新築地の「建設の明暗」はきっと誰にとっても終りまですらりと観られた芝居であったろうと思う。
廃れてゆく南部鉄瓶工の名人肌の親方新耕堂久作が、古風な職人気質の愛着と意地とをこれまで自分の命をうちこんで来た鉄瓶作りに傾けて、鉄の配給統制で材料もなくなり日々の生活に窮しつつ猶組合の工場へ入って一人の労働者として働くことを
薄田研二の久作は、久作という人物の切ない気質をよく描き出して演じていた。無口で、激情的で、うつりゆく時世を
そして、友代の成功であの芝居が真情的なものに貫かれていたとも云えそうなところに脚本としていろいろ興味ある問題がひそんでいるのではないだろうか。
小説として書かれた「建設の明暗」では友代という女の活動性が謂わば時流にあった形での機械的なあらわれを示しているという批評が一般にされた。原作者の脚色であったそうだから、作者中本たか子氏も、脚色のときはその点に考慮されたところもあったろう。然しながら、舞台での友代の味はやはり何と云っても本間教子のもので、特に、第三幕第一場の、初めて友代が国婦の班長になって会議へ出た報告を、工場の女を集めてやっている集まりの場面の空気など、どうも中本氏が脚本としてそこを描いたときのあと、教子が演じている気持との間に、極めて微妙なずれがあるように感じられ、いろいろと考えさせられた。
本間教子は、友代の素朴な熱心な活動的な天稟のままに
友代の情熱、ユーモア、人間らしい親しみは、いずれも人柄として演じられて成功をおさめているというところも、以上のこととの関連で、芸術上の問題として興味がある。演じいかされているために、脚本にあるそういう本質の課題がつきつめられぬまま、観ている心に舞台の友代は或る共感を与えてゆくのであるから。
場面場面は十分観衆をひきつけているらしいのに、いよいよ久作も工場へ入る度胸が据って目出度しの幕切れの拍手は、案外にまばらであった。これは明るい幕切れであり、或る意味でのハピイ・エンドなのだが、今日の観衆の生活感情のどういうものがそのハピイ・エンドに満腔の喝采をおくり得なかったか、それは俳優よりも寧ろ作者へむかって観衆が今日の現実から与えた意味ぶかいおくりものであったろうと思う。
現代、明るさの真実な姿を芸術に描き出すことは決してやさしいことではなく、事件の目出度い大団円がとりも直さぬ明るさとして納得されにくい例は、別な場合であるが徳永直氏の「はたらく人々」の後半のまとめかたにも見られる。明日への課題として、芸術一般が当面しているむずかしく複雑な宿題と思われる。
〔一九四〇年一月〕