黄銅時代の為
○オイケンの偉人と人生観より、p.9
「精神の領分に於ては、個々の部分の総和其ものが決して全体を生じないと云う点に一致して居る」
此は、二人の人間の精神的産物は、二つの傾向の中間であると云う点にあたる。精神的の結合は、その二人が結合した事によって、より高い価値を生ぜしむる点が重要である。
黄銅時代の為に、
トルストイの性慾論中より、
「愛する者とのみ結合しようとするのは――結婚に依ると依らざるの別なく、よし又詩的に小説的に理想化せられ得るとしても――多くの人々が立派なものと思って居る豊富な美食を求めようとする目的と同じく価値のない目的である。」
そうだろうか、自分はそうは思われない。愛する者に対する感情は、此の一句の前に書かれて居るように、性慾を刺戟する肌の部分を現わすに躊躇しない心持で男を牽きつけ、オードコロンで、女を酔わす如きものでないことは明かである。又、自分は、
「更に恋愛もしくは愛する者との結合は決して人生に価値ある目的の到達を容易ならしめるものでなく、却って此を阻害するものであることに気附かなくてはならぬ。」
勿論、配偶者の如何によって、其は明である。