若人の要求

宮本百合子




 此の間から、いろいろの職場で働いている若い人達の気持にふれる機会を持ちました。
 一番痛切に感じた事は、今日働く婦人達がどんなに勉強したがっているかということでした。東京では麹町神田辺のいろいろの職場に働いている婦人達が集って学校を開きました。全体で七百人も申込があって、毎土曜日職場がひけた後で一時から夕方まで集って、歴史、生活科学、文化の話をききました。一ヵ月が終った時、これ等の人々は、これだけ勉強してみると、ますます知りたいことが多くなったのです。秋からでも今度は、経済、法律の話もきいて勉強したいという希望が出て来ました。この学校は働いている若い女性達が、全く自分で計画して、運営して、経済的にも充分次期計画を実行できるだけの余力を持って第一回を終りました。
 各大学で自由大学や、市民大学を開いていて、新しい日本の文化を民主的な形で、市民の生活の中にもたらそうとしています。こういう所へいってみても、若い婦人の姿をかならず見受けます。
 若い人々は、封建的な日本が民主的な日本に生れ変わろうとするならば、本当に民主的ということは、どういうことなのか、そういうことも知って自分達の明日を明るくしっかりと打開いてゆきたいという熱心な希望を持っています。本当にこれまで十何年かの間日本の私達は何と本当のことを知らされずに来たでしょう。自分達の愛する者の生命にかかわる戦争の真実の姿さえも知らず、国際裁判の記録ではじめて自分達の辿って来た運命を発見する始末です。ですから、働く婦人が、たった一人の実際の要求――例えば、同一労働に対する同一賃銀という誰にとっても切実な要求――を真から解決しようとすれば、結局社会における生産と婦人の歴史的な関係、将来の展望をしらなくては心もとないという心持になるのは、自然でしょう。そういう勉強をしたい若い女性達はこの頃、学校を開いたり、自分達の職場の中で、集会を組織したり音楽や演劇、文学の研究会や同好会をこしらえています。
 労働組合というものは、働く人の生活の全面にわたる幸福を、たかめるためにあるのですから、待遇改善の要求ばかり出すだけでなく、文化部の仕事としては面白い芝居を団体で見たり、良い映画をもって来たり、自分達の仲間で音楽会を開いたり、雑誌を出したりしてゆきましょう。民主的な労働組合の発達した国では、それぞれ産別の組合が立派なクラブの建物を持っていて、スケートリンクや、競技場、プール等持っているところさえあります。
 この働く人々の文化への要求というものはその人々の働きがその社会で、どういう扱いをうけているかということによって非常に変化いたします。働く人の労働力が、その人々を傭っている人、つまり企業家を富ます目的でだけ利用されている社会では働く人の文化の要求は文化的な面で、金儲けをする企業家の餌食となってゆくばかりです。そんな社会では、働く人の本当の人間らしい喜びや苦痛や希望をいろいろな形で表現した文化を持つことは出来なくて、丁度私達がレディメードの服を、裸ではいられないからといって着る様に、こんな物なら売れるだろうと、企業家の商売的な目安からつくられた劇、音楽、雑誌、映画などを、あてがわれてそれに対して自分達の尊い働きによって得た金を払わされてゆきます。
 この頃、何と婦人雑誌が出るでしょう。そしてまた、大部分のものが、何とアメリカシャボンの包紙の反古ほごみたいなものでしょう。どこにもない様に顔の小さい、足の長い美人たちが、それが商売である図案家によって、奇想天外に考え出されたモードのおしゃれをして、たったり坐ったり寝そべったりしています。お互いに愛想のつきるような電車に乗ってつとめへ往復して、粉ばかり食べて下腹がみにくくつき出る日本の今の若い人達が、こういう雑誌の絵にみとれているのを見ると、新円稼ぎの雑誌屋共を憎らしく思います。もう少し親切に少しは本当の“おしゃれ”の役にでも立つ、せめて同じ顔色と髪の毛を持った日本の女が、今の事情で綺麗に暮してゆける役にでも立つ物をみせて上げたらよいのにと思います。暑い時、口に入る一匙の氷はそれを胃に悪いからとばかりいって止められません。本当にそれで歩く元気も出る時があります。音楽にしろ、芝居にしろ、映画にしろ、一匙の氷の様なその時だけの、慰めに役立つものが、すべて無駄だという事は野暮です。しかし私達はその一匙の氷の中にいつかあった様な殺人甘味が入れられているとしたら、一匙の氷は、時にとっての清涼剤だとして安心していられるでしょうか。毎月見る婦人雑誌が、ただただシャボンの泡のきらめきの様なものだということに大した罪はないようだけれど、働いて一生を築いて行こうとする若い女性達の現実の毎日が、日本ではまだまだ嘘で堅められた民主主義で家庭の中の封建性も職場の中の封建性も、根絶やしにはなってはいませんし、労働法もそのままで、今度の議会では御無理、御もっとも式のものである時、生活にかかわる重大なそれ等の問題からすっかり若い人の心が離れてゆくということは親切なことでしょうか。婦人の社会的地位を向上させることでしょうか。
 今日、職場で自分達の生活を正しく理解し、やがては自分達の心持を表現した文化を自分で生み出してゆきたいと思っている若い婦人達の動きは非常に着目され、楽しい未来を期待させます。文部省は新しい教育をしようとしているかも知れませんが、東京女子大にしろ、津田英学塾にしろ、学生達の生活はみじめなものです。社会問題について研究会すら持たされません。その婦人達がやがて選挙権を行使するのですからその人々のためにも、日本のためにも、不倖せなことです。これに反して、働く職場の婦人達は同じ年齢でもはるかに社会生活の真只中にあって、自分達の力で組合を強くさえすれば、文化的な面、娯楽的な面も、だんだん自由に伸びてゆく可能性をもっています。
 本当の民主主義が働く多数の人々を中心として前進するものであるという真実が、ここにも現われていると思います。若さは多くの要求をもつものが自然です。そして若さはそれを率直に実現してゆく権利をもつはずです。
〔一九四六年九月〕





底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「月刊労働文化」
   1946(昭和21)年9月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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