明治二十年代の日本のロマンティシズムの流れの中からは、藤村、露伴をはじめいろいろの作家が生れたわけだけれども、樋口一葉は、その二十五年の生涯が短かっただけに、丁度この時代のロマンティシズムが凝って珠玉となったような「たけくらべ」を代表作として、その完成において作家としての一生をも閉じた。
一葉が文学を愛する人々の心に一つの絶えない魅力を与えているのは、彼女の生涯と芸術とが、近代文学における旧きものと新しきものがいれかわろうとするそのきのうときょうとの入りまじった仄明りの火に、小さい粒ではあっても真珠の趣をそなえて、自身の真実を語っているからであろう。
彼女から後代の作家は男であると女であるとにかかわらず、荒い大きい濤にうたれて、一葉が「たけくらべ」で輝やかしている露のきらめきの美しさとはおのずから別種のものとなっているのである。
この全集に、未発表のものが多く集められるというのは興味がある。一葉の一生は短かったから、かくされた傑作があるとは考えられないけれども、習作は習作なりに、一葉とその時代とが、文学勉強をどういうものとして考えていたかということからの面白さもある。習作が文章をねるという面からあらわれているか、それとも、或るテーマの発展の種々相を追求する道において書かれているか、そのことは一葉の作家としての本質にふれるものでもあろう。
それに、この全集が幸田露伴氏を監修者としているということにも、私たちの心持にやさしくふれて来るものが感じられる。一葉の日記を読んだ人は覚えているであろう。若き日の露伴が、小石川の小さい池のある一葉の住居を訪ねて行ったことがあったのを。「露団々」の作者として当時既に名の高かったこの青年作家は鴎外とともに「たけくらべ」を讚歎して、小説の
〔一九四一年七月〕