われらの家

宮本百合子




 午後六時
 窓硝子を透して、戸外の柔かい瑠璃色の夕空が見える。
 朝は思いがけなく雪が降って、寒い日であった。
 泰子は、チロチロと焔の揺れる、暖かい食堂のストーブの傍のディブァンに坐って、部屋の有様を眺めて居た。
 中央の長卓子テーブルの処には、母親を中央に置いて弟と妹とが何か頻りに喋って居る。
「ね、おかあさま、酷いのよ。新らしい、ちゃんと作ってある畑をわざと滅茶滅茶に踏こくったり、ガワガワ樹の皮を剥いたりするんですもの、僕驚いちゃったや
「ああああ其那ことをする者はね、決して立派な子じゃあないよ
「此の水毒じゃあないのおかあさま、よ、此の水
 卵色の着物を着た小さい妹は、一生懸命に兄から母親の注意を呼び戻そうとして、大きなコップに水が入ったのを差しあげ乍ら声をかけて居る。――
 黙って此等の家庭的な光景を眺め乍ら、泰子は何とも云いようのない、ひっそりと寂しい心持が胸に湧上って来るのを感じた。
 目の前にあるあらゆる顔、あらゆる家具は、彼女にとって皆馴染み深い、懐しいものばかりである。
 丁度今頃、矢張り斯うやって同じディブァンの上に坐り乍ら、何度、斯様な賑やかな睦しい同胞共の様子を眺めて来ただろう。
 けれども、今自分の胸に流れて居るような一抹の寂しさは、一度でも嘗て味ったことがあるだろうか。
 泰子の良人は、四五日前から短い旅行に出て居た。独りっきりで淋しい彼女は、留守番を実家の書生に頼んで、此方へ寝泊りして居るのである。
 処々に教鞭を取って、平日に纏った休日を持たない茂樹は、試験が済んで、新学期迄数日の暇が出来ると、早速、郷里に父親を訪問する事を思い立った。
 老人は、もう七十歳に近い。近頃、健康が勝れないと云う稍々やや悲観した手紙を受取って居たので、三月には、二人でお訪ねしましょうと云う事が正月頃から懸案に成って居たのである。
「去年も今頃だったろう、あれは幾日位だったろうかな
 少し暇のある夕飯後など、彼等は、小さい一閑張りの机の上に地図を拡げ乍ら話し合った。
「去年? 四月ですわ、十五六日頃じゃあなかったこと、ほら菜の花が真盛りだったじゃあありませんか
「……それじゃあ三月末じゃあまだ寒いだろうな、何にしろ随分時候は遅れて居るんだから
 茂樹の故郷は、敦賀の近処であった。
「だって拘やしないわ。いいわね、久し振りで田舎へ行くのは。えーと、何処でしたっけか、先、忠一さんが被行ったって云う温泉、彼処へ行って見ましょうよ、ね、若しよかったらお父様もお連れして
「――出来たらね
 泰子は、一年振りで、又北陸の田舎を見られる事を相当に楽しみにして居た。
 けれども、三月が押しつまって、出立の日が近づくに従って、始めの息込みが無く成った。
「私、行った方がいいか、行かない方がいいか随分疑問よ、そうお思いにならなくて? 行き度いことは行きたいけれども……ほら、ね? あれがあるでしょう
 そう云い乍ら、泰子は、小さい自分の勉強部屋を顧みた。
 机の上には、書きかけの原稿が散かって居る。もう久しい以前から手をつけて居るものを、彼女は、六月末までに纏めたいと希って居た。新らしい家庭生活が始ってから、まだ一年に成るや成らずの彼女は、主婦としても、妻としても、種々な「最初のもの」に余り多く接して、殆ど心の落付く暇が無ママかった。その為に、仕事は、自ら愧るほど捗取って居ないのである。
 行こうか行くまいかと迷った揚句、泰子は到頭
「私、今度は止めましょう、そして少しでも遣りますわ
と云った。
「其もいいかもしれない。夏に行けるんだから……然し、一人では居られますまい。如何うする? 林町へ行くか……行ったら又お母様とお喋りで駄目だろう
「まあ、真逆まさか毎日喋り続けては居ないことよ
 泰子は、笑った。
「自分の育った処ですもの、私も、偶には『いっさんばらりこ』を聞かないで、さっぱりするでしょう、真個に此処は喧しいんですものね
 全く、泰子達が去年の秋から住んで居る其家は、場所と云い、構えと云い、不愉快極るものであった。
 丁度駒込一帯の高台の端に建って居る、四間の家は、長屋のびっしり詰った谷一つを越して、桜や松の植込みが見える曙町の高台に面して居た。
 夜に成ると、山門と、静かな鐘楼の間から松の葉越しに、まるで芝居の書割のように大きな銀色の月が見える吉祥寺が、大通の真前にあった。
 俥が漸々入る露路のとっつきにある彼女等の格子戸は、前に可愛い二本の槇を植えて、些か風情を添えて居るものの、隣家の煉瓦塀に面して、家への通路らしい落付きは何処にも無かった。
 朝、日が昇ると一緒に硝子窓から射込む光線が縞に成って寝室に流れ込むほど、建物も粗末だった。
 五つの年から、畑のある家で大きく成った泰子は、貸家払底の恐ろしさを始めて味わされた。
 其ばかりか、その附近には、幼稚園の中のように子供が沢山居た。
 狭い庭を取繞いた板塀に添うて、石の段々が、下の長屋までついて居る。丁度学校が仕舞う頃に成ると、夕飯まで、もう一盛り騒ごうとする子供等が、十五人近くも、その石段の頂上、――彼女の庭のつい横手――に集る。そして、あらいざらいの活気を以て、賑い出すのである。
 男の子や、女の子や……縁側の柱に膝を抱えて倚かかり、芽を青々と愛らしく萌え出した紫陽花の陰に、無数に並んで居る、真黒な足と下駄とを眺め乍ら、泰子は、殆ど驚歎して、彼等のお喋りや、誇示や、餓鬼大将の不快至極な、まるで大人の無頼漢が強請ゆするような威圧を聞いたりした。
 六畳の縁に向いた部屋に暫く机を置いて居た泰子は、春の日差しが暖く強く成るにつれて、眩しさを感じて仕方が無く成った。
 檜の植込みや、若々しい新葉の出た樫の木位では、午後二時頃から射す、きららかな日を防げなかった。
 机に向って居ると、いつの間にか、眼が痛むほど、紙が白い反射を起すように成る。如何にか成るまいかと思って、小さい彼女が大きな机を抱えて位置をなおすと、坐りもしないうちに、外では子供達の運動会が始る――。
 我慢しても泰子は、つい不愉快にならずには居られなかった。
「今日は如何うだった?
 茂樹が五時頃帰って来て尋ねると、泰子は黙って苦笑した。
「少しは遣った?
「ええ勿論少しはしましたわ。だけれど堪らないのよ全く。引越しましょうよ 私、真個に――
 引越すと云えば、又如何那面倒と時間とを犠牲に供しなければ成らないかを、只の一度で充分に思い知らされた泰子は、自分で出かけて引越す気には成れないのだ。
 其上、夏の休暇には遠方へ旅行する次手に、家も変える計画が以前から既定して居るのである。
 然し、泰子の気分は、左様云う reasoning ではなおらなかった。
 不快な心的状態は、鼠算に不快な考を産む。第一、当分は移れないと定って居るのに、此程、周囲の不愉快を感じるのは堪らない。――境遇と真正面から引組んで、勇ましく負かせないのが、泰子には自分自身に対して口惜しかった。
 何故、もっと大きく、大きく、あらゆる物音や騒動に動じない心を持得ないのだろう。
 此自愧は、引いて制作上の自責に迄及ぼして来た。





底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
※手書き原稿から起こしたこの作品において、底本は「始めかぎ括弧」以下の会話分を、1字下げで組んでいます。ただしこのファイルでは、当該箇所に字下げ注記は入れませんでした。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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