一九五〇年度は、青少年の犯罪が一般の重大な関心をひいた。
青少年の犯罪は、ふっとそんな気になって、ついやられてしまう。それが習癖にもなる。そのついやることは、きょうの社会のわれ目が巨大であり非条理であるに応じて、大きい規模をもち、非人間性を示す。「希代の少年空巣。年にチョロリ三百万円」(十二月十三日、東京新聞)、「アゴで大人使う少年強盗」(十二月十六日、東京新聞)そして、日大ギャング事件の山際・左文の公判記事は、大きく写真入りで扱われている。
信濃教育会教育研究所が、小学生の行動について父兄が問題だと考える点を調査したら、「無作法」各学年を通じて七〇%、「根気がない」三年七六%、六年七三%、「理窟をこねるが実行力がない」各学年四二%そのほかだった。青少年の育ってゆく精神によりどころを与えることが必要だということは誰のめにも明らかになっている。文相天野貞祐が、各戸に日の丸の旗をかかげさせ、「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巖となりて苔のむすまで」と子供の科学では解釈のつかない歌を歌わせたとして、ピチピチと生きてはずんで刻々の現実をよいまま、わるいままに映している子供の心に、何か人間としての秩序を感じさせる力をもっているだろうか。九歳になるひとりの女の子は、その父親とこんな問答をした。「パパ、君が代って昔のうた、知ってる?」「知っているよ」「きょう学校でならったの」「ふーん。どうだった?」「むずかしいのね、ほかの歌とちがうんだもの。とてものろのろうたうのよ、むずかしいわ」
戦後の子供がラジオを通じレコードを通じ、なじんで歌う歌は、軽快に、明るくたのしく、リズミカルであるように、と児童の心理に即して選ばれている。君が代が歌そのものとして、歌う子供たちにわけのわからない義務感しか与えていないとすれば、君が代に対するとしよりの郷愁は、もう一度考え直されなければなるまい。
修身科をおくかおかないかも論議まちまちで、修身がほしいと考える人々でさえも、教育勅語的修身を拒否したのは、こんにちの日本として当然であった。子供のために修身を、と考える親の心には、きょうの世相をかえりみて、子供の未来、日本の将来に、人間らしい生活をうちたててゆく自立した精神の源を欲する願いが切なのである。
北九州の小・中学校の先生たちは、昨年六月二十五日以来、青少年の窃盗事件の頻発に悩んでいる。クズ鉄の価がはね上った。子供たちは、工場の地べたにおかれているクズ鉄、クズでない鉄、手あたり次第に、ひろって来るようになった。アルバイトの一種のようにさえ思っている。そういう子供たちに対して、厳粛に訓戒するために、先生は非常に困惑を感じるそうだ。場所がら「特需」景気がふきあれていて、家庭にも朝鮮景気が侵入しているし、新聞雑誌などでも朝鮮の動乱で日本は儲かっていいという話がおおっぴらにされている。全体のそういう火事場泥棒めいた雰囲気のなかで、先生の正直であれという声は、案外にも、だから先生んちはいつも貧乏なんだね、という子供のひそひそ話をひき出しさえしているのである。
十二月四日から一週間、「人権擁護週間」が行われた。読売新聞が(七日)社説「人権擁護の完全を期するために」で第一、警察官の民主化の実行、第二、地方刑罰条例の濫発への警告――売春等取締条例・公安条例など「国会で決定せず、地方自治体できめしかもムヤミにつくりたがる傾向」を批判していた。一九四八年に人権擁護委員会が置かれてから取扱った件数八八一七件。そのうち警察官の人権蹂躙事件五〇%。毎日新聞(八日)の社説に、この五〇パーセントが「二十五年には八〇%というおどろくべき数字をしめしている」「官憲による恐怖時代がまだ存在している」とかかれているのは誇張でない。最高検では、青少年の反社会的行為が、おとなのえらい人たちの行為にあらわれている社会的良心の麻痺と責任感の欠如をどう反映しているか、については考慮を払っていないようだ。少年法を二十歳まで適用しては、罰が軽くなりすぎるとばかり心配している。
しかも毎日新聞(十二月十五日)では「反戦・反軍をあおる少年の犯罪が激増しており」それらの子供たちの「逮捕留置」が、いまの少年法では困難だ、と論じられている。わたしたち日本の人民は目を大きくあいて、この一行をよむべきである。東條内閣のとき、反戦・反軍をあおる「犯罪」というものがあった。その嫌疑、その告発によって人々は生命さえおびやかされた。戦争放棄した日本に、いつ、戦争に反対する行為が、犯罪であるとされることになったのだろう。軍隊のないはずの日本に、いつ反軍の犯罪というものが成り立つようになったのだろう。反戦・反軍ということと「犯罪」という観念とを直結した用語の方法のうちにこそ、一九五一年度の、日本人民の人権擁護の
〔一九五一年二月〕