現代史の蝶つがい

――大統領選挙の感想――

宮本百合子




 こんどのアメリカ大統領選挙でトルーマンが勝利したことは、デューイをおどろかしたばかりでなく、日本の一部のジャーナリストをだいぶめんくらわせたらしかった。日本時間で十一月四日の午前、トルーマン当選確定となったあと、東京のあちこちの印刷屋に駈けつけてとりいそぎ目下進行中の新年号の雑誌の特輯の中から大統領ときめこんでとりあつかったデューイの、或はデューイ氏に関する記事のさしかえをしなければならなかった雑誌社がいくつかあったということだった。それがでたらめの噂でなかった証拠には、トルーマンの当選が確認された翌五日、『朝日新聞』には、『主婦之友』が先ばしりの悲喜劇をあらわにして、特派記者による奇蹟的会見記という特報でデューイ夫妻会見記を仰々しく広告している。このでんで、『主婦之友』は戦争中は半分ほのめかされたことさえまるままの一つとしてのみこんで婦人を戦争にかりたて、軍部御用に精励した、あのころのことも思い出された。
 アメリカに、いくつかの世論調査機関がある。なかでも、ギャラップ博士の米国世論調査所は、日本でも或る種の権威をもって見られて来た。リーダーズ・ダイジェストをはじめ、日本人が日本で出す新聞や雑誌でも、アメリカの世論統計を引用する場合には、しばしばギャラップの世論調査をつかい、ギャラップの調査の科学性と確実性とが語られた。
 大体、これまでの日本には統計さえろくなのがなかった。とくに戦争中は各官庁が全く自身の統計を失った。民間の経済雑誌に、国際間の経済統計、生産指数などの発表されることを禁じた日本の軍部は、そうして世界の現実を人々の目からかくしたと同時に、非合理な戦争によって熱病のように混乱、高騰、崩壊する日本国内生産と経済事情を――人民生活の全面的な破壊の過程を人々の目からかくした。一九四六年のはじめに、仕事の必要からいくとおりかの統計が必要となって、内務省、厚生省、文部省その他を求めさがしたが、それらのすべてのところで与えられた答えは一つだった。何しろ戦争中は、統計がとられなかったので、と。もちろん、戦争の間にとられた統計はあったのだ。さもなくて、どうしてすべての若い女を勤労動員し、すべての学徒の、文科学生だけを前線にかり出すことが出来たろう。献金、献金、供出、供出と強要できたろう。八月十五日が来たとき、日本じゅうに灰色の煙をたててそれらの血ぬられた統計は焼却された。
 官僚統計さえ、その多くは焼きすてられなければならなかったような日本の実状へ、新しく響く民主化の声は、世論、というものの意味を人々に知らせはじめた。人民がどんな意見を云おうにも口をふさがれていた数年がつづいた日本では、公然と自分の意見を人前で発表することさえ八月十五日以来の新習慣であった。ある一つのことについて、日本の多数の人々の意見の総和が判断の基礎となって決定される。世論調査はそういう意味をもって行われるということまでは、こんにち殆どすべての人がのみこんだ。けれども、いわゆる世論調査がどのようにして行われるか、そしてあらわれた世論調査の結果はどのように利用されつつあるか、ということについて、必要な監視を自覚している人々は、まだ決して多くない。
 つい先頃、吉田内閣ができようとしていた数日前、『毎日新聞』は、各政党支持の世論調査というものを発表した。その世論調査では、吉田総裁の民主自由党が第一位を占めていた。『毎日新聞』の発行部数は百万と二百万の間と云われている。日本では、まだ新聞とラジオは天下の真実しかつたえないものだと信じている素朴で正直な人々がどっさりある。政府のいうことなんか信用できないと云いながら、その政府に扈従こしょうする言論や出版をそのまま権威とする素朴さがある。あの世論調査を心ある外国人が見たら、何と感じるだろう。おそらく、日本の不幸というものの底知れぬ深さにおどろきを禁じ得ないと思う。この生活苦にあえぎ、悪税・物価高にあえぎながら、日本人の大多数がなお無条件に純然たるブルジョア政党、反民主政党を第一位に支持しているのだとすれば、その政治に対する無知と無判断なならわしは救うにかたいと悲しむにちがいない。日本の民衆が、永年の間逆宣伝によって現在でもどうやら恐ろしいもののように思いこまされている共産党をさけ、同時に従来の特権勢力の溜りである自由党もさけて、せめても、を心だのみに投票して政権を与えた日本社会党は、あのような醜状をさらして、どんなおとなしい人の心にも幻滅を与えた。そのような日本の民主化の、たねぐされをしんから気の毒に思うだろう。
 実際には、『毎日新聞』の世論調査が示しているようにブルジョア政党は人民から支持されてはいない。その事実は、この頃の税務所の窓口へ行ってみればわかる。街の老若男女が、強硬不屈に、去年よりは十倍と新聞に報じられている所得税の誅求に対してたたかっている。
 世論調査には、莫大な費用がかかる。人手もいる。そのために、その費用の支出にたえ調査機関としての人手をもち、同時にその世論調査そのものがそれを行う経営にとってあるニュース・バリューをもって宣伝に役立つ場合、世論調査がとりあげられやすい。日本のように民間の世論調査機関が発達していず、しかも官僚統計は不備不活溌である場合、日本全土にわたる配布網、宣伝網をもつ大新聞が、比較的たやすく世論調査の便宜をそなえている。
 日本では大新聞が世論調査の便宜をもっているということに、小さくない問題がある。たとえば十一月一日に各新聞紙が刷りこんだ読者調整カードというものがあった。あのカードへ、これからよみたい新聞の名をかいて、新聞読者調整事務所といういかめしいところへ送ってやれば、欲しい新聞がよめるというしかけになっていた。これまでよみたい新聞がよめないで、代りにとれる新聞でがまんしていた人々は、この際一つをやめて新しく一つに切りかえることも多かったろう。その際、同じとるなら代表的な新聞を、と考えるのが人情だと思う。かりに、そうして小新聞ととりかえられたただ一種類の大新聞が、かりにその世論調査で、日本人の政党支持を、民自党第一位としていたとすれば、その読者に批判力がない限り、やっぱりそうか、という風にその人としての世論もその方向に組織されがちである。内心あやしいと感じながら、その生活者としての本能の声に半ば耳をかしつつ、旧勢力に自分の運命を少くとも或る期間翻弄されるのである。

 世論調査の結果が、かならずしも自然にあるままの社会各層の民衆の意見をあらわすものでないという真実を、世界に公表したのが、こんどのアメリカにおける大統領選挙に関するギャラップその他の世論調査の敗北である。トルーマン大統領の敵手であった共和党の候補者デューイ夫妻の意外さと、ギャラップその他の世論調査所の人々の長い顔とは、一九四八年の世界のユーモアとなった。最も真面目な教訓の一つでもあった。汗顔の至り、という東洋の適切な形容のことばを我身にひきそえて感じた人々は、世界にどっさりおり、日本の中にもたくさんいただろう。この日ごろ日本の新聞としての公器性が失われていることを遺憾に思っている真面目な人々は、十一月三日のほとんどすべての新聞がデューイ氏当選確定とかき、デューイ氏断然勝たん、共和党早くも祝賀準備と、まるで丸の内へんで見てでも来たような記事をのせ、『読売新聞』が第一面の中央に、白堊館の主となる? トーマス・デューイと外国記者の記事をのせたりしていたのを、決してただ眺めてすぎることをしないであろう。それらは、記憶される。日本の人民のうけた意味ふかい教訓として記憶される。実利実益の見込みにからんで国内をつよくひろい幅で流れまわったこのたびのアメリカ大統領選挙の予測の方向につりこまれて、複雑な現実がひきおこす誤差に思いも及ばず、一二の雑誌がみっともなかったとしても、その現象をいたずらに嘲笑することはできない。はい、という言葉とありがとうということばしか意志の表示を知らないように自分の政府によって指導され扱われている日本の人々が、幾年かのちのまたこうした場合に立ちいたって、ついうっかり自分たちの現実判断をとりちがえ、植民地人民の世論調査によれば、などととんだ利用価値を発揮したりするあわれさを示さないように、わたしたちは手堅い自立の訓練を身につけなければならない。

 こんどのアメリカ大統領選挙予測では、ギャラップ博士の米国世論調査所を筆頭に、アメリカのほとんどすべての世論調査機関が、失敗した。十一月六日、七日と『東京新聞』にのせられた小山栄三氏の「世論調査の誤差」は世論調査の技術について素人である多くの読者にとって興味と知識とを与えた。あの記述によって大統領選挙予測で、その調査所の権威を失墜させたのは今回のギャラップ博士の米国世論調査所その他の例ばかりでなかったことがわかった。一九三六年ルーズヴェルトとランドン両候補の間に大統領選挙がたたかわれたとき、当時アメリカにおいて世論調査の最大権威とされていた『リテラリ・ダイジェスト』誌の世論調査が、ランドンの勝利を予測し、誤差一八%で、ダイジェストは「四十八年間の光栄ある世論調査の歴史が汚れてしまった」。一九三六年のダイジェストの調査は調査ごとに五〇万ドルの費用をかけ一千万枚のアンケートを発送し、二、一五八、七八九の回答にもとづいて行われた。この大仕掛のダイジェスト世論調査が、何故にとりかえしのつかない大失敗に終ったかというと、そこには実におもしろい社会の現実のモメントがある。三六年のルーズヴェルト大統領選挙のとき、ダイジェストの世論調査所がアンケートを送りつけた人々の名簿は、電話と自動車所有者からとられたのだそうだった。いかに古フォードがやすく買えて、労働者農民が電話、自動車をつかう率の高いアメリカでも、全国の経済が下降期にあって、農民の恐怖と、破綻を物語るスタインベックの「怒りの葡萄」がベスト・セラーズとなっているのが当時の社会の現実の面であった。ダイジェストがアンケートを送った電話・自動車所有者名簿には、数百万の失業者、もっと多数の半失業者、貧農とその妻たちその娘たちの名はのっていなかった。しかし、これらの名簿から消されながら生きているアメリカの、現実の有権者たちは、いくらかでもましな社会をのぞみ、そのためにましと思える候補者に投票した。
 ダイジェストが失敗した一九三六年時代の世論調査では、ギャラップ博士の調査所が正確であった。なんと意味ふかいプロセスであろう。ルーズヴェルト当選予測を示して、調査の正確さで進出したギャラップ博士の世論調査所が、つづく大戦中、半官的な米国世論調査所と発展し、この一九四八年の大統領選挙でデューイとともに敗退した。ギャラップの米国世論研究所は、ダイジェストと全く似た理由によって致命的な失敗を示した。小山栄三氏は次のようにかいている。「ギャラップがダイジェストと同様に労働階級の投票率を誤算したのではなかったろうか。即ちAFL、CIOの二大労働組合がタフト・ハートレー法撤廃のため一生懸命になって千五百万の組合員に運動し投票所へのかりだしに努めたことに対し、それに適当するだけの数の見本がくばられていなかったのではないだろうか」と。そして「ギャラップの調査員は大部分が女子で、しかも一定の割当人員のだれを選ぶかは調査員自身の決定にまかしてあるため、労働者や下層階級の人を避ける傾向があり、従って多く民主党支持である下層階級の意見が適当に代表されなかったのは、リテラリ・ダイジェストの場合と同様であろう」と判断されている。
 この事実のなかに、現代史の、かくれた蝶つがいがひそんでいる。民衆の意志というその蝶つがいの当然な動きによって、デューイとギャラップその他の側に扉がしまって、トルーマンへのドアが開かれたのだった。

 トルーマンにしろ、デューイにしろ、大統領立候補のはじめから、互に根本的に対立する政策をもって運動を開始したのでなかったことは、われわれにも明瞭だった。ルーズヴェルトの時代、同じ民主党に属していても保守的な南部諸州の見解をおもんばかって副大統領とされていたトルーマンはもとより共和党と同じブルジョア政党の立場だから、独自の政綱というものはなかった。ルーズヴェルト未亡人が、トルーマンを支持しないという声明を出して、それが日本の新聞にも出るころから、デューイの元気そうな笑顔が世界の隅々まで流れひろがった。だけれども、ほんとに平和と民族の自立を渇望している世界の人々のこころは、不安を感じていた。アメリカの正直な人々が自身の名誉ある民主主義の伝統を守るどのような能力を示すだろうかということに絶大の関心をもった。もしアメリカがその巨大な存在において民主性を喪ったなら、その腐敗は本質的にアメリカの社会の崩壊であるし、したがって世界の最大な不幸の一つとなることは明らかであったから、アメリカの労働組合の選挙委員会でも、無政策な候補者やハイボールの泡から生れたような候補者へ投票するようなむだが許される時期ではないと演説された。(『シカゴ新報』)
 ウォーレスの新党が進歩党と名づけられ、むだなかけひきは一切ぬきに世界平和と民主主義推進の綱領を正面にかかげて立候補したとき、あいまいに立ちこめた雲がさけて、ひとすじのつよい明るい光が射出した感じを受けたのは、わたしたちだけではなかったろう。ウォーレスの進歩党は、世界平和とゆたかな民主生活の確立を基本的な要求として主張した。そのための強国間の協力、原子爆弾の禁止、人種的差別の撤廃、マーシャル・プランの廃止、植民地住民の自治原則確立、日独に対する講和促進と占領軍の撤退、中国における民主的連立政権の樹立、タフト・ハートレー法の撤廃、非米委員会活動の廃止、基本産業の国有化と時給一ドル最低賃銀制の確立。ここには第一次大戦後の世界デモクラシー時代から提唱されていまだに未解決な課題が再びとりあげられているとともに、アメリカを民主国家として知る世界のすべての人にとって、それが存在し得ていることを不審に思わせていたいくつかの民主的と見えない法規への廃止と独占資本の害悪に反対する主張が示されている。
 ウォーレスは、保守勢力がその意外におどろいたほど広範な層の同感を集めた。在米の日本人二世の間にも進歩党支部がつくられはじめた。その看板をかかげず、投票権はもたないけれど平和と民主を愛する世界各国の人々の心の一隅に進歩党の支部はその場所を発見したのだった。民主党のトルーマンにも共和党のデューイにも進歩党の政策がないということが共通した政策である、と批判されていたとき、ウォーレスの進歩党はアメリカの人々に、論議に価する綱領を示した。
 ウォーレスの選挙演説に加えられた妨害はひどくて、トルーマンが大統領として、妨害禁止のための声明を発しなければならなかった。妨害を行った二人の被告が、検事から「罰として労役に服すか、ヴォルテールの言葉を一人は五百遍、一人は三百遍書きうつすか」ときかれて、ヴォルテールの言葉を写す方を選んだエピソードも生れた。彼等が幾百ぺんかかきうつしたヴォルテールの言葉というのは次の文句であった。「わたしは君の意見に全く反対である。けれども君がそれを話すという権利は飽くまでも守るであろう。」
 選挙の最後の二週間に、トルーマンは彼を制約しつづけた南部への気がねをふりすて、民主精神に反した第八十議会の失敗を明瞭に指摘しはじめた、と日本の新聞は報じている。所得税の問題、物価問題、人種問題などを漠然ととりあげていたトルーマンは、今やタフト・ハートレー法の非民主性について演説し、世界ファシズムに反対し、強国間の協力の可能について言及しなければならなくなった。ウォーレスの政策の一部をトルーマンの演説の中にとりいれなければならなくなり、そのことによって、民衆の同意を求めなければならなくなった。
 ウォーレスに投票された百十万票は、現代の歴史を正常に発展させるために無限の価値をもっている。トルーマンがブルジョア政党である民主党に属していることには、何のかわりもない。その政党の議員の或るものはタフト・ハートレー法を通過させ、黒人に市民権を与えることについて反対しつつあるその民主党選出の大統領となるためには、トルーマンもウォーレスが正当に主張した、人民の意志を代表する民主的綱領にいくらか近づかなければならなかった。このことにこそ、人民の要求のごまかすことのできない力が示された。トルーマンが公約した民主的政策が実現されるか、それともブルジョア政党らしいジェスチュアに終るかということに対して注目し監視しているのは、アメリカの民衆ばかりではないのである。
 このたびの大統領選挙が世界の視聴を集めたのは、デューイとトルーマンとのたたかいにおいて、アメリカ民衆の民主的な意志と、世界の平和的善意、理性とがどう反映するか、そこが見ものであるからだった。重大さはそのことにあったにもかかわらず、日本では天下りに共和党デューイ個人の当選確実があんなにも注入され宣伝された。このことも日本のわたしたちにとっては忘れられない。

 一九四六年の二月ごろであったろうか。婦人民主クラブが第一回の創立大会をひらいた。会場である共立講堂へニュースのライトが輝いたらしく、派手な空気は、わたしをおどろかした。婦人民主クラブの成立に関係をもった幾人かの婦人が話をした。加藤シズエ夫人もその一人だった。もうそのころ立候補がきまっていた夫人は、婦人と政治的自覚について話し、彼女の見たアメリカの選挙を手本とした。民主的な議会政治では議席を多くしめる政党が政策を実現できる。どんなに立派な政策をもっている政党でも議員が少数では、何も実現しない。彼女がアメリカにいたとき行われた選挙で、ある一人の学者が中立で立候補し、その人格と政策は多くの人の信頼をあつめていたが、彼女の周囲のアメリカ人はその人に投票しなかった。何故かときいたらば、議会内での少数では無意味という根拠から、民主党か共和党かへ投票する、という答えだった。夫人の結論は、民主的政治の実際というものはこういうものだから、日本の婦人はよく自覚して、議会で多数を占める可能性のある政党の候補者に投票すべきであるというのだった。
 かたわらできいていて、わたしの心におさえがたい思いがわいた。果して婦人民主クラブは大きいだろうか。婦人民主クラブというところにあつまる婦人たちの民主的な自覚が大きいと云えるだろうか。既成の大きい力・多数の力ということを強調するならば、小さい婦人民主クラブが存在する意義はないし、わたしたち一人一人のうちにある小さな善意、小さい誠実の社会的な価値とその機能は期待されない。子供が小さいから、よく実利を発揮しないからと云って育てない親があるだろうか。小さい柿の芽生えを、それがまだ小さいから、と無視するだろうか。割りあてられた話を終っていたわたしは発言を求めて「小さいものの意味」についてのべた。政治が、わたしたちの社会的な良心と道義、そして良識の判断に土台をおいた動きである以上、明日に育つきょうの小さいものを正しく評価するということは、全く当然なことではないだろうか。政治について婦人のもたなければならない自覚をもてと云われるなら、それは、政治の事大主義に膝を折ることではなくて、小さいながらまともなたねをより出して、それを成長させる地道な見とおしをもつことではなかろうか。
 ウォーレスの進歩党綱領が発表されたとき、わたしはあの日の光景を思い浮べた。そして小さいものの意義について切実に思った。日本の議会に圧倒的多数を占めて政権をもった政党が、全くその名を穢辱し、投票者たちを侮辱して公衆の目前にさらした数々のみにくさを考えながら。

 吉田首相は、新内閣を組織し、議会を再開した。しかし一般施政方針について演説しない。そのことで紛糾している。施政方針を語らないままで、公務員法案は一気にとおそうとしている。そういう妙なことは何の基盤で出来るのだろうか。吉田は腹の出来た政治家と云われている。事務的に科学的にものごとを処理する人柄よりも、ワッハッハという笑いかたで解決する東洋古風型であると云われる。
 トルーマン大統領がこんどの選挙に勝利したについて、いくつかの大新聞でトルーマン個人の人柄が、新しくとりあげられている。正直だということ、謙遜で熱心であるということ、ユーモラスで人気を集めている、ということなど。だが、トルーマンはそういう個人の人柄で当選したのではなかった。日本の新首相のように、へたぐされしてばたばたと墜ちてゆく諸政党のわきにひかえて、時期を待っていて、政権掌握をしたのでもなかった。トルーマンには民主党のタフト・ハートレー法の撤廃、人種差別の撤廃、物価引き下げ、強国間の協力推進という、明白な綱領があった。それらを要求するアメリカの大衆の意志にこたえる決意を明らかにしたからこそ、その人々の意志に支えられてトルーマンは当選した。ウォーレスの公正な政治的態度にバックされながら。そして、世界の平和と民主を欲する数千万人の注視のもとに。
 日本の新首相が施政方針演説もしないで公務員法案を押しきろうとすることは、古い政治家の厚顔な腹の力かもしれないけれども、アメリカの大統領選挙の生々しい教訓は、日本のわたしたちにも少くない分量の真実を学ばせた。自身の政策さえもたない政党が、何の指図でその国の民衆を支配できるというのだろう。輸入品目録に施政方針がまぎれこんだからといって、日本の民衆が何よりもたしかに知っているのは自身の必要である。その必要にたって投票することの意義を示された。民衆の意志が施政に方針を与えそれを変化させ、その実現を監視する力の現実をアメリカ大統領選挙は日本の数百万の人々に教えた。次の一票には、おのずから、このような人民としての国際的な経験の重みが加えられることは自然である。
〔一九四九年一月〕





底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「日本評論」
   1949(昭和24)年1月特大号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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