折たく柴
宮本百合子
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支那事変がはじまって五年、大東亜戦争がはじまって満一ヵ年と十ヵ月経って秋も深くなった。
燃料がどこの家でも不如意になって来ていて、風呂たきは注意ぶかい一家の行事の一つとなった。
いろいろのものが焚かれるようになって来た。物置はそのために隅々までしらべられ、もう十七年も前、駒沢の家から外国旅行に出るとき、遑しい引越し荷物の一部として石油の空かんにつめられた古雑誌も出て来た。どの雑誌も厚くて、いい紙がつかわれていて、昭和二年頃のものである。
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今はもうたきつけというほどのものもない焚物小舎によりかかって火の番をしていた。
家の女や子供たちが昨日疎開して、家のぐるりは森閑とし空がひろびろと感じられる。
古雑誌のちぎれを何心なくとり上げたら、普仏戦争でパリの籠城のはじまった頃のゴンクールの日記があった。
道端で籠を下げた物うりが妙な貝を売っている。玉子などの立売りも出ている。パリの騒然とした街の様子が彼独特の詳細な筆致でかかれているあとに、市役所のアーク燈に照らされた大階段にぎっしりとつめかけて国民兵の募集に応じようとしている市民の群が描写されている。これらの顔色のわるい人々、折から雨に外套もなくぬれながらなおぎっしり階段をうずめている群集を、ゴンクールは傍観的に描いている。「彼等は国家の危急に赴こうとしている」、と。ゴンクール自身は、政治として、この包囲を見ており、それを失敗として見ている。だが、民衆は、祖国の防衛として肉体をもってそれを感じ、そこに身を挺している。彼等灰色の人々に光栄あれ。
フランスの知識人は「政治」と「政変」とに飽きて、「政治」について妙に観念化された。
それがそこから離別することが人間的誠実とは思われる習慣となり、やがて悪癖となった。
バルザックが、たとえ混乱を被いがたいにせよ、政治をも人間生活の現実として見る力のあったことは、彼が偉大な作家であったことをはずかしめない。
バルザックは嘘偽も人世のリアリティーの一つであることを正視する勇気をもっていた。
ゴンクールが自然主義作家であったが、大なるリアリスト作家でなかった所以。
そして、フランスの知識人は、彼等の人生に正当なおき場所で政治をうけとり直すために全く大きい自己の犠牲と努力を要したのである。
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北原白秋の『近代風景』はなつかしい。
ここに梶井基次郎の「筧の音」という散文詩があった。
問答
「妻たち」が真面目な卓れた作品である。そういう話が同座の人々の中で一致した。あとで、或る人が「しかし、あの人の作品は、純粋であろうとして、現在出来上っている境地をこわすよりは、それを守ろうとする傾向が強いんじゃないですか。その点やっぱり志賀直哉のすじを引いていると云えるんじゃないかな」
「志賀さんが男で、あれだけの天分と、経済力とをもって自分の境地を守り得るのと、一人の女の作家が、いまの世の中でめぐり合うものとは、全くちがうんじゃないでしょうか。防ぎきれるものですか、否応なくこわされますよ。内からも外からも。だからこそ『妻たち』が書けたんじゃないかしら。私たち女はそこのちがいが大したものだと思うのよ」
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