白いところに黒い大きい字でヴェルダンと書いたステーションへ降りた。あたりは実に森閑としていて、晩い秋のおだやかな小春日和のぬくもりが四辺の沈黙と白いステーションの建物とをつつんでいる。
ステーション前のホテルのなかも物音がなくてカーテンのかげに喪服の婦人の姿があるばかりである。
人通りというものも殆どない。明るい廃墟の市の午後の街上を疾走するのは我々をのせた自動車ぎりであった。ソンムとヴェルダンとはヨーロッパ大戦を通じて最も激しい犠牲の多かった北部フランスの古戦場なのである。
ヴェルダン市の市役所のあったところ、大病院のあったところ、学校。それらは今日全くの廃跡である。いくらか残っている石の土台。迫持の柱。静かな秋の日ざしのなかにそれらのものが寂しくくっきりと立っていて、ぽかんとあいている天井のない窓のところに空はひとしお青く見えている。白地に黒で簡潔に
もとの市中をぬけると、砲台のあったぐるりの山々までいかにも打ちひらいた眺望である。数
今日あるものは、満目の白い十字の墓標である。幾万をもって数えられるかと思う白い墓標は、その土の下に埋った若者たちがまだ兵卒の服を着て銃を肩に笑ったり、苦しんだりしていたとき、号令に従って整列したように、白い不動の低い林となって列から列へと並んでいる。
自動車はスピードをもって山へ山へと疾走した。たった一本広いドライヴ・ウェイが貫いている左右の眺めは、大戦が終って幾星霜を経て猶そのままな傷だらけの地べたである。一本の立木さえ生きのこっていることが出来なかった当時の有様を髣髴として、砲弾穴だけのところに薄に似た草がたけ高く生えている。
目の及ぶかぎりに沈黙が領している。少し出て来た風にその薄のような草のすきとおった白い穂がざわめく間を、エンジンの響を晴れた大空のどこかへ微かに
ショウモンの大砲台の内部は見物出来るようになっていた。一行が降り立ったら、薄青色の制服をつけた二人のフランス兵がランターンを手に下げて来て案内した。
秋の黄昏に廃趾の番をしていた兵士たちの肩のあたりが淋しそうである。ショウモンの砲台にはヴェルダン司令部があった。
飲料の貯水池が砲台の奥にあって、撃破されたコンクリートの天井が黒い澱み水の上に墜ちかかっているのが、ランターンのちらつく不安定な灯かげの輪のなかに照らし出されて来る。
グーモンへ着いた時には、落ちかかると早い日が山容を濃く近く見せはじめた。朝夕の霜で末枯れはじめたいら草の小径をのぼってゆくと、茶色の石を脚の高さ二米ばかりの巨大な横長テーブルのような形に支えた建造物がある。近づいてこの厚い覆いを見れば、これはそれなりに記念碑であり又墓でもあった。石の屋根の下にいら草の繁みをわけて三十本あまり銃剣が地上に突出されたままになっている。ここで隊列を敷いていたフランス兵たちが生きながら瞬間に爆弾の土砂に埋められた。
更に一ヤードほど登った前方の草の間に、金の輪でも落ちているように光を放っているものがある。こごんでそれを眺め、私は覚えず息をつめた。
おおこれは一つの小さい銃口であった。生きながら埋められた生命が無限の思いを惻々と息づいている口である。目をとめたものは思わず心を動かされ、その訴えることの深い可憐なる銃口を撫でずにはいられない。ひとりでの力につき動かされてしている自分の振舞いに心付いて、私は幾千の手がこの忘れること難い金色の口に触れたかを思った。生きて強壮な人々は、平和のための会議を何故風光明媚なジェネの湖畔でだけ開くのであろう。
やがてそろそろ薄闇の這いよって来た砲台の裏からまわって、傍のいら草の中に錆びた空罐などの散っている急な小径を下って来た。すると、今朝の霜でゆるんだまま夜にとざされようとしている赤土に、まことに瀟洒な女靴の踵のあとがくっきりと一つ印されているのが目にのこった。そしてそれは何故か私の額の上に刻まれたもののような印象を与えて今日に及んでいるのである。
〔一九三七年十一月〕