一月一日
(土曜)小雨。
〔欄外に〕
四時すぎてから三人で出て、日比谷へオーケストラの少女を見にゆく。ストコフスキーという者の指揮ぶりを見てハハンと思う。ああいうのは一種のパントマイムであって、あの位の演奏者の技術がなければストコフスキー存在出来ない。あの気どりかた! 一種の大俗物である。かえりに林町へまわりシャケをたべて来る。
四時すぎてから三人で出て、日比谷へオーケストラの少女を見にゆく。ストコフスキーという者の指揮ぶりを見てハハンと思う。ああいうのは一種のパントマイムであって、あの位の演奏者の技術がなければストコフスキー存在出来ない。あの気どりかた! 一種の大俗物である。かえりに林町へまわりシャケをたべて来る。
〔発信〕第一信。こういう内容の第一信とはMも予期していなかったであろう。
起きて下に降りたら栄さんもう大分あみものをすすめている。けさはパンをたべる。それから私はすこし手紙をかく。お礼や鶴公の就職にやら。すぐ夕方になって、一寸郵便を出しにゆき、夕飯。そして栄さんかえる。もう風呂に入ってねようとしているときバラさん高島田でやって来る。手拭をもって。ひさよろこんでいる。入毛をかりる約束などしている。十一時すぎかえる。シュトルムの「みずうみ」をよむ。一寸よろし。やはり念頭をはなれぬのはいかに生活すべきかということである。勉強の方法とテーマとはありあまる。それにはこまらない。だが、どうして金をとってゆくか。この問題の解決は容易でない。又生活の形をどうするかということも。林町の裏へ家を建てさせてそこに住む。――フム。しかし、この時期の生きかたが実に実に名状すべからざるほど大事であるからくさりかかる危険に近づくことは出来ない。床に入って考えて、いろいろ考えて、うとうととなって電気を消してねた。
一月三日
(月曜)曇夜まで待ったがい来ず。フラリと出かけて見た。子供をつれてテムプルを見せたら言葉がよく判らないし字もよく分らないので案外面白がらなかった由。ソバを二人でたべて十一時ごろかえって来た。五銭のコーヒー店を出したらというプランを立てている。何だかよさそう。それだけの話があるだけでも気が楽になり、夜フーフー眠った。三十日以来のことなり。「何かしていてもここんところでいつも考えちゃっていてねえ」
一月四日
(火曜)寿江ひとり。おみやさん。いろいろ音楽をきく。テムパニーが出征しそうだと云って悄気ている。マラーの作品がやれるかやれないかと気をもんでいる由(新響)
夜三吾さん、ヴァイオリンをかえしに来た。彼の楽器はくらべて見ると全く胴がふくらんでいる。ふくらみすぎている。ダンスホールが閉まると、楽士があまってどうなることかと云っている。石井漠この間のトリオの放送をやめた由。ほめてくれるのは首のつながること故結構だと云った。
一月五日
(水曜)白揚社へ本を買いに出かける。よく晴れて、さむい風が吹いて、日が照っている。白い雪の上にあるそういう空と日光とを思い出した。実にまざまざと。モスク

つる。合鴨を買って待っていたのだからと云って十時頃になって夕飯をたべた。いろいろ話し。
新 三笠の本のこと。
人民文庫解散。
〔欄外に〕
はじめて水道が凍って午ごろになって湯をかけて、やっと出た。
○白揚社の店員曰ク、森山さんも絶版になさるそうです。
はじめて水道が凍って午ごろになって湯をかけて、やっと出た。
○白揚社の店員曰ク、森山さんも絶版になさるそうです。
一月六日
(木曜)五日にはひとりで来たいと云っていたと云って、夕方ふっとやって来た。二時ごろまであれやこれやを話す。とまる。コーヒー店の話、段々具体的になって来る。うれしい。
一月七日
(金曜)かえりに一寸森川へまわって、林町へゆく。寿、ばらさん。夜国かえる。日曜国府津へドライブすると話している。頭の中をスーと風にふかせたく、行きたいと思う。だが、すこしつかれていて目がまわったりするのに又その午後かえるのはどうかと思い。
ツーさん[#松平正次]、何年ぶりかで逢う。国と二人の話しぶりはこっちできいていて居心地わるい。スケートのような話しかた。
〔欄外に〕
面会。笑って、びっくりして笑っていた。その目で私を見て下さい。
艱難を艱難と思わせない力というものの不思議さ。
面会。笑って、びっくりして笑っていた。その目で私を見て下さい。
艱難を艱難と思わせない力というものの不思議さ。
一月八日
(土曜)〔発信〕第二信
手紙をかいて、一寸おひるをたべて出かける。留守かと思ったら台所の方にいて、おしるこのようなものを御馳走になった。映画を見る。上海。ひどいひどい戦いなり。肉弾ということの意味が実にまざまざとわかった。決死隊というものの内容も。市街戦というもののすさまじさ。
かえりに牛肉をかって来てたべ、話をする。やはり奥の方へひっこんだ家へゆく由。家賃がもっと高いところへ今引越せる生活術というものは面白し。
こうづへのドライブへはやめにした。カゼがなおっていないから。それに横腹のためにもよろしからず。
一月十日
(月曜)「スタンドバーをおやりになるそうじゃないですか、お妹さんと」
「冗談でしょう! やれることとやれないこととありますよ」
「宮本さんの御実家は大変お金持だそうじゃないですか」
「昔からの伝説でね」
――○――
ふらりふらり市場の方から歩いて来たら、むこうから二人づれの女来る。どこの女かと気にもとめず大分近くなって見たら一方は咲、おや誰かしらと見たら、それが寿。バケタりな、ばけたりな。これだから女はいやなり。美味いチョコレートをくれた。咲先へかえる。
〔欄外に〕
生活の全面的再組織ということは実に大問題であり、大事業である。箇人箇人の持っているすべての条件が皆箇的にプラスとマイナスに作用して来ることが余り歴然として居て、実に沈思せざるを得ない。永年に亙ることなのだから、いよいよ重大でなかなか易きにつき難し。本能がアラームを発する。哲人的ポーズ、受難者的ポーズでは、せいぜいよくて偶像になるにすぎず。生きるということは生活するということ也。生理的生に非ず。
生活の全面的再組織ということは実に大問題であり、大事業である。箇人箇人の持っているすべての条件が皆箇的にプラスとマイナスに作用して来ることが余り歴然として居て、実に沈思せざるを得ない。永年に亙ることなのだから、いよいよ重大でなかなか易きにつき難し。本能がアラームを発する。哲人的ポーズ、受難者的ポーズでは、せいぜいよくて偶像になるにすぎず。生きるということは生活するということ也。生理的生に非ず。
一月十一日
(火曜)それから又出かけたら、工合よし。六時頃かえりかけていたら、ガラス戸の外に女客あり。いやがってあわてて送って来て、何のことか親類のお嬢さんを一寸送って、だって。可笑しい。
いろいろ話す。つるやとしようという話。夫婦でいろいろ話せるという方の面が単純に感じられた。話せるという条件が何もプラスだけではないのに。いつか夜中バクハツのとき、ハッと目をさまし、あら一寸何でしょう、何だろうというとたんの夫婦の近さというものを感じた。それに似ている。女の心の滑稽さ、そして又ただ滑稽と云い切れぬもの。
一月十二日
(水曜)
〔欄外に〕
第三信。十二月二十三日の不が、ナーヴァスに消しをつけてやっと届いた。新しい年へのよい祝詞がこめられている手紙。
第三信。十二月二十三日の不が、ナーヴァスに消しをつけてやっと届いた。新しい年へのよい祝詞がこめられている手紙。
一月十三日
(木曜)一月十四日
(金曜)三井
新しい連中、一つことを三度ぐらい云わなくっちゃわからない。そう云ったときの巻舌と顔の表情、軋んでいる生活。
一月十五日
(土曜)〔受信〕本年の第一信着。四日に書いたもの。消印は十四日。
小さい洋服を着た女。「書いてもらおうと思って送っていたが、送るのをやめちまおうかと思って。」逆な話。文化の本質を考えることと、目先の一二冊の消費経済的リンショクさとの対比。こういうところに小市民風な打算がちいさい頭を支配するのかと思ったら、何だか仕事そのものも、いかにも自由学園だと思っていやになった。詩の誤植一つ総がかりでゾーガンするような良心と、大局になると、こういう矛盾した相を示す良心。○おしょうゆとようかんをおみやげ。海岸へゆくようすすめる。
○下のひとが病気になってヴァイオリンをひけない。うつりたい。
○結婚話、千百円で家を買い、別に資本を出してやり、五十円の台所セットを買う由。私のお祝いは灰皿! 五十円の台処セットを買うから何もいらん、というには感服した。そういう家持ちの仕度のあることを忘れていた。おなべをあげようか、とか、時計をあげようかとか云っていたに対して。「生活の窮迫を知っている女のひとだから大変いいと思う。」どういう角度からだろう? よく相当の家では、どっちかというと下の家から来た嫁がよいというが。――
一月十六日
(日曜)〔発信〕第四信。
朝鮮志願兵制。十七歳より。二年。第一期七百人。歩兵。ロマン・ロラン。「大戦のときスウィスで捕虜のために手紙をかいてやる仕事をした。」
負傷している兵士のために手紙を書いてやる仕事、それさえもさせぬ、彼等の不幸に真の同情を抱いているものであるからという理由で。人間的善意のその低度へまでの圧伏。
○医学雑誌の男来。百円足らずの金で一箇の人間が転って行っている姿。課長と飲んだ。ランチでも二円ぐらいのを食うので、ぜいたくになって食堂ではくえない、三十五銭ぐらいのランチ、朝は××会でパンでもたべる云々。
一月十七日
(月曜)事務官が話す。「実は早速手紙をよこして、自分はそういう思想をもっていないどころか殆ど反対の側に近くいるから云々」と云ってよこした方が二人ばかりあります。そういうのは、最近のキカイに適当にカンワしたいと考えて居るわけですが、云々。
話はここから出て来る。ダンピングなり。純毛品はS・F時代には貴重品でねがあがるものなり。「来月ごろでも又上りましょう」「いや、それより早く何とか御通知いたしましょう。ただ私は近くかわるかもしれず」云々。
一月二十日
(木曜)自分たちの家は、これまで二年ともったことがなかった。動坂二月から十一月まで。上落合十月から次の五月まで。ここはどの位もつのだろうねと話していたとき、十二月二十七日が来た。一年に数日不足している。我々の生活の幾変転は、一貫したものがあることによって生じる外面的なことではあるが、やっぱりくやしい。ここを動くとすれば。又すぐどこかにうつる、そういうのはいやである。よくよく考えてのこと。
一月二十一日
(金曜)一月二十二日
(土曜)ひさを戸塚へ手つだいにやる。くたびれて気分がわるいと云ってねていて出かけなかった由。
一月二十三日
(日曜)柳瀬さん来。いろいろの話。娘たち二人、上女学校一年、下小学五年。妻君の死んだときのことその他。
午後からひさ戸塚。
〔欄外に〕
バラを二輪買って来て、テーブルの上のマジョリカにさした。淡黄のバラ。手紙を書いているとさしのびた花からかすかな匂いがして来る。
バラを二輪買って来て、テーブルの上のマジョリカにさした。淡黄のバラ。手紙を書いているとさしのびた花からかすかな匂いがして来る。
一月二十四日
(月曜)執筆禁止のこと、ああいうところでは分って分らない。生活の感情が。内務省へ行った話をする。「そうかい、それはよかった」「するべきようにするだろうと思っているよ」「箇人のことではないからね」云々。深い信頼から来る何とも云えぬ悠々さ。
気分よさそうに、昔ながらの顔つき眼つき。うれしい、いい心持になって、かえってくたびれが出て、眠ろうとしたらバラさん来。ひさ五時半に戸塚へ手つだい。十時頃まで二階でグーグーねてしまった。
一月二十五日
(火曜)〔発信〕第五信
一月二十六日
(水曜)かえりにタバコやにきいて行ったら、もうこの間うち度々きかれたと見えてよく知って居り、同時に或表情をももっている。便利で、湯に近くていい。茶の間のよこがすぐ通れるようになっていて、そこには陽がささないのがよくないが。二十五円な由。いろいろ話し。こっちの顔につけてはなさない眼が切なく、はりきっていて苦し。素朴な信頼にたよっているところ。
一月二十七日
(木曜)〔受信〕一月十□ 日の分が着いた。
この頃すこし調子が整って来た。頭の調子が。云って見れば、一九三二年来のどたばたは今月だけにして来月は仕事にとりかかる。