帝銀事件として、帝国銀行椎名町支店におこった全行員から小使一家までの毒殺事件は、意味のわからないほど惨酷な毒殺方法で、すべての人の心を寒くした。犯人の目星がついた、つかないと、推理小説家まで動員されてのさわぎのうちに、日は一日と過ぎている。人の噂も七十五日、という日本らしい健忘症のうちに消しさられないことを切望する。
この帝銀事件が、わたしたちに教えていることは極めて意味がふかい。人間を殺すことを平気でやれるように、日夜教育し実践させた戦争の犯罪性が、まざまざと反映している上に、おどろくような権力への屈従癖が惨劇の発端をなしていることである。椎名町支店長は、痛恨をもって、自分が、怪人物の腕に巻いていた衛生局の腕章にけおされて、行員にも服薬させたことを告白している。そして、日本人のわるい癖で役所からというとつい服従する、と歎いて語った。
日本の人民は、久しい絶対主義と封建性とで、お
わたしたち日本の人民は、人民の合議の上で決定される社会の運営法があるのだ、ということを、もっと現実的に知るべきである。民主主義ということは、わたしたち一人一人の常識と正義感と人間らしい矜持に立つ毅然とした態度であることを自覚しなければならない。人民の汗と血が八十一億の金となって官僚をやしない二六四億の終戦処理費となっている。こういうことについて、はっきり目をあけて、自分たちの運命の主人となってゆく努力をしなければならない。
〔一九四八年五月〕