岩波新書のなかに、米川正夫氏の翻訳でヴォドピヤーノフというひとの書いた「北極飛行」という本がある。
これは純粋な文学書ではなくて、ソ連の北極探検飛行の記録である。著者も作家ではない操縦士である。彼の指導によって北極の歴史的飛行が完成されたのち、「如何にして空想が現実となったか」という題の記録を『新世界』にのせた。それを米川氏が着目して、ルポルタージュとして上々のものという評価から紹介されたものである。
二百六十頁に満たないこの本は、実に面白い。読み終るのが惜しいと思いながらも一気に読めてしまう。そういう魅力の深い本だが、その内容がまた幾つもの文化上の課題を暗示するのである。
科学を専門とする人は、この本の中から必ずその方面の少くない示唆を受けることだろう。文学の面にふれてもやはり興味をうごかされる点が少くない。
機械的な仕事に没頭している操縦士が、この北極飛行のような滋味ゆたかな報告を書いたということが、先ず、私たちに何かの感想をおこさせるのである。訳者も云っておられるようにヴォドピヤーノフという人が、凡庸の才でないと云うのは確であろう。だが文化のこととして、こういう科学と文学との健全に綜合された才能の発育の可能がどこからこの貧農の子に与えられたのだろうかと考えると、そこには文化上やはり並々でない分化と綜合の動的関係の在る社会が思い描かれるのではないだろうか。
文化の各分野は、過去の数世紀間、分化によって進められて来た。それぞれの道で専門家というものが、素人に分らない努力と貢献とを重ねて、科学にしろ、文学にしろ、今日のところ迄来ている。それは疑いもない過去の宝であるけれど、例えば今日の日本に見られる文学と科学との関係のありかたなどを細かに観察すると、それがまだ文化の成育の最も望ましい開花であると迄は云切れないような段階にあるのではないだろうか。
「北極飛行」のなかで、この点にふれて最も興味のあるのは、ヴォドピヤーノフが、ナンセン、アムンゼン、ピーリ等が北極に於てとげた功績を詳細に研究して、極北に学術探検隊の営所を創設すること、飛行機の助けをかりて創設しようという、「単純で現実的でありながら幻想的で雄大な
それから一ヵ月経った或る日、彼はシュミット博士からよばれた。そして、ヴォドピヤーノフのすべての案が政府に承認されたことを伝えられる。そのときシュミット博士は「君の原稿をよみましたよ。正直なところ、気に入りましたね。早速行動を始めて下さい」という激励であった。早速瀬ぶみの飛行が行われ、帰って来たヴォドピヤーノフの報告をきくシュミット博士は、次のように質問した。
「ミハイル・シーリッチ『操縦士の空想』の中にある高緯度地帯の描写と現実の間に、何か類似点がありましたか?」
「極北ではどうか知れませんが」とヴォドピヤーノフは答える。「八十三度までのところでは何も彼も符節を合する如くです。覚えて居られますか。私は平静湾の氷は五月に溶けると書きましたが、果して五月にすっかりとけてしまいました。それに、ルドルフ島の天候も私の本にあるのと、全く同じです」
「操縦士の空想」を現実のものとして彼等が北極に学術探検隊をおくることに成功したとき、遙かかなたの首府では、この小説が劇場に上演されていることをラジオで知るそのこともよろこびをもってかかれているのである。
今日私たちの身近にも、専門は科学であるが、文学方面の作品をもかいているという何人かの人達がある。例えばパヴロフの「条件反射」を専攻した林髞氏は木々高太郎氏であり、電気特許事務所長佐野昌一氏は海野十三氏であり、医博の正木不如丘氏はそのままの名でいろいろ作品がある。これらの科学を専攻する人たちの書くものが、日本ではいずれも探偵小説にとどまっているというのは、どういうわけであろうか。ヴォドピヤーノフのように万腔の科学性が万腔の人間的諸要素と結合して、空想そのものが巨大なリアリティーへの可能の導きであるような小説が決して書かれずに、科学を種とする人間の想像力というものが、架空な、知識の遊戯である探偵小説のなかに浪費されていなければならないという或る意味での不幸は、私たちの呼吸している文化のどういう性質によるものなのであろうか。
科学上の知識が、その人々の天性に豊かにめぐまれている、創造、想像の力と結びつこうと欲求されるとき、本質としては架空に主観的にシチュエーションをきめて物語を展開させられる探偵小説へ表現をもとめてゆく第一の理由は、今日の文化感覚のなかでまだ科学と文学とが、一方は非人間的な、純客観的なもの、一方は人間的な主観的なものという二元的観念の支配がつよく存在しているためであろうと思う。社会の一般文化の現実が比較的貧寒であって、科学の諸分野そのものの到達点、そのものの理解、利用面が十分柔軟寛闊に開拓されておらず、同時に所謂科学というものが、旧式の考えかたで、そこに作用する人間性を全く排除しているため、勢い科学と文学との手近な接合点が探偵小説というようなジャンルに求められるのだと考えられる。科学現象は純客観的なものであるにしろ、その純客観的な科学の現象にかかわってゆく際の人間的要因というものこそ、科学が人間の生活圏の中に存在するモメントをなしている筈だ。どうして、そういうモメントにおいて、科学と文学とが渾然とした統一におかれた作品がないのであろうか。
云ってみれば文化の科学性そのものの弱さと、発揚の場面の限界の狭さとが文化の社会的な性格をもってここにあらわれているのだと思う。寺田寅彦氏の随筆にしろ、愛好する人は尠くないが、果してあれらの随筆は科学者としての寺田博士の高さをそのまま表現し得ているのだろうか。つまり、あれらの夥しい随筆は、作家に及びがたい独特の科学精神の文学的表現であるだろうかと考えると、そういうものとはどこかちがって、通俗に云う文学的な面が表現されているのだという印象をうける。文化感情の分裂の形が、ああいう調子の随筆となって表現されていると思える。
一昨年ごろ、文壇で報告文学のことがとりあげられるとともに、素人の文学というものが一部の人々によって云々されはじめた。素人というのは、この場合、職業的作家ではない生活人という意味であって、その動機は、従来職業作家が、限られた作家的日常の範囲でふれ得ている社会現象、社会感情より昨今の現実は更にひろい複雑なものとなっているのであるから、文学において玄人でない人々が、直接素朴な生活の見聞感情から書いたものが、文学のひろがりの中で評価されて行かなければならないという意味であったと思う。
文学の実際としてみると、このことは今日の文学のありようとの関係で極めて微妙な結果をもたらしていると思える。素人の文学が、その生のままの生活感で日本の現代文学をより豊富なものにしてゆく速度よりも寧ろ、素人の文学としてうけいれられてゆくことの底をなしている今日の文化感覚の急速な下降を却って促進し肯定する形になっている方が、影響として顕著であるような傾きがある。
素人の文学ということが評価にのぼる場合、そこには、文学の技術に於てこそ素人であれ、生活人としての敏感さ、文学以外の専門における透徹性或はその社会的行動への内省においては、決してマイナスのもののないことを、それどころか生活的な意味の明瞭なプラスのあることを条件とするのが本来であるのは、おのずから明らかなことではないだろうか。素人の文学が、片言風の面白さだの、単にその経験の素材の珍しさだのでだけ評価されなければならないほど、日本の文学は窮乏していないであろう。
文学の側から素人の文学と云い得るものの最もすぐれた美しさの典型の一つとして、私たちの心は科学に従事する人から、真の科学と人間の諸現実を描いた作品を、期待するわけでもある。
文学と科学とが、私たちの感情のなかで分裂している状態は殆ど悲しい蒙昧であるとさえ思う。文学の仕事をしているものの果して何人が、今日自分たちの想像力、ロマンチシズムの根柢を科学と人間との動的の可能性の上においているであろうか。
科学者と云われるひとたちが、自身の誤った文学性で折角の科学的観察や記述の価値を混乱させている例は、ファーブルやシートンにも見られる。チンダルがアルプスの氷河をかいた作品などは、文学として素人であっても、科学的な態度の一貫した観察と記述の美しさで、独歩な魅力をもっているのである。
文学が科学に向った想像力においては殆ど常にあわれな架空性に陥り、科学がその文学的な想像力においては、やはりとかく憫然たる架空性に陥らざるを得ないという今日の文化のありようについて、私たちは真率なかなしみと、それからの成長の熱い願いとを抱いてよいのだろうと思う。
〔一九四〇年五月〕