学徒動員ということがはじまって学生が戦線にかり立てられはじめたころ、日本のファシズム権力は、そういう立場に立たされた若い人々自身およびその周囲の理性人の思索なり感情なり批判なりを公表されることを極度にきらった。大学新聞は廃刊させられるようになった。法政大学新聞もやがて同じ過程をたどったのだけれども法政大学新聞は最後まで出来る限り、思想の権利、発言の権利、理性の判断する権利を守ろうと努力していて一九三七・八・九年ごろ言論抑圧の困難とたたかいながら進歩的な執筆者を加えていた。わたしがあの時分どんなテーマについて書いたか覚えていないが、執筆をたのまれるたびに編集者の真面目な熱意に共感したものであった。日本の民主化が迎えるこれからのいく波瀾に向って法政大学新聞のその伝統が正しくうけつがれ、より活発に発展させられるようにと思う。
〔一九四八年十一月〕