彼女たち・そしてわたしたち

――ロマン・ロランの女性――

宮本百合子




 わたしは、もう久しい間、いつかはそのような仕事もしてみたいと思っている一つのたのしみがある。それは、ロマン・ロランによって描かれている魅力のふかい多勢の女性たちについて、こまかくよみくらべ、おどろくような多様さでいのちづけられている彼女たちの存在の意味をこんにちの歴史の中で明瞭にしてみたいという考えである。
 一九一七年に、そのころ後藤末雄氏によって訳された「ジャン・クリストフ」(国民文庫刊行会版)を読んだときの感銘。それから「魅せられたる魂」の英訳がはいって来て「アンネットとシルヴィ」「夏」「母と子」と一冊一冊おぼつかなくよみすすんで行ったころの感銘。ロマン・ロランの芸術の世界で男は何と男らしく、女は何と女らしく、互の関係の中でいきいきとした人間像を浮き出させているだろう。世界文学は、感銘ふかい女性をいくたりも描いている。とりわけフランスの文学は、歴史のそれぞれの時代に女性の生きた姿をまざまざと芸術のうちにとらえて来ているし、婦人作家自身、どの国よりもゆたかに真実の女性を描き出しても来ている。けれども、ロマン・ロランの女性たちには、一種独得のところがある。多種多様のあらわれかたをしている「ジャン・クリストフ」の世界の女性たちのある資質が、そのみずみずしさ、真摯さ、溌溂さで「魅せられたる魂」のアンネットやシルヴィにまで伸び育ってゆく過程は実に心をひかれる。「ジャン・クリストフ」の世界で、それぞれの女性たちは、その優れた美しさや知性や熱情にかかわらず、これまでどおり、社会関係の中では男に対する女としての角度からよろこび、悲しみ、波瀾にもまれている。彼女たちはジャン・クリストフの感性から働きかけるだけの存在であった。アンネットにおいてはロマン・ロランは男と同様な人間であり、人間の男が男であるとおりに、人間の女が女である女らしさをうち出そうとした。社会関係に対して動的な女性、単に習俗にしたがうよりも自分にとって人生の原則と感じられる動機によって行為を選択して生きる女性。ロマン・ロランは、アンネットによって、最も現代史を積極的に生きとおす可能をもった女性の発端の歩みを示したと思われる。
 明日のフランス文学は、アンネット以後のアンネットを、どのように描くだろう。なぜならアンネットは「魅せられたる魂」の中に自分を限らず、今日ほんとに世界に生きているのだから。世界の平和と正義のためにたたかい、いくたの経験をなめているキュリー夫人・ロットン夫人・クーチュリエ夫人などの活動のうちに誠実なアンネットは生きつづけているし、彼女の善意の試みやいくつかの矛盾は、より解決に向って発展させられつつある。ロマン・ロランの精神の潔白とその人間らしい複雑な美に感動することのできる世界のすべての国々の女性の生活のうちに。そして「私は常に活動的な人々のために書いて来た」(一九三三年)と云ったロマン・ロランの真実にうなずくのである。





底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「多喜二と百合子 第二号」
   1954(昭和29)年2月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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