含蓄ある歳月

――野上彌生子さんへの手紙――

宮本百合子




 初めてあなたのお書きになるものを読んだのは、昔、読売新聞にあなたが「二人の小さいヴァガボンド」という小説を発表なさったときであり、その頃私は女学校の上級生で、きわめて粗雑ながら子供の心理の輪廓などを教わっていた時分のことでした。もうそれからでも、ざっと二十年は経ちます。そして、あの当時にあっては大変ハイカラーで欧州風の教養の匂いの高かった作品の中で、母なる作者の愛情と観察につつまれつつ活躍していた二人のヴァガボンドのうち、一人は言語学者としてイタリーへの交換学生として旅立っており、一人はもう若い物理学者として、この新聞を読むであろう学生の一部の人々を指導しているという今日の有様です。
 本年のはじめ、私が特別な非人間的生活を強いられていた間に、漱石全集をよみました。寒い寒い板のような空気の中で、手は懐手が出来るが耳は懐へしまえないから霜やけをかゆがりながら、その日記の部分をみていたら、私にとってまことに興味ある一文に出会いました。
 それは、明治四十二年三月二十日の日記です。漱石は「二葉亭露西亜で結核になる。帰国の承諾を得た所経過宜しからず入院の由を聞く。気の毒千万也。大阪朝日十万円で社を新築すと素川よりきく。妻が寅彦の所へ餞別をもつて行く。シャツ、ヅボン下、鰻の罐詰、茶、海苔等なり。電話にて春陽堂へ『文学論評』の送付(例により三十部)を促がす。売切の由答あり。二十五六日頃再版出来のよし」などと文化史的な興味深い記述の最後に「八重子『鳩公の話』といふ小説をよこす。出来よろし。虚子に送附」と書かれている。
 ホトトギスに、その小説は掲載されたのであったでしょう。発信というところに、八重子とあるから、そういう点では責任をはっきりさせる性質であった漱石は、その日のうちに返事や原稿の所置について手紙を書いたものと思われます。
 この「鳩公の話」は、あなたの作品年表にとって、どの時期に属すものでしょう。所謂処女作と呼ばれてよいものなのでしょうか。この作品の書かれた時から数えれば、既に二十七年間に及ぶ作家生活の閲歴が「黒い行列」の背後に横わっていることを私達は知ります。

 このように時間の推移を逆にさかのぼって、今日あるあなたという一人の婦人作家の性質を考えて見ると、私達は、あなたに現在の、ある若さというものの価値を深く感じます。何故なら、作家野上彌生子の年齢的同時代としては、谷崎潤一郎だの平塚らいてうだの、僅六歳の年長者として永井荷風等があり、それらの人々の生活内容と作品とは、あなたとは全く別様のものです。あなたのように若いジェネレーションの息吹きがその作品の内に照りかえしてはいないのです。
 いつだったか「若い息子」が発表された後の頃であったが、あなたはごく寛ろいだ雑談の間で、こういう意味のことを云われたことがありました。世間のひとはあの作品を見て、私が飛躍でもしたように云うけれども、私はちっとも飛躍なんかしてはいないのよ。ただ子供たちと一緒に大きくなってここまで来たんですよ。私はリアリストとして、自分のまわりを眺めつつここまで来たのだ、つまり、あなたとしては、現実があなたに「若い息子」を書かしめたのであるという感想であったと思います。
 環境的に見ると、あなたの周囲は明治以来の東京帝国大学の系統をひいたインテリゲンツィアの一つの典型であると思われます。教養あるレスペクタブル・ファミリイであり、レスペクタブル・ファミリイと英語で形容するにふさわしい英文学の影響が、単に趣味にとどまらず作家的内容の一部にまで浸透しています。あなたは一人の母として、三人の小さい者たちとともに宵に寝、早朝におきつつ、童話・神話の世界から漸次より社会的な主題へと発展されました。この点も、婦人作家として、特徴的な経歴です。日本の社会的事情は、あなたのような程度の教養的環境と理解との中で一人の若い婦人作家を育てあげ得る、極めて例外的な可能性しか有していないのですから。過去においては勿論のこと、ここ十数年を意味するような近い将来に於ても。
 あなたは、リアリストとしての賢明さから自身の特別条件のよい境遇の価値というものを十分理解されていたと思われます。嘗て「青鞜社」の活動の旺であった時代、伊藤野枝があなたのとなりに住んでいた時代、近くは急速な思想的動揺、歴史の転廻の時代、あなたはいつも其等の新興力に接触を保ち、作家として其等に無反応であるまいとする敏感性を示されましたが、しかし、それは常にあなたとして一定の間隔をおいてのことでした。或る時は理解ある母として、またあるときは理解ある友として。常に一種のグッド・センスをもって、現実の自身の家庭生活に処しておられる。これも、婦人作家の生きかたとして注目されるべき点です。

 この間、瀧井孝作氏が「黒い行列」の印象を読売紙上で書いた時、或る人があなたは日本の婦人作家中最もインテレクチュアルな作家であり、作品中に自分をあらわさぬ、という意味の意見を述べたのを引用していました。けれども果してそうでしょうか。作家がそのようにあり得るものでしょうか? 私は、その論者と反対です。あなたの作品の中には、あなたの作家的全幅が何らかの形で常に露出している、そう信じます。例えば、「小鬼の歌」で、あなたは、あなたをして書かしめている境遇のプラスな面と、あなたをして書くことを得ざらしめているマイナスの面、限界とを、驚くべき率直さでおのずから示されているのですから。そして、賢明なあなたは、そういう意味であの作品が含有している作家史的意味の重大さ及び、作家の才能の真の発展と社会的、境遇的事情との相関関係についての意味深い暗示を与えていることをよく理解していらっしゃるでしょうから。
 作家野上彌生子は、実に勤勉です。自身の仕事については、力量に自信をもって精励であり、研究生のように勉強家です。今日と、明日の社会は、若い時代への健康な同情、人間より意志を理解しようとする良心の極少量さえも熱烈に要求しているのですから、私たちは野上さんが、若い時代の近側にあることで常に自身の芸術を生気あらしめると同時に、若い時代をその芸術によって鼓舞し、洞察力に刺戟を与えられることを切に希望する次第です。
 このような短い文章の中で、あなたについて感想を語ることはむずかしいことでした。
〔一九三六年十二月〕





底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「帝国大学新聞」
   1936(昭和11)年12月21日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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