無くて七癖というように誰れでも癖は持っているものだが、水島の癖は又一風変っていた。それは貴方にお話してもおそらくは信じてくれないだろうと思うがその癖は『息を止める』ということなのである。
私も始め友人から聞いた時は冗談かと信じなかったが、一日彼の家に遊びに行った時に笑い
『その話はね、誰れでも五月蠅く聞くんだ、その癖皆んな途中で
僕はその胸のわくわくする快感が堪らなく好きなのだ。ハアーと大きく息する時の気持、快よい心臓の響き。僕は是等の快感を味わう為には何物も惜しくないと思っている』
水島はそう言って、この妙な話を私が真面目に聞いているかどうかを確かめるように私の顔を見てから又話しを続けた。
『しかし、近頃一つ心配な事が起って来たのだ、よく
水島はそう言って又私の顔を覗くようにして笑った。
然し私はまだそれが信じられなかった、息を止めてその快感を味う! 私はそれがとてつもない大嘘のように思われたり、本当かも知れないという気もした、その上十五分以上も息を止めて平気だというのだから――
水島は私の信じられないような様子を見てか、子供にでもいうように、
『君は嘘だと思うんだね、そりゃ誰だってすぐには信じられないだろうさ。嘘か本当か今実験して見様じゃないか』
私はぼんやりしていたが水島はそんなことにお構いなく、
『さあ、時計でも見てくれ給え』
斯ういうと彼は椅子に深か深かと腰を掛けなおした。
彼が斯う無造作にして来ると、私にも又持前の好奇心が動き始めた。
『一寸。今三時三十八分だからもう二分してきっちり四十分からにしよう』
というと水島は相変らず無造作に『ウン』と軽くいったきり目をつぶっている、斯うなると私の好奇心はもう押えきれなくなって了った。
『よおし、四十分だ』
私は胸を躍らせながら言った、水島はそれと同時に大きく息を吸い込んで悪戯っ子のように眼をぱちぱちして見せた。
私は十五分間やっとこらえた、私は不安になって来たのである、耐えられない沈黙と重苦しい雰囲気が部屋一杯に覆いかかっている、墓石のような顔色をした彼の額には青黒い静脈が
私はこの洞穴のような空虚に堪えられなくなった、そして追い立てられるように椅子から立つと彼に近寄って、
四時。もう二十分も経った。その瞬間不吉な想像が後頭部に激しい痛みを残して通り過ぎた。彼は自殺したのではないかしら、日頃変り者で通っている彼のことだ、自殺するに事を欠いて親しい友人の私の面前で一生に一度の大きな芝居を
彼の顔は不自然に
私のこの狂人染みた動作が効を奏してか、彼の青白い顔には次第に血の気が表われて来た。然しそうして少しの後、口が
『駄目だなァ君は、今やっと最後の快感にはいり始めたのに……』そういって力のない瞳で私を見詰めるのだった。けれど私は水島にそういわれ乍らもなんとなく安心した様な気持になって、彼の言葉を淡く聞いていたのである。
私はあの息を止めるという不可能な実験の後、私の好奇心は急に水島に興味を覚えて、暇をみては彼の家に遊びに行くのが何時からとはなく例になっていた。
所が或る日、何時もの通り水島を訪れると恰度又彼があの不可思議な『眠り』をして居るところに行き合った、今見た彼の様子はいかにも幸福そうな、物静かな寝顔であった、この前は初めての事なので無意識の不安が彼の顔に死の連想を見せたのかも知れない……。
私はこの前のように
そうして二十分も息を止めている間の奇怪な幻覚を話してくれたのである。それがどんな妖しい話であったか。
『僕が息を止めている間に様々な幻の世界を彷徨するというとさも大嘘のように思うだろうがまあ聞いてくれ給え。
例えばこの「息を止める」ということに一番近い状態は外界からの一切の刺激を断った「眠り」という状態だ、この不可思議な状態は凡ての人々が余りにも多く経験するので、それに就いて少しでも深く考えようとしないのは随分軽卒だということが出来る、君、この「眠り」の中にどんな知られぬ世界が
人は皆胎児の間に一度は必ず是等の幻の世界に遊び、そうして其途上に何か収穫のあったものが生を享けてからこの現実の世界に於て学者となり、芸術家となり、又は犯罪者となるのだ。
幻の世界は一つではない、清澄な詩の国もあれば、陰惨な犯罪の国もある。昔、仏教は