「人間関係方面の成果」

宮本百合子




 地球の人口はおよそ二十一億余ある。その大部分が働く人民である。戦争は、いつの場合にでも決して独占資本家たちの殺しあいではなかった。必ずそれぞれの国の人民を狩りたてて殺しあわせた。アナトール・フランスが「ひとは祖国のために死ぬと思っているが実際には工業家のために死ぬのだ」と云った言葉の真実がある。第二次大戦では、毒ガスの使用その他細菌戦を行わないことが申しあわされたが、思いがけない原子爆弾が出現した。それから原子兵器は、現世紀の悪夢となった。国際政治に対して、あらゆる国の人民が重大な関心をむけ、原子兵器使用禁止のために集団的に発言しないではいられなくなった。なぜならナガサキの例をみてもヒロシマの例をみても、原爆で大量殺戮されたのは実に人民であった。軍部の暴圧をしのんで艱難な日々をしのいでいた何の抵抗力ももたないおとなしい人民の男女、老人子供たちが、日本列島を戦略地点として確保することをいそいだ原爆によって、屍を重ねたのだった。
 残酷、破壊という字を知っていないもののようにくりかえされる「戦争」について、人間の天性のおろかさを歎く声は絶えない。科学の発達が、益々大規模な戦争を可能にし、大規模になるということは益々罪のない穏和な人民の大量を殺戮することである事実に、深刻な現世紀の人類的悲劇を見るのは、戦争放火者たち以外のすべてのまともな人々の心情である。だからこそ世界の良心的な科学者たちが、ジョリオ・キューリーをはじめとして自身の能力の所産である原子兵器使用禁止を、このようにも誠意と永続性とで要求している。
 一月一日朝日新聞の第一面に「バンチ湯川両博士対談」がのった。「人類互に理解と尊敬を」もつべきだというテーマの対談で、黒人博士バンチの談話は現実に平和のために働いている人としての具体性が感銘を与えた。ラルフ・バンチ博士はパレスチナ紛争調停の功によって、黒人として初のノーベル賞受賞者である。
 バンチ博士の話の中で次の数行に関心をひかれた人は少くないだろうと思う。「人間は社会関係の方面では、自然科学の方と同じような天才を示さない」「自然科学者は自然を制御することによって」「人間が人間自身を世界から消滅せしめ得るようなものを作った。」「しかし社会科学では幸か不幸か、こうした天才が現れていない。もし社会科学者が人間は人間と生活するという極めて簡単なことに同様の天才を示したならば、この世界は全然ちがったものになるであろう。もしわれわれが科学の成果に加うるに人間関係方面の成果をもつけ加えることができたならば、この世の中は完全なパラダイスであろう」「むずかしいことは、人間関係の進歩は自然科学の進歩と歩調をあわせなかったということである」云々と。
 一九〇〇年にはいってからこんにちまでの世界史を虚心にしらべてみたとき、わたしたちは、人間関係の進歩が科学の進歩と全く歩調をあわせなかったといい得るだろうか。バンチ博士は博大な彼のヒューマニズムと偏見の拒否にかかわらず、現代の世界に、科学の成果に人間関係方面の成果を加えようとするものとして、社会主義社会ソヴェト同盟が存在している事実を見おとしている。ソヴェト同盟はプロレタリア階級の革命という道を通って、すでに三十四年間実在し、第二次大戦では、ファシズムとのたたかいに於て連合国中最大の出血に耐えた。最近では中国が、アジアにおけるヨーロッパ植民地の鎖をすてて人民共和国となった。ここにも新しい人間関係方面の一つの明瞭な成果があらわれてる。プロレタリア階級の独裁とはおのずから異ったその民族にとっての現実的な方法で、中国四億の人民生活――人間関係方面は変化した。ヴェトナムでも、人間関係方面は刻々に変化しつつあり、朝鮮における人間関係方面は、こんにち世界の注視をあつめた変動のもとにおかれている。
 国連参加国の内部で、公然と科学の暴力を使用せよと叫んでいる者たちがあることは、もはやかくしようのない世界の事実である。バンチ博士の見解と行動にノーベル賞を与えた人々は、彼の善意を国際政治の道路掃除夫或は屍体処理人夫たらしめないために、誠意をもって科学の成果と人間関係方面の成果との公明正大な結合を承認すべきである。科学の天才にたのんで、非人間的なグロバリズム(全地球主義)に支配される国連に、新しい人間関係方面の成果をもって中共が参加しなければならないし、ソヴェト同盟のすべての発言をデマゴギーめいて解説しないではいられないというあやまった神経症が治療されるべきである。ソヴェト同盟、中華人民共和国、朝鮮、ヴェトナム、これらの民族は、それぞれ近代帝国主義の発展とともに、屈辱と辛苦とをなめつくして、ついに新しい人民の運命の戸口を開いた。その経験から、人間関係方面の何かの成果がひきのばされないはずがない。アメリカの大審院判事W・O・ダグラスというひとがニューヨークのある晩餐会で話したという言葉がつたえられている。「いまや世界の各地には、かつてアメリカでおこなわれたと同じような革命が進行しつつある。大切なのはこれにたいする管理と指導である。将来この時代を記すにあたって、アメリカが反動、暴政、圧迫によってこの闘争を弾圧したということになれば、これは恥ずべきことになるだろう」「もしアメリカ国民が、他の国家の人民にたいするスポークスマンの役目を軍人に許すならば、それは現代の大悲劇となるであろう」と。
 現代まで科学の成果が集積されて来た跡をかえりみれば、ギリシア時代からオッペンハイマーの業績に到るまで、ただ一つの発見、一つの実験の成果でも洩れなくあつめられている。それだのに、日本においても他の資本主義国においても人間関係方面での実験とその成果とは、それが二百年も三百年もたって古びてしまわないうちは、平静にうけ入れ研究してみようとはされないのは何故だろうか。サン・シモンという名をきいても顔をこわばらせない人々が、会話の中に毛沢東とかスターリンという名が出ると、それが悪口でない限り、髪の毛をさかだてる権利があるように誤解しているのは何故だろうか。
 次の事実がその理由を説明する。アメリカの人民は、一九五一年度は益々増大する軍事費を負担しなければならない。だが、より窮屈に暮さなければならないのは一般の人民で、巨大なコンツェルンの利潤は一九五〇年六月以後の三ヵ月だけで、前年の第三、四半期に比べて五四%増加したそうである。(ナショナル・シティー・バンク・ビュレッテン)
 商業会議所の機関紙『ネイションズ・ビジネス』は十二月号で次の意味を記した。もしアメリカがソヴェト同盟の平和提案をうけいれるなら、会社の高利潤は終りになるだろう、と。
 われわれは、人間が理性ある者であることを信じるかぎり、人間が人間と生きるためには、平和が必要だという明白な真実を表白しつづけなければならない。
〔一九五一年三月〕





底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「展望」
   1951(昭和26)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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