砂と塵挨 だらけの、
いぢけた、倭 い椰子の木立、
くすんだ、黄土 と CHOCOLAT の色をした
まだ一度も生血 を嘗めず、
ひよろ長い毒矢 の数々 ……
え? これが大正博覧会の南洋館?
最初の二つの室 を観て歩いて、
おれは思はずおれの子供等に言つた、
「こんなぢやない! こんなぢやない! 南洋は!」
そして、おれは新嘉坡を想ひ出した。
こんなぢやない! こんなぢやない!
あの赤道直下の生活はこんなぢやない!
そこは光と熱と香 と色の世界だ、
華やかな、目まぐるしい現象のみの世界だ、
醇粋な真実のみの緊張した世界だ、
渦を巻いて荒れ廻る世界だ、
宇宙の最初の元気が、
太陽は白金 を焼いて居る、
海は碧玉 の湯を湛 へて居る、
土は朱 を盛り上げて居る。
空気は火の台風 だ、
雨は銀の驟雨 だ。
どの物にも鈍 い弱い色がない、
藍だ、群青 だ、深緑 だ、紫だ。
どの物にも煩瑣 な分類がない、
植物も動物だ、人間だ、
人間も植物だ、動物だ。
十、二十の脚 を柱 の様に立てて居る。
一尺の守宮 が人間に呼び掛け、
二丈の鰐が人間を餌 にする。
人間は丸木舟の殻 に乗つて走 る貝 だ。
猿は猩々の表情と姿で抱き合ふ人間だ。
春夏秋冬の区別もない、
植物は芽と葉と枯葉 と、
蕾と花と果 とを同時に持つて居る。
片端から新しく生んで行く。
人間もさうだ!
手ぬるい夢や憧憬 や、
しちめんどうな瞑想 や、
馬鹿らしい後悔や追憶 を必要とせずに生きて行く。
彼等は流転を流転の儘に受け入れる。
唯だ珍重するのは愛情だ、
労働だ、勝利の欲だ、
そして其等を讃美する芸術だ。
寝たくて寝る、
歌ひたくて歌ふ、
働きたくて働く、
踊りたくて踊る。
恋しい女は奪つても愛する、
憎い敵は殺して仕舞ふ、
勝つた者は正 しく誇る、
負けた者は復讎を企てる。
花の開落だ、
そんな事を気にする習慣なんか持て居ない。
自然と生物とが同じ脈を搏 ち、
同じ魂 と同じ意欲を持ち、
同じ生の力を張り詰めて動くばかりだ!
若し醇粋な人性 を保留して居る彼等に、
彼等は目角 を立てて怒 るだらう、
そして云ふだらう、「大自然の心を知らない、
堕落した人間の余計な僻 みだ」と。
彼等は赤裸々で居る、
太陽が赤裸々で居る如くに!
そして、彼等が華やかな爪哇 更紗の一片 で、
または新鮮な一枝 の木の葉で、
人間の樹の中央 につけた性 の果 を蔽 ふのは、
礼儀でもなんでもない、
椰子が其果 の核 を殻皮 の中 に蔵 めて、
風雨と鳥獣の害を防ぐやうに、
彼等もまた貴い種 の宮 を、
敵と動物の害から護 るのだ。
こんなのぢやない! あの生々 した南洋は!
おれは斯 う思つて次の室 へ行つた。
そこには病人らしい南洋の男女が、
青黒い、萎 びた肌 で、
気乗のしない虚偽 の表情と、
――おまへ達は虚偽 を知らない筈だのに!―
張りのない、浮調子 な声とで、
狭い舞台に、
――ああ、おまへ達は珊瑚礁の島が恋しからう!――
踊つたり歌つたりして居る。
可哀相に! 彼等は
「なんだ! 面白くもない!
野蛮だね!」と大 びらに日本語 で云はれて居る。
この見物の中 に居るのぢやない、
いや、そんな大家 が居たつて
この南洋踊を観たら逃げ出すだらう。
ああ!どんないい物でも、
どんな真剣 な物でも、
日本の空気に触れると、
大抵みな萎 びてしまふんだ!
精神を無くするんだ!
おれは近頃 欧羅巴 の往復に、
新嘉玻を二度観て、
南洋の生活を羨まずに居られなかつた。
そして巴里や羅馬を観て来た後にも、
やつぱり南洋を羨しいと思つた。
なぜだ?
自由な世界としては、
巴里も羅馬も南洋の島も異 りがないからだ!
おれはあたふたと南洋館を出てしまつた。
おれは福引に急ぐ、秩序のない、
右に縫ひ、左に縫ひして歩いた。
それでも可なり大勢 に衝突 つた、
こんな場合に PARDON を言ひ合はないのが大日本 だ!
そして、やつとのことで上 を向くと、
おれの目に入 つたのは、
――欧州では独逸の一部でしか見当らない式 の――
松井須磨子と云ふ女優の看板だ。
「父さん、早く帰りませうよ。」
「よし!」
(一九一四、八、二四)