国宝

宮本百合子




 法隆寺が焼けて、あの見ごとな壁画が修理もきかないほどひどくなってしまった。されに新聞記事を見たとき、わたしの胸のなかで大きななみがくずれた感じがした。有名であったり、国宝であったりしても美しくない美術品もある。法隆寺の壁画はそのゆたかさ、端厳さに人間らしい立派さがあふれていて、わたしたちの心のなかに親愛と尊敬をもって生きていた。あの壁画が感動的であるのは、画面の素晴らしさが、わたしたちに人間のもち得る美感の高さ、深さを、まざまざとした生命感で直感させることであった。法隆寺の火事で壁画が滅茶滅茶にされたことは、人々に何となし生命あるものの蒙った虐待を感じさせ、ショックは大きく波紋をひろげた。更にこの法隆寺の火事からは、思いがけない毒まんじゅうがころげ出し、責任者である僧は、留置場でくびをつりそこなった。古代壁画がはがれてむき出された法隆寺現代図絵である。また、あらゆる面にはびこっている日本の封建的な官僚主義やセクト主義が、法隆寺の壁画保存にもからんでいて「法隆寺グループ」というものの存在も語られた。散々不評だった下條文相をやめさせるきっかけに、吉田首相は法隆寺失火責任を負わせ、火事は政治漫画をくりひろげた。政府や文部委員会が、こんどの議会で現実に解決する能力のないこんにちの教育問題から逃げる楯として、国宝再認識問題を過度に利用しないようにわれわれは監視しなければならない。
 日本の「国宝」はあわれな歴史をもっている。明治維新の混沌期にもしフェノロサがいなかったら、当時の日本政府は価値のある過去の美術作品を外国美術館でしか見ることの出来ないものにしてしまっただろう。よそから教えられた日本美術の価値におどろいて、「国宝」をこしらえたのはいいが、「国宝」という封印だけがかたくされて日々の実際に適切な国家的な保護をうけていない「国宝」たちのきょうの運命こそ危機にある。「国宝」をもっていると財産税がかかり、贈りものにすれば贈与税、売れば譲渡税。その負担にたまらなくなった美術ボスたちがあれこれ細工をしているうちに、いつかは国外に消えてゆく率も多くなる。わたしたち人民は、自分たちの文化財として「国宝」をもっているのではない実状を自覚すべきである。一旦「国宝」にしたら、もう官僚機構の腐敗のままに薄情きわまる扱いをして恥も知らないやりかたは、何と「赤紙一枚」を思わせるだろう。きょうの辛さに喘いでいる数十万の未亡人、孤児、戦傷者たちは、かつてはすべて護国の宝であったのだ。法隆寺の例にむきだされた行政官僚の文化に対する無責任は、二月二十一日の読売にのった高瀬荘太郎文相の私立学校つけとどけ木戸御免説となって再現している。本来は人民の文化の富であるはずのものが、おかしな方法で処置される例は、この間アメリカへわたった湯川秀樹博士の純粋の銅塊というものにも見られる。湯川博士のその土産は世界の学者をおどろかしたというのであれば、純粋銅というものは科学的に珍しいものにちがいない。けれども博士は、日本にそういうものがつくられたら、それをアメリカへ土産にもってゆく、とはひとこともいわなかった。こっそり運び出された。そして、あっちで学者がほめた、というようなニュースとして、わたしたち日本の人民に逆輸出されてくる。これがおかしくないことだといえるだろうか。
 万葉集の立派な写本は宮内府図書寮とかにあってお歌所の長である佐佐木信綱博士しか見られないものだったそうだ。マチスやユトリロの名画は、日ごろは特定の個人に秘蔵されていて、盗まれ横領にあった騒ぎではじめてわれわれ人民の耳目にふれて来る。旧所有者たる貴族、華族の経済的崩壊にともなって「国宝」の人民的保管の必要は焦眉の急である。美術的国宝を社寺とひきはなすことも緊急である。
〔一九四九年三月〕





底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「青年新聞」
   1949(昭和24)年3月1日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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