私が、ゴーリキイの評伝を一冊にまとめて見たいと思った動機は二つあった。一つは、どちらかというと外部的な事情であった。
ゴーリキイが亡くなった後、私は、数篇の感想や評伝的なものを書いたのでそれをきっかけとして、一冊の本にまとめたら読者も或はゴーリキイを理解する上に幾分の便利をされるのではないかと思ったことであった。
もう一つの理由は、ゴーリキイが偉大な作家であるということが一般の通念になっているために、そこから二つの態度が生じている。その一つは、ゴーリキイを無条件にプロレタリア作家の先達であり、父であると見る態度であり、他の一つは、それに対してやや皮肉に、ゴーリキイが偉いというのは成程そうであろう、だが他にもっと偉い作家というのは何人かいる。何もゴーリキイがなくたってやってゆけるのだし、自分らが、ゴーリキイの真似をしないだっていいのだ。ゴーリキイはゴーリキイだ。そういう態度である。この二つの目立つ傾向は、例えばゴーリキイを記念するために多くの人々が執筆したごく短い感想の中にも看取された。
私は、そのいずれもが、ゴーリキイ自身の発展の意義や彼と新しい歴史的世代の文学の生長との関係を、正当にとらえていないことを感じた。又、或るひとの感想の中には、ゴーリキイの盛大な葬送の光景を写真で見てプロレタリア作家としての幸福を思い、小林多喜二の不幸な生涯の終りを思いくらべた、何という違いであろう、と感慨がのべられており、その比較などもつよく私の心を打った。
私には、こういう幸福、不幸の対比がそれを書いた人自身が自分の生き方、闘いの外部的な表れかたの形の判断の上にも適用するのであろうと思い、不安を感じた。
何故なら、新しい歴史的世代がそれぞれの事情の中で、どうしても経て克服してゆかなければならない困苦、艱難の形は、他のより進んだ事情にあるところと比べて見れば、そこではもう過去になっている犠牲、献身、努力の形態をもって現れて来るのである。
ゴーリキイの生涯の結びと小林の生涯の終りとは、だから、人類の歴史的な発達の展望の上に立って眺めると、決して本質的に幸福、不幸と分けられる種類のものではなく、質に於ては同一の人間的な意欲が、おかれている社会的・箇性的事情との相互的な関係によって、必然的にちがった形で表現され、従って違った形で終結したものであると云われる。
ゴーリキイの評伝を書くことで、私はこれらの点を、はっきりさせたかったし、歴史の動きと作家の箇性との生々しい関係についても語りたく思った。そして、書きはじめて見ると、箇々別々に書いた感想はそのまま役に立たぬことが分り、七月下旬から八月一杯、私はすべて、ほかの仕事をことわって幼年時代から全く新しく書きはじめたのであったが、まだ健康がすっかり恢復していなかったため、過労になって、高熱をだし、九月と十月は休んだ。本が出来上るのは一月頃になりそうな様子である。出版がおくれるので私はこの文章をも書くに到ったのであるが、どうか読者は私の最も良心的な努力の成果に対して期待と忍耐とをもっていただきたい。
〔一九三六年十二月〕