私が見境いなくものを読みたがり出した頃は、山田美妙の作品など顧られない時代になって居た。一つも読んだことはないが、感情の表現を大体音声や言葉づかいの上に誇張して示したらしい。雲中語の評者たちから、散々ひやかされて居るが、同じ明治三十年に新小説に発表した「平八郎」の評 文学生。 市之進がお国の自殺を見たときの詞は、実に修辞の妙を極めて居るから、少し抜いて同好の士に示してやりたい。曰く
「旦、御新造、やれまツ、自、害か、馬ツ、何といふ、いけませんか、療治は、助かりませんかな、やれ、もツ、こんな綺麗な首に、こ、こんな石榴のやうな痍ツ、(中略)仕様ン無いなア、死ぬなんて、まツ、えツ、も、どうしたら、よう、やい、ひよウ、いけないかなア、助からないかなア、ち、畜生だなツ、ほんとうにイツ」悔しいが我々には、ち、畜ツ、ちえツ、もツ、お、及ばなイツ。
口まね。 ハツ、ヘツ、ヘイ八郎の評でござるか、チツ残念だツ、まツ、ほんとにイツ、びツ、びツ、美妙斎とも云はれる人が、こ、こんなものを書くとは、アツ、もう、仕様ン無いなア。
○この時代、一般にまだ義太夫口調の趣味失せず。美妙のどったんばったん的措辞も幾分その余波にや
○雲中語に、紫琴という女流作家の名が見える。誰であろう。よい作品はなかったらしいが。
○鷸
掻、三人冗語、雲中語をとびとびによみ、明治文学史のよいのが一日も早く出ることを希う。