「緑の騎士」ノート

宮本百合子




一、リュシアン
 ソレルとは全くちがったリュシアン・ルーヴェン。一八三二年六月五日、六日ラマルク将軍の葬式に際し60[#「60」は縦中横]名のポリテクニック学校生徒(理工科学校)は禁足令をやぶって制服のまま葬式に参加した。リュシアン・ルーヴェンもその一人。退学させられた。二十歳
○父はヴァン・ペテールス・ルーヴェン会社組合員、ブルジュア。名銀行家
○リュシアンは槍騎兵二十七連隊付少尉となる。(月に99[#「99」は縦中横]フランかせぎたい 一個人間として自信をもちたい)
○リュシアンはナンシーにゆく。陰気で保守的な反政府的(反ルイ フィリップ)な反ブルジュア的な王党派の町。くさるリュシアン
○小麦商ボナール氏のところに部屋をもった。前には中佐侯爵が住んでいた。それを知らずにリュシアンはかわって反感をもたれてる
〔欄外に〕
 マクシミリアン・ラマルク 1770―1832 はナポレオン帝政時代の名将軍 七月帝政時代にも反対派代議士として有名 コレラで死 葬式が暴動のキッカケとなった ジャンヌ一揆二日間。
○ルシアンの性格は英雄主義 父の曰く
 「お前はアミを高くはりすぎる」p.79 共和主義なんてレッテルとポリテクニックの放校生なんていまいましい汚名を雪ごうと思った。デリケートで気のきいた、むずかしい――そう云った行動ばかりする気でいた。ところが五十四フランのがくぶちと五フランの石刷画(フリッペ)ですむんだ。

リュシアンの日課
   軍務。ナポレオン戦史講義
   騎兵の操兵法(日に二時間ずつ)チェスのようにして
  そういう日課が習慣となって来た、
  p.91―若い少尉のあらゆる感覚が鈍って来た
             ○
 ――殆ど自分自身に対しても深いケンオを抱くようになって来た。
 この時代に共和派のゴーチエと知り合った。(所有地測量部付測量師)六週間仲よくつき合った

p.95○連隊長マレールのリュシアンに対する悪感情

○決闘して負傷したリュシアン 兵士のメニュエルに介抱される メニュエルとリュシアンの感情
p.114 ナンシイの名医王党派デュ・ポワリエ氏
○(舞踊会)の chapter
 ド・シャトレール夫人への恋 彼女のリュシアンへの愛慕
〔欄外に〕
 スタンダールの時代の共和主義者というものの考えかたはどういうものだったのだろう。サン・シモニズムだけだったのか
     ‖
 民衆――プロレタリアートの意味がつかまれていない思想のゴーチエ、これはゴーチエの問題かスタンダールの問題か。
○ブルジョア夫婦に対するスタンダールの嫌悪 p.98

     スタンダールのルシアン

 ルシアン・ルーヴェンも、若くてはげしい気象でしかも矛盾した内的要素をもつ人間としてかかれている。

p.167 するとおれは一生板ばさみだな。
   一方には――
   他方じゃ
p.279 リュシアンは己惚れ男と思われている。しかしむしろはなはだひかえ目な男 ナンシーにおける振舞いは己惚れ
  手紙を見れば少年
○スタンダールはルシアママ・ソレルの場合貴族への憎悪をつよくあらわしている。
 ルシアン・ルーヴェンのブルジョア性として正統派 エゴイスト 礼式ずくめ、過去への執着と、猛烈な共和派を見ている。
スタンダールの内面は、いろんな万華鏡で何人かのルシアンにあらわされている。
〔欄外に〕
 ルシアママ・ソレルがはげしい性格そのもので冷やかになったように、打算したように、ルシアン・ルーヴェンもナンシーの上流社会に対してそうだ。

p.306 現代の行儀作法は正しくて洗煉されている。――その青年独特の、幸福の追求のしかたについてはどうだ。それについてはなんにも分らないのだ。」

     スタンダールの十九世紀観

 「緑の騎士」
p.87 ひとくちに云えば十九世紀の社会はほとんど快楽というものを味わせてくれない。

――「リュシアンも」現代文化が作りあげた数知れぬこまかな作法にそむくまいとしている。そうして、そういう虚栄心や恐怖心があらゆる激しい好尚にとってかわっていた。シャルル九世時代の若いフランス人と云えば、そういうはげしい好尚に血潮をわかせていたものだが。

○p.229 位階あるものが能ある者に対する憤懣。これが十九世紀を悒ウツにしている。
○p.274 エスイタ式教育のギセイになっていた。つまり、彼女は自らを欺いたのだ 彼女はサクレ・クールでひとを欺く術を習った。
○p.346 十八歳のごくつまらない青年が、――
  当今大流行の、女を軽蔑するという習慣をもっている――

     スタンダールの描写

一、パルムの僧院では ウォータールーがおどろくべきものだった。
二、緑の騎士では p.320 以下ナンシーから八里へだたっているN町の機械工弾圧の光景描写
  職工町がすべてとざされて、町の水のみ場の水は猫の死屍でよごされて、八月の炎天の下にくるしむ兵卒 ゾラより Vivid だ。
〔欄外に〕
 スタンダールの小説にある真の新しさ 人間性の追求とその方法の追求。エゴーの分析 リアリズム
 古き十八世紀風なもの 社会的場面の描写 特にサロン

     スタンダールの帝政時代観

 (緑の騎士)
p.28 リュシアンの入った第三師団管轄区の査閲を拝命した伯爵N中将について。
p.29 N伯爵の風采について。
 ――そこには何か一抹の虚偽がうかがわれ、帝政時代とその屈従的精神とを経験した人間らしいところが見られた。一八〇四年以前に他界した英雄どもはまことに仕合わせものだ!
p.30 テランス男爵
 ――彼も戦場では勇敢そのものであったが 帝政時代となってからは、その自信を失った。

     スタンダールのアメリカ観 共和主義者観

 「緑の騎士」No.1
p.80 リュシアンは二つの手紙をうけとる
 一通は おどかし 行李をまとめてうせろ
 一通は 共和主義者 ヴァンデックス等から。
 リュシアンは
p.82「ヴァンデックス輩と同じ思想をいだくほど、過激な正義心をもち合わせていない。なるほど アメリカへ行けばまことに正しい合理的この上ない仲間入りは出来るだろう。しかしそいつらには品がなくてしょっちゅうドルのことしか頭にないのだ
〔欄外に〕
スタンダールのアメリカ「赤と黒」
「選挙のために靴やにつべこべするアメリカ」という風

p.82 しかしおれは味もそっけもないアメリカ人の良識ってやつは大きらいだ。しかし、おれはアルコール橋の戦勝者 若きボナパルト将軍伝の話の方なら血がわきたつのだ。それがおれにはホメロスでもありタッソーでもある。以下 p.83 p.85
p.85 しかし一方民衆におべっかを使うなどということは、おれの力じゃ到底出来ん。アメリカじゃそれが必要だそうだが――
p.86 おれはフランスよりアメリカの方をすきになるわけにはゆかん。おれにとっては金は全部というわけではない。それに、民主主義というやつはあんまり粗野で、おれの感じかたにはたまらないのだ。

     スタンダールの田舎町観

 「緑の騎士」
p.73 田舎では階級同志が敵視しあっていて その間には ごく間接的にでさえ全く交渉というものがない。
p.164 田舎にはまだ熱情が存在しているから。――ここにこそ田舎が幸福である所以のものがある。
p.328 田舎というものは なにごとにつけても猫をかぶらなくては生活できないのだから。
p.223 スタンダールの社交界観





底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
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