今日などはもう随分暖い。昨夜一晩のうちに机の上のチューリップがすっかり咲き切って、白い木蓮かなどのように見える花弁の上に、黄色い花粉を沢山こぼしている。太い雌芯の先に濃くその花粉がついて、自然の営みをしているが、剪られた花故実を結ぶこともならない。空しき過剰という心持がしなくもなく、さしずめ悩ましき春らしい一つの眺めとも云うべきか、今頃から桜が散るまで私は毎年余り愉快に暮すことが出来ない。
春の東京を一帯に曇らす砂塵が堪らないのが第一の原因だ。花曇りなどと云う美的感情に発足したあれは胡麻化しで、実は
けれども、今年は綺麗な桜が見られるだろうと楽しみにしている。私は或る郊外住宅地の住人となっているのだが、そこに見事な桜並木が数丁続いている。秋、落葉の頃もよい眺望であったが、花が咲いた暁、或は月のある深夜、人気なく花をいただいて歩いたら、さぞ興深いことであろうと思う。日本の春の美の一部がさっと本来の情趣をもって私の心を魅するであろう。
〔一九二七年五月〕