猿の演説

山本宣治




――昭和四年三月五日、政獲労農同盟の市会議員候補者中村高一氏の応援演説、同時に最後の演説となったもの。

 諸君は数日前に大阪朝日新聞の夕刊にのせてあった一つのたとえ話をおぼえているか。忘れた人又はよまなかった人の為に、そのあらましを繰返してみよう。
 一疋の猿は永年の間一本の柱を中心に、少しばかりのびた鎖につながれて、僅かばかりの餌を飼主から投げ与えられて、露命をつないでいた。
 彼の世界はその柱を中心として鎖の長さ幾尺かを半径とした小さい円である。鎖はカンになって中心の柱にゆるくはめられてあるから、その猿は時々そのカンを引きずり上げて、柱の中途の函にもぐって頭を出しいれしてみたり、最高点までよじのぼって外の広い世界を見渡してみたりした。或いは時に不機嫌になって柱を抱えて叫びながら、その柱をゆり動かして見た。しかし何としても、彼の鎖は猿の力では断ちきれない。又所詮彼の世界はその半径何尺かの円をでなかった。
 所が今や、その飼主はその猿を憐んで、危ぶみながら、鎖りをといて見たら、案外にも猿は永年の鎖生活の惰性に馴れて、今まで許されて居た円より外へ出ようともしない。これを見た飼主は、こんな事ならもっと早く放してやったがよかったと、心ひそかに自分の賢明さを誇ると同時に、鎖生活に馴れた畜生のおろかさを憐んだという、意味の話である。そしてそれ以上に、註釈はついていない。
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 諸君、この話は何を意味しているか、よく考えてくれ。今度の府県議選挙戦の結果をば支配階級はこういう風に解釈して、無産階級という猿は何というバカな動物だろう。せっかく憐んでやって我々自身はこわごわ不徹底な普選でもって、鎖をといてやったにもかかわらず、彼らの活動はやはり昔の狭い円をでないのだ、という意味をことばの外に含ませて、無産者くみし易しとばかりに、勝どきの声をあげているのだ。
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 しかし諸君、我々は、彼らの見くびっている様な憐れな猿ではない。狭い小さい世界の中でグルグル廻りばかりをやっているのではない。
 すなわち、無産階級は多くの鎖でガンジガラミにしばられた一大巨人である。その巨人は今まで眠っていたという事はできる。しかし今や眠りよりさめんとして一度身うごきすれば、忽に多くの鎖の一部はたち切られるのだ。と我々は見ている。
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 諸君、憐れな猿となってその日その日の露命を僅かに飼主のお情にすがってつなぐか、それ共永年の眠りよりさめて自ら鎖をたちきり自由解放の生活を戦いとるか、それは諸君自身の決心にある。一度断乎たる決意さえすればそこには「生活の暗をてらす労働農民党」があって、既に勇敢な戦いを始めている。そしてその党の行動理論は過去の戦の跡にかんがみて正しかった事が実証されたのだ。
 諸君、繰返していう、諸君はその話の猿であるか、それ共私の見たような巨人であるか。もし巨人たらんと欲するならば、その方法はただ一つ、即労働農民党の旗の下に集まる事それである。





底本:「現代日本記録全集12 社会と事件」筑摩書房
   1970(昭和45)年4月25日初版第1刷発行
底本の親本:「山本宣治全集 第八卷 政治論文集」ロゴス書院
   1930(昭和5)年12月20日発行
※冒頭の解説は、底本の親本の編者による加筆です。
入力:sogo
校正:きゅうり
2021年2月26日作成
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