『文学界』に告知板というところがある。毎号そこにいろいろな作家が短い自由な感想をのせているのであるが、九月号のその雑誌に「新胎」を書かれた舟橋聖一氏も、本月はこの欄に一文をよせておられる。
「新胎」を創作するに当って助力をよせた各方面の専門家の姓名を列挙し、感謝をささげておれる。つづいて自身の病気にふれ、子供さんの病気に心痛顛倒する自身の心持に語り及んでそこへ私の名がひきあわされているので、自然読むと、私が「子供を愛したりするとヒューマニズムの線が下向する」と云っているとのことが書かれてある。それに反対の心持として氏は「子供を愛することさえ出来なくて何のヒューマニズムぞやと云いたい。子供を愛することゝ、ヒューマニズムとが牴触することは、僕には考えられない」と書いておられるのである。
実際には私が何をどのように云っていたのかということから切りはなして、氏のこの文章ばかりを読むと、一応は全くあたりまえのようなことをことあらためて舟橋氏がとりあげておられることから、却って読者の疑問はよびさまされると思う。私という女は夜叉なのであろうか? 子供が可愛いという一般的な日常の感情さえ味うことの出来ない、何かの餓鬼なのであろうか?
舟橋氏は、私が先頃報知新聞に九月の創作についての感想をかいた中で、「新胎」のテーマが含んでいる歴史的な方向、氏によって嘗て提唱された能動精神のその後の消長等に対する疑義をこの作品の内部に見たことを念頭において、告知板の文章を書いておられるのである。
ある文学的雰囲気というようなものや、そこの中でののびのびとした気分というようなものから、氏が私の書いた文章をどのようによまれようとも、それは氏の自由であると思う。それはよまれるように読まれるしか仕方がない。ああこのようにも読まれるものかと、筆者は打ち見やる態度でいいのであろう。けれども、舟橋氏が告知板にかかれた文章そのものが、短い表現であるがそのものとして、私たちに一つの課題を呈出していると思う。その点をここで触れて見たい。
舟橋氏は子供を愛することと、ヒューマニズムとは牴触しない、ヒューマニズムのはじまりは子供を愛すことから発足するようにも云われているのだけれども、今日の私たちの生きている社会の現実を少くとも作家の目で見まわして、単純に子供を愛すこととヒューマニズムとは牴触しないと果して云い切れるものであろうか。
舟橋氏自身の子供さんに対する心持の内側からだけものを云えば、もとより現在のところ、この二つのものは牴触していないのであろう。愛される子供の側からの愛されかたに対する注文が出ていず、氏として自身の愛情や質や発露に何の疑いも抱かれないでいる限り。然し、芸術の問題、芸術家の生きてゆく態度としてのヒューマニズムが現代の問題として存在するのは、例えば、一口に子供を愛すという、その日常感情を各人の日常の主観の枠の中で肯定してゆくばかりでなく、そこにはやはり拡大せられて来ている現在の社会感情を背景として、子供に対する愛とは何ぞや、今日の子供に対する愛はどのような方向と表現とを持って人間を高めより自由にするために発動しなければならないか、という叡智的な、同時に実践的な探求が新しく出されていると思う。
子供を愛する、人間は子供を可愛がるのが本性である。そういう抽象的な一般論の上に無撰択に立っているものではない。おー、貴様は俺の大事な一粒だねだぞ。ウィー、男一匹酒ぐらい呑めないでどうする! ホラ飲んで見ろ。これも可愛がりの一種である。子供さんが病気だというと覚えず動顛する氏の愛は、小さい息子を酔っぱらわして見たがって女房と喧嘩する父親のやりかたを子の可愛さ一般で肯定し得ないであろうと推察される。
文学が、神或は馬琴流の善玉悪玉の通念に対して、一般人間性を主張した時代は、日本でも逍遙の「小説神髄」以来のことである。私たちのきょうの生活感情はそこから相当に遠く歩み出して来ている。「主従は三世」と云って、夫婦は二世、親子は一世と当時の社会を支配したものの便宜のために組立てられていた親子の愛の限界は、既に、どんな人間でも子の可愛くないものはないという一般常識にまで柵を破られて来ているのである。
更に文学は、この一般人間的感情の上に立ちつつ、現実の人生の姿として、或る親はそのわが子可愛ゆさの心持をあらゆる明暮の心づかいに表現して、親も子ともども互の愛に満喫し得ているのに、一方ではどうして親心としては同じ思いの或る親が、我が子を幼年労働に追い立てなければならないのか、という疑問をとりあげた。又、親子の愛というものの固定的な宗教的でさえある評価の観念に対して、ストリンドベリーのように現実の錯雑を個人の生活経験の範囲で能うかぎりの仮借なさでむいて示した作家もある。
これらの人道主義的な個人主義的なヒューマニティの理解の時代は、ヨーロッパ大戦の後、或る質的な飛躍と波瀾とを経て今日に到っている。例をアメリカにおける産児の制限の場合にとって見よう。
日本における今日のヒューマニズムの問題は、その正当な進展の道に、社会の諸事情によって様々の困難を負うている。その困難の深さ、複雑さの一つが、見やすい形ではヒューマニズムの理解における安易な日常性肯定の傾きにあらわれていると思える。ヒューマニズムの理論的闡明に附随している不便や現実の展開の局限などから生じた停滞が、この傾向を助長させているのであろうし、又限界をひろくして観察すれば、そういう傾向にいつしか導き込む安易さが昨年あたりからヒューマニズム提案がなされた初期からの或る底流の一筋としてつづいて来ていることも見出されるのである。
ヒューマニズムはいよいよ上昇線を辿る時代が近づいて来たと舟橋氏は云っておられる。ある人々の主観の中での
くわしく触れている余裕がのこされていないが、ヒューマニズムの理解の中にある日常性の容易な肯定の傾向と文学における大衆とその生活の観かたの中にある追随とは、非常に微妙に関連している。このことは徳永直氏の「八年制」と「心中し損ねた女」(十月新潮)と人民文庫にかかれている文章との一つながりの中に深刻な課題として出て来ているのである。
〔一九三七年十一月〕