羽仁五郎氏は、この真心を傾けて執筆された独特な伝記を、有名なダヴィテの像に今日見ることの出来るミケルアンジェロの不滅の生命から語りはじめていられる。「ミケルアンジェロは、いま、生きている。うたがうひとは『ダヴィテ』を見よ。」という情熱のこもった声によって、この魅力ふかく学ぶところの多い一冊の本は始まっているのである。
この評伝の美しさ、漲る誠意と、その土台をなして実に活々と確かに歴史の現実の諸関係をつかみ出している科学者としての方法は、ミケルアンジェロの芸術の本質をはっきりと描き出しているのみならず、当時の複雑きわまる社会と芸術との活きた画が立体的に動的にくりひろげられてゆくその道すじに、人々の心におどろくような新鮮な実感をもって、今日の世の中や芸術のありように対する新たな目ざめを覚えさせて行く。
ミケルアンジェロという巨人的な天才の生涯と芸術とは、決して運命の気まぐれで生れたものではなかった。彼の人及び芸術家としての壮大な歓び、悲しみ、辛苦、不撓な芸術への献身などは、ルネサンスの花咲きみちた十五世紀の伊太利、その自由都市国家フィレンツェの人民の繁栄及び近代的進歩の挫折の過程と、たちがたい関係をもって互につながり合っているものであったこと、個人の歴史は社会の歴史とどのように織交りあっているものであるか、そして又芸術を知ろうとすればその当時の社会の有様を基礎としなければ、本当のことは何も分らないものであるということを、歴史家である著者は、精密に、しかも胸に訴える生ける姿として、描き出しているのである。
この本の最初の部分で、先ず私たちはこれから多くの場合、少なからぬ助けとなるようなルネサンスの社会と文化に関する歴史的な要素の分析とそこに潜められていた様々の矛盾について、行届いた知識を与えられる。そのルネサンス伊太利の繁栄が絶頂に達して、遂にかくされていた諸矛盾がそろそろその作用をあらわしはじめた時、フィレンツェの市民、市民の芸術家としてのミケルアンジェロは、若きダヴィテの像をつくった。その後、フィレンツェ市が専制者メディチとの間に行わなければならなかった名誉ある闘い、その敗北の惨苦。一度はフィレンツェ市の防衛のためにサン・ミニアトの丘に立ったミケルアンジェロが、亡命者としてローマに止まり、人々をその悲痛さで撃つばかりのピエタを作りながら、九十年の生涯を終る有様は、波瀾に波瀾を重ねるフィレンツェ市の推移とともに見事な浮彫のように書かれている。
通俗には誤って考えられているこの時代の思想家マキャヴェリの真の価値も、その著作「フィレンツェ史」にふれつつ当時の活動の跡に即して正しい光りに照らし出されているし、メレジェコフスキーの「神々の復活」という小説の中などでは、予言者として怒号の表情だけ誇張して扱われているサヴォナロラの殉教の意味も、当時の進歩とその不徹底の両面を象徴するものとして、この本では明瞭な歴史的判断におかれている。レオナルド・ダ・ヴィンチの生きかたさえ、この本の中では、ミケルアンジェロの精神との対比で見られているために、機微にふれたその歴史への角度を浮き上らされているのである。
更に、著者はルネサンスという時代と人とに関して書かれている主要な著作を、社会・経済・文化の諸部門にわたってとりあげ、その正当な読みかた、学びかたについての指示まで与えている。著者が、心からのおくりものとして、人間の進歩の歴史を愛し知識の明るさを愛するあらゆる人々に、事物の正しい理解の方法をつたえようとしている、そのあらわれの一つと思える。
「ミケルアンジェロの修業・モデルと思想」というところを読んだものは、歴史家である著者がこの大芸術家の識見を正しくつたえつつ、自身の芸術に対する良識と感性によって、おのずから今日の芸術が、特に今一度とりあげて考え直さねばならない芸術上の諸課題にも触れているのを痛感するであろう。例えば題材とテーマとの問題などにふれて。自然というものの感じかた、裸体の歴史性、モデルと思想との相互の関係などを語っている部分は深い示唆をもっている。
中年から以後、ミケルアンジェロの作品がつねに未完成にのこされた、それについてロマン・ロランでさえ個人的に性格の分裂という風に見たりしているのを正してこの著者が「悲壮にも挫折した歴史急転の速度を追って追い抜こうとして、そこにいたるところに残した未完成である」と云っている言葉は、まことに余韻浅からぬものと云うべきであろう。
「ミケルアンジェロ」は「現代の人」の一人によって「現代の心のかぎりをこめて」書かれた人生の色彩濃い物語りであり、同時によしや現代がいかようであろうとも、そこを生きる我々は、歴史の明暗の全面に全心をもってふれ、希望をまもり、生きぬくことで悲傷さえも人類の宝となし得る人間の豊富さに達したいという切な願いを覚えさせる本なのである。
〔一九三九年六月〕