文壇はどうなる

宮本百合子




          一

 大正五年頃、つまり私が最初に小説を発表した時代――ちょうど、久米正雄君や菊池君や芥川さんが『新思潮』からだんだん乗り出して行った時代で、文壇というものがまだハッキリ形を持っていた。それで自分のような生活力は旺盛だが並な気持で生きている人間には、その時代の文壇というものが、恐かった。大へん特別で、口を一つきくのでも智慧を廻して云うようだし、盛に神経の磨きっこをするし、外からゴシップを読んだだけで、一寸閉口なくらいだった。時代やまた仕事をしている時間から云えば、当然自分なんかはいわゆる文壇的な存在なのだけれども実質的には至って文壇の外の人間だった。
 だんだん社会の状勢が変って来て、このごろでは文壇というものが、商業化したことがハッキリ判る。昔の『新思潮』が作家を送り出した時代の文壇は――つまりインテリ貴族で文壇をつくる根本の気持が芸術至上主義的で、世間の人間――俗人とは俺達は違うぞという気分の上に立っていたと思う。今ではインテリの商品価値がブルジョア経済の上で下落して来た。文学で云えば、ブルジョアの社会が行き詰まったと一緒に、文化もほんとうの創造力を失って来たから、インテリ・ブルジョア文学が、一般的に云って退屈だ。面白くない。だからジャーナリズムは、原稿料が高くなくて実際の大衆の生活と密接な、そして生き生きした、ほんとうの世界的感情を盛り込んだプロレタリア文学を喜ぶ。大衆がそれを喜ぶからジャーナリズムも喜ぶのだ。いわゆる今の文壇は、そういう盛り上って来る新しい力に対して中間的または反動的ブルジョア・インテリ作家が造っている一種の商業的ブロックだ。
 昔、西園寺公が夏目漱石を筆頭に、文壇的名士を招待したことがあった。その時、漱石は、句は忘れたが、折角ほととぎすが鳴いているが、惜や自分は厠の中で出るに出られぬという意味の一首を送って、欠席したという話がある。その時、漱石は仕事がひどく忙しかったらしいと思われるが、ふだんから漱石は政治家嫌いだった。代議士になるのなんかは、馬鹿だと云った。政治に対して絶対不干渉の態度を持つことは、ずっとブルジョア文壇の特徴だった。しかし現在日本のブルジョア文壇が、世界的新興勢力を文化的に代表するプロレタリア文学に対立している以上、文壇的ブロックはただいわゆるどこに在るか判らない文壇という壇上に止ってはいない。ハッキリ反動勢力の御用をつとめていることになる。無意識的にでもその事実は否定出来ない。どこの国でも文壇の状勢はきっちりその時の、その国の政治経済状勢と結びついて変化している。
 例えばソヴェトの文壇についてもこのことは明瞭に云える。一九一七年から二〇年までの、国内戦の後、ソヴェトはレーニンのいわゆる「勝利のための退却」をして国内産業へ個人資本の流用を許した。有名な新経済政策時代が現われた。そしてこの経済的変化はソヴェト文壇に深い影響を及ぼした。

          二

 国内戦当時から、ソヴェトには、新しいプロレタリア作家が、どんどん現われた。農民の中から、赤衛軍に参加して銃を取り工場を守った労働者の中から、それ等の人々は技術的には未熟だが、これまでの世界に在った文学を根本から修正した階級的立場から、文学活動を始めた。
 ところが、新経済政策は個人資本を認めた――云い換えれば、金を持っているブルジョア的人間の趣味、感情がまた再び社会生活の表面へ浮き上って来たことを意味する。この時代は闘士でも非常に煩悶し、プロレタリア作家の間でも苦しんだものが多かった。何故なら、その新経済政策と一緒に文学其他一般芸術の上で、同伴者作家によって代表されるブルジョア趣味が、蔓り始めたからだ。一九二八、九年五ヵ年計画が着手される迄、ソヴェト文壇の有力な作家団と云えば、事実上同伴者作家団だった。
 五ヵ年計画は、ソヴェト経済の社会主義的建て直しだ。農村でも都会でも、内閣そのものの中でさえも、五ヵ年計画完成のためにあらゆる方面の階級的見直しをやった。大衆自身が、また新しい力で自身の行くべき方角と取るべき態度を考え始めた。
 そこで、当然文学の再吟味も行われて来た。どうも、われわれの階級的熱情や苦痛を同伴者文学は一向あらわしていない。それどころか、ソヴェトが建設しようとしている方向とは、逆な方へ目をつけているではないか、ということになって来た。――そこで、これまで実力を次第に養って来たプロレタリア作家団が、大衆と共に文化戦線の第一線に立つようになった。社会の基礎が社会主義的なソヴェトにおいてさえ、新しい芸術組織の中に割り込んでいる過去のブルジョア勢力の比率につれて、文壇にブルジョア的影響をある時は強く、今は次第に弱く与えている。
 だから、日本のようにブルジョア勢力がもう新鮮な文化的芽生えは持っていないにしても、まだ広汎に存在しているところでは、文壇がハッキリ二つに分れ、何とかして生き長らえようとするブルジョア文壇、大衆の意識のハッキリしてくるにつれ、階級闘争が尖鋭化してくるにつれて、力を磨き、根を張り、伸びてくるプロレタリア文壇と対立しているのは当然のことだ。ブルジョア作家は、昔から手馴れた技術を専一に、或は新興芸術派のように商品的新形式探究をやりながら、プロレタリア文壇に吼えつく。しかしプロレタリア文壇はその喧嘩には応じない。
 みな忙しい。みな貪慾に、ブルジョア文壇の完成した技術的遺産を新しい自分達の武器の一つとして利用しようとしている。余すところなく学び取ろうとしている。それは、プロレタリア大衆があらゆる技術を自分のものとしようとする旺んな意思の一つの現われだ。或る時期が来れば文学を支配するものはブルジョア作家でないことは判り切っている。
 これは、「ナップ」中條の一つの予想ではない。今日すでにその階梯が、対立する二つの作家団の日常の文学的行動にあらわれている客観的事実だ。
〔一九三一年五月〕





底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「時事新報」
   1931(昭和6)年5月17、18日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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