田端の坂

宮本百合子




 芥川さんに始めておめにかかったのは、大正六年の多分三月頃のことだったと思います。まだ私が羽織を着ていた憶えがあるから。久米さんと一緒に或る午後遊びに見えました。『新思潮』がまだ久米さん方によって編輯されていた時分で、その時私は十九になった位のものでした。
 芥川さんは、大学の制服の膝をきちんと座布団の上に坐って――確にあれは制服だったが、でも、大学を一体芥川さんは何年に出られたのかと思って、今、年譜を調べて見たら、大正五年七月英文科を卒業とある。そうすると、六年と思ったのは五年の秋ででもあったのだろうか。卒業して翌年になって芥川さん制服を着てはいらっしゃらなかったでしょう。――
 何年だったか、兎に角その或る薄ら寒い午後、芥川さんは制服の膝をきちんと折って坐って、ぽつぽつ喋りながら、時々、両肱を張って手を胸の前で合わせては上から下へ押し下げるような風をなすった。
 やがて夕方になり、三人はお鮨をたべた。トルストイの「戦争と平和」の話が出て、あの中の女性では誰が好きか、ナターシャなどと云われた。

 二三年経って或る会で落ち合った時、芥川さんには先よりずっと芥川的風格とでも云うべきものが著しく感じられました。先より話し易い心持で、探偵小説のことや、アメリカの学校のことなど喋った。着物でも夏であったが、黄麻の無地で、髪や容貌と似合っていた。
 その時、別に立ち入った話をした訳ではなかったのに、数日後、私は俥に乗って田端の芥川さんの家を訪ねました。その時分、私は内的に苦しんでいて、その訪問も、愚痴を聞いて欲しいというまでに折れてはいなかったが、自分の芸術の上に確乎としている人に接したい欲求があったと見えます。
 少し極りわるく感じながら玄関で案内を乞うたら、芥川さんは何処かへ旅行中の由でした。また俥にのって私は帰って来たきり、手紙も出さず、再び訪ねる機会もなかった。若しかしたら、芥川さんは最後まで、私のこの訪問を御存じなかったかもしれません。会で話したとき、私の心に触れる人間的なものがあった証拠だったと思います。

 また或る夜、そこは野上さん家で、芥川さん、内田百間さん、中川一政さん御夫婦と私の集りでした。野上さんの謡の先生に、尾上さんという方があって素晴らしい謡だから一遍きかせたいと、招ばれたのです。謡は謡ですんで、内田さん、芥川さん、互に恐ろしくテムポの速い、謂わば河童的――機智、学識、出鱈目――会話をされた。どんな題目だったかちっとも覚えていない。感心したり、同時にこの頃の芥川さんは、ああ話す好みなのかと思って眺めた感じが残っています。作品についても同じ二様の心持が私の内に働いていた。陶器や書籍店の話が出て、私は Gaugh? のカタログを翌日送って上げた。

 その他公開の席でちょいちょい会うきりで、その俥に乗って田端の坂を登って行った時以上私の友としての心持は進みませんでした。
 七月二十四日に私は母を連れて福島県の田舎へ出立した。二十六日の昼頃、私の友達からの電報、新聞、ハガキ一度に来て、芥川さんの死なれたことを知った。急に立って東京に向ったが、汽車の中で日日新聞に出ていた小穴隆一さんのスケッチを見、涙が迫って堪え難かった。あのスケッチを見た人は誰でも芥川さんがいとしいと思ったでしょう。純なよきものが現れていて、これを描いた人はどんなに彼を理解し愛していたか、また愛されるだけのよさ、心のよさ、小心な位のよさを持った彼であったかが感じられた。(写真はどれも大抵きどっていた)
 柩が白い花と六本の小さい蝋燭に飾られ、読経の間に風が吹いて、六つの光が一つ消え、一つ消え、段々消えて、最後まで左右に一つずつの燭が風に揺れながら灯りつづけた。小さい二つの輝は大変美しかった。彼の眼のようであった。その柩の雰囲気と坊さん達の儀式は全然別もので、He went far far away. という心持が迫った。

 駒沢の家へ帰る電車の中で、またも小穴さんのスケッチが眼に泛び、私は腹の底から啜泣のようなものがこみ上げて来て仕方がなかった。告別式場の隅に佇んで、浄げな柩の方を猶も見守っていた時、久米さんが見え、二言三言立ちながら話した。
 簡単な言葉であったが、私はその時今までのごたごたした心の拘りをすらりと抜け、自分がまともな心持で久米さんに物を云い、その顔を見たのを感じた。
〔一九二七年九月〕





底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸春秋」
   1927(昭和2)年9月特別号(芥川龍之介追悼号)
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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