「モスクへよって何かしらべていらっしゃいました。案外、何かあったんじゃないでしょうか。予防医学という学問そのものとして……」
聴いていた素子が、にやりとしてこころもち顎をつき出すような形でわきを向いた。その素子を見たとたん、伸子は、ほんとだった。なんてばかばかしい! と自分がひっかかっていた予防医学という専門語の
「ちょっと、ひとこと追加させていただきます」
椅子にかけたまま、にぎりあわせた両手をテーブルの上において云い足した。
「みなさまは、いつも専門的な言葉でばかり話される報告に馴れていらしって、わたしのように、あたりまえの言葉で毎日の生活の中から話す話は、よっぽど、おききになりにくかったんだろうと思います。さもなければ、失礼でございますが、ただいまの御質問ね」
と、伸子はさっきから、伸子の話が与えた印象をつき崩そうとしている父親のような年配の半白の髭の人に向って、云った。
「ああいう御質問は出なかったんじゃないでしょうか。――ああいう御質問いただくと、なんだか、わたしのお話したことを、どこできいて頂いていたのか、わからないみたいで……」
控えめだがおさえきれない笑いがカミンのわきにかたまっている人々の間から湧いた。それはテーブルのぐるりまで波及した。
「どっちみち、みなさまソヴェトの様子は御自分でじかに見ていらっしゃるのが一番いいんです」
伸子は、本気で他意なくみなにそれをすすめた。
「わたしの話をもの足りなくお思いになったり、半信半疑でいらっしゃるのは、当然だわ。よそと全くちがうんですもの。ほんとに、どなたにしろ、行って御覧になればいいのに――経験も自信もおありになるんだから……ここからモスクまでは一晩よ」
そう云って、伸子は反響をもとめるように若い人々がかたまっているカミンの横の席の方を眺めた。さっき、怜悧で皮肉な微笑を泛べながら伸子を見ていたひとは、やっぱり腕組みした肩を軽くカミンにもたせ、くみ合わせた脚をふっているが、視点は低く足許のどこかにおかれている。テーブルに向っている半白の髭のひとは、こげ茶色の服を着て鼻髭のある隣席のひとと、伸子にはそれが伸子を無視したことを示すものだと感じとれる態度で私語しはじめた。モスクへみんなが自分で行って見て来るように、という伸子の実際的なすすめは、その夜、伸子が話したどの言葉よりも吸収されずに、伸子のそういう声がひびいたそのところにそのままかかっているのだった。
ひきつづいて何かうち合わせをするという皆より一足さきにその室をでるとき、伸子と素子とは木曜会の客として、来週のうちに二ヵ所で行われる見学――セント・クララ病院とベルリン未決監獄の病舎の視察に招待された。提案をしたのは津山進治郎であった。それはあっさり通った。伸子のまたいとこにあたる津山進治郎は、ただ一人の医学博士であるというばかりでなく木曜会には何かの角度から発言権をもつ存在であることが感じられた。
あと味のわるい気もちで、伸子と素子は息ぐるしい室を出た。そして、控間へ出たとき、伸子はそこに思いがけないものを見た。そこから奥の室にいた伸子が丁度見える控間の一隅に、人むれができていた。伸子たちが奥から出て来ると同時にそのかたまりもほぐれて、玄関のホールへ出てゆく人たちの後姿、廊下から階段をのぼってゆく人々。まだそこに佇んでタバコをつけながら、通りがかる伸子と素子とを目送している人達。こんなところに立って話をきいていた人々があった。ベルリンには日本人が千人あまりもいるそうで、そこに三々五々見えている人たちの中に伸子の知った顔はなかった。でも、その人たちは、そこで伸子の話をきき、自然な雰囲気で、出て来る伸子にふれた。冷淡にその人々の間を通りぬけてしまってはわるいと感じた素振りで、伸子は、ちょっと歩調をゆるめた。しかし、何ということもなくて伸子は、身のこなし総体にさようなら、という気持をあらわしながら、日本人クラブの玄関を出た。
重くカーテンをしめこんだ室内では、夜更けのようだった午後九時すぎも、戸外へでてみるとまだほのかに明るい初夏の宵だった。どれも同じな薄黄色い正面入口から歩道へおりて来る伸子と素子に、
「――御苦労さま」
リンデンの街路樹の下にいた日本人のかたまりの中から、中館公一郎の声がよびかけた。
「なんだ、みんな来てたのか」
すぐ素子がよって行った。
「きいていらしたの?」
きまりわるそうにいう伸子に、
「
答えたのは、背の高い頭にベレーをかぶった川瀬勇だった。
もち前のやわらかな口調で、
「佐々さんて、相当なもんなんですねえ」
中館公一郎がいつも、まじめな内容をさらりという調子で云った。
「お歴々一視同仁という光景はなかなかよかった」
伸子は、のぼせている頬に手の甲をあてながら、
「でも、あの半白なひと。――意地わるねえ」
子供らしく訴えた。
「ありゃ、ちょいと来ている男だね。視察にね――はやりだから」
芝居がはねでもしたあとのように素子が、わきから、
「とにかく、わたしは喉がかわいちゃった」
と云った。
「どっかへ行こうじゃありませんか」
「――ビールでもいいのかな」
「いいさ」
「佐々君はこまるんじゃない?」
川瀬勇が、青年らしい気くばりでわきに立っている伸子をかえりみた。
「今夜は、佐々君が主賓なんだから」
「いいわ、何かたべられるところなら。――わたしおなかがすいちゃった」
さもあろうという風にみんなが笑った。伸子たちをいれて六人ばかりのものは、ベルリンの白夜とでもいうように薄明い夜の通りをぶらぶら歩きだした。
同じベルリンにいる日本人と云っても、この人たちと、今伸子たちがそこから出て来た日本人クラブの奥の室にいた連中とは、何というちがいだろう。年齢や職業がちがうばかりでなく顔だち、身なり、気分、住んでいる世界ががらりとちがっているのだ。
六人の日本人がやがて腰をおろしたのは、繁華なクール・フールステンの通りの近くでベルリンでもビールがうまいので有名な一軒の店だった。カフェーよりも間口がひろびろとしていて、そのかわり奥のあさい店は三方に煌く鏡の上に賑やかな店内の光景を映している。
一隅にテーブルを見つけてかけた伸子たち一行の前へ、ガラスのビールのみになみなみとたたえられた美しい琥珀色の液体がくばられた。
「佐々君の初舞台の成功を祝す」
川瀬勇がわざと芝居がかりで云った。みんな笑いながら互にビールのみのふちをかち合わせ、男の連中は一息で三分の一ほどのみ干した。
「――こんやは特別うまい……やっぱり、もう夏だよ」
「こりゃいい。――ぶこちゃん」
乾杯のためにビールのみをもち上げただけで、川瀬が注文してくれたサラダを待っている伸子に、素子が云った。
「これなら大丈夫だよ、アルコールなんかとても少いもん――うまいなあ」
伸子は、ひとくち飲んで、そのビールの軽い芳ばしさと、甘いようなほろ苦さを快く口のなかにしみとおらせた。
「こまったわね、これは飲まないでいる方がむずかしい」
「ははははは、けだし真なり、ですね」
中館公一郎が賛成した。
「でもフロムゴリド博士がこれを見たらどんな顔をするでしょうね」
「誰? その何とかゴリドというの」
「モスクの病院のお医者。――わたしはいまごろカルルスバードで鉱泉をのんでいる筈だったのよ」
「何いってるんだ。ぶこちゃん、自分からカルルスバードはやめにしたんじゃないか」
瞼のところを薄っすり赤らめた素子が、きつい語気で云った。
「へんな云いかたするのはやめてくれ」
きめつけは伸子にも意外であった。みんなしばらくはだまってしまった。
二つめのビールのみがめいめいの前に並ぶころから、こだわりもとれて、川瀬勇も中館公一郎も活気づいて雄弁になってきた。
「君たち、せっかくききに来てくれたんなら、あんな隅っこにいないで、堂々と入って来りゃよかったのに――」
素子が云った。
「恐れ、恐れ」
中館公一郎が、皮肉な誇張で首をちぢめるようにした。
「ああいうおえらがたに、われわれはあんまり近よらないことにしているんです」
「佐々君が、みんなに、自分で行ってソヴェトを見てこいと云ったときの連中の顔は見ものだったな。誰一人、うんともすんとも音を立てなかったじゃないか」
「でも、ほんとにどうしてみんな行かないんでしょうね、せっかくベルリンまで来ているのに。――あんなに慾ばって最新知識の競争しているのに」
神経のくたびれが段々ほごされて来て艷やかな顔色にもどった伸子がきまじめな疑問を出した。
「みんなヴィクトリア通いにいそがしいからさ」
素子が云った。ベルリンには、日本人専門の女たちがいるそういう名のカフェーがあるのだった。
「でも、――まじめにさ」
「つまりお互の牽制がひどいんだな」
大きい眼玉をいくらか充血させた川瀬勇が答えた。
「あの連中のなかにだって一人や二人、ものを考えている男がいるにきまってるさ。そういう連中はソヴェトへも行って見たいんだろうが、うかつに動いて睨まれた揚句、将来を棒にふったんじゃ間尺にあわないんだろう――何しろベルリンの日本人てのは、うるさいよ」
「それはお互のことでしょう」
あっさりと、それだけユーモラスに中館が口を挾んだ。
「むこうからみれば、われわれは日本人のつらよごしなんだそうですからね」
「へえ、いやだなあ。じゃ、わたしたちは、いつの間にやらつらよごしの仲間入りってわけなのか」
「――それは心配しなくていいだろう。君たちは、ともかくベルリン在留日本人の最高権威を任じている木曜会から招待されているんだ」
笑い声の中から、それまで黙っていた村井という青年が、
「中館さん、あれ、どんな風に行きそうです?」
ビール店内のざわめきに消されまいとしてテーブルへ首をのばすように訊いた。
「――何とか行くでしょう」
「なんの話です?」
村井からタバコに火をつけて貰いながら素子がききとめた。
「中館さんが日本を立つ前に制作した映画が、近くこっちで封切りされるらしいんです」
「いいじゃありませんか」
「いいことはいいんですがね」
中館公一郎はベルリンでウファの製作所へ出入し、歌舞伎の来たときはモスクでソヴ・キノの撮影所も見て来ている。どこかに渋る気持があるのもわかるのだった。
「旧作だってわけですか」
芝居や映画が好きな素子らしく追求した。
「それもありますがね――」
すると村井が、中館にかわって説明するという風に、
「中館さんは、いわゆる髷ものの制作に、一つのアンビションをもっておられるんです。――そう云っていいんでしょう」
中館の承認を求めた。
「髷ものは、日本の封建社会の批判として制作されるんでなくては存在の意味がないという主張なんです。そして、そういう芸術としての日本映画の髷ものは、全く未開拓だと云うわけなんです」
こんどベルリンで公開されようとしている作品は、徳川末期の浪人生活をリアリスティックに扱って、武家権力が崩壊してゆく姿を物語っているのだそうだった。
「――結構じゃありませんか」
「なにしろ、二年たっていますからね。――われながら見ちゃいられないなんてことになったら、参っちゃうと思って」
「案外なんだろうと思うな」
モスクで公開された一つの日本映画について、素子が話した。日本のプロレタリア作家の作品から脚色されたもので、孤児の娘が、孤児院の冷酷な生活にたえかねて、遂にはその孤児院へ放火し、発狂してゆく悲劇であった。
「娘が逃げ出しても逃げ出しても警察につかまってひきもどされて、益々ひどい扱いをうけてゆく過程なんかリアルでしたがね。わたしは芸術的にそれほどいい作品だとは思えなかった。でも、モスクじゃ好評でしたよ」
「ああ、ありゃわかるんだ」
「テーマでわかって行くんだ」
中館公一郎と川瀬勇が同時に、互の言葉でぶつかりあった。
「ああいうテーマは、国際的なんでね。――あれは、これまでの日本映画の空虚さを、ああいう国際的なテーマへまでひきずり出したところに意味があったんだ」
そう云えば、伸子が思い出しても、「何が彼女をそうさせたか」というその悲劇の手法は、ドイツ映画の重さ、暗さを追ったものだった。
「中館さんの、それ、何ていう題?」
「こっちの会社の案じゃあ、シャッテン・デス・ヨシワラ、に落ちつきそうなんです」
「シャッテンて?」
伸子がききかえした。
「影、ってんでしょう」
「――じゃあ……吉原の影?」
みんな黙りこんだなかへ川瀬勇がプーとつよくタバコの煙をふいた。そのタバコの煙のふきかたは、だまっているみんなが、そういう改題には不満である気持を反映した。
「やっぱり、そんなもんかなあ」
遺憾そうに素子がつぶやいた。
「それにしちゃあよく『太陽のない街』がそのまんまの題で出るんだな」
「そりゃちがうもの――出版屋からしてこっちのだもの。そういう意味から云えば、いっそ『何が彼女を』なら、そのまんまで行くのさ」
「そりゃそうですがね」
中館は伸子にききわけられなかったベルリンの興行会社の名を云った。
「あすこじゃ、あれを蹴ったんだ」
その同じ会社が、こんど中館の作品を買おうというのだった。
「ふうむ。そこなんだ、いつも……」
「――だろう?」
川瀬勇の眼玉のギロリと行動的な相貌と、太い黒ぶち眼鏡と重なりあっている濃い眉のニュアンスのつよい中館公一郎の顔とが、瞬間まじまじと互の眼のなかを見つめあった。
中館のこころもちはモスクに来ていたときより、ずっと実際的な問題にみたされている。伸子はベルリンへ来て間もなくそれに気づいていた。モスクで会ったときは、ふるい歌舞伎の世界にいたたまれなくなって、そこから脱出しようとしていた長原吉之助の方が思いつめていた。あれからベルリンへかえって、七八ヵ月の生活が中館公一郎に何を経験させたかは、伸子にはかり知られないことだった。しかし、川瀬勇との話しぶりは、いつも会っていて、何か継続的な問題について論じあっている友達同士のもの云いであり、省略の中に二人に通じる何か根本的な問題がふれられていることを、伸子に感じさせるのだった。
「――実際、映画や演劇って奴は、ギリギリまで近代企業でいやがるからね」
眼玉の大きい顔を平手で撫でて、川瀬勇はいまいましそうに巻き舌をつかった。
「ドイツ映画にしたって、もう底をついたさ。エロティシズムにしろ、異常神経にしろ、マンネリズムだ。パプストにしたってうぬぼれるがものはありゃしないんだ。そうかって、一方じゃラムベル・ウォルフでもう限界なんだから」
映画制作が大資本を必要とするために、左翼の芸術運動が盛なように見えるベルリンでも、プロレタリア映画の制作は経済上なり立ちにくいということだった。
「このまんまトーキーにでもなったら、ドイツ映画も末路だね」
「そうさ、目に見えていら。アメリカ資本にくわれちまうんだ」
そのビール店では、入って来るなりいきなりバアに立って、たんのうするだけのむと、さっさと出てゆく人々も少くない代り、片隅へ陣どったら容易に動き出さない連中もかなりいた。それらの男女の姿が店内に煌く鏡にうつり、伸子のいる隅からは、すっかり夜につつまれた大通りの一角が眺められた。ベルリンが世界に誇っているネオンが、往来の向い側にそびえている建物の高さにそって縦に走り、初夏の夜空へ消える青い光のリボンのように燃えていた。わきの映画館の軒蛇腹に橙色の焔の糸が、柔かい字体で、
伸子と素子とがベルリンへ来ると間もなく、中館公一郎と川瀬勇とはつれだって、彼女たちをウンテル・デン・リンデン街のしもてを横へ入ったところにあるプレイ・ガイドのような店へつれて行った。光線の足りない狭い店の壁からカウンターの奥へかけて、ドイツ特有の強烈な色彩と図案の広告ビラがすきまなくはりめぐらされていた。そこで、二人は、この二週間のうちに伸子と素子とが、シーズンはずれのベルリンで見られる芝居、きける音楽会のプログラムをしらべた。そして、伸子たちのために数ヵ所の前売切符を買わせた。ドイツ劇場でストリンドベリーの「幽霊」をやっている。その切符。ふたシーズンうちとおしてなお満員つづきの「三文オペラ」。演奏の立派なことで定評のあるベルリーナア・フィルハルモニッシェス・オルケスタアが珍しくシーズン外にベートーヴェンの第九シムフォニーを演奏する。それと、旅興行でベルリンへ来るスカラ座のオペラがききものであったが、どっちも切符はほとんど売りきれで、伸子たちは、第九の方では柄にない
「さあ、これでよし、と」
背のたかい体でその店のガラス戸を押して、伸子たちを先へ往来へ出してやりながら川瀬勇が云った。
「いま、このくらいの番組がそろえば、わるい方じゃないや――じゃ、いい? 君たちきょうは美術館なんだろう?」
役所風に堂々とはしているけれども無味乾燥なウンテル・デン・リンデンの大通りへでたところで、伸子たちはその大通りのつき当りにそびえている元宮殿の美術館の方へ、川瀬たちは地下鉄の方へとふたくみにわかれた。
その日、伸子たちは、川瀬や中館の仲間がよくそこで昼飯をたべているらしい、一軒の日本料理店で彼らとおちあった。外国にある日本料理店には、ほかのところにないしめっぽくて重い一種のにおいがしみこんでいる。それは味噌だの醤油だの漬けものだのという、それこそ恋しがって日本人がたべに来る食料品から、壁やテーブルへしみこんでいるにおいだった。ときわとローマ字の看板を出しているその店の、そういうにおいのある食堂の人影のない片隅で、醤油のしみのついているテーブルに向いながら、伸子、素子、中館、川瀬の四人がおそい昼飯を終った。
「ここのいいところは、ちょいと時間をはずすと、このとおりがらあきなことなんだ。――食わせるものは御覧のとおり田舎くさいがね……」
ベルリン生活のながい川瀬は、
その日それから伸子たちは美術館へゆく予定だときくと、川瀬勇は、
「丁度いいや。ね、きょう行っちまおう、どうだい?」
大きい眼玉をうごかして、中館公一郎をかえりみた。
「ああ、いいだろう」
「なんのことなの?」
二人の問答にすぐ好奇心を刺戟されたのは伸子だった。
「あなたがたも、美術館に用があるの?」
「そうじゃないんだが、どうせ君たち、ウンテル・デン・リンデンへ出るんだろう?」
「ほかに行きようがあるんですか」
素子がきいた。
「やっぱり、あれが道順ですよ」
柔かに説明する中館を見つめるようにして考えをまとめていた川瀬が、
「君たち、いま金のもちあわせがあるかい?」
おもに素子に向って云った。
「――たいしてもっちゃいないけど……なにさ」
「君たちに、芝居の切符を買わせようと思うんだ。――どうせ観る気でしょう」
川瀬はそこでウンテル・デン・リンデン街のわきにあるプレイ・ガイドのような店のことをはなし、伸子たちがあらかじめ順序だてて、ベルリンにいる間、見たりきいたりしたいものの切符を買っておく方が便利だろうとすすめたのだった。
「なるほどね、それもわるくないかもしれない」
万更でもなさそうな素子の返事を、しっかりつかまえるまじめな口調で川瀬は、
「こうみえてても、われわれはいそがしいんでね」
と云った。
「君たちにはせいぜい、いろいろ見ておいて貰いたいんだけれど、とてもくっついて歩いていられないんだ。おたがいに負担にならない方法がいいと思うんだ」
「――わたしたちは、はじめからなにも君たちの荷厄介になろうなんて気をもってやしないよ」
「そりゃよくわかっているさ、だからね――妙案だろう?」
川瀬はいくらか口をとがらして、大きな眼玉をなおつき出すように素子を見た。その拍子に、まじめくさっている川瀬の下瞼のあたりをちらりと掠めた笑いのかげがあった。伸子はそれに目をとめて、おや、と万事につけて川瀬のあい棒である中館公一郎を見た。例のとおりたださえ濃い眉の上に黒く丸く大きく眼鏡のふちを重ねた中館は、眼鏡がもちおもりして見える細おもてを、さりげなく窓の方へ向けて指の先でテーブルをたたいている。その中館の、表情をかえずにいる表情、というようなところにも何だか伸子をいたずらっぽい気持へ刺戟するようなものが感じられる。伸子は、
「あら……なんなんだろう」
まばたきをとめて、当てっこでもするように中館を見つめた。
「――なにがあるの?」
「相談でしょう」
芝居のせりふをいうときのような口元の動しかたで中館が答えた。
自分たち二人分の勘定をはらったついでに、素子がテーブルのかげでこれから切符買いに行くために金をしらべはじめた。街頭に面して低く開いている窓から、ベルリンの初夏の軽い風が吹きこんで来て、その部屋のかすかな日本のにおいをかきたてる。
「川瀬さん!」
ずるいや、という感じで溢れる笑い声で、ほどなく伸子が川瀬をよんだ。
「なに?」
「わかったわ――これはわたしたちにとって妙案であるより以上に、川瀬勇にとっての妙案だったんでしょう?」
「ふーん。そういうことになるかな」
眉のあたりをうっすり赧らめたが、川瀬は青年らしくいくらか気取っているいつもの態度を崩さなかった。中館が、またせりふのように、
「小細工というものは、とかく看破されがちだね」
と云ったので、みんなが笑い出した。彼らのグループの間では公然のひとになっている愛人を、川瀬はどういう都合か伸子たちに紹介しなかった。伸子たちの方でもそれにはふれず、彼とつきあっているのだったが、川瀬はそのひとと過す夜の時間をつぶさないで、伸子たちにも不便をさせまいと、二人に前売切符を買わせておくという便法を思いついたにちがいなかった。
金をしらべていて、三人の間の寸劇を知らなかった素子が、
「そろそろ出かけましょうか」
女もちの書類入の金具をピチンとしめて立ち上る仕度をした。そして四人は、もよりの駅からウンテル・デン・リンデン街まで地下鉄にのりこんだのであった。
数日たってゆくうちに、伸子は、素子と二人ぎりで行動できるように前もって切符の買ってあったことに、思いがけない便利を発見した。一方に、伸子のまたいとこである医学博士、木曜会の幹事である津山進治郎がいることから、ベルリンで伸子たちが動く軸が二つになった。
木曜会で伸子が小講演したあと、素子と二人が誘われたセント・クララ病院とベルリンの未決監病舎の見学は、どちらも全く官僚的な視察だった。セント・クララ病院は婦人科専門で、レントゲン設備が完全なことと、その医療的効果の高いことで知られているということだった。二十人ばかりの男にたった二人の女がまじっている日本人の視察団一行に応対したのは、六十ばかりの言葉が明晰で快活な尼だった。糊のこわい純白の頭巾が血色よく健康そうな年とった女の顔をつつんでいて、黒衣の上に長く垂れている大きい金色の十字架を闊達に揺りながら、一行を案内し、説明する動作には、現実的な世間智と果断さがあった。いかにも尼僧病院らしく、レントゲン室の欄間も白い天井をのこして、白、水色、紫の装飾的なモザイックでかこまれていた。伸子たちは、素人らしくそういう外観のドイツ趣味にも興味を感じ、おのずからモスクの病院を思いくらべて参観するのだったが、木曜会の医者たちは、専門がちがうのか、それともセント・クララ病院のレントゲン室が噂ほどでなかったのか、質問らしいまとまった質問をするひともなかった。
ベルリンの未決監獄は、アルトモアブ街に、おそろしげな赤錆色の高壁をめぐらして建っていた。一行が案内されて、暗い
「同じね、ローザの写真と」
と素子にささやいた。ローザ・ルクセンブルグが投獄されていたとき、女看守に見はられながら散歩に出ているところをうつした写真をモスクで見たことがあった。ローザは、エプロンをかけさせられていた。そして、散歩場は、その窓からちらりと見えた散歩場そっくりに、せまい歩道が樹のある内庭をまわっていた。
病舎の見学と云っても、見学団の一行は、舎房の並んでいる廊下をゾロゾロとつっきったばかりだった。丁度、昼食の配ばられている時間で、伸子たちが廊下を通りすぎるとき、一人の雑役が小型のドラム罐のような型の入れものから、金じゃくしで、液体の多い食餌をアルミニュームの鉢へわけているときだった。灰色の囚人服に灰色の囚人帽をかぶった雑役は、水気の多いその食べものを、乱暴にバシャバシャという音をたててわけていた。その音は伸子に日本の汲取りのときの音を連想させた。そこだけ一つドアがあいていて、ベッドの上に起きあがった病衣の男の、両眼の凹んだ顔がちらりと見えた。
目に入るものごとが伸子に苦痛を与えた。伸子は、段々湧きあがって来る一種の憤りめいた感情でそれに堪え、一同についてレントゲン診察室に案内された。ひる間だが、その室は電燈にてらし出されていた。ぐるりの壁に標本棚のようなものがとりつけられていて、そのガラスの内部には、変な形にまがったスープ用の大きいスプーン。中形のスプーン。フォーク、そのほか義歯、何かの木片、櫛の折れたの、大小様々なボタン、とめ金などが陳列されている。津山進治郎の説明によると、それらの奇妙なものは、ことごとく囚人の胃の中からとり出されたものだった。未決監獄へいれられた囚人たちは、
日本人の医学者たちは、未決囚の胃の中からとり出された異様な品々に研究心をそそられるのか、その室の内に散ってめいめいの顔をさしよせ、ガラスの内をのぞき、そこに貼られているレントゲン写真の標本を眺めた。標本写真の中には、靴の踵皮をのんでいる、二十二歳の男の写真というのもあった。自分の毛をむしってたべて、胃の中に毛玉をもっている男の写真もあった。伸子はある程度まで見ると、胸がわるいようになって来て、自分だけこっそりドアの方へしりぞいた。どういうずるい考えがあったにしろ、人間が自分の口からあんなに堅くて大きいスプーンをへし曲げてのみこんだり、靴の踵皮をのみ下したりする心理は普通でない。それほど、彼らを圧迫し、気ちがいじみたことをさせる恐怖があるのだ。監獄にレントゲン室が完備しているのを誇る、そのことのうちに、伸子は追究の手をゆるめない残酷さを感じた。気も狂わしく法律に追いつめられた男女の胃の中から、正確に気ちがいじみた
その日の見学には、伸子としてひとしお耐えがたいもう一つの場面がつづいた。レントゲン室から出ると木曜会の一行は、食堂へ案内されることになった。昼食の時間だから、この監獄の給食状態を見てくれるように、と云うことだった。伸子は、そこにも陳列棚があって、その日の献立にしたがって配食見本が陳列されているのだろうと思った。さっき廊下で雑役がシチューのようなものを金びしゃくでしゃくっていたときの音を思い出した。ああいう音は、陳列されているシチューからはきこえて来ないのだ。しかも、ここに入れられている人々にとって切ないのは、シチューそのものより、あの食わせられる音だのに。――
伸子は、陰気なきつい眼つきで、人々のうしろから明るい食堂へ歩みこんだ。そして、そこへ立ちどまった。食堂に用意されていたのは、簡単ながら一つの宴会だった。
「どうも、こりゃ恐縮だな」
いくぶん迷惑そうに日本語でそういう誰かの声がきこえた。案内の役人は、特に女である伸子たちに、
「
自分が立っている真向いの席をすすめた。食堂には五六人の雑役が給仕のために配置されている。灰色服に灰色囚人帽の彼らは軍隊式な気をつけの姿勢で、テーブルから一定の距離をおいて直立しているのだった。どの顔にも、外来者に対するつよい好奇心がたたえられていた。伸子が、その示された席に腰をおろそうとしたとき、うしろに立っていた若い一人の雑役が、素早い大股に一歩ふみ出して、伸子のために椅子を押した。
みんな席について、さて格式ばった双方からの挨拶が短くとりかわされて、見学団一行の前に、ジャガイモとキャベジの野菜シチューの深皿が運ばれて来た。
「これがきょうの囚人たちの昼飯だそうです。さっき廊下を通られたとき配給されていたのと全くおなじものだそうです」
役人のとなりに席を与えられた幹事の津山進治郎がみんなに説明した。同じもの……と心につぶやいた。同じもの――そう――でも、何と別なものだろう。伸子は、えづくように、バシャバシャいっていたあの音を思い浮べた。
「ほかに御馳走はありませんが、この皿はどうかおかわりをなすって下さるように、ということです。なお、いまここに出ているものは、みんな囚人たちのたべるものばかりだそうです」
真白い糊のきいたクローズをかけたテーブルの上には、各人にパンの厚いきれとバターがおかれているほか、皿にのせられたチーズの大きい黄色いかたまり。四角いのと円い太いのとふた色のソーセージを切ってならべた大皿。ガラスの壺にはいった蜂蜜。菓子のようにやいたもの、干果物などがならべられている。これはみんな囚人たちのたべるもの――でも、それは、いつ、どれを、どれだけの分量で、彼ら一人一人に与えられるというのだろう。客たちが説明され、そしてたべるのをじっと目をはなさず見守っている雑役たちの瞳のなかに、伸子は、彼らが決してこういうものをいつもたべているのでない光を認めずにいられなかった。雑役たちは、じっと視線をこらして客のたべるのを見ている。全身の緊張は、いつの間にか彼らの口の中が、つばでなめらかになっていることを語っていた。テーブルの上にのっているものはみんなお前たちのものだと云われながら、現実にはそれの一片にさえ自由に手を出すことを許されていない人々に給仕され、見まもられて、客としてそれらを食べることは、何という思いやりのない人でなしのしうちだろう。姿勢を正して立っている雑役たちの眼の表情に習慣になっているひもじさがあらわれている。皮肉も嘲笑も閃いていない。そのことが、一層伸子を切なくした。その明るい未決監獄の客用食堂の光景は静粛で、きちんとしていて諷刺画の野蛮さがかくされていた。
このアルトモアブ街の未決監獄からのかえり、伸子はすぐ下宿へもどらず素子と二人、ながいこと西日のさすティーア・ガルテンの自然林の間を散歩した。こんなとき、伸子たちが川瀬たちとの約束にしばられず二人ぎりで行動できることはよかった。
伸子たちはまた同じ木曜会の一行に加って、ベルリン市が世界に誇っている市下水事業の見学もした。下水穴へ、日本人が一人一人入ってゆくのを通行人がけげんな目で見てとおり過る大通りのわきの大型マンホールから、鉄の梯子を地下数メートル下って行ったら、そこがコンクリートのトンネル内で河岸のようになっていた。湿っぽい壁に電燈がともっている。その光に照らされて、幅七八メートルある黒い川が水勢をもって流れていた。それは、ベルリンの汚水の大川だった。自慢されているとおり完全消毒されている汚水の黒い大川からは、これぞという悪臭はたっていない。ただ空気がひどく湿っぽく、皮膚にからみつくようなつめたさと重さだった。大都会の排泄物が清潔であり得る限界のようなものを、伸子は、その大下水の黒い水の流れから感じた。
こうして、伸子と素子とは川瀬や中館たちが彼女たちに見せるものとはまるでちがったベルリンの局面を見学するのであったが、案内する津山進治郎にとって、こういう見学は云わば公式なものというか、木曜会の幹事という彼の一般的な立場からのものだった。津山進治郎自身としては、もっとちがった、もっと集中的な題目があった。それは「新興ドイツ」の再軍備についての彼の関心である。
ウィーンに滞在していた間、伸子はそこの数少い日本人たちが、公使館を中心にかたまっているのを見た。ものの考えかたも、汎ヨーロッパ主義だとか、ソヴェトに対する云い合わせたような冷淡さと反撥と、オーストリアの社会民主党政府の、そのときの調子とつりあった外交団的雰囲気にまとまっているようだった。ベルリンへ来たら、伸子は寸刻も止らず動いている大規模で複雑な機構のただなかにおかれた自分を感じた。ベルリンにいる日本人にとって大使館はウィーンの公使館のように、そこにいる日本人の日常生活の中心になるような存在ではなく、大戦後のインフレーション時代からひきつづいてベルリンに多勢来ている日本人は、めいめいが、めいめいの利害や目的をもって、互に競争したり牽制しあったりしながらも、じかにベルリンの相当面に接続して動いているのだった。だから、噂によれば医学博士としてベルリンで専心毒ガスの研究をしているという津山進治郎がドイツの再軍備につよい関心を抱き、一方に同じ日本人といっても川瀬勇や中館公一郎のグループのように、映画や演劇、社会科学と国際的なプロレタリア文化運動に近く暮している一群があることは、とりもなおさずベルリンの社会の姿そのものの、あるどおりのかたちなのだった。
ある午後、伸子はいつものとおり素子とつれだってドイツ銀行へ行った。文明社から伸子のうけとる金が来た。不案内で言葉も不自由な二人は手続が前後して、二度ばかり一階と三階との間を往復しなければならなかった。百貨店を思わせるほど絶え間ない人出入りのある一階正面で、上下しているエレベータアには、手間と時間をはぶくというベルリン流の考えかたからだろう。ドアもなければ、それぞれの階で止まってゆくという普通の方法もはぶかれていた。エレベータアにのるものは、あけっぱなし無休止の
「あら」
小さく叫んで素子の手にさわった。
「あすこにいるの、笹部の息子じゃない?」
そう云うひまも伸子の視線は、人ごみをへだてて、一本の角柱の下に見えがくれするその特徴のある日本の顔を追った。伸子は異様な錯覚的な感覚にとらわれた。見もしらない、よそよそしい外国人の顔に満ちているこの雑踏のなかに、偶然、写真ながら伸子が少女時代から見馴れている文豪笹部準之助の顔があったことは、伸子の感情をとまどった興奮で波だたせた。笹部準之助がなくなってから、その長男が音楽の勉強にベルリンへ来ているということは、きいていた。ゆたかな顎の線と眼の形に特徴があって、笹部準之助の晩年の写真には、渋くゆたかな人間の味が一種の光彩となり量感となってたたえられていた。伸子は、その人の文学の世界への共感というよりも、その人を囲んだ人生のいきさつとして、心にうごくものなしに、その写真を見ることができなかった。
笹部準之助その人がなくなってから、夫人の思い出が発表された。それには、夫人の現世的でつよい性格がにじみ出ていた。良人である明治大正の文学者笹部準之助が自身の内と外とに、ヨーロッパ精神と東洋、特に日本の習俗との矛盾や相剋を感じながら生きていた、その内面のこまかい起伏に対して、妻として、むしろわけもわからず気むずかしい人としてだけ語られていた。
笹部準之助の文学の世界に目を近づけてみれば、そこには男女の自我の葛藤が解決を見出せないままに渦巻いている。伸子は、相川良之介の、遂に生き得なかった
大理石の角柱の下に誰かを待ち合わせていたらしい笹部準之助の顔は、遠くから、やきつくような視線が向けられていることを感じたらしく、人のゆき来の間からいぶかしそうに伸子が立っている方角へ眼を向けた。すると、その顔も伸子が伸子であることを間接に認めたらしく、視線にかすかなほほ笑みの影をうつした。その表情で、顔は一層写真にある父笹部準之助の顔だちに近くなるのだった。
伸子は風に吹かれるように異様な心持につつまれた。ベルリンのこの人ごみで、伸子をこんなに衝撃する笹部準之助の顔が、つまりは顔だちばかりのもので、生の過程そのものは二度と父であり得ない息子のものだということは、何ときびしい暗示にみちた現実だろう。その顔が、いま伸子の見ているところでどことなく気弱そうに人波にもまれ、ある瞬間には見え、次の瞬間にはまたかくされて、見えがくれしている姿も、伸子に人生というものを感じさせずにいない。
伸子は、あんまり父そっくりな顔だちをもって生れた笹部準之助の息子にいたましさを感じた。彼は彼の顔からにげ出すことは出来ないのだ。その顔は、ベルリンにいようとロンドンへ行こうと、そこに日本人がいて、その日本人が笹部準之助という名を知っているかぎり、写真を見おぼえているかぎり、この親の立派な顔だちをうけついだ青年のぐるりに一応は、父の文学への連想によって調子のつけられた環境がつくられてしまうにちがいないのだ。どんな力で彼はその境遇から身をふりほどくだろう。
あくる日、プラーゲル広場の角のカフェーで川瀬たちと落ちあったとき、伸子はドイツ銀行の人ごみの間で見かけた笹部準之助の息子のことを彼らにはなした。
「ああいう人はあなたがたと、ちっともつき合わないの?」
「――まあ別世界だね」
大きい眼玉をうごかして川瀬勇が返事した。
「ああいう連中は、どこへ行っても、ちゃんと、とりまきってものがあってね。――いわばお仕着せの人生なんだ」
「そんなもん、蹴っちまったらいいじゃないか、ばかばかしい」
むっとした口元で素子が云った。
「かんじんのおやじは、牛鍋が御馳走で、あれだけの仕事をのこしたんじゃないか。そのことを考えりゃいいんだ」
「子供の時分から、何のかの、とりまきに馴れて育ったものは、やっぱりそれがないと淋しいんだろう。それに、はたもいけないさ、てんでに目下俗人に堕しちまっているもんだから、あの顔をみると、いやにセンチメンタルになって、笹部準之助の作品をよんだ自分の若かりし日を回顧する気になったりするのが多いんだから。それが所謂相当の地位にいるからなお毒なのさ」
ベルリンには、伸子や素子のように、短い滞在の間、あれにも、これにも触れようとしているもののほかに、また、ドイツ銀行の人ごみで偶然見かけてもう二度と会うこともなさそうなこういう笹部のような名流子弟もいるわけだった。互に知らないベルリン在住の日本人の、ほとんどすべての顔をそこの主人は知っている一つの場所があった。それは「神田」という日本人のやっている土産店だった。
津山進治郎は、ベルリンで出会った伸子の心の日々にはこういういきさつもあり、同時に、モスクの一年四ヵ月というそこでの生活から彼女がここへもって来ているいろいろの生活感情がある。という事実にとんじゃくのないところがあった。
伸子たちが会うときは、とかくいつもくたびれているソフト・カラーがものがたっているように、金の使いかたのこまかい津山進治郎は、女づれでも、塩豚とキャベジを水っぽく煮たようなベルリンの小店の惣菜をふるまった。津山進治郎は世間でいうりんしょくからそうなのではなくて、彼のやりかたには、万事万端、何か一つのことを激しく思いこんでいて、わきめもふらずそれを追いこむことに没頭している人間の、はたにとん着ない馬力とでもいうようなものがあるのだった。
大柄のがっしりした体に灰色っぽい合服をつけ、ソフト・カラーで太い頸をしめつけている津山進治郎は、すこしねじれたように結んでいる、くすんだ色のネクタイをゆすって伸子たちに云うのだった。
「とにかく日本人はドイツのやりかたをもっともっと本気で研究する必要がある。大戦後のあのドイツが、どうです、もうそろそろ英仏を追いぬきかけて来ている。クルップだって、ジーメンスだってイー・ゲーだって――これは世界有数な染料工場ですがね。おどろくべき発展をとげている。レウナの窒素工場と云えば世界最大のものだが、これなんか、御覧なさい。現在生産しているのは肥料ですよ。ドイツの農業を躍進させたのはレウナだという位だが、一旦ことがあればこの大工場が、そっくりそのまま強力な軍需工場に転換するような設備をもっている。日本でもだいぶこのごろは生産の合理化っていうことが云われて来ているらしいが、どうして! どうして! ドイツのやっていることにくらべれば、おとなと子供だ。――まあ、それにしろ云わないよりはましですがね」
そして、津山進治郎は、伸子たちにもっとすすんだ説明をした。
「御婦人のあなたがたには無関係なことだろうが、これというのも、ドイツが戦後、高度なトラスト法をとるようになって、はじめて成功したわけです。トラスト法というのはね。『わかれて進み合してうつ』という有名なモルトケ将軍の戦術を、産業上に応用した独特の方法なんです」
こういう話のでたのは木曜会員の一行がベルリンの下水工事を見学し、解散したあとのことで、津山進治郎、伸子、素子の三人がその辺の小店で昼飯をたべたときのことであった。津山進治郎の話がすすむにつれて伸子の眼は次第にみはられた。しまいにはくいいるような視線で彼のきめの粗い、ほこりっぽいほどエネルギーにみちた顔を見つめた。伸子は、しんからおどろいたのだった。資本がますます独占されてゆく形として第一次大戦後のドイツにトラストが発展して来ている。それは世界平和の危険として注目されているのに。――ドイツの少数の企業家たち、軍需企業家たちが寡頭政治で独裁権をつよめて来ているからこそ、ドイツの大衆の固定的窮乏と云われるものが生じているのに。――伸子が、おどろきと、好奇心を動かされたのは、津山進治郎が、トラストというものを、ほんとに彼の説明どおりのものとして――モルトケ将軍の戦術という側からだけ理解しているらしいことだった。何につけても、ドイツの再軍備の面に関心を集中させている津山進治郎は、ドイツが国をあげてこの次の戦争には是が非でも勝とうと復讐心をもって準備している、そのあらわれとして、トラストも説明してきかせるのだった。彼の話をきいていると、トラストやコンツェルンというものは、ドイツの軍国主義から発明されて、ドイツにしかないものであるかのような錯覚があった。石炭液化とか人絹工業のように。でも、伸子がよんだり聞いたりしてもっている知識や実例のどこをさがしても、トラストは、資本主義の経済のしくみそのものからおし出されて来る資本集中の過程だった。そうでないなら、どうして、こんにちのヨーロッパの経済を動かしているものは僅か三四百人の実業家であると云われているのだろう。三四百人の軍人であるとは云われないで。――
産業合理化はドイツの国内に進んでいるばかりでなく、製鋼その他は国際カルテルにまでひろがっているということを、津山進治郎は「新興ドイツ」の制覇として話すのだった。おそろしく素朴で、しかも自分の云っていることにゆるがない確信をもっている津山の話しぶりは、世界経済についてよく知らない伸子をも、ますます深くおどろかした。
「じゃあ、津山さんも、またああいう戦争がおこった方がいいと思っていらっしゃるの?」
「――いいというわけはないが、どうみたってドイツとして、このままじゃすまんでしょう」
「どこが相手?」
「そりゃ、ドイツにとって伝統的な敵がある」
それは、フランスというわけだった。
「むこうだって、このまんまの状態が永久につづくとは思ってはいない。国境に、あれほど大規模な要塞建造をやろうとしているじゃないですか」
フランスに対してばかりではなく、ドイツの一部には、国境の四方へ憎しみの目をくばっている人々がある。それは伸子もわかっていた。でも――
「もう一遍戦争すればドイツはきっと勝つと、きまってでもいるのかしら」
「そんなことは、時の運だ」
いかにも伸子の女らしいこわがりと戦争ぎらいをおかしがるように、津山進治郎はこだわりなく大笑いをした。
「ドイツとしちゃ飽くまで勝つべくやるのさ。それが当然だ、そして十分の可能性がありますね」
「――へんだわ」
伸子が若い柔かな体ごとそこへ坐りこんだような眼つきになって津山を見つめた。
「そんなことしたって、やりかたがもっともっと残酷になって行くばっかりじゃありませんか――土台を直そうとしなけりゃ……」
一九一八年十一月七日、ドイツの無条件降伏のニュースがつたわって、酔っぱらったようになったニューヨーク市の光景が閃くように伸子の記憶によみがえった。ニューヨークじゅうの幾百というサイレンが、あのときは一時に音の林を天へ吹きつけた。ウォール
「わたしは戦争ってものは、むごたらしいものだと思うの」
なお苦しげなまなざしを津山の眼の中にすえたまま伸子がつづけた。
「そして、悪いことだわ。一番わるいことは戦争で得をする人間に限って、決して自分で戦争しないですまして来ていられた、ということよ。津山さん、そうお思いにならない? そして、戦争なんて、ほんとにひどい間違ったことだっていうことを決して正直に認めようとしないことだわ。むき出しの資本主義の病気だのに。愛国心だの、正義だのって――何て云いくるめるんでしょう」
伸子はつきささるような口調になって行った。
「もし、まだ戦争がしたりないっていうんなら、こんどこそ、あなたのおっしゃる『モルトケ戦術』で儲けている人たちだけの間でやってもらいましょうよ。結局、自分たちの儲けのためにやる仕事なら、その人たちの間だけでやるがいいんだわ」
そう云ったとき、伸子はテーブルの下で、痛いほど靴のつまさきをふみつけられた。伸子はさとった。素子が合図をしたのだということを。気をつけて口をきけ、そう警告しているのだということを。
津山進治郎は、伸子のいうことをだまってきいていたが、やがて相手の話から一つも本質へ影響をうけないものの平静さで、
「あなたのような考えも、或は正しいかもしれんさ。しかし理想だ」
意外なようにおだやかな語調で云った。
「あるいは、現代の人類がまだそこまで進歩していないのかもしれない」
「そうは云えないと思います。だって、ソヴェトがあってよ。社会主義は、とにかく、もうはじめられているのよ。それだのに、世界じゅうは、一生懸命それを認めまいとしているのじゃないの、それはなぜなの?」
重い大柄な体のつくりのわりに額は低く、濃い生えぎわが一文字に眉へ迫っている津山進治郎の顔には、伸子の言葉でどういう表情の変化もあらわれなかった。彼は、おちついて、
「そりゃ、まだ社会主義ってものが一般法則になっていないからだ」
と云った。
「例外は、いつだってありますよ。しかし例外は一般法則ではないんです。そうでしょう? ロシアはああなっても、よそはよそで、まだ別の方法を信じているし、それで成りたってゆく条件をもっているんだ。だから、より普遍な法則の中で行われる生存競争には、その方法でもって勝たねばならんというわけですよ。ドイツはヨーロッパの中の『持たざる国』なんだから」
そして、伸子は津山進治郎から、ドイツ軍備の内容をきかされた。国際連盟は、ドイツの軍国主義を監視して国防軍十万ときめている。けれども、その十万人の陸軍の中に、出来るだけ旧ドイツ軍の将校たちを保有していて、この十万と、やっぱり旧軍人からなる警官隊十五万とに、連盟の規定を最大限にくぐりぬけた武装を与えている。そのほか自衛団、応急技術団、将校同盟団、いろいろの名目で旧い、軍隊組織を仮装させている。
「海軍だって、一万トン以上の軍艦はつくれないことになっているんだが、この頃ジュラルミンと云ってアルミニュームより軽くて丈夫な新発見の軽金属をつかうことをやりはじめているんです。ドイツじゃ商船だって、ちゃんと規格があるし、航空路だって無意味にこんにちだけ拡げたわけじゃない」
ことしのメーデーにベルリンの労働者が殺されたとき、すべての新聞はそれを警官隊のしわざと報じた。メーデーの労働者群と警官隊とはつきもののように思う習慣がつけられている国の人々は、ひどいことだが警官のしたことと、そこにまだ何かゆるされるべき余地があるように印象づけられている。だが、津山進治郎が話してきかせるとおりなら、メーデーに労働者を射ち殺したのはつまりドイツの軍隊だったのだ。タンクをもって、機関銃をもって、ベルリンの労働者を掃射したのは、ドイツの軍隊だったのだ。国内でもう彼らは人殺しをはじめている。国際連盟が、ドイツ国内の治安という口実で、十五万人もの武装警官隊を許可したとき、ことしのメーデーに起ったようなことは、見ないふりする用意をもったのだ。津山進治郎が現にドイツの国内におこっているそういうおそろしいことには全く無頓着で、ドイツ再軍備のぬけめなさとしてばかり称讚するのを、伸子は言葉に出して反撥するより一層の注意ぶかい感情をもってきいた。ドイツについてこういう考えかたをもつ人が、自分の国の日本へかえって別の考えようになるはずはない。その意味ではいまベルリンの小料理屋にいる津山進治郎と、労農党の代議士へ暗殺者をけしかけた人々との間に共通なものがある。そして、津山進治郎は、自分がそれを意志するわけでなくても日本における同じような考えかたの人々の間で、ドイツ式最新知識の伝授者となるだろう。医学博士という彼の科学の力を加えて。――この考えのなかには、伸子の気分をわるくさせるようなものがあった。伸子は津山進治郎に説得されず、津山進治郎も伸子の考えから影響されることなく、やがて三人はシャロッテンブルグ通りの横丁の小店から出た。
伸子と素子とはそこから、ニュールンベルグ広場まで地下鉄にのった。ベルリンの地下鉄は日本の山の手線のように、のんびりと一本の環状線で市の周辺をとりかこんでいるのではなかった。いくつかの比較的短い距離の循環線に区切られて、一つ一つの区切りが、鉄道の幹線駅に接続している。津山からああいう話をきいたあとでは、自分がのってゆられているベルリンの地下鉄のこういう区切りかたにも、伸子は軍事的な意図を感じた。底意をかくしながら几帳面な都会。ベルリンには意趣がふくまれている。
清潔で広々した地下鉄のプラット・フォームから、伸子たちは街上へ出た。もう二日三日で六月になろうとする太陽の熱は、大気のなかへかすかにアスファルトに匂いをとかしこんでいる。ニュールンベルグ広場の四つの角に、ベルリン得意の自動交通信号機がそびえたっていた。機械が人間の流れを指揮するぎくしゃくしたいかめしさで、縦通りが赤、橙、青と、三つ並んだ眼玉の色をかえてゆくと、それに交叉する横通りのシグナルは、青、橙、赤の順で信号を与える。
伸子と素子とがその角へさしかかったとき、丁度信号がかわって、二人が行こうとしているプラーゲル街の方向に赤が出た。伸子は神経のつかれた感じで行手をいそがず、頭をあげて信号の色を眺めていた。白昼の外光を巧みにさえぎった黒い庇の中で、濃い橙色が、人工的に鮮やかな青色のシグナルにとびうつった。そのとたん、まるで映画のタイトルでも読んだようにはっきり、日本のファシスト、ベルリンで
雨の夜で、伸子が窓ぎわに立って外の往来を見おろしていると、レイン・コートを着た男と女のひと組が、むこう側の歩道をいそぎ足に通りすぎて行くとき、ネオンの光が、おもやいにさしている濡れた雨傘の上に赤々と流れた。
クリーム色と緑の配色で壁や椅子が飾られている下宿ルドウィクのその室に伸子は一人で、テーブルの上に「戦旗」の旧い号が二冊ひろがっている。伸子は、初めてその雑誌を見た。一冊の表紙にはソヴェトの石油工場らしい写真が、もう一つの方には、外国の鉱山夫らしい男が片手に安全燈のようなものをぶら下げながら笑い顔でこっちへやって来る写真がつかわれている。全日本無産者芸術連盟機関誌として去年のなかごろから発行されるようになったその雑誌には、伸子がこれまで日本の雑誌で触れたことのない新鮮さと、国際的な触手と、闘争の意志があふれているのだった。川瀬勇が「戦旗」へ、伸子もなにか寄稿するようにと云ったとき、伸子ははじめてその名を知った。
「ほう、見たことないの。モスクへは送ってるのかと思っていた。――こっちのリンクス・クルフェ(左翼曲線)みたいなものだがね」
川瀬がそう説明した「戦旗」には、評論家篠原蔵人や詩人の織原亮輔、森久雄などの論文のほかに、在ベルリン鈴村信二という名でドイツ労働者演劇に関する覚え書という記事もあり、ピスカトールの演劇論と大戦後の有名な反戦諷刺小説「勇敢な兵士シュウェイクの冒険」の舞台が紹介されていた。一冊の、ソヴェト革命記念号には、小林多喜二というひとの「一九二八年三月十五日」という小説がのっていた。「前哨戦」という同人語の欄で篠原蔵人が、その小説について書いていた。「成程そこには非常に多くの芸術的欠陥がみられる。だが、作者が我々に最も近い、最もヴィヴィッドな問題を小さなエピソードとしてではなく、大きな時代的スケールの中に描き出そうとした努力のなかには、プロレタリア文学の今後の発展に対する一つの重要な暗示が含まれている」と。
伸子は「戦旗」をかりて来た日から、折にふれてはその二冊をかわりばんこにくりひろげて、読んで見るのだった。そこにのっている小説は、どれも戦争反対の主題や権力の横暴をばくろした作品だった。プロレタリア作家とよばれている人々がそういう主題を選んで書くことや調子に激しさのあることは、伸子にもその必然がよくわかった。三・一五の事件があってから、ひろくもない日本のなかで、革命的な大衆は、弾圧の二十四時間の中で生きなければならなくなっているのだから。その余波は、形こそかわっているがモスクの伸子の生活にまで及んだ。
けれども――それにしても、と、伸子の心はこれらの小説についての疑問をいだいた。そこではすべての小説が叫びのようだった。これらの小説には何とたくさんのエキスクラメーション・マークがあるだろう。そして、小説の世界は、その小説を書いている人たちが階級的な亢奮で力を入れてこわばらしている肉体そのもののように、主題を主張し、こわばって、封鎖されている感じがした。読むものが、そのときどきの心のまま、ひとりでにその小説の世界へはいって、いつかそこに表現されている世界にとけ入るような戸口がついていないように、伸子には息づまって感じられるのだった。
無産派の小説は伸子がまだ日本にいたころにあらわれはじめた。「セメント樽の中の手紙」「施療室にて」「三等船客」そんな小説があった。それらはそういう人々の生活と文学とから遠く暮している伸子にも感銘を与える強烈なものがあった。そこには、金のない民衆、みじめな人間、破綻におかれた人間の生な情熱の爆発があった。しかし、プロレタリアートというものの意味はつかみ出されていなかった。それから、丁度伸子たちがモスクに立って来る前後から、ひとくるめに無産派の文学と云われていたグループの中に階級性の問題がとりあげられ、アナーキズムとマルクシズムの対立、そして分裂がおこった。伸子と素子がモスクで暮した一年半ばかりの間に、マルクス主義に立つ文学を求める人々のグループが「文芸戦線」から分離して、やがていま伸子が見ているような「戦旗」も出されるようになった。伸子が川瀬にかりてルドウィクの部屋へもって来た二冊の「戦旗」のこまごました記事は、「文戦」が社会民主主義者のあつまりでしかないこと、新労農党を支持する日和見主義者たちであることを痛烈に非難しているのだった。
去年の夏、レーニングラードにいたとき弟の保が自殺した。それから、伸子は一つも小説をかいていなかった。旅行記もかいていなかった。保の自殺から打撃を蒙って、ものがかけなくなったというよりも、伸子の場合は、その深い打撃から立ち直って来たとき、伸子はどこやらもとの伸子でなくなってしまったからだった。これまでのとおり自分の小説の世界へおちつけず、それならばと云って、自分を何に表現していいか分らないようなところのできた伸子として、伸子は、ベルリンに来ているのだった。
ルドウィクのベルリン風に清潔だが情趣にとぼしい室のなかで、雨の降る夜の街を窓の下に眺めながら、伸子は、テーブルのまわりをぶらついていた。小林多喜二という人の「一九二八年三月十五日」という小説は、連載の一部だった。その小説には、ほかの作品にない骨格の大きさが感じられ、人間の心と体の動きのあったかく重い柔軟さもにじんでいた。闘士龍吉の妻であるお恵が、スパイをいやがり、残虐な横柄さをきらい憎む感情の描写が、伸子に共感された。お由も伸子にわかり、会社員佐多とその母親の素朴で真情のある描きかたは、この小説の背景となっている北の国のどこかの港町に生きている人々へ伸子を結びつける。でも、どうしてこの小説にはこんなにビクビクとかモグモグとかネチネチ、モジモジ、ウロウロという表現がばらまかれているのだろう。手数をいとわず、そして実感をもって描写されている小説の他の部分とくらべて、伸子にはそれが不可解だった。作者が、気づかずつい書いてしまっているのだとは思えなかった。不注意ということで、こんなにくりかえしがされるものだろうか。
伸子は、雨にぬれた街の夜空に赤くネオンが燃えている窓からはなれて、テーブルへもどり、またその小説のところどころをあけて見なおした。同じ号に「解決された問題と新しき仕事」という織原亮輔の論文があり、その前月号に篠原蔵人の「芸術運動における左翼清算主義」森久雄の「プロレタリア大衆文学の問題」というのがあった。レーニンやルナチャルスキーの引用にみちているこれらの論文はどれもプロレタリア文学そのほか階級的な芸術運動が、大衆の生活へ結びついて行かなければならないということについての討論だった。結論として、誰にでもわかるような小説の必要ということが力説されていた。小林多喜二という人は、もしかしたらやさしい小説をかこうと思って、ビクビクとかモジモジとかいう表現を、こんなに多すぎるほどとり入れたのではなかろうか。伸子は、このモグモグビクビクのために、せっかくしっとりした小説の世界は安価にさせられ、重量を失っていると感じた。しかし、と、伸子はまた視点をうつして考えるのだった。伸子がそう感じるということが、とりもなおさず、ルナチャルスキーが排除しなければならないものと云っている、そして森久雄がこの雑誌の論文に引用している「あらゆる芸術的条件性及び洗煉性」だと云うのだろうか。伸子自身は、「洗煉性」の中で腐ってゆく文学に反抗しつづけて来ている自分として感じているのではあったが。――
二冊の「戦旗」の記事には伸子にわかるところと、わからないところがあった。全日本無産者芸術連盟は略称をナップNAPFと云っていた。その常任委員会の名で「論争の方法に関する意見書」というものが「戦旗」にのっていた。その文章は、伸子をひそかにおどろかすのだった。云われている意味は、議論のための議論にとらわれてしまうのは間違っている、という
こういうことは、みんな伸子によくわからなかった。日本のマルクシストという人々の間に習慣づけられている特定の用語法。あたりまえの言葉づかいをしているものには変に思えるまわりくどさ。そこにある不思議な矛盾を、伸子はまじめに苦しさをもってうけとった。駒沢の家へ見知らぬ人が訪ねて来たときのように、篠原蔵人の書くものはわからないわ、引用だけのようで、とほほえんでいる気持は、もうきょうの伸子にはなかったから。それらの人々の目に映る伸子が何であるにしろ、伸子自身は明日に自分をむすびつけずにはいられないし、そういう云いまわしと無縁な自分を感じて居られなくなっているのだから。――
一見非常に堅牢そうに、理論で組みたてられているように見えるもののうちにあって、誰からも気づかれずにいる奇妙な矛盾。伸子は、ふと似たようなものが、ベルリンにいる川瀬勇たちの生活気分のうちにもあるのではないかしらと思った。その思いあたりは、女としての伸子を、何かしら感覚的にはっとさせるようなものをもっているのだった。
また伸子が窓の前へ立って、雨足のつよい夜の鋪道を見おろしているところへ、うしろのドアがあいた。
「なんだぶこちゃん、まだ仕度もしてないのか」
それは湯あがり姿の素子だった。
「すぐ行きなさい。ここのおやじのことだから、どうせすぐあとをぎっしり詰めているにきまってるんだから」
「じゃ、すぐ出して来るわ」
伸子は浴槽へ湯をみたして来るつもりだった。すると、
「すぐはいれるようにして来てあるんだよ」
あるんだよ、というところへ一種のアクセントをつけて、いつもそういうときの素子の、自分の親切がくやしいような口調だった。
「どうもありがとう、じゃ、はいって来る」
三十分ほどして、伸子は顔も体もさっぱりと桜色になって、洗った断髪をタオルできつくこすりながら戻って来た。素子は、テーブルの上へ旅行用の裁縫袋をとり出して、上衣の絹裏がほつれたのをつくろっている。あしたからおろしてはくための新しい靴下がセロファン袋のまま裁縫袋のわきに出ている。それは、伸子たちがいままではいているような、本当の絹ではあるが白っぽくだらけた肌色ではなく、すっきりしたオークルで、人絹のうすでな靴下だった。ベルリンの大きな百貨店ウェルトハイムの婦人靴下売場にはモスクから来た伸子をびっくりさせるほどいく種類もの靴下があった。それを買う婦人のために、売子は内部から電燈にてらされているガラスの脚型にくつ下をはかせて、ほつれのあるなしを調べわたしていた。
街路をぬらして降っている雨と、女ばかりにくつろいだ室のなかの光景と、それはベルリンでのめずらしい一晩だった。
伸子は、素子からはなれてテーブルにふかくもたれ、艷やかな湯あがりの顔を頬杖にささえながら、素子のこまかい針の動きを見ていたが、
「あなた、ワンピース着て見る気はない?」
ゆっくり自分の考えていることのなかから話す声の調子でいった。いま素子がほつれを直しているのはウィーンで買った、淡いライラック色のスーツの上着だった。
「そりゃ着たっていいけど、似合うのがないじゃないか」
うつむいて手を動かしながら素子が返事した。
「――スーツって、そんなに着心地がいいものかしら?」
伸子にはそう感じられないのだった。
「いいと思うな。スーツが女のなりの基本になっているだけのことはある。しゃんとしてるもの」
ウィーンでも素子のこしらえたのは二組のスーツだった。一着は、いまつくろっている上着とそろいの。もう一つは、ひどくしゃれた渋いスーツで、紺地におもしろい縞がほそく出ているコートとスカートに、とも色でドローンワークした白いクレープ・デシンのブラウスが組み合わされた。伸子は、その同じ店で、おちついた細かい格子のワンピースにともの春外套のついたのを選んだ。その薄毛織地のワンピースの衿のところには、肌色と紺のなめしがわでこしらえた椿の花の飾がついている。ベルリンへ来てから、伸子は初夏用の服を一着買った。それもさらりとした肌ざわりの、月光のような色あいのワンピースである。
伸子はしばらくだまっていて、
「そう云えば、わたしはスーツきないわねえ」
と云った。
「どうしてかしら。――旅行用にでもきる気がしない」
「そりゃそうさ。ぶこちゃんみたいなはいはい人形がスーツきられるもんか、窮屈で――」
たしかにそれもそうだった。素子のすらりとした体つきから見れば、伸子はまるまっちくて、手脚が短かいのだから。伸子はこれまで素子と自分とが、一方はスーツずきで、一方はワンピースずきだというようなことについて、特別な注意を向けたことは一度もなかった。素子と自分とは皮膚の色がちがうように、体つきがちがうように、めいめいはめいめいのこのみで着ているとしか思ったことがなかった。こまかく云えば、伸子がそう思っていたということさえ、いくらか意識しすぎた表現になるくらいだった。ひとりでにそうなって来ていた。ところがつい二三日前、伸子たちはつづけざまに妙なものをみた。
川瀬たちのグループが、伸子と素子をつれて行ったのは、ベルリンの繁華街から二つばかりの通りをそれた、とある淋しい町だった。リンデンの街路樹のしげみのかげに、ぼんやり青っぽい灯のついた一つのドアをあけて入った。内部は、こぢんまりしたカフェーだった。レコードが鳴っていて、幾組か踊っている。周囲の壁ぎわに、スタンドに照らされた小テーブルがおかれていて、そこへかけて、踊っている組を眺めているものもある。伸子たち四人は一つの小テーブルを囲んでかけたが、気がついてみると、その狭いカフェーで男というのは、川瀬や中館たちばかりだった。そのカフェーの中にいるのは、踊っている組も、壁ぎわのテーブルに腰かけて見ているのも、女ばかりだった。同じように断髪の頭だけれども、スーツを着てネクタイをたらした女と絹のワンピースを着た女とが組んで踊っていて、スーツとワンピース半々の数だった。
照明のはっきりしないカフェーのなかで、レコードの廻転度数をおとしたようなフォックストロットがもの憂げに鳴った。踊っている組でも、その動作にも顔色にも華やいだ興奮の雰囲気はなかった。
「なるほど、ここはかわってる」
素子が、しばらく店内を見まわしていたあげくに云った。
「みんな商売人ですか」
「どうなんだろう」
「こんなにしていて気が向けば、どっかへ行くってわけなんだろうか」
「そうなんだろう。――こういう連中は大抵コカイン中毒でひどいんだ。――大戦後のドイツにはこんなことがひどいんだ」
伸子は話をききながら、好奇心と嫌悪のまじりあった感情で、ぐるりにいる女の群を見た。スーツを着ている女、このカフェーの特色である女で女の対手をする女は、どれも瘠せていて、云い合わせたように顔色がわるかった。そして、うすい顎の線が目立った。伸子たちのテーブルのそばを踊りながらすぎてゆく組をよく見ていると、スーツの上から肩胛骨がわかるように不健康な背中をしているのが多くて、ポマードをつけた断髪の髪をそこにかきつけてある耳のうしろあたりには、伸子を無気味にした病的なよごれの感じがあるのだった。
伸子たちのテーブルへ、ベルリンでおきまりのビールがくばられた。伸子の顔つきを見て、
「へんな顔をするもんじゃないよ。誰も無理につれて来たわけじゃあるまいし」
川瀬たちに対する礼儀と、そこにいる女たちへの仁義のように素子がたしなめた。君たちも女づれだからってベルリンの表通りを見ていただけじゃ、と風変りなこのカフェーへ、案内された。大戦後、ドイツのショウは裸ばやりになった。その流行はアメリカにうつって大規模なジーグフリード・フォリーズなどを生んでいる。先晩、伸子たちが同じ顔ぶれで観たもう一つの風変りなカフェーは、カフェーというよりもっと見世物式で、そこの立役者は、まるで若い女のような体つきをもった一人の男だった。きれいな金髪を柔かな断髪に波うたせて、大柄でぽってりとした体つきの裸体女が、音楽につれて、照明の輪の中にあらわれた。パリでジョセフィン・ベイカアがはやらした駝鳥羽根の大きい扇を体の前にあやつり、きっちりと小さい金色のパンプをはいた足の上で、あらゆる角度に桃色の体をくねらせながらしばらく踊った。胸のあたりも体のしまった若い女としか見えないその男は、踊りが終って照明の輪からぬけ出す瞬間、伸子たちのいるところからは見えなかった何かの動作をしたらしくて、それまでしーんとしてその女のような男の踊る姿に目をうばわれていた観客が、どっといちじに男の喉声を揃えて笑った。それは、ばかばかしいような異様なような空気だった。伸子たちは、その立役者のおどりがすむとすぐそこを出た。川瀬たちの話によると、そこにいたかなりの数の女客のうち、ほんとの女は何人位だろう、ということだった。
「ベルリンには、もっと気ちがいじみたカフェーがある。囚人カフェーっていうんで、そこじゃ給仕がみんな横だんだらの囚人服を着ていて、バーテンダアは看守のなりだよ。御丁寧に、腰かけは裁判所の被告席そっくりのベンチさ」
「戦争ですよ、みんな戦争の置土産ですよ」
ベルリン生活のそういうものが珍しくもなくなっている中館公一郎が沈んだ顔をして云った。
「人間のアブノーマリティなんて、つくづく見ればどれもこれもあわれきわまったものなんだ」
「こっちにあるもので、モスクになさそうなものっていうと、さし当りこんなところだね、そのほかにはあの
それはカール・リープクネヒト館の前の流血メーデーの記念のことだった。
こんな病的な女カフェーも、戦争まではなかったものにちがいなかった。伸子はその陰気でじめついたカフェーにかけていた三十分ばかりの間に、女たちが踊りながら伸子たちのわきを通りすぎて行くとき、とくにスーツの方の女が、意味ありそうな眼つきで素子を見、それからその視線を伸子の上へ流してゆくのに気づいた。しばらく何となくただそのねばっこい視線を感じていた伸子は、突然目がさめたように自分がワンピースを着ていて、素子の着ているものはスーツだ、という事実を発見した。そして、それはこの特殊なカフェーの中では偶然と見られるものでなくて、ここに集っている錯倒的な女たちには互の錯倒を見つけ合う一つの目じるしとなっている身なりだということに気づいたのだった。
伸子は、それに気づいたとき、自分がそう気づいたことを川瀬たちに気取られるのさえいやだった。川瀬たちは、伸子と素子という二人一組の女にとって、この錯倒的なカフェーの雰囲気は何かの連関をもっているものかと、わる気はないにしろ、ある距離をおいて眺める気持もなくはなかったのだろうか。
伸子はそこへはいって行ったときの無邪気さを失ってその女カフェーを出た。大きくすこやかに動いているモスク生活で忘れていたこだわりが、伸子によみがえった。ベルリンにこういう女カフェーがあるのを見せられて、伸子は、自分たちが主観的にどう生活を内容づけているかということとは別に、女と女との関係の頽廃の底をのぞき見た感じだった。そこからうけるいとわしさは、伸子がひととおり正常な性のいきさつを知っているだけに肉体的だった。そしてそれには、カール・リープクネヒト館の前の広場で、はじめてあの白ペンキの環をじっと見たとき、伸子の体をこわばらした感じと共通するところがある。
けれどもそういう心もちについて伸子は素子と何も話さなかった。こんな話題をつっつきまわすことで、二人の感情とその表現の上に保たれて来ているつり合いが狂うことが、伸子としてこわかった。素子も、ただ物ずき心で陰惨なあの夜の女カフェーの光景を見ていたのでなかった証拠に、彼女としては珍しくそれについて皮肉めいたことも云わず冗談らしいことも云わなかった。二人とも、自分たちの生活は下水の上にわたされている一枚のふたの上に営まれていて、しかもそのふたはさまで強固でないことを知らされたわけだった。
その晩も、伸子は、スーツが着よいか、着にくいかというだけの話にとどまって、素子が、上衣のうらのほつれを直しているのを見ていたが、やがて、
「あなた、ベルリンていうところを、どう思う?」
素子にむかってきいた。
「おもしろいところと思う?」
「さあ、おもしろいっていうのとはちがうんじゃないか」
「わたしはドイツってところ、やっぱり気味がわるい」
やっぱりというのは、この間うち幾度かベルリン国立美術館へ行ってドイツの絵を見たとき、伸子は、古い絵に描かれているヴィナスさえも蒼白く肩がすぼけて、腹のふくらんだ発育不全の女の姿で、冷たく魚のようで気味がわるい、とくりかえし云ったからだった。
「ベルリンの生活って、何だか矛盾に調和点がないみたいだわ」
一方には、津山進治郎が日本も見ならうべきだという軍国主義があった。ベルリン市内の建築物はすべて五階。町並は一区画ごとに同じ様式に統一されていなければならなかった。だからベルリンでは綺麗な町ほど観兵式じみていた。やかましい規定をもった街路が、その幅なりに四方から集った中央に
伸子は、ベルリンの電車のなかで、席があっても立ったままでいる中学生をよく見かけた。それも規則であった。派手なバンドつきの丸形制帽をかぶって「春の目醒め」にでて来るような半ズボンから長い脛を出した中学生がうすい金髪のぼんのくぼを見せて、にきびのある血色のわるい顔を窓に向けて電車にのっているところを見ると、伸子はその少年たちの心の内にあるものが知りたかった。ベルリンでは長幼の序という形式がやかましい。しかし、ベルリンの劇や映画でセンセイションをおこしているのは、少年少女の犯罪を扱ったものだった。「三文オペラ」にしても、表現派の舞台に暗く速く展開されるギャングの世界のばくろだった。メイエルホリドは、モスクの劇場のうちでは一番表現派に近い舞台で、「検察官」などを上演したが、メイエルホリドでは諷刺の形式として表現派がつかわれているようだった。ベルリンでの表現派は、物体も精神も、破壊をうけて倒れかかる刹那の錯雑した角度とその明暗という印象で、迫るのだった。
「グロスの漫画にしても、わたしには、ああいう肉感性のからんだグロテスクが疑問だわ。ね、そうじゃあない? 現代のいやらしさを描き出すことに、グロス自身がはまりこみすぎているわよ」
日曜日の夕方になると、郊外から野草の花で飾られた自転車をつらねて一日のピクニックからベルリンの市内へかえって来る人々の大きい群があった。なかには若い夫婦が二人乗自転車のペダルをふんで、二人の間の籠に赤ん坊をのせてかえって来る一組がある。日にやけて歌いつかれたように笑ったりしゃべったりしながら野原の花をもって、軍用道路の上を陸続と明日の勤労のために自転車をそろえてかえって来る人々を見ると、伸子には、「三文オペラ」やグロスの漫画が、しんからそれらの人々の生活感情の底から生れているものと思えなかった。こういう人たちも、もちろん、ああいう芝居を見たり絵を見たりはしているだろう。そして、痛快がり、面白がりもしているかもしれない。けれども、それは気持の一部でのことで、あとのより多くの部分はどんなところに日常の流れをもっているのだろうか。
「赤い地区」ウェディング、ノイケルンはメーデー以来大きく浮びあがっているけれども、伸子や素子がベルリンでのこまかいありふれた日々の間にふれている場面のなかへまでは、新しく創られた生活の道がしみ出していなかった。それはそれがあるところにあるだけだった。
ベルリンのプロレタリアートは、津山進治郎のいう「モルトケの戦法」で、経済の上にも法律の上にも、分れて進み合してうつ「新興ドイツ」のしめつけにあっていて、それをふんまえながら軍国主義のボイラーへはますます燃料がつぎこまれている。ロート・フロント! ロート・フロント! 用意はいいか! それは反抗の叫びであり、抵抗の唸りであり、帝国主義に向ってつき上げられているつよい
以前より悪辣に生きかえりはじめているドイツの帝国主義と、それに反対する民衆の勢力とが、伸子たちにさえ感じとれるほど鋭く対立しながら足踏みしているのは、川瀬勇の説によると、独占資本に尻尾をまいたドイツの社会民主主義者たちのせいだった。シャイデマンやノスケは、カールやローザを殺して、一九一九年のドイツの革命をブルジョア民主革命にまでも及ばない、まがいものにすりかえることに成功した。だから、と、川瀬や中館たちは自分の専門の映画や劇の問題にかえって、ドイツの新興芸術の深刻さは、段々くさった溝になって来てしまった、というのだった。興行資本の大きいアメリカの裸レビューに吸収され、トーキーに食われてゆくのだというのだった。伸子たちはそれらのことを、世界情勢という言葉にまとめて話されるのだった。
モスクの生活は、民衆の生活のすべての具体的なあれやこれやをひっくるめて、社会主義がわかっていようがいまいが、こみで社会生活の実際を、社会主義の方向へひっぱっている。新しいものは旧いものと絡みあい、交りあい、ときにはまだらになりながら、たゆみなく前進している。
伸子は、テーブルの上に出たままになっている「戦旗」をめくりながら、日本は、ソヴェトの社会に似るよりもよけいにベルリンに似ていると思った。革命という字は、伸子にしても、そこに未来の約束がふくまれている言葉として感じとられるようになっているけれど、ほんとうに革命が生きぬかれてゆく、いりくんで複雑な過程は、何とそれぞれの場所で、それぞれにちがっていることだろう。伸子が、日本はドイツに似ていると感じることのなかには三・一五やら山本宣治の暗殺や二冊の「戦旗」にみなぎっているけわしい対立の雰囲気からの連想があった。自分のうちにある正義の感覚や人間としての権利の主張を、理論にたって組織して、それによって、行動する習慣を身につけていない伸子は、ひたすら、いやなものをいやと感じて澄んだ眼のなかの黒い瞳を一層黒くこりかたまらせるのだった。
伸子はしんから腑におちたという調子で、
「日本の男のひとたちが、ドイツをすくわけだわねえ」
と歎息した。
「形式ばったところや、勿体ぶって男がいばっていられるところなんか、日本そっくりなんだもの。かげへまわればグロス的でさ。女のひとは、三つのK(
「外国へ来ている日本人で腹から進歩的なのはすくないにきまってるさ」
素子が実際的な顔つきで云った。
「旅費の工面をつけて来るものが立身を忘れちゃいられまいだろうさ」
六月はじめの夜の八時ごろ、パリ行きの列車がとまる
「そんな無茶な奴ってあるもんか!」
「僕もそんなおどかしでひっこむ気はありませんがね」
「もちろんだわ。何てけちな人たちなんでしょう!」
そう云っているのはこれからパリへ立って行こうとしている伸子だった。
中館公一郎の「シャッテン・デス・ヨシワラ(吉原の影)」がいよいよベルリンで封切りになるについて、きょうの午後おそく試写会がもたれた。出立の時間が迫っている伸子と素子とは観に行かれなかったが、いまステーションへ見送りに来た川瀬勇たちの話によると、それを見たベルリンの日本人のなかに、いちはやく、中館公一郎をなぐっちゃえ、という声がおこっているのだそうだった。映画は徳川末期の浪人の生活苦とその人間苦を主題にして、武士階級の没落を描き出そうとしたものであったが、肩つぎの破れ衣裳を着てぼろ屋のうちに展開される貧しさや苦悩は、貧乏くさくてベルリンにいる日本人の体面をけがす、国辱だ、といきまいているのだそうだった。
「そりゃ多勢の中にはそんな奴もいるだろうが、まさか、全部が全部ってわけはないんでしょう」
オリーヴ色の小型カバンを足もとにおいている素子が云った。
「ところがね、大体似たりよったりの感情らしいんです。ただそれを口に出すか出さないかだけでね。わたしのきいた範囲じゃ、このごろのドイツ映画はきたないのがはやりだから、この位が通用するのかもしれん、というのが、最も進歩的な意見だったですよ」
「冗談じゃない!」
みんなが苦笑した。
「ああいう連中はね」
川瀬勇が、云った。
「下宿の神さんや娘や、その他おなじみの女たちに、せいぜい刺繍したハンカチーフだの何だのやっちゃ、大いに国威を発揚していたのさ。
プラット・フォームから頭をのばして、村井がレールの鳴り出した高架線の前方をすかして見ていた。
「来たようですよ」
伸子と素子は、一人一人に握手した。
「どうもいろいろありがとう」
「かえりにまたどうせよるんだろう?」
地ひびきを立てて入って来た列車は、惰力をおとしてやがて停ろうとしている。その車室の窓に沿って、伸子たちは、長い列車のなかごろまでいそいだ。
「ここだ、九番でしょう?」
「そうだわ。どうもありがとう」
伸子はステップへあがって、棒につかまりながら素子の肩ごしに、
「じゃ、さようなら!」
プラット・フォームに立っている川瀬たちに向って手をふった。
「ね、みなさん、お願いよ。中館さんをなぐらせたりしないでね」
動き出した列車に向って歩きながら高くのばした腕を一つ二つ大きく振る川瀬勇の姿が、人影のまばらなプラット・フォームのアウスガング(出口)と白い字でかかれた札の下に遠くなった。
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毎晩七時に、リオン停車場からマルセーユ行の列車が出る。その列車でパリを立つと、翌朝七時に、マルセーユに着く。五月二十日ごろ佐々の一家をのせて神戸を出帆した
六月三十日の夜七時に、伸子は一人で、ガール・ド・リオンから出発した。どんなあい客が、いつどこからのって来るか予想されない
車内は、八分どおりのこみかたで、伸子は二人ならびの席にひとりでかけられた。伸子は、ウィーンで買ったクリーム色の小さい手提鞄を用心ぶかく自分の体と窓の間におき、言葉のよく通じない外国で一人旅する若い女の身のひきしめかたで、座席がきまるとすぐ窓外の景色を眺めはじめた。
南仏に向う列車の沿線には、夏の薄明りにつつまれておだやかに耕地がひろがった。耕地はゆたかに隅々まで愛情をもって耕作されている。伸子の列車が通過して行く地方には、ポプラが目立った。
フランスの自然の主調であるこの色は、またフランス陸軍の色でもあった。そこでおそらくこの優美な色調は地物の色とよばれ、掩護色と云われる種類のものでもあるのだろう。
車窓のそとは次第に暗くなって、やがて一直線にマルセーユに向って走っている夜行列車の窓ガラスには明るく車内の電燈が映るようになった。
ほんとうは、自分一人がこんなにして夜汽車でマルセーユまでうちのものたちを迎えに行くようになるとは、伸子は考えていなかったのだった。
伸子が素子と暮すようになった五年このかた、素子と多計代との間には双方からの根ぶかい折りあいのわるさがあったから、佐々のものがフランスへ来るからと云って、伸子は、素子にも迎えに行ってほしいとは誘いかねた。しかし、素子もマルセーユという港町そのものには興味があるかもしれない。もしかしたら、素子らしく、埠頭へ迎えには行かなくても、マルセーユ見物にだけは一日ぐらいつきあって伸子とパリを立つ気があるかもしれない。伸子はそんなふうに思っていた。増永に会って、七月一日に着く佐々の一行を迎えるうち合わせをしているとき、わきにいる素子は、マルセーユという港町への興味さえも示さなかった。
「こうやって、ホテルまで手配してあれば、ぶこちゃん、心配いらないさ」
そう云ったきりだった。
「マルセーユを見る気はない?」
「――まあ、親子水いらずの方が無難だろう」
リオン停車場へ送って来た素子は列車の窓ごしに伸子に向って云った。
「せいぜい気をつけて行って来なさい」
増永の気持についても、伸子の思いちがいがあった。増永謹と佐々泰造との親しいつき合いから、息子の修三が、父の親友の一人である泰造のために、マルセーユくらいまで行くのかもしれないと、伸子は、思っていた。ところが増永修三は、伸子のためにマルセーユまでの切符をととのえて届けるというとき、
「ほんとうは、僕もお出迎えに行かなけりゃならないところなんでしょうが、手のはなせないことがあるし、御婦人だから、却ってお邪魔だといけませんし……」
とつけ加え、世間で秀麗と云われるような顔で笑った。なにげなく礼をのべてあいさつしながら、伸子は、彼の小さい笑いに傷つけられた。単純に、失礼します、と云われた方が伸子としてはこころもちがよかった。フランスで、言葉の自由でない若い伸子に日本の封建的なしきたりを口実に、女だから、男のつれは迷惑だろうというのは、すじが通らず、女として侮蔑された感じだった。伸子が気づまりでないようにという親切があるなら、別の座席で、伸子に関係なくマルセーユまでゆくこともできないことではないわけだった。
社交人らしく、自身のスマートさを大切にしているらしい増永とすれば、マルセーユで船からぞろぞろとあがって来る佐々泰造はいいとして、多計代、和一郎、小枝、つや子という一家総勢の姿を想像しただけで、その相伴にあずかるのは気の毒な自分を感じるのだろう。
佐々の一行が家じゅうでパリへ来る、ということのなかには、たしかに誰の目にも何か度はずれなところがあった。金もちとも云われない階級の佐々一家が、何のために家じゅう、小さい娘までをひきつれて、外国へ来るのか。モスクでその通知をうけとったときから、娘の伸子にしろ、こんどの思いたちのなかにどことなく自然でないものを感じつづけている。パリで、一緒になってからの生活が思いやられて、伸子はそれまでに自分と素子とのパリでの暮しの根じろをきめ、ごたついても崩されない自分たちとしての生活感情をとおしておきたいと一ヵ月も前にパリへ来てその準